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[54828] 救急車に乗っていくのも、死んでいくのも、誰が誰なんだかまったくわからない 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/06(Sun) 21:44  

つまらんよね

まことにつまらん

まわりがばたばた死んでいく

音もなくひっそり死んでいく

もう25年も季節の挨拶もしていなくんばなんの連絡もなく亡くなっているもんも多かろう

生きているうちに一目会いたいちう従弟のところにもいかなかったなんとなく

もう、句会、ちう、句会ぢゃ、堂衆の過半が亡くなっただぢゃないか

年寄りが多かったから

と思いながら暮れなずむ街を胸を合わせてゆけは

煌々点いた明かりの中は、ほぼ、満員

カウンターは一杯です。お座敷とテーブル席が一つだけあります

窓を背にテーブルにつく

左に4人組の女子会

右に恋人同士か夫婦か中年カップル

みんなさんご馳走をたのむ

これだけ混んでいればオーダーも間違える

サーモンはたのんでいません、エビです、アナゴです

ウェイトレスが運んできたご膳を引っ込める

こちらは最安値999円税込み1099円の海鮮丼

いつ来るともわからぬ

サーモン3枚、炙りサーモン3枚、サーモン卵たっぷり

ごはん200gを300gの大盛無料で注文済

まんだ、海鮮丼もこんのんに、飲物ラストオーダーです

19時

カウンターでぐだをまいているんは、あれは布団屋か

綿打ち屋か、レンタカー屋か、仕立て屋か

みんな当代のは死んでしまった

次代、あるいは次々代か

サーモン3枚は分厚くそれなりのボリュームが良い

お支払いをテーブルでして、出ようとする

あんだけ一杯でがやがやのカウンターがからっぽ

お外でたばこを吸ってらっしゃいます

本来ならボルサリーノにミッソーニのセター

コートはナチスのブロックタンクかアルパカ水牛のハーフ

今はCampagnoloキャップを目深に被り

交通安全銀色のウィンドブレーカー

膝の突き出したモンペタイツ

外に出ると居並んでスパスパしちょるカウンターの連中が軽く会釈をしてくれる

うむ、やっぱす、綿打ち屋、仕立て屋、レンタカー屋の子孫らしい

どこかで見たことがある、と向こうも思っているんぢゃろ

みんな親父さんか爺さんの代が農家の次男三男

駅前の土地の幾分かを分けてもらって小さなビルを建てた

それなりの個人営業でも立派に店を張って生きてきた

そういう店もスーパーあるいは大手のチェーンにおされ

ことごとく閉店して貸しビルに化した

それでも、灯がともっているだけでも、さいわいなのかもしれない

界隈のおじさん、おばさん、息子、娘は全部知っていた

いまは誰が誰ともわからん

救急車に乗っていくのも、死んでいくのも、誰が誰なんだかまったくわからない

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54827] 仮死、瀕死、本死ぢゃなくて御免ね 無音無明暗黒世界の混沌も淡々と楽しんででてきて何事もおこらなかったRe:[54785] 「奥の細道」は自己の奥の細道にして世界の奥の細道 Re:[54784] これを見ちょけばもうすこし人生の師や視野が広がったかもね Re:[54783] あのキルケゴールの小川や風の音にも似て・・穏やかに食事をなして、別れて・・今も生きているんぢゃろか? 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/06(Sun) 18:20  

見開けば花に埋もるる棺の中

見開けば花に埋もれる棺の中

見開けば花に埋もれて棺の中

出句は「埋もるる」でこれが一番硬い、死後硬直しておる

「埋もれる」はまだ身体がやわらかく硬直前

「埋もれて」では、埋もれているのは自分ではなく他者

というふうな語感で

けふは夕飯がない

3月3日にまた一人逝った

亡き父のときは8人、今回は5人の火葬場コロナ人数制限

コロナに感染して2日目で死亡した

ビニールにくるまれ、棺桶もくるまれ、厳重だから大丈夫よ

と家内にいわれても家内が心配

混みあって火葬時間が夕方で夕食のごはんですよがない

喫っ過多なく、隣の、ん?

喫い始めの1箱/3日が、最近は2箱/日で、喫っ過多、増量6倍になって多少の記憶回復があるが、思い出せないもんも多々ある

隣のジョナサンならぬ蔵すしはゴメンだから屋台すしにでもいくか

はたまた、入歯でステーキでも喰うか

棺桶の記憶



> るんらたふANNEX−Ω   訪問者数:11735732(今日:410/昨日:1196)書出日時:2022/02/24(木) 08:31 赤口(戊申) 旧暦 1/24 月齢 22.9 下弦
>
> 防人の詩 ナターシャ・グジー / Sakimori no Uta by Nataliya Gudziy
> http://www.youtube.com/watch?v=8dUOGXII_jk
>
>
> 草萌ゆる大地爆転宙返
>
> ウクライナ情勢も鎮まればいいですね
>
> 春彼岸孫も曾孫も来たりけり
>
> ちうのんは過去録にあるが、これはもうすぐ3回忌101歳を目前にして逝った父になりきって詠んだもの
>
> 結社や人によっては自分を詠め、他人になって詠んではいかん
>
> ちう流儀も意見もあるが、果たしてさうであらうか
>
> 自他融通無碍
>
> これは生きていくことのうえで、分節、分別、差別されきった皮相の社会ではまことに異端なるも、そこにこそ生きている本源がある
>
> 共感、共鳴、共振
>
> のないところにはいかな芸術も哲学も宗教も仕事もないといってよいのではないか
>
> というよりも人生そのものがうつろになっていまう
>
> むっかすここに歌や俳句や哲学に幾許か通じた上智の教授がいて
>
> 自分とは他者に限定されてこそあるといったその他者の網目のなかに現成する自分
>
> この自分ちう言葉からしてしてさうであって、自分があれば多分他分もある
>
> さすればなにを自分となしなにを他分となすか
>
> 他分ばっかしの自分では、自分なしである
>
> 自分ばっかあって他分がなければ畢竟自分勝手である
>
> その塩梅が涵養ではあらうが、果たして自分にしても他分にしてもそれを限定しているもんは自分なんであって、その自分が自分としてつかめ切れているか
>
> 己自身を知れ
>
> 汝自身を知れ
>
> この知れが痴れになることもままある
>
> さすればこの痴れを痴れと知るのになにを標準とすればいいのであらうか
>
> 一挙裁断して云えば
>
> 天地創造の世界軸
>
> このことばはいろんなところにでてくる
>
> 言葉が言葉だから信用ならぬ。妄想のもとだから
>
> 言語道断
>
> 道を断つ
>
> 道教の道を断つ
>
> 柔道、剣道、俳句道
>
> 道は自転車で走っておっても続いている
>
> 道を断たれれば、それこそ谷底、ドブ溝に突っ込み大怪我のもと
>
> だから道は大事ぢゃ
>
> 芭蕉の「奥の細道」それを奥州行脚となすのが世の見解のならいであるが
>
> 「奥の細道」は自己の奥の細道にして世界の奥の細道
>
> つまり自己をつきつめて奥に世界があってそこに微かにある細道
>
> それはよほどの鍛錬とはいぬ、細心の注意を払って見ねば見得てこぬ、観えてこぬ
>
> そんな大袈裟なことぢゃない
>
> 誰でも見えていて万人に開かれた公道にして行動
>
> その公道にして行動を制限するもんもいる
>
> 馬鹿豚交通省の道路公団とか
>
> 山寺や岩にしみ入る蝉の声
>
>
> 山も岩も神様が降臨するところにして刹那刹那場所場所の世界軸にして、この地球上の民族に共通した観念
>
> そこにこの世間、娑婆の声がしみ入る
>
> そう見てみれば、この句が奥州奥の細道の限定を超えて。俄然世界的な景色が現成
>
> 同様に芭蕉の発心の機縁となったとされる
>
> 古池や蛙飛び込む水の音
>
> このぽちゃんという音とそこに立つ小さな水柱
>
> それが、この古池の古い世界を新たな命のもとに更新する刹那刹那場所場所の世界が一挙に現成する

世界軸

小さな音と柱が、無辺広大なる世界をげんじょうさせる機縁にして軸となる


> その蛙が引き起こした小さな水柱の波紋が古池全体に輪となってひろがっていく
>
> そういう景色
>
> この景色はあたかもトインビーの文明史観にも通じるような
>
> はたまたいろんな科学的発見のエピソードにも通じ
>
> はてはもちろん、哲学・宗教にも通じる
>
> なしてみれば人生とは畢竟この波紋の輪の連続であって
>
> 他者の引き起こした波紋を自分も引っ被れば
>
> 自分の引き起こした波紋も他社に及ぶ
>
> だからこそ人生は面白い
>
> だからこそ人生に乾杯
>
> Jacintha - Here's To Life
> http://www.youtube.com/watch?v=kuerNFD3QXc
>
> ところが人生おうおうにして乾杯も苦杯の完敗になることもある
>
> その幾許かの毒の毒味をつづけようかと長々と尻尾を引き摺っているが・・
>
> 時限空限界でもあれば、別途にしやう。
>
>
> > へろかをまANNEX−Ω   訪問者数:11734072(今日:1210/昨日:1841)書出日時:2022/02/22(Tue) 22:34 仏滅(丙午) 旧暦1/22 月齢 20.9 hello顔魔
> >
> > Queen - 00:09 Who Wants To Live Forever〜33:22 Bohemian Rhapsody(Greatest Music Videos)
> > http://www.youtube.com/watch?v=ujVLJ2xqePA
> >
> >
> > これはわが友人、森田茂穂氏の追悼に掲げた曲であり
> >
> > この森田になんとこのフレディ・マーキュリーが似ておることか
> >
> > JFKケネディの全演説を丸暗記しておって、ハーバードではこれに空手の演技を交えて
> >
> > 麻酔学者、臨床医、日本人で初めてのハーバードでの臨床医として活躍した
>
> ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
> ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> > > 光もなく音もない無音無明暗黒の世界に押し込まれ
> > >
> > > だうだった?
> > >
> > > といったのは友人の兜真徳、とっくの昔に鬼籍に入ってしまった
> > >
> > > 専門は美人学、パーレビ時代のイラン、ペルシャに遊学して
> > >
> > > なにゆえに日本人はあのへんの女を美人とかんじるのか?
> > >
> > > という「深遠なる学問」的な課題を抱えて苦悶苦悶の日々の果てに国立環境研究所総合研究官
> > >
> > > その美人だかだうだかは存ぜぬが、奥さんとの離婚問題でまたまた苦悶苦悶の日々の窶れに訪れ無音無明暗黒の世界に
> >
> > 奥さんとの離婚問題でまたまた苦悶苦悶の日々の窶れの果て、それこそ後に振り返れば彼自身が無音無明暗黒の世界に閉ざされるその直前に訪れ
> >
> > 訪問からややあって奥さんから兜真徳逝去の知らせが来た
> >
> > さういえばこの研究所でもメーソンロッジでもなく棺桶にいれられ蓋をされて閉じ込められた記憶もあるが、それは別途のことにして・・

うむ、ここ思い出せぬ、スパスパ

どっかのホールであった

かなりの人数がいた

どなたかこの中にはいりませんかあ?

