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[53740] 最近インドの身障者施設に献金の仲介をしているが、うむ 投稿者:yoonglee 投稿日:2011/02/06(Sun) 14:21  

 昨夜、名古屋の女性から連絡あり。近々、満期の預金を解約して、献金したいとのこと。すでに200万円ご献金くださったので、また100万円程度は送っていただけるのでしょうが、初めて、ご本人とお話しすると、心臓病らしい。いつ亡くなってもおかしくないと主治医に宣告されているという。
 神父に霊的助言を受けると「人間は土に生まれ、土に還る」という聖句をやさしく伝えられたという。
 その言葉を受容して、見回りに残った富のかけらを、インドの施設に送りたいという。
 本人いわく「大きいお金を送ります」。案外、100万円を超える可能性もないではないが、額はいくらでも同じ。毎月1000円ずつ送ってくれる方もいる。献金の多寡は、何の基準にもならんと真面目に思うが、人生の整理段階に突然遺産分けのように、それなりの献金を送ってくださる人がいることに、信仰者の存在を痛感してします。
 梵のように知的にはキリスト教も深く理解し、案外、霊的な接点もキリスト教ともった期間もあったのだろうが、信仰には行きつかず。
 北風のように、棄教する者も、おいらのように、名目だけの信徒のカスもこの世には相当に多いから、梵の姿勢も受容してしまうが、最終的には、宗教は行為に行きつく。死を前にして、あちこち残った私財を海の向こうの身体障害者に提供する。この高貴な姿に触れると、己の回心を考えて、やや反省してしまいます。
 ま、梵さんも回心ごっこでもいいからせんかね?



[53739] まさに単独者たるキルケゴール的実存の一体化した世界が構築できる、ちう壮大な構図かもしれない。Re:[53737] m と w 逆さまなのです。Re:[53736]> ONE〜ONLY〜LONELY〜ALONERe:[ [53734] What makes a man a manRe:[53733] 相反するもの、裂目にこそ真実というか、なにものかが、全否定のなかの全肯定もあるわけであって、それでこそ相反する感情や論理や生き方のもろもろを味わい楽しめるというものですね。Re:[53731] いづれ歌曲をふくめて使いようによっては躁鬱の癒しに良く効きますね。Re:[53730] 絶対的な満足はどこまで達し得られるものか、Re:[53727] 一切のものが、わたしの小宇宙的な浄福のなかで、ふしぎに浄化されていた、その浄福がみずからのなかであらゆるものを、不愉快なことも、退屈きわまる人の言葉も、目に映る忌わしいものの姿も、どれほど宿命的ないさかいをも、浄化したのであった。しかしこの瞬間に、わたしが絶望のどん底にころび落ちたことだけは確かである。Re:[53726] なんじ、わたしの幸福なる自己よ、おまえの物悲しいせせらぎによって救われ解放されていたのだ!Re:[53719] 舞台は隠れた個人の影絵芝居にふさわしい。Re:[53715] 最後の審判の日に、自分自身で出頭することもできずに、気のきいた目論見とか、その日一日だけの決心とか、半時間きりの計画とかなどを身代わりに出頭させる人間Re:[53712] 現実的な姿が目の前にありながら、それが見えないのである。Re:[53710] インテレサントなものに心ひかれぬ娘は反復を信ずる、時を経てそうなった娘に栄誉あれ。Re:[53709] 女の誠実さというものは偉大なものだ、とりわけ男の要求をその厚意に感謝しながら懇ろに断る場合にそうである。Re:[53708] 関係はできたが実現の見込みはないという場合には、思いやりが最大の侮辱である。Re:[53706] わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。Re:[53703] 神よ、すべての男をそういう誠実さから守りたまえ!Re:[53699] 自分自身の死刑判決書Re:[53698] 汝(いまし)へのあこがれ絶えずRe:[53692] わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。Re:[53690] もし反復ということがなかったら、人生とはそもそも何であろう?Re:[53677] ぼくの苦痛と悩みには名前がありません。Re:[53676] ・・・Re:[53674] わが沈黙の共犯者よ! 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/02/06(Sun) 08:00  

つきてくりANNEX−Ω   訪問者数:2329131(今日:114/昨日:463)2011/02/06(Sun) 07:06

Chet Baker - Alone Together
http://www.youtube.com/watch?v=zdDhinO58ss&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=20

> んらにへつANNEX−Ω   訪問者数:2328732(今日:178/昨日:457)2011/02/05(Sat) 10:35
>
> 大切なことを書き漏らした。これをもらしては意味不明になるやもしれん。
>
> Ray Charles - Song For You (1994)
> http://www.youtube.com/watch?v=JSlv_n-gBmk&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=26
>
> Ray Charles - A Song For You (1999)
> http://www.youtube.com/watch?v=jgZTvLFRYrE&feature=BF&list=QL&index=27
>
> この5年間の老い方、ひとりの他人の人生から多様なる己の味わいが味得されますね。
>
> それはともかく・・
>
> > るやくまはANNEX−Ω   訪問者数:2328712(今日:158/昨日:457)2011/02/05(Sat) 08:58
> >
> > Nancy Wilson, When October Goes
> > http://www.youtube.com/watch?v=Oh0l2wle7qY&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=57
> >
> > んったく嫌なくっちゃべり〜くんがまた見ても会ってもおらぬあちこちに妄想でシャシャリデテきて、あれこれとオセッカイと差し出がましいことをやっちょるのんで吐き気がするのが祟ったのか、

これはまことに祟りますね。なんでいちいち面識も知識もない他人に対して、それも、くっちゃべり〜すなわちなんぞとはなんのかかわりももたなければ、なんぞの幼稚で阿呆なものの知識、考え方、どたぬき好み、猿知恵なんぞは反吐ぢゃ!ちうもんへまとわりつくんであらうか?

yoongleeくんが、アメリカへいこうが、中東へいこうが、かってにいけばええことであって、なぬも、ここちゃらで、その浅はかなバカぶりを露呈しつつおばかな宣伝をすることもあんめいとおもうんぢゃが、まあ、バカだから目立ちたがり屋なんでせうね。さうやってますますくんの阿呆さ加減を自ら暴露して、あの吉祥寺でのそば屋でもあれこれいわれるような自業自得の事態に自ら陥るのんは、過去、かのよみうりのたぬきの谷内くんとんったく同じどたぬき軌跡をたどっておるんどすが、ま、さういうことに自らきづきがないのは、まことの不幸なことです。

> > はたまた世界中の美女が歌いまくる名曲の堪能のしずぎか、夜中の2時すぎにふと夢のなかに美しい魔女があらわれみるまにそれが魔法使いのお婆さんに変貌したとたんに寝る前から多少痛かった背中よりは、胃の痛みか、超デカイお稲荷さんをドンブリ飯2杯の前後に間食で10数個平らげたのんで、消化が間に合わなっかたのか、ともかく腹苦しく目が覚め、めったに飲まぬ薬ゆえどこになぬがあるんかもわからんのんで、前屈して胃を抱えるやうにして、冷え切った廊下の奥の女房の寝室までふらふらといって訴えれば、たべすぎだとぶつくさいいながら起きて、なんぢゃ?ビオフェルミン?腸ぢゃねえ、胃ぢゃ、胃じゃ、とはいいつつ数粒のんでまたチャリンコのジャングルのど真ん中のベッドに戻れば、いかにせん、胃の辺りか心臓の辺りもムカツクが背中も痛い、寝すぎか、とも思えど、ま、それほどヘタッタベッドに腰と背中を沈めて寝ている時間もさしたるもんではあらへんのんで、だうも、これは、食いすぎの胃、ちうても、そんなことは日常茶飯事であるし、心臓の発作、これもめったにないし、腎臓の結石か、これも7つが消えたアポカリプスであるからして、不可解ではあるもんの、いやなくっちゃべり〜くんのオセッカイで夢にでてきた魔女、魔法使いに触発されて、ちうても、その風貌をよく見極めれば、だうもライザミネリに似ておらんこともねえんぢゃが、胃と心臓と腎臓が一辺に発作を起こしたのかもしらん、ベッドに寝たり蹲ったりして一向に苦しみが去らぬのんで、また

ケータイで。家庭内でもかういうエマージェンシーのときはケータイは役に立ちますね。もう、くりしくて、前屈しても這ってもたどりつけない、声もとどかないのですから、むっかしは、親機子機の内線電話でしたが、いまはケータイという便利なツールがある、そんでもそれも憎しみのあまりか、煩いからと切ってしまえば、それぞれがいざというときに孤立してしまう。病気のみならず、災害や、その他の非常事態においてもせっかくのもてるネットワークを活用できない事態に陥る。ちうことは、当然わかっておるんでせうが・・・

> > 奥から女房を呼んで、食卓の椅子の背に手をかけて丸めた背中をさすってさすって、かうかう、暖房がつけっぱなしでも、冷えてきますから、風邪をひいてはいけない、ちう思いやりも、お互いにもちうるほどにこころの余裕もでけてくれば、あら、不思議、やはり手当ての効用絶大なるもんがあるんでせうか、胃と心臓と腎臓が融合してしまったやうな重苦しさ痛みがみるみる、ちうより感じ感じに薄らいで、

まことに、これはモルヒネの注射をうたれたやうな劇的効果、むっかし腎臓の石が暴れて、とりあえずの緊急措置で、むっかしの鉄道病院でモルヒネを打たれた、あのときに、激痛がすう〜っとうそのやうに引いていく、あの感覚をひさしぶりで味わいました。

それにすても、かうやって、惰性で家族やっちょるやうなもんではあるもんの、家族もなく、老若男女にかかわらず、昨今は独り身のもんもおおければ、いざという事態の発生のときに、まわりに誰もいないちうことは、なんと心細い、危険な状況なんだらうと・・・

一緒にいればいたでストレス、孤独でいればいたでストレス。

調子のいいときは彼女や彼氏をひっぱりこんで一緒にすごす、でもさういうときはまんず非常事態なんて、天災の地震なんぞのほかには発生もしないでせうが、人間は浮沈するもの、たかが、くっちゃべり〜yoongleeくんの糞バカ言説に反吐をもよおしただけでも、ああいう深刻な胃と心臓と腎臓が癒合した痛み苦痛のパニックにもなりうるのであるし、こりゃあ、なんもソレガシばかりではなく、ここちゃらであのバカ言説に接したもんの誰にでも起こりうる危険でありますれば、ああいうバカなたぬきを見るときは独りで見ちょるとまことに危険ですね。かならず、バディーと一緒にみませう。

> > ほぼ尋常な爽快でもなく、苦痛でもない、普通の状態に回復しましてめでたしで、フライングで救急車なんぞ呼んで世間にご迷惑をかけんでよかった、それもあすは病院へいってらっしゃいちう助言も苦痛が去った今は昔、また起こったらそのときにすんべえ、それまで様子見ちうことで、かうしている次第どすが、なぬせ、あのオセッカイでシャシャリデ好きのくっちゃべり〜君なんぞは大嫌いで、

ほんまに、やなやっちゃ!

> > なぬか、北風くんが、梵はやさしいから、とかいっておったが、ちっともやさしくはない、ああいう、阿呆は阿呆といってあげねば阿呆も卒業でけん、ちうことで云いたい放題なんどすが、ま、それがやさしさと善意にとられればやさしさなんかもしれませんが、畢竟、あの阿呆、バカさ加減は、ソレガシの身自身にもあるもんどすけん、それを云い募るわけであって、ああいうアホバカに比して、慎ましやかにでてくる、あれはなちうたか?ああ、なすのせせさんであったか、ああいうやさしさは、まことに心休まるもんがあって好きですが、くっちゃべり〜の類は大嫌いで、ビョーキになる!ビョーキを蔓延させる黴菌めいた存在であって、

やなやつちうのんは、他人がいやがればいやがるほど、いやがることをやりたがる。

それが、まあ、キルケゴールやニーチェのやうに、己が思想、哲学、感情の智慧にもとづいていれば、なんぼかひとを感動させるもんもあるんぢゃが、かのくっちゃべり〜くんおやうに、目立ちたがり屋、でしゃばり、オセッカイばっかの中身からっぽのどたぬきビヘイビアでは、まことに催すのんは反吐ばっかし。

> > かの尿簿さんか、ああいうたまにちくりと鍼灸めいた鯊のてんぷら、河豚の毒刺めいたもんいれば体も休まらうちうもんどすが、なぬせ、かういう文字に接すると、また余分なことを考えてしまう・・・
> >
> > 体、休ちうこの二文字、体には横一本の短い棒があって、休には棒がない、なんでなんだろ?
> >
> > one
> >
> > これは、横一本の棒で、一でもありまして、これは、単に数字の概念のみではなく、己の一己に通じるものでありますれば、古来、印度で無限の概念が構築される以前に一なるもんは、すべての無限の根源かもしれず、ゆえに、一即多、一即他でもありませうが、その一にして英語でいけば・・
> >
> > ONE〜ONLY〜LONELY〜ALONE
> >
> > かういうONEの言葉の連想つらなりも、ま、歌曲の幾許か、それに中毒しちょろうが、耽溺しちょろうが、その英語の詩の味わいなんぞも、散文英語からはえられぬ気づきもまた到来しますけん、基調にして貴重なもので、

Alone Together

けさの表題の曲ですが、この言葉も味わい深いですね。味わい不快くんのバカ言説とはちゃうて・・

Alone にして Together

なのか

相反するものがちゃんと一個に止揚されちょる、ま、論理でははなればなれのもんも、感情においては一個になる、感情の偉大さ。

ちうか、ばらばらの感情においてさえも、一個の身として止揚されておる。

それにすても、

Together ちうのんは Togather でもあれば、to gather

さすれば

Alone to gather

さらにいいかげんにやれば・・

Al one to gather

All one to gather

まあ、さうなれば、まさに単独者たるキルケゴール的実存の一体化した世界が構築できる、ちう壮大な構図かもしれない。

> > 同様の体でいけば、とはいえ、ほとんど冗談にして諧謔ですから、真に受けてパニックになられては、困るのですが・・・
> >
> > m 対 w
>
> ここ、なんでmとwなのか、を云うのを忘れた。
>
> つまり、m と w 逆さまなのです。
>
> ちう意味は、文字絵通りにMを逆さまにすればWになる。是は大文字ですが・・
>
> 小文字の m は、まことに mild ちうことは、背中が丸まっていて棘がない、棘は下向きなんですが、wちうふうにmを逆さまにするってえと、棘が上向きになって、刺々しくなってくるんですね。そのwildさ。だから・・
>
> > 例えば
> >
> > mild ⇔ wild
> >
> > ならば
> >
> > man ⇔ woman
> >
> > woo!
> >
> > evil → devil
> >
> > はむかしやりましたが、それにしても
> >
> > devilはなんで男なんだらう?
> >
> >
> > > ぬこおいふANNEX−Ω   訪問者数:2328214(今日:117/昨日:402)2011/02/04(Fri) 08:03
> > >
> > > Lara Fabian - Comme ils disent
> > > http://www.youtube.com/watch?v=X7nT8AxI6Ik&feature=BF&list=QL&index=23
> > >
> > > Comme Ils Disent
> > > Lara Fabian

> > > My mum and I we live alone
・・・この一服のshort storyも割愛して・・
> > > Nobody has the right to be
> > > The judge of what is right for me
> > > Tell me if you can
> > > What makes a man a man...
> > >
> > > Liza Minnelli "What Makes A Man A Man"
> > > http://www.youtube.com/watch?v=MCw2W6rZaGo&feature=BF&list=QL&index=31
> > >
> > > Charles Aznavour-Comme ils disent
> > > http://www.youtube.com/watch?v=6WLAGwndSg0&feature=BF&list=QL&index=8
> > >
> > > かういう裂目も同じことです。泣けてきますね。満場の拍手。
> > >
> > > > Phantom of the Opera - All I Ask Of You W/ LYRICS
> > > > http://www.youtube.com/watch?v=s1_5hhr6niQ&feature=BF&list=QL&index=4
> >
> > > > 同調と対抗の図式の身体論、身は精神と肉体を止揚する、内外の媒介で、そこから発する言葉もおなじことでせうが、それが渦を巻いて吹き付けてくる、糞味噌一緒のサイクロンめいた脳みそが太陽の熱線で熱すれば、まあ、いろんな景色がみえてくるわけで・・

> > SHEでもHEでもSがあるかないかだけのことで、反転はしますが、畢竟はおなじことなので・・
> >
> > Barbara Cook - He Was Too Good - Losing My Mind
> > http://www.youtube.com/watch?v=WHloHH9KwQc&feature=BF&list=QL&index=28
> >
> > 阿川 泰子 HD 〜He Was Too Good To Me〜
> > http://www.youtube.com/watch?v=UPwE3CcFgwE&feature=BF&list=QL&index=24
> >
> > このテロップに流れる邦訳はよくできていますが、ふんでもだうもイマイチ、この歌の裂目の諧謔性がわかっていないやうな・・・あいまいで、甘すぎる解釈、訳、であるやうな・・・、ま、それのはうが、世の中は物議を醸さないのでせうから、甘さで酔えば、酔えるもんは、糖尿病ちうこともないでせうが・・腑に落ちぬ。
> >
> > > > > > > ある朝のこと、起き上がると珍しく気持ちが良かった。この快感は、比類を絶して、午前中ずうっとだんだん高まっていった。かっきり1時に、わたしは絶頂に達して、めまいがするほどの極限にいるのを感じた。それはもはや快感の測度計では、詩の温度計でさえも、表示されないほどの高度であった、体は地上的な重みを失っていた、体をもっていないかのようであった。あらゆる機能は満ち足りて働き、どの神経も自己自身に、また全体との調和に喜びを味わい、また一つ一つの脈拍は有機体全体を震動させて瞬間の快楽を思い出させ、それを感じさせるばかりだったから。わたしの歩みは漂うごとくであった、しかしそれは空気を切って地上を離れる鳥の飛翔とはちがって、稲穂の上を吹くわたる風の波、憧憬に酔える海のうねり、夢みる雲の滑走のごとくであった。わたし自身が海の深い底のように、ひとりを楽しむ夜の沈黙のように、反響(こだま)することのない独白にも似た真昼の静寂(しじま)のように、冴えわたっていた。あらゆる情緒が美しい調べを奏でて共鳴しながらわたしの魂の中でやすらいだ。想念は次々と湧き出てきた、あらゆる思想が、祝福の威儀をこらして、押しよせてきた、世にも愚かしい思いつきも、世にも豊かなイデーも。あらゆる印象は来る前にすでに予感されていた、だからそれはわたし自身のうちで目を覚ました。全人世がわたしに愛をかたむけているもののようであった、一切のものが、わたしの存在に触れて運命をはらみながら、打ち震えた。わたしのうちにあるすべてのものは前兆であった。そして一切のものが、わたしの小宇宙的な浄福のなかで、ふしぎに浄化されていた、その浄福がみずからのなかであらゆるものを、不愉快なことも、退屈きわまる人の言葉も、目に映る忌わしいものの姿も、どれほど宿命的ないさかいをも、浄化したのであった。さきにもいったが、かっきり1時に、わたしは最高潮に立っていた、わたしはそれが極限だと予感した。そのとき突然、わたしの一方の目が少しかゆくなりはじめた。それは睫毛だったか、それとも毛屑か塵だったか、わたしは知らない。しかしこの瞬間に、わたしが絶望のどん底にころび落ちたことだけは確かである。
> > > > >
> > > > > この予兆、高みへの予兆、はたまた、低みへの予兆、さういうこともふくめて、予兆があれば予防でけるか?ちうと、それが難しいわけで、
> > > > >
> > > > > 予兆がきたら精神科!
> > > > >
> > > > > ちう安易な行動をとっても、薬漬けになる、薬の効用も副作用も、そりゃあ、広大無辺な精神のジャングルのなかの「開け」「空地」で行なうゲームにすぎぬやうな知のありようであって、この「開け」とか「空地」ちうのんはかのユネスコキルケゴール生誕150周年記念の講演会でハイデッガーがキルケゴールのキの字もださずに寄せた記念講演原稿のなかのキー概念どすが、さういうことは、なぬも哲学ならぬ科学でも医学でもわかっておる、わかっておるにもかかわらず、それぢゃあ、商売にならぬのんは、科学でも医学でもおなじであって、ゆえにわからぬことをわからぬということには口を噤んで、いかにもわかったがぶりでものを云う悪育成、悪い癖に輪をかけたマスコミ、コマーシャル、電通博報堂TV新聞はたまた病院厚生省、そうじて医療行政ならぬ行政もしかりであって、ある政策なり処方なりの効用ばかりを云い募る、副作用の検討もしましたが軽微なうんぬん、ちうのんは、ジャングルの「開け」「空地」でのまことに微々たるゲーム的にテストをしただけのことであって・・
> > > > >
> > > > > 畢竟、あるものがない、という証明は、あるものがある、という証明に比較にならぬほどに難しい、ま、アポリアといってもよいかもしれぬ。
> > > > >
> > > > > > バーンスタイン:マーラー・復活 終楽章4/4
> > > > > > http://www.youtube.com/watch?v=Au8qHVoUAUg&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=24
> > > > > >
> > > > > > これは、わたしと同じ高みに登ったことのある人なら、この高みに立って同時に、そもそも絶対的な満足はどこまで達し得られるものか、という原則的な問題に頭を悩ましたことのある人なら、誰にでも容易に理解できることであろう。
> > > > >
> > > > > これは高みでも低みでもおなじことであって、これも反復なんですね。躁鬱、復活、回復、回帰、みんなおんなじことです。
> > > >
> > > > さうさう、ここで躁鬱というのは、あまりにもメカニックで、さういう言葉をつかうとその言葉の既製概念、メカニックな範疇にとりこまれ、せっかくの高みも低みもその味わいが減殺されかねません。
> > > >
> > > > これは、希望と絶望、願望、欲望の全能化と不能化ですから、さういう頭熱の状態は誰にもありうりわけであって、

> > > > > 高みから絶望へころび落ちる、このモチーフも古来、イカロスの墜落、バベルの塔、精神分析や労働医学における全能と不能、万能と貧能、その他その他、禅と野狐禅とか、忙と閑とか・・・だいぶズレてきました。
> > > > >
> > > > > ともかくも、さいういろいろの状況があって、その状況に振り回される反復にして永劫回帰どすか。
> > > > >
> > > > > 良いも悪いもさうですかね。
> > > > >
> > > > > すっかす、この万能不能感も飛翔墜落感も忙閑感も善悪感もみんなふんまにさうなんだらうか?
> > > > >
> > > > > 自分で自分をそうしている、自分の外の状況がさうだからそうなる、ちうふうに外だしにしたところで、その状況をつくりあげているのは自分である、ということもおうおうにしてあるのだから、万能だから、不能だから、飛翔しているから、墜落したから、忙しいから、閑だから、善いから、悪いから、うんぬんちう高みの絶頂や低みの絶望で己をなくす、自分をなくすことが一番こわい。
> > > >
> > > > 畢竟、アイロニーとか諧謔を解すること、そこにしなやかな自己をもちつづけられるか、つづけれらないか・・・
> > > >
> > > > > > > > わが沈黙の共犯者よ!名前こそありませんが、それでもおそらくはぼくは、あなたにとってつねに何ものかであるだろうと思います。そしていかなる場合にもかわらぬあなたの忠実な友です。
> > > > >
> > > > > 高みにあらうが、低みにあらうが、世間というものは、意外と寛容で、包容力がある、ちうよりか、そんなことには無関心なのかもしれませんし、マスコミジャーナリステック的には、パパラッチになったり、いろいろともかく野次馬へ餌を売るビジネスとしては、高み低みをできるだけ印象的に分裂させてヒーローと悪人をつくりだすことが、糊口を潤すたぬき知恵ですから、必要以上にコントラストをきつくして、世間に流して売り込むわけで、されを鵜呑みすた烏合の衆の野次馬どもが、あの、ゆうちゃんフィーバーのような熱に浮かされ、あたかも、ひっくりかえせばナチス万歳の予備軍が日本中、世界中で培養され増殖しつづける、さういう状況でも、世間ちうもんは意外と寛容で、包容力があって、無関心・・・
> > > > >
> > > > > いったいなぬぬ無関心なのか?
> > > > >
> > > > > いったいなぬぬ関心するのか?
> > > > >
> > > > > > > >                                  敬具

> > > > だから、イロニー諧謔に耐えられるだけの、それを解するだけの、さらにはそれを楽しめるだけの強靭さ、柔軟さというものを養わねばならん、つまり鍛錬がそれなりに必要であって、飲めぬ体質でありながら強い酒を一気に煽ればひっくり返るわけですから、相反する言説のその裂け目にあるもの、なぬもイロニーや諧謔には真実がないわけではなく、相反するもの、裂目にこそ真実というか、なにものかが、全否定のなかの全肯定もあるわけであって、それでこそ相反する感情や論理や生き方のもろもろを味わい楽しめるというものですね。

やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53738] 中東に雑文のネタ探し 投稿者:yoonglee 投稿日:2011/02/05(Sat) 13:42  

 何を偉そうにボケをこくか、梵。あんたの事故の示談はどうなった?
 
 おいらの事故だが、2年前のはまだ裁判中。そこにきてこれ。これを当然裁判になるだろうとも思うが、うむ。
 保険屋に交渉してもあかんねえ。
 が、痛いことは痛い。今回のは肩の筋が切れた。プロ野球選手に多いが、おいらは落車が原因。店が出鱈目な整備をした結果。

 いずれにしても、命だけは無事だったからいいが、うむ。

 今後だが、半年はリハビリが続くらしい。困ったのは3月から二カ月ほど中東に行く計画をどうするか。どんな国にもリハビリ病院はあるが、そこで理学療法師に週に何度か見てもらうことにしたいが、大都市じゃないといないと思う。難儀だぞ。
 インドからパキスタン、その前にアフガニスタン。そしてイラン、イラク、オーマン、イスラエル、エジプト、トルコあたりをバスを使って移動する気だが、どうじゃ。


[53737] m と w 逆さまなのです。Re:[53736]> ONE〜ONLY〜LONELY〜ALONERe:[ [53734] What makes a man a manRe:[53733] 相反するもの、裂目にこそ真実というか、なにものかが、全否定のなかの全肯定もあるわけであって、それでこそ相反する感情や論理や生き方のもろもろを味わい楽しめるというものですね。Re:[53731] いづれ歌曲をふくめて使いようによっては躁鬱の癒しに良く効きますね。Re:[53730] 絶対的な満足はどこまで達し得られるものか、Re:[53727] 一切のものが、わたしの小宇宙的な浄福のなかで、ふしぎに浄化されていた、その浄福がみずからのなかであらゆるものを、不愉快なことも、退屈きわまる人の言葉も、目に映る忌わしいものの姿も、どれほど宿命的ないさかいをも、浄化したのであった。しかしこの瞬間に、わたしが絶望のどん底にころび落ちたことだけは確かである。Re:[53726] なんじ、わたしの幸福なる自己よ、おまえの物悲しいせせらぎによって救われ解放されていたのだ!Re:[53719] 舞台は隠れた個人の影絵芝居にふさわしい。Re:[53715] 最後の審判の日に、自分自身で出頭することもできずに、気のきいた目論見とか、その日一日だけの決心とか、半時間きりの計画とかなどを身代わりに出頭させる人間Re:[53712] 現実的な姿が目の前にありながら、それが見えないのである。Re:[53710] インテレサントなものに心ひかれぬ娘は反復を信ずる、時を経てそうなった娘に栄誉あれ。Re:[53709] 女の誠実さというものは偉大なものだ、とりわけ男の要求をその厚意に感謝しながら懇ろに断る場合にそうである。Re:[53708] 関係はできたが実現の見込みはないという場合には、思いやりが最大の侮辱である。Re:[53706] わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。Re:[53703] 神よ、すべての男をそういう誠実さから守りたまえ!Re:[53699] 自分自身の死刑判決書Re:[53698] 汝(いまし)へのあこがれ絶えずRe:[53692] わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。Re:[53690] もし反復ということがなかったら、人生とはそもそも何であろう?Re:[53677] ぼくの苦痛と悩みには名前がありません。Re:[53676] ・・・Re:[53674] わが沈黙の共犯者よ! 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/02/05(Sat) 10:51  

んらにへつANNEX−Ω   訪問者数:2328732(今日:178/昨日:457)2011/02/05(Sat) 10:35

大切なことを書き漏らした。これをもらしては意味不明になるやもしれん。

Ray Charles - Song For You (1994)
http://www.youtube.com/watch?v=JSlv_n-gBmk&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=26

Ray Charles - A Song For You (1999)
http://www.youtube.com/watch?v=jgZTvLFRYrE&feature=BF&list=QL&index=27

