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[53855] 本人はそれでいいにゃんが、残されたほうはつらいの。Re:[53854] 大往生だな、と・・・・Re:[53853] [53852] 堂々とやんなさいよ。 投稿者:とんび 投稿日:2011/03/09(Wed) 13:08  

> のひへけたANNEX−Ω   訪問者数:2353443(今日:128/昨日:582)2011/03/09(Wed) 06:44
>
> 追悼です。
>
> Natalie Cole - I Wish You Love - http://www.Chaylz.com
> http://www.youtube.com/watch?v=1JxmOCy3-DY&feature=BF&list=QL&index=41
>
> まるで彼女がわれわれに歌いかけているやうではありませんか。
>
>
> > > [2389] お知らせ。 投稿者:北風 投稿日:2011/03/08(Tue) 09:26
> > >
> > >
> > >
> > > 『ハンセン病文学全集』の編集を担当してきました能登恵美子が、3月7日朝、春の雨が雪に変わるころ息を引き取りました。
>
> まことに、その事業に全霊でとりくみ献身的に全国の関係者を訪ねまわり資料を蒐集しそれを通じて自分自身と他者へのまことの愛を育てられてきたことは傍目にも心を打つものがありました。それはまた、その事業への取り組みの契機となった北風氏との出遭いから最期までの25年間の氏の薫陶のたまものでもありませう。ご冥福をお祈りします。
>
> > > 通 夜 3月9日午後6時から
> > > 告別式 3月10日正午から午後1時まで 
> > > 会 場 練馬区小竹町1-61-1 江古田斎場
> > > (西武池袋線 江古田駅北口2分)
>
> ひとぎらいなソレガシは、通夜、告別式にはでませんが、昨日ご自宅で対面させていただきました。お母様が布をあげるとふっと下唇が動いた気配で、ちょっと首を傾げて眠っている美しいお顔でした。
>
> 近くに移住されてきたとんび氏の存在もどれほど彼女を励まし慰める力であったかを、お話からうががい、なみだながらも、ひとにはやはり時節というものがやはりあって、美しく逝ったこれはまことの大往生だな、と・・・・
>
>
去年の11月頃から、どんどん、かわいく、美しくなったのにゃ。
‘笑い方忘れちゃった’と、笑顔の練習してたっけ。
人に会って笑い顔を作るのが疲れる、と。

こんなに早く死ぬとは思わなかったさ。


[53854] 大往生だな、と・・・・Re:[53853] [53852] 堂々とやんなさいよ。 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/03/09(Wed) 07:20  

のひへけたANNEX−Ω   訪問者数:2353443(今日:128/昨日:582)2011/03/09(Wed) 06:44

追悼です。

Natalie Cole - I Wish You Love - http://www.Chaylz.com
http://www.youtube.com/watch?v=1JxmOCy3-DY&feature=BF&list=QL&index=41

まるで彼女がわれわれに歌いかけているやうではありませんか。


> > [2389] お知らせ。 投稿者:北風 投稿日:2011/03/08(Tue) 09:26
> >
> >
> >
> > 『ハンセン病文学全集』の編集を担当してきました能登恵美子が、3月7日朝、春の雨が雪に変わるころ息を引き取りました。

まことに、その事業に全霊でとりくみ献身的に全国の関係者を訪ねまわり資料を蒐集しそれを通じて自分自身と他者へのまことの愛を育てられてきたことは傍目にも心を打つものがありました。それはまた、その事業への取り組みの契機となった北風氏との出遭いから最期までの25年間の氏の薫陶のたまものでもありませう。ご冥福をお祈りします。

> > 通 夜 3月9日午後6時から
> > 告別式 3月10日正午から午後1時まで 
> > 会 場 練馬区小竹町1-61-1 江古田斎場
> > (西武池袋線 江古田駅北口2分)

ひとぎらいなソレガシは、通夜、告別式にはでませんが、昨日ご自宅で対面させていただきました。お母様が布をあげるとふっと下唇が動いた気配で、ちょっと首を傾げて眠っている美しいお顔でした。

近くに移住されてきたとんび氏の存在もどれほど彼女を励まし慰める力であったかを、お話からうががい、なみだながらも、ひとにはやはり時節というものがやはりあって、美しく逝ったこれはまことの大往生だな、と・・・・

やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53853] Re:[53852] 堂々とやんなさいよ。 投稿者:雉子の直使い 投稿日:2011/03/08(Tue) 22:03  

> [2389] お知らせ。 投稿者:北風 投稿日:2011/03/08(Tue) 09:26
>
>
>
> 『ハンセン病文学全集』の編集を担当してきました能登恵美子が、3月7日朝、春の雨が雪に変わるころ息を引き取りました。
>
> 通 夜 3月9日午後6時から
> 告別式 3月10日正午から午後1時まで 
> 会 場 練馬区小竹町1-61-1 江古田斎場
> (西武池袋線 江古田駅北口2分)

htthttp://www.tenro.net/lib_hansen/bbs_friend/light.cgip://


[53852] 堂々とやんなさいよ。 投稿者:雉子の直使い 投稿日:2011/03/08(Tue) 22:02  

[2389] お知らせ。 投稿者:北風 投稿日:2011/03/08(Tue) 09:26



『ハンセン病文学全集』の編集を担当してきました能登恵美子が、3月7日朝、春の雨が雪に変わるころ息を引き取りました。

通 夜 3月9日午後6時から
告別式 3月10日正午から午後1時まで 
会 場 練馬区小竹町1-61-1 江古田斎場
(西武池袋線 江古田駅北口2分)


[53851] Re:[53848] さよなら。 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/03/08(Tue) 13:26  

うてくわむANNEX−Ω   訪問者数:2353014(今日:281/昨日:429)2011/03/08(Tue) 13:06

翻然と天へ帰りぬ春の雪

> せめて一夜この一夜だに君になし
>
> 泣けよとや雪降りしきる春初め
>
> 君は逝く微笑み涙春弥生
>
> 春三月どこまで追ってもさようなら
>
> さよならを伝い伝って彼岸まで
>
> 苦の娑婆へ微笑み残しさようなら
>
> やすらけく泣いて笑ってあいこでしょ
>
> もう一度ねえもう一度笑ってよ
>
> 君は笑む誰が誘いに来たのやら
>

やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53850] そのままに・・Re:[53849] 春の芽吹きは本当に嬉しい・・Re:[53845] [53843] YOU SEE?Re:[53842] いきてるだけぢゃものたりぬRe:[53841] 春がたけてくれば、あちこちといってみたいと、ゆくさきざきが下見であったりしている、それが楽しい人生ですが、畢竟、その楽しみも日の目も見ずに果ててしまう夢かもしれませんね。だからといって、年甲斐もなく、限度も弁えない、バカだ、とはおもわない、人生は永遠の青春のおめでたさで。Re:[53840]   投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/03/08(Tue) 11:24  

せえなやとANNEX−Ω   訪問者数:2352941(今日:208/昨日:429)2011/03/08(Tue) 10:27

Billy Joel - Just the way you are
http://www.youtube.com/watch?v=ounJsqomcv8&feature=BF&list=QL&index=29

> しほめくこANNEX−Ω   訪問者数:2352909(今日:176/昨日:429)2011/03/08(Tue) 09:29
>
> Fly Me To The Moon (Tony Bennett)
> http://www.youtube.com/watch?v=1aLkB88dTr8&feature=BF&list=QL&index=12
>
> > > その人は、いまだに冬眠中なのか、電話もメールも通じないので、いいかげんこちらも、気落ちして、さうです、電話メール着信拒否されたときのあの衝撃は、まさに硝子の壁に鼻をぶっつけてひしゃげさせたやうなショックで、トラウマにもなりますよ。
> >
> > 電話もメールも拒否しなくても出れなくなるときがあります。
>
> すべて了解です、ソレガシのガサツな脳みそと心で理解しうる限りのことではありますが・・
>
> > 春の雨が雪に変わるころそうなりました。
>
> これも、詩人のまことに繊細な謂いなのではないかと、今ごろ気がついた次第です。
>
> バカな解釈をしてすみません。
>
> 逐電というコトバで繊細な神経をとぎらせたのかもしれません。ソレガシの心を惹きつけたまま消えてしまうのか、ちう意味でいったのですが、帰ってきたのは、ものだけで、心も心を通わす場も断ち切られて、雨が雪になって凍えていた・・・・
>
> でも、まう春が来たんだから、心も復活、場も復活、お月さまへ一緒に飛んでいけたら、本当に一緒に生きられる・・・ここで俳句にだけでもやっと戻ってきてくれたその春の芽吹きは本当に嬉しいことですよ。
>
> まだ、雪が解けきっていないので、けさも一句が凍っていますが・・

名にし負う春の恵をそのままに

やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53849] 春の芽吹きは本当に嬉しい・・Re:[53845] [53843] YOU SEE?Re:[53842] いきてるだけぢゃものたりぬRe:[53841] 春がたけてくれば、あちこちといってみたいと、ゆくさきざきが下見であったりしている、それが楽しい人生ですが、畢竟、その楽しみも日の目も見ずに果ててしまう夢かもしれませんね。だからといって、年甲斐もなく、限度も弁えない、バカだ、とはおもわない、人生は永遠の青春のおめでたさで。Re:[53840]   投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/03/08(Tue) 10:03  

しほめくこANNEX−Ω   訪問者数:2352909(今日:176/昨日:429)2011/03/08(Tue) 09:29

Fly Me To The Moon (Tony Bennett)
http://www.youtube.com/watch?v=1aLkB88dTr8&feature=BF&list=QL&index=12

> > その人は、いまだに冬眠中なのか、電話もメールも通じないので、いいかげんこちらも、気落ちして、さうです、電話メール着信拒否されたときのあの衝撃は、まさに硝子の壁に鼻をぶっつけてひしゃげさせたやうなショックで、トラウマにもなりますよ。
>
> 電話もメールも拒否しなくても出れなくなるときがあります。

すべて了解です、ソレガシのガサツな脳みそと心で理解しうる限りのことではありますが・・

> 春の雨が雪に変わるころそうなりました。

これも、詩人のまことに繊細な謂いなのではないかと、今ごろ気がついた次第です。

バカな解釈をしてすみません。

逐電というコトバで繊細な神経をとぎらせたのかもしれません。ソレガシの心を惹きつけたまま消えてしまうのか、ちう意味でいったのですが、帰ってきたのは、ものだけで、心も心を通わす場も断ち切られて、雨が雪になって凍えていた・・・・

でも、まう春が来たんだから、心も復活、場も復活、お月さまへ一緒に飛んでいけたら、本当に一緒に生きられる・・・ここで俳句にだけでもやっと戻ってきてくれたその春の芽吹きは本当に嬉しいことですよ。

まだ、雪が解けきっていないので、けさも一句が凍っていますが・・



やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53848] さよなら。 投稿者:とんび 投稿日:2011/03/08(Tue) 05:08  


せめて一夜この一夜だに君になし

泣けよとや雪降りしきる春初め

君は逝く微笑み涙春弥生

春三月どこまで追ってもさようなら

さよならを伝い伝って彼岸まで

苦の娑婆へ微笑み残しさようなら

やすらけく泣いて笑ってあいこでしょ

もう一度ねえもう一度笑ってよ

君は笑む誰が誘いに来たのやら



[53847] 俳句にしても、コトバにしても、読んでくれるひとがひとりでもいればそれでいい。それがたとえ他人ではなく、自己の内なる自己であらうが・・・Re:[53846] 他殺されるでもなく、自殺するでもなく、己が寿命は全うしたいものです。Re:[53845] [53843] YOU SEE?Re:[53842] いきてるだけぢゃものたりぬRe:[53841] 春がたけてくれば、あちこちといってみたいと、ゆくさきざきが下見であったりしている、それが楽しい人生ですが、畢竟、その楽しみも日の目も見ずに果ててしまう夢かもしれませんね。だからといって、年甲斐もなく、限度も弁えない、バカだ、とはおもわない、人生は永遠の青春のおめでたさで。Re:[53840]   投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/03/07(Mon) 17:47  

ねろをへいANNEX−Ω   訪問者数:2352604(今日:300/昨日:508):2011/03/07(Mon) 17:03

いつも何度でも -Nataliya Gudziy- short version
http://www.youtube.com/watch?v=-bfOFYSi0xo&feature=related

> はかをわのANNEX−Ω   訪問者数:2352585(今日:281/昨日:508)2011/03/07(Mon) 15:59
>
> Nataliya Gudziy-Sakimorinouta ナターシャ・グジー 防人の詩
> http://www.youtube.com/watch?v=vpb-YwyUXx8&feature=autoplay&list=QL&index=2&playnext=4
>
> > > その人は、いまだに冬眠中なのか、電話もメールも通じないので、いいかげんこちらも、気落ちして、さうです、電話メール着信拒否されたときのあの衝撃は、まさに硝子の壁に鼻をぶっつけてひしゃげさせたやうなショックで、トラウマにもなりますよ。
>
> あれは3月2日の午後ととやみちから帰ってのことでした。その前は2月5日、その前は去年の11月19日、その前は...

10月15日でした。

> ともかくも閂をされてからほんのたまにしかトライしてませんが、ずっと閂のされっぱなしです・・・

その間に閂が外れたのかどあうかは、時々刻々トライしつづけたわけではないのでわかりません。


> > 電話もメールも拒否しなくても出れなくなるときがあります。
>
> こころが痛みます。

閂は、「拒否しなくても出れなくなる」という事態とは違って、場の抹殺です、「ときがあります」という、日々時々刻々変化する事態とは根本的に違っていて、他者の存在の抹殺閂削除です。他者の存在への抹殺閂削除行為は、ひいては自己の存在への抹殺閂削除行為でもあるわけなんですが・・・

> ソレガシは出れなくなるというよりは、出ないときがあります。出たければ出るんですが、あまりに下らぬ、あるいは、気が進まぬときは、でません。

これは、意識的にでないのですが、他者との場は、閉じられてもいなければ、抹殺閂削除もされていません、場は開かれているが、意思としてでない、これはだれにでもあることではないでせうかね。

> ま、そういう誰にでもある意思的な事態ではのうて、出られなくなる、さういういわば受動的な経験はないので、こころが痛む、そこまでソレガシはなぬか相手を傷つけたのか、あるいは、悪いことをしたのか、というよくものがみえないながらも物悲しい、いたたまれない自他へ痛み・・・

誰にでもある意思的な事態ではのうて、出られなくなる、この受動態は、まさに、被抹殺閂削除の受動態なんですが、それが抹殺閂削除者の意思的行為の心的事態でもあるということ、つまり、お互いに悲惨な事態なんですね。

> > 春の雨が雪に変わるころそうなりました。

すくなくとも、本日の春の雨が雪にかわるころ、それまでは、閂もしていなかったということなんでせうか?

> 閂は爾来外されたことがありません。

閂はもっとずっと以前、8月、10月とデバイスごとに掛けられ、ついに場が抹殺されたんぢゃあ、ありませんか?


> 閂もまた自己防衛なんでせうし、受動的行為なんでせうが、能動的意思でも

能動的行為でも、

> あるんぢゃあ、ないかと・・

この為すということをだうして、否定的な方向でなされるのか?

そこが、まさに関心の持ち方の方向性の問題なんでせうね。

否定を通じて肯定へ突き抜ける、これは、古来のあらゆる言辞、思想、宗教の源泉ですから、それゆえに貴重なものですから、絶望は希望を糧にして絶望しているやうに、希望の場を断って、言辞、対話の場を断っての否定はまさにいのちに悖る悲惨さです。お互いに。

> ひとぞれちがうのですから、ソレガシのことをいってもしょうがいのかもしれませんが、ソレガシは生まれてこのかた、もう、棺おけへの距離、時間のほうが近いのですが、他者へ抹殺閂削除をしたことはありません。だからこそ、抹殺閂削除にこだわる、そりゃあ、さうですわね、たとえ敵対者であっても、そこに開かれた場を閉じてしまえば、救いがお互いになくなる、敵対の事態はその場から排除されて、永遠の敵対として棚上げされる、これは悲惨なことですね。

ま、場を断ってもいませんし、抹殺閂削除もしていませんが、ある組織とか関係から身を引いてしまえば、身に沁みる事態も当面はなくなるわけで、この身を引く決断、意思、行動と、場を断つ行為、すなわち、抹殺閂削除とは、根本的に違います。

この場というのは、簡単に場と書いていますが、これは身体論にも通じる場であって、さういうインターフェイス、境界領域を、場を抹殺閂削除してしまうということは、まさにこころの辛さゆえに身体を抹殺閂削除することにも通じるんではないでせうか?

> あるいは、かのよみうりの谷内くんがやったやうに自分の論理だけで、警察に訴えでる、もう、対話の場が閉じられて、次元の変わった権力の場での対決、それもまだ対決なら、いかなる場であらうが、訴訟の場でも開かれているんですが、かの代議士のやうに問答無用で自宅前で刺し殺されることもある。東京新聞の于論茶=↑(▼▼)胡乱ちゃんこと田島力くんなんか、その刺客の類であって、日本刀をもって我が家に押しかけると凄んだもので・・・
>
> それでも、谷内くんも、田島くんも、べつにかの代議士のやうに抹殺閂削除はされていないから、それなりにやっているんでせうね。それなりが、だういうふうのそれなりかは、みえませんが・・・あいかわらず、お気に召さないものは、抹殺閂削除して、お気に入りの世界を構築してひきこもっていても、それも、まあ、人生といえば人生なんでせう。
>
> ようは、いかなる事態であれ、他者への抹殺閂削除は、抹殺閂削除者の他者へ意思で

かつ意思的行為で、

> あることにはかわらいのではないでせうか?

誰かが抹殺閂削除しなければ、抹殺閂削除はありえないのですから・・・

> またしても排除の論理木の実落つ  山査子
>
> 京王デパートの社長もつとめた好好爺の句友の最期の句集にあった句です。お洒落な紳士で、いつも若い女性を連れ歩き、グルメ吟行なんかを主宰していました。組織におれば、排除の論理のありやうをいやというほど経験してきた、社長になったほどですから、みずからもそういう権力を行使してきた、

かもしれない

> そして、最期にこの句です。
>
> 他殺されるでもなく、自殺するでもなく、己が寿命は全うしたいものです。
>
> しかしながら、さうおもうことさえできないやうなこころの情況、はたまた、世間のありさまというもの、それらを、みるにつけ、きくにつけ、体験するにつけ、悲惨です。

春の雪で一句詠まんとすれでも、こころが凍って詠めません。

俳句にしても、コトバにしても、読んでくれるひとがひとりでもいればそれでいい。それがたとえ他人ではなく、自己の内なる自己であらうが・・・

やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53846] 他殺されるでもなく、自殺するでもなく、己が寿命は全うしたいものです。Re:[53845] [53843] YOU SEE?Re:[53842] いきてるだけぢゃものたりぬRe:[53841] 春がたけてくれば、あちこちといってみたいと、ゆくさきざきが下見であったりしている、それが楽しい人生ですが、畢竟、その楽しみも日の目も見ずに果ててしまう夢かもしれませんね。だからといって、年甲斐もなく、限度も弁えない、バカだ、とはおもわない、人生は永遠の青春のおめでたさで。Re:[53840]   投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/03/07(Mon) 16:47  

はかをわのANNEX−Ω   訪問者数:2352585(今日:281/昨日:508)2011/03/07(Mon) 15:59

Nataliya Gudziy-Sakimorinouta ナターシャ・グジー 防人の詩
http://www.youtube.com/watch?v=vpb-YwyUXx8&feature=autoplay&list=QL&index=2&playnext=4

> > その人は、いまだに冬眠中なのか、電話もメールも通じないので、いいかげんこちらも、気落ちして、さうです、電話メール着信拒否されたときのあの衝撃は、まさに硝子の壁に鼻をぶっつけてひしゃげさせたやうなショックで、トラウマにもなりますよ。

あれは3月2日の午後ととやみちから帰ってのことでした。その前は2月5日、その前は去年の11月19日、その前は...ともかくも閂をされてからほんのたまにしかトライしてませんが、ずっと閂のされっぱなしです・・・

> 電話もメールも拒否しなくても出れなくなるときがあります。

こころが痛みます。

ソレガシは出れなくなるというよりは、出ないときがあります。出たければ出るんですが、あまりに下らぬ、あるいは、気が進まぬときは、でません。

ま、そういう誰にでもある意思的な事態ではのうて、出られなくなる、さういういわば受動的な経験はないので、こころが痛む、そこまでソレガシはなぬか相手を傷つけたのか、あるいは、悪いことをしたのか、というよくものがみえないながらも物悲しい、いたたまれない自他へ痛み・・・

> 春の雨が雪に変わるころそうなりました。

閂は爾来外されたことがありません。閂もまた自己防衛なんでせうし、受動的行為なんでせうが、能動的意思でもあrんぢゃあ、ないかと・・

ひとぞれちがうのですから、ソレガシのことをいってもしょうがいのかもしれませんが、ソレガシは生まれてこのかた、もう、棺おけへの距離、時間のほうが近いのですが、他者へ抹殺閂削除をしたことはありません。だからこそ、抹殺閂削除にこだわる、そりゃあ、さうですわね、たとえ敵対者であっても、そこに開かれた場を閉じてしまえば、救いがお互いになくなる、敵対の事態はその場から排除されて、永遠の敵対として棚上げされる、これは悲惨なことですね。

あるいは、かのよみうりの谷内くんがやったやうに自分の論理だけで、警察に訴えでる、もう、対話の場が閉じられて、次元の変わった権力の場での対決、それもまだ対決なら、いかなる場であらうが、訴訟の場でも開かれているんですが、かの代議士のやうに問答無用で自宅前で刺し殺されることもある。東京新聞の于論茶=↑(▼▼)胡乱ちゃんこと田島力くんなんか、その刺客の類であって、日本刀をもって我が家に押しかけると凄んだもので・・・

それでも、谷内くんも、田島くんも、べつにかの代議士のやうに抹殺閂削除はされていないから、それなりにやっているんでせうね。それなりが、だういうふうのそれなりかは、みえませんが・・・あいかわらず、お気に召さないものは、抹殺閂削除して、お気に入りの世界を構築してひきこもっていても、それも、まあ、人生といえば人生なんでせう。

ようは、いかなる事態であれ、他者への抹殺閂削除は、抹殺閂削除者の他者へ意思であることにはかわらいのではないでせうか?