と呼びかけがあっても誰も入らぬ

ぢゃあ、と手をあげて

棺桶の中に身を横たえた

意外と居心地がよい

暑くもなく寒くもなく五月蠅くもなくうとうとしたい気分

お寝になってもけっこうですよ

うとうとしちょるとだんだん胸腹下肢が重くなってきた

だうも毛布の上から三途の川の渡り銭、魔除け懐刀、その他、その他が載せられ

花が三々五々と積まれていく

蓋が閉じられ別れの挨拶、読経

しばらくして目を見開くと蓋の天井透明ガラスの向こう側に顔、顔、顔

目、目、目、目、目、目

みんなにこにこわらっている

居心地はいかがですかあ?

いいね

でも、そろそろあがっていただくお時間です

重い毛布の下からもぞもぞと動いて

花を拈華微笑したか振り払ってかはどうも思い出せないが

復活した次第

仮死、瀕死、本死ぢゃなくて御免ね

> > > それは厳重なる冷凍庫のような装置で、分厚い扉の奥に数メータ四方の暗黒の部屋、光も音も一切を遮断する
> > >
> > > 目と耳はアラブヘブライ系ならずももっとも敏感な五感の一つ
> > >
> > > その目も耳も遮断された空間に何時間おって人間にはだういう変化がおこるか
> > >
> > > 身体的精神的に不調をきたして狂うもんもおれば
> > >
> > > はたまたこの無音無明暗黒世界の混沌でなにかを掴んででてくるもんおる

この無音無明暗黒世界の混沌も淡々と楽しんででてきて何事もおこらなかった


> ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> > > 「死ぬか生きるかは俺の勝手だ」と殴り掛かる拳を払い、平然と笑いながら言ってあげたのがさらに悪かった
> > >
> > > もう世界中へストーカー、どこへ行っても行先に手紙を出して「飼い犬に手を噛まれるな」・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> > > ああ、イサカのコルネール大学の二井さんから連絡があって、これを見ろ、と
> > >
> > > それを見るとワイズマン宛の書簡に「飼い犬に手を噛まれるな」と
> >
> > うむ、ここね、これを見て聞いて、「別に気にもせん」もんもどこかでストレスになって心身が蝕まれたんであらうね。後日の結核。
>
> ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> > > 里山の金縷梅林を安楽寺
> > >
> > > へご案内申し上げ「死んでしまえ」も「飼い犬に手を噛まれる」も記憶にはあっても流れる水のごとく
> >
> > ちうのんもかの日本で為したプロト実験が帰国後の伝ちゃん曰く
> >
> > これ、君の実験が論文になっているぞ
> >
> > 惜しかったなあ、世界同時発表であっちは国際誌、こっちは国内誌で
> >
> > みれば論文の発表者は山登君と助教授
> >
> > もちろん某の名はない
> >
> > もうそんな名に用はない
> >
> > 遺産を助教授にも同僚にも残せただけでもよかったと
> >
> > この余裕がキルケゴールの小川のせせらぎや風の奏でる音になるわけで
> >
> > > ああ、あのキルケゴールの小川や風の音にも似て・・
>
> ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> ませぬねむANNEX−Ω   訪問者数:11559835(今日:850/昨日:818)2019/04/30(Tue) 15:42
>
> Keith Jarrett - I Loves You Porgy
> http://www.youtube.com/watch?v=o3D8Ri84hmw&feature=BF
>
>
> > ろさたるにANNEX−Ω   訪問者数:2323333(今日:182/昨日:423)2011/01/25(Tue) 08:59
>
> "Who knows where the time goes" - Nina Simone
> http://www.youtube.com/watch?v=wZa3XsHA6UU&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=4
>
> 山里で明けても暮れても、うまずたゆまず同じ主題(テーマ)の風が奏でているのを聞いていると、ついそれに誘われて、しばしその不完全さを忘れ、人間の自由のたゆみなさと確かさを象徴するかに思われてうれしくなることがある。するとつい忘れられてしまうのだが、
>
> いまこの山々のあいだをおのが住み家として幾年も吹き渡っている風は、かつては行き暮れし旅人としてこの土地へきたのである、
>
> そして
>
> 心を乱して荒れ狂いながら峡谷のあいだを突き分け、洞窟の中に突き入り、或るときは自分でもはっと驚いて跳び退くような金切り声を張り上げ
>
> たかと思うと、或るときは
>
> われわれから逃げ出したくなるようなうつろな吼え声を立て、
>
> 或るときは
>
> どこからでてくるのか自分にもわからぬような嘆きの調べを奏で
>
> たかと思うと、或るときは風みずからが
>
> 恐れをなしてこのあたりに足をとどめたものかどうかとしばし疑いためらうような底知れぬ不安の溜息を吐き、
>
> 或るときは
>
> また浮かれはしゃいで抒情的な囃し唄を歌い、
>
> こうしてついに自分の楽器に習熟してしまって、これらすべての共鳴音をメロディーにまとめあげ、それをいま明けても暮れても変わりなく奏でているのである。
>
> それと同じように、
>
> 個人の可能性もそれみずからの可能性のなかをさまよい歩きながら、或るときはこの可能性を、また或るときはあの可能性を発見する。
>
> しかし
>
> 個人の可能性は単に聞かれることを欲するばかりではない、それは風のように吹きすさぶばかりではなく、また形を成そうとするのだ、
>
> だから
>
> それは聞かれると同時にまた見られることをも欲する。
>
> 個人の可能性は、だからそのどれをとってみても、音を発する影である。
>
> この隠された個人は、悪意の小ざかしい囁きに耳をかさないと同じように、仰々しく喚きたてる感情を信じない、悲嘆のやるせない溜息を信じない
>
> が、また同じように、歓喜の極みに沸き立つ叫び声も信じない。
>
> 個人はただ情熱をもって見そして聞こうと欲する、しかし、注意あれ、自己みずからを、なのだ。
>
> けれども、個人は自己みずからをほんとうに聞こうとは欲していないのだ。そんなことはできるものではない。それができれば、その瞬間に雄鶏が鳴く、そして薄明の姿どもは逃げ去り、夜の声は沈黙する。
>
> これら薄明の姿どもが踏みとどまっているかぎり、われわれはまったく別な領域に、一切のものが責任の気づかわしげな監視の目を浴びて不安を覚えながら行なわれるところに、つまり、悪魔的なものの国にいるのである。
>
> だから、ほんとうの自己の印象を受けずにいられるように、隠れた個人は、あの薄明の姿どものような、こだますることのない言葉のかすかなざわめきのような、かりそめのはかない環境を求める。このような環境が舞台なのだ。
>
> だからこそ、
>
> 舞台は隠れた個人の影絵芝居にふさわしい。
> やれ涼し飛ぶも落ちるも天馬空
>

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54826] 恩寵にして独白 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/06(Sun) 16:03  

さて、際限も無く縷々と流れていく

あたかも「大菩薩峠」のように

峠は脱中心的で、情景情景で主人公がかわり、端役が重要な役割をはたし、場面転換毒即世界転換

ここでは妄言駄眩を吐いている某が主人公なのであらうか

妄言駄眩を吐かせる何者かが主人公なのであらうか

世には二元的文言がまことに多い

善悪、真偽、美醜、正誤、有無、清濁、浄汚、天地、明暗、・・云々

二元論のもとはゾロアスター、つぁらとすトラとすりゃあ、日本語にも古代ペルシャの概念が多分にはいっているのかもしれない

西域を渡って中国、朝鮮、日本へ

さういう概念規定を無化する

誤読の中に正見を観る

善の中に悪を観る

真の中に偽を観る

その逆もあり

さらにそういうものすら無化して淡々と

井筒を読むにしても、禅語をよむにしても、お経を読むにしても、ゲーテやニーチェやキルケゴールを読むにしても、そこには皮相の「言語」「論理」だけからすれば水分といい加減な正反対、矛盾にみちみちているかもしれない

ドブ鼠君的にはね

でもね、総体として飲み込めばよろしい

その誤説、矛盾、そりゃあ聖書にも多々あるで書

コーランにも多々あるで書

哲学書にも多々あるで書

腹になかに収めておけばよい

時節が来れば悪の華も咲こうというもんだ

いったい、誰が書かしておるんか、書き手か、もしくは書こうとしているその対象か

一句ができる

一句に恵まれる

その一句を試行錯誤舌頭千転してひねるのは作者

ではあらうが、その一句はどこからきたのか

十七文字は世界最短の詩

世界最短の詩にしてあたかも無限の世界が広がるそのもとたるもの、それを広がらせ、それに気づきを恵んでくれるもの

一句の世界にはそれこそ小さな幸せから大いなる不幸まで

さまざまな多様性のなかで小さな世界が広大無辺な世界へ現成するもんもある

古池や蛙とび込む水の音

これを恵まれた芭蕉は飛躍した

これを読んだ誰も彼もが飛躍したか

僧堂で提唱がある

俳句は一句の提唱に似ている

それぞれが一句を提唱して堂衆が観照する

深読みは禁物といわれる

はたしてそうであろうか

深読みせんば観照もでけぬ

皮相でみればつまらん句でも深読みすれば別の世界がひらけることもある

その世界は一句の作者がもたらしたか

一句の観照者がもたらしたか

いや別の天から降ってきたか

いずれでもよろしい

それこそ今此処で新世界の現成、それを見解く、味得でければよろしい

してみれば斎藤どぶ鼠君への罵倒も賞賛の機になるやもしれん

ならんやろなあ

ならんでも、他山の石にはなるやもしれん

たしかにあの兜太、大岡信ら、清水兄弟、牧口創価学会、その他その他への批判罵倒も他山の石

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

他山の石(たざんのいし)は、四書五経のひとつ『詩経』の記述に基づく故事、慣用句。「他人のつまらない言行、誤りや失敗なども、自分を磨く助けとなる」といった意味であるが[1]、現代の日本語話者の間では、誤った意味で用いることも少なくない表現となっている[2]。
文化庁が実施している国語に関する世論調査が、2004年の調査で「他山の石」の意味について尋ねたところ、回答者の26.8%は正答である「他人の間違った言行も自分の行いの参考となる」を選んだが、18.1%は誤答である「他人の良い言行は自分の行いの手本となる」を選び、その他では、やはり誤りである「両方の意味で使う」が 5.5%、「どちらの意味でも使わない」が 22.4%、そして「分からない」が 27.2%であった[2]

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

まさかどぶ鼠君ともあらうもんが誤読をするとも思えんが、念には念を

毒吐くも恩寵

恩寵にして独白




やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54825] すべてはブーメランのごとく己から発したものは己へ戻ってくるRe:[54824] 恥の勲章 Re:[54823] 猫でも犬でも羊でも馬でもようござんしたが、溝鼠」Re:[54822] “Nevermore.”Re:[54797] I Never Sing Another Song 焼芋 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/06(Sun) 11:38  

> > ゆつもてまANNEX−Ω   訪問者数:11748627(今日:633/昨日:1155)投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/04(Fri) 13:25 先負(丙辰) 旧暦 2/2 月齢 1.4
> >
> > 懊悩の諸手を挙げて寒昴
>
> Oh No!
>
> ロシアが原発にミサイルをうちこむ
>
> まさにプーチン露西亜のハルマゲドン、黙示録

実践・行動

諸手を挙げて懊悩しOh No!と叫んだところで私はこの事態にたいしてなにができるのであろうか?

