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[53738] 中東に雑文のネタ探し 投稿者:yoonglee 投稿日:2011/02/05(Sat) 13:42  

 何を偉そうにボケをこくか、梵。あんたの事故の示談はどうなった?
 
 おいらの事故だが、2年前のはまだ裁判中。そこにきてこれ。これを当然裁判になるだろうとも思うが、うむ。
 保険屋に交渉してもあかんねえ。
 が、痛いことは痛い。今回のは肩の筋が切れた。プロ野球選手に多いが、おいらは落車が原因。店が出鱈目な整備をした結果。

 いずれにしても、命だけは無事だったからいいが、うむ。

 今後だが、半年はリハビリが続くらしい。困ったのは3月から二カ月ほど中東に行く計画をどうするか。どんな国にもリハビリ病院はあるが、そこで理学療法師に週に何度か見てもらうことにしたいが、大都市じゃないといないと思う。難儀だぞ。
 インドからパキスタン、その前にアフガニスタン。そしてイラン、イラク、オーマン、イスラエル、エジプト、トルコあたりをバスを使って移動する気だが、どうじゃ。


[53737] m と w 逆さまなのです。Re:[53736]> ONE〜ONLY〜LONELY〜ALONERe:[ [53734] What makes a man a manRe:[53733] 相反するもの、裂目にこそ真実というか、なにものかが、全否定のなかの全肯定もあるわけであって、それでこそ相反する感情や論理や生き方のもろもろを味わい楽しめるというものですね。Re:[53731] いづれ歌曲をふくめて使いようによっては躁鬱の癒しに良く効きますね。Re:[53730] 絶対的な満足はどこまで達し得られるものか、Re:[53727] 一切のものが、わたしの小宇宙的な浄福のなかで、ふしぎに浄化されていた、その浄福がみずからのなかであらゆるものを、不愉快なことも、退屈きわまる人の言葉も、目に映る忌わしいものの姿も、どれほど宿命的ないさかいをも、浄化したのであった。しかしこの瞬間に、わたしが絶望のどん底にころび落ちたことだけは確かである。Re:[53726] なんじ、わたしの幸福なる自己よ、おまえの物悲しいせせらぎによって救われ解放されていたのだ!Re:[53719] 舞台は隠れた個人の影絵芝居にふさわしい。Re:[53715] 最後の審判の日に、自分自身で出頭することもできずに、気のきいた目論見とか、その日一日だけの決心とか、半時間きりの計画とかなどを身代わりに出頭させる人間Re:[53712] 現実的な姿が目の前にありながら、それが見えないのである。Re:[53710] インテレサントなものに心ひかれぬ娘は反復を信ずる、時を経てそうなった娘に栄誉あれ。Re:[53709] 女の誠実さというものは偉大なものだ、とりわけ男の要求をその厚意に感謝しながら懇ろに断る場合にそうである。Re:[53708] 関係はできたが実現の見込みはないという場合には、思いやりが最大の侮辱である。Re:[53706] わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。Re:[53703] 神よ、すべての男をそういう誠実さから守りたまえ!Re:[53699] 自分自身の死刑判決書Re:[53698] 汝(いまし)へのあこがれ絶えずRe:[53692] わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。Re:[53690] もし反復ということがなかったら、人生とはそもそも何であろう?Re:[53677] ぼくの苦痛と悩みには名前がありません。Re:[53676] ・・・Re:[53674] わが沈黙の共犯者よ! 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/02/05(Sat) 10:51  

んらにへつANNEX−Ω   訪問者数:2328732(今日:178/昨日:457)2011/02/05(Sat) 10:35

大切なことを書き漏らした。これをもらしては意味不明になるやもしれん。

Ray Charles - Song For You (1994)
http://www.youtube.com/watch?v=JSlv_n-gBmk&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=26

Ray Charles - A Song For You (1999)
http://www.youtube.com/watch?v=jgZTvLFRYrE&feature=BF&list=QL&index=27

この5年間の老い方、ひとりの他人の人生から多様なる己の味わいが味得されますね。

それはともかく・・

> るやくまはANNEX−Ω   訪問者数:2328712(今日:158/昨日:457)2011/02/05(Sat) 08:58
>
> Nancy Wilson, When October Goes
> http://www.youtube.com/watch?v=Oh0l2wle7qY&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=57
>
> んったく嫌なくっちゃべり〜くんがまた見ても会ってもおらぬあちこちに妄想でシャシャリデテきて、あれこれとオセッカイと差し出がましいことをやっちょるのんで吐き気がするのが祟ったのか、はたまた世界中の美女が歌いまくる名曲の堪能のしずぎか、夜中の2時すぎにふと夢のなかに美しい魔女があらわれみるまにそれが魔法使いのお婆さんに変貌したとたんに寝る前から多少痛かった背中よりは、胃の痛みか、超デカイお稲荷さんをドンブリ飯2杯の前後に間食で10数個平らげたのんで、消化が間に合わなっかたのか、ともかく腹苦しく目が覚め、めったに飲まぬ薬ゆえどこになぬがあるんかもわからんのんで、前屈して胃を抱えるやうにして、冷え切った廊下の奥の女房の寝室までふらふらといって訴えれば、たべすぎだとぶつくさいいながら起きて、なんぢゃ?ビオフェルミン?腸ぢゃねえ、胃ぢゃ、胃じゃ、とはいいつつ数粒のんでまたチャリンコのジャングルのど真ん中のベッドに戻れば、いかにせん、胃の辺りか心臓の辺りもムカツクが背中も痛い、寝すぎか、とも思えど、ま、それほどヘタッタベッドに腰と背中を沈めて寝ている時間もさしたるもんではあらへんのんで、だうも、これは、食いすぎの胃、ちうても、そんなことは日常茶飯事であるし、心臓の発作、これもめったにないし、腎臓の結石か、これも7つが消えたアポカリプスであるからして、不可解ではあるもんの、いやなくっちゃべり〜くんのオセッカイで夢にでてきた魔女、魔法使いに触発されて、ちうても、その風貌をよく見極めれば、だうもライザミネリに似ておらんこともねえんぢゃが、胃と心臓と腎臓が一辺に発作を起こしたのかもしらん、ベッドに寝たり蹲ったりして一向に苦しみが去らぬのんで、また奥から女房を呼んで、食卓の椅子の背に手をかけて丸めた背中をさすってさすって、かうかう、暖房がつけっぱなしでも、冷えてきますから、風邪をひいてはいけない、ちう思いやりも、お互いにもちうるほどにこころの余裕もでけてくれば、あら、不思議、やはり手当ての効用絶大なるもんがあるんでせうか、胃と心臓と腎臓が融合してしまったやうな重苦しさ痛みがみるみる、ちうより感じ感じに薄らいで、ほぼ尋常な爽快でもなく、苦痛でもない、普通の状態に回復しましてめでたしで、フライングで救急車なんぞ呼んで世間にご迷惑をかけんでよかった、それもあすは病院へいってらっしゃいちう助言も苦痛が去った今は昔、また起こったらそのときにすんべえ、それまで様子見ちうことで、かうしている次第どすが、なぬせ、あのオセッカイでシャシャリデ好きのくっちゃべり〜君なんぞは大嫌いで、なぬか、北風くんが、梵はやさしいから、とかいっておったが、ちっともやさしくはない、ああいう、阿呆は阿呆といってあげねば阿呆も卒業でけん、ちうことで云いたい放題なんどすが、ま、それがやさしさと善意にとられればやさしさなんかもしれませんが、畢竟、あの阿呆、バカさ加減は、ソレガシの身自身にもあるもんどすけん、それを云い募るわけであって、ああいうアホバカに比して、慎ましやかにでてくる、あれはなちうたか?ああ、なすのせせさんであったか、ああいうやさしさは、まことに心休まるもんがあって好きですが、くっちゃべり〜の類は大嫌いで、ビョーキになる!ビョーキを蔓延させる黴菌めいた存在であって、かの尿簿さんか、ああいうたまにちくりと鍼灸めいた鯊のてんぷら、河豚の毒刺めいたもんいれば体も休まらうちうもんどすが、なぬせ、かういう文字に接すると、また余分なことを考えてしまう・・・
>
> 体、休ちうこの二文字、体には横一本の短い棒があって、休には棒がない、なんでなんだろ?
>
> one
>
> これは、横一本の棒で、一でもありまして、これは、単に数字の概念のみではなく、己の一己に通じるものでありますれば、古来、印度で無限の概念が構築される以前に一なるもんは、すべての無限の根源かもしれず、ゆえに、一即多、一即他でもありませうが、その一にして英語でいけば・・
>
> ONE〜ONLY〜LONELY〜ALONE
>
> かういうONEの言葉の連想つらなりも、ま、歌曲の幾許か、それに中毒しちょろうが、耽溺しちょろうが、その英語の詩の味わいなんぞも、散文英語からはえられぬ気づきもまた到来しますけん、基調にして貴重なもので、同様の体でいけば、とはいえ、ほとんど冗談にして諧謔ですから、真に受けてパニックになられては、困るのですが・・・
>
> m 対 w

ここ、なんでmとwなのか、を云うのを忘れた。

つまり、m と w 逆さまなのです。

ちう意味は、文字絵通りにMを逆さまにすればWになる。是は大文字ですが・・

小文字の m は、まことに mild ちうことは、背中が丸まっていて棘がない、棘は下向きなんですが、wちうふうにmを逆さまにするってえと、棘が上向きになって、刺々しくなってくるんですね。そのwildさ。だから・・

> 例えば
>
> mild ⇔ wild
>
> ならば
>
> man ⇔ woman
>
> woo!
>
> evil → devil
>
> はむかしやりましたが、それにしても
>
> devilはなんで男なんだらう?
>
>
> > ぬこおいふANNEX−Ω   訪問者数:2328214(今日:117/昨日:402)2011/02/04(Fri) 08:03
> >
> > Lara Fabian - Comme ils disent
> > http://www.youtube.com/watch?v=X7nT8AxI6Ik&feature=BF&list=QL&index=23
> >
> > Comme Ils Disent
> > Lara Fabian
>
> 仏蘭西語の原詩は画像にあり、スペースがたらぬので、カットして・・
>
> > english translation :
> >
> > My mum and I we live alone
> > A great apartment is our home
> > In fairhome towers
> > I have to keep me company
> > Two cats, a dog, a parakeet
> > Some plants and flowers
> > I help my mother with the chores
> > I wash, she dries, I do the floors
> > We work together
> > I shop and cook and sew a bit
> > Though mum does too I must admit
> > I do it better
> > At night I work in a strange bar
> > Impersonating every star
> > I'm quite deceiving
> > The customers come in with doubt
> > And wonder what I'm all about
> > But leave believing
> > I do a very special show
> > Where I am nude from head to toe
> > After stripteasing
> > Each night the men look so surprised
> > I change my sex before their eyes
> > Tell me if you can
> > What makes a man a man
> >
> > Round 3 o'clock or so I meet
> > With friends to have a bite to eat
> > And conversation
> > We talk and empty out our hearts
> > On every subject from the arts
> > To liberation
> > We love to pull apart someone
> > And spread some gossip just for fun
> > Or start a rumour
> > We let our hair down, so to speak
> > And mock ourselves with tongue-in-cheek
> > And inside humour
> > So many times we have to pay
> > For having fun and being gay
> > It's not amusing
> > There's always those who spoil our games
> > By finding fault and calling names
> > Always accusing
> > They draw attention to themselves
> > At the expense of someone else
> > It's so confusing
> > Yet they make fun of how I talk
> > And imitate the way I walk
> > Tell me if you can
> > What makes a man a man
> >
> > My masquerade comes to an end
> > And I go home to bed again
> > Alone and friendless
> > I close my eyes and think of him
> > And fantasize what might have been
> > My dreams are endless
> > We love each other but it seems
> > The love lives only in my dreams
> > It's so one-sided
> > But in this life I must confess
> > The search for love and happiness
> > Is unrequited
> > I ask myself what have I got
> > And what I am and what I'm not
> > What am I giving
> > The answers come from those who make
> > The rules that some of us must break
> > Just to keep living
> > I know my life is not a crime
> > I'm just a victim of my time
> > I stand defenceless
> > Nobody has the right to be
> > The judge of what is right for me
> > Tell me if you can
> > What makes a man a man...
> >
> > Liza Minnelli "What Makes A Man A Man"
> > http://www.youtube.com/watch?v=MCw2W6rZaGo&feature=BF&list=QL&index=31
> >
> > Charles Aznavour-Comme ils disent
> > http://www.youtube.com/watch?v=6WLAGwndSg0&feature=BF&list=QL&index=8
> >
> > かういう裂目も同じことです。泣けてきますね。満場の拍手。
> >
> > > Phantom of the Opera - All I Ask Of You W/ LYRICS
> > > http://www.youtube.com/watch?v=s1_5hhr6niQ&feature=BF&list=QL&index=4
>
> > > 同調と対抗の図式の身体論、身は精神と肉体を止揚する、内外の媒介で、そこから発する言葉もおなじことでせうが、それが渦を巻いて吹き付けてくる、糞味噌一緒のサイクロンめいた脳みそが太陽の熱線で熱すれば、まあ、いろんな景色がみえてくるわけで・・
> >
> >
> > > > Jon Hassell - Amsterdam Blue
> > > > http://www.youtube.com/watch?v=dz40YrNBje4&feature=autoplay&list=QL&index=3&playnext=3
> > > > わたしの忘れがたい保母よ、わたしの父の庭づたいに流れてゆく小川に住むなんじつかまえがたい水の精(ニンフ)よ、おまえはおまえ自身のことだけに心を使っていたけれど、それでもいつも子供の遊びに加わり遊び相手になってくれた!なんじ忠実なる慰安者よ、おまえは幾歳を経てなおおまえの無垢な純粋さを持ちつづけている。わたしがすでに老いさらばえてしまったのに、おまえはちっとも年をとってはいない。なんじ安らかな水の精(ニンフ)よ、人間に倦み、わたし自身に倦んで憩いのためにわたしが永遠を必要としたとき、悲嘆にくれてわたしが忘却のために永遠を必要としたとき、そのたびごとにいつもわたしはおまえのところに逃がれていった。人間たちが永遠を時間と同じようにせわしないものにし、時間よりももっと空恐ろしいものにしてわたしに拒もうとしたものを、おまえはわたしに拒まなかった。そういうとき、わたしはおまえの傍らに身を横たえ、わたし自身から逃がれて、頭上の広い広い蒼空へ消えていった、そして眠りをさそうおまえの囁きに、わたし自身を忘れたものだ!なんじ、わたしの幸福なる自己よ、わたしの父の庭づたいに流れゆく小川に住むなんじ足早の生よ、わたしは投げ捨てられた旅杖にも似た姿でおまえの傍らに身を横たえてはいたが、おまえの物悲しいせせらぎによって救われ解放されていたのだ!
> > >
> > > この水の精(ニンフ)があるから、つづいての歌曲は She Was Too Good to Me となったわけですが・・
> > >
> > >
> > > > > > She Was Too Good to Me
> > > > > > http://mp3.xalo.vn/bai-hat/chet-baker/she-was-too-good-to-me/6b6a58f
>
> このYouTubeをよい聴いていましたが、引用にんは削除されていて、これにしたのですが、これもまあ削除されしまったやうで・・・まあ
>
> SHEでもHEでもSがあるかないかだけのことで、反転はしますが、畢竟はおなじことなので・・
>
> Barbara Cook - He Was Too Good - Losing My Mind
> http://www.youtube.com/watch?v=WHloHH9KwQc&feature=BF&list=QL&index=28
>
> 阿川 泰子 HD 〜He Was Too Good To Me〜
> http://www.youtube.com/watch?v=UPwE3CcFgwE&feature=BF&list=QL&index=24
>
> このテロップに流れる邦訳はよくできていますが、ふんでもだうもイマイチ、この歌の裂目の諧謔性がわかっていないやうな・・・あいまいで、甘すぎる解釈、訳、であるやうな・・・、ま、それのはうが、世の中は物議を醸さないのでせうから、甘さで酔えば、酔えるもんは、糖尿病ちうこともないでせうが・・腑に落ちぬ。
>
>
>
> > > > > > ある朝のこと、起き上がると珍しく気持ちが良かった。この快感は、比類を絶して、午前中ずうっとだんだん高まっていった。かっきり1時に、わたしは絶頂に達して、めまいがするほどの極限にいるのを感じた。それはもはや快感の測度計では、詩の温度計でさえも、表示されないほどの高度であった、体は地上的な重みを失っていた、体をもっていないかのようであった。あらゆる機能は満ち足りて働き、どの神経も自己自身に、また全体との調和に喜びを味わい、また一つ一つの脈拍は有機体全体を震動させて瞬間の快楽を思い出させ、それを感じさせるばかりだったから。わたしの歩みは漂うごとくであった、しかしそれは空気を切って地上を離れる鳥の飛翔とはちがって、稲穂の上を吹くわたる風の波、憧憬に酔える海のうねり、夢みる雲の滑走のごとくであった。わたし自身が海の深い底のように、ひとりを楽しむ夜の沈黙のように、反響(こだま)することのない独白にも似た真昼の静寂(しじま)のように、冴えわたっていた。あらゆる情緒が美しい調べを奏でて共鳴しながらわたしの魂の中でやすらいだ。想念は次々と湧き出てきた、あらゆる思想が、祝福の威儀をこらして、押しよせてきた、世にも愚かしい思いつきも、世にも豊かなイデーも。あらゆる印象は来る前にすでに予感されていた、だからそれはわたし自身のうちで目を覚ました。全人世がわたしに愛をかたむけているもののようであった、一切のものが、わたしの存在に触れて運命をはらみながら、打ち震えた。わたしのうちにあるすべてのものは前兆であった。そして一切のものが、わたしの小宇宙的な浄福のなかで、ふしぎに浄化されていた、その浄福がみずからのなかであらゆるものを、不愉快なことも、退屈きわまる人の言葉も、目に映る忌わしいものの姿も、どれほど宿命的ないさかいをも、浄化したのであった。さきにもいったが、かっきり1時に、わたしは最高潮に立っていた、わたしはそれが極限だと予感した。そのとき突然、わたしの一方の目が少しかゆくなりはじめた。それは睫毛だったか、それとも毛屑か塵だったか、わたしは知らない。しかしこの瞬間に、わたしが絶望のどん底にころび落ちたことだけは確かである。
> > > >
> > > > この予兆、高みへの予兆、はたまた、低みへの予兆、さういうこともふくめて、予兆があれば予防でけるか?ちうと、それが難しいわけで、
> > > >
> > > > 予兆がきたら精神科!
> > > >
> > > > ちう安易な行動をとっても、薬漬けになる、薬の効用も副作用も、そりゃあ、広大無辺な精神のジャングルのなかの「開け」「空地」で行なうゲームにすぎぬやうな知のありようであって、この「開け」とか「空地」ちうのんはかのユネスコキルケゴール生誕150周年記念の講演会でハイデッガーがキルケゴールのキの字もださずに寄せた記念講演原稿のなかのキー概念どすが、さういうことは、なぬも哲学ならぬ科学でも医学でもわかっておる、わかっておるにもかかわらず、それぢゃあ、商売にならぬのんは、科学でも医学でもおなじであって、ゆえにわからぬことをわからぬということには口を噤んで、いかにもわかったがぶりでものを云う悪育成、悪い癖に輪をかけたマスコミ、コマーシャル、電通博報堂TV新聞はたまた病院厚生省、そうじて医療行政ならぬ行政もしかりであって、ある政策なり処方なりの効用ばかりを云い募る、副作用の検討もしましたが軽微なうんぬん、ちうのんは、ジャングルの「開け」「空地」でのまことに微々たるゲーム的にテストをしただけのことであって・・
> > > >
> > > > 畢竟、あるものがない、という証明は、あるものがある、という証明に比較にならぬほどに難しい、ま、アポリアといってもよいかもしれぬ。
> > > >
> > > > > バーンスタイン:マーラー・復活 終楽章4/4
> > > > > http://www.youtube.com/watch?v=Au8qHVoUAUg&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=24
> > > > >
> > > > > これは、わたしと同じ高みに登ったことのある人なら、この高みに立って同時に、そもそも絶対的な満足はどこまで達し得られるものか、という原則的な問題に頭を悩ましたことのある人なら、誰にでも容易に理解できることであろう。
> > > >
> > > > これは高みでも低みでもおなじことであって、これも反復なんですね。躁鬱、復活、回復、回帰、みんなおんなじことです。
> > >
> > > さうさう、ここで躁鬱というのは、あまりにもメカニックで、さういう言葉をつかうとその言葉の既製概念、メカニックな範疇にとりこまれ、せっかくの高みも低みもその味わいが減殺されかねません。
> > >
> > > この躁鬱の騒々しい乾燥、ああ、異常乾燥注意報発令中でですが、だうも、乾燥のそうも、躁鬱のそうも、しっくりこないで、爽快のそう、颯爽のそう、のはうが、よいのかもsれませんし、鬱のはうも、鬱屈して出口が無い、糞詰まりの便秘精神状態よりは、絶望ですから、ちょっと違うわけで、これは、希望と絶望、願望、欲望の全能化と不能化ですから、さういう頭熱の状態は誰にもありうりわけであって、
> > >
> > > 幼稚と老成
> > >
> > > でもそうかもしれませんし、幼稚においては全能感に支配され、老成においては不能感に支配されて、まあ、そんだけでも、実際に不能かいなかは別にしても不能になってしまう、絶望の果てに自殺するやうなもんですが、全能感においてはそれにいくら支配されてもそれの達成は覚束ないのですから、老成すると同時にさういう全能感というもの支配されなくなる、はずなんですが、時として幼稚還りをすれば老成しておっても全能感に支配されることもある、それが、嵐のやうにやってくる・・・
> > >
> > > > 高みから絶望へころび落ちる、このモチーフも古来、イカロスの墜落、バベルの塔、精神分析や労働医学における全能と不能、万能と貧能、その他その他、禅と野狐禅とか、忙と閑とか・・・だいぶズレてきました。
> > > >
> > > > ともかくも、さいういろいろの状況があって、その状況に振り回される反復にして永劫回帰どすか。
> > > >
> > > > 良いも悪いもさうですかね。
> > > >
> > > > すっかす、この万能不能感も飛翔墜落感も忙閑感も善悪感もみんなふんまにさうなんだらうか?
> > > >
> > > > 自分で自分をそうしている、自分の外の状況がさうだからそうなる、ちうふうに外だしにしたところで、その状況をつくりあげているのは自分である、ということもおうおうにしてあるのだから、万能だから、不能だから、飛翔しているから、墜落したから、忙しいから、閑だから、善いから、悪いから、うんぬんちう高みの絶頂や低みの絶望で己をなくす、自分をなくすことが一番こわい。
> > >
> > > 畢竟、この畢竟がだうも晩生、おおくていけないのですが、アイロニーとか諧謔を解すること、そこにしなやかな自己をもちつづけられるか、つづけれらないか・・・
> > >
> > > > > > > わが沈黙の共犯者よ!名前こそありませんが、それでもおそらくはぼくは、あなたにとってつねに何ものかであるだろうと思います。そしていかなる場合にもかわらぬあなたの忠実な友です。
> > > >
> > > > 高みにあらうが、低みにあらうが、世間というものは、意外と寛容で、包容力がある、ちうよりか、そんなことには無関心なのかもしれませんし、マスコミジャーナリステック的には、パパラッチになったり、いろいろともかく野次馬へ餌を売るビジネスとしては、高み低みをできるだけ印象的に分裂させてヒーローと悪人をつくりだすことが、糊口を潤すたぬき知恵ですから、必要以上にコントラストをきつくして、世間に流して売り込むわけで、されを鵜呑みすた烏合の衆の野次馬どもが、あの、ゆうちゃんフィーバーのような熱に浮かされ、あたかも、ひっくりかえせばナチス万歳の予備軍が日本中、世界中で培養され増殖しつづける、さういう状況でも、世間ちうもんは意外と寛容で、包容力があって、無関心・・・
> > > >
> > > > いったいなぬぬ無関心なのか?
> > > >
> > > > いったいなぬぬ関心するのか?
> > > >
> > > > > > >                                  敬具
> > > >
> > > > キルケゴールとかニーチェちうのんは、まことに強い原酒、アブサンとか、テキーラの味わいで強烈ですね。ときどきデキソコナイ
> > >
> > > キルケゴールとかニーチェちうのんはイロニーと諧謔の塊でそのもっとも精製された蒸留成分めいていますから、それをストレートに煽ってしまっては、ひっくりかえりますよ。

> > > だから、イロニー諧謔に耐えられるだけの、それを解するだけの、さらにはそれを楽しめるだけの強靭さ、柔軟さというものを養わねばならん、つまり鍛錬がそれなりに必要であって、飲めぬ体質でありながら強い酒を一気に煽ればひっくり返るわけですから、相反する言説のその裂け目にあるもの、なぬもイロニーや諧謔には真実がないわけではなく、相反するもの、裂目にこそ真実というか、なにものかが、全否定のなかの全肯定もあるわけであって、それでこそ相反する感情や論理や生き方のもろもろを味わい楽しめるというものですね。
>


[53736] Re:[53734] What makes a man a manRe:[53733] 相反するもの、裂目にこそ真実というか、なにものかが、全否定のなかの全肯定もあるわけであって、それでこそ相反する感情や論理や生き方のもろもろを味わい楽しめるというものですね。Re:[53731] いづれ歌曲をふくめて使いようによっては躁鬱の癒しに良く効きますね。Re:[53730] 絶対的な満足はどこまで達し得られるものか、Re:[53727] 一切のものが、わたしの小宇宙的な浄福のなかで、ふしぎに浄化されていた、その浄福がみずからのなかであらゆるものを、不愉快なことも、退屈きわまる人の言葉も、目に映る忌わしいものの姿も、どれほど宿命的ないさかいをも、浄化したのであった。しかしこの瞬間に、わたしが絶望のどん底にころび落ちたことだけは確かである。Re:[53726] なんじ、わたしの幸福なる自己よ、おまえの物悲しいせせらぎによって救われ解放されていたのだ!Re:[53719] 舞台は隠れた個人の影絵芝居にふさわしい。Re:[53715] 最後の審判の日に、自分自身で出頭することもできずに、気のきいた目論見とか、その日一日だけの決心とか、半時間きりの計画とかなどを身代わりに出頭させる人間Re:[53712] 現実的な姿が目の前にありながら、それが見えないのである。Re:[53710] インテレサントなものに心ひかれぬ娘は反復を信ずる、時を経てそうなった娘に栄誉あれ。Re:[53709] 女の誠実さというものは偉大なものだ、とりわけ男の要求をその厚意に感謝しながら懇ろに断る場合にそうである。Re:[53708] 関係はできたが実現の見込みはないという場合には、思いやりが最大の侮辱である。Re:[53706] わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。Re:[53703] 神よ、すべての男をそういう誠実さから守りたまえ!Re:[53699] 自分自身の死刑判決書Re:[53698] 汝(いまし)へのあこがれ絶えずRe:[53692] わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。Re:[53690] もし反復ということがなかったら、人生とはそもそも何であろう?Re:[53677] ぼくの苦痛と悩みには名前がありません。Re:[53676] ・・・Re:[53674] わが沈黙の共犯者よ! 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/02/05(Sat) 10:25  

るやくまはANNEX−Ω   訪問者数:2328712(今日:158/昨日:457)2011/02/05(Sat) 08:58

Nancy Wilson, When October Goes
http://www.youtube.com/watch?v=Oh0l2wle7qY&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=57

んったく嫌なくっちゃべり〜くんがまた見ても会ってもおらぬあちこちに妄想でシャシャリデテきて、あれこれとオセッカイと差し出がましいことをやっちょるのんで吐き気がするのが祟ったのか、はたまた世界中の美女が歌いまくる名曲の堪能のしずぎか、夜中の2時すぎにふと夢のなかに美しい魔女があらわれみるまにそれが魔法使いのお婆さんに変貌したとたんに寝る前から多少痛かった背中よりは、胃の痛みか、超デカイお稲荷さんをドンブリ飯2杯の前後に間食で10数個平らげたのんで、消化が間に合わなっかたのか、ともかく腹苦しく目が覚め、めったに飲まぬ薬ゆえどこになぬがあるんかもわからんのんで、前屈して胃を抱えるやうにして、冷え切った廊下の奥の女房の寝室までふらふらといって訴えれば、たべすぎだとぶつくさいいながら起きて、なんぢゃ?ビオフェルミン?腸ぢゃねえ、胃ぢゃ、胃じゃ、とはいいつつ数粒のんでまたチャリンコのジャングルのど真ん中のベッドに戻れば、いかにせん、胃の辺りか心臓の辺りもムカツクが背中も痛い、寝すぎか、とも思えど、ま、それほどヘタッタベッドに腰と背中を沈めて寝ている時間もさしたるもんではあらへんのんで、だうも、これは、食いすぎの胃、ちうても、そんなことは日常茶飯事であるし、心臓の発作、これもめったにないし、腎臓の結石か、これも7つが消えたアポカリプスであるからして、不可解ではあるもんの、いやなくっちゃべり〜くんのオセッカイで夢にでてきた魔女、魔法使いに触発されて、ちうても、その風貌をよく見極めれば、だうもライザミネリに似ておらんこともねえんぢゃが、胃と心臓と腎臓が一辺に発作を起こしたのかもしらん、ベッドに寝たり蹲ったりして一向に苦しみが去らぬのんで、また奥から女房を呼んで、食卓の椅子の背に手をかけて丸めた背中をさすってさすって、かうかう、暖房がつけっぱなしでも、冷えてきますから、風邪をひいてはいけない、ちう思いやりも、お互いにもちうるほどにこころの余裕もでけてくれば、あら、不思議、やはり手当ての効用絶大なるもんがあるんでせうか、胃と心臓と腎臓が融合してしまったやうな重苦しさ痛みがみるみる、ちうより感じ感じに薄らいで、ほぼ尋常な爽快でもなく、苦痛でもない、普通の状態に回復しましてめでたしで、フライングで救急車なんぞ呼んで世間にご迷惑をかけんでよかった、それもあすは病院へいってらっしゃいちう助言も苦痛が去った今は昔、また起こったらそのときにすんべえ、それまで様子見ちうことで、かうしている次第どすが、なぬせ、あのオセッカイでシャシャリデ好きのくっちゃべり〜君なんぞは大嫌いで、なぬか、北風くんが、梵はやさしいから、とかいっておったが、ちっともやさしくはない、ああいう、阿呆は阿呆といってあげねば阿呆も卒業でけん、ちうことで云いたい放題なんどすが、ま、それがやさしさと善意にとられればやさしさなんかもしれませんが、畢竟、あの阿呆、バカさ加減は、ソレガシの身自身にもあるもんどすけん、それを云い募るわけであって、ああいうアホバカに比して、慎ましやかにでてくる、あれはなちうたか?ああ、なすのせせさんであったか、ああいうやさしさは、まことに心休まるもんがあって好きですが、くっちゃべり〜の類は大嫌いで、ビョーキになる!ビョーキを蔓延させる黴菌めいた存在であって、かの尿簿さんか、ああいうたまにちくりと鍼灸めいた鯊のてんぷら、河豚の毒刺めいたもんいれば体も休まらうちうもんどすが、なぬせ、かういう文字に接すると、また余分なことを考えてしまう・・・

体、休ちうこの二文字、体には横一本の短い棒があって、休には棒がない、なんでなんだろ?

one

これは、横一本の棒で、一でもありまして、これは、単に数字の概念のみではなく、己の一己に通じるものでありますれば、古来、印度で無限の概念が構築される以前に一なるもんは、すべての無限の根源かもしれず、ゆえに、一即多、一即他でもありませうが、その一にして英語でいけば・・

ONE〜ONLY〜LONELY〜ALONE

かういうONEの言葉の連想つらなりも、ま、歌曲の幾許か、それに中毒しちょろうが、耽溺しちょろうが、その英語の詩の味わいなんぞも、散文英語からはえられぬ気づきもまた到来しますけん、基調にして貴重なもので、同様の体でいけば、とはいえ、ほとんど冗談にして諧謔ですから、真に受けてパニックになられては、困るのですが・・・

m 対 w

例えば

mild ⇔ wild

ならば

man ⇔ woman

woo!

evil → devil

はむかしやりましたが、それにしても

devilはなんで男なんだらう?


> ぬこおいふANNEX−Ω   訪問者数:2328214(今日:117/昨日:402)2011/02/04(Fri) 08:03
>
> Lara Fabian - Comme ils disent
> http://www.youtube.com/watch?v=X7nT8AxI6Ik&feature=BF&list=QL&index=23
>
> Comme Ils Disent
> Lara Fabian

仏蘭西語の原詩は画像にあり、スペースがたらぬので、カットして・・

> english translation :
>
> My mum and I we live alone
> A great apartment is our home
> In fairhome towers
> I have to keep me company
> Two cats, a dog, a parakeet
> Some plants and flowers
> I help my mother with the chores
> I wash, she dries, I do the floors
> We work together
> I shop and cook and sew a bit
> Though mum does too I must admit
> I do it better
> At night I work in a strange bar
> Impersonating every star
> I'm quite deceiving
> The customers come in with doubt
> And wonder what I'm all about
> But leave believing
> I do a very special show
> Where I am nude from head to toe
> After stripteasing
> Each night the men look so surprised
> I change my sex before their eyes
> Tell me if you can
> What makes a man a man
>
> Round 3 o'clock or so I meet
> With friends to have a bite to eat
> And conversation
> We talk and empty out our hearts
> On every subject from the arts
> To liberation
> We love to pull apart someone
> And spread some gossip just for fun
> Or start a rumour
> We let our hair down, so to speak
> And mock ourselves with tongue-in-cheek
> And inside humour
> So many times we have to pay
> For having fun and being gay
> It's not amusing
> There's always those who spoil our games
> By finding fault and calling names
> Always accusing
> They draw attention to themselves
> At the expense of someone else
> It's so confusing
> Yet they make fun of how I talk
> And imitate the way I walk
> Tell me if you can
> What makes a man a man
>
> My masquerade comes to an end
> And I go home to bed again
> Alone and friendless
> I close my eyes and think of him
> And fantasize what might have been
> My dreams are endless
> We love each other but it seems
> The love lives only in my dreams
> It's so one-sided
> But in this life I must confess
> The search for love and happiness
> Is unrequited
> I ask myself what have I got
> And what I am and what I'm not
> What am I giving
> The answers come from those who make
> The rules that some of us must break
> Just to keep living
> I know my life is not a crime
> I'm just a victim of my time
> I stand defenceless
> Nobody has the right to be
> The judge of what is right for me
> Tell me if you can
> What makes a man a man...
>
> Liza Minnelli "What Makes A Man A Man"
> http://www.youtube.com/watch?v=MCw2W6rZaGo&feature=BF&list=QL&index=31
>
> Charles Aznavour-Comme ils disent
> http://www.youtube.com/watch?v=6WLAGwndSg0&feature=BF&list=QL&index=8
>
> かういう裂目も同じことです。泣けてきますね。満場の拍手。
>
> > Phantom of the Opera - All I Ask Of You W/ LYRICS
> > http://www.youtube.com/watch?v=s1_5hhr6niQ&feature=BF&list=QL&index=4

> > 同調と対抗の図式の身体論、身は精神と肉体を止揚する、内外の媒介で、そこから発する言葉もおなじことでせうが、それが渦を巻いて吹き付けてくる、糞味噌一緒のサイクロンめいた脳みそが太陽の熱線で熱すれば、まあ、いろんな景色がみえてくるわけで・・
>
>
> > > Jon Hassell - Amsterdam Blue
> > > http://www.youtube.com/watch?v=dz40YrNBje4&feature=autoplay&list=QL&index=3&playnext=3
> > > わたしの忘れがたい保母よ、わたしの父の庭づたいに流れてゆく小川に住むなんじつかまえがたい水の精(ニンフ)よ、おまえはおまえ自身のことだけに心を使っていたけれど、それでもいつも子供の遊びに加わり遊び相手になってくれた!なんじ忠実なる慰安者よ、おまえは幾歳を経てなおおまえの無垢な純粋さを持ちつづけている。わたしがすでに老いさらばえてしまったのに、おまえはちっとも年をとってはいない。なんじ安らかな水の精(ニンフ)よ、人間に倦み、わたし自身に倦んで憩いのためにわたしが永遠を必要としたとき、悲嘆にくれてわたしが忘却のために永遠を必要としたとき、そのたびごとにいつもわたしはおまえのところに逃がれていった。人間たちが永遠を時間と同じようにせわしないものにし、時間よりももっと空恐ろしいものにしてわたしに拒もうとしたものを、おまえはわたしに拒まなかった。そういうとき、わたしはおまえの傍らに身を横たえ、わたし自身から逃がれて、頭上の広い広い蒼空へ消えていった、そして眠りをさそうおまえの囁きに、わたし自身を忘れたものだ!なんじ、わたしの幸福なる自己よ、わたしの父の庭づたいに流れゆく小川に住むなんじ足早の生よ、わたしは投げ捨てられた旅杖にも似た姿でおまえの傍らに身を横たえてはいたが、おまえの物悲しいせせらぎによって救われ解放されていたのだ!
> >
> > この水の精(ニンフ)があるから、つづいての歌曲は She Was Too Good to Me となったわけですが・・
> >
> >
> > > > > She Was Too Good to Me
> > > > > http://mp3.xalo.vn/bai-hat/chet-baker/she-was-too-good-to-me/6b6a58f

このYouTubeをよい聴いていましたが、引用にんは削除されていて、これにしたのですが、これもまあ削除されしまったやうで・・・まあ

SHEでもHEでもSがあるかないかだけのことで、反転はしますが、畢竟はおなじことなので・・

Barbara Cook - He Was Too Good - Losing My Mind
http://www.youtube.com/watch?v=WHloHH9KwQc&feature=BF&list=QL&index=28

阿川 泰子 HD 〜He Was Too Good To Me〜
http://www.youtube.com/watch?v=UPwE3CcFgwE&feature=BF&list=QL&index=24

このテロップに流れる邦訳はよくできていますが、ふんでもだうもイマイチ、この歌の裂目の諧謔性がわかっていないやうな・・・あいまいで、甘すぎる解釈、訳、であるやうな・・・、ま、それのはうが、世の中は物議を醸さないのでせうから、甘さで酔えば、酔えるもんは、糖尿病ちうこともないでせうが・・腑に落ちぬ。



> > > > > ある朝のこと、起き上がると珍しく気持ちが良かった。この快感は、比類を絶して、午前中ずうっとだんだん高まっていった。かっきり1時に、わたしは絶頂に達して、めまいがするほどの極限にいるのを感じた。それはもはや快感の測度計では、詩の温度計でさえも、表示されないほどの高度であった、体は地上的な重みを失っていた、体をもっていないかのようであった。あらゆる機能は満ち足りて働き、どの神経も自己自身に、また全体との調和に喜びを味わい、また一つ一つの脈拍は有機体全体を震動させて瞬間の快楽を思い出させ、それを感じさせるばかりだったから。わたしの歩みは漂うごとくであった、しかしそれは空気を切って地上を離れる鳥の飛翔とはちがって、稲穂の上を吹くわたる風の波、憧憬に酔える海のうねり、夢みる雲の滑走のごとくであった。わたし自身が海の深い底のように、ひとりを楽しむ夜の沈黙のように、反響(こだま)することのない独白にも似た真昼の静寂(しじま)のように、冴えわたっていた。あらゆる情緒が美しい調べを奏でて共鳴しながらわたしの魂の中でやすらいだ。想念は次々と湧き出てきた、あらゆる思想が、祝福の威儀をこらして、押しよせてきた、世にも愚かしい思いつきも、世にも豊かなイデーも。あらゆる印象は来る前にすでに予感されていた、だからそれはわたし自身のうちで目を覚ました。全人世がわたしに愛をかたむけているもののようであった、一切のものが、わたしの存在に触れて運命をはらみながら、打ち震えた。わたしのうちにあるすべてのものは前兆であった。そして一切のものが、わたしの小宇宙的な浄福のなかで、ふしぎに浄化されていた、その浄福がみずからのなかであらゆるものを、不愉快なことも、退屈きわまる人の言葉も、目に映る忌わしいものの姿も、どれほど宿命的ないさかいをも、浄化したのであった。さきにもいったが、かっきり1時に、わたしは最高潮に立っていた、わたしはそれが極限だと予感した。そのとき突然、わたしの一方の目が少しかゆくなりはじめた。それは睫毛だったか、それとも毛屑か塵だったか、わたしは知らない。しかしこの瞬間に、わたしが絶望のどん底にころび落ちたことだけは確かである。
> > >
> > > この予兆、高みへの予兆、はたまた、低みへの予兆、さういうこともふくめて、予兆があれば予防でけるか?ちうと、それが難しいわけで、
> > >
> > > 予兆がきたら精神科!
> > >
> > > ちう安易な行動をとっても、薬漬けになる、薬の効用も副作用も、そりゃあ、広大無辺な精神のジャングルのなかの「開け」「空地」で行なうゲームにすぎぬやうな知のありようであって、この「開け」とか「空地」ちうのんはかのユネスコキルケゴール生誕150周年記念の講演会でハイデッガーがキルケゴールのキの字もださずに寄せた記念講演原稿のなかのキー概念どすが、さういうことは、なぬも哲学ならぬ科学でも医学でもわかっておる、わかっておるにもかかわらず、それぢゃあ、商売にならぬのんは、科学でも医学でもおなじであって、ゆえにわからぬことをわからぬということには口を噤んで、いかにもわかったがぶりでものを云う悪育成、悪い癖に輪をかけたマスコミ、コマーシャル、電通博報堂TV新聞はたまた病院厚生省、そうじて医療行政ならぬ行政もしかりであって、ある政策なり処方なりの効用ばかりを云い募る、副作用の検討もしましたが軽微なうんぬん、ちうのんは、ジャングルの「開け」「空地」でのまことに微々たるゲーム的にテストをしただけのことであって・・
> > >
> > > 畢竟、あるものがない、という証明は、あるものがある、という証明に比較にならぬほどに難しい、ま、アポリアといってもよいかもしれぬ。
> > >
> > > > バーンスタイン:マーラー・復活 終楽章4/4
> > > > http://www.youtube.com/watch?v=Au8qHVoUAUg&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=24
> > > >
> > > > これは、わたしと同じ高みに登ったことのある人なら、この高みに立って同時に、そもそも絶対的な満足はどこまで達し得られるものか、という原則的な問題に頭を悩ましたことのある人なら、誰にでも容易に理解できることであろう。
> > >
> > > これは高みでも低みでもおなじことであって、これも反復なんですね。躁鬱、復活、回復、回帰、みんなおんなじことです。
> >
> > さうさう、ここで躁鬱というのは、あまりにもメカニックで、さういう言葉をつかうとその言葉の既製概念、メカニックな範疇にとりこまれ、せっかくの高みも低みもその味わいが減殺されかねません。
> >
> > この躁鬱の騒々しい乾燥、ああ、異常乾燥注意報発令中でですが、だうも、乾燥のそうも、躁鬱のそうも、しっくりこないで、爽快のそう、颯爽のそう、のはうが、よいのかもsれませんし、鬱のはうも、鬱屈して出口が無い、糞詰まりの便秘精神状態よりは、絶望ですから、ちょっと違うわけで、これは、希望と絶望、願望、欲望の全能化と不能化ですから、さういう頭熱の状態は誰にもありうりわけであって、
> >
> > 幼稚と老成
> >
> > でもそうかもしれませんし、幼稚においては全能感に支配され、老成においては不能感に支配されて、まあ、そんだけでも、実際に不能かいなかは別にしても不能になってしまう、絶望の果てに自殺するやうなもんですが、全能感においてはそれにいくら支配されてもそれの達成は覚束ないのですから、老成すると同時にさういう全能感というもの支配されなくなる、はずなんですが、時として幼稚還りをすれば老成しておっても全能感に支配されることもある、それが、嵐のやうにやってくる・・・
> >
> > > 高みから絶望へころび落ちる、このモチーフも古来、イカロスの墜落、バベルの塔、精神分析や労働医学における全能と不能、万能と貧能、その他その他、禅と野狐禅とか、忙と閑とか・・・だいぶズレてきました。
> > >
> > > ともかくも、さいういろいろの状況があって、その状況に振り回される反復にして永劫回帰どすか。
> > >
> > > 良いも悪いもさうですかね。
> > >
> > > すっかす、この万能不能感も飛翔墜落感も忙閑感も善悪感もみんなふんまにさうなんだらうか?
> > >
> > > 自分で自分をそうしている、自分の外の状況がさうだからそうなる、ちうふうに外だしにしたところで、その状況をつくりあげているのは自分である、ということもおうおうにしてあるのだから、万能だから、不能だから、飛翔しているから、墜落したから、忙しいから、閑だから、善いから、悪いから、うんぬんちう高みの絶頂や低みの絶望で己をなくす、自分をなくすことが一番こわい。
> >
> > 畢竟、この畢竟がだうも晩生、おおくていけないのですが、アイロニーとか諧謔を解すること、そこにしなやかな自己をもちつづけられるか、つづけれらないか・・・
> >
> > > > > > わが沈黙の共犯者よ!名前こそありませんが、それでもおそらくはぼくは、あなたにとってつねに何ものかであるだろうと思います。そしていかなる場合にもかわらぬあなたの忠実な友です。
> > >
> > > 高みにあらうが、低みにあらうが、世間というものは、意外と寛容で、包容力がある、ちうよりか、そんなことには無関心なのかもしれませんし、マスコミジャーナリステック的には、パパラッチになったり、いろいろともかく野次馬へ餌を売るビジネスとしては、高み低みをできるだけ印象的に分裂させてヒーローと悪人をつくりだすことが、糊口を潤すたぬき知恵ですから、必要以上にコントラストをきつくして、世間に流して売り込むわけで、されを鵜呑みすた烏合の衆の野次馬どもが、あの、ゆうちゃんフィーバーのような熱に浮かされ、あたかも、ひっくりかえせばナチス万歳の予備軍が日本中、世界中で培養され増殖しつづける、さういう状況でも、世間ちうもんは意外と寛容で、包容力があって、無関心・・・
> > >
> > > いったいなぬぬ無関心なのか?
> > >
> > > いったいなぬぬ関心するのか?
> > >
> > > > > >                                  敬具
> > >
> > > キルケゴールとかニーチェちうのんは、まことに強い原酒、アブサンとか、テキーラの味わいで強烈ですね。ときどきデキソコナイ
> >
> > キルケゴールとかニーチェちうのんはイロニーと諧謔の塊でそのもっとも精製された蒸留成分めいていますから、それをストレートに煽ってしまっては、ひっくりかえりますよ。
> >
> > やうは、一の極みから他の極みに一挙にすっとんでいく、そのすっとびかたについていけない凡庸さでは、このイロニーも諧謔も味わいやうがありませんで、只管の脳波扁平な凡百な言説のなかをうろうろするだけでせいが、双極性や多極性の人格においては、脳波の香華ならぬ高下も振幅も大きいですから、容易についていける、同調できるんですが、それをストレートにうけとってしまうと、それこそパニックに発作になってしまう、脳波振り切れで、いと切れタコになりかねません。
> >
> > だから、イロニー諧謔に耐えられるだけの、それを解するだけの、さらにはそれを楽しめるだけの強靭さ、柔軟さというものを養わねばならん、つまり鍛錬がそれなりに必要であって、飲めぬ体質でありながら強い酒を一気に煽ればひっくり返るわけですから、相反する言説のその裂け目にあるもの、なぬもイロニーや諧謔には真実がないわけではなく、相反するもの、裂目にこそ真実というか、なにものかが、全否定のなかの全肯定もあるわけであって、それでこそ相反する感情や論理や生き方のもろもろを味わい楽しめるというものですね。



[53735] 外国音楽かぶれもいいが、悪いことはいわん、梵 投稿者:yoonglee 投稿日:2011/02/04(Fri) 13:39  

 1 カルシュームを意図的に多くとる
 2 毎年精密検査をする
 3 禁煙する
 4 心臓に高い負荷をかけない

 これだけはしっかり守って、お楽しみあれ。人体は壊れるときは壊れるぞ。今回のオペで、病棟を見て回ってやっとわかったが、うむ。

 


[53734] What makes a man a manRe:[53733] 相反するもの、裂目にこそ真実というか、なにものかが、全否定のなかの全肯定もあるわけであって、それでこそ相反する感情や論理や生き方のもろもろを味わい楽しめるというものですね。Re:[53731] いづれ歌曲をふくめて使いようによっては躁鬱の癒しに良く効きますね。Re:[53730] 絶対的な満足はどこまで達し得られるものか、Re:[53727] 一切のものが、わたしの小宇宙的な浄福のなかで、ふしぎに浄化されていた、その浄福がみずからのなかであらゆるものを、不愉快なことも、退屈きわまる人の言葉も、目に映る忌わしいものの姿も、どれほど宿命的ないさかいをも、浄化したのであった。しかしこの瞬間に、わたしが絶望のどん底にころび落ちたことだけは確かである。Re:[53726] なんじ、わたしの幸福なる自己よ、おまえの物悲しいせせらぎによって救われ解放されていたのだ!Re:[53719] 舞台は隠れた個人の影絵芝居にふさわしい。Re:[53715] 最後の審判の日に、自分自身で出頭することもできずに、気のきいた目論見とか、その日一日だけの決心とか、半時間きりの計画とかなどを身代わりに出頭させる人間Re:[53712] 現実的な姿が目の前にありながら、それが見えないのである。Re:[53710] インテレサントなものに心ひかれぬ娘は反復を信ずる、時を経てそうなった娘に栄誉あれ。Re:[53709] 女の誠実さというものは偉大なものだ、とりわけ男の要求をその厚意に感謝しながら懇ろに断る場合にそうである。Re:[53708] 関係はできたが実現の見込みはないという場合には、思いやりが最大の侮辱である。Re:[53706] わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。Re:[53703] 神よ、すべての男をそういう誠実さから守りたまえ!Re:[53699] 自分自身の死刑判決書Re:[53698] 汝(いまし)へのあこがれ絶えずRe:[53692] わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。Re:[53690] もし反復ということがなかったら、人生とはそもそも何であろう?Re:[53677] ぼくの苦痛と悩みには名前がありません。Re:[53676] ・・・Re:[53674] わが沈黙の共犯者よ! 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/02/04(Fri) 08:18  

ぬこおいふANNEX−Ω   訪問者数:2328214(今日:117/昨日:402)2011/02/04(Fri) 08:03

Lara Fabian - Comme ils disent
http://www.youtube.com/watch?v=X7nT8AxI6Ik&feature=BF&list=QL&index=23

Comme Ils Disent
Lara Fabian

J'habite seul avec maman
Dans un très vieil appartement rue Sarasate
J'ai pour me tenir compagnie
Une tortue deux canaris et une chatte.
Pour laisser maman reposer
Très souvent je fais le marché et la cuisine
Je range, je lave et j'essuie,
A l'occasion je pique aussi à la machine.
Le travail ne me fait pas peur
Je suis un peu décorateur un peu styliste
Mais mon vrai métier c'est la nuit.
Que je l'exerce travesti, je suis artiste.
Jai un numéro très spécial
Qui finit en nu intégral après strip-tease,
Et dans la salle je vois que
Les mâles n'en croient pas leurs yeux.
Je suis un homo comme ils disent.

Vers les trois heures du matin
On va manger entre copains de tous les sexes
Dans un quelconque bar-tabac
Et là on s'en donne à cœur joie et sans complexe
On déballe des vérités
Sur des gens qu'on a dans le nez, on les lapide.
Mais on le fait avec humour
Enrobés dans des calembours mouillés d'acide
On rencontre des attardés
Qui pour épater leurs tablées marchent et ondulent
Singeant ce qu'ils croient être nous
Et se couvrent, les pauvres fous, de ridicule
Ça gesticule et parle fort.
Ça joue les divas, les ténors de la bêtise.
Moi les lazzi, les quolibets
Me laissent froid puisque c'est vrai.
Je suis un homo comme ils disent.

A l'heure où naît un jour nouveau
Je rentre retrouver mon lot de solitude.
J'ôte mes cils et mes cheveux
Comme un pauvre clown malheureux de lassitude.
Je me couche mais je ne dors pas
Je pense à mes amours sans joie si dérisoires.
A ce garçon beau comme un Dieu
Qui sans rien faire a mis le feu à ma mémoire.
Ma bouche n'osera jamais
Lui avouer mon doux secret mon tendre drame
Car l'objet de tous mes tourments
Passe le plus clair de son temps au lit des femmes
Nul n'a le droit en vérité
De me blâmer de me juger et je précise
Que c'est bien la nature qui
Est seule responsable si
Je suis un "homme oh" comme ils disent.


english translation :

My mum and I we live alone
A great apartment is our home
In fairhome towers
I have to keep me company
Two cats, a dog, a parakeet
Some plants and flowers
I help my mother with the chores
I wash, she dries, I do the floors
We work together
I shop and cook and sew a bit
Though mum does too I must admit
I do it better
At night I work in a strange bar
Impersonating every star
I'm quite deceiving
The customers come in with doubt
And wonder what I'm all about
But leave believing
I do a very special show
Where I am nude from head to toe
After stripteasing
Each night the men look so surprised
I change my sex before their eyes
Tell me if you can
What makes a man a man

Round 3 o'clock or so I meet
With friends to have a bite to eat
And conversation
We talk and empty out our hearts
On every subject from the arts
To liberation
We love to pull apart someone
And spread some gossip just for fun
Or start a rumour
We let our hair down, so to speak
And mock ourselves with tongue-in-cheek
And inside humour
So many times we have to pay
For having fun and being gay
It's not amusing
There's always those who spoil our games
By finding fault and calling names
Always accusing
They draw attention to themselves
At the expense of someone else
It's so confusing
Yet they make fun of how I talk
And imitate the way I walk
Tell me if you can
What makes a man a man

My masquerade comes to an end
And I go home to bed again
Alone and friendless
I close my eyes and think of him
And fantasize what might have been
My dreams are endless
We love each other but it seems
The love lives only in my dreams
It's so one-sided
But in this life I must confess
The search for love and happiness
Is unrequited
I ask myself what have I got
And what I am and what I'm not
What am I giving
The answers come from those who make
The rules that some of us must break
Just to keep living
I know my life is not a crime
I'm just a victim of my time
I stand defenceless
Nobody has the right to be
The judge of what is right for me
Tell me if you can
What makes a man a man...