またしても排除の論理木の実落つ  山査子

京王デパートの社長もつとめた好好爺の句友の最期の句集にあった句です。お洒落な紳士で、いつも若い女性を連れ歩き、グルメ吟行なんかを主宰していました。組織におれば、排除の論理のありやうをいやというほど経験してきた、社長になったほどですから、みずからもそういう権力を行使してきた、そして、最期にこの句です。

他殺されるでもなく、自殺するでもなく、己が寿命は全うしたいものです。

しかしながら、さうおもうことさえできないやうなこころの情況、はたまた、世間のありさまというもの、それらを、みるにつけ、きくにつけ、体験するにつけ、悲惨です。

やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53845] Re:[53843] YOU SEE?Re:[53842] いきてるだけぢゃものたりぬRe:[53841] 春がたけてくれば、あちこちといってみたいと、ゆくさきざきが下見であったりしている、それが楽しい人生ですが、畢竟、その楽しみも日の目も見ずに果ててしまう夢かもしれませんね。だからといって、年甲斐もなく、限度も弁えない、バカだ、とはおもわない、人生は永遠の青春のおめでたさで。Re:[53840]   投稿者:んとのめは 投稿日:2011/03/07(Mon) 13:36  

> その人は、いまだに冬眠中なのか、電話もメールも通じないので、いいかげんこちらも、気落ちして、さうです、電話メール着信拒否されたときのあの衝撃は、まさに硝子の壁に鼻をぶっつけてひしゃげさせたやうなショックで、トラウマにもなりますよ。

電話もメールも拒否しなくても出れなくなるときがあります。
春の雨が雪に変わるころそうなりました。



[53844] 論理もコトバも思想も宗教も政治も経済も、己がものとなす契機を失って、そういう時節が到来しないまま、頽落したまんまうわずって世間をわたっていけば、食ってメタボの評論家ちうのんは、はいてすてるほどおるんは、ロードバイクの痴漢どもや、幽囚をこととする精神科医、ハイエナ弁護士なんぞ、まことに枚挙のいとまがありません。Re:[53843] YOU SEE?Re:[53842] いきてるだけぢゃものたりぬRe:[53841] 春がたけてくれば、あちこちといってみたいと、ゆくさきざきが下見であったりしている、それが楽しい人生ですが、畢竟、その楽しみも日の目も見ずに果ててしまう夢かもしれませんね。だからといって、年甲斐もなく、限度も弁えない、バカだ、とはおもわない、人生は永遠の青春のおめでたさで。Re:[53840]   投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/03/07(Mon) 11:10  

ぬむけあなANNEX−Ω   訪問者数:2352465(今日:161/昨日:508)2011/03/07(Mon) 10:39

TONY BENNET THE VEREY THOUGHT OF YOU
http://www.youtube.com/watch?v=8iu1dPNiL44&feature=BF&list=QL&index=6

またまた反復ですが・・・スローでよろしい。

> みせててねANNEX−Ω   訪問者数:2352423(今日:119/昨日:508)2011/03/07(Mon) 08:27
>
> Carmen McRae - Body & Soul
> http://www.youtube.com/watch?v=i7ktgyt3OTo&feature=BF&list=QL&index=5
>
> これも、ものの種、か、ももの種、か。歳を重ねた重厚さ、まさに体重も、歌唱も・・
>
> > をんけなむANNEX−Ω   訪問者数:2352402(今日:98/昨日:508)2011/03/07(Mon) 06:34
> >
> > 河島英五(生きてりゃいいさ)
> > http://www.youtube.com/watch?v=jVij9LgYbJY&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=58
> >
> > いきてるだけぢゃあ、ね。もっとも死ぬよりはええのですが、やっぱすなぬごとも行動することですね。本日は、一日中雨だから、記事が煩いかも・・・
>
> 早くも、春の雪、にかわってきました。
>
> > > ANNEX−Ω   訪問者数:2352290(今日:494/昨日:625)
> > >
> > > VERA LYNN - I Think of You (r. mckuen)
> > > http://www.youtube.com/watch?v=UgFD8R_MbEo&feature=related
> > >
> > > > > > 今朝は富士山がみえました。
> > > > >
> > > > > 表からですか、裏からですか?
> > > >
> > > > え!富士山には裏表があるのですか?
> > >
> > > 人間に「青春の光と影Both Sides」があるやうに、日本にも、富士山にもあるのではないですか?
> > >
> > > ソレガシの解釈では、東・南は表で、西・北は裏かと・・山梨からみた富士山は裏というし・・
> > >
> > > > 「このはなさくやひめ」と「いわながひめ」の話ですか?
> > >
> > > う〜む。なんかむずかしい話で、考えすぎ・・深読みの癖があるんではないでせうか。
> > >
> > > > >あなたへは化けてでるかもものの種
> > > >
> > > > 「ももの種」?「ものの種」?どっちですか?
>
> ははあ、これは慎ましやかになぬかを諭しているのかもしれない、と今気づきますた。
>
> > > 「ものの種」です。
> > >
> > > ももの種と解すれば、たすかに、このはなさくやひめ、と、いわながひめ、という発想のもとも窺い知れるのですが、やっぱす、深読みだわね。
>
> とはいえ、
>
> あなたへは化けてでるかもものの種
>
> あなたへは化けてでるかもももの種
>
> U〜M
>
> > > あなたへは化けてでるかも・ものの種
> > >
> > > ものの種だけで、春の季語ですよ。
>
> あなたへは化けてでるかも・ももの種
>
> たすかに、ももの種だけでも、季語だし・・
>
> > かういう句というものは、ねちねちと考えあぐんで出てくるものではなく、あるときふっと即興的に浮かんでくる、賜物なんですが、その賜物も、みようによって、深読みすれば、まさに化けて出る、吉凶いづれにも解されうるわけで、たからといって、懐にしまっておいては、せっかくの賜物も宝の持ち腐れになってしまう、だから、まあ、あれこれとそれこそ、自分のあたまのなかのいつもの堂々巡り、サーキュレイテッド・コンフージョンにひきこもるよりは、まあ、吐き出してしまいませう、ちうことで、出したものですが、この詠み手は、ソレガシではあるものの、一旦詠まれ読まれれば、あなたはあなたであると同時に自分でもある、さういう循環でもあるわけで・・・
> >
> > かういうふうにいうと、疑い深いむきは、むきになって、さうぢゃない!それはわたしに云ったんだ・・・と反発されることもままありますが、さういう一方通行的にものごとをとらえると畢竟、共感というものも、一方通行なってしまいがちですね。
> >
> > あなたというものはつねにじぶんといれかわるのですから、汝と我のありやうで・・・


このインターラクション、係わり合いですね、これを味得、納得、身に着けるにも、ある閃き、気づき、悟りとはいいませんが、恩寵、到来、が必要なやうな・・

ソレガシは小学校で、算盤暗算で東京都で優勝、中学、高校と、数学は最も得意な科目の一つで、かのZ会でも、数学と英語は全国で一番にもなったのですが、この数学と英語を実際に生かすには程遠い情況で・・・

高校のときですが、物理ができんのですね。やうは、あの物理学がニュートン力学なんですが、そこへ数学を応用できない。数学そのものを数学の問題としてだされると、すらすら解けるんですが、それが物理になると頭を抱えてしまう。

それがあるとき、ふっとなぬかの拍子に数学と物理が融合してきた、身についてきた、自分で消化された、てめえのものとなった、という時期が、時節がまさに到来した鮮烈な記憶があります。

同様に英語でも、歴史でも、国語でも、はてまた、宗教でも、思想でも、さういう到来の時節ちうもんが、あったのです。

それまでは、英語も、まあ、読本英語であって、英語でものを考える、というより翻訳英語で低迷しとったもんが、その語の成り立ちとかを自己流で考えているうちに、ふっと英語で考えられるようになった、こうなりゃあ、いやでも、英語がでけるようになる、やうは、言葉が味得されるやうになる。これは国語でも思想でも宗教でも政治でも一緒ですから、はしょりますが・・・

やうは、論理が論理としてその殻に閉じこもっていては論理も生きない。

コトバがコトバとしてその殻に閉じこもっていてはコトバも生きない。

この生きない論理とコトバの囚われに成り果てて、言動の分裂を来たして、恥ともせぬもの、歳を食って、大学の教授になっても、たとえばかの上智の田中裕くんのやうに哲学の教鞭をとっておっても、んったくその生き方が自分が教えている哲学から遊離しちょる風景、はたまた、昨今の国会、痴呆議会の風景をながめれば、ああ、その下支えをしちょる、官僚、役人どもの風景も、彼らはたしかに学科、教科の国語や英語や数学や思想、経済にいては優秀な成績を収めたのでせうけんど、まあ、まったく出来の悪い麻生もいたけんど、出来が良くてもそれが現実の行動に反映されいない。行動と云うことがばらばらな景色、コトバだけ、論理だけきいておれば、ごもっともなんですが、なぬか現実の行動をすわぬ、齟齬がある、それに、ちっともご本人らは気づきがない、しゃあ、しゃあと、わかったふうなことをいっておるが、軒並み抹殺閂削除しまくった、かの東京新聞の于論茶=↑(▼▼)胡乱ちゃんも、よみうりのたぬきの谷内くんも典型の景色で、果ては、かの可笑しい狆くん=大岡信くんキンス兜太(●0_0●)@ブヒブヒくんも同じ景色です。

畢竟、論理もコトバも思想も宗教も政治も経済も、己がものとなす契機を失って、そういう時節が到来しないまま、頽落したまんまうわずって世間をわたっていけば、ああいう風景、まあ、かのもっとも醜い風景、よさねえ、与謝野とか、今時の感、菅くん、あれは癇に障りますね、さういう風景が重なってくる。

いったい、なんのために、小中高大学であるいは世間で勉強したのか?ああ、勉強しかしてこなかっかんでせうか?

身につくかつかぬか、料理を目で見て愛でて、あれこれ講釈をして、食ってメタボの評論家ちうのんも、はいてすてるほどおるんは、ロードバイクの痴漢どもや、幽囚をこととする精神科医、ハイエナ弁護士なんぞ、まことに枚挙のいとまがありません。



> > > 以前・・
> > >
> > > ごんべいが種をまいたらまた春菜
> > >
> > > ちう、この、まったくすなおな句、率直さへ、
>
> この素直さ、率直さはまことの好もしい、それが、気取らない表現、まいたらまた、という、この平易に一見稚拙にも感じられる、仮定法、条件法、理屈ぢゃなくて、流れのなかにえもいわれぬ個性と味わい、香華すらあるんですね。この句を見て、思い出すとき、最初はこの、まいたらまた、がでてこぬ。ソレガシはかういう素直な云いへの鍛錬が欠けている、すぐ屁理屈で、詠む、読むくせがあります。
>
> > > ちょっといじわるにひねったのですが、ひねりすぎたのかもしれませんね、初心者へは。
> > >
> > > 種まきも春の季語、その種まきの、種で・・ものは物悲しいとかの、かのものかも。
> > >
> > > 生きていてこそのものだね
> >
> >
> > いのちあってのものだね
> >
> > というのが、日本語の慣用句でした。
> >
> > > ちう、ことばも、このものの種をしるまでは、〜だね、
> > >
> > > きみはばかだね
> >
> > これも、例文で、深い意味はありません。きみはばかだね、なんておもっていないのですと、わざわざ言明せねばならぬ、そのこころもとない過敏さ、いまにも消えそうないのちへの鼓舞だね。
> >
> > > ちう、だね、だとばっかおもっていたのですが、これも、ものの種、もの種、なんぢゃなかろうか?
> >
> > いのちあってのもの種
> >
> > > 生きておればのもののたねだから、ま、そのうち芽がでてくる、いったいどんな芽がでてくるか?
> > >
> > > ふつうの種なら、まあ、園芸ショップで、これはスイートピーとか、銘々同定して売ってますが、なぬせ、人間のものの種は、だう化けてくるかわからぬ、そこが楽しみでもあり怖さでもあって、そのアンビバレレンツなところが、ものの種なんでせう。
> > >
> > > 化けるには、株価が化ける、銀の価格が化ける、
> > >
> > > http://www.monex.com/prods/silver_chart.html
> >
> > かういう風に商品価格がうなぎのぼりで、ハント兄弟のときは、たすか、55ドルまで上昇したのですが、30年以上前か、チャートにはでてきませんが、さういうバーチャルな価値の増大も、畢竟、現実的な価値にならなければ、絵に描いた餅にすぎない。
> >
> > 手元に資金がたっぷりあって、それを再投資するかぎりは、資金は資金にとどまり、この自己増殖で、いくら資金がふくらんでも人生は豊かにならない。
> >
> > これは評価損益の問題ばかりではなく、実際の現金でもおなじことですね。現金にしても、バーチャルな富にしても、それの使い甲斐、そういう対象がなければ、現金も評価損益も、畢竟、ゲームの域を出で得ない。だから、個人にかぎらず、会社でも、国家でも、決算とか、会計とか、財務なんちゅうもんは、ゲームでしかない、そのゲームで、かの与謝野のばかどもが右往左往と騒いでいる風景は、まことに己にきづきのない哀れな拝金亡者のゲームですかなく、ああいう老人やおば菅官僚どもにかぎらず、みやうによっては、われわれのなかにもさういう景色がある。
> >
> > > とかの、意味もあって、なぬも、怨霊怨恨でオバケに化ける、鼻なし、首なし、トルソーになるとは限りません。
> > >
> > >
> > > 一方、ももの種のあのぞっとするやうな風貌については、どっかに知人の秀句があったやうな気がしますが、いまはでてきません。あとで、句集でもひっぱりだしてみてみます。
> > >
> > > > 生きがたき此の世のはてに桃植ゑて死も明かうせむそのはなざかり  岡井隆
> > >
> > > 桃もアンビバレンツな植物なんですね。
> > >
> > > 桃の実の美しさとあの種の醜さ、あわせて生死さえおもわしめるエロチックさがあるのかもしれません。西東三鬼の句にもあったね。
> >
> > 中年や遠くみのれる夜の桃
> >
> > でしたか、この句も肉だけで解すよりも、種をふくめて解すはうが味わいがありますね。
> >
> > > > 食べ過ぎにご用心。
> > >
> > > ありがたう。でも、170gのステーキランチを食べた、あれは金曜、一昨日3月4日でしたか、夕食前の風呂前で、体重計に載ったら、69.0kgで、過日より短期日で。3kgも減っていました。もっとも、72kgのときは、夕食後で、便秘気味で、ごはんうんこもろともに体重に繰りいれてはかってますので、1kgぐらいの誤差はあるんでせうね。
> > >
> > > > 奥様をお大事に。
> > >
> > > ありがたう。でも、うちの女房は、いまは足腰がよくないので、整体がてら、一緒にレストランにいってますが、普段は、まんず、連れ歩くことも、旅行も、一緒の外食もありません。
> > >
> > > >春が蘭けてきたら、また片割れを連れてでかけてみやうとあちっこっちの下見がてらで・・・
> > >
> > > この片割れは、彼女とでも、というほどの意味で、彼女でなくて友人でもいいのですが、
>
> 反復からはなれて云えば共犯者でもある、片割れ(広辞苑)
>
> > > その人は、いまだに冬眠中なのか、電話もメールも通じないので、いいかげんこちらも、気落ちして、さうです、電話メール着信拒否されたときのあの衝撃は、まさに硝子の壁に鼻をぶっつけてひしゃげさせたやうなショックで、トラウマにもなりますよ。
>
> あのチャップリンのシティ・ライトでは、あの落ちぶれた男は、硝子の壁に頭をぶつけないですんだ。あの硝子のショーウィンドウのなかの婦人へ、鼻を硝子に押しつぶさんがごとくに見入っている、そのよこに硝子のドアがあって、sこからあのご婦人はちゃんと外にでてくるんですね。
>
> 出てきての会話。
>
> あの一幅の詩劇には、それへ続く長い前置きのものがたりもあるのですが、さういうものがたりのストーリーは、知らぬ、実際、ソレガシは、この映像を始めてみたときには、さういうストーリー、全体の流れをしないで、この一幅だけを飽きもせずに眺めていたのですが、そこの行動と会話には、無限の深さがある。
>
> あのストリートボーイどものイタズラもなぬか象徴てきですが・・それはともかくとしても、
>
> YOU?
>
> これはいったいどちらがいったのでしょう?
>
> ソレガシは、かの浮浪者が、花とか、コインを恵んでくれやうとするご婦人に、コインはいらぬ、あなたが欲しい、といったのを、かのご婦人が、YOU?と聞き返したのはないかと、おもっていたわけです。
>
> そこで、浮浪者が、首を縦にふって頷く。そして云う・・
>
> YOU CAN SEE NOW?
>
> 婦人が応える
>
> YES,I CAN SEE NOW.
>
> この SEE
>
> YOU SEE?(わかった?)
>
> I SEE(わかった)
>
> にも通じるものがある。SEEは見るばかりではなくて、わかること、そこには豊かな含意があるのですね。
>
> ぢゃあ、いったい、なにが見えてなにがわかったでせうか?
>
> 浮浪者があなたをほしいといったその浮浪ぶりを見るのではなく、その目の奥底にある、浮浪者の真摯さ、さういうものが、見えた、わかったということではないかと・・・人間はその皮相ではなくその奥底の真摯さに感動するものだなと・・
>
> おもっていたわけですが、前置きのストーリーを知ってしまえば、ちょっとありきたりで、がっかりはせんも、この濃厚なる一辺の詩的映像会話の味わいが薄まってしまう。
>
> > > こわくて電話もメールもできないとか・・・。それでも、意を決してやってみると、無惨に跳ね返されるショック!こういうのは何回重ねても、ショックはショックで、衝撃が弱まることもなく、ちうことは、そんだけ、繋がることを期待しつづけているからなんでせうが・・・
>
> ショーウィンドウの隣にドアがあっても、閉ざしたままで・・・そとを浮浪者がうろついているからと・・・
>
> > > それにひきかえ着信拒否しているほうの人は、なにしろ一旦ボタン一つ押しておけば、絶対的なdont disturb で安眠ですから、衝撃の感覚すらないのでせうが、まあ、かういう抹殺閂削除も、権力の行使の一つの形態ですね。
>
> あまりにも安易に各自が権力を行使できる時代になってしまったのですね。
>
> むっかし、郵便で、ラブレターを送る時代ならば、郵便局に、この人からのものは、届けないでくださいと、登録する制度があったか、なかったか、しりませんが、ぬごとも便利になりすぎ、禁忌サイトへの閂、他者への閂の横行する時代の風潮へは同調したくないものです。
>
> > >
> > > ともかくも、春がたけてくれば、あちこちといってみたいと、ゆくさきざきが下見であったりしている、それが楽しい人生ですが、
> >
> > それも楽しい人生、ですが、それが楽しい人生、振り返ってみれば、なぬかの楽しみを準備する、その楽しさ、そこに行動があるかぎり、その行動も楽しい、その行動が楽しい、旅の準備とその旅そのものの味わい、ご馳走の準備とご馳走そのものの味わい、ひとをわれをよろこばす準備とそのよろこびそのものの味わい・・・
> >
> > > 畢竟、その楽しみも日の目も見ずに果ててしまう夢かもしれませんね。
>
> 夢だから虚しいということにはなりませんね。愛も真実も希求するその関心の現実のありようと行動のなかに存在するのであって、さういうものが、バーチャルに実っても、それは、バーチャルファイナンス、マネーゲームめいておって、ないよりはましかもしれませんが、満たされない、豊かな実りは、それがたかが100円の饅頭でも、一輪の花でも、バーチャルではない、現実の夢として恵まれれば、それこそ、バーチャルな1億円にも百万本のバラにも勝るということです。
>
> > > だからといって、年甲斐もなく、限度も弁えない、バカだ、とはおもわない、人生は永遠の青春のおめでたさで。
> > >
> > > 足がなおったら、誰が女房となんどでかけるもんか!あっちもまっぴらごめんといっておるし・・
> > >
> > > と、ソレガシなんぞ、思うのですが、TVで、アンケートとったら、夫婦で旅行に行きたい、なんちうのんが、まことに驚くべき高率%tageで、トップで、ああいう、神経がわからんのですが、そんでも、あっちもこっちも四面楚歌でまっぴら御免になれば畢竟、夫婦で旅行に行くよりしょうがないから行きたい願望なんぞに落ち着くのかもしれず、彼女彼氏からまっぴら御免されて家庭にひきこもった夫婦が増殖している昨今の顕著な傾向なのかもしれませんね。
> >
> > ものの種いきてるだけぢゃものたりぬ
>
> 桃の種なめてるだけぢゃものたりぬ

割り見ればまたもものたね桃の種



やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53843] YOU SEE?Re:[53842] いきてるだけぢゃものたりぬRe:[53841] 春がたけてくれば、あちこちといってみたいと、ゆくさきざきが下見であったりしている、それが楽しい人生ですが、畢竟、その楽しみも日の目も見ずに果ててしまう夢かもしれませんね。だからといって、年甲斐もなく、限度も弁えない、バカだ、とはおもわない、人生は永遠の青春のおめでたさで。Re:[53840]   投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/03/07(Mon) 09:23  

みせててねANNEX−Ω   訪問者数:2352423(今日:119/昨日:508)2011/03/07(Mon) 08:27

Carmen McRae - Body & Soul
http://www.youtube.com/watch?v=i7ktgyt3OTo&feature=BF&list=QL&index=5

これも、ものの種、か、ももの種、か。歳を重ねた重厚さ、まさに体重も、歌唱も・・

> をんけなむANNEX−Ω   訪問者数:2352402(今日:98/昨日:508)2011/03/07(Mon) 06:34
>
> 河島英五(生きてりゃいいさ)
> http://www.youtube.com/watch?v=jVij9LgYbJY&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=58
>
> いきてるだけぢゃあ、ね。もっとも死ぬよりはええのですが、やっぱすなぬごとも行動することですね。本日は、一日中雨だから、記事が煩いかも・・・

早くも、春の雪、にかわってきました。

> > ANNEX−Ω   訪問者数:2352290(今日:494/昨日:625)
> >
> > VERA LYNN - I Think of You (r. mckuen)
> > http://www.youtube.com/watch?v=UgFD8R_MbEo&feature=related
> >
> > > > > 今朝は富士山がみえました。
> > > >
> > > > 表からですか、裏からですか?
> > >
> > > え!富士山には裏表があるのですか?
> >
> > 人間に「青春の光と影Both Sides」があるやうに、日本にも、富士山にもあるのではないですか?
> >
> > ソレガシの解釈では、東・南は表で、西・北は裏かと・・山梨からみた富士山は裏というし・・
> >
> > > 「このはなさくやひめ」と「いわながひめ」の話ですか?
> >
> > う〜む。なんかむずかしい話で、考えすぎ・・深読みの癖があるんではないでせうか。
> >
> > > >あなたへは化けてでるかもものの種
> > >
> > > 「ももの種」?「ものの種」?どっちですか?