この5年間の老い方、ひとりの他人の人生から多様なる己の味わいが味得されますね。

それはともかく・・

> るやくまはANNEX−Ω   訪問者数:2328712(今日:158/昨日:457)2011/02/05(Sat) 08:58
>
> Nancy Wilson, When October Goes
> http://www.youtube.com/watch?v=Oh0l2wle7qY&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=57
>
> んったく嫌なくっちゃべり〜くんがまた見ても会ってもおらぬあちこちに妄想でシャシャリデテきて、あれこれとオセッカイと差し出がましいことをやっちょるのんで吐き気がするのが祟ったのか、はたまた世界中の美女が歌いまくる名曲の堪能のしずぎか、夜中の2時すぎにふと夢のなかに美しい魔女があらわれみるまにそれが魔法使いのお婆さんに変貌したとたんに寝る前から多少痛かった背中よりは、胃の痛みか、超デカイお稲荷さんをドンブリ飯2杯の前後に間食で10数個平らげたのんで、消化が間に合わなっかたのか、ともかく腹苦しく目が覚め、めったに飲まぬ薬ゆえどこになぬがあるんかもわからんのんで、前屈して胃を抱えるやうにして、冷え切った廊下の奥の女房の寝室までふらふらといって訴えれば、たべすぎだとぶつくさいいながら起きて、なんぢゃ?ビオフェルミン?腸ぢゃねえ、胃ぢゃ、胃じゃ、とはいいつつ数粒のんでまたチャリンコのジャングルのど真ん中のベッドに戻れば、いかにせん、胃の辺りか心臓の辺りもムカツクが背中も痛い、寝すぎか、とも思えど、ま、それほどヘタッタベッドに腰と背中を沈めて寝ている時間もさしたるもんではあらへんのんで、だうも、これは、食いすぎの胃、ちうても、そんなことは日常茶飯事であるし、心臓の発作、これもめったにないし、腎臓の結石か、これも7つが消えたアポカリプスであるからして、不可解ではあるもんの、いやなくっちゃべり〜くんのオセッカイで夢にでてきた魔女、魔法使いに触発されて、ちうても、その風貌をよく見極めれば、だうもライザミネリに似ておらんこともねえんぢゃが、胃と心臓と腎臓が一辺に発作を起こしたのかもしらん、ベッドに寝たり蹲ったりして一向に苦しみが去らぬのんで、また奥から女房を呼んで、食卓の椅子の背に手をかけて丸めた背中をさすってさすって、かうかう、暖房がつけっぱなしでも、冷えてきますから、風邪をひいてはいけない、ちう思いやりも、お互いにもちうるほどにこころの余裕もでけてくれば、あら、不思議、やはり手当ての効用絶大なるもんがあるんでせうか、胃と心臓と腎臓が融合してしまったやうな重苦しさ痛みがみるみる、ちうより感じ感じに薄らいで、ほぼ尋常な爽快でもなく、苦痛でもない、普通の状態に回復しましてめでたしで、フライングで救急車なんぞ呼んで世間にご迷惑をかけんでよかった、それもあすは病院へいってらっしゃいちう助言も苦痛が去った今は昔、また起こったらそのときにすんべえ、それまで様子見ちうことで、かうしている次第どすが、なぬせ、あのオセッカイでシャシャリデ好きのくっちゃべり〜君なんぞは大嫌いで、なぬか、北風くんが、梵はやさしいから、とかいっておったが、ちっともやさしくはない、ああいう、阿呆は阿呆といってあげねば阿呆も卒業でけん、ちうことで云いたい放題なんどすが、ま、それがやさしさと善意にとられればやさしさなんかもしれませんが、畢竟、あの阿呆、バカさ加減は、ソレガシの身自身にもあるもんどすけん、それを云い募るわけであって、ああいうアホバカに比して、慎ましやかにでてくる、あれはなちうたか?ああ、なすのせせさんであったか、ああいうやさしさは、まことに心休まるもんがあって好きですが、くっちゃべり〜の類は大嫌いで、ビョーキになる!ビョーキを蔓延させる黴菌めいた存在であって、かの尿簿さんか、ああいうたまにちくりと鍼灸めいた鯊のてんぷら、河豚の毒刺めいたもんいれば体も休まらうちうもんどすが、なぬせ、かういう文字に接すると、また余分なことを考えてしまう・・・
>
> 体、休ちうこの二文字、体には横一本の短い棒があって、休には棒がない、なんでなんだろ?
>
> one
>
> これは、横一本の棒で、一でもありまして、これは、単に数字の概念のみではなく、己の一己に通じるものでありますれば、古来、印度で無限の概念が構築される以前に一なるもんは、すべての無限の根源かもしれず、ゆえに、一即多、一即他でもありませうが、その一にして英語でいけば・・
>
> ONE〜ONLY〜LONELY〜ALONE
>
> かういうONEの言葉の連想つらなりも、ま、歌曲の幾許か、それに中毒しちょろうが、耽溺しちょろうが、その英語の詩の味わいなんぞも、散文英語からはえられぬ気づきもまた到来しますけん、基調にして貴重なもので、同様の体でいけば、とはいえ、ほとんど冗談にして諧謔ですから、真に受けてパニックになられては、困るのですが・・・
>
> m 対 w

ここ、なんでmとwなのか、を云うのを忘れた。

つまり、m と w 逆さまなのです。

ちう意味は、文字絵通りにMを逆さまにすればWになる。是は大文字ですが・・

小文字の m は、まことに mild ちうことは、背中が丸まっていて棘がない、棘は下向きなんですが、wちうふうにmを逆さまにするってえと、棘が上向きになって、刺々しくなってくるんですね。そのwildさ。だから・・

> 例えば
>
> mild ⇔ wild
>
> ならば
>
> man ⇔ woman
>
> woo!
>
> evil → devil
>
> はむかしやりましたが、それにしても
>
> devilはなんで男なんだらう?
>
>
> > ぬこおいふANNEX−Ω   訪問者数:2328214(今日:117/昨日:402)2011/02/04(Fri) 08:03
> >
> > Lara Fabian - Comme ils disent
> > http://www.youtube.com/watch?v=X7nT8AxI6Ik&feature=BF&list=QL&index=23
> >
> > Comme Ils Disent
> > Lara Fabian
>
> 仏蘭西語の原詩は画像にあり、スペースがたらぬので、カットして・・
>
> > english translation :
> >
> > My mum and I we live alone
> > A great apartment is our home
> > In fairhome towers
> > I have to keep me company
> > Two cats, a dog, a parakeet
> > Some plants and flowers
> > I help my mother with the chores
> > I wash, she dries, I do the floors
> > We work together
> > I shop and cook and sew a bit
> > Though mum does too I must admit
> > I do it better
> > At night I work in a strange bar
> > Impersonating every star
> > I'm quite deceiving
> > The customers come in with doubt
> > And wonder what I'm all about
> > But leave believing
> > I do a very special show
> > Where I am nude from head to toe
> > After stripteasing
> > Each night the men look so surprised
> > I change my sex before their eyes
> > Tell me if you can
> > What makes a man a man
> >
> > Round 3 o'clock or so I meet
> > With friends to have a bite to eat
> > And conversation
> > We talk and empty out our hearts
> > On every subject from the arts
> > To liberation
> > We love to pull apart someone
> > And spread some gossip just for fun
> > Or start a rumour
> > We let our hair down, so to speak
> > And mock ourselves with tongue-in-cheek
> > And inside humour
> > So many times we have to pay
> > For having fun and being gay
> > It's not amusing
> > There's always those who spoil our games
> > By finding fault and calling names
> > Always accusing
> > They draw attention to themselves
> > At the expense of someone else
> > It's so confusing
> > Yet they make fun of how I talk
> > And imitate the way I walk
> > Tell me if you can
> > What makes a man a man
> >
> > My masquerade comes to an end
> > And I go home to bed again
> > Alone and friendless
> > I close my eyes and think of him
> > And fantasize what might have been
> > My dreams are endless
> > We love each other but it seems
> > The love lives only in my dreams
> > It's so one-sided
> > But in this life I must confess
> > The search for love and happiness
> > Is unrequited
> > I ask myself what have I got
> > And what I am and what I'm not
> > What am I giving
> > The answers come from those who make
> > The rules that some of us must break
> > Just to keep living
> > I know my life is not a crime
> > I'm just a victim of my time
> > I stand defenceless
> > Nobody has the right to be
> > The judge of what is right for me
> > Tell me if you can
> > What makes a man a man...
> >
> > Liza Minnelli "What Makes A Man A Man"
> > http://www.youtube.com/watch?v=MCw2W6rZaGo&feature=BF&list=QL&index=31
> >
> > Charles Aznavour-Comme ils disent
> > http://www.youtube.com/watch?v=6WLAGwndSg0&feature=BF&list=QL&index=8
> >
> > かういう裂目も同じことです。泣けてきますね。満場の拍手。
> >
> > > Phantom of the Opera - All I Ask Of You W/ LYRICS
> > > http://www.youtube.com/watch?v=s1_5hhr6niQ&feature=BF&list=QL&index=4
>
> > > 同調と対抗の図式の身体論、身は精神と肉体を止揚する、内外の媒介で、そこから発する言葉もおなじことでせうが、それが渦を巻いて吹き付けてくる、糞味噌一緒のサイクロンめいた脳みそが太陽の熱線で熱すれば、まあ、いろんな景色がみえてくるわけで・・
> >
> >
> > > > Jon Hassell - Amsterdam Blue
> > > > http://www.youtube.com/watch?v=dz40YrNBje4&feature=autoplay&list=QL&index=3&playnext=3
> > > > わたしの忘れがたい保母よ、わたしの父の庭づたいに流れてゆく小川に住むなんじつかまえがたい水の精(ニンフ)よ、おまえはおまえ自身のことだけに心を使っていたけれど、それでもいつも子供の遊びに加わり遊び相手になってくれた!なんじ忠実なる慰安者よ、おまえは幾歳を経てなおおまえの無垢な純粋さを持ちつづけている。わたしがすでに老いさらばえてしまったのに、おまえはちっとも年をとってはいない。なんじ安らかな水の精(ニンフ)よ、人間に倦み、わたし自身に倦んで憩いのためにわたしが永遠を必要としたとき、悲嘆にくれてわたしが忘却のために永遠を必要としたとき、そのたびごとにいつもわたしはおまえのところに逃がれていった。人間たちが永遠を時間と同じようにせわしないものにし、時間よりももっと空恐ろしいものにしてわたしに拒もうとしたものを、おまえはわたしに拒まなかった。そういうとき、わたしはおまえの傍らに身を横たえ、わたし自身から逃がれて、頭上の広い広い蒼空へ消えていった、そして眠りをさそうおまえの囁きに、わたし自身を忘れたものだ!なんじ、わたしの幸福なる自己よ、わたしの父の庭づたいに流れゆく小川に住むなんじ足早の生よ、わたしは投げ捨てられた旅杖にも似た姿でおまえの傍らに身を横たえてはいたが、おまえの物悲しいせせらぎによって救われ解放されていたのだ!
> > >
> > > この水の精(ニンフ)があるから、つづいての歌曲は She Was Too Good to Me となったわけですが・・
> > >
> > >
> > > > > > She Was Too Good to Me
> > > > > > http://mp3.xalo.vn/bai-hat/chet-baker/she-was-too-good-to-me/6b6a58f
>
> このYouTubeをよい聴いていましたが、引用にんは削除されていて、これにしたのですが、これもまあ削除されしまったやうで・・・まあ
>
> SHEでもHEでもSがあるかないかだけのことで、反転はしますが、畢竟はおなじことなので・・
>
> Barbara Cook - He Was Too Good - Losing My Mind
> http://www.youtube.com/watch?v=WHloHH9KwQc&feature=BF&list=QL&index=28
>
> 阿川 泰子 HD 〜He Was Too Good To Me〜
> http://www.youtube.com/watch?v=UPwE3CcFgwE&feature=BF&list=QL&index=24
>
> このテロップに流れる邦訳はよくできていますが、ふんでもだうもイマイチ、この歌の裂目の諧謔性がわかっていないやうな・・・あいまいで、甘すぎる解釈、訳、であるやうな・・・、ま、それのはうが、世の中は物議を醸さないのでせうから、甘さで酔えば、酔えるもんは、糖尿病ちうこともないでせうが・・腑に落ちぬ。
>
>
>
> > > > > > ある朝のこと、起き上がると珍しく気持ちが良かった。この快感は、比類を絶して、午前中ずうっとだんだん高まっていった。かっきり1時に、わたしは絶頂に達して、めまいがするほどの極限にいるのを感じた。それはもはや快感の測度計では、詩の温度計でさえも、表示されないほどの高度であった、体は地上的な重みを失っていた、体をもっていないかのようであった。あらゆる機能は満ち足りて働き、どの神経も自己自身に、また全体との調和に喜びを味わい、また一つ一つの脈拍は有機体全体を震動させて瞬間の快楽を思い出させ、それを感じさせるばかりだったから。わたしの歩みは漂うごとくであった、しかしそれは空気を切って地上を離れる鳥の飛翔とはちがって、稲穂の上を吹くわたる風の波、憧憬に酔える海のうねり、夢みる雲の滑走のごとくであった。わたし自身が海の深い底のように、ひとりを楽しむ夜の沈黙のように、反響(こだま)することのない独白にも似た真昼の静寂(しじま)のように、冴えわたっていた。あらゆる情緒が美しい調べを奏でて共鳴しながらわたしの魂の中でやすらいだ。想念は次々と湧き出てきた、あらゆる思想が、祝福の威儀をこらして、押しよせてきた、世にも愚かしい思いつきも、世にも豊かなイデーも。あらゆる印象は来る前にすでに予感されていた、だからそれはわたし自身のうちで目を覚ました。全人世がわたしに愛をかたむけているもののようであった、一切のものが、わたしの存在に触れて運命をはらみながら、打ち震えた。わたしのうちにあるすべてのものは前兆であった。そして一切のものが、わたしの小宇宙的な浄福のなかで、ふしぎに浄化されていた、その浄福がみずからのなかであらゆるものを、不愉快なことも、退屈きわまる人の言葉も、目に映る忌わしいものの姿も、どれほど宿命的ないさかいをも、浄化したのであった。さきにもいったが、かっきり1時に、わたしは最高潮に立っていた、わたしはそれが極限だと予感した。そのとき突然、わたしの一方の目が少しかゆくなりはじめた。それは睫毛だったか、それとも毛屑か塵だったか、わたしは知らない。しかしこの瞬間に、わたしが絶望のどん底にころび落ちたことだけは確かである。
> > > >
> > > > この予兆、高みへの予兆、はたまた、低みへの予兆、さういうこともふくめて、予兆があれば予防でけるか?ちうと、それが難しいわけで、
> > > >
> > > > 予兆がきたら精神科!
> > > >
> > > > ちう安易な行動をとっても、薬漬けになる、薬の効用も副作用も、そりゃあ、広大無辺な精神のジャングルのなかの「開け」「空地」で行なうゲームにすぎぬやうな知のありようであって、この「開け」とか「空地」ちうのんはかのユネスコキルケゴール生誕150周年記念の講演会でハイデッガーがキルケゴールのキの字もださずに寄せた記念講演原稿のなかのキー概念どすが、さういうことは、なぬも哲学ならぬ科学でも医学でもわかっておる、わかっておるにもかかわらず、それぢゃあ、商売にならぬのんは、科学でも医学でもおなじであって、ゆえにわからぬことをわからぬということには口を噤んで、いかにもわかったがぶりでものを云う悪育成、悪い癖に輪をかけたマスコミ、コマーシャル、電通博報堂TV新聞はたまた病院厚生省、そうじて医療行政ならぬ行政もしかりであって、ある政策なり処方なりの効用ばかりを云い募る、副作用の検討もしましたが軽微なうんぬん、ちうのんは、ジャングルの「開け」「空地」でのまことに微々たるゲーム的にテストをしただけのことであって・・
> > > >
> > > > 畢竟、あるものがない、という証明は、あるものがある、という証明に比較にならぬほどに難しい、ま、アポリアといってもよいかもしれぬ。
> > > >
> > > > > バーンスタイン:マーラー・復活 終楽章4/4
> > > > > http://www.youtube.com/watch?v=Au8qHVoUAUg&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=24
> > > > >
> > > > > これは、わたしと同じ高みに登ったことのある人なら、この高みに立って同時に、そもそも絶対的な満足はどこまで達し得られるものか、という原則的な問題に頭を悩ましたことのある人なら、誰にでも容易に理解できることであろう。
> > > >
> > > > これは高みでも低みでもおなじことであって、これも反復なんですね。躁鬱、復活、回復、回帰、みんなおんなじことです。
> > >
> > > さうさう、ここで躁鬱というのは、あまりにもメカニックで、さういう言葉をつかうとその言葉の既製概念、メカニックな範疇にとりこまれ、せっかくの高みも低みもその味わいが減殺されかねません。
> > >
> > > この躁鬱の騒々しい乾燥、ああ、異常乾燥注意報発令中でですが、だうも、乾燥のそうも、躁鬱のそうも、しっくりこないで、爽快のそう、颯爽のそう、のはうが、よいのかもsれませんし、鬱のはうも、鬱屈して出口が無い、糞詰まりの便秘精神状態よりは、絶望ですから、ちょっと違うわけで、これは、希望と絶望、願望、欲望の全能化と不能化ですから、さういう頭熱の状態は誰にもありうりわけであって、
> > >
> > > 幼稚と老成
> > >
> > > でもそうかもしれませんし、幼稚においては全能感に支配され、老成においては不能感に支配されて、まあ、そんだけでも、実際に不能かいなかは別にしても不能になってしまう、絶望の果てに自殺するやうなもんですが、全能感においてはそれにいくら支配されてもそれの達成は覚束ないのですから、老成すると同時にさういう全能感というもの支配されなくなる、はずなんですが、時として幼稚還りをすれば老成しておっても全能感に支配されることもある、それが、嵐のやうにやってくる・・・
> > >
> > > > 高みから絶望へころび落ちる、このモチーフも古来、イカロスの墜落、バベルの塔、精神分析や労働医学における全能と不能、万能と貧能、その他その他、禅と野狐禅とか、忙と閑とか・・・だいぶズレてきました。
> > > >
> > > > ともかくも、さいういろいろの状況があって、その状況に振り回される反復にして永劫回帰どすか。
> > > >
> > > > 良いも悪いもさうですかね。
> > > >
> > > > すっかす、この万能不能感も飛翔墜落感も忙閑感も善悪感もみんなふんまにさうなんだらうか?
> > > >
> > > > 自分で自分をそうしている、自分の外の状況がさうだからそうなる、ちうふうに外だしにしたところで、その状況をつくりあげているのは自分である、ということもおうおうにしてあるのだから、万能だから、不能だから、飛翔しているから、墜落したから、忙しいから、閑だから、善いから、悪いから、うんぬんちう高みの絶頂や低みの絶望で己をなくす、自分をなくすことが一番こわい。
> > >
> > > 畢竟、この畢竟がだうも晩生、おおくていけないのですが、アイロニーとか諧謔を解すること、そこにしなやかな自己をもちつづけられるか、つづけれらないか・・・
> > >
> > > > > > > わが沈黙の共犯者よ!名前こそありませんが、それでもおそらくはぼくは、あなたにとってつねに何ものかであるだろうと思います。そしていかなる場合にもかわらぬあなたの忠実な友です。
> > > >
> > > > 高みにあらうが、低みにあらうが、世間というものは、意外と寛容で、包容力がある、ちうよりか、そんなことには無関心なのかもしれませんし、マスコミジャーナリステック的には、パパラッチになったり、いろいろともかく野次馬へ餌を売るビジネスとしては、高み低みをできるだけ印象的に分裂させてヒーローと悪人をつくりだすことが、糊口を潤すたぬき知恵ですから、必要以上にコントラストをきつくして、世間に流して売り込むわけで、されを鵜呑みすた烏合の衆の野次馬どもが、あの、ゆうちゃんフィーバーのような熱に浮かされ、あたかも、ひっくりかえせばナチス万歳の予備軍が日本中、世界中で培養され増殖しつづける、さういう状況でも、世間ちうもんは意外と寛容で、包容力があって、無関心・・・
> > > >
> > > > いったいなぬぬ無関心なのか?
> > > >
> > > > いったいなぬぬ関心するのか?
> > > >
> > > > > > >                                  敬具
> > > >
> > > > キルケゴールとかニーチェちうのんは、まことに強い原酒、アブサンとか、テキーラの味わいで強烈ですね。ときどきデキソコナイ
> > >
> > > キルケゴールとかニーチェちうのんはイロニーと諧謔の塊でそのもっとも精製された蒸留成分めいていますから、それをストレートに煽ってしまっては、ひっくりかえりますよ。

> > > だから、イロニー諧謔に耐えられるだけの、それを解するだけの、さらにはそれを楽しめるだけの強靭さ、柔軟さというものを養わねばならん、つまり鍛錬がそれなりに必要であって、飲めぬ体質でありながら強い酒を一気に煽ればひっくり返るわけですから、相反する言説のその裂け目にあるもの、なぬもイロニーや諧謔には真実がないわけではなく、相反するもの、裂目にこそ真実というか、なにものかが、全否定のなかの全肯定もあるわけであって、それでこそ相反する感情や論理や生き方のもろもろを味わい楽しめるというものですね。
>

やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53736] Re:[53734] What makes a man a manRe:[53733] 相反するもの、裂目にこそ真実というか、なにものかが、全否定のなかの全肯定もあるわけであって、それでこそ相反する感情や論理や生き方のもろもろを味わい楽しめるというものですね。Re:[53731] いづれ歌曲をふくめて使いようによっては躁鬱の癒しに良く効きますね。Re:[53730] 絶対的な満足はどこまで達し得られるものか、Re:[53727] 一切のものが、わたしの小宇宙的な浄福のなかで、ふしぎに浄化されていた、その浄福がみずからのなかであらゆるものを、不愉快なことも、退屈きわまる人の言葉も、目に映る忌わしいものの姿も、どれほど宿命的ないさかいをも、浄化したのであった。しかしこの瞬間に、わたしが絶望のどん底にころび落ちたことだけは確かである。Re:[53726] なんじ、わたしの幸福なる自己よ、おまえの物悲しいせせらぎによって救われ解放されていたのだ!Re:[53719] 舞台は隠れた個人の影絵芝居にふさわしい。Re:[53715] 最後の審判の日に、自分自身で出頭することもできずに、気のきいた目論見とか、その日一日だけの決心とか、半時間きりの計画とかなどを身代わりに出頭させる人間Re:[53712] 現実的な姿が目の前にありながら、それが見えないのである。Re:[53710] インテレサントなものに心ひかれぬ娘は反復を信ずる、時を経てそうなった娘に栄誉あれ。Re:[53709] 女の誠実さというものは偉大なものだ、とりわけ男の要求をその厚意に感謝しながら懇ろに断る場合にそうである。Re:[53708] 関係はできたが実現の見込みはないという場合には、思いやりが最大の侮辱である。Re:[53706] わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。Re:[53703] 神よ、すべての男をそういう誠実さから守りたまえ!Re:[53699] 自分自身の死刑判決書Re:[53698] 汝(いまし)へのあこがれ絶えずRe:[53692] わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。Re:[53690] もし反復ということがなかったら、人生とはそもそも何であろう?Re:[53677] ぼくの苦痛と悩みには名前がありません。Re:[53676] ・・・Re:[53674] わが沈黙の共犯者よ! 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/02/05(Sat) 10:25  

るやくまはANNEX−Ω   訪問者数:2328712(今日:158/昨日:457)2011/02/05(Sat) 08:58

Nancy Wilson, When October Goes
http://www.youtube.com/watch?v=Oh0l2wle7qY&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=57

んったく嫌なくっちゃべり〜くんがまた見ても会ってもおらぬあちこちに妄想でシャシャリデテきて、あれこれとオセッカイと差し出がましいことをやっちょるのんで吐き気がするのが祟ったのか、はたまた世界中の美女が歌いまくる名曲の堪能のしずぎか、夜中の2時すぎにふと夢のなかに美しい魔女があらわれみるまにそれが魔法使いのお婆さんに変貌したとたんに寝る前から多少痛かった背中よりは、胃の痛みか、超デカイお稲荷さんをドンブリ飯2杯の前後に間食で10数個平らげたのんで、消化が間に合わなっかたのか、ともかく腹苦しく目が覚め、めったに飲まぬ薬ゆえどこになぬがあるんかもわからんのんで、前屈して胃を抱えるやうにして、冷え切った廊下の奥の女房の寝室までふらふらといって訴えれば、たべすぎだとぶつくさいいながら起きて、なんぢゃ?ビオフェルミン?腸ぢゃねえ、胃ぢゃ、胃じゃ、とはいいつつ数粒のんでまたチャリンコのジャングルのど真ん中のベッドに戻れば、いかにせん、胃の辺りか心臓の辺りもムカツクが背中も痛い、寝すぎか、とも思えど、ま、それほどヘタッタベッドに腰と背中を沈めて寝ている時間もさしたるもんではあらへんのんで、だうも、これは、食いすぎの胃、ちうても、そんなことは日常茶飯事であるし、心臓の発作、これもめったにないし、腎臓の結石か、これも7つが消えたアポカリプスであるからして、不可解ではあるもんの、いやなくっちゃべり〜くんのオセッカイで夢にでてきた魔女、魔法使いに触発されて、ちうても、その風貌をよく見極めれば、だうもライザミネリに似ておらんこともねえんぢゃが、胃と心臓と腎臓が一辺に発作を起こしたのかもしらん、ベッドに寝たり蹲ったりして一向に苦しみが去らぬのんで、また奥から女房を呼んで、食卓の椅子の背に手をかけて丸めた背中をさすってさすって、かうかう、暖房がつけっぱなしでも、冷えてきますから、風邪をひいてはいけない、ちう思いやりも、お互いにもちうるほどにこころの余裕もでけてくれば、あら、不思議、やはり手当ての効用絶大なるもんがあるんでせうか、胃と心臓と腎臓が融合してしまったやうな重苦しさ痛みがみるみる、ちうより感じ感じに薄らいで、ほぼ尋常な爽快でもなく、苦痛でもない、普通の状態に回復しましてめでたしで、フライングで救急車なんぞ呼んで世間にご迷惑をかけんでよかった、それもあすは病院へいってらっしゃいちう助言も苦痛が去った今は昔、また起こったらそのときにすんべえ、それまで様子見ちうことで、かうしている次第どすが、なぬせ、あのオセッカイでシャシャリデ好きのくっちゃべり〜君なんぞは大嫌いで、なぬか、北風くんが、梵はやさしいから、とかいっておったが、ちっともやさしくはない、ああいう、阿呆は阿呆といってあげねば阿呆も卒業でけん、ちうことで云いたい放題なんどすが、ま、それがやさしさと善意にとられればやさしさなんかもしれませんが、畢竟、あの阿呆、バカさ加減は、ソレガシの身自身にもあるもんどすけん、それを云い募るわけであって、ああいうアホバカに比して、慎ましやかにでてくる、あれはなちうたか?ああ、なすのせせさんであったか、ああいうやさしさは、まことに心休まるもんがあって好きですが、くっちゃべり〜の類は大嫌いで、ビョーキになる!ビョーキを蔓延させる黴菌めいた存在であって、かの尿簿さんか、ああいうたまにちくりと鍼灸めいた鯊のてんぷら、河豚の毒刺めいたもんいれば体も休まらうちうもんどすが、なぬせ、かういう文字に接すると、また余分なことを考えてしまう・・・

体、休ちうこの二文字、体には横一本の短い棒があって、休には棒がない、なんでなんだろ?

one

これは、横一本の棒で、一でもありまして、これは、単に数字の概念のみではなく、己の一己に通じるものでありますれば、古来、印度で無限の概念が構築される以前に一なるもんは、すべての無限の根源かもしれず、ゆえに、一即多、一即他でもありませうが、その一にして英語でいけば・・

ONE〜ONLY〜LONELY〜ALONE

かういうONEの言葉の連想つらなりも、ま、歌曲の幾許か、それに中毒しちょろうが、耽溺しちょろうが、その英語の詩の味わいなんぞも、散文英語からはえられぬ気づきもまた到来しますけん、基調にして貴重なもので、同様の体でいけば、とはいえ、ほとんど冗談にして諧謔ですから、真に受けてパニックになられては、困るのですが・・・

m 対 w

例えば

mild ⇔ wild

ならば

man ⇔ woman

woo!

evil → devil

はむかしやりましたが、それにしても

devilはなんで男なんだらう?