寒昴ならぬロシアのミサイルへ諸手を挙げて迎撃砲を狙い定めて撃つ

極東からウクライナまでとどくはずもなく、また目下の国家体制では一般市民に武器の携帯もゆるされていない

だから事態へ無力、やるせなさにますます懊悩、Oh No!するばかり

といって安住していていいのだろうか

独白

毒吐く

すべてはブーメランのごとく己から発したものは己へ戻ってくる

そこここの言説はもとよりプーチン露西亜にしても同じことだ

ウクライナへむけて撃ったミサイルが空中で方向転換してクレムリンを破壊する

さいうことだってあるかもしれぬ

だうやって?

念力で

馬鹿ぢゃねえの

馬でも鹿でも豚でも鼠でもよろし

でも、人間だもの

そうそう人間だもので、いまや念力はサイバー空間にあるやもしれぬ

ばかばかし

アノニマスでもペンタゴンでもよろし、ウクライナ標的のミサイルをことごとくペンタゴン標的に変える仕掛け

仕掛ける、仕掛けたらクレムリンもおなじことをするかもしれない

だとしたミサイルはどこにゆくのか

燃料が尽きたところで落下する

そこがどこか、ロシアの兵土か、ウクライナの大地か、はたまたヨーロッパの森か、わが国の田んぼか

原発が破壊されるよりはましだね

まずは撃たせぬこと

ペンタゴンもアノニマスもサイバー攻撃でクレムリンの命令やミサイルの発射そのものを止めることはできんのやろか?

ひとごとにいいなさんな、そこでおまえさんはなにができるのだ?

> > さてとん、これは閻魔大王の錫杖の音、裁きの法廷にして縛り上げる羂索
>
> 最後の審判
>
> > 閻魔さまぢゃなくてお不動さまの持ち物ぢゃねえの?
> >
> > どちらさまでもよろしい
> >
> > まずは、斎藤慶典著「『東洋』哲学の根本問題あるいは井筒俊彦 講談社選書メチエ
> >
> > 地獄とはいわぬ、ドブに落ちろ、この溝鼠め。
> >
> > 判決文は後程
>
> 多少は読んでみたが、読むに堪えぬ
>
> つまらんのんね。先の印象に間違いはない
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
>
> > 斎藤は若いだけに井筒俊彦に挑もうとしちょるんか、井筒俊彦の足らんところにも力んで言及しちょるが、所詮井筒俊彦の比ではなく、その交響曲的味わいを散々なもの分解してゴミをとっ散らかす
>
> ゴミをとっ散らかす。とはいえ、もともとはゴミではない。井筒俊彦の特徴てきな概念キーワードのいちいちを取り出してそれに幼い分析、あたかも赤ん坊が一個のすばらしいモザイクでできた肖像のモザイク、積み木を崩してなめまくった挙句にもとの肖像には全然戻せない、散乱したまんまのお部屋の産卵、散乱、とっ散らかしておしまい。
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
>
> おしまいか、だうか
>
> 最終にすっとんでいくと
>
> ハンナ・アーレントの「政治」、共同体と自由と平等がでてくる
>
> そこいたる道筋で井筒の言説、言葉の数々を引用して、そこに疑問符をつける
>
> どうもこの溝鼠君は徹頭徹尾「論理」を駆使して井筒を読み解くところに根拠をおいている
>
> だから、菩薩行も向下道も、なぜ?ということが解明されていない、と、ほざく
>
> 密教や禅は取り上げらるが民衆とは縁遠いものであって、救いをもとめる民衆に拡まった浄土宗への言及がないとほざく
>
> はては、(いま・ここで=現に)をそこここでとっちらかし、その一章すらもうげているがなんとうすっぺらいことよ

(いま・ここで=現に)はこの溝鼠君の眼目らしいが、いかにもうすっぺらい

厚みめかしているんはドブ鼠君が他人から借りてきて抜き取った他人の言説の切り貼りでいっぱいで

ドブ鼠君のオリジナリティとは、他者の切り貼りか

他者の切り貼りでもよろし、それが己が血肉になっておれば

すっかす、このドブ鼠君においては、さういう気配もない

ドブ寝ず観、ドブ鼠君の優越、我田引水の臭気芬々

それを改めて下に赤肉団上一無位真人でみてみよう

そこでも(いま・ここで=現に)はこの溝鼠君の眼目らしいが、いかにもうすっぺらい

厚みめかしているんはドブ鼠君が他人から借りてきて抜き取った他人の言説の切り貼りでいっぱい


> 要は、実践がない、体験、経験もない
>
> 言葉だけ論理だけで「考える」からこういう溝鼠的事態に陥る
>
> 神、真理、理性、公理、理性、論理、我、言葉、科学、みんな死んだ
>
> さういうことを頭ではわかっても、実践として、体験として、経験としてわかっていない
>
> だから稚拙な青臭い「論理」をふりまわし、と〜とろじ〜の牧口創価学会的なもんに成り下がる
>
> (いま・ここで=現に)したって、そこに如何に道元の言葉、それも井筒の引用したもんを引用しても、実践・体験・経験がない、ゆえに薄っぺらい

ああ、かういう溝鼠の言説の幾許かを具体的に飲用して反吐を吐くのんもうんざりぢゃが・・あまりにも抽象的な毒吐くばかりぢゃなんだから具体的な溝鼠君の言説

斎藤慶典著「『東洋』哲学の根本問題あるいは井筒俊彦 講談社選書メチエ p219^220

「」入りで細切れにした井筒その他のコトバを言葉と縷々つらねた挙句に

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

これを『臨済』は「無位の真人」と表現する。井筒によれば「無位」とは「絶対限定(無固着的)[で・・・]自由無礙な柔軟性」である。

赤肉団上に一無位の真人有り。・・・・・・・

今の論脈に合わせて自由に訳せば、次のようにでもなるであろうか。

「たまたまこの肉体を具えた人物の下に、端的に「ある(=「がある」)ところの私がいる。・・・・

「私」は、もはや、「神の」それでも「人間の側の」それでももはやなく、全てが<いま・ここで=現に>「ある」ことそのこと、端的な(一切の限定なしの)「ある」だと言ってよい。・・・そのような「ある」は、どう考えても唯一つしかないというのである。

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

この文脈で「というのである」のは誰か?溝鼠君は臨済にいわしているようだ。

ドブ鼠君のご都合で臨済もいわされちゃあ、たまらんわな

畢竟、溝鼠君の境地、さうまさに「境地」はこの程度なのだ。

いくら臨済にいわせようが、井筒にいわせようが、そこに溝鼠的境地があらわにあらわれいる

この溝鼠的境地とは、いかがなものか、

いかがわしい「ある」の強調

臨済の言にせよ井筒の言にせよ、それを分解してしゃぶりつくその源が「ある」「存在」「現に」というまなざしでしかおこなわれていない。

これらの言説につづけてドブ鼠君曰く「絶対に取り消されることのあり得ないもの、それは唯一無二、ブラーフマン」であり、デカルトの我思うゆえに我あり、などなどぐだぐだ云って、デカルトは「ブラーフマンの再来だったかもしれない」と

鼠君は逃げの言論述にも巧みでこの「かもしれない」はまことによく頻出する

それは鼠君は人になれない、私と他人は絶対に融合できないという確信に基づくものらしい

要は、この鼠君は徹頭徹尾、ドブの娑婆の「存在」を肯定し「私」の「存在」を肯定して

ドブ鼠君が最後に読んでほしいという共同体や自由や平等へ誘導したいらしい

畢竟、このドブ鼠君の脅威、ああ、驚異において、境位においては、

なんのための向上道か、向下道か、わからぬも当然であって

「ふり」において、真似においての否定はでけてもそれ以上には進めずしたがってみんな元の木阿弥でおわりなんぢゃね


ようは、井筒を臨済を「利」用して脱がねばならぬ「全裸」の「真人」にどんどん溝鼠的衣装にして意匠を着せ重ねてすべてをドブ鼠的もとの木阿弥

ちうと木阿弥さんにも悪いが、畢竟、否定哲学、それが洋の東西においてなされているそこのところをドブ鼠的に齧ったところで、喰えぬ不味い溝鼠の味しかせんということよ

もうひとつ、だめおしの溝鼠的広告、長口舌

斎藤慶典著「『東洋』哲学の根本問題あるいは井筒俊彦 講談社選書メチエ

裏表紙に大書してある広告をご披露しよう

ああ、我もまた溝鼠の蔓延、溝鼠著作本の広告に随分一役買っている

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

東洋哲学とは何か。インド・中国・日本の思想を指しているのか。
井筒俊彦は個別研究の枠を超え、中近東やロシア、東南アジアにも視野を広げた全東洋的思想の根底にある哲学をつかみ、拓いていく。・・・・・・省略・・・・・・

言語哲学者、イスラーム哲学研究の権威・井筒が生涯をかけた「世界的な視野を具えた新たな哲学」はどの地点に到達したのか。
その哲学的営為の総体を受け止め、更に先にある問題を見極める