ははあ、これは慎ましやかになぬかを諭しているのかもしれない、と今気づきますた。

> > 「ものの種」です。
> >
> > ももの種と解すれば、たすかに、このはなさくやひめ、と、いわながひめ、という発想のもとも窺い知れるのですが、やっぱす、深読みだわね。

とはいえ、

あなたへは化けてでるかもものの種

あなたへは化けてでるかもももの種

U〜M

> > あなたへは化けてでるかも・ものの種
> >
> > ものの種だけで、春の季語ですよ。

あなたへは化けてでるかも・ももの種

たすかに、ももの種だけでも、季語だし・・

> かういう句というものは、ねちねちと考えあぐんで出てくるものではなく、あるときふっと即興的に浮かんでくる、賜物なんですが、その賜物も、みようによって、深読みすれば、まさに化けて出る、吉凶いづれにも解されうるわけで、たからといって、懐にしまっておいては、せっかくの賜物も宝の持ち腐れになってしまう、だから、まあ、あれこれとそれこそ、自分のあたまのなかのいつもの堂々巡り、サーキュレイテッド・コンフージョンにひきこもるよりは、まあ、吐き出してしまいませう、ちうことで、出したものですが、この詠み手は、ソレガシではあるものの、一旦詠まれ読まれれば、あなたはあなたであると同時に自分でもある、さういう循環でもあるわけで・・・
>
> かういうふうにいうと、疑い深いむきは、むきになって、さうぢゃない!それはわたしに云ったんだ・・・と反発されることもままありますが、さういう一方通行的にものごとをとらえると畢竟、共感というものも、一方通行なってしまいがちですね。
>
> あなたというものはつねにじぶんといれかわるのですから、汝と我のありやうで・・・
>
>
> > 以前・・
> >
> > ごんべいが種をまいたらまた春菜
> >
> > ちう、この、まったくすなおな句、率直さへ、

この素直さ、率直さはまことの好もしい、それが、気取らない表現、まいたらまた、という、この平易に一見稚拙にも感じられる、仮定法、条件法、理屈ぢゃなくて、流れのなかにえもいわれぬ個性と味わい、香華すらあるんですね。この句を見て、思い出すとき、最初はこの、まいたらまた、がでてこぬ。ソレガシはかういう素直な云いへの鍛錬が欠けている、すぐ屁理屈で、詠む、読むくせがあります。

> > ちょっといじわるにひねったのですが、ひねりすぎたのかもしれませんね、初心者へは。
> >
> > 種まきも春の季語、その種まきの、種で・・ものは物悲しいとかの、かのものかも。
> >
> > 生きていてこそのものだね
>
>
> いのちあってのものだね
>
> というのが、日本語の慣用句でした。
>
> > ちう、ことばも、このものの種をしるまでは、〜だね、
> >
> > きみはばかだね
>
> これも、例文で、深い意味はありません。きみはばかだね、なんておもっていないのですと、わざわざ言明せねばならぬ、そのこころもとない過敏さ、いまにも消えそうないのちへの鼓舞だね。
>
> > ちう、だね、だとばっかおもっていたのですが、これも、ものの種、もの種、なんぢゃなかろうか?
>
> いのちあってのもの種
>
> > 生きておればのもののたねだから、ま、そのうち芽がでてくる、いったいどんな芽がでてくるか?
> >
> > ふつうの種なら、まあ、園芸ショップで、これはスイートピーとか、銘々同定して売ってますが、なぬせ、人間のものの種は、だう化けてくるかわからぬ、そこが楽しみでもあり怖さでもあって、そのアンビバレレンツなところが、ものの種なんでせう。
> >
> > 化けるには、株価が化ける、銀の価格が化ける、
> >
> > http://www.monex.com/prods/silver_chart.html
>
> かういう風に商品価格がうなぎのぼりで、ハント兄弟のときは、たすか、55ドルまで上昇したのですが、30年以上前か、チャートにはでてきませんが、さういうバーチャルな価値の増大も、畢竟、現実的な価値にならなければ、絵に描いた餅にすぎない。
>
> 手元に資金がたっぷりあって、それを再投資するかぎりは、資金は資金にとどまり、この自己増殖で、いくら資金がふくらんでも人生は豊かにならない。
>
> これは評価損益の問題ばかりではなく、実際の現金でもおなじことですね。現金にしても、バーチャルな富にしても、それの使い甲斐、そういう対象がなければ、現金も評価損益も、畢竟、ゲームの域を出で得ない。だから、個人にかぎらず、会社でも、国家でも、決算とか、会計とか、財務なんちゅうもんは、ゲームでしかない、そのゲームで、かの与謝野のばかどもが右往左往と騒いでいる風景は、まことに己にきづきのない哀れな拝金亡者のゲームですかなく、ああいう老人やおば菅官僚どもにかぎらず、みやうによっては、われわれのなかにもさういう景色がある。
>
> > とかの、意味もあって、なぬも、怨霊怨恨でオバケに化ける、鼻なし、首なし、トルソーになるとは限りません。
> >
> >
> > 一方、ももの種のあのぞっとするやうな風貌については、どっかに知人の秀句があったやうな気がしますが、いまはでてきません。あとで、句集でもひっぱりだしてみてみます。
> >
> > > 生きがたき此の世のはてに桃植ゑて死も明かうせむそのはなざかり  岡井隆
> >
> > 桃もアンビバレンツな植物なんですね。
> >
> > 桃の実の美しさとあの種の醜さ、あわせて生死さえおもわしめるエロチックさがあるのかもしれません。西東三鬼の句にもあったね。
>
> 中年や遠くみのれる夜の桃
>
> でしたか、この句も肉だけで解すよりも、種をふくめて解すはうが味わいがありますね。
>
> > > 食べ過ぎにご用心。
> >
> > ありがたう。でも、170gのステーキランチを食べた、あれは金曜、一昨日3月4日でしたか、夕食前の風呂前で、体重計に載ったら、69.0kgで、過日より短期日で。3kgも減っていました。もっとも、72kgのときは、夕食後で、便秘気味で、ごはんうんこもろともに体重に繰りいれてはかってますので、1kgぐらいの誤差はあるんでせうね。
> >
> > > 奥様をお大事に。
> >
> > ありがたう。でも、うちの女房は、いまは足腰がよくないので、整体がてら、一緒にレストランにいってますが、普段は、まんず、連れ歩くことも、旅行も、一緒の外食もありません。
> >
> > >春が蘭けてきたら、また片割れを連れてでかけてみやうとあちっこっちの下見がてらで・・・
> >
> > この片割れは、彼女とでも、というほどの意味で、彼女でなくて友人でもいいのですが、

反復からはなれて云えば共犯者でもある、片割れ(広辞苑)

> > その人は、いまだに冬眠中なのか、電話もメールも通じないので、いいかげんこちらも、気落ちして、さうです、電話メール着信拒否されたときのあの衝撃は、まさに硝子の壁に鼻をぶっつけてひしゃげさせたやうなショックで、トラウマにもなりますよ。

あのチャップリンのシティ・ライトでは、あの落ちぶれた男は、硝子の壁に頭をぶつけないですんだ。あの硝子のショーウィンドウのなかの婦人へ、鼻を硝子に押しつぶさんがごとくに見入っている、そのよこに硝子のドアがあって、sこからあのご婦人はちゃんと外にでてくるんですね。

出てきての会話。

あの一幅の詩劇には、それへ続く長い前置きのものがたりもあるのですが、さういうものがたりのストーリーは、知らぬ、実際、ソレガシは、この映像を始めてみたときには、さういうストーリー、全体の流れをしないで、この一幅だけを飽きもせずに眺めていたのですが、そこの行動と会話には、無限の深さがある。

あのストリートボーイどものイタズラもなぬか象徴てきですが・・それはともかくとしても、

YOU?

これはいったいどちらがいったのでしょう?

ソレガシは、かの浮浪者が、花とか、コインを恵んでくれやうとするご婦人に、コインはいらぬ、あなたが欲しい、といったのを、かのご婦人が、YOU?と聞き返したのはないかと、おもっていたわけです。

そこで、浮浪者が、首を縦にふって頷く。そして云う・・

YOU CAN SEE NOW?

婦人が応える

YES,I CAN SEE NOW.

この SEE

YOU SEE?(わかった?)

I SEE(わかった)

にも通じるものがある。SEEは見るばかりではなくて、わかること、そこには豊かな含意があるのですね。

ぢゃあ、いったい、なにが見えてなにがわかったでせうか?

浮浪者があなたをほしいといったその浮浪ぶりを見るのではなく、その目の奥底にある、浮浪者の真摯さ、さういうものが、見えた、わかったということではないかと・・・人間はその皮相ではなくその奥底の真摯さに感動するものだなと・・

おもっていたわけですが、前置きのストーリーを知ってしまえば、ちょっとありきたりで、がっかりはせんも、この濃厚なる一辺の詩的映像会話の味わいが薄まってしまう。

> > こわくて電話もメールもできないとか・・・。それでも、意を決してやってみると、無惨に跳ね返されるショック!こういうのは何回重ねても、ショックはショックで、衝撃が弱まることもなく、ちうことは、そんだけ、繋がることを期待しつづけているからなんでせうが・・・

ショーウィンドウの隣にドアがあっても、閉ざしたままで・・・そとを浮浪者がうろついているからと・・・

> > それにひきかえ着信拒否しているほうの人は、なにしろ一旦ボタン一つ押しておけば、絶対的なdont disturb で安眠ですから、衝撃の感覚すらないのでせうが、まあ、かういう抹殺閂削除も、権力の行使の一つの形態ですね。

あまりにも安易に各自が権力を行使できる時代になってしまったのですね。

むっかし、郵便で、ラブレターを送る時代ならば、郵便局に、この人からのものは、届けないでくださいと、登録する制度があったか、なかったか、しりませんが、ぬごとも便利になりすぎ、禁忌サイトへの閂、他者への閂の横行する時代の風潮へは同調したくないものです。

> >
> > ともかくも、春がたけてくれば、あちこちといってみたいと、ゆくさきざきが下見であったりしている、それが楽しい人生ですが、
>
> それも楽しい人生、ですが、それが楽しい人生、振り返ってみれば、なぬかの楽しみを準備する、その楽しさ、そこに行動があるかぎり、その行動も楽しい、その行動が楽しい、旅の準備とその旅そのものの味わい、ご馳走の準備とご馳走そのものの味わい、ひとをわれをよろこばす準備とそのよろこびそのものの味わい・・・
>
> > 畢竟、その楽しみも日の目も見ずに果ててしまう夢かもしれませんね。

夢だから虚しいということにはなりませんね。愛も真実も希求するその関心の現実のありようと行動のなかに存在するのであって、さういうものが、バーチャルに実っても、それは、バーチャルファイナンス、マネーゲームめいておって、ないよりはましかもしれませんが、満たされない、豊かな実りは、それがたかが100円の饅頭でも、一輪の花でも、バーチャルではない、現実の夢として恵まれれば、それこそ、バーチャルな1億円にも百万本のバラにも勝るということです。

> > だからといって、年甲斐もなく、限度も弁えない、バカだ、とはおもわない、人生は永遠の青春のおめでたさで。
> >
> > 足がなおったら、誰が女房となんどでかけるもんか!あっちもまっぴらごめんといっておるし・・
> >
> > と、ソレガシなんぞ、思うのですが、TVで、アンケートとったら、夫婦で旅行に行きたい、なんちうのんが、まことに驚くべき高率%tageで、トップで、ああいう、神経がわからんのですが、そんでも、あっちもこっちも四面楚歌でまっぴら御免になれば畢竟、夫婦で旅行に行くよりしょうがないから行きたい願望なんぞに落ち着くのかもしれず、彼女彼氏からまっぴら御免されて家庭にひきこもった夫婦が増殖している昨今の顕著な傾向なのかもしれませんね。
>
> ものの種いきてるだけぢゃものたりぬ

桃の種なめてるだけぢゃものたりぬ

やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53842] いきてるだけぢゃものたりぬRe:[53841] 春がたけてくれば、あちこちといってみたいと、ゆくさきざきが下見であったりしている、それが楽しい人生ですが、畢竟、その楽しみも日の目も見ずに果ててしまう夢かもしれませんね。だからといって、年甲斐もなく、限度も弁えない、バカだ、とはおもわない、人生は永遠の青春のおめでたさで。Re:[53840]   投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/03/07(Mon) 07:35  

をんけなむANNEX−Ω   訪問者数:2352402(今日:98/昨日:508)2011/03/07(Mon) 06:34

河島英五(生きてりゃいいさ)
http://www.youtube.com/watch?v=jVij9LgYbJY&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=58

いきてるだけぢゃあ、ね。もっとも死ぬよりはええのですが、やっぱすなぬごとも行動することですね。本日は、一日中雨だから、記事が煩いかも・・・

> ANNEX−Ω   訪問者数:2352290(今日:494/昨日:625)
>
> VERA LYNN - I Think of You (r. mckuen)
> http://www.youtube.com/watch?v=UgFD8R_MbEo&feature=related
>
> > > > 今朝は富士山がみえました。
> > >
> > > 表からですか、裏からですか?
> >
> > え!富士山には裏表があるのですか?
>
> 人間に「青春の光と影Both Sides」があるやうに、日本にも、富士山にもあるのではないですか?
>
> ソレガシの解釈では、東・南は表で、西・北は裏かと・・山梨からみた富士山は裏というし・・
>
> > 「このはなさくやひめ」と「いわながひめ」の話ですか?
>
> う〜む。なんかむずかしい話で、考えすぎ・・深読みの癖があるんではないでせうか。
>
> > >あなたへは化けてでるかもものの種
> >
> > 「ももの種」?「ものの種」?どっちですか?
>
> 「ものの種」です。
>
> ももの種と解すれば、たすかに、このはなさくやひめ、と、いわながひめ、という発想のもとも窺い知れるのですが、やっぱす、深読みだわね。
>
> あなたへは化けてでるかも・ものの種
>
> ものの種だけで、春の季語ですよ。

かういう句というものは、ねちねちと考えあぐんで出てくるものではなく、あるときふっと即興的に浮かんでくる、賜物なんですが、その賜物も、みようによって、深読みすれば、まさに化けて出る、吉凶いづれにも解されうるわけで、たからといって、懐にしまっておいては、せっかくの賜物も宝の持ち腐れになってしまう、だから、まあ、あれこれとそれこそ、自分のあたまのなかのいつもの堂々巡り、サーキュレイテッド・コンフージョンにひきこもるよりは、まあ、吐き出してしまいませう、ちうことで、出したものですが、この詠み手は、ソレガシではあるものの、一旦詠まれ読まれれば、あなたはあなたであると同時に自分でもある、さういう循環でもあるわけで・・・

かういうふうにいうと、疑い深いむきは、むきになって、さうぢゃない!それはわたしに云ったんだ・・・と反発されることもままありますが、さういう一方通行的にものごとをとらえると畢竟、共感というものも、一方通行なってしまいがちですね。

あなたというものはつねにじぶんといれかわるのですから、汝と我のありやうで・・・


> 以前・・
>
> ごんべいが種をまいたらまた春菜
>
> ちう、この、まったくすなおな句、率直さへ、ちょっといじわるにひねったのですが、ひねりすぎたのかもしれませんね、初心者へは。
>
> 種まきも春の季語、その種まきの、種で・・ものは物悲しいとかの、かのものかも。
>
> 生きていてこそのものだね


いのちあってのものだね

というのが、日本語の慣用句でした。

> ちう、ことばも、このものの種をしるまでは、〜だね、
>
> きみはばかだね

これも、例文で、深い意味はありません。きみはばかだね、なんておもっていないのですと、わざわざ言明せねばならぬ、そのこころもとない過敏さ、いまにも消えそうないのちへの鼓舞だね。

> ちう、だね、だとばっかおもっていたのですが、これも、ものの種、もの種、なんぢゃなかろうか?

いのちあってのもの種

> 生きておればのもののたねだから、ま、そのうち芽がでてくる、いったいどんな芽がでてくるか?
>
> ふつうの種なら、まあ、園芸ショップで、これはスイートピーとか、銘々同定して売ってますが、なぬせ、人間のものの種は、だう化けてくるかわからぬ、そこが楽しみでもあり怖さでもあって、そのアンビバレレンツなところが、ものの種なんでせう。
>
> 化けるには、株価が化ける、銀の価格が化ける、
>
> http://www.monex.com/prods/silver_chart.html

かういう風に商品価格がうなぎのぼりで、ハント兄弟のときは、たすか、55ドルまで上昇したのですが、30年以上前か、チャートにはでてきませんが、さういうバーチャルな価値の増大も、畢竟、現実的な価値にならなければ、絵に描いた餅にすぎない。

手元に資金がたっぷりあって、それを再投資するかぎりは、資金は資金にとどまり、この自己増殖で、いくら資金がふくらんでも人生は豊かにならない。

これは評価損益の問題ばかりではなく、実際の現金でもおなじことですね。現金にしても、バーチャルな富にしても、それの使い甲斐、そういう対象がなければ、現金も評価損益も、畢竟、ゲームの域を出で得ない。だから、個人にかぎらず、会社でも、国家でも、決算とか、会計とか、財務なんちゅうもんは、ゲームでしかない、そのゲームで、かの与謝野のばかどもが右往左往と騒いでいる風景は、まことに己にきづきのない哀れな拝金亡者のゲームですかなく、ああいう老人やおば菅官僚どもにかぎらず、みやうによっては、われわれのなかにもさういう景色がある。

> とかの、意味もあって、なぬも、怨霊怨恨でオバケに化ける、鼻なし、首なし、トルソーになるとは限りません。
>
>
> 一方、ももの種のあのぞっとするやうな風貌については、どっかに知人の秀句があったやうな気がしますが、いまはでてきません。あとで、句集でもひっぱりだしてみてみます。
>
> > 生きがたき此の世のはてに桃植ゑて死も明かうせむそのはなざかり  岡井隆
>
> 桃もアンビバレンツな植物なんですね。
>
> 桃の実の美しさとあの種の醜さ、あわせて生死さえおもわしめるエロチックさがあるのかもしれません。西東三鬼の句にもあったね。

中年や遠くみのれる夜の桃

でしたか、この句も肉だけで解すよりも、種をふくめて解すはうが味わいがありますね。

> > 食べ過ぎにご用心。
>
> ありがたう。でも、170gのステーキランチを食べた、あれは金曜、一昨日3月4日でしたか、夕食前の風呂前で、体重計に載ったら、69.0kgで、過日より短期日で。3kgも減っていました。もっとも、72kgのときは、夕食後で、便秘気味で、ごはんうんこもろともに体重に繰りいれてはかってますので、1kgぐらいの誤差はあるんでせうね。
>
> > 奥様をお大事に。
>
> ありがたう。でも、うちの女房は、いまは足腰がよくないので、整体がてら、一緒にレストランにいってますが、普段は、まんず、連れ歩くことも、旅行も、一緒の外食もありません。
>
> >春が蘭けてきたら、また片割れを連れてでかけてみやうとあちっこっちの下見がてらで・・・
>
> この片割れは、彼女とでも、というほどの意味で、彼女でなくて友人でもいいのですが、その人は、いまだに冬眠中なのか、電話もメールも通じないので、いいかげんこちらも、気落ちして、さうです、電話メール着信拒否されたときのあの衝撃は、まさに硝子の壁に鼻をぶっつけてひしゃげさせたやうなショックで、トラウマにもなりますよ。こわくて電話もメールもできないとか・・・。それでも、意を決してやってみると、無惨に跳ね返されるショック!こういうのは何回重ねても、ショックはショックで、衝撃が弱まることもなく、ちうことは、そんだけ、繋がることを期待しつづけているからなんでせうが・・・それにひきかえ着信拒否しているほうの人は、なにしろ一旦ボタン一つ押しておけば、絶対的なdont disturb で安眠ですから、衝撃の感覚すらないのでせうが、まあ、かういう抹殺閂削除も、権力の行使の一つの形態ですね。
>
> ともかくも、春がたけてくれば、あちこちといってみたいと、ゆくさきざきが下見であったりしている、それが楽しい人生ですが、

それも楽しい人生、ですが、それが楽しい人生、振り返ってみれば、なぬかの楽しみを準備する、その楽しさ、そこに行動があるかぎり、その行動も楽しい、その行動が楽しい、旅の準備とその旅そのものの味わい、ご馳走の準備とご馳走そのものの味わい、ひとをわれをよろこばす準備とそのよろこびそのものの味わい・・・

畢竟、その楽しみも日の目も見ずに果ててしまう夢かもしれませんね。だからといって、年甲斐もなく、限度も弁えない、バカだ、とはおもわない、人生は永遠の青春のおめでたさで。
>
> 足がなおったら、誰が女房となんどでかけるもんか!あっちもまっぴらごめんといっておるし・・
>
> と、ソレガシなんぞ、思うのですが、TVで、アンケートとったら、夫婦で旅行に行きたい、なんちうのんが、まことに驚くべき高率%tageで、トップで、ああいう、神経がわからんのですが、そんでも、あっちもこっちも四面楚歌でまっぴら御免になれば畢竟、夫婦で旅行に行くよりしょうがないから行きたい願望なんぞに落ち着くのかもしれず、彼女彼氏からまっぴら御免されて家庭にひきこもった夫婦が増殖している昨今の顕著な傾向なのかもしれませんね。

ものの種いきてるだけぢゃものたりぬ

やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53841] 春がたけてくれば、あちこちといってみたいと、ゆくさきざきが下見であったりしている、それが楽しい人生ですが、畢竟、その楽しみも日の目も見ずに果ててしまう夢かもしれませんね。だからといって、年甲斐もなく、限度も弁えない、バカだ、とはおもわない、人生は永遠の青春のおめでたさで。Re:[53840]   投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/03/07(Mon) 00:22  

ANNEX−Ω   訪問者数:2352290(今日:494/昨日:625)

VERA LYNN - I Think of You (r. mckuen)
http://www.youtube.com/watch?v=UgFD8R_MbEo&feature=related

> > > 今朝は富士山がみえました。
> >
> > 表からですか、裏からですか?
>
> え!富士山には裏表があるのですか?

人間に「青春の光と影Both Sides」があるやうに、日本にも、富士山にもあるのではないですか?

ソレガシの解釈では、東・南は表で、西・北は裏かと・・山梨からみた富士山は裏というし・・

> 「このはなさくやひめ」と「いわながひめ」の話ですか?

う〜む。なんかむずかしい話で、考えすぎ・・深読みの癖があるんではないでせうか。

> >あなたへは化けてでるかもものの種
>
> 「ももの種」?「ものの種」?どっちですか?

「ものの種」です。

ももの種と解すれば、たすかに、このはなさくやひめ、と、いわながひめ、という発想のもとも窺い知れるのですが、やっぱす、深読みだわね。

あなたへは化けてでるかも・ものの種

ものの種だけで、春の季語ですよ。

以前・・

ごんべいが種をまいたらまた春菜

ちう、この、まったくすなおな句、率直さへ、ちょっといじわるにひねったのですが、ひねりすぎたのかもしれませんね、初心者へは。

種まきも春の季語、その種まきの、種で・・ものは物悲しいとかの、かのものかも。

生きていてこそのものだね

ちう、ことばも、このものの種をしるまでは、〜だね、

きみはばかだね

ちう、だね、だとばっかおもっていたのですが、これも、ものの種、もの種、なんぢゃなかろうか?

生きておればのもののたねだから、ま、そのうち芽がでてくる、いったいどんな芽がでてくるか?