Liza Minnelli "What Makes A Man A Man"
http://www.youtube.com/watch?v=MCw2W6rZaGo&feature=BF&list=QL&index=31

Charles Aznavour-Comme ils disent
http://www.youtube.com/watch?v=6WLAGwndSg0&feature=BF&list=QL&index=8

かういう裂目も同じことです。泣けてきますね。満場の拍手。

> Phantom of the Opera - All I Ask Of You W/ LYRICS
> http://www.youtube.com/watch?v=s1_5hhr6niQ&feature=BF&list=QL&index=4

> 人間というものは、ああ、下に躁鬱といいましたが、さういうメカニカルな精神医学語を使うとだうもさういうメカニカルなもんに嵌ってしまう、分裂しかりであって、躁うつ病と分裂病とてんかんのオンパレードがキルケゴールやドストエフスキーや、ニーチェあれは脳梅毒ぢゃ!なんちうことの以前のメカニカルな人間図式から離れて、さういう双極性、多極性、あるいは、同調性、あるいは反抗、対抗性、あらゆるものが渦を巻いていて、どこに?己に、自己に他己に世間に、汝があればそれに同調し、汝が朧になれば、それが分裂し多極化し、果ては反抗、対抗、まあ、これはまさに、かの市川の論じる身体図式そのものですけれども、それはまさに汝我のありよう、それが血肉を供えた一人の恋人であらうが読み耽る一冊の本であらうが、さういうこの巻き込まれる、それは、あたかも、あらゆる運動、身体的運動、精神的運動の最たるもんであって、自転車でもへたくそなくっちゃべり〜メタボの漕ぎ方、痴漢くんのハウツウに巻き込まれれば、畢竟、美しく乗れない、せいぜが豚や猿の行列にして、歯抜け鶏が首を前後して坂を登る風景にして、んったく醜悪な図式になりはてる、のですが、やはり、美しく乗る達人と乗ればその身体運動や精神のありやうがおのずから伝染してきて、これは共鳴かもしれませんが、意識せずとも学びとる、さういう無位意識の智慧ちうもんも、ひとにはそなわっていますから、酒にそばレバ、ではのうて、朱に染まれば赤くなる、染まってしまうのは、良いにつけ、悪しきにつけ、あることであって、自転車ならぬ、ダンスなんぞでも、相手が上手ければ下手でも上手く踊れる、まあ、ぎこちなくなくとも、へたくそな相手と踊るよりもへたくそぢゃない、セックスでもさうですね、うまい相手とやれば、いかに不能でも全能になったかのやうな・・・ちうこともないでしょうが、さういう不能治療は病院でやらないのか?やるかもしれませんね。医師法違反。
>
> かういうのを冗談というのでせうか?
>
> それともぶっらく、うむ、ぶっらくアウトでしらけちゃうんでせうか?
>
> イロニーや諧謔のもろもろには、もちろん香華のあるもんもあれば醜悪なものもあるんでせうが、その香華にしても醜悪にしても、予定調和の香華や醜悪では、インテレサントなもんではありえぬわけあって、香華が醜悪、香ちういうからには臭の、悪習、悪臭、臭悪かもしれませんが、さういう双極性のいったりきたり、これは循環性ですが、さうぢゃのうて、同時存在、混沌、渦巻、サイクロン、ハリケーンなみに、ダイヤモンドも札束も糞もいっしょにぶっ飛んでくる、あのオーストラリヤも大変ですが、ああいう、ニュース、大雪の北陸や、穴沢の3m超の積雪、たしかに大変なんですが、さういうニュースのはうが、よっぽどあの馬鹿馬鹿しいサッカーのアジア大会の「ヒーロー」帰国でどたぬきマスコミが朝から晩までてんやわんやの餌作りのニュースなんぞよりもよっぽど心が休まりますが、さういうこと、つまり・・・
>
> 同調と対抗の図式の身体論、身は精神と肉体を止揚する、内外の媒介で、そこから発する言葉もおなじことでせうが、それが渦を巻いて吹き付けてくる、糞味噌一緒のサイクロンめいた脳みそが太陽の熱線で熱すれば、まあ、いろんな景色がみえてくるわけで・・


> > Jon Hassell - Amsterdam Blue
> > http://www.youtube.com/watch?v=dz40YrNBje4&feature=autoplay&list=QL&index=3&playnext=3
> > わたしの忘れがたい保母よ、わたしの父の庭づたいに流れてゆく小川に住むなんじつかまえがたい水の精(ニンフ)よ、おまえはおまえ自身のことだけに心を使っていたけれど、それでもいつも子供の遊びに加わり遊び相手になってくれた!なんじ忠実なる慰安者よ、おまえは幾歳を経てなおおまえの無垢な純粋さを持ちつづけている。わたしがすでに老いさらばえてしまったのに、おまえはちっとも年をとってはいない。なんじ安らかな水の精(ニンフ)よ、人間に倦み、わたし自身に倦んで憩いのためにわたしが永遠を必要としたとき、悲嘆にくれてわたしが忘却のために永遠を必要としたとき、そのたびごとにいつもわたしはおまえのところに逃がれていった。人間たちが永遠を時間と同じようにせわしないものにし、時間よりももっと空恐ろしいものにしてわたしに拒もうとしたものを、おまえはわたしに拒まなかった。そういうとき、わたしはおまえの傍らに身を横たえ、わたし自身から逃がれて、頭上の広い広い蒼空へ消えていった、そして眠りをさそうおまえの囁きに、わたし自身を忘れたものだ!なんじ、わたしの幸福なる自己よ、わたしの父の庭づたいに流れゆく小川に住むなんじ足早の生よ、わたしは投げ捨てられた旅杖にも似た姿でおまえの傍らに身を横たえてはいたが、おまえの物悲しいせせらぎによって救われ解放されていたのだ!
>
> この水の精(ニンフ)があるから、つづいての歌曲は She Was Too Good to Me となったわけですが・・
>
>
> > > > She Was Too Good to Me
> > > > http://mp3.xalo.vn/bai-hat/chet-baker/she-was-too-good-to-me/6b6a58f
> > > > ある朝のこと、起き上がると珍しく気持ちが良かった。この快感は、比類を絶して、午前中ずうっとだんだん高まっていった。かっきり1時に、わたしは絶頂に達して、めまいがするほどの極限にいるのを感じた。それはもはや快感の測度計では、詩の温度計でさえも、表示されないほどの高度であった、体は地上的な重みを失っていた、体をもっていないかのようであった。あらゆる機能は満ち足りて働き、どの神経も自己自身に、また全体との調和に喜びを味わい、また一つ一つの脈拍は有機体全体を震動させて瞬間の快楽を思い出させ、それを感じさせるばかりだったから。わたしの歩みは漂うごとくであった、しかしそれは空気を切って地上を離れる鳥の飛翔とはちがって、稲穂の上を吹くわたる風の波、憧憬に酔える海のうねり、夢みる雲の滑走のごとくであった。わたし自身が海の深い底のように、ひとりを楽しむ夜の沈黙のように、反響(こだま)することのない独白にも似た真昼の静寂(しじま)のように、冴えわたっていた。あらゆる情緒が美しい調べを奏でて共鳴しながらわたしの魂の中でやすらいだ。想念は次々と湧き出てきた、あらゆる思想が、祝福の威儀をこらして、押しよせてきた、世にも愚かしい思いつきも、世にも豊かなイデーも。あらゆる印象は来る前にすでに予感されていた、だからそれはわたし自身のうちで目を覚ました。全人世がわたしに愛をかたむけているもののようであった、一切のものが、わたしの存在に触れて運命をはらみながら、打ち震えた。わたしのうちにあるすべてのものは前兆であった。そして一切のものが、わたしの小宇宙的な浄福のなかで、ふしぎに浄化されていた、その浄福がみずからのなかであらゆるものを、不愉快なことも、退屈きわまる人の言葉も、目に映る忌わしいものの姿も、どれほど宿命的ないさかいをも、浄化したのであった。さきにもいったが、かっきり1時に、わたしは最高潮に立っていた、わたしはそれが極限だと予感した。そのとき突然、わたしの一方の目が少しかゆくなりはじめた。それは睫毛だったか、それとも毛屑か塵だったか、わたしは知らない。しかしこの瞬間に、わたしが絶望のどん底にころび落ちたことだけは確かである。
> >
> > この予兆、高みへの予兆、はたまた、低みへの予兆、さういうこともふくめて、予兆があれば予防でけるか?ちうと、それが難しいわけで、
> >
> > 予兆がきたら精神科!
> >
> > ちう安易な行動をとっても、薬漬けになる、薬の効用も副作用も、そりゃあ、広大無辺な精神のジャングルのなかの「開け」「空地」で行なうゲームにすぎぬやうな知のありようであって、この「開け」とか「空地」ちうのんはかのユネスコキルケゴール生誕150周年記念の講演会でハイデッガーがキルケゴールのキの字もださずに寄せた記念講演原稿のなかのキー概念どすが、さういうことは、なぬも哲学ならぬ科学でも医学でもわかっておる、わかっておるにもかかわらず、それぢゃあ、商売にならぬのんは、科学でも医学でもおなじであって、ゆえにわからぬことをわからぬということには口を噤んで、いかにもわかったがぶりでものを云う悪育成、悪い癖に輪をかけたマスコミ、コマーシャル、電通博報堂TV新聞はたまた病院厚生省、そうじて医療行政ならぬ行政もしかりであって、ある政策なり処方なりの効用ばかりを云い募る、副作用の検討もしましたが軽微なうんぬん、ちうのんは、ジャングルの「開け」「空地」でのまことに微々たるゲーム的にテストをしただけのことであって・・
> >
> > 畢竟、あるものがない、という証明は、あるものがある、という証明に比較にならぬほどに難しい、ま、アポリアといってもよいかもしれぬ。
> >
> > > バーンスタイン:マーラー・復活 終楽章4/4
> > > http://www.youtube.com/watch?v=Au8qHVoUAUg&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=24
> > >
> > > これは、わたしと同じ高みに登ったことのある人なら、この高みに立って同時に、そもそも絶対的な満足はどこまで達し得られるものか、という原則的な問題に頭を悩ましたことのある人なら、誰にでも容易に理解できることであろう。
> >
> > これは高みでも低みでもおなじことであって、これも反復なんですね。躁鬱、復活、回復、回帰、みんなおんなじことです。
>
> さうさう、ここで躁鬱というのは、あまりにもメカニックで、さういう言葉をつかうとその言葉の既製概念、メカニックな範疇にとりこまれ、せっかくの高みも低みもその味わいが減殺されかねません。
>
> この躁鬱の騒々しい乾燥、ああ、異常乾燥注意報発令中でですが、だうも、乾燥のそうも、躁鬱のそうも、しっくりこないで、爽快のそう、颯爽のそう、のはうが、よいのかもsれませんし、鬱のはうも、鬱屈して出口が無い、糞詰まりの便秘精神状態よりは、絶望ですから、ちょっと違うわけで、これは、希望と絶望、願望、欲望の全能化と不能化ですから、さういう頭熱の状態は誰にもありうりわけであって、
>
> 幼稚と老成
>
> でもそうかもしれませんし、幼稚においては全能感に支配され、老成においては不能感に支配されて、まあ、そんだけでも、実際に不能かいなかは別にしても不能になってしまう、絶望の果てに自殺するやうなもんですが、全能感においてはそれにいくら支配されてもそれの達成は覚束ないのですから、老成すると同時にさういう全能感というもの支配されなくなる、はずなんですが、時として幼稚還りをすれば老成しておっても全能感に支配されることもある、それが、嵐のやうにやってくる・・・
>
> > 高みから絶望へころび落ちる、このモチーフも古来、イカロスの墜落、バベルの塔、精神分析や労働医学における全能と不能、万能と貧能、その他その他、禅と野狐禅とか、忙と閑とか・・・だいぶズレてきました。
> >
> > ともかくも、さいういろいろの状況があって、その状況に振り回される反復にして永劫回帰どすか。
> >
> > 良いも悪いもさうですかね。
> >
> > すっかす、この万能不能感も飛翔墜落感も忙閑感も善悪感もみんなふんまにさうなんだらうか?
> >
> > 自分で自分をそうしている、自分の外の状況がさうだからそうなる、ちうふうに外だしにしたところで、その状況をつくりあげているのは自分である、ということもおうおうにしてあるのだから、万能だから、不能だから、飛翔しているから、墜落したから、忙しいから、閑だから、善いから、悪いから、うんぬんちう高みの絶頂や低みの絶望で己をなくす、自分をなくすことが一番こわい。
>
> 畢竟、この畢竟がだうも晩生、おおくていけないのですが、アイロニーとか諧謔を解すること、そこにしなやかな自己をもちつづけられるか、つづけれらないか・・・
>
> > > > > わが沈黙の共犯者よ!名前こそありませんが、それでもおそらくはぼくは、あなたにとってつねに何ものかであるだろうと思います。そしていかなる場合にもかわらぬあなたの忠実な友です。
> >
> > 高みにあらうが、低みにあらうが、世間というものは、意外と寛容で、包容力がある、ちうよりか、そんなことには無関心なのかもしれませんし、マスコミジャーナリステック的には、パパラッチになったり、いろいろともかく野次馬へ餌を売るビジネスとしては、高み低みをできるだけ印象的に分裂させてヒーローと悪人をつくりだすことが、糊口を潤すたぬき知恵ですから、必要以上にコントラストをきつくして、世間に流して売り込むわけで、されを鵜呑みすた烏合の衆の野次馬どもが、あの、ゆうちゃんフィーバーのような熱に浮かされ、あたかも、ひっくりかえせばナチス万歳の予備軍が日本中、世界中で培養され増殖しつづける、さういう状況でも、世間ちうもんは意外と寛容で、包容力があって、無関心・・・
> >
> > いったいなぬぬ無関心なのか?
> >
> > いったいなぬぬ関心するのか?
> >
> > > > >                                  敬具
> >
> > キルケゴールとかニーチェちうのんは、まことに強い原酒、アブサンとか、テキーラの味わいで強烈ですね。ときどきデキソコナイ
>
> キルケゴールとかニーチェちうのんはイロニーと諧謔の塊でそのもっとも精製された蒸留成分めいていますから、それをストレートに煽ってしまっては、ひっくりかえりますよ。
>
> やうは、一の極みから他の極みに一挙にすっとんでいく、そのすっとびかたについていけない凡庸さでは、このイロニーも諧謔も味わいやうがありませんで、只管の脳波扁平な凡百な言説のなかをうろうろするだけでせいが、双極性や多極性の人格においては、脳波の香華ならぬ高下も振幅も大きいですから、容易についていける、同調できるんですが、それをストレートにうけとってしまうと、それこそパニックに発作になってしまう、脳波振り切れで、いと切れタコになりかねません。
>
> だから、イロニー諧謔に耐えられるだけの、それを解するだけの、さらにはそれを楽しめるだけの強靭さ、柔軟さというものを養わねばならん、つまり鍛錬がそれなりに必要であって、飲めぬ体質でありながら強い酒を一気に煽ればひっくり返るわけですから、相反する言説のその裂け目にあるもの、なぬもイロニーや諧謔には真実がないわけではなく、相反するもの、裂目にこそ真実というか、なにものかが、全否定のなかの全肯定もあるわけであって、それでこそ相反する感情や論理や生き方のもろもろを味わい楽しめるというものですね。
>
> > ゆえに、毎晩晩酌するなら、上質なるブランデー、清酒、焼酎、さいきんは、ソレガシはパックの梅酒で、これはさして上質ではありませんが、さういう晩酌でも度が過ぎればアルチューにもなるように、キルケゴールとかニーチェのアブサンやテキーラは効き目もはやいのですが、ほどほどにしないとこれも中毒を起こしますよ。
> >
> > これらの蒸留酒めいたもんに比して・・・・
> >
> > かの西田幾多郎なんかは、やっぱしどぶろくの味わい、それも酩酊状態ちう感じがします。いつまでもえんえんとおなじことを繰り返し繰り返し・・・これはお経の影響でせか。
> >
> > 西田の盟友の、鈴木大拙、これは上質な精進料理の味わいですね。意外と豊潤で味わい深く食べ過ぎてもさしたる中毒にもならず消化もよく臓器や脳みそをこわすこともないでせう。
> >
> > 歌や曲はちょっとおつまみなお菓子の類なのかもしれませんが、意外とクスリ的に毒気の強いものもありますが、よく効くものもあります。マーラー自身がフロイトの患者であったやうですが、マーラーの作品、あれはニーチェをモチーフにしたものも多いのですが、そのニーチャはこれまたキルケゴールをモチーフに・・・ちうのんは、ソレガシの観察、仮説、アテズッポウのくっちゃべりですが、いづれ歌曲をふくめて使いようによっては躁鬱の癒しに良く効きますね。



[53733] 相反するもの、裂目にこそ真実というか、なにものかが、全否定のなかの全肯定もあるわけであって、それでこそ相反する感情や論理や生き方のもろもろを味わい楽しめるというものですね。Re:[53731] いづれ歌曲をふくめて使いようによっては躁鬱の癒しに良く効きますね。Re:[53730] 絶対的な満足はどこまで達し得られるものか、Re:[53727] 一切のものが、わたしの小宇宙的な浄福のなかで、ふしぎに浄化されていた、その浄福がみずからのなかであらゆるものを、不愉快なことも、退屈きわまる人の言葉も、目に映る忌わしいものの姿も、どれほど宿命的ないさかいをも、浄化したのであった。しかしこの瞬間に、わたしが絶望のどん底にころび落ちたことだけは確かである。Re:[53726] なんじ、わたしの幸福なる自己よ、おまえの物悲しいせせらぎによって救われ解放されていたのだ!Re:[53719] 舞台は隠れた個人の影絵芝居にふさわしい。Re:[53715] 最後の審判の日に、自分自身で出頭することもできずに、気のきいた目論見とか、その日一日だけの決心とか、半時間きりの計画とかなどを身代わりに出頭させる人間Re:[53712] 現実的な姿が目の前にありながら、それが見えないのである。Re:[53710] インテレサントなものに心ひかれぬ娘は反復を信ずる、時を経てそうなった娘に栄誉あれ。Re:[53709] 女の誠実さというものは偉大なものだ、とりわけ男の要求をその厚意に感謝しながら懇ろに断る場合にそうである。Re:[53708] 関係はできたが実現の見込みはないという場合には、思いやりが最大の侮辱である。Re:[53706] わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。Re:[53703] 神よ、すべての男をそういう誠実さから守りたまえ!Re:[53699] 自分自身の死刑判決書Re:[53698] 汝(いまし)へのあこがれ絶えずRe:[53692] わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。Re:[53690] もし反復ということがなかったら、人生とはそもそも何であろう?Re:[53677] ぼくの苦痛と悩みには名前がありません。Re:[53676] ・・・Re:[53674] わが沈黙の共犯者よ! 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/02/03(Thu) 12:46  

りろちなひANNEX−Ω   訪問者数:2327891(今日:196/昨日:424)2011/02/03(thu) 11:17

Phantom of the Opera - All I Ask Of You W/ LYRICS
http://www.youtube.com/watch?v=s1_5hhr6niQ&feature=BF&list=QL&index=4

逆さベッド、ふだんは頭寒足熱どすが、かうかう厳寒の季節、けふは富士山もうっすらほのぼのとするやうな幾分温かいのですが、ここんところんったく寒く、朝日が上ってきて部屋へ日差すとベッドで逆さまになる、つまり日の出前から起きている部屋の灯りを消して、窓辺ちうよりベランダへ枕を移動し、頭に日差しのぬくもりを硝子ごしに受けてものを読み耽る、さすれば、そりゃあ、頭にも血が上ってしまってろくな想念が浮かんでこんちうこともなく、あれこれと飛びまくるイメージ、言葉、そして墜落、その墜落する以前に撃ち止めておけば、けっこうなもんも多々あるんですが、足寒頭熱でたって歩いてパソコンへゆくのも億劫、かといって俳句に狂ってあらゆる想念を575で撃ち止めやうとノートを枕元に控えさしたような習慣からもいくばくか遠ざかれば、あたら貴重なるもんが浮かんでは消え生まれては喪失する、その破片のいくばくかは、脳裏にのこっておって、これ、頭熱の白日夢なんでせうか、ともかくも・・・

人間というものは、ああ、下に躁鬱といいましたが、さういうメカニカルな精神医学語を使うとだうもさういうメカニカルなもんに嵌ってしまう、分裂しかりであって、躁うつ病と分裂病とてんかんのオンパレードがキルケゴールやドストエフスキーや、ニーチェあれは脳梅毒ぢゃ!なんちうことの以前のメカニカルな人間図式から離れて、さういう双極性、多極性、あるいは、同調性、あるいは反抗、対抗性、あらゆるものが渦を巻いていて、どこに?己に、自己に他己に世間に、汝があればそれに同調し、汝が朧になれば、それが分裂し多極化し、果ては反抗、対抗、まあ、これはまさに、かの市川の論じる身体図式そのものですけれども、それはまさに汝我のありよう、それが血肉を供えた一人の恋人であらうが読み耽る一冊の本であらうが、さういうこの巻き込まれる、それは、あたかも、あらゆる運動、身体的運動、精神的運動の最たるもんであって、自転車でもへたくそなくっちゃべり〜メタボの漕ぎ方、痴漢くんのハウツウに巻き込まれれば、畢竟、美しく乗れない、せいぜが豚や猿の行列にして、歯抜け鶏が首を前後して坂を登る風景にして、んったく醜悪な図式になりはてる、のですが、やはり、美しく乗る達人と乗ればその身体運動や精神のありやうがおのずから伝染してきて、これは共鳴かもしれませんが、意識せずとも学びとる、さういう無位意識の智慧ちうもんも、ひとにはそなわっていますから、酒にそばレバ、ではのうて、朱に染まれば赤くなる、染まってしまうのは、良いにつけ、悪しきにつけ、あることであって、自転車ならぬ、ダンスなんぞでも、相手が上手ければ下手でも上手く踊れる、まあ、ぎこちなくなくとも、へたくそな相手と踊るよりもへたくそぢゃない、セックスでもさうですね、うまい相手とやれば、いかに不能でも全能になったかのやうな・・・ちうこともないでしょうが、さういう不能治療は病院でやらないのか?やるかもしれませんね。医師法違反。

かういうのを冗談というのでせうか?

それともぶっらく、うむ、ぶっらくアウトでしらけちゃうんでせうか?

イロニーや諧謔のもろもろには、もちろん香華のあるもんもあれば醜悪なものもあるんでせうが、その香華にしても醜悪にしても、予定調和の香華や醜悪では、インテレサントなもんではありえぬわけあって、香華が醜悪、香ちういうからには臭の、悪習、悪臭、臭悪かもしれませんが、さういう双極性のいったりきたり、これは循環性ですが、さうぢゃのうて、同時存在、混沌、渦巻、サイクロン、ハリケーンなみに、ダイヤモンドも札束も糞もいっしょにぶっ飛んでくる、あのオーストラリヤも大変ですが、ああいう、ニュース、大雪の北陸や、穴沢の3m超の積雪、たしかに大変なんですが、さういうニュースのはうが、よっぽどあの馬鹿馬鹿しいサッカーのアジア大会の「ヒーロー」帰国でどたぬきマスコミが朝から晩までてんやわんやの餌作りのニュースなんぞよりもよっぽど心が休まりますが、さういうこと、つまり・・・

同調と対抗の図式の身体論、身は精神と肉体を止揚する、内外の媒介で、そこから発する言葉もおなじことでせうが、それが渦を巻いて吹き付けてくる、糞味噌一緒のサイクロンめいた脳みそが太陽の熱線で熱すれば、まあ、いろんな景色がみえてくるわけで・・

> つはもへへANNEX−Ω   訪問者数:2326943(今日:102/昨日:466)2011/02/01(Tue) 06:21
>
> に書きかけて放っておいて、というのも、くっちゃべってくっちゃべっるのは易しいが、沈黙は金、ちうか、難しいので・・ラジオで一聴してわるくはないと、さっそく帰宅して探してみれば、なんとおまあ、新しい湯気のたつ唄なんですね。
>
> 島津亜矢 /歌路遥かに【歌詞付き】(ニコニコ動画にも同じ動画有り)
> http://www.youtube.com/watch?v=Mo36iDpNeeY
>
> 2011年1月26日発売
>  作詞:小椋佳 作曲:小椋佳

これはラジオで島津亜矢が云うかぎりにおいては、島津亜矢のために小椋佳が作詞作曲してくれたもんださうで・・・

ふんでも歌でよかったですね。

これが歌ぢゃのうて、恋や愛だったら・・・ 
> 歌なんて 無くていいもの
> 無くても人は 病んだりしない
> けれども歌は 悲しみを慰め
> あるいは歌で 喜びが膨らむ
> 歌の一つで 心
> 洗われたりも しませんか
> 歌の一つで 命
> 救われたりも しませんか
>
> 歌なんて 辛い別れの
> 時一コマも 巻き戻せない
> けれども歌で 寂しさは薄らぎ
> あるいは歌で 空しさも和らぐ
> 歌の一つに まこと
> 尽くす想いで いるのです
> 歌の一つに わたし
> 真心込めて いるのです
>
> 私の証し あなたのために
> 歌いたい 歌っていたい
> 歌路遥かに 歌路遥かに
>
> 私の証し あなたのために
> 歌いたい 歌っていたい
> 歌路遥かに 歌路遥かに

> :*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★。
>
> 確かに・・・
>
> 歌なんて 無くていいもの
> 無くても人は 病んだりしない
>
> のは、俳句でも、詩でも、哲学でも、思想でも、宗教でも、ま、よのほとんどに当てはまりますわの。
>
> 果ては・・
>
> 医学なんて 無くていいもの
> 無くても人は 病んだりしない
>
> ちうことも、昨今の医原病満開の時勢には諧謔としていえるし・・もっと積極的に諧謔ならぬ事実としては;
>
> 政治家なんて 無くていいもの
> 無ければ人は 病んだりしない
>
> ちうことどすわの。マスコミしかりで・・
>
> それはさておき・・

恋なんて 無くていいもの
無くても人は 病んだりしない

愛なんて 無くていいもの
無くても人は 病んだりしない

性欲だけがあれば生きていける

とか、ま、これも諧謔、最高の相手への思いやりのなのかもしれませんが・・・

金なんて 無くていいもの
無くても人は 病んだりしない

名なんて 無くていいもの
無くても人は 病んだりしない

これは2ちゃんねるですね。

> Jon Hassell - Amsterdam Blue
> http://www.youtube.com/watch?v=dz40YrNBje4&feature=autoplay&list=QL&index=3&playnext=3
> わたしの忘れがたい保母よ、わたしの父の庭づたいに流れてゆく小川に住むなんじつかまえがたい水の精(ニンフ)よ、おまえはおまえ自身のことだけに心を使っていたけれど、それでもいつも子供の遊びに加わり遊び相手になってくれた!なんじ忠実なる慰安者よ、おまえは幾歳を経てなおおまえの無垢な純粋さを持ちつづけている。わたしがすでに老いさらばえてしまったのに、おまえはちっとも年をとってはいない。なんじ安らかな水の精(ニンフ)よ、人間に倦み、わたし自身に倦んで憩いのためにわたしが永遠を必要としたとき、悲嘆にくれてわたしが忘却のために永遠を必要としたとき、そのたびごとにいつもわたしはおまえのところに逃がれていった。人間たちが永遠を時間と同じようにせわしないものにし、時間よりももっと空恐ろしいものにしてわたしに拒もうとしたものを、おまえはわたしに拒まなかった。そういうとき、わたしはおまえの傍らに身を横たえ、わたし自身から逃がれて、頭上の広い広い蒼空へ消えていった、そして眠りをさそうおまえの囁きに、わたし自身を忘れたものだ!なんじ、わたしの幸福なる自己よ、わたしの父の庭づたいに流れゆく小川に住むなんじ足早の生よ、わたしは投げ捨てられた旅杖にも似た姿でおまえの傍らに身を横たえてはいたが、おまえの物悲しいせせらぎによって救われ解放されていたのだ!

この水の精(ニンフ)があるから、つづいての歌曲は She Was Too Good to Me となったわけですが・・


> > > She Was Too Good to Me
> > > http://mp3.xalo.vn/bai-hat/chet-baker/she-was-too-good-to-me/6b6a58f
> > > ある朝のこと、起き上がると珍しく気持ちが良かった。この快感は、比類を絶して、午前中ずうっとだんだん高まっていった。かっきり1時に、わたしは絶頂に達して、めまいがするほどの極限にいるのを感じた。それはもはや快感の測度計では、詩の温度計でさえも、表示されないほどの高度であった、体は地上的な重みを失っていた、体をもっていないかのようであった。あらゆる機能は満ち足りて働き、どの神経も自己自身に、また全体との調和に喜びを味わい、また一つ一つの脈拍は有機体全体を震動させて瞬間の快楽を思い出させ、それを感じさせるばかりだったから。わたしの歩みは漂うごとくであった、しかしそれは空気を切って地上を離れる鳥の飛翔とはちがって、稲穂の上を吹くわたる風の波、憧憬に酔える海のうねり、夢みる雲の滑走のごとくであった。わたし自身が海の深い底のように、ひとりを楽しむ夜の沈黙のように、反響(こだま)することのない独白にも似た真昼の静寂(しじま)のように、冴えわたっていた。あらゆる情緒が美しい調べを奏でて共鳴しながらわたしの魂の中でやすらいだ。想念は次々と湧き出てきた、あらゆる思想が、祝福の威儀をこらして、押しよせてきた、世にも愚かしい思いつきも、世にも豊かなイデーも。あらゆる印象は来る前にすでに予感されていた、だからそれはわたし自身のうちで目を覚ました。全人世がわたしに愛をかたむけているもののようであった、一切のものが、わたしの存在に触れて運命をはらみながら、打ち震えた。わたしのうちにあるすべてのものは前兆であった。そして一切のものが、わたしの小宇宙的な浄福のなかで、ふしぎに浄化されていた、その浄福がみずからのなかであらゆるものを、不愉快なことも、退屈きわまる人の言葉も、目に映る忌わしいものの姿も、どれほど宿命的ないさかいをも、浄化したのであった。さきにもいったが、かっきり1時に、わたしは最高潮に立っていた、わたしはそれが極限だと予感した。そのとき突然、わたしの一方の目が少しかゆくなりはじめた。それは睫毛だったか、それとも毛屑か塵だったか、わたしは知らない。しかしこの瞬間に、わたしが絶望のどん底にころび落ちたことだけは確かである。
>
> この予兆、高みへの予兆、はたまた、低みへの予兆、さういうこともふくめて、予兆があれば予防でけるか?ちうと、それが難しいわけで、
>
> 予兆がきたら精神科!
>
> ちう安易な行動をとっても、薬漬けになる、薬の効用も副作用も、そりゃあ、広大無辺な精神のジャングルのなかの「開け」「空地」で行なうゲームにすぎぬやうな知のありようであって、この「開け」とか「空地」ちうのんはかのユネスコキルケゴール生誕150周年記念の講演会でハイデッガーがキルケゴールのキの字もださずに寄せた記念講演原稿のなかのキー概念どすが、さういうことは、なぬも哲学ならぬ科学でも医学でもわかっておる、わかっておるにもかかわらず、それぢゃあ、商売にならぬのんは、科学でも医学でもおなじであって、ゆえにわからぬことをわからぬということには口を噤んで、いかにもわかったがぶりでものを云う悪育成、悪い癖に輪をかけたマスコミ、コマーシャル、電通博報堂TV新聞はたまた病院厚生省、そうじて医療行政ならぬ行政もしかりであって、ある政策なり処方なりの効用ばかりを云い募る、副作用の検討もしましたが軽微なうんぬん、ちうのんは、ジャングルの「開け」「空地」でのまことに微々たるゲーム的にテストをしただけのことであって・・
>
> 畢竟、あるものがない、という証明は、あるものがある、という証明に比較にならぬほどに難しい、ま、アポリアといってもよいかもしれぬ。
>
> > バーンスタイン:マーラー・復活 終楽章4/4
> > http://www.youtube.com/watch?v=Au8qHVoUAUg&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=24
> >
> > これは、わたしと同じ高みに登ったことのある人なら、この高みに立って同時に、そもそも絶対的な満足はどこまで達し得られるものか、という原則的な問題に頭を悩ましたことのある人なら、誰にでも容易に理解できることであろう。
>
> これは高みでも低みでもおなじことであって、これも反復なんですね。躁鬱、復活、回復、回帰、みんなおんなじことです。

さうさう、ここで躁鬱というのは、あまりにもメカニックで、さういう言葉をつかうとその言葉の既製概念、メカニックな範疇にとりこまれ、せっかくの高みも低みもその味わいが減殺されかねません。

この躁鬱の騒々しい乾燥、ああ、異常乾燥注意報発令中でですが、だうも、乾燥のそうも、躁鬱のそうも、しっくりこないで、爽快のそう、颯爽のそう、のはうが、よいのかもsれませんし、鬱のはうも、鬱屈して出口が無い、糞詰まりの便秘精神状態よりは、絶望ですから、ちょっと違うわけで、これは、希望と絶望、願望、欲望の全能化と不能化ですから、さういう頭熱の状態は誰にもありうりわけであって、

幼稚と老成

でもそうかもしれませんし、幼稚においては全能感に支配され、老成においては不能感に支配されて、まあ、そんだけでも、実際に不能かいなかは別にしても不能になってしまう、絶望の果てに自殺するやうなもんですが、全能感においてはそれにいくら支配されてもそれの達成は覚束ないのですから、老成すると同時にさういう全能感というもの支配されなくなる、はずなんですが、時として幼稚還りをすれば老成しておっても全能感に支配されることもある、それが、嵐のやうにやってくる・・・

> 高みから絶望へころび落ちる、このモチーフも古来、イカロスの墜落、バベルの塔、精神分析や労働医学における全能と不能、万能と貧能、その他その他、禅と野狐禅とか、忙と閑とか・・・だいぶズレてきました。
>
> ともかくも、さいういろいろの状況があって、その状況に振り回される反復にして永劫回帰どすか。
>
> 良いも悪いもさうですかね。
>
> すっかす、この万能不能感も飛翔墜落感も忙閑感も善悪感もみんなふんまにさうなんだらうか?
>
> 自分で自分をそうしている、自分の外の状況がさうだからそうなる、ちうふうに外だしにしたところで、その状況をつくりあげているのは自分である、ということもおうおうにしてあるのだから、万能だから、不能だから、飛翔しているから、墜落したから、忙しいから、閑だから、善いから、悪いから、うんぬんちう高みの絶頂や低みの絶望で己をなくす、自分をなくすことが一番こわい。

畢竟、この畢竟がだうも晩生、おおくていけないのですが、アイロニーとか諧謔を解すること、そこにしなやかな自己をもちつづけられるか、つづけれらないか・・・

> > > > わが沈黙の共犯者よ!名前こそありませんが、それでもおそらくはぼくは、あなたにとってつねに何ものかであるだろうと思います。そしていかなる場合にもかわらぬあなたの忠実な友です。
>
> 高みにあらうが、低みにあらうが、世間というものは、意外と寛容で、包容力がある、ちうよりか、そんなことには無関心なのかもしれませんし、マスコミジャーナリステック的には、パパラッチになったり、いろいろともかく野次馬へ餌を売るビジネスとしては、高み低みをできるだけ印象的に分裂させてヒーローと悪人をつくりだすことが、糊口を潤すたぬき知恵ですから、必要以上にコントラストをきつくして、世間に流して売り込むわけで、されを鵜呑みすた烏合の衆の野次馬どもが、あの、ゆうちゃんフィーバーのような熱に浮かされ、あたかも、ひっくりかえせばナチス万歳の予備軍が日本中、世界中で培養され増殖しつづける、さういう状況でも、世間ちうもんは意外と寛容で、包容力があって、無関心・・・
>
> いったいなぬぬ無関心なのか?
>
> いったいなぬぬ関心するのか?
>
> > > >                                  敬具
>
> キルケゴールとかニーチェちうのんは、まことに強い原酒、アブサンとか、テキーラの味わいで強烈ですね。ときどきデキソコナイ

キルケゴールとかニーチェちうのんはイロニーと諧謔の塊でそのもっとも精製された蒸留成分めいていますから、それをストレートに煽ってしまっては、ひっくりかえりますよ。

やうは、一の極みから他の極みに一挙にすっとんでいく、そのすっとびかたについていけない凡庸さでは、このイロニーも諧謔も味わいやうがありませんで、只管の脳波扁平な凡百な言説のなかをうろうろするだけでせいが、双極性や多極性の人格においては、脳波の香華ならぬ高下も振幅も大きいですから、容易についていける、同調できるんですが、それをストレートにうけとってしまうと、それこそパニックに発作になってしまう、脳波振り切れで、いと切れタコになりかねません。

だから、イロニー諧謔に耐えられるだけの、それを解するだけの、さらにはそれを楽しめるだけの強靭さ、柔軟さというものを養わねばならん、つまり鍛錬がそれなりに必要であって、飲めぬ体質でありながら強い酒を一気に煽ればひっくり返るわけですから、相反する言説のその裂け目にあるもの、なぬもイロニーや諧謔には真実がないわけではなく、相反するもの、裂目にこそ真実というか、なにものかが、全否定のなかの全肯定もあるわけであって、それでこそ相反する感情や論理や生き方のもろもろを味わい楽しめるというものですね。

> ゆえに、毎晩晩酌するなら、上質なるブランデー、清酒、焼酎、さいきんは、ソレガシはパックの梅酒で、これはさして上質ではありませんが、さういう晩酌でも度が過ぎればアルチューにもなるように、キルケゴールとかニーチェのアブサンやテキーラは効き目もはやいのですが、ほどほどにしないとこれも中毒を起こしますよ。
>
> これらの蒸留酒めいたもんに比して・・・・
>
> かの西田幾多郎なんかは、やっぱしどぶろくの味わい、それも酩酊状態ちう感じがします。いつまでもえんえんとおなじことを繰り返し繰り返し・・・これはお経の影響でせか。
>
> 西田の盟友の、鈴木大拙、これは上質な精進料理の味わいですね。意外と豊潤で味わい深く食べ過ぎてもさしたる中毒にもならず消化もよく臓器や脳みそをこわすこともないでせう。
>
> 歌や曲はちょっとおつまみなお菓子の類なのかもしれませんが、意外とクスリ的に毒気の強いものもありますが、よく効くものもあります。マーラー自身がフロイトの患者であったやうですが、マーラーの作品、あれはニーチェをモチーフにしたものも多いのですが、そのニーチャはこれまたキルケゴールをモチーフに・・・ちうのんは、ソレガシの観察、仮説、アテズッポウのくっちゃべりですが、いづれ歌曲をふくめて使いようによっては躁鬱の癒しに良く効きますね。



[53732] 北風看守のお力でアクセス禁止の独房からでましたが 投稿者:yoonglee 投稿日:2011/02/02(Wed) 19:23  

先週、オペを終えて退院したが、うむ。


[53731] いづれ歌曲をふくめて使いようによっては躁鬱の癒しに良く効きますね。Re:[53730] 絶対的な満足はどこまで達し得られるものか、Re:[53727] 一切のものが、わたしの小宇宙的な浄福のなかで、ふしぎに浄化されていた、その浄福がみずからのなかであらゆるものを、不愉快なことも、退屈きわまる人の言葉も、目に映る忌わしいものの姿も、どれほど宿命的ないさかいをも、浄化したのであった。しかしこの瞬間に、わたしが絶望のどん底にころび落ちたことだけは確かである。Re:[53726] なんじ、わたしの幸福なる自己よ、おまえの物悲しいせせらぎによって救われ解放されていたのだ!Re:[53719] 舞台は隠れた個人の影絵芝居にふさわしい。Re:[53715] 最後の審判の日に、自分自身で出頭することもできずに、気のきいた目論見とか、その日一日だけの決心とか、半時間きりの計画とかなどを身代わりに出頭させる人間Re:[53712] 現実的な姿が目の前にありながら、それが見えないのである。Re:[53710] インテレサントなものに心ひかれぬ娘は反復を信ずる、時を経てそうなった娘に栄誉あれ。Re:[53709] 女の誠実さというものは偉大なものだ、とりわけ男の要求をその厚意に感謝しながら懇ろに断る場合にそうである。Re:[53708] 関係はできたが実現の見込みはないという場合には、思いやりが最大の侮辱である。Re:[53706] わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。Re:[53703] 神よ、すべての男をそういう誠実さから守りたまえ!Re:[53699] 自分自身の死刑判決書Re:[53698] 汝(いまし)へのあこがれ絶えずRe:[53692] わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。Re:[53690] もし反復ということがなかったら、人生とはそもそも何であろう?Re:[53677] ぼくの苦痛と悩みには名前がありません。Re:[53676] ・・・Re:[53674] わが沈黙の共犯者よ! 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/02/02(Wed) 16:15  

つはもへへANNEX−Ω   訪問者数:2326943(今日:102/昨日:466)2011/02/01(Tue) 06:21

に書きかけて放っておいて、というのも、くっちゃべってくっちゃべっるのは易しいが、沈黙は金、ちうか、難しいので、己に課す試練、ちうても、試練も狎れちまえば、楽楽と頽落しちまうわけで・・・ふんで棚上げどしたが、やっぱす、おもったときにおもったことをくっちゃべったはうが、いろいろ発見もありますれば、なんば舌下の黙々の舌頭、舌先のぺらぺらとはいえ、世の中に無駄なもんはありませんわの、ちうことで、まんだ、昨日も書きかけのもんもあって、それも放っておいて、けふ、ほんま来週の予定が、なんだか体が痛い、調子が悪い、入院したい、その他もろもろで、自家用救急車へ老母のせ待ちのときに、ラジオからこの唄がさきほどながれてきますて、島津アヤなんちゅうもんはしらん、ちうば、あの男っぽいうたをうたう人、と酸素チューブでぜいぜいしながら応える老母も、その調子なら、まあ、入院もなかんだんべ、と病院においてきた次第で・・・ラジオで一聴してわるくはないと、さっそく帰宅して探してみれば、なんとおまあ、新しい湯気のたつ唄なんですね。

島津亜矢 /歌路遥かに【歌詞付き】(ニコニコ動画にも同じ動画有り)
http://www.youtube.com/watch?v=Mo36iDpNeeY

2011年1月26日発売
 作詞:小椋佳 作曲:小椋佳

歌なんて 無くていいもの
無くても人は 病んだりしない
けれども歌は 悲しみを慰め
あるいは歌で 喜びが膨らむ
歌の一つで 心
洗われたりも しませんか
歌の一つで 命
救われたりも しませんか

歌なんて 辛い別れの
時一コマも 巻き戻せない
けれども歌で 寂しさは薄らぎ
あるいは歌で 空しさも和らぐ
歌の一つに まこと
尽くす想いで いるのです
歌の一つに わたし
真心込めて いるのです

私の証し あなたのために
歌いたい 歌っていたい
歌路遥かに 歌路遥かに

私の証し あなたのために
歌いたい 歌っていたい
歌路遥かに 歌路遥かに

サードパーティのコンテンツと一致してるので1週間程度でフレンドのみ公開にする予定­です。ユーチューブで削除された場合、ニコニコ動画のサイトで同じ動画をアップロード­してあるので会員になって観てください。お願い致します。

:*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★。

確かに・・・

歌なんて 無くていいもの
無くても人は 病んだりしない

のは、俳句でも、詩でも、哲学でも、思想でも、宗教でも、ま、よのほとんどに当てはまりますわの。

果ては・・

医学なんて 無くていいもの
無くても人は 病んだりしない

ちうことも、昨今の医原病満開の時勢には諧謔としていえるし・・もっと積極的に諧謔ならぬ事実としては;

政治家なんて 無くていいもの
無ければ人は 病んだりしない

ちうことどすわの。マスコミしかりで・・

それはさておき・・

                
> > She Was Too Good to Me
> > http://mp3.xalo.vn/bai-hat/chet-baker/she-was-too-good-to-me/6b6a58f
> > ある朝のこと、起き上がると珍しく気持ちが良かった。この快感は、比類を絶して、午前中ずうっとだんだん高まっていった。かっきり1時に、わたしは絶頂に達して、めまいがするほどの極限にいるのを感じた。それはもはや快感の測度計では、詩の温度計でさえも、表示されないほどの高度であった、体は地上的な重みを失っていた、体をもっていないかのようであった。あらゆる機能は満ち足りて働き、どの神経も自己自身に、また全体との調和に喜びを味わい、また一つ一つの脈拍は有機体全体を震動させて瞬間の快楽を思い出させ、それを感じさせるばかりだったから。わたしの歩みは漂うごとくであった、しかしそれは空気を切って地上を離れる鳥の飛翔とはちがって、稲穂の上を吹くわたる風の波、憧憬に酔える海のうねり、夢みる雲の滑走のごとくであった。わたし自身が海の深い底のように、ひとりを楽しむ夜の沈黙のように、反響(こだま)することのない独白にも似た真昼の静寂(しじま)のように、冴えわたっていた。あらゆる情緒が美しい調べを奏でて共鳴しながらわたしの魂の中でやすらいだ。想念は次々と湧き出てきた、あらゆる思想が、祝福の威儀をこらして、押しよせてきた、世にも愚かしい思いつきも、世にも豊かなイデーも。あらゆる印象は来る前にすでに予感されていた、だからそれはわたし自身のうちで目を覚ました。全人世がわたしに愛をかたむけているもののようであった、一切のものが、わたしの存在に触れて運命をはらみながら、打ち震えた。わたしのうちにあるすべてのものは前兆であった。そして一切のものが、わたしの小宇宙的な浄福のなかで、ふしぎに浄化されていた、その浄福がみずからのなかであらゆるものを、不愉快なことも、退屈きわまる人の言葉も、目に映る忌わしいものの姿も、どれほど宿命的ないさかいをも、浄化したのであった。さきにもいったが、かっきり1時に、わたしは最高潮に立っていた、わたしはそれが極限だと予感した。そのとき突然、わたしの一方の目が少しかゆくなりはじめた。それは睫毛だったか、それとも毛屑か塵だったか、わたしは知らない。しかしこの瞬間に、わたしが絶望のどん底にころび落ちたことだけは確かである。

この予兆、高みへの予兆、はたまた、低みへの予兆、さういうこともふくめて、予兆があれば予防でけるか?ちうと、それが難しいわけで、

予兆がきたら精神科!

ちう安易な行動をとっても、薬漬けになる、薬の効用も副作用も、そりゃあ、広大無辺な精神のジャングルのなかの「開け」「空地」で行なうゲームにすぎぬやうな知のありようであって、この「開け」とか「空地」ちうのんはかのユネスコキルケゴール生誕150周年記念の講演会でハイデッガーがキルケゴールのキの字もださずに寄せた記念講演原稿のなかのキー概念どすが、さういうことは、なぬも哲学ならぬ科学でも医学でもわかっておる、わかっておるにもかかわらず、それぢゃあ、商売にならぬのんは、科学でも医学でもおなじであって、ゆえにわからぬことをわからぬということには口を噤んで、いかにもわかったがぶりでものを云う悪育成、悪い癖に輪をかけたマスコミ、コマーシャル、電通博報堂TV新聞はたまた病院厚生省、そうじて医療行政ならぬ行政もしかりであって、ある政策なり処方なりの効用ばかりを云い募る、副作用の検討もしましたが軽微なうんぬん、ちうのんは、ジャングルの「開け」「空地」でのまことに微々たるゲーム的にテストをしただけのことであって・・

畢竟、あるものがない、という証明は、あるものがある、という証明に比較にならぬほどに難しい、ま、アポリアといってもよいかもしれぬ。

> バーンスタイン:マーラー・復活 終楽章4/4
> http://www.youtube.com/watch?v=Au8qHVoUAUg&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=24
>
> これは、わたしと同じ高みに登ったことのある人なら、この高みに立って同時に、そもそも絶対的な満足はどこまで達し得られるものか、という原則的な問題に頭を悩ましたことのある人なら、誰にでも容易に理解できることであろう。

これは高みでも低みでもおなじことであって、これも反復なんですね。躁鬱、復活、回復、回帰、みんなおんなじことです。

高みから絶望へころび落ちる、このモチーフも古来、イカロスの墜落、バベルの塔、精神分析や労働医学における全能と不能、万能と貧能、その他その他、禅と野狐禅とか、忙と閑とか・・・だいぶズレてきました。

ともかくも、さいういろいろの状況があって、その状況に振り回される反復にして永劫回帰どすか。

良いも悪いもさうですかね。

すっかす、この万能不能感も飛翔墜落感も忙閑感も善悪感もみんなふんまにさうなんだらうか?

自分で自分をそうしている、自分の外の状況がさうだからそうなる、ちうふうに外だしにしたところで、その状況をつくりあげているのは自分である、ということもおうおうにしてあるのだから、万能だから、不能だから、飛翔しているから、墜落したから、忙しいから、閑だから、善いから、悪いから、うんぬんちう高みの絶頂や低みの絶望で己をなくす、自分をなくすことが一番こわい。


> > > わが沈黙の共犯者よ!名前こそありませんが、それでもおそらくはぼくは、あなたにとってつねに何ものかであるだろうと思います。そしていかなる場合にもかわらぬあなたの忠実な友です。

高みにあらうが、低みにあらうが、世間というものは、意外と寛容で、包容力がある、ちうよりか、そんなことには無関心なのかもしれませんし、マスコミジャーナリステック的には、パパラッチになったり、いろいろともかく野次馬へ餌を売るビジネスとしては、高み低みをできるだけ印象的に分裂させてヒーローと悪人をつくりだすことが、糊口を潤すたぬき知恵ですから、必要以上にコントラストをきつくして、世間に流して売り込むわけで、されを鵜呑みすた烏合の衆の野次馬どもが、あの、ゆうちゃんフィーバーのような熱に浮かされ、あたかも、ひっくりかえせばナチス万歳の予備軍が日本中、世界中で培養され増殖しつづける、さういう状況でも、世間ちうもんは意外と寛容で、包容力があって、無関心・・・

いったいなぬぬ無関心なのか?

いったいなぬぬ関心するのか?

> > >                                  敬具

キルケゴールとかニーチェちうのんは、まことに強い原酒、アブサンとか、テキーラの味わいで強烈ですね。ときどきデキソコナイのどぶろくめいたもんもなくはないが・・

ゆえに、毎晩晩酌するなら、上質なるブランデー、清酒、焼酎、さいきんは、ソレガシはパックの梅酒で、これはさして上質ではありませんが、さういう晩酌でも度が過ぎればアルチューにもなるように、キルケゴールとかニーチェのアブサンやテキーラは効き目もはやいのですが、ほどほどにしないとこれも中毒を起こしますよ。

これらの蒸留酒めいたもんに比して・・・・

かの西田幾多郎なんかは、やっぱしどぶろくの味わい、それも酩酊状態ちう感じがします。いつまでもえんえんとおなじことを繰り返し繰り返し・・・これはお経の影響でせか。

西田の盟友の、鈴木大拙、これは上質な精進料理の味わいですね。意外と豊潤で味わい深く食べ過ぎてもさしたる中毒にもならず消化もよく臓器や脳みそをこわすこともないでせう。

歌や曲はちょっとおつまみなお菓子の類なのかもしれませんが、意外とクスリ的に毒気の強いものもありますが、よく効くものもあります。マーラー自身がフロイトの患者であったやうですが、マーラーの作品、あれはニーチェをモチーフにしたものも多いのですが、そのニーチャはこれまたキルケゴールをモチーフに・・・ちうのんは、ソレガシの観察、仮説、アテズッポウのくっちゃべりですが、いづれ歌曲をふくめて使いようによっては躁鬱の癒しに良く効きますね。





[53730] 絶対的な満足はどこまで達し得られるものか、Re:[53727] 一切のものが、わたしの小宇宙的な浄福のなかで、ふしぎに浄化されていた、その浄福がみずからのなかであらゆるものを、不愉快なことも、退屈きわまる人の言葉も、目に映る忌わしいものの姿も、どれほど宿命的ないさかいをも、浄化したのであった。しかしこの瞬間に、わたしが絶望のどん底にころび落ちたことだけは確かである。Re:[53726] なんじ、わたしの幸福なる自己よ、おまえの物悲しいせせらぎによって救われ解放されていたのだ!Re:[53719] 舞台は隠れた個人の影絵芝居にふさわしい。Re:[53715] 最後の審判の日に、自分自身で出頭することもできずに、気のきいた目論見とか、その日一日だけの決心とか、半時間きりの計画とかなどを身代わりに出頭させる人間Re:[53712] 現実的な姿が目の前にありながら、それが見えないのである。Re:[53710] インテレサントなものに心ひかれぬ娘は反復を信ずる、時を経てそうなった娘に栄誉あれ。Re:[53709] 女の誠実さというものは偉大なものだ、とりわけ男の要求をその厚意に感謝しながら懇ろに断る場合にそうである。Re:[53708] 関係はできたが実現の見込みはないという場合には、思いやりが最大の侮辱である。Re:[53706] わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。Re:[53703] 神よ、すべての男をそういう誠実さから守りたまえ!Re:[53699] 自分自身の死刑判決書Re:[53698] 汝(いまし)へのあこがれ絶えずRe:[53692] わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。Re:[53690] もし反復ということがなかったら、人生とはそもそも何であろう?Re:[53677] ぼくの苦痛と悩みには名前がありません。Re:[53676] ・・・Re:[53674] わが沈黙の共犯者よ! 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/01/31(Mon) 05:50  

えわつるてANNEX−Ω   訪問者数:2326481(今日:106/昨日:597)2011/01/31(Mon) 05:34

> Lizz Wright - The First and Last to Love Me (K. Hanrahan)
> http://www.youtube.com/watch?v=E8Dp21T8c7c&feature=BF&list=QL&index=25
> ・・・反復の恋こそ唯一の幸福な恋なのだ。反復の恋には、追憶の恋と同じように、期待と不安定さがない。探検に伴う不安な冒険もない、しかしまた、追憶のもつ哀愁もない、そこには瞬間の至福な確実さがある。・・・・・期待するには若さが要る、追憶するには若さが要る。しかし、反復を欲するには勇気が要る。期待するしか欲しないものは卑怯である。追憶をしか欲しないものは淫らである。しかし、反復を欲するものは男である。そして、このことをしっかりと自覚するにつれて、ひとはそれだけ深みのある人間になる。ところが、人生は反復であり、そして反復こそ人生の美しさであることを理解しないものは、手ずから自分に判決をくだしたも同然で、所詮まぬがれられぬ運命、つまり自滅するほかあるまい。思うに、期待はひとをさしまねく果実ではあるが、腹の足しにはならぬ。追憶はまことに乏しい糊口の資で、これまた腹を満たすには足りない。ところが反復は日々のパンである、それは祝福をもって満腹にさせてくれる。・・・彼は反復を楽しみながら、心静かにわが道を歩む。ほんとうに、もし反復ということがなかったら、人生とはそもそも何であろう?

> Edyta Gorniak - Hello (Gala RMF FM) [Live] HQ DIVA
> http://www.youtube.com/watch?v=AWsesrdS1Jg&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=26
> ・・・次から次へと新しいものに打ち興じさせて魂を柔弱にしてしまうあらゆる果敢(はか)ないもの、目新しいものに、それからそれへと心を奪われることを、誰がこいねがうであろうか?反復、これが現実なのだ、人の世の厳粛さなのだ、反復を欲するものは厳粛さにおいて成熟しているのだ。・・・ソファにどっかと腰をおろして楊枝で歯をほじくっていたりーーーそしておまけに、たいした人物、たとえば法律顧問でござるとばかり勿体(もったい)ぶるとか、あるいは、偉容をととのえて街上を闊歩したりーーーそしておまけに、たいした人物、たとえばなんとか尊師でございますとばかりに尊大ぶるとかするのは、けっして人生の厳粛さではない。そういう勿体ぶった態度は、国王の調馬師だといって得意になるのと同じように、人生の厳粛さではない。そのようなことはすべて、わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。

> Lizz Wright's Version of 'Hey Mann'
> http://www.youtube.com/watch?v=_Wp8-ahXVFI&feature=BF&list=QL&index=31
恋するものはよく恋の甘い不安を詩人の言葉に託して吐き出しながら歓喜に酔うものだ・・・
>     わが古きゆり椅子に
>       立ち返りくる若き日の夢
>     女性(おみな)らの太陽(ひ)と照り映ゆる
>       汝(いまし)へのあこがれ絶えず

> ・・・メランコリックな男に恋をさせてみるがいい、そしたら何もかも消し飛んでしまう、とよくきまったように言われる。しかし、彼がほんとうにメランコリックであるなら、彼にとって何よりも重大な事柄を彼の心がどうしてメランコリックに考えずにいられるだろうか。彼は深くそして熱烈に恋している、これは明らかだ。それだのに、彼は最初の日からもう彼の恋愛を追憶できる状態にある。つまり、彼は恋愛関係をすでにすっかり完了しているのである。始めるときにおそろしく大股に歩いたために、彼は人生を飛び越してしまったのだ。・・・

> Frank Sinatra - Only the Lonely
> http://www.youtube.com/watch?v=bef_s1Bhn7o&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=59
> 彼女は彼の恋人であった。彼がかつて愛した唯一の恋人、彼がいつか愛するようになるかもしれない唯一の恋人であった。しかし、それだのにまた、彼は彼女を愛してはいなかった、彼はただ彼女に憧れていただけだったのだ。あの少女は彼の恋人ではなかったのだ。彼女は彼のうちに詩的なものを目覚めさせ彼を詩人にする誘因だったのである。だからこそ、彼は彼女だけを愛することができ、彼女をけっして忘れることができず、けっしてほかの女を愛しようとはしなかったのだ。けれども、彼はつねに彼女をただ憧れていただけのことであった。彼女は彼自身の全存在のなかに吸収されてしまったのである。彼女の思い出はいつまでもいきいきと残ることだろう。彼女は彼にとってあまりに大きい意味をもってしまった、彼女は彼を詩人に仕上げてしまったのだ、だからつまり、彼女は自分自身の死刑判決書に署名してしまったのだ。

> Kenny Rogers - Lady
> http://www.youtube.com/watch?v=Tj_NjLBPotQ&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=11
> 諦めることをしないで男にうるさくつきまとい、それが真実に男を愛していることの証明だなどと自惚れるほど利己的な女があるとしたら、そういう女の一生の任務はまことに安易なもので、誠実だという名誉と疚しからぬ良心を、同時にまたごく上品に洗練された恋愛までも、わけなく享受できるだろう。神よ、すべての男をそういう誠実さから守りたまえ!