> ぬこおいふANNEX−Ω   訪問者数:2328214(今日:117/昨日:402)2011/02/04(Fri) 08:03
>
> Lara Fabian - Comme ils disent
> http://www.youtube.com/watch?v=X7nT8AxI6Ik&feature=BF&list=QL&index=23
>
> Comme Ils Disent
> Lara Fabian

仏蘭西語の原詩は画像にあり、スペースがたらぬので、カットして・・

> english translation :
>
> My mum and I we live alone
> A great apartment is our home
> In fairhome towers
> I have to keep me company
> Two cats, a dog, a parakeet
> Some plants and flowers
> I help my mother with the chores
> I wash, she dries, I do the floors
> We work together
> I shop and cook and sew a bit
> Though mum does too I must admit
> I do it better
> At night I work in a strange bar
> Impersonating every star
> I'm quite deceiving
> The customers come in with doubt
> And wonder what I'm all about
> But leave believing
> I do a very special show
> Where I am nude from head to toe
> After stripteasing
> Each night the men look so surprised
> I change my sex before their eyes
> Tell me if you can
> What makes a man a man
>
> Round 3 o'clock or so I meet
> With friends to have a bite to eat
> And conversation
> We talk and empty out our hearts
> On every subject from the arts
> To liberation
> We love to pull apart someone
> And spread some gossip just for fun
> Or start a rumour
> We let our hair down, so to speak
> And mock ourselves with tongue-in-cheek
> And inside humour
> So many times we have to pay
> For having fun and being gay
> It's not amusing
> There's always those who spoil our games
> By finding fault and calling names
> Always accusing
> They draw attention to themselves
> At the expense of someone else
> It's so confusing
> Yet they make fun of how I talk
> And imitate the way I walk
> Tell me if you can
> What makes a man a man
>
> My masquerade comes to an end
> And I go home to bed again
> Alone and friendless
> I close my eyes and think of him
> And fantasize what might have been
> My dreams are endless
> We love each other but it seems
> The love lives only in my dreams
> It's so one-sided
> But in this life I must confess
> The search for love and happiness
> Is unrequited
> I ask myself what have I got
> And what I am and what I'm not
> What am I giving
> The answers come from those who make
> The rules that some of us must break
> Just to keep living
> I know my life is not a crime
> I'm just a victim of my time
> I stand defenceless
> Nobody has the right to be
> The judge of what is right for me
> Tell me if you can
> What makes a man a man...
>
> Liza Minnelli "What Makes A Man A Man"
> http://www.youtube.com/watch?v=MCw2W6rZaGo&feature=BF&list=QL&index=31
>
> Charles Aznavour-Comme ils disent
> http://www.youtube.com/watch?v=6WLAGwndSg0&feature=BF&list=QL&index=8
>
> かういう裂目も同じことです。泣けてきますね。満場の拍手。
>
> > Phantom of the Opera - All I Ask Of You W/ LYRICS
> > http://www.youtube.com/watch?v=s1_5hhr6niQ&feature=BF&list=QL&index=4

> > 同調と対抗の図式の身体論、身は精神と肉体を止揚する、内外の媒介で、そこから発する言葉もおなじことでせうが、それが渦を巻いて吹き付けてくる、糞味噌一緒のサイクロンめいた脳みそが太陽の熱線で熱すれば、まあ、いろんな景色がみえてくるわけで・・
>
>
> > > Jon Hassell - Amsterdam Blue
> > > http://www.youtube.com/watch?v=dz40YrNBje4&feature=autoplay&list=QL&index=3&playnext=3
> > > わたしの忘れがたい保母よ、わたしの父の庭づたいに流れてゆく小川に住むなんじつかまえがたい水の精(ニンフ)よ、おまえはおまえ自身のことだけに心を使っていたけれど、それでもいつも子供の遊びに加わり遊び相手になってくれた!なんじ忠実なる慰安者よ、おまえは幾歳を経てなおおまえの無垢な純粋さを持ちつづけている。わたしがすでに老いさらばえてしまったのに、おまえはちっとも年をとってはいない。なんじ安らかな水の精(ニンフ)よ、人間に倦み、わたし自身に倦んで憩いのためにわたしが永遠を必要としたとき、悲嘆にくれてわたしが忘却のために永遠を必要としたとき、そのたびごとにいつもわたしはおまえのところに逃がれていった。人間たちが永遠を時間と同じようにせわしないものにし、時間よりももっと空恐ろしいものにしてわたしに拒もうとしたものを、おまえはわたしに拒まなかった。そういうとき、わたしはおまえの傍らに身を横たえ、わたし自身から逃がれて、頭上の広い広い蒼空へ消えていった、そして眠りをさそうおまえの囁きに、わたし自身を忘れたものだ!なんじ、わたしの幸福なる自己よ、わたしの父の庭づたいに流れゆく小川に住むなんじ足早の生よ、わたしは投げ捨てられた旅杖にも似た姿でおまえの傍らに身を横たえてはいたが、おまえの物悲しいせせらぎによって救われ解放されていたのだ!
> >
> > この水の精(ニンフ)があるから、つづいての歌曲は She Was Too Good to Me となったわけですが・・
> >
> >
> > > > > She Was Too Good to Me
> > > > > http://mp3.xalo.vn/bai-hat/chet-baker/she-was-too-good-to-me/6b6a58f

このYouTubeをよい聴いていましたが、引用にんは削除されていて、これにしたのですが、これもまあ削除されしまったやうで・・・まあ

SHEでもHEでもSがあるかないかだけのことで、反転はしますが、畢竟はおなじことなので・・

Barbara Cook - He Was Too Good - Losing My Mind
http://www.youtube.com/watch?v=WHloHH9KwQc&feature=BF&list=QL&index=28

阿川 泰子 HD 〜He Was Too Good To Me〜
http://www.youtube.com/watch?v=UPwE3CcFgwE&feature=BF&list=QL&index=24

このテロップに流れる邦訳はよくできていますが、ふんでもだうもイマイチ、この歌の裂目の諧謔性がわかっていないやうな・・・あいまいで、甘すぎる解釈、訳、であるやうな・・・、ま、それのはうが、世の中は物議を醸さないのでせうから、甘さで酔えば、酔えるもんは、糖尿病ちうこともないでせうが・・腑に落ちぬ。



> > > > > ある朝のこと、起き上がると珍しく気持ちが良かった。この快感は、比類を絶して、午前中ずうっとだんだん高まっていった。かっきり1時に、わたしは絶頂に達して、めまいがするほどの極限にいるのを感じた。それはもはや快感の測度計では、詩の温度計でさえも、表示されないほどの高度であった、体は地上的な重みを失っていた、体をもっていないかのようであった。あらゆる機能は満ち足りて働き、どの神経も自己自身に、また全体との調和に喜びを味わい、また一つ一つの脈拍は有機体全体を震動させて瞬間の快楽を思い出させ、それを感じさせるばかりだったから。わたしの歩みは漂うごとくであった、しかしそれは空気を切って地上を離れる鳥の飛翔とはちがって、稲穂の上を吹くわたる風の波、憧憬に酔える海のうねり、夢みる雲の滑走のごとくであった。わたし自身が海の深い底のように、ひとりを楽しむ夜の沈黙のように、反響(こだま)することのない独白にも似た真昼の静寂(しじま)のように、冴えわたっていた。あらゆる情緒が美しい調べを奏でて共鳴しながらわたしの魂の中でやすらいだ。想念は次々と湧き出てきた、あらゆる思想が、祝福の威儀をこらして、押しよせてきた、世にも愚かしい思いつきも、世にも豊かなイデーも。あらゆる印象は来る前にすでに予感されていた、だからそれはわたし自身のうちで目を覚ました。全人世がわたしに愛をかたむけているもののようであった、一切のものが、わたしの存在に触れて運命をはらみながら、打ち震えた。わたしのうちにあるすべてのものは前兆であった。そして一切のものが、わたしの小宇宙的な浄福のなかで、ふしぎに浄化されていた、その浄福がみずからのなかであらゆるものを、不愉快なことも、退屈きわまる人の言葉も、目に映る忌わしいものの姿も、どれほど宿命的ないさかいをも、浄化したのであった。さきにもいったが、かっきり1時に、わたしは最高潮に立っていた、わたしはそれが極限だと予感した。そのとき突然、わたしの一方の目が少しかゆくなりはじめた。それは睫毛だったか、それとも毛屑か塵だったか、わたしは知らない。しかしこの瞬間に、わたしが絶望のどん底にころび落ちたことだけは確かである。
> > >
> > > この予兆、高みへの予兆、はたまた、低みへの予兆、さういうこともふくめて、予兆があれば予防でけるか?ちうと、それが難しいわけで、
> > >
> > > 予兆がきたら精神科!
> > >
> > > ちう安易な行動をとっても、薬漬けになる、薬の効用も副作用も、そりゃあ、広大無辺な精神のジャングルのなかの「開け」「空地」で行なうゲームにすぎぬやうな知のありようであって、この「開け」とか「空地」ちうのんはかのユネスコキルケゴール生誕150周年記念の講演会でハイデッガーがキルケゴールのキの字もださずに寄せた記念講演原稿のなかのキー概念どすが、さういうことは、なぬも哲学ならぬ科学でも医学でもわかっておる、わかっておるにもかかわらず、それぢゃあ、商売にならぬのんは、科学でも医学でもおなじであって、ゆえにわからぬことをわからぬということには口を噤んで、いかにもわかったがぶりでものを云う悪育成、悪い癖に輪をかけたマスコミ、コマーシャル、電通博報堂TV新聞はたまた病院厚生省、そうじて医療行政ならぬ行政もしかりであって、ある政策なり処方なりの効用ばかりを云い募る、副作用の検討もしましたが軽微なうんぬん、ちうのんは、ジャングルの「開け」「空地」でのまことに微々たるゲーム的にテストをしただけのことであって・・
> > >
> > > 畢竟、あるものがない、という証明は、あるものがある、という証明に比較にならぬほどに難しい、ま、アポリアといってもよいかもしれぬ。
> > >
> > > > バーンスタイン:マーラー・復活 終楽章4/4
> > > > http://www.youtube.com/watch?v=Au8qHVoUAUg&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=24
> > > >
> > > > これは、わたしと同じ高みに登ったことのある人なら、この高みに立って同時に、そもそも絶対的な満足はどこまで達し得られるものか、という原則的な問題に頭を悩ましたことのある人なら、誰にでも容易に理解できることであろう。
> > >
> > > これは高みでも低みでもおなじことであって、これも反復なんですね。躁鬱、復活、回復、回帰、みんなおんなじことです。
> >
> > さうさう、ここで躁鬱というのは、あまりにもメカニックで、さういう言葉をつかうとその言葉の既製概念、メカニックな範疇にとりこまれ、せっかくの高みも低みもその味わいが減殺されかねません。
> >
> > この躁鬱の騒々しい乾燥、ああ、異常乾燥注意報発令中でですが、だうも、乾燥のそうも、躁鬱のそうも、しっくりこないで、爽快のそう、颯爽のそう、のはうが、よいのかもsれませんし、鬱のはうも、鬱屈して出口が無い、糞詰まりの便秘精神状態よりは、絶望ですから、ちょっと違うわけで、これは、希望と絶望、願望、欲望の全能化と不能化ですから、さういう頭熱の状態は誰にもありうりわけであって、
> >
> > 幼稚と老成
> >
> > でもそうかもしれませんし、幼稚においては全能感に支配され、老成においては不能感に支配されて、まあ、そんだけでも、実際に不能かいなかは別にしても不能になってしまう、絶望の果てに自殺するやうなもんですが、全能感においてはそれにいくら支配されてもそれの達成は覚束ないのですから、老成すると同時にさういう全能感というもの支配されなくなる、はずなんですが、時として幼稚還りをすれば老成しておっても全能感に支配されることもある、それが、嵐のやうにやってくる・・・
> >
> > > 高みから絶望へころび落ちる、このモチーフも古来、イカロスの墜落、バベルの塔、精神分析や労働医学における全能と不能、万能と貧能、その他その他、禅と野狐禅とか、忙と閑とか・・・だいぶズレてきました。
> > >
> > > ともかくも、さいういろいろの状況があって、その状況に振り回される反復にして永劫回帰どすか。
> > >
> > > 良いも悪いもさうですかね。
> > >
> > > すっかす、この万能不能感も飛翔墜落感も忙閑感も善悪感もみんなふんまにさうなんだらうか?
> > >
> > > 自分で自分をそうしている、自分の外の状況がさうだからそうなる、ちうふうに外だしにしたところで、その状況をつくりあげているのは自分である、ということもおうおうにしてあるのだから、万能だから、不能だから、飛翔しているから、墜落したから、忙しいから、閑だから、善いから、悪いから、うんぬんちう高みの絶頂や低みの絶望で己をなくす、自分をなくすことが一番こわい。
> >
> > 畢竟、この畢竟がだうも晩生、おおくていけないのですが、アイロニーとか諧謔を解すること、そこにしなやかな自己をもちつづけられるか、つづけれらないか・・・
> >
> > > > > > わが沈黙の共犯者よ!名前こそありませんが、それでもおそらくはぼくは、あなたにとってつねに何ものかであるだろうと思います。そしていかなる場合にもかわらぬあなたの忠実な友です。
> > >
> > > 高みにあらうが、低みにあらうが、世間というものは、意外と寛容で、包容力がある、ちうよりか、そんなことには無関心なのかもしれませんし、マスコミジャーナリステック的には、パパラッチになったり、いろいろともかく野次馬へ餌を売るビジネスとしては、高み低みをできるだけ印象的に分裂させてヒーローと悪人をつくりだすことが、糊口を潤すたぬき知恵ですから、必要以上にコントラストをきつくして、世間に流して売り込むわけで、されを鵜呑みすた烏合の衆の野次馬どもが、あの、ゆうちゃんフィーバーのような熱に浮かされ、あたかも、ひっくりかえせばナチス万歳の予備軍が日本中、世界中で培養され増殖しつづける、さういう状況でも、世間ちうもんは意外と寛容で、包容力があって、無関心・・・
> > >
> > > いったいなぬぬ無関心なのか?
> > >
> > > いったいなぬぬ関心するのか?
> > >
> > > > > >                                  敬具
> > >
> > > キルケゴールとかニーチェちうのんは、まことに強い原酒、アブサンとか、テキーラの味わいで強烈ですね。ときどきデキソコナイ
> >
> > キルケゴールとかニーチェちうのんはイロニーと諧謔の塊でそのもっとも精製された蒸留成分めいていますから、それをストレートに煽ってしまっては、ひっくりかえりますよ。
> >
> > やうは、一の極みから他の極みに一挙にすっとんでいく、そのすっとびかたについていけない凡庸さでは、このイロニーも諧謔も味わいやうがありませんで、只管の脳波扁平な凡百な言説のなかをうろうろするだけでせいが、双極性や多極性の人格においては、脳波の香華ならぬ高下も振幅も大きいですから、容易についていける、同調できるんですが、それをストレートにうけとってしまうと、それこそパニックに発作になってしまう、脳波振り切れで、いと切れタコになりかねません。
> >
> > だから、イロニー諧謔に耐えられるだけの、それを解するだけの、さらにはそれを楽しめるだけの強靭さ、柔軟さというものを養わねばならん、つまり鍛錬がそれなりに必要であって、飲めぬ体質でありながら強い酒を一気に煽ればひっくり返るわけですから、相反する言説のその裂け目にあるもの、なぬもイロニーや諧謔には真実がないわけではなく、相反するもの、裂目にこそ真実というか、なにものかが、全否定のなかの全肯定もあるわけであって、それでこそ相反する感情や論理や生き方のもろもろを味わい楽しめるというものですね。

やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53735] 外国音楽かぶれもいいが、悪いことはいわん、梵 投稿者:yoonglee 投稿日:2011/02/04(Fri) 13:39  

 1 カルシュームを意図的に多くとる
 2 毎年精密検査をする
 3 禁煙する
 4 心臓に高い負荷をかけない

 これだけはしっかり守って、お楽しみあれ。人体は壊れるときは壊れるぞ。今回のオペで、病棟を見て回ってやっとわかったが、うむ。

 


[53734] What makes a man a manRe:[53733] 相反するもの、裂目にこそ真実というか、なにものかが、全否定のなかの全肯定もあるわけであって、それでこそ相反する感情や論理や生き方のもろもろを味わい楽しめるというものですね。Re:[53731] いづれ歌曲をふくめて使いようによっては躁鬱の癒しに良く効きますね。Re:[53730] 絶対的な満足はどこまで達し得られるものか、Re:[53727] 一切のものが、わたしの小宇宙的な浄福のなかで、ふしぎに浄化されていた、その浄福がみずからのなかであらゆるものを、不愉快なことも、退屈きわまる人の言葉も、目に映る忌わしいものの姿も、どれほど宿命的ないさかいをも、浄化したのであった。しかしこの瞬間に、わたしが絶望のどん底にころび落ちたことだけは確かである。Re:[53726] なんじ、わたしの幸福なる自己よ、おまえの物悲しいせせらぎによって救われ解放されていたのだ!Re:[53719] 舞台は隠れた個人の影絵芝居にふさわしい。Re:[53715] 最後の審判の日に、自分自身で出頭することもできずに、気のきいた目論見とか、その日一日だけの決心とか、半時間きりの計画とかなどを身代わりに出頭させる人間Re:[53712] 現実的な姿が目の前にありながら、それが見えないのである。Re:[53710] インテレサントなものに心ひかれぬ娘は反復を信ずる、時を経てそうなった娘に栄誉あれ。Re:[53709] 女の誠実さというものは偉大なものだ、とりわけ男の要求をその厚意に感謝しながら懇ろに断る場合にそうである。Re:[53708] 関係はできたが実現の見込みはないという場合には、思いやりが最大の侮辱である。Re:[53706] わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。Re:[53703] 神よ、すべての男をそういう誠実さから守りたまえ!Re:[53699] 自分自身の死刑判決書Re:[53698] 汝(いまし)へのあこがれ絶えずRe:[53692] わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。Re:[53690] もし反復ということがなかったら、人生とはそもそも何であろう?Re:[53677] ぼくの苦痛と悩みには名前がありません。Re:[53676] ・・・Re:[53674] わが沈黙の共犯者よ! 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/02/04(Fri) 08:18  

ぬこおいふANNEX−Ω   訪問者数:2328214(今日:117/昨日:402)2011/02/04(Fri) 08:03

Lara Fabian - Comme ils disent
http://www.youtube.com/watch?v=X7nT8AxI6Ik&feature=BF&list=QL&index=23

Comme Ils Disent
Lara Fabian

J'habite seul avec maman
Dans un très vieil appartement rue Sarasate
J'ai pour me tenir compagnie
Une tortue deux canaris et une chatte.
Pour laisser maman reposer
Très souvent je fais le marché et la cuisine
Je range, je lave et j'essuie,
A l'occasion je pique aussi à la machine.
Le travail ne me fait pas peur
Je suis un peu décorateur un peu styliste
Mais mon vrai métier c'est la nuit.
Que je l'exerce travesti, je suis artiste.
Jai un numéro très spécial
Qui finit en nu intégral après strip-tease,
Et dans la salle je vois que
Les mâles n'en croient pas leurs yeux.
Je suis un homo comme ils disent.

Vers les trois heures du matin
On va manger entre copains de tous les sexes
Dans un quelconque bar-tabac
Et là on s'en donne à cœur joie et sans complexe
On déballe des vérités
Sur des gens qu'on a dans le nez, on les lapide.
Mais on le fait avec humour
Enrobés dans des calembours mouillés d'acide
On rencontre des attardés
Qui pour épater leurs tablées marchent et ondulent
Singeant ce qu'ils croient être nous
Et se couvrent, les pauvres fous, de ridicule
Ça gesticule et parle fort.
Ça joue les divas, les ténors de la bêtise.
Moi les lazzi, les quolibets
Me laissent froid puisque c'est vrai.
Je suis un homo comme ils disent.

A l'heure où naît un jour nouveau
Je rentre retrouver mon lot de solitude.
J'ôte mes cils et mes cheveux
Comme un pauvre clown malheureux de lassitude.
Je me couche mais je ne dors pas
Je pense à mes amours sans joie si dérisoires.
A ce garçon beau comme un Dieu
Qui sans rien faire a mis le feu à ma mémoire.
Ma bouche n'osera jamais
Lui avouer mon doux secret mon tendre drame
Car l'objet de tous mes tourments
Passe le plus clair de son temps au lit des femmes
Nul n'a le droit en vérité
De me blâmer de me juger et je précise
Que c'est bien la nature qui
Est seule responsable si
Je suis un "homme oh" comme ils disent.


english translation :

My mum and I we live alone
A great apartment is our home
In fairhome towers
I have to keep me company
Two cats, a dog, a parakeet
Some plants and flowers
I help my mother with the chores
I wash, she dries, I do the floors
We work together
I shop and cook and sew a bit
Though mum does too I must admit
I do it better
At night I work in a strange bar
Impersonating every star
I'm quite deceiving
The customers come in with doubt
And wonder what I'm all about
But leave believing
I do a very special show
Where I am nude from head to toe
After stripteasing
Each night the men look so surprised
I change my sex before their eyes
Tell me if you can
What makes a man a man

Round 3 o'clock or so I meet
With friends to have a bite to eat
And conversation
We talk and empty out our hearts
On every subject from the arts
To liberation
We love to pull apart someone
And spread some gossip just for fun
Or start a rumour
We let our hair down, so to speak
And mock ourselves with tongue-in-cheek
And inside humour
So many times we have to pay
For having fun and being gay
It's not amusing
There's always those who spoil our games
By finding fault and calling names
Always accusing
They draw attention to themselves
At the expense of someone else
It's so confusing
Yet they make fun of how I talk
And imitate the way I walk
Tell me if you can
What makes a man a man

My masquerade comes to an end
And I go home to bed again
Alone and friendless
I close my eyes and think of him
And fantasize what might have been
My dreams are endless
We love each other but it seems
The love lives only in my dreams
It's so one-sided
But in this life I must confess
The search for love and happiness
Is unrequited
I ask myself what have I got
And what I am and what I'm not
What am I giving
The answers come from those who make
The rules that some of us must break
Just to keep living
I know my life is not a crime
I'm just a victim of my time
I stand defenceless
Nobody has the right to be
The judge of what is right for me
Tell me if you can
What makes a man a man...

Liza Minnelli "What Makes A Man A Man"
http://www.youtube.com/watch?v=MCw2W6rZaGo&feature=BF&list=QL&index=31

Charles Aznavour-Comme ils disent
http://www.youtube.com/watch?v=6WLAGwndSg0&feature=BF&list=QL&index=8

かういう裂目も同じことです。泣けてきますね。満場の拍手。

> Phantom of the Opera - All I Ask Of You W/ LYRICS
> http://www.youtube.com/watch?v=s1_5hhr6niQ&feature=BF&list=QL&index=4

> 人間というものは、ああ、下に躁鬱といいましたが、さういうメカニカルな精神医学語を使うとだうもさういうメカニカルなもんに嵌ってしまう、分裂しかりであって、躁うつ病と分裂病とてんかんのオンパレードがキルケゴールやドストエフスキーや、ニーチェあれは脳梅毒ぢゃ!なんちうことの以前のメカニカルな人間図式から離れて、さういう双極性、多極性、あるいは、同調性、あるいは反抗、対抗性、あらゆるものが渦を巻いていて、どこに?己に、自己に他己に世間に、汝があればそれに同調し、汝が朧になれば、それが分裂し多極化し、果ては反抗、対抗、まあ、これはまさに、かの市川の論じる身体図式そのものですけれども、それはまさに汝我のありよう、それが血肉を供えた一人の恋人であらうが読み耽る一冊の本であらうが、さういうこの巻き込まれる、それは、あたかも、あらゆる運動、身体的運動、精神的運動の最たるもんであって、自転車でもへたくそなくっちゃべり〜メタボの漕ぎ方、痴漢くんのハウツウに巻き込まれれば、畢竟、美しく乗れない、せいぜが豚や猿の行列にして、歯抜け鶏が首を前後して坂を登る風景にして、んったく醜悪な図式になりはてる、のですが、やはり、美しく乗る達人と乗ればその身体運動や精神のありやうがおのずから伝染してきて、これは共鳴かもしれませんが、意識せずとも学びとる、さういう無位意識の智慧ちうもんも、ひとにはそなわっていますから、酒にそばレバ、ではのうて、朱に染まれば赤くなる、染まってしまうのは、良いにつけ、悪しきにつけ、あることであって、自転車ならぬ、ダンスなんぞでも、相手が上手ければ下手でも上手く踊れる、まあ、ぎこちなくなくとも、へたくそな相手と踊るよりもへたくそぢゃない、セックスでもさうですね、うまい相手とやれば、いかに不能でも全能になったかのやうな・・・ちうこともないでしょうが、さういう不能治療は病院でやらないのか?やるかもしれませんね。医師法違反。
>
> かういうのを冗談というのでせうか?
>
> それともぶっらく、うむ、ぶっらくアウトでしらけちゃうんでせうか?
>
> イロニーや諧謔のもろもろには、もちろん香華のあるもんもあれば醜悪なものもあるんでせうが、その香華にしても醜悪にしても、予定調和の香華や醜悪では、インテレサントなもんではありえぬわけあって、香華が醜悪、香ちういうからには臭の、悪習、悪臭、臭悪かもしれませんが、さういう双極性のいったりきたり、これは循環性ですが、さうぢゃのうて、同時存在、混沌、渦巻、サイクロン、ハリケーンなみに、ダイヤモンドも札束も糞もいっしょにぶっ飛んでくる、あのオーストラリヤも大変ですが、ああいう、ニュース、大雪の北陸や、穴沢の3m超の積雪、たしかに大変なんですが、さういうニュースのはうが、よっぽどあの馬鹿馬鹿しいサッカーのアジア大会の「ヒーロー」帰国でどたぬきマスコミが朝から晩までてんやわんやの餌作りのニュースなんぞよりもよっぽど心が休まりますが、さういうこと、つまり・・・
>
> 同調と対抗の図式の身体論、身は精神と肉体を止揚する、内外の媒介で、そこから発する言葉もおなじことでせうが、それが渦を巻いて吹き付けてくる、糞味噌一緒のサイクロンめいた脳みそが太陽の熱線で熱すれば、まあ、いろんな景色がみえてくるわけで・・


> > Jon Hassell - Amsterdam Blue
> > http://www.youtube.com/watch?v=dz40YrNBje4&feature=autoplay&list=QL&index=3&playnext=3
> > わたしの忘れがたい保母よ、わたしの父の庭づたいに流れてゆく小川に住むなんじつかまえがたい水の精(ニンフ)よ、おまえはおまえ自身のことだけに心を使っていたけれど、それでもいつも子供の遊びに加わり遊び相手になってくれた!なんじ忠実なる慰安者よ、おまえは幾歳を経てなおおまえの無垢な純粋さを持ちつづけている。わたしがすでに老いさらばえてしまったのに、おまえはちっとも年をとってはいない。なんじ安らかな水の精(ニンフ)よ、人間に倦み、わたし自身に倦んで憩いのためにわたしが永遠を必要としたとき、悲嘆にくれてわたしが忘却のために永遠を必要としたとき、そのたびごとにいつもわたしはおまえのところに逃がれていった。人間たちが永遠を時間と同じようにせわしないものにし、時間よりももっと空恐ろしいものにしてわたしに拒もうとしたものを、おまえはわたしに拒まなかった。そういうとき、わたしはおまえの傍らに身を横たえ、わたし自身から逃がれて、頭上の広い広い蒼空へ消えていった、そして眠りをさそうおまえの囁きに、わたし自身を忘れたものだ!なんじ、わたしの幸福なる自己よ、わたしの父の庭づたいに流れゆく小川に住むなんじ足早の生よ、わたしは投げ捨てられた旅杖にも似た姿でおまえの傍らに身を横たえてはいたが、おまえの物悲しいせせらぎによって救われ解放されていたのだ!
>
> この水の精(ニンフ)があるから、つづいての歌曲は She Was Too Good to Me となったわけですが・・
>
>
> > > > She Was Too Good to Me
> > > > http://mp3.xalo.vn/bai-hat/chet-baker/she-was-too-good-to-me/6b6a58f
> > > > ある朝のこと、起き上がると珍しく気持ちが良かった。この快感は、比類を絶して、午前中ずうっとだんだん高まっていった。かっきり1時に、わたしは絶頂に達して、めまいがするほどの極限にいるのを感じた。それはもはや快感の測度計では、詩の温度計でさえも、表示されないほどの高度であった、体は地上的な重みを失っていた、体をもっていないかのようであった。あらゆる機能は満ち足りて働き、どの神経も自己自身に、また全体との調和に喜びを味わい、また一つ一つの脈拍は有機体全体を震動させて瞬間の快楽を思い出させ、それを感じさせるばかりだったから。わたしの歩みは漂うごとくであった、しかしそれは空気を切って地上を離れる鳥の飛翔とはちがって、稲穂の上を吹くわたる風の波、憧憬に酔える海のうねり、夢みる雲の滑走のごとくであった。わたし自身が海の深い底のように、ひとりを楽しむ夜の沈黙のように、反響(こだま)することのない独白にも似た真昼の静寂(しじま)のように、冴えわたっていた。あらゆる情緒が美しい調べを奏でて共鳴しながらわたしの魂の中でやすらいだ。想念は次々と湧き出てきた、あらゆる思想が、祝福の威儀をこらして、押しよせてきた、世にも愚かしい思いつきも、世にも豊かなイデーも。あらゆる印象は来る前にすでに予感されていた、だからそれはわたし自身のうちで目を覚ました。全人世がわたしに愛をかたむけているもののようであった、一切のものが、わたしの存在に触れて運命をはらみながら、打ち震えた。わたしのうちにあるすべてのものは前兆であった。そして一切のものが、わたしの小宇宙的な浄福のなかで、ふしぎに浄化されていた、その浄福がみずからのなかであらゆるものを、不愉快なことも、退屈きわまる人の言葉も、目に映る忌わしいものの姿も、どれほど宿命的ないさかいをも、浄化したのであった。さきにもいったが、かっきり1時に、わたしは最高潮に立っていた、わたしはそれが極限だと予感した。そのとき突然、わたしの一方の目が少しかゆくなりはじめた。それは睫毛だったか、それとも毛屑か塵だったか、わたしは知らない。しかしこの瞬間に、わたしが絶望のどん底にころび落ちたことだけは確かである。
> >
> > この予兆、高みへの予兆、はたまた、低みへの予兆、さういうこともふくめて、予兆があれば予防でけるか?ちうと、それが難しいわけで、
> >
> > 予兆がきたら精神科!
> >
> > ちう安易な行動をとっても、薬漬けになる、薬の効用も副作用も、そりゃあ、広大無辺な精神のジャングルのなかの「開け」「空地」で行なうゲームにすぎぬやうな知のありようであって、この「開け」とか「空地」ちうのんはかのユネスコキルケゴール生誕150周年記念の講演会でハイデッガーがキルケゴールのキの字もださずに寄せた記念講演原稿のなかのキー概念どすが、さういうことは、なぬも哲学ならぬ科学でも医学でもわかっておる、わかっておるにもかかわらず、それぢゃあ、商売にならぬのんは、科学でも医学でもおなじであって、ゆえにわからぬことをわからぬということには口を噤んで、いかにもわかったがぶりでものを云う悪育成、悪い癖に輪をかけたマスコミ、コマーシャル、電通博報堂TV新聞はたまた病院厚生省、そうじて医療行政ならぬ行政もしかりであって、ある政策なり処方なりの効用ばかりを云い募る、副作用の検討もしましたが軽微なうんぬん、ちうのんは、ジャングルの「開け」「空地」でのまことに微々たるゲーム的にテストをしただけのことであって・・
> >
> > 畢竟、あるものがない、という証明は、あるものがある、という証明に比較にならぬほどに難しい、ま、アポリアといってもよいかもしれぬ。
> >
> > > バーンスタイン:マーラー・復活 終楽章4/4
> > > http://www.youtube.com/watch?v=Au8qHVoUAUg&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=24
> > >
> > > これは、わたしと同じ高みに登ったことのある人なら、この高みに立って同時に、そもそも絶対的な満足はどこまで達し得られるものか、という原則的な問題に頭を悩ましたことのある人なら、誰にでも容易に理解できることであろう。
> >
> > これは高みでも低みでもおなじことであって、これも反復なんですね。躁鬱、復活、回復、回帰、みんなおんなじことです。
>
> さうさう、ここで躁鬱というのは、あまりにもメカニックで、さういう言葉をつかうとその言葉の既製概念、メカニックな範疇にとりこまれ、せっかくの高みも低みもその味わいが減殺されかねません。
>
> この躁鬱の騒々しい乾燥、ああ、異常乾燥注意報発令中でですが、だうも、乾燥のそうも、躁鬱のそうも、しっくりこないで、爽快のそう、颯爽のそう、のはうが、よいのかもsれませんし、鬱のはうも、鬱屈して出口が無い、糞詰まりの便秘精神状態よりは、絶望ですから、ちょっと違うわけで、これは、希望と絶望、願望、欲望の全能化と不能化ですから、さういう頭熱の状態は誰にもありうりわけであって、
>
> 幼稚と老成
>
> でもそうかもしれませんし、幼稚においては全能感に支配され、老成においては不能感に支配されて、まあ、そんだけでも、実際に不能かいなかは別にしても不能になってしまう、絶望の果てに自殺するやうなもんですが、全能感においてはそれにいくら支配されてもそれの達成は覚束ないのですから、老成すると同時にさういう全能感というもの支配されなくなる、はずなんですが、時として幼稚還りをすれば老成しておっても全能感に支配されることもある、それが、嵐のやうにやってくる・・・
>
> > 高みから絶望へころび落ちる、このモチーフも古来、イカロスの墜落、バベルの塔、精神分析や労働医学における全能と不能、万能と貧能、その他その他、禅と野狐禅とか、忙と閑とか・・・だいぶズレてきました。
> >
> > ともかくも、さいういろいろの状況があって、その状況に振り回される反復にして永劫回帰どすか。
> >
> > 良いも悪いもさうですかね。
> >
> > すっかす、この万能不能感も飛翔墜落感も忙閑感も善悪感もみんなふんまにさうなんだらうか?
> >
> > 自分で自分をそうしている、自分の外の状況がさうだからそうなる、ちうふうに外だしにしたところで、その状況をつくりあげているのは自分である、ということもおうおうにしてあるのだから、万能だから、不能だから、飛翔しているから、墜落したから、忙しいから、閑だから、善いから、悪いから、うんぬんちう高みの絶頂や低みの絶望で己をなくす、自分をなくすことが一番こわい。
>
> 畢竟、この畢竟がだうも晩生、おおくていけないのですが、アイロニーとか諧謔を解すること、そこにしなやかな自己をもちつづけられるか、つづけれらないか・・・
>
> > > > > わが沈黙の共犯者よ!名前こそありませんが、それでもおそらくはぼくは、あなたにとってつねに何ものかであるだろうと思います。そしていかなる場合にもかわらぬあなたの忠実な友です。
> >
> > 高みにあらうが、低みにあらうが、世間というものは、意外と寛容で、包容力がある、ちうよりか、そんなことには無関心なのかもしれませんし、マスコミジャーナリステック的には、パパラッチになったり、いろいろともかく野次馬へ餌を売るビジネスとしては、高み低みをできるだけ印象的に分裂させてヒーローと悪人をつくりだすことが、糊口を潤すたぬき知恵ですから、必要以上にコントラストをきつくして、世間に流して売り込むわけで、されを鵜呑みすた烏合の衆の野次馬どもが、あの、ゆうちゃんフィーバーのような熱に浮かされ、あたかも、ひっくりかえせばナチス万歳の予備軍が日本中、世界中で培養され増殖しつづける、さういう状況でも、世間ちうもんは意外と寛容で、包容力があって、無関心・・・
> >
> > いったいなぬぬ無関心なのか?
> >
> > いったいなぬぬ関心するのか?
> >
> > > > >                                  敬具
> >
> > キルケゴールとかニーチェちうのんは、まことに強い原酒、アブサンとか、テキーラの味わいで強烈ですね。ときどきデキソコナイ
>
> キルケゴールとかニーチェちうのんはイロニーと諧謔の塊でそのもっとも精製された蒸留成分めいていますから、それをストレートに煽ってしまっては、ひっくりかえりますよ。
>
> やうは、一の極みから他の極みに一挙にすっとんでいく、そのすっとびかたについていけない凡庸さでは、このイロニーも諧謔も味わいやうがありませんで、只管の脳波扁平な凡百な言説のなかをうろうろするだけでせいが、双極性や多極性の人格においては、脳波の香華ならぬ高下も振幅も大きいですから、容易についていける、同調できるんですが、それをストレートにうけとってしまうと、それこそパニックに発作になってしまう、脳波振り切れで、いと切れタコになりかねません。
>
> だから、イロニー諧謔に耐えられるだけの、それを解するだけの、さらにはそれを楽しめるだけの強靭さ、柔軟さというものを養わねばならん、つまり鍛錬がそれなりに必要であって、飲めぬ体質でありながら強い酒を一気に煽ればひっくり返るわけですから、相反する言説のその裂け目にあるもの、なぬもイロニーや諧謔には真実がないわけではなく、相反するもの、裂目にこそ真実というか、なにものかが、全否定のなかの全肯定もあるわけであって、それでこそ相反する感情や論理や生き方のもろもろを味わい楽しめるというものですね。
>
> > ゆえに、毎晩晩酌するなら、上質なるブランデー、清酒、焼酎、さいきんは、ソレガシはパックの梅酒で、これはさして上質ではありませんが、さういう晩酌でも度が過ぎればアルチューにもなるように、キルケゴールとかニーチェのアブサンやテキーラは効き目もはやいのですが、ほどほどにしないとこれも中毒を起こしますよ。
> >
> > これらの蒸留酒めいたもんに比して・・・・
> >
> > かの西田幾多郎なんかは、やっぱしどぶろくの味わい、それも酩酊状態ちう感じがします。いつまでもえんえんとおなじことを繰り返し繰り返し・・・これはお経の影響でせか。
> >
> > 西田の盟友の、鈴木大拙、これは上質な精進料理の味わいですね。意外と豊潤で味わい深く食べ過ぎてもさしたる中毒にもならず消化もよく臓器や脳みそをこわすこともないでせう。
> >
> > 歌や曲はちょっとおつまみなお菓子の類なのかもしれませんが、意外とクスリ的に毒気の強いものもありますが、よく効くものもあります。マーラー自身がフロイトの患者であったやうですが、マーラーの作品、あれはニーチェをモチーフにしたものも多いのですが、そのニーチャはこれまたキルケゴールをモチーフに・・・ちうのんは、ソレガシの観察、仮説、アテズッポウのくっちゃべりですが、いづれ歌曲をふくめて使いようによっては躁鬱の癒しに良く効きますね。

やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53733] 相反するもの、裂目にこそ真実というか、なにものかが、全否定のなかの全肯定もあるわけであって、それでこそ相反する感情や論理や生き方のもろもろを味わい楽しめるというものですね。Re:[53731] いづれ歌曲をふくめて使いようによっては躁鬱の癒しに良く効きますね。Re:[53730] 絶対的な満足はどこまで達し得られるものか、Re:[53727] 一切のものが、わたしの小宇宙的な浄福のなかで、ふしぎに浄化されていた、その浄福がみずからのなかであらゆるものを、不愉快なことも、退屈きわまる人の言葉も、目に映る忌わしいものの姿も、どれほど宿命的ないさかいをも、浄化したのであった。しかしこの瞬間に、わたしが絶望のどん底にころび落ちたことだけは確かである。Re:[53726] なんじ、わたしの幸福なる自己よ、おまえの物悲しいせせらぎによって救われ解放されていたのだ!Re:[53719] 舞台は隠れた個人の影絵芝居にふさわしい。Re:[53715] 最後の審判の日に、自分自身で出頭することもできずに、気のきいた目論見とか、その日一日だけの決心とか、半時間きりの計画とかなどを身代わりに出頭させる人間Re:[53712] 現実的な姿が目の前にありながら、それが見えないのである。Re:[53710] インテレサントなものに心ひかれぬ娘は反復を信ずる、時を経てそうなった娘に栄誉あれ。Re:[53709] 女の誠実さというものは偉大なものだ、とりわけ男の要求をその厚意に感謝しながら懇ろに断る場合にそうである。Re:[53708] 関係はできたが実現の見込みはないという場合には、思いやりが最大の侮辱である。Re:[53706] わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。Re:[53703] 神よ、すべての男をそういう誠実さから守りたまえ!Re:[53699] 自分自身の死刑判決書Re:[53698] 汝(いまし)へのあこがれ絶えずRe:[53692] わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。Re:[53690] もし反復ということがなかったら、人生とはそもそも何であろう?Re:[53677] ぼくの苦痛と悩みには名前がありません。Re:[53676] ・・・Re:[53674] わが沈黙の共犯者よ! 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/02/03(Thu) 12:46  

りろちなひANNEX−Ω   訪問者数:2327891(今日:196/昨日:424)2011/02/03(thu) 11:17

Phantom of the Opera - All I Ask Of You W/ LYRICS
http://www.youtube.com/watch?v=s1_5hhr6niQ&feature=BF&list=QL&index=4

逆さベッド、ふだんは頭寒足熱どすが、かうかう厳寒の季節、けふは富士山もうっすらほのぼのとするやうな幾分温かいのですが、ここんところんったく寒く、朝日が上ってきて部屋へ日差すとベッドで逆さまになる、つまり日の出前から起きている部屋の灯りを消して、窓辺ちうよりベランダへ枕を移動し、頭に日差しのぬくもりを硝子ごしに受けてものを読み耽る、さすれば、そりゃあ、頭にも血が上ってしまってろくな想念が浮かんでこんちうこともなく、あれこれと飛びまくるイメージ、言葉、そして墜落、その墜落する以前に撃ち止めておけば、けっこうなもんも多々あるんですが、足寒頭熱でたって歩いてパソコンへゆくのも億劫、かといって俳句に狂ってあらゆる想念を575で撃ち止めやうとノートを枕元に控えさしたような習慣からもいくばくか遠ざかれば、あたら貴重なるもんが浮かんでは消え生まれては喪失する、その破片のいくばくかは、脳裏にのこっておって、これ、頭熱の白日夢なんでせうか、ともかくも・・・

人間というものは、ああ、下に躁鬱といいましたが、さういうメカニカルな精神医学語を使うとだうもさういうメカニカルなもんに嵌ってしまう、分裂しかりであって、躁うつ病と分裂病とてんかんのオンパレードがキルケゴールやドストエフスキーや、ニーチェあれは脳梅毒ぢゃ!なんちうことの以前のメカニカルな人間図式から離れて、さういう双極性、多極性、あるいは、同調性、あるいは反抗、対抗性、あらゆるものが渦を巻いていて、どこに?己に、自己に他己に世間に、汝があればそれに同調し、汝が朧になれば、それが分裂し多極化し、果ては反抗、対抗、まあ、これはまさに、かの市川の論じる身体図式そのものですけれども、それはまさに汝我のありよう、それが血肉を供えた一人の恋人であらうが読み耽る一冊の本であらうが、さういうこの巻き込まれる、それは、あたかも、あらゆる運動、身体的運動、精神的運動の最たるもんであって、自転車でもへたくそなくっちゃべり〜メタボの漕ぎ方、痴漢くんのハウツウに巻き込まれれば、畢竟、美しく乗れない、せいぜが豚や猿の行列にして、歯抜け鶏が首を前後して坂を登る風景にして、んったく醜悪な図式になりはてる、のですが、やはり、美しく乗る達人と乗ればその身体運動や精神のありやうがおのずから伝染してきて、これは共鳴かもしれませんが、意識せずとも学びとる、さういう無位意識の智慧ちうもんも、ひとにはそなわっていますから、酒にそばレバ、ではのうて、朱に染まれば赤くなる、染まってしまうのは、良いにつけ、悪しきにつけ、あることであって、自転車ならぬ、ダンスなんぞでも、相手が上手ければ下手でも上手く踊れる、まあ、ぎこちなくなくとも、へたくそな相手と踊るよりもへたくそぢゃない、セックスでもさうですね、うまい相手とやれば、いかに不能でも全能になったかのやうな・・・ちうこともないでしょうが、さういう不能治療は病院でやらないのか?やるかもしれませんね。医師法違反。

かういうのを冗談というのでせうか?

それともぶっらく、うむ、ぶっらくアウトでしらけちゃうんでせうか?

イロニーや諧謔のもろもろには、もちろん香華のあるもんもあれば醜悪なものもあるんでせうが、その香華にしても醜悪にしても、予定調和の香華や醜悪では、インテレサントなもんではありえぬわけあって、香華が醜悪、香ちういうからには臭の、悪習、悪臭、臭悪かもしれませんが、さういう双極性のいったりきたり、これは循環性ですが、さうぢゃのうて、同時存在、混沌、渦巻、サイクロン、ハリケーンなみに、ダイヤモンドも札束も糞もいっしょにぶっ飛んでくる、あのオーストラリヤも大変ですが、ああいう、ニュース、大雪の北陸や、穴沢の3m超の積雪、たしかに大変なんですが、さういうニュースのはうが、よっぽどあの馬鹿馬鹿しいサッカーのアジア大会の「ヒーロー」帰国でどたぬきマスコミが朝から晩までてんやわんやの餌作りのニュースなんぞよりもよっぽど心が休まりますが、さういうこと、つまり・・・

同調と対抗の図式の身体論、身は精神と肉体を止揚する、内外の媒介で、そこから発する言葉もおなじことでせうが、それが渦を巻いて吹き付けてくる、糞味噌一緒のサイクロンめいた脳みそが太陽の熱線で熱すれば、まあ、いろんな景色がみえてくるわけで・・

> つはもへへANNEX−Ω   訪問者数:2326943(今日:102/昨日:466)2011/02/01(Tue) 06:21
>
> に書きかけて放っておいて、というのも、くっちゃべってくっちゃべっるのは易しいが、沈黙は金、ちうか、難しいので・・ラジオで一聴してわるくはないと、さっそく帰宅して探してみれば、なんとおまあ、新しい湯気のたつ唄なんですね。
>
> 島津亜矢 /歌路遥かに【歌詞付き】(ニコニコ動画にも同じ動画有り)
> http://www.youtube.com/watch?v=Mo36iDpNeeY
>
> 2011年1月26日発売
>  作詞:小椋佳 作曲:小椋佳

これはラジオで島津亜矢が云うかぎりにおいては、島津亜矢のために小椋佳が作詞作曲してくれたもんださうで・・・

ふんでも歌でよかったですね。

これが歌ぢゃのうて、恋や愛だったら・・・ 
> 歌なんて 無くていいもの
> 無くても人は 病んだりしない
> けれども歌は 悲しみを慰め
> あるいは歌で 喜びが膨らむ
> 歌の一つで 心
> 洗われたりも しませんか
> 歌の一つで 命
> 救われたりも しませんか
>
> 歌なんて 辛い別れの
> 時一コマも 巻き戻せない
> けれども歌で 寂しさは薄らぎ
> あるいは歌で 空しさも和らぐ
> 歌の一つに まこと
> 尽くす想いで いるのです
> 歌の一つに わたし
> 真心込めて いるのです
>
> 私の証し あなたのために
> 歌いたい 歌っていたい
> 歌路遥かに 歌路遥かに
>
> 私の証し あなたのために
> 歌いたい 歌っていたい
> 歌路遥かに 歌路遥かに

> :*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★。
>
> 確かに・・・
>
> 歌なんて 無くていいもの
> 無くても人は 病んだりしない
>
> のは、俳句でも、詩でも、哲学でも、思想でも、宗教でも、ま、よのほとんどに当てはまりますわの。
>
> 果ては・・
>
> 医学なんて 無くていいもの
> 無くても人は 病んだりしない
>
> ちうことも、昨今の医原病満開の時勢には諧謔としていえるし・・もっと積極的に諧謔ならぬ事実としては;
>
> 政治家なんて 無くていいもの
> 無ければ人は 病んだりしない
>
> ちうことどすわの。マスコミしかりで・・
>
> それはさておき・・

恋なんて 無くていいもの
無くても人は 病んだりしない

愛なんて 無くていいもの
無くても人は 病んだりしない

性欲だけがあれば生きていける

とか、ま、これも諧謔、最高の相手への思いやりのなのかもしれませんが・・・

金なんて 無くていいもの
無くても人は 病んだりしない

名なんて 無くていいもの
無くても人は 病んだりしない

これは2ちゃんねるですね。

> Jon Hassell - Amsterdam Blue
> http://www.youtube.com/watch?v=dz40YrNBje4&feature=autoplay&list=QL&index=3&playnext=3
> わたしの忘れがたい保母よ、わたしの父の庭づたいに流れてゆく小川に住むなんじつかまえがたい水の精(ニンフ)よ、おまえはおまえ自身のことだけに心を使っていたけれど、それでもいつも子供の遊びに加わり遊び相手になってくれた!なんじ忠実なる慰安者よ、おまえは幾歳を経てなおおまえの無垢な純粋さを持ちつづけている。わたしがすでに老いさらばえてしまったのに、おまえはちっとも年をとってはいない。なんじ安らかな水の精(ニンフ)よ、人間に倦み、わたし自身に倦んで憩いのためにわたしが永遠を必要としたとき、悲嘆にくれてわたしが忘却のために永遠を必要としたとき、そのたびごとにいつもわたしはおまえのところに逃がれていった。人間たちが永遠を時間と同じようにせわしないものにし、時間よりももっと空恐ろしいものにしてわたしに拒もうとしたものを、おまえはわたしに拒まなかった。そういうとき、わたしはおまえの傍らに身を横たえ、わたし自身から逃がれて、頭上の広い広い蒼空へ消えていった、そして眠りをさそうおまえの囁きに、わたし自身を忘れたものだ!なんじ、わたしの幸福なる自己よ、わたしの父の庭づたいに流れゆく小川に住むなんじ足早の生よ、わたしは投げ捨てられた旅杖にも似た姿でおまえの傍らに身を横たえてはいたが、おまえの物悲しいせせらぎによって救われ解放されていたのだ!

この水の精(ニンフ)があるから、つづいての歌曲は She Was Too Good to Me となったわけですが・・


> > > She Was Too Good to Me
> > > http://mp3.xalo.vn/bai-hat/chet-baker/she-was-too-good-to-me/6b6a58f
> > > ある朝のこと、起き上がると珍しく気持ちが良かった。この快感は、比類を絶して、午前中ずうっとだんだん高まっていった。かっきり1時に、わたしは絶頂に達して、めまいがするほどの極限にいるのを感じた。それはもはや快感の測度計では、詩の温度計でさえも、表示されないほどの高度であった、体は地上的な重みを失っていた、体をもっていないかのようであった。あらゆる機能は満ち足りて働き、どの神経も自己自身に、また全体との調和に喜びを味わい、また一つ一つの脈拍は有機体全体を震動させて瞬間の快楽を思い出させ、それを感じさせるばかりだったから。わたしの歩みは漂うごとくであった、しかしそれは空気を切って地上を離れる鳥の飛翔とはちがって、稲穂の上を吹くわたる風の波、憧憬に酔える海のうねり、夢みる雲の滑走のごとくであった。わたし自身が海の深い底のように、ひとりを楽しむ夜の沈黙のように、反響(こだま)することのない独白にも似た真昼の静寂(しじま)のように、冴えわたっていた。あらゆる情緒が美しい調べを奏でて共鳴しながらわたしの魂の中でやすらいだ。想念は次々と湧き出てきた、あらゆる思想が、祝福の威儀をこらして、押しよせてきた、世にも愚かしい思いつきも、世にも豊かなイデーも。あらゆる印象は来る前にすでに予感されていた、だからそれはわたし自身のうちで目を覚ました。全人世がわたしに愛をかたむけているもののようであった、一切のものが、わたしの存在に触れて運命をはらみながら、打ち震えた。わたしのうちにあるすべてのものは前兆であった。そして一切のものが、わたしの小宇宙的な浄福のなかで、ふしぎに浄化されていた、その浄福がみずからのなかであらゆるものを、不愉快なことも、退屈きわまる人の言葉も、目に映る忌わしいものの姿も、どれほど宿命的ないさかいをも、浄化したのであった。さきにもいったが、かっきり1時に、わたしは最高潮に立っていた、わたしはそれが極限だと予感した。そのとき突然、わたしの一方の目が少しかゆくなりはじめた。それは睫毛だったか、それとも毛屑か塵だったか、わたしは知らない。しかしこの瞬間に、わたしが絶望のどん底にころび落ちたことだけは確かである。
>
> この予兆、高みへの予兆、はたまた、低みへの予兆、さういうこともふくめて、予兆があれば予防でけるか?ちうと、それが難しいわけで、
>
> 予兆がきたら精神科!
>
> ちう安易な行動をとっても、薬漬けになる、薬の効用も副作用も、そりゃあ、広大無辺な精神のジャングルのなかの「開け」「空地」で行なうゲームにすぎぬやうな知のありようであって、この「開け」とか「空地」ちうのんはかのユネスコキルケゴール生誕150周年記念の講演会でハイデッガーがキルケゴールのキの字もださずに寄せた記念講演原稿のなかのキー概念どすが、さういうことは、なぬも哲学ならぬ科学でも医学でもわかっておる、わかっておるにもかかわらず、それぢゃあ、商売にならぬのんは、科学でも医学でもおなじであって、ゆえにわからぬことをわからぬということには口を噤んで、いかにもわかったがぶりでものを云う悪育成、悪い癖に輪をかけたマスコミ、コマーシャル、電通博報堂TV新聞はたまた病院厚生省、そうじて医療行政ならぬ行政もしかりであって、ある政策なり処方なりの効用ばかりを云い募る、副作用の検討もしましたが軽微なうんぬん、ちうのんは、ジャングルの「開け」「空地」でのまことに微々たるゲーム的にテストをしただけのことであって・・
>
> 畢竟、あるものがない、という証明は、あるものがある、という証明に比較にならぬほどに難しい、ま、アポリアといってもよいかもしれぬ。
>
> > バーンスタイン:マーラー・復活 終楽章4/4
> > http://www.youtube.com/watch?v=Au8qHVoUAUg&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=24
> >
> > これは、わたしと同じ高みに登ったことのある人なら、この高みに立って同時に、そもそも絶対的な満足はどこまで達し得られるものか、という原則的な問題に頭を悩ましたことのある人なら、誰にでも容易に理解できることであろう。
>
> これは高みでも低みでもおなじことであって、これも反復なんですね。躁鬱、復活、回復、回帰、みんなおんなじことです。

さうさう、ここで躁鬱というのは、あまりにもメカニックで、さういう言葉をつかうとその言葉の既製概念、メカニックな範疇にとりこまれ、せっかくの高みも低みもその味わいが減殺されかねません。

この躁鬱の騒々しい乾燥、ああ、異常乾燥注意報発令中でですが、だうも、乾燥のそうも、躁鬱のそうも、しっくりこないで、爽快のそう、颯爽のそう、のはうが、よいのかもsれませんし、鬱のはうも、鬱屈して出口が無い、糞詰まりの便秘精神状態よりは、絶望ですから、ちょっと違うわけで、これは、希望と絶望、願望、欲望の全能化と不能化ですから、さういう頭熱の状態は誰にもありうりわけであって、

幼稚と老成

でもそうかもしれませんし、幼稚においては全能感に支配され、老成においては不能感に支配されて、まあ、そんだけでも、実際に不能かいなかは別にしても不能になってしまう、絶望の果てに自殺するやうなもんですが、全能感においてはそれにいくら支配されてもそれの達成は覚束ないのですから、老成すると同時にさういう全能感というもの支配されなくなる、はずなんですが、時として幼稚還りをすれば老成しておっても全能感に支配されることもある、それが、嵐のやうにやってくる・・・

> 高みから絶望へころび落ちる、このモチーフも古来、イカロスの墜落、バベルの塔、精神分析や労働医学における全能と不能、万能と貧能、その他その他、禅と野狐禅とか、忙と閑とか・・・だいぶズレてきました。
>
> ともかくも、さいういろいろの状況があって、その状況に振り回される反復にして永劫回帰どすか。
>
> 良いも悪いもさうですかね。
>
> すっかす、この万能不能感も飛翔墜落感も忙閑感も善悪感もみんなふんまにさうなんだらうか?
>
> 自分で自分をそうしている、自分の外の状況がさうだからそうなる、ちうふうに外だしにしたところで、その状況をつくりあげているのは自分である、ということもおうおうにしてあるのだから、万能だから、不能だから、飛翔しているから、墜落したから、忙しいから、閑だから、善いから、悪いから、うんぬんちう高みの絶頂や低みの絶望で己をなくす、自分をなくすことが一番こわい。

畢竟、この畢竟がだうも晩生、おおくていけないのですが、アイロニーとか諧謔を解すること、そこにしなやかな自己をもちつづけられるか、つづけれらないか・・・

> > > > わが沈黙の共犯者よ!名前こそありませんが、それでもおそらくはぼくは、あなたにとってつねに何ものかであるだろうと思います。そしていかなる場合にもかわらぬあなたの忠実な友です。
>
> 高みにあらうが、低みにあらうが、世間というものは、意外と寛容で、包容力がある、ちうよりか、そんなことには無関心なのかもしれませんし、マスコミジャーナリステック的には、パパラッチになったり、いろいろともかく野次馬へ餌を売るビジネスとしては、高み低みをできるだけ印象的に分裂させてヒーローと悪人をつくりだすことが、糊口を潤すたぬき知恵ですから、必要以上にコントラストをきつくして、世間に流して売り込むわけで、されを鵜呑みすた烏合の衆の野次馬どもが、あの、ゆうちゃんフィーバーのような熱に浮かされ、あたかも、ひっくりかえせばナチス万歳の予備軍が日本中、世界中で培養され増殖しつづける、さういう状況でも、世間ちうもんは意外と寛容で、包容力があって、無関心・・・
>
> いったいなぬぬ無関心なのか?
>
> いったいなぬぬ関心するのか?
>
> > > >                                  敬具
>
> キルケゴールとかニーチェちうのんは、まことに強い原酒、アブサンとか、テキーラの味わいで強烈ですね。ときどきデキソコナイ

キルケゴールとかニーチェちうのんはイロニーと諧謔の塊でそのもっとも精製された蒸留成分めいていますから、それをストレートに煽ってしまっては、ひっくりかえりますよ。

やうは、一の極みから他の極みに一挙にすっとんでいく、そのすっとびかたについていけない凡庸さでは、このイロニーも諧謔も味わいやうがありませんで、只管の脳波扁平な凡百な言説のなかをうろうろするだけでせいが、双極性や多極性の人格においては、脳波の香華ならぬ高下も振幅も大きいですから、容易についていける、同調できるんですが、それをストレートにうけとってしまうと、それこそパニックに発作になってしまう、脳波振り切れで、いと切れタコになりかねません。

だから、イロニー諧謔に耐えられるだけの、それを解するだけの、さらにはそれを楽しめるだけの強靭さ、柔軟さというものを養わねばならん、つまり鍛錬がそれなりに必要であって、飲めぬ体質でありながら強い酒を一気に煽ればひっくり返るわけですから、相反する言説のその裂け目にあるもの、なぬもイロニーや諧謔には真実がないわけではなく、相反するもの、裂目にこそ真実というか、なにものかが、全否定のなかの全肯定もあるわけであって、それでこそ相反する感情や論理や生き方のもろもろを味わい楽しめるというものですね。

> ゆえに、毎晩晩酌するなら、上質なるブランデー、清酒、焼酎、さいきんは、ソレガシはパックの梅酒で、これはさして上質ではありませんが、さういう晩酌でも度が過ぎればアルチューにもなるように、キルケゴールとかニーチェのアブサンやテキーラは効き目もはやいのですが、ほどほどにしないとこれも中毒を起こしますよ。
>
> これらの蒸留酒めいたもんに比して・・・・
>
> かの西田幾多郎なんかは、やっぱしどぶろくの味わい、それも酩酊状態ちう感じがします。いつまでもえんえんとおなじことを繰り返し繰り返し・・・これはお経の影響でせか。
>
> 西田の盟友の、鈴木大拙、これは上質な精進料理の味わいですね。意外と豊潤で味わい深く食べ過ぎてもさしたる中毒にもならず消化もよく臓器や脳みそをこわすこともないでせう。
>
> 歌や曲はちょっとおつまみなお菓子の類なのかもしれませんが、意外とクスリ的に毒気の強いものもありますが、よく効くものもあります。マーラー自身がフロイトの患者であったやうですが、マーラーの作品、あれはニーチェをモチーフにしたものも多いのですが、そのニーチャはこれまたキルケゴールをモチーフに・・・ちうのんは、ソレガシの観察、仮説、アテズッポウのくっちゃべりですが、いづれ歌曲をふくめて使いようによっては躁鬱の癒しに良く効きますね。

やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53732] 北風看守のお力でアクセス禁止の独房からでましたが 投稿者:yoonglee 投稿日:2011/02/02(Wed) 19:23  

先週、オペを終えて退院したが、うむ。


[53731] いづれ歌曲をふくめて使いようによっては躁鬱の癒しに良く効きますね。Re:[53730] 絶対的な満足はどこまで達し得られるものか、Re:[53727] 一切のものが、わたしの小宇宙的な浄福のなかで、ふしぎに浄化されていた、その浄福がみずからのなかであらゆるものを、不愉快なことも、退屈きわまる人の言葉も、目に映る忌わしいものの姿も、どれほど宿命的ないさかいをも、浄化したのであった。しかしこの瞬間に、わたしが絶望のどん底にころび落ちたことだけは確かである。Re:[53726] なんじ、わたしの幸福なる自己よ、おまえの物悲しいせせらぎによって救われ解放されていたのだ!Re:[53719] 舞台は隠れた個人の影絵芝居にふさわしい。Re:[53715] 最後の審判の日に、自分自身で出頭することもできずに、気のきいた目論見とか、その日一日だけの決心とか、半時間きりの計画とかなどを身代わりに出頭させる人間Re:[53712] 現実的な姿が目の前にありながら、それが見えないのである。Re:[53710] インテレサントなものに心ひかれぬ娘は反復を信ずる、時を経てそうなった娘に栄誉あれ。Re:[53709] 女の誠実さというものは偉大なものだ、とりわけ男の要求をその厚意に感謝しながら懇ろに断る場合にそうである。Re:[53708] 関係はできたが実現の見込みはないという場合には、思いやりが最大の侮辱である。Re:[53706] わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。Re:[53703] 神よ、すべての男をそういう誠実さから守りたまえ!Re:[53699] 自分自身の死刑判決書Re:[53698] 汝(いまし)へのあこがれ絶えずRe:[53692] わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。Re:[53690] もし反復ということがなかったら、人生とはそもそも何であろう?Re:[53677] ぼくの苦痛と悩みには名前がありません。Re:[53676] ・・・Re:[53674] わが沈黙の共犯者よ! 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/02/02(Wed) 16:15  