ふつうの種なら、まあ、園芸ショップで、これはスイートピーとか、銘々同定して売ってますが、なぬせ、人間のものの種は、だう化けてくるかわからぬ、そこが楽しみでもあり怖さでもあって、そのアンビバレレンツなところが、ものの種なんでせう。

化けるには、株価が化ける、銀の価格が化ける、

http://www.monex.com/prods/silver_chart.html

とかの、意味もあって、なぬも、怨霊怨恨でオバケに化ける、鼻なし、首なし、トルソーになるとは限りません。


一方、ももの種のあのぞっとするやうな風貌については、どっかに知人の秀句があったやうな気がしますが、いまはでてきません。あとで、句集でもひっぱりだしてみてみます。

> 生きがたき此の世のはてに桃植ゑて死も明かうせむそのはなざかり  岡井隆

桃もアンビバレンツな植物なんですね。

桃の実の美しさとあの種の醜さ、あわせて生死さえおもわしめるエロチックさがあるのかもしれません。西東三鬼の句にもあったね。

> 食べ過ぎにご用心。

ありがたう。でも、170gのステーキランチを食べた、あれは金曜、一昨日3月4日でしたか、夕食前の風呂前で、体重計に載ったら、69.0kgで、過日より短期日で。3kgも減っていました。もっとも、72kgのときは、夕食後で、便秘気味で、ごはんうんこもろともに体重に繰りいれてはかってますので、1kgぐらいの誤差はあるんでせうね。

> 奥様をお大事に。

ありがたう。でも、うちの女房は、いまは足腰がよくないので、整体がてら、一緒にレストランにいってますが、普段は、まんず、連れ歩くことも、旅行も、一緒の外食もありません。

>春が蘭けてきたら、また片割れを連れてでかけてみやうとあちっこっちの下見がてらで・・・

この片割れは、彼女とでも、というほどの意味で、彼女でなくて友人でもいいのですが、その人は、いまだに冬眠中なのか、電話もメールも通じないので、いいかげんこちらも、気落ちして、さうです、電話メール着信拒否されたときのあの衝撃は、まさに硝子の壁に鼻をぶっつけてひしゃげさせたやうなショックで、トラウマにもなりますよ。こわくて電話もメールもできないとか・・・。それでも、意を決してやってみると、無惨に跳ね返されるショック!こういうのは何回重ねても、ショックはショックで、衝撃が弱まることもなく、ちうことは、そんだけ、繋がることを期待しつづけているからなんでせうが・・・それにひきかえ着信拒否しているほうの人は、なにしろ一旦ボタン一つ押しておけば、絶対的なdont disturb で安眠ですから、衝撃の感覚すらないのでせうが、まあ、かういう抹殺閂削除も、権力の行使の一つの形態ですね。

ともかくも、春がたけてくれば、あちこちといってみたいと、ゆくさきざきが下見であったりしている、それが楽しい人生ですが、畢竟、その楽しみも日の目も見ずに果ててしまう夢かもしれませんね。だからといって、年甲斐もなく、限度も弁えない、バカだ、とはおもわない、人生は永遠の青春のおめでたさで。

足がなおったら、誰が女房となんどでかけるもんか!あっちもまっぴらごめんといっておるし・・

と、ソレガシなんぞ、思うのですが、TVで、アンケートとったら、夫婦で旅行に行きたい、なんちうのんが、まことに驚くべき高率%tageで、トップで、ああいう、神経がわからんのですが、そんでも、あっちもこっちも四面楚歌でまっぴら御免になれば畢竟、夫婦で旅行に行くよりしょうがないから行きたい願望なんぞに落ち着くのかもしれず、彼女彼氏からまっぴら御免されて家庭にひきこもった夫婦が増殖している昨今の顕著な傾向なのかもしれませんね。

やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53840]   投稿者:なすのせせ 投稿日:2011/03/06(Sun) 22:42  

> > 今朝は富士山がみえました。
>
> 表からですか、裏からですか?

え!富士山には裏表があるのですか?
「このはなさくやひめ」と「いわながひめ」の話ですか?

>あなたへは化けてでるかもものの種

「ももの種」?「ものの種」?どっちですか?

生きがたき此の世のはてに桃植ゑて死も明かうせむそのはなざかり  岡井隆

食べ過ぎにご用心。奥様をお大事に。


[53839] これは絶対に避けうるものではない。Re:[53838] Both Sides Now Re:[53837] [53836] Time After TimeRe:[53834] City Lights 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/03/05(Sat) 09:41  

とてへあかANNEX−Ω   訪問者数:2351474(今日:303/昨日:463)2011/03/05(Sat) 08:04

02 年甲斐ない 関係ない 限界なんてない / 矢沢永吉「横顔」
http://www.youtube.com/watch?v=m16Ac1A-THA&feature=BF&list=QL&index=27


> んゆくみすANNEX−Ω   訪問者数:2351380(今日:209/昨日:463)2011/03/05(Sat) 05:45
>
> 青春の光と影(訳詞付) / カッサンドラ・ウィルソン
> http://www.youtube.com/watch?v=6ZKsa1jClVk&feature=BF&list=QL&index=55
>
> > 今朝は富士山がみえました。
>
> 表からですか、裏からですか?
>
> > > なすのせせさんが出てくると世界がパッと明るくなります。春ほのぼのと風光るやうな気分で・・
>
> 弥生朔日は40km、二日は39kmm、ここまでは影が気分を暗くして脚も進まぬ、それでも、パッと明るくなった3日は80km、四日昨日ですが137km、こんだけ違うんですね。
>
> それで、富士山も光る昨日は、珍しく午前中から出かけて、どこへいくべえか?あの都留にも、車輪も部品も預けっぱなしで歳を越えてしまったす、いかねばならぬ、とはいえ、いまだ寒風厳しき節なれば、まうちっと春が猛るんぢゃのうて、長けて、蘭ける、こっちの字のはうがこのましいのですが・・・

とそのまま横道ならぬ奥の細道へそれてすあいますた。それで軌道をもとにもどすと、二日も都心の大先生のところいいったのですが、あのまるまっちいまっくろいベンツにぶつけたイタリアンレストランは験が悪いいうて魚屋道ちうところで、@577円の御寿司ランチで、済むわけもなく、熊野生まぐろ味比べ@577円(3艦、赤身、中トロ、大トロ)なんぞも賞味したのですが、なぬせ板前がおばさんで、それも気持ちが悪い、なよなよしちょるわりに背丈が高く男っぽい、ちうか、所作は男なみなのに声がなよっているんで、あまり長居する気もおきず、お陰さまで散財もせぬ、光物3艦セットは@188円で鰯、鯵、鯖、まあ、安いのでせうが、イマイチ、コハダなんかんったくでかぶりの自家製とかでしたが、ああいうでかぶりの小肌は、大肌ちうて、うまいもんでない。

そんで、昨日の風光るいくあてどのないチャリンコ旅、いまどきはチャリンコ屋さんが、某店なんぞは、去年の8月から新車がぜんぜん売れないので、赤字ゆえ、クラブハウスも閉めてしまったとのよしですが、まあ、あんまし有頂天になって金遣いが荒くなれば、はいらくなっても、でていくもんはなかなかとめられませんから、だいたい世の中の俗悪経営においては、かういう倒産のパターンが多いのですが、そんでも、なんとか倒産せぬように、必至で在庫整理に勤しむシーズンなれば、いまどきが、チャリンコ屋めぐりの時節到来、ああ、道元は時節到来で、芭蕉が季節到来で、中東欧米が時機到来だったやうな気もしますが、ともかくもいってみませう、ちうても、買いたいもんもとくにない、あるのはないCampagnolo8速のチェーンぐらいですが、ま、ほとんどの店にはないでせう、ちうことで、多摩川の土手をマッシグラに下って、追い風どすけん、左岸で43km/h、右岸にうつってからはほとんど人影もないので45km/hほどでつっぱしれましたが、突然土手の上でトウセンボ。

なぬ?

土手の工事で、通れません。

通れませんぢゃのうて、通しませんぢゃろが!いったいなぬの工事ぢゃ?穴掘ってまた埋めてまた穴掘っても工事は工事ぢゃ!とオレ。

ばかやろ〜、とおれねえったらとおれねえんだよ!!!

ま、かういう手合いを相手にしてしょうがねえけん、土手下に下りると、なんと、土手下まんで、工事用の用地の柵が大方を占拠しておって、それも、その柵の中はんったくがらがらで作業も工事もしちょらんで、工事人夫どもの自家用車めいたもんがぱらぱらと停まっておるだけで、かたやその柵に排除された道端の道、自転車や人が通れるスペースはわずかで、チャリンコさえ、行き交うことのできぬ、いやさ、歩行者さえも、肩と肩がぶつかる、身体をかわさねばならぬ、狭さで、おまけに、道は凸凹、それも、踏み固められた凸凹ではのうて、あたらしい土砂石ころが撒かれたやうなごろたぱさぱさ道で、ああいうごろた石には車輪や靴が取られて、自転車もひとも転倒しやすい、さういうところにんったく気配りも知恵も働かせず、もっぱら、てめえの都合ばっかで、なぬが、税金で公共工事ぢゃ!

監督はどこだ?

いま、お留守です。

お留守で工事か?

いえ、ちょっとでかけています。

で、いったいなぬの工事しちょるんぢゃ?はるかあっちで土手上通行止めで、ここまで、土手上はおろか、土手下でも、なんも工事しちょらんぢゃねえか!

いえね、旦那さん、あの土手は撤去するんで・・・

まんだ、撤去工事の手の字もねえのんに、なんで世間様に迷惑をかけて、通行止めのあげく、土手下道も、あれぢゃあ、子連れママチャリでも転倒するがな、まうちっと、幅にも余裕をもたせて簡易舗装くらいせんかい、なぬせてめえらは誰のために談合で請け負っておるんかちうと、国土交通省と談合業者のご都合だけか?

談合なんかしてません。

呵呵大笑、談合せんで、こないだつくった土手をもう撤去して、また新しい土手をこしらえて、また撤去か?いったい、だういう金の使い方をしちょるんぢゃ!

はあ、でも、そりゃあ、役所のご指示で、われわれの・・・

ともかく、役所業者のご都合優先主義はやめて、われわれの安全と便利を優先せよ。

ちうことで、がたがたごろごろ道を乗り越えて、もう懲りたので、土手外の車道をまっしぐらに追い風にのってくるまとともに走り、信号渋滞では牛蒡抜きで、あれは、川崎のトルコ街、堀の内ちうたか、そのあたりも風の如く走り抜けて、生麦到着、平均時速28.4km/hは、さしてはやくもないが、嗚呼、お留守?12時から12時半にもどりますとな。

では、こちらも、腹ごしらえに、いっちょう、ここは、逗子のマグロカツ丼へでも走りませう、ちうことで、そのまんま、みなとみらいから本牧のアウターアウトバーンをぬけて、バイクに嫉妬するバスが嫌がらせするのんもなんのその、根岸の日石のガソリンには用もなく疾走・・

あれ?ちうことで、Uターンして、もう一度看板をマジマジ・・・

サーロインステーキ300g、1890円♪

だうも、看板がどんくさくてくえぬステーキハウスか、とはおもえども、マグロカツ丼で、衣の脂でたっぷり体脂肪を肥やすより、サーロインステークのはうが健康的かもすらん。。。

店先から店内を覗き込むに、ハーフミラーの硝子張りでみえぬ、その入口に張り出されているメニュー、う〜む、手書きの書き方も、その字体も、手作りメニューの内容も、なんか、良心的で欺かれない安心感が鼻先に漂ってきて、くんくん、もう一度しても、これはマチガイない、ちう確信をもって、エディーメルクスSLXを駐輪にかかるに、店先のママチャリ銀輪にならべても、スタンドがない、さういえば、店の左右を右往左往しても、くくりつける柱も棒もない、だうすたもんだべか?とうろうろしちょれば、だいたいがガッツイタ中華街ならば、

シャチョさん、シャチョさん、ジテンシャはコッチ、と袖引き姐さんがあらわれるんぢゃが、ここぢゃあ、どうも、美味そうな排煙ばかりで、その排煙わきの路地へまわってみると、建物もブリキの波板で、二階で昇る階段は赤黒く、錆か油煙か、まあ、でも、かういうところだからこそ安心かもかも、と・・・

特別ランチメニュー、サーロインステーキ170g、スープ、サラダ、珈琲つき、@1000円、ください。

ながくなるから端折りますが、シェフはソレガシの年配のベテランで肉の見立て、切り方も、一枚一枚オーダーがはいってから包んだ肉塊をスライサーで切って焼く、手間隙かけた良心さ、そのカウンターのなかには、白髪の初老の婦人は奥さんか、ご主人の所作のいちいちの助手をつとめ、食材の冷凍庫、冷蔵庫からの出し入れ、お客さんの接待は無愛想なるも所作に愛想のよい、よく気かつく、氷水をぐっと飲み干せば、すぐまた注いでくれる、すらっとした美人で、これが娘さんか、肉やわらかく、塩胡椒の味付けも絶妙、オニオンスープのたっぷりのカップで、お洒落とはいえぬワンプレート上のサラダの野菜の鮮度、マカロニの味もよろしく・・・こりゃあ、めっけもん♪

さりげない、お礼のあとに店を後にして、根岸の森林公園や競馬場への坂をのぼると、むかしよく来た、ドルフィンはいまだ健在で、友達の家もちらほらで、どこにもよらず、港の見える丘公園にでも、いこうとすれども、まう、かれこれ、10年以上もご無沙汰だからか、ハーフアルツんんか、道を惨々違えて、丘上道から丘下道へ、丘下道から丘上道への反復、で、外人墓地も健在で、元町のにょろにょろどうろで、対向車の無作法に腹を立て・・・

ああ、中華街もうろうろにょにょろにょろで周回マチガイ道で鑑定病、うむ、酔仙も健在♪

まあ、春が蘭けてきたら、また片割れを連れてでかけてみやうとあちっこっちの下見がてらで・・・


> 針金の螺旋の外へ菊蘭ける
>
> だったか、ま、この蘭けるは猛るんでもあり、梟帥んでもありませうが、そこを連衆に汲んでもらって、もうこれこれ、10年程前の恒例の陸奥吟行では、軒並み賞品をかっさらってきたときの一句で、なんでこんなもんが、いまさら記憶の底から蘇ってくるのか、まあ、ひとちうもんはわすれたやうで、普段全然思い浮かばぬことでも、時機到来、季節到来すれば、この季節も到来も、道元の謂いでもあれば、芭蕉の謂いでもあり、これを季節とするのは季節感豊かなわが国の伝統文化なんでせうが、季節感の少ないサバンナの欧州にても、はたまたそこを席巻した季節感のない砂漠の宗教にしても、到来ちうもんは、いわれるわけであって、まことにひとたるもんのありやうは、古今東西その原点においてはまことに同じことの反復でありますれば・・さういえば、開拓群像の特選句もあったが、これは、出てこぬが、即興で思い出しで詠めば・・
>
> 天仰ぐ開拓群像鳥渡る
>
> であったか?
>
> まあ、そんなもんぢゃろけんど、一句は、そのときの使命を果たし、御破算なのですが、その意匠や光景はどこかに残っておるのんも、ま、駄句はさして残らんのんも、俳句でも読書でもはたまたひとの言葉全般に通じるもんであってみれば、詠むそばから、読むそばから、忘れる、忘れてもいいんですよ、必要なときに必要に応じて蘇ってくるんですから、ちうことで・・影も光も蘇ってくるんです。
>
> > それはそれは……ありがたうございます。
>
> それにしても、どっかで聞いたことのある台詞だぢゃわの。
>
> > 夜中に首切りに参上いたしますゆえ、どうぞよろしく。
>
> ま、朝駆け幼稚ならぬ夜討ちで、いつでも結構です。隣のジョナサンの駐車場のクルマに飛び蹴りを喰らわせた酔っ払いを110番してその酔っ払いの恨みをかって、朝駆け夜討ちで、地上から天上に向かって罵られる事態で、ソレガシんちは警察の重点巡回地域になっていますが、ま、だからといって、なすのせせさんの夜中に首切り参上で生活安全課へ通報することもありえませんので、安心して鼻でも、首でも、召し上がってください。
>
> > 雛納め首すげかへるをのこかな
>
> まう、うちもむすめばっかしなのに、絶えてひな壇をかざることもなく、祭もないのですが、あの、お雛様を箱に閂をかけて幽閉しっぱなしちうのんもまことに悲惨なもんでありますれば、季節はずれのこれからでも遅くはない、飾れ!といっても、歩けぬほどもんが、やうやく幾分か歩けるやうになったばかりですから、無理ちうもんであって、けふも、風光る絶好の日和ですが、都心の整体の大先生のところに連れてまいらねばなりませぬ。
>
> あれからは日の目も見ずや内裏雛

それにすても、9時46分には出たいちうのんで、もう時間がないのですが・・・

日、目、見、となべると、これも面白いですね。

日に横棒一本で目、目に足をつけると、見る、ま、見るちうのんも、行動、行為ですから、目だけでは、駄目で、やっぱす、足がなくっちゃあ・・

それもともかく、2日は大安であったか?ああ、この日に気落ちして、7時過ぎにはご就寝、午前零時ごろに一旦ションベンがてら起きて、また午前5時ごろまで寝て、その起きざまに頭の中で、夢か現か、反復する声。

アポカリプス、アポカリプス、と呼ぶ声が・・・黙示録

で、さっそく、むっかしの蔵書を、階段のジテンシャを退けて取り出して持っておりてきて、ベッドで仰向けで、2003年以来の何度目の読書か?

現代人は愛しうるか−アポカリプス論− D.H.ロレンス 福田恒存訳 筑摩叢書47

p41
「人はひとりになったとき始めてクリスト教徒たりえ、仏教徒たりえ、またプラトン主義者たりうる。クリストや仏陀の像がこの事実を証明してゐるではないか。

他者と共になるとただちに差別が生じ、別々の水準が形づくられる、イエスも他人の前に出るやいなや、一貴族となり、また一人の師となった。仏陀はつねに王侯仏陀である。アッシジのフランチェスコは、彼もまた大いに謙虚ならんと努めながら、事実は弟子たちの上に絶対権力を振ふ微妙な手をこころえてゐた。・・・

さういふものなのだ!権力は厳として存在する、そしてこの事実は今後も永遠に絶えぬであらう。

人が二人三人と集まれば、殊にその際なにごとかを《為しとげよう》と欲するならば、その瞬間にただちに権力が介入しきたり、かならずそのうちの一人が指導者となり師となる。これは絶対に避けうるものではない。」


あなたへは化けてでるかもものの種

やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53838] Both Sides Now Re:[53837] [53836] Time After TimeRe:[53834] City Lights 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/03/05(Sat) 06:28  

んゆくみすANNEX−Ω   訪問者数:2351380(今日:209/昨日:463)2011/03/05(Sat) 05:45

青春の光と影(訳詞付) / カッサンドラ・ウィルソン
http://www.youtube.com/watch?v=6ZKsa1jClVk&feature=BF&list=QL&index=55

> 今朝は富士山がみえました。

表からですか、裏からですか?

> > なすのせせさんが出てくると世界がパッと明るくなります。春ほのぼのと風光るやうな気分で・・

弥生朔日は40km、二日は39kmm、ここまでは影が気分を暗くして脚も進まぬ、それでも、パッと明るくなった3日は80km、四日昨日ですが137km、こんだけ違うんですね。

それで、富士山も光る昨日は、珍しく午前中から出かけて、どこへいくべえか?あの都留にも、車輪も部品も預けっぱなしで歳を越えてしまったす、いかねばならぬ、とはいえ、いまだ寒風厳しき節なれば、まうちっと春が猛るんぢゃのうて、長けて、蘭ける、こっちの字のはうがこのましいのですが・・・


針金の螺旋の外へ菊蘭ける

だったか、ま、この蘭けるは猛るんでもあり、梟帥んでもありませうが、そこを連衆に汲んでもらって、もうこれこれ、10年程前の恒例の陸奥吟行では、軒並み賞品をかっさらってきたときの一句で、なんでこんなもんが、いまさら記憶の底から蘇ってくるのか、まあ、ひとちうもんはわすれたやうで、普段全然思い浮かばぬことでも、時機到来、季節到来すれば、この季節も到来も、道元の謂いでもあれば、芭蕉の謂いでもあり、これを季節とするのは季節感豊かなわが国の伝統文化なんでせうが、季節感の少ないサバンナの欧州にても、はたまたそこを席巻した季節感のない砂漠の宗教にしても、到来ちうもんは、いわれるわけであって、まことにひとたるもんのありやうは、古今東西その原点においてはまことに同じことの反復でありますれば・・さういえば、開拓群像の特選句もあったが、これは、出てこぬが、即興で思い出しで詠めば・・

天仰ぐ開拓群像鳥渡る

であったか?

まあ、そんなもんぢゃろけんど、一句は、そのときの使命を果たし、御破算なのですが、その意匠や光景はどこかに残っておるのんも、ま、駄句はさして残らんのんも、俳句でも読書でもはたまたひとの言葉全般に通じるもんであってみれば、詠むそばから、読むそばから、忘れる、忘れてもいいんですよ、必要なときに必要に応じて蘇ってくるんですから、ちうことで・・影も光も蘇ってくるんです。

> それはそれは……ありがたうございます。

それにしても、どっかで聞いたことのある台詞だぢゃわの。

> 夜中に首切りに参上いたしますゆえ、どうぞよろしく。

ま、朝駆け幼稚ならぬ夜討ちで、いつでも結構です。隣のジョナサンの駐車場のクルマに飛び蹴りを喰らわせた酔っ払いを110番してその酔っ払いの恨みをかって、朝駆け夜討ちで、地上から天上に向かって罵られる事態で、ソレガシんちは警察の重点巡回地域になっていますが、ま、だからといって、なすのせせさんの夜中に首切り参上で生活安全課へ通報することもありえませんので、安心して鼻でも、首でも、召し上がってください。

> 雛納め首すげかへるをのこかな

まう、うちもむすめばっかしなのに、絶えてひな壇をかざることもなく、祭もないのですが、あの、お雛様を箱に閂をかけて幽閉しっぱなしちうのんもまことに悲惨なもんでありますれば、季節はずれのこれからでも遅くはない、飾れ!といっても、歩けぬほどもんが、やうやく幾分か歩けるやうになったばかりですから、無理ちうもんであって、けふも、風光る絶好の日和ですが、都心の整体の大先生のところに連れてまいらねばなりませぬ。

あれからは日の目も見ずや内裏雛

やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53837] Re:[53836] Time After TimeRe:[53834] City Lights 投稿者:なすのせせ 投稿日:2011/03/04(Fri) 22:21  

今朝は富士山がみえました。

> なすのせせさんが出てくると世界がパッと明るくなります。春ほのぼのと風光るやうな気分で・・

それはそれは……ありがたうございます。
夜中に首切りに参上いたしますゆえ、どうぞよろしく。


雛納め首すげかへるをのこかな


[53836] Time After TimeRe:[53834] City Lights 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/03/04(Fri) 06:30  

なえらそゆANNEX−Ω   訪問者数:2350766(今日:58/昨日:364)2011/03/04(Fri) 06:04

Time After Time 訳詞付/Cassandra Wilson
http://www.youtube.com/watch?v=oCw60S8o8Fk&feature=BF&list=QL&index=1

なすのせせさんが出てくると世界がパッと明るくなります。春ほのぼのと風光るやうな気分で・・

> > Charlie Chaplin - City Lights
> > http://www.youtube.com/watch?v=C_vqnySNhQ0&feature=BF&list=QL&index=50
> >
> > ソレガシはこの短い詩的な一コマが好きで泣かされます。
>
> この映画も覚えています。どこで誰と観たのか、覚えていないのですが。
> そうそう「詩的」というのはこういうものですね。純粋、純情、この男の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいような人間がうじゃうじゃうじゃいるなぁ……。
>
> > > 花粉症我が鼻孔の狭き門
> >
> > わがことならずもみにつまされます。もっともそれがしの鼻孔は丸くてでかいので決して狭き門ではなく、酸素も花粉も埃も吸い込み放題なので、鼻くそがたまりやすく・・・にもかかわらずか、はたまた、それゆえにか、花粉症にはならぬ、
>
> この季節だけ、その鼻を貸して欲しい。

