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[54908] その根底にはヒトラーやドイツ国家やばかりではない、近現代の経済、政治ばかりではない、古来からの蛇の思想骨格、他化した神を「聖なるもの」と崇め奉って、終末論、救世主、栄光、叡智、恩寵、光の妄想のなしたる業であらうね その悪魔的光の最たるもんは、かの我が国へ落とされた広島、長崎、原爆二発、東京焼夷弾焼尽 もっかのウクライナの無人ミサイル、すべてリモコン核戦争も予断をゆるさない Re:[54907] 西欧蛇の思想に覚者はおらぬ これは、文化的差異? あはは 文化的差異ではのうて、人間的境位の差異 蛇の思想に捕り憑かれてはどこまでいっても無がわからないRe:[54906] 蛇の知恵構造の骨格から派生した尾鰭が、神になったり、帝王、物、金、労働者、奴隷、人民とか千変万化するが、畢竟、思想構造骨格はおなじ蛇の知恵 垂直的差別の権力統治構造 これらが、人間の疎外を生み、戦争を生み、社会の膿を生み、いまやそっこらぢゅう膿だらけだ 孤独死 生存証明無Re:[54905] 無題 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/05/01(Sun) 12:51  

> > ろちくにすANNEX−Ω   訪問者数:11825934(今日:248/昨日:1774)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/05/01(Sun) 06:52 仏滅(甲寅) 旧暦 4/1 月齢 0.3 新月 朔
> >
> > うぐいすの声で目覚めてよき日かな
> >
> > > ひんはけわANNEX−Ω   訪問者数:11825392(今日:1480/昨日:985)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/30(Sat) 18:46 友引(癸丑) 旧暦 3/30 月齢 28.9
> > >
> > > 生存証明
> > >
> > > 無
>
> 寺山旦中
>
> これもむっかし書いた記憶があるが・・
>
> 原宿の福沢さんちで香道
>
> 三幅の無の書を垂らして
>
> 寺山旦中曰く、みなさん、それぞれどれをお好みですか?
>
> それぞに味わいがたっぷりあってどれともいいがたい
>
> 左の一は直截にして勢いの味わい、
>
> 中の一は潤筆にして雄渾な味わい
>
> 右の一は渇筆にして詫錆の味わい
>
> 某は、もうたっぷりしてふくよかな無の書を選び
>
> ひとめぐりそれぞれが選んで、寺山旦中が明かすに
>
> 左は寺山旦中・・潤渇の妙
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> 中は白隠・・潤筆の妙
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> 右は山本玄峰・・渇筆の妙
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> 某は潤筆の白隠を選んでしまったのだ
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> そうか
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> して、白隠、某書によれば、無の覚者にしてその大悟の時に欣喜雀躍したとか
>
> うそ、臭いね
>
> 大悟して欣喜雀躍するとか、ありえぬ
>
> 無を覚すれば、歓喜の毎日
>
> うそ、臭いね
>
> でも、その嘘くさいこというもんのいちいちの言説のおおかたにおいてはよしとなす
>
> よしと茄子?
>
> 自然農法の福岡正信著「無の哲学」春秋社、1985年 2600円ゾッキ100円、書棚から出てきた
>
> 曰く、覚者は西欧にはおらぬ、なべて盲者
>
> おなじようなことは、大拙もいっておる
>
> ただし、大拙は奥さんも西欧人?で、エラノスあたりで西欧蛇文化とも交わらなけらばならぬ、
>
> その立場は井筒にしても同じ
>
> 東西の架け橋
>
> 覚者は西欧にはおらぬと、エラノスや西欧各地の公園=講演でいうわけにもいくまい、東西架け橋を自任するんであれば
>
> 自任ならぬ辞任
>
> そんなことにめもくれぬ「立場」ならば遠慮なく、いえる、
>
> 西欧蛇の思想に覚者はおらぬ
>
> これは、文化的差異?
>
> あはは
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> 文化的差異ではのうて、人間的境位の差異
>
> 蛇の思想に捕り憑かれてはどこまでいっても無がわからない
>
> 他化して主客分裂して、堂々巡りの蛇の存在論に憑依されきって目覚めぬ不覚者
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> オットーの「聖なるもの」は1917年出版
>
> 第1次大戦がおわり、独逸の紺頼=混迷でナチスの台頭
>
> オットーはルター系の神学で、そのルターはカトリックの免罪符のまやかしへの反逆で宗教改革を引き起こしておきながら
>
> そのルターが宗教改革をまた否定して人民信者の隷属化を唱え帝政の準備をなした張本人である

と喝破したのはトインビーでなく

村瀬興雄著「ドイツ現代史」東京大学出版会 1954年 曰く

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

ヴェルメイユEdmond Vermeilはいう。神聖ローマ帝国の昔から、ドイツ人は宗教的かつ政治的な国民共同体をつくって世界を征服し、偉大な王侯の下でゲルマン民族を統合しようと望んでいた。この願望はハンザ同盟が、北海からバルチック海を支配するにおよんでさらに拡大し、ドイツ騎士団やプロイセンによる東方征服によってまたまた強化された。ドイツ市民階級のイデオロギーとしての神秘主義や敬虔主義、そして人文主義や宗教改革すらが、きまってドイツ民族の特殊な民族的性格や使命を強調していた。マルチン・ルターはドイツの民族的英雄に仕立てあげられたが、彼はドイツ国民をローマ教会から解放すると同時に西欧の宗教改革からも解放した。すなわちルターは、ツヴィングリとカルヴァンの民主的な社会理想と個人主義に反対し、またエラスムスの寛容と国際主義にも反対して、少数の支配者(エリートであるドイツ人貴族)とそれに従属すべき大衆という教義を確立した。ルターの宗教改革こそ将来のドイツ国民の基礎をおいたものであり、ルター教会に立脚するプロイセン国家は典型的な軍事主義国家となって、西欧文明とは対立する攻撃的な侵略的専制国家を確立した。フリードリッヒ大王が国民的な英雄とたたえられるのはかかる意味においてである。プロイセンはスラヴ民族を征服しつつ強国としての地位を築いた。

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

並行して読んでいると混乱を来すのね

ところで、トインビーも、宗教的な側面を鋭く抉っていて、A.J.トインビー「世界と西欧」吉田健一訳、教養文庫249 昭和34年(1959年)の冒頭の「ロシアと西欧」も目下のウクライナ・ロシア戦争を観る視点の参考に大いになるが、次章の「マホメット教団と西欧」においては・・

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

共産主義はキリスト教の異端の一種であるとのべたが、マホメット教についても同じことがいえる。共産主義と同様に、マホメット教も当時のキリスト教にみられる弊害を除くことを目的としておこったのである。そして初期のマホメット教がおさめた成功はは、改革を標榜する異端思想が、その思想の批判にあった正統派側が弊風を改めようとしなとき、どんなに強く人間の心をゆすぶるものかを示している。

7世紀に、アラビアのマホメット教徒はシリアから北アフリカ、スペインに至るまでの一連の国々をキリスト教とギリシャ・ローマの文化支の影響から解放して・・11〜16世紀インドのほとんど全部を征服、インドネシア、支那、熱帯アフリカまでひろがっていった。

ロシアは中世期の後期に、一時韃靼人の支配下にあったことがあり、この韃靼人がマホメット教に改宗して、小アジアや東南ヨーロッパの、ギリシャ正教を奉じていた残りの国々も、14,15世紀にマホメット教徒であるトルコ人に征服された・・・

1912年にはイタリーの北端の対岸であるアドリア海の東海岸に、まだトルコの国旗が翻っていたことを忘れてはならない。

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> と喝破したトインビーは1950年代ごろまでは持て囃され、60年代にはその宗教的歴史観への反発もあって急速にしぼみ、世間学会から排除された
>
> A.J.トインビー「世界と西欧」吉田健一訳、教養文庫249 昭和34年
>
> 吉田の訳は日本語としてややおかしいところも多々あり、またトインビーが第三文明を提唱し、それに池田大作創価学会が大枚な金をだして、第三文明社をつくった災いなんぞもあるが、
>
> もっかのウクライナ、ロシア戦争に皮相の現象学的地政学、兵器論、経済ばかりに目を奪われず、その宗教的、思想的、蛇の思想の骨格を観るには、格好の視点を提供してくれる

まさに世界の火薬庫、火種の宗教的根深さ、文明的根深さ、一般庶民がそれとは感じぬ思想的根深さを喝破してあまりある。

そういえば、マクニールの「世界史」でも、イスラムがスーフィー(神秘主義)の全盛時代にイスラム帝国の全盛時代を迎えたとあったのが、印象的。

神秘主義いやな言葉だが、それはまたにして・・

もんだいのナチス、世界の火種、

そういうもんを戦後まもなく、ヒトラー個人やドイツ一国とかへ責任を帰す議論が蔓延していたが、そのなかでも、その宗教的、思想的な根深さを指摘したものは、まもなく排除されたようだ。

問題はヒトラー個人やドイツ一国とかへの責任にしても、そこで打ち切ってはいかん

その個人や国家のその根底、その宗教、思想、主義の根底、そこを暴かねばいくらでも、同じことが起こる

その根底にはヒトラーやドイツ国家やばかりではない、近現代の経済、政治ばかりではない、古来からの蛇の思想骨格、他化した神を「聖なるもの」と崇め奉って、終末論、救世主、栄光、叡智、恩寵、光の妄想のなしたる業であらうね

その悪魔的光の最たるもんは、かの我が国へ落とされた広島、長崎、原爆二発、東京焼夷弾焼尽

もっかのウクライナの無人ミサイル、すべてリモコン核戦争も予断をゆるさない


> オットーにもどれば、預言者のあの・・
>
> そう、あの隠し画のなかの隠れ家オットー「聖なるもの」岩波文庫 青811-1 1968年
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
>
> 「無」も「空」も、事実、「絶対他者」のヌウメン的表意文字である。
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
>
> ばばかばしい
>
> とわらってはいけません
>
> 本人らは本気なんですから
>
> この本気さの恐ろしさの最期に逝きつく歴史上また目下の世界情勢は先にもうしあげましたが、この名著といわれる「聖なるもの」の最期に逝きつくとこうあります
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
>
> 一般的素質というのは、「内的における霊の証明」なる形式の「霊」である。
>
> ・・・さらに高い能力と段階とは、預言者である。すなわち霊をば「内部からの声」の能力として、聴覚の能力として、かつ両者を通じ宗教的想像力として所持している者である。
>
> この預言者の段階の上に、なお高い第三の段階が考えられ期待される、・・・、それは一方霊を溢るゝばかり所持すると共に、他方自らの人格と業績とにおいて、出現せる聖なるもの預覚の対象となるような人の段階である。
>
> このような人は預言者以上である。−−−−−彼は御子である。(完)
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
>
> ここに至るまでオットーは徹底的に(擬)人格宗教たるキリスト教を、他の宗教、汎神論、理神論にたいする優越を主張し、かつ人間を徹底的に被造物、罪深きもの、として貶める言説を繰り返す一方で、「聖なるもの」をさらに聖なるものに仕上げるための「荘厳」「戦慄」「絶対」「超越」で飾りまくる
>
> そりゃ、そうだ、もともとが、人間を徹底的に「絶対者」「超越者」の従属物にするには、貶め貶め、「絶対者」「超越者」を絶対に手の届かないものに仕上げなければならない
>
> 奴隷は「おののき」「戦慄」を、自主的「服従」をもって、「絶対者」「超越者」へ反抗しないようにしつけなければならない、狡猾なる悪魔的犯行
>
> この蛇の思想骨格は、古来創世記より発して、ルッターで、オットーで強化されナチスや現今のロシア・ウクライナ戦争までつづいている
>
>
> ついでに云えば、世界宗教、世界国家の思想も第2次世界大戦の後の急速にでて畢竟、トインビーも歴史の子であるが、その世界宗教、世界国家の蛇の思想の骨格も古来よりある
>
> 大拙も井筒も、そういう時代にあって、世界宗教、世界国家の幻想を抱いた、いやさ、幻想にして貴い志向をもっていた、その志向の破片が、その言説の、行動の随所に散見され
>
> ゆえに、無を無として、世界、西欧に提示できない
>
> 内向きには、「無」を云うが、外向きには「超越」となし、この無をわからぬオットー的盲者へのやさしい解説をしたんであらうがね
>
> オットーにせい、だれにせい、外なるものばかりではなく、内なるものをも認めている
>
> といっても、所詮は外の他化した神があって、もしくは他化した神を優先して、当方の東方思想も認めざるをえなくなって、内なる悟りをいぶしぶみとめる
>
> さういう風情は、まさにマルクス史観と軌を一にする、てめえの妄信を進化の最先端となしたあの進化論、そのもとにある全能にして造物主の神様の選民思想の毒があらわであって
>
> 時の始めから連綿として終末に向かう、最後の審判、救世主の毒がいつの時代にも蔓延して、その毒もまた今現在の其処此処で猛毒を振っている
>
> 人間疎外を起こした蛇の宗教が、蛇の哲学、蛇の統治、蛇の拝金主義、蛇の奴隷思想、蛇の排除思想となって、東西古今を問わず、人間を毒しつづけ、危機のつぐまた危機の連続
>
> 危機や人間疎外を論じるに、蛇の思想構造の骨格、深部を論ぜすして、その皮相ばかりを名で舞わす、撫で回す、哲学、神学、宗教
>
> いいかげんに目を覚ませ
>
> 無
>
> でも、無では、偉くもなれません、お金も儲かりません、お国も社会も人も生きていけません
>
> > 永遠に目覚めぬひともいる
> >
> > 涅槃に入ったひともいる
> >
> > 新聞が受けに10日分もたまっていて配達人が警察に
> >
> > 孤独死
> >
> > さういう時代
> >
> > 孤独死予備軍が増殖
> >
> > 無
> >
> > 万感をもって万巻の書
> >
> > 無
> >
> > 薫薫、臭臭
> >
> > 食えるか食えぬか
> >
> > 食えぬもんが圧倒的
> >
> > 毒
> >
> > 毒もろともに思想を食らう
> >
> > なぬも、思想を食らうこともない
> >
> > ようは気づき
> >
> > 覚
> >
> > 一悟
> >
> > 一声一語一期一会
> >
> > これに気づくか気づかぬか
> >
> > 変奏曲
> >
> > 葬送曲
> >
> > 蛇の宗教の蛇の思想が拡がって蛇の変奏曲が葬送曲
> >
> > 鼻から矛盾だらけだ
> >
> > 合理的に考えてはいけんません、非合理なんです、信じることです
> >
> > 即非
> >
> > だからといって、創世記のものがたりはこどもでもわかるまやかし
> >
> > 全能にして造物主の神が、なんで禁止ばかりするのよ?
> >
> > ありえません!
> >
> > アダムにリンゴをたべるなと禁止する
> >
> > ぢゃあ、神は全能にして造物主なんだから、もともと食うことを禁止するリンゴなんぞ、そんな知恵の実なんぞをつくらなければよろしい
> >
> > さらに、なんで蛇がアダムにリンゴを食べるようにそそのかすのよ?
> >
> > 全能にして造物主の神なんだから、そんなことを蛇にいわせぬ、あるいは、蛇をつくらなければよろしい、アダムにリンゴを喰わせぬことだってできるはずだ
> >
> > それを全能にして造物主の神は、リンゴも蛇もつくって、さらにはアダムにリンゴを喰わせぬことも可能な全能の神にしてアダムにリンゴを食わる
> >
> > アダムの原罪
> >
> > 人間の原罪
> >
> > ふざけんぢゃねえよ
> >
> > 神の原罪
> >
> > すっかす、そういう神を妄想して造り上げそれに中毒してしまった人間の原罪
> >
> > 蛇の胴胴巡りが始まる
> >
> > 全ては他化して、垂直にして、堂々巡りの神学的思想構造
> >
> > ばかばかしい限りでも、それに薫習されきった哲学、粗相、ああ、思想
> >
> > だから、西欧哲学思想に中毒した本邦の哲学者も神の定言命令を頻発
> >
> > 西田幾多郎の「哲学の根本問題」岩波書店 昭和8年、昭和15年第10刷定価80銭
> >
> > 毎ページ「ねばならない」の連続で埋め尽くされていて、いったいこのお馬鹿さんはなぬをいっておるんか?
> >
> > 日本語もでけんのんか?
> >
> > 田辺元の「哲学通論」80銭もにたようなもんだ、最近の「死の哲学」したところで、やれハイデッガーだ、だれそれだとうるさいこと限りない
> >
> > 訳に立たぬ、役に立たんね、喰えんね
> >
> > もうめちゃくくちゃで、西田なんぞ大拙がおらんけりゃ、あの長々しいお経
> >
> > 絶対矛盾的自己同一
> >
> > さえでてこんで、西欧蛇のエピゴーネンで終わったんぢゃねえの
> >
> > 即非
> >
> > これのほうが、西田のながったらしいもんよりよほどまともだ
> >
> > ぐだぐだながながやって、ないようのない蛇
> >
> > この蛇の知恵、思想、そういう思想構造が連綿と現代まんで薫習している
> >
> > 蛇の知恵構造は天上の一神の栄光、叡智から人間の原罪、奴隷化から始まり
> >
> > 神聖皇帝、帝国主義、共産主義、官僚主義、国家主義、民族主義、労働組合・・・
> >
> > まあ、ありとあらゆる、社会構造の思想骨格をなしておる
> >
> > その蛇の知恵構造の骨格から派生した尾鰭が、神になったり、帝王、物、金、労働者、奴隷、人民とか千変万化するが、畢竟、思想構造骨格はおなじ蛇の知恵
> >
> > 垂直的差別の権力統治構造
> >
> > これらが、人間の疎外を生み、戦争を生み、社会の膿を生み、いまやそっこらぢゅう膿だらけだ
> >
> > 孤独死
> >
> > 生存証明無
> >
> > それを処理するNPO法人
> >
> > なんでNPOなの?
> >
> > それこそPoliticalな問題なのに蛇の行政においては、NonPoliticalなのね
> >
> > リンゴを
>
> リンゴを食って知恵をつけたら、その知恵でもって、妄想の神を亡き者にして、神は死んでも蛇の思想の骨格構造はのこっている
>
> その蛇の思想骨格もろともに神も蛇も思想も、無
>
> に「しなけらばいけない」
>
>

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54907] 西欧蛇の思想に覚者はおらぬ これは、文化的差異? あはは 文化的差異ではのうて、人間的境位の差異 蛇の思想に捕り憑かれてはどこまでいっても無がわからないRe:[54906] 蛇の知恵構造の骨格から派生した尾鰭が、神になったり、帝王、物、金、労働者、奴隷、人民とか千変万化するが、畢竟、思想構造骨格はおなじ蛇の知恵 垂直的差別の権力統治構造 これらが、人間の疎外を生み、戦争を生み、社会の膿を生み、いまやそっこらぢゅう膿だらけだ 孤独死 生存証明無Re:[54905] 無題 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/05/01(Sun) 10:18  

> ろちくにすANNEX−Ω   訪問者数:11825934(今日:248/昨日:1774)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/05/01(Sun) 06:52 仏滅(甲寅) 旧暦 4/1 月齢 0.3 新月 朔
>
> うぐいすの声で目覚めてよき日かな
>
> > ひんはけわANNEX−Ω   訪問者数:11825392(今日:1480/昨日:985)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/30(Sat) 18:46 友引(癸丑) 旧暦 3/30 月齢 28.9
> >
> > 生存証明
> >
> > 無

寺山旦中

これもむっかし書いた記憶があるが・・

原宿の福沢さんちで香道

三幅の無の書を垂らして

寺山旦中曰く、みなさん、それぞれどれをお好みですか?

それぞに味わいがたっぷりあってどれともいいがたい

左の一は直截にして勢いの味わい、

中の一は潤筆にして雄渾な味わい

右の一は渇筆にして詫錆の味わい

某は、もうたっぷりしてふくよかな無の書を選び

ひとめぐりそれぞれが選んで、寺山旦中が明かすに

左は寺山旦中・・潤渇の妙

中は白隠・・潤筆の妙

右は山本玄峰・・渇筆の妙

某は潤筆の白隠を選んでしまったのだ

そうか

して、白隠、某書によれば、無の覚者にしてその大悟の時に欣喜雀躍したとか

うそ、臭いね

大悟して欣喜雀躍するとか、ありえぬ

無を覚すれば、歓喜の毎日

うそ、臭いね

でも、その嘘くさいこというもんのいちいちの言説のおおかたにおいてはよしとなす

よしと茄子?

自然農法の福岡正信著「無の哲学」春秋社、1985年 2600円ゾッキ100円、書棚から出てきた

曰く、覚者は西欧にはおらぬ、なべて盲者

おなじようなことは、大拙もいっておる

ただし、大拙は奥さんも西欧人?で、エラノスあたりで西欧蛇文化とも交わらなけらばならぬ、

その立場は井筒にしても同じ

東西の架け橋

覚者は西欧にはおらぬと、エラノスや西欧各地の公園でいうわけにもいくまい、東西架け橋を自任するんであれば

自任ならぬ辞任

そんなことにめもくれぬ「立場」ならば遠慮なく、いえる、

西欧蛇の思想に覚者はおらぬ

これは、文化的差異?

あはは

文化的差異ではのうて、人間的境位の差異

蛇の思想に捕り憑かれてはどこまでいっても無がわからない

他化して主客分裂して、堂々巡りの蛇の存在論に憑依されきって目覚めぬ不覚者

オットーの「聖なるもの」は1917年出版

第1次大戦がおわり、独逸の紺頼でナチスの台頭

オットーはルター系の神学で、そのルターはカトリックの免罪符のまやかしへの反逆で宗教改革を引き起こしておきながら

そのルターが宗教改革をまた否定して人民信者の隷属化を唱え帝政の準備をなした張本人である

と喝破したトインビーは1950年代ごろまでは持て囃され、60年代にはその宗教的歴史観への反発もあって急速にしぼみ、世間学会から排除された

A.J.トインビー「世界と西欧」吉田健一訳、教養文庫249 昭和34年

吉田の訳は日本語としてややおかしいところも多々あり、またトインビーが第三文明を提唱し、それに池田大作創価学会が大枚な金をだして、第三文明社をつくった災いなんぞもあるが、

もっかのウクライナ、ロシア戦争に皮相の現象学的地政学、兵器論、経済ばかりに目を奪われず、その宗教的、思想的、蛇の思想の骨格を観るには、格好の視点を提供してくれる

オットーにもどれば、預言者のあの・・

そう、あの隠し画のなかの隠れ家オットー「聖なるもの」岩波文庫 青811-1 1968年

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

「無」も「空」も、事実、「絶対他者」のヌウメン的表意文字である。

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

ばばかばしい

とわらってはいけません

本人らは本気なんですから

この本気さの恐ろしさの最期に逝きつく歴史上また目下の世界情勢は先にもうしあげましたが、この名著といわれる「聖なるもの」の最期に逝きつくとこうあります

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

一般的素質というのは、「内的における霊の証明」なる形式の「霊」である。

・・・さらに高い能力と段階とは、預言者である。すなわち霊をば「内部からの声」の能力として、聴覚の能力として、かつ両者を通じ宗教的想像力として所持している者である。

この預言者の段階の上に、なお高い第三の段階が考えられ期待される、・・・、それは一方霊を溢るゝばかり所持すると共に、他方自らの人格と業績とにおいて、出現せる聖なるもの預覚の対象となるような人の段階である。

このような人は預言者以上である。−−−−−彼は御子である。(完)

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

ここに至るまでオットーは徹底的に(擬)人格宗教たるキリスト教を、他の宗教、汎神論、理神論にたいする優越を主張し、かつ人間を徹底的に被造物、罪深きもの、として貶める言説を繰り返す一方で、「聖なるもの」をさらに聖なるものに仕上げるための「荘厳」「戦慄」「絶対」「超越」で飾りまくる

そりゃ、そうだ、もともとが、人間を徹底的に「絶対者」「超越者」の従属物にするには、貶め貶め、「絶対者」「超越者」を絶対に手の届かないものに仕上げなければならない

奴隷は「おののき」「戦慄」を、自主的「服従」をもって、「絶対者」「超越者」へ反抗しないようにしつけなければならない、狡猾なる悪魔的犯行

この蛇の思想骨格は、古来創世記より発して、ルッターで、オットーで強化されナチスや現今のロシア・ウクライナ戦争までつづいている


ついでに云えば、世界宗教、世界国家の思想も第2次世界大戦の後の急速にでて畢竟、トインビーも歴史の子であるが、その世界宗教、世界国家の蛇の思想の骨格も古来よりある

大拙も井筒も、そういう時代にあって、世界宗教、世界国家の幻想を抱いた、いやさ、幻想にして貴い志向をもっていた、その志向の破片が、その言説の、行動の随所に散見され

ゆえに、無を無として、世界、西欧に提示できない

内向きには、「無」を云うが、外向きには「超越」となし、この無をわからぬオットー的盲者へのやさしい解説をしたんであらうがね

オットーにせい、だれにせい、外なるものばかりではなく、内なるものをも認めている

といっても、所詮は外の他化した神があって、もしくは他化した神を優先して、当方の東方思想も認めざるをえなくなって、内なる悟りをいぶしぶみとめる

さういう風情は、まさにマルクス史観と軌を一にする、てめえの妄信を進化の最先端となしたあの進化論、そのもとにある全能にして造物主の神様の選民思想の毒があらわであって

時の始めから連綿として終末に向かう、最後の審判、救世主の毒がいつの時代にも蔓延して、その毒もまた今現在の其処此処で猛毒を振っている

人間疎外を起こした蛇の宗教が、蛇の哲学、蛇の統治、蛇の拝金主義、蛇の奴隷思想、蛇の排除思想となって、東西古今を問わず、人間を毒しつづけ、危機のつぐまた危機の連続

危機や人間疎外を論じるに、蛇の思想構造の骨格、深部を論ぜすして、その皮相ばかりを名で舞わす、撫で回す、哲学、神学、宗教

いいかげんに目を覚ませ



でも、無では、偉くもなれません、お金も儲かりません、お国も社会も人も生きていけません

> 永遠に目覚めぬひともいる
>
> 涅槃に入ったひともいる
>
> 新聞が受けに10日分もたまっていて配達人が警察に
>
> 孤独死
>
> さういう時代
>
> 孤独死予備軍が増殖
>
> 無
>
> 万感をもって万巻の書
>
> 無
>
> 薫薫、臭臭
>
> 食えるか食えぬか
>
> 食えぬもんが圧倒的
>
> 毒
>
> 毒もろともに思想を食らう
>
> なぬも、思想を食らうこともない
>
> ようは気づき
>
> 覚
>
> 一悟
>
> 一声一語一期一会
>
> これに気づくか気づかぬか
>
> 変奏曲
>
> 葬送曲
>
> 蛇の宗教の蛇の思想が拡がって蛇の変奏曲が葬送曲
>
> 鼻から矛盾だらけだ
>
> 合理的に考えてはいけんません、非合理なんです、信じることです
>
> 即非
>
> だからといって、創世記のものがたりはこどもでもわかるまやかし
>
> 全能にして造物主の神が、なんで禁止ばかりするのよ?
>
> ありえません!
>
> アダムにリンゴをたべるなと禁止する
>
> ぢゃあ、神は全能にして造物主なんだから、もともと食うことを禁止するリンゴなんぞ、そんな知恵の実なんぞをつくらなければよろしい
>
> さらに、なんで蛇がアダムにリンゴを食べるようにそそのかすのよ?
>
> 全能にして造物主の神なんだから、そんなことを蛇にいわせぬ、あるいは、蛇をつくらなければよろしい、アダムにリンゴを喰わせぬことだってできるはずだ
>
> それを全能にして造物主の神は、リンゴも蛇もつくって、さらにはアダムにリンゴを喰わせぬことも可能な全能の神にしてアダムにリンゴを食わる
>
> アダムの原罪
>
> 人間の原罪
>
> ふざけんぢゃねえよ
>
> 神の原罪
>
> すっかす、そういう神を妄想して造り上げそれに中毒してしまった人間の原罪
>
> 蛇の胴胴巡りが始まる
>
> 全ては他化して、垂直にして、堂々巡りの神学的思想構造
>
> ばかばかしい限りでも、それに薫習されきった哲学、粗相、ああ、思想
>
> だから、西欧哲学思想に中毒した本邦の哲学者も神の定言命令を頻発
>
> 西田幾多郎の「哲学の根本問題」岩波書店 昭和8年、昭和15年第10刷定価80銭
>
> 毎ページ「ねばならない」の連続で埋め尽くされていて、いったいこのお馬鹿さんはなぬをいっておるんか?
>
> 日本語もでけんのんか?
>
> 田辺元の「哲学通論」80銭もにたようなもんだ、最近の「死の哲学」したところで、やれハイデッガーだ、だれそれだとうるさいこと限りない
>
> 訳に立たぬ、役に立たんね、喰えんね
>
> もうめちゃくくちゃで、西田なんぞ大拙がおらんけりゃ、あの長々しいお経
>
> 絶対矛盾的自己同一
>
> さえでてこんで、西欧蛇のエピゴーネンで終わったんぢゃねえの
>
> 即非
>
> これのほうが、西田のながったらしいもんよりよほどまともだ
>
> ぐだぐだながながやって、ないようのない蛇
>
> この蛇の知恵、思想、そういう思想構造が連綿と現代まんで薫習している
>
> 蛇の知恵構造は天上の一神の栄光、叡智から人間の原罪、奴隷化から始まり
>
> 神聖皇帝、帝国主義、共産主義、官僚主義、国家主義、民族主義、労働組合・・・
>
> まあ、ありとあらゆる、社会構造の思想骨格をなしておる
>
> その蛇の知恵構造の骨格から派生した尾鰭が、神になったり、帝王、物、金、労働者、奴隷、人民とか千変万化するが、畢竟、思想構造骨格はおなじ蛇の知恵
>
> 垂直的差別の権力統治構造
>
> これらが、人間の疎外を生み、戦争を生み、社会の膿を生み、いまやそっこらぢゅう膿だらけだ
>
> 孤独死
>
> 生存証明無
>
> それを処理するNPO法人
>
> なんでNPOなの?
>
> それこそPoliticalな問題なのに蛇の行政においては、NonPoliticalなのね
>
> リンゴを

リンゴを食って知恵をつけたら、その知恵でもって、妄想の神を亡き者にして、神は死んでも蛇の思想の骨格構造はのこっている

その蛇の思想骨格もろともに神も蛇も思想も、無

に「しなけらばいけない」

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54906] 蛇の知恵構造の骨格から派生した尾鰭が、神になったり、帝王、物、金、労働者、奴隷、人民とか千変万化するが、畢竟、思想構造骨格はおなじ蛇の知恵 垂直的差別の権力統治構造 これらが、人間の疎外を生み、戦争を生み、社会の膿を生み、いまやそっこらぢゅう膿だらけだ 孤独死 生存証明無Re:[54905] 無題 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/05/01(Sun) 07:57  

ろちくにすANNEX−Ω   訪問者数:11825934(今日:248/昨日:1774)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/05/01(Sun) 06:52 仏滅(甲寅) 旧暦 4/1 月齢 0.3 新月 朔

うぐいすの声で目覚めてよき日かな

> ひんはけわANNEX−Ω   訪問者数:11825392(今日:1480/昨日:985)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/30(Sat) 18:46 友引(癸丑) 旧暦 3/30 月齢 28.9
>
> 生存証明
>
> 無

永遠に目覚めぬひともいる

涅槃に入ったひともいる

新聞が受けに10日分もたまっていて配達人が警察に

孤独死

さういう時代

孤独死予備軍が増殖



万感をもって万巻の書



薫薫、臭臭

食えるか食えぬか

食えぬもんが圧倒的



毒もろともに思想を食らう

なぬも、思想を食らうこともない

ようは気づき



一悟

一声一語一期一会

これに気づくか気づかぬか

変奏曲

葬送曲

蛇の宗教の蛇の思想が拡がって蛇の変奏曲が葬送曲

鼻から矛盾だらけだ

合理的に考えてはいけんません、非合理なんです、信じることです

即非

だからといって、創世記のものがたりはこどもでもわかるまやかし

全能にして造物主の神が、なんで禁止ばかりするのよ?

ありえません!

アダムにリンゴをたべるなと禁止する

ぢゃあ、神は全能にして造物主なんだから、もともと食うことを禁止するリンゴなんぞ、そんな知恵の実なんぞをつくらなければよろしい

さらに、なんで蛇がアダムにリンゴを食べるようにそそのかすのよ?

全能にして造物主の神なんだから、そんなことを蛇にいわせぬ、あるいは、蛇をつくらなければよろしい、アダムにリンゴを喰わせぬことだってできるはずだ

それを全能にして造物主の神は、リンゴも蛇もつくって、さらにはアダムにリンゴを喰わせぬことも可能な全能の神にしてアダムにリンゴを食わる

アダムの原罪

人間の原罪

ふざけんぢゃねえよ

神の原罪

すっかす、そういう神を妄想して造り上げそれに中毒してしまった人間の原罪

蛇の胴胴巡りが始まる

全ては他化して、垂直にして、堂々巡りの神学的思想構造

ばかばかしい限りでも、それに薫習されきった哲学、粗相、ああ、思想

だから、西欧哲学思想に中毒した本邦の哲学者も神の定言命令を頻発

西田幾多郎の「哲学の根本問題」岩波書店 昭和8年、昭和15年第10刷定価80銭

毎ページ「ねばならない」の連続で埋め尽くされていて、いったいこのお馬鹿さんはなぬをいっておるんか?

日本語もでけんのんか?

田辺元の「哲学通論」80銭もにたようなもんだ、最近の「死の哲学」したところで、やれハイデッガーだ、だれそれだとうるさいこと限りない

訳に立たぬ、役に立たんね、喰えんね

もうめちゃくくちゃで、西田なんぞ大拙がおらんけりゃ、なの長々しいお経

絶対矛盾的自己同一

さえでてこんで、西欧蛇のエピゴーネンで終わったんぢゃねえの

即非

これのほうが、西田のながったらしいもんよりよほどまともだ

ぐだぐだながながやって、ないようのない蛇

この蛇の知恵、思想、そういう思想構造が連綿と現代まんで薫習している

蛇の知恵構造は天上の一神の栄光、叡智から人間の原罪、奴隷化から始まり

神聖皇帝、帝国主義、共産主義、官僚主義、国家主義、民族主義、労働組合・・・

まあ、ありとあらゆる、社会構造の思想骨格をなしておる

その蛇の知恵構造の骨格から派生した尾鰭が、神になったり、帝王、物、金、労働者、奴隷、人民とか千変万化するが、畢竟、思想構造骨格はおなじ蛇の知恵

垂直的差別の権力統治構造

これらが、人間の疎外を生み、戦争を生み、社会の膿を生み、いまやそっこらぢゅう膿だらけだ

孤独死

生存証明無

それを処理するNPO法人

なんでNPOなの?

それこそPoliticalな問題なのに蛇の行政においては、NonPoliticalなのね






リンゴを



やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54905] 無題 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/30(Sat) 18:48  

ひんはけわANNEX−Ω   訪問者数:11825392(今日:1480/昨日:985)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/30(Sat) 18:46 友引(癸丑) 旧暦 3/30 月齢 28.9

生存証明



やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54904] 魔境の預言者曰く、『預言者は、単に人間のために働く人ではない。まず、神のために働く人です。だから、神とこちらの世界をつなぎ、神の秩序にこちらを従わせるのが、預言者の仕事であって、こちらにいる人に都合のいいことを言うのは預言者ではない。 預言者がやろうとしていることは、常にこちらの世界は小さいんだ、と人間に分からせることです。あちらの世界から来れば、こちらの世界は相対的に小さくならざるを得ない。 ・・・ 預言者が切り開いた世界は、水平軸ではなくて、垂直軸です。預言者の言葉を、私たちは水平的ではなく垂直的に理解していかなくてはならない。人の利益のためではなく、キリスト教的にいえば「神の栄光」にその意味を読み解いていく必要がある。』Re:[54903] 魔境に入って魔境ともおもわんば、悪魔に変身する Re:[54902] 雲消霧散するまえに、とりあえず、アップRe:[54901] 有難い、零 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/21(Thu) 11:18  

むゆほおさANNEX−Ω   訪問者数:11814235(今日:413/昨日:1666)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/21(Thu) 09:58 大安(甲辰) 旧暦 3/21 月齢 19.9

瓦礫の整理

忙しいからいい加減

> 瓦礫を拾って秩序化するのも、まあ、シジフォスみたいでいやになる
>
> それこそ「労働」か?

「使命」感、神、他者からの「使命」ではなく己が使命

> 偶然と必然
>
> これも
>
> 欠乏と過剰
>
> にている
>
> 人間と神
>
> にている
>
> だけんど、人間を欠乏や偶然にしては、遺憾

過剰と必然も遺憾

奴隷的人間は己を欠乏や偶然として貶め、一方過剰と必然たる神に「救済」「叡智」「光」を「希求」する

> ロゴスもあるが、絶対超越はいけねえ
>
> さういうのんを魔境という
>
> 魔境、野狐禅
>
> あの若松君のように超越、絶対、を希求する、まあ、希求するうちは、凡人
>
> まんだ不覚の、そっこらぢゅうにいる、平々凡々、陳腐

陳腐な肉がだういうことを云っても陳腐は陳腐

陳腐は陳腐に共鳴する

これは、俳句の世界でも、思想の世界でも、宗教の世界でも、政界中、世界中どこでも同じ現象

> ところが、ちったあ、見えてくると、おのが全能と魔境に入る
>
> これは忌むべし
>
> 魔境に入って魔境ともおもわんば、悪魔に変身する
>
> その機微はまことに、神一重、神即悪魔
>
> これ、オットー
>
> これ、井筒
>
> これ、大拙
>
> これ、西田
>
> これ、これ、これらと交流してみれば、おのずとわからうちうもんであって
>
> そこを、オットーなんぞは、合理主義と非合理主義、というが、それもまた二元論の魔境
>
> 善と悪
>
> 光と闇
>
> いちいちのコトバにその象徴性がある
>
> その象徴性はまあ、アルコール、マリファナ、ニコチン、LSDみたいなもんだ
>
> そこに惑溺しちゃあ、いけません
>
> あの、仏の開示、ああ、解字は、なかなかに参考になる
>
> 仏、佛、おぼろ、ぼやけ
>
> さう、さう、光でも闇でもない
>
> べつに仏教徒でもない
>
> 禅匠でもない
>
> だれでもないかた、かつて、某と名乗った
>
> いまは、そういう時代もすぎて、だういってもええ
>
> おぼろ、ぼやけ、溶ける、無礙
>
> そこまでです
>
> これは、経験による覚であって、けっして、オットーの云う合理や非合理ではありません
>
> 井筒も大拙もあれだけ書けるということは、この覚たるものを確たるものとして経験していればこそあそこまで書けたのです
>
> 若松にせい、オットーにせい、そういうもんがない
>
> 覚たる確なくして他者、超越、へ信仰への確信
>
> これは、やっぱり、怖い
>
> ああ、ニコチン良いか、同じことばっか、繰り返します
>
> 神即悪魔
>
> それで・・図書返却までに写しておかねばならぬ一説

代わりに借りてきたもの、偶然ね、あるいは、必然かもしれぬ

末木文美士編「死者と霊性ーーー近代を問い直す」岩波新書 2021年

ざっとゆんべ目を通してしまったが・・

だうも、言葉遊戯をしちょる気配

「霊性」一個とっても、それこそ、心霊、神霊、亡霊、肉霊の域を出ない、臭い息吹を感じる

だれだれが、どう「霊性」を定義して、どうのこうの、過去の死者の霊、未来の未生の霊

そして、いったい議論しちょるもんらの「霊」は、なんなの?