> Vera Lynn - As Time Goes By
> http://www.youtube.com/watch?v=S8F9NzVuIuA&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=1
> わたしはレタスが好きだが、いつも芯だけしか食べない、葉は豚にやるものだとわたしは思っている。わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。

> It's Over-Gato Barbieri
> http://www.youtube.com/watch?v=ksmLewp4vf8&feature=BF&list=QL&index=4
> 岩角に釘づけにされたプロメテウスが、禿鷹に肝臓をついばまれながら、その語る予言によって神々を惹きつけるように、彼女は恋人を惹きつけた。くる日もくる日も、すべてがささげつくされた、その日その日が最後であったから。だが、それがいつまでもつづくわけではなかった。彼女はおのれを縛りつけている鎖を噛んでみた。しかし、彼女の激情がたけりたてばたけりたつほど、彼女の歌はいよいよ甘く、彼女の言葉はいよいよ優しく、鎖はいよいよ固くなった。この誤解から現実の関係を作り上げるなどということは、彼女には不可能だった。それこそ彼を永久の欺瞞にゆだねることだった。彼女の思い、彼女の心は、実は彼とは別のものを、つまり、彼女が彼に象徴させているものを求めているのであって、彼はその憧憬の化身にすぎないといって彼の思い違いを説明してやるのは、彼を深く傷つけることで、それには彼女の誇りが憤りを感ずるのであった。そういうやり口は、彼女の何よりも軽蔑するものであった。それはまた彼女として当然なことだった。男を欺き誘惑するのは軽蔑すべきことである、しかし、あなたはわたしの理想ではなかったのだと説明して男をいいくるめたり、あなたは詩神にすぎなかったのだといって男をなだめたり、自分を悪者にしないばかりか立派な逃げ道までもこしらえて男を見捨ててしまうというのは、さらに軽蔑すべきことである。男をくどく経験を多少とも積んだものなら、それくらいのことはわけなくやってのけるだろう。せっぱつまって男のほうでもその申し出に応ずるだろう。こうして首尾よく逃げおおせたうえに、しかも正直な人ということになる、親切な人ということにさえなる。しかしあとになってみると、だまされていたことを知っている男よりもいっそう深い傷を、その男は心に負っているのである。だからどんな恋愛関係においても、関係はできたが実現の見込みはないという場合には、思いやりが最大の侮辱である。エロス的な目をもちしかも臆病でない女なら、思いやりをもたないということが、男の体面を保ってやるための残された唯一の方法だということを、容易に理解するだろう。

> Right Here Waiting - Richard Marx
> http://www.youtube.com/watch?v=Zilog7d523w&feature=BF&list=QL&index=9
> わたしは娘のすることならなんでも赦すことができるのだが、娘が恋をしながら恋の使命をとり違えるのだけは、どうにもゆるせない。娘の恋が献身的でないなら、その娘は女でなくて野郎なのだ。そういう娘はその恋によってまず愛する男の血を吸いとってしまい、はては男をして懊悩と絶望のあまり自分から手を切るにいたらしめるものだが、そういう恋にこがれる女を、そういう役をみごとに演じて、同情をよせる家族の者や友達に泣いてもらうひとりのエルヴィーラとして登場させることは、喜劇詩人にとって実にやりがいのある仕事であるにちがいない、このエルヴィーラは、欺かれた娘たちの合唱団で第一歌手を演じ、男たちの不実を、明らかに自分の一生を台なしにするほど不実だったと、いかにも大げさにまくしたてることを心得ている女、しかもそういうことをずうずうしくも落ち着き払ってやってのけながら、自分自身の誠実さのほうこそ、むしろ愛する男の生命を奪いかねないということに、半秒間も思いいたることのない女なのである。女の誠実さというものは偉大なものだ、とりわけ男の要求をその厚意に感謝しながら懇ろに断る場合にそうである。女のそういう誠実さはいつも測り知れず、理解しがたい。恋する男が、どんなに苦しくとも、怒りの言葉をひとことも女に浴びせることなく、かえって女をだまして、自分を欺くとはけしからん男だと思っている女の思い違いを強めてやるという、より深刻な復讐に甘んずるだけのユーモアを失わずにいるとしたら、この場面は実に愉快なものになることだろう。

> tell him... celine dion / barbra streisand
> http://www.youtube.com/watch?v=wB_vjpRhLxM
> 「N.Nさんはいい人だけど、退屈だわ。ところがF.Fさんったら、あの人とってもおもしろくって、いかすわよ。」かわいい娘の口からこういう言葉を聞くたびに、わたしはいつも思うのである。「よくも恥ずかしくないものだ、若い娘がそんなことを口にするなんて、なんて情けないことだろう。」男がインテレサントなものに迷い込んだとき、救い出してくれるものは娘のほかにないではないか。それだのに、そういうことを口にするのは、罪を犯すことではないか。当の男がインテレサントなことなどできない人間であるなら、その男に向かってそれをせよと要求するのは、思いやりのないことであるし、あるいはまた、男がインテレサントなことのできる人間であるなら、そしたら・・・・・・・・、なぜかといえば、若い娘というものは、インテレサントなものを誘い出すことをしないようにこそ、つねに慎むべきものだからだ。そういうことをする娘は、イデーからみて、いつも損をする。インテレサントなものはけっして反復されないからである。インテレサントなものを求める娘は、みずからそこにおちいる罠となる。インテレサントなものに心ひかれぬ娘は反復を信ずる、そういう生まれつきの娘に栄誉あれ。時を経てそうなった娘に栄誉あれ。

> Diana Krall Love Is Where You Are
> http://www.youtube.com/watch?v=vByMcoYgjaY&feature=BF&list=QL&index=2
> 多少とも想像力をもった青年なら、一度は芝居の魔力にとらえられたことがあるにちがいない。あの人工的な現実のなかへ自分もともにまき込まれて、まるで二重人みたいに、そこでもうひとりの自分自身が動くのを見、語るのを聞き、自分自身を自分自身に可能なだけのあらゆる種類の人物に扮装させ、しかもそのどれもがまた一個の自己であるというふうであってみたいという願いをいだいたことがあるにちがいない。こういう欲望があらわれるのは、もちろんまだ若いうちのことである。ただ想像力がだけが目覚めて個性を夢みていえ、その他の能力はすべてまだ安らかに眠っている。そういう想像力によって自己が見られると、個人は現実的な姿ではなく影でしかない、もっと適切にいうと、現実的な姿が目の前にありながら、それが見えないのである。それだから個人は、ただ一つの影を投げるだけでは満足できずに、そのどれもが自分に似ていてそのときそのときに自分自身である権利を平等にもっているようなさまざまな影を投げるのである。

> I´m thru with love - Diana Krall and Hollywood divas
> http://www.youtube.com/watch?v=ivF2ZTxV81Q&feature=mfu_in_order&list=UL
> しかしこの影の存在も満足を求める、それが自己の生を全うするだけの時を与えられなかったとしたら、それは人間にとってけっして好ましいことでない。しかしまた、個人が見当ちがいをして、影の存在のなかを迷いつづけながら生きつくしてしまったとしたら、それは哀れな、あるいは滑稽なことだ。そういう人間がそれでほんとうの人間であるなどと自惚れるなら、それはちょうど最後の審判の日に、自分自身で出頭することもできずに、気のきいた目論見とか、その日一日だけの決心とか、半時間きりの計画とかなどを身代わりに出頭させる人間が不死の要求をするのと同じように、まことに心もとないことだ。何事もそれぞれ適当な時におこなわれることが肝心なのだ。すべては若いときにその時をもっている、そして若いときにその時をもったことは、また後でその時を得るものだ。年長者にとって、その生涯のうちに、何か思い出して笑わずにいられぬような過去をもっているということは、何か涙をさそう過去をもっているのと同じように健康なことなのだ。

> "Who knows where the time goes" - Nina Simone
> http://www.youtube.com/watch?v=wZa3XsHA6UU&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=4
> 山里で明けても暮れても、うまずたゆまず同じ主題(テーマ)の風が奏でているのを聞いていると、ついそれに誘われて、しばしその不完全さを忘れ、人間の自由のたゆみなさと確かさを象徴するかに思われてうれしくなることがある。するとつい忘れられてしまうのだが、いまこの山々のあいだをおのが住み家として幾年も吹き渡っている風は、かつては行き暮れし旅人としてこの土地へきたのである、そして心を乱して荒れ狂いながら峡谷のあいだを突き分け、洞窟の中に突き入り、或るときは自分でもはっと驚いて跳び退くような金切り声を張り上げたかと思うと、或るときはわれわれから逃げ出したくなるようなうつろな吼え声を立て、或るときはどこからでてくるのか自分にもわからぬような嘆きの調べを奏でたかと思うと、或るときは風みずからが恐れをなしてこのあたりに足をとどめたものかどうかとしばし疑いためらうような底知れぬ不安の溜息を吐き、或るときはまた浮かれはしゃいで抒情的な囃し唄を歌い、こうしてついに自分の楽器に習熟してしまって、これらすべての共鳴音をメロディーにまとめあげ、それをいま明けても暮れても変わりなく奏でているのである。それと同じように、個人の可能性もそれみずからの可能性のなかをさまよい歩きながら、或るときはこの可能性を、また或るときはあの可能性を発見する。しかし個人の可能性は単に聞かれることを欲するばかりではない、それは風のように吹きすさぶばかりではなく、また形を成そうとするのだ、だからそれは聞かれると同時にまた見られることをも欲する。個人の可能性は、だからそのどれをとってみても、音を発する影である。この隠された個人は、悪意の小ざかしい囁きに耳をかさないと同じように、仰々しく喚きたてる感情を信じない、悲嘆のやるせない溜息を信じないが、また同じように、歓喜の極みに沸き立つ叫び声も信じない。個人はただ情熱をもって見そして聞こうと欲する、しかし、注意あれ、自己みずからを、なのだ。けれども、個人は自己みずからをほんとうに聞こうとは欲していないのだ。そんなことはできるものではない。それができれば、その瞬間に雄鶏が鳴く、そして薄明の姿どもは逃げ去り、夜の声は沈黙する。これら薄明の姿どもが踏みとどまっているかぎり、われわれはまったく別な領域に、一切のものが責任の気づかわしげな監視の目を浴びて不安を覚えながら行なわれるところに、つまり、悪魔的なものの国にいるのである。だから、ほんとうの自己の印象を受けずにいられるように、隠れた個人は、あの薄明の姿どものような、こだますることのない言葉のかすかなざわめきのような、かりそめのはかない環境を求める。このような環境が舞台なのだ。だからこそ、舞台は隠れた個人の影絵芝居にふさわしい。

> Jon Hassell - Amsterdam Blue
> http://www.youtube.com/watch?v=dz40YrNBje4&feature=autoplay&list=QL&index=3&playnext=3
> わたしの忘れがたい保母よ、わたしの父の庭づたいに流れてゆく小川に住むなんじつかまえがたい水の精(ニンフ)よ、おまえはおまえ自身のことだけに心を使っていたけれど、それでもいつも子供の遊びに加わり遊び相手になってくれた!なんじ忠実なる慰安者よ、おまえは幾歳を経てなおおまえの無垢な純粋さを持ちつづけている。わたしがすでに老いさらばえてしまったのに、おまえはちっとも年をとってはいない。なんじ安らかな水の精(ニンフ)よ、人間に倦み、わたし自身に倦んで憩いのためにわたしが永遠を必要としたとき、悲嘆にくれてわたしが忘却のために永遠を必要としたとき、そのたびごとにいつもわたしはおまえのところに逃がれていった。人間たちが永遠を時間と同じようにせわしないものにし、時間よりももっと空恐ろしいものにしてわたしに拒もうとしたものを、おまえはわたしに拒まなかった。そういうとき、わたしはおまえの傍らに身を横たえ、わたし自身から逃がれて、頭上の広い広い蒼空へ消えていった、そして眠りをさそうおまえの囁きに、わたし自身を忘れたものだ!なんじ、わたしの幸福なる自己よ、わたしの父の庭づたいに流れゆく小川に住むなんじ足早の生よ、わたしは投げ捨てられた旅杖にも似た姿でおまえの傍らに身を横たえてはいたが、おまえの物悲しいせせらぎによって救われ解放されていたのだ!
                               
> She Was Too Good to Me
> http://mp3.xalo.vn/bai-hat/chet-baker/she-was-too-good-to-me/6b6a58f
> ある朝のこと、起き上がると珍しく気持ちが良かった。この快感は、比類を絶して、午前中ずうっとだんだん高まっていった。かっきり1時に、わたしは絶頂に達して、めまいがするほどの極限にいるのを感じた。それはもはや快感の測度計では、詩の温度計でさえも、表示されないほどの高度であった、体は地上的な重みを失っていた、体をもっていないかのようであった。あらゆる機能は満ち足りて働き、どの神経も自己自身に、また全体との調和に喜びを味わい、また一つ一つの脈拍は有機体全体を震動させて瞬間の快楽を思い出させ、それを感じさせるばかりだったから。わたしの歩みは漂うごとくであった、しかしそれは空気を切って地上を離れる鳥の飛翔とはちがって、稲穂の上を吹くわたる風の波、憧憬に酔える海のうねり、夢みる雲の滑走のごとくであった。わたし自身が海の深い底のように、ひとりを楽しむ夜の沈黙のように、反響(こだま)することのない独白にも似た真昼の静寂(しじま)のように、冴えわたっていた。あらゆる情緒が美しい調べを奏でて共鳴しながらわたしの魂の中でやすらいだ。想念は次々と湧き出てきた、あらゆる思想が、祝福の威儀をこらして、押しよせてきた、世にも愚かしい思いつきも、世にも豊かなイデーも。あらゆる印象は来る前にすでに予感されていた、だからそれはわたし自身のうちで目を覚ました。全人世がわたしに愛をかたむけているもののようであった、一切のものが、わたしの存在に触れて運命をはらみながら、打ち震えた。わたしのうちにあるすべてのものは前兆であった。そして一切のものが、わたしの小宇宙的な浄福のなかで、ふしぎに浄化されていた、その浄福がみずからのなかであらゆるものを、不愉快なことも、退屈きわまる人の言葉も、目に映る忌わしいものの姿も、どれほど宿命的ないさかいをも、浄化したのであった。さきにもいったが、かっきり1時に、わたしは最高潮に立っていた、わたしはそれが極限だと予感した。そのとき突然、わたしの一方の目が少しかゆくなりはじめた。それは睫毛だったか、それとも毛屑か塵だったか、わたしは知らない。しかしこの瞬間に、わたしが絶望のどん底にころび落ちたことだけは確かである。

バーンスタイン:マーラー・復活 終楽章4/4
http://www.youtube.com/watch?v=Au8qHVoUAUg&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=24

これは、わたしと同じ高みに登ったことのある人なら、この高みに立って同時に、そもそも絶対的な満足はどこまで達し得られるものか、という原則的な問題に頭を悩ましたことのある人なら、誰にでも容易に理解できることであろう。

> > わが沈黙の共犯者よ!名前こそありませんが、それでもおそらくはぼくは、あなたにとってつねに何ものかであるだろうと思います。そしていかなる場合にもかわらぬあなたの忠実な友です。
> >                                  敬具



[53729] 君見ずや 管鮑貧時の交わりを 此の道 今人棄つること大人の玩具のごとしRe:[53728] 君見ずや 管鮑貧時の交わりを 此の道 今人棄つること土のごとし 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/01/30(Sun) 08:24  

うんおはすANNEX−Ω   訪問者数:2325997(今日:219/昨日:531)2011/01/230(Sun) 08:20

Marlena Shaw - Last Tango in Paris
http://www.youtube.com/watch?v=7OYe9lB0TVc&feature=BF&list=QL&index=7

君見ずや 管鮑貧時の交わりを 此の道 今人棄つること大人の玩具のごとし


[53728] 君見ずや 管鮑貧時の交わりを 此の道 今人棄つること土のごとし 投稿者:やへすのゆ 投稿日:2011/01/29(Sat) 15:02  


マスコミは、なぜ小沢が怖いのか
The Journal 二見伸明
2011年1月28日
http://www.the-journal.jp/contents/futami/2011/01/post_33.html


 新聞、テレビの小沢バッシングが狂気の沙汰である。小沢一郎が「予算が成立したら政倫審で説明する」と言っているにもかかわらず、各社横並びで「出席拒否は許せない。証人喚問だ。議員辞職せよ。離党せよ」と、それも社説で、大上段に振りかぶっての騒ぎである。社説とは社論、社の基本的な考え・主張である。日本のほとんどのマスコミが、手段を選ばず「小沢抹殺」で狂奔している光景は異常以外の何ものでもない。朝日、読売、毎日など新聞各社は、本音では、デフレ脱却や雇用など国民生活にとって待ったなしの課題よりも「小沢抹殺」のほうが最重要問題だと考えているのである。何故か。

 昨年暮れから正月にかけて一線で活躍する記者たちと懇談した。

「小沢さんの話は論理的で分かりやすい。日本の政治家で小沢さんのような、骨太の国家観、歴史観、洞察力を持った人はいない。スケールの大きい本物の政治家という感じがする」

「TPPはアメリカの世界戦略だという冷厳な国際政治が分かっているようだ」

「小沢さんの政治とカネの問題は『期ずれ』だけだろう。ガタガタ騒ぐのがおかしい。もっと冷静でいい。政治にはカネは必要だよ。私腹を肥やすのは論外だが、カネの出入りを透明にすればいいのではないか」

「検察審査会の問題は恐ろしい。目障りな政治家や高級官僚、或いは宗教団体など、小沢さんをやっつけるやり方で強制起訴して潰すことは簡単だ。仲間たちと『これは政治テロ』だって話している」

「それにしても、小沢さんには熱烈な支持者も多いが、問答無用で切り捨てるアンチも多い」。

 記者魂を持った中堅・若手の記者のほうが冷静で、まともだ。はっと思った。「マスコミの社長や幹部が、心底、小沢が怖くてしかたがないのだ」

 小沢一郎は自民党幹事長時代、記者会見を記者クラブに所属していない雑誌記者、フリーランサー、外国人特派員にも開放し、自由に参加出来るオープンな場にしていた。それ自体、画期的なことだったが、1993年8月23日、新生党代表幹事として細川連立政権を支えるキーパーソンになった小沢は、従来の「記者クラブの、記者クラブによる、記者クラブのための記者会見」ではなく、記者クラブに所属していない記者も参加し、どんなことを質問してもいい平等で「開かれた会見」にすることを宣言した。また「『本音と建前』を使い分けることはしない。ここで言わないことは、どこでも言わない。言えないことは言わない。」と強調し、政界実力者が偽の情報を流して政敵を貶めたり、野党を分断するために利用する番記者のオフレコ記者懇談会も止めたのである。1996年5月には、小沢は新進党訪中団の随行記者団に、慣行を無視して記者クラブ15社17名のほか、週刊誌3社のフリーランサー5名など記者8名を参加させたのである。北京のホテルにはプレスルームが開設され、各社均等にデスク、電話、テレックスを備えた専用ブースが割り当てられ、中国首脳との会談後のブリーフィングも差別なく各社一緒に行われた。真の「国民の知る権利」を守るために、記者クラブを通して情報を独占するという既得権にしがみつく大手マスコミに挑戦状を叩きつけたようなものだ。論理的に太刀打ち出来ないマスコミは陰微な手段を駆使し、「小沢抹殺」を始めた。

 余談だが、このときの江沢民主席との会談では、歴史認識をめぐって厳しいやりとりをしたうえで、小沢は日中関係が経済中心であることに懸念を示し「日本にはカネの切れ目が縁の切れ目という諺がある。経済協力は大事だが、それ以上に両国の信頼関係強化が大事だ」と持論を展開した。

 大手マスコミは、記者クラブを通して行政、立法、司法、地方行政の全ての情報を独占している。このマスコミがお互いに談合し、「霞ヶ関」と結託すれば日本をどうにでも出来る恐ろしい存在になる。「大新聞は日本民主主義の最大の敵だ」と喝破するカレル・V・ウォルフレンが日本の大手マスコミに目の敵にされるのも、むべなるかなである。小沢一郎も「日本ではマスコミが最大の守旧派になっている」「マスコミほど今の社会で既得権を得ているところはない」とマスコミの姿勢を厳しく批判している。

 マスコミが重大視しているのは、小沢が一貫して「政権交代したら官邸の会見はオープンにする」と主張し続けていることである。一昨年3月の記者会見でも、フリーランサーの上杉隆の確認を含めた質問に、小沢代表(当時)は「どなたでも会見にお出で下さいということを申し上げております。この考えは変わりません」と答えている。「約束を守る男・小沢」が総理になったら必ず官邸の記者会見はオープンになるだろう、そうすれば、全省庁の記者会見もオープンになり、検察、警察、裁判所、各県の県政記者クラブの会見もオープンになる。それでは、大手マスコミは情報を独占出来ず特権的地位から引きずりおろされ、世論操作も出来なくなる。記者も癒着・談合の世界から、自由競争の厳しい世界に放り出され、雑誌記者やフリーランサーとの取材合戦に敗れるかもしれない。新聞の紙面作りも難しく、廃刊に追い込まれる社も出てくるだろう。各省庁も、例えば「このままではギリシャの二の舞になる。消費税増税をしなければ大変なことになる」」などと記者クラブを洗脳し、メディアを通して官僚の思惑通りに世論を誘導し、国民を洗脳する手段を失うだろう。「小沢抹殺」は大手マスコミにとって至上課題なのだ。

 ここで、横道にそれるが、小沢の「開かれた会見」の実相はどうだったのか、検証してみよう。1994年10月発行の季刊雑誌『窓』に雑誌記者の石飛仁が書いている。

「私が参加したその会見の場は、意外にぎこちないものだった。双方に未だ質疑のやりとりに滑らかなものがないのだ。質問が具体性を帯びていないというのか、小沢から引き出す側の工夫がほとんど成されておらず、新人記者の初歩的質問風に小沢が丁寧に答えていくというもので、きわめてぶっきらぼうというか、時局のディテールを知り尽くした上での専門家の質問という感じがほとんどしないのだ。これが私の受けた第一印象であった。小沢については、噛んでふくめるような論旨で丁寧に答えていくのが印象的であった。(略)私は正直、小沢という政治家は味も素っ気もないその言い回しのなかに全てを率直に埋めて正攻法で語っていく人物であることに驚いた。きわめて非日本人的な率直さが、そこにあるので驚いたのである。よし、これは発言の主旨をちゃんと正面から聞いていけば、政局はある程度読めるぞ、と思ったのである。
 この「開かれた会見」の場は、日ごとに重要性を増し、また話題性を発揮し、きわめてアクチュアルな政治報道の場と化して、注目を集める場となっていった。小沢自身がこの会見を重要視していることも感じとれてきた」

 自民党幹事長時代から小沢の会見を取材しているフリーランサーの田中龍作は先日、私に「小沢の答弁は丁寧で分かりやすい。的を射たいい質問をされると、嬉しそうな顔をして、大学の教授が学生に教えるように説明する。主旨や意図不明の質問や毎回繰り返す同じような質問だと『もっと勉強してきなさい』とたしなめることがあった」と語ってくれた。

 私も自由党時代、安全保障問題での「開かれた会見」の進行役を務めたことがある。びっくりするような質の高い質問をする記者もいれば、初歩的な質問をする者もいて、玉石混交で面白かったが、某英字新聞の記者の質問には『同じような質問で、何度も答えている。勉強して来なさい』とたしなめたのが印象的だった。その記者は会見終了後、青い顔をして『党首に怒られた。来週から来てはいけないということか』と泣きべそをかきそうな表情をしいているので『そんなことはない。しっかり勉強して、党首が立ち往生するような核心を突いた質問をしなさい。小沢は喜ぶと思うよ』と励ましたことを覚えている。

 1993年10月、小沢が「記者会見は義務ではない。サービスだ」と発言したと言って物議をかもしたことがある。その点について、去る1月17日夜行われた小沢一郎と岩上安身、江川紹子、田中龍作など13名のフリーランサーとの「割り勘でオープンな懇談会」で上杉隆が「サービス発言」の真意を聞いた。それに対し小沢は「僕は、記者会見は公共サービスだと言ったんです。政府や政党の会見は公のものでしょう。だから、新聞やテレビの記者諸君で独占するのはおかしい。公財である記者会見も公共サービスであり、公平に雑誌や海外メディアの諸君にも参加してもらおうと言ったわけだ。それがまったく逆の意味で使われたわけなんです」と答えた(ダイヤモンド・オンライン2011.01.20))。「てにをは」をちょっといじるだけでまったく逆の意味に変えてしまう手品のようなマスコミの陰湿さには開いた口が塞がらないのである。

 大手マスコミが恐れるのは小沢のマスコミ対策の方向性だけではない。歴史を知り、歴史に学び、そこから未来を見通す洞察力と綿密に計算したうえでそれを実行する決断力と度胸だ。

 小沢一郎が、枝野幹事長より1歳年上の47歳で自民党幹事長に就任した1989年(平成元年)は、戦後世界を支配してきたパックス・ルッソ・アメリカーナ(米ソによる平和)というパラダイムが崩壊する世界史に残る激変の時代の幕開けの年だった。菅総理は今年を「平成の開国元年」にしようとしているが、1989年こそ日本にとっても世界にとっても、文字通りの「平成の開国元年」だったのだ。6月にはポーランドで一党独裁政権が崩壊し、11月にはベルリンの壁が壊れた。1991年1月には湾岸戦争が勃発した。アメリカの庇護のもとで金儲けに余念のなかった町人国家日本は覚悟も準備もないままに国際社会に放り出された。明るくて人のいい海部総理には未曾有の国難に対処する能力はなかった。政権政党自民党は慌てふためくだけで、何の構想もない。野党は一国平和主義のタコ壺に逃げ込んで泣き叫ぶだけだった。町人国家を普通の国・国際国家に質的転換しなければ日本は国際社会で相手にされず、国益も守れないないという危機感をもって行動したのは、小沢だけだろう。日本丸が難破の危機を乗り切れたのは党を抑え、海部総理を励まし、野党を説得した小沢の腕力に負うところが大きいと評価せざるを得ない。小沢が主張した「集団的自衛権と国連による集団安全保障は違う。国連の決議のもと、国連の警察活動に参加することは憲法の理念に合致するもので、憲法違反ではない」という理論は大きな論議を巻き起こしたが、今では、日本の平和活動・国際貢献の原点であるばかりでなく、アメリカも国連のお墨付きをもらわなければ、海外での武力行使はし難くなったのである。

 小沢は官房副長官時代、日米建設摩擦、日米電気通信交渉でタフ・ネゴシエーターという評価を得た。アメリカは、日本の国益・原則を踏まえて正攻法で押しまくる交渉上手な小沢に、「脅かせば言うことをきくこれまでの日本人」とは異質の、自立した、手ごわいサムライを見出したのだろう。

 小沢は湾岸戦争が終わった直後、訪ソしてゴルババチョフ大統領と北方領土問題について会談、その後、ブッシュ大統領と会談している。モスクワ滞在中、イワシコ・ソ連共産党副書記長に言った言葉がすごい。

「人類史上で欧亜大陸にまたがる帝国をつくったのは蒙古とソ連だ。蒙古はあなた方にとっては非常に嫌な思いだろうけれども、蒙古帝国の世界史的に果たした役割は非常に大きい。あれは人種、宗教に寛容だ。それから、域内の自由交通を認めた。ヨーロッパ文明はどれだけあそこで教えられたか。文物の交流と、欧亜両大陸の親睦、その意味では非常に貢献した。ジパングなんて国を紹介したのはいつだ、マルコポーロはなぜ中国、北京まで来られたか。それは、あの時代、小アジアからずっとこっちまでの帝国の中を自由に行き来できたからだ。
 ところが、ソ連及びロシア帝国は、図体ばかりでかくて、権力で支配して、何をしたか。何もできなかった。それで破産に瀕しているだけだ。そのことをあなた方は考えなきゃだめだ」

 こうした小沢のことを当時、識者たちはどう見ていただろうか。

 五百旗頭真は「世界秩序が大きく揺らぐ時には、国際感覚を伴った国家感覚がないとやれない。田中外交は戦後政治の主流をなす経済中心主義の枠内だった。今は経済大国の上に『何か』が必要で、日本の国家像が問われている。小沢氏がそのことをまともに受け止めようとしているのは注目に値する」(小沢一郎探検、朝日新聞)と評価した。

 三木元総理のブレーンで「ストップ・ザ・オザワ」のリーダー、国弘正雄は小沢を「国家改造主義者」と位置付け、ドイツ統一の立役者ビスマルクに擬したが「小沢さんが歳をとってね、人生の悲哀を感じ、挫折も感じてね、経験の中で、むちゃくちゃな挑発型だったリンカーンが最後に『角熟』していったようになるかもしれません。そうあってほしいな」と語った(前掲書)。

 小沢に対しては好き嫌いが激しい。それはそれでいい。日本が「春のうららの隅田川」であれば小沢の出番の必要はない。しかし、百数十年続いている中央集権・官僚主導国家を政治主導・地方主権国家に衣変えする大事業は小沢でなければ出来ないことは、反小沢も認めざるを得ない現実だ。小沢は論理の男だ。しかし、それだけだろうか。アンチ小沢の急先鋒、時事通信の田崎史郎の見方が面白い。

「岡田さんが地方回りで青森へ行ったとき、県連の人がぜひ食べてもらおうと、わざわざ大間のマグロを取り寄せて準備していたそうです。しかし、やってきた岡田さんは『私、コンビニでカロリーメイトを買いますから』と言って、箸もつけずに帰ってしまった。
小沢さんは岡田さんとは対照的に、どこへ行っても地元の人たちと酒を酌み交わす。だから、ある若手議員が言ってましたが、岡田さんには7回きてもらったけれど、1回だけ来た小沢さんのほうが、はるかに効果があったと。小沢さんは、地方へ行くと、その日集まって酒を飲んだ支持者の名前と住所を、後で全部教えてもらうんです。それで全員に手紙をだす。そういう人を動かす上での配慮は、政治家にとって一つの大きな力になります」(週刊現代 2011.01.19/26)────「風」で当選した政治家から見ると「古い手法、古い政治家」なのだろうが、むしろ新しい理論・構想を持ちながら、居酒屋で酒を飲み、カラオケを歌う小沢のような「古い」政治家のほうがはるかに魅力的だ。

 胡錦涛中国国家主席が先日、国賓として訪米した。その際、アメリカは自国の国益を考えて、次期国家主席に予定されている習近平の早期訪米を要請した。一昨年秋、習近平が来日したとき、中国の要請で天皇との会見がセットされた。これに対して、宮内庁長官の羽毛田某は、小沢が天皇を政治利用したと騒ぎだし、自民党やマスコミの一部が同調した。しかし、国益を考えれば小沢の判断は正しかった。

 小沢は20年以上、ポケットマネーで米中との草の根交流をしている。昨年8月下旬、小沢は代表選のため参加出来なかったが、無名の庶民で構成された小沢訪米団がサンフランシスコで、アマコスト元駐日大使などアメリカの有力者に大歓迎された。中国でも、青年時代、小沢の招きで来日し研修した者が指導的立場で多数活躍している。小沢は一級の国際政治家でもある。

「君見ずや 管鮑貧時の交わりを 此の道 今人棄つること土のごとし」──杜甫

 諸君、ご覧なさい。昔、管仲と飽叔とが貧乏な時代に結んだ堅い友情を。今の時代の人びとは土くれのようにうち棄てて顧みない。誠に嘆かわしいことだ。───意味はこうである。

 私たちは忘れない。手を握り、肩を組み、叫んだ09政権交代を!




[53727] 一切のものが、わたしの小宇宙的な浄福のなかで、ふしぎに浄化されていた、その浄福がみずからのなかであらゆるものを、不愉快なことも、退屈きわまる人の言葉も、目に映る忌わしいものの姿も、どれほど宿命的ないさかいをも、浄化したのであった。しかしこの瞬間に、わたしが絶望のどん底にころび落ちたことだけは確かである。Re:[53726] なんじ、わたしの幸福なる自己よ、おまえの物悲しいせせらぎによって救われ解放されていたのだ!Re:[53719] 舞台は隠れた個人の影絵芝居にふさわしい。Re:[53715] 最後の審判の日に、自分自身で出頭することもできずに、気のきいた目論見とか、その日一日だけの決心とか、半時間きりの計画とかなどを身代わりに出頭させる人間Re:[53712] 現実的な姿が目の前にありながら、それが見えないのである。Re:[53710] インテレサントなものに心ひかれぬ娘は反復を信ずる、時を経てそうなった娘に栄誉あれ。Re:[53709] 女の誠実さというものは偉大なものだ、とりわけ男の要求をその厚意に感謝しながら懇ろに断る場合にそうである。Re:[53708] 関係はできたが実現の見込みはないという場合には、思いやりが最大の侮辱である。Re:[53706] わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。Re:[53703] 神よ、すべての男をそういう誠実さから守りたまえ!Re:[53699] 自分自身の死刑判決書Re:[53698] 汝(いまし)へのあこがれ絶えずRe:[53692] わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。Re:[53690] もし反復ということがなかったら、人生とはそもそも何であろう?Re:[53677] ぼくの苦痛と悩みには名前がありません。Re:[53676] ・・・Re:[53674] わが沈黙の共犯者よ! 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/01/28(Fri) 07:47  

しためさこANNEX−Ω   訪問者数:2324815(今日:114/昨日:494)2011/01/27(Fri) 05:47

> Lizz Wright - The First and Last to Love Me (K. Hanrahan)
> http://www.youtube.com/watch?v=E8Dp21T8c7c&feature=BF&list=QL&index=25
> 追憶の恋のみが幸福な恋である、とある作家が言った。その恋がまずひとを不幸にするのを追憶するというだけのことであるなら、まったくそのとおりである。ほんとうは、反復の恋こそ唯一の幸福な恋なのだ。反復の恋には、追憶の恋と同じように、期待と不安定さがない。探検に伴う不安な冒険もない、しかしまた、追憶のもつ哀愁もない、そこには瞬間の至福な確実さがある。・・・・・期待するには若さが要る、追憶するには若さが要る。しかし、反復を欲するには勇気が要る。期待するしか欲しないものは卑怯である。追憶をしか欲しないものは淫らである。しかし、反復を欲するものは男である。そして、このことをしっかりと自覚するにつれて、ひとはそれだけ深みのある人間になる。ところが、人生は反復であり、そして反復こそ人生の美しさであることを理解しないものは、手ずから自分に判決をくだしたも同然で、所詮まぬがれられぬ運命、つまり自滅するほかあるまい。思うに、期待はひとをさしまねく果実ではあるが、腹の足しにはならぬ。追憶はまことに乏しい糊口の資で、これまた腹を満たすには足りない。ところが反復は日々のパンである、それは祝福をもって満腹にさせてくれる。・・・彼は反復を楽しみながら、心静かにわが道を歩む。ほんとうに、もし反復ということがなかったら、人生とはそもそも何であろう?

> Edyta Gorniak - Hello (Gala RMF FM) [Live] HQ DIVA
> http://www.youtube.com/watch?v=AWsesrdS1Jg&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=26
時が瞬間ごとに新しい文字を書きつらねてゆく石板になることを、あるいは過去の碑銘になることを、誰がこいねがうであろうか?次から次へと新しいものに打ち興じさせて魂を柔弱にしてしまうあらゆる果敢(はか)ないもの、目新しいものに、それからそれへと心を奪われることを、誰がこいねがうであろうか?反復、これが現実なのだ、人の世の厳粛さなのだ、反復を欲するものは厳粛さにおいて成熟しているのだ。これはわたしの単独投票なのだが、そこには同時にこういう意味が含まれている。ソファにどっかと腰をおろして楊枝で歯をほじくっていたりーーーそしておまけに、たいした人物、たとえば法律顧問でござるとばかり勿体(もったい)ぶるとか、あるいは、偉容をととのえて街上を闊歩したりーーーそしておまけに、たいした人物、たとえばなんとか尊師でございますとばかりに尊大ぶるとかするのは、けっして人生の厳粛さではない。そういう勿体ぶった態度は、国王の調馬師だといって得意になるのと同じように、人生の厳粛さではない。そのようなことはすべて、わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。

> Lizz Wright's Version of 'Hey Mann'
> http://www.youtube.com/watch?v=_Wp8-ahXVFI&feature=BF&list=QL&index=31
恋するものはよく恋の甘い不安を詩人の言葉に託して吐き出しながら歓喜に酔うものだ・・・
>     わが古きゆり椅子に
>       立ち返りくる若き日の夢
>     女性(おみな)らの太陽(ひ)と照り映ゆる
>       汝(いまし)へのあこがれ絶えず

> ・・・メランコリックな男に恋をさせてみるがいい、そしたら何もかも消し飛んでしまう、とよくきまったように言われる。しかし、彼がほんとうにメランコリックであるなら、彼にとって何よりも重大な事柄を彼の心がどうしてメランコリックに考えずにいられるだろうか。彼は深くそして熱烈に恋している、これは明らかだ。それだのに、彼は最初の日からもう彼の恋愛を追憶できる状態にある。つまり、彼は恋愛関係をすでにすっかり完了しているのである。始めるときにおそろしく大股に歩いたために、彼は人生を飛び越してしまったのだ。・・・

> Frank Sinatra - Only the Lonely
> http://www.youtube.com/watch?v=bef_s1Bhn7o&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=59
> 彼女は彼の恋人であった。彼がかつて愛した唯一の恋人、彼がいつか愛するようになるかもしれない唯一の恋人であった。しかし、それだのにまた、彼は彼女を愛してはいなかった、彼はただ彼女に憧れていただけだったのだ。あの少女は彼の恋人ではなかったのだ。彼女は彼のうちに詩的なものを目覚めさせ彼を詩人にする誘因だったのである。だからこそ、彼は彼女だけを愛することができ、彼女をけっして忘れることができず、けっしてほかの女を愛しようとはしなかったのだ。けれども、彼はつねに彼女をただ憧れていただけのことであった。彼女は彼自身の全存在のなかに吸収されてしまったのである。彼女の思い出はいつまでもいきいきと残ることだろう。彼女は彼にとってあまりに大きい意味をもってしまった、彼女は彼を詩人に仕上げてしまったのだ、だからつまり、彼女は自分自身の死刑判決書に署名してしまったのだ。

> Kenny Rogers - Lady
> http://www.youtube.com/watch?v=Tj_NjLBPotQ&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=11
> 諦めることをしないで男にうるさくつきまとい、それが真実に男を愛していることの証明だなどと自惚れるほど利己的な女があるとしたら、そういう女の一生の任務はまことに安易なもので、誠実だという名誉と疚しからぬ良心を、同時にまたごく上品に洗練された恋愛までも、わけなく享受できるだろう。神よ、すべての男をそういう誠実さから守りたまえ!

> Vera Lynn - As Time Goes By
> http://www.youtube.com/watch?v=S8F9NzVuIuA&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=1
> わたしはレタスが好きだが、いつも芯だけしか食べない、葉は豚にやるものだとわたしは思っている。わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。

> It's Over-Gato Barbieri
> http://www.youtube.com/watch?v=ksmLewp4vf8&feature=BF&list=QL&index=4
> 岩角に釘づけにされたプロメテウスが、禿鷹に肝臓をついばまれながら、その語る予言によって神々を惹きつけるように、彼女は恋人を惹きつけた。くる日もくる日も、すべてがささげつくされた、その日その日が最後であったから。だが、それがいつまでもつづくわけではなかった。彼女はおのれを縛りつけている鎖を噛んでみた。しかし、彼女の激情がたけりたてばたけりたつほど、彼女の歌はいよいよ甘く、彼女の言葉はいよいよ優しく、鎖はいよいよ固くなった。この誤解から現実の関係を作り上げるなどということは、彼女には不可能だった。それこそ彼を永久の欺瞞にゆだねることだった。
彼女の思い、彼女の心は、実は彼とは別のものを、つまり、彼女が彼に象徴させているものを求めているのであって、彼はその憧憬の化身にすぎないといって彼の思い違いを説明してやるのは、彼を深く傷つけることで、それには彼女の誇りが憤りを感ずるのであった。そういうやり口は、彼女の何よりも軽蔑するものであった。それはまた彼女として当然なことだった。男を欺き誘惑するのは軽蔑すべきことである、しかし、あなたはわたしの理想ではなかったのだと説明して男をいいくるめたり、あなたは詩神にすぎなかったのだといって男をなだめたり、自分を悪者にしないばかりか立派な逃げ道までもこしらえて男を見捨ててしまうというのは、さらに軽蔑すべきことである。男をくどく経験を多少とも積んだものなら、それくらいのことはわけなくやってのけるだろう。せっぱつまって男のほうでもその申し出に応ずるだろう。こうして首尾よく逃げおおせたうえに、しかも正直な人ということになる、親切な人ということにさえなる。しかしあとになってみると、だまされていたことを知っている男よりもいっそう深い傷を、その男は心に負っているのである。だからどんな恋愛関係においても、関係はできたが実現の見込みはないという場合には、思いやりが最大の侮辱である。エロス的な目をもちしかも臆病でない女なら、思いやりをもたないということが、男の体面を保ってやるための残された唯一の方法だということを、容易に理解するだろう。

> Right Here Waiting - Richard Marx
> http://www.youtube.com/watch?v=Zilog7d523w&feature=BF&list=QL&index=9
> わたしは娘のすることならなんでも赦すことができるのだが、娘が恋をしながら恋の使命をとり違えるのだけは、どうにもゆるせない。娘の恋が献身的でないなら、その娘は女でなくて野郎なのだ。そういう娘はその恋によってまず愛する男の血を吸いとってしまい、はては男をして懊悩と絶望のあまり自分から手を切るにいたらしめるものだが、そういう恋にこがれる女を、そういう役をみごとに演じて、同情をよせる家族の者や友達に泣いてもらうひとりのエルヴィーラとして登場させることは、喜劇詩人にとって実にやりがいのある仕事であるにちがいない、このエルヴィーラは、欺かれた娘たちの合唱団で第一歌手を演じ、男たちの不実を、明らかに自分の一生を台なしにするほど不実だったと、いかにも大げさにまくしたてることを心得ている女、しかもそういうことをずうずうしくも落ち着き払ってやってのけながら、自分自身の誠実さのほうこそ、むしろ愛する男の生命を奪いかねないということに、半秒間も思いいたることのない女なのである。女の誠実さというものは偉大なものだ、とりわけ男の要求をその厚意に感謝しながら懇ろに断る場合にそうである。女のそういう誠実さはいつも測り知れず、理解しがたい。恋する男が、どんなに苦しくとも、怒りの言葉をひとことも女に浴びせることなく、かえって女をだまして、自分を欺くとはけしからん男だと思っている女の思い違いを強めてやるという、より深刻な復讐に甘んずるだけのユーモアを失わずにいるとしたら、この場面は実に愉快なものになることだろう。

> tell him... celine dion / barbra streisand
> http://www.youtube.com/watch?v=wB_vjpRhLxM
> 「N.Nさんはいい人だけど、退屈だわ。ところがF.Fさんったら、あの人とってもおもしろくって、いかすわよ。」かわいい娘の口からこういう言葉を聞くたびに、わたしはいつも思うのである。「よくも恥ずかしくないものだ、若い娘がそんなことを口にするなんて、なんて情けないことだろう。」男がインテレサントなものに迷い込んだとき、救い出してくれるものは娘のほかにないではないか。それだのに、そういうことを口にするのは、罪を犯すことではないか。当の男がインテレサントなことなどできない人間であるなら、その男に向かってそれをせよと要求するのは、思いやりのないことであるし、あるいはまた、男がインテレサントなことのできる人間であるなら、そしたら・・・・・・・・、なぜかといえば、若い娘というものは、インテレサントなものを誘い出すことをしないようにこそ、つねに慎むべきものだからだ。そういうことをする娘は、イデーからみて、いつも損をする。インテレサントなものはけっして反復されないからである。インテレサントなものを求める娘は、みずからそこにおちいる罠となる。インテレサントなものに心ひかれぬ娘は反復を信ずる、そういう生まれつきの娘に栄誉あれ。時を経てそうなった娘に栄誉あれ。

> Diana Krall Love Is Where You Are
> http://www.youtube.com/watch?v=vByMcoYgjaY&feature=BF&list=QL&index=2
> 多少とも想像力をもった青年なら、一度は芝居の魔力にとらえられたことがあるにちがいない。あの人工的な現実のなかへ自分もともにまき込まれて、まるで二重人みたいに、そこでもうひとりの自分自身が動くのを見、語るのを聞き、自分自身を自分自身に可能なだけのあらゆる種類の人物に扮装させ、しかもそのどれもがまた一個の自己であるというふうであってみたいという願いをいだいたことがあるにちがいない。こういう欲望があらわれるのは、もちろんまだ若いうちのことである。ただ想像力がだけが目覚めて個性を夢みていえ、その他の能力はすべてまだ安らかに眠っている。そういう想像力によって自己が見られると、個人は現実的な姿ではなく影でしかない、もっと適切にいうと、現実的な姿が目の前にありながら、それが見えないのである。それだから個人は、ただ一つの影を投げるだけでは満足できずに、そのどれもが自分に似ていてそのときそのときに自分自身である権利を平等にもっているようなさまざまな影を投げるのである。

> I´m thru with love - Diana Krall and Hollywood divas
> http://www.youtube.com/watch?v=ivF2ZTxV81Q&feature=mfu_in_order&list=UL
> しかしこの影の存在も満足を求める、それが自己の生を全うするだけの時を与えられなかったとしたら、それは人間にとってけっして好ましいことでない。しかしまた、個人が見当ちがいをして、影の存在のなかを迷いつづけながら生きつくしてしまったとしたら、それは哀れな、あるいは滑稽なことだ。そういう人間がそれでほんとうの人間であるなどと自惚れるなら、それはちょうど最後の審判の日に、自分自身で出頭することもできずに、気のきいた目論見とか、その日一日だけの決心とか、半時間きりの計画とかなどを身代わりに出頭させる人間が不死の要求をするのと同じように、まことに心もとないことだ。何事もそれぞれ適当な時におこなわれることが肝心なのだ。すべては若いときにその時をもっている、そして若いときにその時をもったことは、また後でその時を得るものだ。年長者にとって、その生涯のうちに、何か思い出して笑わずにいられぬような過去をもっているということは、何か涙をさそう過去をもっているのと同じように健康なことなのだ。

> "Who knows where the time goes" - Nina Simone
> http://www.youtube.com/watch?v=wZa3XsHA6UU&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=4
> 山里で明けても暮れても、うまずたゆまず同じ主題(テーマ)の風が奏でているのを聞いていると、ついそれに誘われて、しばしその不完全さを忘れ、人間の自由のたゆみなさと確かさを象徴するかに思われてうれしくなることがある。するとつい忘れられてしまうのだが、いまこの山々のあいだをおのが住み家として幾年も吹き渡っている風は、かつては行き暮れし旅人としてこの土地へきたのである、そして心を乱して荒れ狂いながら峡谷のあいだを突き分け、洞窟の中に突き入り、或るときは自分でもはっと驚いて跳び退くような金切り声を張り上げたかと思うと、或るときはわれわれから逃げ出したくなるようなうつろな吼え声を立て、或るときはどこからでてくるのか自分にもわからぬような嘆きの調べを奏でたかと思うと、或るときは風みずからが恐れをなしてこのあたりに足をとどめたものかどうかとしばし疑いためらうような底知れぬ不安の溜息を吐き、或るときはまた浮かれはしゃいで抒情的な囃し唄を歌い、こうしてついに自分の楽器に習熟してしまって、これらすべての共鳴音をメロディーにまとめあげ、それをいま明けても暮れても変わりなく奏でているのである。それと同じように、個人の可能性もそれみずからの可能性のなかをさまよい歩きながら、或るときはこの可能性を、また或るときはあの可能性を発見する。しかし個人の可能性は単に聞かれることを欲するばかりではない、それは風のように吹きすさぶばかりではなく、また形を成そうとするのだ、だからそれは聞かれると同時にまた見られることをも欲する。個人の可能性は、だからそのどれをとってみても、音を発する影である。この隠された個人は、悪意の小ざかしい囁きに耳をかさないと同じように、仰々しく喚きたてる感情を信じない、悲嘆のやるせない溜息を信じないが、また同じように、歓喜の極みに沸き立つ叫び声も信じない。個人はただ情熱をもって見そして聞こうと欲する、しかし、注意あれ、自己みずからを、なのだ。けれども、個人は自己みずからをほんとうに聞こうとは欲していないのだ。そんなことはできるものではない。それができれば、その瞬間に雄鶏が鳴く、そして薄明の姿どもは逃げ去り、夜の声は沈黙する。これら薄明の姿どもが踏みとどまっているかぎり、われわれはまったく別な領域に、一切のものが責任の気づかわしげな監視の目を浴びて不安を覚えながら行なわれるところに、つまり、悪魔的なものの国にいるのである。だから、ほんとうの自己の印象を受けずにいられるように、隠れた個人は、あの薄明の姿どものような、こだますることのない言葉のかすかなざわめきのような、かりそめのはかない環境を求める。このような環境が舞台なのだ。だからこそ、舞台は隠れた個人の影絵芝居にふさわしい。

> Jon Hassell - Amsterdam Blue
> http://www.youtube.com/watch?v=dz40YrNBje4&feature=autoplay&list=QL&index=3&playnext=3
> わたしの忘れがたい保母よ、わたしの父の庭づたいに流れてゆく小川に住むなんじつかまえがたい水の精(ニンフ)よ、おまえはおまえ自身のことだけに心を使っていたけれど、それでもいつも子供の遊びに加わり遊び相手になってくれた!なんじ忠実なる慰安者よ、おまえは幾歳を経てなおおまえの無垢な純粋さを持ちつづけている。わたしがすでに老いさらばえてしまったのに、おまえはちっとも年をとってはいない。なんじ安らかな水の精(ニンフ)よ、人間に倦み、わたし自身に倦んで憩いのためにわたしが永遠を必要としたとき、悲嘆にくれてわたしが忘却のために永遠を必要としたとき、そのたびごとにいつもわたしはおまえのところに逃がれていった。人間たちが永遠を時間と同じようにせわしないものにし、時間よりももっと空恐ろしいものにしてわたしに拒もうとしたものを、おまえはわたしに拒まなかった。そういうとき、わたしはおまえの傍らに身を横たえ、わたし自身から逃がれて、頭上の広い広い蒼空へ消えていった、そして眠りをさそうおまえの囁きに、わたし自身を忘れたものだ!なんじ、わたしの幸福なる自己よ、わたしの父の庭づたいに流れゆく小川に住むなんじ足早の生よ、わたしは投げ捨てられた旅杖にも似た姿でおまえの傍らに身を横たえてはいたが、おまえの物悲しいせせらぎによって救われ解放されていたのだ!

She Was Too Good to Me
http://mp3.xalo.vn/bai-hat/chet-baker/she-was-too-good-to-me/6b6a58f
ある朝のこと、起き上がると珍しく気持ちが良かった。この快感は、比類を絶して、午前中ずうっとだんだん高まっていった。かっきり1時に、わたしは絶頂に達して、めまいがするほどの極限にいるのを感じた。それはもはや快感の測度計では、詩の温度計でさえも、表示されないほどの高度であった、体は地上的な重みを失っていた、体をもっていないかのようであった。あらゆる機能は満ち足りて働き、どの神経も自己自身に、また全体との調和に喜びを味わい、また一つ一つの脈拍は有機体全体を震動させて瞬間の快楽を思い出させ、それを感じさせるばかりだったから。わたしの歩みは漂うごとくであった、しかしそれは空気を切って地上を離れる鳥の飛翔とはちがって、稲穂の上を吹くわたる風の波、憧憬に酔える海のうねり、夢みる雲の滑走のごとくであった。わたし自身が海の深い底のように、ひとりを楽しむ夜の沈黙のように、反響(こだま)することのない独白にも似た真昼の静寂(しじま)のように、冴えわたっていた。あらゆる情緒が美しい調べを奏でて共鳴しながらわたしの魂の中でやすらいだ。想念は次々と湧き出てきた、あらゆる思想が、祝福の威儀をこらして、押しよせてきた、世にも愚かしい思いつきも、世にも豊かなイデーも。あらゆる印象は来る前にすでに予感されていた、だからそれはわたし自身のうちで目を覚ました。全人世がわたしに愛をかたむけているもののようであった、一切のものが、わたしの存在に触れて運命をはらみながら、打ち震えた。わたしのうちにあるすべてのものは前兆であった。そして一切のものが、わたしの小宇宙的な浄福のなかで、ふしぎに浄化されていた、その浄福がみずからのなかであらゆるものを、不愉快なことも、退屈きわまる人の言葉も、目に映る忌わしいものの姿も、どれほど宿命的ないさかいをも、浄化したのであった。さきにもいったが、かっきり1時に、わたしは最高潮に立っていた、わたしはそれが極限だと予感した。そのとき突然、わたしの一方の目が少しかゆくなりはじめた。それは睫毛だったか、それとも毛屑か塵だったか、わたしは知らない。しかしこの瞬間に、わたしが絶望のどん底にころび落ちたことだけは確かである。

> > わが沈黙の共犯者よ!名前こそありませんが、それでもおそらくはぼくは、あなたにとってつねに何ものかであるだろうと思います。そしていかなる場合にもかわらぬあなたの忠実な友です。

> >                                  敬具



[53726] なんじ、わたしの幸福なる自己よ、おまえの物悲しいせせらぎによって救われ解放されていたのだ!Re:[53719] 舞台は隠れた個人の影絵芝居にふさわしい。Re:[53715] 最後の審判の日に、自分自身で出頭することもできずに、気のきいた目論見とか、その日一日だけの決心とか、半時間きりの計画とかなどを身代わりに出頭させる人間Re:[53712] 現実的な姿が目の前にありながら、それが見えないのである。Re:[53710] インテレサントなものに心ひかれぬ娘は反復を信ずる、時を経てそうなった娘に栄誉あれ。Re:[53709] 女の誠実さというものは偉大なものだ、とりわけ男の要求をその厚意に感謝しながら懇ろに断る場合にそうである。Re:[53708] 関係はできたが実現の見込みはないという場合には、思いやりが最大の侮辱である。Re:[53706] わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。Re:[53703] 神よ、すべての男をそういう誠実さから守りたまえ!Re:[53699] 自分自身の死刑判決書Re:[53698] 汝(いまし)へのあこがれ絶えずRe:[53692] わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。Re:[53690] もし反復ということがなかったら、人生とはそもそも何であろう?Re:[53677] ぼくの苦痛と悩みには名前がありません。Re:[53676] ・・・Re:[53674] わが沈黙の共犯者よ! 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/01/27(Thu) 18:18  

うのいつそANNEX−Ω   訪問者数:2324587(今日:380/昨日:510)2011/01/27(Thu) 17:43

> Lizz Wright - The First and Last to Love Me (K. Hanrahan)
> http://www.youtube.com/watch?v=E8Dp21T8c7c&feature=BF&list=QL&index=25

> 追憶の恋のみが幸福な恋である、とある作家が言った。その恋がまずひとを不幸にするのを追憶するというだけのことであるなら、まったくそのとおりである。

> ほんとうは、反復の恋こそ唯一の幸福な恋なのだ。

> 反復の恋には、追憶の恋と同じように、期待と不安定さがない。探検に伴う不安な冒険もない、しかしまた、追憶のもつ哀愁もない、そこには瞬間の至福な確実さがある。

> 期待は新調の衣服で、ぱりっとして、しかもきらびやかである。しかしそれはまだ着てみたわけではない、だから、はたして体にぴったり合うかどうか、またよく似合うかどうかもわからない。

> 追憶はもう着なくなった古着である、それがどんなに美しくても、いまでは体のほうが大きくなってもうどうにも身丈があわない。

> 反復は着古されることのない着物である。それはぴったりと着心地よく体に合い、窮屈でもなければだぶつきもしない。

> 期待は追う手をすり抜けてゆくかわいい娘である。

> 追憶は美しくはあるが今ではもうけっして用を足せない老婆である。

> 反復はいつまでも飽きることのない愛妻である。

> 飽きがくるのは新しいものに限っているからだ。古いものはけっして飽きることがない、そして古いものが目の前にあると、ひとは幸福になる、しかも、反復が何か新しいものでなければならぬかのような思い違いをしないひとだけが、本当に幸福になる。もしそういう思い違いをしていたら、ひとはやがて反復にも飽きてしまうだろう。

> 期待するには若さが要る、追憶するには若さが要る。

> しかし、

> 反復を欲するには勇気が要る。

> 期待するしか欲しないものは卑怯である。

> 追憶をしか欲しないものは淫らである。

> しかし、

> 反復を欲するものは男である。

> そして、

> このことをしっかりと自覚するにつれて、ひとはそれだけ深みのある人間になる。

> ところが、

> 人生は反復であり、そして反復こそ人生の美しさであることを理解しないものは、手ずから自分に判決をくだしたも同然で、所詮まぬがれられぬ運命、つまり自滅するほかあるまい。

> 思うに、

> 期待はひとをさしまねく果実ではあるが、腹の足しにはならぬ。

> 追憶はまことに乏しい糊口の資で、これまた腹を満たすには足りない。

> ところが反復は日々のパンである、それは祝福をもって満腹にさせてくれる。

> ひとたび人世を周航してみれば、人生が反復であることを理解するだけに勇気がもてるかどうか、また、反復を楽しむ気持になれるかどうかが明らかになるだろう。生きることをはじめる前にまず人生を周航しなかったものは、けっして生きることにはならないだろう。人世を周航してはみたがうんざりしたというひとは、虚弱な体質の持ち主だったのだ。

> 反復を選んだ人、その人だけがほんとうに生きるのである。

> 彼は子供みたいに蝶を追いまわしはしない、この世の栄耀栄華をのぞくために爪立ちしたりもしない、彼はそれを知っているからだ。

> 彼はまた老婆のように紡ぎ車の前に坐って追憶の糸を紡ぐこともしない。

> むしろ、

> 彼は反復を楽しみながら、心静かにわが道を歩む。

> ほんとうに、もし反復ということがなかったら、人生とはそもそも何であろう?