はい、喜んで・・いつでもお貸ししますよ。なんなら首からうえをまるごとお貸ししてもいいのですが・・・

> 代わりに花をあげるから。

ありがたう。

> 今年の花粉は多いので、症状も幾分重症。

ご自愛ください。


やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53835] 無題 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/03/03(Thu) 08:34  

さのぬよまANNEX−Ω   訪問者数:2350357(今日:13/昨日:546)2011/03/03(Thu) 00:48

夕べに死してあしたに坐すわが屍の雛祭

やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53834] City Lights 投稿者:なすのせせ 投稿日:2011/03/03(Thu) 01:02  

> Charlie Chaplin - City Lights
> http://www.youtube.com/watch?v=C_vqnySNhQ0&feature=BF&list=QL&index=50
>
> ソレガシはこの短い詩的な一コマが好きで泣かされます。

この映画も覚えています。どこで誰と観たのか、覚えていないのですが。
そうそう「詩的」というのはこういうものですね。純粋、純情、この男の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいような人間がうじゃうじゃうじゃいるなぁ……。

> > 花粉症我が鼻孔の狭き門
>
> わがことならずもみにつまされます。もっともそれがしの鼻孔は丸くてでかいので決して狭き門ではなく、酸素も花粉も埃も吸い込み放題なので、鼻くそがたまりやすく・・・にもかかわらずか、はたまた、それゆえにか、花粉症にはならぬ、

この季節だけ、その鼻を貸して欲しい。代わりに花をあげるから。
今年の花粉は多いので、症状も幾分重症。


[53833] あのへんは美人の産地らしいが、だうも、調子がでん。。Re:[53832] した次第。Re:[53824] 暗い記事で心を暗くさせたまんではもうしわけないので・・ 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/03/01(Tue) 19:53  

りとれねちANNEX−Ω   訪問者数:2349713(今日:347/昨日:411)2011/03/01(Tue) 18:32

Momoe Yamaguchi 山口百恵Sayonaranno Mukoogawa さよならの向う側
http://www.youtube.com/watch?v=jbo2aQd-dAM

in tears, very emotionalといえばこれに極まりますね。まうとっくに成人した甥っ子の幼稚園運動会の父兄会で・・・

> ためわおまANNEX−Ω   訪問者数:2349695(今日:329/昨日:411)2011/03/01(Tue) 17:28
>
> Celine Dion - Alone (in tears, very emotional)
> http://www.youtube.com/watch?v=diQpMjq-lhQ&feature=BF&list=QL&index=21
>
> 木村のこころの病理よりもやっぱす、こっちとか、キルケゴールのはうが、いろいろと俳句のネタにはなりますの。残念ながら日本語訳ぢゃくなて中国語のやうですが、うむ、七言絶句になるやもしらんわの。
>
> > るらほうよANNEX−Ω   訪問者数:2348195(今日:131/昨日:592)2011/02/26(Sat) 08:45
> >
> > The Power of Love by Andrea Bocelli
> > http://www.youtube.com/watch?v=Esq0U_lvgsA&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=11
> >
> > これは
> >
> > Celine Dion The Power Of Love Lyrics
> > http://www.youtube.com/watch?v=9BHoj8uFdr8&feature=BF&list=QL&index=6
> >
> > も、うたっておって、甲乙つけがたいいあじわいではるが、ソレガシはやっぱす男であるからすて、Andrea Bocelliのはうがええが、可愛さではやっぱすCeline Dionか。
> >
> > あの、けさの夢、それに無意識につけた土器、それらをあわしてもあわせんでも、あの神社がどこに神社であったか、おぼろげながら無意識から意識にのぼってきたので、書きたいのですが、
>
> あれは、たしかに、羽生神社ぢゃわの。木曾義仲が京にのぼるに願をかけた名社。それへ石動山の修験の先達の娘にして郷土史家にしてなかなかの美形して人体実験の犠牲を自らかってでて脚が不自由な女医さんが案内してくれて、なぬせ、富山の優秀な連中はみんな加賀に連れ去れる、拉致ではあらへんやろが、富山の地元におかんで、金大付属へ拉致され、ま、拉致された娘と神社の息子が同級生で、それがまたソレガシの同級生で、ふんでも、のんびりしとって、同級生の神主は、名社といえども、田舎では、神主だけぢゃあ、ヒマなんか、県庁のお偉いさんになっておって、神社はでっかい木造の社屋が伽藍堂で・・そっから降りて、別の丘で夕日を眺めながらソフトクリームを食えば、とんびが狙って襲い掛かる物騒な・・・

とくに能登半島はやばい。

> > なぬせ、足腰たたぬものがやっと立つようやうになってもまだまだなので、介護車にのっけて都心まで走らねばいかん、暗い記事で心を暗くさせたまんではもうしわけないので・・

ふんで、あの辺は同級だらけでかの帝京の院長がなくなって、残る親友が富山医科薬科の教授で、自分の問う女房、うむ、奥さんは首都圏の自宅ににおきざりで単身赴任なんは、私学でも官学でも同じであるが、糖尿病闘病記を公開して幽冥ならず有名なもんも官舎におって、ソレガシの旅先の宿の女房役を買ってでてくれたもんの、御師の一人娘の女医さんちが気にってなんもせぬちう約束ゆえ上膳据膳でソレガシはなんもせんで長逗留を決め込み、女房役の教授殿、これはもちろん男ですが、やきもきで、ぢゃあ、みんなでカラオケちうことで、絹の工場跡地の洒落た和食レストランから女医さんの従姉妹のスナックへ梯子して、女医さん宅からソレガシが拉致されやっと富山医科薬科の官舎へ収容されたあんときの昔の一句です。

囀りや古墳の丘の医科薬科

ほんまにでっかい古墳の丘の上に建っているんどす、富山医科薬科は。

それにしても、研究室で俺のナンバー1の助手だ、と紹介された女史の美人度にもびっくらこえて・・あのへん、越前は、その前後、すなわち、越前、越後、さらには、越後のさきの秋田は越の国ではあらへんやろがあっこらへんから津軽半島、竜飛まんで、美人の産地がずらりとならぶ。でも、糖尿病ぢゃあね〜・・・・。

ところで・・ヒマにまかせて・・

《神武天皇にはじまる日本の天皇は、雄略天皇、武烈天皇という二代の暴虐によって、皇統は断絶の危機に直面する。その時、天皇の血を受け継いだ人としてさがしだされてきたのが、越の国出身の継体天皇であった。越の国のルーツは、長江流域からの越人の国の ...》

《越国出身の継体天皇の血筋が朝廷を支配したことを考えると、越国の分割方法である「前中後」こそが朝廷の基本ルールのはずである。事実、後に明治になって奥州を分割した時にも前中後を使っている。 だから上下分割は継体朝がやったことではないだろう。 ...》

うんぬん

> > 風光る街をゆかばや気分一新
>
> 風光る街をゆきなば気分暗転

すっかす下手な句だ

> した次第。

万葉の春旅をするなら越の国

だうも、調子がでん。

やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53832] した次第。Re:[53824] 暗い記事で心を暗くさせたまんではもうしわけないので・・ 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/03/01(Tue) 18:12  

ためわおまANNEX−Ω   訪問者数:2349695(今日:329/昨日:411)2011/03/01(Tue) 17:28

Celine Dion - Alone (in tears, very emotional)
http://www.youtube.com/watch?v=diQpMjq-lhQ&feature=BF&list=QL&index=21

木村のこころの病理よりもやっぱす、こっちとか、キルケゴールのはうが、いろいろと俳句のネタにはなりますの。残念ながら日本語訳ぢゃくなて中国語のやうですが、うむ、七言絶句になるやもしらんわの。

> るらほうよANNEX−Ω   訪問者数:2348195(今日:131/昨日:592)2011/02/26(Sat) 08:45
>
> The Power of Love by Andrea Bocelli
> http://www.youtube.com/watch?v=Esq0U_lvgsA&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=11
>
> これは
>
> Celine Dion The Power Of Love Lyrics
> http://www.youtube.com/watch?v=9BHoj8uFdr8&feature=BF&list=QL&index=6
>
> も、うたっておって、甲乙つけがたいいあじわいではるが、ソレガシはやっぱす男であるからすて、Andrea Bocelliのはうがええが、可愛さではやっぱすCeline Dionか。
>
> あの、けさの夢、それに無意識につけた土器、それらをあわしてもあわせんでも、あの神社がどこに神社であったか、おぼろげながら無意識から意識にのぼってきたので、書きたいのですが、

あれは、たしかに、羽生神社ぢゃわの。木曾義仲が京にのぼるに願をかけた名社。それへ石動山の修験の先達の娘にして郷土史家にしてなかなかの美形して人体実験の犠牲を自らかってでて脚が不自由な女医さんが案内してくれて、なぬせ、富山の優秀な連中はみんな加賀に連れ去れる、拉致ではあらへんやろが、富山の地元におかんで、金大付属へ拉致され、ま、拉致された娘と神社の息子が同級生で、それがまたソレガシの同級生で、ふんでも、のんびりしとって、同級生の神主は、名社といえども、田舎では、神主だけぢゃあ、ヒマなんか、県庁のお偉いさんになっておって、神社はでっかい木造の社屋が伽藍堂で・・そっから降りて、別の丘で夕日を眺めながらソフトクリームを食えば、とんびが狙って襲い掛かる物騒な・・・


> なぬせ、足腰たたぬものがやっと立つようやうになってもまだまだなので、介護車にのっけて都心まで走らねばいかん、暗い記事で心を暗くさせたまんではもうしわけないので・・
>
> 風光る街をゆかばや気分一新

風光る街をゆきなば気分暗転

した次第。

やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53831] リアルな個的身体的生命とアクチャルな生命一般が相接した界面に、そのつどの私のアクチャルな個別性と主観性の意識が生起する。Re:[53826] リアルなモノの次元ではないアクチャルなコトの次元での私の生命、私がいまここに生きているという主観的なアクチャリティの意識が、一方では絶対的に交換不可能な単独性の形で、もう一方では無限に開かれた生命的連帯性の形で、二度現れてくるのはどういうことだろう。Re:[53820] 愛は死にますか 心は死にますか・・Re:[53819] いつも何度でも〜その2/2.Re:[53818] いつも何度でも〜その1/2.Re:[53817] [53816] [53811] いろいろに解釈できますね。Re:[53809] 成熟した年配に達して魂が真剣に自己に集中するころになると、ふたたび現われてくる。Re:[53716] [53714] 「私自身でない第三者(たとえば美、真理など)に関心をもつ知識は無関心的である。」Re:[53713] インテレサント 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/03/01(Tue) 16:33  

ぬみあつをANNEX−Ω   訪問者数:2349654(今日:288/昨日:411)2011/03/01(Tue) 15:48

YOU ARE LOVE(訳詞付) - Janis Ian
http://www.youtube.com/watch?v=9HEbdkpboOI&feature=BF&list=QL&index=53

> えれふえふANNEX−Ω   訪問者数:2348594(今日:97/昨日:433)2011/02/27(Sun) 04:57
>
> Title is unknown (タイトル不明)Please tell me.
> http://www.youtube.com/watch?v=hQJA8StCKDk&feature=autoplay&list=QL&index=6&playnext=4
>
> > とときうめANNEX−Ω   訪問者数:2347774(今日:302/昨日:476)2011/02/25(Fri) 10:53
> >
> > 尊き梅か、ととうめきか。いまさ銀行へいってもったらまるでホッパーへの死の行進のごとくの行列でそのひとりひとりが機械をまえにあちらこちらの通帳へ金を分配している背はまるまりまるで人間がロボット化されちょる風景にぞっとして帰ってきますた。
>
> これは観た事そのままですが、いろんなもんが重なっています。曰く、組織、機構、観念、概念、論理、つまりひとがつくりだしたものにひとが使役されちょる景色なんですね。さういうもんが、まあ、普通、さういうあり方にんらざるをえない、世の中は、世間は、社会は、人間はさういうもんだ、ちうあきらめ、あるいは、自己説得、あるいは、無自覚、あるいは、頽落、没落のありよう。どこにもみられる景色で、自己、あるいは、他者の作り出した幻想、あるいは、仮説、あるいは、それらに基づく診断、あるいは、機構、にそのまま落ち込んでしまう、さういう風景にも通じますね。
>
> > http://www.fukuchan.ac/music/j-folk3/sakimorinouta.html
> >
> > 防人の詩
> >
> > さだまさし 作詞/作曲

とはいえ・・

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%B2%E4%BA%BA%E3%81%AE%E8%A9%A9

歌詩は『万葉集』第16巻第3852番に基づいて作られている。

鯨魚取 海哉死為流 山哉死為流 死許曽 海者潮干而 山者枯為礼
鯨魚(いさな)取り海や死にする山や死にする死ぬれこそ海は潮干て山は枯れすれ
大意:海は死にますか 山は死にますか。死にます。死ぬからこそ潮は引き、山は枯れるのです。

> > おしえてください
> > この世に生きとし生けるものの
> > すべての生命に 限りがあるのならば
> > 海は死にますか 山は死にますか
> > 風はどうですか 空もそうですか
> > おしえてください
> > 私は時折 苦しみについて考えます
> > 誰もが等しく抱いた悲しみについて
> > 生きる苦しみと 老いてゆく悲しみと
> > 病いの苦しみと 死にゆく悲しみと
> > いまの自分と
> >
> >
> > 答えてください
> > この世のありとあらゆるものの
> > すべての生命に約束があるのなら
> > 春は死にますか 秋は死にますか
> > 夏が去る様に 冬が来る様に
> > みんな逝くのですか
> > わずかな生命のきらめきを 信じていいですか
> > 言葉で見えない 望みといったものを
> > 去る人があれば 来る人もあって
> > 欠けてゆく月も やがて満ちて来る
> > なりわいの中で
> >
> >
> > おしえてください
> > この世に生きとし生けるものの
> > すべての生命に限りがあるのならば
> > 海は死にますか 山は死にますか
> > 春は死にますか 秋は死にますか
> > 愛は死にますか 心は死にますか
> > 私の大切な故郷もみんな 逝ってしまいますか
> >
> >
> > 海は死にますか 山は死にますか
> > 春は死にますか 秋は死にますか
> > 愛は死にますか 心は死にますか
> > 私の大切な故郷もみんな 逝ってしまいますか
> >
> > > なもそせんANNEX−Ω   訪問者数:2347715(今日:243/昨日:476)2011/02/25(Fri) 08:24
> > >
> > > Nataliya Gudziy-Sakimorinouta ナターシャ・グジー 防人の詩
> > > http://www.youtube.com/watch?v=vpb-YwyUXx8&feature=BF&list=QL&index=2
>
> > > > ひとそれぞれの原体験、記憶の数多(あまた)なる多様性のなかでも、それを範疇として括っていけば、いろいろに整理できるわけであって・・・数多なる人々に共通の原体験、記憶ちうもんもあれば、個別の独自のもんもある。ことこの共通のものであっても、先に申し述べたやうにその意味づけは人様々であると同時に時代によっても様々ですから、一概に他者の共感を期待しても失望するでせうね。個々の体験、記憶においてはなおさら・・
> > > >
> > > > それでも、そういう体験や記憶をある種、ジャンヌエルシュ的にいえば、論理的強姦で、無理やり構造化してしますむきもなきしもあらずで、そのへんのところをちょっと紹介しますが・・
> > >
> > > これは、下記の木村の言説をふくめて舌足らずだったのかもしれませんが、仮説の検証というのは、ここでも過去に何度か言及している、メカニカルな機械論的精神分析、機械論的医学のありようのことで、そこで用いられている各種のメカニカルな概念と機械論的な機作、作動の仮説、さういうもん、たとえば、原風景というと、フロイト的には、特殊な風景をさしているのですが、
>
> 原風景だったか原光景だったか原体験だったか・・・
>
> > > さういう特殊な風景の特殊な作用の仮説、その特殊さを意識して、原体験といってみたのですが、原体験にするとこの特殊な仮説のありようもぼやけてしまうかもしれませんが、原風景にしても、リピドやエスというコンセプト、そういうものが発動する機作、やうは、幼児時のトラウマ、心の傷が、後年の人生を支配するというような構図そのもののありよう、これはひとつの有効な仮説ではあっても、人間の命、生活のすべてではありえない、ちうことにも思いを致さねば、人間はあたかも、幼児期にプログラミングされたロボットめいてきますし、おなじことを精神なら身体医学の分子生物学的機械論の仮説でいえば、親から、祖先から、はたまた進化論的さまざまな生き物から引き継いだDNAが現に此処に個々に存在している人間の命、生活を支配するというやうな、まあ、いってみれば、極論の論者もいるわけで、それが極論とされずに、生物学的精神身体医学では実体論的、物質的な、はてまた分析的薬事的医学の検証をへて、ひとをものやメカニカルな機械論的な構造、機構に還元してしまう、その怖さ。
> > >
> > > これは、フロイトの機械論的精神分析で、いろいろな仮説で、治療をすすめていく、その中で、この仮説ゆえに、そこに逃げ込んで自己正当化をしまう、つまりそういう仮説、トラウマとか、その発動、それを乗り越えるために、さういう仮説にもとづいて分析しているにもかかわらず、分析されたその気づきが、それを乗り越える方向へむかないで、それに落ち込んでしまう、さういう患者をフロイトは分析治療することを拒んだ、この拒んだことへの反論も多々あり、いろいろな分析流派や、精神分析そのものを評価しつつもその限界を乗り越えようとするものもあらわれたわけで、機械論的精神医学に対して、人間学的精神医学というのは、そういう仕分けでいわれるものですから、
>
> さうであったか?さうでなかったか?
>
> > > 精神病とか精神分析とか精神医学という疑念
>
> 概念の疑念
>
> > > の歴史的な検証も必要なわけで、そこは通常の医療機関では、素通りで、患者も医師にいわれたこと、あるいは、いろんなところで説明されていることを鵜呑みにしがちなんですが、さういう現代文明の鎖につながれて呻吟すりょりは、それを解き放つ、洗脳と思い込みに専横されない、自由さ、さういうもんも見につければ、ある仮説だけでひとを診ることも試すことも、できないわけで・・・
> > >
> > > やうは、いいたいことは、トラウマやDNAがひとを支配するというような単純な構図では、なんでひとは日々の今現在を生きているのか、ちうもっとも基本的な問いにも答えられないわけで、機械論的人間解釈は、機械論的文明においては好都合で普及していますが、ゆえに、人間は、人間性は、疎外されている、機械論的恋愛においては恋も愛も疎外されてしまうのと同じことですね。
>
> 世間でもっともマルクス主義的な存在は、経団連である。
>
> 人間疎外からの解放ではなく反対に頽落への促進機構。
>
> 財務金融産業経済諸省庁も同じ穴のむじな。そこに寄生する政党も・・
>
> ある主義的論理、理屈が蔓延すると、あたかも、犯罪者の犯罪手口が世に知られるやうになると、犯罪を防止するのではのうて、その手口を乱用して犯罪をより功名に遂行するために論理、理屈、が利用されるやうなものだ。
>
> 論理、倫理の倒錯はどこにでもある。
>
> > > > --------------------------------------------------------------------------------
> > > > [53801] バーチャルな愛とか真理とか誠ちうもんはあるんであらうか?Re:[53798] 救急車出動!オッス!!!Re:[53797] だうもかれらなみにメタボになりそうで心配です。Re:[53790] [53789] それでよし。とのよし。Re:[53788] 来生たかお  投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/02/20(Sun) 22:12
> >
> >
> > > > > > 岩波新書 359 心の病理を考える 木村敏著 1994年 105/650円
> >
> > > > 「p103
> > > >
> > > > ・・・・いはゆる有時は、時すでにこれ有なり。・・・われを排列しおきてジン界(儘の人偏のない字、探している間にシステムダウンして返事がおくれてしまったのですが)とせり。このジン界の頭頭物物を時時なるとチョ見(チョはちょっとでてこないのですが、老眼でよく細部が見えぬ、虚の並をとって亜にしたものを左偏にして右のつくりに見とかく)すべし。・・・われを排列して、われこれを見るべし。自己の時なる道理、それかくのごとし。・・・云々。要をとりていはば、ジン界にあらゆるジン有は、つらなりながら時時なり。有時なるによって吾有時なり・・・」
> > > >
> > > > このあと現代訳がのっていますが、それは、まあ、言い尽くされた感もある存在は時間であるというのにすぎませんで、道元のこの有時では、単に存在と一括り、それも西洋哲学、西洋精神医学の範疇、規範だけで間に合う謂いではないので、わざわざ、古語文を挙げたわけで、この時時、排列、われの有りようには、それこそ、つらなりながら爺、ああ、時時である、つまり胎児、幼児、子供、少年少女、青年乙女、成人、初老、古稀、白寿、まあ、あらゆる現体験、記憶、はたまた幻想さえのつらなりの味わいがあるのであって、巷のわかったぼくちゃんどもハイデッガーの「存在と時間」うんぬんくぬんちうことで片付けられない食み出したもんがあるのは、仏教においては意識のありようも単純な西洋無意識を幾層にも観ているのですから、さういう唯識的な見識もこの有時にあることを見逃してならないと思うのですが、それはさておき、さういうもんから説き起こして、木村は「時間の生き方の三類型」に及び、さらには「W 生命論と精神病理学」の「ゾーエーとビオス」のなかで・・
> > > >
> > > > p121
> > > > 「古代のギリシャ語は生命を意味する二つの単語をもっていた。・・・「ビオス」biosというのはある特定の個体の有限の生命、もしくは生活のことである。生物学のバイオ、伝記のバイオグラフィーという場合のバイオの語源・・・
> > > >
> > > > 「ゾーエー」zoeは、そういった限定を持たない、個体の分離を超えて連続する生命、個々のビオスとして実現する可能態つぃての生命だという。(引用者註:これは木村が神話学者カール・ケレーニーの説に言及している。)ゾーロジー動物学、zooズー動物園はゾーエーから来ているのだが、残念ながらゾーエーの正しい意味が伝わっていない。・・・
> > > >
> > > > 私たちが臨床の場面でさしあたり出会うのは、生命の意味であれ生活の意味であれ、個々の患者のビオスである。
> > > >
> > > > 生物学的精神医学は生命としてのビオスを扱うし、生活史を重視する人間学的精神医学や力動精神医学、生活療法や社会復帰治療では生活としてのビオスが中心になる。
> > > >
> > > > しかしいずれにしてもこのビオスは、生命としてあれ生活としてであれ、それ自体無限定のゾーエーが個々の患者の身体に宿ることによってはじめて実現しているものである。
> > > >
> > > > ゾーエーそれ自体は無限定で輪郭をもっていないから、それを対象的に認識したり識別したりすることができない。しかしそれは、対照的な認識や識別とは違った仕方で、もっと直接的に経験することができる。それはゾーエーが、無限定であrがゆえに無人称であり、私ひとりの生命ではなく同時に他の生命体の生命でもあるからにほかならない。
> > > >
> > > > 患者と治療関係のなかで出会っているとき、私たちは患者とのあいだに、だれひとり否定することのできない一体感、連帯感のようなものを感じることがある。これはけっして私の主観的な思い込みのようなものではない。
> > > >
> > > > 精神分析ならこれを治療者と患者のそれぞれのビオス(生活史)に還元して「転移」と言うことになるのだが、これは実はビオスの問題ではない。本質的にはゾーエーそのものの非対称的で直接的な経験なのである。」
> > > >
> > > > このフロイトなどが忌諱した「転移」をかういう風にとらえなおす見識はまことにインテレサントなものがあって、これはいってもれはなぬも「転移」ばかりでのうて、「投影」でもおなじことであるからして、治療者と患者関係を持ち出すまでもなく、恋愛そのものの根源はゾーエーであって、それがビオスとして個々の生命と生活を形成すると解すれば、日常茶飯事のことである、恋愛は金輪際ごめんちう男女を除いて・・
> > > >
> > > > この考え方は、まあ、いろいろ多様な言語的対応、概念的な多様な展開も可能ですから、またやってみることして、さきのセンズルことも詮ずれば所詮、ゾーエーのビオス的発動ちうことでせうね。
> > > >
> > > > それはともかくも・・
>
> 事故前の施術中に読み継いだ幾許かを引用しておきませう。
>
> p135
> 「私はいまここで一個の身体として生きている。この事実は、私以外の多数の人間が、あるいはまた人間以外の無数の生物が私の周囲に生きているという事実と同様、私の主観によっては動かすことのできない客観的なリアリティである。
>
> 私が他のすべての人間や生物と同様、いつかはかならず死ぬというのも、同じく客観的リアリティである。そのかぎりにおいて、私は他のすべての人間や生物と同じ意味での一個の生命を与えられている。・・・固有名が与えられた人が、あるいは生物体が、<たまたまいまここに>存在するということである。そしてその生命とは、受胎から死亡までの一定期間、この生物体に観察される生物学的活動の標識である。
>
> しかし私は・・これとはまったく違った意味での私自身の生命を生きてもいる。私は自分がいまここに私自身として生きているというアクチャルな事実を、何か非常に特別なこととして感じている。それは・・・固有名詞では到底表示できないもっと別の固有性の感覚、そもそも何らかの標識を媒介して公共的に表示したり、それによって他人と共有したりすることの不可能な、<絶対的な単独性>の感覚である。そしてこの単独性、このもっとも厳密な意味での個別性の感覚は、私が私の死を意識することにおいて極限にまで高まる。
>
> 私の死は絶対に私自身に属する出来事であって、他人による代理は不可能である。公共的な他者に開かれていないおいう意味で、この交換不可能な単独性をおびた私の存在の意識は主観性の極限にあると言ってよい。
>
> ・・・この主観的でアクチャルな存在の意識は、しかしながらけっして私ひとりの孤独な生命の感覚として閉塞しているわけではない。
>
> 私はむしろこのアクチャルな生命感をチャンネルとして、原理的には無限に多くの他者たち、あるいは生きとし生けるものすべてとのあいだに開かれた連帯感を感じとっている。
>
> それがディオニソス的ゾーエーの世界に通じるものであること、この意味でも「生命」が四十億年前の生命発生以来現在にいたるまで、死による断絶をしらず、アポロン的ビオスの栄枯盛衰をよそに連綿として続いてきているものである・・・・
>
> リアルなモノの次元ではないアクチャルなコトの次元での私の生命、私がいまここに生きているという主観的なアクチャリティの意識が、一方では絶対的に交換不可能な単独性の形で、もう一方では無限に開かれた生命的連帯性の形で、二度現れてくるのはどういうことだろう。」