他化して対象化している視点への反省、対象化の陥穽へ覚がなべて希薄

なかでも、やはり危険なのは若松発言、曰く

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

預言者は、単に人間のために働く人ではない。まず、神のために働く人です。だから、神とこちらの世界をつなぎ、神の秩序にこちらを従わせるのが、預言者の仕事であって、こちらにいる人に都合のいいことを言うのは預言者ではない。
預言者がやろうとしていることは、常にこちらの世界は小さいんだ、と人間に分からせることです。あちらの世界から来れば、こちらの世界は相対的に小さくならざるを得ない。
・・・
預言者が切り開いた世界は、水平軸ではなくて、垂直軸です。預言者の言葉を、私たちは水平的ではなく垂直的に理解していかなくてはならない。人の利益のためではなく、キリスト教的にいえば「神の栄光」にその意味を読み解いていく必要がある。預言は神の言葉でなければならないのに、人の言葉に変わることがある。ここに大きな注意点が必要です。

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

もう、完全にオットー的なもんに洗脳されきっている。

神はもともと人間がつくったものだ、というあたりまえの常識をどうしても靴替えして、若松君は神の靴で人間を蹴っ飛ばしたい風情だね

神は人間の妄想によってつくられたんだから、そこの神の言葉を人間が人間の世界、人間のロゴスで読み解くんのはあたりまえである

「預言は神の言葉でなければならない」と、「なければならない」と、また若松君が神の定言命令を発する

だのに、

「人の言葉に変わることがある。」ぢゃなくて、実相はいつも「人の
言葉」である。

これらの洗脳、狂信、妄言に対して、その異議がちょいとみられるのは、

安藤礼二君が、若松君の云うところの「預言者」の危険性への言及

中島隆博君が若松君の云うところの「垂直」的に対して「水平」的に繋がることへの言及

総じて、他化された対象化されたものを絶対前提とした妄想から議論がぬけきっておらんけん、霊性ですら対象化されちょろうがの

対象化されたもんに憑依される、あるいは全能感をもってのりうつることは容易い魔境

> > そのトマト嫌いなの!
> >
> > と飛び掛かってきた女

物静かにビールをのんで、ものしずかに目をとろんとして女の豹変

これが、病院出の狂気でなくても、いくらでも巷でみられる

人間は奴隷化されればされるほどそこから解放をのぞみ、その解放にの彼方には「神の栄光」さえ「希求」する

よい例がヒットラー

浮浪者収容所へ収監されちょるまにどんどん「希求」を膨らませた、その果てがあれだ

よい例が、ロシア、いまさら繰り返すまでもない

こわいのは、そういうもん同士がもっかの情勢のように、互いにナチス呼ばわりすることだ

現実にナチスもヒトラーも歴史上でたから、名をだすにはもってこいだ、神と同様に

そこに地獄が現成する



> > BS1 金継ぎの黒田さん
> >
> > 若い時に社会で自分が壊れてしまった
> >
> > 壊れてしまった自分が壊れたしまった茶碗にであった
> >
> > 茶碗を修復していたら心が落ち着いた
> >
> >
> > 壊れる前の茶碗より魅力のある修復茶碗
> >
> > その修復跡の模様にえもいわれぬ味わいがある
> >
> > 金継ぎ
> >
> > 以来金継ぎをなりわいとなすようになった
> >
> > 一個の茶碗の金継ぎでも漆を乾燥させるのに数ヶ月、あるいは1年かかる
> >
> > いつくしむように壊れた茶碗、お皿、なんでもいい、金継ぐ
> >
> > 丁寧に、丁寧に、静かな時がながれて、静かに継ぎ目が固まって、静かな自分を味わう
> >
> >
> > うむ、まさに茶碗と自分が一体になっている
>
> 確か、このあと、あの柳と民芸館の金継ぎの美品が映っていました
>
> この茶碗と一体になった黒田さん
>
> これは「労働」でしょうかね?
>
> これは「超越」でしょうかね?
>
> これは「絶対」でしょうかね?
>
> これは「希求」でしょうかね?
>
> これは「叡智」でしょうかね?
>
> これは「神」でしょうかね?
>
> これは、茶碗と一体化しているいっても、神や叡智や光を浴びて一体化しているものではありません
>
> これは「聖」でしょうかね?
>
> これは「俗」でしょうかね?
>
> これは、聖でも俗でもありません
>
> これは、ただ単に茶碗であり、黒田さんです
>
> ようは、魔境にはいっては駄目なんです

これは、天国でもなければ地獄でもない

神の愉楽でもなければ奴隷の労働でもない

> > よく、あることなんです

> > よくみかけるんですよ、それだけです

> > よくみかけますから

> > よく、みかけますから



> > > 今朝は法法華経で目覚めた、本来に戻ったか

これも、こちらがわに法華経がなければ、法法華経とは、きこえまい

> > > 否定と肯定、どうも否定ばかりで気分がよくない
> > >
> > > 肯定してあげなきゃね
> >
> > そう、肯定、肯定

> レービット「ヘーゲルからニーチェへ」三島憲一訳 上下、岩波書店 2015年
>
> > それで、朝からぱらぱらしていたら、お面白いところに出会って、
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
>
> フォイエルバッハから見れば、精神は今や新たな「世界時代」のはじまりに位置している。理念を完全に実現するには、キリスト教時代が始まってからずっと世界を支配してきた「自我」ーーーー「この存在する唯一の精神」ーー「唯一」に強調符ーーを玉座から引きずり降ろし、感性的世界と超感性的宗教との、また教会と国家との二元論を破棄することが必要なのである。「重要なのは、その普遍性の形式における概念の発展ではない。抽象的な純粋性や閉じた自己閉鎖的存在における概念の発展が問題なのではない。重要なのは、時間、死、此岸、彼岸、自我、個人、人格、そして有限性の外部の絶対的なもののうちに絶対者として直観された人格、つまり神を廃棄することである。この神のうちに、これまでの歴史の根拠が包摂さてのだから。つまり、キリスト教正統派の想念の大系も、また合理主義的な見方の大系も、その源泉は神にあったのだから、この神を廃棄し、真理の根拠を穿ち抜くことが重要なのだ」。この人格伸の代わりに、近代哲学のなかに「含みとしてあるだけだが」ともかくも含まれている認識が登場しなければならない、と彼は論じる。
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
>
> さて、うちの瓦礫の中、それは書庫であり脳みそでもありうるのであるが、そこにも旧版が瓦礫の中にあったような・・

本ものーみそも70年をすぎると黄ばんできてよく見えぬ、判読困難

しからば、まっさらな新しい紙質もよいものを・・

先立つものが無い

ファイエルバッハはこの先立つ言説のあとを追って、政治に、この人格神を、ふんまの人格にかえて政治を志す

イカロスの墜落


> まだまだ興味深い言説がある、たとえば・・三島訳
>
> 「ヘーゲルの見るところ、イエスの世界史的課題は、ユダヤ教の律法宗教の(実定性)<制度化された既成性>もしくは(掟がらみ)と反対に、全体性を内面において再建したこと、しかも(掟)を克服する(愛)の宗教によって再建したことにある。神に対する人間の愛という(生きた関係)、あるいは人間の人間に対する、そしれ我の汝に対する愛という(生きた関係)においてこそ、掟と法によって規制された対立関係が止揚される。」

これも面白いが、「愛」のありようは、かのギリシャの昔のまんまる人間が神さまに逆らうので、神さまがまんまる人間を二つ割りにして、男と女ができた

だから、もとにもどろうと、男と女は引き逢う

逢引してもとにもどれないから、神さまに頼む、もとにもどしてください

神を愛せ、愛せば、願いも叶えられやう

ほんまか?


> > > なかなか思い切れないのね、なにごとも
> > >
> > > 零
> > >
> > > スパッと達人斬りにできない
> > >
> > > 斬首
> > >
> > > ギリギリ、ノコノコ切れば、切り口が汚い
> > >
> > > オットーの貌も汚い、眼が昏い


> > > さあ、新しい彼我はじまった

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54903] 魔境に入って魔境ともおもわんば、悪魔に変身する Re:[54902] 雲消霧散するまえに、とりあえず、アップRe:[54901] 有難い、零 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/20(Wed) 16:09  

> すへりねにANNEX−Ω   訪問者数:11812444(今日:288/昨日:868)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/20(Wed) 06:55 仏滅(癸卯) 旧暦 3/20 穀雨 月齢 18.9

いっぺんにいろんなことを書こうとするからいけないのよ

いっぺんにいろんなことがうかんできて、光消えぬうちに云い留めよ

云い留めるうちにカーソルがとんで、いっぺんにいろんなことが、秩序を失って瓦礫に化す

瓦礫を拾って秩序化するのも、まあ、シジフォスみたいでいやになる

それこそ「労働」か?

いや、さうでも、あんめい

いいたいことは、なんなのか?

だれかの歌みたいになってきたが・・

偶然と必然

これも

欠乏と過剰

にている

人間と神

にている

だけんど、人間を欠乏や偶然にしては、遺憾

いいたいのんは、そこなんだが、いうのにも、礼儀がある

作法がある、冷やかしも、喩法もある

ロゴスもあるが、絶対超越はいけねえ

さういうのんを魔境という

魔境、野狐禅

あの若松君のように超越、絶対、を希求する、まあ、希求するうちは、凡人

まんだ不覚の、そっこらぢゅうにいる、平々凡々、陳腐

ところが、ちったあ、見えてくると、おのが全能と魔境に入る

これは忌むべし

魔境に入って魔境ともおもわんば、悪魔に変身する

その機微はまことに、神一重、神即悪魔

これ、オットー

これ、井筒

これ、大拙

これ、西田

これ、これ、これらと交流してみれば、おのずとわからうちうもんであって

そこを、オットーなんぞは、合理主義と非合理主義、というが、それもまた二元論の魔境

善と悪

光と闇

いちいちのコトバにその象徴性がある

その象徴性はまあ、アルコール、マリファナ、ニコチン、LSDみたいなもんだ

そこに惑溺しちゃあ、いけません

あの、仏の開示、ああ、解字は、なかなかに参考になる

仏、佛、おぼろ、ぼやけ

さう、さう、光でも闇でもない

べつに仏教徒でもない

禅匠でもない

だれでもないかた、かつて、某と名乗った

いまは、そういう時代もすぎて、だういってもええ

おぼろ、ぼやけ、溶ける、無礙

そこまでです

これは、経験による覚であって、けっして、オットーの云う合理や非合理ではありません

井筒も大拙もあれだけ書けるということは、この覚たるものを確たるものとして経験していればこそあそこまで書けたのです

若松にせい、オットーにせい、そういうもんがない

覚たる確なくして他者、超越、へ信仰への確信

これは、やっぱり、怖い

ああ、ニコチン良いか、同じことばっか、繰り返します

神即悪魔

それで・・図書返却までに写しておかねばならぬ一説



> 今日はなんだかうそ寒いが、ここのところ初夏の陽気もつづけば短パン半そで
>
> 左腕に無残な傷跡
>
> 皮膚が再生しても、色が違う
>
> 日焼けしかった中間色に過去の傷跡の濃色
>
> その間をサッと抉られた皮を削がれた後が白く北方領土の島々のように左腕に広がっている
>
> そのトマト嫌いなの!
>
> と飛び掛かってきた女
>
> 由来は、その数週間前、白衣観音、横浜自転車屋や蒲田トンカツ行脚の途中の休み処
>
> 観音前の三角ベンチの斜辺の向こう側に女がいてビールを飲んでいる
>
> 眼の動きがきわめてゆっくりでみているようでみていない
>
> ちょうど横浜自転車屋でタバコを再開したころで、自動喫煙にさせるのもわるいから彼女から離れて一服
>
> するってえと彼女もベンチからはなれてトイレへ
>
> ベンチに戻ると彼女の荷物と衣が風にふかれて飛ばされそお
>
> それを飛ばされぬやうに見張る
>
> ここまで書いていると
>
> リゾットです
>
> と昼食が届いた
>
> リゾットの中の厚い燻製ハムと菜っ葉と米粒を味わいながらパソコンの背越につけっ放しのTVをみる
>
> BS1 金継ぎの黒田さん
>
> 若い時に社会で自分が壊れてしまった
>
> 壊れてしまった自分が壊れたしまった茶碗にであった
>
> 茶碗を修復していたら心が落ち着いた
>
>
> 壊れる前の茶碗より魅力のある修復茶碗
>
> その修復跡の模様にえもいわれぬ味わいがある
>
> 金継ぎ
>
> 以来金継ぎをなりわいとなすようになった
>
> 一個の茶碗の金継ぎでも漆を乾燥させるのに数ヶ月、あるいは1年かかる
>
> いつくしむように壊れた茶碗、お皿、なんでもいい、金継ぐ
>
> 丁寧に、丁寧に、静かな時がながれて、静かに継ぎ目が固まって、静かな自分を味わう
>
>
> うむ、まさに茶碗と自分が一体になっている

確か、このあと、あの柳と民芸館の金継ぎの美品が映っていました

この茶碗と一体になった黒田さん

これは「労働」でしょうかね?

これは「超越」でしょうかね?

これは「絶対」でしょうかね?

これは「希求」でしょうかね?

これは「叡智」でしょうかね?

これは「神」でしょうかね?

これは、茶碗と一体化しているいっても、神や叡智や光を浴びて一体化しているものではありません

これは「聖」でしょうかね?

これは「俗」でしょうかね?

これは、聖でも俗でもありません

これは、ただ単に茶碗であり、黒田さんです

ようは、魔境にはいっては駄目なんです


> ならば、おらほの腕の傷のほうも金継ぐ
>
> 漆ではかぶれるから、バンドエイドあるいは皮膚再生特殊テープ
>
> でも、のこってしまったマダラの腕
>
> まだら模様もまたあの茶碗の継ぎ目のように、もとの腕より美しい
>
> というわけにも、まいらず
>
> 風に飛ばされぬように見守ってました
>
> 女はだまってまた向かいのベンチに座ってビールを飲む
>
> いつもどのくらい飲むの?
>
> これだけです
>
> 大缶ビール2本@500tx2
>
> 晩は?
>
> 呑みません
>
> ただそれだけで終わった
>
> またまた会った
>
> 会った直後に見知った爺さんがやってきた
>
> 彼と話しを始めたら、女が居場所を藤棚の下へ変えた
>
> 爺さん、曰く、あの女ちょっとおかしいよね
>
> 多分、病院からでてきたばっかりなんでしょう
>
> 俺が来るといつもああしてむこうにいっちまう
>
> あ、そお、おれのときはそういうことはねえけんど
>
> ぢゃあ、おれがきらわれているのかね
>
> そおかも
>
> またまた何度も会った三角ベンチの向こう側
>
> そして、黙示録
>
> その日は女は藤棚の下にいた
>
> 水道で女子サッカー軍団が藤棚の横の水道でスパイクを脱いで足を洗ったいた
>
> おっと、外反母趾
>
> 若い女子軍団の一人が水道水で洗いだした足がひどい外反母趾
>
> おれの左足も外反母趾
>
> そこで、お嬢さん、お嬢さん、その足の外反母趾、どうやって?・・
>
>
> そのとき、藤棚の下の女がビールを片手にもって立って水道の蛇口下の下水口にビールを注ぎつつ上目づかいで睨みながら
>
> いい?これでいいの?
>
> なんのこっちゃわかんから
>
> いいだべさ
>
> といいつつも目が怖いから、観音さまのまえのいつものベンチにもどった
>
> おんなも藤棚下のベンチにもどった
>
> お嬢さん、その外反母趾、おれもひどいなんだけど、どうやって・・
>
> 突然、女が喚きだした
>
> そのトマト嫌いなの!
>
> と右手に飲みかけのビール缶を持って飛び掛かってきた
>
> ビールの泡が天上に舞い
>
> 缶をあけた蓋の切っ先がおれの腕をかすめた
>
> 逃げようとしても、後ろの背中にもトマトがある
>
> トマトは嫌いなの!
>
> 後ろからも襲ってくる
>
> しょうがないから前を向くと、もう異様な形相に異様な馬鹿力
>
> 取っ組み合い
>
> といっても、こちらは防戦の一方で、頭は降ってきたビールでずぶ濡れ
>
>
> お〜い、警察を呼んでくれ
>
> と、お嬢さん軍団に頼んだ
>
> 喧嘩です
>
> とお嬢さんが通報
>
> 通りがかりのライダーの男
>
> 喧嘩はやめろ!
>
> と俺を羽交い絞めにしようとした
>
> そのあいだに女は残ったビールをこれでもかこれでもかと頭上に振りまきつつ殴りかかる
>
> お嬢さんが、組み付かれている俺をさして、通りすがりの男に云った
>
> その人は悪くありません
>
> 通りすがりの男は、あやまりもせずに去った
>
> やっとのおもいで女の組み付きもほどいて、女は藤棚の下、俺は観音前のベンチ、お嬢さん方は水道で足洗い
>
> いつまで待っても警察はこない
>
> お嬢さん方の足洗いも大方終わったころポリチャリ2台
>
> どうしました?
>
> 喧嘩です、とお嬢さん
>
> まてよ、と思ったが、いままたあっちへいくと、また再会でも困るから
>
> ベンチでじっとしていると、中年警官が女を尋問
>
> 若い警官が俺を水道のところに呼んで、住所氏名、証明書を要求
>
> すなおに応じて、観音さまの前のベンチにもどっていると年上警官がやってきた
>
> どうしたんですか?
>
> かくかくしかじか
>
> よくあることです
>
> ?
>
> こういうことはよくあるんですよ
>
> なにをいってのんかね? 見なよ、この怪我
>
> 真っ白なアームカバーに真っ赤な血の大きな染みが二つ
>
> さ、そうですか、ぢゃあ、本署に来てください
>
>
> なんで?
>
> 本署で訴えてください
>
> なにをいってのんか?げんに切られて出血している
>
> よく、あることなんです
>
> よくあるって?あれ?あの女は?あ、お嬢さんらもいなくなってしまった
>
> お嬢さんたちに帰ってもらいました、女性は親御さんと一緒に住んでいて病院からでてきたばかりなので送っていきました
>
> ふ〜ん、病院ね、おれもそう思っていたが、だけど、こんな傷害事件をおこして、どういしてここで調書をとらないの
>
> わたしら出先で調書をとれないのです
>
> ふ〜ん、白バイ、パトカーは、調書どころぢゃねえ、罰金命令書までだすんに、ポリチャリはでけんと?
>
> わかってくださいよ、旦那さん
>
> わからんわな、病院帰りの女を訴えるために本署まで行く気は全然あらへんけんど、おめえらのやりくちには、納得がいかん、だいたい、来るのが遅い、そこんとこの競輪場正門前の派出所からぢゃろが?
>
> そうです、急いで来ました
>
> 急いできた?何十分もかかって
>
> 準備もあるのです
>
> そういうざまだからついこないだの京王線での火炎事故もおきるんぢゃ
>
> あれは、関係ありません
>
> あれも、これも、おおありよ
>
> そんで、彼女は初犯?
>
> よくみかけるんですよ、それだけです
>
> ぢゃあ、さいしょから分かっていたのね
>
> よくみかけますから
>
> だから、目撃者のお嬢さんがたも帰したわけ?
>
> よく、みかけますから
>
> まあ、なんといいませうか、おさぼり警察なんか、情状警察なんかしらんが、よくシャーシャーと
>
> ショー弁をして帰ってきた
>
>
>
> さて、なんだっけ?
>
> お〜、そ〜そ〜
>
> 煙草も0本から40本超へあがって最近は20本以下にさがってきた
>
> 時には間隔が12時間ほどあけば、身体が軽い、階段の上り下りも軽快
>
> その12時間後の一服はまことに利きが鋭利
>
> ローソンで朝買って一服しながら階段を登るともうキツイ
>
> あたまもたしょうくらくらくらつく
>
> ほとけもおとぼけ
>
> とりのこえもおきょう
>
> やればながくなる
>
> あのマルコス甥っ子のワシントンスクエアの地下室
>
> それは、ベッドにして・・

マリワナを喫う

ブランデーを飲む

さういうもんも、もの輪郭を溶かします

形がゆらぎ音になります

音のゆらぎが形になります

しかし、その醒めたときの不快な気分も格別なもんです


> > ぬてまけそANNEX−Ω   訪問者数:11811518(今日:230/昨日:1218) 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/19(Tue) 06:23 先負(壬寅) 旧暦 3/19 月齢 17.9 抜て負けそ
> >
> > 今朝は法法華経で目覚めた、本来に戻ったか
> >
> > 否定と肯定、どうも否定ばかりで気分がよくない
> >
> > 肯定してあげなきゃね
>
> そう、肯定、肯定
>
> 一服して、肯定気分か、否定気分か
>
> 震災10年来の片付けも進まぬ書斎
>
> このガラクタ気分にして、ガラクタ書斎、散乱した蔵本、
>
> まるで脳みその中をみているようだ
>
> 埋もれた瓦礫の発掘で、あったような・・
>
> そのトマト嫌いなの!
>
> と飛び掛かってきた女

これはこれで、偶然にして必然にしても、よしとしよう

同様に消えてしまったこともよしとして再生すれば

レービット「ヘーゲルからニーチェへ」三島憲一訳 上下、岩波書店 2015年

> それで、朝からぱらぱらしていたら、お面白いところに出会って、

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

ファイエルバッハから見れば、精神は今や新たな「世界時代」のはじまりに位置している。理念を完全に実現するには、キリスト教時代が始まってからずっと世界を支配してきた「自我」ーーーー「この存在する唯一の精神」ーー「唯一」に強調符ーーを玉座から引きずり降ろし、感性的世界と超感性的宗教との、また教会と国家との二元論を破棄することが必要なのである。「重要なのは、その普遍性の形式における概念の発展ではない。抽象的な純粋性や閉じた自己閉鎖的存在における概念の発展が問題なのではない。重要なのは、時間、死、此岸、彼岸、自我、個人、人格、そして有限性の外部の絶対的なもののうちに絶対者として直観された人格、つまり神を廃棄することである。この神のうちに、これまでの歴史の根拠が包摂さてのだから。つまり、キリスト教正統派の想念の大系も、また合理主義的な見方の大系も、その源泉は神にあったのだから、この神を廃棄し、真理の根拠を穿ち抜くことが重要なのだ」。この人格伸の代わりに、近代哲学のなかに「含みとしてあるだけだが」ともかくも含まれている認識が登場しなければならない、と彼は論じる。

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

さて、うちの瓦礫の中、それは書庫であり脳みそでもありうるのであるが、そこにも旧版が瓦礫の中にあったような・・

レービット「ヘーゲルからニーチェへ」柴田治三郎訳 上下、岩波書店 1952年

だいぶ、ニュアンスが訳者、時代によってちがうが、意味するところはニタリであって、相違の興味深いところのほんの一部

「そして有限性の外部の絶対的なもののうちに絶対者として直観された人格、つまり神を廃棄することである。この神のうちに、これまでの歴史の根拠が包摂さてのだから。つまり、キリスト教正統派の想念の大系も、また合理主義的な見方の大系も、その源泉は神にあったのだから、この神を廃棄し、真理の根拠を穿ち抜くことが重要なのだ」。この人格伸の代わりに、近代哲学のなかに「含みとしてあるだけだが」ともかくも含まれている認識が登場しなければならない、」三島訳 


「有限のそとに絶対者の中に絶対なるものとして観ぜられた人格即ち神等々の従来の世界史的見解、これまでの歴史の根拠も正統派的ならびに合理主義的キリスト教の観念の体系の起源も含まれている世界史的見解を、本当に破棄して真理の根底まで掘り下げることである。」それら(従来の世界史的見解)の後を継ぐべきものは・・・」


なかなに比較すると、訳者の考え方も訳にでているので面白い、更には原著者レービットのしめす好悪の情の訳も・・

柴田訳「何の明確さもない感傷的な冗語にとどまる。」に対して、三島訳「いかなる内容規定もない、センチメンタルな決まり文句に終わってしまった。」

まあ、おんなじようなもんんか

まだまだ興味深い言説がある、たとえば・・三島訳

「ヘーゲルの見るところ、イエスの世界史的課題は、ユダヤ教の律法宗教の(実定性)<制度化された既成性>もしくは(掟がらみ)と反対に、全体性を内面において再建したこと、しかも(掟)を克服する(愛)の宗教によって再建したことにある。神に対する人間の愛という(生きた関係)、あるいは人間の人間に対する、そしれ我の汝に対する愛という(生きた関係)においてこそ、掟と法によって規制された対立関係が止揚される。」


> どうも、ここも、飛び散って飛び散って、記事が瓦礫化してきたようだから
>
> 雲消霧散するまえに、とりあえず、アップ

エッチら、発地ら、リュックで背負っていくには

そろそろ、じかんですよ〜

はいはい

くそはしたか?

3日ぶりにひるにしました


> > それにしても、ひさしぶりに長すぎて入らないようなうるさい尻尾
> >
> > なかなか思い切れないのね、なにごとも
> >
> > 零
> >
> > スパッと達人斬りにできない
> >
> > 斬首
> >
> > ギリギリ、ノコノコ切れば、切り口が汚い
> >
> > オットーの貌も汚い、眼が昏い
> >
> > おっと、まんだ続いている
> >
> > 法華経も般若心経も聖書もあったが、埋もれてでてこない
> >
> > せめて産土の法華経でもよく聴きながら一服、二服
> >
> > 欠乏と過剰の発見は容易だが、零の発見は有難い
> >
> > ふむ、まことに有難い、零
> >
> > 法華経の声もこっちの杜からあっちの杜へうつっていったようだ
> >
> > 歩道を比較的足取りのしっかりしたお婆さん
> >
> > 足元のふらつく白い老犬ラブラドールを連れてお散歩
> >
> > 毛が抜けかかって大いに乱れている
> >
> > 連れてきてブラッシングをしてあがたい
> >
> > 手が届かない
> >
> > せめてもの毛坊主のブラッシング
> >
> > 気持ちがいいね
> >
> > さあ、新しい彼我はじまった
> >
> >
> >
> >
> >

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54902] 雲消霧散するまえに、とりあえず、アップRe:[54901] 有難い、零 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/20(Wed) 14:10  

すへりねにANNEX−Ω   訪問者数:11812444(今日:288/昨日:868)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/20(Wed) 06:55 仏滅(癸卯) 旧暦 3/20 穀雨 月齢 18.9


今日はなんだかうそ寒いが、ここのところ初夏の陽気もつづけば短パン半そで

左腕に無残な傷跡

皮膚が再生しても、色が違う

日焼けしかった中間色に過去の傷跡の濃色

その間をサッと抉られた皮を削がれた後が白く北方領土の島々のように左腕に広がっている

そのトマト嫌いなの!

と飛び掛かってきた女

由来は、その数週間前、白衣観音、横浜自転車屋や蒲田トンカツ行脚の途中の休み処

観音前の三角ベンチの斜辺の向こう側に女がいてビールを飲んでいる

眼の動きがきわめてゆっくりでみているようでみていない

ちょうど横浜自転車屋でタバコを再開したころで、自動喫煙にさせるのもわるいから彼女から離れて一服

するってえと彼女もベンチからはなれてトイレへ

ベンチに戻ると彼女の荷物と衣が風にふかれて飛ばされそお

それを飛ばされぬやうに見張る

ここまで書いていると

リゾットです

と昼食が届いた

リゾットの中の厚い燻製ハムと菜っ葉と米粒を味わいながらパソコンの背越につけっ放しのTVをみる

BS1 金継ぎの黒田さん

若い時に社会で自分が壊れてしまった

壊れてしまった自分が壊れたしまった茶碗にであった

茶碗を修復していたら心が落ち着いた


壊れる前の茶碗より魅力のある修復茶碗

その修復跡の模様にえもいわれぬ味わいがある

金継ぎ

以来金継ぎをなりわいとなすようになった

一個の茶碗の金継ぎでも漆を乾燥させるのに数ヶ月、あるいは1年かかる

いつくしむように壊れた茶碗、お皿、なんでもいい、金継ぐ

丁寧に、丁寧に、静かな時がながれて、静かに継ぎ目が固まって、静かな自分を味わう


うむ、まさに茶碗と自分が一体になっている

ならば、おらほの腕の傷のほうも金継ぐ

漆ではかぶれるから、バンドエイドあるいは皮膚再生特殊テープ

でも、のこってしまったマダラの腕

まだら模様もまたあの茶碗の継ぎ目のように、もとの腕より美しい

というわけにも、まいらず

風に飛ばされぬように見守ってました

女はだまってまた向かいのベンチに座ってビールを飲む

いつもどのくらい飲むの?

これだけです

大缶ビール2本@500tx2

晩は?

呑みません

ただそれだけで終わった

またまた会った

会った直後に見知った爺さんがやってきた

彼と話しを始めたら、女が居場所を藤棚の下へ変えた

爺さん、曰く、あの女ちょっとおかしいよね

多分、病院からでてきたばっかりなんでしょう

俺が来るといつもああしてむこうにいっちまう

あ、そお、おれのときはそういうことはねえけんど

ぢゃあ、おれがきらわれているのかね

そおかも

またまた何度も会った三角ベンチの向こう側

そして、黙示録

その日は女は藤棚の下にいた

水道で女子サッカー軍団が藤棚の横の水道でスパイクを脱いで足を洗ったいた

おっと、外反母趾

若い女子軍団の一人が水道水で洗いだした足がひどい外反母趾

おれの左足も外反母趾

そこで、お嬢さん、お嬢さん、その足の外反母趾、どうやって?・・


そのとき、藤棚の下の女がビールを片手にもって立って水道の蛇口下の下水口にビールを注ぎつつ上目づかいで睨みながら

いい?これでいいの?

なんのこっちゃわかんから

いいだべさ

といいつつも目が怖いから、観音さまのまえのいつものベンチにもどった

おんなも藤棚下のベンチにもどった

お嬢さん、その外反母趾、おれもひどいなんだけど、どうやって・・

突然、女が喚きだした

そのトマト嫌いなの!

と右手に飲みかけのビール缶を持って飛び掛かってきた

ビールの泡が天上に舞い

缶をあけた蓋の切っ先がおれの腕をかすめた

逃げようとしても、後ろの背中にもトマトがある

トマトは嫌いなの!

後ろからも襲ってくる

しょうがないから前を向くと、もう異様な形相に異様な馬鹿力

取っ組み合い

といっても、こちらは防戦の一方で、頭は降ってきたビールでずぶ濡れ


お〜い、警察を呼んでくれ

と、お嬢さん軍団に頼んだ

喧嘩です

とお嬢さんが通報

通りがかりのライダーの男

喧嘩はやめろ!

と俺を羽交い絞めにしようとした

そのあいだに女は残ったビールをこれでもかこれでもかと頭上に振りまきつつ殴りかかる

お嬢さんが、組み付かれている俺をさして、通りすがりの男に云った

その人は悪くありません

通りすがりの男は、あやまりもせずに去った

やっとのおもいで女の組み付きもほどいて、女は藤棚の下、俺は観音前のベンチ、お嬢さん方は水道で足洗い

いつまで待っても警察はこない

お嬢さん方の足洗いも大方終わったころポリチャリ2台

どうしました?

喧嘩です、とお嬢さん

まてよ、と思ったが、いままたあっちへいくと、また再会でも困るから

ベンチでじっとしていると、中年警官が女を尋問

若い警官が俺を水道のところに呼んで、住所氏名、証明書を要求

すなおに応じて、観音さまの前のベンチにもどっていると年上警官がやってきた

どうしたんですか?

かくかくしかじか

よくあることです



こういうことはよくあるんですよ

なにをいってのんかね? 見なよ、この怪我

真っ白なアームカバーに真っ赤な血の大きな染みが二つ

さ、そうですか、ぢゃあ、本署に来てください


なんで?

本署で訴えてください

なにをいってのんか?げんに切られて出血している

よく、あることなんです

よくあるって?あれ?あの女は?あ、お嬢さんらもいなくなってしまった

お嬢さんたちに帰ってもらいました、女性は親御さんと一緒に住んでいて病院からでてきたばかりなので送っていきました

ふ〜ん、病院ね、おれもそう思っていたが、だけど、こんな傷害事件をおこして、どういしてここで調書をとらないの

わたしら出先で調書をとれないのです

ふ〜ん、白バイ、パトカーは、調書どころぢゃねえ、罰金命令書までだすんに、ポリチャリはでけんと?

わかってくださいよ、旦那さん

わからんわな、病院帰りの女を訴えるために本署まで行く気は全然あらへんけんど、おめえらのやりくちには、納得がいかん、だいたい、来るのが遅い、そこんとこの競輪場正門前の派出所からぢゃろが?

そうです、急いで来ました

急いできた?何十分もかかって

準備もあるのです

そういうざまだからついこないだの京王線での火炎事故もおきるんぢゃ

あれは、関係ありません

あれも、これも、おおありよ

そんで、彼女は初犯?

よくみかけるんですよ、それだけです

ぢゃあ、さいしょから分かっていたのね

よくみかけますから

だから、目撃者のお嬢さんがたも帰したわけ?

よく、みかけますから

まあ、なんといいませうか、おさぼり警察なんか、情状警察なんかしらんが、よくシャーシャーと

ショー弁をして帰ってきた



さて、なんだっけ?

お〜、そ〜そ〜

煙草も0本から40本超へあがって最近は20本以下にさがってきた

時には間隔が12時間ほどあけば、身体が軽い、階段の上り下りも軽快

その12時間後の一服はまことに利きが鋭利

ローソンで朝買って一服しながら階段を登るともうキツイ

あたまもたしょうくらくらくらつく

ほとけもおとぼけ

とりのこえもおきょう

やればながくなる

あのマルコス甥っ子のワシントンスクエアの地下室

それは、ベッドにして・・



> ぬてまけそANNEX−Ω   訪問者数:11811518(今日:230/昨日:1218) 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/19(Tue) 06:23 先負(壬寅) 旧暦 3/19 月齢 17.9 抜て負けそ
>
> 今朝は法法華経で目覚めた、本来に戻ったか
>
> 否定と肯定、どうも否定ばかりで気分がよくない
>
> 肯定してあげなきゃね

そう、肯定、肯定

一服して、肯定気分か、否定気分か

震災10年来の片付けも進まぬ書斎

このガラクタ気分にして、ガラクタ書斎、散乱した蔵本、

まるで脳みその中をみているようだ

埋もれた瓦礫の発掘で、あったような・・

そのトマト嫌いなの!

と飛び掛かってきた女


それで、朝からぱらぱらしていたら、お面白いところに出会って、うちにも旧版が瓦礫の中にあったような・・


どうも、ここも、飛び散って飛び散って、記事が瓦礫化してきたようだから

雲消霧散するまえに、とりあえず、アップ


> それにしても、ひさしぶりに長すぎて入らないようなうるさい尻尾
>
> なかなか思い切れないのね、なにごとも
>
> 零
>
> スパッと達人斬りにできない
>
> 斬首
>
> ギリギリ、ノコノコ切れば、切り口が汚い
>
> オットーの貌も汚い、眼が昏い
>
> おっと、まんだ続いている
>
> 法華経も般若心経も聖書もあったが、埋もれてでてこない
>
> せめて産土の法華経でもよく聴きながら一服、二服
>
> 欠乏と過剰の発見は容易だが、零の発見は有難い
>
> ふむ、まことに有難い、零
>
> 法華経の声もこっちの杜からあっちの杜へうつっていったようだ
>
> 歩道を比較的足取りのしっかりしたお婆さん
>
> 足元のふらつく白い老犬ラブラドールを連れてお散歩
>
> 毛が抜けかかって大いに乱れている
>
> 連れてきてブラッシングをしてあがたい
>
> 手が届かない
>
> せめてもの毛坊主のブラッシング
>
> 気持ちがいいね
>
> さあ、新しい彼我はじまった
>
>
>
>
>

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54901] 有難い、零 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/19(Tue) 06:55  

ぬてまけそANNEX−Ω   訪問者数:11811518(今日:230/昨日:1218) 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/19(Tue) 06:23 先負(壬寅) 旧暦 3/19 月齢 17.9 抜て負けそ

今朝は法法華経で目覚めた、本来に戻ったか

否定と肯定、どうも否定ばかりで気分がよくない

肯定してあげなきゃね

それにしても、ひさしぶりに長すぎて入らないようなうるさい尻尾

なかなか思い切れないのね、なにごとも



スパッと達人斬りにできない

斬首

ギリギリ、ノコノコ切れば、切り口が汚い

オットーの貌も汚い、眼が昏い

おっと、まんだ続いている

法華経も般若心経も聖書もあったが、埋もれてでてこない

せめて産土の法華経でもよく聴きながら一服、二服

欠乏と過剰の発見は容易だが、零の発見は有難い

ふむ、まことに有難い、零

法華経の声もこっちの杜からあっちの杜へうつっていったようだ

歩道を比較的足取りのしっかりしたお婆さん

足元のふらつく白い老犬ラブラドールを連れてお散歩

毛が抜けかかって大いに乱れている

連れてきてブラッシングをしてあがたい

手が届かない

せめてもの毛坊主のブラッシング

気持ちがいいね

さあ、新しい彼我はじまった




やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54900] 立って、人の上に立って野郎、神にしても人にしても、そんな気にもならんでしょ でも、立っちゃうもんはしょうがない? 立ったものが萎えるまで慰めてください マリアさまRe:[54899] 「霊性の哲学」毛坊主祝い、超悶死でしたRe:[54898] 神父様、牧師様、毛坊主さま、よろしくわたくしの告白を聴いてください、弔問死Re:[54897] まんだ、まんだよ、若松君、門前の小僧 ふらふらふらふらしちょる、門前まできておるが、君は絶対者でもなく、これからもありえん キリストやマリアの仮面を暴いても、この絶対者がいる この絶対者のコトバ、ロゴスというのは、妄想のもとだ そこを覚って、超越も絶対もロゴスも卒業せんば、門のなかには入れんぞよRe:[54896] 素晴らしいね、「イタリア・ルネッサンスの文化」といいつつ、これはなにもイタリア・ルネッサンスばかりではなく、古代から現代まで、また世の東西に通じる言説であって、その統治機構、機構に群がる人物、詐欺、犯罪、宗教、ほら吹き、芸術、それらの彫琢が生き生きとしてまことに秀逸Re:[54894] 狛犬は高麗犬で、もともと高句麗の犬、みんな狼 それがよ、今ぢゃ、みんな、あのおとなしい狛犬になりさがってみちゃあおれん そんでよ、あの兜太の狼は狼めいて、なんの肉も霊もあらへん、たんだの狼の剥製、毛皮 そこへ蛍一匹ついていたところで、話にもならんわね、秩父の人々は可哀そうだ そこえいくってえと、やっぱ、八王子の三橋の狼には霊がみちみちているね、 満ち満ちて道々蜘蛛を葬る 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/18(Mon) 17:13  


えてみそねANNEX−Ω   訪問者数:11810931(今日:861/昨日:1854)友引(辛丑)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/18(Mon) 14:01 友引(辛丑) 旧暦 3/18 月齢 16.9

正座して上目づかいの狼を

連れ歩く

のもよいが

煮て食おうと焼いて食おうと俺の勝手だ

とは、まあ、ルドルフ・オットー、あの悪魔のヌミノーゼ以来いったいいくらの大小悪魔が出現したことであらうか

悪魔ちうのんは、まあ、ゲーテのファウストのメフィスト手レス的なもんなら、まんだ愛すべき存差異であって、えらく物知りで知識も豊富

でも、悪魔には、悪魔の「態度」がある

人間を「騙す」

あたかも、人間を超越へ導くかのごとく甘言を呈し知識で誘惑して、人間を「奴隷」化する

被造物たる人間なんぞ煮て食おうと焼いて食おうと俺の勝手だ

あはは、と高笑する悪魔の咬傷から人間に毒が蔓延して悪魔崇拝に陥る


かのバビロンの捕囚以前から、まあ、シュメールの農耕文化により地母神にしてバール信仰

そういう濃厚文明に圧せられて、遊牧民族が捕囚になって怨念

民族ごとに守護神がおった、ジーニャス、守護神、天才、なんでも天にしたがる、天災

戦闘とは守護神の戦いでもあって、ポエニ戦役では、ハンニバルがスキピオに負けてついにアフリカのカルタゴの本拠地が潰え去られる、地上から抹殺、神殿もろともに

そういう歴史の中でまさに民族守護神が守護神とともに民族を淘汰しつづけるなか、一体どうしてあの奴隷守護神に発したキリスト教、奴隷宗教が凱歌をあげたのか?

それは、その奴隷の守護神に発した奴隷宗教であるからこそ、それは帝国の統治に都合がよかったから

人間を自ら貶めて「絶対者」「超越者」「叡智」「光」を「希求」し、乞い求める

こんな都合の良いことは、「絶対者」「超越者」「叡智」「光」になるにはもってこいだ


その後の歴史を観るがよい

神聖ローマ帝国、絶対王政・・・

皇帝は、光り輝く冠をかぶり、法王でもあれば、法王がその権威を付与することもある

いまだに、その神聖をうけついだ聖ロシア正教の筆頭悪魔がロシアではプーチン悪魔によりそう映像がテレビで流れたいたではないか

そういう「絶対者」「超越者」「叡智」「光」の悪魔は若松君のような柔和な顔と「知識」をもって近づいてくる

「井筒俊彦−−叡智の哲学」の若松君のこの「叡智」も臭いととはおもっていたが、

そこに示唆された隠し画のエリアーデ、オットーと隠し画を拡げてみれば、そこから立ち昇る猛毒ガス、これに若松君は中毒しているのね

井筒がエリアーデやオットーにさして言及せんっことが、中毒患者としては不満でも隠し画を示唆して、猛毒へ誘導


而して、皮肉にも、この猛毒は、ますます、この「絶対者」「超越者」「叡智」「光」の「救済」宗教、「救済」思想の型枠の危険さを赤裸々に知らしめる

一言でいえば

古来の奴隷宗教の「秘儀」がオットーにおいてますます奴隷化度の峻烈さを極め、ナチズムをうみ、いまのウクライナ戦争にまでつながっている

オットー1869年生まれの前に1818年生まれのマルクスもいて、これが無神論というのは皮相のことにして、思想の骨格枠組みは、かの奴隷宗教であって、これも悲惨な結果を招いている、もっかの世界でかのマルクス共産主義、労働を高貴なものになして、プロレタリア革命を訴えたエピゴーネン、中国、北朝鮮にしても、東南アジアのいくつかの国々にしても、人間を奴隷する、あるいは他民族を抹殺排除するこに忙しい悪魔の所業






> むへるよめANNEX−Ω   訪問者数:11808042(今日:713/昨日:1295)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/16(Sat) 18:36 赤口(己亥) 旧暦 3/16 月齢 14.9 無減る嫁
>
> さて、弔問死への告白のつづきをやるまえに若松英輔「霊性の哲学」の躓きの先へ


> どうも人間陰湿になるといけねえ
>
> ほ〜ほけきょ


> > > ここ数日、産土の杜の鶯も殖えたとみえて、合唱、合掌
> > >
> > > 法惚化虚、呆惚気虚。仮虚、仮虚 と啼く
>
> 若松英輔「霊性の哲学」の躓きの先へ、若松君曰く「霊性とは宗派的差異の彼方で超越者を希求すること、あるいはその態度を意味します」で躓いて先へ進めぬもん
>
> 弁栄も浄土宗、キリスト教の救済宗教に近いから、若松君我田引水君を回避して、大拙、井筒、柳、吉満とよみつづく

昨日、弁栄も、谺も目を通した

まことに異様な言説に出会った、多分井筒のイブン・アラビーの受け売りの「光」の言説につづいて、もちろん、井筒も誰もちったあ仏教を知っているもんにとっちゃ、狂信とも狂乱とも思える「超越」「絶対者」の型枠、まあ、カタワ苦とでもいおうか・・

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

般若心境にある「色即是空 空即是色」・・「空」は絶対者、「色」は人間を含むすべての存在者です。

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

わらっちゃいけません

これが若松君の「超越」「絶対」信仰なんですから

こういうのを読むと、門前の小僧未満の幼稚さをやっぱり感じます

この本、あの本の若松君は幼稚だなあ、というのを、そういいたかったのをその知識の広範さに免じて、門前の小僧にまで格上げしたのです

やっぱりそのものを考える、感じる、表現する「態度」において幼稚、それもものまね


若松君のご本においてはそこに引用される誰彼の言説をまずはかなり忠実に反復します

そのすぐあとに若松キーワードをもってつけて、誰彼の言説の本意を脱骨換胎して「絶対」「超越」の衣を着せてしまいます

そうしないと若松君は誰彼の言説を理解できないようです

この幼稚なる幼稚園的な知識の消化態度は一体どこからきているのでしょうか

ここまで、洗脳されきった、幼稚さの源を訪ねてみると、すぐ見つかりました

そう、あの隠し画のなかの隠れ家オットー「聖なるもの」

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

「無」も「空」も、事実、「絶対他者」のヌウメン的表意文字である。

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

ばばかばしい

とわらってはいけません

本人らは本気なんですから

この本気さの恐ろしさの最期に逝きつく歴史上また目下の世界情勢は先にもうしあげましたが、この名著とわれる「聖なるもの」の最期に逝きつくとこうあります

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

一般的素質というのは、「内的における霊の証明」なる形式の「霊」である。

・・・さらに高い能力と段階とは、預言者である。すなわち霊をば「内部からの声」の能力として、聴覚の能力として、かつ両者を通じ宗教的想像力として所持している者である。

この預言者の段階の上に、なお高い第三の段階が考えられ期待される、・・・、それは一方霊を溢るゝばかり所持すると共に、他方自らの人格と業績とにおいて、出現せる聖なるもの預覚の対象となるような人の段階である。

このような人は預言者以上である。−−−−−彼は御子である。(完)

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

ここに至るまでオットーは徹底的に(擬)人格宗教たるキリスト教を、他の宗教、汎神論、理神論にたいする優越を主張し、かつ人間を徹底的に被造物、罪深きもの、として貶める言説を繰り返す一方で、「聖なるもの」をさらに聖なるものに仕上げるための「荘厳」「戦慄」「絶対」「超越」で飾りまくる

そりゃ、そうだ、もともとが、人間を徹底的に「絶対者」「超越者」の従属物にするには、貶め貶め、「絶対者」「超越者」を絶対に手の届かないものに仕上げなければならない

奴隷は「おののき」「戦慄」を、自主的「服従」をもって、「絶対者」「超越者」へ反抗しないようにしつけなければならない、狡猾なる悪魔的犯行


> 歴史や哲学や宗教にせい、写真や画にせい、材料拾い、材料の構図、焦点の当て方で、現れてくるものは随分と異なる、場合によっては真っ逆さまということも・・
>
若松君の言説においては「超越」なんぞの垂直的な構造の妄想、「妄想」とはいわんも、そういうものの見方をするもん、あるいは、そういう箇所を選んで、論評すれば、若松言説の「正統」化には確かになる
>
> いやさ、ことさらに正当化しようともおもっておらんで、そういう「超越」宗教、「超越」信仰、「超越」思想、垂直構造の型枠が薫臭して身に着いてしまった結果なのかもね

燻臭=燻習



> > > 而して、若松君はその誰かさんを己が妄想の「超越」の型枠をはめて解説しちゃうのね


> 理解することではなく、信じることです
>
> ますます危ない

ここもオットーの合理主義と非合理主義に詳しい

まずは、信じなさい、なにを?「絶対者」と「超越者」と「神」と「叡智」うんぬん


> 宗教の宗は超越というのが原義で、その教えです
>
> ますます危ない
>
>
>
>
> > 若松君の「池田晶子」はほぼ読了、
>
> いい言葉もあった


> 知ることは知を無知にすること
>
> なるほどね

なるほどね、の意味は、空

空を「絶対者」なんぞと妄想せんで、文字通り、知ることは知を空にすること

だから、知ったところで、「絶対者」も「超越者」も「叡智」も「神」も空

空の一言

ただそれだけ

だから、「絶対者」や「超越者」や「叡智」や「神」からの「光」も「ロゴス」も「恩寵」も「命令」も「要求」や「応答」も要らない

そういうもんは肝要ではないのです

ましてや、自分が「絶対者」や「超越者」や「叡智」や「神」や「光」や「ロゴス」や「恩寵」や「命令」や「要求」や「応答」に憑依されることもなければ、そういうものの「高み」へ「上昇」しようともしない

ここに霊の古来からの、欠乏と過剰、零の発見、霊の発見があるのです

オットー・若松「聖なるもの」「超越」主義は、欠乏をますます欠乏させ、過剰をますます過剰にさせる


霊は零にして欠乏も過剰も無い、空

そこの空というは、それこそ、体感、体験、経験、実感としてもっていない不覚者、すなわちオットー若松においては、霊感もないから、「超越者」「絶対者」などという妄想に帰しておしまい

空において、なんで「絶対」「超越」がありえようか?