つはもへへANNEX−Ω   訪問者数:2326943(今日:102/昨日:466)2011/02/01(Tue) 06:21

に書きかけて放っておいて、というのも、くっちゃべってくっちゃべっるのは易しいが、沈黙は金、ちうか、難しいので、己に課す試練、ちうても、試練も狎れちまえば、楽楽と頽落しちまうわけで・・・ふんで棚上げどしたが、やっぱす、おもったときにおもったことをくっちゃべったはうが、いろいろ発見もありますれば、なんば舌下の黙々の舌頭、舌先のぺらぺらとはいえ、世の中に無駄なもんはありませんわの、ちうことで、まんだ、昨日も書きかけのもんもあって、それも放っておいて、けふ、ほんま来週の予定が、なんだか体が痛い、調子が悪い、入院したい、その他もろもろで、自家用救急車へ老母のせ待ちのときに、ラジオからこの唄がさきほどながれてきますて、島津アヤなんちゅうもんはしらん、ちうば、あの男っぽいうたをうたう人、と酸素チューブでぜいぜいしながら応える老母も、その調子なら、まあ、入院もなかんだんべ、と病院においてきた次第で・・・ラジオで一聴してわるくはないと、さっそく帰宅して探してみれば、なんとおまあ、新しい湯気のたつ唄なんですね。

島津亜矢 /歌路遥かに【歌詞付き】(ニコニコ動画にも同じ動画有り)
http://www.youtube.com/watch?v=Mo36iDpNeeY

2011年1月26日発売
 作詞:小椋佳 作曲:小椋佳

歌なんて 無くていいもの
無くても人は 病んだりしない
けれども歌は 悲しみを慰め
あるいは歌で 喜びが膨らむ
歌の一つで 心
洗われたりも しませんか
歌の一つで 命
救われたりも しませんか

歌なんて 辛い別れの
時一コマも 巻き戻せない
けれども歌で 寂しさは薄らぎ
あるいは歌で 空しさも和らぐ
歌の一つに まこと
尽くす想いで いるのです
歌の一つに わたし
真心込めて いるのです

私の証し あなたのために
歌いたい 歌っていたい
歌路遥かに 歌路遥かに

私の証し あなたのために
歌いたい 歌っていたい
歌路遥かに 歌路遥かに

サードパーティのコンテンツと一致してるので1週間程度でフレンドのみ公開にする予定­です。ユーチューブで削除された場合、ニコニコ動画のサイトで同じ動画をアップロード­してあるので会員になって観てください。お願い致します。

:*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★。

確かに・・・

歌なんて 無くていいもの
無くても人は 病んだりしない

のは、俳句でも、詩でも、哲学でも、思想でも、宗教でも、ま、よのほとんどに当てはまりますわの。

果ては・・

医学なんて 無くていいもの
無くても人は 病んだりしない

ちうことも、昨今の医原病満開の時勢には諧謔としていえるし・・もっと積極的に諧謔ならぬ事実としては;

政治家なんて 無くていいもの
無ければ人は 病んだりしない

ちうことどすわの。マスコミしかりで・・

それはさておき・・

                
> > She Was Too Good to Me
> > http://mp3.xalo.vn/bai-hat/chet-baker/she-was-too-good-to-me/6b6a58f
> > ある朝のこと、起き上がると珍しく気持ちが良かった。この快感は、比類を絶して、午前中ずうっとだんだん高まっていった。かっきり1時に、わたしは絶頂に達して、めまいがするほどの極限にいるのを感じた。それはもはや快感の測度計では、詩の温度計でさえも、表示されないほどの高度であった、体は地上的な重みを失っていた、体をもっていないかのようであった。あらゆる機能は満ち足りて働き、どの神経も自己自身に、また全体との調和に喜びを味わい、また一つ一つの脈拍は有機体全体を震動させて瞬間の快楽を思い出させ、それを感じさせるばかりだったから。わたしの歩みは漂うごとくであった、しかしそれは空気を切って地上を離れる鳥の飛翔とはちがって、稲穂の上を吹くわたる風の波、憧憬に酔える海のうねり、夢みる雲の滑走のごとくであった。わたし自身が海の深い底のように、ひとりを楽しむ夜の沈黙のように、反響(こだま)することのない独白にも似た真昼の静寂(しじま)のように、冴えわたっていた。あらゆる情緒が美しい調べを奏でて共鳴しながらわたしの魂の中でやすらいだ。想念は次々と湧き出てきた、あらゆる思想が、祝福の威儀をこらして、押しよせてきた、世にも愚かしい思いつきも、世にも豊かなイデーも。あらゆる印象は来る前にすでに予感されていた、だからそれはわたし自身のうちで目を覚ました。全人世がわたしに愛をかたむけているもののようであった、一切のものが、わたしの存在に触れて運命をはらみながら、打ち震えた。わたしのうちにあるすべてのものは前兆であった。そして一切のものが、わたしの小宇宙的な浄福のなかで、ふしぎに浄化されていた、その浄福がみずからのなかであらゆるものを、不愉快なことも、退屈きわまる人の言葉も、目に映る忌わしいものの姿も、どれほど宿命的ないさかいをも、浄化したのであった。さきにもいったが、かっきり1時に、わたしは最高潮に立っていた、わたしはそれが極限だと予感した。そのとき突然、わたしの一方の目が少しかゆくなりはじめた。それは睫毛だったか、それとも毛屑か塵だったか、わたしは知らない。しかしこの瞬間に、わたしが絶望のどん底にころび落ちたことだけは確かである。

この予兆、高みへの予兆、はたまた、低みへの予兆、さういうこともふくめて、予兆があれば予防でけるか?ちうと、それが難しいわけで、

予兆がきたら精神科!

ちう安易な行動をとっても、薬漬けになる、薬の効用も副作用も、そりゃあ、広大無辺な精神のジャングルのなかの「開け」「空地」で行なうゲームにすぎぬやうな知のありようであって、この「開け」とか「空地」ちうのんはかのユネスコキルケゴール生誕150周年記念の講演会でハイデッガーがキルケゴールのキの字もださずに寄せた記念講演原稿のなかのキー概念どすが、さういうことは、なぬも哲学ならぬ科学でも医学でもわかっておる、わかっておるにもかかわらず、それぢゃあ、商売にならぬのんは、科学でも医学でもおなじであって、ゆえにわからぬことをわからぬということには口を噤んで、いかにもわかったがぶりでものを云う悪育成、悪い癖に輪をかけたマスコミ、コマーシャル、電通博報堂TV新聞はたまた病院厚生省、そうじて医療行政ならぬ行政もしかりであって、ある政策なり処方なりの効用ばかりを云い募る、副作用の検討もしましたが軽微なうんぬん、ちうのんは、ジャングルの「開け」「空地」でのまことに微々たるゲーム的にテストをしただけのことであって・・

畢竟、あるものがない、という証明は、あるものがある、という証明に比較にならぬほどに難しい、ま、アポリアといってもよいかもしれぬ。

> バーンスタイン:マーラー・復活 終楽章4/4
> http://www.youtube.com/watch?v=Au8qHVoUAUg&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=24
>
> これは、わたしと同じ高みに登ったことのある人なら、この高みに立って同時に、そもそも絶対的な満足はどこまで達し得られるものか、という原則的な問題に頭を悩ましたことのある人なら、誰にでも容易に理解できることであろう。

これは高みでも低みでもおなじことであって、これも反復なんですね。躁鬱、復活、回復、回帰、みんなおんなじことです。

高みから絶望へころび落ちる、このモチーフも古来、イカロスの墜落、バベルの塔、精神分析や労働医学における全能と不能、万能と貧能、その他その他、禅と野狐禅とか、忙と閑とか・・・だいぶズレてきました。

ともかくも、さいういろいろの状況があって、その状況に振り回される反復にして永劫回帰どすか。

良いも悪いもさうですかね。

すっかす、この万能不能感も飛翔墜落感も忙閑感も善悪感もみんなふんまにさうなんだらうか?

自分で自分をそうしている、自分の外の状況がさうだからそうなる、ちうふうに外だしにしたところで、その状況をつくりあげているのは自分である、ということもおうおうにしてあるのだから、万能だから、不能だから、飛翔しているから、墜落したから、忙しいから、閑だから、善いから、悪いから、うんぬんちう高みの絶頂や低みの絶望で己をなくす、自分をなくすことが一番こわい。


> > > わが沈黙の共犯者よ!名前こそありませんが、それでもおそらくはぼくは、あなたにとってつねに何ものかであるだろうと思います。そしていかなる場合にもかわらぬあなたの忠実な友です。

高みにあらうが、低みにあらうが、世間というものは、意外と寛容で、包容力がある、ちうよりか、そんなことには無関心なのかもしれませんし、マスコミジャーナリステック的には、パパラッチになったり、いろいろともかく野次馬へ餌を売るビジネスとしては、高み低みをできるだけ印象的に分裂させてヒーローと悪人をつくりだすことが、糊口を潤すたぬき知恵ですから、必要以上にコントラストをきつくして、世間に流して売り込むわけで、されを鵜呑みすた烏合の衆の野次馬どもが、あの、ゆうちゃんフィーバーのような熱に浮かされ、あたかも、ひっくりかえせばナチス万歳の予備軍が日本中、世界中で培養され増殖しつづける、さういう状況でも、世間ちうもんは意外と寛容で、包容力があって、無関心・・・

いったいなぬぬ無関心なのか?

いったいなぬぬ関心するのか?

> > >                                  敬具

キルケゴールとかニーチェちうのんは、まことに強い原酒、アブサンとか、テキーラの味わいで強烈ですね。ときどきデキソコナイのどぶろくめいたもんもなくはないが・・

ゆえに、毎晩晩酌するなら、上質なるブランデー、清酒、焼酎、さいきんは、ソレガシはパックの梅酒で、これはさして上質ではありませんが、さういう晩酌でも度が過ぎればアルチューにもなるように、キルケゴールとかニーチェのアブサンやテキーラは効き目もはやいのですが、ほどほどにしないとこれも中毒を起こしますよ。

これらの蒸留酒めいたもんに比して・・・・

かの西田幾多郎なんかは、やっぱしどぶろくの味わい、それも酩酊状態ちう感じがします。いつまでもえんえんとおなじことを繰り返し繰り返し・・・これはお経の影響でせか。

西田の盟友の、鈴木大拙、これは上質な精進料理の味わいですね。意外と豊潤で味わい深く食べ過ぎてもさしたる中毒にもならず消化もよく臓器や脳みそをこわすこともないでせう。

歌や曲はちょっとおつまみなお菓子の類なのかもしれませんが、意外とクスリ的に毒気の強いものもありますが、よく効くものもあります。マーラー自身がフロイトの患者であったやうですが、マーラーの作品、あれはニーチェをモチーフにしたものも多いのですが、そのニーチャはこれまたキルケゴールをモチーフに・・・ちうのんは、ソレガシの観察、仮説、アテズッポウのくっちゃべりですが、いづれ歌曲をふくめて使いようによっては躁鬱の癒しに良く効きますね。


やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53730] 絶対的な満足はどこまで達し得られるものか、Re:[53727] 一切のものが、わたしの小宇宙的な浄福のなかで、ふしぎに浄化されていた、その浄福がみずからのなかであらゆるものを、不愉快なことも、退屈きわまる人の言葉も、目に映る忌わしいものの姿も、どれほど宿命的ないさかいをも、浄化したのであった。しかしこの瞬間に、わたしが絶望のどん底にころび落ちたことだけは確かである。Re:[53726] なんじ、わたしの幸福なる自己よ、おまえの物悲しいせせらぎによって救われ解放されていたのだ!Re:[53719] 舞台は隠れた個人の影絵芝居にふさわしい。Re:[53715] 最後の審判の日に、自分自身で出頭することもできずに、気のきいた目論見とか、その日一日だけの決心とか、半時間きりの計画とかなどを身代わりに出頭させる人間Re:[53712] 現実的な姿が目の前にありながら、それが見えないのである。Re:[53710] インテレサントなものに心ひかれぬ娘は反復を信ずる、時を経てそうなった娘に栄誉あれ。Re:[53709] 女の誠実さというものは偉大なものだ、とりわけ男の要求をその厚意に感謝しながら懇ろに断る場合にそうである。Re:[53708] 関係はできたが実現の見込みはないという場合には、思いやりが最大の侮辱である。Re:[53706] わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。Re:[53703] 神よ、すべての男をそういう誠実さから守りたまえ!Re:[53699] 自分自身の死刑判決書Re:[53698] 汝(いまし)へのあこがれ絶えずRe:[53692] わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。Re:[53690] もし反復ということがなかったら、人生とはそもそも何であろう?Re:[53677] ぼくの苦痛と悩みには名前がありません。Re:[53676] ・・・Re:[53674] わが沈黙の共犯者よ! 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/01/31(Mon) 05:50  

えわつるてANNEX−Ω   訪問者数:2326481(今日:106/昨日:597)2011/01/31(Mon) 05:34

> Lizz Wright - The First and Last to Love Me (K. Hanrahan)
> http://www.youtube.com/watch?v=E8Dp21T8c7c&feature=BF&list=QL&index=25
> ・・・反復の恋こそ唯一の幸福な恋なのだ。反復の恋には、追憶の恋と同じように、期待と不安定さがない。探検に伴う不安な冒険もない、しかしまた、追憶のもつ哀愁もない、そこには瞬間の至福な確実さがある。・・・・・期待するには若さが要る、追憶するには若さが要る。しかし、反復を欲するには勇気が要る。期待するしか欲しないものは卑怯である。追憶をしか欲しないものは淫らである。しかし、反復を欲するものは男である。そして、このことをしっかりと自覚するにつれて、ひとはそれだけ深みのある人間になる。ところが、人生は反復であり、そして反復こそ人生の美しさであることを理解しないものは、手ずから自分に判決をくだしたも同然で、所詮まぬがれられぬ運命、つまり自滅するほかあるまい。思うに、期待はひとをさしまねく果実ではあるが、腹の足しにはならぬ。追憶はまことに乏しい糊口の資で、これまた腹を満たすには足りない。ところが反復は日々のパンである、それは祝福をもって満腹にさせてくれる。・・・彼は反復を楽しみながら、心静かにわが道を歩む。ほんとうに、もし反復ということがなかったら、人生とはそもそも何であろう?

> Edyta Gorniak - Hello (Gala RMF FM) [Live] HQ DIVA
> http://www.youtube.com/watch?v=AWsesrdS1Jg&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=26
> ・・・次から次へと新しいものに打ち興じさせて魂を柔弱にしてしまうあらゆる果敢(はか)ないもの、目新しいものに、それからそれへと心を奪われることを、誰がこいねがうであろうか?反復、これが現実なのだ、人の世の厳粛さなのだ、反復を欲するものは厳粛さにおいて成熟しているのだ。・・・ソファにどっかと腰をおろして楊枝で歯をほじくっていたりーーーそしておまけに、たいした人物、たとえば法律顧問でござるとばかり勿体(もったい)ぶるとか、あるいは、偉容をととのえて街上を闊歩したりーーーそしておまけに、たいした人物、たとえばなんとか尊師でございますとばかりに尊大ぶるとかするのは、けっして人生の厳粛さではない。そういう勿体ぶった態度は、国王の調馬師だといって得意になるのと同じように、人生の厳粛さではない。そのようなことはすべて、わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。

> Lizz Wright's Version of 'Hey Mann'
> http://www.youtube.com/watch?v=_Wp8-ahXVFI&feature=BF&list=QL&index=31
恋するものはよく恋の甘い不安を詩人の言葉に託して吐き出しながら歓喜に酔うものだ・・・
>     わが古きゆり椅子に
>       立ち返りくる若き日の夢
>     女性(おみな)らの太陽(ひ)と照り映ゆる
>       汝(いまし)へのあこがれ絶えず

> ・・・メランコリックな男に恋をさせてみるがいい、そしたら何もかも消し飛んでしまう、とよくきまったように言われる。しかし、彼がほんとうにメランコリックであるなら、彼にとって何よりも重大な事柄を彼の心がどうしてメランコリックに考えずにいられるだろうか。彼は深くそして熱烈に恋している、これは明らかだ。それだのに、彼は最初の日からもう彼の恋愛を追憶できる状態にある。つまり、彼は恋愛関係をすでにすっかり完了しているのである。始めるときにおそろしく大股に歩いたために、彼は人生を飛び越してしまったのだ。・・・

> Frank Sinatra - Only the Lonely
> http://www.youtube.com/watch?v=bef_s1Bhn7o&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=59
> 彼女は彼の恋人であった。彼がかつて愛した唯一の恋人、彼がいつか愛するようになるかもしれない唯一の恋人であった。しかし、それだのにまた、彼は彼女を愛してはいなかった、彼はただ彼女に憧れていただけだったのだ。あの少女は彼の恋人ではなかったのだ。彼女は彼のうちに詩的なものを目覚めさせ彼を詩人にする誘因だったのである。だからこそ、彼は彼女だけを愛することができ、彼女をけっして忘れることができず、けっしてほかの女を愛しようとはしなかったのだ。けれども、彼はつねに彼女をただ憧れていただけのことであった。彼女は彼自身の全存在のなかに吸収されてしまったのである。彼女の思い出はいつまでもいきいきと残ることだろう。彼女は彼にとってあまりに大きい意味をもってしまった、彼女は彼を詩人に仕上げてしまったのだ、だからつまり、彼女は自分自身の死刑判決書に署名してしまったのだ。

> Kenny Rogers - Lady
> http://www.youtube.com/watch?v=Tj_NjLBPotQ&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=11
> 諦めることをしないで男にうるさくつきまとい、それが真実に男を愛していることの証明だなどと自惚れるほど利己的な女があるとしたら、そういう女の一生の任務はまことに安易なもので、誠実だという名誉と疚しからぬ良心を、同時にまたごく上品に洗練された恋愛までも、わけなく享受できるだろう。神よ、すべての男をそういう誠実さから守りたまえ!

> Vera Lynn - As Time Goes By
> http://www.youtube.com/watch?v=S8F9NzVuIuA&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=1
> わたしはレタスが好きだが、いつも芯だけしか食べない、葉は豚にやるものだとわたしは思っている。わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。

> It's Over-Gato Barbieri
> http://www.youtube.com/watch?v=ksmLewp4vf8&feature=BF&list=QL&index=4
> 岩角に釘づけにされたプロメテウスが、禿鷹に肝臓をついばまれながら、その語る予言によって神々を惹きつけるように、彼女は恋人を惹きつけた。くる日もくる日も、すべてがささげつくされた、その日その日が最後であったから。だが、それがいつまでもつづくわけではなかった。彼女はおのれを縛りつけている鎖を噛んでみた。しかし、彼女の激情がたけりたてばたけりたつほど、彼女の歌はいよいよ甘く、彼女の言葉はいよいよ優しく、鎖はいよいよ固くなった。この誤解から現実の関係を作り上げるなどということは、彼女には不可能だった。それこそ彼を永久の欺瞞にゆだねることだった。彼女の思い、彼女の心は、実は彼とは別のものを、つまり、彼女が彼に象徴させているものを求めているのであって、彼はその憧憬の化身にすぎないといって彼の思い違いを説明してやるのは、彼を深く傷つけることで、それには彼女の誇りが憤りを感ずるのであった。そういうやり口は、彼女の何よりも軽蔑するものであった。それはまた彼女として当然なことだった。男を欺き誘惑するのは軽蔑すべきことである、しかし、あなたはわたしの理想ではなかったのだと説明して男をいいくるめたり、あなたは詩神にすぎなかったのだといって男をなだめたり、自分を悪者にしないばかりか立派な逃げ道までもこしらえて男を見捨ててしまうというのは、さらに軽蔑すべきことである。男をくどく経験を多少とも積んだものなら、それくらいのことはわけなくやってのけるだろう。せっぱつまって男のほうでもその申し出に応ずるだろう。こうして首尾よく逃げおおせたうえに、しかも正直な人ということになる、親切な人ということにさえなる。しかしあとになってみると、だまされていたことを知っている男よりもいっそう深い傷を、その男は心に負っているのである。だからどんな恋愛関係においても、関係はできたが実現の見込みはないという場合には、思いやりが最大の侮辱である。エロス的な目をもちしかも臆病でない女なら、思いやりをもたないということが、男の体面を保ってやるための残された唯一の方法だということを、容易に理解するだろう。

> Right Here Waiting - Richard Marx
> http://www.youtube.com/watch?v=Zilog7d523w&feature=BF&list=QL&index=9
> わたしは娘のすることならなんでも赦すことができるのだが、娘が恋をしながら恋の使命をとり違えるのだけは、どうにもゆるせない。娘の恋が献身的でないなら、その娘は女でなくて野郎なのだ。そういう娘はその恋によってまず愛する男の血を吸いとってしまい、はては男をして懊悩と絶望のあまり自分から手を切るにいたらしめるものだが、そういう恋にこがれる女を、そういう役をみごとに演じて、同情をよせる家族の者や友達に泣いてもらうひとりのエルヴィーラとして登場させることは、喜劇詩人にとって実にやりがいのある仕事であるにちがいない、このエルヴィーラは、欺かれた娘たちの合唱団で第一歌手を演じ、男たちの不実を、明らかに自分の一生を台なしにするほど不実だったと、いかにも大げさにまくしたてることを心得ている女、しかもそういうことをずうずうしくも落ち着き払ってやってのけながら、自分自身の誠実さのほうこそ、むしろ愛する男の生命を奪いかねないということに、半秒間も思いいたることのない女なのである。女の誠実さというものは偉大なものだ、とりわけ男の要求をその厚意に感謝しながら懇ろに断る場合にそうである。女のそういう誠実さはいつも測り知れず、理解しがたい。恋する男が、どんなに苦しくとも、怒りの言葉をひとことも女に浴びせることなく、かえって女をだまして、自分を欺くとはけしからん男だと思っている女の思い違いを強めてやるという、より深刻な復讐に甘んずるだけのユーモアを失わずにいるとしたら、この場面は実に愉快なものになることだろう。

> tell him... celine dion / barbra streisand
> http://www.youtube.com/watch?v=wB_vjpRhLxM
> 「N.Nさんはいい人だけど、退屈だわ。ところがF.Fさんったら、あの人とってもおもしろくって、いかすわよ。」かわいい娘の口からこういう言葉を聞くたびに、わたしはいつも思うのである。「よくも恥ずかしくないものだ、若い娘がそんなことを口にするなんて、なんて情けないことだろう。」男がインテレサントなものに迷い込んだとき、救い出してくれるものは娘のほかにないではないか。それだのに、そういうことを口にするのは、罪を犯すことではないか。当の男がインテレサントなことなどできない人間であるなら、その男に向かってそれをせよと要求するのは、思いやりのないことであるし、あるいはまた、男がインテレサントなことのできる人間であるなら、そしたら・・・・・・・・、なぜかといえば、若い娘というものは、インテレサントなものを誘い出すことをしないようにこそ、つねに慎むべきものだからだ。そういうことをする娘は、イデーからみて、いつも損をする。インテレサントなものはけっして反復されないからである。インテレサントなものを求める娘は、みずからそこにおちいる罠となる。インテレサントなものに心ひかれぬ娘は反復を信ずる、そういう生まれつきの娘に栄誉あれ。時を経てそうなった娘に栄誉あれ。

> Diana Krall Love Is Where You Are
> http://www.youtube.com/watch?v=vByMcoYgjaY&feature=BF&list=QL&index=2
> 多少とも想像力をもった青年なら、一度は芝居の魔力にとらえられたことがあるにちがいない。あの人工的な現実のなかへ自分もともにまき込まれて、まるで二重人みたいに、そこでもうひとりの自分自身が動くのを見、語るのを聞き、自分自身を自分自身に可能なだけのあらゆる種類の人物に扮装させ、しかもそのどれもがまた一個の自己であるというふうであってみたいという願いをいだいたことがあるにちがいない。こういう欲望があらわれるのは、もちろんまだ若いうちのことである。ただ想像力がだけが目覚めて個性を夢みていえ、その他の能力はすべてまだ安らかに眠っている。そういう想像力によって自己が見られると、個人は現実的な姿ではなく影でしかない、もっと適切にいうと、現実的な姿が目の前にありながら、それが見えないのである。それだから個人は、ただ一つの影を投げるだけでは満足できずに、そのどれもが自分に似ていてそのときそのときに自分自身である権利を平等にもっているようなさまざまな影を投げるのである。

> I´m thru with love - Diana Krall and Hollywood divas
> http://www.youtube.com/watch?v=ivF2ZTxV81Q&feature=mfu_in_order&list=UL
> しかしこの影の存在も満足を求める、それが自己の生を全うするだけの時を与えられなかったとしたら、それは人間にとってけっして好ましいことでない。しかしまた、個人が見当ちがいをして、影の存在のなかを迷いつづけながら生きつくしてしまったとしたら、それは哀れな、あるいは滑稽なことだ。そういう人間がそれでほんとうの人間であるなどと自惚れるなら、それはちょうど最後の審判の日に、自分自身で出頭することもできずに、気のきいた目論見とか、その日一日だけの決心とか、半時間きりの計画とかなどを身代わりに出頭させる人間が不死の要求をするのと同じように、まことに心もとないことだ。何事もそれぞれ適当な時におこなわれることが肝心なのだ。すべては若いときにその時をもっている、そして若いときにその時をもったことは、また後でその時を得るものだ。年長者にとって、その生涯のうちに、何か思い出して笑わずにいられぬような過去をもっているということは、何か涙をさそう過去をもっているのと同じように健康なことなのだ。

> "Who knows where the time goes" - Nina Simone
> http://www.youtube.com/watch?v=wZa3XsHA6UU&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=4
> 山里で明けても暮れても、うまずたゆまず同じ主題(テーマ)の風が奏でているのを聞いていると、ついそれに誘われて、しばしその不完全さを忘れ、人間の自由のたゆみなさと確かさを象徴するかに思われてうれしくなることがある。するとつい忘れられてしまうのだが、いまこの山々のあいだをおのが住み家として幾年も吹き渡っている風は、かつては行き暮れし旅人としてこの土地へきたのである、そして心を乱して荒れ狂いながら峡谷のあいだを突き分け、洞窟の中に突き入り、或るときは自分でもはっと驚いて跳び退くような金切り声を張り上げたかと思うと、或るときはわれわれから逃げ出したくなるようなうつろな吼え声を立て、或るときはどこからでてくるのか自分にもわからぬような嘆きの調べを奏でたかと思うと、或るときは風みずからが恐れをなしてこのあたりに足をとどめたものかどうかとしばし疑いためらうような底知れぬ不安の溜息を吐き、或るときはまた浮かれはしゃいで抒情的な囃し唄を歌い、こうしてついに自分の楽器に習熟してしまって、これらすべての共鳴音をメロディーにまとめあげ、それをいま明けても暮れても変わりなく奏でているのである。それと同じように、個人の可能性もそれみずからの可能性のなかをさまよい歩きながら、或るときはこの可能性を、また或るときはあの可能性を発見する。しかし個人の可能性は単に聞かれることを欲するばかりではない、それは風のように吹きすさぶばかりではなく、また形を成そうとするのだ、だからそれは聞かれると同時にまた見られることをも欲する。個人の可能性は、だからそのどれをとってみても、音を発する影である。この隠された個人は、悪意の小ざかしい囁きに耳をかさないと同じように、仰々しく喚きたてる感情を信じない、悲嘆のやるせない溜息を信じないが、また同じように、歓喜の極みに沸き立つ叫び声も信じない。個人はただ情熱をもって見そして聞こうと欲する、しかし、注意あれ、自己みずからを、なのだ。けれども、個人は自己みずからをほんとうに聞こうとは欲していないのだ。そんなことはできるものではない。それができれば、その瞬間に雄鶏が鳴く、そして薄明の姿どもは逃げ去り、夜の声は沈黙する。これら薄明の姿どもが踏みとどまっているかぎり、われわれはまったく別な領域に、一切のものが責任の気づかわしげな監視の目を浴びて不安を覚えながら行なわれるところに、つまり、悪魔的なものの国にいるのである。だから、ほんとうの自己の印象を受けずにいられるように、隠れた個人は、あの薄明の姿どものような、こだますることのない言葉のかすかなざわめきのような、かりそめのはかない環境を求める。このような環境が舞台なのだ。だからこそ、舞台は隠れた個人の影絵芝居にふさわしい。

> Jon Hassell - Amsterdam Blue
> http://www.youtube.com/watch?v=dz40YrNBje4&feature=autoplay&list=QL&index=3&playnext=3
> わたしの忘れがたい保母よ、わたしの父の庭づたいに流れてゆく小川に住むなんじつかまえがたい水の精(ニンフ)よ、おまえはおまえ自身のことだけに心を使っていたけれど、それでもいつも子供の遊びに加わり遊び相手になってくれた!なんじ忠実なる慰安者よ、おまえは幾歳を経てなおおまえの無垢な純粋さを持ちつづけている。わたしがすでに老いさらばえてしまったのに、おまえはちっとも年をとってはいない。なんじ安らかな水の精(ニンフ)よ、人間に倦み、わたし自身に倦んで憩いのためにわたしが永遠を必要としたとき、悲嘆にくれてわたしが忘却のために永遠を必要としたとき、そのたびごとにいつもわたしはおまえのところに逃がれていった。人間たちが永遠を時間と同じようにせわしないものにし、時間よりももっと空恐ろしいものにしてわたしに拒もうとしたものを、おまえはわたしに拒まなかった。そういうとき、わたしはおまえの傍らに身を横たえ、わたし自身から逃がれて、頭上の広い広い蒼空へ消えていった、そして眠りをさそうおまえの囁きに、わたし自身を忘れたものだ!なんじ、わたしの幸福なる自己よ、わたしの父の庭づたいに流れゆく小川に住むなんじ足早の生よ、わたしは投げ捨てられた旅杖にも似た姿でおまえの傍らに身を横たえてはいたが、おまえの物悲しいせせらぎによって救われ解放されていたのだ!
                               