p137〜
「私たちは親から生まれ、一個の身体として発生したそのときに、ゾーエー的な無窮の生命を私の身体に引き受けることになる。私は自分が個としての有限な生命を生きることを通じて、無限の生命一般との関係に参入することになる。この関係は、一方では私自身の生命の根拠との関係であると同時に、他方では私と同様にゾーエー的生命に参与している他の生命体との、とりわけ他人たちとの根底的な−−−根拠を通じての−−−関係でもある。そしてこの関係は私が自分の個的生命を終えるまで続く。つまりこの関係は私の内面の歴史、私の「内的生活史」構成する素材となっている。この歴史は、私の身体という他人と交換することの不可能な唯一無比の場所で展開される歴史であって、その実質をなしているそのつどの関係と同様、絶対的に私自身のみにかかわる、私的(プライヴェイト)な出来事である。・・・ただこの純粋に私的な人生の意味が、私の人生全体に他人と共有不可能な固有性と単独性を与えている。

このように考えると、私の主観的な個別性、死の意識において極限に達する私のアクチャルな個別性は、個的な身体的生命の側の事象でも種的で非身体的な生命一般の事象でもない。それは個的な生命体がその根底にある生命一般とつねに関わりあい、この生命の根拠をみずからの個的生命のなかへ受け入れている、この関係そのものとして生起する事象なのである。リアルな個的身体的生命とアクチャルな生命一般が相接した界面に、そのつどの私のアクチャルな個別性と主観性の意識が生起する。」

> > > > 春騒や人は誰でも所詮釈迦
> >
> > 畢竟、究極のナルシストは釈迦でありキリストであり、あっこまで徹底的に愛に溺れれば、天上天下唯我独尊、神の愛を一身にあつめて復活ですね。

15時丁度に降り出した小雨に打たれずに脚仕舞い40kmの朔弥生。

やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53830] わがことならずもみにつまされます。Re:[53829] Modern Times 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/02/28(Mon) 17:19  

しんいんれANNEX−Ω   訪問者数:2349257(今日:302/昨日:458)2011/02/28(Mon) 17:03

Charlie Chaplin - City Lights
http://www.youtube.com/watch?v=C_vqnySNhQ0&feature=BF&list=QL&index=50

ソレガシはこの短い詩的な一コマが好きで泣かされます。

> Modern Times
> http://www.youtube.com/watch?v=IjarLbD9r30&feature=related
>
> チャップリンのこの映画、いつ観たのか?記憶すらないけれど、このシーンだけは今でも覚えている。機械化による人間性の喪失を見事にえがいているね。

はい、それもかのピンクフロイトのベルトコンベアでホッパーから落ち込んで挽肉ソーセージになる生徒たちの、諧謔があるとはいえ、救いのない画像からくらべれば、どんだけ、ベルトコンベアも歯車も逆回転して巻き込まれたもんがでてくるちうこの笑いに笑いを超えた救いが感じられますね。

歴史の歯車も、なぬもかも、あのリニアに規定された時間ちうもんは、一方通行で、不可逆的なもんとされちょる世間で、なんと人間のこころと表現の自由さよ♪

時間は人生なり、といわれちょる時間性のなかの本来の人間性を取り戻した、さういう一幅ですね。

> 花粉症我が鼻孔の狭き門

わがことならずもみにつまされます。もっともそれがしの鼻孔は丸くてでかいので決して狭き門ではなく、酸素も花粉も埃も吸い込み放題なので、鼻くそがたまりやすく・・・にもかかわらずか、はたまた、それゆえにか、花粉症にはならぬ、ず〜ず〜しさがあるのですが・・繊細なひとは繊細なんですね。


やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53829] Modern Times 投稿者:なすのせせ 投稿日:2011/02/28(Mon) 15:59  

Modern Times
http://www.youtube.com/watch?v=IjarLbD9r30&feature=related

チャップリンのこの映画、いつ観たのか?記憶すらないけれど、このシーンだけは今でも覚えている。機械化による人間性の喪失を見事にえがいているね。

花粉症我が鼻孔の狭き門






[53828] ちったあ、世の中、偽善の明るさではない、まともな明るさへの貧者の一灯ならぬ富者も一灯、一報も燈せ・・・Re:[53827] 無題 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/02/28(Mon) 11:17  

もえやひはANNEX−Ω   訪問者数:2349000(今日:45/昨日:458)2011/02/228(Mon) 03:15

♪ Smile - Charlie Chaplin
http://www.youtube.com/watch?v=iu-rLA4POkI&feature=BF&list=QL&index=33

軒を滴る雨垂れの音で目が覚めて・・・・

> もかみひろANNEX−Ω   訪問者数:2348840(今日:343/昨日:433)2011/02/27(Sun) 16:27
>
> ヒデとロザンナ 愛は傷つきやすく
> http://www.youtube.com/watch?v=Gu8OqFn5h1U

これも画像では、♀♂とも活き活きとして滴るやうではあるが、だうも歌詞のほうは殺伐としちょるなあ、なんでこんなんUPしたんぢゃろ?ちう、真夜中も過ぎた早朝の反省をなせば、だうも、たすかに「愛は傷つきやすく」はあるんぢゃろけんどだからといって二人で死ぬとかに頽落しちまう、方向性、関心の持ちようが逆なんぢゃあるまいか、もっとも、死というのんは、かの木村もいうように、けっして他人に代理で死んでもらえものではないのんぢゃけん、アクチャリティの最たるもんであるが、畢竟、だからこそ愛ちうもんが、アクチャリティの最たるもん、ゾーエーたる命の永遠さから、個のバイオへ振れ切った挙句の死なのかもしらん、ちう屁理屈の理屈も、まあ、哲学的にも精神医学的にもあるんであらうし、そういうものの見方をするってと、だうもこの歌の殺伐さと、甘さもみえてきて、例の、実存における関心のもちよう、関心のありかた、関心の方向性の問題の幾許かも、みえてきて・・・

> 誰某の浮名流れて飛花落花


この句もろくなもんぢゃない。関心の方向性が、だうも世間の噂話に流れておって、飛花落花がこれぢゃあ、泣くわね、ちうことで・・

> 土山宮ヶ瀬三井城山高尾、並木ビックマック200円+120小珈琲飲み放題で134km、今月は史上最低で1500km前後で脚仕舞か。ま、秘花はともかく飛花落花にはまだ早いし、梅は腐花落花の風情で、ちょっと飛花落花とはいえぬ。それにしても、彼女を怪我させて謹慎中の彼氏のなんと多いことか。

これも、ろくな記録ぢゃあ、ありません。もっとも旦那を怪我させて謹慎中の奥さんもいるやうですが・・

> それぞれの春や愛情物語

これも句としてはろくなもんぢゃないけんど、物語のありようとしては確かに歌それぞれで、ひとそれぞれで、でも、いったいに愛情とは、なにを希求をするんであらうか?

キルケーゴールは劇場通いが盛んで「笑劇」を愛したやうで、そのことは「反復」になかでも詳しく論じられていますが、上掲の「スマイル」のチャップリンの映画のラストシーンもありましたので・・・

Smile, Charlie Chaplin , Modern Times, 1936
http://www.youtube.com/watch?v=Ps6ck1ejoAw&feature=BF&list=QL&index=27

やっぱり、名曲なんでせうね。

歌詞のいちいちをみていって・・・・

Lyrics:

Smile though your heart is aching
Smile even though its breaking
When there are clouds in the sky, you'll get by
If you smile with your fear and sorrow
Smile and maybe tomorrow
You'll find that life is still worthwhile

If you just
Light up your face with gladness
Hide every trace of sadness
Although a tear may be ever so near
That's the time you must keep on trying
Smile, what's the use of crying?
You'll find that life is still worthwhile

If you just
Smile though your heart is aching
Smile even though its breaking
When there are clouds in the sky, you'll get by
If you smile through your fear and sorrow
Smile and maybe tomorrow
You'll find that life is still worthwhile
If you just smile

that's the time you must keep on trying
Smile, what's the use of crying?
You'll find that life is still worthwhile
If you just smile

まさに、これは市川の身体論や、木村の心の病理で論じられまでもなく、古来のひとの知恵であって、心身密接不可分のそのありようを、いわば明るい方向に使う知恵ですね。

さういうえば、むっかし掲載したナットキンコールの別の歌の画面にも、この一節が流れておって・・・

Smile and maybe tomorrow
You'll find that life is still worthwhile
If you just smile

でしたか、彼もこの言葉を座右の銘にして、あのでかい口でわらっていたんでしょうし、チャップリンはそのおちょぼ口をさらぬすぼめて・・・

ちうやうな追想にふけっていたら、突然、ケータイがなって、かかってきてほしい人からは電話はこんで、だうでもええ保険屋の電話であらうと、雨垂れの中の住まいのスマイル・・・

が一転すて、怒りの形相になってしまったんですね。いつもことですが、んったく、保険屋ちうのんは、自分勝手の資本主義の人間疎外のビジネスの権化めいておって、ひとのことを根掘り葉掘り調べるために、親切を装って、だうでもええことをネタに頻繁に他人の迷惑も考えずにてめえの業務時間中に電話をかけてくる、商売だから、まあ、大目にみませう、ちうても、

相手さんのところは留守番電話ででなかったのえ、また出たらご連絡しますが、ところで、今回の事故車の名義はしかじか、運転者はかくかくで、ちがっていますが、主たる使用者は名義者ではないんですか?

かういうような電話ね。あげくに・・

お車の駐車場は、どちらに?

ちうところで、もう、堪忍袋の緒が切れて、お嬢さん、お嬢さんの上司をだしなさい、ちうことで、課長をさんざん絞ってあげたところです。

世はなべて、愛のありようも、行政のありようも、保険のありようも、医学も科学も、哲学もほんらいのあるべきやうから、逆方向に頽落しがちなもんであって、そこんところを滔滔と云うよりか捲くし立てて、課長ちうば30代、40代であらうが、30代、40代にノイローゼが増えて、就職もままならず、自殺者が社会問題になっちょるという昨今のNHKのあの特集報道、その報道ですら、さういう中年ノイローゼ自殺者の問題を、あるいは新卒の就職難の問題を、すべて金でポーズをつくってマヤカシをやるかの政策のお先棒の役割もNHKにおいてはマルミエですが、その根っこにあるもの、すべてのインテレサントな現象、問題に取り組むその関心の持ちようの方向性、そこがないがしろにされて、保険屋も政府も病院も学校も家庭も法律も、みんな、金の亡者で、ないかとポーズをしながら、てめえの利益だけに汲々としちょるその偽善ぶりの被害者があの自殺者の群れであって、てめえらの日々の業務、刻々の偽善が、犠牲者をも作り出していることにも、思いを致して、ちったあ、世の中、偽善の明るさではない、まともな明るさへの貧者の一灯ならぬ富者も一灯、一報も燈せ・・・うんぬんで1時間以上を費やして、自らの舌頭の饒舌とはいえうんざりした次第でございます。

本日は終日の雨のよし、0kmで、2011年2月は1479kmで二月尽、嗚呼。

やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53827] 無題 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/02/27(Sun) 16:44  

もかみひろANNEX−Ω   訪問者数:2348840(今日:343/昨日:433)2011/02/27(Sun) 16:27

ヒデとロザンナ 愛は傷つきやすく
http://www.youtube.com/watch?v=Gu8OqFn5h1U

誰某の浮名流れて飛花落花

土山宮ヶ瀬三井城山高尾、並木ビックマック200円+120小珈琲飲み放題で134km、今月は史上最低で1500km前後で脚仕舞か。ま、秘花はともかく飛花落花にはまだ早いし、梅は腐花落花の風情で、ちょっと飛花落花とはいえぬ。それにしても、彼女を怪我させて謹慎中の彼氏のなんと多いことか。

それぞれの春や愛情物語

やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53826] リアルなモノの次元ではないアクチャルなコトの次元での私の生命、私がいまここに生きているという主観的なアクチャリティの意識が、一方では絶対的に交換不可能な単独性の形で、もう一方では無限に開かれた生命的連帯性の形で、二度現れてくるのはどういうことだろう。Re:[53820] 愛は死にますか 心は死にますか・・Re:[53819] いつも何度でも〜その2/2.Re:[53818] いつも何度でも〜その1/2.Re:[53817] [53816] [53811] いろいろに解釈できますね。Re:[53809] 成熟した年配に達して魂が真剣に自己に集中するころになると、ふたたび現われてくる。Re:[53716] [53714] 「私自身でない第三者(たとえば美、真理など)に関心をもつ知識は無関心的である。」Re:[53713] インテレサント 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/02/27(Sun) 07:12  

えれふえふANNEX−Ω   訪問者数:2348594(今日:97/昨日:433)2011/02/27(Sun) 04:57

Title is unknown (タイトル不明)Please tell me.
http://www.youtube.com/watch?v=hQJA8StCKDk&feature=autoplay&list=QL&index=6&playnext=4

> とときうめANNEX−Ω   訪問者数:2347774(今日:302/昨日:476)2011/02/25(Fri) 10:53
>
> 尊き梅か、ととうめきか。いまさ銀行へいってもったらまるでホッパーへの死の行進のごとくの行列でそのひとりひとりが機械をまえにあちらこちらの通帳へ金を分配している背はまるまりまるで人間がロボット化されちょる風景にぞっとして帰ってきますた。

これは観た事そのままですが、いろんなもんが重なっています。曰く、組織、機構、観念、概念、論理、つまりひとがつくりだしたものにひとが使役されちょる景色なんですね。さういうもんが、まあ、普通、さういうあり方にんらざるをえない、世の中は、世間は、社会は、人間はさういうもんだ、ちうあきらめ、あるいは、自己説得、あるいは、無自覚、あるいは、頽落、没落のありよう。どこにもみられる景色で、自己、あるいは、他者の作り出した幻想、あるいは、仮説、あるいは、それらに基づく診断、あるいは、機構、にそのまま落ち込んでしまう、さういう風景にも通じますね。


> http://www.fukuchan.ac/music/j-folk3/sakimorinouta.html
>
>
> 防人の詩
>
>
> さだまさし 作詞/作曲
>
>
> おしえてください
> この世に生きとし生けるものの
> すべての生命に 限りがあるのならば
> 海は死にますか 山は死にますか
> 風はどうですか 空もそうですか
> おしえてください
> 私は時折 苦しみについて考えます
> 誰もが等しく抱いた悲しみについて
> 生きる苦しみと 老いてゆく悲しみと
> 病いの苦しみと 死にゆく悲しみと
> いまの自分と
>
>
> 答えてください
> この世のありとあらゆるものの
> すべての生命に約束があるのなら
> 春は死にますか 秋は死にますか
> 夏が去る様に 冬が来る様に
> みんな逝くのですか
> わずかな生命のきらめきを 信じていいですか
> 言葉で見えない 望みといったものを
> 去る人があれば 来る人もあって
> 欠けてゆく月も やがて満ちて来る
> なりわいの中で
>
>
> おしえてください
> この世に生きとし生けるものの
> すべての生命に限りがあるのならば
> 海は死にますか 山は死にますか
> 春は死にますか 秋は死にますか
> 愛は死にますか 心は死にますか
> 私の大切な故郷もみんな 逝ってしまいますか
>
>
> 海は死にますか 山は死にますか
> 春は死にますか 秋は死にますか
> 愛は死にますか 心は死にますか
> 私の大切な故郷もみんな 逝ってしまいますか
>
> > なもそせんANNEX−Ω   訪問者数:2347715(今日:243/昨日:476)2011/02/25(Fri) 08:24
> >
> > Nataliya Gudziy-Sakimorinouta ナターシャ・グジー 防人の詩
> > http://www.youtube.com/watch?v=vpb-YwyUXx8&feature=BF&list=QL&index=2

> > > ひとそれぞれの原体験、記憶の数多(あまた)なる多様性のなかでも、それを範疇として括っていけば、いろいろに整理できるわけであって・・・数多なる人々に共通の原体験、記憶ちうもんもあれば、個別の独自のもんもある。ことこの共通のものであっても、先に申し述べたやうにその意味づけは人様々であると同時に時代によっても様々ですから、一概に他者の共感を期待しても失望するでせうね。個々の体験、記憶においてはなおさら・・
> > >
> > > それでも、そういう体験や記憶をある種、ジャンヌエルシュ的にいえば、論理的強姦で、無理やり構造化してしますむきもなきしもあらずで、そのへんのところをちょっと紹介しますが・・
> >
> > これは、下記の木村の言説をふくめて舌足らずだったのかもしれませんが、仮説の検証というのは、ここでも過去に何度か言及している、メカニカルな機械論的精神分析、機械論的医学のありようのことで、そこで用いられている各種のメカニカルな概念と機械論的な機作、作動の仮説、さういうもん、たとえば、原風景というと、フロイト的には、特殊な風景をさしているのですが、

原風景だったか原光景だったか原体験だったか・・・

> > さういう特殊な風景の特殊な作用の仮説、その特殊さを意識して、原体験といってみたのですが、原体験にするとこの特殊な仮説のありようもぼやけてしまうかもしれませんが、原風景にしても、リピドやエスというコンセプト、そういうものが発動する機作、やうは、幼児時のトラウマ、心の傷が、後年の人生を支配するというような構図そのもののありよう、これはひとつの有効な仮説ではあっても、人間の命、生活のすべてではありえない、ちうことにも思いを致さねば、人間はあたかも、幼児期にプログラミングされたロボットめいてきますし、おなじことを精神なら身体医学の分子生物学的機械論の仮説でいえば、親から、祖先から、はたまた進化論的さまざまな生き物から引き継いだDNAが現に此処に個々に存在している人間の命、生活を支配するというやうな、まあ、いってみれば、極論の論者もいるわけで、それが極論とされずに、生物学的精神身体医学では実体論的、物質的な、はてまた分析的薬事的医学の検証をへて、ひとをものやメカニカルな機械論的な構造、機構に還元してしまう、その怖さ。
> >
> > これは、フロイトの機械論的精神分析で、いろいろな仮説で、治療をすすめていく、その中で、この仮説ゆえに、そこに逃げ込んで自己正当化をしまう、つまりそういう仮説、トラウマとか、その発動、それを乗り越えるために、さういう仮説にもとづいて分析しているにもかかわらず、分析されたその気づきが、それを乗り越える方向へむかないで、それに落ち込んでしまう、さういう患者をフロイトは分析治療することを拒んだ、この拒んだことへの反論も多々あり、いろいろな分析流派や、精神分析そのものを評価しつつもその限界を乗り越えようとするものもあらわれたわけで、機械論的精神医学に対して、人間学的精神医学というのは、そういう仕分けでいわれるものですから、

さうであったか?さうでなかったか?