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

だってさ。

わははは

とわらわざるを得ぬ

誇大広告で消費者庁に告発しちゃおう

とさえおもえるこの溝鼠君の思い上がり

まんず乗越えようとする対象をもちゃげまくって、権威付けをしこたまやって、それを乗越えるドブ鼠君は、こんなに偉いんだぞお、といデモンストレーション

まさにエピゴーネンの面目躍如

全然「その哲学的営為の総体を受け止め」てもおらんし、「更に先にある問題を見極め」てもおらん

「その哲学的営為の総体を受け止め」んぢゃのうて、書き写し書き写しして細切れ言説のその接続に溝鼠くんの臭さ、「「論理」と「存在」の肯定、それが「唯一無二」という似て非なるものを「受け止め」、疑い剥がしたはずのところの溝鼠の臭い衣をまた着こんで「更に先にある問題を見極め」た先には共同体と自由と平等がって、それを見るまなざしに「複眼、双眼」も解せずして、なおかつ

「権威・井筒が生涯をかけた「世界的な視野を具えた新たな哲学」はどの地点に到達したのか。」

という視点にいたっては、それは実践も体験も経験もともなわぬ、うわずった「論理」と「言葉」で一大交響曲を雑音と化すその腐りきった青臭い芬々の身をも顧みず、溝鼠が講壇の高みに上って井筒を見下ろしているようなそのものいいはまことに噴飯もの

これは深みや高みにおいて到達した地点ではのうて、んったく次元の違う地点への誘導の鼠罠ある

ま、世によくあるエピゴーネンどぶ鼠的景色として流しておけばよい。

消費者庁への告発もやめましょう

> いかに化粧を凝らさうが、もうその無知蒙昧のソコもあらわに
>
> 慶應大学哲学科教授とはよくいったもんだ
>
> 創価学会公明党と利用しあって文化庁長官になって文化的エピゴーネンに文化勲章文化功労者という恥の勲章を配った河合隼雄
>
> 似たようなもんだね
>
> 差異を言いつのり己が手柄となさんとするそのさもしさ
>
> 読んでいてちっとも己が血肉にもならんば、楽しくもない
>
> ましてや閃きなんぞは微塵も感じられぬ
>
> 鼻を衝くドブの臭さ
>
> そこにうろちょろする鼠
>
> ゲシュタルト的にはそういうもんしか浮かんでこない
>
>
> > つぎ、今村仁司著「『大菩薩峠』を読むー峠の旅人」ちくま新書082
> >
> > おぬしはひきあげてつかわす、この羂索に掴まれ
> >
> > 縛るんぢゃないでしょうね
> >
> > 縛りはせん、命の羂索
>
> これは途中まで斎藤的な分析手法で物語全体を破壊していちいちをしゃぶりまくる
>
> そのかぎりにおいては赤ん坊的ではあるが、赤ん坊の無心さにして、かの溝鼠的青臭さドブ臭さはない
>
> 本末転倒の本末ではのうて、巻末にいたってこれは溝鼠君とは対照的
>
> 今村の巻末は読者に開かれている、特に最終章エピローグで
>
> あの長大な峠のゲシュタルトが納得いく形で提示されている
>
> 脱中心的、本ではなく巻、風景と人物、人物の層、端役と主人公、偶然と必然などなど
>
> ただ、惜しむらくは、これは今村にも溝鼠君にも共通なんぢゃが、楽しんで書いているか?
>
> 書いたもんをまず読むのは自分
>
> その自分が楽しめる、そこに成長も閃きも飛躍も現成する
>
> それは井筒俊彦にも中里介山にも認められる
>
> 自分のコトバで自分が飛躍している
>
> ところが、自己宣伝めかしたもん、エピゴーネン的なもんにはそれがない
>
> 一読一聞でわかる、だからつまらん
>
> 自分が楽しめず、いわば苦行のごとく溝鼠君は必死に井筒言説を移しとっている
>
> 哀れ、哀れ
>
> 今村は必死とはいわんが、ひたすら登場人物の微分をつづけ、意味の微分もつづける
>
> だけんども、今村は最後には積分もでけた
>
> 御慶
>
> 溝鼠君は積分もでけんで、自己宣伝に終わる
>
> こんな溝鼠君ではその著書をいくら宣伝したところで読む気もせん
>
> 売れもせんでしょうなあ
>
> あの蛆虫鼻の清家塾長だからこの溝鼠教授が誕生したのかもしぬ
>
> > あ、溝鼠が逃げていきますよ
> >
> > あんなもんは、逃げるに任せておけ
> >
> > でも、世に害毒が、オミクロンペストが流行るかも
> >
> > ああいう大猥なもんに触れなければ、大乗ぶぢゃ
> >
> > さて、つぎは、おまえさん
> >
> > > > うかうゆかANNEX−Ω   訪問者数:11736649(今日:1327/昨日:1196)書出日時:2022/02/24(木) 15:51 赤口(戊申) 旧暦 1/24 月齢 22.9 下弦
> > > >
> > > > 大鴉啼いてニーチェの正午かな
> >
> > これはどこからでてきた?
> >
> > あっしの口からでござんす
> >
> > その口から大鴉がでてきたとや?
> >
> > いえね、閻魔さま、最初は大鴉ぢゃなかったんです
> >
> > ぢゃあ、なんだ?
> >
> > 猫でも犬でも羊でも馬でもようござんしたが、どうも地上の動物ぢゃ、ゴロはあっても、意匠があいませんし、季語もない、そこで寒鴉だったんです
> >
> > それが、どうして大鴉になったんぢゃ
> >
> > ごらんのとおりのポーの大鴉を思い出しましたもんで・・
> >
> > それでは、剽窃ではないか
> >
> > いえ、剽窃とは滅相もない
> >
> > ぢゃあ、なんだ?
> >
> > なんだって、閻魔さま、わかりませんのんか?
> >
> > わからん、んが、俺の目は節穴ぢゃない
> >
> > ぢゃあ、いっちまいましょうか
> >
> > 云え
> >
> > ニーチェの正午はご存じですよね?
> >
> > しっておる、ニーチェが悟りをひらいて突然俺みたいになったあの時ぢゃな
> >
> > そんときニーチェに閃いたのは?
> >
> > おい、雷神を呼んで来い
> >
> > 脱衣婆すっとんでいく
> >
> > あの閃きはなんぢゃ?
> >
> > 永劫回帰でごさます
> >
> > なんで永劫回帰なんぢゃ
> >
> > 神は死んだからでございます
> >
> > こちらにも永劫回帰があったな
> >
> > ありました似て非なるもんですが
> >
> > あれは大丈夫か?
> >
> > だうも盗まれたようですが、減るもんぢゃなし
> >
> > してこちらの似て非なるもんは大丈夫か
> >
> > いえね、大丈夫ぢゃないんで、お釈迦さまにずたずたに切られまくって
> >
> > あれがなくなったら俺の役目もなくなる
> >
> > お役御免の前にこのくわせんもんに鉄槌を
> >
> > 鉄槌を躱し躱して昼の月
> >
> > 何でも昼の月、すっと惚けた野郎だ、喰えねえ野郎だ
> >
> > 腹が減りました
> >
> > 喰え、喰え
> >
> > 何を?焼芋の皮?むっかすパリで鳩を喰ったが不味かった
> >
> > 鳩ぢゃなく大鴉をだ
> >
> > 歯が立ちません、なんせ入歯だから
> >
> > つべこべぬかせる入歯、つべこべ喰え
> >
> > > > はとぽっぽの餌をしょうしょう穿り返してみた
> > > >
> > > > 鳩の餌とはいえ幾許かの栄養にはなる
> > > >
> > > > 罵倒しつづけたあの兜太、大岡信へのあの定冠詞ももう鬼籍に入ってしまったのだし
> > > >
> > > > 外しましょう
> >
> > 嗚呼、焼芋の皮が恋しい
> >
> > > Jamie Cullum - "If I Never Sing Another Song" (very touching in HD)
> > > http://www.youtube.com/watch?v=EJONH8qXhKo
> > >
> > > はとぽっぽならぬ本物の大鴉を拾ってきたぞ
> > >
> > > http://www.poetryfoundation.org/poems/48860/the-raven
> > >
> > > The Raven
> > > BY EDGAR ALLAN POE
> > > Once upon a midnight dreary, while I pondered, weak and weary,
> >
> > 固くて喰えぬ
> >
> > > Shall be lifted—nevermore!
> > >
> > > 詩はもともとの言語で味わうにしくはない
> >
> > これです、これです
> >
> > ふむ、よろしい、そのまま、そのまま
> >
> > して判決は?
> >
> > もう少し溝鼠を読んでからにしよう
> >
> >

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54824] 恥の勲章 Re:[54823] 猫でも犬でも羊でも馬でもようござんしたが、溝鼠」Re:[54822] “Nevermore.”Re:[54797] I Never Sing Another Song 焼芋 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/05(Sat) 12:15  

> ゆつもてまANNEX−Ω   訪問者数:11748627(今日:633/昨日:1155)投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/04(Fri) 13:25 先負(丙辰) 旧暦 2/2 月齢 1.4
>
> 懊悩の諸手を挙げて寒昴

Oh No!

ロシアが原発にミサイルをうちむ

まさにプーチン露西亜のハルマゲドン、黙示録

> さてとん、これは閻魔大王の錫杖の音、裁きの法廷にして縛り上げる羂索

最後の審判

> 閻魔さまぢゃなくてお不動さまの持ち物ぢゃねえの?
>
> どちらさまでもよろしい
>
> まずは、斎藤慶典著「『東洋』哲学の根本問題あるいは井筒俊彦 講談社選書メチエ
>
> 地獄とはいわぬ、ドブに落ちろ、この溝鼠め。
>
> 判決は後程

多少は読んでみたが、読むに堪えぬ

つまらんのんね。先の印象に間違いはない

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

> 斎藤は若いだけに井筒俊彦に挑もうとしちょるんか、井筒俊彦の足らんところにも力んで言及しちょるが、所詮井筒俊彦の比ではなく、その交響曲的味わいを散々なもの分解してゴミをとっ散らかす

ゴミをとっ散らかす。とはいえ、もともとはゴミではない。井筒俊彦の特徴てきな概念キーワードのいちいちを取り出してそれに幼い分析、あたかも赤ん坊が一個のすばらしいモザイクでできた肖像のモザイク、積み木を崩してなめまくった挙句にもとの肖像には全然戻せない、散乱したまんまのお部屋の産卵、散乱、とっ散らかしておしまい。