> She Was Too Good to Me
> http://mp3.xalo.vn/bai-hat/chet-baker/she-was-too-good-to-me/6b6a58f
> ある朝のこと、起き上がると珍しく気持ちが良かった。この快感は、比類を絶して、午前中ずうっとだんだん高まっていった。かっきり1時に、わたしは絶頂に達して、めまいがするほどの極限にいるのを感じた。それはもはや快感の測度計では、詩の温度計でさえも、表示されないほどの高度であった、体は地上的な重みを失っていた、体をもっていないかのようであった。あらゆる機能は満ち足りて働き、どの神経も自己自身に、また全体との調和に喜びを味わい、また一つ一つの脈拍は有機体全体を震動させて瞬間の快楽を思い出させ、それを感じさせるばかりだったから。わたしの歩みは漂うごとくであった、しかしそれは空気を切って地上を離れる鳥の飛翔とはちがって、稲穂の上を吹くわたる風の波、憧憬に酔える海のうねり、夢みる雲の滑走のごとくであった。わたし自身が海の深い底のように、ひとりを楽しむ夜の沈黙のように、反響(こだま)することのない独白にも似た真昼の静寂(しじま)のように、冴えわたっていた。あらゆる情緒が美しい調べを奏でて共鳴しながらわたしの魂の中でやすらいだ。想念は次々と湧き出てきた、あらゆる思想が、祝福の威儀をこらして、押しよせてきた、世にも愚かしい思いつきも、世にも豊かなイデーも。あらゆる印象は来る前にすでに予感されていた、だからそれはわたし自身のうちで目を覚ました。全人世がわたしに愛をかたむけているもののようであった、一切のものが、わたしの存在に触れて運命をはらみながら、打ち震えた。わたしのうちにあるすべてのものは前兆であった。そして一切のものが、わたしの小宇宙的な浄福のなかで、ふしぎに浄化されていた、その浄福がみずからのなかであらゆるものを、不愉快なことも、退屈きわまる人の言葉も、目に映る忌わしいものの姿も、どれほど宿命的ないさかいをも、浄化したのであった。さきにもいったが、かっきり1時に、わたしは最高潮に立っていた、わたしはそれが極限だと予感した。そのとき突然、わたしの一方の目が少しかゆくなりはじめた。それは睫毛だったか、それとも毛屑か塵だったか、わたしは知らない。しかしこの瞬間に、わたしが絶望のどん底にころび落ちたことだけは確かである。

バーンスタイン:マーラー・復活 終楽章4/4
http://www.youtube.com/watch?v=Au8qHVoUAUg&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=24

これは、わたしと同じ高みに登ったことのある人なら、この高みに立って同時に、そもそも絶対的な満足はどこまで達し得られるものか、という原則的な問題に頭を悩ましたことのある人なら、誰にでも容易に理解できることであろう。

> > わが沈黙の共犯者よ!名前こそありませんが、それでもおそらくはぼくは、あなたにとってつねに何ものかであるだろうと思います。そしていかなる場合にもかわらぬあなたの忠実な友です。
> >                                  敬具

やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53729] 君見ずや 管鮑貧時の交わりを 此の道 今人棄つること大人の玩具のごとしRe:[53728] 君見ずや 管鮑貧時の交わりを 此の道 今人棄つること土のごとし 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/01/30(Sun) 08:24  

うんおはすANNEX−Ω   訪問者数:2325997(今日:219/昨日:531)2011/01/230(Sun) 08:20

Marlena Shaw - Last Tango in Paris
http://www.youtube.com/watch?v=7OYe9lB0TVc&feature=BF&list=QL&index=7

君見ずや 管鮑貧時の交わりを 此の道 今人棄つること大人の玩具のごとし

やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53728] 君見ずや 管鮑貧時の交わりを 此の道 今人棄つること土のごとし 投稿者:やへすのゆ 投稿日:2011/01/29(Sat) 15:02  


マスコミは、なぜ小沢が怖いのか
The Journal 二見伸明
2011年1月28日
http://www.the-journal.jp/contents/futami/2011/01/post_33.html


 新聞、テレビの小沢バッシングが狂気の沙汰である。小沢一郎が「予算が成立したら政倫審で説明する」と言っているにもかかわらず、各社横並びで「出席拒否は許せない。証人喚問だ。議員辞職せよ。離党せよ」と、それも社説で、大上段に振りかぶっての騒ぎである。社説とは社論、社の基本的な考え・主張である。日本のほとんどのマスコミが、手段を選ばず「小沢抹殺」で狂奔している光景は異常以外の何ものでもない。朝日、読売、毎日など新聞各社は、本音では、デフレ脱却や雇用など国民生活にとって待ったなしの課題よりも「小沢抹殺」のほうが最重要問題だと考えているのである。何故か。

 昨年暮れから正月にかけて一線で活躍する記者たちと懇談した。

「小沢さんの話は論理的で分かりやすい。日本の政治家で小沢さんのような、骨太の国家観、歴史観、洞察力を持った人はいない。スケールの大きい本物の政治家という感じがする」

「TPPはアメリカの世界戦略だという冷厳な国際政治が分かっているようだ」

「小沢さんの政治とカネの問題は『期ずれ』だけだろう。ガタガタ騒ぐのがおかしい。もっと冷静でいい。政治にはカネは必要だよ。私腹を肥やすのは論外だが、カネの出入りを透明にすればいいのではないか」

「検察審査会の問題は恐ろしい。目障りな政治家や高級官僚、或いは宗教団体など、小沢さんをやっつけるやり方で強制起訴して潰すことは簡単だ。仲間たちと『これは政治テロ』だって話している」

「それにしても、小沢さんには熱烈な支持者も多いが、問答無用で切り捨てるアンチも多い」。

 記者魂を持った中堅・若手の記者のほうが冷静で、まともだ。はっと思った。「マスコミの社長や幹部が、心底、小沢が怖くてしかたがないのだ」

 小沢一郎は自民党幹事長時代、記者会見を記者クラブに所属していない雑誌記者、フリーランサー、外国人特派員にも開放し、自由に参加出来るオープンな場にしていた。それ自体、画期的なことだったが、1993年8月23日、新生党代表幹事として細川連立政権を支えるキーパーソンになった小沢は、従来の「記者クラブの、記者クラブによる、記者クラブのための記者会見」ではなく、記者クラブに所属していない記者も参加し、どんなことを質問してもいい平等で「開かれた会見」にすることを宣言した。また「『本音と建前』を使い分けることはしない。ここで言わないことは、どこでも言わない。言えないことは言わない。」と強調し、政界実力者が偽の情報を流して政敵を貶めたり、野党を分断するために利用する番記者のオフレコ記者懇談会も止めたのである。1996年5月には、小沢は新進党訪中団の随行記者団に、慣行を無視して記者クラブ15社17名のほか、週刊誌3社のフリーランサー5名など記者8名を参加させたのである。北京のホテルにはプレスルームが開設され、各社均等にデスク、電話、テレックスを備えた専用ブースが割り当てられ、中国首脳との会談後のブリーフィングも差別なく各社一緒に行われた。真の「国民の知る権利」を守るために、記者クラブを通して情報を独占するという既得権にしがみつく大手マスコミに挑戦状を叩きつけたようなものだ。論理的に太刀打ち出来ないマスコミは陰微な手段を駆使し、「小沢抹殺」を始めた。

 余談だが、このときの江沢民主席との会談では、歴史認識をめぐって厳しいやりとりをしたうえで、小沢は日中関係が経済中心であることに懸念を示し「日本にはカネの切れ目が縁の切れ目という諺がある。経済協力は大事だが、それ以上に両国の信頼関係強化が大事だ」と持論を展開した。

 大手マスコミは、記者クラブを通して行政、立法、司法、地方行政の全ての情報を独占している。このマスコミがお互いに談合し、「霞ヶ関」と結託すれば日本をどうにでも出来る恐ろしい存在になる。「大新聞は日本民主主義の最大の敵だ」と喝破するカレル・V・ウォルフレンが日本の大手マスコミに目の敵にされるのも、むべなるかなである。小沢一郎も「日本ではマスコミが最大の守旧派になっている」「マスコミほど今の社会で既得権を得ているところはない」とマスコミの姿勢を厳しく批判している。

 マスコミが重大視しているのは、小沢が一貫して「政権交代したら官邸の会見はオープンにする」と主張し続けていることである。一昨年3月の記者会見でも、フリーランサーの上杉隆の確認を含めた質問に、小沢代表(当時)は「どなたでも会見にお出で下さいということを申し上げております。この考えは変わりません」と答えている。「約束を守る男・小沢」が総理になったら必ず官邸の記者会見はオープンになるだろう、そうすれば、全省庁の記者会見もオープンになり、検察、警察、裁判所、各県の県政記者クラブの会見もオープンになる。それでは、大手マスコミは情報を独占出来ず特権的地位から引きずりおろされ、世論操作も出来なくなる。記者も癒着・談合の世界から、自由競争の厳しい世界に放り出され、雑誌記者やフリーランサーとの取材合戦に敗れるかもしれない。新聞の紙面作りも難しく、廃刊に追い込まれる社も出てくるだろう。各省庁も、例えば「このままではギリシャの二の舞になる。消費税増税をしなければ大変なことになる」」などと記者クラブを洗脳し、メディアを通して官僚の思惑通りに世論を誘導し、国民を洗脳する手段を失うだろう。「小沢抹殺」は大手マスコミにとって至上課題なのだ。

 ここで、横道にそれるが、小沢の「開かれた会見」の実相はどうだったのか、検証してみよう。1994年10月発行の季刊雑誌『窓』に雑誌記者の石飛仁が書いている。

「私が参加したその会見の場は、意外にぎこちないものだった。双方に未だ質疑のやりとりに滑らかなものがないのだ。質問が具体性を帯びていないというのか、小沢から引き出す側の工夫がほとんど成されておらず、新人記者の初歩的質問風に小沢が丁寧に答えていくというもので、きわめてぶっきらぼうというか、時局のディテールを知り尽くした上での専門家の質問という感じがほとんどしないのだ。これが私の受けた第一印象であった。小沢については、噛んでふくめるような論旨で丁寧に答えていくのが印象的であった。(略)私は正直、小沢という政治家は味も素っ気もないその言い回しのなかに全てを率直に埋めて正攻法で語っていく人物であることに驚いた。きわめて非日本人的な率直さが、そこにあるので驚いたのである。よし、これは発言の主旨をちゃんと正面から聞いていけば、政局はある程度読めるぞ、と思ったのである。
 この「開かれた会見」の場は、日ごとに重要性を増し、また話題性を発揮し、きわめてアクチュアルな政治報道の場と化して、注目を集める場となっていった。小沢自身がこの会見を重要視していることも感じとれてきた」

 自民党幹事長時代から小沢の会見を取材しているフリーランサーの田中龍作は先日、私に「小沢の答弁は丁寧で分かりやすい。的を射たいい質問をされると、嬉しそうな顔をして、大学の教授が学生に教えるように説明する。主旨や意図不明の質問や毎回繰り返す同じような質問だと『もっと勉強してきなさい』とたしなめることがあった」と語ってくれた。

 私も自由党時代、安全保障問題での「開かれた会見」の進行役を務めたことがある。びっくりするような質の高い質問をする記者もいれば、初歩的な質問をする者もいて、玉石混交で面白かったが、某英字新聞の記者の質問には『同じような質問で、何度も答えている。勉強して来なさい』とたしなめたのが印象的だった。その記者は会見終了後、青い顔をして『党首に怒られた。来週から来てはいけないということか』と泣きべそをかきそうな表情をしいているので『そんなことはない。しっかり勉強して、党首が立ち往生するような核心を突いた質問をしなさい。小沢は喜ぶと思うよ』と励ましたことを覚えている。

 1993年10月、小沢が「記者会見は義務ではない。サービスだ」と発言したと言って物議をかもしたことがある。その点について、去る1月17日夜行われた小沢一郎と岩上安身、江川紹子、田中龍作など13名のフリーランサーとの「割り勘でオープンな懇談会」で上杉隆が「サービス発言」の真意を聞いた。それに対し小沢は「僕は、記者会見は公共サービスだと言ったんです。政府や政党の会見は公のものでしょう。だから、新聞やテレビの記者諸君で独占するのはおかしい。公財である記者会見も公共サービスであり、公平に雑誌や海外メディアの諸君にも参加してもらおうと言ったわけだ。それがまったく逆の意味で使われたわけなんです」と答えた(ダイヤモンド・オンライン2011.01.20))。「てにをは」をちょっといじるだけでまったく逆の意味に変えてしまう手品のようなマスコミの陰湿さには開いた口が塞がらないのである。

 大手マスコミが恐れるのは小沢のマスコミ対策の方向性だけではない。歴史を知り、歴史に学び、そこから未来を見通す洞察力と綿密に計算したうえでそれを実行する決断力と度胸だ。

 小沢一郎が、枝野幹事長より1歳年上の47歳で自民党幹事長に就任した1989年(平成元年)は、戦後世界を支配してきたパックス・ルッソ・アメリカーナ(米ソによる平和)というパラダイムが崩壊する世界史に残る激変の時代の幕開けの年だった。菅総理は今年を「平成の開国元年」にしようとしているが、1989年こそ日本にとっても世界にとっても、文字通りの「平成の開国元年」だったのだ。6月にはポーランドで一党独裁政権が崩壊し、11月にはベルリンの壁が壊れた。1991年1月には湾岸戦争が勃発した。アメリカの庇護のもとで金儲けに余念のなかった町人国家日本は覚悟も準備もないままに国際社会に放り出された。明るくて人のいい海部総理には未曾有の国難に対処する能力はなかった。政権政党自民党は慌てふためくだけで、何の構想もない。野党は一国平和主義のタコ壺に逃げ込んで泣き叫ぶだけだった。町人国家を普通の国・国際国家に質的転換しなければ日本は国際社会で相手にされず、国益も守れないないという危機感をもって行動したのは、小沢だけだろう。日本丸が難破の危機を乗り切れたのは党を抑え、海部総理を励まし、野党を説得した小沢の腕力に負うところが大きいと評価せざるを得ない。小沢が主張した「集団的自衛権と国連による集団安全保障は違う。国連の決議のもと、国連の警察活動に参加することは憲法の理念に合致するもので、憲法違反ではない」という理論は大きな論議を巻き起こしたが、今では、日本の平和活動・国際貢献の原点であるばかりでなく、アメリカも国連のお墨付きをもらわなければ、海外での武力行使はし難くなったのである。

 小沢は官房副長官時代、日米建設摩擦、日米電気通信交渉でタフ・ネゴシエーターという評価を得た。アメリカは、日本の国益・原則を踏まえて正攻法で押しまくる交渉上手な小沢に、「脅かせば言うことをきくこれまでの日本人」とは異質の、自立した、手ごわいサムライを見出したのだろう。

 小沢は湾岸戦争が終わった直後、訪ソしてゴルババチョフ大統領と北方領土問題について会談、その後、ブッシュ大統領と会談している。モスクワ滞在中、イワシコ・ソ連共産党副書記長に言った言葉がすごい。

「人類史上で欧亜大陸にまたがる帝国をつくったのは蒙古とソ連だ。蒙古はあなた方にとっては非常に嫌な思いだろうけれども、蒙古帝国の世界史的に果たした役割は非常に大きい。あれは人種、宗教に寛容だ。それから、域内の自由交通を認めた。ヨーロッパ文明はどれだけあそこで教えられたか。文物の交流と、欧亜両大陸の親睦、その意味では非常に貢献した。ジパングなんて国を紹介したのはいつだ、マルコポーロはなぜ中国、北京まで来られたか。それは、あの時代、小アジアからずっとこっちまでの帝国の中を自由に行き来できたからだ。
 ところが、ソ連及びロシア帝国は、図体ばかりでかくて、権力で支配して、何をしたか。何もできなかった。それで破産に瀕しているだけだ。そのことをあなた方は考えなきゃだめだ」

 こうした小沢のことを当時、識者たちはどう見ていただろうか。

 五百旗頭真は「世界秩序が大きく揺らぐ時には、国際感覚を伴った国家感覚がないとやれない。田中外交は戦後政治の主流をなす経済中心主義の枠内だった。今は経済大国の上に『何か』が必要で、日本の国家像が問われている。小沢氏がそのことをまともに受け止めようとしているのは注目に値する」(小沢一郎探検、朝日新聞)と評価した。

 三木元総理のブレーンで「ストップ・ザ・オザワ」のリーダー、国弘正雄は小沢を「国家改造主義者」と位置付け、ドイツ統一の立役者ビスマルクに擬したが「小沢さんが歳をとってね、人生の悲哀を感じ、挫折も感じてね、経験の中で、むちゃくちゃな挑発型だったリンカーンが最後に『角熟』していったようになるかもしれません。そうあってほしいな」と語った(前掲書)。

 小沢に対しては好き嫌いが激しい。それはそれでいい。日本が「春のうららの隅田川」であれば小沢の出番の必要はない。しかし、百数十年続いている中央集権・官僚主導国家を政治主導・地方主権国家に衣変えする大事業は小沢でなければ出来ないことは、反小沢も認めざるを得ない現実だ。小沢は論理の男だ。しかし、それだけだろうか。アンチ小沢の急先鋒、時事通信の田崎史郎の見方が面白い。

「岡田さんが地方回りで青森へ行ったとき、県連の人がぜひ食べてもらおうと、わざわざ大間のマグロを取り寄せて準備していたそうです。しかし、やってきた岡田さんは『私、コンビニでカロリーメイトを買いますから』と言って、箸もつけずに帰ってしまった。
小沢さんは岡田さんとは対照的に、どこへ行っても地元の人たちと酒を酌み交わす。だから、ある若手議員が言ってましたが、岡田さんには7回きてもらったけれど、1回だけ来た小沢さんのほうが、はるかに効果があったと。小沢さんは、地方へ行くと、その日集まって酒を飲んだ支持者の名前と住所を、後で全部教えてもらうんです。それで全員に手紙をだす。そういう人を動かす上での配慮は、政治家にとって一つの大きな力になります」(週刊現代 2011.01.19/26)────「風」で当選した政治家から見ると「古い手法、古い政治家」なのだろうが、むしろ新しい理論・構想を持ちながら、居酒屋で酒を飲み、カラオケを歌う小沢のような「古い」政治家のほうがはるかに魅力的だ。

 胡錦涛中国国家主席が先日、国賓として訪米した。その際、アメリカは自国の国益を考えて、次期国家主席に予定されている習近平の早期訪米を要請した。一昨年秋、習近平が来日したとき、中国の要請で天皇との会見がセットされた。これに対して、宮内庁長官の羽毛田某は、小沢が天皇を政治利用したと騒ぎだし、自民党やマスコミの一部が同調した。しかし、国益を考えれば小沢の判断は正しかった。

 小沢は20年以上、ポケットマネーで米中との草の根交流をしている。昨年8月下旬、小沢は代表選のため参加出来なかったが、無名の庶民で構成された小沢訪米団がサンフランシスコで、アマコスト元駐日大使などアメリカの有力者に大歓迎された。中国でも、青年時代、小沢の招きで来日し研修した者が指導的立場で多数活躍している。小沢は一級の国際政治家でもある。

「君見ずや 管鮑貧時の交わりを 此の道 今人棄つること土のごとし」──杜甫

 諸君、ご覧なさい。昔、管仲と飽叔とが貧乏な時代に結んだ堅い友情を。今の時代の人びとは土くれのようにうち棄てて顧みない。誠に嘆かわしいことだ。───意味はこうである。

 私たちは忘れない。手を握り、肩を組み、叫んだ09政権交代を!




[53727] 一切のものが、わたしの小宇宙的な浄福のなかで、ふしぎに浄化されていた、その浄福がみずからのなかであらゆるものを、不愉快なことも、退屈きわまる人の言葉も、目に映る忌わしいものの姿も、どれほど宿命的ないさかいをも、浄化したのであった。しかしこの瞬間に、わたしが絶望のどん底にころび落ちたことだけは確かである。Re:[53726] なんじ、わたしの幸福なる自己よ、おまえの物悲しいせせらぎによって救われ解放されていたのだ!Re:[53719] 舞台は隠れた個人の影絵芝居にふさわしい。Re:[53715] 最後の審判の日に、自分自身で出頭することもできずに、気のきいた目論見とか、その日一日だけの決心とか、半時間きりの計画とかなどを身代わりに出頭させる人間Re:[53712] 現実的な姿が目の前にありながら、それが見えないのである。Re:[53710] インテレサントなものに心ひかれぬ娘は反復を信ずる、時を経てそうなった娘に栄誉あれ。Re:[53709] 女の誠実さというものは偉大なものだ、とりわけ男の要求をその厚意に感謝しながら懇ろに断る場合にそうである。Re:[53708] 関係はできたが実現の見込みはないという場合には、思いやりが最大の侮辱である。Re:[53706] わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。Re:[53703] 神よ、すべての男をそういう誠実さから守りたまえ!Re:[53699] 自分自身の死刑判決書Re:[53698] 汝(いまし)へのあこがれ絶えずRe:[53692] わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。Re:[53690] もし反復ということがなかったら、人生とはそもそも何であろう?Re:[53677] ぼくの苦痛と悩みには名前がありません。Re:[53676] ・・・Re:[53674] わが沈黙の共犯者よ! 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/01/28(Fri) 07:47  

しためさこANNEX−Ω   訪問者数:2324815(今日:114/昨日:494)2011/01/27(Fri) 05:47

> Lizz Wright - The First and Last to Love Me (K. Hanrahan)
> http://www.youtube.com/watch?v=E8Dp21T8c7c&feature=BF&list=QL&index=25
> 追憶の恋のみが幸福な恋である、とある作家が言った。その恋がまずひとを不幸にするのを追憶するというだけのことであるなら、まったくそのとおりである。ほんとうは、反復の恋こそ唯一の幸福な恋なのだ。反復の恋には、追憶の恋と同じように、期待と不安定さがない。探検に伴う不安な冒険もない、しかしまた、追憶のもつ哀愁もない、そこには瞬間の至福な確実さがある。・・・・・期待するには若さが要る、追憶するには若さが要る。しかし、反復を欲するには勇気が要る。期待するしか欲しないものは卑怯である。追憶をしか欲しないものは淫らである。しかし、反復を欲するものは男である。そして、このことをしっかりと自覚するにつれて、ひとはそれだけ深みのある人間になる。ところが、人生は反復であり、そして反復こそ人生の美しさであることを理解しないものは、手ずから自分に判決をくだしたも同然で、所詮まぬがれられぬ運命、つまり自滅するほかあるまい。思うに、期待はひとをさしまねく果実ではあるが、腹の足しにはならぬ。追憶はまことに乏しい糊口の資で、これまた腹を満たすには足りない。ところが反復は日々のパンである、それは祝福をもって満腹にさせてくれる。・・・彼は反復を楽しみながら、心静かにわが道を歩む。ほんとうに、もし反復ということがなかったら、人生とはそもそも何であろう?

> Edyta Gorniak - Hello (Gala RMF FM) [Live] HQ DIVA
> http://www.youtube.com/watch?v=AWsesrdS1Jg&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=26
時が瞬間ごとに新しい文字を書きつらねてゆく石板になることを、あるいは過去の碑銘になることを、誰がこいねがうであろうか?次から次へと新しいものに打ち興じさせて魂を柔弱にしてしまうあらゆる果敢(はか)ないもの、目新しいものに、それからそれへと心を奪われることを、誰がこいねがうであろうか?反復、これが現実なのだ、人の世の厳粛さなのだ、反復を欲するものは厳粛さにおいて成熟しているのだ。これはわたしの単独投票なのだが、そこには同時にこういう意味が含まれている。ソファにどっかと腰をおろして楊枝で歯をほじくっていたりーーーそしておまけに、たいした人物、たとえば法律顧問でござるとばかり勿体(もったい)ぶるとか、あるいは、偉容をととのえて街上を闊歩したりーーーそしておまけに、たいした人物、たとえばなんとか尊師でございますとばかりに尊大ぶるとかするのは、けっして人生の厳粛さではない。そういう勿体ぶった態度は、国王の調馬師だといって得意になるのと同じように、人生の厳粛さではない。そのようなことはすべて、わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。

> Lizz Wright's Version of 'Hey Mann'
> http://www.youtube.com/watch?v=_Wp8-ahXVFI&feature=BF&list=QL&index=31
恋するものはよく恋の甘い不安を詩人の言葉に託して吐き出しながら歓喜に酔うものだ・・・
>     わが古きゆり椅子に
>       立ち返りくる若き日の夢
>     女性(おみな)らの太陽(ひ)と照り映ゆる
>       汝(いまし)へのあこがれ絶えず

> ・・・メランコリックな男に恋をさせてみるがいい、そしたら何もかも消し飛んでしまう、とよくきまったように言われる。しかし、彼がほんとうにメランコリックであるなら、彼にとって何よりも重大な事柄を彼の心がどうしてメランコリックに考えずにいられるだろうか。彼は深くそして熱烈に恋している、これは明らかだ。それだのに、彼は最初の日からもう彼の恋愛を追憶できる状態にある。つまり、彼は恋愛関係をすでにすっかり完了しているのである。始めるときにおそろしく大股に歩いたために、彼は人生を飛び越してしまったのだ。・・・

> Frank Sinatra - Only the Lonely
> http://www.youtube.com/watch?v=bef_s1Bhn7o&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=59
> 彼女は彼の恋人であった。彼がかつて愛した唯一の恋人、彼がいつか愛するようになるかもしれない唯一の恋人であった。しかし、それだのにまた、彼は彼女を愛してはいなかった、彼はただ彼女に憧れていただけだったのだ。あの少女は彼の恋人ではなかったのだ。彼女は彼のうちに詩的なものを目覚めさせ彼を詩人にする誘因だったのである。だからこそ、彼は彼女だけを愛することができ、彼女をけっして忘れることができず、けっしてほかの女を愛しようとはしなかったのだ。けれども、彼はつねに彼女をただ憧れていただけのことであった。彼女は彼自身の全存在のなかに吸収されてしまったのである。彼女の思い出はいつまでもいきいきと残ることだろう。彼女は彼にとってあまりに大きい意味をもってしまった、彼女は彼を詩人に仕上げてしまったのだ、だからつまり、彼女は自分自身の死刑判決書に署名してしまったのだ。

> Kenny Rogers - Lady
> http://www.youtube.com/watch?v=Tj_NjLBPotQ&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=11
> 諦めることをしないで男にうるさくつきまとい、それが真実に男を愛していることの証明だなどと自惚れるほど利己的な女があるとしたら、そういう女の一生の任務はまことに安易なもので、誠実だという名誉と疚しからぬ良心を、同時にまたごく上品に洗練された恋愛までも、わけなく享受できるだろう。神よ、すべての男をそういう誠実さから守りたまえ!