> > 精神病とか精神分析とか精神医学という疑念

概念の疑念

> > の歴史的な検証も必要なわけで、そこは通常の医療機関では、素通りで、患者も医師にいわれたこと、あるいは、いろんなところで説明されていることを鵜呑みにしがちなんですが、さういう現代文明の鎖につながれて呻吟すりょりは、それを解き放つ、洗脳と思い込みに専横されない、自由さ、さういうもんも見につければ、ある仮説だけでひとを診ることも試すことも、できないわけで・・・
> >
> > やうは、いいたいことは、トラウマやDNAがひとを支配するというような単純な構図では、なんでひとは日々の今現在を生きているのか、ちうもっとも基本的な問いにも答えられないわけで、機械論的人間解釈は、機械論的文明においては好都合で普及していますが、ゆえに、人間は、人間性は、疎外されている、機械論的恋愛においては恋も愛も疎外されてしまうのと同じことですね。

世間でもっともマルクス主義的な存在は、経団連である。

人間疎外からの解放ではなく反対に頽落への促進機構。

財務金融産業経済諸省庁も同じ穴のむじな。そこに寄生する政党も・・

ある主義的論理、理屈が蔓延すると、あたかも、犯罪者の犯罪手口が世に知られるやうになると、犯罪を防止するのではのうて、その手口を乱用して犯罪をより功名に遂行するために論理、理屈、が利用されるやうなものだ。

論理、倫理の倒錯はどこにでもある。

> > > --------------------------------------------------------------------------------
> > > [53801] バーチャルな愛とか真理とか誠ちうもんはあるんであらうか?Re:[53798] 救急車出動!オッス!!!Re:[53797] だうもかれらなみにメタボになりそうで心配です。Re:[53790] [53789] それでよし。とのよし。Re:[53788] 来生たかお  投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/02/20(Sun) 22:12
>
>
> > > > > 岩波新書 359 心の病理を考える 木村敏著 1994年 105/650円
>
> > > 「p103
> > >
> > > ・・・・いはゆる有時は、時すでにこれ有なり。・・・われを排列しおきてジン界(儘の人偏のない字、探している間にシステムダウンして返事がおくれてしまったのですが)とせり。このジン界の頭頭物物を時時なるとチョ見(チョはちょっとでてこないのですが、老眼でよく細部が見えぬ、虚の並をとって亜にしたものを左偏にして右のつくりに見とかく)すべし。・・・われを排列して、われこれを見るべし。自己の時なる道理、それかくのごとし。・・・云々。要をとりていはば、ジン界にあらゆるジン有は、つらなりながら時時なり。有時なるによって吾有時なり・・・」
> > >
> > > このあと現代訳がのっていますが、それは、まあ、言い尽くされた感もある存在は時間であるというのにすぎませんで、道元のこの有時では、単に存在と一括り、それも西洋哲学、西洋精神医学の範疇、規範だけで間に合う謂いではないので、わざわざ、古語文を挙げたわけで、この時時、排列、われの有りようには、それこそ、つらなりながら爺、ああ、時時である、つまり胎児、幼児、子供、少年少女、青年乙女、成人、初老、古稀、白寿、まあ、あらゆる現体験、記憶、はたまた幻想さえのつらなりの味わいがあるのであって、巷のわかったぼくちゃんどもハイデッガーの「存在と時間」うんぬんくぬんちうことで片付けられない食み出したもんがあるのは、仏教においては意識のありようも単純な西洋無意識を幾層にも観ているのですから、さういう唯識的な見識もこの有時にあることを見逃してならないと思うのですが、それはさておき、さういうもんから説き起こして、木村は「時間の生き方の三類型」に及び、さらには「W 生命論と精神病理学」の「ゾーエーとビオス」のなかで・・
> > >
> > > p121
> > >
> > > 「古代のギリシャ語は生命を意味する二つの単語をもっていた。・・・「ビオス」biosというのはある特定の個体の有限の生命、もしくは生活のことである。生物学のバイオ、伝記のバイオグラフィーという場合のバイオの語源・・・
> > >
> > > 「ゾーエー」zoeは、そういった限定を持たない、個体の分離を超えて連続する生命、個々のビオスとして実現する可能態つぃての生命だという。(引用者註:これは木村が神話学者カール・ケレーニーの説に言及している。)ゾーロジー動物学、zooズー動物園はゾーエーから来ているのだが、残念ながらゾーエーの正しい意味が伝わっていない。・・・
> > >
> > > 私たちが臨床の場面でさしあたり出会うのは、生命の意味であれ生活の意味であれ、個々の患者のビオスである。
> > >
> > > 生物学的精神医学は生命としてのビオスを扱うし、生活史を重視する人間学的精神医学や力動精神医学、生活療法や社会復帰治療では生活としてのビオスが中心になる。
> > >
> > > しかしいずれにしてもこのビオスは、生命としてあれ生活としてであれ、それ自体無限定のゾーエーが個々の患者の身体に宿ることによってはじめて実現しているものである。
> > >
> > > ゾーエーそれ自体は無限定で輪郭をもっていないから、それを対象的に認識したり識別したりすることができない。しかしそれは、対照的な認識や識別とは違った仕方で、もっと直接的に経験することができる。それはゾーエーが、無限定であrがゆえに無人称であり、私ひとりの生命ではなく同時に他の生命体の生命でもあるからにほかならない。
> > >
> > > 患者と治療関係のなかで出会っているとき、私たちは患者とのあいだに、だれひとり否定することのできない一体感、連帯感のようなものを感じることがある。これはけっして私の主観的な思い込みのようなものではない。
> > >
> > > 精神分析ならこれを治療者と患者のそれぞれのビオス(生活史)に還元して「転移」と言うことになるのだが、これは実はビオスの問題ではない。本質的にはゾーエーそのものの非対称的で直接的な経験なのである。」
> > >
> > > このフロイトなどが忌諱した「転移」をかういう風にとらえなおす見識はまことにインテレサントなものがあって、これはいってもれはなぬも「転移」ばかりでのうて、「投影」でもおなじことであるからして、治療者と患者関係を持ち出すまでもなく、恋愛そのものの根源はゾーエーであって、それがビオスとして個々の生命と生活を形成すると解すれば、日常茶飯事のことである、恋愛は金輪際ごめんちう男女を除いて・・
> > >
> > > この考え方は、まあ、いろいろ多様な言語的対応、概念的な多様な展開も可能ですから、またやってみることして、さきのセンズルことも詮ずれば所詮、ゾーエーのビオス的発動ちうことでせうね。
> > >
> > > それはともかくも・・

事故前の施術中に読み継いだ幾許かを引用しておきませう。

p135

「私はいまここで一個の身体として生きている。この事実は、私以外の多数の人間が、あるいはまた人間以外の無数の生物が私の周囲に生きているという事実と同様、私の主観によっては動かすことのできない客観的なリアリティである。

私が他のすべての人間や生物と同様、いつかはかならず死ぬというのも、同じく客観的リアリティである。そのかぎりにおいて、私は他のすべての人間や生物と同じ意味での一個の生命を与えられている。・・・固有名が与えられた人が、あるいは生物体が、<たまたまいまここに>存在するということである。そしてその生命とは、受胎から死亡までの一定期間、この生物体に観察される生物学的活動の標識である。

しかし私は・・これとはまったく違った意味での私自身の生命を生きてもいる。私は自分がいまここに私自身として生きているというアクチャルな事実を、何か非常に特別なこととして感じている。それは・・・固有名詞では到底表示できないもっと別の固有性の感覚、そもそも何らかの標識を媒介して公共的に表示したり、それによって他人と共有したりすることの不可能な、<絶対的な単独性>の感覚である。そしてこの単独性、このもっとも厳密な意味での個別性の感覚は、私が私の死を意識することにおいて極限にまで高まる。

私の死は絶対に私自身に属する出来事であって、他人による代理は不可能である。公共的な他者に開かれていないおいう意味で、この交換不可能な単独性をおびた私の存在の意識は主観性の極限にあると言ってよい。

・・・この主観的でアクチャルな存在の意識は、しかしながらけっして私ひとりの孤独な生命の感覚として閉塞しているわけではない。

私はむしろこのアクチャルな生命感をチャンネルとして、原理的には無限に多くの他者たち、あるいは生きとし生けるものすべてとのあいだに開かれた連帯感を感じとっている。

それがディオニソス的ゾーエーの世界に通じるものであること、この意味でも「生命」が四十億年前の生命発生以来現在にいたるまで、死による断絶をしらず、アポロン的ビオスの栄枯盛衰をよそに連綿として続いてきているものである・・・・

リアルなモノの次元ではないアクチャルなコトの次元での私の生命、私がいまここに生きているという主観的なアクチャリティの意識が、一方では絶対的に交換不可能な単独性の形で、もう一方では無限に開かれた生命的連帯性の形で、二度現れてくるのはどういうことだろう。」


> > > 春騒や人は誰でも所詮釈迦
>
> 畢竟、究極のナルシストは釈迦でありキリストであり、あっこまで徹底的に愛に溺れれば、天上天下唯我独尊、神の愛を一身にあつめて復活ですね。
>
> さて、花粉を一身に吸い込んで走りませう。春の陽気を探梅へ・・・

やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53825] 事故りますた。Re:[53823] 出遭Re:[53822] 勝手に、解釈する悪い癖があって、誤解したやうで申し訳けなく・・・Re:[53821] ここだけ訂正しますが 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/02/26(Sat) 19:23  

せるならんANNEX−Ω   訪問者数:2348375(今日:311/昨日:592)2011/02/26(Sat) 18:20

森進一  − 冬のリヴィエラ (1983.12.31)
http://www.youtube.com/watch?v=kge0imwRY0o

自転車ぢゃありませんが・・すっかすそれにすても予知能力が幾許かあるのであらうか?

> たむあせやANNEX−Ω   訪問者数:2348172(今日:108/昨日:592)2011/02/26(Sat) 07:38
>
> 土偶さ^ふぃんをしちょったらかういうのに出遭った。
>
> #39 恥ずかしい発見  −A shameful discovery was done−
> http://www.youtube.com/watch?v=OtmGUxGT8Q4&NR=1&feature=fvwp
>
> 大切な無駄毛残してなほ余寒
>
> > おねわいたANNEX−Ω   訪問者数:2348112(今日:48/昨日:592)2011/02/26(Sat) 03:23
> >
> > 土偶の世界:DOGU-The clay figure of ancient Japan
> > http://www.youtube.com/watch?v=hixCQ-926-Q
> >
> > ゆうべの21:21のなすのせせさんの記事も今初めてみるちうことは、それ以前にねてしまったソレガシ、3時にへんな夢を見てべつに焦りもしませんでしたが、ぬくぬくと起きだしてションベンをしてよもぎ大福を一個くって、タバコを一服して、はて?あの変な夢を誰にでもみれるここに書くべきかいなか、いなか、う〜む、田舎の光景の話からあらぬ方向に話題がながれていますが、ともかくも、ちょっと夢の象徴の数多を頭んなかで整理して振り分けも夢の意味が解せず、かといって、気にはなる夢で、ソレガシはファラオではありませんから、隣のイスラエルの奴隷の夢解釈をするイスラエルの神にまもられた奴隷をつれてこさせて解釈させるわけにもまいらず、さて、だうしたもんか、書いておかねば、永遠に忘れるであらう、嗚呼、さういえば、きのうバイクではしっているときに、二句、浮かんだ、それも大盛のトンカツ定食にコロッケも盛り合わせてもらって650円を食ってしまったら、もうわすれてでてこぬ、その忘れた句がこれが、忘れてみるとまことに秀句で、残念の極み、とくに、下五が、指を折れば8文字でしたが、擦過音、っ、ですね、それが一つと、ん、が二つで、これらの、つまった、っ、と、ん、は数えても数えなくてもええ、うむ。これは初心者むけには、ええ例題でもあるなあ、帰ったら是非書いておこう、と思いながら、春一番が吹いてたいへんだったでせう、ちうトンカツ屋の女将さんの会話に引きこまれて、放念してしまったのだ、だから、今の夢も、ああ、トンカツの話で忘れてしまう・・・
> >
> > なんだかしらぬ一人ベットに寝ていて、そこは寄宿舎か病院か、ひろい部屋で、窓の外は雨なんですね。体育の時間なんだが、雨だば無理だんべ、ちうことで、ベッドでうだうだしておったら、そのがらんどうの部屋に舎監のやうなもんが来て、授業が雨だから体育から歴史にかわって、体育館でやる、と告げてきたのですが、その歴史の時間ちうのんは、ずっとさぼりっぱなしで、なんだか、出て行くのも億劫だなあ、ということでうじうじベッドの枕元やシーツのうえの教科書とかお菓子を弄くっていると、突然光景は家になって、もう、おまえだけがたよりなんだよ、兄弟もみんなだめなんだから、おまえだけがたよりなんだよ、それでもおまえが立派に寄宿舎だか病院にはいって立派に稼いでくれるからなんとかやっていける、こんどはおまえのいるところにいってみたい、ああ、いつでもきてくれよ、でもあんなちっぽけなお手当てがたよりぢゃ・・・ちうところで、また光景は、その病室か寄宿舎の部屋にもどって寝ていると、また舎監めいた誰かきて、ちょっと健康保険だか傷害保険だか、なぬかを出しなさい、というので、ベッドのそばの小物入れからだして差し出すと、今日で君の保険はおしまいだから、明日からこないでください、というのですね。え!と驚いて、ベッドが飛び降りて、さて、かのいやな歴史の講義をしている体育館へ急ごうとすると、ホールに人が群れていて、だれも体育館へいった気配も行く気配もないのです。おかしいなとここに入るに世話になったひとを探したのだけれども、それがやなヤツで、現役時代に、多少のお付き合いはあった先輩に良く似ているやつなんだけれども、そのやつは、調子が良くてよく通産省の担当であったから、役所にいってくるとはいって、サボりにいってしまうやうなヤツで、口先では正論を唱える、それも役所の言い分の傘に着て、あれこれいうのですが、だうもへんなやつで、いわれたことにまきこまれてそのときはセットクされてもあとでだうしてこうなっちゃうの?といつも疑問に思う、それに人相も口が捻じ曲がっていて、一見理知的にはみえるが、こころがひねくれているんぢゃないかというやうなヤツで、そういうやつの世話で、ここにいれてもらっているのも、なんだか癪に障るのですが、ともかくも、家ぢゃあ、ああいう風にいっているし、今日突然、保険が終わって明日から来ないでくれといわれても、困るから、彼を探すのですが、彼がいない。それで、彼と同室のもんをとっ捕まえて、彼と連絡をとりたいといえば、彼はさっき出張にでかけたとそいついうので、そいつに出かけた先に連絡をなんとかとってくれないか、一身上の重大事なんだから、相談したいことがあると頼み込むとそいつがそそくさとどっかにきえてもどってきて、あちらも今手が離せない、とらちがあかないので、またベッドにもどってなんかしらんチンドン屋めいた衣装を着こんでまたホールにもどってくると、友人らが、大挙して群れていて、ああ、だんだん、記憶が不鮮明になっていく、その群れのなかにとびこんで、適当に誰かと肩を組むと、こっちむてというほうから、記念写真らしきもんをとられ、これはいったい何をしているの?と問えば、なんだ、昇進記念とか歓送会かと、なんだ、俺は関係ないんだ、と、場面がここでまたざっくりかわって、雨の街といっても、田舎をなんだかでっかいまるまっちい真っ黒なクルマを猛烈なスピードで走らせている、たぶんベントレーかジャガーなんでせうが、

これこれ、けふは昼にベントレーでもジャガーでもなかったけんど、真っ黒なまるまっちいベンツ2ドアのドアをボッコンとへっこますてすまった。なぬそろ、駐車場が悪い!ちうても手遅れで、足腰が立たぬもんが横にのっておったけん、階段のあるレストランは忌諱すて、一階でへえれるとこを物色しとったら、なぬか、380円で、ハンバーグちうようなのぼりののたっちょるイタリアンレストランが現われて、駐車場がねえ気配で見送ろうかとおもったら、あった、あった、あそこに、専用駐車場とある、ちうのんで、急遽そこに中途半端に鼻から突っ込んだケツは車道に一部食み出し、ちょっくら気にはなるもんの、長居するわけでもあらへんけん、ま、よかんべさ、ちうことで、店にへえり、ハンバーグ+ポークソテー+ソーセージ+スープ+大盛ごはん=580円(内税)と海老と浅蜊のペペロンチーノ=680円(内税)にフリードリンク@200円(内税)で、抹茶オレとか、アーモンドカフェオレとか、結構いけますなあ、カモミール+ペッパーミントも、なんぢゃらかんぢゃら、受付のお姉さんもそれなりの可愛さで、自転車ジャージのソレガシへの愛想もよく、おタバコなら、こちらの喫煙席もお使いくださいとか、席が禁煙と喫煙の二箇所にでけて、大いに気をよくしてでてきて、よろめく連れ合い、まあ、女房ですが、ちょっと駐車場から店まであるいたので、具合をききながら、左右のフェンダーミラーで後にクルマのおらへんことを確認してゆっくりのろのろとバックしたら、ドン!

なぬ?とはおもえど、ルームバックミラーに真っ黒いもんがうつっておる、左右のフェンダーミラーにもうつっておる。こりゃあ、ぶっけたわいのお、ちうことで、外にでて、みてみると、これがまるまっち真っ黒なベンツの2ドアクーペで、運転手の中年男の目つきも悪くなく、非難するするわけでもなく、驚いているわけでもなく、単に悲しげにこちらをみているんですね。ふんで、すんぐお詫びして、ぶっけた被害車をレストランの駐車場に移動してもらって、なぬせ、警察を呼ぶとあれこれ時間がかかって、折角の風光る土曜日に自転車ではしれなくなるから、ともかくも、保険で全部、全部+αもなおしますから、いま、保険屋に電話しますから、と・・・

保険屋曰く、お互いに時間がなければ、警察の証明がなくても対応しますので、詳しく情況を・・うんぬんで、ソレガシがまんずうんぬんして、やく15分くらいか、それから被害者からも話を聴きたいちうのんで、中年男に渡すと、突然切れだして、かういうことで時間をロスしているまに、よべば警察がくるんだから、おめえ、とは、彼の連れ合いの大年増の女に、すぐ110番しろ!

それで、まあ、保険屋の好意に聴取にも引き続き応えるには応えたのですが、警察が証明を出すとなれば、保険屋の聴取も簡単になり、5分ほどで電話がこちらにもどってきて、tもかく警察の証明があれば、保険屋も手が省けるうんぬんくんぬんで、もう、こりゃあ、ダメヂャ!

ふんで、信号のある交差点に、相手方の男女と、ソレガシが雁首ならべて、警察を待つのですが、待っても待ってもこない。中年男はだんだんいらだってきて、いったいこの辺は交番だらけなのに、なんでこんなに遅いんだ!

お急ぎですか?

ええ、病院へいくところで・・

はあ、どこかおわるいのですか?

家族が入院しているもんで・・

お住まいは?

○○山で、普段は環八なんですが、混んでいるので、こちらがわから今日はきたんだが・・・

うんがわるかった!申し訳ありません。

うむ。

○○山に、ほら、予約なしで北京ダックを食わせる中華料理屋あったでせう?

香味坊ですか?

さうさう、あっこへはよくいきましたよ。森真一、森正子と子だもたちにもときどきあいました。三回くらい・・・あのへんですよね。

ええ、ええ、でも森真一が住んでいたのはしらなかったなあ。

それから、そのドアの凹み、しっかり修理してくださいよ。ソレガシも同じタイプのだいぶ前のモデルにのっていましたあ、なぬすろ、ベンツの2ドアのドアは弱い、4ドアよりもガラスがでかいのに、ウィンドウモーターが相対的に弱いので、ちょっとしたゆがみのフリクションでガラスが上がらなくなって、何度往生したことか・・徹底的にyらせないとヤナセでも結構いい加減な調整で、あとでトラブルのもとになりますから、金に糸目はつけません、なんせ、保険屋負担なんだから、徹底的に・・・

はい、ありがとうございます。

とだんだん打ち解けてきて、でも、警察はまだこない。

いらいら、いらいら

(だからいったこっちゃない、警察を呼べば時間がかかる、とはいいませんが)、成城警察署からかしら、それとも・・・

そんでも、おそいなあ。

パトカーはネズミ捕りででっぱらっているんぢゃあ、ありませんか?

チャリンコですよ、チャリできますよ、警察は。

あ、さうなんですか?うちのはうぢゃ、パトカーが殺到してくるんんですが、チャリンコ同士の事故でも・・・

ここらへんは、絶対間違いなくチャリンコですよ、そこの公園のところにも、交番はあったし、そっこらぢゅうにあるのに、いったい・・・

もう、いらいらにつきあっていられませんから、木村の心の精神病理でも読むか、とは思えども、それも相手に誠意のない態度だから、ちょっとはなれて紫煙道に邁進しちょれば・・・

やっと、きたきた、遅い!

みれば、桜ヶ丘交番のステッカーを貼ったポリチャリにぷっくらした若い警官が息せき切ってでもあらへんけんど、それなりに急いできた風情であるからして、ソレガシはねぎらいの気持ちをこめて・・・

なんだ、すぐそこの桜ヶ丘からで、こんなに待たされて、おまわりさん、あんたも息を切らして、もうちったあ筋トレ、ママチャリ鍛錬せんばいけまへんわの。

すいません、でも、遅れたのぼくのせいぢゃないのです。110番から交番に連絡が来るのが遅かったので、かうやって、息せき切って駆けつけてきたのです。

にゃらば、手早く処理しましょう、こちらさんも病院へ急ぐ途中だし・・

つうことで、とんとんと事務的に処理して、物損だけだから、簡単で、ソレガシの介護車は若葉マークを貼ったオンボロマーク2ぢゃっけん、おもわりさんのお兄さんがバックで駐車場から出るのを、通るクルマを停めて、誘導で出させてくれる親切さで・・


> > ともかくもこの緊急事態を家に知らせねばならぬ、しかし悲しむぢゃろなあ、とおもいつつ、水しぶきを上げてすっとんでいくと、突然、直進すべき道からクルマがかってに右折したがごとくに、山へ登るやうな急坂の枝道にクルマが突っ込んでいって、どんどん登る、ちうようなもんではのうて、飛んで上がっていく、左右の雨はもう雪、ちうても雪がふっているわけでもなく、左右が汚い汚れた雪塊でそれをボディーで蹴散らしながらすっとんでいくそのバックミラーに一台のクルマがぴったりとくっついてのぼってくる、なんだかタクシーらしい屋根の上のランプもみえて、俺がこんなにぶっとばしているのになかなかやるタクシーだなと思ったら、その急坂の登りの先に突然、大木があらわれ、大木の奥になんだか古い大きな木造の家があって、だうもそこが終点のようではあるが、なんのようもこちらにはないので、さてどうするかとさらにちかづいてゆくと、大木の左にその大きな家の前に入る道があるようなので、そこに突っ込んでいくにも、左右のボディーは雪塊をガンガン擦ってのぽってみると、クルマが何台もとまっておって、砂利敷きの駐車場で、その右の一画、つまり、さっきの大木の幹に添ったところだけがクルマが通れそうな余裕があって、そこを抜ければ、その大きな家の大きな玄関前のようで、ま、えっか、ここっきゃいけぬぢゃけん、とクルマを進めると、その玄関前をすり抜けて大木をぐるっとまわって、また元来たあの急坂の道の天辺、おお、そこにかのタクシーがおって、俺のくるまが大木を廻って出てくるのを待っておったらしく、運転手がタクシーから降りて、旦那さん、気をつけてね、と叫ぶ、そのさきは、なんとお、ごろんごろんした大岩がいくつも急坂に下るその大木の出口、道の入口にある、でも、こちらもスピードがでているから、気をつけてといわれても、もう手遅れで気をつけようもないのですが、心もクルマも至って安定しておって、なんらの不安感も不安定感もなく、そのまんま、その大岩ゴロゴロの上にクルマが差し掛かると、ソレガシの眼はあたかも、クルマのバンパーについているかのごとく、我が今踏みゆく大岩のあれこれを眼前にできるのですが、左車輪は、まさに馬鹿でかい大岩に乗り、その大岩の果てるところの右側は小岩、その小岩に目出度く右車輪が乗り、その大小の裂目は目出度くクルマの腹の下を素通りで、がくがくどんどんがっくん、ともせずにまことにスムースに岩をバリヤ、ま、道ともいえぬ、岩ごろごろを超えてタクシーの運ちゃんが待っている急坂入口までいくと、その運ちゃんがにこにこしていて、お礼がてらここはどこ?と尋ねると、なんとか神社というのですが、たしかにその神社、むっかし来た事がある、下りゆく道のあちこちに異様なさまで、腹をこちらにむけて首を伸ばした大亀が、甲羅ならぬ大小屋を背に立っているし、龍がひっからまった剣も立っていたか、どうかはさだかならぬ、記憶がだんだんフェードアウトして、目が覚めてしまったわけで、なんだか、とても危険な夢の割には、一切の動悸もわくわくもなく汗も奇声ももちろんなく、淡々とこの危険な夢を乗り越えてきたやうなわけで・・・
> >
> > > > > 子供時代の原風景や、抜けがたい記憶というものは、その後の人間の生涯の底流に>無意識に流れている。あるいは澱んでいる?そういうことが、詩人や作家の言葉、画家の風景画や幼子の肖像画などに隠されている。
> > > >
> > > > しかり。
> > > >
> > > > > それを他者は「またか…。」という反応を示すか?「これが彼あるいは彼女の感性の源か?」と思うことで、他者は試される。のではないか?
> > > >
> > > > 他者が試される?
> > >
> > > >誰に?
> > >
> > > >私が他者を試すのですか?
> > >
> > > 「他者」とは、この場合においては、上記の詩人や作家や画家に対しての「他者」ですので「自分」のことです。自分の感性が試されるということです。以上です。
> >
> > はい、そうでしたか。ありがとう。
> >
> > だうも、ソレガシは勝手に、解釈する悪い癖があって、誤解したやうで申し訳けなく・・・
>
> 親切が仇になりけり寒たまご