ばかもほどほどにしろ

といっても、ばかなんだから、おもいこんだ妄信から脱却できないのは古今の悲劇

悪魔と神は紙一重

いやさ、神即悪魔、悪魔即神

そういうもんも、空

そこを自覚でければ、戦争も悲劇もおこらんのんぢゃねえの

怒るかもしれぬ

オットー、ヒットラー、プーチン、若松

もう、もろもろにそれ以外のあちこち、其処此処に大悪魔、子悪魔が蔓延っている


> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
>
> 読書とは、知識を得る体験ではない。むしろ、知識を「無知」に高める体験である。「無知」の自覚が生まれるとき、叡智の光が私たちを照らす。
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
>
> 「知ることは知を無知にすること」と云う、プレインな一節はよいが、上のような言説になると、もう臭気濛々
>
> 読書とは、知識を得る体験ではない。
>
> ここまではよしとする
>
> 知識を「無知」に高める
>
> 知識を「無知」に、まではよいが・・
>
> なんで「高める」のか?
>
> これは、まるでかの宗教のいいかたね
>
> かの宗教とは「超越者」へ「救い」を「希求」すべき奴隷宗教のものいいね
>
> 高めているんだから、奴隷化ではないように皮相では見えるが、この高まりは超越者の恩寵に浴するための奴隷の高まりである
>
> そこに若松君の垂直構造、あの危ない秩序化、歴史の数々の争い、目下のウクライナ露西亜戦争、そういうもんの裏にある思想秩序、垂直構造を垣間見えてしまう
>
> 平和や悲しみ、大悲とか、いろいろいっているが、なべて発想、いやさ、身に沁み込んだものの受け止め方、解釈、解説、言説、言葉が垂直構造なのね
>
> 例の「立つ」ってやつ
>
> あげればきりがないが・・
>
> この臭みが若松言説には蔓延している
>
> なんで、そこで高まるのか、なぜ、「無知」になる、とプレインに云えないのか?
>
> それは・・
>
> 「無知」の自覚が生まれるとき、叡智の光が私たちを照らす。
>
> また、また、来ました、「叡智」の「光」が私たちを「照らす」。
>
> 徹頭徹尾他者、「叡智」「光」「超越者」そういうもんから受け身になって「照ら」される
>
> あるいは若松君自身が「叡智」にして「照らす」のかもしれない
>
> そこが怖い。だから、いくら言葉で平和や救いや悲しみや愛を言い募っても、その思想構造、言説構造、ロゴス構造、宗教構造に、危険がみちみちている
>
> 若松君が戦争推進だといっているのではない
>
> 歴史的戦きは、そういう「叡智」や「超越者」や「絶対他者」や「神」が狂信者に
> 憑依して起こっていんぢゃ、ありませんか?
>
> 皮相は地政学や唯物論的現象学や兵器やお国の勘定にして感情にいしても
>
> 戦争までいかなくても、いくら悲しみや大悲をいいつのっても、水俣病の悲劇もハンセン病の悲劇も、「叡智」や「超越者」や「絶対他者」や「神」やを想定する妄想する、その構造秩序の下におこっている
>
> だから、そういう宗教は「宗教」ぢゃない、本当の「宗教」ぢゃないと、言い募ったところで、思想構造、宗教構造、秩序構造、発想構造が、そうなんだから、
>
> いっそ、「叡智」や「超越者」や「絶対他者」や「神」やを止めちゃったらどうなの?
>
> ようは、宗教の衣も脱げ、哲学の衣も脱げ、思想の衣も脱げ
>
> 脱いで脱いで、赤肉団上になれ
>
> それが自覚でしょ?
>
> 自分、自を分ける、分かる、と分かったようなことを云っているが、その自分をことさらに貶めて、いわば、奴隷化して、自分以外の他者からの「叡智」や「超越者」からの「光」の恩寵に浴することはないでしょう
>
> 気づきがあれば足りる
>
> 自覚があれば足りる、なにも自分をことさらに他者の受け皿、それこそ巫に仕立てあげることもない
>
> 仕立て上げれば、自分の自分たる責任になくなって、みんな「叡智「超越者」「神」のせいにして、気楽なもんだわね、いいとこどりだけして、都合がわるくなれば遁走
>
> それこそ、自由からの遁走
>
> 豚走、悪魔が突っ込んでいったところでしょ、聖書でも
>
> >「霊性の哲学」は初っ端から躓いた
>
> > 若松君曰く「霊性とは宗派的差異の彼方で超越者を希求すること、あるいはその態度を意味します」
> >
> > ダメだね
> >
> > もうこれでは霊性を冷静に論じる視覚なし
> >
> > 若松君の視覚は上向いて「超越者」を「希求」するんだね、その視覚と資格において霊性?

霊性も向上が必要なんです

向上を意志するのです

向上は力です

オットー

> > そんなもん、「超越者」を想定する必要もなければ、「希求」する必要もない
> >
> > 霊性は各自にあって、それを各自が自覚でけるか、いなか
> >
> > ただ、それだけでしょ
> >
> > なんで、霊性が、また霊性とは別の「超越者」を「希求」する必要がありませうかね
> >
> > そういう「態度」だから、門前の小僧とやられるんですね

幼稚にして霊覚にも至っていない、オットー、若松君

だから、不覚なんです

> > うむ、やわらくなってきたぞ
> >
> > 「超越者」を「希求」するんは、いまだ「霊性」の自覚にもいたっていない、不覚者のなす態度でしょ?


> > この不覚者の態度が、もう、あちこちに散見されるのですね「池田晶子」にも

> 腑に落ちる箇所も多い


> そういうもんが、もろもろの霊と交流でければ、もう腑に落ちて腑に追墜ちて、坐っているもんが、地獄にめりこむぐらい重くなって、立てない
>
> 立って、人の上に立って野郎、神にしても人にしても、そんな気にもならんでしょ

でも、立っちゃうもんはしょうがない?

立ったものが萎えるまで慰めてください

マリアさま


> せっかく、重心の低い文化に生まれついて、なにを好き好んで、立位の宗教、超越の教え、奴隷思想の毒なんかに中毒するのかね、自分でも呑んで、人にも混ぜて呑ませるのかね

それは、見えぬ、意識せぬ、無意識の下心があるからです

ユダヤ人がバビロンの捕囚になって、どん底を舐めて、人間として存在感を失い、国としての存在を失た

その補償にして、天上の王国を妄想し、天上界での人間の存在の再生復活を希求した

それの希求、怨念が選民思想をうみ、そこの思想構造、宗教構造がまことに統治機構として秀逸

民を奴隷化して、荘厳なる「超越者」「絶対者」を崇めさせる構造、構築、思想は、まさに帝国主義にも、共産主義にも、どんな統治主義にも、利用価値は高い

それを信じるものは、救われる

たしかに暗殺の対象にはならにゃろし、栄誉、栄進も望める

問題は底


> > 「井筒俊彦−−叡智の哲学」でしたかね、あれをお書きになったのは、ほそぼそと書いて、そのころは、講壇哲学の講壇に登っていないで、頼んで三田文学かなんかの大学報の載せてもらった、奥さんが病んだりして、大変な時期に、それこそ血を吐く思いで、書き綴った、というようなことが、あとがきかどっかにありましたが、あのころの文章、書き方は、まことに昨今のご著書より数段優りますね
> >
> > どこが違うか?
> >
> > 謙虚さです、あのころは、謙虚に誠実に書かれていた

とはいえ、この「叡智の哲学」が最初から臭かった、井筒俊彦は「叡智の哲学」を書こう、しようとしたんかね?

これ「井筒俊彦−−叡智の哲学」も、若松君は皮相においては井筒をなぞってはいるもんの、井筒を脱骨換胎しているのではないか、もう一度点検してみる必要がありそうだ

そこまで暇ぢゃない




> > 昨今の「池田晶子」は2013年、「霊性の哲学」は2012〜14年、肩書も変わっています
> >
> > やはり人間、講壇へ上昇すると、どうも超越気分になって、堕落するんでしょうかね、あの斎藤蛙君、いやさ、鼠くん、それほどひどくはない、ぜんぜん若松君はまともですが・・
> >
> > それでも、驕り昂りが顕著ですね
>
> 「叡智」や「超越者」や「絶対他者」や「神」やを止めちゃったらどうなの?
>
> 驕り昂りが亢進すれば、ヒトラーにもプーチンに、いやさ、そっこらぢゅうの悪魔になりますよ
>
> なにしろ、人間はだれでも、奴隷ではいたくないのですから
>
> 高みへ上昇したいのですから

そう、てっとう哲美、垂直構造の言説、オットーも若松も同じ、ヒトラーもプーチン、習近平もおなじ


大きすぎるから割愛して・・


若松君、井筒の「大乗起信論」の最期はどう読んだのでしょうか?



やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54899] 「霊性の哲学」毛坊主祝い、超悶死でしたRe:[54898] 神父様、牧師様、毛坊主さま、よろしくわたくしの告白を聴いてください、弔問死Re:[54897] まんだ、まんだよ、若松君、門前の小僧 ふらふらふらふらしちょる、門前まできておるが、君は絶対者でもなく、これからもありえん キリストやマリアの仮面を暴いても、この絶対者がいる この絶対者のコトバ、ロゴスというのは、妄想のもとだ そこを覚って、超越も絶対もロゴスも卒業せんば、門のなかには入れんぞよRe:[54896] 素晴らしいね、「イタリア・ルネッサンスの文化」といいつつ、これはなにもイタリア・ルネッサンスばかりではなく、古代から現代まで、また世の東西に通じる言説であって、その統治機構、機構に群がる人物、詐欺、犯罪、宗教、ほら吹き、芸術、それらの彫琢が生き生きとしてまことに秀逸Re:[54894] 狛犬は高麗犬で、もともと高句麗の犬、みんな狼 それがよ、今ぢゃ、みんな、あのおとなしい狛犬になりさがってみちゃあおれん そんでよ、あの兜太の狼は狼めいて、なんの肉も霊もあらへん、たんだの狼の剥製、毛皮 そこへ蛍一匹ついていたところで、話にもならんわね、秩父の人々は可哀そうだ そこえいくってえと、やっぱ、八王子の三橋の狼には霊がみちみちているね、 満ち満ちて道々蜘蛛を葬る 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/16(Sat) 19:16  

むへるよめANNEX−Ω   訪問者数:11808042(今日:713/昨日:1295)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/15(Fri) 10:44 赤口(己亥) 旧暦 3/16 月齢 14.9 無減る嫁

さて、弔問死への告白のつづきをやるまえに若松英輔「霊性の哲学」の躓きの先へ

きょうは、ちょうどいいお天気なのに外に行かないの?

うむ、忙しいの。鼻くそだらけでしてりるしてるシーツを換えてくれ

あたま刈ってきたの?

毛坊主にしてきた、10o

あれは江沢さんぢゃなくて滝沢さんでしょ?

まあ、似たようなもんだ、そのあとが金井で14年前に店を閉めたそのあと

むかしもいまもそうかもしれぬが、兄弟が女ばかりだと男一人の子が女言葉を喋りだす、何人かいたうちのその一人、洋品店を滝沢お茶屋のビルのお茶屋の後に開いて

そこに、毎晩幽霊のように訪れて呑みにいこうと誘いだす中沢君、小学校6年間皆勤賞、そのご中年になってうつ病、昼間はでてこぬが、夜になるとでてきた、金井が引っ張り出される

中沢君もとっくに逝って、愛車のマツダのオープンカーも前の駐車場に放置されていたもんが、いつのまにかなくなり、金井君も閉店してどこにいったのやら

女言葉を喋る同級生に立川君もいたね

みんなにいじめられたりして、いまだったら、大騒ぎかもね

毎日頭を叩かれる時代だから、いじめなんてたいしたことでもなく、今みたいに陰湿でもなかった

どうも人間陰湿になるといけねえ

ほ〜ほけきょ

> かあつしひANNEX−Ω   訪問者数:11806814(今日:780/昨日:2595)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/15(Fri) 09:41 大安(戊戌) 旧暦 3/15 月齢 13.9
>
> 大安か、んではちっと安らかにやらう、野郎安らかに・・
>
> Cinema Paradiso by Chris Botti and Yo-Yo Ma [HD]
> http://www.youtube.com/watch?v=0rpxpkyqSGs

> > こみふつらANNEX−Ω   訪問者数:11804113(今日:674/昨日:704)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/13(Thu) 11:22 仏滅(丁酉) 旧暦 3/14 月齢 12.9
> >
> > お、仏滅、いいぞ
> >
> > ♪モーツァルト:歌劇≪魔笛≫ K.620-序曲 / カール・ベーム指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1964
> > http://www.youtube.com/watch?v=7WK9pAqK7jM
> >
> > ここ数日、産土の杜の鶯も殖えたとみえて、合唱、合掌
> >
> > 法惚化虚、呆惚気虚。仮虚、仮虚 と啼く

若松英輔「霊性の哲学」の躓きの先へ、若松君曰く「霊性とは宗派的差異の彼方で超越者を希求すること、あるいはその態度を意味します」で躓いて先へ進めぬもん

弁栄も浄土宗、キリスト教の救済宗教に近いから、若松君我田引水君を回避して、大拙、井筒、柳、吉満とよみつづく

それにしても、付箋が多い、「池田晶子」も多かった

もっとも、図書館の本だから書き込めないので、付箋

そのいちいちをやりだすときりがないのだが・・



> > > さちよみたANNEX−Ω   訪問者数:11803327(今日:592/昨日:1640)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/13(Wed) 20:44
> >
> > > だいたい、ああいう乗り方をするんのんは、まあ、驕り昂ったへなちょこライダー
> >
> > これは、まことに若松君にも通じる
> >
> > > あぶね〜じゃ、ねえか
> >
> > なにかに即してものを云っておるんぢゃが
> >
> > その何かは、全然、例えば池田晶子にせい、誰にせい、若松君的な「超越」なんぞの垂直的な構造の妄想なんぞ言及しておらんやろ

と、おもったら、けっこういるのね

でもね

メタヒストリーのヘイドン・ホワイトならずも、土門拳ならずもの、歴史や哲学や宗教にせい、写真や画にせい、材料拾い、材料の構図、焦点の当て方で、現れてくるものは随分と異なる、場合によっては真っ逆さまということも・・

若松君の言説においては「超越」なんぞの垂直的な構造の妄想、「妄想」とはいわんも、そういうものの見方をするもん、あるいは、そういう箇所を選んで、論評すれば、若松言説の「正統」化には確かになる

いやさ、ことさらに正当化しようともおもっておらんで、そういう「超越」宗教、「超越」信仰、「超越」思想、垂直構造の型枠が薫臭して身に着いてしまった結果なのかもね
> >
> > 而して、若松君はその誰かさんを己が妄想の「超越」の型枠をはめて解説しちゃうのね
> >
> > だから、その誰かさんに即しているようで、誰かさんを換骨奪胎して、おのが妄想「哲学」化してしまう

だけんど、これは危ない

> > > わかる?
> > >
> > > わかりませ〜ん
> >
> > 多分に若松君もこの類なのかもしれぬ
> >
> >
> > > > ほえかほのANNEX−Ω   訪問者数:11799379(今日:1615/昨日:702)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/11(Mon) 11:47 先勝(甲午) 旧暦 3/11 月齢 9.9
> > >
> > > 山口百恵 さよならの向こう側 結婚式翌日放送 結婚式映像+思い出の場面付き '80 11 20
> > > http://www.youtube.com/watch?v=xpkXuFfvl6E

蛇も割愛して・・

> > 而して、理解に役に立ったからとて、おのが命の肥やしになるか、ちうとそうはいかぬ
> >
> > むしろ、いのちには毒
> >
> > 毒も使いようだから、微毒にして薬として使えば、つかえぬもんでもなく、外部からの救いにもならう
> >
> > それが、自己治癒力、生きる力を活性化させる機縁になることもある

理解はできる

理解できるからといって、そこにのめり込むと、薬もまた毒になる

理解することではなく、信じることです

ますます危ない

宗教の宗は超越というのが原義で、その教えです

ますます危ない




> 若松君の「池田晶子」はほぼ読了、

いい言葉もあった

付箋を探したが、でてこない、落っこちてしまったのだらうか、思い出せば・・

知ることは知を無知にすること

なるほどね

似たようなのには付箋がある、曰く

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

読書とは、知識を得る体験ではない。むしろ、知識を「無知」に高める体験である。「無知」の自覚が生まれるとき、叡智の光が私たちを照らす。

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

「知ることは知を無知にすること」と云う、プレインな一節はよいが、上のような言説になると、もう臭気濛々

読書とは、知識を得る体験ではない。

ここまではよしとする

知識を「無知」に高める

知識を「無知」に、まではよいが・・

なんで「高める」のか?

これは、まるでかの宗教のいいかたね

かの宗教とは「超越者」へ「救い」を「希求」すべき奴隷宗教のものいいね

高めているんだから、奴隷化ではないように皮相では見えるが、この高まりは超越者の恩寵に浴するための奴隷の高まりである

そこに若松君の垂直構造、あの危ない秩序化、歴史の数々の争い、目下のウクライナ露西亜戦争、そういうもんの裏にある思想秩序、垂直構造を垣間見えてしまう

平和や悲しみ、大悲とか、いろいろいっているが、なべて発想、いやさ、身に沁み込んだものの受け止め方、解釈、解説、言説、言葉が垂直構造なのね

例の「立つ」ってやつ

あげればきりがないが・・

この臭みが若松言説には蔓延している

なんで、そこで高まるのか、なぜ、「無知」になる、とプレインに云えないのか?

それは・・

「無知」の自覚が生まれるとき、叡智の光が私たちを照らす。

また、また、来ました、「叡智」の「光」が私たちを「照らす」。

徹頭徹尾他者、「叡智」「光」「超越者」そういうもんから受け身になって「照ら」される

あるいは若松君自身が「叡智」にして「照らす」のかもしれない

そこが怖い。だから、いくら言葉で平和や救いや悲しみや愛を言い募っても、その思想構造、言説構造、ロゴス構造、宗教構造に、危険がみちみちている

若松君が戦争推進だといっているのではない

歴史的戦きは、そういう「叡智」や「超越者」や「絶対他者」や「神」が狂信者に
憑依して起こっていんぢゃ、ありませんか?

皮相は地政学や唯物論的現象学や兵器やお国の勘定にして感情にいしても

戦争までいかなくても、いくら悲しみや大悲をいいつのっても、水俣病の悲劇もハンセン病の悲劇も、「叡智」や「超越者」や「絶対他者」や「神」やを想定する妄想する、その構造秩序の下におこっている

だから、そういう宗教は「宗教」ぢゃない、本当の「宗教」ぢゃないと、言い募ったところで、思想構造、宗教構造、秩序構造、発想構造が、そうなんだから、

いっそ、「叡智」や「超越者」や「絶対他者」や「神」やを止めちゃったらどうなの?

ようは、宗教の衣も脱げ、哲学の衣も脱げ、思想の衣も脱げ

脱いで脱いで、赤肉団上になれ

それが自覚でしょ?

自分、自を分ける、分かる、と分かったようなことを云っているが、その自分をことさらに貶めて、いわば、奴隷化して、自分以外の他者からの「叡智」や「超越者」からの「光」の恩寵に浴することはないでしょう

気づきがあれば足りる

自覚があれば足りる、なにも自分をことさらに他者の受け皿、それこそ巫に仕立てあげることもない

仕立て上げれば、自分の自分たる責任になくなって、みんな「叡智「超越者」「神」のせいにして、気楽なもんだわね、いいとこどりだけして、都合がわるくなれば遁走

それこそ、自由からの遁走

豚走り、悪魔が突っ込んでいったところでしょ、聖書でも

>「霊性の哲学」は初っ端から躓いた

> 若松君曰く「霊性とは宗派的差異の彼方で超越者を希求すること、あるいはその態度を意味します」
>
> ダメだね
>
> もうこれでは霊性を冷静に論じる視覚なし
>
> 若松君の視覚は上向いて「超越者」を「希求」するんだね、その視覚と資格において霊性?
>
>
> 可笑しいでしょ?
>
> 可笑しくない?
>
> 気が付かない?
>
> そんなもん、「超越者」を想定する必要もなければ、「希求」必要もない
>
> 霊性は各自にあって、それを各自が自覚でけるか、いなか
>
> ただ、それだけでしょ
>
> なんで、霊性が、また霊性とは別の「超越者」を「希求」する必要がありませうかね
>
> そういう「態度」だから、門前の小僧とやられるんですね
>
> うむ、やわらくなってきたぞ
>
> 「超越者」を「希求」するんは、いまだ「霊性」の自覚にもいたっていない、不覚者のなす態度でしょ?
>
> ねえ、そう思いません?
>
> と問うことすら必要ありません
>
> この不覚者の態度が、もう、あちこちに散見されるのですね「池田晶子」にも
>
> それしても、あっちへふらふら、こっちへふらふら、そのふらふらもフランス小蛇のデリダ諸君とは、一味ちゃうて
>
> やっぱ、ニッポン人だから、同じ文化を共有しているし、宗教的、哲学的、ロゴス的、超越的臭みを除けば、料理の素材も、料理の仕方も悪くはないから、選り分けて食べれば食べられぬこともないし、場合によっては美味しい

付箋がたくさんあるってことは批判的な箇所もあるが

腑に落ちる箇所も多い

そう、腑に落とせばよいのですよ

なにも、他者からの「叡智」の「光」を「浴びる」必要もない

霊性ということばも、あまり感心はしないが、あるから「霊覚」も「霊性」もつかうが、

そういうもんが、もろもろの霊と交流でければ、もう腑に落ちて腑に追墜ちて、坐っているもんが、地獄にめりこむぐらい重くなって、立てない

立って、人の上に立って野郎、神にしても人にしても、そんな気にもならんでしょ

> でもね、宗教的、哲学的、ロゴス的、超越的臭みの香辛料はそこここにふりかけられていて、一体全体のせっかくのうまみを臭くしてしまっているのが、料理人として惜しいことです

せっかく、重心の低い文化に生まれついて、なにを好き好んで、立位の宗教、超越の教え、奴隷思想の毒なんかに中毒するのかね、自分でも呑んで、人にも混ぜて呑ませるのかね


> 盛り合わせも雑多で、その粗雑な盛り合わせも、まあ、ここに味わえば、それなりの味わいがあります
>
> うむ、いいど、いいぞ
>
> でもね、ちょっと料理人として、奢っていませんか?
>
> まあ、料理人、それも名人級ともなれば、奢られて只でいただけるのはありがたいですが・・
>
> 板前の見習いともいえない、もういい年なんだから、一丁前で、でも、名人とはいいがたいもんに奢られると、なんだか複雑な気分で、味わいです
>
> 「井筒俊彦−−叡智の哲学」でしたかね、あれをお書きになったのは、ほそぼそと書いて、そのころは、講壇哲学の講壇に登っていないで、頼んで三田文学かなんかの大学報の載せてもらった、奥さんが病んだりして、大変な時期に、それこそ血を吐く思いで、書き綴った、というようなことが、あとがきかどっかにありましたが、あのころの文章、書き方は、まことに昨今のご著書より数段優りますね
>
> どこが違うか?
>
> 謙虚さです、あのころは、謙虚に誠実に書かれていた
>
> 昨今の「池田晶子」は2013年、「霊性の哲学」は2012〜14年、肩書も変わっています
>
> やはり人間、講壇へ上昇すると、どうも超越気分になって、堕落するんでしょうかね、あの斎藤蛙君、いやさ、鼠くん、それほどひどくはない、ぜんぜん若松君はまともですが・・
>
> それでも、驕り昂りが顕著ですね

「叡智」や「超越者」や「絶対他者」や「神」やを止めちゃったらどうなの?

驕り昂りが亢進すれば、ヒトラーにもプーチンに、いやさ、そっこらぢゅうの悪魔になりますよ

なにしろ、人間はだれでも、奴隷ではいたくないのですから

高みへ上昇したいのですから

> それに、強引に「超越」だの「希求」だの、という、あの悪しき思想、志操の型枠に、議論を、解釈を、解説をはめ込んでいらっしゃいます
>
> ご自分ではお気づきではないのでせうか?
>
> 気づいている?
>
> ぢゃあ、若松君は、どうも「井筒俊彦」のころからその毛を感じたのですが、
>
> 毛坊主にして、あたらしい叡智教団、叡智宗とでもいうような、臭気ぷんぷんの新興宗教だか、信仰哲学派でも、お立ち上げならるおつもりでせうか?
>
> 人間そここで、講演でもして儀礼でも拍手を浴びれば舞い上がるものです
>
> それこそ、池田晶子がいっている、よに哲学者を名宣るロクデナシが多い
>
> そういうもんに成り下がってはいらっしゃいませんでしょうが、なりかかっているというご自覚はありますか
>
> 駄目ですよ、言葉ッ面で自戒なさっても、それこそ、センセイのおっしゃるロゴスがその頽落途上であることを証明しているではないですか
>
> ご自分で書いたこと、言ったことは、読めもしなければ、聴きもできないのですか?
>
> わたしの拙い読後感、いえね、躓き、センセイの新興宗教、信仰哲学への躓き
>
> 努力して鼻を摘まんで、もう、花粉症の季節ですから、ちょうどよい、超越者から恩寵かもしれませんが、鼻を摘まみ、摘まみして、摘まみ悔いをしながら、読んでは告白
>
> 神父様、牧師様、毛坊主さま、よろしくわたくしの告白を聴いてください、弔問死

きょうは「霊性の哲学」毛坊主祝い、超悶死でした

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54898] 神父様、牧師様、毛坊主さま、よろしくわたくしの告白を聴いてください、弔問死Re:[54897] まんだ、まんだよ、若松君、門前の小僧 ふらふらふらふらしちょる、門前まできておるが、君は絶対者でもなく、これからもありえん キリストやマリアの仮面を暴いても、この絶対者がいる この絶対者のコトバ、ロゴスというのは、妄想のもとだ そこを覚って、超越も絶対もロゴスも卒業せんば、門のなかには入れんぞよRe:[54896] 素晴らしいね、「イタリア・ルネッサンスの文化」といいつつ、これはなにもイタリア・ルネッサンスばかりではなく、古代から現代まで、また世の東西に通じる言説であって、その統治機構、機構に群がる人物、詐欺、犯罪、宗教、ほら吹き、芸術、それらの彫琢が生き生きとしてまことに秀逸Re:[54894] 狛犬は高麗犬で、もともと高句麗の犬、みんな狼 それがよ、今ぢゃ、みんな、あのおとなしい狛犬になりさがってみちゃあおれん そんでよ、あの兜太の狼は狼めいて、なんの肉も霊もあらへん、たんだの狼の剥製、毛皮 そこへ蛍一匹ついていたところで、話にもならんわね、秩父の人々は可哀そうだ そこえいくってえと、やっぱ、八王子の三橋の狼には霊がみちみちているね、 満ち満ちて道々蜘蛛を葬る 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/15(Fri) 10:44  


かあつしひANNEX−Ω   訪問者数:11806814(今日:780/昨日:2595)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/15(Fri) 09:41 大安(戊戌) 旧暦 3/15 月齢 13.9

大安か、んではちっと安らかにやらう、野郎安らかに・・

Cinema Paradiso by Chris Botti and Yo-Yo Ma [HD]
http://www.youtube.com/watch?v=0rpxpkyqSGs

神木の小蛇突っつく鴉かな @熱田神宮49歳

土塀下の大蛇戦く群鴉 @韮山江川邸 51歳

千年の屋根を貫く山法師 @韮山江川邸 51歳

正確には山法師ではなからうが、山法師でよい

反射炉の句も詠んだ記憶があるが、句を思い出せない

さて、おだやかに、おだやかに・・

とはいえ、27度もあった気温が今日は最高で11度予報

身に堪える、着膨れ


> こみふつらANNEX−Ω   訪問者数:11804113(今日:674/昨日:704)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/13(Thu) 11:22 仏滅(丁酉) 旧暦 3/14 月齢 12.9
>
> お、仏滅、いいぞ
>
> ♪モーツァルト:歌劇≪魔笛≫ K.620-序曲 / カール・ベーム指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1964
> http://www.youtube.com/watch?v=7WK9pAqK7jM
>
> ここ数日、産土の杜の鶯も殖えたとみえて、合唱、合掌
>
> 法惚化虚、呆惚気虚。仮虚、仮虚 と啼く
>
> > さちよみたANNEX−Ω   訪問者数:11803327(今日:592/昨日:1640)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/13(Wed) 20:44
>
> > だいたい、ああいう乗り方をするんのんは、まあ、驕り昂ったへなちょこライダー
>
> これは、まことに若松君にも通じる
>
> > あぶね〜じゃ、ねえか
>
> なにかに即してものを云っておるんぢゃが
>
> その何かは、全然、例えば池田晶子にせい、誰にせい、若松君的な「超越」なんぞの垂直的な構造の妄想なんぞ言及しておらんやろ
>
> 而して、若松君はその誰かさんを己が妄想の「超越」の型枠をはめて解説しちゃうのね
>
> だから、その誰かさんに即しているようで、誰かさんを換骨奪胎して、おのが妄想「哲学」化してしまう
>
> > こんだあ、ケータイをしまって腰を振ってライダー君がまた右
> >
> > 追い越させない、すぐ諦めて、どうもまたあとをつけてくる気配
> >
> > 後ろは振り向かない
> >
> > 振り向く趣味がない
> >
> > 前をみていても、うしろの気配はわかる
> >
> > 腰も振らない
> >
> > みっともない
> >
> > 美学
> >
> > うしろでぼそぼそ、追い越させねえ気らしい
> >
> > さあ、さあ、四谷橋も過ぎ、途の最期の凸凹もすぎ、ここからはやや下りのラスト数百m
> >
> > また、腰を振り振り、二人が右を追い抜く
> >
> > 巡航モードからギヤダウンしてまた抜き返そうとした、二人で横に並んで邪魔
> >
> > どけ!というのも、なんだし、おもわず、ワァオー!
> >
> > もう二人とも吃驚ギックギクで腰を浮かし、車体を左右に振って必死の逃げモード
> >
> > その後ろを追って、また後ろからのこりの集団が追い抜いていく
> >
> > 高校生か大学生か
> >
> > 見送って巡航にもどると、またまた追いつく
> >
> > 君たち、傲慢はいかんよ、若くして傲慢なもんは、伸びぬ
> >
> > みっともない逃げ方をして逃げきれてもみっともないでしょ
> >
> > わかる?
> >
> > わかりませ〜ん
>
> 多分に若松君もこの類なのかもしれぬ
>
>
> > > ほえかほのANNEX−Ω   訪問者数:11799379(今日:1615/昨日:702)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/11(Mon) 11:47 先勝(甲午) 旧暦 3/11 月齢 9.9
> >
> > 山口百恵 さよならの向こう側 結婚式翌日放送 結婚式映像+思い出の場面付き '80 11 20
> > http://www.youtube.com/watch?v=xpkXuFfvl6E
> >
> > > げじげじを叩き潰して読書中
> >
> > 毒蛇を輪切りにしてや読書中
> >
> > ニシキヘビは輪切りにして味噌汁にいれると出汁、肉とも最高だとか
>
> 蛇ものはロゴスに詳しいから、ロゴス的に理解するには、蛇も役に立つ
>
> 大蛇は小蛇よりももっとおいしい
>
> > 毒蛇はどうかね?
> >
> > 蝮が食えるんだから、問題なからう
>
>
> 毒蛇は痺れるくらい、妄想ももうよくよく痺れるくらいよく理解できる
>
>
>
> > > > > > 年年歳歳弱りゆく力で、秋の蝶とわが身が重なる
>
> だから、大蛇でも毒蛇でも、この世の蛇の知恵に満ち満ちた世界を理解するには役に立つ
>
> 而して、理解に役に立ったからとて、おのが命の肥やしになるか、ちうとそうはいかぬ
>
> むしろ、いのちには毒
>
> 毒も使いようだから、微毒にして薬として使えば、つかえぬもんでもなく、外部からの救いにもならう
>
> それが、自己治癒力、生きる力を活性化させる機縁になることもある

若松君の「池田晶子」はほぼ読了、「霊性の哲学」は初っ端から躓いた

若松君曰く「霊性とは宗派的差異の彼方で超越者を希求すること、あるいはその態度を意味します」

ダメだね

もうこれでは霊性を冷静に論じる視覚なし

若松君の視覚は上向いて「超越者」を「希求」するんだね、その視覚と資格において霊性?


可笑しいでしょ?

可笑しくない?

気が付かない?

そんなもん、「超越者」を想定する必要もなければ、「希求」必要もない

霊性は各自にあって、それを各自が自覚でけるか、いなか

ただ、それだけでしょ

なんで、霊性が、また霊性とは別の「超越者」を「希求」する必要がありませうかね

そういう「態度」だから、門前の小僧とやられるんですね

うむ、やわらくなってきたぞ

「超越者」を「希求」するんは、いまだ「霊性」の自覚にもいたっていない、不覚者のなす態度でしょ?

ねえ、そう思いません?

と問うことすら必要ありません

この不覚者の態度が、もう、あちこちに散見されるのですね「池田晶子」にも

それしても、あっちへふらふら、こっちへふらふら、そのふらふらもフランス小蛇のデリダ諸君とは、一味ちゃうて

やっぱ、ニッポン人だから、同じ文化を共有しているし、宗教的、哲学的、ロゴス的、超越的臭みを除けば、料理の素材も、料理の仕方も悪くはないから、選り分けて食べれば食べられぬこともないし、場合によっては美味しい

でもね、宗教的、哲学的、ロゴス的、超越的臭みの香辛料はそこここにふりかけられていて、一体全体のせっかくのうまみを臭くしてしまっているのが、料理人として惜しいことです

盛り合わせも雑多で、その粗雑な盛り合わせも、まあ、ここに味わえば、それなりの味わいがあります

うむ、いいど、いいぞ

でもね、ちょっと料理人として、奢っていませんか?

まあ、料理人、それも名人級ともなれば、奢られて只でいただけるのはありがたいですが・・

板前の見習いともいえない、もういい年なんだから、一丁前で、でも、名人とはいいがたいもんに奢られると、なんだか複雑な気分で、味わいです

「井筒俊彦−−叡智の哲学」でしたかね、あれをお書きになったのは、ほそぼそと書いて、そのころは、講壇哲学の講壇に登っていないで、頼んで三田文学かなんかの大学報の載せてもらった、奥さんが病んだりして、大変な時期に、それこそ血を吐く思いで、書き綴った、というようなことが、あとがきかどっかにありましたが、あのころの文章、書き方は、まことに昨今のご著書より数段優りますね

どこが違うか?

謙虚さです、あのころは、謙虚に誠実に書かれていた

昨今の「池田晶子」は2013年、「霊性の哲学」は2012〜14年、肩書も変わっています

やはり人間、講壇へ上昇すると、どうも超越気分になって、堕落するんでしょうかね、あの斎藤蛙君、いやさ、鼠くん、それほどひどくはない、ぜんぜん若松君はまともですが・・

それでも、驕り昂りが顕著ですね

それに、強引に「超越」だの「希求」だの、という、あの悪しき思想、志操の型枠に、議論を、解釈を、解説をはめ込んでいらっしゃいます

ご自分ではお気づきではないのでせうか?

気づいている?

ぢゃあ、若松君は、どうも「井筒俊彦」のころからその毛を感じたのですが、

毛坊主にして、あたらしい叡智教団、叡智宗とでもいうような、臭気ぷんぷんの新興宗教だか、信仰哲学派でも、お立ち上げならるおつもりでせうか?

人間そここで、講演でもして儀礼でも拍手を浴びれば舞い上がるものです

それこそ、池田晶子がいっている、よに哲学者を名宣るロクデナシが多い

そういうもんに成り下がってはいらっしゃいませんでしょうが、なりかかっているというご自覚はありますか

駄目ですよ、言葉ッ面で自戒なさっても、それこそ、センセイのおっしゃるロゴスがその頽落途上であることを証明しているではないですか

ご自分で書いたこと、言ったことは、読めもしなければ、聴きもできないのですか?