> Edyta Gorniak - Hello (Gala RMF FM) [Live] HQ DIVA
> http://www.youtube.com/watch?v=AWsesrdS1Jg&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=26


> 時が瞬間ごとに新しい文字を書きつらねてゆく石板になることを、あるいは過去の碑銘になることを、誰がこいねがうであろうか?

> 次から次へと新しいものに打ち興じさせて魂を柔弱にしてしまうあらゆる果敢(はか)ないもの、目新しいものに、それからそれへと心を奪われることを、誰がこいねがうであろうか?

> 反復、これが現実なのだ、人の世の厳粛さなのだ、反復を欲するものは厳粛さにおいて成熟しているのだ。

> これはわたしの単独投票なのだが、そこには同時にこういう意味が含まれている。

> ソファにどっかと腰をおろして楊枝で歯をほじくっていたりーーーそしておまけに、たいした人物、たとえば法律顧問でござるとばかり勿体(もったい)ぶるとか、あるいは、偉容をととのえて街上を闊歩したりーーーそしておまけに、たいした人物、たとえばなんとか尊師でございますとばかりに尊大ぶるとかするのは、けっして人生の厳粛さではない。そういう勿体ぶった態度は、国王の調馬師だといって得意になるのと同じように、人生の厳粛さではない。

> そのようなことはすべて、

> わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。

> Lizz Wright's Version of 'Hey Mann'
> http://www.youtube.com/watch?v=_Wp8-ahXVFI&feature=BF&list=QL&index=31

> 恋するものはよく恋の甘い不安を詩人の言葉に託して吐き出しながら歓喜に酔うものだ・・・

>     わが古きゆり椅子に
>       立ち返りくる若き日の夢
>     女性(おみな)らの太陽(ひ)と照り映ゆる
>       汝(いまし)へのあこがれ絶えず

> ・・・メランコリックな男に恋をさせてみるがいい、そしたら何もかも消し飛んでしまう、とよくきまったように言われる。しかし、彼がほんとうにメランコリックであるなら、彼にとって何よりも重大な事柄を彼の心がどうしてメランコリックに考えずにいられるだろうか。

> 彼は深くそして熱烈に恋している、これは明らかだ。

> それだのに、彼は最初の日からもう彼の恋愛を追憶できる状態にある。

> つまり、彼は恋愛関係をすでにすっかり完了しているのである。始めるときにおそろしく大股に歩いたために、彼は人生を飛び越してしまったのだ。・・・

> Frank Sinatra - Only the Lonely
> http://www.youtube.com/watch?v=bef_s1Bhn7o&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=59

> 彼女は彼の恋人であった。彼がかつて愛した唯一の恋人、彼がいつか愛するようになるかもしれない唯一の恋人であった。しかし、それだのにまた、彼は彼女を愛してはいなかった、彼はただ彼女に憧れていただけだったのだ。

> あの少女は彼の恋人ではなかったのだ。彼女は彼のうちに詩的なものを目覚めさせ彼を詩人にする誘因だったのである。

> だからこそ、彼は彼女だけを愛することができ、彼女をけっして忘れることができず、けっしてほかの女を愛しようとはしなかったのだ。けれども、彼はつねに彼女をただ憧れていただけのことであった。

> 彼女は彼自身の全存在のなかに吸収されてしまったのである。彼女の思い出はいつまでもいきいきと残ることだろう。

> 彼女は彼にとってあまりに大きい意味をもってしまった、彼女は彼を詩人に仕上げてしまったのだ、

> だからつまり、

> 彼女は自分自身の死刑判決書に署名してしまったのだ。

> Kenny Rogers - Lady
> http://www.youtube.com/watch?v=Tj_NjLBPotQ&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=11

> 諦めることをしないで男にうるさくつきまとい、それが真実に男を愛していることの証明だなどと自惚れるほど利己的な女があるとしたら、そういう女の一生の任務はまことに安易なもので、誠実だという名誉と疚しからぬ良心を、同時にまたごく上品に洗練された恋愛までも、わけなく享受できるだろう。

> 神よ、すべての男をそういう誠実さから守りたまえ!

> Vera Lynn - As Time Goes By
> http://www.youtube.com/watch?v=S8F9NzVuIuA&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=1

> わたしはレタスが好きだが、いつも芯だけしか食べない、葉は豚にやるものだとわたしは思っている。

> わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。

> It's Over-Gato Barbieri
> http://www.youtube.com/watch?v=ksmLewp4vf8&feature=BF&list=QL&index=4

> 岩角に釘づけにされたプロメテウスが、禿鷹に肝臓をついばまれながら、その語る予言によって神々を惹きつけるように、彼女は恋人を惹きつけた。

> くる日もくる日も、すべてがささげつくされた、その日その日が最後であったから。だが、それがいつまでもつづくわけではなかった。

> 彼女はおのれを縛りつけている鎖を噛んでみた。しかし、彼女の激情がたけりたてばたけりたつほど、彼女の歌はいよいよ甘く、彼女の言葉はいよいよ優しく、鎖はいよいよ固くなった。

> この誤解から現実の関係を作り上げるなどということは、彼女には不可能だった。それこそ彼を永久の欺瞞にゆだねることだった。

> 彼女の思い、彼女の心は、実は彼とは別のものを、つまり、彼女が彼に象徴させているものを求めているのであって、彼はその憧憬の化身にすぎないといって彼の思い違いを説明してやるのは、彼を深く傷つけることで、それには彼女の誇りが憤りを感ずるのであった。そういうやり口は、彼女の何よりも軽蔑するものであった。

> それはまた彼女として当然なことだった。

> 男を欺き誘惑するのは軽蔑すべきことである、しかし、あなたはわたしの理想ではなかったのだと説明して男をいいくるめたり、あなたは詩神にすぎなかったのだといって男をなだめたり、自分を悪者にしないばかりか立派な逃げ道までもこしらえて男を見捨ててしまうというのは、さらに軽蔑すべきことである。

> 男をくどく経験を多少とも積んだものなら、それくらいのことはわけなくやってのけるだろう。

> せっぱつまって男のほうでもその申し出に応ずるだろう。こうして首尾よく逃げおおせたうえに、しかも正直な人ということになる、親切な人ということにさえなる。

> しかしあとになってみると、だまされていたことを知っている男よりもいっそう深い傷を、その男は心に負っているのである。

> だからどんな恋愛関係においても、関係はできたが実現の見込みはないという場合には、思いやりが最大の侮辱である。

> エロス的な目をもちしかも臆病でない女なら、思いやりをもたないということが、男の体面を保ってやるための残された唯一の方法だということを、容易に理解するだろう。

> Right Here Waiting - Richard Marx
> http://www.youtube.com/watch?v=Zilog7d523w&feature=BF&list=QL&index=9

> わたしは娘のすることならなんでも赦すことができるのだが、娘が恋をしながら恋の使命をとり違えるのだけは、どうにもゆるせない。

> 娘の恋が献身的でないなら、その娘は女でなくて野郎なのだ。

> そういう娘はその恋によってまず愛する男の血を吸いとってしまい、はては男をして懊悩と絶望のあまり自分から手を切るにいたらしめるものだが、そういう恋にこがれる女を、そういう役をみごとに演じて、同情をよせる家族の者や友達に泣いてもらうひとりのエルヴィーラとして登場させることは、喜劇詩人にとって実にやりがいのある仕事であるにちがいない、このエルヴィーラは、欺かれた娘たちの合唱団で第一歌手を演じ、男たちの不実を、明らかに自分の一生を台なしにするほど不実だったと、いかにも大げさにまくしたてることを心得ている女、しかもそういうことをずうずうしくも落ち着き払ってやってのけながら、自分自身の誠実さのほうこそ、むしろ愛する男の生命を奪いかねないということに、半秒間も思いいたることのない女なのである。

> 女の誠実さというものは偉大なものだ、とりわけ男の要求をその厚意に感謝しながら懇ろに断る場合にそうである。

> 女のそういう誠実さはいつも測り知れず、理解しがたい。

> 恋する男が、どんなに苦しくとも、怒りの言葉をひとことも女に浴びせることなく、かえって女をだまして、自分を欺くとはけしからん男だと思っている女の思い違いを強めてやるという、より深刻な復讐に甘んずるだけのユーモアを失わずにいるとしたら、この場面は実に愉快なものになることだろう。

> tell him... celine dion / barbra streisand
> http://www.youtube.com/watch?v=wB_vjpRhLxM

> 「N.Nさんはいい人だけど、退屈だわ。ところがF.Fさんったら、あの人とってもおもしろくって、いかすわよ。」

> かわいい娘の口からこういう言葉を聞くたびに、わたしはいつも思うのである。

> 「よくも恥ずかしくないものだ、若い娘がそんなことを口にするなんて、なんて情けないことだろう。」

> 男がインテレサントなものに迷い込んだとき、救い出してくれるものは娘のほかにないではないか。それだのに、そういうことを口にするのは、罪を犯すことではないか。

> 当の男がインテレサントなことなどできない人間であるなら、その男に向かってそれをせよと要求するのは、思いやりのないことであるし、あるいはまた、男がインテレサントなことのできる人間であるなら、そしたら・・・・・・・・、なぜかといえば、若い娘というものは、インテレサントなものを誘い出すことをしないようにこそ、つねに慎むべきものだからだ。そういうことをする娘は、イデーからみて、いつも損をする。

> インテレサントなものはけっして反復されないからである。

> インテレサントなものを求める娘は、みずからそこにおちいる罠となる。

> インテレサントなものに心ひかれぬ娘は反復を信ずる、そういう生まれつきの娘に栄誉あれ。

> 時を経てそうなった娘に栄誉あれ。

> Diana Krall Love Is Where You Are
> http://www.youtube.com/watch?v=vByMcoYgjaY&feature=BF&list=QL&index=2

> 多少とも想像力をもった青年なら、一度は芝居の魔力にとらえられたことがあるにちがいない。あの人工的な現実のなかへ自分もともにまき込まれて、まるで二重人みたいに、そこでもうひとりの自分自身が動くのを見、語るのを聞き、自分自身を自分自身に可能なだけのあらゆる種類の人物に扮装させ、しかもそのどれもがまた一個の自己であるというふうであってみたいという願いをいだいたことがあるにちがいない。

> こういう欲望があらわれるのは、もちろんまだ若いうちのことである。

> ただ想像力がだけが目覚めて個性を夢みていえ、その他の能力はすべてまだ安らかに眠っている。そういう想像力によって自己が見られると、個人は現実的な姿ではなく影でしかない、もっと適切にいうと、

> 現実的な姿が目の前にありながら、それが見えないのである。

> それだから個人は、ただ一つの影を投げるだけでは満足できずに、そのどれもが自分に似ていてそのときそのときに自分自身である権利を平等にもっているようなさまざまな影を投げるのである。

> I´m thru with love - Diana Krall and Hollywood divas
> http://www.youtube.com/watch?v=ivF2ZTxV81Q&feature=mfu_in_order&list=UL

> しかしこの影の存在も満足を求める、それが自己の生を全うするだけの時を与えられなかったとしたら、それは人間にとってけっして好ましいことでない。

> しかしまた、

> 個人が見当ちがいをして、影の存在のなかを迷いつづけながら生きつくしてしまったとしたら、それは哀れな、あるいは滑稽なことだ。

> そういう人間がそれでほんとうの人間であるなどと自惚れるなら、それはちょうど最後の審判の日に、自分自身で出頭することもできずに、気のきいた目論見とか、その日一日だけの決心とか、半時間きりの計画とかなどを身代わりに出頭させる人間が不死の要求をするのと同じように、まことに心もとないことだ。

> 何事もそれぞれ適当な時におこなわれることが肝心なのだ。

> すべては若いときにその時をもっている、そして若いときにその時をもったことは、また後でその時を得るものだ。

> 年長者にとって、その生涯のうちに、何か思い出して笑わずにいられぬような過去をもっているということは、何か涙をさそう過去をもっているのと同じように健康なことなのだ。

> "Who knows where the time goes" - Nina Simone
> http://www.youtube.com/watch?v=wZa3XsHA6UU&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=4
>
> 山里で明けても暮れても、うまずたゆまず同じ主題(テーマ)の風が奏でているのを聞いていると、ついそれに誘われて、しばしその不完全さを忘れ、人間の自由のたゆみなさと確かさを象徴するかに思われてうれしくなることがある。するとつい忘れられてしまうのだが、
>
> いまこの山々のあいだをおのが住み家として幾年も吹き渡っている風は、かつては行き暮れし旅人としてこの土地へきたのである、
>
> そして
>
> 心を乱して荒れ狂いながら峡谷のあいだを突き分け、洞窟の中に突き入り、或るときは自分でもはっと驚いて跳び退くような金切り声を張り上げ
>
> たかと思うと、或るときは
>
> われわれから逃げ出したくなるようなうつろな吼え声を立て、
>
> 或るときは
>
> どこからでてくるのか自分にもわからぬような嘆きの調べを奏で
>
> たかと思うと、或るときは風みずからが
>
> 恐れをなしてこのあたりに足をとどめたものかどうかとしばし疑いためらうような底知れぬ不安の溜息を吐き、
>
> 或るときは
>
> また浮かれはしゃいで抒情的な囃し唄を歌い、
>
> こうしてついに自分の楽器に習熟してしまって、これらすべての共鳴音をメロディーにまとめあげ、それをいま明けても暮れても変わりなく奏でているのである。
>
> それと同じように、
>
> 個人の可能性もそれみずからの可能性のなかをさまよい歩きながら、或るときはこの可能性を、また或るときはあの可能性を発見する。
>
> しかし
>
> 個人の可能性は単に聞かれることを欲するばかりではない、それは風のように吹きすさぶばかりではなく、また形を成そうとするのだ、
>
> だから
>
> それは聞かれると同時にまた見られることをも欲する。
>
> 個人の可能性は、だからそのどれをとってみても、音を発する影である。
>
> この隠された個人は、悪意の小ざかしい囁きに耳をかさないと同じように、仰々しく喚きたてる感情を信じない、悲嘆のやるせない溜息を信じない
>
> が、また同じように、歓喜の極みに沸き立つ叫び声も信じない。
>
> 個人はただ情熱をもって見そして聞こうと欲する、しかし、注意あれ、自己みずからを、なのだ。
>
> けれども、個人は自己みずからをほんとうに聞こうとは欲していないのだ。そんなことはできるものではない。それができれば、その瞬間に雄鶏が鳴く、そして薄明の姿どもは逃げ去り、夜の声は沈黙する。
>
> これら薄明の姿どもが踏みとどまっているかぎり、われわれはまったく別な領域に、一切のものが責任の気づかわしげな監視の目を浴びて不安を覚えながら行なわれるところに、つまり、悪魔的なものの国にいるのである。
>
> だから、ほんとうの自己の印象を受けずにいられるように、隠れた個人は、あの薄明の姿どものような、こだますることのない言葉のかすかなざわめきのような、かりそめのはかない環境を求める。このような環境が舞台なのだ。
>
> だからこそ、
>
> 舞台は隠れた個人の影絵芝居にふさわしい。

Jon Hassell - Amsterdam Blue
http://www.youtube.com/watch?v=dz40YrNBje4&feature=autoplay&list=QL&index=3&playnext=3

わたしの忘れがたい保母よ、わたしの父の庭づたいに流れてゆく小川に住むなんじつかまえがたい水の精(ニンフ)よ、おまえはおまえ自身のことだけに心を使っていたけれど、それでもいつも子供の遊びに加わり遊び相手になってくれた!

なんじ忠実なる慰安者よ、おまえは幾歳を経てなおおまえの無垢な純粋さを持ちつづけている。わたしがすでに老いさらばえてしまったのに、おまえはちっとも年をとってはいない。

なんじ安らかな水の精(ニンフ)よ、人間に倦み、わたし自身に倦んで憩いのためにわたしが永遠を必要としたとき、悲嘆にくれてわたしが忘却のために永遠を必要としたとき、そのたびごとにいつもわたしはおまえのところに逃がれていった。人間たちが永遠を時間と同じようにせわしないものにし、時間よりももっと空恐ろしいものにしてわたしに拒もうとしたものを、おまえはわたしに拒まなかった。

そういうとき、わたしはおまえの傍らに身を横たえ、わたし自身から逃がれて、頭上の広い広い蒼空へ消えていった、そして眠りをさそうおまえの囁きに、わたし自身を忘れたものだ!

なんじ、わたしの幸福なる自己よ、わたしの父の庭づたいに流れゆく小川に住むなんじ足早の生よ、わたしは投げ捨てられた旅杖にも似た姿でおまえの傍らに身を横たえてはいたが、おまえの物悲しいせせらぎによって救われ解放されていたのだ!

> > わが沈黙の共犯者よ!

> > 名前こそありませんが、それでもおそらくはぼくは、あなたにとってつねに何ものかであるだろうと思います。そしていかなる場合にもかわらぬあなたの忠実な友です。

> >                                  敬具



[53725] 別れたその瞬間、風花が舞ってきたのです。Re:[53721] 冷や汗たらたらで峠を越えて・・・ 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/01/27(Thu) 13:10  

うるせいなANNEX−Ω   訪問者数:2324445(今日:238/昨日:510)2011/01/27(Thu) 12:01

うるせいな?うむ。合点!

Rita Hayworth e Ava Gardner: a homenagem de Caetano Veloso
http://www.youtube.com/watch?v=-6cd8Jm78mM&feature=BF&list=QL&index=8

> るくつたくANNEX−Ω   訪問者数:2323911(今日:214/昨日:546)2011/01/26(Wed) 10:40
>
> RITA HAYWORTH: Mon coeur s´ouvre à ta Voix
> http://www.youtube.com/watch?v=_q6DPymqb8o&feature=BF&list=QL&index=9
>
> きのうのことをけふ書くと雌鳥がなくかだうかは知らぬが、きのうけふにかかわらず、あのクラブランちうもんは、まるで原始人の猿の習性まるだしのやうで、さういう猿まねをソレガシもするのか?ちう反省反復の思いの重い足で漕いでいけば、梵さんは紳士でやさしいから・・ちうような誤解もあらわれ、さういう誤解は必ずしも憎むべきもんでもなく、

きのうのこときのう書けば雄鶏もないたかもしれませんが、またまた、きのうのことをけふ書けば、いやさ、さきおとといのこともけふかけば、卵も孵るかもしれませんが、インフルエンザで虐殺されるかもしれませんね。

さきおととい、あれはこの壊疽した歯の最後の修理の日、保健ですと、保証期間が1年で、1年以内にまた同じ歯が不具合を起こしても修理できない、もしくは、歯医者は修理代をとれない、だから修理しない、ということらしいので、んったく、健康保険ちうもんもいろいろと国民を悩ませる抜け穴があることは、民間のマヤカシ保険と同じ構図ですが、さういう忙しいときにかぎって、魅力的な出来事が起こるもんで・・・

土手を走っている、もう、居て愚も、ではのうて、凍て雲のカワッペリで、誰も走っておらんその先から一台のロードバイクが・・・擦れ違いザマに、ウォー!ちうのんは、挨拶で、手が離せるときは手でも合図しますが、ともかくも、うぉ〜で通り過ぎ、橋にのぼって下りかけると、横にすっとついた、これが、−30歳ですか、クラブハウスに一緒にいかがですか?とありがたいお誘いで・・・あいにく、さきのお誘いのときも、歯の修理で、さきおとといも歯の修理、嗚呼、このクソバカ歯よ、はよ、なおれ!ちうても、順番ちうもんがあって、時が痛みを癒さんと神経の腐った穴を埋めるわけぬもまいらず、あっちの穴を掃除すればこっちの穴の穴のなかが疼くとか、歯神経の穴も一筋縄でのうて、幾重にも輻輳しちょるますけん、年末から新年にもちこし、輪をかけて歯垢がたっぷりたまっていれば痛みもせんが、うっすらと霜のかかったやうな歯垢は北風が沁みて歯が痛むわけで、その痛みの機作はわかっちょらんさうですが、ともかくもも、痛む、痛まぬやうにするには、歯に磨きをかけてぷかぷかふかしたタバコの脂光りがするほどにピカピカにするのが骨ですが、さうさう歯を磨いてばかりもおれんのんで、適当なところで、歯ブラシをまたヒップバックに差し込んで、そんで、ガストに四つのレストランがあって、その四つのレストランの使い分け方ちうインテレサントなタレントオバカ番組がその前の晩かにあって、橋の上で寒風に吹かれながら、その話をすると、−30歳はぜんぜんさういう番組はみないんださうで、でも、興味があります、と・・

あっても、時間があわなきゃあ、四つのガストもくそもねえわけで、同じ方向の峠をこえて並んで途中までご一緒でいくのかとおもえば、くるりと向きをかけて、また追っかけて来た橋上の道を逆戻りして、だうも五日市だか奥多摩だかの山と峠をこえてかえるのだとか・・誠に元気がよろしいー30歳。

さて、

きのうのけふは、15時過ぎに家をでて重たい足取りでゆけば、ま、せいぜいが39kmどまりで、まだ日没には時間があるからと、帰り道の河川敷のグランド、よく、陸上のトレーニングなんぞもしちょって、ランニングの若人の集団も見かければ、一周どれほどあるのか、距離計つきのC40で距離をはかりがてら、せいぜいが39kmをせめて40km台にはしておこうと、3周ほどして、1.1km/周でしたが、やれやれ、お子様お帰りのお時間を告げるチャイムと放送がグランドに流れた4時半に周回コースから離れて我が家への道に復帰すると、なぬやら遥か前方に小口径車らしきものにリュックを背負ったライダーがゆく。

もしや?とおもって追いついてゆけば、ふむ、ふむ、これは明らかにかの兄姫なり♪

ちうことで、抜かさずに併走、

こんばんは・・ああ、こんばんわあ、だれかと思ったわ・・

ストーカーと間違われなくてよかったわいね、

そんなあ、ラッキーですよ、ラッキー♪

こないだの道こっちでしたかしら?

こないだソレガシが案内した道を辿ろうとして間違えるところも、これまた愛嬌・・

あ、そうなの、2斤のパンだって、小さく切って冷凍しておけば少しづつ食べれるのにね♪

とおっしゃるもんですから、おもわず、ならば、クラブハウスで手作り料理を去年だか一昨年だかにご馳走になりっぱなしで、ちうこともありますからと・・

天然酵母パン2斤@198円+おまけによもぎ大福5個138円

を贈呈しても、とてもその大きさがリュックに収まらず、近いから手でもっていきますと、保健センターの角の交差点で別れたその瞬間、風花が舞ってきたのです。ー何歳かしらぬ。

> うちつづくおばさま、-7歳を筆頭に、-10歳、-12歳とうちつづくその行列もしょっちゅういっておらんば、どこの橋を渡ればええのんか、橋の端から遠望して、たすかに突き当たりにGSがあったはずなんぢゃが、遠望するにどこの橋にもGSがないのんで川を遡れば、まう絶対にここでは行き過ぎぢゃ!ちうところでUターンしてもどれば、なんちゅうこともなく、集合場所の橋のそのすぐ次の橋がそもそもの該当の橋であって、橋が二重になっておるんでGSが見えんかったのであるが、そのGS脇の坂を登ると古民家に煉瓦の竈をしつらえた屋敷で、特別室はすでに予約がへえっておって、それに5名様以上ぢゃなくんば予約も受け付けませんと、まあ、しゃあない一般的の、それでも出窓の棚に骨董の獅子頭なんぞを置きその横には満開の花々が花瓶に生けられこれが全部造花で多少埃まみれではるものの、天井の梁は太く黒く、障子を閉めた室内は暖房がよく効き、畳に置かれたテーブル椅子の造りも特別室の味わいには及ぶべくもないが、それなりにしっかりしたもので、出てくるスープも猫舌でも火傷をしないほどの適温に適量でそれに丸いスープスプーンをつっこんで飲むのは、都心のホテルならさもありなんであらうけれども、庭先の崖下に木々を眺め、川の水面こそ見えぬものの、かつては見えたあらうところも昨今のコンクリの堤防の壁が屹立しそれを望む井戸に水神様がまつられその丸石組の台座にタバコ盆をのせて一服でkるこの感興では、なぬもスープカップをまるごと口に運んだところで、なじる視線はどこにもなく、それぞれに好き勝手なナイフフォークスプーン箸を駆使して、サラダを頬張り、お誕生日のプレゼントだと取り出したサコッシュだかパンダナだかわからん風呂敷様のもんの模様が話題の中心で、あら、これ自転車の模様のフレームの形が一つひとつちがうわ、どこで買ったの?立川になかったからわざわざ都心の伊勢丹まででかけたのよ、ちうことでソレガシなんぞは割って入る余地もなく、関心のまなざしは○蹴りー太、ぬぬ?マルゲリータ、生ハムソーセージの窯焼きピザと魚介、茸のスパッゲティなんぞをー7歳が各位にとりわけ、それなりにピザの風味もスパゲッチの茹で具合もよろしく、さて、疎外されきったソレガシがクラブランの猿の本能めいた習性を言い出すと、最近クラブに入ったー7歳はさっそく厠に消え、−10歳は口を噤み、−12歳はもとよりさういう猿の習性を軽蔑しきっているからクラブにもはいらず相槌をうち、さうなのよね、猿の習性、と反復されると、オノガジシ猿めいた立場に怖気を催し、ま、去年はご馳走になったからと気前良く全員の分をソレガシが支払い、なぬごともなかったかのやうにまた猿の行列をつくって川を下るその風景、風景の点景の自分自身を自分自身がみているやうな冬の日差しと風の中、天然酵母パンの買出しにまいれば、うろうろするばかりでだれも買わず、やっとー7歳が買い込んで、やれやれ、これでつれてきた買いもあったか、とおもえば、カウンターでさっそく開封して、その2斤、誰もこんなにたくさんたべられませんと、さうさね、老母の介護、障害児の介護、天才と紙一重の秀才の介護で忙しい方々ですから、大家族がおるわけでもなく、大胃袋が坐しますわけでもなく、2斤を半斤に引きちぎって、ポリ袋にとりわけ、はい60円、はい50円と、−7歳からー10歳、−12歳の手に渡り、なるほどと感心しきりのなか、わけのわからぬソレガシの住まいのまわりの小学校中学校を下ってものわかりのいい多摩サイにでれば、−7歳がこの橋からぢゃ帰り道がわからないと・・・しゃあないのんで、案内がてら橋をわたって坂を登って、民家の仏蘭西料理屋の前にさしかかれば、こんどはここに来ましょう、ご相伴しますからと、冷や汗たらたらで峠を越えて・・・
>
> それにしても猿の習性、ことこまかに描写してもよろしゅうございますが、のちほどたっぷりとやるときもまいりませうほどに本日はここまで。
>
>


[53724] 嗚呼、いわなければすんだものを・・・・すまない。いわなければすむものをいってしまう、正反にしてその合もあるのですね。Re:[53723] こんばんは。Re:[53720] おはようございます。 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/01/27(Thu) 11:34  

りはしとそANNEX−Ω   訪問者数:2324409(今日:202/昨日:510)2011/01/27(Thu) 10:49

Bono + the MDH Band - Never Let Me Go
http://www.youtube.com/watch?v=c0RX-DjfoDo&feature=BF&list=QL&index=29

> んはくかけANNEX−Ω   訪問者数:2324114(今日:417/昨日:546)2011/01/26(Wed) 19:08
>
> angel eyes
> http://www.youtube.com/watch?v=Qm0PKSSbt4w&feature=BF&list=QL&index=28
>
> さきの[53722] まえもって、閻魔様と最後の審判者さまの

閻魔様と最後の審判者さまの判断が分裂したら\\\

幽冥と娑婆のはざまで昼寝を決め込むにかぎる。

> ご配慮を賜りたくよろしくお願い申し上げます。 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/01/26(Wed) 18:28 には音楽をつけわすれまして、失礼しますた。

舌先も指先も放っておけば勝手なこと喋りだす。

決して舌下の黙々は喋らない、喋れない。唯々黙々のみ。

閻魔様も最後の審判者さまもいったいどっちを正となし反となすのであらうか?

> > >このインテレサントな記事を特記するインテレサントぶりには脱帽ですね。
> >
> > 梵さんはからかっておるな?
>
> べつにからかってはおりませんが、もしもさうみえるならさうかもしれません。

閻魔様も最後の審判者さまもべつにからかってはおりませんが、もしもさうみえるならさうかもしれません。

昼寝にかぎります。

よしなに決着をおつけ願いたく・・ぐうぐう♪

> インテレサントなものをキルケゴールくんが排斥したがっているからといって、なぬもそれを鵜呑みにする必要もないのではないでしょうか。

あのキルケゴール君は敬虔なクリスチャンで神をならぬ教会を冒涜して果たして、ああ、一切の資産への利息は悪徳として食むことなく元本を使い果たし使い尽きるときに命も使い果たし使い尽きたとか・・

で、君はどっちにいったのか?

それとも幽冥と娑婆のはざまでいまだに昼寝か?

> あらゆる記事も言説も己に垂らして照らしてよく咀嚼をしてみれば、その意味するところ、世の一般への意味はともかくも、己への意味こそが肝要でありますれば、そこを涵養すべきものかと・・

あれは、そもそもが、言葉と発生とともに発したお喋りなのだ。

だから

アンビバレンツなもの、正反するもの、あらゆる分裂と躁鬱が、あのメカニックにしてインテレサントな精神分析の手法以前の瞬間として凝縮しているのだ。

だから

かの、俺は勝たねばならないと、勝たねばならないと、俺は、俺はの連発のはてに命を失ったあの尾崎豊か、それとこキルケゴール扮するコンスタンチンが相手をしている青年のなかになんと似た絶叫があることであらうか。



> インテレサントはものは、人間の発生、体細胞の発生ではのうて、赤ん坊で生まれいでていろいろ学んでいくその途上でインテレサントなものを排除すれば赤ん坊は成長しません。ゆえにインテレサントなもの、インテレサントな態度、心持、方向性は、なぬも排除ばかりすべきものではなく、まことに世界を学習する基本的な態度でもあるのですから赤ん坊か成人か老年か瀕死の今わの際かにかかわらず必須なものではないでせうか。

win or lose

to be or not to be

勝つか負けるか、生きるか死ぬか。

さういう訳が蔓延してそれを鵜呑みにしたわけでもないんでせうが、勝ち負けの関わらず、得るもの失うものはあるわけであって・・

生きるか死ぬかも、存在するか存在しないか、得るか失うか・・

勝つこと、生きること、存在すること、すなわち、得ることであり、

逆に

負けること、死ぬこと、存在しないこと、すなわち、失うことである

というのは本当にさうなんであらうか?

> ただし、そのインテレサントな態度と、インテレサントなものは、諸刃の剣であることは、情報や知識や知恵のありゃうと同じことでありますれば、それをどういう風に使いこなすか、そこに智慧があるのですが、さういう意味で・・・
>
> からかうというよりは、
>
> 感覚の中枢へ打ち込む十字架、釘というよりは楔でせうね、

脳天に打ち込む十字架は釘ではありえぬ。

楔なのだ。

それは右脳と左脳を、正と反を、生と死を、存在と非存在を、得ることと失うことを、結びつける楔なのだ。

> ジャンヌ・エルシュ的に云えば。

ジャンヌ・エルシュはなぬものなこはしらんが、いいとこまでいってはおるが・・

だうようにキルケゴール扮するコンスタンチン君もええとこまではいっておるが・・

> > >「歴史は欲望と希望を糧にして生きるのであって、全面的な約束や知を糧として生きるのではない。
> >
> > >全面的な約束や目的にについての詐称された知こそが、《観念論的》なのであり、《人民の阿片》なのである。」(ジャンヌ・エルシュ)
> >
> > 人間の歴史は、結局「侵略」の歴史にすぎないんじゃないか?これは悪い「反復」かな?
>
> だうなんでせうか。
>
> 侵略という行為は、国家、民族レベルだけでなく、人の一人ひとりの生き方も含めた歴史において、さういうことなんでせうか。

歴史の生ける心臓は瞬間のなかで鼓動することをやめない。

拒まれた永遠が、その瞬間のなかで時間を片時も休ませないのである。

ということを失念してはいけない。

畢竟

> 「私自身でない第三者(たとえば美、真理など)に関心をもつ知識は無関心的である。」

国家や民族やそのたもろもろの概念も言葉も美や真理と同様に私自身ではない第三者にすぎない。

そのなかでひとはいったいなぬをしてきたのか?

侵略と殺戮だけか?

> > この本も探してみたが、またまたすでに古本になってしまった。これは高価。
> > この弱い脳みそで読めるかどうか?とりあえず保留とします。
>
> これも@33円のうちの1冊でしたが・・なぬもあまりにも真面目に購入することもないでせう。冒頭のサルトルの講演なんぞはさして感心するもんではありませんし・・・

すべてのことばを自分自身に還元しなければいけない。

それが、

言葉も行為も自分に還ってくるということ。

嗚呼、いわなければすんだものを・・・・すまない。

それがひとの業といってしまえばお釈迦さまで、おオシャカでせうが・・

いわなければすむものをいってしまう、正反にしてその合もあるのですね。



[53723] こんばんは。Re:[53720] おはようございます。 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/01/26(Wed) 19:33  

んはくかけANNEX−Ω   訪問者数:2324114(今日:417/昨日:546)2011/01/26(Wed) 19:08

angel eyes
http://www.youtube.com/watch?v=Qm0PKSSbt4w&feature=BF&list=QL&index=28

さきの[53722] まえもって、閻魔様と最後の審判者さまのご配慮を賜りたくよろしくお願い申し上げます。 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/01/26(Wed) 18:28 には音楽をつけわすれまして、失礼しますた。

> >このインテレサントな記事を特記するインテレサントぶりには脱帽ですね。
>
> 梵さんはからかっておるな?

べつにからかってはおりませんが、もしもさうみえるならさうかもしれません。

インテレサントなものをキルケゴールくんが排斥したがっているからといって、なぬもそれを鵜呑みにする必要もないのではないでしょうか。

あらゆる記事も言説も己に垂らして照らしてよく咀嚼をしてみれば、その意味するところ、世の一般への意味はともかくも、己への意味こそが肝要でありますれば、そこを涵養すべきものかと・・

インテレサントはものは、人間の発生、体細胞の発生ではのうて、赤ん坊で生まれいでていろいろ学んでいくその途上でインテレサントなものを排除すれば赤ん坊は成長しません。ゆえにインテレサントなもの、インテレサントな態度、心持、方向性は、なぬも排除ばかりすべきものではなく、まことに世界を学習する基本的な態度でもあるのですから赤ん坊か成人か老年か瀕死の今わの際かにかかわらず必須なものではないでせうか。

ただし、そのインテレサントな態度と、インテレサントなものは、諸刃の剣であることは、情報や知識や知恵のありゃうと同じことでありますれば、それをどういう風に使いこなすか、そこに智慧があるのですが、さういう意味で・・・

からかうというよりは、

感覚の中枢へ打ち込む十字架、釘というよりは楔でせうね、

ジャンヌ・エルシュ的に云えば。


> >「歴史は欲望と希望を糧にして生きるのであって、全面的な約束や知を糧として生きるのではない。
>
> >全面的な約束や目的にについての詐称された知こそが、《観念論的》なのであり、《人民の阿片》なのである。」(ジャンヌ・エルシュ)
>
> 人間の歴史は、結局「侵略」の歴史にすぎないんじゃないか?これは悪い「反復」かな?

だうなんでせうか。

侵略という行為は、国家、民族レベルだけなく、人の一人ひとりの生き方も含めた歴史において、さういうことなんでせうか。

> この本も探してみたが、またまたすでに古本になってしまった。これは高価。
> この弱い脳みそで読めるかどうか?とりあえず保留とします。

これも@33円のうちの1冊でしたが・・なぬもあまりにも真面目に購入することもないでせう。冒頭のサルトルの講演なんぞはさして感心するもんではありませんし・・・




[53722] まえもって、閻魔様と最後の審判者さまのご配慮を賜りたくよろしくお願い申し上げます。 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/01/26(Wed) 18:28  

こらをちけANNEX−Ω   訪問者数:2324097(今日:400/昨日:546)2011/01/26(Wed) 17:58

写切る毛ゴールドももう生えすぎゆえ、髭をそって、足きりもして、幾許かの無駄毛とはいわんも、心臓の毛も剃刀をいれてみたあ、だうも、けふの写をやるには容量がタランやうな・・・いったいこれ以上、どこを削ぎ落とすか、いちいちの一回毎にまるごと殺いで、新たに始めるのんも、なんか、脈絡も不明になり、写も読も分裂に陥る懸念もあれば、なんとか脈絡をたもちつつ、かつ入れ物に入る切るやうに工夫をせんばいけんが、知恵が湧かんで、苦慮しちょるところです。

まだまた入れ込みたい節が多々あり、今からが華なんで、余興で終わってすまっては、すまん、ちう事態、誰にすまんか?自己にすまん、他己にすまん、希ガス万、ぬぬ、気がすまん。まあ、もともと、節々ごとに後で切り出して、なぬも鵜呑みにすることもねえのぢゃっけん、切る毛ゴールドにいちゃもんをつけてあげよ、とはおもってはおるもんの、まんだ、やりだすには早い、時期尚早どすけん、まうすこし我慢して相手の云うことも聞いて写して、ちうても、だうにも気に食わんもん、かの切る毛ゴールド君も多分にその毛がありますれば、だうも誰彼主題が入れ子に入れ子が輻輳錯綜しちょりますれば、適当にソレガシの趣味で入れ子を入れ替えたところもありますれば、かの髭もぢゃらで伸び放題の写切る毛ゴールドの金科玉条も、キルケゴールぢゃ!とは云いがたい箇所もありますれば、まことに真面目な読者が、新古本を取り寄せて、真面目に読み出すと、ちょっとバレバレになってしもうて、まあ、さういうこともあらうかと、あの煙くぢゃらの写の出典はあの記事の中には謳っていないわけでございます。

とはいえ、文章の骨組み、論理の骨組み、骨組みならず内臓も肉も一切いじっておらず、キルケゴールの味わいは、すくなくとも、その訳本の味わいは保たれておって、いじくったのは首の挿げ替えだけどすけん、ご安心ください。

この首の挿げ替えちうもんは、もともと、著者のキルケゴール君が、意図しておったものの、諸般の事情により、相手を傷つけるといかんちうことで、元意図の首を挿げ替えたもんのやうに見受けられ、このあたりはよくよく検討に検討を重ねれば、もっともっと首の挿げ替えをせんば、意味が通じぬ箇所も多ければ、それは今後の検討課題となしたく存じます。

ちうことで、かの毛剥くぢゃらの写切る毛ゴールドは、それなりのパロディちうばパロディでもあり、読み方ちうば読み方でありますれば、読者におかれましては、騙されたと死にいたる病に陥らんようにお願いもうしあげます。

もっとも、怖いのんは、世の中には、イロニーも、ユーモアも、パロディも解さず、わたしは真面目なんです、と一点張りで、諧謔も通じない向きもないではないのですから、裏切られた騙されたとひきこもられれば、ソレガシも痛く責任を痛感し、死にいたる病、閻魔様にも、最後の審判にも申し開きなんぞはお茶の子再々で、疚しくなくできることはできるのですが、なぬせ申し開くこと自体がまた他者を傷つけることになるやもしれず、死に切れずに苦慮するところどすので、まえもって、閻魔様と最後の審判者さまのご配慮を賜りたくよろしくお願い申し上げます。



[53721] 冷や汗たらたらで峠を越えて・・・ 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/01/26(Wed) 11:24  

るくつたくANNEX−Ω   訪問者数:2323911(今日:214/昨日:546)2011/01/26(Wed) 10:40

RITA HAYWORTH: Mon coeur s´ouvre à ta Voix
http://www.youtube.com/watch?v=_q6DPymqb8o&feature=BF&list=QL&index=9

きのうのことをけふ書くと雌鳥がなくかだうかは知らぬが、きのうけふにかかわらず、あのクラブランちうもんは、まるで原始人の猿の習性まるだしのやうで、さういう猿まねをソレガシもするのか?ちう反省反復の思いの重い足で漕いでいけば、梵さんは紳士でやさしいから・・ちうような誤解もあらわれ、さういう誤解は必ずしも憎むべきもんでもなく、うちつづくおばさま、-7歳を筆頭に、-10歳、-12歳とうちつづくその行列もしょっちゅういっておらんば、どこの橋を渡ればええのんか、橋の端から遠望して、たすかに突き当たりにGSがあったはずなんぢゃが、遠望するにどこの橋にもGSがないのんで川を遡れば、まう絶対にここでは行き過ぎぢゃ!ちうところでUターンしてもどれば、なんちゅうこともなく、集合場所の橋のそのすぐ次の橋がそもそもの該当の橋であって、橋が二重になっておるんでGSが見えんかったのであるが、そのGS脇の坂を登ると古民家に煉瓦の竈をしつらえた屋敷で、特別室はすでに予約がへえっておって、それに5名様以上ぢゃなくんば予約も受け付けませんと、まあ、しゃあない一般的の、それでも出窓の棚に骨董の獅子頭なんぞを置きその横には満開の花々が花瓶に生けられこれが全部造花で多少埃まみれではるものの、天井の梁は太く黒く、障子を閉めた室内は暖房がよく効き、畳に置かれたテーブル椅子の造りも特別室の味わいには及ぶべくもないが、それなりにしっかりしたもので、出てくるスープも猫舌でも火傷をしないほどの適温に適量でそれに丸いスープスプーンをつっこんで飲むのは、都心のホテルならさもありなんであらうけれども、庭先の崖下に木々を眺め、川の水面こそ見えぬものの、かつては見えたあらうところも昨今のコンクリの堤防の壁が屹立しそれを望む井戸に水神様がまつられその丸石組の台座にタバコ盆をのせて一服でkるこの感興では、なぬもスープカップをまるごと口に運んだところで、なじる視線はどこにもなく、それぞれに好き勝手なナイフフォークスプーン箸を駆使して、サラダを頬張り、お誕生日のプレゼントだと取り出したサコッシュだかパンダナだかわからん風呂敷様のもんの模様が話題の中心で、あら、これ自転車の模様のフレームの形が一つひとつちがうわ、どこで買ったの?立川になかったからわざわざ都心の伊勢丹まででかけたのよ、ちうことでソレガシなんぞは割って入る余地もなく、関心のまなざしは○蹴りー太、ぬぬ?マルゲリータ、生ハムソーセージの窯焼きピザと魚介、茸のスパッゲティなんぞをー7歳が各位にとりわけ、それなりにピザの風味もスパゲッチの茹で具合もよろしく、さて、疎外されきったソレガシがクラブランの猿の本能めいた習性を言い出すと、最近クラブに入ったー7歳はさっそく厠に消え、−10歳は口を噤み、−12歳はもとよりさういう猿の習性を軽蔑しきっているからクラブにもはいらず相槌をうち、さうなのよね、猿の習性、と反復されると、オノガジシ猿めいた立場に怖気を催し、ま、去年はご馳走になったからと気前良く全員の分をソレガシが支払い、なぬごともなかったかのやうにまた猿の行列をつくって川を下るその風景、風景の点景の自分自身を自分自身がみているやうな冬の日差しと風の中、天然酵母パンの買出しにまいれば、うろうろするばかりでだれも買わず、やっとー7歳が買い込んで、やれやれ、これでつれてきた買いもあったか、とおもえば、カウンターでさっそく開封して、その2斤、誰もこんなにたくさんたべられませんと、さうさね、老母の介護、障害児の介護、天才と紙一重の秀才の介護で忙しい方々ですから、大家族がおるわけでもなく、大胃袋が坐しますわけでもなく、2斤を半斤に引きちぎって、ポリ袋にとりわけ、はい60円、はい50円と、−7歳からー10歳、−12歳の手に渡り、なるほどと感心しきりのなか、わけのわからぬソレガシの住まいのまわりの小学校中学校を下ってものわかりのいい多摩サイにでれば、−7歳がこの橋からぢゃ帰り道がわからないと・・・しゃあないのんで、案内がてら橋をわたって坂を登って、民家の仏蘭西料理屋の前にさしかかれば、こんどはここに来ましょう、ご相伴しますからと、冷や汗たらたらで峠を越えて・・・

それにしても猿の習性、ことこまかに描写してもよろしゅうございますが、のちほどたっぷりとやるときもまいりませうほどに本日はここまで。




[53720] おはようございます。 投稿者:なすのせせ 投稿日:2011/01/26(Wed) 10:51  

>このインテレサントな記事を特記するインテレサントぶりには脱帽ですね。

梵さんはからかっておるな?

>「歴史は欲望と希望を糧にして生きるのであって、全面的な約束や知を糧として生きるのではない。

>全面的な約束や目的にについての詐称された知こそが、《観念論的》なのであり、《人民の阿片》なのである。」(ジャンヌ・エルシュ)

人間の歴史は、結局「侵略」の歴史にすぎないんじゃないか?これは悪い「反復」かな?

この本も探してみたが、またまたすでに古本になってしまった。これは高価。
この弱い脳みそで読めるかどうか?とりあえず保留とします。


[53719] 舞台は隠れた個人の影絵芝居にふさわしい。Re:[53715] 最後の審判の日に、自分自身で出頭することもできずに、気のきいた目論見とか、その日一日だけの決心とか、半時間きりの計画とかなどを身代わりに出頭させる人間Re:[53712] 現実的な姿が目の前にありながら、それが見えないのである。Re:[53710] インテレサントなものに心ひかれぬ娘は反復を信ずる、時を経てそうなった娘に栄誉あれ。Re:[53709] 女の誠実さというものは偉大なものだ、とりわけ男の要求をその厚意に感謝しながら懇ろに断る場合にそうである。Re:[53708] 関係はできたが実現の見込みはないという場合には、思いやりが最大の侮辱である。Re:[53706] わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。Re:[53703] 神よ、すべての男をそういう誠実さから守りたまえ!Re:[53699] 自分自身の死刑判決書Re:[53698] 汝(いまし)へのあこがれ絶えずRe:[53692] わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。Re:[53690] もし反復ということがなかったら、人生とはそもそも何であろう?Re:[53677] ぼくの苦痛と悩みには名前がありません。Re:[53676] ・・・Re:[53674] わが沈黙の共犯者よ! 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/01/25(Tue) 10:05  

ろさたるにANNEX−Ω   訪問者数:2323333(今日:182/昨日:423)2011/01/25(Tue) 08:59

> Lizz Wright - The First and Last to Love Me (K. Hanrahan)
> http://www.youtube.com/watch?v=E8Dp21T8c7c&feature=BF&list=QL&index=25

> 追憶の恋のみが幸福な恋である、とある作家が言った。その恋がまずひとを不幸にするのを追憶するというだけのことであるなら、まったくそのとおりである。

> ほんとうは、反復の恋こそ唯一の幸福な恋なのだ。

> 反復の恋には、追憶の恋と同じように、期待と不安定さがない。探検に伴う不安な冒険もない、しかしまた、追憶のもつ哀愁もない、そこには瞬間の至福な確実さがある。

> 期待は新調の衣服で、ぱりっとして、しかもきらびやかである。しかしそれはまだ着てみたわけではない、だから、はたして体にぴったり合うかどうか、またよく似合うかどうかもわからない。

> 追憶はもう着なくなった古着である、それがどんなに美しくても、いまでは体のほうが大きくなってもうどうにも身丈があわない。

> 反復は着古されることのない着物である。それはぴったりと着心地よく体に合い、窮屈でもなければだぶつきもしない。

> 期待は追う手をすり抜けてゆくかわいい娘である。

> 追憶は美しくはあるが今ではもうけっして用を足せない老婆である。

> 反復はいつまでも飽きることのない愛妻である。

> 飽きがくるのは新しいものに限っているからだ。古いものはけっして飽きることがない、そして古いものが目の前にあると、ひとは幸福になる、しかも、反復が何か新しいものでなければならぬかのような思い違いをしないひとだけが、本当に幸福になる。もしそういう思い違いをしていたら、ひとはやがて反復にも飽きてしまうだろう。

> 期待するには若さが要る、追憶するには若さが要る。

> しかし、

> 反復を欲するには勇気が要る。

> 期待するしか欲しないものは卑怯である。

> 追憶をしか欲しないものは淫らである。

> しかし、

> 反復を欲するものは男である。

> そして、

> このことをしっかりと自覚するにつれて、ひとはそれだけ深みのある人間になる。

> ところが、

> 人生は反復であり、そして反復こそ人生の美しさであることを理解しないものは、手ずから自分に判決をくだしたも同然で、所詮まぬがれられぬ運命、つまり自滅するほかあるまい。

> 思うに、

> 期待はひとをさしまねく果実ではあるが、腹の足しにはならぬ。

> 追憶はまことに乏しい糊口の資で、これまた腹を満たすには足りない。

> ところが反復は日々のパンである、それは祝福をもって満腹にさせてくれる。

> ひとたび人世を周航してみれば、人生が反復であることを理解するだけに勇気がもてるかどうか、また、反復を楽しむ気持になれるかどうかが明らかになるだろう。生きることをはじめる前にまず人生を周航しなかったものは、けっして生きることにはならないだろう。人世を周航してはみたがうんざりしたというひとは、虚弱な体質の持ち主だったのだ。

> 反復を選んだ人、その人だけがほんとうに生きるのである。

> 彼は子供みたいに蝶を追いまわしはしない、この世の栄耀栄華をのぞくために爪立ちしたりもしない、彼はそれを知っているからだ。

> 彼はまた老婆のように紡ぎ車の前に坐って追憶の糸を紡ぐこともしない。

> むしろ、

> 彼は反復を楽しみながら、心静かにわが道を歩む。

> ほんとうに、もし反復ということがなかったら、人生とはそもそも何であろう?

> Edyta Gorniak - Hello (Gala RMF FM) [Live] HQ DIVA
> http://www.youtube.com/watch?v=AWsesrdS1Jg&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=26


> 時が瞬間ごとに新しい文字を書きつらねてゆく石板になることを、あるいは過去の碑銘になることを、誰がこいねがうであろうか?

> 次から次へと新しいものに打ち興じさせて魂を柔弱にしてしまうあらゆる果敢(はか)ないもの、目新しいものに、それからそれへと心を奪われることを、誰がこいねがうであろうか?

> 反復、これが現実なのだ、人の世の厳粛さなのだ、反復を欲するものは厳粛さにおいて成熟しているのだ。

> これはわたしの単独投票なのだが、そこには同時にこういう意味が含まれている。

> ソファにどっかと腰をおろして楊枝で歯をほじくっていたりーーーそしておまけに、たいした人物、たとえば法律顧問でござるとばかり勿体(もったい)ぶるとか、あるいは、偉容をととのえて街上を闊歩したりーーーそしておまけに、たいした人物、たとえばなんとか尊師でございますとばかりに尊大ぶるとかするのは、けっして人生の厳粛さではない。そういう勿体ぶった態度は、国王の調馬師だといって得意になるのと同じように、人生の厳粛さではない。

> そのようなことはすべて、

> わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。

> Lizz Wright's Version of 'Hey Mann'
> http://www.youtube.com/watch?v=_Wp8-ahXVFI&feature=BF&list=QL&index=31

> 恋するものはよく恋の甘い不安を詩人の言葉に託して吐き出しながら歓喜に酔うものだ・・・

>     わが古きゆり椅子に
>       立ち返りくる若き日の夢
>     女性(おみな)らの太陽(ひ)と照り映ゆる
>       汝(いまし)へのあこがれ絶えず

> ・・・メランコリックな男に恋をさせてみるがいい、そしたら何もかも消し飛んでしまう、とよくきまったように言われる。しかし、彼がほんとうにメランコリックであるなら、彼にとって何よりも重大な事柄を彼の心がどうしてメランコリックに考えずにいられるだろうか。

> 彼は深くそして熱烈に恋している、これは明らかだ。

> それだのに、彼は最初の日からもう彼の恋愛を追憶できる状態にある。

> つまり、彼は恋愛関係をすでにすっかり完了しているのである。始めるときにおそろしく大股に歩いたために、彼は人生を飛び越してしまったのだ。・・・

> Frank Sinatra - Only the Lonely
> http://www.youtube.com/watch?v=bef_s1Bhn7o&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=59

> 彼女は彼の恋人であった。彼がかつて愛した唯一の恋人、彼がいつか愛するようになるかもしれない唯一の恋人であった。しかし、それだのにまた、彼は彼女を愛してはいなかった、彼はただ彼女に憧れていただけだったのだ。

> あの少女は彼の恋人ではなかったのだ。彼女は彼のうちに詩的なものを目覚めさせ彼を詩人にする誘因だったのである。

> だからこそ、彼は彼女だけを愛することができ、彼女をけっして忘れることができず、けっしてほかの女を愛しようとはしなかったのだ。けれども、彼はつねに彼女をただ憧れていただけのことであった。

> 彼女は彼自身の全存在のなかに吸収されてしまったのである。彼女の思い出はいつまでもいきいきと残ることだろう。

> 彼女は彼にとってあまりに大きい意味をもってしまった、彼女は彼を詩人に仕上げてしまったのだ、

> だからつまり、

> 彼女は自分自身の死刑判決書に署名してしまったのだ。

> Kenny Rogers - Lady
> http://www.youtube.com/watch?v=Tj_NjLBPotQ&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=11

> 諦めることをしないで男にうるさくつきまとい、それが真実に男を愛していることの証明だなどと自惚れるほど利己的な女があるとしたら、そういう女の一生の任務はまことに安易なもので、誠実だという名誉と疚しからぬ良心を、同時にまたごく上品に洗練された恋愛までも、わけなく享受できるだろう。

> 神よ、すべての男をそういう誠実さから守りたまえ!