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

おしまいか、だうか

最終にすっとんでいくと

ハンナ・アーレントの「政治」、共同体と自由と平等がでてくる

そこいたる道筋で井筒の言説、言葉の数々を引用して、そこに疑問符をつける

どうもこの溝鼠君は徹頭徹尾「論理」を駆使して井筒を読み解くところに根拠をおいている

だから、菩薩行も向下道も、なぜ?ということが解明されていない、と、ほざく

密教や禅は取り上げらるが民衆とは縁遠いものであって、救いをもとめる民衆に拡まった浄土宗への言及がないとほざく

はては、(いま・ここで=現に)をそこここでとっちらかし、その一章すらもうげているがなんとうすっぺらいことよ

要は、実践がない、体験、経験もない

言葉だけ論理だけで「考える」からこういう溝鼠的事態に陥る

神、真理、理性、公理、理性、論理、我、言葉、科学、みんな死んだ

さういうことを頭ではわかっても、実践として、体験として、経験としてわかっていない

だから稚拙な青臭い「論理」をふりまわし、と〜とろじ〜の牧口創価学会的なもんに成り下がる

(いま・ここで=現に)したって、そこに如何に道元の言葉、それも井筒の引用したもんを引用しても、実践・体験・経験がない、ゆえに薄っぺらい

いかに化粧を凝らさうが、もうその無知蒙昧のソコもあらわに

慶應大学哲学科教授とはよくいったもんだ

創価学会公明党と利用しあって文化庁長官になって文化的エピゴーネンに文化勲章文化功労者という恥の勲章を配った河合隼雄

似たようなもんだね

差異を言いつのり己が手柄となさんとするそのさもしさ

読んでいてちっとも己が血肉にもならんば、楽しくもない

ましてや閃きなんぞは微塵も感じられぬ

鼻を衝くドブの臭さ

そこにうろちょろする鼠

ゲシュタルト的にはそういうもんしか浮かんでこない


> つぎ、今村仁司著「『大菩薩峠』を読むー峠の旅人」ちくま新書082
>
> おぬしはひきあげてつかわす、この羂索に掴まれ
>
> 縛るんぢゃないでしょうね
>
> 縛りはせん、命の羂索

これは途中まで斎藤的な分析手法で物語全体を破壊していちいちをしゃぶりまくる

そのかぎりにおいては赤ん坊的ではあるが、赤ん坊の無心さにして、かの溝鼠的青臭さドブ臭さはない

本末転倒の本末ではのうて、巻末にいたってこれは溝鼠君とは対照的

今村の巻末は読者に開かれている、特に最終章エピローグで

あの長大な峠のゲシュタルトが納得いく形で提示されている

脱中心的、本ではなく巻、風景と人物、人物の層、端役と主人公、偶然と必然などなど

ただ、惜しむらくは、これは今村にも溝鼠君にも共通なんぢゃが、楽しんで書いているか?

書いたもんをまず読むのは自分

その自分が楽しめる、そこに成長も閃きも飛躍も現成する

それは井筒俊彦にも中里介山にも認められる

自分のコトバで自分が飛躍している

ところが、自己宣伝めかしたもん、エピゴーネン的なもんにはそれがない

一読一聞でわかる、だからつまらん

自分が楽しめず、いわば苦行のごとく溝鼠君は必死に井筒言説を移しとっている

哀れ、哀れ

今村は必死とはいわんが、ひたすら登場人物の微分をつづけ、意味の微分もつづける

だけんども、今村は最後には積分もでけた

御慶

溝鼠君は積分もでけんで、自己宣伝に終わる

こんな溝鼠君ではその著書をいくら宣伝したところで読む気もせん

売れもせんでしょうなあ

あの蛆虫鼻の清家塾長だからこの溝鼠教授が誕生したのかもしぬ

> あ、溝鼠が逃げていきますよ
>
> あんなもんは、逃げるに任せておけ
>
> でも、世に害毒が、オミクロンペストが流行るかも
>
> ああいう大猥なもんに触れなければ、大乗ぶぢゃ
>
> さて、つぎは、おまえさん
>
> > > うかうゆかANNEX−Ω   訪問者数:11736649(今日:1327/昨日:1196)書出日時:2022/02/24(木) 15:51 赤口(戊申) 旧暦 1/24 月齢 22.9 下弦
> > >
> > > 大鴉啼いてニーチェの正午かな
>
> これはどこからでてきた?
>
> あっしの口からでござんす
>
> その口から大鴉がでてきたとや?
>
> いえね、閻魔さま、最初は大鴉ぢゃなかったんです
>
> ぢゃあ、なんだ?
>
> 猫でも犬でも羊でも馬でもようござんしたが、どうも地上の動物ぢゃ、ゴロはあっても、意匠があいませんし、季語もない、そこで寒鴉だったんです
>
> それが、どうして大鴉になったんぢゃ
>
> ごらんのとおりのポーの大鴉を思い出しましたもんで・・
>
> それでは、剽窃ではないか
>
> いえ、剽窃とは滅相もない
>
> ぢゃあ、なんだ?
>
> なんだって、閻魔さま、わかりませんのんか?
>
> わからん、んが、俺の目は節穴ぢゃない
>
> ぢゃあ、いっちまいましょうか
>
> 云え
>
> ニーチェの正午はご存じですよね?
>
> しっておる、ニーチェが悟りをひらいて突然俺みたいになったあの時ぢゃな
>
> そんときニーチェに閃いたのは?
>
> おい、雷神を呼んで来い
>
> 脱衣婆すっとんでいく
>
> あの閃きはなんぢゃ?
>
> 永劫回帰でごさます
>
> なんで永劫回帰なんぢゃ
>
> 神は死んだからでございます
>
> こちらにも永劫回帰があったな
>
> ありました似て非なるもんですが
>
> あれは大丈夫か?
>
> だうも盗まれたようですが、減るもんぢゃなし
>
> してこちらの似て非なるもんは大丈夫か
>
> いえね、大丈夫ぢゃないんで、お釈迦さまにずたずたに切られまくって
>
> あれがなくなったら俺の役目もなくなる
>
> お役御免の前にこのくわせんもんに鉄槌を
>
> 鉄槌を躱し躱して昼の月
>
> 何でも昼の月、すっと惚けた野郎だ、喰えねえ野郎だ
>
> 腹が減りました
>
> 喰え、喰え
>
> 何を?焼芋の皮?むっかすパリで鳩を喰ったが不味かった
>
> 鳩ぢゃなく大鴉をだ
>
> 歯が立ちません、なんせ入歯だから
>
> つべこべぬかせる入歯、つべこべ喰え
>
> > > はとぽっぽの餌をしょうしょう穿り返してみた
> > >
> > > 鳩の餌とはいえ幾許かの栄養にはなる
> > >
> > > 罵倒しつづけたあの兜太、大岡信へのあの定冠詞ももう鬼籍に入ってしまったのだし
> > >
> > > 外しましょう
>
> 嗚呼、焼芋の皮が恋しい
>
> > Jamie Cullum - "If I Never Sing Another Song" (very touching in HD)
> > http://www.youtube.com/watch?v=EJONH8qXhKo
> >
> > はとぽっぽならぬ本物の大鴉を拾ってきたぞ
> >
> > http://www.poetryfoundation.org/poems/48860/the-raven
> >
> > The Raven
> > BY EDGAR ALLAN POE
> > Once upon a midnight dreary, while I pondered, weak and weary,
>
> 固くて喰えぬ
>
> > Shall be lifted—nevermore!
> >
> > 詩はもともとの言語で味わうにしくはない
>
> これです、これです
>
> ふむ、よろしい、そのまま、そのまま
>
> して判決は?
>
> もう少し溝鼠を読んでからにしよう
>
>

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54823] 猫でも犬でも羊でも馬でもようござんしたが、溝鼠」Re:[54822] “Nevermore.”Re:[54797] I Never Sing Another Song 焼芋 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/05(Sat) 08:47  

ゆつもてまANNEX−Ω   訪問者数:11748627(今日:633/昨日:1155)投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/04(Fri) 13:25 先負(丙辰) 旧暦 2/2 月齢 1.4

懊悩の諸手を挙げて寒昴

さてとん、これは閻魔大王の錫杖の音、裁きの法廷にして縛り上げる羂索

閻魔さまぢゃなくてお不動さまの持ち物ぢゃねえの?

どちらさまでもよろしい

まずは、斎藤慶典著「『東洋』哲学の根本問題あるいは井筒俊彦 講談社選書メチエ

地獄とはいわぬ、ドブに落ちろ、この溝鼠め。

判決は後程


つぎ、今村仁司著「『大菩薩峠』を読むー峠の旅人」ちくま新書082

おぬしはひきあげてつかわす、この羂索に掴まれ

縛るんぢゃないでしょうね

縛りはせん、命の羂索

あ、溝鼠が逃げていきますよ

あんなもんは、逃げるに任せておけ

でも、世に害毒が、オミクロンペストが流行るかも

ああいう大猥なもんに触れなければ、大乗ぶぢゃ

さて、つぎは、おまえさん

> > うかうゆかANNEX−Ω   訪問者数:11736649(今日:1327/昨日:1196)書出日時:2022/02/24(木) 15:51 赤口(戊申) 旧暦 1/24 月齢 22.9 下弦
> >
> > 大鴉啼いてニーチェの正午かな

これはどこからでてきた?

あっしの口からでござんす

その口から大鴉がでてきたとや?

いえね、閻魔さま、最初は大鴉ぢゃなかったんです

ぢゃあ、なんだ?

猫でも犬でも羊でも馬でもようござんしたが、どうも地上の動物ぢゃ、ゴロはあっても、意匠があいませんし、季語もない、そこで寒鴉だったんです

それが、どうして大鴉になったんぢゃ

ごらんのとおりのポーの大鴉を思い出しましたもんで・・

それでは、剽窃ではないか

いえ、剽窃とは滅相もない

ぢゃあ、なんだ?

なんだって、閻魔さま、わかりませんのんか?

わからん、んが、俺の目は節穴ぢゃない

ぢゃあ、いっちまいましょうか

云え

ニーチェの正午はご存じですよね?

しっておる、ニーチェが悟りをひらいて突然俺みたいになったあの時ぢゃな

そんときニーチェに閃いたのは?

おい、雷神を呼んで来い

脱衣婆すっとんでいく

あの閃きはなんぢゃ?

永劫回帰でごさます

なんで永劫回帰なんぢゃ

神は死んだからでございます

こちらにも永劫回帰があったな

ありました似て非なるもんですが

あれは大丈夫か?