わたしの拙い読後感、いえね、躓き、センセイの新興宗教、信仰哲学への躓き

努力して鼻を摘まんで、もう、花粉症の季節ですから、ちょうどよい、超越者から恩寵かもしれませんが、鼻を摘まみ、摘まみして、摘まみ悔いをしながら、読んでは告白

神父様、牧師様、毛坊主さま、よろしくわたくしの告白を聴いてください、弔問死






やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54897] まんだ、まんだよ、若松君、門前の小僧 ふらふらふらふらしちょる、門前まできておるが、君は絶対者でもなく、これからもありえん キリストやマリアの仮面を暴いても、この絶対者がいる この絶対者のコトバ、ロゴスというのは、妄想のもとだ そこを覚って、超越も絶対もロゴスも卒業せんば、門のなかには入れんぞよRe:[54896] 素晴らしいね、「イタリア・ルネッサンスの文化」といいつつ、これはなにもイタリア・ルネッサンスばかりではなく、古代から現代まで、また世の東西に通じる言説であって、その統治機構、機構に群がる人物、詐欺、犯罪、宗教、ほら吹き、芸術、それらの彫琢が生き生きとしてまことに秀逸Re:[54894] 狛犬は高麗犬で、もともと高句麗の犬、みんな狼 それがよ、今ぢゃ、みんな、あのおとなしい狛犬になりさがってみちゃあおれん そんでよ、あの兜太の狼は狼めいて、なんの肉も霊もあらへん、たんだの狼の剥製、毛皮 そこへ蛍一匹ついていたところで、話にもならんわね、秩父の人々は可哀そうだ そこえいくってえと、やっぱ、八王子の三橋の狼には霊がみちみちているね、 満ち満ちて道々蜘蛛を葬る 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/14(Thu) 12:41  

こみふつらANNEX−Ω   訪問者数:11804113(今日:674/昨日:704)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/13(Thu) 11:22 仏滅(丁酉) 旧暦 3/14 月齢 12.9

お、仏滅、いいぞ

♪モーツァルト:歌劇≪魔笛≫ K.620-序曲 / カール・ベーム指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1964
http://www.youtube.com/watch?v=7WK9pAqK7jM

ここ数日、産土の杜の鶯も殖えたとみえて、合唱、合掌

法惚化虚、呆惚気虚。仮虚、仮虚 と啼く

> さちよみたANNEX−Ω   訪問者数:11803327(今日:592/昨日:1640)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/13(Wed) 20:44

> だいたい、ああいう乗り方をするんのんは、まあ、驕り昂ったへなちょこライダー

これは、まことに若松君にも通じる

> あぶね〜じゃ、ねえか

なにかに即してものを云っておるんぢゃが

その何かは、全然、例えば池田晶子にせい、誰にせい、若松君的な「超越」なんぞの垂直的な構造の妄想なんぞ言及しておらんやろ

而して、若松君はその誰かさんを己が妄想の「超越」の型枠をはめて解説しちゃうのね

だから、その誰かさんに即しているようで、誰かさんを換骨奪胎して、おのが妄想「哲学」化してしまう

> こんだあ、ケータイをしまって腰を振ってライダー君がまた右
>
> 追い越させない、すぐ諦めて、どうもまたあとをつけてくる気配
>
> 後ろは振り向かない
>
> 振り向く趣味がない
>
> 前をみていても、うしろの気配はわかる
>
> 腰も振らない
>
> みっともない
>
> 美学
>
> うしろでぼそぼそ、追い越させねえ気らしい
>
> さあ、さあ、四谷橋も過ぎ、途の最期の凸凹もすぎ、ここからはやや下りのラスト数百m
>
> また、腰を振り振り、二人が右を追い抜く
>
> 巡航モードからギヤダウンしてまた抜き返そうとした、二人で横に並んで邪魔
>
> どけ!というのも、なんだし、おもわず、ワァオー!
>
> もう二人とも吃驚ギックギクで腰を浮かし、車体を左右に振って必死の逃げモード
>
> その後ろを追って、また後ろからのこりの集団が追い抜いていく
>
> 高校生か大学生か
>
> 見送って巡航にもどると、またまた追いつく
>
> 君たち、傲慢はいかんよ、若くして傲慢なもんは、伸びぬ
>
> みっともない逃げ方をして逃げきれてもみっともないでしょ
>
> わかる?
>
> わかりませ〜ん

多分に若松君もこの類なのかもしれぬ


> > ほえかほのANNEX−Ω   訪問者数:11799379(今日:1615/昨日:702)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/11(Mon) 11:47 先勝(甲午) 旧暦 3/11 月齢 9.9
>
> 山口百恵 さよならの向こう側 結婚式翌日放送 結婚式映像+思い出の場面付き '80 11 20
> http://www.youtube.com/watch?v=xpkXuFfvl6E
>
> > げじげじを叩き潰して読書中
>
> 毒蛇を輪切りにしてや読書中
>
> ニシキヘビは輪切りにして味噌汁にいれると出汁、肉とも最高だとか

蛇ものはロゴスに詳しいから、ロゴス的に理解するには、蛇も役に立つ

大蛇は小蛇よりももっとおいしい

> 毒蛇はどうかね?
>
> 蝮が食えるんだから、問題なからう


毒蛇は痺れるくらい、妄想ももうよくよく痺れるくらいよく理解できる



> > > > > 年年歳歳弱りゆく力で、秋の蝶とわが身が重なる

だから、大蛇でも毒蛇でも、この世の蛇の知恵に満ち満ちた世界を理解するには役に立つ

而して、理解に役に立ったからとて、おのが命の肥やしになるか、ちうとそうはいかぬ

むしろ、いのちには毒

毒も使いようだから、微毒にして薬として使えば、つかえぬもんでもなく、外部からの救いにもならう

それが、自己治癒力、生きる力を活性化させる機縁になることもある

> > あ、いっけねえ、入歯を入れ忘れた、でもね、歯垢とポケットの検査、清掃ならば入歯はなくてもよかろう
> >
> > みなさま、そうおっしゃいます、せっかくきれいにしたもらった歯でごはんを食うのも、もったいない

> > 八幡神社、長いお祈りの若い女
> >
> > なんのお願いをしたんだらう
> >
> > 父母が離婚でもめているんです
> >
> > ぢゃあ、仲裁してあげませう
> >
> > いらぬお世話です

まあ、そんなもんでせう

父にして主にしてキリストにして絶対者にして、超越者にして、超越的他者にして・・際限がない

母、マリア、父なるもんが厳罰を下し地獄におちたもんを救い上げるマリアさま


而して、マリア信仰は潜在的健在的、ああ、顕在的に「存在」しようとも「異端」として排除されてきた歴史もある

さういえば、思い出してきたぞ

ナザレ人の二コラ・マダニ―(クリスチャン)が、あなたをわれらがプリンスにしてあげると・・

して。地中海、欧州に散在しているパートナー役員めぐりの旅の初っ端

モハメッド・カマール(カリール・ヌバーニPLDivGMと同格にMechanicalDivGM、二人ともモスレム)に案内されてベイルート

血涙のマリア像

宗教にちんぷんかんぷんな日本人にはなんの感慨もなかった

果樹園の丘に登って、カマール引退の暁の果樹園の斜面の平和な景色の向こう側の市街地に大きな煙が上り立ち、ややあって、轟音が響いてくる


ベイルート市内を自動小銃を構えた兵士の間を縫って、ハチの巣にされた砲弾の穴だらけのCAT本部ビル、この地下室に籠って凌いでマダニ―は数か月行方不明になったこともあった

山上のブスタンホテル、それこそ其処彼処遺骸残骸で生首がこおろがっていたところは回避

守衛に守られた敬礼のゲートをくぐって山の麓から登っていく

これは誰それ、あれは誰それ、だんだん屋敷が立派になってくる

天辺近くになってくるとパートナーやプリンス各位のとても立派なお屋敷

プリンスは廃墟と化したベイルートに学校や教会を寄付しまくった

もともとベイルート空港がCATのプライベート空港なんだから、あたりまえか

でも、おおかたのパートナーはパリに移転してしまった

まあ、いまから思えば、典型的なあの秩序

さて・・

山から下りて、みんな仲良く暮らしているベイルートの下町の一郭に滞在場所を確保

>
> まだ日が高いから、ちょっと寄り道図書館
>
> 若松君の「霊性の哲学」「池田晶子」
>
> これの読後感想は別途にして

幾許かはじめてしまったが・・

> ブルクハルトは「である」止め、定言命令はない
>
> 思い返せば
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
>
> [54868] つねに他者のまなざしを意識していうから己自身が徹底しない オットーにしてもデリダにして、他者まるだしで、多謝 あの定言命令絶叫の秘密がまるだしだ、尻尾が観得て多謝、他者 これはどういうことかね? ああいう彷徨が咆哮になって言葉が権力に化す そういう実態において「政治」や「共同体」へ身を挺す ご冗談でしょ? 鼠君もこのエピゴーネンかもしれない Re:[54867] 棒でぶん殴って目を覚ませてあげたいが、時空の彼方だから、そうもいかぬ 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/03/23(Wed) 16:07
>
> 草刈りの草もろともに這える蛇
>
>
> てめえらでつくりあげた絶対他者への絶対信仰
>
> これらの心根、信仰、態度、が、まさに絶叫的な
>
> なになにではなく。そうではなくて
>
> ・・・ねばならない
>
> とかのもろもろの絶叫と命令をうみだすのね
>
> そんなに息張るなよ
>
> といっても、デリダは砂漠の彷徨をして
>
> もう言説もぐじゃぐじゃ、愚者、愚者とはいわんも、ぐぢゃぐぢゃ
>
> じぐざぐ、ジグザグ、あっちへふらふら、こっちへふらふら
>
> 云うそばから否定して、それをまた否定して、脱構築だか、解体構築
>
> その行為そのものが、デリダで、おれは「現象学徒」なんだと鼠君のようにはいわんも
>
> だうも、くえませぬ
>
> まず、美しくない、身にもならねば、実にもならん
>
> かたっぱしから脱構築して、ぢゃあ、一神教のあの猛進にして妄信を脱構築でけているか?
>
> ぜんぜん、できていません
>
> あいかわらず、あっちへふらふら、こっちへふらふら
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★


> それにしても若松君の「霊性の哲学」「池田晶子」における若松言説も
>
> なになにではない。そうではなくて
>
> ・・・ねばならない
>
> とかのもろもろの絶叫と命令、まことに定言命令が多く、臭い
>
> 臭いが臭いなりに見どころもある

ロゴス信奉者がロゴスを語ればそれなりにロゴス的には見所もある、参考になる

なるが、臭い

畢竟、絶対他者、超越者、そういうものが降ってこようが、沸いてこようが、畢竟他化した対象の超越者で、それがキリストであらうとマリアであらうと、西田の「場」であり、フィールドであらうと、さしたる差はない

だから、若松君の大好きで慄きを感じなければ絶対者からの視線で若松君を垂直に見下して云えば

まんだ、まんだよ、若松君、門前の小僧

ふらふらふらふらしちょる、門前まできておるが、君は絶対者でもなく、これからもありえん

キリストやマリアの仮面を暴いても、この絶対者がいる

この絶対者のコトバ、ロゴスというのは、妄想のもとだ

そこを覚って、超越も絶対もロゴスも卒業せんば、門のなかには入れんぞよ


やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54896] 素晴らしいね、「イタリア・ルネッサンスの文化」といいつつ、これはなにもイタリア・ルネッサンスばかりではなく、古代から現代まで、また世の東西に通じる言説であって、その統治機構、機構に群がる人物、詐欺、犯罪、宗教、ほら吹き、芸術、それらの彫琢が生き生きとしてまことに秀逸Re:[54894] 狛犬は高麗犬で、もともと高句麗の犬、みんな狼 それがよ、今ぢゃ、みんな、あのおとなしい狛犬になりさがってみちゃあおれん そんでよ、あの兜太の狼は狼めいて、なんの肉も霊もあらへん、たんだの狼の剥製、毛皮 そこへ蛍一匹ついていたところで、話にもならんわね、秩父の人々は可哀そうだ そこえいくってえと、やっぱ、八王子の三橋の狼には霊がみちみちているね、 満ち満ちて道々蜘蛛を葬る 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/13(Wed) 22:27  

さちよみたANNEX−Ω   訪問者数:11803327(今日:592/昨日:1640)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/13(Wed) 2:44

さちよみた?

野村ぢゃあるまいし

Moser51SLX/SpoxDuraAce8sWL水天碑46km/23.3km/h

堤桜は1割花9割葉

水門桜5:5葉

山桜のはうがもちはよいようだ

普通に走っていると稲城大橋の三角地帯先の下水事業所公園から飛び出してきたスタイルの良いライダー君が前を飛ばす

飛ばすのをこっちも飛ばして追い抜き、また普通の巡航速にもどれば

また別のらしい良きスタイルのライダー君が追い抜く、また追い抜き返す

是政橋の土手下のガタガタ、速度をゆるめれば、そのままゆるめず、すっとんでいく良きスタイル2人

巡航、巡航で、府中公園人混みを抜けて、右側をこんだあ、ひょろいのんが両手離しにケータイで右を追い抜く

追い抜き返して

そんな乗り方すんぢゃあ、ねえよ

だいたい、ああいう乗り方をするんのんは、まあ、驕り昂ったへなちょこライダー

あぶね〜じゃ、ねえか

こんだあ、ケータイをしまって腰を振ってライダー君がまた右

追い越させない、すぐ諦めて、どうもまたあとをつけてくる気配

後ろは振り向かない

振り向く趣味がない

前をみていても、うしろの気配はわかる

腰も振らない

みっともない

美学

うしろでぼそぼそ、追い越させねえ気らしい

さあ、さあ、四谷橋も過ぎ、途の最期の凸凹もすぎ、ここからはやや下りのラスト数百m

また、腰を振り振り、二人が右を追い抜く

巡航モードからギヤダウンしてまた抜き返そうとした、二人で横に並んで邪魔

どけ!というのも、なんだし、おもわず、ワァオー!

もう二人とも吃驚ギックギクで腰を浮かし、車体を左右に振って必死の逃げモード

その後ろを追って、また後ろからのこりの集団が追い抜いていく

高校生か大学生か

見送って巡航にもどると、またまた追いつく

君たち、傲慢はいかんよ、若くして傲慢なもんは、伸びぬ

みっともない逃げ方をして逃げきれてもみっともないでしょ

わかる?

わかりませ〜ん

> ほえかほのANNEX−Ω   訪問者数:11799379(今日:1615/昨日:702)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/11(Mon) 11:47 先勝(甲午) 旧暦 3/11 月齢 9.9

山口百恵 さよならの向こう側 結婚式翌日放送 結婚式映像+思い出の場面付き '80 11 20
http://www.youtube.com/watch?v=xpkXuFfvl6E

> げじげじを叩き潰して読書中

毒蛇を輪切りにしてや読書中

ニシキヘビは輪切りにして味噌汁にいれると出汁、肉とも最高だとか

毒蛇はどうかね?

蝮が食えるんだから、問題なからう

おっと、また入歯を忘れて豚肉を食ってしまった

こんなことしているとまたブリッジ崩壊で、廃品回収を儲けさせるだけ

くわばら、くわばら

桑原くんちうのんもおったが、杉本君がここずっとお休み

貫井女史曰く、あんたいえがちかいんだらちょとみてきて

ちょっと見に行く、坂の下、農家の納屋が杉本家

?ジフテリア!

消毒の真っ最中

病院?野村病院へ行った

まもなく、死んだ

当時は、こういうことも多かった

夏休みがいわっても登校しない

多摩川の砂利穴に嵌っていた水死体

よく生き残ったものだ

学校の図書室の本はあらかたよんじゃったという石田君

おにぎり頭に重心の低い構え

警察署の柔道場に毎日通って、石田赤帯、われは白帯

おれんちへきてくれ

いってみると、親戚の医院の庭の一郭の納屋の三角屋根うらに壁もなく土間を見下ろす屋根中段が石田の居処

ここで本が読めるの?

うん、うん、とものすごい速度で読んで、図書館ロシア系はもう全部読了、いま欧米系もほぼ読了

すごいね、すごいね、中学3年生

なにを間違えたか、立高受験で失敗して、その後行方不明

再開は道玄坂

駒場から渋谷に向かうに道玄坂を下っていると、登ってくる石田

お〜い、久しぶり!

いい女だろ、いつでもわけてあげるから・・

それっきり

さぞかしインテリヤクザになったんであらうね

あいつは、どこにいっても、芽が出る、くいっぱぐれっこない

浜田君、綽名ははんぺん

後頭部がまっ平で頭がハンペン

読本も読めぬ、かけっこも歩く

でもね、社会人になって背広でネクタイ、どっかの金融公庫勤めで、立派な会社員、御慶

そうそう、土曜の朝の歯科行きがけに、まずは墓参りで水換えて、坂をのぼってお茶屋の大きな硝子戸のなかで、日向ぼこのお婆さん、行き過ぎて戻れば、硝子戸の中から挨拶


ここは平田さんですか?

平田さんはお隣り、87歳で亡くなりました

盛一さんは?

うらにいます

お姉さんは?

結婚して隣のマンション

その奥のお医者さんがいたでしょう?

57歳でなくなりました、奥さんと娘さんが整体看板の裏にいます

東大の助教授だった?

そうそう、優秀なお医者さんでしたが、娘さんが自殺して

さうか、さうか、だんだん、わかってきたぞ

なに?

お婆さん、おいくつ?

93歳

あれ!とても、とても、そうわみえない、うちの母は87歳で逝しましたが、それからみれば67歳くらいにみえますね

あら、やだ、ありがとう

歯医者の予約がありますから、これで失礼・・

うむ、なんだかんだ、よく思い出すね

> 金曜日、翌日の歯科訪問に備えてもう1週間も換えていないバスタブ
>
> 底に此処に抜け毛やゴミが舞っているとろんとした湯
>
> 脳梗塞で半身不随になって、自分の身体も思うように洗えない
>
> さういう悲惨に比して、いまだに頭に手が届き、指で頭皮を掻ける
>
> なんとありがたいことよ
>
> 一週間に2回の風呂
>
> 老人病院、精神病院、さういうところは、週2回
>
> なれば、予行演習で週2回の風呂
>
> とてもぢゃないが、やっちょれん
>
> 週4回に増やして2回は湯舟に漬かるだけ
>
> まあ、まあか、それでも、快適とはいえぬ
>
> もっとも、身体を石鹸で洗うのも、めんどう
>
> めんどうなれば、湯舟に漬かって、老臭の脂を幾許か、熱い湯に溶かしてあがる
>
> きっと身体にはいろんな付着物、抜け毛、肛門のティッシュの破片、ゴミ、その他もろもろがあって湯に溶け、溶けぬものは湯中を浮遊、あるいは底に沈む
>
> それを1週間ぶりに栓を抜いて湯を抜く
>
> その湯舟の縁に老眼では黒い点、よくみれば蜘蛛
>
> 蜘蛛は殺していけません、ゴキブリの幼虫も食べてくれるのです
>
> なれば、蜘蛛は大切にせねば
>
> 湯舟を洗うシャワーの冷水
>
> その幾許かで蜘蛛を追い払おうとしてシャワーの端の弱い水勢をかける
>
> ピクと動くが、べつに逃げもしない
>
> それもよかんべと洗ったタブの底の栓をしてわすれてしまった

忘れてしまったが、思い出した黒揚羽、秋の蝶

> > > > はりいにわANNEX−Ω   訪問者数:10268532(今日:629/昨日:1539)2016/11/03(Thu) 20:52 先勝(己丑)文化の日 旧暦 10/4 月齢 3.4
> > > >
> > > > Flow My Tears - soprano ( Dowloand )
> > > > http://www.youtube.com/watch?v=7IXuQS0qx-E
> > > >
> > > > CerbimuV/RacingTripple48/25.5+CinelliSuperCorsaUlte10s74/26.0=122km
> > > >
> > > > 朝長袖で走って11時前から天気晴朗、やや暑く、帰宅すて珈琲煙草を喫しながら、まういつぶり?ケルビムは7月23日以来、血練ならぬチネリに至っては・・享年ならぬ去年20150623青梅街道で従妹の歯医者の初診予行演習で都内まで走って帰りは小平霊園で野川の源流のみなもとを尋ねて80kmか、厄年半ぶりにてば、玄関前のベランダの手摺ちうても幅は20cmもあらうかちうアルミ板の上に、

うむ、まう6年前になるのね、思い出す

翅を拡げてなんだか喘ぎ気味のKアゲハ蝶、気の蝶なれば命短し断末魔かと思えど、黒手袋の指を伸ばせば蝶も橙色の蜜吸い管をするすると指先にのばしてくる、ふむ、これは黒アゲハのハンガーノックか、晩秋、初冬なれば花々もすくなく、墓への供花も種類が限られすいませんねといつも農家の奥さんが云う季節なれば、今際の際のKアゲハは人間のやうに口を利くこと、手を伸ばすこともでけんば、蜜吸い管を伸ばしてきたその蝶人の貴重なる交流、手を伸ばし指を伸ばしても逃げることなくむこうから握手ならぬ握管か、一旦は鍵をかけた玄関をあけて土足でどんどん、蜂蜜を持ち出してきて、黒アゲハの眼前に一滴。

> > > > 蜂蜜を吸うて羽ばたく秋の蝶

羽ばたけど力至らずして飛び立てぬ、それにすても効果覿面で、蜂蜜へあの橙色のくるくる発条めたチューブをのばして数秒で、開いた翅はすぼまりはじめ、それでもぴたと閉まるまではいたらず、また開いて閉じてだんだんその速度が速くなるも、一向に飛び立つ様子もなく、飛び立てず、揚句の果てに蜂蜜溜まりのアルミ板上からずり落ちてその下の壁をずるずる途中で止まって・・

いけねえ、蜂蜜は濃いし粘度が高いから、チューブが詰まったか、はたまた老母の最期にも似て水、水と云っておる気配で、慌ててチネリからカンパボトルを取りだし、黒アゲハの壁の上手から乳首からたらたらと真水を垂らしてあげるとこれを美味そうにあの橙管を伸ばして摂取し、また一層羽ばたくも壁を飛び立つ力もなく壁にしがみついたまんまで・・

> > > > あれま、まう12時10分前ぢゃ、こっちゃもハンガーノックになってはかなわんわんと後ろ髪ひかれる思いでチネリを乗りだし、観音さまに報告すたのちイカと野菜盛りだくさんの焼きそば、ひさしぶりに韮の辛さを堪能し・・

あの蝶は無事飛び立ったのであらうか

かえってくれば、姿は消えていた

弔いも葬りもせずに

> > > > 2016年10月・・2208km
> > > > 2016年累計・・19382km(10月末現在)
> > > >
> > > > 去年2015年10月は2538km
> > > > 10月末現在累計は25756km

ふ〜む

2021年合計 23749km/12ヶ月=1979km/月

して今年2022年累計4月13日現在1551km/4.5ヶ月=+345km/月

すっかす、そのうち、974kmは1月で、Annex復帰後の2〜4月は177kmOnlu/3.5ヶ月=51km/月平均、寂しいね、弱るね

> > > > 年年歳歳弱りゆく力で、秋の蝶とわが身が重なる。

> あ、いっけねえ、入歯を入れ忘れた、でもね、歯垢とポケットの検査、清掃ならば入歯はなくてもよかろう
>
> みなさま、そうおっしゃいます、せっかくきれいにしたもらった歯でごはんを食うのも、もったいない
>
> われら子供時代は野蛮な歯科医、なんでも削って抜いてしまう
>
> だから、中年、老年になって架けられたブリッジ
>
> 聖フランシスコの金門橋
>
> 貴金属の塊の3本の歯に掛かった金のブリッジ
>
> ぬいちゃった、とれちゃった、と患者が云えば、しめしめと医療費とは別に廃品回収
>
> けっこう、毛だらけ、貴金属の廃品回収で2重に儲かる
>
> 垢の他人を儲けさせるのも、業腹だから、歯科医はもっぱら親戚へ
>
> そういえば、むっかし、郷原さんという人がいた
>
> 大黒寿司、ランチ握り890円、お客さんが増えてきたねえ
>
> ちょっと、お待ちを、のちょっとの間に中杉通を歩いて下る
>
> 鰻蒲焼の旗がひらめく魚屋のケースの中には魚はゼロ
>
> 隆すしもシャッター、シャッターが圧倒的に多いなかで、開いているのは医院とドコモ、AUなどのケータイばっか
>
> 疲弊してるね、どこもかしこも
>
> 能登桜、花2割葉っぱが8割の葉桜
>
> 葉隠れか
>
> 鷺ノ宮
>
> 平目板、あいかわらずやっているようだ
>
> ひらめかないねえ
>
> 八幡神社、長いお祈りの若い女
>
> なんのお願いをしたんだらう
>
> 父母が離婚でもめているんです
>
> ぢゃあ、仲裁してあげませう
>
> いらぬお世話です

まだ日が高いから、ちょっと寄り道図書館

若松君の「霊性の哲学」「池田晶子」

これの読後感想は別途にして

ブルックハルト「イタリア・ルネッサンスの文化」上下

ヘイドン・ホワイト「メタヒストリー」

この読み残した第6章「ブルクハルトーー風刺劇としての歴史的リアリズム」を読む

ショーペンハウエルの濃厚な影響下のペシミズム、

ニーチェは卒業したが、ブルクハルトは最後まで卒業しなかった、と

まあ、それより、注目したのは、ホワイトも見るべきところをみている

ブルクハルトは「である」止め、定言命令はない

思い返せば

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

[54868] つねに他者のまなざしを意識していうから己自身が徹底しない オットーにしてもデリダにして、他者まるだしで、多謝 あの定言命令絶叫の秘密がまるだしだ、尻尾が観得て多謝、他者 これはどういうことかね? ああいう彷徨が咆哮になって言葉が権力に化す そういう実態において「政治」や「共同体」へ身を挺す ご冗談でしょ? 鼠君もこのエピゴーネンかもしれない Re:[54867] 棒でぶん殴って目を覚ませてあげたいが、時空の彼方だから、そうもいかぬ 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/03/23(Wed) 16:07

草刈りの草もろともに這える蛇


てめえらでつくりあげた絶対他者への絶対信仰

これらの心根、信仰、態度、が、まさに絶叫的な

なになにではなく。そうではなくて

・・・ねばならない

とかのもろもろの絶叫と命令をうみだすのね

そんなに息張るなよ

といっても、デリダは砂漠の彷徨をして

もう言説もぐじゃぐじゃ、愚者、愚者とはいわんも、ぐぢゃぐぢゃ

じぐざぐ、ジグザグ、あっちへふらふら、こっちへふらふら

云うそばから否定して、それをまた否定して、脱構築だか、解体構築

その行為そのものが、デリダで、おれは「現象学徒」なんだと鼠君のようにはいわんも

だうも、くえませぬ

まず、美しくない、身にもならねば、実にもならん

かたっぱしから脱構築して、ぢゃあ、一神教のあの猛進にして妄信を脱構築でけているか?

ぜんぜん、できていません

あいかわらず、あっちへふらふら、こっちへふらふら

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

この蛇めいた言い方がないだけでも、良い

それで、そのブルクハルトの言説の幾許かを「イタリア・ルネッサンスの文化」上下で確かめてみた

素晴らしいね、「イタリア・ルネッサンスの文化」といいつつ、これはなにもイタリア・ルネッサンスばかりではなく、古代から現代まで、また世の東西に通じる言説であって、その統治機構、機構に群がる人物、詐欺、犯罪、宗教、ほら吹き、芸術、それらの彫琢が生き生きとしてまことに秀逸

「世界史的考察」はあいかわらずない、リクエスト中

それにしても若松君の「霊性の哲学」「池田晶子」における若松言説も

なになにではない。そうではなくて

・・・ねばならない

とかのもろもろの絶叫と命令、まことに定言命令が多く、臭い

臭いが臭いなりに見どころもある

> 汗を流さんと、午後の一睡のまえに、どぼん
>
> みれば、湯舟の端に黒い点、見開けば蜘蛛が仰向けにひっくり返って手足を縮めている
>
> 抜け毛、抜け歯、少しづつ死んでいく、死期が刻一刻
>
> そんなことは言わないでくださいよ、まだまだお元気です、歯科衛生士の言葉を思い出す
>
> 思い出しても、厳然として死んでいく、垢、垢もまたわが生きる身体から離れた去った屍
>
> ならば、蜘蛛の屍も我が屍と一緒に葬ってあげませう
>
> ドレイン、下水溝の網に引っ掛かった抜け毛の黒が垢の白にまみれて、それを一掴み
>
> 蜘蛛も人掴み
>
> まとめて、洗面台のよこの袋へ葬った
>
>
>
> 日曜喜多八
>
> ひいふうみいよお、わるいね、これからくるので、いっぱいで、ごめんね
>
> いえいえ、富士のご来光の額付きのお返しに酔芙蓉のニコンFを差し上げるといってもう、20年を過ぎる
>
> 先客万来、御慶、御慶
>
> 多賀神社
>
> あの八王子の千貫神輿のおやしろ
>
> 根瘤の立派な欅の迫力に押されて門で下車、立て掛け、本社へ歩く
>
> あれ、狛犬が、左右に2頭づつ
>
> 参拝して改めて狛犬をみる
>
> 新しい狛犬のうしろに古い狛犬がいる
>
> 新しい狛犬はどこでもみられる、九谷焼の狛犬めいて、背を真っすぐ、あるいは反らしてでんと座っている
>
> ところが、古い狛犬は、これは狼だ!
>
> 古色蒼然とした身体の彼方此方が割れ欠けて、下あごも外れて欠損
>
> その貌の風情が荒まじく、背は、怒った猫の背のごとく、盛り上がり
>
> 座るともいえぬその座法は、尻と下肢はいかにも大地すれすれに浮き上がり、いまにも飛び掛からんというその姿勢、表情、風貌
>
> 写真をとってあげよう
>
> いっけねえ、ケータイを忘れてきた
>
> そんでよ、多賀神社のあれ見た?
>
> さうだったかね、気が付かなった、そんなもんがあったかね
>
> それがよ、狛犬は高麗犬で、もともと高句麗の犬、みんな狼
>
> それがよ、今ぢゃ、みんな、あのおとなしい狛犬になりさがってみちゃあおれん
>
> そんでよ、あの兜太の狼は狼めいて、なんの肉も霊もあらへん、たんだの狼の剥製、毛皮
>
> そこへ蛍一匹ついていたところで、話にもならんわね、秩父の人々は可哀そうだ
>
> そこえいくってえと、やっぱ、八王子の三橋の狼には霊がみちみちているね、
>
> 満ち満ちて道々
>
> と小一時間たっぷり演説をぶって
>
> これ、もっていきなよ、狼がたっぷり
>
> 「続々山がたり」斐太猪之介 文芸春秋 昭和47年=1972年 を恵まれた
>
>
>
>
>
>
>
>
>
>
>

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54895] 「存在」を論ぜす 自己の「存在」への懐疑、不安、否定 して、自己投影妄想の神を「絶対存在」化して その「絶対存在」化された神、「創造主」の神をもって人間をつくり、その神がまた人間に投影される、妄想の妄想の自己「存在」 呵々大笑 んったく何をしちょんのんや、古来以来現代魔でRe:[54892] 其処彼処いろいろあらあね 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/13(Wed) 13:39  

みあぬぬくANNEX−Ω   訪問者数:11803012(今日:277/昨日:1640)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/13(Wed 11:27 先負(丙申) 旧暦 3/13 月齢 11.9

Barry White Bullet
http://www.youtube.com/watch?v=gpXUY-9I8j8

> らえくあろANNEX−Ω   訪問者数:11796157(今日:613/昨日:2044)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/09(Sat) 08:22 大安(壬辰) 旧暦 3/9 月齢 7.9 上弦
>
> 其処彼処遺骸残骸春廃墟
>
>
> 過剰と欠乏

で、此処は?

> 零

他人ごとなのですね

そんな、こともあるまい

此処彼処遺骸残骸春廃墟

> 博覧強記と狂乱惹起

げじげじを叩き潰して読書中

読書で出くわした累々の景色

あるいは

体験で出くわした累々の景色

> 狭覧弱記

蛇の言説

> 柵と自由

自由からの逃走の奴隷的自由

> 霊

やだね、霊とさへ言いたくない

でも、言葉だからね

言わざるを得ない

> 此処



言わざるを得ない

> 昨日と明日

時の分節

分節といえば真田虫

節節で切れればまたなが〜い真田虫が再生

復活

貫井春子先生、あの小学校5〜6年の頭を毎日叩きつづけたあのオールドミスは初島からやってきた

肛門検査、蟯虫の群れ、虫下し

其処此処に溜池

糞尿の溜池に蛇を泳がせ、叩き潰す

土手下の白蛇に大石を落とす

蛇と真田虫

蛇はぶった切れば再生はしない

分別

蛇にも真田虫にも脚はない

げじげじは脚だらけ

擬人化の対象にするには欠格

蛇も真田虫も失格

猫は合格、ライオンも獅子も合格

龍も合格

でもね、蛇と回虫は失格

みみずは?

蚯蚓は、蛇や真田虫ほどの嫌味はないが、やっぱ、失格

蚯蚓がよく干からびているね

みみずは水

もっと水なのはなめくじ

蛞蝓が舐めちまうのよ唐辛子

中神殿,新田

唐辛子を舐めちまった蛞蝓はだう味わったのであらうか

蛞蝓もさぞ辛からう唐辛子

> 今日

永遠

言わざるを得ない

> 凶と吉

蜘蛛、擬人化合格

最近、女郎蜘蛛に出会わない

> 混沌と秩序

此処彼処遺骸残骸春廃墟

> 奴隷と権力

逃亡奴隷と仮面紳士

此処彼処遺骸残骸春廃墟

> いろいろあらあね

検めて察察

> > > > > 蛇が群れてひっ絡まって生殖するわけか
> > > > >
> > > > > 喩法
> > > > >
> > > > > 人類最大の喩法は人間が自己を投影した神を妄想の果てに肥大化させて「絶対他者」にして人間から引き離し、大蛇にして悪魔にまで仕立てあげてしまったことはないか
> >
> > 人類最大の喩法は人間が自己を投影した神を妄想の果てに肥大化させて「絶対他者」にして対象化したこと

加えて己が尻尾を噛む蛇

「存在」を論ぜす

自己の「存在」への懐疑、不安、否定

して、自己投影妄想の神を「絶対存在」化して

その「絶対存在」化された神、「創造主」の神をもって人間をつくり、その神がまた人間に投影される、妄想の妄想の自己「存在」

呵々大笑

んったく何をしちょんのんや、古来以来現代魔で

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54894] 狛犬は高麗犬で、もともと高句麗の犬、みんな狼 それがよ、今ぢゃ、みんな、あのおとなしい狛犬になりさがってみちゃあおれん そんでよ、あの兜太の狼は狼めいて、なんの肉も霊もあらへん、たんだの狼の剥製、毛皮 そこへ蛍一匹ついていたところで、話にもならんわね、秩父の人々は可哀そうだ そこえいくってえと、やっぱ、八王子の三橋の狼には霊がみちみちているね、 満ち満ちて道々蜘蛛を葬る 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/11(Mon) 12:58  

ほえかほのANNEX−Ω   訪問者数:11799379(今日:1615/昨日:702)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/11(Mon) 11:47 先勝(甲午) 旧暦 3/11 月齢 9.9



げじげじを叩き潰して読書中

金曜日、翌日の歯科訪問に備えてもう1週間も換えていないバスタブ

底に此処に抜け毛やゴミが舞っているとろんとした湯

脳梗塞で半身不随になって、自分の身体も思うように洗えない

さういう悲惨に比して、いまだに頭に手が届き、指で頭皮を掻ける

なんとありがたいことよ

一週間に2回の風呂

老人病院、精神病院、さういうところは、週2回

なれば、予行演習で週2回の風呂

とてもぢゃないが、やっちょれん

週4回に増やして2回は湯舟に漬かるだけ

まあ、まあか、それでも、快適とはいえぬ

もっとも、身体を石鹸で洗うのも、めんどう

めんどうなれば、湯舟に漬かって、老臭の脂を幾許か、熱い湯に溶かしてあがる

きっと身体にはいろんな付着物、抜け毛、肛門のティッシュの破片、ゴミ、その他もろもろがあって湯に溶け、溶けぬものは湯中を浮遊、あるいは底に沈む

それを1週間ぶりに栓を抜いて湯を抜く

その湯舟の縁に老眼では黒い点、よくみれば蜘蛛

蜘蛛は殺していけません、ゴキブリの幼虫も食べてくれるのです

なれば、蜘蛛は大切にせねば

湯舟を洗うシャワーの冷水

その幾許かで蜘蛛を追い払おうとしてシャワーの端の弱い水勢をかける

ピクと動くが、べつに逃げもしない

それもよかんべと洗ったタブの底の栓をしてわすれてしまった

あ、いっけねえ、入歯を入れ忘れた、でもね、歯垢とポケットの検査、清掃ならば入歯はなくてもよかろう

みなさま、そうおっしゃいます、せっかくきれいにしたもらった歯でごはんを食うのも、もったいない

われら子供時代は野蛮な歯科医、なんでも削って抜いてしまう

だから、中年、老年になって架けられたブリッジ

聖フランシスコの金門橋

貴金属の塊の3本の歯に掛かった金のブリッジ

ぬいちゃった、とれちゃった、と患者が云えば、しめしめと医療費とは別に廃品回収

けっこう、毛だらけ、貴金属の廃品回収で2重に儲かる

垢の他人を儲けさせるのも、業腹だから、歯科医はもっぱら親戚へ

そういえば、むっかし、郷原さんという人がいた

大黒寿司、ランチ握り890円、お客さんが増えてきたねえ

ちょっと、お待ちを、のちょっとの間に中杉通を歩いて下る

鰻蒲焼の旗がひらめく魚屋のケースの中には魚はゼロ

隆すしもシャッター、シャッターが圧倒的に多いなかで、開いているのは医院とドコモ、AUなどのケータイばっか

疲弊してるね、どこもかしこも

能登桜、花2割葉っぱが8割の葉桜

葉隠れか

鷺ノ宮

平目板、あいかわらずやっているようだ

ひらめかないねえ

八幡神社、長いお祈りの若い女

なんのお願いをしたんだらう

父母が離婚でもめているんです

ぢゃあ、仲裁してあげませう

いらぬお世話です

汗を流さんと、午後の一睡のまえに、どぼん

みれば、湯舟の端に黒い点、見開けば蜘蛛が仰向けにひっくり返って手足を縮めている

抜け毛、抜け歯、少しづつ死んでいく、死期が刻一刻

そんなことは言わないでくださいよ、まだまだお元気です、歯科衛生士の言葉を思い出す

思い出しても、厳然として死んでいく、垢、垢もまたわが生きる身体から離れた去った屍

ならば、蜘蛛の屍も我が屍と一緒に葬ってあげませう

ドレイン、下水溝の網に引っ掛かった抜け毛の黒が垢の白にまみれて、それを一掴み

蜘蛛も人掴み

まとめて、洗面台のよこの袋へ葬った



日曜喜多八

ひいふうみいよお、わるいね、これからくるので、いっぱいで、ごめんね

いえいえ、富士のご来光の額付きのお返しに酔芙蓉のニコンFを差し上げるといってもう、20年を過ぎる

先客万来、御慶、御慶

多賀神社

あの八王子の千貫神輿のおやしろ

根瘤の立派な欅の迫力に押されて門で下車、立て掛け、本社へ歩く

あれ、狛犬が、左右に2頭づつ

参拝して改めて狛犬をみる

新しい狛犬のうしろに古い狛犬がいる

新しい狛犬はどこでもみられる、九谷焼の狛犬めいて、背を真っすぐ、あるいは反らしてでんと座っている

ところが、古い狛犬は、これは狼だ!

古色蒼然とした身体の彼方此方が割れ欠けて、下あごも外れて欠損

その貌の風情が荒まじく、背は、怒った猫の背のごとく、盛り上がり

座るともいえぬその座法は、尻と下肢はいかにも大地すれすれに浮き上がり、いまにも飛び掛からんというその姿勢、表情、風貌

写真をとってあげよう

いっけねえ、ケータイを忘れてきた

そんでよ、多賀神社のあれ見た?

さうだったかね、気が付かなった、そんなもんがあったかね

それがよ、狛犬は高麗犬で、もともと高句麗の犬、みんな狼

それがよ、今ぢゃ、みんな、あのおとなしい狛犬になりさがってみちゃあおれん

そんでよ、あの兜太の狼は狼めいて、なんの肉も霊もあらへん、たんだの狼の剥製、毛皮

そこへ蛍一匹ついていたところで、話にもならんわね、秩父の人々は可哀そうだ

そこえいくってえと、やっぱ、八王子の三橋の狼には霊がみちみちているね、

満ち満ちて道々

と小一時間たっぷり演説をぶって

これ、もっていきなよ、狼がたっぷり

「続々山がたり」斐太猪之介 文芸春秋 昭和47年=1972年 を恵まれた










やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54893] それこそ、悪循環にほかならぬRe:[54889] 蛇に知恵をつけられて、アダムは「労働」を「神」から強いられる、アノ妄想 薄馬鹿下郎が蛇を喰うRe:[54886] なんと恐ろしい! 神は人間の体液をすって、他の部分を捨ててしまいます。Re:[54884] 蓋を開けてびっくり玉手箱 濛々と立ち上る毒煙、毒ガス 毒も使いようだから、あの猛毒をもって毒を解析する、さういうツールには毒も使える 使えるものはツールにはなすが、毒思想の枠組み、猛毒の檻は無視Re:[54882] その無罪無垢なるもんが、硬直した蛇と生きた蛇の絡みまくる檻に閉じ込めらているRe:[54881] 毒蛇の巣 安息角 安んじて息をして踏み入れば蟻地獄 蟻さんも餌になってしまう、民主主義にも、似て 絶妙な角度だ 蛇が安息角へ落ちたらどうなるか? 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/10(Sun) 10:44  

> > > > Desperado (2013 Remaster)
> > > > http://www.youtube.com/watch?v=aelpqWEBHR4

> 小蛇どもは徹頭徹尾、蛇なのだ
>
> 人間が人間を投影した神、あの擬人化の神
>
> 而して一神教の神
>
> 神にして悪魔
>
> それを喝破したのんは、ふぉいえるバッハ
>
> そのフォイエルバッハはマルクスに批判され

カール・バルトも「ルードヴィッヒ・フォイエルバッハ」1927(世界思想教養全集21現代キリスト教の思想 河出書房新社S38年=1963年)でフォイエルバッハを批判するが

まったくこれは皮肉にしてバルトにより連綿と綴られたファイエルバッハの言説をもう一度復習するにはもってこいの批判書で

バルトの復讐言説、批判はまるで、こどものわめきにひとしい

曰く、「悪臭をはなつほど卑俗」と・・

自ら「敗北」を宣言しているにもひとしいこの感情的にして非理性的なバルトの叫び

よって来るところを訪ねてみると・・

だうも、かの欧州の大学では、神学部が圧倒的な権威で「存在」しておって、なにかの儀式の序列でも、まずは神学部が先頭、神学部のない学校は「大学」として認められぬ、ほどのものであり

さういう「伝統」のなかで没落させらるる神学部の阿鼻叫喚なのかもしれぬ

さういう神学部的阿鼻叫喚ほど、「悪臭をはなつほど卑俗」なものはない44


> マルクスの思想そのものが、またまた、あの一神教、創世記からハルマゲドン、黙示録、救世主の妄想そのまま
>
> 酔い例が「労働」
>
> 「労働」ちう言葉はやだねえ
>
> 反吐が出る
>
> 蛇に知恵をつけられて、アダムは「労働」を「神」から強いられる、アノ妄想
>
> 「労働」労して働く
>
> なんで人は労して働かなければならんのぢゃろ?
>
> 狩猟縄文時代、農業弥生時代、連綿と下ってアイヌのイヨマンテ
>
> あれは、労して働いたんであらうか?
>
> 引きつけて、己が体験、経験
>
> ことを為せたのは、絶対に労して働いた「労働」ではない
>
> 楽しんで、やらずにはおれぬ、そういう生きる喜びそのもののなかでことがなる

こういう詩があるそうだ、今朝の発見

ロックフェラー86歳のとき自分の生涯を次のような詩で表現した[88]。

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

I was early taught to work as well as play,
My life has been one long, happy holiday;
Full of work and full of play-
I dropped the worry on the way-
And God was good to me everyday.