> Vera Lynn - As Time Goes By
> http://www.youtube.com/watch?v=S8F9NzVuIuA&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=1
> わたしはレタスが好きだが、いつも芯だけしか食べない、葉は豚にやるものだとわたしは思っている。わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。

> It's Over-Gato Barbieri
> http://www.youtube.com/watch?v=ksmLewp4vf8&feature=BF&list=QL&index=4
> 岩角に釘づけにされたプロメテウスが、禿鷹に肝臓をついばまれながら、その語る予言によって神々を惹きつけるように、彼女は恋人を惹きつけた。くる日もくる日も、すべてがささげつくされた、その日その日が最後であったから。だが、それがいつまでもつづくわけではなかった。彼女はおのれを縛りつけている鎖を噛んでみた。しかし、彼女の激情がたけりたてばたけりたつほど、彼女の歌はいよいよ甘く、彼女の言葉はいよいよ優しく、鎖はいよいよ固くなった。この誤解から現実の関係を作り上げるなどということは、彼女には不可能だった。それこそ彼を永久の欺瞞にゆだねることだった。
彼女の思い、彼女の心は、実は彼とは別のものを、つまり、彼女が彼に象徴させているものを求めているのであって、彼はその憧憬の化身にすぎないといって彼の思い違いを説明してやるのは、彼を深く傷つけることで、それには彼女の誇りが憤りを感ずるのであった。そういうやり口は、彼女の何よりも軽蔑するものであった。それはまた彼女として当然なことだった。男を欺き誘惑するのは軽蔑すべきことである、しかし、あなたはわたしの理想ではなかったのだと説明して男をいいくるめたり、あなたは詩神にすぎなかったのだといって男をなだめたり、自分を悪者にしないばかりか立派な逃げ道までもこしらえて男を見捨ててしまうというのは、さらに軽蔑すべきことである。男をくどく経験を多少とも積んだものなら、それくらいのことはわけなくやってのけるだろう。せっぱつまって男のほうでもその申し出に応ずるだろう。こうして首尾よく逃げおおせたうえに、しかも正直な人ということになる、親切な人ということにさえなる。しかしあとになってみると、だまされていたことを知っている男よりもいっそう深い傷を、その男は心に負っているのである。だからどんな恋愛関係においても、関係はできたが実現の見込みはないという場合には、思いやりが最大の侮辱である。エロス的な目をもちしかも臆病でない女なら、思いやりをもたないということが、男の体面を保ってやるための残された唯一の方法だということを、容易に理解するだろう。

> Right Here Waiting - Richard Marx
> http://www.youtube.com/watch?v=Zilog7d523w&feature=BF&list=QL&index=9
> わたしは娘のすることならなんでも赦すことができるのだが、娘が恋をしながら恋の使命をとり違えるのだけは、どうにもゆるせない。娘の恋が献身的でないなら、その娘は女でなくて野郎なのだ。そういう娘はその恋によってまず愛する男の血を吸いとってしまい、はては男をして懊悩と絶望のあまり自分から手を切るにいたらしめるものだが、そういう恋にこがれる女を、そういう役をみごとに演じて、同情をよせる家族の者や友達に泣いてもらうひとりのエルヴィーラとして登場させることは、喜劇詩人にとって実にやりがいのある仕事であるにちがいない、このエルヴィーラは、欺かれた娘たちの合唱団で第一歌手を演じ、男たちの不実を、明らかに自分の一生を台なしにするほど不実だったと、いかにも大げさにまくしたてることを心得ている女、しかもそういうことをずうずうしくも落ち着き払ってやってのけながら、自分自身の誠実さのほうこそ、むしろ愛する男の生命を奪いかねないということに、半秒間も思いいたることのない女なのである。女の誠実さというものは偉大なものだ、とりわけ男の要求をその厚意に感謝しながら懇ろに断る場合にそうである。女のそういう誠実さはいつも測り知れず、理解しがたい。恋する男が、どんなに苦しくとも、怒りの言葉をひとことも女に浴びせることなく、かえって女をだまして、自分を欺くとはけしからん男だと思っている女の思い違いを強めてやるという、より深刻な復讐に甘んずるだけのユーモアを失わずにいるとしたら、この場面は実に愉快なものになることだろう。

> tell him... celine dion / barbra streisand
> http://www.youtube.com/watch?v=wB_vjpRhLxM
> 「N.Nさんはいい人だけど、退屈だわ。ところがF.Fさんったら、あの人とってもおもしろくって、いかすわよ。」かわいい娘の口からこういう言葉を聞くたびに、わたしはいつも思うのである。「よくも恥ずかしくないものだ、若い娘がそんなことを口にするなんて、なんて情けないことだろう。」男がインテレサントなものに迷い込んだとき、救い出してくれるものは娘のほかにないではないか。それだのに、そういうことを口にするのは、罪を犯すことではないか。当の男がインテレサントなことなどできない人間であるなら、その男に向かってそれをせよと要求するのは、思いやりのないことであるし、あるいはまた、男がインテレサントなことのできる人間であるなら、そしたら・・・・・・・・、なぜかといえば、若い娘というものは、インテレサントなものを誘い出すことをしないようにこそ、つねに慎むべきものだからだ。そういうことをする娘は、イデーからみて、いつも損をする。インテレサントなものはけっして反復されないからである。インテレサントなものを求める娘は、みずからそこにおちいる罠となる。インテレサントなものに心ひかれぬ娘は反復を信ずる、そういう生まれつきの娘に栄誉あれ。時を経てそうなった娘に栄誉あれ。

> Diana Krall Love Is Where You Are
> http://www.youtube.com/watch?v=vByMcoYgjaY&feature=BF&list=QL&index=2
> 多少とも想像力をもった青年なら、一度は芝居の魔力にとらえられたことがあるにちがいない。あの人工的な現実のなかへ自分もともにまき込まれて、まるで二重人みたいに、そこでもうひとりの自分自身が動くのを見、語るのを聞き、自分自身を自分自身に可能なだけのあらゆる種類の人物に扮装させ、しかもそのどれもがまた一個の自己であるというふうであってみたいという願いをいだいたことがあるにちがいない。こういう欲望があらわれるのは、もちろんまだ若いうちのことである。ただ想像力がだけが目覚めて個性を夢みていえ、その他の能力はすべてまだ安らかに眠っている。そういう想像力によって自己が見られると、個人は現実的な姿ではなく影でしかない、もっと適切にいうと、現実的な姿が目の前にありながら、それが見えないのである。それだから個人は、ただ一つの影を投げるだけでは満足できずに、そのどれもが自分に似ていてそのときそのときに自分自身である権利を平等にもっているようなさまざまな影を投げるのである。

> I´m thru with love - Diana Krall and Hollywood divas
> http://www.youtube.com/watch?v=ivF2ZTxV81Q&feature=mfu_in_order&list=UL
> しかしこの影の存在も満足を求める、それが自己の生を全うするだけの時を与えられなかったとしたら、それは人間にとってけっして好ましいことでない。しかしまた、個人が見当ちがいをして、影の存在のなかを迷いつづけながら生きつくしてしまったとしたら、それは哀れな、あるいは滑稽なことだ。そういう人間がそれでほんとうの人間であるなどと自惚れるなら、それはちょうど最後の審判の日に、自分自身で出頭することもできずに、気のきいた目論見とか、その日一日だけの決心とか、半時間きりの計画とかなどを身代わりに出頭させる人間が不死の要求をするのと同じように、まことに心もとないことだ。何事もそれぞれ適当な時におこなわれることが肝心なのだ。すべては若いときにその時をもっている、そして若いときにその時をもったことは、また後でその時を得るものだ。年長者にとって、その生涯のうちに、何か思い出して笑わずにいられぬような過去をもっているということは、何か涙をさそう過去をもっているのと同じように健康なことなのだ。

> "Who knows where the time goes" - Nina Simone
> http://www.youtube.com/watch?v=wZa3XsHA6UU&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=4
> 山里で明けても暮れても、うまずたゆまず同じ主題(テーマ)の風が奏でているのを聞いていると、ついそれに誘われて、しばしその不完全さを忘れ、人間の自由のたゆみなさと確かさを象徴するかに思われてうれしくなることがある。するとつい忘れられてしまうのだが、いまこの山々のあいだをおのが住み家として幾年も吹き渡っている風は、かつては行き暮れし旅人としてこの土地へきたのである、そして心を乱して荒れ狂いながら峡谷のあいだを突き分け、洞窟の中に突き入り、或るときは自分でもはっと驚いて跳び退くような金切り声を張り上げたかと思うと、或るときはわれわれから逃げ出したくなるようなうつろな吼え声を立て、或るときはどこからでてくるのか自分にもわからぬような嘆きの調べを奏でたかと思うと、或るときは風みずからが恐れをなしてこのあたりに足をとどめたものかどうかとしばし疑いためらうような底知れぬ不安の溜息を吐き、或るときはまた浮かれはしゃいで抒情的な囃し唄を歌い、こうしてついに自分の楽器に習熟してしまって、これらすべての共鳴音をメロディーにまとめあげ、それをいま明けても暮れても変わりなく奏でているのである。それと同じように、個人の可能性もそれみずからの可能性のなかをさまよい歩きながら、或るときはこの可能性を、また或るときはあの可能性を発見する。しかし個人の可能性は単に聞かれることを欲するばかりではない、それは風のように吹きすさぶばかりではなく、また形を成そうとするのだ、だからそれは聞かれると同時にまた見られることをも欲する。個人の可能性は、だからそのどれをとってみても、音を発する影である。この隠された個人は、悪意の小ざかしい囁きに耳をかさないと同じように、仰々しく喚きたてる感情を信じない、悲嘆のやるせない溜息を信じないが、また同じように、歓喜の極みに沸き立つ叫び声も信じない。個人はただ情熱をもって見そして聞こうと欲する、しかし、注意あれ、自己みずからを、なのだ。けれども、個人は自己みずからをほんとうに聞こうとは欲していないのだ。そんなことはできるものではない。それができれば、その瞬間に雄鶏が鳴く、そして薄明の姿どもは逃げ去り、夜の声は沈黙する。これら薄明の姿どもが踏みとどまっているかぎり、われわれはまったく別な領域に、一切のものが責任の気づかわしげな監視の目を浴びて不安を覚えながら行なわれるところに、つまり、悪魔的なものの国にいるのである。だから、ほんとうの自己の印象を受けずにいられるように、隠れた個人は、あの薄明の姿どものような、こだますることのない言葉のかすかなざわめきのような、かりそめのはかない環境を求める。このような環境が舞台なのだ。だからこそ、舞台は隠れた個人の影絵芝居にふさわしい。

> Jon Hassell - Amsterdam Blue
> http://www.youtube.com/watch?v=dz40YrNBje4&feature=autoplay&list=QL&index=3&playnext=3
> わたしの忘れがたい保母よ、わたしの父の庭づたいに流れてゆく小川に住むなんじつかまえがたい水の精(ニンフ)よ、おまえはおまえ自身のことだけに心を使っていたけれど、それでもいつも子供の遊びに加わり遊び相手になってくれた!なんじ忠実なる慰安者よ、おまえは幾歳を経てなおおまえの無垢な純粋さを持ちつづけている。わたしがすでに老いさらばえてしまったのに、おまえはちっとも年をとってはいない。なんじ安らかな水の精(ニンフ)よ、人間に倦み、わたし自身に倦んで憩いのためにわたしが永遠を必要としたとき、悲嘆にくれてわたしが忘却のために永遠を必要としたとき、そのたびごとにいつもわたしはおまえのところに逃がれていった。人間たちが永遠を時間と同じようにせわしないものにし、時間よりももっと空恐ろしいものにしてわたしに拒もうとしたものを、おまえはわたしに拒まなかった。そういうとき、わたしはおまえの傍らに身を横たえ、わたし自身から逃がれて、頭上の広い広い蒼空へ消えていった、そして眠りをさそうおまえの囁きに、わたし自身を忘れたものだ!なんじ、わたしの幸福なる自己よ、わたしの父の庭づたいに流れゆく小川に住むなんじ足早の生よ、わたしは投げ捨てられた旅杖にも似た姿でおまえの傍らに身を横たえてはいたが、おまえの物悲しいせせらぎによって救われ解放されていたのだ!

She Was Too Good to Me
http://mp3.xalo.vn/bai-hat/chet-baker/she-was-too-good-to-me/6b6a58f
ある朝のこと、起き上がると珍しく気持ちが良かった。この快感は、比類を絶して、午前中ずうっとだんだん高まっていった。かっきり1時に、わたしは絶頂に達して、めまいがするほどの極限にいるのを感じた。それはもはや快感の測度計では、詩の温度計でさえも、表示されないほどの高度であった、体は地上的な重みを失っていた、体をもっていないかのようであった。あらゆる機能は満ち足りて働き、どの神経も自己自身に、また全体との調和に喜びを味わい、また一つ一つの脈拍は有機体全体を震動させて瞬間の快楽を思い出させ、それを感じさせるばかりだったから。わたしの歩みは漂うごとくであった、しかしそれは空気を切って地上を離れる鳥の飛翔とはちがって、稲穂の上を吹くわたる風の波、憧憬に酔える海のうねり、夢みる雲の滑走のごとくであった。わたし自身が海の深い底のように、ひとりを楽しむ夜の沈黙のように、反響(こだま)することのない独白にも似た真昼の静寂(しじま)のように、冴えわたっていた。あらゆる情緒が美しい調べを奏でて共鳴しながらわたしの魂の中でやすらいだ。想念は次々と湧き出てきた、あらゆる思想が、祝福の威儀をこらして、押しよせてきた、世にも愚かしい思いつきも、世にも豊かなイデーも。あらゆる印象は来る前にすでに予感されていた、だからそれはわたし自身のうちで目を覚ました。全人世がわたしに愛をかたむけているもののようであった、一切のものが、わたしの存在に触れて運命をはらみながら、打ち震えた。わたしのうちにあるすべてのものは前兆であった。そして一切のものが、わたしの小宇宙的な浄福のなかで、ふしぎに浄化されていた、その浄福がみずからのなかであらゆるものを、不愉快なことも、退屈きわまる人の言葉も、目に映る忌わしいものの姿も、どれほど宿命的ないさかいをも、浄化したのであった。さきにもいったが、かっきり1時に、わたしは最高潮に立っていた、わたしはそれが極限だと予感した。そのとき突然、わたしの一方の目が少しかゆくなりはじめた。それは睫毛だったか、それとも毛屑か塵だったか、わたしは知らない。しかしこの瞬間に、わたしが絶望のどん底にころび落ちたことだけは確かである。

> > わが沈黙の共犯者よ!名前こそありませんが、それでもおそらくはぼくは、あなたにとってつねに何ものかであるだろうと思います。そしていかなる場合にもかわらぬあなたの忠実な友です。

> >                                  敬具

やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53726] なんじ、わたしの幸福なる自己よ、おまえの物悲しいせせらぎによって救われ解放されていたのだ!Re:[53719] 舞台は隠れた個人の影絵芝居にふさわしい。Re:[53715] 最後の審判の日に、自分自身で出頭することもできずに、気のきいた目論見とか、その日一日だけの決心とか、半時間きりの計画とかなどを身代わりに出頭させる人間Re:[53712] 現実的な姿が目の前にありながら、それが見えないのである。Re:[53710] インテレサントなものに心ひかれぬ娘は反復を信ずる、時を経てそうなった娘に栄誉あれ。Re:[53709] 女の誠実さというものは偉大なものだ、とりわけ男の要求をその厚意に感謝しながら懇ろに断る場合にそうである。Re:[53708] 関係はできたが実現の見込みはないという場合には、思いやりが最大の侮辱である。Re:[53706] わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。Re:[53703] 神よ、すべての男をそういう誠実さから守りたまえ!Re:[53699] 自分自身の死刑判決書Re:[53698] 汝(いまし)へのあこがれ絶えずRe:[53692] わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。Re:[53690] もし反復ということがなかったら、人生とはそもそも何であろう?Re:[53677] ぼくの苦痛と悩みには名前がありません。Re:[53676] ・・・Re:[53674] わが沈黙の共犯者よ! 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/01/27(Thu) 18:18  

うのいつそANNEX−Ω   訪問者数:2324587(今日:380/昨日:510)2011/01/27(Thu) 17:43

> Lizz Wright - The First and Last to Love Me (K. Hanrahan)
> http://www.youtube.com/watch?v=E8Dp21T8c7c&feature=BF&list=QL&index=25

> 追憶の恋のみが幸福な恋である、とある作家が言った。その恋がまずひとを不幸にするのを追憶するというだけのことであるなら、まったくそのとおりである。

> ほんとうは、反復の恋こそ唯一の幸福な恋なのだ。

> 反復の恋には、追憶の恋と同じように、期待と不安定さがない。探検に伴う不安な冒険もない、しかしまた、追憶のもつ哀愁もない、そこには瞬間の至福な確実さがある。

> 期待は新調の衣服で、ぱりっとして、しかもきらびやかである。しかしそれはまだ着てみたわけではない、だから、はたして体にぴったり合うかどうか、またよく似合うかどうかもわからない。

> 追憶はもう着なくなった古着である、それがどんなに美しくても、いまでは体のほうが大きくなってもうどうにも身丈があわない。

> 反復は着古されることのない着物である。それはぴったりと着心地よく体に合い、窮屈でもなければだぶつきもしない。

> 期待は追う手をすり抜けてゆくかわいい娘である。

> 追憶は美しくはあるが今ではもうけっして用を足せない老婆である。

> 反復はいつまでも飽きることのない愛妻である。

> 飽きがくるのは新しいものに限っているからだ。古いものはけっして飽きることがない、そして古いものが目の前にあると、ひとは幸福になる、しかも、反復が何か新しいものでなければならぬかのような思い違いをしないひとだけが、本当に幸福になる。もしそういう思い違いをしていたら、ひとはやがて反復にも飽きてしまうだろう。

> 期待するには若さが要る、追憶するには若さが要る。

> しかし、

> 反復を欲するには勇気が要る。

> 期待するしか欲しないものは卑怯である。

> 追憶をしか欲しないものは淫らである。

> しかし、

> 反復を欲するものは男である。

> そして、

> このことをしっかりと自覚するにつれて、ひとはそれだけ深みのある人間になる。

> ところが、

> 人生は反復であり、そして反復こそ人生の美しさであることを理解しないものは、手ずから自分に判決をくだしたも同然で、所詮まぬがれられぬ運命、つまり自滅するほかあるまい。

> 思うに、

> 期待はひとをさしまねく果実ではあるが、腹の足しにはならぬ。

> 追憶はまことに乏しい糊口の資で、これまた腹を満たすには足りない。

> ところが反復は日々のパンである、それは祝福をもって満腹にさせてくれる。

> ひとたび人世を周航してみれば、人生が反復であることを理解するだけに勇気がもてるかどうか、また、反復を楽しむ気持になれるかどうかが明らかになるだろう。生きることをはじめる前にまず人生を周航しなかったものは、けっして生きることにはならないだろう。人世を周航してはみたがうんざりしたというひとは、虚弱な体質の持ち主だったのだ。

> 反復を選んだ人、その人だけがほんとうに生きるのである。

> 彼は子供みたいに蝶を追いまわしはしない、この世の栄耀栄華をのぞくために爪立ちしたりもしない、彼はそれを知っているからだ。

> 彼はまた老婆のように紡ぎ車の前に坐って追憶の糸を紡ぐこともしない。

> むしろ、

> 彼は反復を楽しみながら、心静かにわが道を歩む。

> ほんとうに、もし反復ということがなかったら、人生とはそもそも何であろう?

> Edyta Gorniak - Hello (Gala RMF FM) [Live] HQ DIVA
> http://www.youtube.com/watch?v=AWsesrdS1Jg&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=26


> 時が瞬間ごとに新しい文字を書きつらねてゆく石板になることを、あるいは過去の碑銘になることを、誰がこいねがうであろうか?

> 次から次へと新しいものに打ち興じさせて魂を柔弱にしてしまうあらゆる果敢(はか)ないもの、目新しいものに、それからそれへと心を奪われることを、誰がこいねがうであろうか?

> 反復、これが現実なのだ、人の世の厳粛さなのだ、反復を欲するものは厳粛さにおいて成熟しているのだ。

> これはわたしの単独投票なのだが、そこには同時にこういう意味が含まれている。

> ソファにどっかと腰をおろして楊枝で歯をほじくっていたりーーーそしておまけに、たいした人物、たとえば法律顧問でござるとばかり勿体(もったい)ぶるとか、あるいは、偉容をととのえて街上を闊歩したりーーーそしておまけに、たいした人物、たとえばなんとか尊師でございますとばかりに尊大ぶるとかするのは、けっして人生の厳粛さではない。そういう勿体ぶった態度は、国王の調馬師だといって得意になるのと同じように、人生の厳粛さではない。

> そのようなことはすべて、

> わたしの目には、ただ冗談としか見えない、しかもしばしばなんとも愚かしい冗談なのだ。

> Lizz Wright's Version of 'Hey Mann'
> http://www.youtube.com/watch?v=_Wp8-ahXVFI&feature=BF&list=QL&index=31

> 恋するものはよく恋の甘い不安を詩人の言葉に託して吐き出しながら歓喜に酔うものだ・・・

>     わが古きゆり椅子に
>       立ち返りくる若き日の夢
>     女性(おみな)らの太陽(ひ)と照り映ゆる
>       汝(いまし)へのあこがれ絶えず

> ・・・メランコリックな男に恋をさせてみるがいい、そしたら何もかも消し飛んでしまう、とよくきまったように言われる。しかし、彼がほんとうにメランコリックであるなら、彼にとって何よりも重大な事柄を彼の心がどうしてメランコリックに考えずにいられるだろうか。

> 彼は深くそして熱烈に恋している、これは明らかだ。

> それだのに、彼は最初の日からもう彼の恋愛を追憶できる状態にある。

> つまり、彼は恋愛関係をすでにすっかり完了しているのである。始めるときにおそろしく大股に歩いたために、彼は人生を飛び越してしまったのだ。・・・

> Frank Sinatra - Only the Lonely
> http://www.youtube.com/watch?v=bef_s1Bhn7o&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=59

> 彼女は彼の恋人であった。彼がかつて愛した唯一の恋人、彼がいつか愛するようになるかもしれない唯一の恋人であった。しかし、それだのにまた、彼は彼女を愛してはいなかった、彼はただ彼女に憧れていただけだったのだ。

> あの少女は彼の恋人ではなかったのだ。彼女は彼のうちに詩的なものを目覚めさせ彼を詩人にする誘因だったのである。

> だからこそ、彼は彼女だけを愛することができ、彼女をけっして忘れることができず、けっしてほかの女を愛しようとはしなかったのだ。けれども、彼はつねに彼女をただ憧れていただけのことであった。

> 彼女は彼自身の全存在のなかに吸収されてしまったのである。彼女の思い出はいつまでもいきいきと残ることだろう。

> 彼女は彼にとってあまりに大きい意味をもってしまった、彼女は彼を詩人に仕上げてしまったのだ、

> だからつまり、

> 彼女は自分自身の死刑判決書に署名してしまったのだ。

> Kenny Rogers - Lady
> http://www.youtube.com/watch?v=Tj_NjLBPotQ&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=11

> 諦めることをしないで男にうるさくつきまとい、それが真実に男を愛していることの証明だなどと自惚れるほど利己的な女があるとしたら、そういう女の一生の任務はまことに安易なもので、誠実だという名誉と疚しからぬ良心を、同時にまたごく上品に洗練された恋愛までも、わけなく享受できるだろう。

> 神よ、すべての男をそういう誠実さから守りたまえ!

> Vera Lynn - As Time Goes By
> http://www.youtube.com/watch?v=S8F9NzVuIuA&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=1

> わたしはレタスが好きだが、いつも芯だけしか食べない、葉は豚にやるものだとわたしは思っている。

> わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。

> It's Over-Gato Barbieri
> http://www.youtube.com/watch?v=ksmLewp4vf8&feature=BF&list=QL&index=4

> 岩角に釘づけにされたプロメテウスが、禿鷹に肝臓をついばまれながら、その語る予言によって神々を惹きつけるように、彼女は恋人を惹きつけた。

> くる日もくる日も、すべてがささげつくされた、その日その日が最後であったから。だが、それがいつまでもつづくわけではなかった。

> 彼女はおのれを縛りつけている鎖を噛んでみた。しかし、彼女の激情がたけりたてばたけりたつほど、彼女の歌はいよいよ甘く、彼女の言葉はいよいよ優しく、鎖はいよいよ固くなった。

> この誤解から現実の関係を作り上げるなどということは、彼女には不可能だった。それこそ彼を永久の欺瞞にゆだねることだった。

> 彼女の思い、彼女の心は、実は彼とは別のものを、つまり、彼女が彼に象徴させているものを求めているのであって、彼はその憧憬の化身にすぎないといって彼の思い違いを説明してやるのは、彼を深く傷つけることで、それには彼女の誇りが憤りを感ずるのであった。そういうやり口は、彼女の何よりも軽蔑するものであった。

> それはまた彼女として当然なことだった。

> 男を欺き誘惑するのは軽蔑すべきことである、しかし、あなたはわたしの理想ではなかったのだと説明して男をいいくるめたり、あなたは詩神にすぎなかったのだといって男をなだめたり、自分を悪者にしないばかりか立派な逃げ道までもこしらえて男を見捨ててしまうというのは、さらに軽蔑すべきことである。

> 男をくどく経験を多少とも積んだものなら、それくらいのことはわけなくやってのけるだろう。

> せっぱつまって男のほうでもその申し出に応ずるだろう。こうして首尾よく逃げおおせたうえに、しかも正直な人ということになる、親切な人ということにさえなる。

> しかしあとになってみると、だまされていたことを知っている男よりもいっそう深い傷を、その男は心に負っているのである。

> だからどんな恋愛関係においても、関係はできたが実現の見込みはないという場合には、思いやりが最大の侮辱である。

> エロス的な目をもちしかも臆病でない女なら、思いやりをもたないということが、男の体面を保ってやるための残された唯一の方法だということを、容易に理解するだろう。

> Right Here Waiting - Richard Marx
> http://www.youtube.com/watch?v=Zilog7d523w&feature=BF&list=QL&index=9

> わたしは娘のすることならなんでも赦すことができるのだが、娘が恋をしながら恋の使命をとり違えるのだけは、どうにもゆるせない。

> 娘の恋が献身的でないなら、その娘は女でなくて野郎なのだ。

> そういう娘はその恋によってまず愛する男の血を吸いとってしまい、はては男をして懊悩と絶望のあまり自分から手を切るにいたらしめるものだが、そういう恋にこがれる女を、そういう役をみごとに演じて、同情をよせる家族の者や友達に泣いてもらうひとりのエルヴィーラとして登場させることは、喜劇詩人にとって実にやりがいのある仕事であるにちがいない、このエルヴィーラは、欺かれた娘たちの合唱団で第一歌手を演じ、男たちの不実を、明らかに自分の一生を台なしにするほど不実だったと、いかにも大げさにまくしたてることを心得ている女、しかもそういうことをずうずうしくも落ち着き払ってやってのけながら、自分自身の誠実さのほうこそ、むしろ愛する男の生命を奪いかねないということに、半秒間も思いいたることのない女なのである。

> 女の誠実さというものは偉大なものだ、とりわけ男の要求をその厚意に感謝しながら懇ろに断る場合にそうである。

> 女のそういう誠実さはいつも測り知れず、理解しがたい。

> 恋する男が、どんなに苦しくとも、怒りの言葉をひとことも女に浴びせることなく、かえって女をだまして、自分を欺くとはけしからん男だと思っている女の思い違いを強めてやるという、より深刻な復讐に甘んずるだけのユーモアを失わずにいるとしたら、この場面は実に愉快なものになることだろう。

> tell him... celine dion / barbra streisand
> http://www.youtube.com/watch?v=wB_vjpRhLxM

> 「N.Nさんはいい人だけど、退屈だわ。ところがF.Fさんったら、あの人とってもおもしろくって、いかすわよ。」

> かわいい娘の口からこういう言葉を聞くたびに、わたしはいつも思うのである。

> 「よくも恥ずかしくないものだ、若い娘がそんなことを口にするなんて、なんて情けないことだろう。」

> 男がインテレサントなものに迷い込んだとき、救い出してくれるものは娘のほかにないではないか。それだのに、そういうことを口にするのは、罪を犯すことではないか。

> 当の男がインテレサントなことなどできない人間であるなら、その男に向かってそれをせよと要求するのは、思いやりのないことであるし、あるいはまた、男がインテレサントなことのできる人間であるなら、そしたら・・・・・・・・、なぜかといえば、若い娘というものは、インテレサントなものを誘い出すことをしないようにこそ、つねに慎むべきものだからだ。そういうことをする娘は、イデーからみて、いつも損をする。

> インテレサントなものはけっして反復されないからである。

> インテレサントなものを求める娘は、みずからそこにおちいる罠となる。

> インテレサントなものに心ひかれぬ娘は反復を信ずる、そういう生まれつきの娘に栄誉あれ。

> 時を経てそうなった娘に栄誉あれ。

> Diana Krall Love Is Where You Are
> http://www.youtube.com/watch?v=vByMcoYgjaY&feature=BF&list=QL&index=2

> 多少とも想像力をもった青年なら、一度は芝居の魔力にとらえられたことがあるにちがいない。あの人工的な現実のなかへ自分もともにまき込まれて、まるで二重人みたいに、そこでもうひとりの自分自身が動くのを見、語るのを聞き、自分自身を自分自身に可能なだけのあらゆる種類の人物に扮装させ、しかもそのどれもがまた一個の自己であるというふうであってみたいという願いをいだいたことがあるにちがいない。

> こういう欲望があらわれるのは、もちろんまだ若いうちのことである。

> ただ想像力がだけが目覚めて個性を夢みていえ、その他の能力はすべてまだ安らかに眠っている。そういう想像力によって自己が見られると、個人は現実的な姿ではなく影でしかない、もっと適切にいうと、

> 現実的な姿が目の前にありながら、それが見えないのである。

> それだから個人は、ただ一つの影を投げるだけでは満足できずに、そのどれもが自分に似ていてそのときそのときに自分自身である権利を平等にもっているようなさまざまな影を投げるのである。

> I´m thru with love - Diana Krall and Hollywood divas
> http://www.youtube.com/watch?v=ivF2ZTxV81Q&feature=mfu_in_order&list=UL

> しかしこの影の存在も満足を求める、それが自己の生を全うするだけの時を与えられなかったとしたら、それは人間にとってけっして好ましいことでない。

> しかしまた、

> 個人が見当ちがいをして、影の存在のなかを迷いつづけながら生きつくしてしまったとしたら、それは哀れな、あるいは滑稽なことだ。

> そういう人間がそれでほんとうの人間であるなどと自惚れるなら、それはちょうど最後の審判の日に、自分自身で出頭することもできずに、気のきいた目論見とか、その日一日だけの決心とか、半時間きりの計画とかなどを身代わりに出頭させる人間が不死の要求をするのと同じように、まことに心もとないことだ。

> 何事もそれぞれ適当な時におこなわれることが肝心なのだ。

> すべては若いときにその時をもっている、そして若いときにその時をもったことは、また後でその時を得るものだ。

> 年長者にとって、その生涯のうちに、何か思い出して笑わずにいられぬような過去をもっているということは、何か涙をさそう過去をもっているのと同じように健康なことなのだ。

> "Who knows where the time goes" - Nina Simone
> http://www.youtube.com/watch?v=wZa3XsHA6UU&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=4
>
> 山里で明けても暮れても、うまずたゆまず同じ主題(テーマ)の風が奏でているのを聞いていると、ついそれに誘われて、しばしその不完全さを忘れ、人間の自由のたゆみなさと確かさを象徴するかに思われてうれしくなることがある。するとつい忘れられてしまうのだが、
>
> いまこの山々のあいだをおのが住み家として幾年も吹き渡っている風は、かつては行き暮れし旅人としてこの土地へきたのである、
>
> そして
>
> 心を乱して荒れ狂いながら峡谷のあいだを突き分け、洞窟の中に突き入り、或るときは自分でもはっと驚いて跳び退くような金切り声を張り上げ
>
> たかと思うと、或るときは
>
> われわれから逃げ出したくなるようなうつろな吼え声を立て、
>
> 或るときは
>
> どこからでてくるのか自分にもわからぬような嘆きの調べを奏で
>
> たかと思うと、或るときは風みずからが
>
> 恐れをなしてこのあたりに足をとどめたものかどうかとしばし疑いためらうような底知れぬ不安の溜息を吐き、
>
> 或るときは
>
> また浮かれはしゃいで抒情的な囃し唄を歌い、
>
> こうしてついに自分の楽器に習熟してしまって、これらすべての共鳴音をメロディーにまとめあげ、それをいま明けても暮れても変わりなく奏でているのである。
>
> それと同じように、
>
> 個人の可能性もそれみずからの可能性のなかをさまよい歩きながら、或るときはこの可能性を、また或るときはあの可能性を発見する。
>
> しかし
>
> 個人の可能性は単に聞かれることを欲するばかりではない、それは風のように吹きすさぶばかりではなく、また形を成そうとするのだ、
>
> だから
>
> それは聞かれると同時にまた見られることをも欲する。
>
> 個人の可能性は、だからそのどれをとってみても、音を発する影である。
>
> この隠された個人は、悪意の小ざかしい囁きに耳をかさないと同じように、仰々しく喚きたてる感情を信じない、悲嘆のやるせない溜息を信じない
>
> が、また同じように、歓喜の極みに沸き立つ叫び声も信じない。
>
> 個人はただ情熱をもって見そして聞こうと欲する、しかし、注意あれ、自己みずからを、なのだ。
>
> けれども、個人は自己みずからをほんとうに聞こうとは欲していないのだ。そんなことはできるものではない。それができれば、その瞬間に雄鶏が鳴く、そして薄明の姿どもは逃げ去り、夜の声は沈黙する。
>
> これら薄明の姿どもが踏みとどまっているかぎり、われわれはまったく別な領域に、一切のものが責任の気づかわしげな監視の目を浴びて不安を覚えながら行なわれるところに、つまり、悪魔的なものの国にいるのである。
>
> だから、ほんとうの自己の印象を受けずにいられるように、隠れた個人は、あの薄明の姿どものような、こだますることのない言葉のかすかなざわめきのような、かりそめのはかない環境を求める。このような環境が舞台なのだ。
>
> だからこそ、
>
> 舞台は隠れた個人の影絵芝居にふさわしい。

Jon Hassell - Amsterdam Blue
http://www.youtube.com/watch?v=dz40YrNBje4&feature=autoplay&list=QL&index=3&playnext=3

わたしの忘れがたい保母よ、わたしの父の庭づたいに流れてゆく小川に住むなんじつかまえがたい水の精(ニンフ)よ、おまえはおまえ自身のことだけに心を使っていたけれど、それでもいつも子供の遊びに加わり遊び相手になってくれた!