だうも盗まれたようですが、減るもんぢゃなし

してこちらの似て非なるもんは大丈夫か

いえね、大丈夫ぢゃないんで、お釈迦さまにずたずたに切られまくって

あれがなくなったら俺の役目もなくなる

お役御免の前にこのくわせんもんに鉄槌を

鉄槌を躱し躱して昼の月

何でも昼の月、すっと惚けた野郎だ、喰えねえ野郎だ

腹が減りました

喰え、喰え

何を?焼芋の皮?むっかすパリで鳩を喰ったが不味かった

鳩ぢゃなく大鴉をだ

歯が立ちません、なんせ入歯だから

つべこべぬかせる入歯、つべこべ喰え

> > はとぽっぽの餌をしょうしょう穿り返してみた
> >
> > 鳩の餌とはいえ幾許かの栄養にはなる
> >
> > 罵倒しつづけたあの兜太、大岡信へのあの定冠詞ももう鬼籍に入ってしまったのだし
> >
> > 外しましょう

嗚呼、焼芋の皮が恋しい

> Jamie Cullum - "If I Never Sing Another Song" (very touching in HD)
> http://www.youtube.com/watch?v=EJONH8qXhKo
>
> はとぽっぽならぬ本物の大鴉を拾ってきたぞ
>
> http://www.poetryfoundation.org/poems/48860/the-raven
>
> The Raven
> BY EDGAR ALLAN POE
> Once upon a midnight dreary, while I pondered, weak and weary,

固くて喰えぬ

> Shall be lifted—nevermore!
>
> 詩はもともとの言語で味わうにしくはない

これです、これです

ふむ、よろしい、そのまま、そのまま

して判決は?

もう少し溝鼠を読んでからにしよう

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54822] “Nevermore.”Re:[54797] I Never Sing Another Song 焼芋 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/03(Thu) 18:55  

>
> うかうゆかANNEX−Ω   訪問者数:11736649(今日:1327/昨日:1196)書出日時:2022/02/24(木) 15:51 赤口(戊申) 旧暦 1/24 月齢 22.9 下弦
>
> 大鴉啼いてニーチェの正午かな
>
> はとぽっぽの餌をしょうしょう穿り返してみた
>
> 鳩の餌とはいえ幾許かの栄養にはなる
>
> 罵倒しつづけたあの兜太、大岡信へのあの定冠詞ももう鬼籍に入ってしまったのだし
>
> 外しましょう


Jamie Cullum - "If I Never Sing Another Song" (very touching in HD)
http://www.youtube.com/watch?v=EJONH8qXhKo

はとぽっぽならぬ本物の大鴉を拾ってきたぞ

http://www.poetryfoundation.org/poems/48860/the-raven

The Raven
BY EDGAR ALLAN POE
Once upon a midnight dreary, while I pondered, weak and weary,
Over many a quaint and curious volume of forgotten lore—
While I nodded, nearly napping, suddenly there came a tapping,
As of some one gently rapping, rapping at my chamber door.
“’Tis some visitor,” I muttered, “tapping at my chamber door—
Only this and nothing more.”

Ah, distinctly I remember it was in the bleak December;
And each separate dying ember wrought its ghost upon the floor.
Eagerly I wished the morrow;—vainly I had sought to borrow
From my books surcease of sorrow—sorrow for the lost Lenore—
For the rare and radiant maiden whom the angels name Lenore—
Nameless here for evermore.

And the silken, sad, uncertain rustling of each purple curtain
Thrilled me—filled me with fantastic terrors never felt before;
So that now, to still the beating of my heart, I stood repeating
“’Tis some visitor entreating entrance at my chamber door—
Some late visitor entreating entrance at my chamber door;—
This it is and nothing more.”

Presently my soul grew stronger; hesitating then no longer,
“Sir,” said I, “or Madam, truly your forgiveness I implore;
But the fact is I was napping, and so gently you came rapping,
And so faintly you came tapping, tapping at my chamber door,
That I scarce was sure I heard you”—here I opened wide the door;—
Darkness there and nothing more.

Deep into that darkness peering, long I stood there wondering, fearing,
Doubting, dreaming dreams no mortal ever dared to dream before;
But the silence was unbroken, and the stillness gave no token,
And the only word there spoken was the whispered word, “Lenore?”
This I whispered, and an echo murmured back the word, “Lenore!”—
Merely this and nothing more.

Back into the chamber turning, all my soul within me burning,
Soon again I heard a tapping somewhat louder than before.
“Surely,” said I, “surely that is something at my window lattice;
Let me see, then, what thereat is, and this mystery explore—
Let my heart be still a moment and this mystery explore;—
’Tis the wind and nothing more!”

Open here I flung the shutter, when, with many a flirt and flutter,
In there stepped a stately Raven of the saintly days of yore;
Not the least obeisance made he; not a minute stopped or stayed he;
But, with mien of lord or lady, perched above my chamber door—
Perched upon a bust of Pallas just above my chamber door—
Perched, and sat, and nothing more.

Then this ebony bird beguiling my sad fancy into smiling,
By the grave and stern decorum of the countenance it wore,
“Though thy crest be shorn and shaven, thou,” I said, “art sure no craven,
Ghastly grim and ancient Raven wandering from the Nightly shore—
Tell me what thy lordly name is on the Night’s Plutonian shore!”
Quoth the Raven “Nevermore.”

Much I marvelled this ungainly fowl to hear discourse so plainly,
Though its answer little meaning—little relevancy bore;
For we cannot help agreeing that no living human being
Ever yet was blessed with seeing bird above his chamber door—
Bird or beast upon the sculptured bust above his chamber door,
With such name as “Nevermore.”

But the Raven, sitting lonely on the placid bust, spoke only
That one word, as if his soul in that one word he did outpour.
Nothing farther then he uttered—not a feather then he fluttered—
Till I scarcely more than muttered “Other friends have flown before—
On the morrow he will leave me, as my Hopes have flown before.”
Then the bird said “Nevermore.”

Startled at the stillness broken by reply so aptly spoken,
“Doubtless,” said I, “what it utters is its only stock and store
Caught from some unhappy master whom unmerciful Disaster
Followed fast and followed faster till his songs one burden bore—
Till the dirges of his Hope that melancholy burden bore
Of ‘Never—nevermore’.”

But the Raven still beguiling all my fancy into smiling,
Straight I wheeled a cushioned seat in front of bird, and bust and door;
Then, upon the velvet sinking, I betook myself to linking
Fancy unto fancy, thinking what this ominous bird of yore—
What this grim, ungainly, ghastly, gaunt, and ominous bird of yore
Meant in croaking “Nevermore.”

This I sat engaged in guessing, but no syllable expressing
To the fowl whose fiery eyes now burned into my bosom’s core;
This and more I sat divining, with my head at ease reclining
On the cushion’s velvet lining that the lamp-light gloated o’er,
But whose velvet-violet lining with the lamp-light gloating o’er,
She shall press, ah, nevermore!

Then, methought, the air grew denser, perfumed from an unseen censer
Swung by Seraphim whose foot-falls tinkled on the tufted floor.
“Wretch,” I cried, “thy God hath lent thee—by these angels he hath sent thee
Respite—respite and nepenthe from thy memories of Lenore;
Quaff, oh quaff this kind nepenthe and forget this lost Lenore!”
Quoth the Raven “Nevermore.”

“Prophet!” said I, “thing of evil!—prophet still, if bird or devil!—
Whether Tempter sent, or whether tempest tossed thee here ashore,
Desolate yet all undaunted, on this desert land enchanted—
On this home by Horror haunted—tell me truly, I implore—
Is there—is there balm in Gilead?—tell me—tell me, I implore!”
Quoth the Raven “Nevermore.”

“Prophet!” said I, “thing of evil!—prophet still, if bird or devil!
By that Heaven that bends above us—by that God we both adore—
Tell this soul with sorrow laden if, within the distant Aidenn,
It shall clasp a sainted maiden whom the angels name Lenore—
Clasp a rare and radiant maiden whom the angels name Lenore.”
Quoth the Raven “Nevermore.”

“Be that word our sign of parting, bird or fiend!” I shrieked, upstarting—
“Get thee back into the tempest and the Night’s Plutonian shore!
Leave no black plume as a token of that lie thy soul hath spoken!
Leave my loneliness unbroken!—quit the bust above my door!
Take thy beak from out my heart, and take thy form from off my door!”
Quoth the Raven “Nevermore.”

And the Raven, never flitting, still is sitting, still is sitting
On the pallid bust of Pallas just above my chamber door;
And his eyes have all the seeming of a demon’s that is dreaming,
And the lamp-light o’er him streaming throws his shadow on the floor;
And my soul from out that shadow that lies floating on the floor
Shall be lifted—nevermore!

詩はもともとの言語で味わうにしくはない



やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54821] 井筒の華麗なる文体によるロシア史にしてロシア精神史、黙示録にしてそのメシア的思想と実践の記述 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/03(Thu) 10:15  

はのきむもANNEX−Ω   訪問者数:11747356(今日:517/昨日:2163)梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/03(Thu) 09:28 友引(乙卯) 旧暦 2/1 月齢 0.4 新月 朔

見開けば花に埋もるる棺の中

防人の詩 ナターシャ・グジー / Sakimori no Uta by Nataliya Gudziy
http://www.youtube.com/watch?v=8dUOGXII_jk

凍結の大地爆転宙返

無月にして朔月、事態は好転するのであらうか?

サクサクとページを繰ってみると現今のコメンテーター諸君、あるいはホワイトハウス、プーチンの精神状態まで病気の亢進とか訳がわかないとか

さういう中で微象なるもロシアの歴史に言及してその民族性の根底にふれたコメントはかのトルコ人がでていた、さすがに韃靼人の裔

して、その韃靼人に「師事」してアラビア語のみならずその記憶力、積分力なども受け継いだ井筒俊彦

井筒俊彦著「ロシア的人間」中公文庫 M401

著者の序に昭和28年1月1日とある、1953年、67年前の言説にして全く今現在に通じる

その幾許かを引用したい、プーチンが狂っているとか、わけがわからないとかいうむきのコメンテイター諸君もこのくらいの見通しをもってコメントしてほしい

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

ロシアは「最高の原理」を奉持する地上唯一の民族国家であって、やがてロシアが中心となって世界は救済されるだろうというこの特徴ある思想ーーーというより幻想ーーーをロシア人が抱くようになったのは韃靼人時代に続くモスコウ時代のことであった。

この民族主義・国家主義的な世界救済のメシア思想を理解することは、ロシア文学のみならず一般にロシア的現象というもの正確に解釈する上にきわめて大切である。

韃靼人の支配下にあった三百年間が、ロシア民族にとって屈辱と苦悩の受難時代であり、この三百年の間にロシア人が「虐げられた人々」として次第に黙示録的幻想を抱くようになった精神史的過程を私は前章に説いたが、その後の続いた二百年のモスコウ時代も、またそれとは形態の違う奴隷時代であり、この時代に黙示録的精神はいよいよ決定的な形をとって結晶した。・・・

韃靼時代の苦しみの間、蛮族の圧政下にあえぎつつ、ロシア人達が渇望したものは「ロシア人のロシア」ということだった。

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

こうして井筒の華麗なる文体によるロシア史にしてロシア精神史、黙示録にしてそのメシア的思想と実践の記述はそのロシア的統一、モスコウ公国、「第三のローマ」、「神聖ロシア」、「第三インターナショナル」、ソ連と受け継がれていくロシアの底流にある精神の発現としての皮相としてあらわれる政治形態,政権、文学、音楽を縦糸横糸として華麗なる綾を展開していく。