>
> 事が成る
>
> 子とが成る
>
> 琴が鳴る
>
> 己を狩人、山師、に比したことがあった
>
> あの狩のなんとたのしいことよ、山師の探索、なんとたのしいことよ
>
> 獲物の解体、鉱脈の発掘、なんと楽しいことよ
>
> さういうものをマルクスは聖書に従って苦役となし
>
> その苦役を尊きものとなし、ものを物神化し、拝金主義の蔓延をきたした
>
> そこには、あの妄想の神を物に変え、金に換えただけの話
>
> さういう妄想の枠組み、遺伝から逃れ得ぬ、小蛇ども

> > > > > 考えてみるまでもなく、いまここで生きている世間だって、いうまでもなくかのイスマイル「暗殺団」めいた構造のなかで営んでいる生活
> > > > >
> > > > > 知の構造にしたって、まあ、99%そんなもんであろう
> > > > >
> > > > > 毒されるのね、蛇に
> > > > >
> > > > > だから、蛇が群れて夢にでてくるのも無理はない、所以なしとしない
> > > > >
> > > > > すっかす、ひるがえって、そういう他化した「権力・知・歴史」をさかさまにしてみれば
> > > > >
> > > > > 奴隷宗教、奴隷権力、奴隷知、奴隷歴史の奴隷は一体誰なんぢゃろ
> > > > >
> > > > > 山の老人、権力の中枢
> > > > >
> > > > > それこそ、奴隷の奴隷たるもんではないか?
> > > > >
> > > > > 自己の解放すらでけへんで、ひたすら自己を奴隷化する奴隷宗教、奴隷権力、奴隷知・・
> > > > >
> > > > > 蛇が群れてひっ絡まって生殖するわけか
> > > > >
> > > > > 喩法
> > > > >
> > > > > 人類最大の喩法は人間が自己を投影した神を妄想の果てに肥大化させて「絶対他者」にして人間から引き離し、大蛇にして悪魔にまで仕立てあげてしまったことはないか
> >
> > 人類最大の喩法は人間が自己を投影した神を妄想の果てに肥大化させて「絶対他者」にして対象化したこと
> >
> > Queen - Bohemian Rhapsody (Live Aid 1985)
> > http://www.youtube.com/watch?v=vbvyNnw8Qjg
> >
> > > > > 空
> > > > >
> > > > > 無
> > > > >
> > > > > とは宗教ではなからう
> > > > >
> > > > > 仏教は、人偏にム、と覚、書く
> > > > >
> > > > > ひとで無し
> > > > >
> > > > > ひとでなし
> > > > >
> > > > > 空や無に自己の投影のしようもない
> > > > >
> > > > > 聖も俗もない、空、無
> > > > >
> > > > > それがどうして宗教でありえようか
> > > > >
> > > > > それがどうして哲学でありえようか
> > > > >
> > > > > 有無を論ぜず
> > > > >
> > > > > 即非
> > > > >
> > > > > 一即多
> > > > >
> > > > > これをネットで引くと「いっしょくた」とでてくる
> > > > >
> > > > > なるほど
> > > > >
> > > > > 仏教はひとでなしの宗教で、虚無主義だと蛇の連中は1820年か、仏教がヨーロッパに知られて「誤解」され、その「誤解」もだんだんとけてきたようだが、いまだに虚無と勘違い現象学徒の小蛇もいるようだ

佛が仏へ

佛の人と弗の合一は拝金主義なのか、拝弗主義なのか、拝物主義なのか

(人+弗)。「横から見た人」の象形(「人」の意味)と

「からまるひもを2本の棒でふりはらう」象形(「それらしくありながら、はっきり

見えないさまを表す擬態語」)から、「ほのか」、「かすか」、「ほとけ」を

意味する「仏」という漢字が成り立ちました。

> > > > > 畢竟、あの「暗殺団」のピラミッド、山の老人になれば、ピラミッドの人々の全重量が己が手にかかる
> > > > >
> > > > > その重みに耐えらるか
> > > > >
> > > > > そこで呻吟するのは、奴隷の頂点ではないか
> >
> > 而して悪魔ともなれば、呻吟もせんで、その重みが愉楽、快楽
> >
> > 自分の手に他人さまの運命を握れるのが、こよなく嬉しい

> > > > > 30枚の名刺の肩書のいちいちに自分の人生が引き裂かれて、分刻みのスケジュールでいったいそいつの人生はどこにあるんだろ
> > > > >
> > > > > 卑弥呼だって、だうやって殺されたか
> >
> > 干天も洪水も地震も、なべて、村の、国の不祥事、危機、天災の責任をおっかぶせられて処刑される
> >
> > 現代だって処刑はされんも、地位剥奪
> >
> > 剥奪されんように戦々恐々の日々にして刹那
> >
> > > > > 「暗殺団」の頂点に立ては、世界が暗黒したその責任を取らされるのはだれか
> > > > >
> > > > > その頂点への階段の各位において、その位階を脅かされる
> > > > >
> > > > > それこそ、「おののき」戦々恐々

おののき、戦慄、戦おののき、慄おののく



「先端が両またになっている

はじき弓」の象形と「先端に刃のついた矛(ほこ)」の象形から

「たたかう」を意味する「戦」という漢字が成り立ちました。




「心臓」の象形と「栗のいがのついて

いる木」の象形(「いがのある栗」の意味)から、「いがを見て心の中で

おそれる」、「おそれる」、「おののく」、「ふるえる(戦慄)」を意味する

「慄」という漢字が成り立ちました。

> > > > >
> > > > > それで、人生を全うでけるか
> > > > >
> > > > > ばかやろ〜め!が!
> > > > >
> > > > > 目がどこについておるんぢゃ!
> > > > >
> > > > > 蛇が群れる
> > > > >
> > > > > 蛇だって目がある
> > > > >
> > > > > でもね、巣穴に潜り込む、真っ暗

真っ暗な混沌に堪え得ぬ人間、エリアーデほか、古代より現代まで連綿

玄の又玄

玄が眩になり、眩惑の妄想の虜から、いまだに「解放」されえぬ

「解放」されることが「自由」であって

「解放」される「自由」であることがまた「苦役」であって「労働」であって、それこそ「苦役」にして「労働」であること、奴隷であることこそが、安住という境地

まさに奴隷の自己正当化のロゴスであらうね

己がロゴス妄想の奴隷

己がロゴス妄想を他化して、その「絶対他者」=「神」への妄信と盲従において安堵を見出す奴隷

見出した安堵が、またもや「絶対他者」におののいて、戦慄して、立って祈って、戦う奴隷

奴に隷属する奴隷

奴は神であり、全能なる支配者であり、その奴に隷したがわ「ねばならない」

この支配者に隷属するものは善であり

この支配者に反逆するものは悪である

悪人は支配者によって罰せられなければならない

善人は支配者によって救われる

そこにれいの安倍の「忖度」

みずから、いいこぶる、みずから善を良しとなす、奴隷「道徳」

むかしもいまも同じだね

悪循環

それこそ、悪循環にほかならぬ





やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54892] 其処彼処いろいろあらあね 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/09(Sat) 08:31  

らえくあろANNEX−Ω   訪問者数:11796157(今日:613/昨日:2044)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/09(Sat) 08:22 大安(壬辰) 旧暦 3/9 月齢 7.9 上弦

其処彼処遺骸残骸春廃墟


過剰と欠乏



博覧強記と狂乱惹起

狭覧弱記

柵と自由



此処

昨日と明日

今日

凶と吉

混沌と秩序

奴隷と権力

いろいろあらあね

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54891] ニーチェという霊は零とされ、小蛇どもには喫われず、その体液ロゴスのユーモア、エスプリ、だけをかのキリスト強敵、ああ、キリスト教的魂において見て、その喰いのこしのシカバネをヒトラー、ナチスが喰い漁るRe:[54890] この小林の言説は「十三階段への道」(ニュールンベルぐ裁判)といふ実写映画を見て、ヒトラーの言説、行為、人骨の山を目撃してなした62年前の言説にして いままさに、プーチンの悪魔への論断に通じる その根っこに聖書を観てるいるところは、流石だとおもう 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/08(Fri) 08:08  

あらてへふANNEX−Ω   訪問者数:11794970(今日:1470/昨日:840) 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/08(Fri) 06:44 仏滅(辛卯) 旧暦 3/8 月齢 6.9

仏滅

いいね、やるきがでる

> あくなうすANNEX−Ω   訪問者数:11793357(今日:697/昨日:1499) 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/07(Thu) 19:47
>
> 花片ひとひら猫の眠りへ落ちゆけり 梵
>
> ち〜ちゃん
>
> にゃあぉ 

これを忘れちゃ遺憾
La Califfa - Yo Yo Ma ( Ennio Morricone )
http://www.youtube.com/watch?v=a0TM4eshYFw

今朝はベランダまで花弁がとんできていて、明るい朝の陽ざしの向こうで戻ってきたか、新しく生まれた鶯か、笹啼きと成鶯の中間の鳴き声が聞こえてくる

> 午後は風がでて玄関前に桜の花びらが散り敷いている
>
> これどお?
>
> うまい!
>
> 臭くない?
>
> うまい!
>
> 羊なの
>
> あ、そお、牛肉よりうまい、うまいが弾力があるから入歯が浮く
>
> 入歯噛まないでね
>
> 入歯のない、反対側のブリッジでしっかり噛んで入歯へうつす
>
> よく野菜へ羊の味が染みているね
>
> 羊飼い
>
> 砂漠

このイメージもまことに聖書的であって、言いたいことは多々あるが、他日に譲って・・

> Master X Light Colnago DuraAce9s 喜多八999円から古書肆

先週の明日ね

今週の明日は入歯の手入れ、ポケット検査へいかねばならんが、一向にコロナがおさまらぬ

> 〆て800円 小塩節「ファウスト ヨーロッパ的人間の原型」日本YMCA同盟出版部 1972年 1800円を500円

これはお勧め、フェリス女学院の院長だったらしい栗栖スちゃんで、クリスチャンであるが、広範な知識と智慧をもっておって、まことに楽しくかつ参考になる

冒頭の「ヨーロッパ的人間の原型」の象徴のゲーテ・ファウストの言葉は圧巻

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

全人類に与えられたものを、

私はわが内なる自我のうちに味わおう、

わが精神をもって最高最深のものをつかみ、

全人類の幸福と苦悩をわが胸に積みかさね、

こうしておのれ自身の自我を人類の自我にまでおし拡げ、

そして人類同様、ついに私自身も滅びよう。

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

「ここにあるのは、私たち東洋のはてに住む日本人の目で冷静に見たとき、巨大としか言いようのない、「自我」の賛歌である。自分自身の自我(英語のセルフ、独語のゼルプストSelbst)が関心のまとであり、世界の中心である。・・・この精神は、世界の一部となって安んずることをしない。この生命は自我から生まれ、自我のうちにあり、自我そのものである。そして精神は「意志する」精神である。」とつづく

「人類が歴史のおわりに滅亡を予定されているのと同じように、破滅の運命がこのわれの自我を待っている。・・・・悲劇の中心には、いつも、ひとりの人間の栄光と悲惨がある。」云々

> 鴎外全集 第4巻 第16巻 @弐選千円岩波書店x2冊+ゲルハルト・ヴェール著児島洋訳「Martin Buber」理想社1972年600円を200円/3冊=@66円
>
> ゲルハルト・ヴェール著児島洋訳「Martin Buber」を選ぶ前に
>
> ゾッキコーナーの「考へるヒント」小林秀雄 昭和39年 岩波書店 600円
>
> を手に取ったが、うちさにあったやうな・・と「Martin Buber」を選んだ
>
> 「Martin Buber」も一神教ぢゃねえか、敬虔なユダヤ教徒ぢゃねえか
>
> とはいえ、いくら一神教で敬虔なユダヤ教徒であらうと、良いものは良い
>
> 共感共振がある「我と汝」
>
> 霊において霊を語るもの、ロゴスにおいてロゴスを語る蛇とは雲泥の差
>
> それはともかく
>
> あったはずの「考へるヒント」小林秀雄 昭和39年 岩波書店 600円がやっぱりあった
>
> もろもろ鴎外全集はWってしまったが、目に付いた古いもんも引きずりおろして
>
> 安倍公房「砂漠の思想」1965年 講談社 800円 →100円一新堂書店、これはもうなくなってしまった笹塚か?
>
> この初っ端が期せずして「蛇」3題、おもしろいが今は、ばかにされきった小林秀雄
>
> 青空文庫にあれば全文を引用したいが、残念ながら、ない
>
> しからば、幾許を華、最後の華だけを・・昭和35年=1960年5月


「ヒットラーと悪魔」の断章
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
>
> もしドストエフスキーが、今日、ヒトラーをモデルとして「悪霊」を書いたとしたら、と私は想像してみる。彼の根本の考えに揺ぎがあらう筈はあるまい。やはり、レギオンを離れて豚の中に這入った、あの悪魔の物語で小説を始めたであらう。そして、彼はかう言ふでであらうと想像する。
>
> 悪魔を矛盾した経済機構の産物だとか一種の精神障礙だとか考へて済ませたい人は、済ませてゐるがよからう。しかし、正銘の悪魔を信じてゐる私を侮ることはよくない事だ。悪魔が信じられないやうな人に、どうして天使を信ずる力があらう。諸君の怠惰な知性は、幾百萬の人骨の山を見せられた後でも、「マイ・カンプ」に怪しげな逆説を読んでゐる。福音書が、怪しげな逆説の塊集としか映らぬのも無理のない事である、と。
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

またヒトラーは「プロパガンダの力としか、凡そ言葉といふものを信用しなかった。・・彼は実行を離れた単なる意見など抱いてゐたのではない。・・・人間は獣物だという彼の人性原理・・・獣物とは何をおいても先づ自分自身だといふ事だ。」

> まだまだ、最初のはうから引用したいのだが、「労働」すんのもやだから、さわりだけにしておく

悪魔で行動、あくまで行動

ここに、かの小蛇どもが、ニーチェの体液を吸って、おお、繰り返せば

而して小蛇においては霊は観えぬ、その退役、体液=ヒューマニティ=人間性=ユーモアをすって、他の部分を捨ててしまいます。

その他の部分、つまり屍の身体をヒットラーは貪るのだ

ニーチェという霊は零とされ、小蛇どもには喫われず、その体液ロゴスのユーモア、エスプリ、だけをかのキリスト強敵、ああ、キリスト教的魂において見て、その喰いのこしのシカバネをヒトラー、ナチスが喰い漁る

> この小林の言説は「十三階段への道」(ニュールンベルぐ裁判)といふ実写映画だ。を見て、ヒトラーの言説、行為、人骨の山を目撃してなした62年前の言説にして
>
> いままさに、プーチンの悪魔への論断に通じる

小林は「ソヴィエトの旅」でいう

「キエフに、ロシアと呼ばれる最初の国家が出来たのだが、これは、スカンジナビアの隊商、隊商と言っても、その頃は無論軍隊であるが、この風俗も言語もまるで違ふ異国の占領によって成立するので、ロシア国民の中から生れた国家ではありません。」昭和38年=1963年



司馬遼太郎「ロシアについて」でいう昭和61年=1986年

「九世紀になってやっとウクライナのキエフの地に、ロシア人の国家(キエフ国家)ができた・・・キエフ国家の場合も、ロシア人が自前でつくったのではなく、他から国家をつくる能力のある者たちがやってきたのです。‥海賊を家業としていたスウェーデン人・・・海から川をさかのぼって内陸にはいり、先住していたスラブ農民を支配して国をつくった・・・彼らはビザンチンの文化を導入し、やがて農民たちを帰依させることで、統御しました。」云々 昭和61年=1986年


> その根っこに聖書を観てるいるところは、流石だとおもう


こういうロシア民族、スラブ人の名称の由来はスレイブ、つまり奴隷の名詞がそのまま民族名になったとは、かのローマ人物語も塩野七生であっただろか。あの地域からは、ローマ帝国においてもひっきりなしに奴隷としてスラブ人が連行されたものだ。

さて、井筒、以下は以前にここに掲げたものであるが、この原型は「露西亜文学」の付録の「ロシアの内面生活ー19世紀文学の精神史的展望」は昭和23年=1948年『個性』(思索社)所収論文とある

井筒の言説は小林に比して15年、遼太郎に比して38年も早い、たいしたもんだね。

[54821] 井筒の華麗なる文体によるロシア史にしてロシア精神史、黙示録にしてそのメシア的思想と実践の記述 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/03(Thu) 10:15

はのきむもANNEX−Ω   訪問者数:11747356(今日:517/昨日:2163)梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/03(Thu) 09:28 友引(乙卯) 旧暦 2/1 月齢 0.4 新月 朔

見開けば花に埋もるる棺の中

防人の詩 ナターシャ・グジー / Sakimori no Uta by Nataliya Gudziy
http://www.youtube.com/watch?v=8dUOGXII_jk

凍結の大地爆転宙返

無月にして朔月、事態は好転するのであらうか?

サクサクとページを繰ってみると現今のコメンテーター諸君、あるいはホワイトハウス、プーチンの精神状態まで病気の亢進とか訳がわかないとか

さういう中で微象なるもロシアの歴史に言及してその民族性の根底にふれたコメントはかのトルコ人がでていた、さすがに韃靼人の裔

して、その韃靼人に「師事」してアラビア語のみならずその記憶力、積分力なども受け継いだ井筒俊彦

井筒俊彦著「ロシア的人間」中公文庫 M401

著者の序に昭和28年1月1日とある、1953年、67年前の言説にして全く今現在に通じる

その幾許かを引用したい、プーチンが狂っているとか、わけがわからないとかいうむきのコメンテイター諸君もこのくらいの見通しをもってコメントしてほしい

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

ロシアは「最高の原理」を奉持する地上唯一の民族国家であって、やがてロシアが中心となって世界は救済されるだろうというこの特徴ある思想ーーーというより幻想ーーーをロシア人が抱くようになったのは韃靼人時代に続くモスコウ時代のことであった。

この民族主義・国家主義的な世界救済のメシア思想を理解することは、ロシア文学のみならず一般にロシア的現象というもの正確に解釈する上にきわめて大切である。

韃靼人の支配下にあった三百年間が、ロシア民族にとって屈辱と苦悩の受難時代であり、この三百年の間にロシア人が「虐げられた人々」として次第に黙示録的幻想を抱くようになった精神史的過程を私は前章に説いたが、その後の続いた二百年のモスコウ時代も、またそれとは形態の違う奴隷時代であり、この時代に黙示録的精神はいよいよ決定的な形をとって結晶した。・・・

韃靼時代の苦しみの間、蛮族の圧政下にあえぎつつ、ロシア人達が渇望したものは「ロシア人のロシア」ということだった。

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

こうして井筒の華麗なる文体によるロシア史にしてロシア精神史、黙示録にしてそのメシア的思想と実践の記述はそのロシア的統一、モスコウ公国、「第三のローマ」、「神聖ロシア」、「第三インターナショナル」、ソ連と受け継がれていくロシアの底流にある精神の発現としての皮相としてあらわれる政治形態,政権、文学、音楽を縦糸横糸として華麗なる綾を展開していく。

皮相の歴史ではえられぬ、はたまた皮相なる国際関係、パワーバランスなんぞというもんの根底にあるものを、ある種、預言者的に喝破しているこの67前の言説はモッカのTVなんぞ消して目を見開く価値があらう

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54890] この小林の言説は「十三階段への道」(ニュールンベルぐ裁判)といふ実写映画を見て、ヒトラーの言説、行為、人骨の山を目撃してなした62年前の言説にして いままさに、プーチンの悪魔への論断に通じる その根っこに聖書を観てるいるところは、流石だとおもう 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/07(Thu) 20:44  

あくなうすANNEX−Ω   訪問者数:11793357(今日:697/昨日:1499) 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/07(Thu) 19:47

花片ひとひら猫の眠りへ落ちゆけり 梵

ち〜ちゃん

にゃあぉ 

午後は風がでて玄関前に桜の花びらが散り敷いている

これどお?

うまい!

臭くない?

うまい!

羊なの

あ、そお、牛肉よりうまい、うまいが弾力があるから入歯が浮く

入歯噛まないでね

入歯のない、反対側のブリッジでしっかり噛んで入歯へうつす

よく野菜へ羊の味が染みているね

羊飼い

砂漠

Master X Light Colnago DuraAce9s 喜多八999円から古書肆

〆て800円 小塩節「ファウスト ヨーロッパ的人間の原型」日本YMCA同盟出版部 1972年 1800円を500円



鴎外全集 第4巻 第16巻 @弐選千円岩波書店x2冊+ゲルハルト・ヴェール著児島洋訳「Martin Buber」理想社1972年600円を200円/3冊=@66円

ゲルハルト・ヴェール著児島洋訳「Martin Buber」を選ぶ前に

ゾッキコーナーの「考えるヒント」小林秀雄 昭和39年 岩波書店 600円

を手に取ったが、うちさにあったやうな・・と「Martin Buber」を選んだ

「Martin Buber」も一神教ぢゃねえか、敬虔なユダヤ教徒ぢゃねえか

とはいえ、いくら一神教で敬虔なユダヤ教徒であらうと、良いものは良い

共感共振がある「我と汝」

霊において霊を語るもの、ロゴスにおいてロゴスを語る蛇とは雲泥の差

それはともかく

あったはずの「考えるヒント」小林秀雄 昭和39年 岩波書店 600円がやっぱりあった

もろもろ鴎外全集はWってしまったが、目に付いた古いもんも引きずりおろして

安倍公房「砂漠の思想」1965年 講談社 800円 →100円一新堂書店、これはもうなくなってしまった笹塚か?

この初っ端が期せずして「蛇」3題、おもしろいが今は、ばかにされきった小林秀雄

青空文庫にあれば全文を引用したいが、残念ながら、ない

しからば、幾許を華、最後の華だけを・・昭和35年=1960年5月

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

もしドストエフスキーが、今日、ヒトラーをモデルとして「悪霊」を書いたとしたら、と私は想像してみる。彼の根本の考えに揺ぎがあらう筈はあるまい。やはり、レギオンを離れて豚の中に這入った、あの悪魔の物語で小説を始めたであらう。そして、彼はかう言ふでであらうと想像する。

悪魔を矛盾した経済機構の産物だとか一種の精神障礙だとか考へて済ませたい人は、済ませてゐるがよからう。しかし、正銘の悪魔を信じてゐる私を侮ることはよくない事だ。悪魔が信じられないやうな人に、どうして天使を信ずる力があらう。諸君の怠惰な知性は、幾百萬の人骨の山を見せられた後でも、「マイ・カンプ」に怪しげな逆説を読んでゐる。福音書が、怪しげな逆説の塊集としか映らぬのも無理のない事である、と。

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

まだまだ、最初のはうから引用したいのだが、「労働」すんのもやだから、さわりだけにしておく

この小林の言説は「十三階段への道」(ニュールンベルぐ裁判)といふ実写映画を見て、ヒトラーの言説、行為、人骨の山を目撃してなした62年前の言説にして

いままさに、プーチンの悪魔への論断に通じる

その根っこに聖書を観てるいるところは、流石だとおもう







やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54889] 蛇に知恵をつけられて、アダムは「労働」を「神」から強いられる、アノ妄想 薄馬鹿下郎が蛇を喰うRe:[54886] なんと恐ろしい! 神は人間の体液をすって、他の部分を捨ててしまいます。Re:[54884] 蓋を開けてびっくり玉手箱 濛々と立ち上る毒煙、毒ガス 毒も使いようだから、あの猛毒をもって毒を解析する、さういうツールには毒も使える 使えるものはツールにはなすが、毒思想の枠組み、猛毒の檻は無視Re:[54882] その無罪無垢なるもんが、硬直した蛇と生きた蛇の絡みまくる檻に閉じ込めらているRe:[54881] 毒蛇の巣 安息角 安んじて息をして踏み入れば蟻地獄 蟻さんも餌になってしまう、民主主義にも、似て 絶妙な角度だ 蛇が安息角へ落ちたらどうなるか? 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/07(Thu) 14:48  

> > > Desperado (2013 Remaster)
> > > http://www.youtube.com/watch?v=aelpqWEBHR4
> > >
> > > > ををすれのANNEX−Ω   訪問者数:11788352(今日:238/昨日:1098) 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/04(Mon) 08:47 赤口(丁亥) 旧暦 3/4 月齢 2.9
> > > >
> > > > 花蕾これは普賢か楊貴妃か   梵

> > ここ数日は蛇の夢ばかりみている
> >
> > 小蛇が群れているのは、かのフランス腐乱す蛇の群れで
> >
> > 今朝なぞは大蛇の頭が迫ってきて、これは恐竜に似ているなあ
> >
> > というところで目が覚めたが、べつに怖かったわけではない
> >
> > 蛇は大嫌いだ
> >
> > むっかし、むっかし
> >
> > 陶陶酒の役員に案内されて、研究所だか工場だかに行って、蛇の群れをみた
> >
> > もう、大量、大勢の蛇が檻では逃げ出してしまうから、あれはガラスのケースだったか群れ絡まってにょろにょろ
>
> これはケースなんてなまやさしいもんぢゃなくて床から天井まで一面の硝子張でそこに群れる蛇
>
> すっかす、陶陶酒ならぬ、あの松の山温泉の夏祭り、雪を後生大事にとっておいて、雪を積み上げた広場の中で火を焚いて、その火に焙られた蝮
>
> なまのマムシの瓶詰、まむし酒もあるが、一番よく効くのは、なんちゅうても焙り蝮
>
> 串に刺されて、あたかも閻魔か、一ツ橋の紋章のやうに、剣に蛇がからまる
>
> あれが商科大学の紋章、やっぱす、蛇ちうもんは、商科取引契約の象徴なんぢゃろかね
>
> 医学でも蛇が象徴のやうだ
>
> その蛇、焙られて串刺しになったもんを喰えば、こりゃあ、痺れる、効果覿面
>
> だから、21世紀のいまでも籠を背負ってまむし獲にいそむ
>
> して、風景、風景、思想の風景にして、歯槽膿漏、志操呪う
>
> 硬直した蛇、それが十字架のように縦横に組み合わされている檻
>
> その檻の一本一本の蛇、縦、横の棒蛇に柔らかい生きた蛇の群れが絡みつく
>
> なんか腐乱巣の思想の風景
>
> その檻の中には誰が閉じ込められているのか
>
> 原罪も知らぬ、無垢にして、無罪の生きた人間
>
> その無罪無垢なるもんが、硬直した蛇と生きた蛇の絡みまくる檻に閉じ込めらている
>
> 叡智から観れば、そういう風景ね
>
> 蛇の知でもって、閉じ込められて苦悶する無知なる人間

尾崎豊 − 僕が僕であるために
http://www.youtube.com/watch?v=1m8KITldcG0

> 蛇も神も消え失せよ
>
> 無になれ!
>
> といったとたん、檻の中の人間が空になる
>
> アダムはどこへいった?
>
> アダムはここにいる
>
> 空にして無知にして叡智に満ちたアダムがここにいる
>
> 宗教とは、思想とはそうありたいもんだね
>
> ぢゃなくんば、いつまでたっても、戦争だらうよ
>
> 口先で停戦、平和を唱えても、いつまでたっても対象化した知をもって、絶対他者を立てて、てめえの守護神を立てまくって、はてはてめえが神にして救世主と勘違いして、戦争を繰り返す
>
> あのナポレオン、ナポレオンに先立つギロチン腐乱巣革命、そのまえの宗教戦争、ばかぢゃねえのんか、宗教改革が改革にもなっていない、狭い檻の中での殺し合い、そして、ナチス、ネオナチから解放を唱える救世主ロシアのウクライナ侵攻、いつまでたっても、これだ!
>
> いいかげんに馬鹿たれめ!目を覚ませ!
>
> どこまで蛇の知の虜なんぢゃ
>
>
>
>
> > なんで蛇がこんなに大量にでてくるのか
> >
> > 眼前に
> >
> > デリダの「死を与える」「言葉にのって」
> >
> > ジル・ドゥルース「ニーチェ」
> >
> > J・デリダ、G・ドゥルース、J=F・リオタール P・クロソウスキー「ニーチェは今日?」

散歩道に小蛇が群れて何かを喰い漁ってる

大蛇、巨大にして強大な蛇がその、その

なんと恐ろしい! 小蛇は大蛇の体液をすって、他の部分を捨ててしまいます。

そして大蛇の霊が濛々と立ち昇る

畢竟、その大蛇の霊は零位において観れば、霊に大蛇も仏陀もない

而して小蛇においては霊は観えぬ、その退役、体液=ヒューマニティ=人間性=ユーモアをすって、他の部分を捨ててしまいます。

なぜか?

小蛇どもは徹頭徹尾、蛇なのだ

人間が人間を投影した神、あの擬人化の神

而して一神教の神

神にして悪魔

それを喝破したのんは、ふぉいえるバッハ

そのフォイエルバッハはマルクスに批判され

マルクスの思想そのものが、またまた、あの一神教、創世記からハルマゲドン、黙示録、救世主の妄想そのまま

酔い例が「労働」

「労働」ちう言葉はやだねえ

反吐が出る

蛇に知恵をつけられて、アダムは「労働」を「神」から強いられる、アノ妄想

「労働」労して働く

なんで人は労して働かなければならんのぢゃろ?

狩猟縄文時代、農業弥生時代、連綿と下ってアイヌのイヨマンテ

あれは、労して働いたんであらうか?

引きつけて、己が体験、経験

ことを為せたのは、絶対に労して働いた「労働」ではない

楽しんで、やらずにはおれぬ、そういう生きる喜びそのもののなかでことがなる

事が成る

子とが成る

琴が鳴る

己を狩人、山師、に比したことがあった

あの狩のなんとたのしいことよ、山師の探索、なんとたのしいことよ

獲物の解体、鉱脈の発掘、なんと楽しいことよ

さういうものをマルクスは聖書に従って苦役となし

その苦役を尊きものとなし、ものを物神化し、拝金主義の蔓延をきたした

そこには、あの妄想の神を物に変え、金に換えただけの話

さういう妄想の枠組み、遺伝から逃れ得ぬ、小蛇ども

> > ミシェル・フーコー「言葉と物」「自己のテクノロジー」「1926^84 権力・知・歴史」

徹頭徹尾他化して対象化のフーコー

考古学なんぞせんでも、妄想に気が付けば、考古学そのものが成立しない

そもそもの知の枠組みが、妄想の血の枠組み

その痴の枠組みのなかで知の考古学

痴呆の血の考古学をやれ!



> > ほか、例のW・ジェイムス、オットー、エリアーデ、ハイデッガー、云々

フッサールからハイデッガー、それから云々

あの思想の変遷は笑ひ転げるばかり

呵々大笑

700年前の日本を20世紀のヨーロッパが今頃になっておっかけ、おっかけともおもわぬ、にょにょろ、蛇ののたくり

Rod Stewart - I Don't Want To Talk About It (from One Night Only! Live at Royal Albert Hall)
> http://www.youtube.com/watch?v=w46bWxS9IjY

畢竟、現代になってもあのてーどなんぢゃっけん、そりゃ、それらのエピゴーネンは痴れちょるわいの

まったく悪魔の毒を脱皮でけておらん

あのオットーで古代からの毒が一層濃縮され

その猛毒を連綿とのみつづける

いやさ、毒ガスめいて吸わされる

蛇の知でもって、閉じ込められて苦悶する無知なる人間

尾崎豊 − 僕が僕であるために
http://www.youtube.com/watch?v=1m8KITldcG0


> > 牧野が井筒がオットー、エリアーデに言及せんのんは、血肉に化したからか
>
> 若松英輔ね、牧野ぢゃない、牧口でもない
>
> 嗚呼、若松はうちのそばの蕎麦屋だった
>
> 岩松英輔「井筒俊彦 叡智の哲学」慶応大学出版会
>
> 岩松英輔ね、御免

小蛇の羂索はせんのんぢゃが・・

昨日、初めて検索をしてびっくり

> 嗚呼、若松はうちのそばの蕎麦屋だった

の若松だったねの

若松英輔「井筒俊彦 叡智の哲学」慶応大学出版会

もう、御免、御免の重箱をささげて

拝顔すれば、お若いがええ顔をしている

柔和

凝り固まっていない

> まう、耄碌した脳みそでは、みそくそ一緒

それに比して、某の脳みそは凝り固まっていて

> > といっておって、某もそうかもしらん、と思ったが
> >
> > 蓋を開けてびっくり玉手箱
> >
> > 濛々と立ち上る毒煙、毒ガス
> >
> > 毒も使いようだから、あの猛毒をもって毒を解析する、さういうツールには毒も使える
> >
> > 錬金術師、化学者の知恵
> >
> > 井筒にしても、あの西欧思想の根源、一神教の猛毒の解析にこの毒を使ったまでの話であって
> >
> > 毒煙を立ち昇せる、逆上せるオットーにもエリアーデにも、その思想の根底、枠組み、さう云うもんを忌諱したんではなかろうか
> >
> > すくなくとも某は忌諱する

に対して

若松は井筒がオットー、エリアーデに言及せんのんは、血肉に化したからか、というが

なんで、若松はさういうんだろ?

ネットで検索して、その謎が、てえした謎ではねえが、溶けた

若松は「キリスト」ちうような著作もあるようで、やはりあの宗教者なのね

東工大の教授もやっていたやうだが、東工大ちうのんはクリスチャンの教授が多いね

八木、久松へのインタビューで呻吟した八木、あれもクリスチャン

遡れば、伊藤整、あれもクリスチャンだったか

『イカルス失墜』椎の木社、1933年(短編集) のち新潮文庫
『街と村・生物祭・イカルス失墜』講談社文芸文庫、1993年

も、また読んでみたい

それはともかく、若松もクリスチャンゆえにオットーやエリアーデの臭さ、毒への気づきがなかったのでないか

それにしても、斎藤鼠くんに比して秀逸な井筒の読みではあった

斎藤鼠くんも、ついでに検索してみた

あの、顔、どっかで見た、どこだらう?



> > 使えるものはツールにはなすが、毒思想の枠組み、猛毒の檻は無視
> >
> > 檻から放たれ、洟垂れ小僧の風景はこんなもんか
> >
> > Charles Aznavour - La bohème (Official Lyrics Video)
> > http://www.youtube.com/watch?v=fVfnEyLOkrM
> >
> >
> >
> > > > もう、積まれているものは蛇ばっかなのね
> > > >
> > > > 考えてみるまでもなく、いまここで生きている世間だって、いうまでもなくかのイスマイル「暗殺団」めいた構造のなかで営んでいる生活
> > > >
> > > > 知の構造にしたって、まあ、99%そんなもんであろう
> > > >
> > > > 毒されるのね、蛇に
> > > >
> > > > だから、蛇が群れて夢にでてくるのも無理はない、所以なしとしない
> > > >
> > > > すっかす、ひるがえって、そういう他化した「権力・知・歴史」をさかさまにしてみれば
> > > >
> > > > 奴隷宗教、奴隷権力、奴隷知、奴隷歴史の奴隷は一体誰なんぢゃろ
> > > >
> > > > 山の老人、権力の中枢
> > > >
> > > > それこそ、奴隷の奴隷たるもんではないか?
> > > >
> > > > 自己の解放すらでけへんで、ひたすら自己を奴隷化する奴隷宗教、奴隷権力、奴隷知・・
> > > >
> > > > 蛇が群れてひっ絡まって生殖するわけか
> > > >
> > > > 喩法
> > > >
> > > > 人類最大の喩法は人間が自己を投影した神を妄想の果てに肥大化させて「絶対他者」にして人間から引き離し、大蛇にして悪魔にまで仕立てあげてしまったことはないか
>
> 人類最大の喩法は人間が自己を投影した神を妄想の果てに肥大化させて「絶対他者」にして対象化したこと
>
> Queen - Bohemian Rhapsody (Live Aid 1985)
> http://www.youtube.com/watch?v=vbvyNnw8Qjg
>
> > > > 空
> > > >
> > > > 無
> > > >
> > > > とは宗教ではなからう
> > > >
> > > > 仏教は、人偏にム、と覚、書く
> > > >
> > > > ひとで無し
> > > >
> > > > ひとでなし
> > > >
> > > > 空や無に自己の投影のしようもない
> > > >
> > > > 聖も俗もない、空、無
> > > >
> > > > それがどうして宗教でありえようか
> > > >
> > > > それがどうして哲学でありえようか
> > > >
> > > > 有無を論ぜず
> > > >
> > > > 即非
> > > >
> > > > 一即多
> > > >
> > > > これをネットで引くと「しっしょくた」とでてくる
> > > >
> > > > なるほど
> > > >
> > > > 仏教はひとでなしの宗教で、虚無主義だと蛇の連中は1820年か、仏教がヨーロッパに知られて「誤解」され、その「誤解」もだんだんとけてきたようだが、いまだに虚無と勘違い現象学徒の小蛇もいるようだ
> > > >
> > > > 寒山拾得
> > > >
> > > > ひさしぶりに鴎外全集@66円で
> > > >
> > > > 肩書を並べまくる役人がくると笑い転げて逃げてしまう
> > > >
> > > > 30枚の名刺を並べる元大蔵事務次官へ以来色眼鏡をかけ帽子をかぶったようなもんだ
> > > >
> > > > 結社という結社から逃げまくったようなもんだ
> >
> > これも檻から放たれ、洟垂れ小僧の風景はこんなもんか
> >
> > 地上の星 / 中島みゆき [公式]
> > http://www.youtube.com/watch?v=v2SlpjCz7uE
> >
> > > > 畢竟、あの「暗殺団」のピラミッド、山の老人になれば、ピラミッドの人々の全重量が己が手にかかる
> > > >
> > > > その重みに耐えらるか
> > > >
> > > > そこで呻吟するのは、奴隷の頂点ではないか
>
> 而して悪魔ともなれば、呻吟もせんで、その重みが愉楽、快楽
>
> 自分の手に他人さまの運命を握れるのが、こよなく嬉しい
>
> 欲望、満たされぬ欲望を叶えておくれ、この死の瀬戸際に
>
> 聖書をおちょくりまくった、アイロニーの極致のカーネギー小ホールでみたポルノの古典
>
> さう、オイルショックの最中の1973年、その数十年してマンハッタンまたいってこれのフルビデオも入手、でも一回もみていない、しまい込みの悲劇
>
> The Devil in Miss Jones 1973 - Original Soundtrack - Alden Shuman (Full Album)
> http://www.youtube.com/watch?v=pQf8Cef5oR8
>
> > > > 30枚の名刺の肩書のいちいちに自分の人生が引き裂かれて、分刻みのスケジュールでいったいそいつの人生はどこにあるんだろ
> > > >
> > > > 卑弥呼だって、だうやって殺されたか
>
> 干天も洪水も地震も、なべて、村の、国の不祥事、危機、天災の責任をおっかぶせられて処刑される
>
> 現代だって処刑はされんも、地位剥奪
>
> 剥奪されんように戦々恐々の日々にして刹那
>
> > > > 「暗殺団」の頂点に立ては、世界が暗黒したその責任を取らされるのはだれか
> > > >
> > > > その頂点への階段の各位において、その位階を脅かされる
> > > >
> > > > それこそ、「おののき」戦々恐々
> > > >
> > > > それで、人生を全うでけるか
> > > >
> > > > ばかやろ〜め!が!
> > > >
> > > > 目がどこについておるんぢゃ!
> > > >
> > > > 蛇が群れる
> > > >
> > > > 蛇だって目がある
> > > >
> > > > でもね、巣穴に潜り込む、真っ暗
> > > >
> > > > 嗅覚も発達しているか
> > > >
> > > > 臭いで獲物をかぎ分ける
> > > >
> > > > 卵が大好き
> > > >
> > > > そういえば、かの津軽の十三湊の神社へ登る荒れ道に竦んでた蛙がごろごろと落ちてきてその先に蛇がいた

斎藤鼠くんも、ついでに検索してみた

あの、顔、どっかで見た、ここだ!

斎藤鼠君の顔は、この蛙玉

蛇に睨まれて、四肢が竦んでごろごろと落ちてきた蛙玉

あれでは、井筒も読めねば、現象学徒も身に着かんべの

力が全く抜けておらん

緊張の極みの連続、他者への嫉妬が顔中に充満

ダメだね

マックス・ピカートならんも


> > > > みんなここにむっかし書いたね
> > > >
> > > > もう、蛙は竦み切って手足も自由に動かぬ一個の蛙玉に化してごろごろ
> > > >
> > > > そこへ通りかかった我に蛙も救われた
> > > >
> > > > もっとも刹那のことゆえ、我去ったあと蛙は蛇の餌食になったかもしれない
> > > >
> > > > 「自己のテクノロジー」自己への配慮、フーコーもわざわざこの国まできて坐禅を組んだようだが、その後の言説をみてみても、毒はぬけておらぬ毒蛇
> > > >
> > > > 毒蛇の巣
> > > >
> > > > 安息角
> > > >
> > > > 安んじて息をして踏み入れば蟻地獄
> > > >
> > > > 蟻さんも餌になってしまう、民主主義にも、似て
> > > >
> > > > 絶妙な角度だ
> > > >
> > > > 蛇が安息角へ落ちたらどうなるか?
> >
> > http://kotobank.jp/word/%E3%83%8E%E3%83%9E%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%BA%E3%83%A0-1576207
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
>
> http://www.sanin.com/site/page/daisen/institution/morinokuni2/communication/tanken/arijigoku/
>
> 一度ハマったら脱出不可能!ありじごくは罠しかけの名人です。
> 大きな顎を瞬間的にのけぞらして土を放り投げると細かい粒は手前に落ち、大きな粒は遠くまで飛びます。つまり、アリジゴクの中心には細かい砂ばかりになるということ。細かい砂の方が、より急なアリジゴクを作ることができるのです。
>
> それだけではありません。アリが罠にはまると、どんどん砂を投げつけ、アリジゴクから脱出しようとするのを妨害するのです。
>
> なんと恐ろしい!
>
> アリジゴクはアリの体液をすって、他の部分を捨ててしまいます。
>
> ほとんどホラー映画です。
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
>
> ウスバカゲロウが蛇を食べるのか?

薄馬鹿下郎が蛇を喰う

安息角はこちら

粉体工学から見たアリジゴク(蟻地獄)

http://bishogai.com/msand/powder/antlion.html

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54888] 70歳〜 死覚時代始まる ざっとこんなとところだろうか? 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/07(Thu) 10:39  

えなろとまANNEX−Ω   訪問者数:11793021(今日:361/昨日:1499)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/07(Thu) 09:28 先負(庚寅) 旧暦 3/7 月齢 5.9

この日曜の4月3日に笹啼きを始めたうちのそば南東の富士塚の杜の幼鶯、

みるまきくまに歌声も闌けて昨日はまさに百千鳥に交えて成鶯の歌声

けふはあさから聖鳥の静聴にも似て、鶯も百千鳥もまったく聞こえぬ見えぬ

飛び去ったのだらうか

而して静聴してみれば聞こえてくる見てくる「霊の挨拶」ゲーテ即興詩25歳


*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

古城の塔高く

英雄の霊は立ち

船の過ぎゆくのを見て

旅路安かれと祈る。

「見よ、この筋肉はたくましく

心はつよく剛毅だった、

節々には勇者の髄がみち、

満々の盃をひいたものだーーーー


わが半生を嵐のように駆けぬけ

後半生は悠々と過ごした。

おお、そこを行く人間の小舟よ、

たえずやすまず、進みゆけよ」。

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

お〜い!ローソンよ、こっちへ来い

ゆらゆらと小舟は岸に近づき

岸からも小舟が小舟に近づき

あれ、しょうがねえなあ、またメロンパン品切れかよ

ケーキドーナツ4個入 160円

うろうろみれば奥まったメロンパン発見 110円

成分無調整牛乳2本4月16日賞味期限  416円

ぶらぶらレジに戻りかけて月餅 130円

最後にいつも2個を1箱に減らしたケントSスパークメロー 500円 たっけ〜な

合計 1324円(内消費税106円)10%対象500円 8%対象824円

だってさ

12時間ぶりで一服やって、思い浮かべれば

「わが半生を嵐のように駆けぬけ、後半生は悠々と過ごした。」わが人生、共感共振

なれば物差し、天地創生からハルマゲドン、黙示録までの目次をつくってみやう

0〜10歳 銀の天馬の振り子時代

10〜15歳 頭の振り子の石打ち時代

15〜25歳 頭の理覚時代→結核発覚

25〜35歳 結核養生→体の疾風怒濤時代

35〜50歳 体の没落、反比例しての霊覚時代、

50歳〜 霊覚俳句時代始まる Annex始まる

60歳〜 霊覚自転車時代始まる

70歳〜 死覚時代始まる

ざっとこんなとところだろうか?