> Vera Lynn - As Time Goes By
> http://www.youtube.com/watch?v=S8F9NzVuIuA&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=1

> わたしはレタスが好きだが、いつも芯だけしか食べない、葉は豚にやるものだとわたしは思っている。

> わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。

> It's Over-Gato Barbieri
> http://www.youtube.com/watch?v=ksmLewp4vf8&feature=BF&list=QL&index=4

> 岩角に釘づけにされたプロメテウスが、禿鷹に肝臓をついばまれながら、その語る予言によって神々を惹きつけるように、彼女は恋人を惹きつけた。

> くる日もくる日も、すべてがささげつくされた、その日その日が最後であったから。だが、それがいつまでもつづくわけではなかった。

> 彼女はおのれを縛りつけている鎖を噛んでみた。しかし、彼女の激情がたけりたてばたけりたつほど、彼女の歌はいよいよ甘く、彼女の言葉はいよいよ優しく、鎖はいよいよ固くなった。

> この誤解から現実の関係を作り上げるなどということは、彼女には不可能だった。それこそ彼を永久の欺瞞にゆだねることだった。

> 彼女の思い、彼女の心は、実は彼とは別のものを、つまり、彼女が彼に象徴させているものを求めているのであって、彼はその憧憬の化身にすぎないといって彼の思い違いを説明してやるのは、彼を深く傷つけることで、それには彼女の誇りが憤りを感ずるのであった。そういうやり口は、彼女の何よりも軽蔑するものであった。

> それはまた彼女として当然なことだった。

> 男を欺き誘惑するのは軽蔑すべきことである、しかし、あなたはわたしの理想ではなかったのだと説明して男をいいくるめたり、あなたは詩神にすぎなかったのだといって男をなだめたり、自分を悪者にしないばかりか立派な逃げ道までもこしらえて男を見捨ててしまうというのは、さらに軽蔑すべきことである。

> 男をくどく経験を多少とも積んだものなら、それくらいのことはわけなくやってのけるだろう。

> せっぱつまって男のほうでもその申し出に応ずるだろう。こうして首尾よく逃げおおせたうえに、しかも正直な人ということになる、親切な人ということにさえなる。

> しかしあとになってみると、だまされていたことを知っている男よりもいっそう深い傷を、その男は心に負っているのである。

> だからどんな恋愛関係においても、関係はできたが実現の見込みはないという場合には、思いやりが最大の侮辱である。

> エロス的な目をもちしかも臆病でない女なら、思いやりをもたないということが、男の体面を保ってやるための残された唯一の方法だということを、容易に理解するだろう。

> Right Here Waiting - Richard Marx
> http://www.youtube.com/watch?v=Zilog7d523w&feature=BF&list=QL&index=9

> わたしは娘のすることならなんでも赦すことができるのだが、娘が恋をしながら恋の使命をとり違えるのだけは、どうにもゆるせない。

> 娘の恋が献身的でないなら、その娘は女でなくて野郎なのだ。

> そういう娘はその恋によってまず愛する男の血を吸いとってしまい、はては男をして懊悩と絶望のあまり自分から手を切るにいたらしめるものだが、そういう恋にこがれる女を、そういう役をみごとに演じて、同情をよせる家族の者や友達に泣いてもらうひとりのエルヴィーラとして登場させることは、喜劇詩人にとって実にやりがいのある仕事であるにちがいない、このエルヴィーラは、欺かれた娘たちの合唱団で第一歌手を演じ、男たちの不実を、明らかに自分の一生を台なしにするほど不実だったと、いかにも大げさにまくしたてることを心得ている女、しかもそういうことをずうずうしくも落ち着き払ってやってのけながら、自分自身の誠実さのほうこそ、むしろ愛する男の生命を奪いかねないということに、半秒間も思いいたることのない女なのである。

> 女の誠実さというものは偉大なものだ、とりわけ男の要求をその厚意に感謝しながら懇ろに断る場合にそうである。

> 女のそういう誠実さはいつも測り知れず、理解しがたい。

> 恋する男が、どんなに苦しくとも、怒りの言葉をひとことも女に浴びせることなく、かえって女をだまして、自分を欺くとはけしからん男だと思っている女の思い違いを強めてやるという、より深刻な復讐に甘んずるだけのユーモアを失わずにいるとしたら、この場面は実に愉快なものになることだろう。

> tell him... celine dion / barbra streisand
> http://www.youtube.com/watch?v=wB_vjpRhLxM

> 「N.Nさんはいい人だけど、退屈だわ。ところがF.Fさんったら、あの人とってもおもしろくって、いかすわよ。」

> かわいい娘の口からこういう言葉を聞くたびに、わたしはいつも思うのである。

> 「よくも恥ずかしくないものだ、若い娘がそんなことを口にするなんて、なんて情けないことだろう。」

> 男がインテレサントなものに迷い込んだとき、救い出してくれるものは娘のほかにないではないか。それだのに、そういうことを口にするのは、罪を犯すことではないか。

> 当の男がインテレサントなことなどできない人間であるなら、その男に向かってそれをせよと要求するのは、思いやりのないことであるし、あるいはまた、男がインテレサントなことのできる人間であるなら、そしたら・・・・・・・・、なぜかといえば、若い娘というものは、インテレサントなものを誘い出すことをしないようにこそ、つねに慎むべきものだからだ。そういうことをする娘は、イデーからみて、いつも損をする。

> インテレサントなものはけっして反復されないからである。

> インテレサントなものを求める娘は、みずからそこにおちいる罠となる。

> インテレサントなものに心ひかれぬ娘は反復を信ずる、そういう生まれつきの娘に栄誉あれ。

> 時を経てそうなった娘に栄誉あれ。

> Diana Krall Love Is Where You Are
> http://www.youtube.com/watch?v=vByMcoYgjaY&feature=BF&list=QL&index=2

> 多少とも想像力をもった青年なら、一度は芝居の魔力にとらえられたことがあるにちがいない。あの人工的な現実のなかへ自分もともにまき込まれて、まるで二重人みたいに、そこでもうひとりの自分自身が動くのを見、語るのを聞き、自分自身を自分自身に可能なだけのあらゆる種類の人物に扮装させ、しかもそのどれもがまた一個の自己であるというふうであってみたいという願いをいだいたことがあるにちがいない。

> こういう欲望があらわれるのは、もちろんまだ若いうちのことである。

> ただ想像力がだけが目覚めて個性を夢みていえ、その他の能力はすべてまだ安らかに眠っている。そういう想像力によって自己が見られると、個人は現実的な姿ではなく影でしかない、もっと適切にいうと、

> 現実的な姿が目の前にありながら、それが見えないのである。

> それだから個人は、ただ一つの影を投げるだけでは満足できずに、そのどれもが自分に似ていてそのときそのときに自分自身である権利を平等にもっているようなさまざまな影を投げるのである。

> I´m thru with love - Diana Krall and Hollywood divas
> http://www.youtube.com/watch?v=ivF2ZTxV81Q&feature=mfu_in_order&list=UL

> しかしこの影の存在も満足を求める、それが自己の生を全うするだけの時を与えられなかったとしたら、それは人間にとってけっして好ましいことでない。

> しかしまた、

> 個人が見当ちがいをして、影の存在のなかを迷いつづけながら生きつくしてしまったとしたら、それは哀れな、あるいは滑稽なことだ。

> そういう人間がそれでほんとうの人間であるなどと自惚れるなら、それはちょうど最後の審判の日に、自分自身で出頭することもできずに、気のきいた目論見とか、その日一日だけの決心とか、半時間きりの計画とかなどを身代わりに出頭させる人間が不死の要求をするのと同じように、まことに心もとないことだ。

> 何事もそれぞれ適当な時におこなわれることが肝心なのだ。

> すべては若いときにその時をもっている、そして若いときにその時をもったことは、また後でその時を得るものだ。

> 年長者にとって、その生涯のうちに、何か思い出して笑わずにいられぬような過去をもっているということは、何か涙をさそう過去をもっているのと同じように健康なことなのだ。

"Who knows where the time goes" - Nina Simone
http://www.youtube.com/watch?v=wZa3XsHA6UU&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=4

山里で明けても暮れても、うまずたゆまず同じ主題(テーマ)の風が奏でているのを聞いていると、ついそれに誘われて、しばしその不完全さを忘れ、人間の自由のたゆみなさと確かさを象徴するかに思われてうれしくなることがある。するとつい忘れられてしまうのだが、

いまこの山々のあいだをおのが住み家として幾年も吹き渡っている風は、かつては行き暮れし旅人としてこの土地へきたのである、

そして

心を乱して荒れ狂いながら峡谷のあいだを突き分け、洞窟の中に突き入り、或るときは自分でもはっと驚いて跳び退くような金切り声を張り上げ

たかと思うと、或るときは

われわれから逃げ出したくなるようなうつろな吼え声を立て、

或るときは

どこからでてくるのか自分にもわからぬような嘆きの調べを奏で

たかと思うと、或るときは風みずからが

恐れをなしてこのあたりに足をとどめたものかどうかとしばし疑いためらうような底知れぬ不安の溜息を吐き、

或るときは

また浮かれはしゃいで抒情的な囃し唄を歌い、

こうしてついに自分の楽器に習熟してしまって、これらすべての共鳴音をメロディーにまとめあげ、それをいま明けても暮れても変わりなく奏でているのである。

それと同じように、

個人の可能性もそれみずからの可能性のなかをさまよい歩きながら、或るときはこの可能性を、また或るときはあの可能性を発見する。

しかし

個人の可能性は単に聞かれることを欲するばかりではない、それは風のように吹きすさぶばかりではなく、また形を成そうとするのだ、

だから

それは聞かれると同時にまた見られることをも欲する。

個人の可能性は、だからそのどれをとってみても、音を発する影である。

この隠された個人は、悪意の小ざかしい囁きに耳をかさないと同じように、仰々しく喚きたてる感情を信じない、悲嘆のやるせない溜息を信じない

が、また同じように、歓喜の極みに沸き立つ叫び声も信じない。

個人はただ情熱をもって見そして聞こうと欲する、しかし、注意あれ、自己みずからを、なのだ。

けれども、個人は自己みずからをほんとうに聞こうとは欲していないのだ。そんなことはできるものではない。それができれば、その瞬間に雄鶏が鳴く、そして薄明の姿どもは逃げ去り、夜の声は沈黙する。

これら薄明の姿どもが踏みとどまっているかぎり、われわれはまったく別な領域に、一切のものが責任の気づかわしげな監視の目を浴びて不安を覚えながら行なわれるところに、つまり、悪魔的なものの国にいるのである。

だから、ほんとうの自己の印象を受けずにいられるように、隠れた個人は、あの薄明の姿どものような、こだますることのない言葉のかすかなざわめきのような、かりそめのはかない環境を求める。このような環境が舞台なのだ。

だからこそ、

舞台は隠れた個人の影絵芝居にふさわしい。



[53718] あたまの中で身をもってよくほぐしてかかりませんと、喉にツッカエ、脳にツッカエ、脳梗塞になりますれば、ご注意あれかし。Re:[53716] [53714] 「私自身でない第三者(たとえば美、真理など)に関心をもつ知識は無関心的である。」Re:[53713] インテレサント 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/01/25(Tue) 08:13  

あわあれほANNEX−Ω   訪問者数:2323277(今日:126/昨日:423)2011/01/25(Tue) 05:58

ゆんべは珍しく小雨雪催で、道行くクルマの轍音もどこかしっとりとしていたが、その余響か、けさも寒暁のあかつきは堪能できそうもなく、どんよりとした雲に覆われた空全体がメリハリ無く明るんでいくんでせうね。

> > Dear Old Stockholm - Stan Getz & Chet Baker
> > http://www.youtube.com/watch?v=ksQBfJ968TA&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=33
>
> いつもユーチュブの音楽が添付されているけれど、引用文にふさわしいものを選んでいるのですか?なかなかよき趣向なり。

いつもいろいろありがたう。

自分で自分を見つめる自己のまなざしだけでは、ナルシズムも欲求不満に陥り、己がまなざしの映っている水面の中へドボンとなるのがオチででもありますれば、やはりそこは、他者のまなざしも必要にしてありがたいわけでありまして、身をもって相対すればそこには確かに他者のまなざしがある、それが憧れであらうが、蔑みであらうが、あるいは畏れであらうが、あるいは誘惑であらうが・・はたまた無関心であらうが・・相対する人間、文字通り人と人との間、それも、身と身の間のまなざしにおいてその意味を直感的に感覚できるものですが、かういう仮想空間、ま、仮想ともいえぬ、実相ではありませうが、身を伴わぬ空間、指先と眼で言語だけを繰る空間においては、まなざしをキャッチできぬわけであrまして、そこはいかなる反応にせい、読者である他者の反応、はたまた、反応もひとつの行為でありますれば、さういう行為、出来事においてのみ、それが他者ではのうて自己でもありうるのですが、そういう瞬間においてのみ、ドボンを回避し、自己が自己たる己が身を回復するわけですから、ありがたいことです。

さて、つけあわせの音楽のこと。

だうもやりだすと、はりきりすぎで、盛りだくさんで、食いすぎの気があるのと同様に、しっつこくなっていけませんが、ま、これも性分でせうから、おゆるしあれ。



:*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★。

> わちたてせANNEX−Ω   訪問者数:2318813(今日:566/昨日:529)2011/01/15(Sat) 22:14
>
> I'm Fool To Want You Frank Sinatra Ava Gardner
> http://www.youtube.com/watch?v=6PpcrssGBdw&feature=BF&list=QL&index=78
>
> まことに寒いですね。けふも100km丁度ですが、午前中は余りに寒く汗に濡れた頭のタオルを換えるためにそれから外食は金食い虫ですから、天然酵母の食パン2斤から1斤を一気にちぎってこれにたっぷり鶏卵を含ませ牛乳も含ませ、人間のやることはなんて残酷なのだらうとは思うものの、これに蜂蜜を垂らして頬張れば天国で、午前中のメルクスSLX63kmだけではなんぼなんでも寂しいのんで、自転車をMOSERデダゼロ前も後もクロムでピカピカに銀シャマをはいたもんに乗り換え、ちうのんも、これはツークリップで靴も風がすかすかするビンディングシューズ、これで午前中は足の指が霜焼けになりましたから、ピューマのウォーターシューズ、これはつま先がプラスチックで風が入りませんのんで、それに履き換えて100−63=37kmちう計算は距離計がなくとも、もうkm刻みでわかっている道なら、どこでUターンすればええか、日没の夕焼けは寒曇天で望むべくもありませんが、日没ごろには兄姫に後から声を掛けられることもあったれば、ま、それはともかくとしても、寒風を突き抜けてきて、ど熱いキムチ鍋とか、ま、毎日同じ反復で、さうさう女ちうもんは、ずっと若くてもずっと年上にみえる、ちうことはどっかこわい貫禄なのですね美人の、男なんて幼稚よ、とやられそうで、この Ava Gardnerだって、よほどFrank Sinatraよりマチュアな女に見えるし、実際このFrank Sinatraの幼稚な写真ではAva Gardnerに完全に貫禄負けで、ま、せがんでも離婚はまぬがれえないちうのんは、ま、幼稚な男の運命としては甘んじるよりしょうがないのかもしれませんが、この幼稚な若いFrank Sinatraが老いてメローになった味わいをもし Ava Gardnerがいきておって味わえば、きっとこの名曲も甘ったるくヒットしなかったかもしれませんね。

:*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★。

かういう曲はつきすぎかもしれないし、いい趣味とはいいがたいかもしれませんね。

畢竟、どういう曲を選ぶのか、だういう音楽をえらぶのか、ある出来事、ある瞬間においていいとめること、あるいはうつしとること、そのとりあわせというのは、まことに俳句におけるとりあわせと同様に、つきすぎでも離れすぎでもいけない、ああ、べつにいけなくはないでせうが、あるものとあるものがあるときあるところでとりあわされた、その差配はとりあわす自己のなせる業でせうが、さわいえ、さういう邂逅は己のなしうる業ではない、これは言葉と言葉、人と人、言葉と人、などなどのあらゆる局面でそれこそ、さきの瞬間の哲学的にいえば、一句になす、なるのも、製版業、ぬぬ、ならぬ、正反合、つまりひらたくいえば弁証法であって、この弁証法という概念は、これまた、かの学生運動なんぞでさんざん聞かされあの青臭い生煮えの焼いても食えない連中のたぬきくささゆえに、いやな言葉ぢゃちう印象も免れず、永年弁証法ちうことばを忌諱すておったのどすが、やうは、されを青臭く言葉の皮相と論理に頽落して、あれこれとそんなもんは弁証法ぢゃねえとか、かんとか、やりだす頽落たぬき諸君の弁証法はさておいておいても、単純明快に正反合ちう、世の身のありようの反映は、まさに、言葉であり、俳句であり、記事であり、行為であり、瞬間である、さういうものとして、言葉と音楽をとりあわせる、その曲をまた出来事や記事ととりあわせる、それによって、正と反との相容れぬ相対したもんが、それぞれ思いもしない豊潤さを醸すこともあれば、生も反も死んでしまうということもありますれば、もっとひらたくいえば、あの、会席料理の解析で、器と料理、料理と料理、料理と酒、酒と♀♂、そこで酌み交わされる会話の味わいにもにたものがあるのではないでせうか。

さういうところで、独り宴席の隅で、あるいは中央で、アバガードナーに振られたとフランクシナトラが歌って、ふられたとはいえ、そのふられかたも出来事のありようも様々であるからして、相思相愛の別れもあるでせうし、同様の歌手仲間、俳優女優仲間とのすったもんだもあるかもしれませんし、さういう出来事の一回性、それが手を変え品を変え繰り返される反復であったにしても、その瞬間をいかに捉えるか、これには、芭蕉もトルストイも意を砕いたところですが、なべて人間の行為、言葉も音楽もそのひとつではありませうが、それが、かの「全面的な約束や目的にについての詐称された知」へ頽落しきった菅くんやあの反吐を催す与謝野のよさねえ猿芝居に象徴されるように、食えぬ、食中毒めいたもんから、かのナルシストの権化の魯山人までろいろな景色、さういうもんは野次馬対象としてさておいておいても、問題は自己に関わる景色、さう、かのフーコーもいっている、こらいのギリシャでもいわれつづけられた自己への関心、その関心は、他己と自己との関係の風景、関心でもあるわけで、さういう風景が、嗚呼、朝日が昇ってきましたね、7時ちょっとまになって・・・さういう風景がいかに展開でけるか?

宴席でもなくたかが一個の掲示板、それもソレガシは軒下を借りて母屋を乗っ取ったわけでもないのですが、軒下でぶつくさいっている、母屋の操作室、指令所、監視塔にいるわけぢゃありませんけん、そこに出入りするもろもろもみえない、いわばめくらの状態でも、めくらであるからこそ良く見える景色もありますれば、いやさ、めくらであるからこそ煩わされないおいうこともありますれば、やっぱす棲むべきはストレス多き母屋ならぬ軒下に限る、かの、時代劇でもあるでせう、部屋住みの浪人なればこその自由が・・・

つうことで、あ、さうさう、思い出したのですが、ジャンヌ・エルシュ嬢の言葉の「詐称された知」もなぬか、むっかしここらへんから摩周湖あたりへいってドボンしてしまった「知の虚構」のはんなさんちう京都の娘さんも思い出しますが、幽霊で化けて出るのんは、まことに大菩薩峠なもの物語のおばさんになって、嗚呼、大菩薩峠も読み継がねばならん、ドンキホーテは牛島の訳がよいと、過日自転車仲間の早稲田で西班牙文学の教鞭をとっちょるもんがいってましたが、ドンキホーテデラマンチャもららねばならんし、それらをなべて、くくるとした、ここちゃらの記事と音楽、豆腐と蜂蜜、食パンと切り餅、インテレサントな米のカステラを含めて一揆通観すれば・・

出来事にしてその瞬間

にこだわっているんでせうね。フランクシナトラの凡庸なる歌謡が多々流れる中で、ある一群の歌謡は、やはり聴かせるもんがあって、I'm Fool To Want You Frank Sinatra Ava Gardnerなんちうもんは、その甘さの過剰を補って余りある出来事と瞬間の感動をつたえていますね。

同様に・・・

:*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★。

> Edyta Gorniak - Hello (Gala RMF FM) [Live] HQ DIVA
> http://www.youtube.com/watch?v=AWsesrdS1Jg&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=26


> 時が瞬間ごとに新しい文字を書きつらねてゆく石板になることを、あるいは過去の碑銘になることを、誰がこいねがうであろうか?

> 次から次へと新しいものに打ち興じさせて魂を柔弱にしてしまうあらゆる果敢(はか)ないもの、目新しいものに、それからそれへと心を奪われることを、誰がこいねがうであろうか?

> 神みずからが反復を望まれたのでなかったら、世界はけっして生成しなかったであろう。神は期待するままに絶えず新しい計画を立ててゆくか、それとも、万物をもとへ呼び戻して、追憶のなかに保存するかしたことであろう。しかし、神はそうしなかった、だから世界はこうして存立しているのだ、しかも、それは反復であることによって存立しているのである。

> 反復、これが現実なのだ、人の世の厳粛さなのだ、反復を欲するものは厳粛さにおいて成熟しているのだ。

> これはわたしの単独投票なのだが、そこには同時にこういう意味が含まれている。

> ソファにどっかと腰をおろして楊枝で歯をほじくっていたりーーーそしておまけに、たいした人物、たとえば法律顧問でござるとばかり勿体(もったい)ぶるとか、あるいは、偉容をととのえて街上を闊歩したりーーーそしておまけに、たいした人物、たとえばなんとか尊師でございますとばかりに尊大ぶるとかするのは、けっして人生の厳粛さではない。そういう勿体ぶった態度は、国王の調馬師だといって得意になるのと同じように、人生の厳粛さではない。

> そのようなことはすべて、

> わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。

:*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★。

この Edyta Gorniak - Hello だって、一聞しただけでその迫力に打たれてしまう。

あとでよくよくみてみれば、なんだか、離婚直後の歌唱であったよし、やはりその出来事と瞬間が一曲の歌唱に命を与えていればこそ、同じ曲でも凡庸なる歌唱があふれているなかでは、やはり一頭知を抜いて輝いている。

さわいえ、生来的に歌唱力があって、演技力があって、表現力のあるもんもおりますれば・・たとえば、らーらふぁびあんとか、しゃあり〜ほ〜んとか、一概に言えぬのでありまするが、さいう面々においては、やはり出来事、瞬間への共感力が人一倍高いから、身につまされた歌唱力もあるんでせうね。

> > ご参考までに引用の書;
> >
> > 岩波文庫 33−635−1 反復 キルケゴール著 桝田啓三郎訳 1983年第26刷改訳
> >
> > の註を記しておきます。
> >
> > > >インテレサントなものはけっして反復されないからである。
> > >
> > > >インテレサントなものを求める娘は、みずからそこにおちいる罠となる。
> > >
> > > >インテレサントなものに心ひかれぬ娘は反復を信ずる、そういう生まれつきの娘に栄誉あれ。
> > >
> > > >時を経てそうなった娘に栄誉あれ。
> > >
> > > ここを特記しておこう。

このインテレサントな記事を特記するインテレサントぶりには脱帽ですね。

> > > 「インテレサント」を日本語に置き換えることを考えてみたが、不可能のような気がする。
> > > しかし、この言葉のニュアンスはとてもよくわかる。
> >
> > 40−14「おもしろい」と訳したインテレサントは、語原からみて
> >
> > 「ひとの興味、共感、注意を呼びおこすような性質をもった」ということ、
> >
> > そこから
> >
> > 「興味をひく、好奇心をそそる、おもしろい」
> >
> > などの意味に用いられる。
> >
> > 41−2
> >
> > 前註の形容詞を名詞化したものであるが、この語は、1830年ごろから2,30年のあいだ、美学上の流行語として、特殊な意味に用いられた。「ひとの注意ないし興味をひこうとする」という原意から派生してくる特徴的な含意を訳者なりにまとめてみると次の三つになる。
> >
> > 一、ひとの関心をひいて注意を喚起し、興味をおぼえさせるようなものは、「普通と違って目立つ」ということ。
> >
> > 二、そういう異常なものは、自然でなく、どことなく不自然で、わざとらしくて技巧的であること、例えば女性の媚態。
> >
> > 三、異常であることで人を楽しませ面白がらせる性質をもち、気持ちをまぎらせて退屈な気分を転換させる働きをする。この意味で「倦怠」「退屈」の相関概念といえる。退屈をまぎらせ憂さを晴らすために次々と目新しい慰みを求めることになる。
> >
> > およそこのような三つの含意をもつと思われるが、これらの含意をあらわす適当な訳語が訳者の貧弱な語彙の中に見当たらぬので原語のまま仮名書きであらわした。
> >
> > 「インテレサントなもの」は右のようなものとしてドイツ・ロマン主義の文学者フリートリヒ・シュレーゲルによって、近代文学を特徴づける概念として初めて用いられて普及し、デンマークにも輸入されて、現代的な特徴をあらわす文学、美学上の流行語となったのである。『誘惑者の日記』では、そのライトモティーフとして用いられている。
> >
> > なお、この語はもう一つ別の重要な意味をもっていて、そういう意味で用いられる場合がある(45−9、45−11参照)
> >
> > 1844年の日記に次の文章がある。
> >
> > 「反復は一つの宗教的な範疇であり、どこまでもそうである。それだからコンスタンチン・コンスタンチウスはあれ以上先へ進むことができない。彼は賢明で、アイロニストであり、インテレサントなものを排斥する。しかし彼みずからがあくまでもそれにへばりついたままでいるのだということに気づかない。
> >
> > インテレサントなものの第一の形式は、目先の変化を好むことであり、もう一つの形式は反復を欲することである。
> >
> > けれどもそれも自己満足の範囲を出ず、そこにはなんらの苦難というものがない、−−−−だからコンスタンチンは彼みずから発見したものに座礁する、そして青年はその先へ前進する」
> >
> > 45−9・・・・・「関心」と訳した原語はInteresseで、interessantとつながりがある。コンスタンチンが「反復」のイデーを発見しそれを欲しながら、それが中心をそれたインテレサントなものの範疇を出ないのためにそれに座礁するように、形而上学も反復を欲し・・・それに座礁する。
> >
> > 45−11・・・・ここで「関心」といわれているInteresseは二つのものの「間に」inter,zwischen,between「ある」esse,sein,beという意味と、あることに「心を関わらせている」あるいは、あることを「問題としている」という「関心」の二義をもっている。
> >
> > 例えば、『』死にいたる病」の冒頭で
> >
> > 「人間は無限性と有限性との、時間的なものと永遠なものと間の、自由と必然との総合」
> >
> > であるといわれている、それら二つの矛盾するものの「間にある」「関係」が前者のInteresseであるという、人間の本質的な規定であり、人間はそのように矛盾する二つのものの間にあるがゆえに、その矛盾の関係にある自分自身に、無限の関心をもたざるをえないのである。

ここにこの軒下風来坊が生息する母屋のプロジェクトであった、「ハンセン病文学全集」の意義も活き活きとあるのですね。

それは、一つの出来事であって、瞬間である。

このことは、なぬも、ハンセン病に罹患してさまざまな体験をした人々ばかりでなく、そこに関わった人々、さらにプロジェクト的にいえば、出版人、編集者、それらの人々の一々の出来事と瞬間が凝縮さて、一個の「ハンセン病文学全集」なるものとして形があらわれたわけであって、それが、出版社の集まりの梓会の賞を受賞するのも、まことにかくあらむ、ちうことですね。

愛矛盾するその愛ちうことありやうというのも、まぬも弁証法がうんぬんかんぬんちう小うるさいことをいわんでも、まことにわれわれの接する風景のどこにでもある、それが外部であらうが、内部であらうが、そもそもその内と外との正反合、愛矛盾する愛、身をもって身がその矛盾を止揚する身、ちうと、男と女、ああ、失礼!女と男、凸凹か凹凸かは、いったいなぬを正となし、反となすかで、決まるのですから、その誰?ちう誰が凸であるか凹であるか、まことに誰かであることによって、その相反するものも逆転しますが、合にいたれば逆転のしようもない、それでも、その合を、あたかも対象のやうに、もののように捕らえてしまえば、ちうことは、かの英語の表現にある・・・

MAKE LOVE

このLOVEは、もう行為としてはなく名詞として対象化されたLOVEですから、ソレガシなんぞも首をかしげた、SHAREなんちうことも謳われているわけで、最近シェアーハウスちうのんがまた復活して流行りだしているようで、かういうシェアハウス的な愛、あるいはシェアホルダーが非公開にせよ公開にせよわんさかいる会社、さういうLOVEの形式もあるからこそ、LOVEも名詞化してしまうんでせうが、本来的には、出来事であり、瞬間である、それが、あたかも、かの環境問題でいわれるところの・・

さす亭なぶる、さすってなぶる”sustainable development”

ですか、こも、まあ、ジャンヌ・エルシュ嬢の

「歴史は欲望と希望を糧にして生きるのであって、全面的な約束や知を糧として生きるのではない。

全面的な約束や目的にについての詐称された知こそが、《観念論的》なのであり、《人民の阿片》なのである。」

に外套でせうね。

ま、世の中にはかくかくさようにかなり良心的にみえる標語においても、その欺瞞性と詐称が、またさういうもんに淫し、頽落しどたぬきジャーナリズム的どたぬき学者、どたぬき知識人諸君、そのなかにはもちろん、かのさすってなぶるサステイナブル中村圭子女史らもいるのでせうが、さいうもんは、すぐに尻尾をだしますから、だういう尻尾かちうと、いうことがつまらん、まことに可笑しい狆くん=大岡信くん的尻尾が、これ、詩歌俳句、科学、思想、哲学、政治に限らず、核使用も、ああ、隠し用意も無く、各仕様も無く、うむ、隠しようもなく、あらわに露出されちょる、その不気味にして醜悪なる露出の風景もナルシズム的な自己宣伝においては、美しいわけであって、真実なわけであって、誰、今、此処が、失われた詐称の世界においては、いかなる醜悪なる知の虚構も、たぬきどもの標語やその美しい提灯持ちとしてまかり通るわけですね。

> > 「実存者にとっては、実存することが最大の関心である」
> >
> > と言われるのもこの意味においてである。
> >
> > これに反して
> >
> > 「私自身でない第三者(たとえば美、真理など)に関心をもつ知識は無関心的である。」
> >
> > と言われる。形而上学はこれであって、だから、それはもともと無関心なのであるから関心しているようでもそれは真の関心ではなく、真の関心があらわれるところでは挫折せざるをえないわけある。・・・・

形而上学のなんたるや、地球環境のなんたるや、生物学のなんたるや、だうでもええこととだうでもよくないことのはざまでいきるこのざま!

> 長い写訳注をありがとうございました。
> その本をアマゾンで探しましたが、新本はありませんでした。古本の「新品同様」とやらを注文したら、送料(古本は送料をとるんだった。)込みで、2冊分の値段になった。それもまぁいいっか。交通費だと思えば。

ちゃりんこめぐりで、倍チャンス、ぬぬ、BY CHANCEでめぐり合った、邂逅したもんだけを買ってかえれば、3冊/100円=@33円です。

> ではゆっくりと本を待って、ゆっくりと読んでゆきます。

本書は本記事のやうに、行間にふくみをもたせて書いていませんから、あたかも、ソレガシのいらぬゴミがみっしり句読点もなくつづくやうな段落もまれな言葉の塊でですから、あたまの中で身をもってよくほぐしてかかりませんと、喉にツッカエ、脳にツッカエ、脳梗塞になりますれば、ご注意あれかし。



[53717] どの道もどこへも通じない。十字架は、あたかも感覚の中枢へ打ちこまれた一本の釘のようである。Re:[53714] 「私自身でない第三者(たとえば美、真理など)に関心をもつ知識は無関心的である。」Re:[53713] インテレサント 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/01/24(Mon) 11:10  

うこおてらANNEX−Ω   訪問者数:2322904(今日:176/昨日:498)2011/01/24(Mon) 09:57

凍ってら。かうかう寒い、雲で覆われ日差しもない巷を駆けて壊疽した歯の修理にむかうのも気が重い。最近は新しい知恵もわいて天然酵母パンを餅と一緒にトーストして、パンに餅をはさんで食べる、過日は一枚の分厚いトースト、これが甘みがあるのですが、それに膨れて皮が焦げ中空の風船になったやうな餅を6枚ものせて頬張ったら、これがなかなかにボリュームがあってよろしい。そこになぬもくわえず、ひたすらパンと餅のとりあわせを味わうのもよし、はたまた、バターを盛り込むのもよし、昆布醤油を垂らすもよし、ブルーチーズもジャムもよし、千変万化の味わいがあり腹も膨れる。

お試しあれ。パンも餅もさして高くはない。

CAFE DEL MAR - 4 - STAN GETZ - STREET TATTOO
http://www.youtube.com/watch?v=DUrCi4EwRMk&feature=BF&list=ULXdpDtobn9ZU&index=10

> をわてそよANNEX−Ω   訪問者数:2322685(今日:455/昨日:569)2011/01/23(Sun) 21:23
>
> Dear Old Stockholm - Stan Getz & Chet Baker
> http://www.youtube.com/watch?v=ksQBfJ968TA&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=33
>
> ご参考までに引用の書;
>
> 岩波文庫 33−635−1 反復 キルケゴール著 桝田啓三郎訳 1983年第26刷改訳
>
> の註を記しておきます。

この書の内扉にはキルケゴールの記した題名の訳がある。曰く・・

反復 実験心理学の試み コンスタンティン・コンスタティウス コペンハーゲン 1843年

>
> > >インテレサントなものはけっして反復されないからである。
> >
> > >インテレサントなものを求める娘は、みずからそこにおちいる罠となる。
> >
> > >インテレサントなものに心ひかれぬ娘は反復を信ずる、そういう生まれつきの娘に栄誉あれ。
> >
> > >時を経てそうなった娘に栄誉あれ。
> >
> > ここを特記しておこう。
> > 「インテレサント」を日本語に置き換えることを考えてみたが、不可能のような気がする。
> > しかし、この言葉のニュアンスはとてもよくわかる。
>
> 40−14「おもしろい」と訳したインテレサントは、語原からみて
>
> 「ひとの興味、共感、注意を呼びおこすような性質をもった」ということ、
>
> そこから
>
> 「興味をひく、好奇心をそそる、おもしろい」
>
> などの意味に用いられる。
>
> 41−2
>
> 前註の形容詞を名詞化したものであるが、この語は、1830年ごろから2,30年のあいだ、美学上の流行語として、特殊な意味に用いられた。「ひとの注意ないし興味をひこうとする」という原意から派生してくる特徴的な含意を訳者なりにまとめてみると次の三つになる。
>
> 一、ひとの関心をひいて注意を喚起し、興味をおぼえさせるようなものは、「普通と違って目立つ」ということ。
>
> 二、そういう異常なものは、自然でなく、どことなく不自然で、わざとらしくて技巧的であること、例えば女性の媚態。
>
> 三、異常であることで人を楽しませ面白がらせる性質をもち、気持ちをまぎらせて退屈な気分を転換させる働きをする。この意味で「倦怠」「退屈」の相関概念といえる。退屈をまぎらせ憂さを晴らすために次々と目新しい慰みを求めることになる。
>
> およそこのような三つの含意をもつと思われるが、これらの含意をあらわす適当な訳語が訳者の貧弱な語彙の中に見当たらぬので原語のまま仮名書きであらわした。
>
> 「インテレサントなもの」は右のようなものとしてドイツ・ロマン主義の文学者フリートリヒ・シュレーゲルによって、近代文学を特徴づける概念として初めて用いられて普及し、デンマークにも輸入されて、現代的な特徴をあらわす文学、美学上の流行語となったのである。『誘惑者の日記』では、そのライトモティーフとして用いられている。
>
> なお、この語はもう一つ別の重要な意味をもっていて、そういう意味で用いられる場合がある(45−9、45−11参照)
>
> 1844年の日記に次の文章がある。
>
> 「反復は一つの宗教的な範疇であり、どこまでもそうである。それだからコンスタンチン・コンスタンチウスはあれ以上先へ進むことができない。彼は賢明で、アイロニストであり、インテレサントなものを排斥する。しかし彼みずからがあくまでもそれにへばりついたままでいるのだということに気づかない。
>
> インテレサントなものの第一の形式は、目先の変化を好むことであり、もう一つの形式は反復を欲することである。
>
> けれどもそれも自己満足の範囲を出ず、そこにはなんらの苦難というものがない、−−−−だからコンスタンチンは彼みずから発見したものに座礁する、そして青年はその先へ前進する」
>
> 45−9・・・・・「関心」と訳した原語はInteresseで、interessantとつながりがある。コンスタンチンが「反復」のイデーを発見しそれを欲しながら、それが中心をそれたインテレサントなものの範疇を出ないのためにそれに座礁するように、形而上学も反復を欲し・・・それに座礁する。
>
> 45−11・・・・ここで「関心」といわれているInteresseは二つのものの「間に」inter,zwischen,between「ある」esse,sein,beという意味と、あることに「心を関わらせている」あるいは、あることを「問題としている」という「関心」の二義をもっている。
>
> 例えば、『』死にいたる病」の冒頭で
>
> 「人間は無限性と有限性との、時間的なものと永遠なものと間の、自由と必然との総合」
>
> であるといわれている、それら二つの矛盾するものの「間にある」「関係」が前者のInteresseであるという、人間の本質的な規定であり、人間はそのように矛盾する二つのものの間にあるがゆえに、その矛盾の関係にある自分自身に、無限の関心をもたざるをえないのである。
>
> 「実存者にとっては、実存することが最大の関心である」
>
> と言われるのもこの意味においてである。
>
> これに反して
>
> 「私自身でない第三者(たとえば美、真理など)に関心をもつ知識は無関心的である。」
>
> と言われる。形而上学はこれであって、だから、それはもともと無関心なのであるから関心しているようでもそれは真の関心ではなく、真の関心があらわれるところでは挫折せざるをえないわけある。・・・・

:*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★。

ここに、1963年キルケゴール生誕150年を記念しておこなわれたUNESCOの講演会、座談会の記録の邦訳がある。

人文選書3 生けるキルケゴール 1967年初版 1973年重版 訳者代表 松浪信三郎 人文書院

この中で、

ジャンヌ・エルシュ(嬢とある、ジュネーブ大学文学部教授)なる女性の講演の《瞬間》

の一節、いや、多節に、その他の錚々たる世界の有名人の聞き飽きた言説の頽落したものいいと風貌を異にした、それこそインテレサントな節にして説がある。曰く・・・

キルケゴールは瞬間を現実化するのである。

この現実化は、なんらかの論理的整合性にも、ある種の劇的な賭にも、あるいはまたヘーゲル的過程を生かす論理学の汎論理的強姦にも、何ものにも負うていない。

この現実化は、この現実化について語りそれを《理解》しようと試みる者において成就される出来事そのもののほかには、いかなる支えももたない。

キルケゴールは弁証法について語りはしない。

彼はこの弁証法であるのである。

あるいはむしろ、

彼はこの弁証法になるのである。

それゆえ、問題となるのは、マルクスの場合と同様、理論的な弁証法ではなく、

行なわれる弁証法である。

それによって言葉が行為となるような弁証法である。

ただし、

マルクスにおける弁証法は、空間と時間において、外面性において、歴史の継起において、展開される行為であるが、

キルケゴールのおける弁証法はそうではなく、逆に、瞬間という内面化された一点性において取り戻されるのである。

そこでは、行為はもはや原因と結果との並列ではなく、主語と述語との並列でも、前と後との並列でもない。

こういたものはすべて、そこに存在することはしているが、しかしそれらは単一性においてとらえられているある。

一つの行為、それは誰かであり、今であり、そして現にある。

・・・・

歴史の生ける心臓は瞬間のなかで鼓動することをやめない。

拒まれた永遠が、その瞬間のなかで時間を片時も休ませないのである。

歴史は欲望と希望を糧にして生きるのであって、全面的な約束や知を糧として生きるのではない。

全面的な約束や目的にについての詐称された知こそが、《観念論的》なのだり、《人民の阿片》なのである。

というのも、そうなると、行為は挿入点を、つまり自由な主体のここといま、瞬間を失ってしまうからである。

・・・・・

瞬間の哲学は、一つの絶対的な要求、しかも単独者的な要求を繰り返すだけで、制度も権威ももたず、要するに自由にかかわるのみであって、それ以外のものにはかかわりをもたない。

・・・・・

どの道もどこへも通じない。十字架は、あたかも感覚の中枢へ打ちこまれた一本の釘のようである。

そして

キルケゴールはその釘をくりかえし打ちこむために、変装する。


[53716] Re:[53714] 「私自身でない第三者(たとえば美、真理など)に関心をもつ知識は無関心的である。」Re:[53713] インテレサント 投稿者:なすのせせ 投稿日:2011/01/24(Mon) 10:52  

> Dear Old Stockholm - Stan Getz & Chet Baker
> http://www.youtube.com/watch?v=ksQBfJ968TA&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=33

いつもユーチュブの音楽が添付されているけれど、引用文にふさわしいものを選んでいるのですか?なかなかよき趣向なり。
>
> ご参考までに引用の書;
>
> 岩波文庫 33−635−1 反復 キルケゴール著 桝田啓三郎訳 1983年第26刷改訳
>
> の註を記しておきます。
>
> > >インテレサントなものはけっして反復されないからである。
> >
> > >インテレサントなものを求める娘は、みずからそこにおちいる罠となる。
> >
> > >インテレサントなものに心ひかれぬ娘は反復を信ずる、そういう生まれつきの娘に栄誉あれ。
> >
> > >時を経てそうなった娘に栄誉あれ。
> >
> > ここを特記しておこう。
> > 「インテレサント」を日本語に置き換えることを考えてみたが、不可能のような気がする。
> > しかし、この言葉のニュアンスはとてもよくわかる。
>
> 40−14「おもしろい」と訳したインテレサントは、語原からみて
>
> 「ひとの興味、共感、注意を呼びおこすような性質をもった」ということ、
>
> そこから
>
> 「興味をひく、好奇心をそそる、おもしろい」
>
> などの意味に用いられる。
>
> 41−2
>
> 前註の形容詞を名詞化したものであるが、この語は、1830年ごろから2,30年のあいだ、美学上の流行語として、特殊な意味に用いられた。「ひとの注意ないし興味をひこうとする」という原意から派生してくる特徴的な含意を訳者なりにまとめてみると次の三つになる。
>
> 一、ひとの関心をひいて注意を喚起し、興味をおぼえさせるようなものは、「普通と違って目立つ」ということ。
>
> 二、そういう異常なものは、自然でなく、どことなく不自然で、わざとらしくて技巧的であること、例えば女性の媚態。
>
> 三、異常であることで人を楽しませ面白がらせる性質をもち、気持ちをまぎらせて退屈な気分を転換させる働きをする。この意味で「倦怠」「退屈」の相関概念といえる。退屈をまぎらせ憂さを晴らすために次々と目新しい慰みを求めることになる。
>
> およそこのような三つの含意をもつと思われるが、これらの含意をあらわす適当な訳語が訳者の貧弱な語彙の中に見当たらぬので原語のまま仮名書きであらわした。
>
> 「インテレサントなもの」は右のようなものとしてドイツ・ロマン主義の文学者フリートリヒ・シュレーゲルによって、近代文学を特徴づける概念として初めて用いられて普及し、デンマークにも輸入されて、現代的な特徴をあらわす文学、美学上の流行語となったのである。『誘惑者の日記』では、そのライトモティーフとして用いられている。
>
> なお、この語はもう一つ別の重要な意味をもっていて、そういう意味で用いられる場合がある(45−9、45−11参照)
>
> 1844年の日記に次の文章がある。
>
> 「反復は一つの宗教的な範疇であり、どこまでもそうである。それだからコンスタンチン・コンスタンチウスはあれ以上先へ進むことができない。彼は賢明で、アイロニストであり、インテレサントなものを排斥する。しかし彼みずからがあくまでもそれにへばりついたままでいるのだということに気づかない。
>
> インテレサントなものの第一の形式は、目先の変化を好むことであり、もう一つの形式は反復を欲することである。
>
> けれどもそれも自己満足の範囲を出ず、そこにはなんらの苦難というものがない、−−−−だからコンスタンチンは彼みずから発見したものに座礁する、そして青年はその先へ前進する」
>
> 45−9・・・・・「関心」と訳した原語はInteresseで、interessantとつながりがある。コンスタンチンが「反復」のイデーを発見しそれを欲しながら、それが中心をそれたインテレサントなものの範疇を出ないのためにそれに座礁するように、形而上学も反復を欲し・・・それに座礁する。
>
> 45−11・・・・ここで「関心」といわれているInteresseは二つのものの「間に」inter,zwischen,between「ある」esse,sein,beという意味と、あることに「心を関わらせている」あるいは、あることを「問題としている」という「関心」の二義をもっている。
>
> 例えば、『』死にいたる病」の冒頭で
>
> 「人間は無限性と有限性との、時間的なものと永遠なものと間の、自由と必然との総合」
>
> であるといわれている、それら二つの矛盾するものの「間にある」「関係」が前者のInteresseであるという、人間の本質的な規定であり、人間はそのように矛盾する二つのものの間にあるがゆえに、その矛盾の関係にある自分自身に、無限の関心をもたざるをえないのである。
>
> 「実存者にとっては、実存することが最大の関心である」
>
> と言われるのもこの意味においてである。
>
> これに反して
>
> 「私自身でない第三者(たとえば美、真理など)に関心をもつ知識は無関心的である。」
>
> と言われる。形而上学はこれであって、だから、それはもともと無関心なのであるから関心しているようでもそれは真の関心ではなく、真の関心があらわれるところでは挫折せざるをえないわけある。・・・・

長い写訳注をありがとうございました。
その本をアマゾンで探しましたが、新本はありませんでした。古本の「新品同様」とやらを注文したら、送料(古本は送料をとるんだった。)込みで、2冊分の値段になった。それもまぁいいっか。交通費だと思えば。

ではゆっくりと本を待って、ゆっくりと読んでゆきます。


[53715] 最後の審判の日に、自分自身で出頭することもできずに、気のきいた目論見とか、その日一日だけの決心とか、半時間きりの計画とかなどを身代わりに出頭させる人間Re:[53712] 現実的な姿が目の前にありながら、それが見えないのである。Re:[53710] インテレサントなものに心ひかれぬ娘は反復を信ずる、時を経てそうなった娘に栄誉あれ。Re:[53709] 女の誠実さというものは偉大なものだ、とりわけ男の要求をその厚意に感謝しながら懇ろに断る場合にそうである。Re:[53708] 関係はできたが実現の見込みはないという場合には、思いやりが最大の侮辱である。Re:[53706] わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。Re:[53703] 神よ、すべての男をそういう誠実さから守りたまえ!Re:[53699] 自分自身の死刑判決書Re:[53698] 汝(いまし)へのあこがれ絶えずRe:[53692] わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。Re:[53690] もし反復ということがなかったら、人生とはそもそも何であろう?Re:[53677] ぼくの苦痛と悩みには名前がありません。Re:[53676] ・・・Re:[53674] わが沈黙の共犯者よ! 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/01/24(Mon) 08:21  

ぬさまなほANNEX−Ω   訪問者数:2322863(今日:135/昨日:498)2011/01/24(Mon) 07:26

> Lizz Wright - The First and Last to Love Me (K. Hanrahan)
> http://www.youtube.com/watch?v=E8Dp21T8c7c&feature=BF&list=QL&index=25

> 追憶の恋のみが幸福な恋である、とある作家が言った。その恋がまずひとを不幸にするのを追憶するというだけのことであるなら、まったくそのとおりである。

> ほんとうは、反復の恋こそ唯一の幸福な恋なのだ。

> 反復の恋には、追憶の恋と同じように、期待と不安定さがない。探検に伴う不安な冒険もない、しかしまた、追憶のもつ哀愁もない、そこには瞬間の至福な確実さがある。

> 期待は新調の衣服で、ぱりっとして、しかもきらびやかである。しかしそれはまだ着てみたわけではない、だから、はたして体にぴったり合うかどうか、またよく似合うかどうかもわからない。

> 追憶はもう着なくなった古着である、それがどんなに美しくても、いまでは体のほうが大きくなってもうどうにも身丈があわない。

> 反復は着古されることのない着物である。それはぴったりと着心地よく体に合い、窮屈でもなければだぶつきもしない。

> 期待は追う手をすり抜けてゆくかわいい娘である。

> 追憶は美しくはあるが今ではもうけっして用を足せない老婆である。

> 反復はいつまでも飽きることのない愛妻である。

> 飽きがくるのは新しいものに限っているからだ。古いものはけっして飽きることがない、そして古いものが目の前にあると、ひとは幸福になる、しかも、反復が何か新しいものでなければならぬかのような思い違いをしないひとだけが、本当に幸福になる。もしそういう思い違いをしていたら、ひとはやがて反復にも飽きてしまうだろう。

> 期待するには若さが要る、追憶するには若さが要る。

> しかし、

> 反復を欲するには勇気が要る。

> 期待するしか欲しないものは卑怯である。

> 追憶をしか欲しないものは淫らである。

> しかし、

> 反復を欲するものは男である。

> そして、

> このことをしっかりと自覚するにつれて、ひとはそれだけ深みのある人間になる。

> ところが、

> 人生は反復であり、そして反復こそ人生の美しさであることを理解しないものは、手ずから自分に判決をくだしたも同然で、所詮まぬがれられぬ運命、つまり自滅するほかあるまい。

> 思うに、

> 期待はひとをさしまねく果実ではあるが、腹の足しにはならぬ。

> 追憶はまことに乏しい糊口の資で、これまた腹を満たすには足りない。

> ところが反復は日々のパンである、それは祝福をもって満腹にさせてくれる。

> ひとたび人世を周航してみれば、人生が反復であることを理解するだけに勇気がもてるかどうか、また、反復を楽しむ気持になれるかどうかが明らかになるだろう。生きることをはじめる前にまず人生を周航しなかったものは、けっして生きることにはならないだろう。人世を周航してはみたがうんざりしたというひとは、虚弱な体質の持ち主だったのだ。

> 反復を選んだ人、その人だけがほんとうに生きるのである。

> 彼は子供みたいに蝶を追いまわしはしない、この世の栄耀栄華をのぞくために爪立ちしたりもしない、彼はそれを知っているからだ。

> 彼はまた老婆のように紡ぎ車の前に坐って追憶の糸を紡ぐこともしない。

> むしろ、

> 彼は反復を楽しみながら、心静かにわが道を歩む。

> ほんとうに、もし反復ということがなかったら、人生とはそもそも何であろう?

> Edyta Gorniak - Hello (Gala RMF FM) [Live] HQ DIVA
> http://www.youtube.com/watch?v=AWsesrdS1Jg&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=26


> 時が瞬間ごとに新しい文字を書きつらねてゆく石板になることを、あるいは過去の碑銘になることを、誰がこいねがうであろうか?

> 次から次へと新しいものに打ち興じさせて魂を柔弱にしてしまうあらゆる果敢(はか)ないもの、目新しいものに、それからそれへと心を奪われることを、誰がこいねがうであろうか?

> 神みずからが反復を望まれたのでなかったら、世界はけっして生成しなかったであろう。神は期待するままに絶えず新しい計画を立ててゆくか、それとも、万物をもとへ呼び戻して、追憶のなかに保存するかしたことであろう。しかし、神はそうしなかった、だから世界はこうして存立しているのだ、しかも、それは反復であることによって存立しているのである。

> 反復、これが現実なのだ、人の世の厳粛さなのだ、反復を欲するものは厳粛さにおいて成熟しているのだ。

> これはわたしの単独投票なのだが、そこには同時にこういう意味が含まれている。

> ソファにどっかと腰をおろして楊枝で歯をほじくっていたりーーーそしておまけに、たいした人物、たとえば法律顧問でござるとばかり勿体(もったい)ぶるとか、あるいは、偉容をととのえて街上を闊歩したりーーーそしておまけに、たいした人物、たとえばなんとか尊師でございますとばかりに尊大ぶるとかするのは、けっして人生の厳粛さではない。そういう勿体ぶった態度は、国王の調馬師だといって得意になるのと同じように、人生の厳粛さではない。

> そのようなことはすべて、

> わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。

> Lizz Wright's Version of 'Hey Mann'
> http://www.youtube.com/watch?v=_Wp8-ahXVFI&feature=BF&list=QL&index=31

> 恋するものはよく恋の甘い不安を詩人の言葉に託して吐き出しながら歓喜に酔うものだが、彼もそうだった。彼は部屋のなかを往きつ戻りつしながら、ポウル・メラーの詩の一節を幾度も繰り返した。

>     わが古きゆり椅子に
>       立ち返りくる若き日の夢
>     女性(おみな)らの太陽(ひ)と照り映ゆる
>       汝(いまし)へのあこがれ絶えず

> ・・・メランコリックな男に恋をさせてみるがいい、そしたら何もかも消し飛んでしまう、とよくきまったように言われる。しかし、彼がほんとうにメランコリックであるなら、彼にとって何よりも重大な事柄を彼の心がどうしてメランコリックに考えずにいられるだろうか。

> 彼は深くそして熱烈に恋している、これは明らかだ。

> それだのに、彼は最初の日からもう彼の恋愛を追憶できる状態にある。


> つまり、彼は恋愛関係をすでにすっかり完了しているのである。始めるときにおそろしく大股に歩いたために、彼は人生を飛び越してしまったのだ。・・・

> Frank Sinatra - Only the Lonely
> http://www.youtube.com/watch?v=bef_s1Bhn7o&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=59

> 追憶は喪失から始まるという大きな利益をもっている、だからそれは安全だ、失うべき何ものももたないからである。

> 彼女は彼の恋人であった。彼がかつて愛した唯一の恋人、彼がいつか愛するようになるかもしれない唯一の恋人であった。しかし、それだのにまた、彼は彼女を愛してはいなかった、彼はただ彼女に憧れていただけだったのだ。

> あの少女は彼の恋人ではなかったのだ。彼女は彼のうちに詩的なものを目覚めさせ彼を詩人にする誘因だったのである。

> だからこそ、彼は彼女だけを愛することができ、彼女をけっして忘れることができず、けっしてほかの女を愛しようとはしなかったのだ。けれども、彼はつねに彼女をただ憧れていただけのことであった。

> 彼女は彼自身の全存在のなかに吸収されてしまったのである。彼女の思い出はいつまでもいきいきと残ることだろう。

> 彼女は彼にとってあまりに大きい意味をもってしまった、彼女は彼を詩人に仕上げてしまったのだ、

> だからつまり、

> 彼女は自分自身の死刑判決書に署名してしまったのだ。

> Kenny Rogers - Lady
> http://www.youtube.com/watch?v=Tj_NjLBPotQ&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=11

> 時の経つにつれて、彼の恋愛関係は悩みを加えていった。彼の憂鬱はしだいに勢いを得、彼の肉体力は心の葛藤にすり減らされていった。彼は自分が彼女を不幸にしたことをさとった、けれども彼はなんら間違いを犯した覚えはなかった。しかし少しも責任(つみ)がないのに彼女の不幸の責めを負わねばならぬということ、まさしくこのことが現に彼には躓き(つまづき)であり、彼の激情をはげしくかきたてるのであった。

> それにしても、詩人的な憂鬱な性(たち)の男に愛されるほど若い娘にとって誘惑的なことはあるまい。

> 諦めることをしないで男にうるさくつきまとい、それが真実に男を愛していることの証明だなどと自惚れるほど利己的な女があるとしたら、そういう女の一生の任務はまことに安易なもので、誠実だという名誉と疚しからぬ良心を、同時にまたごく上品に洗練された恋愛までも、わけなく享受できるだろう。

> 神よ、すべての男をそういう誠実さから守りたまえ!