皮相の歴史ではえられぬ、はたまた皮相なる国際関係、パワーバランスなんぞというもんの根底にあるものを、ある種、預言者的に喝破しているこの67前の言説はモッカのTVなんぞ消して目を見開く価値があらう


やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54820] 自分の母は自分の腕のなかでみとったのに自分は独りでだれにもみとられず誰にもしられずに逝った、見間違え、読み違え、書き違え、人違い、記憶違い、みんな恩寵Re:[54819] そのうちわかるようになるRe:[54817] にこにこ慈悲の目乾屎橛 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/01(Tue) 12:15  

> つけねひみANNEX−Ω   訪問者数:11743971(今日:680/昨日:1341)投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/02/28(Mon) 09:35大安(癸丑) 旧暦 1/29 月齢 27.9
>
> 牧神の午後の一睡鷹現るる 梵
>
> 鷹はたすか季語だったなあ、10年振りくらいに歳時記を繰ると
>
> 大鷲の爪あげて貌かきむしる 加藤楸邨
>
> 出会った出会った田川飛旅子の師にして中村弘和の師
>
> 師となすのも両師にとっては師つ礼かもしれない
>
> 師なんちうもんは師事したもんが云うことで他人が云うもんぢゃない
>
> んで、観えますか?
>
> なぬが
>
> 二重三重もう無限に重なったその奥底
>
> ?
>
> 今日はやなことをせんばならん、この世に生きておればな
>
> たかが数歩のテーブルを行き来する
>
> ふわふわとやだな、趣味にあわぬ
>
> 趣味に合わぬといえば、かの清水兄弟、三橋の句を検索していたら、あら懐かしや増殖する歳時記にであった、もう閉鎖してしまっていたようだが・・
>
> うすべったいのね
>
> 大岡信にせい清水哲男にせい、あのての「詩人」ちうのんはまことに扁平な皮相を撫で回す、つまらんの一言
>
> そのつまらん皮相を某もやらないかん、3月1日
>
> とっ散らかった応接室を家内が片づけて客を迎える
>
> うむ、ふわふわ、丹田に気を込めれば重心が低くなる
>
> 大手町蒟蒻問答
>
> 木暮浩明いわく
>
> 思いっきりかかってこい
>
> 木暮より数段でっかい肉弾が木暮に向かってすっ飛んでいく
>
> 肉弾の塊が跳ね返されてすっ飛んで小暮はびくともしない
>
> 黒岩清張によれば、らりるれろでおわる苗字は半島からの渡来人の裔だとか
>
> 差別差別!
>
> というほうが差別なんであって、われらみんな渡来人であらうが
>
> 木暮は自ら力道山と云っておった日本合気道協会会長、黒帯商社マン世界を行く
>
> 力道山はもちろん北朝鮮で墓は日蓮宗大本山の池上本門寺、日蓮終焉の大坊本行寺
>
> なぬか気を感じるね
>
> 感じません
>
> 便所の蓋が自動的に上がり下がりする
>
> さうですか、わたしのはいったところは汲み取り
>
> そこを汲み取らねば見えるもんも見えぬ
>
> ようは、よくいわれることだが皮相の自分とその奥底の自分、もう自分も他分もない未分節のとてつもないもの、こいつになりきったら突っ込んでくるロシアの戦車も吹っ飛ぶ
>
> ありえません、世界中どこをさがしたって
>
> そんな世界はない?それがある、コトバの綾の中に
>
> なあんだ、初めに言葉ありきですか
>
> そうなんだね、われわれのこの浮薄にして皮相の世界、沈みこんで沈み込んで自他無礙にして塊にして空ともいわれるこの世界もみんなコトバの中
>
> さすれば、一句の言葉が世界を現成するのんもわからうちうもんぢゃ
>
> もんぢゃやき食べたい
>
> それも世界ぢゃ、世界は重層しちょる、一句も重層しちょる、その重層のソコを観ねばならん
>
> さうですか、浮薄の皮相で見ておれば、浮薄皮相なお喋りになってしまう恥
>
> いやね、こういうのんもある、さっき詠んだばかり
>
> 恥は恥されど勲章觔斗雲(きんとうん) 梵
>
> 孫悟空ですか
>
> しかりであって否でもある
>
> わかりませ〜ん
>
>
> > くまろをあANNEX−Ω   訪問者数:11743132(今日:1182/昨日:1799) 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/02/28(Mon) 18:10
> >
> > ルオーのベロニカ
> >
> > いつかあれを手に入れたいとかつて思って書いてこうこう人生も押し詰まってくれば可能性は無如
> >
> > むにょむにょしちょってプリント、版画、リトグラフではだめ
> >
> > 厚みがない、凸凹感がない
> >
> > あれは塗りたくって塗りたくってキリストがいつのまにかベロニカになってしまったその厚み凸凹がほしい
>
> だったらこのご時世、三次元ファックスで送ってもらったらいいのに
>
>
> > ベロニカだって娼婦がだんだん聖化されて修道女
> >
> > なぬ修道女が聖なるもんでもなかろう
> >
> > とはいえ、血は争えぬ
> >
> > あのむっかしむっかしヘブライの伝統でのパレスチナでもキプロスでも神殿の前で売春せんばお嫁にもいけなかった
> >
> > 愚ラグ、ぐだぐだぬかすな
> >
> > 慈悲の目をもって
> >
> > 何時もにこにこ栂正隆
>
> 天龍寺は山門を入ってすぐ右側の大きな塔頭の高源院の住職にして当時禅文化研究所の重鎮

どうも記憶でかいておるけんときどきいいかげんになる

天龍寺中門右の三秀院の住職

なんで高源院がでてきいたのぢゃろか

お世話になって間違えちゃあ顔向けでけんわの

> 東西霊性交流会、あっちへ飛びこっちへ飛び
>
> さぞかしお坊さんとしちゃたいへんでしょうね
>
> もともと坊主ぢゃないからね、理科大のエンジニアで朝日新聞のシステムをやっていたのよ、老師だって京大の哲学、ここ天龍寺ぢゃ坊主の学校でて坊主ちうのんはあんまりいないの
>
> さっそく東西霊性交流会に興味をもって禅文化という洒落た小誌を
>
> カトリックとの交流、プロテスタントとの交流、ロシア正教、モスレムとの交流があったかだうか
>
> いづれにせいそういう文化交流、霊性交流、鈴木大拙も大好きだが、ああいう系譜もあって、その系譜に井筒もいるんぢゃろね

この一筋につらなる

芭蕉にこのコトバがあるが、それは奥の細道につながり

三橋の絶滅にも通じる

絶滅のかの狼のこの一筋

殺仏殺祖のこの一筋

といえば、栂も平田も、わははは、笑うであろう

いらい、三秀院にも泊めてもらったが、曹源池庭園を眼前にする本山天龍寺客殿が京都の定宿となった

所在地芒ノ馬場の地名もよい

この曹源池の岩々に雲水が坐して修行すると聞いた成果

ある朝目覚めると、曹源池の向かいの山から龍が天へ沸き立って昇っていく

雲水は残らず巍々たる岩に化している

うん、これが天龍寺なんだと散歩にでて湯豆腐のあたりから見返る

天龍とみた昇る一筋は消えていて森閑とした山

恵まれていたね

恩寵だね

あのミラノの大聖堂を照らし出す大西日の中の己が大影を鳩の群が飛び立つ

恩寵だね

見間違え、読み違え、書き違え、人違い、記憶違い、みんな恩寵

> > あ、そういや親友の浅沼正樹の字をまちがえた雅樹
> >
> > 雅樹だけあってあのバリの節だらけ木目だらけの雅して興、強力な眼光を発する木黙面
> >
> > にこにこ慈悲の目
> >
> > なにをいってなにをやってもにこにこ慈悲の目
> >
> > 老師がおらっしゃるから会わるるか
> >
> > おう、よく来た、よく来た 方丈の平田精耕老師
> >
> > 栂も平田もめが優しい、栂去って老子と対座
> >
> > これはおらほの地場の吉川英治の梅の里の梅ですが・・
> >
> > おお、好物、好物
> >
> > ご紹介にあづかりました深山荘へいってまいりました
> >
> > おお、そうか、そうか、中東に会ったか
> >
> > 会いました、奥様にも、お嬢様にも
> >
> > ま、茶でもすすれ、しょんべんはしたか
> >
> > はい、あの杉の葉の密集した壺において跳ね返りもなく無事すませてまいりました
> >
> > 裏山には登ったか
> >
> > はい、万が一の遭難というので鑑札を深山壮において天辺ですわってきました
> >
> > 風呂には入ったか
> >
> > 酔いが回ってせせらぎのうつらうつらの湯舟をいでて洗い場で大の字の坐禅でお恥ずかしい次第、奥さま、お嬢さまに介抱されて
> >
> > それでよし
> >
> > で、お嬢さまはその後
> >
> > さっこんはなにやら「あてな夜」艶な夜と申しましょうか大原千鶴とかで
> >
> > 老僧ももう黄泉ぢゃけん、みちょらんが
> >
> > あのこりゃあ、深山壮から雪道を何時間もかけて歩いて学校に通われたお嬢さまももう立派な奥さまで
> >
> > で、弟は
> >
> > 赤竈でございます
> >
> > 糞はしたか
> >
> > 老師おとくいのですか、老師のお手間をとらせるは
> >
> > この乾屎橛か
> >
> > それを振り回されてあの時は通産省の役人どもも目が回ったそうで
> >
> > あの時のご友人はいかがいたした
> >
> > ああ、あの命の多様性の重要性を論じた森田茂穂、あれも逝きました
> >
> > 山口洋平はいかがいたした
> >
> > 洋平も逝きました
>
> > さすれば老僧もこちらでまた出会えるかもしれんの
> >
> > ぜひぜひ、そうお願いしたいところでございます
> >
> > ごはんですよお
>
> おっと忘れちゃおらんがめしに追われて・・
>
> 赤坂のママさん

大宮章子

もう癌もだいぶすすんで慈恵に見舞う

まわりはみんながんの患者で、屋上にのぼりましょう

屋上へ上って黄泉売りランドの観覧車をながめ

もう走れないの

さうだ、俺のロードバイクに伍して新品のパナソニックのママチャリで芦花公園

時々おうちにかえるの

でもお寿司屋さんへは行かないの

死んだといわれた私がいっちゃ悪いでしょ

烏山の甲州街道旧道

和装のママがそそと前を行く

バイクで追い越し振り返れみれば赤の他人

胸騒ぎがしてマンションへ急行せんとすれど

ごった返した烏山の踏切が開かない

しびれを切らして電話をする

男が電話にでた

ぎょ!