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54887] さしたるもんぢゃねえけんど・・Re:[54885] のうのうと生きねばならぬ つらいね 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/04(Mon) 18:03  

1984 -Once Upon A Time In America OST - Amapola
http://www.youtube.com/watch?v=4kofkFXgtsU

> > > 「自己のテクノロジー」自己への配慮、フーコーもわざわざこの国まできて坐禅を組んだようだが、その後の言説をみてみても、毒はぬけておらぬ毒蛇
> > >
> > > 毒蛇の巣
> > >
> > > 安息角
> > >
> > > 安んじて息をして踏み入れば蟻地獄
> > >
> > > 蟻さんも餌になってしまう、民主主義にも、似て
> > >
> > > 絶妙な角度だ
> > >
> > > 蛇が安息角へ落ちたらどうなるか?
>
> http://kotobank.jp/word/%E3%83%8E%E3%83%9E%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%BA%E3%83%A0-1576207

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

http://www.sanin.com/site/page/daisen/institution/morinokuni2/communication/tanken/arijigoku/

一度ハマったら脱出不可能!ありじごくは罠しかけの名人です。
大きな顎を瞬間的にのけぞらして土を放り投げると細かい粒は手前に落ち、大きな粒は遠くまで飛びます。つまり、アリジゴクの中心には細かい砂ばかりになるということ。細かい砂の方が、より急なアリジゴクを作ることができるのです。

それだけではありません。アリが罠にはまると、どんどん砂を投げつけ、アリジゴクから脱出しようとするのを妨害するのです。

なんと恐ろしい!

アリジゴクはアリの体液をすって、他の部分を捨ててしまいます。

ほとんどホラー映画です。

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

ウスバカゲロウが蛇を食べるのか?

薄馬鹿下郎が蛇を食べる

そして中毒

それにしても英吉利、仏蘭西、独逸、亜米利加、中国では美国と

まあ、独逸はええにしても、毒国をあてたはうがよかんべ

仏蘭西はやっぱ腐国をあてたはうがよい

英国は?

明治時代のコンプレックスか礼儀かしらんが、紳士的な当て字

して、その英国の思い出、

CBE=Commander of the British Empire ウーヴェ・キッツィンガー

当時オクスフォードのカレッジの学長だったか

日本の海洋開発に興味があるとか

で、海洋開発機構理事長の山下勇んとこへ

わっしゃあ、英語はしゃべれんけん、君通訳してくれ

ずらずらと名刺を並べる

あの高木文雄もそうだった

名刺の中には、いったいこの日本語をどうやって訳せばいいのんか?ちうもんもあって

ろくなやつぢゃないねえ

高木で分割された国鉄のJR東日本の総裁とかもやって、だうしてこの国は、しょもないもんをたらいまわしにして、さうやってつかうんであらうか?

世には素晴らしい人材が仰山おりに、選りにも酔って、三井の御曹司だからか?

智慧はなくても、血があればよろしい

なんか日本の天皇制に似ている

操縦しやすいからね

卑弥呼の弟

持統ほか女帝の影の蘇我氏、藤原氏

明治天皇も昭和天皇もさんざんだったね

軍部に振り回されて

皇居前パレスホテル最上階、クリスタルルームと当時云ったか

新日鉄副社長入江エンジニアリング本部長、鉄鋼海洋事業部長時代から面識があって

さう、1兆円プロジェクト

こっちの主賓はカリール・ヌバー二、CATパイプラインDiv.GMまあ社長

世界パイプラインコントラクター協会会長

して獲物は第2次サウジアラビア横断パイプライン

第1次は3000億円でヌバーニCATがマンネスマンと組んで受注

プライベート飛行機でアルコバールからヌバーニと飛んだ

砂漠のど真ん中の建設現場

これはとても日本人の手には負えない

やはりパイプラインなんぞは、いくら日本の新日鉄だらうがまるごとでけるわけもなく

畢竟、ああいうもんは、大陸民族、遊牧民の仕事なんだね、ということがいやというほどにわかった

それで、パレスホテル

眼下に見下ろす皇居

ま、見下ろす建物はイケマセンから、水平か

昼食をとって一杯やりながら

あれは、動物園です



!!!

しまった、と思った、があとの祭り

一瞬の気色の景色がまた変わって和気あいあい

チャールズからとんでもないもんを思い出してしまった

して、CBE=Commander of the British Empire ウーヴェ・キッツィンガーが離日の際にお礼といって

Woman's Sex

というMrsキッツィンガーの著作本を置いていった

さて、1兆円プロジェクト、ドキドキもせへんが、いろいろとあった

銀座、寿司銀、新日鉄ご用達、安倍がオバマだかトランプをつれていった寿司処

あなご焙ってください

うちにゃあ、焙るあなごなんざ、ねえわい

ギョ!

われらが夫婦が一番若いカウンター

新日鉄が怒った

その言い方はねえだろ

CAT新日鉄JV調印記念の会食で

家内は偽の宝石をちりばめたハンドバックをもらって、我らが主賓

大将見間違ったのね

まあ、そんなことも、あるだんべ

一兆円

そんなに儲けてだうすんの?

トヨタ企画部長の曽山さん、通産の委員会で懇意に

当時、初めてトヨタの経常利益が1兆円に達した

そんなに儲けてだうすんの?

う〜む

返辞に窮する

さうよね、この資本主義、お金の桁数だけはうなぎのぼりで金が増える、資本が増える

それを再投資して、また増える

増やしてどうすんのよ?

う〜む

調布ヶ丘GS

そこを当時の大型メルセデスで小道に入って、Uターンもできない

う〜む、も〜

で、おわり

それよっか、ずっとまえ、1兆円パイプラインよりずっと前

パーレビイランが崩壊して、われを訪ねるものあり

エアリア・マネージャーのアルメニア人から📞で、通してください

話をきくとパーレビ原油をさばいてほしい、と

日量10万バレル

さっそく国際電話📞

ジャパン石油、岩井原油部長

そりゃあ、やばい、殺されるぞ

せっかくの話だけど、殺されるのはやだから、話をふった

当時アブダビナショナル石油、ADNOCへブーズアレンハミルトンからコンサルで来ていた増田

増田なら、CIAもいるから、殺されはせんぢゃろ

その話、こっちによこせ

ぢゃあ、あっちへいってね、1兆円

増田はその後、ブーズアレンから独立してゼロングループを創設して

在外日本人ベンチャーキャピタルの雄となり、ニューヨーク、ロンドン、東京、バミューダに拠点を構え、コンパックコンピュータの起業化、そのコンパックの日本への売り込みに「メガマージャ―」ちう著作本をよこし、そのころは、メガバンクのM&Aで忙しいから、俺と手を組もう、と。

道元坂を上ったところの東京事務所

あの、ニューヨークのマルコスの甥っこのアパートの夥しい美術品彫刻ほどではないが、端々に彫像がたって、美人の秘書がいて、酒は一滴ものまないで、カラオケとジャガーが大好きで、クルマの趣味は大違い

ニューヨークでわがNYUメディカルセンター・ヴェレビューホスピタル時代には増田はコロンビア大学のMBA取得にやってきた

三菱石油の奨学金で

奥さんがヨット、といっても豪華クルザー客船評論家で、その稼ぎで食いつないでMBA取得

とってしまえばこっちのもんとすぐ三菱石油をやめた

このパターンは当時多かった

わが2年ほど後輩で協和発酵に就職したもんもシカゴのMBAを取得に協和発酵に金を出させて、、すぐ退社、そのご経めぐって、モンサントの社長になった

先輩のお陰です、伝ちゃんから先輩を見習えとなんどいわれたか、しれません

とモンサント社長時代に挨拶されても、こちとらしがないサラリーマン

あいつはね、おれが面倒みてあげないと、世間でくっていけなから、わかるだろ?

と伝ちゃん

その、あいつが、地方国立大学の学部長になって、でっけえ顔で

もう、学会なんて、創価学会ぢゃない、生化学会ね、そういう席にむかしの仲間が集まって、みんなでっけえ面しやがって、とはおもえど

役得を利用して、横浜パシフィック国際会議場での総会に地方からやってくる先輩後輩にランドマークタワーホテルの借り上げ分の客室を安く提供してあげた

教室員のパーティ代は割り勘なんてダサいことはせんせん、みんなこっちもちと云おうとしたら、モンサントが全部だした

さしたるもんぢゃねえけんど・・

そんで、なんだったかな?

ああ、1兆円ね

まだまだつづくが、ここらで一服


> チャールズも年が近いから、こういうのをだういう気持ちで聞いていたのだろうか?
>
> と、ひとごとながら、思う
>
> のうのうと生きなばならぬ
>
> つらいね
>
> Elton John - Candle in the Wind/Goodbye England's Rose (Live at Princess Diana's Funeral - 1997)
> http://www.youtube.com/watch?v=1o9rLDCfO6o
>
> Lady Diana - Candle in the wind (Goodbye Englands rose) - Elton John - Lyrics in text
> http://www.youtube.com/watch?v=OefdqK3jKi0
>
> In the loving memory of Lady Diana
>
> Song:
> Candle in the wind (Goodbye Englands rose)
>
> By:
> Elton John
>
> Lyrics..
>
> Goodbye England's rose
> May you ever grow in our hearts
> You were the grace that placed itself
> Where lives were torn apart
> You called out to our country
> And you whispered to those in pain
> Now you belong to heaven
> And the stars spell out your name
>
> And it seems to me you lived your life
> Like a candle in the wind
> Never fading with the sunset
> When the rain set in
> And your footsteps will always fall here
> Along England's greenest hills
> Your candle's burned out long before
> Your legend ever will
>
> Loveliness we've lost
> These empty days without your smile
> This torch we'll always carry
> For our nation's golden child
> And even though we try
> The truth brings us to tears
> All our words cannot express
> The joy you brought us through the years
>
> And it seems to me you lived your life
> Like a candle in the wind
> Never fading with the sunset
> When the rain set in
> And your footsteps will always fall here
> Along England's greenest hills
> Your candle's burned our long before
> Your legend ever will
>
> Goodbye England's rose
> May you ever grow in our hearts
> You were the grace that placed itself
> Where lives were torn apart
> Goodbye England's rose
> From a country lost without your soul
> Who'll miss the wings of your compassion
> More than you'll ever know
>
> And it seems to me you lived your life
> Like a candle in the wind
> Never fading with the sunset
> When the rain set in
> And you footsteps will always fall here
> Along England's greenest hills
> Your candle's burned out long before
> Your legend ever will

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54886] なんと恐ろしい! 神は人間の体液をすって、他の部分を捨ててしまいます。Re:[54884] 蓋を開けてびっくり玉手箱 濛々と立ち上る毒煙、毒ガス 毒も使いようだから、あの猛毒をもって毒を解析する、さういうツールには毒も使える 使えるものはツールにはなすが、毒思想の枠組み、猛毒の檻は無視Re:[54882] その無罪無垢なるもんが、硬直した蛇と生きた蛇の絡みまくる檻に閉じ込めらているRe:[54881] 毒蛇の巣 安息角 安んじて息をして踏み入れば蟻地獄 蟻さんも餌になってしまう、民主主義にも、似て 絶妙な角度だ 蛇が安息角へ落ちたらどうなるか? 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/04(Mon) 16:34  

> > Desperado (2013 Remaster)
> > http://www.youtube.com/watch?v=aelpqWEBHR4
> >
> > > ををすれのANNEX−Ω   訪問者数:11788352(今日:238/昨日:1098) 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/04(Mon) 08:47 赤口(丁亥) 旧暦 3/4 月齢 2.9
> > >
> > > 花蕾これは普賢か楊貴妃か   梵


> > 蛇の知でもって、閉じ込められて苦悶する無知なる人間
>
> 尾崎豊 − 僕が僕であるために
> http://www.youtube.com/watch?v=1m8KITldcG0


> フッサールからハイデッガー、それから云々
>
> あの思想の変遷は笑ひ転げるばかり
>
> 呵々大笑

700年前の日本を20世紀のヨーロッパが今頃になっておっかけ、おっかけともおもわぬ、にょにょろ、蛇ののたくり

Rod Stewart - I Don't Want To Talk About It (from One Night Only! Live at Royal Albert Hall)
http://www.youtube.com/watch?v=w46bWxS9IjY

> 畢竟、現代になってもあのてーどなんぢゃっけん、そりゃ、それらのエピゴーネンは痴れちょるわいの
>
> まったく悪魔の毒を脱皮でけておらん
>
> あのオットーで古代からの毒が一層濃縮され
>
> その猛毒を連綿とのみつづける
>
> いやさ、毒ガスめいて吸わされる
>
> 牧野が井筒がオットー、エリアーデに言及せんのんは、血肉に化したからか

若松英輔ね、牧野ぢゃない、牧口でもない

嗚呼、若松はうちのそばの蕎麦屋だった

岩松英輔「井筒俊彦 叡智の哲学」慶応大学出版会

岩松英輔ね、御免

まう、耄碌した脳みそでは、みそくそ一緒

> といっておって、某もそうかもしらん、と思ったが
>
> 蓋を開けてびっくり玉手箱
>
> 濛々と立ち上る毒煙、毒ガス
>
> 毒も使いようだから、あの猛毒をもって毒を解析する、さういうツールには毒も使える
>
> 錬金術師、化学者の知恵
>
> 井筒にしても、あの西欧思想の根源、一神教の猛毒の解析にこの毒を使ったまでの話であって
>
> 毒煙を立ち昇せる、逆上せるオットーにもエリアーデにも、その思想の根底、枠組み、さう云うもんを忌諱したんではなかろうか
>
> すくなくとも某は忌諱する
>
> 使えるものはツールにはなすが、毒思想の枠組み、猛毒の檻は無視
>
> 檻から放たれ、洟垂れ小僧の風景はこんなもんか
>
> Charles Aznavour - La bohème (Official Lyrics Video)
> http://www.youtube.com/watch?v=fVfnEyLOkrM
>
>
>
> > > もう、積まれているものは蛇ばっかなのね
> > >
> > > 考えてみるまでもなく、いまここで生きている世間だって、いうまでもなくかのイスマイル「暗殺団」めいた構造のなかで営んでいる生活
> > >
> > > 知の構造にしたって、まあ、99%そんなもんであろう
> > >
> > > 毒されるのね、蛇に
> > >
> > > だから、蛇が群れて夢にでてくるのも無理はない、所以なしとしない
> > >
> > > すっかす、ひるがえって、そういう他化した「権力・知・歴史」をさかさまにしてみれば
> > >
> > > 奴隷宗教、奴隷権力、奴隷知、奴隷歴史の奴隷は一体誰なんぢゃろ
> > >
> > > 山の老人、権力の中枢
> > >
> > > それこそ、奴隷の奴隷たるもんではないか?
> > >
> > > 自己の解放すらでけへんで、ひたすら自己を奴隷化する奴隷宗教、奴隷権力、奴隷知・・
> > >
> > > 蛇が群れてひっ絡まって生殖するわけか
> > >
> > > 喩法
> > >
> > > 人類最大の喩法は人間が自己を投影した神を妄想の果てに肥大化させて「絶対他者」にして人間から引き離し、大蛇にして悪魔にまで仕立てあげてしまったことはないか

人類最大の喩法は人間が自己を投影した神を妄想の果てに肥大化させて「絶対他者」にして対象化したこと

Queen - Bohemian Rhapsody (Live Aid 1985)
http://www.youtube.com/watch?v=vbvyNnw8Qjg

> > > 空
> > >
> > > 無
> > >
> > > とは宗教ではなからう
> > >
> > > 仏教は、人偏にム、と覚、書く
> > >
> > > ひとで無し
> > >
> > > ひとでなし
> > >
> > > 空や無に自己の投影のしようもない
> > >
> > > 聖も俗もない、空、無
> > >
> > > それがどうして宗教でありえようか
> > >
> > > それがどうして哲学でありえようか
> > >
> > > 有無を論ぜず
> > >
> > > 即非
> > >
> > > 一即多
> > >
> > > これをネットで引くと「しっしょくた」とでてくる
> > >
> > > なるほど
> > >
> > > 仏教はひとでなしの宗教で、虚無主義だと蛇の連中は1820年か、仏教がヨーロッパに知られて「誤解」され、その「誤解」もだんだんとけてきたようだが、いまだに虚無と勘違い現象学徒の小蛇もいるようだ
> > >
> > > 寒山拾得
> > >
> > > ひさしぶりに鴎外全集@66円で
> > >
> > > 肩書を並べまくる役人がくると笑い転げて逃げてしまう
> > >
> > > 30枚の名刺を並べる元大蔵事務次官へ以来色眼鏡をかけ帽子をかぶったようなもんだ
> > >
> > > 結社という結社から逃げまくったようなもんだ
>
> これも檻から放たれ、洟垂れ小僧の風景はこんなもんか
>
> 地上の星 / 中島みゆき [公式]
> http://www.youtube.com/watch?v=v2SlpjCz7uE
>
> > > 畢竟、あの「暗殺団」のピラミッド、山の老人になれば、ピラミッドの人々の全重量が己が手にかかる
> > >
> > > その重みに耐えらるか
> > >
> > > そこで呻吟するのは、奴隷の頂点ではないか

而して悪魔ともなれば、呻吟もせんで、その重みが愉楽、快楽

自分の手に他人さまの運命を握れるのが、こよなく嬉しい

欲望、満たされぬ欲望を叶えておくれ、この死の瀬戸際に

聖書をおちょくりまくった、アイロニーの極致のカーネギー小ホールでみたポルノの古典

さう、オイルショックの最中の1973年、その数十年してマンハッタンまたいってこれのフルビデオも入手、でも一回もみていない、しまい込みの悲劇

The Devil in Miss Jones 1973 - Original Soundtrack - Alden Shuman (Full Album)
http://www.youtube.com/watch?v=pQf8Cef5oR8

> > > 30枚の名刺の肩書のいちいちに自分の人生が引き裂かれて、分刻みのスケジュールでいったいそいつの人生はどこにあるんだろ
> > >
> > > 卑弥呼だって、だうやって殺されたか

干天も洪水も地震も、なべて、村の、国の不祥事、危機、天災の責任をおっかぶせられて処刑される

現代だって処刑はされんも、地位剥奪

剥奪されんように戦々恐々の日々にして刹那

> > > 「暗殺団」の頂点に立ては、世界が暗黒したその責任を取らされるのはだれか
> > >
> > > その頂点への階段の各位において、その位階を脅かされる
> > >
> > > それこそ、「おののき」戦々恐々
> > >
> > > それで、人生を全うでけるか
> > >
> > > ばかやろ〜め!が!
> > >
> > > 目がどこについておるんぢゃ!
> > >
> > > 蛇が群れる
> > >
> > > 蛇だって目がある
> > >
> > > でもね、巣穴に潜り込む、真っ暗
> > >
> > > 嗅覚も発達しているか
> > >
> > > 臭いで獲物をかぎ分ける
> > >
> > > 卵が大好き
> > >
> > > そういえば、かの津軽の十三湊の神社へ登る荒れ道に竦んでた蛙がごろごろと落ちてきてその先に蛇がいた
> > >
> > > みんなここにむっかし書いたね
> > >
> > > もう、蛙は竦み切って手足も自由に動かぬ一個の蛙玉に化してごろごろ
> > >
> > > そこへ通りかかった我に蛙も救われた
> > >
> > > もっとも刹那のことゆえ、我去ったあと蛙は蛇の餌食になったかもしれない
> > >
> > > 「自己のテクノロジー」自己への配慮、フーコーもわざわざこの国まできて坐禅を組んだようだが、その後の言説をみてみても、毒はぬけておらぬ毒蛇
> > >
> > > 毒蛇の巣
> > >
> > > 安息角
> > >
> > > 安んじて息をして踏み入れば蟻地獄
> > >
> > > 蟻さんも餌になってしまう、民主主義にも、似て
> > >
> > > 絶妙な角度だ
> > >
> > > 蛇が安息角へ落ちたらどうなるか?
>
> http://kotobank.jp/word/%E3%83%8E%E3%83%9E%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%BA%E3%83%A0-1576207

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

http://www.sanin.com/site/page/daisen/institution/morinokuni2/communication/tanken/arijigoku/

一度ハマったら脱出不可能!ありじごくは罠しかけの名人です。
大きな顎を瞬間的にのけぞらして土を放り投げると細かい粒は手前に落ち、大きな粒は遠くまで飛びます。つまり、アリジゴクの中心には細かい砂ばかりになるということ。細かい砂の方が、より急なアリジゴクを作ることができるのです。

それだけではありません。アリが罠にはまると、どんどん砂を投げつけ、アリジゴクから脱出しようとするのを妨害するのです。

なんと恐ろしい!

アリジゴクはアリの体液をすって、他の部分を捨ててしまいます。

ほとんどホラー映画です。

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

ウスバカゲロウが蛇を食べるのか?

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54885] のうのうと生きなばならぬ つらいね 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/04(Mon) 15:46  


チャールズも年が近いから、こういうのをだういう気持ちで聞いていたのだろうか?

と、ひとごとながら、思う

のうのうと生きなばならぬ

つらいね

Elton John - Candle in the Wind/Goodbye England's Rose (Live at Princess Diana's Funeral - 1997)
http://www.youtube.com/watch?v=1o9rLDCfO6o

Lady Diana - Candle in the wind (Goodbye Englands rose) - Elton John - Lyrics in text
http://www.youtube.com/watch?v=OefdqK3jKi0

In the loving memory of Lady Diana

Song:
Candle in the wind (Goodbye Englands rose)

By:
Elton John

Lyrics..

Goodbye England's rose
May you ever grow in our hearts
You were the grace that placed itself
Where lives were torn apart
You called out to our country
And you whispered to those in pain
Now you belong to heaven
And the stars spell out your name

And it seems to me you lived your life
Like a candle in the wind
Never fading with the sunset
When the rain set in
And your footsteps will always fall here
Along England's greenest hills
Your candle's burned out long before
Your legend ever will

Loveliness we've lost
These empty days without your smile
This torch we'll always carry
For our nation's golden child
And even though we try
The truth brings us to tears
All our words cannot express
The joy you brought us through the years

And it seems to me you lived your life
Like a candle in the wind
Never fading with the sunset
When the rain set in
And your footsteps will always fall here
Along England's greenest hills
Your candle's burned our long before
Your legend ever will

Goodbye England's rose
May you ever grow in our hearts
You were the grace that placed itself
Where lives were torn apart
Goodbye England's rose
From a country lost without your soul
Who'll miss the wings of your compassion
More than you'll ever know

And it seems to me you lived your life
Like a candle in the wind
Never fading with the sunset
When the rain set in
And you footsteps will always fall here
Along England's greenest hills
Your candle's burned out long before
Your legend ever will

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54884] 蓋を開けてびっくり玉手箱 濛々と立ち上る毒煙、毒ガス 毒も使いようだから、あの猛毒をもって毒を解析する、さういうツールには毒も使える 使えるものはツールにはなすが、毒思想の枠組み、猛毒の檻は無視Re:[54882] その無罪無垢なるもんが、硬直した蛇と生きた蛇の絡みまくる檻に閉じ込めらているRe:[54881] 毒蛇の巣 安息角 安んじて息をして踏み入れば蟻地獄 蟻さんも餌になってしまう、民主主義にも、似て 絶妙な角度だ 蛇が安息角へ落ちたらどうなるか? 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/04(Mon) 15:09  

> Desperado (2013 Remaster)
> http://www.youtube.com/watch?v=aelpqWEBHR4
>
> > ををすれのANNEX−Ω   訪問者数:11788352(今日:238/昨日:1098) 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/04(Mon) 08:47 赤口(丁亥) 旧暦 3/4 月齢 2.9
> >
> > 花蕾これは普賢か楊貴妃か   梵
> >
> > これは20年前くらいに大阪は造幣局さくら通り抜け句会で詠んでだもの
> >
> > ここ数日は蛇の夢ばかりみている
> >
> > 小蛇が群れているのは、かのフランス腐乱す蛇の群れで
> >
> > 今朝なぞは大蛇の頭が迫ってきて、これは恐竜に似ているなあ
> >
> > というところで目が覚めたが、べつに怖かったわけではない
> >
> > 蛇は大嫌いだ
> >
> > むっかし、むっかし
> >
> > 陶陶酒の役員に案内されて、研究所だか工場だかに行って、蛇の群れをみた
> >
> > もう、大量、大勢の蛇が檻では逃げ出してしまうから、あれはガラスのケースだったか群れ絡まってにょろにょろ
>
> これはケースなんてなまやさしいもんぢゃなくて床から天井まで一面の硝子張でそこに群れる蛇
>
> すっかす、陶陶酒ならぬ、あの松の山温泉の夏祭り、雪を後生大事にとっておいて、雪を積み上げた広場の中で火を焚いて、その火に焙られた蝮
>
> なまのマムシの瓶詰、まむし酒もあるが、一番よく効くのは、なんちゅうても焙り蝮
>
> 串に刺されて、あたかも閻魔か、一ツ橋の紋章のやうに、剣に蛇がからまる
>
> あれが商科大学の紋章、やっぱす、蛇ちうもんは、商科取引契約の象徴なんぢゃろかね
>
> 医学でも蛇が象徴のやうだ
>
> その蛇、焙られて串刺しになったもんを喰えば、こりゃあ、痺れる、効果覿面
>
> だから、21世紀のいまでも籠を背負ってまむし獲にいそむ
>
> して、風景、風景、思想の風景にして、歯槽膿漏、志操呪う
>
> 硬直した蛇、それが十字架のように縦横に組み合わされている檻
>
> その檻の一本一本の蛇、縦、横の棒蛇に柔らかい生きた蛇の群れが絡みつく
>
> なんか腐乱巣の思想の風景
>
> その檻の中には誰が閉じ込められているのか
>
> 原罪も知らぬ、無垢にして、無罪の生きた人間
>
> その無罪無垢なるもんが、硬直した蛇と生きた蛇の絡みまくる檻に閉じ込めらている
>
> 叡智から観れば、そういう風景ね
>
> 蛇の知でもって、閉じ込められて苦悶する無知なる人間

尾崎豊 − 僕が僕であるために
http://www.youtube.com/watch?v=1m8KITldcG0

> 蛇も神も消え失せよ
>
> 無になれ!
>
> といったとたん、檻の中の人間が空になる
>
> アダムはどこへいった?
>
> アダムはここにいる
>
> 空にして無知にして叡智に満ちたアダムがここにいる
>
> 宗教とは、思想とはそうありたいもんだね
>
> ぢゃなくんば、いつまでたっても、戦争だらうよ
>
> 口先で停戦、平和を唱えても、いつまでたっても対象化した知をもって、絶対他者を立てて、てめえの守護神を立てまくって、はてはてめえが神にして救世主と勘違いして、戦争を繰り返す
>
> あのナポレオン、ナポレオンに先立つギロチン腐乱巣革命、そのまえの宗教戦争、ばかぢゃねえのんか、宗教改革が改革にもなっていない、狭い檻の中での殺し合い、そして、ナチス、ネオナチから解放を唱える救世主ロシアのウクライナ侵攻、いつまでたっても、これだ!
>
> いいかげんに馬鹿たれめ!目を覚ませ!
>
> どこまで蛇の知の虜なんぢゃ
>
>
>
>
> > なんで蛇がこんなに大量にでてくるのか
> >
> > 眼前に
> >
> > デリダの「死を与える」「言葉にのって」
> >
> > ジル・ドゥルース「ニーチェ」
> >
> > J・デリダ、G・ドゥルース、J=F・リオタール P・クロソウスキー「ニーチェは今日?」
> >
> > ミシェル・フーコー「言葉と物」「自己のテクノロジー」「1926^84 権力・知・歴史」
> >
> > ほか、例のW・ジェイムス、オットー、エリアーデ、ハイデッガー、云々

フッサールからハイデッガー、それから云々

あの思想の変遷は笑ひ転げるばかり

呵々大笑

畢竟、現代になってもあのてーどなんぢゃっけん、そりゃ、それらのエピゴーネンは痴れちょるわいの

まったく悪魔の毒を脱皮でけておらん

あのオットーで古代からの毒が一層濃縮され

その猛毒を連綿とのみつづける

いやさ、毒ガスめいて吸わされる

牧野が井筒がオットー、エリアーデに言及せんのんは、血肉に化したからか、

といっておって、某もそうかもしらん、と思ったが

蓋を開けてびっくり玉手箱

濛々と立ち上る毒煙、毒ガス

毒も使いようだから、あの猛毒をもって毒を解析する、さういうツールには毒も使える

錬金術師、化学者の知恵

井筒にしても、あの西欧思想の根源、一神教の猛毒の解析にこの毒を使ったまでの話であって

毒煙を立ち昇せる、逆上せるオットーにもエリアーデにも、その思想の根底、枠組み、さう云うもんを忌諱したんではなかろうか

すくなくとも某は忌諱する

使えるものはツールにはなすが、毒思想の枠組み、猛毒の檻は無視

檻から放たれ、洟垂れ小僧の風景はこんなもんか

Charles Aznavour - La bohème (Official Lyrics Video)
http://www.youtube.com/watch?v=fVfnEyLOkrM



> > もう、積まれているものは蛇ばっかなのね
> >
> > 考えてみるまでもなく、いまここで生きている世間だって、いうまでもなくかのイスマイル「暗殺団」めいた構造のなかで営んでいる生活
> >
> > 知の構造にしたって、まあ、99%そんなもんであろう
> >
> > 毒されるのね、蛇に
> >
> > だから、蛇が群れて夢にでてくるのも無理はない、所以なしとしない
> >
> > すっかす、ひるがえって、そういう他化した「権力・知・歴史」をさかさまにしてみれば
> >
> > 奴隷宗教、奴隷権力、奴隷知、奴隷歴史の奴隷は一体誰なんぢゃろ
> >
> > 山の老人、権力の中枢
> >
> > それこそ、奴隷の奴隷たるもんではないか?
> >
> > 自己の解放すらでけへんで、ひたすら自己を奴隷化する奴隷宗教、奴隷権力、奴隷知・・
> >
> > 蛇が群れてひっ絡まって生殖するわけか
> >
> > 喩法
> >
> > 人類最大の喩法は人間が自己を投影した神を妄想の果てに肥大化させて「絶対他者」にして人間から引き離し、大蛇にして悪魔にまで仕立てあげてしまったことはないか
> >
> > 空
> >
> > 無
> >
> > とは宗教ではなからう
> >
> > 仏教は、人偏にム、と覚、書く
> >
> > ひとで無し
> >
> > ひとでなし
> >
> > 空や無に自己の投影のしようもない
> >
> > 聖も俗もない、空、無
> >
> > それがどうして宗教でありえようか
> >
> > それがどうして哲学でありえようか
> >
> > 有無を論ぜず
> >
> > 即非
> >
> > 一即多
> >
> > これをネットで引くと「しっしょくた」とでてくる
> >
> > なるほど
> >
> > 仏教はひとでなしの宗教で、虚無主義だと蛇の連中は1820年か、仏教がヨーロッパに知られて「誤解」され、その「誤解」もだんだんとけてきたようだが、いまだに虚無と勘違い現象学徒の小蛇もいるようだ
> >
> > 寒山拾得
> >
> > ひさしぶりに鴎外全集@66円で
> >
> > 肩書を並べまくる役人がくると笑い転げて逃げてしまう
> >
> > 30枚の名刺を並べる元大蔵事務次官へ以来色眼鏡をかけ帽子をかぶったようなもんだ
> >
> > 結社という結社から逃げまくったようなもんだ

これも檻から放たれ、洟垂れ小僧の風景はこんなもんか

地上の星 / 中島みゆき [公式]
http://www.youtube.com/watch?v=v2SlpjCz7uE

> > 畢竟、あの「暗殺団」のピラミッド、山の老人になれば、ピラミッドの人々の全重量が己が手にかかる
> >
> > その重みに耐えらるか
> >
> > そこで呻吟するのは、奴隷の頂点ではないか
> >
> > 30枚の名刺の肩書のいちいちに自分の人生が引き裂かれて、分刻みのスケジュールでいったいそいつの人生はどこにあるんだろ
> >
> > 卑弥呼だって、だうやって殺されたか
> >
> > 「暗殺団」の頂点に立ては、世界が暗黒したその責任を取らされるのはだれか
> >
> > その頂点への階段の各位において、その位階を脅かされる
> >
> > それこそ、「おののき」戦々恐々
> >
> > それで、人生を全うでけるか
> >
> > ばかやろ〜め!が!
> >
> > 目がどこについておるんぢゃ!
> >
> > 蛇が群れる
> >
> > 蛇だって目がある
> >
> > でもね、巣穴に潜り込む、真っ暗
> >
> > 嗅覚も発達しているか
> >
> > 臭いで獲物をかぎ分ける
> >
> > 卵が大好き
> >
> > そういえば、かの津軽の十三湊の神社へ登る荒れ道に竦んでた蛙がごろごろと落ちてきてその先に蛇がいた
> >
> > みんなここにむっかし書いたね
> >
> > もう、蛙は竦み切って手足も自由に動かぬ一個の蛙玉に化してごろごろ
> >
> > そこへ通りかかった我に蛙も救われた
> >
> > もっとも刹那のことゆえ、我去ったあと蛙は蛇の餌食になったかもしれない
> >
> > 「自己のテクノロジー」自己への配慮、フーコーもわざわざこの国まできて坐禅を組んだようだが、その後の言説をみてみても、毒はぬけておらぬ毒蛇
> >
> > 毒蛇の巣
> >
> > 安息角
> >
> > 安んじて息をして踏み入れば蟻地獄
> >
> > 蟻さんも餌になってしまう、民主主義にも、似て
> >
> > 絶妙な角度だ
> >
> > 蛇が安息角へ落ちたらどうなるか?

http://kotobank.jp/word/%E3%83%8E%E3%83%9E%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%BA%E3%83%A0-1576207

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54883] 蛇も神を脱皮せねばあかんRe:[54880] 東洋の悟りもやっぱりむこうぢゃ訳せばエンライトメント 啓蒙もエンライトメント 蒙を啓く、それが悟りか? やっぱり、暗黒は悪で、光は善というようなゾロアスター、神が最初に光あれといったからか? そこから、対象化の悪魔に魅入られ毒され、いまごろになって毒消し、毒抜き、解毒にやっき必死になっている哀れ、哀れ ルネッサンスになっても啓蒙になっても21世紀になっても、中毒症状はつづくのねRe:[54878] おめでたいのが多いから民主主義はやめられません ひひひ 民主主義万歳!暗殺者集団 解剖集団 解体集団 脱構築集団 んでも、暗殺して解体、脱構築したら、また構築して再生させねばならん イスマール派「暗殺集団」の永劫回帰 Re:[54877] デカルトが試みた如く自覚からでなければならない。 *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★ こういうことをやるから目がぐりぐりと痛み出すんだねRe:[54876] 材料買い揃えました。料理は? 同行二人 仏は仏 ただそれだけ ただそれだけのことが、メタメタむずかしいことでもないのにメッタヤタラと論理を超越してもでてこない 悪魔はどんな顔をしているか?救世主はどんな顔をしているか? 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/04(Mon) 14:07  



> > > フランスで毒に酩酊してふらつく最近のノマディズムだか彷徨だか脱構築だかしらんが、そういう追っかけの比ぢゃねえ
> > >
> > > > よいじゃあ、ないね
> > > >
> > > > メタは「超越」と・・
> > > >
> > > > やはり、こういうメタの「立」場でもやっぱり立って上へ上へと超えて越える、頭ごなし
> > > >
> > > > 横超ということはメタでもないらしい
> > > >
> > > > 水平跳び
> > > >
> > > > 同行二人
> > > >
> > > > お大師様と一緒に歩いて遍路道
> > > >
> > > > お大師様は仏さま
> > > >
> > > > 仏さまと一緒に歩いて同行二人
> > > >
> > > > 横超
> > >
> > > 私が仏になる
> > >
> > > ダメダメ
> > >
> > > 私と仏がまだ分裂している
> > >
> > > > 仏が仏になる
> > >
> > > 是もダメ
> > >
> > > いまだ即一になっていない
> > >
> > > > なる必要すらない
> > > >
> > > > 仏は仏
> > > >
> > > > ただそれだけ
>
> ただそれだけでもダメ
>
> 仏は仏
>
> 主語、述語が分裂しちょる
>
> なれば
>
> 仏
>
> まだダメ
>
> まだ仏を他化しちょる
>
> 私
>
> まだダメ
>
> まだ私を他化しちょる
>
> ぢゃあ
>
> 空
>
> 無

揺れる想い (What a beautiful memory 2007)
http://www.youtube.com/watch?v=nabLCezmvTE

同行二人に戻ろう

これのはうが、腐乱巣蛇宗教思想よりもありがたい

シャンソンもええが

> > > > ただそれだけのことが、メタメタむずかしいことでもないのにメッタヤタラと論理を超越してもでてこない
> > > >
> > > > なんでぢゃろ?
> > > >
> > > > 全てを対象化しているから、外に向けても、内に向かても
>
> オットーより前のW.ジェームスの「宗教的経験の諸相」でも回心
>
> conversion
>
> 回心というのは、目が外から内へぐるりとまわるか、内から外へ、それも「絶対他者」なる神へぐるりと回るか、ただそれだけのこと
>
> つまり「・・・を見る目」を「・・・への意識」といってもよい
>
> あくまで対象としてしかみれぬ、その思考、歯垢、入歯、施行、指向の型枠ね
>
> その型枠から抜け出ることのできない「宗教」「哲学」「学問」
>
> だからダメなんよ
>

> > > > ところで悪魔はどんな顔をしているか?
> > >
> > > ベロだしアインシュタイン
> > >
> > > > 救世主はどんな顔をしているか?
> > >
> > > ベロだしアインシュタイン
> > >
> > > ふざけてんぢゃねえのよ、真面目

> 混沌に耐え得ぬ、人間
>
> これがエリアーデも出だしだった
>
> 思い出すね
>
> 友人兜真徳が提供してくれた、あの音も光もない暗室
>
> 視覚、聴覚にうったえるもんはなにもない世界
>
> でも椅子があって、重力があるから、触覚はある、ゆえに身体感覚もある
>
> 棺桶の中で寝た経験
>
> 心地よく眠れる
>
> 目が対象認識の元凶だと目をぐりぬくこともなからうが
>
> 光、光と、わめくあの宗教も、また同じ陥穽におちっているのかもしれない
>
> あのメーソンのシンボルの目と定規とコンパスだって同じようなもんだ
>
> 東洋の悟りもやっぱりむこうぢゃ訳せばエンライトメント
>
> enlightenment
> 啓発, 悟り, 啓蒙, 啓蒙主義, 光明
>
> 啓蒙もエンライトメント
>
> 蒙を啓く、それが悟りか?
>
> やっぱり、暗黒は悪で、光は善というようなゾロアスター、神が最初に光あれといったからか?
>
> そこから、対象化の悪魔に魅入られ毒され、いまごろになって毒消し、毒抜き、解毒にやっき必死になっている哀れ、哀れ
>
> ルネッサンスになっても啓蒙になっても21世紀になっても、中毒症状はつづくのね

神も悪魔も蛇も消え失せろ!

硬直した棒蛇の檻を食い荒らす生きたにょろにょろ彷徨「ノマディズム」脱構築の蛇たちよ、この歌をよく聴け

負けないで (What a beautiful memory 〜forever you〜)
http://www.youtube.com/watch?v=NCPH9JUFESA

まあ、無理でっしゃろな

硬直した先祖蛇から生まれいでた生蛇ぢゃ、その知の遺伝はもとの蛇の血の遺伝なんぢゃっけん

蛇も神を脱皮せねばあかん



やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54882] その無罪無垢なるもんが、硬直した蛇と生きた蛇の絡みまくる檻に閉じ込めらているRe:[54881] 毒蛇の巣 安息角 安んじて息をして踏み入れば蟻地獄 蟻さんも餌になってしまう、民主主義にも、似て 絶妙な角度だ 蛇が安息角へ落ちたらどうなるか? 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/04(Mon) 13:09  

Desperado (2013 Remaster)
http://www.youtube.com/watch?v=aelpqWEBHR4

> ををすれのANNEX−Ω   訪問者数:11788352(今日:238/昨日:1098) 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/04(Mon) 08:47 赤口(丁亥) 旧暦 3/4 月齢 2.9
>
> 花蕾これは普賢か楊貴妃か   梵
>
> これは20年前くらいに大阪は造幣局さくら通り抜け句会で詠んでだもの
>
> ここ数日は蛇の夢ばかりみている
>
> 小蛇が群れているのは、かのフランス腐乱す蛇の群れで
>
> 今朝なぞは大蛇の頭が迫ってきて、これは恐竜に似ているなあ
>
> というところで目が覚めたが、べつに怖かったわけではない
>
> 蛇は大嫌いだ
>
> むっかし、むっかし
>
> 陶陶酒の役員に案内されて、研究所だか工場だかに行って、蛇の群れをみた
>
> もう、大量、大勢の蛇が檻では逃げ出してしまうから、あれはガラスのケースだったか群れ絡まってにょろにょろ

これはケースなんてなまやさしいもんぢゃなくて床から天井まで一面の硝子張でそこに群れる蛇

すっかす、陶陶酒ならぬ、あの松の山温泉の夏祭り、雪を後生大事にとっておいて、雪を積み上げた広場の中で火を焚いて、その火に焙られた蝮

なまのマムシの瓶詰、まむし酒もあるが、一番よく効くのは、なんちゅうても焙り蝮

串に刺されて、あたかも閻魔か、一ツ橋の紋章のやうに、剣に蛇がからまる

あれが商科大学の紋章、やっぱす、蛇ちうもんは、商科取引契約の象徴なんぢゃろかね

医学でも蛇が象徴のやうだ

その蛇、焙られて串刺しになったもんを喰えば、こりゃあ、痺れる、効果覿面

だから、21世紀のいまでも籠を背負ってまむし獲にいそむ

して、風景、風景、思想の風景にして、歯槽膿漏、志操呪う

硬直した蛇、それが十字架のように縦横に組み合わされている檻

その檻の一本一本の蛇、縦、横の棒蛇に柔らかい生きた蛇の群れが絡みつく

なんか腐乱巣の思想の風景

その檻の中には誰が閉じ込められているのか

原罪も知らぬ、無垢にして、無罪の生きた人間

その無罪無垢なるもんが、硬直した蛇と生きた蛇の絡みまくる檻に閉じ込めらている

叡智から観れば、そういう風景ね

蛇の知でもって、閉じ込められて苦悶する無知なる人間

蛇も神も消えよ

無になれ!

といったとたん、檻の中の人間が空になる

アダムはどこへいった?