なんじ忠実なる慰安者よ、おまえは幾歳を経てなおおまえの無垢な純粋さを持ちつづけている。わたしがすでに老いさらばえてしまったのに、おまえはちっとも年をとってはいない。

なんじ安らかな水の精(ニンフ)よ、人間に倦み、わたし自身に倦んで憩いのためにわたしが永遠を必要としたとき、悲嘆にくれてわたしが忘却のために永遠を必要としたとき、そのたびごとにいつもわたしはおまえのところに逃がれていった。人間たちが永遠を時間と同じようにせわしないものにし、時間よりももっと空恐ろしいものにしてわたしに拒もうとしたものを、おまえはわたしに拒まなかった。

そういうとき、わたしはおまえの傍らに身を横たえ、わたし自身から逃がれて、頭上の広い広い蒼空へ消えていった、そして眠りをさそうおまえの囁きに、わたし自身を忘れたものだ!

なんじ、わたしの幸福なる自己よ、わたしの父の庭づたいに流れゆく小川に住むなんじ足早の生よ、わたしは投げ捨てられた旅杖にも似た姿でおまえの傍らに身を横たえてはいたが、おまえの物悲しいせせらぎによって救われ解放されていたのだ!

> > わが沈黙の共犯者よ!

> > 名前こそありませんが、それでもおそらくはぼくは、あなたにとってつねに何ものかであるだろうと思います。そしていかなる場合にもかわらぬあなたの忠実な友です。

> >                                  敬具

やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53725] 別れたその瞬間、風花が舞ってきたのです。Re:[53721] 冷や汗たらたらで峠を越えて・・・ 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/01/27(Thu) 13:10  

うるせいなANNEX−Ω   訪問者数:2324445(今日:238/昨日:510)2011/01/27(Thu) 12:01

うるせいな?うむ。合点!

Rita Hayworth e Ava Gardner: a homenagem de Caetano Veloso
http://www.youtube.com/watch?v=-6cd8Jm78mM&feature=BF&list=QL&index=8

> るくつたくANNEX−Ω   訪問者数:2323911(今日:214/昨日:546)2011/01/26(Wed) 10:40
>
> RITA HAYWORTH: Mon coeur s´ouvre à ta Voix
> http://www.youtube.com/watch?v=_q6DPymqb8o&feature=BF&list=QL&index=9
>
> きのうのことをけふ書くと雌鳥がなくかだうかは知らぬが、きのうけふにかかわらず、あのクラブランちうもんは、まるで原始人の猿の習性まるだしのやうで、さういう猿まねをソレガシもするのか?ちう反省反復の思いの重い足で漕いでいけば、梵さんは紳士でやさしいから・・ちうような誤解もあらわれ、さういう誤解は必ずしも憎むべきもんでもなく、

きのうのこときのう書けば雄鶏もないたかもしれませんが、またまた、きのうのことをけふ書けば、いやさ、さきおとといのこともけふかけば、卵も孵るかもしれませんが、インフルエンザで虐殺されるかもしれませんね。

さきおととい、あれはこの壊疽した歯の最後の修理の日、保健ですと、保証期間が1年で、1年以内にまた同じ歯が不具合を起こしても修理できない、もしくは、歯医者は修理代をとれない、だから修理しない、ということらしいので、んったく、健康保険ちうもんもいろいろと国民を悩ませる抜け穴があることは、民間のマヤカシ保険と同じ構図ですが、さういう忙しいときにかぎって、魅力的な出来事が起こるもんで・・・

土手を走っている、もう、居て愚も、ではのうて、凍て雲のカワッペリで、誰も走っておらんその先から一台のロードバイクが・・・擦れ違いザマに、ウォー!ちうのんは、挨拶で、手が離せるときは手でも合図しますが、ともかくも、うぉ〜で通り過ぎ、橋にのぼって下りかけると、横にすっとついた、これが、−30歳ですか、クラブハウスに一緒にいかがですか?とありがたいお誘いで・・・あいにく、さきのお誘いのときも、歯の修理で、さきおとといも歯の修理、嗚呼、このクソバカ歯よ、はよ、なおれ!ちうても、順番ちうもんがあって、時が痛みを癒さんと神経の腐った穴を埋めるわけぬもまいらず、あっちの穴を掃除すればこっちの穴の穴のなかが疼くとか、歯神経の穴も一筋縄でのうて、幾重にも輻輳しちょるますけん、年末から新年にもちこし、輪をかけて歯垢がたっぷりたまっていれば痛みもせんが、うっすらと霜のかかったやうな歯垢は北風が沁みて歯が痛むわけで、その痛みの機作はわかっちょらんさうですが、ともかくもも、痛む、痛まぬやうにするには、歯に磨きをかけてぷかぷかふかしたタバコの脂光りがするほどにピカピカにするのが骨ですが、さうさう歯を磨いてばかりもおれんのんで、適当なところで、歯ブラシをまたヒップバックに差し込んで、そんで、ガストに四つのレストランがあって、その四つのレストランの使い分け方ちうインテレサントなタレントオバカ番組がその前の晩かにあって、橋の上で寒風に吹かれながら、その話をすると、−30歳はぜんぜんさういう番組はみないんださうで、でも、興味があります、と・・

あっても、時間があわなきゃあ、四つのガストもくそもねえわけで、同じ方向の峠をこえて並んで途中までご一緒でいくのかとおもえば、くるりと向きをかけて、また追っかけて来た橋上の道を逆戻りして、だうも五日市だか奥多摩だかの山と峠をこえてかえるのだとか・・誠に元気がよろしいー30歳。

さて、

きのうのけふは、15時過ぎに家をでて重たい足取りでゆけば、ま、せいぜいが39kmどまりで、まだ日没には時間があるからと、帰り道の河川敷のグランド、よく、陸上のトレーニングなんぞもしちょって、ランニングの若人の集団も見かければ、一周どれほどあるのか、距離計つきのC40で距離をはかりがてら、せいぜいが39kmをせめて40km台にはしておこうと、3周ほどして、1.1km/周でしたが、やれやれ、お子様お帰りのお時間を告げるチャイムと放送がグランドに流れた4時半に周回コースから離れて我が家への道に復帰すると、なぬやら遥か前方に小口径車らしきものにリュックを背負ったライダーがゆく。

もしや?とおもって追いついてゆけば、ふむ、ふむ、これは明らかにかの兄姫なり♪

ちうことで、抜かさずに併走、

こんばんは・・ああ、こんばんわあ、だれかと思ったわ・・

ストーカーと間違われなくてよかったわいね、

そんなあ、ラッキーですよ、ラッキー♪

こないだの道こっちでしたかしら?

こないだソレガシが案内した道を辿ろうとして間違えるところも、これまた愛嬌・・

あ、そうなの、2斤のパンだって、小さく切って冷凍しておけば少しづつ食べれるのにね♪

とおっしゃるもんですから、おもわず、ならば、クラブハウスで手作り料理を去年だか一昨年だかにご馳走になりっぱなしで、ちうこともありますからと・・

天然酵母パン2斤@198円+おまけによもぎ大福5個138円

を贈呈しても、とてもその大きさがリュックに収まらず、近いから手でもっていきますと、保健センターの角の交差点で別れたその瞬間、風花が舞ってきたのです。ー何歳かしらぬ。

> うちつづくおばさま、-7歳を筆頭に、-10歳、-12歳とうちつづくその行列もしょっちゅういっておらんば、どこの橋を渡ればええのんか、橋の端から遠望して、たすかに突き当たりにGSがあったはずなんぢゃが、遠望するにどこの橋にもGSがないのんで川を遡れば、まう絶対にここでは行き過ぎぢゃ!ちうところでUターンしてもどれば、なんちゅうこともなく、集合場所の橋のそのすぐ次の橋がそもそもの該当の橋であって、橋が二重になっておるんでGSが見えんかったのであるが、そのGS脇の坂を登ると古民家に煉瓦の竈をしつらえた屋敷で、特別室はすでに予約がへえっておって、それに5名様以上ぢゃなくんば予約も受け付けませんと、まあ、しゃあない一般的の、それでも出窓の棚に骨董の獅子頭なんぞを置きその横には満開の花々が花瓶に生けられこれが全部造花で多少埃まみれではるものの、天井の梁は太く黒く、障子を閉めた室内は暖房がよく効き、畳に置かれたテーブル椅子の造りも特別室の味わいには及ぶべくもないが、それなりにしっかりしたもので、出てくるスープも猫舌でも火傷をしないほどの適温に適量でそれに丸いスープスプーンをつっこんで飲むのは、都心のホテルならさもありなんであらうけれども、庭先の崖下に木々を眺め、川の水面こそ見えぬものの、かつては見えたあらうところも昨今のコンクリの堤防の壁が屹立しそれを望む井戸に水神様がまつられその丸石組の台座にタバコ盆をのせて一服でkるこの感興では、なぬもスープカップをまるごと口に運んだところで、なじる視線はどこにもなく、それぞれに好き勝手なナイフフォークスプーン箸を駆使して、サラダを頬張り、お誕生日のプレゼントだと取り出したサコッシュだかパンダナだかわからん風呂敷様のもんの模様が話題の中心で、あら、これ自転車の模様のフレームの形が一つひとつちがうわ、どこで買ったの?立川になかったからわざわざ都心の伊勢丹まででかけたのよ、ちうことでソレガシなんぞは割って入る余地もなく、関心のまなざしは○蹴りー太、ぬぬ?マルゲリータ、生ハムソーセージの窯焼きピザと魚介、茸のスパッゲティなんぞをー7歳が各位にとりわけ、それなりにピザの風味もスパゲッチの茹で具合もよろしく、さて、疎外されきったソレガシがクラブランの猿の本能めいた習性を言い出すと、最近クラブに入ったー7歳はさっそく厠に消え、−10歳は口を噤み、−12歳はもとよりさういう猿の習性を軽蔑しきっているからクラブにもはいらず相槌をうち、さうなのよね、猿の習性、と反復されると、オノガジシ猿めいた立場に怖気を催し、ま、去年はご馳走になったからと気前良く全員の分をソレガシが支払い、なぬごともなかったかのやうにまた猿の行列をつくって川を下るその風景、風景の点景の自分自身を自分自身がみているやうな冬の日差しと風の中、天然酵母パンの買出しにまいれば、うろうろするばかりでだれも買わず、やっとー7歳が買い込んで、やれやれ、これでつれてきた買いもあったか、とおもえば、カウンターでさっそく開封して、その2斤、誰もこんなにたくさんたべられませんと、さうさね、老母の介護、障害児の介護、天才と紙一重の秀才の介護で忙しい方々ですから、大家族がおるわけでもなく、大胃袋が坐しますわけでもなく、2斤を半斤に引きちぎって、ポリ袋にとりわけ、はい60円、はい50円と、−7歳からー10歳、−12歳の手に渡り、なるほどと感心しきりのなか、わけのわからぬソレガシの住まいのまわりの小学校中学校を下ってものわかりのいい多摩サイにでれば、−7歳がこの橋からぢゃ帰り道がわからないと・・・しゃあないのんで、案内がてら橋をわたって坂を登って、民家の仏蘭西料理屋の前にさしかかれば、こんどはここに来ましょう、ご相伴しますからと、冷や汗たらたらで峠を越えて・・・
>
> それにしても猿の習性、ことこまかに描写してもよろしゅうございますが、のちほどたっぷりとやるときもまいりませうほどに本日はここまで。
>
>

やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53724] 嗚呼、いわなければすんだものを・・・・すまない。いわなければすむものをいってしまう、正反にしてその合もあるのですね。Re:[53723] こんばんは。Re:[53720] おはようございます。 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/01/27(Thu) 11:34  

りはしとそANNEX−Ω   訪問者数:2324409(今日:202/昨日:510)2011/01/27(Thu) 10:49

Bono + the MDH Band - Never Let Me Go
http://www.youtube.com/watch?v=c0RX-DjfoDo&feature=BF&list=QL&index=29

> んはくかけANNEX−Ω   訪問者数:2324114(今日:417/昨日:546)2011/01/26(Wed) 19:08
>
> angel eyes
> http://www.youtube.com/watch?v=Qm0PKSSbt4w&feature=BF&list=QL&index=28
>
> さきの[53722] まえもって、閻魔様と最後の審判者さまの

閻魔様と最後の審判者さまの判断が分裂したら\\\

幽冥と娑婆のはざまで昼寝を決め込むにかぎる。

> ご配慮を賜りたくよろしくお願い申し上げます。 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/01/26(Wed) 18:28 には音楽をつけわすれまして、失礼しますた。

舌先も指先も放っておけば勝手なこと喋りだす。

決して舌下の黙々は喋らない、喋れない。唯々黙々のみ。

閻魔様も最後の審判者さまもいったいどっちを正となし反となすのであらうか?

> > >このインテレサントな記事を特記するインテレサントぶりには脱帽ですね。
> >
> > 梵さんはからかっておるな?
>
> べつにからかってはおりませんが、もしもさうみえるならさうかもしれません。

閻魔様も最後の審判者さまもべつにからかってはおりませんが、もしもさうみえるならさうかもしれません。

昼寝にかぎります。

よしなに決着をおつけ願いたく・・ぐうぐう♪

> インテレサントなものをキルケゴールくんが排斥したがっているからといって、なぬもそれを鵜呑みにする必要もないのではないでしょうか。

あのキルケゴール君は敬虔なクリスチャンで神をならぬ教会を冒涜して果たして、ああ、一切の資産への利息は悪徳として食むことなく元本を使い果たし使い尽きるときに命も使い果たし使い尽きたとか・・

で、君はどっちにいったのか?

それとも幽冥と娑婆のはざまでいまだに昼寝か?

> あらゆる記事も言説も己に垂らして照らしてよく咀嚼をしてみれば、その意味するところ、世の一般への意味はともかくも、己への意味こそが肝要でありますれば、そこを涵養すべきものかと・・

あれは、そもそもが、言葉と発生とともに発したお喋りなのだ。

だから

アンビバレンツなもの、正反するもの、あらゆる分裂と躁鬱が、あのメカニックにしてインテレサントな精神分析の手法以前の瞬間として凝縮しているのだ。

だから

かの、俺は勝たねばならないと、勝たねばならないと、俺は、俺はの連発のはてに命を失ったあの尾崎豊か、それとこキルケゴール扮するコンスタンチンが相手をしている青年のなかになんと似た絶叫があることであらうか。



> インテレサントはものは、人間の発生、体細胞の発生ではのうて、赤ん坊で生まれいでていろいろ学んでいくその途上でインテレサントなものを排除すれば赤ん坊は成長しません。ゆえにインテレサントなもの、インテレサントな態度、心持、方向性は、なぬも排除ばかりすべきものではなく、まことに世界を学習する基本的な態度でもあるのですから赤ん坊か成人か老年か瀕死の今わの際かにかかわらず必須なものではないでせうか。

win or lose

to be or not to be

勝つか負けるか、生きるか死ぬか。

さういう訳が蔓延してそれを鵜呑みにしたわけでもないんでせうが、勝ち負けの関わらず、得るもの失うものはあるわけであって・・

生きるか死ぬかも、存在するか存在しないか、得るか失うか・・

勝つこと、生きること、存在すること、すなわち、得ることであり、

逆に

負けること、死ぬこと、存在しないこと、すなわち、失うことである

というのは本当にさうなんであらうか?

> ただし、そのインテレサントな態度と、インテレサントなものは、諸刃の剣であることは、情報や知識や知恵のありゃうと同じことでありますれば、それをどういう風に使いこなすか、そこに智慧があるのですが、さういう意味で・・・
>
> からかうというよりは、
>
> 感覚の中枢へ打ち込む十字架、釘というよりは楔でせうね、

脳天に打ち込む十字架は釘ではありえぬ。

楔なのだ。

それは右脳と左脳を、正と反を、生と死を、存在と非存在を、得ることと失うことを、結びつける楔なのだ。

> ジャンヌ・エルシュ的に云えば。

ジャンヌ・エルシュはなぬものなこはしらんが、いいとこまでいってはおるが・・

だうようにキルケゴール扮するコンスタンチン君もええとこまではいっておるが・・

> > >「歴史は欲望と希望を糧にして生きるのであって、全面的な約束や知を糧として生きるのではない。
> >
> > >全面的な約束や目的にについての詐称された知こそが、《観念論的》なのであり、《人民の阿片》なのである。」(ジャンヌ・エルシュ)
> >
> > 人間の歴史は、結局「侵略」の歴史にすぎないんじゃないか?これは悪い「反復」かな?
>
> だうなんでせうか。
>
> 侵略という行為は、国家、民族レベルだけでなく、人の一人ひとりの生き方も含めた歴史において、さういうことなんでせうか。

歴史の生ける心臓は瞬間のなかで鼓動することをやめない。

拒まれた永遠が、その瞬間のなかで時間を片時も休ませないのである。

ということを失念してはいけない。

畢竟

> 「私自身でない第三者(たとえば美、真理など)に関心をもつ知識は無関心的である。」

国家や民族やそのたもろもろの概念も言葉も美や真理と同様に私自身ではない第三者にすぎない。

そのなかでひとはいったいなぬをしてきたのか?

侵略と殺戮だけか?

> > この本も探してみたが、またまたすでに古本になってしまった。これは高価。
> > この弱い脳みそで読めるかどうか?とりあえず保留とします。
>
> これも@33円のうちの1冊でしたが・・なぬもあまりにも真面目に購入することもないでせう。冒頭のサルトルの講演なんぞはさして感心するもんではありませんし・・・

すべてのことばを自分自身に還元しなければいけない。

それが、

言葉も行為も自分に還ってくるということ。

嗚呼、いわなければすんだものを・・・・すまない。

それがひとの業といってしまえばお釈迦さまで、おオシャカでせうが・・

いわなければすむものをいってしまう、正反にしてその合もあるのですね。

やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53723] こんばんは。Re:[53720] おはようございます。 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/01/26(Wed) 19:33  

んはくかけANNEX−Ω   訪問者数:2324114(今日:417/昨日:546)2011/01/26(Wed) 19:08

angel eyes
http://www.youtube.com/watch?v=Qm0PKSSbt4w&feature=BF&list=QL&index=28

さきの[53722] まえもって、閻魔様と最後の審判者さまのご配慮を賜りたくよろしくお願い申し上げます。 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/01/26(Wed) 18:28 には音楽をつけわすれまして、失礼しますた。

> >このインテレサントな記事を特記するインテレサントぶりには脱帽ですね。
>
> 梵さんはからかっておるな?

べつにからかってはおりませんが、もしもさうみえるならさうかもしれません。

インテレサントなものをキルケゴールくんが排斥したがっているからといって、なぬもそれを鵜呑みにする必要もないのではないでしょうか。

あらゆる記事も言説も己に垂らして照らしてよく咀嚼をしてみれば、その意味するところ、世の一般への意味はともかくも、己への意味こそが肝要でありますれば、そこを涵養すべきものかと・・

インテレサントはものは、人間の発生、体細胞の発生ではのうて、赤ん坊で生まれいでていろいろ学んでいくその途上でインテレサントなものを排除すれば赤ん坊は成長しません。ゆえにインテレサントなもの、インテレサントな態度、心持、方向性は、なぬも排除ばかりすべきものではなく、まことに世界を学習する基本的な態度でもあるのですから赤ん坊か成人か老年か瀕死の今わの際かにかかわらず必須なものではないでせうか。

ただし、そのインテレサントな態度と、インテレサントなものは、諸刃の剣であることは、情報や知識や知恵のありゃうと同じことでありますれば、それをどういう風に使いこなすか、そこに智慧があるのですが、さういう意味で・・・

からかうというよりは、

感覚の中枢へ打ち込む十字架、釘というよりは楔でせうね、

ジャンヌ・エルシュ的に云えば。


> >「歴史は欲望と希望を糧にして生きるのであって、全面的な約束や知を糧として生きるのではない。
>
> >全面的な約束や目的にについての詐称された知こそが、《観念論的》なのであり、《人民の阿片》なのである。」(ジャンヌ・エルシュ)
>
> 人間の歴史は、結局「侵略」の歴史にすぎないんじゃないか?これは悪い「反復」かな?

だうなんでせうか。

侵略という行為は、国家、民族レベルだけなく、人の一人ひとりの生き方も含めた歴史において、さういうことなんでせうか。

> この本も探してみたが、またまたすでに古本になってしまった。これは高価。
> この弱い脳みそで読めるかどうか?とりあえず保留とします。

これも@33円のうちの1冊でしたが・・なぬもあまりにも真面目に購入することもないでせう。冒頭のサルトルの講演なんぞはさして感心するもんではありませんし・・・

やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53722] まえもって、閻魔様と最後の審判者さまのご配慮を賜りたくよろしくお願い申し上げます。 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/01/26(Wed) 18:28  

こらをちけANNEX−Ω   訪問者数:2324097(今日:400/昨日:546)2011/01/26(Wed) 17:58

写切る毛ゴールドももう生えすぎゆえ、髭をそって、足きりもして、幾許かの無駄毛とはいわんも、心臓の毛も剃刀をいれてみたあ、だうも、けふの写をやるには容量がタランやうな・・・いったいこれ以上、どこを削ぎ落とすか、いちいちの一回毎にまるごと殺いで、新たに始めるのんも、なんか、脈絡も不明になり、写も読も分裂に陥る懸念もあれば、なんとか脈絡をたもちつつ、かつ入れ物に入る切るやうに工夫をせんばいけんが、知恵が湧かんで、苦慮しちょるところです。

まだまた入れ込みたい節が多々あり、今からが華なんで、余興で終わってすまっては、すまん、ちう事態、誰にすまんか?自己にすまん、他己にすまん、希ガス万、ぬぬ、気がすまん。まあ、もともと、節々ごとに後で切り出して、なぬも鵜呑みにすることもねえのぢゃっけん、切る毛ゴールドにいちゃもんをつけてあげよ、とはおもってはおるもんの、まんだ、やりだすには早い、時期尚早どすけん、まうすこし我慢して相手の云うことも聞いて写して、ちうても、だうにも気に食わんもん、かの切る毛ゴールド君も多分にその毛がありますれば、だうも誰彼主題が入れ子に入れ子が輻輳錯綜しちょりますれば、適当にソレガシの趣味で入れ子を入れ替えたところもありますれば、かの髭もぢゃらで伸び放題の写切る毛ゴールドの金科玉条も、キルケゴールぢゃ!とは云いがたい箇所もありますれば、まことに真面目な読者が、新古本を取り寄せて、真面目に読み出すと、ちょっとバレバレになってしもうて、まあ、さういうこともあらうかと、あの煙くぢゃらの写の出典はあの記事の中には謳っていないわけでございます。

とはいえ、文章の骨組み、論理の骨組み、骨組みならず内臓も肉も一切いじっておらず、キルケゴールの味わいは、すくなくとも、その訳本の味わいは保たれておって、いじくったのは首の挿げ替えだけどすけん、ご安心ください。

この首の挿げ替えちうもんは、もともと、著者のキルケゴール君が、意図しておったものの、諸般の事情により、相手を傷つけるといかんちうことで、元意図の首を挿げ替えたもんのやうに見受けられ、このあたりはよくよく検討に検討を重ねれば、もっともっと首の挿げ替えをせんば、意味が通じぬ箇所も多ければ、それは今後の検討課題となしたく存じます。

ちうことで、かの毛剥くぢゃらの写切る毛ゴールドは、それなりのパロディちうばパロディでもあり、読み方ちうば読み方でありますれば、読者におかれましては、騙されたと死にいたる病に陥らんようにお願いもうしあげます。

もっとも、怖いのんは、世の中には、イロニーも、ユーモアも、パロディも解さず、わたしは真面目なんです、と一点張りで、諧謔も通じない向きもないではないのですから、裏切られた騙されたとひきこもられれば、ソレガシも痛く責任を痛感し、死にいたる病、閻魔様にも、最後の審判にも申し開きなんぞはお茶の子再々で、疚しくなくできることはできるのですが、なぬせ申し開くこと自体がまた他者を傷つけることになるやもしれず、死に切れずに苦慮するところどすので、まえもって、閻魔様と最後の審判者さまのご配慮を賜りたくよろしくお願い申し上げます。

やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


[53721] 冷や汗たらたらで峠を越えて・・・ 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/01/26(Wed) 11:24  

るくつたくANNEX−Ω   訪問者数:2323911(今日:214/昨日:546)2011/01/26(Wed) 10:40

RITA HAYWORTH: Mon coeur s´ouvre à ta Voix
http://www.youtube.com/watch?v=_q6DPymqb8o&feature=BF&list=QL&index=9

きのうのことをけふ書くと雌鳥がなくかだうかは知らぬが、きのうけふにかかわらず、あのクラブランちうもんは、まるで原始人の猿の習性まるだしのやうで、さういう猿まねをソレガシもするのか?ちう反省反復の思いの重い足で漕いでいけば、梵さんは紳士でやさしいから・・ちうような誤解もあらわれ、さういう誤解は必ずしも憎むべきもんでもなく、うちつづくおばさま、-7歳を筆頭に、-10歳、-12歳とうちつづくその行列もしょっちゅういっておらんば、どこの橋を渡ればええのんか、橋の端から遠望して、たすかに突き当たりにGSがあったはずなんぢゃが、遠望するにどこの橋にもGSがないのんで川を遡れば、まう絶対にここでは行き過ぎぢゃ!ちうところでUターンしてもどれば、なんちゅうこともなく、集合場所の橋のそのすぐ次の橋がそもそもの該当の橋であって、橋が二重になっておるんでGSが見えんかったのであるが、そのGS脇の坂を登ると古民家に煉瓦の竈をしつらえた屋敷で、特別室はすでに予約がへえっておって、それに5名様以上ぢゃなくんば予約も受け付けませんと、まあ、しゃあない一般的の、それでも出窓の棚に骨董の獅子頭なんぞを置きその横には満開の花々が花瓶に生けられこれが全部造花で多少埃まみれではるものの、天井の梁は太く黒く、障子を閉めた室内は暖房がよく効き、畳に置かれたテーブル椅子の造りも特別室の味わいには及ぶべくもないが、それなりにしっかりしたもので、出てくるスープも猫舌でも火傷をしないほどの適温に適量でそれに丸いスープスプーンをつっこんで飲むのは、都心のホテルならさもありなんであらうけれども、庭先の崖下に木々を眺め、川の水面こそ見えぬものの、かつては見えたあらうところも昨今のコンクリの堤防の壁が屹立しそれを望む井戸に水神様がまつられその丸石組の台座にタバコ盆をのせて一服でkるこの感興では、なぬもスープカップをまるごと口に運んだところで、なじる視線はどこにもなく、それぞれに好き勝手なナイフフォークスプーン箸を駆使して、サラダを頬張り、お誕生日のプレゼントだと取り出したサコッシュだかパンダナだかわからん風呂敷様のもんの模様が話題の中心で、あら、これ自転車の模様のフレームの形が一つひとつちがうわ、どこで買ったの?立川になかったからわざわざ都心の伊勢丹まででかけたのよ、ちうことでソレガシなんぞは割って入る余地もなく、関心のまなざしは○蹴りー太、ぬぬ?マルゲリータ、生ハムソーセージの窯焼きピザと魚介、茸のスパッゲティなんぞをー7歳が各位にとりわけ、それなりにピザの風味もスパゲッチの茹で具合もよろしく、さて、疎外されきったソレガシがクラブランの猿の本能めいた習性を言い出すと、最近クラブに入ったー7歳はさっそく厠に消え、−10歳は口を噤み、−12歳はもとよりさういう猿の習性を軽蔑しきっているからクラブにもはいらず相槌をうち、さうなのよね、猿の習性、と反復されると、オノガジシ猿めいた立場に怖気を催し、ま、去年はご馳走になったからと気前良く全員の分をソレガシが支払い、なぬごともなかったかのやうにまた猿の行列をつくって川を下るその風景、風景の点景の自分自身を自分自身がみているやうな冬の日差しと風の中、天然酵母パンの買出しにまいれば、うろうろするばかりでだれも買わず、やっとー7歳が買い込んで、やれやれ、これでつれてきた買いもあったか、とおもえば、カウンターでさっそく開封して、その2斤、誰もこんなにたくさんたべられませんと、さうさね、老母の介護、障害児の介護、天才と紙一重の秀才の介護で忙しい方々ですから、大家族がおるわけでもなく、大胃袋が坐しますわけでもなく、2斤を半斤に引きちぎって、ポリ袋にとりわけ、はい60円、はい50円と、−7歳からー10歳、−12歳の手に渡り、なるほどと感心しきりのなか、わけのわからぬソレガシの住まいのまわりの小学校中学校を下ってものわかりのいい多摩サイにでれば、−7歳がこの橋からぢゃ帰り道がわからないと・・・しゃあないのんで、案内がてら橋をわたって坂を登って、民家の仏蘭西料理屋の前にさしかかれば、こんどはここに来ましょう、ご相伴しますからと、冷や汗たらたらで峠を越えて・・・

それにしても猿の習性、ことこまかに描写してもよろしゅうございますが、のちほどたっぷりとやるときもまいりませうほどに本日はここまで。

やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空


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