> Vera Lynn - As Time Goes By
> http://www.youtube.com/watch?v=S8F9NzVuIuA&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=1

> 恋がイデーによって支えられている場合には、どんな動きも、どのようなかりそめの感動も、みなそれぞれ意味をもってくる。そこにはいちばん肝心なもの、詩的葛藤がつねに現存しているからである。

> しかもこの葛藤は、わたしの知っているかぎりでも、わたしがここに描いているそれよりも時としてはるかに恐ろしいものであることがある。

> どんな美人もイデーほど気むずかしくはない。娘の不興など、イデーの怒りに比べると、まだしも堪えやすい、しかも何より、イデーの怒りだけはとうてい忘れられるものではない。

> わたしはレタスが好きだが、いつも芯だけしか食べない、葉は豚にやるものだとわたしは思っている。

> わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。

> これに文句をつけたい人はなんとでもいうがいい、わたしは意に介しない。

> It's Over-Gato Barbieri
> http://www.youtube.com/watch?v=ksmLewp4vf8&feature=BF&list=QL&index=4

> 時が経った。わたしも差しつかえのないときには、彼女の夜の祈祷に立ち会った。そこで彼女はその一日の償いに、大声をたてて喚きながら、思う存分胸の思いを吐き出した。昼間は男を蠱惑するのに費やしたからだった。

> 岩角に釘づけにされたプロメテウスが、禿鷹に肝臓をついばまれながら、その語る予言によって神々を惹きつけるように、彼女は恋人を惹きつけた。

> くる日もくる日も、すべてがささげつくされた、その日その日が最後であったから。だが、それがいつまでもつづくわけではなかった。

> 彼女はおのれを縛りつけている鎖を噛んでみた。しかし、彼女の激情がたけりたてばたけりたつほど、彼女の歌はいよいよ甘く、彼女の言葉はいよいよ優しく、鎖はいよいよ固くなった。

> この誤解から現実の関係を作り上げるなどということは、彼女には不可能だった。それこそ彼を永久の欺瞞にゆだねることだった。

> 彼女の思い、彼女の心は、実は彼とは別のものを、つまり、彼女が彼に象徴させているものを求めているのであって、彼はその憧憬の化身にすぎないといって彼の思い違いを説明してやるのは、彼を深く傷つけることで、それには彼女の誇りが憤りを感ずるのであった。そういうやり口は、彼女の何よりも軽蔑するものであった。

> それはまた彼女として当然なことだった。

> 男を欺き誘惑するのは軽蔑すべきことである、しかし、あなたはわたしの理想ではなかったのだと説明して男をいいくるめたり、あなたは詩神にすぎなかったのだといって男をなだめたり、自分を悪者にしないばかりか立派な逃げ道までもこしらえて男を見捨ててしまうというのは、さらに軽蔑すべきことである。

> 男をくどく経験を多少とも積んだものなら、それくらいのことはわけなくやってのけるだろう。

> せっぱつまって男のほうでもその申し出に応ずるだろう。こうして首尾よく逃げおおせたうえに、しかも正直な人ということになる、親切な人ということにさえなる。

> しかしあとになってみると、だまされていたことを知っている男よりもいっそう深い傷を、その男は心に負っているのである。

> だからどんな恋愛関係においても、関係はできたが実現の見込みはないという場合には、思いやりが最大の侮辱である。

> エロス的な目をもちしかも臆病でない女なら、思いやりをもたないということが、男の体面を保ってやるための残された唯一の方法だということを、容易に理解するだろう。

> Right Here Waiting - Richard Marx
> http://www.youtube.com/watch?v=Zilog7d523w&feature=BF&list=QL&index=9

> わたしは娘のすることならなんでも赦すことができるのだが、娘が恋をしながら恋の使命をとり違えるのだけは、どうにもゆるせない。

> 娘の恋が献身的でないなら、その娘は女でなくて野郎なのだ。

> そういう娘はその恋によってまず愛する男の血を吸いとってしまい、はては男をして懊悩と絶望のあまり自分から手を切るにいたらしめるものだが、そういう恋にこがれる女を、そういう役をみごとに演じて、同情をよせる家族の者や友達に泣いてもらうひとりのエルヴィーラとして登場させることは、喜劇詩人にとって実にやりがいのある仕事であるにちがいない、このエルヴィーラは、欺かれた娘たちの合唱団で第一歌手を演じ、男たちの不実を、明らかに自分の一生を台なしにするほど不実だったと、いかにも大げさにまくしたてることを心得ている女、しかもそういうことをずうずうしくも落ち着き払ってやってのけながら、自分自身の誠実さのほうこそ、むしろ愛する男の生命を奪いかねないということに、半秒間も思いいたることのない女なのである。

> 女の誠実さというものは偉大なものだ、とりわけ男の要求をその厚意に感謝しながら懇ろに断る場合にそうである。

> 女のそういう誠実さはいつも測り知れず、理解しがたい。

> 恋する男が、どんなに苦しくとも、怒りの言葉をひとことも女に浴びせることなく、かえって女をだまして、自分を欺くとはけしからん男だと思っている女の思い違いを強めてやるという、より深刻な復讐に甘んずるだけのユーモアを失わずにいるとしたら、この場面は実に愉快なものになることだろう。

> tell him... celine dion / barbra streisand
> http://www.youtube.com/watch?v=wB_vjpRhLxM

> 「N.Nさんはいい人だけど、退屈だわ。ところがF.Fさんったら、あの人とってもおもしろくって、いかすわよ。」

> かわいい娘の口からこういう言葉を聞くたびに、わたしはいつも思うのである。

> 「よくも恥ずかしくないものだ、若い娘がそんなことを口にするなんて、なんて情けないことだろう。」

> 男がインテレサントなものに迷い込んだとき、救い出してくれるものは娘のほかにないではないか。それだのに、そういうことを口にするのは、罪を犯すことではないか。

> 当の男がインテレサントなことなどできない人間であるなら、その男に向かってそれをせよと要求するのは、思いやりのないことであるし、あるいはまた、男がインテレサントなことのできる人間であるなら、そしたら・・・・・・・・、なぜかといえば、若い娘というものは、インテレサントなものを誘い出すことをしないようにこそ、つねに慎むべきものだからだ。そういうことをする娘は、イデーからみて、いつも損をする。

> インテレサントなものはけっして反復されないからである。

> インテレサントなものを求める娘は、みずからそこにおちいる罠となる。

> インテレサントなものに心ひかれぬ娘は反復を信ずる、そういう生まれつきの娘に栄誉あれ。

> 時を経てそうなった娘に栄誉あれ。

> Diana Krall Love Is Where You Are
> http://www.youtube.com/watch?v=vByMcoYgjaY&feature=BF&list=QL&index=2

> 多少とも想像力をもった青年なら、一度は芝居の魔力にとらえられたことがあるにちがいない。あの人工的な現実のなかへ自分もともにまき込まれて、まるで二重人みたいに、そこでもうひとりの自分自身が動くのを見、語るのを聞き、自分自身を自分自身に可能なだけのあらゆる種類の人物に扮装させ、しかもそのどれもがまた一個の自己であるというふうであってみたいという願いをいだいたことがあるにちがいない。

> こういう欲望があらわれるのは、もちろんまだ若いうちのことである。

> ただ想像力がだけが目覚めて個性を夢みていえ、その他の能力はすべてまだ安らかに眠っている。そういう想像力によって自己が見られると、個人は現実的な姿ではなく影でしかない、もっと適切にいうと、

> 現実的な姿が目の前にありながら、それが見えないのである。

> それだから個人は、ただ一つの影を投げるだけでは満足できずに、そのどれもが自分に似ていてそのときそのときに自分自身である権利を平等にもっているようなさまざまな影を投げるのである。

I´m thru with love - Diana Krall and Hollywood divas
http://www.youtube.com/watch?v=ivF2ZTxV81Q&feature=mfu_in_order&list=UL

しかしこの影の存在も満足を求める、それが自己の生を全うするだけの時を与えられなかったとしたら、それは人間にとってけっして好ましいことでない。

しかしまた、

個人が見当ちがいをして、影の存在のなかを迷いつづけながら生きつくしてしまったとしたら、それは哀れな、あるいは滑稽なことだ。

そういう人間がそれでほんとうの人間であるなどと自惚れるなら、それはちょうど最後の審判の日に、自分自身で出頭することもできずに、気のきいた目論見とか、その日一日だけの決心とか、半時間きりの計画とかなどを身代わりに出頭させる人間が不死の要求をするのと同じように、まことに心もとないことだ。

何事もそれぞれ適当な時におこなわれることが肝心なのだ。

すべては若いときにその時をもっている、そして若いときにその時をもったことは、また後でその時を得るものだ。

年長者にとって、その生涯のうちに、何か思い出して笑わずにいられぬような過去をもっているということは、何か涙をさそう過去をもっているのと同じように健康なことなのだ。

> > > > > > > > > > > > > Jan Garbarek & The Hilliard Ensemble - Ov zarmanali
> > > > > > > > > > > > > http://www.youtube.com/watch?v=eL2b4Y2_qxY&feature=mfu_in_order&list=UL
> > > > > > > > > > > > >
> > > > > > > > > > > > > わが沈黙の共犯者よ!
>
> > > > > > > > > > > > Arvo Pärt - Sarah Was Ninety Years Old (Part 1 of 3)
> > > > > > > > > > > > http://www.youtube.com/watch?v=g0Usv4O9lSQ&feature=BF&list=QL&index=29
> > > > > > > > > > > >
> > > > > > > > > > > > ぼくという存在のうちにある一切のものが、自分自身と矛盾して喚(わめ)いています。
> > >
> > > > > > > > > > > Carmen McRae - Trouble Is A Man
> > > > > > > > > > > http://www.youtube.com/watch?v=_zhboeJkNGg&feature=related
> > > > > > > > > > >
> > > > > > > > > > >彼女がそこに見いだそうとする現実は、ぼくにとっては、ぼくの本来の精神的現実につきそって走る影にすぎません、あるいはぼくを笑わせようとし、あるいはぼくの生活を侵して掻き乱そうとする影なのです。
> > > > > > > > > > >
> > > > > > > > > > > まるで影をつかもうとでもするかのように、あるいは影に向かって手を差しのべようととでもするかのように、ぼくは手探りしながら彼女をつかもうとするようなことになるでしょう。名前こそありませんが、それでもおそらくはぼくは、あなたにとってつねに何ものかであるだろうと思います。
> > > > > > > > > > >
> > > > > > > > > > > そしていかなる場合にもかわらぬあなたの忠実な友です。
> > > > > > > > > > >
> > > > > > > > > > >                                  敬具



[53714] 「私自身でない第三者(たとえば美、真理など)に関心をもつ知識は無関心的である。」Re:[53713] インテレサント 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/01/23(Sun) 22:17  

をわてそよANNEX−Ω   訪問者数:2322685(今日:455/昨日:569)2011/01/23(Sun) 21:23

Dear Old Stockholm - Stan Getz & Chet Baker
http://www.youtube.com/watch?v=ksQBfJ968TA&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=33

ご参考までに引用の書;

岩波文庫 33−635−1 反復 キルケゴール著 桝田啓三郎訳 1983年第26刷改訳

の註を記しておきます。

> >インテレサントなものはけっして反復されないからである。
>
> >インテレサントなものを求める娘は、みずからそこにおちいる罠となる。
>
> >インテレサントなものに心ひかれぬ娘は反復を信ずる、そういう生まれつきの娘に栄誉あれ。
>
> >時を経てそうなった娘に栄誉あれ。
>
> ここを特記しておこう。
> 「インテレサント」を日本語に置き換えることを考えてみたが、不可能のような気がする。
> しかし、この言葉のニュアンスはとてもよくわかる。

40−14「おもしろい」と訳したインテレサントは、語原からみて

「ひとの興味、共感、注意を呼びおこすような性質をもった」ということ、

そこから

「興味をひく、好奇心をそそる、おもしろい」

などの意味に用いられる。

41−2

前註の形容詞を名詞化したものであるが、この語は、1830年ごろから2,30年のあいだ、美学上の流行語として、特殊な意味に用いられた。「ひとの注意ないし興味をひこうとする」という原意から派生してくる特徴的な含意を訳者なりにまとめてみると次の三つになる。

一、ひとの関心をひいて注意を喚起し、興味をおぼえさせるようなものは、「普通と違って目立つ」ということ。

二、そういう異常なものは、自然でなく、どことなく不自然で、わざとらしくて技巧的であること、例えば女性の媚態。

三、異常であることで人を楽しませ面白がらせる性質をもち、気持ちをまぎらせて退屈な気分を転換させる働きをする。この意味で「倦怠」「退屈」の相関概念といえる。退屈をまぎらせ憂さを晴らすために次々と目新しい慰みを求めることになる。

およそこのような三つの含意をもつと思われるが、これらの含意をあらわす適当な訳語が訳者の貧弱な語彙の中に見当たらぬので原語のまま仮名書きであらわした。

「インテレサントなもの」は右のようなものとしてドイツ・ロマン主義の文学者フリートリヒ・シュレーゲルによって、近代文学を特徴づける概念として初めて用いられて普及し、デンマークにも輸入されて、現代的な特徴をあらわす文学、美学上の流行語となったのである。『誘惑者の日記』では、そのライトモティーフとして用いられている。

なお、この語はもう一つ別の重要な意味をもっていて、そういう意味で用いられる場合がある(45−9、45−11参照)

1844年の日記に次の文章がある。

「反復は一つの宗教的な範疇であり、どこまでもそうである。それだからコンスタンチン・コンスタンチウスはあれ以上先へ進むことができない。彼は賢明で、アイロニストであり、インテレサントなものを排斥する。しかし彼みずからがあくまでもそれにへばりついたままでいるのだということに気づかない。

インテレサントなものの第一の形式は、目先の変化を好むことであり、もう一つの形式は反復を欲することである。

けれどもそれも自己満足の範囲を出ず、そこにはなんらの苦難というものがない、−−−−だからコンスタンチンは彼みずから発見したものに座礁する、そして青年はその先へ前進する」

45−9・・・・・「関心」と訳した原語はInteresseで、interessantとつながりがある。コンスタンチンが「反復」のイデーを発見しそれを欲しながら、それが中心をそれたインテレサントなものの範疇を出ないのためにそれに座礁するように、形而上学も反復を欲し・・・それに座礁する。

45−11・・・・ここで「関心」といわれているInteresseは二つのものの「間に」inter,zwischen,between「ある」esse,sein,beという意味と、あることに「心を関わらせている」あるいは、あることを「問題としている」という「関心」の二義をもっている。

例えば、『』死にいたる病」の冒頭で

「人間は無限性と有限性との、時間的なものと永遠なものと間の、自由と必然との総合」

であるといわれている、それら二つの矛盾するものの「間にある」「関係」が前者のInteresseであるという、人間の本質的な規定であり、人間はそのように矛盾する二つのものの間にあるがゆえに、その矛盾の関係にある自分自身に、無限の関心をもたざるをえないのである。

「実存者にとっては、実存することが最大の関心である」

と言われるのもこの意味においてである。

これに反して

「私自身でない第三者(たとえば美、真理など)に関心をもつ知識は無関心的である。」

と言われる。形而上学はこれであって、だから、それはもともと無関心なのであるから関心しているようでもそれは真の関心ではなく、真の関心があらわれるところでは挫折せざるをえないわけある。・・・・




[53713] インテレサント 投稿者:なすのせせ 投稿日:2011/01/23(Sun) 21:12  

>インテレサントなものはけっして反復されないからである。

>インテレサントなものを求める娘は、みずからそこにおちいる罠となる。

>インテレサントなものに心ひかれぬ娘は反復を信ずる、そういう生まれつきの娘に栄誉あれ。

>時を経てそうなった娘に栄誉あれ。

ここを特記しておこう。
「インテレサント」を日本語に置き換えることを考えてみたが、不可能のような気がする。
しかし、この言葉のニュアンスはとてもよくわかる。




[53712] 現実的な姿が目の前にありながら、それが見えないのである。Re:[53710] インテレサントなものに心ひかれぬ娘は反復を信ずる、時を経てそうなった娘に栄誉あれ。Re:[53709] 女の誠実さというものは偉大なものだ、とりわけ男の要求をその厚意に感謝しながら懇ろに断る場合にそうである。Re:[53708] 関係はできたが実現の見込みはないという場合には、思いやりが最大の侮辱である。Re:[53706] わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。Re:[53703] 神よ、すべての男をそういう誠実さから守りたまえ!Re:[53699] 自分自身の死刑判決書Re:[53698] 汝(いまし)へのあこがれ絶えずRe:[53692] わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。Re:[53690] もし反復ということがなかったら、人生とはそもそも何であろう?Re:[53677] ぼくの苦痛と悩みには名前がありません。Re:[53676] ・・・Re:[53674] わが沈黙の共犯者よ! 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/01/23(Sun) 07:20  

まもなおんANNEX−Ω   訪問者数:2322388(今日:158/昨日:569)2011/01/23(Sun) 06:45

> > > > > > > > > Lizz Wright - The First and Last to Love Me (K. Hanrahan)
> > > > > > > > > http://www.youtube.com/watch?v=E8Dp21T8c7c&feature=BF&list=QL&index=25
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > 追憶の恋のみが幸福な恋である、とある作家が言った。その恋がまずひとを不幸にするのを追憶するというだけのことであるなら、まったくそのとおりである。
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > ほんとうは、反復の恋こそ唯一の幸福な恋なのだ。
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > 反復の恋には、追憶の恋と同じように、期待と不安定さがない。探検に伴う不安な冒険もない、しかしまた、追憶のもつ哀愁もない、そこには瞬間の至福な確実さがある。
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > 期待は新調の衣服で、ぱりっとして、しかもきらびやかである。しかしそれはまだ着てみたわけではない、だから、はたして体にぴったり合うかどうか、またよく似合うかどうかもわからない。
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > 追憶はもう着なくなった古着である、それがどんなに美しくても、いまでは体のほうが大きくなってもうどうにも身丈があわない。
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > 反復は着古されることのない着物である。それはぴったりと着心地よく体に合い、窮屈でもなければだぶつきもしない。
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > 期待は追う手をすり抜けてゆくかわいい娘である。
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > 追憶は美しくはあるが今ではもうけっして用を足せない老婆である。
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > 反復はいつまでも飽きることのない愛妻である。
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > 飽きがくるのは新しいものに限っているからだ。古いものはけっして飽きることがない、そして古いものが目の前にあると、ひとは幸福になる、しかも、反復が何か新しいものでなければならぬかのような思い違いをしないひとだけが、本当に幸福になる。もしそういう思い違いをしていたら、ひとはやがて反復にも飽きてしまうだろう。
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > 期待するには若さが要る、追憶するには若さが要る。
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > しかし、
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > 反復を欲するには勇気が要る。
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > 期待するしか欲しないものは卑怯である。
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > 追憶をしか欲しないものは淫らである。
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > しかし、
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > 反復を欲するものは男である。
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > そして、
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > このことをしっかりと自覚するにつれて、ひとはそれだけ深みのある人間になる。
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > ところが、
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > 人生は反復であり、そして反復こそ人生の美しさであることを理解しないものは、手ずから自分に判決をくだしたも同然で、所詮まぬがれられぬ運命、つまり自滅するほかあるまい。
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > 思うに、
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > 期待はひとをさしまねく果実ではあるが、腹の足しにはならぬ。
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > 追憶はまことに乏しい糊口の資で、これまた腹を満たすには足りない。
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > ところが反復は日々のパンである、それは祝福をもって満腹にさせてくれる。
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > ひとたび人世を周航してみれば、人生が反復であることを理解するだけに勇気がもてるかどうか、また、反復を楽しむ気持になれるかどうかが明らかになるだろう。生きることをはじめる前にまず人生を周航しなかったものは、けっして生きることにはならないだろう。人世を周航してはみたがうんざりしたというひとは、虚弱な体質の持ち主だったのだ。
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > 反復を選んだ人、その人だけがほんとうに生きるのである。
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > 彼は子供みたいに蝶を追いまわしはしない、この世の栄耀栄華をのぞくために爪立ちしたりもしない、彼はそれを知っているからだ。
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > 彼はまた老婆のように紡ぎ車の前に坐って追憶の糸を紡ぐこともしない。
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > むしろ、
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > 彼は反復を楽しみながら、心静かにわが道を歩む。
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > ほんとうに、もし反復ということがなかったら、人生とはそもそも何であろう?
> > > > > > > >
> > > > > > > > Edyta Gorniak - Hello (Gala RMF FM) [Live] HQ DIVA
> > > > > > > > http://www.youtube.com/watch?v=AWsesrdS1Jg&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=26
> > > > > > > >
> > > > > > > > 時が瞬間ごとに新しい文字を書きつらねてゆく石板になることを、あるいは過去の碑銘になることを、誰がこいねがうであろうか?
> > > > > > > >
> > > > > > > > 次から次へと新しいものに打ち興じさせて魂を柔弱にしてしまうあらゆる果敢(はか)ないもの、目新しいものに、それからそれへと心を奪われることを、誰がこいねがうであろうか?
> > > > > > > >
> > > > > > > > 神みずからが反復を望まれたのでなかったら、世界はけっして生成しなかったであろう。神は期待するままに絶えず新しい計画を立ててゆくか、それとも、万物をもとへ呼び戻して、追憶のなかに保存するかしたことであろう。しかし、神はそうしなかった、だから世界はこうして存立しているのだ、しかも、それは反復であることによって存立しているのである。
> > > > > > > >
> > > > > > > > 反復、これが現実なのだ、人の世の厳粛さなのだ、反復を欲するものは厳粛さにおいて成熟しているのだ。
> > > > > > > >
> > > > > > > > これはわたしの単独投票なのだが、そこには同時にこういう意味が含まれている。
> > > > > > > >
> > > > > > > > ソファにどっかと腰をおろして楊枝で歯をほじくっていたりーーーそしておまけに、たいした人物、たとえば法律顧問でござるとばかり勿体(もったい)ぶるとか、あるいは、偉容をととのえて街上を闊歩したりーーーそしておまけに、たいした人物、たとえばなんとか尊師でございますとばかりに尊大ぶるとかするのは、けっして人生の厳粛さではない。そういう勿体ぶった態度は、国王の調馬師だといって得意になるのと同じように、人生の厳粛さではない。
> > > > > > > >
> > > > > > > > そのようなことはすべて、
> > > > > > > >
> > > > > > > > わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。
> > > > > > >
> > > > > > > Lizz Wright's Version of 'Hey Mann'
> > > > > > > http://www.youtube.com/watch?v=_Wp8-ahXVFI&feature=BF&list=QL&index=31
> > > > > > >
> > > > > > > 恋するものはよく恋の甘い不安を詩人の言葉に託して吐き出しながら歓喜に酔うものだが、彼もそうだった。彼は部屋のなかを往きつ戻りつしながら、ポウル・メラーの詩の一節を幾度も繰り返した。
> > > > > > >
> > > > > > >     わが古きゆり椅子に
> > > > > > >       立ち返りくる若き日の夢
> > > > > > >     女性(おみな)らの太陽(ひ)と照り映ゆる
> > > > > > >       汝(いまし)へのあこがれ絶えず
> > > > > > >
> > > > > > > ・・・メランコリックな男に恋をさせてみるがいい、そしたら何もかも消し飛んでしまう、とよくきまったように言われる。しかし、彼がほんとうにメランコリックであるなら、彼にとって何よりも重大な事柄を彼の心がどうしてメランコリックに考えずにいられるだろうか。
> > > > > > >
> > > > > > > 彼は深くそして熱烈に恋している、これは明らかだ。
> > > > > > >
> > > > > > > それだのに、彼は最初の日からもう彼の恋愛を追憶できる状態にある。
> > > > > > >
> > > > > > > つまり、彼は恋愛関係をすでにすっかり完了しているのである。始めるときにおそろしく大股に歩いたために、彼は人生を飛び越してしまったのだ。・・・
> > > > > >
> > > > > > Frank Sinatra - Only the Lonely
> > > > > > http://www.youtube.com/watch?v=bef_s1Bhn7o&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=59
> > > > > >
> > > > > > 追憶は喪失から始まるという大きな利益をもっている、だからそれは安全だ、失うべき何ものももたないからである。
> > > > > >
> > > > > > 彼女は彼の恋人であった。彼がかつて愛した唯一の恋人、彼がいつか愛するようになるかもしれない唯一の恋人であった。しかし、それだのにまた、彼は彼女を愛してはいなかった、彼はただ彼女に憧れていただけだったのだ。
> > > > > >
> > > > > > あの少女は彼の恋人ではなかったのだ。彼女は彼のうちに詩的なものを目覚めさせ彼を詩人にする誘因だったのである。
> > > > > >
> > > > > > だからこそ、彼は彼女だけを愛することができ、彼女をけっして忘れることができず、けっしてほかの女を愛しようとはしなかったのだ。けれども、彼はつねに彼女をただ憧れていただけのことであった。
> > > > > >
> > > > > > 彼女は彼自身の全存在のなかに吸収されてしまったのである。彼女の思い出はいつまでもいきいきと残ることだろう。
> > > > > >
> > > > > > 彼女は彼にとってあまりに大きい意味をもってしまった、彼女は彼を詩人に仕上げてしまったのだ、
> > > > > >
> > > > > > だからつまり、
> > > > > >
> > > > > > 彼女は自分自身の死刑判決書に署名してしまったのだ。
> > > > >
> > > > > Kenny Rogers - Lady
> > > > > http://www.youtube.com/watch?v=Tj_NjLBPotQ&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=11
> > > > >
> > > > > 時の経つにつれて、彼の恋愛関係は悩みを加えていった。彼の憂鬱はしだいに勢いを得、彼の肉体力は心の葛藤にすり減らされていった。彼は自分が彼女を不幸にしたことをさとった、けれども彼はなんら間違いを犯した覚えはなかった。しかし少しも責任(つみ)がないのに彼女の不幸の責めを負わねばならぬということ、まさしくこのことが現に彼には躓き(つまづき)であり、彼の激情をはげしくかきたてるのであった。
> > > > >
> > > > > それにしても、詩人的な憂鬱な性(たち)の男に愛されるほど若い娘にとって誘惑的なことはあるまい。
> > > > >
> > > > > 諦めることをしないで男にうるさくつきまとい、それが真実に男を愛していることの証明だなどと自惚れるほど利己的な女があるとしたら、そういう女の一生の任務はまことに安易なもので、誠実だという名誉と疚しからぬ良心を、同時にまたごく上品に洗練された恋愛までも、わけなく享受できるだろう。
> > > > >
> > > > > 神よ、すべての男をそういう誠実さから守りたまえ!
> > > >
> > > > Vera Lynn - As Time Goes By
> > > > http://www.youtube.com/watch?v=S8F9NzVuIuA&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=1
> > > >
> > > > 恋がイデーによって支えられている場合には、どんな動きも、どのようなかりそめの感動も、みなそれぞれ意味をもってくる。そこにはいちばん肝心なもの、詩的葛藤がつねに現存しているからである。
> > > >
> > > > しかもこの葛藤は、わたしの知っているかぎりでも、わたしがここに描いているそれよりも時としてはるかに恐ろしいものであることがある。
> > > >
> > > > どんな美人もイデーほど気むずかしくはない。娘の不興など、イデーの怒りに比べると、まだしも堪えやすい、しかも何より、イデーの怒りだけはとうてい忘れられるものではない。
> > > >
> > > > わたしはレタスが好きだが、いつも芯だけしか食べない、葉は豚にやるものだとわたしは思っている。
> > > >
> > > > わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。
> > > >
> > > > これに文句をつけたい人はなんとでもいうがいい、わたしは意に介しない。
> > >
> > > It's Over-Gato Barbieri
> > > http://www.youtube.com/watch?v=ksmLewp4vf8&feature=BF&list=QL&index=4
> > >
> > > 時が経った。わたしも差しつかえのないときには、彼女の夜の祈祷に立ち会った。そこで彼女はその一日の償いに、大声をたてて喚きながら、思う存分胸の思いを吐き出した。昼間は男を蠱惑するのに費やしたからだった。
> > >
> > > 岩角に釘づけにされたプロメテウスが、禿鷹に肝臓をついばまれながら、その語る予言によって神々を惹きつけるように、彼女は恋人を惹きつけた。
> > >
> > > くる日もくる日も、すべてがささげつくされた、その日その日が最後であったから。だが、それがいつまでもつづくわけではなかった。
> > >
> > > 彼女はおのれを縛りつけている鎖を噛んでみた。しかし、彼女の激情がたけりたてばたけりたつほど、彼女の歌はいよいよ甘く、彼女の言葉はいよいよ優しく、鎖はいよいよ固くなった。
> > >
> > > この誤解から現実の関係を作り上げるなどということは、彼女には不可能だった。それこそ彼を永久の欺瞞にゆだねることだった。
> > >
> > > 彼女の思い、彼女の心は、実は彼とは別のものを、つまり、彼女が彼に象徴させているものを求めているのであって、彼はその憧憬の化身にすぎないといって彼の思い違いを説明してやるのは、彼を深く傷つけることで、それには彼女の誇りが憤りを感ずるのであった。そういうやり口は、彼女の何よりも軽蔑するものであった。
> > >
> > > それはまた彼女として当然なことだった。
> > >
> > > 男を欺き誘惑するのは軽蔑すべきことである、しかし、あなたはわたしの理想ではなかったのだと説明して男をいいくるめたり、あなたは詩神にすぎなかったのだといって男をなだめたり、自分を悪者にしないばかりか立派な逃げ道までもこしらえて男を見捨ててしまうというのは、さらに軽蔑すべきことである。
> > >
> > > 男をくどく経験を多少とも積んだものなら、それくらいのことはわけなくやってのけるだろう。
> > >
> > > せっぱつまって男のほうでもその申し出に応ずるだろう。こうして首尾よく逃げおおせたうえに、しかも正直な人ということになる、親切な人ということにさえなる。
> > >
> > > しかしあとになってみると、だまされていたことを知っている男よりもいっそう深い傷を、その男は心に負っているのである。
> > >
> > > だからどんな恋愛関係においても、関係はできたが実現の見込みはないという場合には、思いやりが最大の侮辱である。
> > >
> > > エロス的な目をもちしかも臆病でない女なら、思いやりをもたないということが、男の体面を保ってやるための残された唯一の方法だということを、容易に理解するだろう。
> >
> > Right Here Waiting - Richard Marx
> > http://www.youtube.com/watch?v=Zilog7d523w&feature=BF&list=QL&index=9
> >
> > わたしは娘のすることならなんでも赦すことができるのだが、娘が恋をしながら恋の使命をとり違えるのだけは、どうにもゆるせない。
> >
> > 娘の恋が献身的でないなら、その娘は女でなくて野郎なのだ。
> >
> > そういう娘はその恋によってまず愛する男の血を吸いとってしまい、はては男をして懊悩と絶望のあまり自分から手を切るにいたらしめるものだが、そういう恋にこがれる女を、そういう役をみごとに演じて、同情をよせる家族の者や友達に泣いてもらうひとりのエルヴィーラとして登場させることは、喜劇詩人にとって実にやりがいのある仕事であるにちがいない、このエルヴィーラは、欺かれた娘たちの合唱団で第一歌手を演じ、男たちの不実を、明らかに自分の一生を台なしにするほど不実だったと、いかにも大げさにまくしたてることを心得ている女、しかもそういうことをずうずうしくも落ち着き払ってやってのけながら、自分自身の誠実さのほうこそ、むしろ愛する男の生命を奪いかねないということに、半秒間も思いいたることのない女なのである。
> >
> > 女の誠実さというものは偉大なものだ、とりわけ男の要求をその厚意に感謝しながら懇ろに断る場合にそうである。
> >
> > 女のそういう誠実さはいつも測り知れず、理解しがたい。
> >
> > 恋する男が、どんなに苦しくとも、怒りの言葉をひとことも女に浴びせることなく、かえって女をだまして、自分を欺くとはけしからん男だと思っている女の思い違いを強めてやるという、より深刻な復讐に甘んずるだけのユーモアを失わずにいるとしたら、この場面は実に愉快なものになることだろう。
>
> tell him... celine dion / barbra streisand
> http://www.youtube.com/watch?v=wB_vjpRhLxM
>
> 「N.Nさんはいい人だけど、退屈だわ。ところがF.Fさんったら、あの人とってもおもしろくって、いかすわよ。」
>
> かわいい娘の口からこういう言葉を聞くたびに、わたしはいつも思うのである。
>
> 「よくも恥ずかしくないものだ、若い娘がそんなことを口にするなんて、なんて情けないことだろう。」
>
> 男がインテレサントなものに迷い込んだとき、救い出してくれるものは娘のほかにないではないか。それだのに、そういうことを口にするのは、罪を犯すことではないか。
>
> 当の男がインテレサントなことなどできない人間であるなら、その男に向かってそれをせよと要求するのは、思いやりのないことであるし、あるいはまた、男がインテレサントなことのできる人間であるなら、そしたら・・・・・・・・、なぜかといえば、若い娘というものは、インテレサントなものを誘い出すことをしないようにこそ、つねに慎むべきものだからだ。そういうことをする娘は、イデーからみて、いつも損をする。
>
> インテレサントなものはけっして反復されないからである。
>
> インテレサントなものを求める娘は、みずからそこにおちいる罠となる。
>
> インテレサントなものに心ひかれぬ娘は反復を信ずる、そういう生まれつきの娘に栄誉あれ。
>
> 時を経てそうなった娘に栄誉あれ。

Diana Krall Love Is Where You Are
http://www.youtube.com/watch?v=vByMcoYgjaY&feature=BF&list=QL&index=2

多少とも想像力をもった青年なら、一度は芝居の魔力にとらえられたことがあるにちがいない。あの人工的な現実のなかへ自分もともにまき込まれて、まるで二重人みたいに、そこでもうひとりの自分自身が動くのを見、語るのを聞き、自分自身を自分自身に可能なだけのあらゆる種類の人物に扮装させ、しかもそのどれもがまた一個の自己であるというふうであってみたいという願いをいだいたことがあるにちがいない。

こういう欲望があらわれるのは、もちろんまだ若いうちのことである。

ただ想像力がだけが目覚めて個性を夢みていえ、その他の能力はすべてまだ安らかに眠っている。そういう想像力によって自己が見られると、個人は現実的な姿ではなく影でしかない、もっと適切にいうと、

現実的な姿が目の前にありながら、それが見えないのである。

それだから個人は、ただ一つの影を投げるだけでは満足できずに、そのどれもが自分に似ていてそのときそのときに自分自身である権利を平等にもっているようなさまざまな影を投げるのである。


> > > > > > > > > > > > Jan Garbarek & The Hilliard Ensemble - Ov zarmanali
> > > > > > > > > > > > http://www.youtube.com/watch?v=eL2b4Y2_qxY&feature=mfu_in_order&list=UL
> > > > > > > > > > > >
> > > > > > > > > > > > わが沈黙の共犯者よ!

> > > > > > > > > > > Arvo Pärt - Sarah Was Ninety Years Old (Part 1 of 3)
> > > > > > > > > > > http://www.youtube.com/watch?v=g0Usv4O9lSQ&feature=BF&list=QL&index=29
> > > > > > > > > > >
> > > > > > > > > > > ある瞬間には、ぼくは疲れ果てて、生気を失い、無関心のあまりまるで死んだようになります。ぼくという存在のうちにある一切のものが、自分自身と矛盾して喚(わめ)いています。
> >
> > > > > > > > > > Carmen McRae - Trouble Is A Man
> > > > > > > > > > http://www.youtube.com/watch?v=_zhboeJkNGg&feature=related
> > > > > > > > > >
> > > > > > > > > >あの事件はひとつの災難なのではないでしょうか?現実があらわれるその瞬間に、すべては失われたのです。そのときはもう手おくれです。彼女がそこに見いだそうとする現実は、ぼくにとっては、ぼくの本来の精神的現実につきそって走る影にすぎません、あるいはぼくを笑わせようとし、あるいはぼくの生活を侵して掻き乱そうとする影なのです。
> > > > > > > > > >
> > > > > > > > > > つまりは、まるで影をつかもうとでもするかのように、あるいは影に向かって手を差しのべようととでもするかのように、ぼくは手探りしながら彼女をつかもうとするようなことになるでしょう。名前こそありませんが、それでもおそらくはぼくは、あなたにとってつねに何ものかであるだろうと思います。
> > > > > > > > > >
> > > > > > > > > > そしていかなる場合にもかわらぬあなたの忠実な友です。
> > > > > > > > > >
> > > > > > > > > >                                  敬具



[53711] インテレサントよ、ありがたう。 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/01/22(Sat) 08:17  

つちなよるANNEX−Ω   訪問者数:2321875(今日:214/昨日:502)2011/01/22(Sat) 07:00

Vic Damone - Gigi (Original Stereo)
http://www.youtube.com/watch?v=unV540b4w1I&feature=BF&list=QL&index=39

昨日の朝は中野で白煙があがって中央線や青梅線がとまってしまったといったん出かけた娘がかえってきて、おまけに東京女子大に用事があるという女房までもが、クルマをだしてくれとせがむので、まあ、しゃあない、去年の正月に落札した自転車部品や車輪やウェアの清算受け取りもしちょらんで、歳が明けてすまったので、では、清算がてら母子をおくっていってあげるか、となるべくすいていそうなみち、鉄道からはなれたバイパスなんぞを選んで若葉マークのマーク2でゆくってえと、やっぱす、府中小金井のあたりからは混んでくるので、このままぢゃあ、おくれてしまうちうお客さんを小金井で降ろして、さて、自転車屋へいっても、まんだ朝からではやっちょらんしちうことで、五日市街道から青梅街道にぬけようとすたら、これも真っ赤な渋滞で、急遽路地に入り込んで、ずんずんいけば、突き当たった交差点の眼の端になぬやら「米でつくったカステラ」。

インテレサントなエスプリドパリ。

でも駐車場がなささうで・・交差点を右折してみると、エスプリの裏にローソンがあって、駐車場があるにはあるんぢゃが、ちょうど配品のトラックが駐車場を塞いでおるし、直進路はこれまた渋滞で、先の信号すらみえぬ、このやけくそをだうするか?

これはやっぱす、インテレサントな「米のカステラ」でも賞味してみやう。

ちうことで、渋滞路の左路側にクルマをよせて、渋滞がきれた合い間をぬってUターン、配品トラックの陰の軽自動車用めいた狭いスペースにマーク2をつっこみ、さて・・・

直接インテレサントなエスプリにいってはまずかな?

と店内を覗くと、ローソンのおばちゃんが、みるともなしにこちらをみておるし、やっぱす、まずいと、まずは、外の灰皿でタバコを吹かし、視線がそれたところで、エスプリにまわってみると、開店は10時半とかで、店内には灯りがともり若い娘が開店準備のあれこれで忙しくうごきまわっているんで、ローソンに引き返し・・

トイレをお借りします

はい、ど〜ぞ

かのおばさんの返事も悪くないので、放尿後にあれこれ物色しちょれば、だうも、朝、天然酵母パン1斤をブリーチーズやバターたっぷりで頬張ったばかりなんで、腹も減ってはおらんが、売り切れの棚の下の床にケースにつめた売り切れ商品であらうと推測されもんが、つまっておって、つまんでみると・・・

ご褒美のロールケーキ

なんのご褒美なんぢゃろ?

と首をかしげながら、今度は色違いの黒いのをつまみあげると・・

俺のロールケーキ

うん、なんだか、面白いね、ちうことで、@150円x2ロールか、そんだけ買い上げれば、ま、おばちゃんの目もきにせんでよろしい、と、こんだあ、堂々と隣のエスプリのまんだ開店しちょらんドアの前に立つと、なかの若い娘と目が合い、ドアを押してみるとドアがあくので、あけてみれば・・

どうぞ♪

まだ、開店時間ぢゃないけどいいの?

どうそ、どうそ♪

ちうことで、朝の清められた店内に入り込んで、あれこれとショーケースのケーキやお菓子を物色すれば、けっこう凝ったもんも多いやうで、とはいえ、あんますかうもんには詳しくはないのんで、ともかくも、ケースにはないかの「お米のカステラ」なるもんは?

試食してみますか?

気が利くねえ、ありがたことで・・・

一日20セット限定で、最近出したものなんです。

全部ここでつくっちょんの?

はい。

ちょっと、ねっとりしますね。普通のカステラより・・・

はい。

こちらの白い仏蘭西製のキャラメルも・・

それは試食用がないんですよ。

あらあ、残念。でも、がさばらないから、こんだあ自転車んときにこれにすて・・

ホワイトチョコでコーティングしてあって、なかのキャラメルも素材厳選ですから、お勧めですよ。

けふはおとなりのローソンのおばさんにウォッチされちょるけん、このかさばる「米のカステラ」をもらって、熨斗つけてくれる?

珍しい米!大寒見舞。

たすかに、インテレサントなもので、「米のカステラ」も食ってしまえば、まあ、そんなもんかと、好奇心も満たされて、でもたいしたことたあ、ねえなあ、日々の米の反復には飽きぬが、「米のカステラ」にゃあ・・・・となれば、キルケゴール、コンシタンチン・コンスタンチウスそのものであらうが・・

古いですねえ、あいかわらず・・ちうのんは乗り付けたマーク2に商品を積み込んでくれる自転車屋の店長兼チーフメカ。一年の間にすっかりスタッフがいれかわって、ご存知のは3人だけになりましたとか・・

このボーラ、ちうても、第2世代ボーラで、第2世代の2セット目で、1セット目もまんだつかっておらんのんになんで2セット目なんか、と自問自答すれば、ま、カンパとシマノのそれぞれに1セットずつちうことで、このボーラも古い、古いが空力抵抗は、歴代ボーラのなかの最小ちう、70数歳爺さんのご託宣で・・

これって、ホイールバック付きだった?

Campagnoloのバックにつめてつみこむ店長に問いかければ、いんですよ、ついていようがついていなかろうが・・・

そんで、うちさ帰ってきて蓋あけてみたら、ホイールバックはもとよりサービスなんでせうが、なかに注文もせんかった秋冬用の洒落た手袋まではいっておって・・・

あ、さうか、ソレガシの手袋があまりにぼろぼろで、そのボロに輪をかけて、この水曜日に、工事業者が泥んこダンプの轍跡の土砂流しに水を撒いていた急カーブ急下り坂でコケテ落車の憂き目に、手袋も上下ジャージも擦り切れて穴があいて、手足の皮も擦りむけて、なかの餡子がはみだして、・・

ありがたいことです。餡子なしのを恵んでもらえて・・上下ジャージも餡子なしの駿府ダービー、リヤポケットはないので、寝巻きに最適♪






[53710] インテレサントなものに心ひかれぬ娘は反復を信ずる、時を経てそうなった娘に栄誉あれ。Re:[53709] 女の誠実さというものは偉大なものだ、とりわけ男の要求をその厚意に感謝しながら懇ろに断る場合にそうである。Re:[53708] 関係はできたが実現の見込みはないという場合には、思いやりが最大の侮辱である。Re:[53706] わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。Re:[53703] 神よ、すべての男をそういう誠実さから守りたまえ!Re:[53699] 自分自身の死刑判決書Re:[53698] 汝(いまし)へのあこがれ絶えずRe:[53692] わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。Re:[53690] もし反復ということがなかったら、人生とはそもそも何であろう?Re:[53677] ぼくの苦痛と悩みには名前がありません。Re:[53676] ・・・Re:[53674] わが沈黙の共犯者よ! 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/01/22(Sat) 05:25  

けれねわうANNEX−Ω   訪問者数:2321836(今日:175/昨日:502)2011/01/22(Sat) 05:02

> くちまぬわANNEX−Ω   訪問者数:2321314(今日:155/昨日:543)2011/01/21(Fri) 07:52
>
> > ねんやらほANNEX−Ω   訪問者数:2320806(今日:190/昨日:467)2011/01/20(Thu) 09:23
> >
> > > ねやれおむANNEX−Ω   訪問者数:2320276(今日:127/昨日:387)2011/01/19(Wed) 08:35
> > >
> > > > かこのるにANNEX−Ω   訪問者数:2319855(今日:93/昨日:419)2011/01/18(Tue) 08:04
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> > > > > ちたすすけANNEX−Ω   訪問者数:2319471(今日:128/昨日:482)2011/01/17(Mon) 08:27
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> > > > > >
> > > > > > > うけみさそANNEX−Ω   訪問者数:2318342(今日:95/昨日:529)2011/01/15(Sat) 06:20
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> > > > > > > > > > > せすゆすにANNEX−Ω   訪問者数:2314121(今日:222/昨日:513)2011/01/07(Fri) 09:37
> > > > > > > >
> > > > > > > > Lizz Wright - The First and Last to Love Me (K. Hanrahan)
> > > > > > > > http://www.youtube.com/watch?v=E8Dp21T8c7c&feature=BF&list=QL&index=25
> > > > > > > >
> > > > > > > > 追憶の恋のみが幸福な恋である、とある作家が言った。その恋がまずひとを不幸にするのを追憶するというだけのことであるなら、まったくそのとおりである。
> > > > > > > >
> > > > > > > > ほんとうは、反復の恋こそ唯一の幸福な恋なのだ。
> > > > > > > >
> > > > > > > > 反復の恋には、追憶の恋と同じように、期待と不安定さがない。探検に伴う不安な冒険もない、しかしまた、追憶のもつ哀愁もない、そこには瞬間の至福な確実さがある。
> > > > > > > >
> > > > > > > > 期待は新調の衣服で、ぱりっとして、しかもきらびやかである。しかしそれはまだ着てみたわけではない、だから、はたして体にぴったり合うかどうか、またよく似合うかどうかもわからない。
> > > > > > > >
> > > > > > > > 追憶はもう着なくなった古着である、それがどんなに美しくても、いまでは体のほうが大きくなってもうどうにも身丈があわない。
> > > > > > > >
> > > > > > > > 反復は着古されることのない着物である。それはぴったりと着心地よく体に合い、窮屈でもなければだぶつきもしない。
> > > > > > > >
> > > > > > > > 期待は追う手をすり抜けてゆくかわいい娘である。
> > > > > > > >
> > > > > > > > 追憶は美しくはあるが今ではもうけっして用を足せない老婆である。
> > > > > > > >
> > > > > > > > 反復はいつまでも飽きることのない愛妻である。
> > > > > > > >
> > > > > > > > 飽きがくるのは新しいものに限っているからだ。古いものはけっして飽きることがない、そして古いものが目の前にあると、ひとは幸福になる、しかも、反復が何か新しいものでなければならぬかのような思い違いをしないひとだけが、本当に幸福になる。もしそういう思い違いをしていたら、ひとはやがて反復にも飽きてしまうだろう。
> > > > > > > >
> > > > > > > > 期待するには若さが要る、追憶するには若さが要る。
> > > > > > > >
> > > > > > > > しかし、
> > > > > > > >
> > > > > > > > 反復を欲するには勇気が要る。
> > > > > > > >
> > > > > > > > 期待するしか欲しないものは卑怯である。
> > > > > > > >
> > > > > > > > 追憶をしか欲しないものは淫らである。
> > > > > > > >
> > > > > > > > しかし、
> > > > > > > >
> > > > > > > > 反復を欲するものは男である。
> > > > > > > >
> > > > > > > > そして、
> > > > > > > >
> > > > > > > > このことをしっかりと自覚するにつれて、ひとはそれだけ深みのある人間になる。
> > > > > > > >
> > > > > > > > ところが、
> > > > > > > >
> > > > > > > > 人生は反復であり、そして反復こそ人生の美しさであることを理解しないものは、手ずから自分に判決をくだしたも同然で、所詮まぬがれられぬ運命、つまり自滅するほかあるまい。
> > > > > > > >
> > > > > > > > 思うに、
> > > > > > > >
> > > > > > > > 期待はひとをさしまねく果実ではあるが、腹の足しにはならぬ。
> > > > > > > >
> > > > > > > > 追憶はまことに乏しい糊口の資で、これまた腹を満たすには足りない。
> > > > > > > >
> > > > > > > > ところが反復は日々のパンである、それは祝福をもって満腹にさせてくれる。
> > > > > > > >
> > > > > > > > ひとたび人世を周航してみれば、人生が反復であることを理解するだけに勇気がもてるかどうか、また、反復を楽しむ気持になれるかどうかが明らかになるだろう。生きることをはじめる前にまず人生を周航しなかったものは、けっして生きることにはならないだろう。人世を周航してはみたがうんざりしたというひとは、虚弱な体質の持ち主だったのだ。
> > > > > > > >
> > > > > > > > 反復を選んだ人、その人だけがほんとうに生きるのである。
> > > > > > > >
> > > > > > > > 彼は子供みたいに蝶を追いまわしはしない、この世の栄耀栄華をのぞくために爪立ちしたりもしない、彼はそれを知っているからだ。
> > > > > > > >
> > > > > > > > 彼はまた老婆のように紡ぎ車の前に坐って追憶の糸を紡ぐこともしない。
> > > > > > > >
> > > > > > > > むしろ、
> > > > > > > >
> > > > > > > > 彼は反復を楽しみながら、心静かにわが道を歩む。
> > > > > > > >
> > > > > > > > ほんとうに、もし反復ということがなかったら、人生とはそもそも何であろう?
> > > > > > >
> > > > > > > Edyta Gorniak - Hello (Gala RMF FM) [Live] HQ DIVA
> > > > > > > http://www.youtube.com/watch?v=AWsesrdS1Jg&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=26
> > > > > > >
> > > > > > > 時が瞬間ごとに新しい文字を書きつらねてゆく石板になることを、あるいは過去の碑銘になることを、誰がこいねがうであろうか?
> > > > > > >
> > > > > > > 次から次へと新しいものに打ち興じさせて魂を柔弱にしてしまうあらゆる果敢(はか)ないもの、目新しいものに、それからそれへと心を奪われることを、誰がこいねがうであろうか?
> > > > > > >
> > > > > > > 神みずからが反復を望まれたのでなかったら、世界はけっして生成しなかったであろう。神は期待するままに絶えず新しい計画を立ててゆくか、それとも、万物をもとへ呼び戻して、追憶のなかに保存するかしたことであろう。しかし、神はそうしなかった、だから世界はこうして存立しているのだ、しかも、それは反復であることによって存立しているのである。
> > > > > > >
> > > > > > > 反復、これが現実なのだ、人の世の厳粛さなのだ、反復を欲するものは厳粛さにおいて成熟しているのだ。
> > > > > > >
> > > > > > > これはわたしの単独投票なのだが、そこには同時にこういう意味が含まれている。
> > > > > > >
> > > > > > > ソファにどっかと腰をおろして楊枝で歯をほじくっていたりーーーそしておまけに、たいした人物、たとえば法律顧問でござるとばかり勿体(もったい)ぶるとか、あるいは、偉容をととのえて街上を闊歩したりーーーそしておまけに、たいした人物、たとえばなんとか尊師でございますとばかりに尊大ぶるとかするのは、けっして人生の厳粛さではない。そういう勿体ぶった態度は、国王の調馬師だといって得意になるのと同じように、人生の厳粛さではない。
> > > > > > >
> > > > > > > そのようなことはすべて、
> > > > > > >
> > > > > > > わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。
> > > > > >
> > > > > > Lizz Wright's Version of 'Hey Mann'
> > > > > > http://www.youtube.com/watch?v=_Wp8-ahXVFI&feature=BF&list=QL&index=31
> > > > > >
> > > > > > 恋するものはよく恋の甘い不安を詩人の言葉に託して吐き出しながら歓喜に酔うものだが、彼もそうだった。彼は部屋のなかを往きつ戻りつしながら、ポウル・メラーの詩の一節を幾度も繰り返した。
> > > > > >
> > > > > >     わが古きゆり椅子に
> > > > > >       立ち返りくる若き日の夢
> > > > > >     女性(おみな)らの太陽(ひ)と照り映ゆる
> > > > > >       汝(いまし)へのあこがれ絶えず
> > > > > >
> > > > > > ・・・メランコリックな男に恋をさせてみるがいい、そしたら何もかも消し飛んでしまう、とよくきまったように言われる。しかし、彼がほんとうにメランコリックであるなら、彼にとって何よりも重大な事柄を彼の心がどうしてメランコリックに考えずにいられるだろうか。
> > > > > >
> > > > > > 彼は深くそして熱烈に恋している、これは明らかだ。
> > > > > >
> > > > > > それだのに、彼は最初の日からもう彼の恋愛を追憶できる状態にある。
> > > > > >
> > > > > > つまり、彼は恋愛関係をすでにすっかり完了しているのである。始めるときにおそろしく大股に歩いたために、彼は人生を飛び越してしまったのだ。・・・
> > > > >
> > > > > Frank Sinatra - Only the Lonely
> > > > > http://www.youtube.com/watch?v=bef_s1Bhn7o&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=59
> > > > >
> > > > > 追憶は喪失から始まるという大きな利益をもっている、だからそれは安全だ、失うべき何ものももたないからである。
> > > > >
> > > > > 彼女は彼の恋人であった。彼がかつて愛した唯一の恋人、彼がいつか愛するようになるかもしれない唯一の恋人であった。しかし、それだのにまた、彼は彼女を愛してはいなかった、彼はただ彼女に憧れていただけだったのだ。
> > > > >
> > > > > あの少女は彼の恋人ではなかったのだ。彼女は彼のうちに詩的なものを目覚めさせ彼を詩人にする誘因だったのである。
> > > > >
> > > > > だからこそ、彼は彼女だけを愛することができ、彼女をけっして忘れることができず、けっしてほかの女を愛しようとはしなかったのだ。けれども、彼はつねに彼女をただ憧れていただけのことであった。
> > > > >
> > > > > 彼女は彼自身の全存在のなかに吸収されてしまったのである。彼女の思い出はいつまでもいきいきと残ることだろう。
> > > > >
> > > > > 彼女は彼にとってあまりに大きい意味をもってしまった、彼女は彼を詩人に仕上げてしまったのだ、
> > > > >
> > > > > だからつまり、
> > > > >
> > > > > 彼女は自分自身の死刑判決書に署名してしまったのだ。
> > > >
> > > > Kenny Rogers - Lady
> > > > http://www.youtube.com/watch?v=Tj_NjLBPotQ&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=11
> > > >
> > > > 時の経つにつれて、彼の恋愛関係は悩みを加えていった。彼の憂鬱はしだいに勢いを得、彼の肉体力は心の葛藤にすり減らされていった。彼は自分が彼女を不幸にしたことをさとった、けれども彼はなんら間違いを犯した覚えはなかった。しかし少しも責任(つみ)がないのに彼女の不幸の責めを負わねばならぬということ、まさしくこのことが現に彼には躓き(つまづき)であり、彼の激情をはげしくかきたてるのであった。
> > > >
> > > > それにしても、詩人的な憂鬱な性(たち)の男に愛されるほど若い娘にとって誘惑的なことはあるまい。
> > > >
> > > > 諦めることをしないで男にうるさくつきまとい、それが真実に男を愛していることの証明だなどと自惚れるほど利己的な女があるとしたら、そういう女の一生の任務はまことに安易なもので、誠実だという名誉と疚しからぬ良心を、同時にまたごく上品に洗練された恋愛までも、わけなく享受できるだろう。
> > > >
> > > > 神よ、すべての男をそういう誠実さから守りたまえ!
> > >
> > > Vera Lynn - As Time Goes By
> > > http://www.youtube.com/watch?v=S8F9NzVuIuA&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=1
> > >
> > > 恋がイデーによって支えられている場合には、どんな動きも、どのようなかりそめの感動も、みなそれぞれ意味をもってくる。そこにはいちばん肝心なもの、詩的葛藤がつねに現存しているからである。
> > >
> > > しかもこの葛藤は、わたしの知っているかぎりでも、わたしがここに描いているそれよりも時としてはるかに恐ろしいものであることがある。
> > >
> > > どんな美人もイデーほど気むずかしくはない。娘の不興など、イデーの怒りに比べると、まだしも堪えやすい、しかも何より、イデーの怒りだけはとうてい忘れられるものではない。
> > >
> > > わたしはレタスが好きだが、いつも芯だけしか食べない、葉は豚にやるものだとわたしは思っている。
> > >
> > > わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。
> > >
> > > これに文句をつけたい人はなんとでもいうがいい、わたしは意に介しない。
> >
> > It's Over-Gato Barbieri
> > http://www.youtube.com/watch?v=ksmLewp4vf8&feature=BF&list=QL&index=4
> >
> > 時が経った。わたしも差しつかえのないときには、彼女の夜の祈祷に立ち会った。そこで彼女はその一日の償いに、大声をたてて喚きながら、思う存分胸の思いを吐き出した。昼間は男を蠱惑するのに費やしたからだった。
> >
> > 岩角に釘づけにされたプロメテウスが、禿鷹に肝臓をついばまれながら、その語る予言によって神々を惹きつけるように、彼女は恋人を惹きつけた。
> >
> > くる日もくる日も、すべてがささげつくされた、その日その日が最後であったから。だが、それがいつまでもつづくわけではなかった。
> >
> > 彼女はおのれを縛りつけている鎖を噛んでみた。しかし、彼女の激情がたけりたてばたけりたつほど、彼女の歌はいよいよ甘く、彼女の言葉はいよいよ優しく、鎖はいよいよ固くなった。
> >
> > この誤解から現実の関係を作り上げるなどということは、彼女には不可能だった。それこそ彼を永久の欺瞞にゆだねることだった。
> >
> > 彼女の思い、彼女の心は、実は彼とは別のものを、つまり、彼女が彼に象徴させているものを求めているのであって、彼はその憧憬の化身にすぎないといって彼の思い違いを説明してやるのは、彼を深く傷つけることで、それには彼女の誇りが憤りを感ずるのであった。そういうやり口は、彼女の何よりも軽蔑するものであった。
> >
> > それはまた彼女として当然なことだった。
> >
> > 男を欺き誘惑するのは軽蔑すべきことである、しかし、あなたはわたしの理想ではなかったのだと説明して男をいいくるめたり、あなたは詩神にすぎなかったのだといって男をなだめたり、自分を悪者にしないばかりか立派な逃げ道までもこしらえて男を見捨ててしまうというのは、さらに軽蔑すべきことである。
> >
> > 男をくどく経験を多少とも積んだものなら、それくらいのことはわけなくやってのけるだろう。
> >
> > せっぱつまって男のほうでもその申し出に応ずるだろう。こうして首尾よく逃げおおせたうえに、しかも正直な人ということになる、親切な人ということにさえなる。
> >
> > しかしあとになってみると、だまされていたことを知っている男よりもいっそう深い傷を、その男は心に負っているのである。
> >
> > だからどんな恋愛関係においても、関係はできたが実現の見込みはないという場合には、思いやりが最大の侮辱である。
> >
> > エロス的な目をもちしかも臆病でない女なら、思いやりをもたないということが、男の体面を保ってやるための残された唯一の方法だということを、容易に理解するだろう。
>
> Right Here Waiting - Richard Marx
> http://www.youtube.com/watch?v=Zilog7d523w&feature=BF&list=QL&index=9
>
> わたしは娘のすることならなんでも赦すことができるのだが、娘が恋をしながら恋の使命をとり違えるのだけは、どうにもゆるせない。
>
> 娘の恋が献身的でないなら、その娘は女でなくて野郎なのだ。
>
> そういう娘はその恋によってまず愛する男の血を吸いとってしまい、はては男をして懊悩と絶望のあまり自分から手を切るにいたらしめるものだが、そういう恋にこがれる女を、そういう役をみごとに演じて、同情をよせる家族の者や友達に泣いてもらうひとりのエルヴィーラとして登場させることは、喜劇詩人にとって実にやりがいのある仕事であるにちがいない、このエルヴィーラは、欺かれた娘たちの合唱団で第一歌手を演じ、男たちの不実を、明らかに自分の一生を台なしにするほど不実だったと、いかにも大げさにまくしたてることを心得ている女、しかもそういうことをずうずうしくも落ち着き払ってやってのけながら、自分自身の誠実さのほうこそ、むしろ愛する男の生命を奪いかねないということに、半秒間も思いいたることのない女なのである。
>
> 女の誠実さというものは偉大なものだ、とりわけ男の要求をその厚意に感謝しながら懇ろに断る場合にそうである。
>
> 女のそういう誠実さはいつも測り知れず、理解しがたい。
>
> 恋する男が、どんなに苦しくとも、怒りの言葉をひとことも女に浴びせることなく、かえって女をだまして、自分を欺くとはけしからん男だと思っている女の思い違いを強めてやるという、より深刻な復讐に甘んずるだけのユーモアを失わずにいるとしたら、この場面は実に愉快なものになることだろう。

tell him... celine dion / barbra streisand
http://www.youtube.com/watch?v=wB_vjpRhLxM

「N.Nさんはいい人だけど、退屈だわ。ところがF.Fさんったら、あの人とってもおもしろくって、いかすわよ。」

かわいい娘の口からこういう言葉を聞くたびに、わたしはいつも思うのである。

「よくも恥ずかしくないものだ、若い娘がそんなことを口にするなんて、なんて情けないことだろう。」

男がインテレサントなものに迷い込んだとき、救い出してくれるものは娘のほかにないではないか。それだのに、そういうことを口にするのは、罪を犯すことではないか。

当の男がインテレサントなことなどできない人間であるなら、その男に向かってそれをせよと要求するのは、思いやりのないことであるし、あるいはまた、男がインテレサントなことのできる人間であるなら、そしたら・・・・・・・・、なぜかといえば、若い娘というものは、インテレサントなものを誘い出すことをしないようにこそ、つねに慎むべきものだからだ。そういうことをする娘は、イデーからみて、いつも損をする。