アダムはここにいる

空にして無知にして叡智に満ちたアダムがここにいる

宗教とは、思想とはそうありたいもんだね

ぢゃなくんば、いつまでたっても、戦争だらうよ

口先で停戦、平和を唱えても、いつまでたっても対象化した知をもって、絶対他者を立てて、てめえの守護神を立てまくって、はてはてめえが神にして救世主と勘違いして、戦争を繰り返す

あのナポレオン、ナポレオンに先立つギロチン腐乱巣革命、そのまえの宗教戦争、ばかぢゃねえのんか、宗教改革が改革にもなっていない、狭い檻の中での殺し合い、そして、ナチス、ネオナチから解放を唱える救世主ロシアのウクライナ侵攻、いつまでたっても、これだ!

いいかげんに馬鹿たれめ!目を覚ませ!

どこまで蛇の知の虜なんぢゃ




> なんで蛇がこんなに大量にでてくるのか
>
> 眼前に
>
> デリダの「死を与える」「言葉にのって」
>
> ジル・ドゥルース「ニーチェ」
>
> J・デリダ、G・デリダ、J=F・リオタール P・クロソウスキー「ニーチェは今日?」
>
> ミシェル・フーコー「言葉と物」「自己のテクノロジー」「1926^84 権力・知・歴史」
>
> ほか、例のW・」ジェイムス・」オットー、エリアーデ、ハイデッガー、云々
>
> もう、積まれているものは蛇ばっかなのね
>
> 考えてみるまでもなく、いまここで生きている世間だって、いうまでもなくかのイスマイル「暗殺団」めいた構造のなかで営んでいる生活
>
> 知の構造にしたって、まあ、99%そんなもんであろう
>
> 毒されるのね、蛇に
>
> だから、蛇が群れて夢にでてくるのも無理はない、所以なしとしない
>
> すっかす、ひるがえって、そういう他化した「権力・知・歴史」をさかさまにしてみれば
>
> 奴隷宗教、奴隷権力、奴隷知、奴隷歴史の奴隷は一体誰なんぢゃろ
>
> 山の老人、権力の中枢
>
> それこそ、奴隷の奴隷たるもんではないか?
>
> 自己の解放すらでけへんで、ひたすら自己を奴隷化する奴隷宗教、奴隷権力、奴隷知・・
>
> 蛇が群れてひっ絡まって生殖するわけか
>
> 喩法
>
> 人類最大の喩法は人間が自己を投影した神を妄想の果てに肥大化させて「絶対他者」にして人間から引き離し、大蛇にして悪魔にまで仕立てあげてしまったことはないか
>
> 空
>
> 無
>
> とは宗教ではなからう
>
> 仏教は、人偏にム、と覚、書く
>
> ひとで無し
>
> ひとでなし
>
> 空や無に自己の投影のしようもない
>
> 聖も俗もない、空、無
>
> それがどうして宗教でありえようか
>
> それがどうして哲学でありえようか
>
> 有無を論ぜず
>
> 即非
>
> 一即多
>
> これをネットで引くと「しっしょくた」とでてくる
>
> なるほど
>
> 仏教はひとでなしの宗教で、虚無主義だと蛇の連中は1820年か、仏教がヨーロッパに知られて「誤解」され、その「誤解」もだんだんとけてきたようだが、いまだに虚無と勘違い現象学徒の小蛇もいるようだ
>
> 寒山拾得
>
> ひさしぶりに鴎外全集@66円で
>
> 肩書を並べまくる役人がくると笑い転げて逃げてしまう
>
> 30枚の名刺を並べる元大蔵事務次官へ以来色眼鏡をかけ帽子をかぶったようなもんだ
>
> 結社という結社から逃げまくったようなもんだ
>
> 畢竟、あの「暗殺団」のピラミッド、山の老人になれば、ピラミッドの人々の全重量が己が手にかかる
>
> その重みに耐えらるか
>
> そこで呻吟するのは、奴隷の頂点ではないか
>
> 30枚の名刺の肩書のいちいちに自分の人生が引き裂かれて、分刻みのスケジュールでいったいそいつの人生はどこにあるんだろ
>
> 卑弥呼だって、だうやって殺されたか
>
> 「暗殺団」の頂点に立ては、世界が暗黒したその責任を取らされるのはだれか
>
> その頂点への階段の各位において、その位階を脅かされる
>
> それこそ、「おののき」戦々恐々
>
> それで、人生を全うでけるか
>
> ばかやろ〜め!が!
>
> 目がどこについておるんぢゃ!
>
> 蛇が群れる
>
> 蛇だって目がある
>
> でもね、巣穴に潜り込む、真っ暗
>
> 嗅覚も発達しているか
>
> 臭いで獲物をかぎ分ける
>
> 卵が大好き
>
> そういえば、かの津軽の十三湊の神社へ登る荒れ道に竦んでた蛙がごろごろと落ちてきてその先に蛇がいた
>
> みんなここにむっかし書いたね
>
> もう、蛙は竦み切って手足も自由に動かぬ一個の蛙玉に化してごろごろ
>
> そこへ通りかかった我に蛙も救われた
>
> もっとも刹那のことゆえ、我去ったあと蛙は蛇の餌食になったかもしれない
>
> 「自己のテクノロジー」自己への配慮、フーコーもわざわざこの国まできて坐禅を組んだようだが、その後の言説をみてみても、毒はぬけておらぬ毒蛇
>
> 毒蛇の巣
>
> 安息角
>
> 安んじて息をして踏み入れば蟻地獄
>
> 蟻さんも餌になってしまう、民主主義にも、似て
>
> 絶妙な角度だ
>
> 蛇が安息角へ落ちたらどうなるか?
>
>
>
>
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>
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>
>

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54881] 毒蛇の巣 安息角 安んじて息をして踏み入れば蟻地獄 蟻さんも餌になってしまう、民主主義にも、似て 絶妙な角度だ 蛇が安息角へ落ちたらどうなるか? 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/04(Mon) 09:48  

ををすれのANNEX−Ω   訪問者数:11788352(今日:238/昨日:1098) 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/04(Mon) 08:47 赤口(丁亥) 旧暦 3/4 月齢 2.9

花蕾これは普賢か楊貴妃か   梵

これは20年前くらいに大阪は造幣局さくら通り抜け句会で詠んでだもの

ここ数日は蛇の夢ばかりみている

小蛇が群れているのは、かのフランス腐乱す蛇の群れで

今朝なぞは大蛇の頭が迫ってきて、これは恐竜に似ているなあ

というところで目が覚めたが、べつに怖かったわけではない

蛇は大嫌いだ

むっかし、むっかし

陶陶酒の役員に案内されて、研究所だか工場だかに行って、蛇の群れをみた

もう、大量、大勢の蛇が檻では逃げ出してしまうから、あれはガラスのケースだったか群れ絡まってにょろにょろ

なんで蛇がこんなに大量にでてくるのか

眼前に

デリダの「死を与える」「言葉にのって」

ジル・ドゥルース「ニーチェ」

J・デリダ、G・デリダ、J=F・リオタール P・クロソウスキー「ニーチェは今日?」

ミシェル・フーコー「言葉と物」「自己のテクノロジー」「1926^84 権力・知・歴史」

ほか、例のW・」ジェイムス・」オットー、エリアーデ、ハイデッガー、云々

もう、積まれているものは蛇ばっかなのね

考えてみるまでもなく、いまここで生きている世間だって、いうまでもなくかのイスマイル「暗殺団」めいた構造のなかで営んでいる生活

知の構造にしたって、まあ、99%そんなもんであろう

毒されるのね、蛇に

だから、蛇が群れて夢にでてくるのも無理はない、所以なしとしない

すっかす、ひるがえって、そういう他化した「権力・知・歴史」をさかさまにしてみれば

奴隷宗教、奴隷権力、奴隷知、奴隷歴史の奴隷は一体誰なんぢゃろ

山の老人、権力の中枢

それこそ、奴隷の奴隷たるもんではないか?

自己の解放すらでけへんで、ひたすら自己を奴隷化する奴隷宗教、奴隷権力、奴隷知・・

蛇が群れてひっ絡まって生殖するわけか

喩法

人類最大の喩法は人間が自己を投影した神を妄想の果てに肥大化させて「絶対他者」にして人間から引き離し、大蛇にして悪魔にまで仕立てあげてしまったことはないか





とは宗教ではなからう

仏教は、人偏にム、と覚、書く

ひとで無し

ひとでなし

空や無に自己の投影のしようもない

聖も俗もない、空、無

それがどうして宗教でありえようか

それがどうして哲学でありえようか

有無を論ぜず

即非

一即多

これをネットで引くと「しっしょくた」とでてくる

なるほど

仏教はひとでなしの宗教で、虚無主義だと蛇の連中は1820年か、仏教がヨーロッパに知られて「誤解」され、その「誤解」もだんだんとけてきたようだが、いまだに虚無と勘違い現象学徒の小蛇もいるようだ

寒山拾得

ひさしぶりに鴎外全集@66円で

肩書を並べまくる役人がくると笑い転げて逃げてしまう

30枚の名刺を並べる元大蔵事務次官へ以来色眼鏡をかけ帽子をかぶったようなもんだ

結社という結社から逃げまくったようなもんだ

畢竟、あの「暗殺団」のピラミッド、山の老人になれば、ピラミッドの人々の全重量が己が手にかかる

その重みに耐えらるか

そこで呻吟するのは、奴隷の頂点ではないか

30枚の名刺の肩書のいちいちに自分の人生が引き裂かれて、分刻みのスケジュールでいったいそいつの人生はどこにあるんだろ

卑弥呼だって、だうやって殺されたか

「暗殺団」の頂点に立ては、世界が暗黒したその責任を取らされるのはだれか

その頂点への階段の各位において、その位階を脅かされる

それこそ、「おののき」戦々恐々

それで、人生を全うでけるか

ばかやろ〜め!が!

目がどこについておるんぢゃ!

蛇が群れる

蛇だって目がある

でもね、巣穴に潜り込む、真っ暗

嗅覚も発達しているか

臭いで獲物をかぎ分ける

卵が大好き

そういえば、かの津軽の十三湊の神社へ登る荒れ道に竦んでた蛙がごろごろと落ちてきてその先に蛇がいた

みんなここにむっかし書いたね

もう、蛙は竦み切って手足も自由に動かぬ一個の蛙玉に化してごろごろ

そこへ通りかかった我に蛙も救われた

もっとも刹那のことゆえ、我去ったあと蛙は蛇の餌食になったかもしれない

「自己のテクノロジー」自己への配慮、フーコーもわざわざこの国まできて坐禅を組んだようだが、その後の言説をみてみても、毒はぬけておらぬ毒蛇

毒蛇の巣

安息角

安んじて息をして踏み入れば蟻地獄

蟻さんも餌になってしまう、民主主義にも、似て

絶妙な角度だ

蛇が安息角へ落ちたらどうなるか?












やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54880] 東洋の悟りもやっぱりむこうぢゃ訳せばエンライトメント 啓蒙もエンライトメント 蒙を啓く、それが悟りか? やっぱり、暗黒は悪で、光は善というようなゾロアスター、神が最初に光あれといったからか? そこから、対象化の悪魔に魅入られ毒され、いまごろになって毒消し、毒抜き、解毒にやっき必死になっている哀れ、哀れ ルネッサンスになっても啓蒙になっても21世紀になっても、中毒症状はつづくのねRe:[54878] おめでたいのが多いから民主主義はやめられません ひひひ 民主主義万歳!暗殺者集団 解剖集団 解体集団 脱構築集団 んでも、暗殺して解体、脱構築したら、また構築して再生させねばならん イスマール派「暗殺集団」の永劫回帰 Re:[54877] デカルトが試みた如く自覚からでなければならない。 *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★ こういうことをやるから目がぐりぐりと痛み出すんだねRe:[54876] 材料買い揃えました。料理は? 同行二人 仏は仏 ただそれだけ ただそれだけのことが、メタメタむずかしいことでもないのにメッタヤタラと論理を超越してもでてこない 悪魔はどんな顔をしているか?救世主はどんな顔をしているか? 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/01(Fri) 08:37  

さみめよらANNEX−Ω   訪問者数:11783963(今日:118/昨日:1509)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/04/01(Fri) 05:02 赤口(癸未) 旧暦 2/29 月齢 28.4先負(甲申) 旧暦3/1 月齢 29.4 新月 朔

朔というのはいいねえ

今朝は雨もあって、真っ暗

凶にも似て

自覚にも似て

> > とさねへとANNEX−Ω   訪問者数:11781513(今日:1107/昨日:757) 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/03/30(Wed) 08:33 大安(壬午) 旧暦 2/28 月齢 27.4
> >
> > 今日は大安か、やだねえ
> >
> > 日曜日にもう咲き誇った桜堤をcyclingして人混みにまみれて以来、右目がぐりぐりして痛くてしようがない

五日目にして目のぐるぐるぐりぐりもやうやくおさまりつつある



> > すっかたねえから覚めたところで返さねばならんもんの、幾許かを

ついでに書架からひろってきたもんも

なにか目的をもって検索して借り出すもんとちゃうて、ぶらぶらあるって目についたもんをひろってくる

ゴミもあれば、ひろいものもある

> > > むいまうまANNEX−Ω   訪問者数:11779308(今日:703/昨日:1788)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/03/28(Mon) 11:50
> > >
> > > さてとん、そろそろ期日、返すもんも返さねばならぬ
> > >
> > > ヘイドン・ホワイト著 岩崎稔監訳「メタヒストリー」作品社 2017年
> > >
> > > この700頁に喃々とする書物
> > >
> > > いちいちが結構硬いから噛み砕き咀嚼して呑み込むのも大変で、下手をすると誤嚥になりかねない、読む


このヘイドン・ホワイト著 岩崎稔監訳「メタヒストリー」作品社 2017年もひろいもの

歴史コーナーに分厚く存在感のある新本がドンとあって、ひろってみたひろいもの


これを期限で返して、だうも似通ったテーマのもんをこんだあ、哲学コーナーからひろってきた

富田恭彦著「詩としての哲学 ニーチェ・ハイデッガー・ローティ」講談社選書メチエ 2020年

どうも、この講談社選書メチエ本は、二流本が多いようだ

かの斎藤鼠くんの斎藤慶典著「『東洋』哲学の根本問題あるいは井筒俊彦 講談社選書メチエ

ころほどにはひどくはないが、富田恭彦著「詩としての哲学 ニーチェ・ハイデッガー・ローティ」講談社選書メチエも、またまた、浅いのんね

宣伝文句だけは

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

人間の「理性」「知性」を最も重要な心の働きとする、プラトン以来の西洋哲学における真理探究型の思考、一方、イギリス・ロマン主義から始まり、「想像力」をすべての思考の根本と捉えるエマソン〜二−チェ〜ハイデッガー〜ローティへの思想の流れ、真理への接近を図る哲学から、開かれた思考を目指す哲学へ、理性主義の系譜を検証し、創造への新たな可能性を探る。

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

なにかこのメチェ宣伝文句は斎藤慶典著「『東洋』哲学の根本問題あるいは井筒俊彦 講談社選書メチエのメチェ宣伝文句を想起させる

> > 裏表紙に大書してある広告をご披露しよう
> >
> > ああ、我もまた溝鼠の蔓延、溝鼠著作本の広告に随分一役買っている
> >
> > *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
> >
> > 東洋哲学とは何か。インド・中国・日本の思想を指しているのか。
> > 井筒俊彦は個別研究の枠を超え、中近東やロシア、東南アジアにも視野を広げた全東洋的思想の根底にある哲学をつかみ、拓いていく。・・・・・・省略・・・・・・
> >
> > 言語哲学者、イスラーム哲学研究の権威・井筒が生涯をかけた「世界的な視野を具えた新たな哲学」はどの地点に到達したのか。
> > その哲学的営為の総体を受け止め、更に先にある問題を見極める
> >
> > *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
> >
> > だってさ。
> >
> > わははは
> >
> > とわらわざるを得ぬ
> >
> > 誇大広告で消費者庁に告発しちゃおう

もう、講談社選書メチエのもんは、買わぬ、読まぬ、に限る

畢竟、というほどに畢竟でもねえが、簡単な皮相において

斎藤鼠くんが、井筒に凭れほどのベッタリではねえけんど、この富田もローティに凭れて・・

だうも文科系ちうのんは、なんか、誰かのテキストを与えられて、それを解読する、研究する、さういう思考トレーニングの結果、独創性が養われぬ、養われるむきもあらうが、おっかけ思考,歯垢、指向にして嗜好が肥大することもある

理科系においてはどうか

誰かさんの仮説、論文、実験を追試して、その先に進むにしても、文系ほどには、その誰かさんにベッタリちうことはない、あれば独自性に欠けたもんで、論文にさへならぬ

そこが、文系のトレーニングは甘いから、だうでもええような二流が流行るのんかもしれぬ

それにしても講談社選書メチエ の編集者の劣化、ちうよりは、これもまた文系おっかけトレーニングによってほとんどめくらに成り下がったもんが、商業的目玉ばかりが肥大して、内容の貧困さにもかかわらず広告バッカが肥大しているのかもしれない

世の読者を馬鹿にするのんもいいかげんにせいや

といっても、編集者も著者もばかにしているとさえおもっておらんで真剣なんだろね

そこが怖い

> > まあ、書評や紹介ぢゃ、核心をついたことも云えぬのであらうが、いかにも、書評だか研究にしても、皮相を撫でただけで、美味しくない
> >
> > 不味い
> >
> > 眼光裏に徹する趣がない
> >
> > ぺろぺろなめちゃあ、インテリブル、ぶる、ぶる
> >
> > ま、ノマディズムだか彷徨だか脱構築だかしらんが、そういう追っかけが多いね。


> 駱駝になれ!
>
> 驢馬になれ!
>
> > > メタとはなんだ?
> > >
> > > *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
> > >
> > > メタ(meta-、 古希: μετὰ-) とは、以下の意味を持つ接頭辞である:
> > >
> > > §一般的な意味
> > >  §「あとに」という意味の古代ギリシャ語の接頭辞[1]。
> > >  §転じて「超越した」、「高次の」という意味の接頭辞で[2]、ある学問や視点の外側にたって見る事を意味する[1]。
> > >  §「変化」を意味する接頭辞。例えばmetamorphose(変化)、metabolism(代謝)などで用いられる[3]。
> > >
> > > 「ある学問や視点の外側にたって見る」の用例
> > > 「ある学問や視点の外側にたって見る」という意味はアリストテレスの著書『メタピュシカ』(形而上学)に由来しており[1]、哲学では他にも「メタ倫理学」、「メタ哲学」等の用例がある。
> > >
> > > *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★



> > 序論 歴史の詩学
> >
> > そう、貫くものは、詩
>
> 詩でとまったところがよろしい

> > いかにナラティブに語ろうが演劇、悲喜劇的、あるいは、イデオロギー的であらうが、そこを貫くく基底に詩の表現方法、喩法をみる
> >
> > これは面白いね、餌になる、栄養になる

だから「詩としての哲学」もひろってみたが、雲泥の差、それもホワイトより50年以上おくれてきて、ぜんぜん比較にもならん、「詩」について解析も統合もできておらん

ただの「想像力」賛歌にして、実践も、たぶん、体験、経験もない

こういうことは、斎藤鼠くんでも、あらわ

実践、体験、経験なくして、言葉だけで綴れば、そりゃあ、おのずから迫力がない

説得力も、読者、聴者を感動させることもない

> > 井筒の東洋哲学の共時的構造化論文、これがまさに詩であり交響曲であることはまえにも云った
> >
> > その詩と交響曲の表現方法、畢竟、表現せねば詩にも曲になりえぬ、そこの根っこをみる
> >
> > さういうことにも使える
> >
> > 井筒の神秘主義への切り込みは鉈でありながら剃刀的な鋭さもある
> >
> > その切り出した料理はまことに美味しい、栄養になる
>
> 体験、経験的に共感、共鳴、共振する

これは井筒が研究対象を対象としつつ、その対象を体験、経験的に共感、共鳴、共振するからにほかならない

その井筒の著作を読む対象としつつ、その対象を読者もまた体験、経験的に共感、共鳴、共振するからにほかならない

そこがなべて餌になるか、喰えるか喰えぬか、そこの差

> > ホワイトの剃刀が切り出したものはいわば方法論であってそのかぎりにおいてはキッチン用具に等しいが、それでも切れ味のある用具、包丁、それも姪の入ったとびきりの包丁で、その包丁で歴史家や歴史哲学者がいかにしてその包丁をつかっているか、その各論にいたれば、肉の味わいもあれば、サラダの味わいもある
>
> これは、黄泉として、うむ、読みとしての経験では納得できるが、体験的に共感、共鳴、共振するまでには、いたらぬ
>
> そこに違いがある

> > フランスで毒に酩酊してふらつく最近のノマディズムだか彷徨だか脱構築だかしらんが、そういう追っかけの比ぢゃねえ
> >
> > > よいじゃあ、ないね
> > >
> > > メタは「超越」と・・
> > >
> > > やはり、こういうメタの「立」場でもやっぱり立って上へ上へと超えて越える、頭ごなし
> > >
> > > 横超ということはメタでもないらしい
> > >
> > > 水平跳び
> > >
> > > 同行二人
> > >
> > > お大師様と一緒に歩いて遍路道
> > >
> > > お大師様は仏さま
> > >
> > > 仏さまと一緒に歩いて同行二人
> > >
> > > 横超
> >
> > 私が仏になる
> >
> > ダメダメ
> >
> > 私と仏がまだ分裂している
> >
> > > 仏が仏になる
> >
> > 是もダメ
> >
> > いまだ即一になっていない
> >
> > > なる必要すらない
> > >
> > > 仏は仏
> > >
> > > ただそれだけ

ただそれだけでもダメ

仏は仏

主語、述語が分裂しちょる

なれば



まだダメ

まだ仏を他化しちょる



まだダメ

まだ私を他化しちょる

ぢゃあ





> > > ただそれだけのことが、メタメタむずかしいことでもないのにメッタヤタラと論理を超越してもでてこない
> > >
> > > なんでぢゃろ?
> > >
> > > 全てを対象化しているから、外に向けても、内に向かても

オットーより前のW.ジェームスの「宗教的経験の諸相」でも回心

conversion

回心というのは、目が外から内へぐるりとまわるか、内から外へ、それも「絶対他者」なる神へぐるりと回るか、ただそれだけのこと

つまり「・・・を見る目」を「・・・への意識」といってもよい

あくまで対象としてしかみれぬ、その思考、歯垢、入歯、施行、指向の型枠ね

その型枠から抜け出ることのできない「宗教」「哲学」「学問」

だからダメなんよ

> > > 内も外もない
> > >
> > > 内外
> > >
> > > 内即外
> > >
> > > こういうのを「メタヒストリー」で
> > >
> > > *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
> > >
> > > アイロニーという喩法に含まれるものとして、ホワイトは、たとえば「耳をつんざくような静寂」「真昼の暗黒」といった撞着語法・・・
> > >
> > > *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
> > >
> > > して撞着語法とは
> > >
> > > *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
> > >
> > > 撞着語法(どうちゃくごほう、英語: oxymoron)とは、修辞技法のひとつ。「賢明な愚者」「明るい闇」など、通常は互いに矛盾していると考えられる複数の表現を含む表現のことを指す。形容詞や連体修飾語、句、節などが、修飾される名詞と矛盾することとしては、形容矛盾(けいようむじゅん)とも言う。論理的には、「Aであって、かつ、not A」であるということはありえない(矛盾律)のにもかかわらず、そうであるかのように語ることである。狭い見方をすればつじつまがあわず、単なる誤謬にすぎないように見えるが、複雑な内容を簡潔に表現する修辞法として用いられている場合もある。
> > >
> > > (例いろいろ)
> > >
> > > 撞着語法の効果
> > > Edit-find-replace.svg
> > > この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2014年3月)
> > >
> > > 撞着語法を用いて、受け手に強い違和感を与えることで、言及している内容への興味を誘引したりすることができる。 また、敢えて矛盾した語を以って対象を説明することにより、対象への皮肉としての効果をもつ場合がある。 一方で、一見「深い意味や含蓄のある」ように見えて、内容の伴わない単なる言葉遊びに終始してしまう恐れがあるため、注意が必要である。
> > >
> > > 文学では、シェイクスピアが『マクベス』のなかで「きれいは汚い、汚いはきれい・・・」という表現を用いたのが有名。
> > >
> > > *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
> > >
> > > ところで悪魔はどんな顔をしているか?
> >
> > ベロだしアインシュタイン
> >
> > > 救世主はどんな顔をしているか?
> >
> > ベロだしアインシュタイン
> >
> > ふざけてんぢゃねえのよ、真面目


> > 底本:「西田幾多郎哲学論集3[#「3」はローマ数字3、1-13-23] 自覚について」岩波文庫、岩波書店
> > https://www.aozora.gr.jp/cards/000182/files/3216_16432.html
> >
> > *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
> >
> > 青空文庫 西田幾多郎哲学論集3 自覚について 「撞着」
> >
> >  人は自己が自己を知ることはできないという。かかる場合、人は知るということを、対象認識の意味においていっているのである。かかる意味において、自己が自己を知るということのできないのはいうまでもない。自己は自己の対象となることはできない。自己の対象となるものは自己ではない。然らば自己は単に不可知的か。単に不可知的なるものは、無と択
> >
> > えら
> >
> > ぶ所はない。自己は単なる無か。自己を不可知的というものは、何物か。対象的に知ることのできない自己は、最も能
> >
> > よ
> >
> > く自己に知れたものでなければならない。一方に我々は自己が自己自身を知ると考える、かかる意味において知るとは、如何なることを意味するのであるか。かかる意味において知るということが、先ず問題とせられなければならない。対象認識もそこからであろう。対象認識の立場から出立する人は、自己そのものの存在ということも、時間空間の形式に当嵌
> >
> > あては
> >
> > めて対象的に考える。心理的自己としては、我々の自己も爾
> >
> > しか
> >
> > 考えることができる。しかしそれは考えられた自己であって、考える自己ではない。何人
> >
> > なんぴと
> >
> > の自己でもあり得る自己である。自覚的自己の自己存在形式ではない。
> >
> >
> > 知るということは事実ではあるが、単に時間空間的事実としては、知るということは考えられない。知るものは、時空の世界においてあるとともに、これを越えたものでなければならない。如何にして時空の世界の中にありて、しかもこれを越えるということが可能であるか。それは表現的関係によって考えられねばならない。自己が世界を表現するとともに、世界の自己表現の一立脚点である。かかる矛盾的自己同一の形式によって、我々の自己の自覚的存在が考えられるのである。世界の内にあるとともに、いつも世界を越えている。かかる内在即超越、超越即内在の形式によって、一度的なる唯一的自己、歴史的自己というものが考えられるのである。自覚的自己は履歴を有
> >
> > も
> >
> > ったものでなければならない。時間空間の形式というものも、自己表現的世界の自己形成の形式として、論理的に考えられるのである。かかる世界は多の自己否定的一として時間的に、一の自己否定的多として空間的であるのである。表現するものが表現せられるものであるということが知るということであり、自覚においては、知るものと知られるものとが一であるのである。而
> >
> > しか
> >
> > してあるということが知るということであり、知るということがあるということである。故に自覚においては、存在が本質であり、本質が存在である(essentia=existentia)。かかる実在の立場から無限の当為が出て来るのである。我々の自己が唯一的に個となればなるほど、自己自身を限定する事として、絶対の当為に撞着
> >
> > どうちゃく
> >
> > するのである。あるいは我々の自己の自覚を離れて、単なる物の知識、単なる物の存在というものもあるではないかといわれるかも知れない。しかしそれらの基礎附けも、深く考えれば考えるほど、かつてデカルトが試みた如く自覚からでなければならない。
> >
> > *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
> >
> > こういうことをやるから目がぐりぐりと痛み出すんだね
>
> まだ、目がぐりぐりしている
>
> ぐりぬいちゃおうか?
>
> 目が見えなくなる、それもいいかも

混沌に耐え得ぬ、人間

これがエリアーデも出だしだった

思い出すね

友人兜真徳が提供してくれた、あの音も光もない暗室

視覚、聴覚にうったえるもんはなにもない世界

でも椅子があって、重力があるから、触覚はある、ゆえに身体感覚もある

棺桶の中で寝た経験

心地よく眠れる

目が対象認識の元凶だと目をぐりぬくこともなからうが

光、光と、わめくあの宗教も、また同じ陥穽におちっているのかもしれない

あのメーソンのシンボルの目と定規とコンパスだって同じようなもんだ

東洋の悟りもやっぱりむこうぢゃ訳せばエンライトメント

enlightenment
啓発, 悟り, 啓蒙, 啓蒙主義, 光明

啓蒙もエンライトメント

蒙を啓く、それが悟りか?

やっぱり、暗黒は悪で、光は善というようなゾロアスター、神が最初に光あれといったからか?

そこから、対象化の悪魔に魅入られ毒され、いまごろになって毒消し、毒抜き、解毒にやっき必死になっている哀れ、哀れ

ルネッサンスになっても啓蒙になっても21世紀になっても、中毒症状はつづくのね





やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54879] だうして、そういういいやつらが、ああいう、悪いことをするようになるのであらうか? イスマイル「暗殺団」 組織が悪い 組織に入ると人間が悪くなる 組織悪とでもいうんでしょうか とくに日本の場合は「合法的」悪がまかり通る それを「公」という すべては「公」にしてお「国」のためと そうして太平洋戦争も行ったし、いまでも、それは変わらぬ 「公」や「国」ちうもんがもつ悪魔的作用 さういうもんをどうしたら、ストップできるんであろうか? 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/03/31(Thu) 08:52  

さきるうねANNEX−Ω   訪問者数:11783182(今日:846/昨日:1930) 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/03/31(Thu) 08:02 赤口(癸未) 旧暦 2/29 月齢 28.4

Lara Fabian - Perdere l'Amore (English lyrics translation)
http://www.youtube.com/watch?v=jJ_k43OOsXU&list=RDMM&index=4

え!

図書館にブルックハルトが一冊もないって?

世界の名著でブルクハルトの「ルネサンス・・」だけ、「世界史的考察」はない

プアだね、まったく今どきの図書館、基本図書さえそろえていない

あるのは流行ものの売れ行き商品ばかり

無理もないです、職員のほとんどが委託で、それも図書販売奸計の組織から派遣

司書は?

だいたい、二人だけですね

むっかしは、図書館が市役所の天下り先で、水道局の幹部が館長になったり

だから、図書館はむかしから知的でぢゃない

いまぢゃ、商業権化そのもので、うれないものはおかない

マスコミと同じになってしまったのですね

ふんで、エリアーデもなかった

あるわけないぢゃないですか

古書肆でいい値段がついていて、エリアーデは売筋だから安価にはしないと・・

物好きが買うだけですから

フーコーも一冊もなかった数十年まえに比して、何冊かあった

なかったころは都立図書館から取り寄せ借り出したが、都立にない場合は国会図書館から

借りられますが、館内閲覧のみで持ち出し厳禁です

他館から借り出しは3週間限定、地元の半分の期間で全部読めってか?

国会からの借り出しは、その場で館内で読むだけとは、日参せねばならぬ

どうも、図書館のシステムも、病院のシステムも、あの霞が関官僚機構に似て、イスマイル派「暗殺団」だね



アクセスが周辺に行くほど限られ、情報もかぎられ、公開、民主主義というものからほど遠い

病院だって、税金で共済、共済は税金ではありえません、共済組合の私的組織でですといいながら、その組合員の給料は税金で、その税金で運営されている病院へ、税金を納めている公務員以外の患者がいけば、もう、初診料でバカ高い、一般市民は老人病院としては使えぬが、公務員は一般の老人病院へいかんで、救急高度医療病院を老人病院化して使用し、死ぬのにかかる費用が一般庶民の10分の1以下か。

不公平

そんな図書館、医療もさることながら、昨今、日興証券の幹部副社長が検察に挙げられる株価操作、あれもいつものことながら、まことにおかしい。

イスマイル派「暗殺団」の中心へいけばいくほど、もっと大規模にもっと真っ黒な疑惑があっても、まったくそこはアンタッチャブル、例えば、NTTの株式公開とか、あのNTTの公開、そのNTTデータの分離公開、都市開発の分離公開、とか、んったく、公的詐欺の連続であっても、まったく、司直の手は入らない

公務員のお偉いさんへの証券会社の損失補填には司直も目をつぶる

公務員のOB/OGの脱税には司直も目をつぶる

国税庁は幹部OB/OGの弁護士税理士が手掛ける相続税は簿価相続なんぞという一般民間には御法度のことをザルのごとく適用する

都合のわるいことは「私」的なものとしてすべて情報公開を拒む、民主主義

のりべんがあたりまえの答弁弁当


世のほとんどの談合が公的談合であって、イスマイル派「暗殺団」の中心からの意向に基づく談合であるにもかかわらず、罰せれるのは周辺の下っ端暗殺団員

警察の汚職はトカゲの尻尾切で、ことを濁す

警察という組織の末端の暗殺団員の暗闇でさえそうなんだから、その警察や検察や裁判所が固く守りをかためる中枢部の暗黒弩が思いやられる

政治家、政治屋は、いかにもてめえの周りに下っ端警察をもって身を守っているようでありながら、ピエロ、山の老人中枢機構の周辺の甘い蜜に群がるピエロめいて、その中枢機構の意向に逆らえば、周辺警護の下っ端暗殺団の手に掛かる

して、その山の老人、老人の周辺あたりのひとりひとりをみれば、つきあってみれば、素晴らしいやつ、個人的にはね、聡明で目も明るく、趣味も豊かで、さして守銭奴、悪魔めいたところもない

だうして、そういういいやつらが、ああいう、悪いことをするようになるのであらうか?

イスマイル「暗殺団」

組織が悪い

組織に入ると人間が悪くなる

組織悪とでもいうんでしょうか

とくに日本の場合は「合法的」悪がまかり通る

それを「公」という

すべては「公」にしてお「国」のためと

そうして太平洋戦争も行ったし、いまでも、それは変わらぬ

「公」や「国」ちうもんがもつ悪魔的作用

さういうもんをどうしたら、ストップできるんであろうか?

ちょっと方向がズレてきたぞ

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54878] おめでたいのが多いから民主主義はやめられません ひひひ 民主主義万歳!暗殺者集団 解剖集団 解体集団 脱構築集団 んでも、暗殺して解体、脱構築したら、また構築して再生させねばならん イスマール派「暗殺集団」の永劫回帰 Re:[54877] デカルトが試みた如く自覚からでなければならない。 *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★ こういうことをやるから目がぐりぐりと痛み出すんだねRe:[54876] 材料買い揃えました。料理は? 同行二人 仏は仏 ただそれだけ ただそれだけのことが、メタメタむずかしいことでもないのにメッタヤタラと論理を超越してもでてこない 悪魔はどんな顔をしているか?救世主はどんな顔をしているか? 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/03/30(Wed) 14:53  

> とさねへとANNEX−Ω   訪問者数:11781513(今日:1107/昨日:757) 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/03/30(Wed) 08:33 大安(壬午) 旧暦 2/28 月齢 27.4
>
> 今日は大安か、やだねえ
>
> 日曜日にもう咲き誇った桜堤をcyclingして人混みにまみれて以来、右目がぐりぐりして痛くてしようがない
>
> 熱いタオルをあててみたら?
>
> あててみてもおさまらない
>
> 目薬さした?
>
> さしてもおさまらない
>
> 寝た?
>
> 寝てみてもおさまらない、夢みる目玉さへぐりぐりしてろくなゆめもみない
>
> さういえば、今朝4時過ぎに目覚める直前に、なんか数字がびっしり並んでいる表、その裏にまた別の数字がびっしり並んでいて、妙に納得して目覚めたが、夢というものはそのときに記録しておかないと、もう、5時間もたてば、いったいその数字がなんだったのか、裏の数字で安心したのはなんだったのか、まるで思い出さない

昼めしをくって、きのこスパッゲティー、また寝た、また見た、夢

こんどはなんだか、白い曲線が無数に交差7して広がっている

まるで生きているみたいに動き回って、また裏をみたら同じようなこんだあ交差した無数の直線

裏から表にひっくりかえしたら交差したむずび目に岩下志麻がにっこり

そこで目覚めて考えた

あれは、うごきまわり触手を伸ばす神経細胞ネットワーク

その接点に岩下志摩がにっこり笑っていて、あのネットの先には、きっと、あれ、あれ、あれが出てこない、ネット、ああ、浅岡ルリ子とか・・

やだあ、浅丘ルリ子って、まだ生きているのよ

死んでいようが、生きていようが、べつに好みでもなければ、嫌でもない

して裏側は?

霊界通信網

だれ?

だれだかわからん、ぜんぜん顔がない、無数の直線が交差するだけ

> すっかたねえから覚めたところで返さねばならんもんの、幾許かを
>
>
>
> > むいまうまANNEX−Ω   訪問者数:11779308(今日:703/昨日:1788)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/03/28(Mon) 11:50
> >
> > さてとん、そろそろ期日、返すもんも返さねばならぬ
> >
> > ヘイドン・ホワイト著 岩崎稔監訳「メタヒストリー」作品社 2017年
> >
> > この700頁に喃々とする書物
> >
> > いちいちが結構硬いから噛み砕き咀嚼して呑み込むのも大変で、下手をすると誤嚥になりかねない、読む
> >
> > 短期間では読み切れぬ
> >
> > 読み切る必要もない
> >
> > ぱらぱらと読む
> >
> > 読み始めてこれは、なんと申しましょうか、井筒の東洋哲学の共時的構造化、構築化に匹敵する歴史学の共時的構造化、構築化
>
> 「メタヒストリー―一九世紀ヨーロッパにおける歴史的想像力」書評 歴史を「言語」から見直す企て
> 評者: 柄谷行人 / 朝⽇新聞掲載:2017年11月12日
> http://book.asahi.com/article/11577710
>
> ヘイドン・ホワイトの『メタヒストリー ⼗九世紀ヨーロッパにおける歴史的想像⼒』
> における「歴史の詩学(The Poetics of history)」についての考察(⻑島徹)
> http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/75428/1/phil_reli_2-2.pdf
>
> 柄谷も、例の口調、なになにではない、そうではなくて・・、とか、なになにせねばならない、とか一神教的絶叫定言命令口調が激しく鼻につく、あのころの西欧に毒されたもんはみなこの調子で、ほかにも著名なもんがおったが、名前が出てこぬ
>
> まあ、書評や紹介ぢゃ、核心をついたことも云えぬのであらうが、いかにも、両書評だか研究にしても、皮相を撫でただけで、美味しくない
>
> 不味い
>
> 眼光裏に徹する趣がない
>
> ぺろぺろなめちゃあ、インテリブル、ぶる、ぶる
>
> ま、ノマディズムだか彷徨だか脱構築だかしらんが、そういう追っかけが多いね。

軽薄

軽くて薄い

だからちょっとの砂漠の砂嵐でもすっ飛んでいっちゃう

駱駝になれ!

驢馬になれ!

> > メタとはなんだ?
> >
> > *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
> >
> > メタ(meta-、 古希: μετὰ-) とは、以下の意味を持つ接頭辞である:
> >
> > §一般的な意味
> >  §「あとに」という意味の古代ギリシャ語の接頭辞[1]。
> >  §転じて「超越した」、「高次の」という意味の接頭辞で[2]、ある学問や視点の外側にたって見る事を意味する[1]。
> >  §「変化」を意味する接頭辞。例えばmetamorphose(変化)、metabolism(代謝)などで用いられる[3]。
> >
> > 「ある学問や視点の外側にたって見る」の用例
> > 「ある学問や視点の外側にたって見る」という意味はアリストテレスの著書『メタピュシカ』(形而上学)に由来しており[1]、哲学では他にも「メタ倫理学」、「メタ哲学」等の用例がある。
> >
> > *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
>
> もとに戻れ!
>
> > 読み始めてこれは、なんと申しましょうか、井筒の東洋哲学の共時的構造化、構築化に匹敵する歴史学の共時的構造化、構築化
>
> これは褒めすぎかもしれぬ

たしかに誉めすぎ

思考の型が違う

ホワイトもあちゃらんの例にもれず、分析をよくする

その分析に型をもってきて、そこに嵌めてみる

> でもね、硬いけれど、結構味わいがある
>
> 身になる、栄養になる
>
> だう身になるのか、栄養になるのか 
>
> まず、第一にこれは歴史を皮相ではうたっているが、その歴史において深みがある
>
> 歴史を語りながら、思想を語る、思想をかたりながら、人間をかたる
>
> その人間が思想を表現する、歴史を表現する
>
> その表現のフォルマリズム
>
> ホワイト自身の研究対象、歴史的表現、思想的表現、人間的表現への好悪、評価は棚上げにして形式を透視しようとする

その型がフォルマリズムによる喩法

一種の言語の型、だけど、そこにあの一神教的毒の臭み、毒性はあまりないようだ

> その形式主義ゆえに、ことさらに浮かび上がってくるものがある
>
> その最も基底にあるものが、最初の章
>
> 序論 歴史の詩学
>
> そう、貫くものは、詩

詩でとまったところがよろしい

これをもっと分解して、アルファベットまで分解、その一歩手前のワードのabcの入れ替え、表音文字のところまで分解されると、表意文字の世界の住人には理解しずらくなる

だから、書き言葉ぢゃなくて、話しコトバ、発声のいちいちのaiueoは表音だから、そうしてソシュール的・・・

いえね、いいたいことは、喩法、喩法でとまれば、そこまでいかんでもよろしい

人間だれでも共通だから

たとえば、あの狼のトーテム

宗教的だか民族的敵だか知らんが集団由来の象徴

卍、逆卍

お寺の象徴でもあるが、ナチも使った

むっかし、卍を額に入れ墨した騎馬民族がカムチャッカからヨーロッパまで走り回った

その棟梁が日本に来て聖徳太子だ、という一説もある

人間混血はどこでおこっているかしれないし、ましてや霊界通信ともなれば縦横無尽

イスマール派「暗殺集団」(井筒)を思い出す

あの、何重もの○の中心、裾野の広い岩山の天辺に

山の老人

その老人は、まるでアッラーの化身の生神で、それを頂点にして取り巻きが何階級にも分かれて山の裾野までひろがる

いまのロシアみたいだ、中国みたいだ

はたまた、アメリカだって、トルコだって、韓国だって、日本だって似たようなもんだ

そこが専制がむき出しになっておるか、民主という欺瞞のオブラートがかかっているかだけの違い

ロシアだって、中國だって、民主を標榜しちょる

民主ってまことに都合のよいベールなんでね、手放せません

ベールを剥げば、悪魔の顔

一番下っ端は暗殺集団、もっかのウクライナに派遣された暗殺集団

でもね、おなじ暗殺が民主のなのもとにおこなわれているでしょ、どこでも

それがみえないの?

おめでたいね

おめでたいのが多いから民主主義はやめられません

ひひひ

民主主義万歳!