んったく、介護車を土曜日に出した己が親切、ちうても己が家族のことですから、親切もあたりまえといえばあたりまえで、そんでも、その好意で、声をかけて労わっておったら、このザマですから、この一句もまんざら、はずれではありませんでした。すっかす、寒たまご、の季語が生きるほどに、コロンブスの卵になるか、今後の栄養になるか、まあ、当事者次第でせうなあ。


やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53824] 暗い記事で心を暗くさせたまんではもうしわけないので・・ 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/02/26(Sat) 08:54  

るらほうよANNEX−Ω   訪問者数:2348195(今日:131/昨日:592)2011/02/26(Sat) 08:45

The Power of Love by Andrea Bocelli
http://www.youtube.com/watch?v=Esq0U_lvgsA&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=11

これは

Celine Dion The Power Of Love Lyrics
http://www.youtube.com/watch?v=9BHoj8uFdr8&feature=BF&list=QL&index=6

も、うたっておって、甲乙つけがたいいあじわいではるが、ソレガシはやっぱす男であるからすて、Andrea Bocelliのはうがええが、可愛さではやっぱすCeline Dionか。

あの、けさの夢、それに無意識につけた土器、それらをあわしてもあわせんでも、あの神社がどこに神社であったか、おぼろげながら無意識から意識にのぼってきたので、書きたいのですが、なぬせ、足腰たたぬものがやっと立つようやうになってもまだまだなので、介護車にのっけて都心まで走らねばいかん、暗い記事で心を暗くさせたまんではもうしわけないので・・

風光る街をゆかばや気分一新

やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53823] 出遭Re:[53822] 勝手に、解釈する悪い癖があって、誤解したやうで申し訳けなく・・・Re:[53821] ここだけ訂正しますが 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/02/26(Sat) 07:58  

たむあせやANNEX−Ω   訪問者数:2348172(今日:108/昨日:592)2011/02/26(Sat) 07:38

土偶さ^ふぃんをしちょったらかういうのに出遭った。

#39 恥ずかしい発見  −A shameful discovery was done−
http://www.youtube.com/watch?v=OtmGUxGT8Q4&NR=1&feature=fvwp

大切な無駄毛残してなほ余寒

> おねわいたANNEX−Ω   訪問者数:2348112(今日:48/昨日:592)2011/02/26(Sat) 03:23
>
> 土偶の世界:DOGU-The clay figure of ancient Japan
> http://www.youtube.com/watch?v=hixCQ-926-Q
>
> ゆうべの21:21のなすのせせさんの記事も今初めてみるちうことは、それ以前にねてしまったソレガシ、3時にへんな夢を見てべつに焦りもしませんでしたが、ぬくぬくと起きだしてションベンをしてよもぎ大福を一個くって、タバコを一服して、はて?あの変な夢を誰にでもみれるここに書くべきかいなか、いなか、う〜む、田舎の光景の話からあらぬ方向に話題がながれていますが、ともかくも、ちょっと夢の象徴の数多を頭んなかで整理して振り分けも夢の意味が解せず、かといって、気にはなる夢で、ソレガシはファラオではありませんから、隣のイスラエルの奴隷の夢解釈をするイスラエルの神にまもられた奴隷をつれてこさせて解釈させるわけにもまいらず、さて、だうしたもんか、書いておかねば、永遠に忘れるであらう、嗚呼、さういえば、きのうバイクではしっているときに、二句、浮かんだ、それも大盛のトンカツ定食にコロッケも盛り合わせてもらって650円を食ってしまったら、もうわすれてでてこぬ、その忘れた句がこれが、忘れてみるとまことに秀句で、残念の極み、とくに、下五が、指を折れば8文字でしたが、擦過音、っ、ですね、それが一つと、ん、が二つで、これらの、つまった、っ、と、ん、は数えても数えなくてもええ、うむ。これは初心者むけには、ええ例題でもあるなあ、帰ったら是非書いておこう、と思いながら、春一番が吹いてたいへんだったでせう、ちうトンカツ屋の女将さんの会話に引きこまれて、放念してしまったのだ、だから、今の夢も、ああ、トンカツの話で忘れてしまう・・・
>
> なんだかしらぬ一人ベットに寝ていて、そこは寄宿舎か病院か、ひろい部屋で、窓の外は雨なんですね。体育の時間なんだが、雨だば無理だんべ、ちうことで、ベッドでうだうだしておったら、そのがらんどうの部屋に舎監のやうなもんが来て、授業が雨だから体育から歴史にかわって、体育館でやる、と告げてきたのですが、その歴史の時間ちうのんは、ずっとさぼりっぱなしで、なんだか、出て行くのも億劫だなあ、ということでうじうじベッドの枕元やシーツのうえの教科書とかお菓子を弄くっていると、突然光景は家になって、もう、おまえだけがたよりなんだよ、兄弟もみんなだめなんだから、おまえだけがたよりなんだよ、それでもおまえが立派に寄宿舎だか病院にはいって立派に稼いでくれるからなんとかやっていける、こんどはおまえのいるところにいってみたい、ああ、いつでもきてくれよ、でもあんなちっぽけなお手当てがたよりぢゃ・・・ちうところで、また光景は、その病室か寄宿舎の部屋にもどって寝ていると、また舎監めいた誰かきて、ちょっと健康保険だか傷害保険だか、なぬかを出しなさい、というので、ベッドのそばの小物入れからだして差し出すと、今日で君の保険はおしまいだから、明日からこないでください、というのですね。え!と驚いて、ベッドが飛び降りて、さて、かのいやな歴史の講義をしている体育館へ急ごうとすると、ホールに人が群れていて、だれも体育館へいった気配も行く気配もないのです。おかしいなとここに入るに世話になったひとを探したのだけれども、それがやなヤツで、現役時代に、多少のお付き合いはあった先輩に良く似ているやつなんだけれども、そのやつは、調子が良くてよく通産省の担当であったから、役所にいってくるとはいって、サボりにいってしまうやうなヤツで、口先では正論を唱える、それも役所の言い分の傘に着て、あれこれいうのですが、だうもへんなやつで、いわれたことにまきこまれてそのときはセットクされてもあとでだうしてこうなっちゃうの?といつも疑問に思う、それに人相も口が捻じ曲がっていて、一見理知的にはみえるが、こころがひねくれているんぢゃないかというやうなヤツで、そういうやつの世話で、ここにいれてもらっているのも、なんだか癪に障るのですが、ともかくも、家ぢゃあ、ああいう風にいっているし、今日突然、保険が終わって明日から来ないでくれといわれても、困るから、彼を探すのですが、彼がいない。それで、彼と同室のもんをとっ捕まえて、彼と連絡をとりたいといえば、彼はさっき出張にでかけたとそいついうので、そいつに出かけた先に連絡をなんとかとってくれないか、一身上の重大事なんだから、相談したいことがあると頼み込むとそいつがそそくさとどっかにきえてもどってきて、あちらも今手が離せない、とらちがあかないので、またベッドにもどってなんかしらんチンドン屋めいた衣装を着こんでまたホールにもどってくると、友人らが、大挙して群れていて、ああ、だんだん、記憶が不鮮明になっていく、その群れのなかにとびこんで、適当に誰かと肩を組むと、こっちむてというほうから、記念写真らしきもんをとられ、これはいったい何をしているの?と問えば、なんだ、昇進記念とか歓送会かと、なんだ、俺は関係ないんだ、と、場面がここでまたざっくりかわって、雨の街といっても、田舎をなんだかでっかいまるまっちい真っ黒なクルマを猛烈なスピードで走らせている、たぶんベントレーかジャガーなんでせうが、ともかくもこの緊急事態を家に知らせねばならぬ、しかし悲しむぢゃろなあ、とおもいつつ、水しぶきを上げてすっとんでいくと、突然、直進すべき道からクルマがかってに右折したがごとくに、山へ登るやうな急坂の枝道にクルマが突っ込んでいって、どんどん登る、ちうようなもんではのうて、飛んで上がっていく、左右の雨はもう雪、ちうても雪がふっているわけでもなく、左右が汚い汚れた雪塊でそれをボディーで蹴散らしながらすっとんでいくそのバックミラーに一台のクルマがぴったりとくっついてのぼってくる、なんだかタクシーらしい屋根の上のランプもみえて、俺がこんなにぶっとばしているのになかなかやるタクシーだなと思ったら、その急坂の登りの先に突然、大木があらわれ、大木の奥になんだか古い大きな木造の家があって、だうもそこが終点のようではあるが、なんのようもこちらにはないので、さてどうするかとさらにちかづいてゆくと、大木の左にその大きな家の前に入る道があるようなので、そこに突っ込んでいくにも、左右のボディーは雪塊をガンガン擦ってのぽってみると、クルマが何台もとまっておって、砂利敷きの駐車場で、その右の一画、つまり、さっきの大木の幹に添ったところだけがクルマが通れそうな余裕があって、そこを抜ければ、その大きな家の大きな玄関前のようで、ま、えっか、ここっきゃいけぬぢゃけん、とクルマを進めると、その玄関前をすり抜けて大木をぐるっとまわって、また元来たあの急坂の道の天辺、おお、そこにかのタクシーがおって、俺のくるまが大木を廻って出てくるのを待っておったらしく、運転手がタクシーから降りて、旦那さん、気をつけてね、と叫ぶ、そのさきは、なんとお、ごろんごろんした大岩がいくつも急坂に下るその大木の出口、道の入口にある、でも、こちらもスピードがでているから、気をつけてといわれても、もう手遅れで気をつけようもないのですが、心もクルマも至って安定しておって、なんらの不安感も不安定感もなく、そのまんま、その大岩ゴロゴロの上にクルマが差し掛かると、ソレガシの眼はあたかも、クルマのバンパーについているかのごとく、我が今踏みゆく大岩のあれこれを眼前にできるのですが、左車輪は、まさに馬鹿でかい大岩に乗り、その大岩の果てるところの右側は小岩、その小岩に目出度く右車輪が乗り、その大小の裂目は目出度くクルマの腹の下を素通りで、がくがくどんどんがっくん、ともせずにまことにスムースに岩をバリヤ、ま、道ともいえぬ、岩ごろごろを超えてタクシーの運ちゃんが待っている急坂入口までいくと、その運ちゃんがにこにこしていて、お礼がてらここはどこ?と尋ねると、なんとか神社というのですが、たしかにその神社、むっかし来た事がある、下りゆく道のあちこちに異様なさまで、腹をこちらにむけて首を伸ばした大亀が、甲羅ならぬ大小屋を背に立っているし、龍がひっからまった剣も立っていたか、どうかはさだかならぬ、記憶がだんだんフェードアウトして、目が覚めてしまったわけで、なんだか、とても危険な夢の割には、一切の動悸もわくわくもなく汗も奇声ももちろんなく、淡々とこの危険な夢を乗り越えてきたやうなわけで・・・
>
> > > > 子供時代の原風景や、抜けがたい記憶というものは、その後の人間の生涯の底流に>無意識に流れている。あるいは澱んでいる?そういうことが、詩人や作家の言葉、画家の風景画や幼子の肖像画などに隠されている。
> > >
> > > しかり。
> > >
> > > > それを他者は「またか…。」という反応を示すか?「これが彼あるいは彼女の感性の源か?」と思うことで、他者は試される。のではないか?
> > >
> > > 他者が試される?
> >
> > >誰に?
> >
> > >私が他者を試すのですか?
> >
> > 「他者」とは、この場合においては、上記の詩人や作家や画家に対しての「他者」ですので「自分」のことです。自分の感性が試されるということです。以上です。
>
> はい、そうでしたか。ありがとう。
>
> だうも、ソレガシは勝手に、解釈する悪い癖があって、誤解したやうで申し訳けなく・・・

親切が仇になりけり寒たまご

やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53822] 勝手に、解釈する悪い癖があって、誤解したやうで申し訳けなく・・・Re:[53821] ここだけ訂正しますが 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/02/26(Sat) 04:32  

おねわいたANNEX−Ω   訪問者数:2348112(今日:48/昨日:592)2011/02/26(Sat) 03:23

土偶の世界:DOGU-The clay figure of ancient Japan
http://www.youtube.com/watch?v=hixCQ-926-Q

ゆうべの21:21のなすのせせさんの記事も今初めてみるちうことは、それ以前にねてしまったソレガシ、3時にへんな夢を見てべつに焦りもしませんでしたが、ぬくぬくと起きだしてションベンをしてよもぎ大福を一個くって、タバコを一服して、はて?あの変な夢を誰にでもみれるここに書くべきかいなか、いなか、う〜む、田舎の光景の話からあらぬ方向に話題がながれていますが、ともかくも、ちょっと夢の象徴の数多を頭んなかで整理して振り分けも夢の意味が解せず、かといって、気にはなる夢で、ソレガシはファラオではありませんから、隣のイスラエルの奴隷の夢解釈をするイスラエルの神にまもられた奴隷をつれてこさせて解釈させるわけにもまいらず、さて、だうしたもんか、書いておかねば、永遠に忘れるであらう、嗚呼、さういえば、きのうバイクではしっているときに、二句、浮かんだ、それも大盛のトンカツ定食にコロッケも盛り合わせてもらって650円を食ってしまったら、もうわすれてでてこぬ、その忘れた句がこれが、忘れてみるとまことに秀句で、残念の極み、とくに、下五が、指を折れば8文字でしたが、擦過音、っ、ですね、それが一つと、ん、が二つで、これらの、つまった、っ、と、ん、は数えても数えなくてもええ、うむ。これは初心者むけには、ええ例題でもあるなあ、帰ったら是非書いておこう、と思いながら、春一番が吹いてたいへんだったでせう、ちうトンカツ屋の女将さんの会話に引きこまれて、放念してしまったのだ、だから、今の夢も、ああ、トンカツの話で忘れてしまう・・・

なんだかしらぬ一人ベットに寝ていて、そこは寄宿舎か病院か、ひろい部屋で、窓の外は雨なんですね。体育の時間なんだが、雨だば無理だんべ、ちうことで、ベッドでうだうだしておったら、そのがらんどうの部屋に舎監のやうなもんが来て、授業が雨だから体育から歴史にかわって、体育館でやる、と告げてきたのですが、その歴史の時間ちうのんは、ずっとさぼりっぱなしで、なんだか、出て行くのも億劫だなあ、ということでうじうじベッドの枕元やシーツのうえの教科書とかお菓子を弄くっていると、突然光景は家になって、もう、おまえだけがたよりなんだよ、兄弟もみんなだめなんだから、おまえだけがたよりなんだよ、それでもおまえが立派に寄宿舎だか病院にはいって立派に稼いでくれるからなんとかやっていける、こんどはおまえのいるところにいってみたい、ああ、いつでもきてくれよ、でもあんなちっぽけなお手当てがたよりぢゃ・・・ちうところで、また光景は、その病室か寄宿舎の部屋にもどって寝ていると、また舎監めいた誰かきて、ちょっと健康保険だか傷害保険だか、なぬかを出しなさい、というので、ベッドのそばの小物入れからだして差し出すと、今日で君の保険はおしまいだから、明日からこないでください、というのですね。え!と驚いて、ベッドが飛び降りて、さて、かのいやな歴史の講義をしている体育館へ急ごうとすると、ホールに人が群れていて、だれも体育館へいった気配も行く気配もないのです。おかしいなとここに入るに世話になったひとを探したのだけれども、それがやなヤツで、現役時代に、多少のお付き合いはあった先輩に良く似ているやつなんだけれども、そのやつは、調子が良くてよく通産省の担当であったから、役所にいってくるとはいって、サボりにいってしまうやうなヤツで、口先では正論を唱える、それも役所の言い分の傘に着て、あれこれいうのですが、だうもへんなやつで、いわれたことにまきこまれてそのときはセットクされてもあとでだうしてこうなっちゃうの?といつも疑問に思う、それに人相も口が捻じ曲がっていて、一見理知的にはみえるが、こころがひねくれているんぢゃないかというやうなヤツで、そういうやつの世話で、ここにいれてもらっているのも、なんだか癪に障るのですが、ともかくも、家ぢゃあ、ああいう風にいっているし、今日突然、保険が終わって明日から来ないでくれといわれても、困るから、彼を探すのですが、彼がいない。それで、彼と同室のもんをとっ捕まえて、彼と連絡をとりたいといえば、彼はさっき出張にでかけたとそいついうので、そいつに出かけた先に連絡をなんとかとってくれないか、一身上の重大事なんだから、相談したいことがあると頼み込むとそいつがそそくさとどっかにきえてもどってきて、あちらも今手が離せない、とらちがあかないので、またベッドにもどってなんかしらんチンドン屋めいた衣装を着こんでまたホールにもどってくると、友人らが、大挙して群れていて、ああ、だんだん、記憶が不鮮明になっていく、その群れのなかにとびこんで、適当に誰かと肩を組むと、こっちむてというほうから、記念写真らしきもんをとられ、これはいったい何をしているの?と問えば、なんだ、昇進記念とか歓送会かと、なんだ、俺は関係ないんだ、と、場面がここでまたざっくりかわって、雨の街といっても、田舎をなんだかでっかいまるまっちい真っ黒なクルマを猛烈なスピードで走らせている、たぶんベントレーかジャガーなんでせうが、ともかくもこの緊急事態を家に知らせねばならぬ、しかし悲しむぢゃろなあ、とおもいつつ、水しぶきを上げてすっとんでいくと、突然、直進すべき道からクルマがかってに右折したがごとくに、山へ登るやうな急坂の枝道にクルマが突っ込んでいって、どんどん登る、ちうようなもんではのうて、飛んで上がっていく、左右の雨はもう雪、ちうても雪がふっているわけでもなく、左右が汚い汚れた雪塊でそれをボディーで蹴散らしながらすっとんでいくそのバックミラーに一台のクルマがぴったりとくっついてのぼってくる、なんだかタクシーらしい屋根の上のランプもみえて、俺がこんなにぶっとばしているのになかなかやるタクシーだなと思ったら、その急坂の登りの先に突然、大木があらわれ、大木の奥になんだか古い大きな木造の家があって、だうもそこが終点のようではあるが、なんのようもこちらにはないので、さてどうするかとさらにちかづいてゆくと、大木の左にその大きな家の前に入る道があるようなので、そこに突っ込んでいくにも、左右のボディーは雪塊をガンガン擦ってのぽってみると、クルマが何台もとまっておって、砂利敷きの駐車場で、その右の一画、つまり、さっきの大木の幹に添ったところだけがクルマが通れそうな余裕があって、そこを抜ければ、その大きな家の大きな玄関前のようで、ま、えっか、ここっきゃいけぬぢゃけん、とクルマを進めると、その玄関前をすり抜けて大木をぐるっとまわって、また元来たあの急坂の道の天辺、おお、そこにかのタクシーがおって、俺のくるまが大木を廻って出てくるのを待っておったらしく、運転手がタクシーから降りて、旦那さん、気をつけてね、と叫ぶ、そのさきは、なんとお、ごろんごろんした大岩がいくつも急坂に下るその大木の出口、道の入口にある、でも、こちらもスピードがでているから、気をつけてといわれても、もう手遅れで気をつけようもないのですが、心もクルマも至って安定しておって、なんらの不安感も不安定感もなく、そのまんま、その大岩ゴロゴロの上にクルマが差し掛かると、ソレガシの眼はあたかも、クルマのバンパーについているかのごとく、我が今踏みゆく大岩のあれこれを眼前にできるのですが、左車輪は、まさに馬鹿でかい大岩に乗り、その大岩の果てるところの右側は小岩、その小岩に目出度く右車輪が乗り、その大小の裂目は目出度くクルマの腹の下を素通りで、がくがくどんどんがっくん、ともせずにまことにスムースに岩をバリヤ、ま、道ともいえぬ、岩ごろごろを超えてタクシーの運ちゃんが待っている急坂入口までいくと、その運ちゃんがにこにこしていて、お礼がてらここはどこ?と尋ねると、なんとか神社というのですが、たしかにその神社、むっかし来た事がある、下りゆく道のあちこちに異様なさまで、腹をこちらにむけて首を伸ばした大亀が、甲羅ならぬ大小屋を背に立っているし、龍がひっからまった剣も立っていたか、どうかはさだかならぬ、記憶がだんだんフェードアウトして、目が覚めてしまったわけで、なんだか、とても危険な夢の割には、一切の動悸もわくわくもなく汗も奇声ももちろんなく、淡々とこの危険な夢を乗り越えてきたやうなわけで・・・

> > > 子供時代の原風景や、抜けがたい記憶というものは、その後の人間の生涯の底流に>無意識に流れている。あるいは澱んでいる?そういうことが、詩人や作家の言葉、画家の風景画や幼子の肖像画などに隠されている。
> >
> > しかり。
> >
> > > それを他者は「またか…。」という反応を示すか?「これが彼あるいは彼女の感性の源か?」と思うことで、他者は試される。のではないか?
> >
> > 他者が試される?
>
> >誰に?
>
> >私が他者を試すのですか?
>
> 「他者」とは、この場合においては、上記の詩人や作家や画家に対しての「他者」ですので「自分」のことです。自分の感性が試されるということです。以上です。

はい、そうでしたか。ありがとう。

だうも、ソレガシは勝手に、解釈する悪い癖があって、誤解したやうで申し訳けなく・・・

やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53821] ここだけ訂正しますが 投稿者:なすのせせ 投稿日:2011/02/25(Fri) 21:21  

> > 子供時代の原風景や、抜けがたい記憶というものは、その後の人間の生涯の底流に>無意識に流れている。あるいは澱んでいる?そういうことが、詩人や作家の言葉、画家の風景画や幼子の肖像画などに隠されている。
>
> しかり。
>
> > それを他者は「またか…。」という反応を示すか?「これが彼あるいは彼女の感性の源か?」と思うことで、他者は試される。のではないか?
>
> 他者が試される?

>誰に?

>私が他者を試すのですか?

「他者」とは、この場合においては、上記の詩人や作家や画家に対しての「他者」ですので「自分」のことです。自分の感性が試されるということです。以上です。


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