インテレサントなものはけっして反復されないからである。

インテレサントなものを求める娘は、みずからそこにおちいる罠となる。

インテレサントなものに心ひかれぬ娘は反復を信ずる、そういう生まれつきの娘に栄誉あれ。

時を経てそうなった娘に栄誉あれ。

> > > > > > > > > > > Jan Garbarek & The Hilliard Ensemble - Ov zarmanali
> > > > > > > > > > > http://www.youtube.com/watch?v=eL2b4Y2_qxY&feature=mfu_in_order&list=UL
> > > > > > > > > > >
> > > > > > > > > > > わが沈黙の共犯者よ!
> > > > > > > > > > >
> > > > > > > > > > >人々が提供してくれる説明など、たとえばピエロ以上に飢えていたにしても、ぼくは食いたく思わないでしょう。
>
> > > > > > > > > > Arvo Pärt - Sarah Was Ninety Years Old (Part 1 of 3)
> > > > > > > > > > http://www.youtube.com/watch?v=g0Usv4O9lSQ&feature=BF&list=QL&index=29
> > > > > > > > > >
> > > > > > > > > > ある瞬間には、ぼくは疲れ果てて、生気を失い、無関心のあまりまるで死んだようになります。また他の瞬間には、ぼくは荒れ狂って、誰かぼくの怒りを放散することのできる相手を見つけるために、世界の極(はて)から極まで絶望的に駆け廻ります。ぼくという存在のうちにある一切のものが、自分自身と矛盾して喚(わめ)いています。
>
> > > > > > > > > Carmen McRae - Trouble Is A Man
> > > > > > > > > http://www.youtube.com/watch?v=_zhboeJkNGg&feature=related
> > > > > > > > >
> > > > > > > > >あの事件はひとつの災難なのではないでしょうか?現実があらわれるその瞬間に、すべては失われたのです。そのときはもう手おくれです。彼女がそこに見いだそうとする現実は、ぼくにとっては、ぼくの本来の精神的現実につきそって走る影にすぎません、あるいはぼくを笑わせようとし、あるいはぼくの生活を侵して掻き乱そうとする影なのです。
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > つまりは、まるで影をつかもうとでもするかのように、あるいは影に向かって手を差しのべようととでもするかのように、ぼくは手探りしながら彼女をつかもうとするようなことになるでしょう。名前こそありませんが、それでもおそらくはぼくは、あなたにとってつねに何ものかであるだろうと思います。
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > そしていかなる場合にもかわらぬあなたの忠実な友です。
> > > > > > > > >
> > > > > > > > >                                  敬具



[53709] 女の誠実さというものは偉大なものだ、とりわけ男の要求をその厚意に感謝しながら懇ろに断る場合にそうである。Re:[53708] 関係はできたが実現の見込みはないという場合には、思いやりが最大の侮辱である。Re:[53706] わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。Re:[53703] 神よ、すべての男をそういう誠実さから守りたまえ!Re:[53699] 自分自身の死刑判決書Re:[53698] 汝(いまし)へのあこがれ絶えずRe:[53692] わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。Re:[53690] もし反復ということがなかったら、人生とはそもそも何であろう?Re:[53677] ぼくの苦痛と悩みには名前がありません。Re:[53676] ・・・Re:[53674] わが沈黙の共犯者よ! 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/01/21(Fri) 08:16  

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> > > > > > >
> > > > > > > Lizz Wright - The First and Last to Love Me (K. Hanrahan)
> > > > > > > http://www.youtube.com/watch?v=E8Dp21T8c7c&feature=BF&list=QL&index=25
> > > > > > >
> > > > > > > 追憶の恋のみが幸福な恋である、とある作家が言った。その恋がまずひとを不幸にするのを追憶するというだけのことであるなら、まったくそのとおりである。
> > > > > > >
> > > > > > > ほんとうは、反復の恋こそ唯一の幸福な恋なのだ。
> > > > > > >
> > > > > > > 反復の恋には、追憶の恋と同じように、期待と不安定さがない。探検に伴う不安な冒険もない、しかしまた、追憶のもつ哀愁もない、そこには瞬間の至福な確実さがある。
> > > > > > >
> > > > > > > 期待は新調の衣服で、ぱりっとして、しかもきらびやかである。しかしそれはまだ着てみたわけではない、だから、はたして体にぴったり合うかどうか、またよく似合うかどうかもわからない。
> > > > > > >
> > > > > > > 追憶はもう着なくなった古着である、それがどんなに美しくても、いまでは体のほうが大きくなってもうどうにも身丈があわない。
> > > > > > >
> > > > > > > 反復は着古されることのない着物である。それはぴったりと着心地よく体に合い、窮屈でもなければだぶつきもしない。
> > > > > > >
> > > > > > > 期待は追う手をすり抜けてゆくかわいい娘である。
> > > > > > >
> > > > > > > 追憶は美しくはあるが今ではもうけっして用を足せない老婆である。
> > > > > > >
> > > > > > > 反復はいつまでも飽きることのない愛妻である。
> > > > > > >
> > > > > > > 飽きがくるのは新しいものに限っているからだ。古いものはけっして飽きることがない、そして古いものが目の前にあると、ひとは幸福になる、しかも、反復が何か新しいものでなければならぬかのような思い違いをしないひとだけが、本当に幸福になる。もしそういう思い違いをしていたら、ひとはやがて反復にも飽きてしまうだろう。
> > > > > > >
> > > > > > > 期待するには若さが要る、追憶するには若さが要る。
> > > > > > >
> > > > > > > しかし、
> > > > > > >
> > > > > > > 反復を欲するには勇気が要る。
> > > > > > >
> > > > > > > 期待するしか欲しないものは卑怯である。
> > > > > > >
> > > > > > > 追憶をしか欲しないものは淫らである。
> > > > > > >
> > > > > > > しかし、
> > > > > > >
> > > > > > > 反復を欲するものは男である。
> > > > > > >
> > > > > > > そして、
> > > > > > >
> > > > > > > このことをしっかりと自覚するにつれて、ひとはそれだけ深みのある人間になる。
> > > > > > >
> > > > > > > ところが、
> > > > > > >
> > > > > > > 人生は反復であり、そして反復こそ人生の美しさであることを理解しないものは、手ずから自分に判決をくだしたも同然で、所詮まぬがれられぬ運命、つまり自滅するほかあるまい。
> > > > > > >
> > > > > > > 思うに、
> > > > > > >
> > > > > > > 期待はひとをさしまねく果実ではあるが、腹の足しにはならぬ。
> > > > > > >
> > > > > > > 追憶はまことに乏しい糊口の資で、これまた腹を満たすには足りない。
> > > > > > >
> > > > > > > ところが反復は日々のパンである、それは祝福をもって満腹にさせてくれる。
> > > > > > >
> > > > > > > ひとたび人世を周航してみれば、人生が反復であることを理解するだけに勇気がもてるかどうか、また、反復を楽しむ気持になれるかどうかが明らかになるだろう。生きることをはじめる前にまず人生を周航しなかったものは、けっして生きることにはならないだろう。人世を周航してはみたがうんざりしたというひとは、虚弱な体質の持ち主だったのだ。
> > > > > > >
> > > > > > > 反復を選んだ人、その人だけがほんとうに生きるのである。
> > > > > > >
> > > > > > > 彼は子供みたいに蝶を追いまわしはしない、この世の栄耀栄華をのぞくために爪立ちしたりもしない、彼はそれを知っているからだ。
> > > > > > >
> > > > > > > 彼はまた老婆のように紡ぎ車の前に坐って追憶の糸を紡ぐこともしない。
> > > > > > >
> > > > > > > むしろ、
> > > > > > >
> > > > > > > 彼は反復を楽しみながら、心静かにわが道を歩む。
> > > > > > >
> > > > > > > ほんとうに、もし反復ということがなかったら、人生とはそもそも何であろう?
> > > > > >
> > > > > > Edyta Gorniak - Hello (Gala RMF FM) [Live] HQ DIVA
> > > > > > http://www.youtube.com/watch?v=AWsesrdS1Jg&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=26
> > > > > >
> > > > > > 時が瞬間ごとに新しい文字を書きつらねてゆく石板になることを、あるいは過去の碑銘になることを、誰がこいねがうであろうか?
> > > > > >
> > > > > > 次から次へと新しいものに打ち興じさせて魂を柔弱にしてしまうあらゆる果敢(はか)ないもの、目新しいものに、それからそれへと心を奪われることを、誰がこいねがうであろうか?
> > > > > >
> > > > > > 神みずからが反復を望まれたのでなかったら、世界はけっして生成しなかったであろう。神は期待するままに絶えず新しい計画を立ててゆくか、それとも、万物をもとへ呼び戻して、追憶のなかに保存するかしたことであろう。しかし、神はそうしなかった、だから世界はこうして存立しているのだ、しかも、それは反復であることによって存立しているのである。
> > > > > >
> > > > > > 反復、これが現実なのだ、人の世の厳粛さなのだ、反復を欲するものは厳粛さにおいて成熟しているのだ。
> > > > > >
> > > > > > これはわたしの単独投票なのだが、そこには同時にこういう意味が含まれている。
> > > > > >
> > > > > > ソファにどっかと腰をおろして楊枝で歯をほじくっていたりーーーそしておまけに、たいした人物、たとえば法律顧問でござるとばかり勿体(もったい)ぶるとか、あるいは、偉容をととのえて街上を闊歩したりーーーそしておまけに、たいした人物、たとえばなんとか尊師でございますとばかりに尊大ぶるとかするのは、けっして人生の厳粛さではない。そういう勿体ぶった態度は、国王の調馬師だといって得意になるのと同じように、人生の厳粛さではない。
> > > > > >
> > > > > > そのようなことはすべて、
> > > > > >
> > > > > > わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。
> > > > >
> > > > > Lizz Wright's Version of 'Hey Mann'
> > > > > http://www.youtube.com/watch?v=_Wp8-ahXVFI&feature=BF&list=QL&index=31
> > > > >
> > > > > 恋するものはよく恋の甘い不安を詩人の言葉に託して吐き出しながら歓喜に酔うものだが、彼もそうだった。彼は部屋のなかを往きつ戻りつしながら、ポウル・メラーの詩の一節を幾度も繰り返した。
> > > > >
> > > > >     わが古きゆり椅子に
> > > > >       立ち返りくる若き日の夢
> > > > >     女性(おみな)らの太陽(ひ)と照り映ゆる
> > > > >       汝(いまし)へのあこがれ絶えず
> > > > >
> > > > > ・・・メランコリックな男に恋をさせてみるがいい、そしたら何もかも消し飛んでしまう、とよくきまったように言われる。しかし、彼がほんとうにメランコリックであるなら、彼にとって何よりも重大な事柄を彼の心がどうしてメランコリックに考えずにいられるだろうか。
> > > > >
> > > > > 彼は深くそして熱烈に恋している、これは明らかだ。
> > > > >
> > > > > それだのに、彼は最初の日からもう彼の恋愛を追憶できる状態にある。
> > > > >
> > > > > つまり、彼は恋愛関係をすでにすっかり完了しているのである。始めるときにおそろしく大股に歩いたために、彼は人生を飛び越してしまったのだ。・・・
> > > >
> > > > Frank Sinatra - Only the Lonely
> > > > http://www.youtube.com/watch?v=bef_s1Bhn7o&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=59
> > > >
> > > > 追憶は喪失から始まるという大きな利益をもっている、だからそれは安全だ、失うべき何ものももたないからである。
> > > >
> > > > 彼女は彼の恋人であった。彼がかつて愛した唯一の恋人、彼がいつか愛するようになるかもしれない唯一の恋人であった。しかし、それだのにまた、彼は彼女を愛してはいなかった、彼はただ彼女に憧れていただけだったのだ。
> > > >
> > > > あの少女は彼の恋人ではなかったのだ。彼女は彼のうちに詩的なものを目覚めさせ彼を詩人にする誘因だったのである。
> > > >
> > > > だからこそ、彼は彼女だけを愛することができ、彼女をけっして忘れることができず、けっしてほかの女を愛しようとはしなかったのだ。けれども、彼はつねに彼女をただ憧れていただけのことであった。
> > > >
> > > > 彼女は彼自身の全存在のなかに吸収されてしまったのである。彼女の思い出はいつまでもいきいきと残ることだろう。
> > > >
> > > > 彼女は彼にとってあまりに大きい意味をもってしまった、彼女は彼を詩人に仕上げてしまったのだ、
> > > >
> > > > だからつまり、
> > > >
> > > > 彼女は自分自身の死刑判決書に署名してしまったのだ。
> > >
> > > Kenny Rogers - Lady
> > > http://www.youtube.com/watch?v=Tj_NjLBPotQ&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=11
> > >
> > > 時の経つにつれて、彼の恋愛関係は悩みを加えていった。彼の憂鬱はしだいに勢いを得、彼の肉体力は心の葛藤にすり減らされていった。彼は自分が彼女を不幸にしたことをさとった、けれでも彼はなんら間違いを犯した覚えはなかった。しかし少しも責任(つみ)がないのに彼女の不幸の責めを負わねばならぬということ、まさしくこのことが現に彼には躓き(つまづき)であり、彼の激情をはげしくかきたてるのであった。
> > >
> > > それにしても、詩人的な憂鬱な性(たち)の男に愛されるほど若い娘にとって誘惑的なことはあるまい。
> > >
> > > 諦めることをしないで男にうるさくつきまとい、それが真実に男を愛していることの証明だなどと自惚れるほど利己的な女があるとしたら、そういう女の一生の任務はまことに安易なもので、誠実だという名誉と疚しからぬ良心を、同時にまたごく上品に洗練された恋愛までも、わけなく享受できるだろう。
> > >
> > > 神よ、すべての男をそういう誠実さから守りたまえ!
> >
> > Vera Lynn - As Time Goes By
> > http://www.youtube.com/watch?v=S8F9NzVuIuA&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=1
> >
> > 恋がイデーによって支えられている場合には、どんな動きも、どのようなかりそめの感動も、みなそれぞれ意味をもってくる。そこにはいちばん肝心なもの、詩的葛藤がつねに現存しているからである。
> >
> > しかもこの葛藤は、わたしの知っているかぎりでお、わたしがここに描いているそれよりも時としてはるかに恐ろしいものであることがある。
> >
> > どんな美人もイデーほど気むずかしくはない。娘の不興など、イデーの怒りに比べると、まだしも堪えやすい、しかも何より、イデーの怒りだけはとうてい忘れられるものではない。
> >
> > わたしはレタスが好きだが、いつも芯だけしか食べない、葉は豚にやるものだとわたしは思っている。
> >
> > わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。
> >
> > これに文句をつけたい人はなんとでもいうがいい、わたしは意に介しない。
>
> It's Over-Gato Barbieri
> http://www.youtube.com/watch?v=ksmLewp4vf8&feature=BF&list=QL&index=4
>
> 時が経った。わたしも差しつかえのないときには、彼女の夜の祈祷に立ち会った。そこで彼女はその一日の償いに、大声をたてて喚きながら、思う存分胸の思いを吐き出した。昼間は男を蠱惑するのに費やしたからだった。
>
> 岩角に釘づけにされたプロメテウスが、禿鷹に肝臓をついばまれながら、その語る予言によって神々を惹きつけるように、彼女は恋人を惹きつけた。
>
> くる日もくる日も、すべてがささげつくされた、その日その日が最後であったから。だが、それがいつまでもつづくわけではなかった。
>
> 彼女はおのれを縛りつけている鎖を噛んでみた。しかし、彼女の激情がたけりたてばたけりたつほど、彼女の歌はいよいよ甘く、彼女の言葉はいよいよ優しく、鎖はいよいよ固くなった。
>
> この誤解から現実の関係を作り上げるなどということは、彼女には不可能だった。それこそ彼を永久の欺瞞にゆだねることだった。
>
> 彼女の思い、彼女の心は、実は彼とは別のものを、つまり、彼女が彼に象徴させているものを求めているのであって、彼はその憧憬の化身にすぎないといって彼の思い違いを説明してやるのは、彼を深く傷つけることで、それには彼女の誇りが憤りを感ずるのであった。そういうやり口は、彼女の何よりも軽蔑するものであった。
>
> それはまた彼女として当然なことだった。
>
> 男を欺き誘惑するのは軽蔑すべきことである、しかし、あなたはわたしの理想ではなかったのだと説明して男をいいくるめたり、あなたは詩神にすぎなかったのだといって男をなだめたり、自分を悪者にしないばかりか立派な逃げ道までもこしらえて男を見捨ててしまうというのは、さらに軽蔑すべきことである。
>
> 男をくどく経験を多少とも積んだものなら、それくらいのことはわけなくやってのけるだろう。
>
> せっぱつまって男のほうでもその申し出に応ずるだろう。こうして首尾よく逃げおおせたうえに、しかも正直な人ということになる、親切な人ということにさえなる。
>
> しかしあとになってみると、だまされていたことを知っている男よりもいっそう深い傷を、その男は心に負っているのである。
>
> だからどんな恋愛関係においても、関係はできたが実現の見込みはないという場合には、思いやりが最大の侮辱である。
>
> エロス的な目をもちしかも臆病でない女なら、思いやりをもたないということが、男の体面を保ってやるための残された唯一の方法だということを、容易に理解するだろう。

Right Here Waiting - Richard Marx
http://www.youtube.com/watch?v=Zilog7d523w&feature=BF&list=QL&index=9

わたしは娘のすることならなんでも赦すことができるのだが、娘が恋をしながら恋の使命をとり違えるのだけは、どうにもゆるせない。

娘の恋が献身的でないなら、その娘は女でなくて野郎なのだ。

そういう娘はその恋によってまず愛する男の血を吸いとってしまい、はては男をして懊悩と絶望のあまり自分から手を切るにいたらしめるものだが、そういう恋にこがれる女を、そういう役をみごとに演じて、同情をよせる家族の者や友達に泣いてもらうひとりのエルヴィーラとして登場させることは、喜劇詩人にとって実にやりがいのある仕事であるにちがいない、このエルヴィーラは、欺かれた娘たちの合唱団で第一歌手を演じ、男たちの不実を、明らかに自分の一生を台なしにするほど不実だったと、いかにも大げさにまくしたてることを心得ている女、しかもそういうことをずうずうしくも落ち着き払ってやってのけながら、自分自身の誠実さのほうこそ、むしろ愛する男の生命を奪いかねないということに、半秒間も思いいたることのない女なのである。

女の誠実さというものは偉大なものだ、とりわけ男の要求をその厚意に感謝しながら懇ろに断る場合にそうである。

女のそういう誠実さはいつも測り知れず、理解しがたい。

恋する男が、どんなに苦しくとも、怒りの言葉をひとことも女に浴びせることなく、かえって女をだまして、自分を欺くとはけしからん男だと思っている女の思い違いを強めてやるという、より深刻な復讐に甘んずるだけのユーモアを失わずにいるとしたら、この場面は実に愉快なものになることだろう。



> > > > > > > > > > Jan Garbarek & The Hilliard Ensemble - Ov zarmanali
> > > > > > > > > > http://www.youtube.com/watch?v=eL2b4Y2_qxY&feature=mfu_in_order&list=UL
> > > > > > > > > >
> > > > > > > > > > わが沈黙の共犯者よ!
> > > > > > > > > >
> > > > > > > > > > ぼくの生活はぎりぎりまで押しつめられました。この世に生きているのがたまらなくいやです。味わいも意味もない生活です。人々が提供してくれる説明など、たとえばピエロ以上に飢えていたにしても、ぼくは食いたく思わないでしょう。

> > > > > > > > > Arvo Pärt - Sarah Was Ninety Years Old (Part 1 of 3)
> > > > > > > > > http://www.youtube.com/watch?v=g0Usv4O9lSQ&feature=BF&list=QL&index=29
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > ぼくの理性は立ちどまっています、というよりも、ぼくは理性と別れている、といったほうが当たっているでしょう?
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > ある瞬間には、ぼくは疲れ果てて、生気を失い、無関心のあまりまるで死んだようになります。また他の瞬間には、ぼくは荒れ狂って、誰かぼくの怒りを放散することのできる相手を見つけるために、世界の極(はて)から極まで絶望的に駆け廻ります。ぼくという存在のうちにある一切のものが、自分自身と矛盾して喚(わめ)いています。

> > > > > > > > Carmen McRae - Trouble Is A Man
> > > > > > > > http://www.youtube.com/watch?v=_zhboeJkNGg&feature=related
> > > > > > > >
> > > > > > > > http://lyricsplayground.com/alpha/songs/t/troubleisaman.shtml
> > > > > > > > ぼくは何か災難にあったのではないでしょうか、あの事件はひとつの災難なのではないでしょうか?
> > > > > > > > 現実があらわれるその瞬間に、すべては失われたのです。そのときはもう手おくれです。彼女がそこに見いだそうとする現実は、ぼくにとっては、ぼくの本来の精神的現実につきそって走る影にすぎません、あるいはぼくを笑わせようとし、あるいはぼくの生活を侵して掻き乱そうとする影なのです。
> > > > > > > >
> > > > > > > > つまりは、まるで影をつかもうとでもするかのように、あるいは影に向かって手を差しのべようととでもするかのように、ぼくは手探りしながら彼女をつかもうとするようなことになるでしょう。

> > > > > > > > 名前こそありませんが、それでもおそらくはぼくは、あなたにとってつねに何ものかであるだろうと思います。
> > > > > > > >
> > > > > > > > そしていかなる場合にもかわらぬあなたの忠実な友です。
> > > > > > > >
> > > > > > > >                                  敬具



[53708] 関係はできたが実現の見込みはないという場合には、思いやりが最大の侮辱である。Re:[53706] わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。Re:[53703] 神よ、すべての男をそういう誠実さから守りたまえ!Re:[53699] 自分自身の死刑判決書Re:[53698] 汝(いまし)へのあこがれ絶えずRe:[53692] わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。Re:[53690] もし反復ということがなかったら、人生とはそもそも何であろう?Re:[53677] ぼくの苦痛と悩みには名前がありません。Re:[53676] ・・・Re:[53674] わが沈黙の共犯者よ! 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/01/20(Thu) 11:08  

ねんやらほANNEX−Ω   訪問者数:2320806(今日:190/昨日:467)2011/01/20(Thu) 09:23

> ねやれおむANNEX−Ω   訪問者数:2320276(今日:127/昨日:387)2011/01/19(Wed) 08:35
>
> > かこのるにANNEX−Ω   訪問者数:2319855(今日:93/昨日:419)2011/01/18(Tue) 08:04
> >
> > > ちたすすけANNEX−Ω   訪問者数:2319471(今日:128/昨日:482)2011/01/17(Mon) 08:27
> > >
> > > > ぬりつぬろANNEX−Ω   訪問者数:2319203(今日:342/昨日:614)2011/01/16(Sun) 17:45
> > > >
> > > > > うけみさそANNEX−Ω   訪問者数:2318342(今日:95/昨日:529)2011/01/15(Sat) 06:20
> > > > >
> > > > > > よよくつるANNEX−Ω   訪問者数:2317875(今日:157/昨日:605)2011/01/14(Fri) 09:13
> > > > > >
> > > > > > > しるむひえANNEX−Ω   訪問者数:2315116(今日:152/昨日:510)2011/01/09(Sun) 05:17
> > > > > > >
> > > > > > > > ぬへひたやANNEX−Ω   訪問者数:2314580(今日:126/昨日:555)2011/01/08(Sat) 06:48
> > > > > > > >
> > > > > > > > > せすゆすにANNEX−Ω   訪問者数:2314121(今日:222/昨日:513)2011/01/07(Fri) 09:37
> > > > > >
> > > > > > Lizz Wright - The First and Last to Love Me (K. Hanrahan)
> > > > > > http://www.youtube.com/watch?v=E8Dp21T8c7c&feature=BF&list=QL&index=25
> > > > > >
> > > > > > 追憶の恋のみが幸福な恋である、とある作家が言った。その恋がまずひとを不幸にするのを追憶するというだけのことであるなら、まったくそのとおりである。
> > > > > >
> > > > > > ほんとうは、反復の恋こそ唯一の幸福な恋なのだ。
> > > > > >
> > > > > > 反復の恋には、追憶の恋と同じように、期待と不安定さがない。探検に伴う不安な冒険もない、しかしまた、追憶のもつ哀愁もない、そこには瞬間の至福な確実さがある。
> > > > > >
> > > > > > 期待は新調の衣服で、ぱりっとして、しかもきらびやかである。しかしそれはまだ着てみたわけではない、だから、はたして体にぴったり合うかどうか、またよく似合うかどうかもわからない。
> > > > > >
> > > > > > 追憶はもう着なくなった古着である、それがどんなに美しくても、いまでは体のほうが大きくなってもうどうにも身丈があわない。
> > > > > >
> > > > > > 反復は着古されることのない着物である。それはぴったりと着心地よく体に合い、窮屈でもなければだぶつきもしない。
> > > > > >
> > > > > > 期待は追う手をすり抜けてゆくかわいい娘である。
> > > > > >
> > > > > > 追憶は美しくはあるが今ではもうけっして用を足せない老婆である。
> > > > > >
> > > > > > 反復はいつまでも飽きることのない愛妻である。
> > > > > >
> > > > > > 飽きがくるのは新しいものに限っているからだ。古いものはけっして飽きることがない、そして古いものが目の前にあると、ひとは幸福になる、しかも、反復が何か新しいものでなければならぬかのような思い違いをしないひとだけが、本当に幸福になる。もしそういう思い違いをしていたら、ひとはやがて反復にも飽きてしまうだろう。
> > > > > >
> > > > > > 期待するには若さが要る、追憶するには若さが要る。
> > > > > >
> > > > > > しかし、
> > > > > >
> > > > > > 反復を欲するには勇気が要る。
> > > > > >
> > > > > > 期待するしか欲しないものは卑怯である。
> > > > > >
> > > > > > 追憶をしか欲しないものは淫らである。
> > > > > >
> > > > > > しかし、
> > > > > >
> > > > > > 反復を欲するものは男である。
> > > > > >
> > > > > > そして、
> > > > > >
> > > > > > このことをしっかりと自覚するにつれて、ひとはそれだけ深みのある人間になる。
> > > > > >
> > > > > > ところが、
> > > > > >
> > > > > > 人生は反復であり、そして反復こそ人生の美しさであることを理解しないものは、手ずから自分に判決をくだしたも同然で、所詮まぬがれられぬ運命、つまり自滅するほかあるまい。
> > > > > >
> > > > > > 思うに、
> > > > > >
> > > > > > 期待はひとをさしまねく果実ではあるが、腹の足しにはならぬ。
> > > > > >
> > > > > > 追憶はまことに乏しい糊口の資で、これまた腹を満たすには足りない。
> > > > > >
> > > > > > ところが反復は日々のパンである、それは祝福をもって満腹にさせてくれる。
> > > > > >
> > > > > > ひとたび人世を周航してみれば、人生が反復であることを理解するだけに勇気がもてるかどうか、また、反復を楽しむ気持になれるかどうかが明らかになるだろう。生きることをはじめる前にまず人生を周航しなかったものは、けっして生きることにはならないだろう。人世を周航してはみたがうんざりしたというひとは、虚弱な体質の持ち主だったのだ。
> > > > > >
> > > > > > 反復を選んだ人、その人だけがほんとうに生きるのである。
> > > > > >
> > > > > > 彼は子供みたいに蝶を追いまわしはしない、この世の栄耀栄華をのぞくために爪立ちしたりもしない、彼はそれを知っているからだ。
> > > > > >
> > > > > > 彼はまた老婆のように紡ぎ車の前に坐って追憶の糸を紡ぐこともしない。
> > > > > >
> > > > > > むしろ、
> > > > > >
> > > > > > 彼は反復を楽しみながら、心静かにわが道を歩む。
> > > > > >
> > > > > > ほんとうに、もし反復ということがなかったら、人生とはそもそも何であろう?
> > > > >
> > > > > Edyta Gorniak - Hello (Gala RMF FM) [Live] HQ DIVA
> > > > > http://www.youtube.com/watch?v=AWsesrdS1Jg&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=26
> > > > >
> > > > > 時が瞬間ごとに新しい文字を書きつらねてゆく石板になることを、あるいは過去の碑銘になることを、誰がこいねがうであろうか?
> > > > >
> > > > > 次から次へと新しいものに打ち興じさせて魂を柔弱にしてしまうあらゆる果敢(はか)ないもの、目新しいものに、それからそれへと心を奪われることを、誰がこいねがうであろうか?
> > > > >
> > > > > 神みずからが反復を望まれたのでなかったら、世界はけっして生成しなかったであろう。神は期待するままに絶えず新しい計画を立ててゆくか、それとも、万物をもとへ呼び戻して、追憶のなかに保存するかしたことであろう。しかし、神はそうしなかった、だから世界はこうして存立しているのだ、しかも、それは反復であることによって存立しているのである。
> > > > >
> > > > > 反復、これが現実なのだ、人の世の厳粛さなのだ、反復を欲するものは厳粛さにおいて成熟しているのだ。
> > > > >
> > > > > これはわたしの単独投票なのだが、そこには同時にこういう意味が含まれている。
> > > > >
> > > > > ソファにどっかと腰をおろして楊枝で歯をほじくっていたりーーーそしておまけに、たいした人物、たとえば法律顧問でござるとばかり勿体(もったい)ぶるとか、あるいは、偉容をととのえて街上を闊歩したりーーーそしておまけに、たいした人物、たとえばなんとか尊師でございますとばかりに尊大ぶるとかするのは、けっして人生の厳粛さではない。そういう勿体ぶった態度は、国王の調馬師だといって得意になるのと同じように、人生の厳粛さではない。
> > > > >
> > > > > そのようなことはすべて、
> > > > >
> > > > > わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。
> > > >
> > > > Lizz Wright's Version of 'Hey Mann'
> > > > http://www.youtube.com/watch?v=_Wp8-ahXVFI&feature=BF&list=QL&index=31
> > > >
> > > > 恋するものはよく恋の甘い不安を詩人の言葉に託して吐き出しながら歓喜に酔うものだが、彼もそうだった。彼は部屋のなかを往きつ戻りつしながら、ポウル・メラーの詩の一節を幾度も繰り返した。
> > > >
> > > >     わが古きゆり椅子に
> > > >       立ち返りくる若き日の夢
> > > >     女性(おみな)らの太陽(ひ)と照り映ゆる
> > > >       汝(いまし)へのあこがれ絶えず
> > > >
> > > > ・・・メランコリックな男に恋をさせてみるがいい、そしたら何もかも消し飛んでしまう、とよくきまったように言われる。しかし、彼がほんとうにメランコリックであるなら、彼にとって何よりも重大な事柄を彼の心がどうしてメランコリックに考えずにいられるだろうか。
> > > >
> > > > 彼は深くそして熱烈に恋している、これは明らかだ。
> > > >
> > > > それだのに、彼は最初の日からもう彼の恋愛を追憶できる状態にある。
> > > >
> > > > つまり、彼は恋愛関係をすでにすっかり完了しているのである。始めるときにおそろしく大股に歩いたために、彼は人生を飛び越してしまったのだ。・・・
> > >
> > > Frank Sinatra - Only the Lonely
> > > http://www.youtube.com/watch?v=bef_s1Bhn7o&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=59
> > >
> > > 追憶は喪失から始まるという大きな利益をもっている、だからそれは安全だ、失うべき何ものももたないからである。
> > >
> > > 彼女は彼の恋人であった。彼がかつて愛した唯一の恋人、彼がいつか愛するようになるかもしれない唯一の恋人であった。しかし、それだのにまた、彼は彼女を愛してはいなかった、彼はただ彼女に憧れていただけだったのだ。
> > >
> > > あの少女は彼の恋人ではなかったのだ。彼女は彼のうちに詩的なものを目覚めさせ彼を詩人にする誘因だったのである。
> > >
> > > だからこそ、彼は彼女だけを愛することができ、彼女をけっして忘れることができず、けっしてほかの女を愛しようとはしなかったのだ。けれども、彼はつねに彼女をただ憧れていただけのことであった。
> > >
> > > 彼女は彼自身の全存在のなかに吸収されてしまったのである。彼女の思い出はいつまでもいきいきと残ることだろう。
> > >
> > > 彼女は彼にとってあまりに大きい意味をもってしまった、彼女は彼を詩人に仕上げてしまったのだ、
> > >
> > > だからつまり、
> > >
> > > 彼女は自分自身の死刑判決書に署名してしまったのだ。
> >
> > Kenny Rogers - Lady
> > http://www.youtube.com/watch?v=Tj_NjLBPotQ&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=11
> >
> > 時の経つにつれて、彼の恋愛関係は悩みを加えていった。彼の憂鬱はしだいに勢いを得、彼の肉体力は心の葛藤にすり減らされていった。彼は自分が彼女を不幸にしたことをさとった、けれでも彼はなんら間違いを犯した覚えはなかった。しかし少しも責任(つみ)がないのに彼女の不幸の責めを負わねばならぬということ、まさしくこのことが現に彼には躓き(つまづき)であり、彼の激情をはげしくかきたてるのであった。
> >
> > それにしても、詩人的な憂鬱な性(たち)の男に愛されるほど若い娘にとって誘惑的なことはあるまい。
> >
> > 諦めることをしないで男にうるさくつきまとい、それが真実に男を愛していることの証明だなどと自惚れるほど利己的な女があるとしたら、そういう女の一生の任務はまことに安易なもので、誠実だという名誉と疚しからぬ良心を、同時にまたごく上品に洗練された恋愛までも、わけなく享受できるだろう。
> >
> > 神よ、すべての男をそういう誠実さから守りたまえ!
>
> Vera Lynn - As Time Goes By
> http://www.youtube.com/watch?v=S8F9NzVuIuA&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=1
>
> 恋がイデーによって支えられている場合には、どんな動きも、どのようなかりそめの感動も、みなそれぞれ意味をもってくる。そこにはいちばん肝心なもの、詩的葛藤がつねに現存しているからである。
>
> しかもこの葛藤は、わたしの知っているかぎりでお、わたしがここに描いているそれよりも時としてはるかに恐ろしいものであることがある。
>
> どんな美人もイデーほど気むずかしくはない。娘の不興など、イデーの怒りに比べると、まだしも堪えやすい、しかも何より、イデーの怒りだけはとうてい忘れられるものではない。
>
> わたしはレタスが好きだが、いつも芯だけしか食べない、葉は豚にやるものだとわたしは思っている。
>
> わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。
>
> これに文句をつけたい人はなんとでもいうがいい、わたしは意に介しない。

It's Over-Gato Barbieri
http://www.youtube.com/watch?v=ksmLewp4vf8&feature=BF&list=QL&index=4

時が経った。わたしも差しつかえのないときには、彼女の夜の祈祷に立ち会った。そこで彼女はその一日の償いに、大声をたてて喚きながら、思う存分胸の思いを吐き出した。昼間は男を蠱惑するのに費やしたからだった。

岩角に釘づけにされたプロメテウスが、禿鷹に肝臓をついばまれながら、その語る予言によって神々を惹きつけるように、彼女は恋人を惹きつけた。

くる日もくる日も、すべてがささげつくされた、その日その日が最後であったから。だが、それがいつまでもつづくわけではなかった。

彼女はおのれを縛りつけている鎖を噛んでみた。しかし、彼女の激情がたけりたてばたけりたつほど、彼女の歌はいよいよ甘く、彼女の言葉はいよいよ優しく、鎖はいよいよ固くなった。

この誤解から現実の関係を作り上げるなどということは、彼女には不可能だった。それこそ彼を永久の欺瞞にゆだねることだった。

彼女の思い、彼女の心は、実は彼とは別のものを、つまり、彼女が彼に象徴させているものを求めているのであって、彼はその憧憬の化身にすぎないといって彼の思い違いを説明してやるのは、彼を深く傷つけることで、それには彼女の誇りが憤りを感ずるのであった。そういうやり口は、彼女の何よりも軽蔑するものであった。

それはまた彼女として当然なことだった。

男を欺き誘惑するのは軽蔑すべきことである、しかし、あなたはわたしの理想ではなかったのだと説明して男をいいくるめたり、あなたは詩神にすぎなかったのだといって男をなだめたり、自分を悪者にしないばかりか立派な逃げ道までもこしらえて男を見捨ててしまうというのは、さらに軽蔑すべきことである。

男をくどく経験を多少とも積んだものなら、それくらいのことはわけなくやってのけるだろう。

せっぱつまって男のほうでもその申し出に応ずるだろう。こうして首尾よく逃げおおせたうえに、しかも正直な人ということになる、親切な人ということにさえなる。

しかしあとになってみると、だまされていたことを知っている男よりもいっそう深い傷を、その男は心に負っているのである。

だからどんな恋愛関係においても、関係はできたが実現の見込みはないという場合には、思いやりが最大の侮辱である。

エロス的な目をもちしかも臆病でない女なら、思いやりをもたないということが、男の体面を保ってやるための残された唯一の方法だということを、容易に理解するだろう。




> > > > > > > > > Jan Garbarek & The Hilliard Ensemble - Ov zarmanali
> > > > > > > > > http://www.youtube.com/watch?v=eL2b4Y2_qxY&feature=mfu_in_order&list=UL
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > わが沈黙の共犯者よ!
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > ぼくの生活はぎりぎりまで押しつめられました。この世に生きているのがたまらなくいやです。味わいも意味もない生活です。人々が提供してくれる説明など、たとえばピエロ以上に飢えていたにしても、ぼくは食いたく思わないでしょう。ひとは指先を大地にさしこんで、自分がどんな土地にいるのか嗅ぎわけます。ぼくは人生に指先をさしこみますーーーそれはなんの臭いもしません。
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > ぼくはどこにいるのでしょう?
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > 世界!
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > それは何をいうのでしょう?
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > この言葉は何を意味するのしょう?
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > ぼくをこの世界のなかへおびき入れて、ここにこうしてほったらかしておく人は誰なのでしょう?
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > ぼくは誰なのでしょう?

割愛

> > > > > > > > > 責めーーーこれはどういう意味なのでしょう?
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > それは魔法でしょうか?
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > ひとりの人間がどうして責めを追うようなことになるのかは、はっきりわからないことなのでしょうか?
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > 答えようとするひとはないのですか?
> > > > > > > > >
> > > > > > > > > 関係者である皆さんにとって、これはきわめて重大な問題ではないのでしょうか?
> > > > > > > >
> > > > > > > > Arvo Pärt - Sarah Was Ninety Years Old (Part 1 of 3)
> > > > > > > > http://www.youtube.com/watch?v=g0Usv4O9lSQ&feature=BF&list=QL&index=29
> > > > > > > >
> > > > > > > > ぼくの理性は立ちどまっています、というよりも、ぼくは理性と別れている、といったほうが当たっているでしょう?
> > > > > > > >
> > > > > > > > ある瞬間には、ぼくは疲れ果てて、生気を失い、無関心のあまりまるで死んだようになります。また他の瞬間には、ぼくは荒れ狂って、誰かぼくの怒りを放散することのできる相手を見つけるために、世界の極(はて)から極まで絶望的に駆け廻ります。ぼくという存在のうちにある一切のものが、自分自身と矛盾して喚(わめ)いています。
> > > > > > > >
> > > > > > > > どうしてぼくは責めあるものになったのでしょうか?
> > > > > > > >
> > > > > > > > それともぼくには責めがないのでしょうか?
> > > > > > > >
> > > > > > > > それならなぜぼくはすべての人の口の端にかかってそう呼ばれるのでしょう?
> > > > > > > >
> > > > > > > > 口でいうことと心で思うこととが違うとしたら、人間の言葉というものはなんというくだらぬ発明なのでしょう。
> > > > > > >
> > > > > > > Carmen McRae - Trouble Is A Man
> > > > > > > http://www.youtube.com/watch?v=_zhboeJkNGg&feature=related
> > > > > > >
> > > > > > > http://lyricsplayground.com/alpha/songs/t/troubleisaman.shtml
> > > > > > > ぼくは何か災難にあったのではないでしょうか、あの事件はひとつの災難なのではないでしょうか?
> > > > > > >
> > > > > > > ぼくという存在全体が変化を受け、ぼくが別な人間になるということを、ぼくはあらかじめ知ることができたでしょうか?

割愛

> > > > > > > 現実があらわれるその瞬間に、すべては失われたのです。そのときはもう手おくれです。彼女がそこに見いだそうとする現実は、ぼくにとっては、ぼくの本来の精神的現実につきそって走る影にすぎません、あるいはぼくを笑わせようとし、あるいはぼくの生活を侵して掻き乱そうとする影なのです。
> > > > > > >
> > > > > > > つまりは、まるで影をつかもうとでもするかのように、あるいは影に向かって手を差しのべようととでもするかのように、ぼくは手探りしながら彼女をつかもうとするようなことになるでしょう。
> > > > > > >
> > > > > > > そのときこそ、彼女の生活は空費されたことになるのではないでしょうか?
> > > > > > >
> > > > > > > それこそ彼女はぼくにとって死んだも同然になります。・・・中略・・・・
> > > > > > >
> > > > > > > ーーーそれとも、あの事件をすっかり忘れてしまうのが、いちばんいいのでしょうか?
> > > > > > >
> > > > > > > 忘れるなんて!
> > > > > > >
> > > > > > > あれを忘れるなら、ぼくは生きていることをやめたにひとしいではありませんか。
> > > > > > >
> > > > > > > 愛する娘といっしょに名誉と誇りまでも失ったことは、しかもどうしてそういうことになったのか、なぜぼくがその償いをすることができないのか、それが誰にもわからないというふうな失いかたをしたとは、いったなんという人生なのでしょう?

割愛

> > > > > > > ぼくがなにを言おうとしたところで、それがなんの役に立つでしょう。・・略。ぼくの苦痛と悩みには名前がありません。ぼく自身に名前がないのと同じです。
> > > > > > >
> > > > > > > 名前こそありませんが、それでもおそらくはぼくは、あなたにとってつねに何ものかであるだろうと思います。
> > > > > > >
> > > > > > > そしていかなる場合にもかわらぬあなたの忠実な友です。
> > > > > > >
> > > > > > >                                  敬具



[53707] 骨肉内臓で奏でる歌曲はひとそのもの。Re:[53630] O+GOD=GOOD!Re:[53624] another とは、an other ですから、今とは違うまた別の賭博にして色恋がしたい、という貪欲に捉われている苦渋、皮相で愉悦に満たされていても、決して満足できない飢餓感、さういう表に出さない愚痴も後悔もあったわけで・・さういう愚痴も後悔もあった、別れてしまったYOUなのか新しいYOUなのか、そこはわかりませんが・・いまや愛情に溢れて、最後にもう一度繰り返すこの最終章にいたるわけです。Re:[53623] 苦渋の祈りと諧謔の乾杯!その苦い乾杯の味がわからぬでは、この歌の「鳥肌」も単なる痒みに堕してしまうやうな・・そんな気がしますがRe:[53622] 借過 Excuse Me Re:[53621] 身につまされますね。その身のありやう。Re:[53601] この言説の論理に顕著なことは、主語ではなくて動詞、述語で、同一性を謂い募るわけで、これも、認知の退行現象であり、場合によって病的現象でもあります。Re:[53600] わたしは愛されないひと とか みんなわたしをいらないという とかいう言説もよくみうけられますが・・・Re:[53599] 遠く大陸と大洋をさ迷って魔術的に出会ったこの智慧のある少年の一語一慧に凝縮されておるんどすけん、さういう遠く大陸と大洋をさ迷った分裂トラウマを如何に己の人生に生かすのかは、畢竟、己自身にかかっておる。THE GREATEST THING YOU’LL EVER LEARN IS JUST TO LOVE and TO BE LOVED♪くっちゃべり〜くんの幼稚な言説にはいろいろつっこみもできますが、弔辞のあとですから、遠慮して、くっちゃべり〜くんにお似合いの画面でしめませう。Re:[53598] 李   隆 (イユン、山口県下関市、44歳) 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/01/20(Thu) 08:41  

れとれしほANNEX−Ω   訪問者数:2320756(今日:140/昨日:467)2011/01/20(Thu) 08:29

Harlem Nocturne Sam Taylor
http://www.youtube.com/watch?v=0xr4Ex8i-lw&feature=BF&list=QL&index=27

書き込みがでけなくなって、怒り心頭、であったが、なんちゅうこともなく、娘にきけば、ワイヤレスキーボードの電池切れとか、老いて無知の怒りも恥ずかしいものですね。

> にうろそろANNEX−Ω   訪問者数:2295327(今日:373/昨日:492)2010/12/07(Mon) 10:09
>
> さて、少し整理してと特化しませう。
>
> > あきわあみANNEX−Ω   訪問者数:2294335(今日:408/昨日:508)2010/12/03(Fri) 18:39
> >
> > Shirley Horn "The Very Thought Of You"
> > http://www.youtube.com/watch?v=pbSoQuEnZSk&feature=BF&list=QL&index=10

> > > > > Jacintha - Here's to life (HQ Audio)
> > > > > http://www.youtube.com/watch?v=uwHcxRVSdXI&list=QL&playnext=1
> >
> > > Shirley Horn - Here's To Life!
> > > http://www.youtube.com/watch?v=jUN3EAtBeko&feature=BF&list=QL&index=6
> >
> > Jacinthaのほうが潤いがありますが、寂びと侘びは流石にShirley Hornですね。
> >
> > 下記の歌詞は上記2名の詩とはほんの少し違いますが、ほとんどかわりません。
> >
> > この詩のまとまりを壊すのも忍びないのですが、割って入ります。
> >
> > > > > Music and Lyrics by Artie Butler and Phyllis Molinary
> > > > >
> > > > > No complaints and no regrets
> > > > > I still believe in chasing dreams and placing bets
> > > > > For I have learned that all you give is all you get
> > > > > So give it all you've got
> > > > >
> > > > > I had my share, I drank my fill
> > > > > And even though I'm satisfied, I'm hungry still
> > > > > To see what's down another road, beyond a hill
> > > > > And do it all again
> > > > >
> > > > > So here's to life
> > > > > And all the joy it brings
> > > > > Yes, here's to life
> > > > > And dreamers and their dreams
> >
> > まず、ここまでが、ひとまとまりで・・賭場が酒場に重なり、そして人生行路へ重なって行くという風に景色がうつってゆき、それらの愉悦と夢見人らと夢夢夢に乾杯とゆくのですが・・
> >
> > つぎのFunnyからこの人生行路、賭場、酒場が色恋と重なってくるんですね。
> >
> > > > > Funny, funny how the time just flies
> > > > > How love can go from warm hellos to sad goodbyes
> > > > > And leave you with the memories you've memorized
> > > > > To keep your winters warm
> > > > >
> > > > > But there's no yes in yesterday
> > > > > And who knows what tomorrow brings or takes away
> > > > > As long as I'm still in the game, I want to play
> > > > > For laughs, for life, for love
> > > > >
> > > > > So here's to life
> > > > > And all the joy it brings
> > > > > Yes, here's to life
> > > > > And dreamers and their dreams
> >
> > この色恋は賭場の匂いを紛々と残しながら、そこに幾許かの苦さが漂い始めるんですが、それでもまだ乾杯は、人生とその愉悦とその夢見人らとその夢夢夢のためなんですね。
> >
> > I want to play 
> > のplay(演じる、遊ぶ、もてあそぶ)する
> >
> > for laughs, for life, for love
> >
> > は
> >
> > laughs,life,loveとLそろいですが、laughsは単なる「笑い」ではなく複数で「気晴らし」の意味になりますし、同様にlifeもloveも、意味はいろいろなニュアンスがあるわけで、ここでは、頭の気晴らしの演技、人生、色恋のゲームというところでせうね。
> >
> > しかしながら、そのほろ苦さをも含んだ愉悦もいつかは嵐に化す、而してその嵐、ストームですが、人生行路の嵐であると同時にこれはファイヤーストームのストームのように、賭場での運不運の嵐であり、またまたお互いの人間関係に於ける狂気の嵐でもありませうが・・
> >
> > > > > May all your storms be weathered
> > > > > And all that's good get better
> > > > > Here's to life
> > > > > Here's to love
> > > > > Here's to you
> >
> > ここに至って、play for laughs, for life, for love の気晴らしのlaughsはきえさって、life, love, youと変化してくる。
> >
> > つまり、最初の2段では・・So here's to life And all the joy it brings Yes, here's to life And dreamers and their dreams という
> > 人生とその愉悦とその夢見人らとその夢夢夢のための乾杯は、内容がかわってきて、愉悦も夢も夢見人もいなくって、life, love, youと変化してくる。
> >
> > つまりここに至って、life, loveという表面は以前と同じ言葉もその内容が俄然と変わってくる、それを変える契機は、最初の第一段落では陰に隠れていたYOUの出現なんですね。
> >
> > 果たして、そのyouのあいりようは如何に?
> >
> > その鍵は出だしの・・No complaints and no regrets、にあるかと。
> >
> > これは、自分に云うと同時に相手つまりyouにも云っている。
> >
> > 愚痴はいらない、後悔もいらない。
> >
> > でも、かういっていることこそが、愚痴も後悔もあるわけで・・
> >
> > その愚痴と後悔が、たらふく呑んでもものたりない飢餓状態、それは酒の渇きとであると同時に賭博の色恋の渇きであるからこそ、To see what's down another road, beyond a hill、つまり another とは、an other ですから、今とは違うまた別の賭博にして色恋がしたい、という貪欲に捉われている苦渋、皮相で愉悦に満たされていても、決して満足できない飢餓感、さういう表に出さない愚痴も後悔もあったわけで・・
> >
> > さういう愚痴も後悔もあった、別れてしまったYOUなのか新しいYOUなのか、そこはわかりませんが・・いまや愛情に溢れて、最後にもう一度繰り返すこの最終章にいたるわけです。
> >
> > > > > May all your storms be weathered
> > > > > And all that's good get better
> > > > > Here's to life
> > > > > Here's to love
> > > > > Here's to you
> > > > >
> > > > > 身につまされますね。その身のありやう。
> > > > >
> > > > > 骨から癒すか。