> いかにナラティブに語ろうが演劇、悲喜劇的、あるいは、イデオロギー的であらうが、そこを貫くく基底に詩の表現方法、喩法をみる
>
> これは面白いね、餌になる、栄養になる
>
> 井筒の東洋哲学の共時的構造化論文、これがまさに詩であり交響曲であることはまえにも云った
>
> その詩と交響曲の表現方法、畢竟、表現せねば詩にも曲になりえぬ、そこの根っこをみる
>
> さういうことにも使える
>
> 井筒の神秘主義への切り込みは鉈でありながら剃刀的な鋭さもある
>
> その切り出した料理はまことに美味しい、栄養になる

体験、経験的に共感、共鳴、共振する

> ホワイトの剃刀が切り出したものはいわば方法論であってそのかぎりにおいてはキッチン用具に等しいが、それでも切れ味のある用具、包丁、それも姪の入ったとびきりの包丁で、その包丁で歴史家や歴史哲学者がいかにしてその包丁をつかっているか、その各論にいたれば、肉の味わいもあれば、サラダの味わいもある

これは、黄泉として、うむ、読みとしての経験では納得できるが、体験的に共感、共鳴、共振するまでには、いたらぬ

そこに違いがある

でも鋭利なツールであることには違いない

暗殺者集団

解剖集団

解体集団

脱構築集団

んでも、暗殺して解体、脱構築したら、また構築して再生させねばならん

イスマール派「暗殺集団」の永劫回帰


> その歴史家や歴史哲学者には、もちろん、井筒ははいっていないが、さういう包丁でこんどは井筒を料理してみることも可能だろう
>
> 井筒ばかりではない、ドストエフスキーだって、バルザックだって、料理できる
>
> 大拙も幾多郎も俎上にのせる
>
> ホワイトのブルックハルト論−風刺劇としての歴史的リアリズム
>
> は、まだ、よくよんでおらんが
>
> ニーチェ論−隠喩の様式における歴史の詩的弁護
>
> これなんざあ、秀逸なニーチェ論だね

軽跳と重呑

あれは驢馬でも駱駝でもない

自分は犀になりたっかようだが・・

やっぱり超人だね

昨今の軽佻浮薄なエピゴーネンとはわけが違う

> フランスで毒に酩酊してふらつく最近のノマディズムだか彷徨だか脱構築だかしらんが、そういう追っかけの比ぢゃねえ
>
> > よいじゃあ、ないね
> >
> > メタは「超越」と・・
> >
> > やはり、こういうメタの「立」場でもやっぱり立って上へ上へと超えて越える、頭ごなし
> >
> > 横超ということはメタでもないらしい
> >
> > 水平跳び
> >
> > 同行二人
> >
> > お大師様と一緒に歩いて遍路道
> >
> > お大師様は仏さま
> >
> > 仏さまと一緒に歩いて同行二人
> >
> > 横超
>
> 私が仏になる
>
> ダメダメ
>
> 私と仏がまだ分裂している
>
> > 仏が仏になる
>
> 是もダメ
>
> いまだ即一になっていない
>
> > なる必要すらない
> >
> > 仏は仏
> >
> > ただそれだけ
> >
> > ただそれだけのことが、メタメタむずかしいことでもないのにメッタヤタラと論理を超越してもでてこない
> >
> > なんでぢゃろ?
> >
> > 全てを対象化しているから、外に向けても、内に向かても
> >
> > 内も外もない
> >
> > 内外
> >
> > 内即外
> >
> > こういうのを「メタヒストリー」で
> >
> > *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
> >
> > アイロニーという喩法に含まれるものとして、ホワイトは、たとえば「耳をつんざくような静寂」「真昼の暗黒」といった撞着語法・・・
> >
> > *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
> >
> > して撞着語法とは
> >
> > *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
> >
> > 撞着語法(どうちゃくごほう、英語: oxymoron)とは、修辞技法のひとつ。「賢明な愚者」「明るい闇」など、通常は互いに矛盾していると考えられる複数の表現を含む表現のことを指す。形容詞や連体修飾語、句、節などが、修飾される名詞と矛盾することとしては、形容矛盾(けいようむじゅん)とも言う。論理的には、「Aであって、かつ、not A」であるということはありえない(矛盾律)のにもかかわらず、そうであるかのように語ることである。狭い見方をすればつじつまがあわず、単なる誤謬にすぎないように見えるが、複雑な内容を簡潔に表現する修辞法として用いられている場合もある。
> >
> > (例いろいろ)
> >
> > 撞着語法の効果
> > Edit-find-replace.svg
> > この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2014年3月)
> >
> > 撞着語法を用いて、受け手に強い違和感を与えることで、言及している内容への興味を誘引したりすることができる。 また、敢えて矛盾した語を以って対象を説明することにより、対象への皮肉としての効果をもつ場合がある。 一方で、一見「深い意味や含蓄のある」ように見えて、内容の伴わない単なる言葉遊びに終始してしまう恐れがあるため、注意が必要である。
> >
> > 文学では、シェイクスピアが『マクベス』のなかで「きれいは汚い、汚いはきれい・・・」という表現を用いたのが有名。
> >
> > *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
> >
> > ところで悪魔はどんな顔をしているか?
>
> ベロだしアインシュタイン
>
> > 救世主はどんな顔をしているか?
>
> ベロだしアインシュタイン
>
> ふざけてんぢゃねえのよ、真面目
>
> > 材料買い揃えました。料理は?
> >
> > あんた、1兆円もうけて、、どうすんの?
>
> 一兆円もうけた話はさておいて・・
>
> 底本:「西田幾多郎哲学論集3[#「3」はローマ数字3、1-13-23] 自覚について」岩波文庫、岩波書店
> https://www.aozora.gr.jp/cards/000182/files/3216_16432.html
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
>
> 青空文庫 西田幾多郎哲学論集3 自覚について 「撞着」
>
>  人は自己が自己を知ることはできないという。かかる場合、人は知るということを、対象認識の意味においていっているのである。かかる意味において、自己が自己を知るということのできないのはいうまでもない。自己は自己の対象となることはできない。自己の対象となるものは自己ではない。然らば自己は単に不可知的か。単に不可知的なるものは、無と択
>
> えら
>
> ぶ所はない。自己は単なる無か。自己を不可知的というものは、何物か。対象的に知ることのできない自己は、最も能
>
> よ
>
> く自己に知れたものでなければならない。一方に我々は自己が自己自身を知ると考える、かかる意味において知るとは、如何なることを意味するのであるか。かかる意味において知るということが、先ず問題とせられなければならない。対象認識もそこからであろう。対象認識の立場から出立する人は、自己そのものの存在ということも、時間空間の形式に当嵌
>
> あては
>
> めて対象的に考える。心理的自己としては、我々の自己も爾
>
> しか
>
> 考えることができる。しかしそれは考えられた自己であって、考える自己ではない。何人
>
> なんぴと
>
> の自己でもあり得る自己である。自覚的自己の自己存在形式ではない。
>
>
> 知るということは事実ではあるが、単に時間空間的事実としては、知るということは考えられない。知るものは、時空の世界においてあるとともに、これを越えたものでなければならない。如何にして時空の世界の中にありて、しかもこれを越えるということが可能であるか。それは表現的関係によって考えられねばならない。自己が世界を表現するとともに、世界の自己表現の一立脚点である。かかる矛盾的自己同一の形式によって、我々の自己の自覚的存在が考えられるのである。世界の内にあるとともに、いつも世界を越えている。かかる内在即超越、超越即内在の形式によって、一度的なる唯一的自己、歴史的自己というものが考えられるのである。自覚的自己は履歴を有
>
> も
>
> ったものでなければならない。時間空間の形式というものも、自己表現的世界の自己形成の形式として、論理的に考えられるのである。かかる世界は多の自己否定的一として時間的に、一の自己否定的多として空間的であるのである。表現するものが表現せられるものであるということが知るということであり、自覚においては、知るものと知られるものとが一であるのである。而
>
> しか
>
> してあるということが知るということであり、知るということがあるということである。故に自覚においては、存在が本質であり、本質が存在である(essentia=existentia)。かかる実在の立場から無限の当為が出て来るのである。我々の自己が唯一的に個となればなるほど、自己自身を限定する事として、絶対の当為に撞着
>
> どうちゃく
>
> するのである。あるいは我々の自己の自覚を離れて、単なる物の知識、単なる物の存在というものもあるではないかといわれるかも知れない。しかしそれらの基礎附けも、深く考えれば考えるほど、かつてデカルトが試みた如く自覚からでなければならない。
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
>
> こういうことをやるから目がぐりぐりと痛み出すんだね

まだ、目がぐりぐりしている

ぐりぬいちゃおうか?

目が見えなくなる、それもいいかも

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54877] デカルトが試みた如く自覚からでなければならない。 *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★ こういうことをやるから目がぐりぐりと痛み出すんだねRe:[54876] 材料買い揃えました。料理は? 同行二人 仏は仏 ただそれだけ ただそれだけのことが、メタメタむずかしいことでもないのにメッタヤタラと論理を超越してもでてこない 悪魔はどんな顔をしているか?救世主はどんな顔をしているか? 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/03/30(Wed) 09:37  

とさねへとANNEX−Ω   訪問者数:11781513(今日:1107/昨日:757) 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/03/30(Wed) 08:33 大安(壬午) 旧暦 2/28 月齢 27.4

今日は大安か、やだねえ

日曜日にもう咲き誇った桜堤をcyclingして人混みにまみれて以来、右目がぐりぐりして痛くてしようがない

熱いタオルをあててみたら?

あててみてもおさまらない

目薬さした?

さしてもおさまらない

寝た?

寝てみてもおさまらない、夢みる目玉さへぐりぐりしてろくなゆめもみない

さういえば、今朝4時過ぎに目覚める直前に、なんか数字がびっしり並んでいる表、その裏にまた別の数字がびっしり並んでいて、妙に納得して目覚めたが、夢というものはそのときに記録しておかないと、もう、5時間もたてば、いったいその数字がなんだったのか、裏の数字で安心したのはなんだったのか、まるで思い出さない

すっかたねえから覚めたところで返さねばならんもんの、幾許かを



> むいまうまANNEX−Ω   訪問者数:11779308(今日:703/昨日:1788)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/03/28(Mon) 11:50
>
> さてとん、そろそろ期日、返すもんも返さねばならぬ
>
> ヘイドン・ホワイト著 岩崎稔監訳「メタヒストリー」作品社 2017年
>
> この700頁に喃々とする書物
>
> いちいちが結構硬いから噛み砕き咀嚼して呑み込むのも大変で、下手をすると誤嚥になりかねない、読む
>
> 短期間では読み切れぬ
>
> 読み切る必要もない
>
> ぱらぱらと読む
>
> 読み始めてこれは、なんと申しましょうか、井筒の東洋哲学の共時的構造化、構築化に匹敵する歴史学の共時的構造化、構築化

「メタヒストリー―一九世紀ヨーロッパにおける歴史的想像力」書評 歴史を「言語」から見直す企て
評者: 柄谷行人 / 朝⽇新聞掲載:2017年11月12日
http://book.asahi.com/article/11577710

ヘイドン・ホワイトの『メタヒストリー ⼗九世紀ヨーロッパにおける歴史的想像⼒』
における「歴史の詩学(The Poetics of history)」についての考察(⻑島徹)
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/75428/1/phil_reli_2-2.pdf

柄谷も、例の口調、なになにではない、そうではなくて・・、とか、なになにせねばならない、とか一神教的絶叫定言命令口調が激しく鼻につく、あのころの西欧に毒されたもんはみなこの調子で、ほかにも著名なもんがおったが、名前が出てこぬ

まあ、書評や紹介ぢゃ、核心をついたことも云えぬのであらうが、いかにも、両書評だか研究にしても、皮相を撫でただけで、美味しくない

不味い

眼光裏に徹する趣がない

ぺろぺろなめちゃあ、インテリブル、ぶる、ぶる

ま、ノマディズムだか彷徨だか脱構築だかしらんが、そういう追っかけが多いね。

> メタとはなんだ?
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
>
> メタ(meta-、 古希: μετὰ-) とは、以下の意味を持つ接頭辞である:
>
> §一般的な意味
>  §「あとに」という意味の古代ギリシャ語の接頭辞[1]。
>  §転じて「超越した」、「高次の」という意味の接頭辞で[2]、ある学問や視点の外側にたって見る事を意味する[1]。
>  §「変化」を意味する接頭辞。例えばmetamorphose(変化)、metabolism(代謝)などで用いられる[3]。
>
> 「ある学問や視点の外側にたって見る」の用例
> 「ある学問や視点の外側にたって見る」という意味はアリストテレスの著書『メタピュシカ』(形而上学)に由来しており[1]、哲学では他にも「メタ倫理学」、「メタ哲学」等の用例がある。
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

もとに戻れ!

> 読み始めてこれは、なんと申しましょうか、井筒の東洋哲学の共時的構造化、構築化に匹敵する歴史学の共時的構造化、構築化

これは褒めすぎかもしれぬ

でもね、硬いけれど、結構味わいがある

身になる、栄養になる

だう身になるのか、栄養になるのか 

まず、第一にこれは歴史を皮相ではうたっているが、その歴史において深みがある

歴史を語りながら、思想を語る、思想をかたりながら、人間をかたる

その人間が思想を表現する、歴史を表現する

その表現のフォルマリズム

ホワイト自身の研究対象、歴史的表現、思想的表現、人間的表現への好悪、評価は棚上げにして形式を透視しようとする

その形式主義ゆえに、ことさらに浮かび上がってくるものがある

その最も基底にあるものが、最初の章

序論 歴史の詩学

そう、貫くものは、詩

いかにナラティブに語ろうが演劇、悲喜劇的、あるいは、イデオロギー的であらうが、そこを貫くく基底に詩の表現方法、喩法をみる

これは面白いね、餌になる、栄養になる

井筒の東洋哲学の共時的構造化論文、これがまさに詩であり交響曲であることはまえにも云った

その詩と交響曲の表現方法、畢竟、表現せねば詩にも曲になりえぬ、そこの根っこをみる

さういうことにも使える

井筒の神秘主義への切り込みは鉈でありながら剃刀的な鋭さもある

その切り出した料理はまことに美味しい、栄養になる

ホワイトの剃刀が切り出したものはいわば方法論であってそのかぎりにおいてはキッチン用具に等しいが、それでも切れ味のある用具、包丁、それも姪の入ったとびきりの包丁で、その包丁で歴史家や歴史哲学者がいかにしてその包丁をつかっているか、その各論にいたれば、肉の味わいもあれば、サラダの味わいもある

その歴史家や歴史哲学者には、もちろん、井筒ははいっていないが、さういう包丁でこんどは井筒を料理してみることも可能だろう

井筒ばかりではない、ドストエフスキーだって、バルザックだって、料理できる

大拙も幾多郎も俎上にのせる

ホワイトのブルックハルト論−風刺劇としての歴史的リアリズム

は、まだ、よくよんでおらんが

ニーチェ論−隠喩の様式における歴史の詩的弁護

これなんざあ、秀逸なニーチェ論だね

フランスで毒に酩酊してふらつく最近のノマディズムだか彷徨だか脱構築だかしらんが、そういう追っかけの比ぢゃねえ

> よいじゃあ、ないね
>
> メタは「超越」と・・
>
> やはり、こういうメタの「立」場でもやっぱり立って上へ上へと超えて越える、頭ごなし
>
> 横超ということはメタでもないらしい
>
> 水平跳び
>
> 同行二人
>
> お大師様と一緒に歩いて遍路道
>
> お大師様は仏さま
>
> 仏さまと一緒に歩いて同行二人
>
> 横超

私が仏になる

ダメダメ

私と仏がまだ分裂している

> 仏が仏になる

是もダメ

いまだ即一になっていない

> なる必要すらない
>
> 仏は仏
>
> ただそれだけ
>
> ただそれだけのことが、メタメタむずかしいことでもないのにメッタヤタラと論理を超越してもでてこない
>
> なんでぢゃろ?
>
> 全てを対象化しているから、外に向けても、内に向かても
>
> 内も外もない
>
> 内外
>
> 内即外
>
> こういうのを「メタヒストリー」で
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
>
> アイロニーという喩法に含まれるものとして、ホワイトは、たとえば「耳をつんざくような静寂」「真昼の暗黒」といった撞着語法・・・
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
>
> して撞着語法とは
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
>
> 撞着語法(どうちゃくごほう、英語: oxymoron)とは、修辞技法のひとつ。「賢明な愚者」「明るい闇」など、通常は互いに矛盾していると考えられる複数の表現を含む表現のことを指す。形容詞や連体修飾語、句、節などが、修飾される名詞と矛盾することとしては、形容矛盾(けいようむじゅん)とも言う。論理的には、「Aであって、かつ、not A」であるということはありえない(矛盾律)のにもかかわらず、そうであるかのように語ることである。狭い見方をすればつじつまがあわず、単なる誤謬にすぎないように見えるが、複雑な内容を簡潔に表現する修辞法として用いられている場合もある。
>
> (例いろいろ)
>
> 撞着語法の効果
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> この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2014年3月)
>
> 撞着語法を用いて、受け手に強い違和感を与えることで、言及している内容への興味を誘引したりすることができる。 また、敢えて矛盾した語を以って対象を説明することにより、対象への皮肉としての効果をもつ場合がある。 一方で、一見「深い意味や含蓄のある」ように見えて、内容の伴わない単なる言葉遊びに終始してしまう恐れがあるため、注意が必要である。
>
> 文学では、シェイクスピアが『マクベス』のなかで「きれいは汚い、汚いはきれい・・・」という表現を用いたのが有名。
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
>
> ところで悪魔はどんな顔をしているか?

ベロだしアインシュタイン

> 救世主はどんな顔をしているか?

ベロだしアインシュタイン

ふざけてんぢゃねえのよ、真面目

> 材料買い揃えました。料理は?
>
> あんた、1兆円もうけて、、どうすんの?

一兆円もうけた話はさておいて・・

底本:「西田幾多郎哲学論集3[#「3」はローマ数字3、1-13-23] 自覚について」岩波文庫、岩波書店
https://www.aozora.gr.jp/cards/000182/files/3216_16432.html

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

青空文庫 西田幾多郎哲学論集3 自覚について 「撞着」

 人は自己が自己を知ることはできないという。かかる場合、人は知るということを、対象認識の意味においていっているのである。かかる意味において、自己が自己を知るということのできないのはいうまでもない。自己は自己の対象となることはできない。自己の対象となるものは自己ではない。然らば自己は単に不可知的か。単に不可知的なるものは、無と択

えら

ぶ所はない。自己は単なる無か。自己を不可知的というものは、何物か。対象的に知ることのできない自己は、最も能



く自己に知れたものでなければならない。一方に我々は自己が自己自身を知ると考える、かかる意味において知るとは、如何なることを意味するのであるか。かかる意味において知るということが、先ず問題とせられなければならない。対象認識もそこからであろう。対象認識の立場から出立する人は、自己そのものの存在ということも、時間空間の形式に当嵌

あては

めて対象的に考える。心理的自己としては、我々の自己も爾

しか

考えることができる。しかしそれは考えられた自己であって、考える自己ではない。何人

なんぴと

の自己でもあり得る自己である。自覚的自己の自己存在形式ではない。





知るということは事実ではあるが、単に時間空間的事実としては、知るということは考えられない。知るものは、時空の世界においてあるとともに、これを越えたものでなければならない。如何にして時空の世界の中にありて、しかもこれを越えるということが可能であるか。それは表現的関係によって考えられねばならない。自己が世界を表現するとともに、世界の自己表現の一立脚点である。かかる矛盾的自己同一の形式によって、我々の自己の自覚的存在が考えられるのである。世界の内にあるとともに、いつも世界を越えている。かかる内在即超越、超越即内在の形式によって、一度的なる唯一的自己、歴史的自己というものが考えられるのである。自覚的自己は履歴を有



ったものでなければならない。時間空間の形式というものも、自己表現的世界の自己形成の形式として、論理的に考えられるのである。かかる世界は多の自己否定的一として時間的に、一の自己否定的多として空間的であるのである。表現するものが表現せられるものであるということが知るということであり、自覚においては、知るものと知られるものとが一であるのである。而

しか

してあるということが知るということであり、知るということがあるということである。故に自覚においては、存在が本質であり、本質が存在である(essentia=existentia)。かかる実在の立場から無限の当為が出て来るのである。我々の自己が唯一的に個となればなるほど、自己自身を限定する事として、絶対の当為に撞着

どうちゃく

するのである。あるいは我々の自己の自覚を離れて、単なる物の知識、単なる物の存在というものもあるではないかといわれるかも知れない。しかしそれらの基礎附けも、深く考えれば考えるほど、かつてデカルトが試みた如く自覚からでなければならない。

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

こういうことをやるから目がぐりぐりと痛み出すんだね


やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54876] 材料買い揃えました。料理は? 同行二人 仏は仏 ただそれだけ ただそれだけのことが、メタメタむずかしいことでもないのにメッタヤタラと論理を超越してもでてこない 悪魔はどんな顔をしているか?救世主はどんな顔をしているか? 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/03/28(Mon) 15:23  

むいまうまANNEX−Ω   訪問者数:11779308(今日:703/昨日:1788)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/03/28(Mon) 11:50

さてとん、そろそろ期日、返すもんも返さねばならぬ

ヘイドン・ホワイト著 岩崎稔監訳「メタヒストリー」作品社 2017年

この700頁に喃々とする書物

いちいちが結構硬いから噛み砕き咀嚼して呑み込むのも大変で、下手をすると誤嚥になりかねない、読む

短期間では読み切れぬ

読み切る必要もない

ぱらぱらと読む

読み始めてこれは、なんと申しましょうか、井筒の東洋哲学の共時的構造化、構築化に匹敵する歴史学の共時的構造化、構築化

メタとはなんだ?

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

メタ(meta-、 古希: μετὰ-) とは、以下の意味を持つ接頭辞である:

§一般的な意味
 §「あとに」という意味の古代ギリシャ語の接頭辞[1]。
 §転じて「超越した」、「高次の」という意味の接頭辞で[2]、ある学問や視点の外側にたって見る事を意味する[1]。
 §「変化」を意味する接頭辞。例えばmetamorphose(変化)、metabolism(代謝)などで用いられる[3]。

「ある学問や視点の外側にたって見る」の用例
「ある学問や視点の外側にたって見る」という意味はアリストテレスの著書『メタピュシカ』(形而上学)に由来しており[1]、哲学では他にも「メタ倫理学」、「メタ哲学」等の用例がある。

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メタ論理学

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メタ倫理学の歴史
メタ倫理学という分野は1903年G. E. ムーア が『倫理学原理』を出版したことを起点とする。その後1960年ごろまで、英米の倫理学といえばメタ倫理学であり、規範倫理学の研究はマイナーな領域におとされていた。この間に情緒主義や指令主義といった非認知主義の立場が登場し、1960年代にはメタ倫理学は非認知主義によって制された観があった。

しかしその後、1970年代に規範倫理学が復権をはたし、倫理学の本流は規範的な問題、応用倫理学的な問題へと移る。また、メタ倫理学の内部では、錯誤理論、コーネル実在論、マクダウェルの理論など認知主義系のさまざまな立場が提案され、1980年代にはメタ倫理学はまた活況を呈するようになる。

メタ倫理学における対立の構図
メタ倫理学の学説の多くは、対立し合ったいくつかの主張の組み合わせによって成り立っている。ここではその代表的な対立軸を述べる。

認知主義vs非認知主義
道徳判断が何を意味しているのかという点で、認知主義(cognitivism)と非認知主義(non-cognitivism)が対立している。認知主義とは、道徳判断はなんらかの事実についての認知であり、真偽の区別が可能である(truth-apt)とする立場である。それに対して非認知主義(non-cognitivism)は、道徳判断は事実についての認知ではなく真偽の区別が不可能である、あるいは少なくとも事実についての認知以外の要素を含んでいると考える立場である。

実在論vs反実在論
認知主義の中ではその認知対象の実在性や客観性をめぐって、実在論(realism)と反実在論(anti-realism)が対立している。実在論は、道徳判断の対象は主観的な認知状態から独立しており、客観的に真偽が決まるという立場である。それに対して反実在論は、道徳判断の対象は客観的な世界の側には実在しておらず、主観的な感情などに依存しているという立場である。

自然主義vs非自然主義
道徳判断の対象である道徳的事実について、道徳的事実は自然科学の研究対象となりうる自然的事実(例えば快楽や種の進化など)に還元できると考える自然主義(naturalism)と、道徳的事実は何か他の自然的対象を参照しなくても道徳的事実であるとする非自然主義(non-naturalism)が対立している(非自然主義は道徳的事実は自然的事実(natural facts)だけでなく、神の存在(supernatural facts)のような実在しないものにも還元できない立場をとる[1])。

外在主義vs内在主義
道徳的判断が必然的に行為の動機づけを含んでいるのかどうかで、外在主義(externalism)と内在主義(internalism)が対立する。外在主義とは、動機づけの要素は価値判断の外部にあり、心理学的な連結によって偶然的に結びついているだけだという立場である。それに対して内在主義は、動機づけの要素は価値判断の内部に存在していると考える立場である。

メタ倫理学における様々な立場
定義的自然主義
認知主義・実在論・自然主義

自然主義(define naturalism)とは、道徳的善悪をなんらかの自然的性質によって定義しようとする立場である。例えば快楽を善とみなす幸福主義や、種の進化を善とみなす進化論がこれにあたる。

直観主義
認知主義・実在論・非自然主義

直観主義(intuitionism)とはG・E・ムーアの立場で、道徳的善悪は自然的対象ではなく、直観という能力によって理解可能な還元不可能な性質であると考える立場である。

表現主義
非認知主義

表現主義(expressivism)とは、道徳判断は信念(「XはYである」という命題構造をもった心的状態)の記述ではなく、何らかの主体の状態を表現したものだと考える立場であり、典型的な非認知主義である。

情緒主義
情緒主義(emotivism、情動主義とも訳される)はA・J・エイヤーやC・L・スティーヴンソンらの立場で、道徳判断は信念ではなく一種の感情の表現であり、あるいはそうした表現を通して相手の感情に訴えかけるための道具であると考える立場である。

規範表出主義
規範表現主義(norm expressivism)はアラン・ギバードの立場で、道徳判断は主体の感情を表現しているのではなく、その主体が規範を受け入れているということを表現するものだと考える立場である。

普遍的指令主義
非認知主義

普遍的指令主義(universal prescriptivism)とはR・M・ヘアの立場で、道徳判断とは普遍化可能な指令であるとする立場である。

錯誤説
認知主義・反実在論

錯誤説(error theory)とはジョン・マッキーの立場で、「善」はそれについて知るだけで動機づけられるという奇妙な性質であるため善は実在しない(したがって善に関する判断は全て過ちである)という立場である。

投影主義
認知主義・反実在論

投影主義(projectivism)とはサイモン・ブラックバーンの立場で、善とは、われわれの態度を対象に投影することで対象の擬似的な性質となったものだと考える立場である。

形而上学的自然主義
認知主義・実在論・自然主義

形而上学的自然主義とは、形而上学的な同一性という概念を用いることで、自然主義的誤謬を回避しながら道徳判断の対象を自然的対象と同一視することが可能であると考える立場である。代表的な立場にコーネル実在論と還元主義がある。

コーネル実在論
コーネル実在論(Cornell realism)とは、コーネル大学のリチャード・ボイドやニコラス・スタージョンらが提案した立場であり、形而上学的自然主義の立場である。次の還元主義とは異なり、道徳的善悪は他の自然的性質に還元不能な独自の自然的性質であると考える。

還元主義
メタ倫理学における還元主義(reductionism)とはピーター・レイルトンの立場で、善を他の非道徳的な自然的性質に還元可能だ考える考え方である。

神命説
認知主義・反実在論

神命説(divine command theory)とは、ロバート・アダムスらの立場で、道徳判断の真偽は、それが神の命令によって是認されるか否かによって決まると考える立場である。

感受性説
認知主義・実在論・非自然主義

感受性説(sensibility theory)はデイヴィッド・ウィギンズやジョン・マクダウェルらの立場で、欲求と信念を区別するヒューム的な心理学を拒絶し、道徳的善悪は、客観的な世界の側に存在しながら、それを認知する主体の感受性に作用し、行為への動機づけを行うような性質をもった特殊な対象であると考える立場である。

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

よいじゃあ、ないね

メタは「超越」と・・

やはり、こういうメタの「立」場でもやっぱり立って上へ上へと超えて越える、頭ごなし

横超ということはメタでもないらしい

水平跳び

同行二人

お大師様と一緒に歩いて遍路道

お大師様は仏さま

仏さまと一緒に歩いて同行二人

横超

仏が仏になる

なる必要すらない

仏は仏

ただそれだけ

ただそれだけのことが、メタメタむずかしいことでもないのにメッタヤタラと論理を超越してもでてこない

なんでぢゃろ?

全てを対象化しているから、外に向けても、内に向かても

内も外もない

内外

内即外

こういうのを「メタヒストリー」で

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

アイロニーという喩法に含まれるものとして、ホワイトは、たとえば「耳をつんざくような静寂」「真昼の暗黒」といった撞着語法・・・

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して撞着語法とは

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撞着語法(どうちゃくごほう、英語: oxymoron)とは、修辞技法のひとつ。「賢明な愚者」「明るい闇」など、通常は互いに矛盾していると考えられる複数の表現を含む表現のことを指す。形容詞や連体修飾語、句、節などが、修飾される名詞と矛盾することとしては、形容矛盾(けいようむじゅん)とも言う。論理的には、「Aであって、かつ、not A」であるということはありえない(矛盾律)のにもかかわらず、そうであるかのように語ることである。狭い見方をすればつじつまがあわず、単なる誤謬にすぎないように見えるが、複雑な内容を簡潔に表現する修辞法として用いられている場合もある。

(例いろいろ)

撞着語法の効果
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この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2014年3月)

撞着語法を用いて、受け手に強い違和感を与えることで、言及している内容への興味を誘引したりすることができる。 また、敢えて矛盾した語を以って対象を説明することにより、対象への皮肉としての効果をもつ場合がある。 一方で、一見「深い意味や含蓄のある」ように見えて、内容の伴わない単なる言葉遊びに終始してしまう恐れがあるため、注意が必要である。

文学では、シェイクスピアが『マクベス』のなかで「きれいは汚い、汚いはきれい・・・」という表現を用いたのが有名。

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ところで悪魔はどんな顔をしているか?
http://www.bing.com/images/search?view=detailV2&ccid=D5g%2ffAjm&id=60A2439DE513DA65563520FDC66E17B2F9BA9961&thid=OIP.D5g_fAjmCt8veohTPqCdJwHaHa&mediaurl=https%3a%2f%2fyt3.ggpht.com%2fa%2fAATXAJyGQ7cilVEGktR14WUfZnDm9dUWIUPgEcU56A%3ds900-c-k-c0xffffffff-no-rj-mo&exph=900&expw=900&q=%e3%82%a2%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a5%e3%82%bf%e3%82%a4%e3%83%b3&simid=608036364299680051&FORM=IRPRST&ck=AADDFA9154DC47CAAE8A0CF527784398&selectedIndex=0&ajaxhist=0&ajaxserp=0

救世主はどんな顔をしているか?
http://www.bing.com/images/search?view=detailV2&ccid=D5g%2ffAjm&id=60A2439DE513DA65563520FDC66E17B2F9BA9961&thid=OIP.D5g_fAjmCt8veohTPqCdJwHaHa&mediaurl=https%3a%2f%2fyt3.ggpht.com%2fa%2fAATXAJyGQ7cilVEGktR14WUfZnDm9dUWIUPgEcU56A%3ds900-c-k-c0xffffffff-no-rj-mo&exph=900&expw=900&q=%e3%82%a2%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a5%e3%82%bf%e3%82%a4%e3%83%b3&simid=608036364299680051&FORM=IRPRST&ck=AADDFA9154DC47CAAE8A0CF527784398&selectedIndex=0&ajaxhist=0&ajaxserp=0

材料買い揃えました。料理は?

あんた、1兆円もうけて、、どうすんの?

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54875] モンゴロイド、コーカソイド、ネグロイド、オーストラロイド、みんな根っこは一緒なんだね 山川草木悉皆成仏 これはロゴスの形式論理学、同一律、矛盾律、排中律ではわからんでしょうなあ 汎神論でおしまい 生きていない、死んだ命 仏は「神」ではない 日本の神も「神」ではない そこがわかんのぢゃっけん すべての奴隷化、囚人化、人類の悲惨は「神」から始まったRe:[54874] 祖のラッパに踊られされているやつはどこのドイツだ? 都都逸でも唸ったほうがましかもしれぬ 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/03/28(Mon) 11:50  








自らの由を訪ねて花祭 

> ひしうるもANNEX−Ω   訪問者数:11779133(今日:528/昨日:1788)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/03/28(Mon) 09:36 先負(庚辰) 旧暦 2/26 月齢 25.4

むっかし、むかし

自らの由を訪ねた

父母二人

祖母祖父四人

曾祖母曾祖父八人

一世代ごとに2の累乗だから100世代1000世代もいけば

とんでもない数の血のつながったご祖先をもっていて、ご先祖の数は当時の地球上の人口を上回ってしまう

ツァラトストラも老子も釈迦もキリストもみんな先祖

空海最澄道元法然親鸞、いやさ紫式部清少納言みんなご先祖



こんどは反対に一人の人類の誕生から数えて現今の地球人口100億人

これを累乗の逆をやれば、いまの一人の一人の祖先が一人であったときは何年前か算数敵に分かろうというもんだ

もっとも、一人では子は生まれぬ

でもね、両性具有ということもある

釈迦やキリストの誕生のように



あたまの体操か、現実か、はたまた妄想か

むっかし、むっかし

一個の人間は氷山の頭だ

水面下にいは巨大なみえない氷山の根っこがある

いくら巨大でもみえぬものは、みえぬ

しからばみえる先端の頭だけをみて、頭だけで考える

その頭が考えて、みえぬ巨大な水面下に想いを至す

さういうモデルをもちあるいて

大発見、大発見

エンジニアリング会社で、世界的プロジェクトマネジャーといわれいた鎌ゴジラへ行って

ノートの巨大な三角形をいくつもいくつもずらし書いたものを示し、こうやって根っこを無限に大きくしていく

だから、頭では、氷山の一角の先端はバラバラでも、根っこは一個でしょ?

あんたの頭ん中はわからん

とやられた

そうなんだよね、世界的頭脳のプロマネでもこの真似はできない

マネーは稼げても、真似はできない

有無、マネーは真似



むっかし、むっかし

フロイト、ユングで無意識

共感もしたが違和感も

無意識、原型

無意識を意識する

無を意識する

とっちにしても、無意識も無もある

原型という型を嵌める

だうも、おかしい

無への意識にしてもおかしい

意識には、そもそもの指向性がある

対象がある

他化がある

他化する自我がある

ヒステリーやコンプレックスという概念の構築には役立つ

まさに限定的

そこにセックスという原型を認めた、納得する

でも、まだ、限定的

掘り下げが足らない

というより、フーコーの知の考古学にも似て、いやさ、フーコーがフロイトやユングに似ていたのかもしれないが

考古学的に発掘や掘り下げてみるもんぢゃない

他化してみるもんぢゃない

発掘せんでも掘り下げんでも、

あるものはある

ないもんはない

ただ、それだけのこと

だけんど、そういってしまってはおしまい

言説で、ロゴスで命を稼ぐ、繋ぎ止めるむきには繋ぎ止めようもなく、稼ぎようもない

だから、まあ、しようが暗迷


ホッテントット

モンゴロイド、コーカソイド、ネグロイド、オーストラロイド、みんな根っこは一緒なんだね

山川草木悉皆成仏

これはロゴスの形式論理学、同一律、矛盾律、排中律ではわからんでしょうなあ

汎神論でおしまい

生きていない、死んだ命

仏は、あちらさまの「神」ではない

日本の神も、あちらさまの「神」ではない

そこがわかんのぢゃっけん

すべての奴隷化、囚人化、人類の悲惨はあちらさまの「神」から始まった



> むかし、むかし
>
> エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」を読んで共感もありはしたが、猛烈なる違和感もあった
>
> それをこのAnnex開設の初期のころより、自由の解釈がおかしいんぢゃないか?
>
> 自由
>
> この漢字でみるかぎり、
>
> 自らの由
>
> ところが、あちらのフロムの「自由」は、なにかしがらみからの逃走
>
> Freedom= free from....
>
> 而して
>
> そのしがらみがなくなった「自由」からまた「逃走」せざるをえない
>
> 無限逃走
>
> 自らの由を自由としてFreedomの訳語の「自由」
>
> ずいぶんと齟齬が激しい
>
> 而して
>
> そのFreedomを自らの由の自由を当てた訳者の見識は高い
>
> あちらさんの「自由」は自由ぢゃない
>
> 常になにかのしがらみにしばられている
>
> しばられていて苦しいからそれから逃走して「自由」になる
>
> その「自由」においては人間は生き得ないから
>
> また「自由」から逃走する
>
> なんかいっていることはわからんでもない、一応の共感はあるが、漫画
>
> 一旦、自由、即、自らの由の自由ならばそこからどうして逃走する必要があるんだろうか
>
> むしろ、永遠の安心の自由であって、自らの由以外の自由はありえぬ
>
>
>
> 同じことが、むっかし、むかし マンハイムの「存在被拘束性」
>
> 人間のしがらみ、
>
> マルクス的にいえば唯物論的土台の衣食住による拘束
>
> はたまた
>
> ロゴス的な論理や言葉による拘束
>
> はたまた
>
> 宗教、政治的な拘束
>
> マンハムがロゴス、宗教、政治までの拘束をいっておったかどうかは覚えていないが
>
> とにかく人間には「存在被拘束性」がある
>
> その拘束を、平常時には拘束ともおもわぬ日常をぬくぬくと生きている
>
> まさに、叱り
>
> すっかす、この拘束もまた、さきの「しがらみ」
>
> しがらみ、柵と書くんだ、柵は「さく」、さくのなかの囚人、奴隷、それが拘束にして
>
> 柵拘束から逃走してもやってられないから、そのせっかく解放された「自由」からも逃走して、また元の木阿弥の柵拘束へもどって「存在被拘束性」
>
> なるほどね
>
> とはおもうもんのそういう、しがらみ拘束ちうもんはすべて外的、他化、対象化されたもんなんだね
>
> どうも、内へのまなざしに欠ける
>
> 内へのまなざしを翔ける
>
> そういうもんが、ない
>
> だから、自らの由を訪ねても「存在被拘束」されたもんのしかでてこない
>
>
> フーコーの監獄、『監獄の誕生』(1975年)一望監視システム
>
> まあ、そういうもんを狂気の歴史的に知の考古学してみて中世や古代に遡ってみても
>
> そんなもんは、そもそもの一神教のはじめから、ある
>
> 他者のまなざしで見られている、見られているものからは見ているものが見えない
>
> これがオットーのいうところの「絶対他者」であって、それへおののくべき神のあり様
>
> だから、人間は、この一方通行の一神教の囚人であり、奴隷
>
>
> ゆえにニーチェが
>
> キリスト教は奴隷宗教
>
> だと喝破したのは、西欧人としては秀逸
>
> そこから19世紀末から20世紀の転換が始まった
>
> とはいえ
>
> せまい西欧的一神教的監獄奴隷解放のラッパにすぎない
>
> 祖のラッパに踊られされているやつはどこのドイツだ?
>
> 都都逸でも唸ったほうがましかもしれぬ

自らの由を訪ねて花祭

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54874] 祖のラッパに踊られされているやつはどこのドイツだ? 都都逸でも唸ったほうがましかもしれぬ 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/03/28(Mon) 10:16  

ひしうるもANNEX−Ω   訪問者数:11779133(今日:528/昨日:1788)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/03/28(Mon) 09:36 先負(庚辰) 旧暦 2/26 月齢 25.4

むかし、むかし

エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」を読んで共感もありはしたが、猛烈なる違和感もあった

それをこのAnnex開設の初期のころより、自由の解釈がおかしいんぢゃないか?

自由

この漢字でみるかぎり、

自らの由

ところが、あちらフロムも自由は、なにかしがらみからの逃走

Freedom= free from....

而して

そのしがらみがなくなった「自由」からまた「逃走」せざるをえない

無限逃走

自らの由を自由としてFreedomの訳語の「自由」

ずいぶんと齟齬が激しい

而して

そのFreedomを自らの由の自由を当てた訳者の見識は高い

あちらさんの「自由」は自由ぢゃない

常になにかのしがらみにしばられている

しばられていて苦しいからそれから逃走して「自由」になる

その「自由」においては人間は生き得ないから

また「自由」から逃走する

なんかいっていることはわからんでもない、一応の共感はあるが、漫画

一旦、自由、即、自らの由の自由ならばそこからどうして逃走する必要があるんだろうか

むしろ、永遠の安心の自由であって、自らの由以外の自由はありえぬ



同じことが、むっかし、むかし マンハイムの「存在被拘束性」

人間のしがらみ、

マルクス的にいえば唯物論的土台の衣食住による拘束

はたまた

ロゴス的な論理や言葉による拘束

はたまた

宗教、政治的な拘束

マンハムがロゴス、宗教、政治までの拘束をいっておったかどうかは覚えていないが

とにかく人間には「存在被拘束性」がある

その拘束を、平常時には拘束ともおもわぬ日常をぬくぬくと生きている

まさに、叱り

すっかす、この拘束もまた、さきの「しがらみ」

しがらみ、柵と書くんだ、柵は「さく」、さくのなかの囚人、奴隷、それが拘束にして

柵拘束から逃走してもやってられないから、そのせっかく解放された「自由」からも逃走して、また元の木阿弥の柵拘束へもどって「存在被拘束性」

なるほどね

とはおもうもんのそういう、しがらみ拘束ちうもんはすべて外的、他化、対象化されたもんなんだね

どうも、内へのまなざしに欠ける

内へのまなざしを翔ける

そういうもんが、ない

だから、自らの由を訪ねても「存在被拘束」されたもんのしかでてこない


フーコーの監獄、『監獄の誕生』(1975年)一望監視システム

まあ、そういうもんを狂気の歴史的に知の考古学してみて中世や古代に遡ってみても

そんなもんは、そもそもの一神教のはじめから、ある

他者のまなざしで見られている、見られているものからは見ているものが見えない

これがオットーのいうところの「絶対他者」であって、それへおののくべき神のあり様

だから、人間は、この一方通行の一神教の囚人であり、奴隷


ゆえにニーチェが

キリスト教は奴隷宗教だと喝破した

のは、西欧人としては秀逸

そこから19世紀末から20世紀の転換が始まった

とはいえ

せまい西欧的一神教的監獄奴隷解放のラッパにすぎない

祖のラッパに踊られされているやつはどこのドイツだ?

都都逸でも唸ったほうがましかもしれぬ






やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


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