打楽器

> > > > > 肉から癒すか。

弦楽器

> > > > > 内臓から癒すか。

管楽器

骨肉内臓で奏でる歌曲はひとそのもの。

> > > :*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★。
> > >
> > > ところで、かういう間違いらしきものもあります。
> > >
> > > 詩を訳すことはやさしくはありませんので、この訳者の努力には敬意を表しますが・・
> >
> > ま、ソレガシの勝手な解釈ですが、かういう見方もできるということですね。
> >
> > さらに、一文、一文こまかく味わいを記せば、さらにハッキリしますが、今夜のところはこのへんで・・
>
> さて、下記のYOUTUBEはまたしても削除されてしまっていますが・・再掲してこまかくやってみます。なんだか、昔の谷内修三くんめいてきて、こんな詩を料理してみました、ちうか、ま、俳句でも詩でも思想でも、その逃避ぢゃのうて当否は別にしても、一応自分なりに料理して消化してみる、さすれば毒になる栄養になるか、食わず嫌いのむきもあるでせうが、なんでも好奇心でやってみたら、徹底的に突っ込んでみて己がものにする、ちうとこれまた貪欲ですが、己がものがすなわち汝がものなんですから、触ることは触られること、かういう詩に触れられたとりもなおさず触れかえす、かのIN RETUNではあらへんけんども、ま、相補ならぬ相互性の味わいでもあらうかと・・
>
> > Barbra Streisand
> > Here's To Life
> > Love Is The Answer 2009
> >
> > Music and Lyrics by Artie Butler and Phyllis Molinary
> >
> > No complaints and no regrets
>
> 愚痴を言うんならもう帰りますよ、と云ったお方もおられましたね。
>
> 愚痴と後悔は、古来云うべきものにあらず、するべきものにあらずということで、近世では宮本武蔵の五輪の書にもでてきますし、海の向う側のフランク支那虎のMAY WAYでも武蔵の飲み込みに対して唾を吐き出しやうにspit outしちゃうとか、いろんな場面でいろいろに歌われ、もちろん、心理学でも、精神医学でも、思想でも、いろいろな解析がなされていますが、ま、さういう分析よりも、やっぱし、一つの塊として、愚痴や後悔を歌った歌のはうが生活実感があるかもしれませんね。
>
> ということは、畢竟、この歌も、No complaints and no regrets とはいいながら、 complaints and regrets の歌である、ということは、いわずもながらに明らかなのですが、それを皮相のコトバでは No complaints and no regrets で joy や laughs(気晴らし)、And dreamers and their dreams 畢竟、夢見人と夢夢夢で現実逃避の歌とみれなくもありませんね、すくなくとも、最終にリフレインされる二つ章までは。
>
> > I still believe in chasing dreams and placing bets
>
> この still という、未だに、という一語、未だに信じている、拘っている、という言い方に、さういうものを信じてはいけない、拘ってはいけない、いけないというまでもなく、さうぢゃないありよう、生き方というものへの意識、無意識がこのSTILLの一語にも滲み出ていますね。
>
> believe in ちうのんは、believe in God とか、さういう believe in で、いまや、中世の神が全能の時代でもなく、神は死んだ、殺された時代ですから、この believe in も、ま、信じるとはいえ多々あるものの一つへのコダワリにすぎない、ともいえるんではないでせうか。
>
> なんとなれば、 chasing dreams and placing bets なんちうもんは、畢竟、ゲームであるちうことは、この歌の意識にすら上っているんですから。
>
> さらに、chasing dreams and placing bets が、連想させることに人生の多様さもまたこのコトバの選択のうまさでせうが、現実、自分の足もとがしっかりしないで、浮き足だって夢を追いかけ、はたまた、placing bets あのラスベガスでチップを積む、賭けの現金でもいいのですが、究極は自分の身体や命まで、賭場のチップにように置いて賭けてしまう、そんな風景ですね。
>
> この賭場の風景は、のちほど出てきて明らかになるやうに、色恋と重なっているんですから、この次の風景は、その色恋で男女が二人だけでサシで賭けをしている風景とも受け取れますし、さういぢゃないともうけとれますが・・・。
>
> > For I have learned that all you give is all you get
> > So give it all you've got
>
> 二人だけなら、私に頂戴、ちうことになるんでせうが、さうぢゃなくんば、手に入れたものを手放しなさい、ということが与えるということなんでせうね。ただ手放すんぢゃのうて、誰にかしらんが、与え手放す、そもそもが、 all you give is all you get なんですから。ここにも、なんかしら賭博のありように引っ掛けながら人生のありようが歌われておって、それは、なんも賭けのチップでも現金でもはては身体や命でなくても、あらゆるわれらが知識、経験、思想に通じるものがありますわの。
>
> > I had my share, I drank my fill
>
> このmy shareという観念、概念、捉え方はソレガシにおいては、過去ことさら色恋や愛においては馴染まぬコンセプトなんですが、だうも、かういう、株式会社の株めいた言い方が、あちゃらのみならず、こちゃらでもいわれるようになって、たしかに、ケーキが冷蔵庫にあって、全部食っちゃえば、嗚呼、私の分まで食べられてしまったと非難されるのは、しょうがないとしても、いったい愛を基調とする関係において、自分の取り分とかシェアをうんぬんするその基盤がよくわからぬのですが、ともかく、ここでは、賭けの色恋ですから、私の取り分ということもでてきて、その取り分でたらふく呑むというのは、これは皮相のコトバであって、その深層、深読みをすれば・・風情が減殺されるのですが・・
>
> 古来云われておるやうに、はたまた近代現代の心理学精神医学でも議論されおるやうに、女性は取り込み欲求、飲み込み欲求が強い、それは男性の観念的なもしくは身に着ける名利への欲求の強さに比して、体内へ取り込めるものへの取り込もう、飲み込もうとする欲求がつよいわけで、その対象は男性であり、ましくは男性の一部であり、それが酒という比喩で歌われていることもママありますれば、かのジュリー倫敦ほかの、YOU GO TO MY HEAD
>
> Julie London - You Go to My Head
> http://www.youtube.com/watch?v=YmV5oThSwK4
>
> などになるわけですが、さういう意味で、酔っ払っても、酔っ払っても、もっと欲しい、男なんかフェッドアップ、こう吐き気がするすほどにたらふく食って呑んでも、まだ、もの足りない、また別のが欲しくなる、ま、さういう風景が、このコトバの皮相の裏には潜んでいるちうのんは、深層心理学に過ぎた見方でせうか?
>
> > And even though I'm satisfied, I'm hungry still
> > To see what's down another road, beyond a hill
> > And do it all again
>
> 畢竟、この景色は、賭博に重なっておって、お金をあるいは自分を色恋に賭ける、そのスリルの味わいんですね。
>
> まあ、パチンコでもマージャンでもラスベガスのバカラ、ルーレットでも、賭けで勝った玉やお金なんか、それを得るか失うかするスリルに比して屁でもねえ、ちうことであって、畢竟賭け事の醍醐味はそのスリルにあるわで、得失の成果は、単なる結果でしかすぎないのですから、賭け事は財産が果てるまでやりつづけ、賭けの色恋も身が果てるまでやりつづける。
>
> 丘に登る、ヒルクライムも、これまたある種の性的エクスタシーの比喩ですし、それを上り詰めて下るその爽快さもまたまたいろいろに解釈できるわけであって、そのアナザーロード、さいうことを繰り返したいちう貪欲な欲望のありやう。
>
> > So here's to life
> > And all the joy it brings
> > Yes, here's to life
> > And dreamers and their dreams
>
> まさに、それが人生であり、愉悦であり、夢見人と夢で・・これらに乾杯!これは、先のたらふく呑んだDRUNKに呼応する謂いで、さいうことの繰り返し、場を変え、対象を変えて・・
>
> > Funny, funny how the time just flies
>
> 光陰矢のごとくして
>
> > How love can go from warm hellos to sad goodbyes
>
> 荒淫もまた矢のごとし
>
> > And leave you with the memories you've memorized
>
> なにもモノサシぢゃないんだから・・
>
> > To keep your winters warm
>
> この keep your winters warmも、あちゃらの常套語ですね。
>
> > But there's no yes in yesterday
>
> この no yes も、また、賭博と色恋と酒と人生の no yes なんですね。
>
> つまり、引いてきたカードを、これはええとかわるいとか、いるとかいらないとか、美味しいとか不味いとか、幸運とか不運とか・・さいうことは、昨日までの過去ならばわかるけれども、明日はなにがくるのかはたまたとられてしまうのかわからない。
>
> > And who knows what tomorrow brings or takes away
>
> つまり、ここで隠れているのは、既知未知のセフレ、セックスフレンドであり、さいうもんとめぐり合う、あるいは失う、幸不幸、who knows what !!!
>
> > As long as I'm still in the game, I want to play
> > For laughs, for life, for love
>
> ま、さいう幸不幸にあっても、気晴らしのゲームなんだから、気晴らしの人生なんだから、気晴らしのラブなんだから・・
>
> > So here's to life
> > And all the joy it brings
> > Yes, here's to life
> > And dreamers and their dreams
>
> 愉悦と夢でいっぱいの人生に乾杯!ちう苦さ。
>
> > May all your storms be weathered
> > And all that's good get better
>
> しかし、まだこの期に及んでも、幸不幸の嵐のなかのグッドラックをベターラック、さらによくなりますようにと、欲張っているその夢身ぶりに・・
>
> > Here's to life
> > Here's to love
> > Here's to you
>
> joy愉悦やlaughs気晴らしやDream夢が消え去り、あらわれた汝が、その意味。
>
> > May all your storms be weathered
> > And all that's good get better
> > Here's to life
> > Here's to love
> > Here's to you
>
> O+GOD=GOOD!
>
> :*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★。
>
>
> > > いかにせん、ちょっと違う!
> > >
> > > これでは、『「Here's to Life」という歌の歌詞(和訳)を教えてください。
> > > この歌聴いたとき、鳥肌がたったもので。。お願いします。<(__)>』さんが気の毒だし、かういう訳詩では、この歌を誤解するむきもあるでせうね。
> > >
> > > やうは、
> > >
> > > here's to〜というのは、〜へ乾杯!
> > >
> > > ということで、それには、その未来を祝福する意味もありますから、「これから〜が始まる」というのも一概に誤りではありませんが、ちょっと意味がズレてくる。
> > >
> > > さらに、
> > >
> > > May all your storms be weathered
> > > And all that's good get better
> > >
> > > は祈りですから、「になりますように」という祈りであって単なる「だろう」ではありません。
> > >
> > > そして、そのことを踏まえれば、なによりも問題なのは、この歌の全体の雰囲気に流れている、JOYとLOVEとかLIFEとかYOUとかDREAMERとかDREAMSとかへの乾杯の皮相に隠れた苦悩、つまりゲームを演じている自分の悲哀が裏に隠れている、そこを見逃してはアルコールも気も抜けたビールですわね。
> > >
> > >
> > > その苦悩をことさらに隠す悲愴に皮相だから、FUNNYであって・・As long as I'm still in the game, I want to play for laughs, for life, for loveなんであって、それも still つまり「いまだに」ゲームのPLAY(遊び)にうつつを抜かしている自分を歌っているんぢゃあ、ないでせうかね?
> > >
> > > > > Funny, funny how the time just flies
> > > > > How love can go from warm hellos to sad goodbyes
> > > > > And leave you with the memories you've memorized
> > > > > To keep your winters warm
> > > > >
> > > > > But there's no yes in yesterday
> > > > > And who knows what tomorrow brings or takes away
> > > > > As long as I'm still in the game, I want to play
> > > > > For laughs, for life, for love
> > >
> > > このバーバラの歌詞と違う歌い方をShirley Horn - Here's to Life はしていて、Shirley Hornが、この Here's to Lifeを世に広めた最初の歌手ですから、そこも参考にして味わえば、PLAYの歌い方に強調とアクセントがあるのは明白ですね。and を to に変えているとこも・・つまり every JOYへも乾杯、苦渋の乾杯で・・
> > >
> > > この下記のベストアンサーたる日本語訳は、どうもこの歌のもっとも核心にして肝心な味わいを逃しているぢゃあ、ないかと・・・
> > >
> > > 最後に二度繰り返される
> > >
> > > > > May all your storms be weathered
> > > > > And all that's good get better
> > > > > Here's to life
> > > > > Here's to love
> > > > > Here's to you
> > >
> > > この祈りと乾杯は、このゲームのプレイヤーとの
> > >
> > > warm hellos to sad goodbyes
> > >
> > > これは複数ですから、複数のYOU,悲しい別れをしてしまったYOU、
> > >
> > > > > Funny, funny how the time just flies
> > > > > How love can go from warm hellos to sad goodbyes
> > >
> > >
> > > それがいまだにわからないからか、おれとも気づいていながらか、ことさらに自分のPLAYしているゲームに拘りFUNNYといい、さらには、
> > >
> > > > > How love can go from warm hellos to sad goodbyes
> > > > > And leave you with the memories you've memorized
> > > > > To keep your winters warm
> > >
> > > このkeep your winters warm の warm も、まあ、一種の諧謔なんぢゃないかと・・
> > >
> > > だから、FUNNY!
> > >
> > > そこを見逃し、最後の
> > >
> > > > > May all your storms be weathered
> > > > > And all that's good get better
> > > > > Here's to life
> > > > > Here's to love
> > > > > Here's to you
> > >
> > > の苦渋の祈りと諧謔の乾杯!
> > >
> > > その苦い乾杯の味がわからぬでは、この歌の「鳥肌」も単なる痒みに堕してしまうやうな・・そんな気がしますが
> > >
> > > http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1049300500
> > >
> > > ベストアンサーに選ばれた回答aristotelian_platoさん
> > >
> > > 「Here's To Life」 Shirley Horn
> > >
> > > 不平不満も無ければ後悔もしていない
> > > 私は今でも夢を追いかけて夢に賭けることが良いことだと信じている
> > > あなたが与えてくれるものはあなたが手に入れているものだということを
> > > 私は学んだからあなたが手に入れているもの全てを与えて欲しい
> > > 私は分け前をもらうと思う存分飲んだ
> > > 私は自分が満足している時でさえも
> > > あの丘の向こう側にある道の上にあるものを見て
> > > 全てをやり直そうとまだ渇望している
> > >
> > > だからここから人生が始まるのよ
> > > あらゆる喜びがもたらされる
> > > そう、ここから人生が始まるのよ
> > > 夢見る人たちが夢を追いかける
> > >
> > > 時がこんなに速く過ぎてしまうなんて不思議ね
> > > 愛がこんなに速く冷めてしまい悲しい別れを迎えることも不思議だし
> > > あなたが心に刻んだあなたの冬を暖め続けた想い出と共に
> > > 愛があなたを置き去りにしていけることも不思議
> > >
> > > 昨日の時点では確信は持てない
> > > 明日が何をもたらして何を持ち去るかなんて誰が分かるというの?
> > > 私はゲームに参加している限り
> > > 笑いや人生や愛のためにゲームをしていたい
> > >
> > > だからここから人生が始まるのよ
> > > あらゆる喜びがもたらされる
> > > そう、ここから人生が始まるのよ
> > > 夢見る人たちが夢を追いかける
> > > あなたは全ての難局を乗り切れるだろう
> > > 良いものは全てますます良くなる
> > >
> > > ここから人生が始まる
> > > ここから愛が始まる
> > > ここからあなたのもとへ向かう
> > > あなたは全ての難局を乗り切れるだろう
> > > 良いものは全てますます良くなる
> > > ここから人生が始まる
> > > ここから愛が始まる
> > > ここからあなたのもとへ向かう
> > >
> > > あなたは全ての難局を乗り切れるだろう
> > > 良いものは全てますます良くなる
> > > ここから人生が始まる
> > > ここから愛が始まる
> > > ここからあなたのもとへ向かう
> > >
> > > :*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★。
> > >
> > > > > > Once upon a time in the west - Finale
> > > > > > http://www.youtube.com/watch?v=Lo4lZuDoufs&feature=related
> > > > >
> > > > > > > Moments Like This - Julie London
> > > > > > > http://www.youtube.com/watch?v=k_cObZ5QafU&feature=BF&list=QL&index=1
>
> > > > > > > > Jon Hassell - Natuhttp://www.youtube.com/watch?v=b2COiOTnHVE&feature=BF&list=QL&index=94re Boy
>
> THE GREATEST THING YOU’LL EVER LEARN IS JUST TO LOVE and BE LOVED
>
> LOVEも多様ですね。

BY RETURN


[53706] わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。Re:[53703] 神よ、すべての男をそういう誠実さから守りたまえ!Re:[53699] 自分自身の死刑判決書Re:[53698] 汝(いまし)へのあこがれ絶えずRe:[53692] わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。Re:[53690] もし反復ということがなかったら、人生とはそもそも何であろう?Re:[53677] ぼくの苦痛と悩みには名前がありません。Re:[53676] ・・・Re:[53674] わが沈黙の共犯者よ! 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/01/19(Wed) 09:01  

ねやれおむANNEX−Ω   訪問者数:2320276(今日:127/昨日:387)2011/01/19(Wed) 08:35

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> > > > >
> > > > > Lizz Wright - The First and Last to Love Me (K. Hanrahan)
> > > > > http://www.youtube.com/watch?v=E8Dp21T8c7c&feature=BF&list=QL&index=25
> > > > >
> > > > > 追憶の恋のみが幸福な恋である、とある作家が言った。その恋がまずひとを不幸にするのを追憶するというだけのことであるなら、まったくそのとおりである。
> > > > >
> > > > > ほんとうは、反復の恋こそ唯一の幸福な恋なのだ。
> > > > >
> > > > > 反復の恋には、追憶の恋と同じように、期待と不安定さがない。探検に伴う不安な冒険もない、しかしまた、追憶のもつ哀愁もない、そこには瞬間の至福な確実さがある。
> > > > >
> > > > > 期待は新調の衣服で、ぱりっとして、しかもきらびやかである。しかしそれはまだ着てみたわけではない、だから、はたして体にぴったり合うかどうか、またよく似合うかどうかもわからない。
> > > > >
> > > > > 追憶はもう着なくなった古着である、それがどんなに美しくても、いまでは体のほうが大きくなってもうどうにも身丈があわない。
> > > > >
> > > > > 反復は着古されることのない着物である。それはぴったりと着心地よく体に合い、窮屈でもなければだぶつきもしない。
> > > > >
> > > > > 期待は追う手をすり抜けてゆくかわいい娘である。
> > > > >
> > > > > 追憶は美しくはあるが今ではもうけっして用を足せない老婆である。
> > > > >
> > > > > 反復はいつまでも飽きることのない愛妻である。
> > > > >
> > > > > 飽きがくるのは新しいものに限っているからだ。古いものはけっして飽きることがない、そして古いものが目の前にあると、ひとは幸福になる、しかも、反復が何か新しいものでなければならぬかのような思い違いをしないひとだけが、本当に幸福になる。もしそういう思い違いをしていたら、ひとはやがて反復にも飽きてしまうだろう。
> > > > >
> > > > > 期待するには若さが要る、追憶すには若さが要る。
> > > > >
> > > > > しかし、
> > > > >
> > > > > 反復を欲するには勇気が要る。
> > > > >
> > > > > 期待するしか欲しないものは卑怯である。
> > > > >
> > > > > 追憶をしか欲しないものは淫らである。
> > > > >
> > > > > しかし、
> > > > >
> > > > > 反復を欲するものは男である。
> > > > >
> > > > > そして、
> > > > >
> > > > > このことをしっかりと自覚するにつれて、ひとはそれだけ深みのある人間になる。
> > > > >
> > > > > ところが、
> > > > >
> > > > > 人生は反復であり、そして反復こそ人生の美しさであることを理解しないものは、手ずから自分に判決をくだしたも同然で、所詮まぬがれられぬ運命、つまり自滅するほかあるまい。
> > > > >
> > > > > 思うに、
> > > > >
> > > > > 期待はひとをさしまねく果実ではあるが、腹の足しにはならぬ。
> > > > >
> > > > > 追憶はまことに乏しい糊口の資で、これまた腹を満たすには足りない。
> > > > >
> > > > > ところが反復は日々のパンである、それは祝福をもって満腹にさせてくれる。
> > > > >
> > > > > ひとたび人世を周航してみれば、人生が反復であることを理解するだけに勇気がもてるかどうか、また、反復を楽しむ気持になれるかどうかが明らかになるだろう。生きることをはじめる前にまず人生を周航しなかったものは、けっして生きることにはならないだろう。人世を周航してはみたがうんざりしたというひとは、虚弱な体質の持ち主だったのだ。
> > > > >
> > > > > 反復を選んだ人、その人だけがほんとうに生きるのである。
> > > > >
> > > > > 彼は子供みたいに蝶を追いまわしはしない、この世の栄耀栄華をのぞくために爪立ちしたりもしない、彼はそれを知っているからだ。
> > > > >
> > > > > 彼はまた老婆のように紡ぎ車の前に坐って追憶の糸を紡ぐこともしない。
> > > > >
> > > > > むしろ、
> > > > >
> > > > > 彼は反復を楽しみながら、心静かにわが道を歩む。
> > > > >
> > > > > ほんとうに、もし反復ということがなかったら、人生とはそもそも何であろう?
> > > >
> > > > Edyta Gorniak - Hello (Gala RMF FM) [Live] HQ DIVA
> > > > http://www.youtube.com/watch?v=AWsesrdS1Jg&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=26
> > > >
> > > > 時が瞬間ごとに新しい文字を書きつらねてゆく石板になることを、あるいは過去の碑銘になることを、誰がこいねがうであろうか?
> > > >
> > > > 次から次へと新しいものに打ち興じさせて魂を柔弱にしてしまうあらゆる果敢(はか)ないもの、目新しいものに、それからそれへと心を奪われることを、誰がきねがうであろうか?
> > > >
> > > > 神みずからが反復を望まれたのでなかったら、世界はけっして生成しなかったであろう。神は期待するままに絶えず新しい計画を立ててゆくか、それとも、万物をもとへ呼び戻して、追憶のなかに保存するかしたことであろう。しかし、神はそうしなかった、だから世界はこうして存立しているのだ、しかも、それは反復であることによって存立しているのである。
> > > >
> > > > 反復、これが現実なのだ、人の世の厳粛さなのだ、反復を欲するものは厳粛さにおいて成熟しているのだ。
> > > >
> > > > これはわたしの単独投票なのだが、そこには同時にこういう意味が含まれている。
> > > >
> > > > ソファにどっかと腰をおろして楊枝で歯をほじくっていたりーーーそしておまけに、たいした人物、たとえば法律顧問でござるとばかり勿体(もったい)ぶるとか、あるいは、偉容をととのえて街上を闊歩したりーーーそしておまけに、たいした人物、たとえばなんとか尊師でございますとばかりに尊大ぶるとかするのは、けっして人生の厳粛さではない。そういう勿体ぶった態度は、国王の調馬師だといって得意になるのと同じように、人生の厳粛さではない。
> > > >
> > > > そのようなことはすべて、
> > > >
> > > > わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。
> > >
> > > Lizz Wright's Version of 'Hey Mann'
> > > http://www.youtube.com/watch?v=_Wp8-ahXVFI&feature=BF&list=QL&index=31
> > >
> > > 恋するものはよく恋の甘い不安を詩人の言葉に託して吐き出しながら歓喜に酔うものだが、彼もそうだった。彼は部屋のなかを往きつ戻りつしながら、ポウル・メラーの詩の一節を幾度も繰り返した。
> > >
> > >     わが古きゆり椅子に
> > >       立ち返りくる若き日の夢
> > >     女性(おみな)らの太陽(ひ)と照り映ゆる
> > >       汝(いまし)へのあこがれ絶えず
> > >
> > > ・・・メランコリックな男に恋をさせてみるがいい、そしたら何もかも消し飛んでしまう、とよくきまったように言われる。しかし、彼がほんとうにメランコリックであるなら、彼にとって何よりも重大な事柄を彼の心がどうしてメランコリックに考えずにいられるだろうか。
> > >
> > > 彼は深くそして熱烈に恋している、これは明らかだ。
> > >
> > > それだのに、彼は最初の日からもう彼の恋愛を追憶できる状態にある。
> > >
> > > つまり、彼は恋愛関係をすでにすっかり完了しているのである。始めるときにおそろしく大股に歩いたために、彼は人生を飛び越してしまったのだ。・・・
> >
> > Frank Sinatra - Only the Lonely
> > http://www.youtube.com/watch?v=bef_s1Bhn7o&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=59
> >
> > 追憶は喪失から始まるという大きな利益をもっている、だからそれは安全だ、失うべき何ものももたないからである。
> >
> > 彼女は彼の恋人であった。彼がかつて愛した唯一の恋人、彼がいつか愛するようになるかもしれない唯一の恋人であった。sかし、それだのにまた、彼は彼女を愛してはいなかった、彼はただ彼女に憧れていただけだったのだ。
> >
> > あの少女は彼の恋人ではなかったのだ。彼女は彼のうちに詩的なものを目覚めさせ彼を詩人にする誘因だったのである。
> >
> > だからこそ、彼は彼女だけを愛することができ、彼女をけっして忘れることができず、けっしてほかの女を愛しようとはしなかったのだ。けれども、彼はつねに彼女をただ憧れていただけのことであった。
> >
> > 彼女は彼自身の全存在のなかに吸収されてしまったのである。彼女の思い出はいつまでもいきいきと残ることだろう。
> >
> > 彼女は彼にとってあまりに大きい意味をもってしまった、彼女は彼を詩人に仕上げてしまったのだ、
> >
> > だからつまり、
> >
> > 彼女は自分自身の死刑判決書に署名してしまったのだ。
>
> Kenny Rogers - Lady
> http://www.youtube.com/watch?v=Tj_NjLBPotQ&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=11
>
> 時の経つにつれて、彼の恋愛関係は悩みを加えていった。彼の憂鬱はしだいに勢いを得、彼の肉体力は心の葛藤にすり減らされていった。彼は自分が彼女を不幸にしたことをさとった、けれでも彼はなんら間違いを犯した覚えはなかった。しかし少しも責任(つみ)がないのに彼女の不幸の責めを負わねばならぬということ、まさしくこのことが現に彼には躓き(つまづき)であり、彼の激情をはげしくかきたてるのであった。
>
> それにしても、詩人的な憂鬱な性(たち)の男に愛されるほど若い娘にとって誘惑的なことはあるまい。
>
> 諦めることをしないで男にうるさくつきまとい、それが真実に男を愛していることの証明だなどと自惚れるほど利己的な女があるとしたら、そういう女の一生の任務はまことに安易なもので、誠実だという名誉と疚しからぬ良心を、同時にまたごく上品に洗練された恋愛までも、わけなく享受できるだろう。
>
> 神よ、すべての男をそういう誠実さから守りたまえ!

Vera Lynn - As Time Goes By
http://www.youtube.com/watch?v=S8F9NzVuIuA&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=1

恋がイデーによって支えられている場合には、どんな動きも、どのようなかりそめの感動も、みなそれぞれ意味をもってくる。そこにはいちばん肝心なもの、詩的葛藤がつねに現存しているからである。

しかもこの葛藤は、わたしの知っているかぎりでお、わたしがここに描いているそれよりも時としてはるかに恐ろしいものであることがある。

どんな美人もイデーほど気むずかしくはない。娘の不興など、イデーの怒りに比べると、まだしも堪えやすい、しかも何より、イデーの怒りだけはとうてい忘れられるものではない。

わたしはレタスが好きだが、いつも芯だけしか食べない、葉は豚にやるものだとわたしは思っている。

わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。

これに文句をつけたい人はなんとでもいうがいい、わたしは意に介しない。



> > > > > > > > Jan Garbarek & The Hilliard Ensemble - Ov zarmanali
> > > > > > > > http://www.youtube.com/watch?v=eL2b4Y2_qxY&feature=mfu_in_order&list=UL
> > > > > > > >
> > > > > > > > わが沈黙の共犯者よ!
> > > > > > > >
> > > > > > > > ぼくの生活はぎりぎりまで押しつめられました。この世に生きているのがたまらなくいやです。味わいも意味もない生活です。人々が提供してくれる説明など、たとえばピエロ以上に飢えていたにしても、ぼくは食いたく思わないでしょう。ひとは指先を大地にさしこんで、自分がどんな土地にいるのか嗅ぎわけます。ぼくは人生に指先をさしこみますーーーそれはなんの臭いもしません。
> > > > > > > >
> > > > > > > > ぼくはどこにいるのでしょう?
> > > > > > > >
> > > > > > > > 世界!
> > > > > > > >
> > > > > > > > それは何をいうのでしょう?
> > > > > > > >
> > > > > > > > この言葉は何を意味するのしょう?
> > > > > > > >
> > > > > > > > ぼくをこの世界のなかへおびき入れて、ここにこうしてほったらかしておく人は誰なのでしょう?
> > > > > > > >
> > > > > > > > ぼくは誰なのでしょう?
> > > > > > > >
> > > > > > > > ぼくはどうして世界に入ってきたのでしょう、なぜぼくは意見を求められなかったのでしょう、なぜ世界の風習を知らせてくれないで、まるで人買いに買われるみたいに、仲間の一員に組み込まれたのでしょう!
> > > > > > > >
> > > > > > > > なぜぼくはひとが現実とよんでいるこの大企業の関係者になったのでしょう?
> > > > > > > >
> > > > > > > > なぜぼくは関係者にならなければならないのでしょう?
> > > > > > > >
> > > > > > > > それは自由に選べることではないのですか?
> > > > > > > >
> > > > > > > > いやでもならねばならないとすれば、抗議を申しこむことのできる支配人はいったいどこにいるのでしょう?
> > > > > > > >
> > > > > > > > そもそも支配人などはいないのですか?
> > > > > > > >
> > > > > > > > ぼくはどこに苦情をもちこめばよいのでしょう?
> > > > > > > >
> > > > > > > > 人世は討論だというではありませんか、それならぼくの意見も考慮に入れてもらえるようにお願いしたいものです。
> > > > > > > >
> > > > > > > > もし人世というものがあるがままに受けとるべきものだとすれば、それがいかにあるかを知るのがもっともよいのではないでしょうか?
> > > > > > > >
> > > > > > > > 欺瞞者、これはどういう意味なのでしょう?
> > > > > > > >
> > > > > > > > 利は誰に?
> > > > > > > >
> > > > > > > > と問うことによってひとは欺瞞者を発見するとキケロは言っているではありませんか。ぼくは一人一人に問うてみます、ぼくがぼく自身とひとりの娘を不幸にしたことから、何か利益を得たかどうかと。
> > > > > > > >
> > > > > > > > 責めーーーこれはどういう意味なのでしょう?
> > > > > > > >
> > > > > > > > それは魔法でしょうか?
> > > > > > > >
> > > > > > > > ひとりの人間がどうして責めを追うようなことになるのかは、はっきりわからないことなのでしょうか?
> > > > > > > >
> > > > > > > > 答えようとするひとはないのですか?
> > > > > > > >
> > > > > > > > 関係者である皆さんにとって、これはきわめて重大な問題ではないのでしょうか?
> > > > > > >
> > > > > > > Arvo Pärt - Sarah Was Ninety Years Old (Part 1 of 3)
> > > > > > > http://www.youtube.com/watch?v=g0Usv4O9lSQ&feature=BF&list=QL&index=29
> > > > > > >
> > > > > > > ぼくの理性は立ちどまっています、というよりも、ぼくは理性と別れている、といったほうが当たっているでしょう?
> > > > > > >
> > > > > > > ある瞬間には、ぼくは疲れ果てて、生気を失い、無関心のあまりまるで死んだようになります。また他の瞬間には、ぼくは荒れ狂って、誰かぼくの怒りを放散することのできる相手を見つけるために、世界の極(はて)から極まで絶望的に駆け廻ります。ぼくという存在のうちにある一切のものが、自分自身と矛盾して喚(わめ)いています。
> > > > > > >
> > > > > > > どうしてぼくは責めあるものになったのでしょうか?
> > > > > > >
> > > > > > > それともぼくには責めがないのでしょうか?
> > > > > > >
> > > > > > > それならなぜぼくはすべての人の口の端にかかってそう呼ばれるのでしょう?
> > > > > > >
> > > > > > > 口でいうことと心で思うこととが違うとしたら、人間の言葉というものはなんというくだらぬ発明なのでしょう。
> > > > > >
> > > > > > Carmen McRae - Trouble Is A Man
> > > > > > http://www.youtube.com/watch?v=_zhboeJkNGg&feature=related
> > > > > >
> > > > > > http://lyricsplayground.com/alpha/songs/t/troubleisaman.shtml
> > > > > > ぼくは何か災難にあったのではないでしょうか、あの事件はひとつの災難なのではないでしょうか?
> > > > > >
> > > > > > ぼくという存在全体が変化を受け、ぼくが別な人間になるということを、ぼくはあらかじめ知ることができたでしょうか?
> > > > > >
> > > > > > ぼくの魂のなかに隠れて巣くっていたものが破れ出たとでもいうのでしょうか?
> > > > > >
> > > > > > しかし隠れて巣くっていたのなら、どうしてぼくはそれを予知することができたでしょう?
> > > > > >
> > > > > > それが予知できないとすれば、ぼくに責任はないはずです。ぼくが卒中にかかったとすれば、そのときでも、責めはぼくにあるのでしょうか?
> > > > > >
> > > > > > 言語とよばれる人間の言葉というものは、仲間うちにしか通じないなんという憐れむべき讒言(たわごと)なのでしょう!
> > > > > >
> > > > > > けっしてそういう讒言をいわないだけでも、ものいわぬ動物のほうが賢くはありませんか?
> > > > > >
> > > > > > ーーーぼくは不実なのでしょうか?
> > > > > >
> > > > > > 彼女がぼくを愛しつづけて、けっしてほかの男を愛そうと思わなければ、彼女はもちろんぼくに対して忠実です。ぼくが彼女だけを愛しようと思いつづけているとすれば、それでぼくは不実なのでしょうか?
> > > > > >
> > > > > > ぼくたちはどちらも同じことをしているではありませんか。それなのに、ぼくが欺瞞によってぼくの実意を示すからといって、どうしてぼくは欺瞞者になるのでしょう?
> > > > > >
> > > > > > なぜ彼女は正しくてぼくは正しくないということになるのでしょう?
> > > > > >
> > > > > > ぼくたちがどちらも忠実であるのなら、なぜ人間の言葉では、彼女が忠実でぼくが欺瞞者だというふうに表現されるのでしょう?
> > > > > >
> > > > > > ・・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・
> > > > > >
> > > > > > 現実があらわれるその瞬間に、すべては失われたのです。そのときはもう手おくれです。彼女がそこに見いだそうとする現実は、ぼくにとっては、ぼくの本来の精神的現実につきそって走る影にすぎません、あるいはぼくを笑わせようとし、あるいはぼくの生活を侵して掻き乱そうとする影なのです。
> > > > > >
> > > > > > つまりは、まるで影をつかもうとでもするかのように、あるいは影に向かって手を差しのべようととでもするかのように、ぼくは手探りしながら彼女をつかもうとするようなことになるでしょう。
> > > > > >
> > > > > > そのときこそ、彼女の生活は空費されたことになるのではないでしょうか?
> > > > > >
> > > > > > それこそ彼女はぼくにとって死んだも同然になります。・・・中略・・・・
> > > > > >
> > > > > > ーーーそれとも、あの事件をすっかり忘れてしまうのが、いちばんいいのでしょうか?
> > > > > >
> > > > > > 忘れるなんて!
> > > > > >
> > > > > > あれを忘れるなら、ぼくは生きていることをやめたにひとしいではありませんか。
> > > > > >
> > > > > > 愛する娘といっしょに名誉と誇りまでも失ったことは、しかもどうしてそういうことになったのか、なぜぼくがその償いをすることができないのか、それが誰にもわからないというふうな失いかたをしたとは、いったなんという人生なのでしょう?
> > > > > >
> > > > > > こんなふうに突き出されるのなら、なぜぼくはここに突き入れられたのでしょう?
> > > > > >
> > > > > > ・・・中略・・・
> > > > > >
> > > > > > ぼくの思いめぐらすことどもは、人間的にいえば、およそ考えられうるもっともきりつめた食餌です。それでもぼくはこうして、ぼくの小宇宙のなかにありながら、できるだけ大宇宙的にふるまうことに・・・略
> > > > > >
> > > > > > ぼくは人間とは口をききません。しかし人間との一切の交際を断ったり、でたらめなこしらえごとを売り物にしたくありませんので、ぼくはあらゆる時代にわたって賞賛されてきたあの不滅の・・・略・・・詩句や金言や諺(ことわざ)や短文をたくさん集め・・・略
> > > > > >
> > > > > > ぼくがなにを言おうとしたところで、それがなんの役に立つでしょう。・・略。ぼくの苦痛と悩みには名前がありません。ぼく自身に名前がないのと同じです。
> > > > > >
> > > > > > 名前こそありませんが、それでもおそらくはぼくは、あなたにとってつねに何ものかであるだろうと思います。
> > > > > >
> > > > > > そしていかなる場合にもかわらぬあなたの忠実な友です。
> > > > > >
> > > > > >                                  敬具



[53705] Re:[53704] 菅や与謝野のごとく、身から遠い国民とか国の将来とかいいながらあらゆる欺瞞と偽造とマヤカシ屁理屈を恥も無くやりまくる、ボケどもには、老いらくの恋で、すこしは、頭を冷やして来いといいたい。まあ、無理でっしゃろが・・・Re:[53702] 知識→知恵→智慧。Re:[53701] [53700] キルケゴール 投稿者:なすのせせ 投稿日:2011/01/18(Tue) 22:44  

> 梵さんが最近書いているのは、キルケゴールの「反復」だったんだな。

> うむ。これこれ・・・

> キルケゴールの「反復」を師走の巷で3冊100円=33円で入手して、こんだけ反復すりゃあ、反復冥利、33円冥利であらうがな、ちうもんで、問題は題目でも金額でもあらへんで、いかに己がものにするかちう・・・

> 最近の流行語で、「写経」のように、ある作家や詩人や哲学者の文章を書くことを「写キルケゴール」と言うそうだ。詩人だったら「写ゲーテ」などとなるのか?
>
> さうさう、ひとこといおうとして忘れ腐った。
>
> 詩人といえばゲーテちうのんも紋切過多の発想であるんぢゃが、キルケゴールちうと哲学者ちうもんもまことに類型過多にして、そんなもんぢゃあないちうことが、かの幾許かの引用でも、明らかなやうに、人間が生きるその原点において、あらゆる機知と諧謔、アイロニーのオンパレードであって、このキルケゴール、たすか1813年生まれで、反復が1843年、まう200年近くまえのもん、そのこりゃあ、日本ぢゃ、誰ぢゃや?近松か、ああ、近松はシェイクピア時代か、ま、洋の東西古今にかかわらず、なぬもカテゴリーわけをせんでもよろしいわけで・・・
>
> このキルケゴール君も誠に詩人である。
>
> かの反復にすても、まあ、あれを恋愛小説、私小説といわんで哲学書となすんも、なすもんの勝手ではあらうが、登場人物の彼も、わたしもみんなキルケゴールちうとキルケゴールが怒るわけであって、正確にはコンスタンチン・コンスタチウス、ま、名前を変えていろいろなものを世に出すのんは、かの写楽だか、誰だか、老いて思い出さぬが、わが国の浮世絵師にもあったならいで、その豪傑ぶりはまことに痛快なもんがあるが、一個の人間、その言説にせい作品にせい、それに一気通観すて見えるものも、いろいろそこに諧謔のからみでくんずほぐれつしちょる、さういうもんを名前からみて一気痛感ぢゃのうて、通貫か、さうぢゃなくて、めちゃくそ、ニーチェの「権力への意志」なんどでも、めちゃくそ、めちゃくそながら、そこにまことに撃つものがあるんであって、なぬも、言葉の論理性、ある種の虚構に構えて頽落することなく、あくまでもそういう道具の土愚たる、うむ、まあ、土偶、偶像ですか、道具、さういうもんを打破る、日々刻々打ち抜いたその先を観る、さういうところがあって、壮大な言葉の御殿を構築したヘーゲルや巷のエピゴーネンへのイロニーとかは、キルケゴールにもショーペンハウワーにもニーチェにも見えてくる景色で、さういう風に風景を味わえば、まことに、キルケゴールの作品も、長大なる詩篇であるからして、詩といえばゲーテちうことはのうて、ゲーテだって、なぬも詩人の味わいばかりでのうて、科学者、哲人の味わいもあるし、私小説の味わいもある。

うん。御意。

> ま、さういう安易なペタンコよりも、ソレガシの趣味として、一語一語打ち間違えがあったにしても、打ち込んでいく、その過程で、なんども書物も言説も状況も反復でけるわけであって、ざっと読んだそのもののまた別な顔がみえてくる。

うむ。そうだなぁ。

> それにすても、古来、あのギリシャ時代、数千年来言葉が綴られてきていらい、同じやうな状況の反復があるわけであって、そのコア、根幹の反復は時代時代の枝葉に覆われて見えにくいこともありまするが、この一筋は何時の時代の何処でも変わらぬ一筋ですから、さういうもんを見つめていく目と身を養いたいもんですわの。

> この反復にしたところで、彼、彼女、わたしの状況、状況が入れ子になったりしはいますが、まことに身につまされる状況と表現と言葉も多ければ、適当に手打ちにせんば、永遠の反復でせうね。

> みやうによってはニーチェのツラトストラもこの反復に負うところが大きいのではないでせうか。空海においても・・・

いろいろとありがとう。 また読みにきます。


[53704] 菅や与謝野のごとく、身から遠い国民とか国の将来とかいいながらあらゆる欺瞞と偽造とマヤカシ屁理屈を恥も無くやりまくる、ボケどもには、老いらくの恋で、すこしは、頭を冷やして来いといいたい。まあ、無理でっしゃろが・・・Re:[53702] 知識→知恵→智慧。Re:[53701] [53700] キルケゴール 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/01/18(Tue) 09:55  

いせしひあANNEX−Ω   訪問者数:2319873(今日:111/昨日:419)2011/01/18(Tue) 09:00

Frank Sinatra - It's A Lonesome Old Town
http://www.youtube.com/watch?v=_MZ2ZmQCYuA&feature=BF&list=QL&index=61

それにすても日が燦燦と降り注ぎだすとまことに暖かいですね。天然酵母パン2斤198年と仏蘭西長輸入のトリフ200g398円で朝食もなかなかによろし。

> まなぬとなANNEX−Ω   訪問者数:2319840(今日:78/昨日:419)2011/01/18(Tue) 06:12
>
> この時間帯、6時ごろからの寒暁はこの世のなぬぬもまさる美しさですね。
>
> ぬくぬくとふとんにくるまっちょるんも天国ではあらうが・・ソレガシの場合は寝疲れで、ラジオ体操でもあらへんが、背筋を伸ばして、ベランダでタバコを吸う、この一日の始まり。
>
> > めをあへせANNEX−Ω   訪問者数:2319826(今日:64/昨日:419)2011/01/18(Tue) 04:37
> >
> > もの云へばくちびる寒し街の風
> >
> > 秋の風ぢゃあ、つきすぎだしね。
> >
> > > 梵さんが最近書いているのは、キルケゴールの「反復」だったんだな。
> >
> > うむ。これこれ・・・
> >
> >
> > --------------------------------------------------------------------------------
> > [53667] われながらひっぱりこんだにすても、やっぱまずかったかな?Re:[53666] 風情がなくとも、フロイトなんぞによれば、夢の常套手段、抑圧の機構であるからして、なぬもめちゃくそともいえんで、さういえば、夢。いまさら、この歳で誕生して前進かの?Re:[53665] 神話的なもんもその起源からしてわれわれに親和的なもんであって、かういうドタヌキじゃ〜名リズム化すたくっちゃべり〜どもにおいては、なぬごとも身にひきつけられんで、他人事で野次馬べえしちょるけん、人格も人間性も成長せんで、なぬを読もうが見ようがやらうが、ドタヌキくっちゃべり〜病に陥るのんがせいぜいで・・・ま、そんだけ、感性も理性も死んでるんでせうなあ、さういう死んだもんが、世のアレコレの論評をそのゾンビの妄想をもってヤリダスんぢゃっけん、ま、世の中はめ茶糞になるんぢゃわさ。Re:[53664] 流行モノは皆目しらぬけん・・壁にぶち当たった。Re:[53663] 犬夜叉のまぎらわしきはパスで・・ご苦労様。Re:[53662] わぁあぅお!!!Re:[53661] よくわかりませんが、でかけねばならんのんで・・One More Time→Ten More Times→Hundred More Times→際限なく同じことを繰り返す。それにしても、人気だ!どれがお好みですか? 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/01/02(Sun) 18:51
> >
> > わいむるはANNEX−Ω   訪問者数:2311629(今日:557/昨日:669) 2011/01/02(Sun) 17:14
> >
> > なぬか音楽を見繕はなあかんわの。これが頭が痛い。
> >
> > Eden Atwood / Once Upon A Summertime
> > http://www.youtube.com/watch?v=BjWXn1mxxKk&feature=mfu_in_order&list=UL
> >
> > この眼!がそっくりですね。
>
> いま、これを久しぶりにかけたら、おなじ顔と目がゾロメででてきてならんでおって、ま、なりゆきで聴いてみましょ。
>
> > > べつに引きこもりつもりもあらへんぢゃったんぢゃが、反復して視聴しちょるうちに、うむ、ま、ひきこもりちうのんは、いつもさういうふうにおこるのかもすれんが、なんとのお、物憂くなって、億劫になって、ひきこもっておればおったで、あれこれ紐解くもんもおおければ、なぬも無理すて下痢なみのアウトプットでもなかんべ、インプット充実旬間とでもいい魔性か、己が言説のあれこれは、コトバである限り、はたまた行為であるかぎり、かならず云ったこともやった事も己に帰ってくるものなれば、云うことは云わるること、触ることは触られること、つまり、メディアのありよう、身しかり、とはいえ、身においては、心に沁みるよりも、身に沁み、さらには骨身に沁みれば、ますます、深刻で、その深刻さを味わえば、その深刻な憂鬱の反復もまた己が栄養にも、はたまた相手の栄養にもならがな、ちう楽天趣味もまた身のありようにして見の、観の、実のありようちう診方もでけるわけであるからすて、あれこれと、現存在分析の、DASEINから
> > >
> > > 「実存existenceの語源は「・・・から外に出て立つ」という意味であることを示したが、人間的実存は本質や概念による限定をうちやぶって外に出るばかりでなく、何よりもまず、自己から脱出する存在である。実存のこのありかたを、サルトルは「脱自」ek−staseと呼んでいる。ふつうエクスタシスekstasis,extaseといえば、「恍惚」「忘我」「有頂天」などの意味であるが・・・」うんぬん(p30松浪信三郎著、実存主義、岩波新書C10,1962年)
>
>
> うむ、これも、そのうちにコメントしやうとおもっておったんぢゃが・・・
>
> 実存も突き詰めれば実存者は他者を物となす、だかして、実存者と実存者においては、畢竟、相手を物とみなして、別離、別れ、さようなら、ちうことになるんぢゃさうぢゃが・・・
>
> さういうもんも含めて、実存への頽落、ちうことは、実損ですかね?
>
> この伝でいけば、なぬも、分裂者やソゾイド人間ばかりではのうて、その分析のもとになっちょる実存分析の実存においても、人間関係の維持は難しいちうことになるわけで・・・
>
> であるからして、なぬも悩むことはありません。人間関係がうまくゆかないのんが普通であって、人間関係が円滑なんは、いわば己なしの提灯持ちの関係どたぬき痴漢が典型なのかも・・・教祖と喜び組とか・・・
>
>
> まことに世の中は、人間の営為は複雑どすわの。
>
> > これはdasein(現存在)→existence(実存)へのありやう。これはながくなるから、また、あとで・・
> >
> > > ま、畢竟、平平凡凡であるもんの、眠りと目覚め、死と再生の儀式の反復にして、その反復にも、幾許かの前進もあらうかちうもんで、年末年始の終初夢にしては上出来かもしらん。
> >
> > 反復、キルケゴールの「反復」を師走の巷で3冊100円=33円で入手して、その一部を引用したいんぢゃが・・その前に、晦日蕎麦と元旦飛び入りを・・
> >
> > > > > みせあむねANNEX−Ω   訪問者数:2303939(今日:313/昨日:589)2010/12/19(Sun) 16:55
> > > > >
> > > > > けふは108kmをさっさと走ってきて・・壁にぶち当たった。
> > >
> > > して、ひきこもりのあいだも、毎日歯を噛み潰さぬやうに、少なめ少なめの差し控えつつ、100km前後のそのほとんどが、反復の我が家の庭めいた近所の土手とか峠で・・・
> >
> > :*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★。
> >
> > キルケゴールの「反復」を師走の巷で3冊100円=33円で入手して、こんだけ反復すりゃあ、反復冥利、33円冥利であらうがな、ちうもんで、問題は題目でも金額でもあらへんで、いかに己がものにするかちう・・・
> >
> > > 最近の流行語で、「写経」のように、ある作家や詩人や哲学者の文章を書くことを「写キルケゴール」と言うそうだ。詩人だったら「写ゲーテ」などとなるのか?

さうさう、ひとこといおうとして忘れ腐った。

詩人といえばゲーテちうのんも紋切過多の発想であるんぢゃが、キルケゴールちうと哲学者ちうもんもまことに類型過多にして、そんなもんぢゃあないちうことが、かの幾許かの引用でも、明らかなやうに、人間が生きるその原点において、あらゆる機知と諧謔、アイロニーのオンパレードであって、このキルケゴール、たすか1813年生まれで、反復が1843年、まう200年近くまえのもん、そのこりゃあ、日本ぢゃ、誰ぢゃや?近松か、ああ、近松はシェイクピア時代か、ま、洋の東西古今にかかわらず、なぬもカテゴリーわけをせんでもよろしいわけで・・・

このキルケゴール君も誠に詩人である。

かの反復にすても、まあ、あれを恋愛小説、私小説といわんで哲学書となすんも、なすもんの勝手ではあらうが、登場人物の彼も、わたしもみんなキルケゴールちうとキルケゴールが怒るわけであって、正確にはコンスタンチン・コンスタチウス、ま、名前を変えていろいろなものを世に出すのんは、かの写楽だか、誰だか、老いて思い出さぬが、わが国の浮世絵師にもあったならいで、その豪傑ぶりはまことに痛快なもんがあるが、一個の人間、その言説にせい作品にせい、それに一気通観すて見えるものも、いろいろそこに諧謔のからみでくんずほぐれつしちょる、さういうもんを名前からみて一気痛感ぢゃのうて、通貫か、さうぢゃなくて、めちゃくそ、ニーチェの「権力への意志」なんどでも、めちゃくそ、めちゃくそながら、そこにまことに撃つものがあるんであって、なぬも、言葉の論理性、ある種の虚構に構えて頽落することなく、あくまでもそういう道具の土愚たる、うむ、まあ、土偶、偶像ですか、道具、さういうもんを打破る、日々刻々打ち抜いたその先を観る、さういうところがあって、壮大な言葉の御殿を構築したヘーゲルや巷のエピゴーネンへのイロニーとかは、キルケゴールにもショーペンハウワーにもニーチェにも見えてくる景色で、さういう風に風景を味わえば、まことに、キルケゴールの作品も、長大なる詩篇であるからして、詩といえばゲーテちうことはのうて、ゲーテだって、なぬも詩人の味わいばかりでのうて、科学者、哲人の味わいもあるし、私小説の味わいもある。


> > うむ。写経のごとくやることが「流行語」であることはしらんかったが、どうもむかしからその気があって、近頃も「我と汝=孤独と愛}を「写マルチン・ブーバー」をやって抹殺閂削除されちゃったわけで・・
> >
> > なぬごとも、噛み締めて己が身となすには反復、写経的読み方も有効なやりかたであって、もっとも、反復、写経するにしても、その反復と写経の中身の事件、事柄、テーマ、を己がみぬち、身内にもっていればこそ、外部からの反復も写経も内部と呼応して己が身の栄養ともならうというもんぢゃけんど、内部に呼応する状況もなく、虚空の身に写経、反復しても、なんも響くもんもなく、たんなるタワゴトちうことも、たぬきくんども場合はあるやもしれんが、それだって、絶対虚空なんちゅうもんはねえんぢゃっけん、外部からの反復でそれに呼応すたもんの幾許かが内部に発生する、胚胎する、それをいかに育てるか?
> >
> > 現存在への「頽落」もあれば、実存への「頽落」もある。ニルバーナへの「頽落」も、、マルクス主義への頽落も、詩歌への「頽落」も、性欲、生命欲への「頽落」、名利や冥利への「頽落」もある。
> >
> > あらゆるところに頽落の落とし穴、ちうより、さういう契機を孕みながらあらゆる状況が展開されていく。
> >
> > この頽落から己を救い上げる反復もまた、反復への頽落、頽落の反復ちうこともある。
> >
> > > しかし梵さんの書くエネルギーには脱帽だぜ。
> >
> > 写経にすて、ネットから般若心経なんぞを拾っていてペタンコしたところで、なんら写にして、あまりにも安易であって、己が血肉となすの営為とは程遠い。もっとも、心経のその中身を一体にそれなりに解しておって、それを身をもってちうより目を持って反復する契機としてそれもありなんぢゃろけんど・・
> >
> > ま、さういう安易なペタンコよりも、ソレガシの趣味として、一語一語打ち間違えがあったにしても、打ち込んでいく、その過程で、なんども書物も言説も状況も反復でけるわけであって、ざっと読んだそのもののまた別な顔がみえてくる。
> >
> > 世には、せめて本ぐらい自分のお気に入り作家の吉本ばななくらいにしたい、ちうむきもあるんぢゃが、そのお気に入りの吉本ばなな以外にいったいなぬをよんだのか?
> >
> > 翻訳モノはよまない、時代のちがったものもよまない、ちうむきも、そのいわんとするところをわからんわけではないが、それにしても、翻訳者の苦労ちうもんは、写経以上のもんであらうし、かの ”here's to life"の歌詞のおかしな翻訳アリストートルくんだっ毛?めた誤訳ちうか、似て非なる翻訳も世にはありうるんぢゃがそれにしたって、ちんぷんかんぷんでやりすごすよりは、あるいは、読まず嫌いでやりすごすよりは、よほど、疑問もわけば、身のためにもなる。
> >
> > 翻訳も註や、翻訳ならずも、かうやって、己が記事への註もやりすぎると煩いもんではあるが、煩い註は飛ばして読む。いったんともかくよんで、それからまたもどって必要な註も拾ってよむ。そしてまた反復のさいには全ての註にも注意を注いで読む、ちう反復をなすには、それなりにヒマであって、バカにもひとしい単純さが必要で、世の流れはそんな阿呆な反復がでけるほどに安閑とはいかんけん、流し読みをしてつぎからつぎに流れていく、これ、まことにどたぬきジャーナリスト詩人諸君の、

ジャーナリスト詩人の最たるもんは、可笑しい狆くん=大岡信くんですね。あれは内容がない!

どうやうにジャーナリスト哲学者の最たるもんは、中村雄二郎くんですかね?

だうも、あれこれと他人の言説の引用ばかりで、そのいわんとするところに深みがない、まあ、いってもれば、もくじ、総目録ばっかで、まあ、そんでも、さういう目次や目録があれば、そっからさきは、読者が独自に目録や目次の誰彼あれこれへもぐりこんでいけば、それなりの世界も風景も拓けるちうことで、偏にゴミとは言い切れぬわけであるが、それにしても、中村くんが自己の三部作と称するもん、「感覚の覚醒」も「共通感覚論」も「哲学の現在」も目を通して、さすがに三部作と自称するだけ、他の著作に比すればまともではあらうが、そんでも、このどたぬきジャーナリスト癖は抜け切れておらんで、なかでも比較的に印象的に真摯なんは、新書の「哲学の現在」であったやうな気がする、ちうのんも、もうずいぶん昔に読んだので、印象だけで、また読み返すほどのもんでもなくんば、わざわざ手元に引っ張り出すほどの労苦はせんが、かの、知識〜知恵〜智慧の木でいえば、枝葉の知識の著作が満開のなか珍しく思い悩む知恵の多少太い枝か幹のあたりの風情が感じられたもんで、そこに比して大部の「感性の覚醒」も「共通感覚論」も、んったく、無用な繁茂の枝葉で幹も根っこも見えぬ風情、ま、もともと、つか一時にしてもマスコミに媚びてラジオのDJをやったりそういうことをやっちょれば、媚びる習性の知識、知恵ばっかが繁茂すて、己を忘れ、根が枯れるちうところまんではいっておらんぢゃろし、目録としてはそれなりに有用である、これ総じて、情報産業の産業たる情報の所以なんぢゃろけんど、哲学者や詩人や作家と呼ぶには、誠におこがましいもんは、なんも、可笑しい狆くん=大岡信くんだけぢゃ、ないのですね。

ドタヌキジャーナリズムの怖さ。

世は並べて、科学も哲学も宗教も恋愛も詩歌俳句もどたぬきジャーナリズム化しちょれば、さういうもんが、各界の宗匠めかしたでかい顔して、それこそ、キルケゴールの言葉を借りれば、ああ、その訳者の言葉ぢゃけんど、なんとか尊師でございと、ふんぞりかえって勲章なんぞ、へいこらペコリと戴いているその滑稽さは、ほまに、冗談でしょ!と噴飯ものの景色どすわの。

> > とはいえ、かの元祖どたぬき谷内くんでも、けっこう反復すて、つっこんで読んでいたわけで、どたぬき谷内くんなんか、よの大方の親方どたぬき詩人ジャーナリスツくんどもにくらぶれば、真面目にすぎるのかもしれませんが、ありゃあ、バカだね!ちうバカにいちいちこだわって目くじらをたてていては、反復もできませんね。
> >
> > キルケゴールには「人生の諸段階」ちうもんもあって、その幾許かの切り出し全集か選集本は枕元に積んであって、これがかの元町の老舗古書肆の店頭での投売り本をリュックにつめて青春切符の鈍行にのりついで、神戸から東京まで運んだもんであって、

これも、もう、随分むかしのこととで、追憶になる、追憶は淫らぢゃと、キルケゴールくんは云うが、ま、そんなもんでもないでしょ、とは思いながら、引用しちょる、なんとならば、そのそんなこともないでしょ、のなかにも、なんぼかも観るべき感性の閃きがあるんどすから、その閃きの根っこを味わう、兜太的にいえば、しゃぶりつくす、には、いちおう、抹殺閂削除はせんで、受け容れてみる、ちう態度、これはまさに態度の問題であって、知能や精神状態、はたまた理性や倫理も問題ではなく、態度なんですね。

なんか、意識がある、関心がある、興味がある、ちうと、その意識や関心や興味にはなんらかの方向性、対象性があるとは、これ、現象学なんぞでも言い古るされたものいいではありまするが、畢竟、態度がものごとを決する、運命の鍵ちうことも、ま、その一つではあれ、まことに必須なもんであって、それに比すれば、知識や理性や礼儀作法や習慣や制度や組織や言葉何注文は、屁にも等しい、とはいわんも、まったく重さが違う、軽い軽い、昨今の菅と与謝野の漫才をみていてもわからうちうもんどすわの。


> > ま、キルケゴールなんぞ、甘ったるい恋愛もんのうんぬんくんぬんで、

ま、恋愛のことから、ものごとを感じ考える、その原点がよく効いているのかもしれませんね。

菅や与謝野のごとく、身から遠い国民とか国の将来とかいいながらあらゆる欺瞞と偽造とマヤカシ屁理屈を恥も無くやりまくる、ボケどもには、老いらくの恋で、すこしは、頭を冷やして来いといいたい。まあ、無理でっしゃろが・・・


> > くわずに抛っておいたもんでも、かうやって、紐解いてみるってえと、まことに豊潤ですね。そもそもは、現存在分析ちう精神分析、精神病のありやうのうんぬんから、実存分析と遡っていって、その実存主義の祖にまで、たどり着いたちうと、これがまた語弊で、ちっともたどりついてはおらんわけであって、ちう意味もそのキルケゴール解釈におけるたどり着きではのうて、そもそも、「実存」ちうことが、キルケゴールに発したから、キルケゴールが実存の祖なんぢゃ、ちうやうな、世のたぬき的言い方への鵜呑みの拒否にして、その実存的あrかたは、実存ちうことば以前には言葉がなかったんだから、なかったか、ちうば、そんなことはだうでもよろしい、言葉所有権、痴的所有権者どもの言説であるからして、同じやうにいえば、「真理」ちう言葉以前には「真理」はなかったのか、「神」ちう言葉以前には「神」はいなかったかの、ま、言葉のあやちうもんは、だうにでも編める模様どすけん、たぬき網にするか、金襴緞子にするか、はたまた身の丈に身合ったおのが被服となすかは、それぞれの知恵にして、智慧のありやうでせうが、あ、さうさう、ぴちたまちょんちょんの宿題のお手伝い・・・
> >
> > 言葉をふくめた知識を操るもんは、知恵であって、これには、猿知恵も、悪知恵も、いろんな知恵があって、もちろんたぬき知恵も、提灯持ち知恵もあるわけあって、さういういろんな猿知恵や悪知恵やたぬき知恵やひとの知恵や己の知恵を繰るその大本にあるのんが、智慧ちうことは、こりゃあ、まことに単純モデルの言い方ではありまするが・・・
> >
> > 知識→知恵→智慧
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> > ちうほとに深くなる、枝葉から幹、根っこに遡る、この遡りをさらに遡ろうとすれば、阿頼耶識とか、仏教の唯識なんぞも参考にならうが、なぬせ、食わず嫌いが多いから、せっかくの宝も持ち腐れで・・・
> >
> > それにすても、知識に頽落しちょるやからは、科学、哲学、ジャーナリスムのみならず、そこらぢゅうの街のおじさんあたぬきによく見かける風景ですが、
> >
> > ドタヌキジャーナリズムの頽落は、知識以前の情報に頽落しちょるんでせうね。あたかも、エロバイト諸君が性欲に頽落しちょるやうに・・・
> >
> > だうように知恵に頽落しちょる景色ちうもんもは、
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> あんまし、朝が寒いから、パソコンが凍ってすまったんか、ここでフリーズして書けない、動かない事態になったので、書いたところまでを投稿しておいたわけですが・・・
>
> ま、
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> やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空
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> も、知恵の頽落景色にはわらっちゃうましたが・・
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> やうは、反復ちう人生の諸段階の一つ、それがだういう団塊に、うむ、段階にいたるのか、ま、その段階だって、いわば階段のやうに一歩一歩登っていくちうもんではないでせうし、さういういかにもメカニック機械的な段階主義ちうものの捉え方も、いってもれば、時空に規制された産業革命、進化論のものの考え方、言葉、知恵のありやうであって、なんも人間たるもん、リニアモーターぢゃないんだし、段階を固定して進化も成長もねえもんぢゃ、とはいえ、あのマズローの欲求段階説なんぞも、思い出しますが、さういう、仮説ちうもんを、ある状況と切片として切り取ってみるには一つの視点ではありませうに、一概に否定はでけんのんどすが、それんでも、それにどっぷりつかって己を失うほどに頽落することはあんめい、ちうことどすわの。
>
> やうは、幼児返りは人生の諸段階のどの段階でも起こりうるわけであって、幼時返りすることこそ、或る意味では、メカニックな進化諸段階説や諸病説の巷の枠を突き破った感動的な状況なんでせうから、さういうもんをいかに仕留めて成長、この成長ちうのんも、進化論的発想で諸刃の剣なんどすが、自己の深み、進化ならぬ深化、耕し、信仰ならぬ、深耕にして、親交の肥やし、ちうと、糞尿めきますが、さういうもんになすか、ちうことがこれ寛容にして、涵養、肝要なんでせうね。
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> それにすても、古来、あのギリシャ時代、数千年来言葉が綴られてきていらい、同じやうな状況の反復があるわけであって、そのコア、根幹の反復は時代時代の枝葉に覆われて見えにくいこともありまするが、この一筋は何時の時代の何処でも変わらぬ一筋ですから、さういうもんを見つめていく目と身を養いたいもんですわの。
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> この反復にしたところで、彼、彼女、わたしの状況、状況が入れ子になったりしはいますが、まことに身につまされる状況と表現と言葉も多ければ、適当に手打ちにせんば、永遠の反復でせうね。
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> みやうによってはニーチェのツラトストラもこの反復に負うところが大きいのではないでせうか。空海においても・・・
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