どなたさまでしょうか?

かくかくしかじか

兄のかくかくしかじか、章子が大変お世話になりました

章子はいま火葬がおわってもどってきたところです

誕生日だった

甥がここにきましたら亡くなっていました、病院を抜け出したようで・・

命日はわからない

自分の母は自分の腕のなかでみとったのに自分は独りでだれにもみとられず誰にもしられずに逝った

猫みたいに

それもまあ大宮さんだな

> 逝きました
>
> 別嬪ぢゃったのお
>
> ほんとに別格の別嬪で東八茶屋で石川綴れの石川さん、洋平ともども卓を囲んで
>
> さうさう、あれは石川さんが巷で塾をされていて、その塾の帰り
>
> 石川さんちにもご招待されて、秘蔵の曼陀羅も拝んできました
>
> 毎日毎朝、曼陀羅の御前に水をあげる
>
> 曼陀羅がよくわかりませんでした
>
> そのうちわかるようになる
>
> > [54816] 俺もだ Re:[54815] 牧口の目には脳みそには利を筆頭に美も善も世間で見えた、 しかし真は見えなかった 牧口ならずも世人のほとんどが真は見えぬ、神は死んで、真理も死んでいるのだから でもね、真善美はさういう浮薄な世間にその微象の一端を現わしもしようが、その巨にして礎たる大いなる真善美は根っこにある その根っこが見えないと〜とろじ〜 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/02/28(Mon) 18:10
> >
> > 天空のつららもろとも慧可斬首
> >
> > > 畢竟するに・・
> > >
> > > 畢竟せんでも聡明なみなさんはみんなわかってます
> > >
> > > うるさい!
> >
> > 苛立っていますね
> >
> > > 畢竟するに牧口は利という浮薄にしてこの世の皮相な概念と真善美という深層をごっちゃにしちょる
> > >
> > > 真という根っこをわすれてはいけません
> >
> > 午後の一睡
> >
> > 軽く夢
> >
> > 施無畏印の仏像が現れ
> >
> > 汝に無畏冠を施す、頭を出せ
> >
> > 鮮血が飛ぶ
> >
> > 飛んだ頭の目玉を回してみれば
> >
> > あいも変わらず施無畏印を結んだ仏像が眼前に
> >
> > なあるほど生硬な言説を戒められたのかもしれんなあ
> >
> > と目覚めかけに思い
> >
> > 天空のつららもろとも慧可斬首  梵
> >
> > ちうのんを思い出した
> >
> > もちろん生硬な言説ちうのんはここに展開しちょる我が言説のつらなりであって、あの赤ん坊おしゃぶり青臭さのことではない
> >
> > > 空という極みにまでおりていってもどってくればペルソナは真という一者のペルソナ、はたまた美というペルソナ、善というペルソナも生まれてくる
> > >
> > > そういうもんを遥かなる深層に踏まえて浮かび上がって利というペルソナが生まれる
> > >
> > > 神が死んだ、真理が死んだ、みんな仮構の概念、言葉だから殺しちまえ
> > >
> > > デコンストラクションが流行って、そのデコンストラクション、言語道断、不立文字の意味も解さず、皮相浮薄な利をもって真にかえるのは味噌糞混交も甚だしい
> > >
> > > その利美善㋾標榜する創価学会
> > >
> > > いちおう大石寺とか日蓮系とか、仏教系をも標榜してそこに機軸をおいておるんならば、なんでこんな浮薄な思想が現成するんであらうか?
> > >
> > > 菩薩行
> > >
> > > ピラミッドの、氷山の底のソコまで沈み込んで空を掴んで浮かび上がって
> > >
> > > 空ならぬら世間でその実践をせんばいけん
> > >
> > > 日蓮もそれをしちゃるんぢゃろし
> > >
> > > それを利を筆頭に掲げ、真を切って捨てる
> > >
> > > 真こそ利の根源にすえねばならん
> > >
> > > その根源を切って捨ててしまえばそりゃあ浮薄な利美善主義にもなる
> > >
> > > 牧口の目には脳みそには利を筆頭に美も善も世間で見えた、
> > >
> > > しかし真は見えなかった
> > >
> > > 牧口ならずも世人のほとんどが真は見えぬ、神は死んで、真理も死んでいるのだから
> > >
> > > でもね、真善美はさういう浮薄な世間にその微象の一端を現わしもしようが、その巨にして礎たる大いなる真善美は根っこにある
> > >
> > > その根っこが見えない
> > >
> > > 根っこに支えられてこその利であることもみえない
> > >
> > > 思想がいたらない
> > >
> > > だから混乱をきたしているのだ
> >
> > 俺もだ

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54819] そのうちわかるようになるRe:[54817] にこにこ慈悲の目乾屎橛 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/01(Tue) 10:45  

つけねひみANNEX−Ω   訪問者数:11743971(今日:680/昨日:1341)投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/02/28(Mon) 09:35大安(癸丑) 旧暦 1/29 月齢 27.9

牧神の午後の一睡鷹現るる 梵

鷹はたすか季語だったなあ、10年振りくらいに歳時記を繰ると

大鷲の爪あげて貌かきむしる 加藤楸邨

出会った出会った田川飛旅子の師にして中村弘和の師

師となすのも両師にとっては師つ礼かもしれない

師なんちうもんは師事したもんが云うことで他人が云うもんぢゃない

んで、観えますか?

なぬが

二重三重もう無限に重なったその奥底



今日はやなことをせんばならん、この世に生きておればな

たかが数歩のテーブルを行き来する

ふわふわとやだな、趣味にあわぬ

趣味に合わぬといえば、かの清水兄弟、三橋の句を検索していたら、あら懐かしや増殖する歳時記にであった、もう閉鎖してしまっていたようだが・・

うすべったいのね

大岡信にせい清水哲男にせい、あのての「詩人」ちうのんはまことに扁平な皮相を撫で回す、つまらんの一言

そのつまらん皮相を某もやらないかん、3月1日

とっ散らかった応接室を家内が片づけて客を迎える

うむ、ふわふわ、丹田に気を込めれば重心が低くなる

大手町蒟蒻問答

木暮浩明いわく

思いっきりかかってこい

木暮より数段でっかい肉弾が木暮に向かってすっ飛んでいく

肉弾の塊が跳ね返されてすっ飛んで小暮はびくともしない

黒岩清張によれば、らりるれろでおわる苗字は半島からの渡来人の裔だとか

差別差別!

というほうが差別なんであって、われらみんな渡来人であらうが

木暮は自ら力道山と云っておった日本合気道協会会長、黒帯商社マン世界を行く

力道山はもちろん北朝鮮で墓は日蓮宗大本山の池上本門寺、日蓮終焉の大坊本行寺

なぬか気を感じるね

感じません

便所の蓋が自動的に上がり下がりする

さうですか、わたしのはいったところは汲み取り

そこを汲み取らねば見えるもんも見えぬ

ようは、よくいわれることだが皮相の自分とその奥底の自分、もう自分も他分もない未分節のとてつもないもの、こいつになりきったら突っ込んでくるロシアの戦車も吹っ飛ぶ

ありえません、世界中どこをさがしたって

そんな世界はない?それがある、コトバの綾の中に

なあんだ、初めに言葉ありきですか

そうなんだね、われわれのこの浮薄にして皮相の世界、沈みこんで沈み込んで自他無礙にして塊にして空ともいわれるこの世界もみんなコトバの中

さすれば、一句の言葉が世界を現成するのんもわからうちうもんぢゃ

もんぢゃやき食べたい

それも世界ぢゃ、世界は重層しちょる、一句も重層しちょる、その重層のソコを観ねばならん

さうですか、浮薄の皮相で見ておれば、浮薄皮相なお喋りになってしまう恥

いやね、こういうのんもある、さっき詠んだばかり

恥は恥されど勲章觔斗雲(きんとうん) 梵

孫悟空ですか

しかりであって否でもある

わかりませ〜ん


> くまろをあANNEX−Ω   訪問者数:11743132(今日:1182/昨日:1799) 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/02/28(Mon) 18:10
>
> ルオーのベロニカ
>
> いつかあれを手に入れたいとかつて思って書いてこうこう人生も押し詰まってくれば可能性は無如
>
> むにょむにょしちょってプリント、版画、リトグラフではだめ
>
> 厚みがない、凸凹感がない
>
> あれは塗りたくって塗りたくってキリストがいつのまにかベロニカになってしまったその厚み凸凹がほしい

だったらこのご時世、三次元ファックスで送ってもらったらいいのに


> ベロニカだって娼婦がだんだん聖化されて修道女
>
> なぬ修道女が聖なるもんでもなかろう
>
> とはいえ、血は争えぬ
>
> あのむっかしむっかしヘブライの伝統でのパレスチナでもキプロスでも神殿の前で売春せんばお嫁にもいけなかった
>
> 愚ラグ、ぐだぐだぬかすな
>
> 慈悲の目をもって
>
> 何時もにこにこ栂正隆

天龍寺は山門を入ってすぐ右側の大きな塔頭の高源院の住職にして当時禅文化研究所の重鎮

東西霊性交流会、あっちへ飛びこっちへ飛び

さぞかしお坊さんとしちゃたいへんでしょうね

もともと坊主ぢゃないからね、理科大のエンジニアで朝日新聞のシステムをやっていたのよ、老師だって京大の哲学、ここ天龍寺ぢゃ坊主の学校でて坊主ちうのんはあんまりいないの

さっそく東西霊性交流会に興味をもって禅文化という洒落た小誌を

カトリックとの交流、プロテスタントとの交流、ロシア正教、モスレムとの交流があったかだうか

いづれにせいそういう文化交流、霊性交流、鈴木大拙も大好きだが、ああいう系譜もあって、その系譜に井筒もいるんぢゃろね

> あ、そういや親友の浅沼正樹の字をまちがえた雅樹
>
> 雅樹だけあってあのバリの節だらけ木目だらけの雅して興、強力な眼光を発する木黙面
>
> にこにこ慈悲の目
>
> なにをいってなにをやってもにこにこ慈悲の目
>
> 老師がおらっしゃるから会わるるか
>
> おう、よく来た、よく来た 方丈の平田精耕老師
>
> 栂も平田もめが優しい、栂去って老子と対座
>
> これはおらほの地場の吉川英治の梅の里の梅ですが・・
>
> おお、好物、好物
>
> ご紹介にあづかりました深山荘へいってまいりました
>
> おお、そうか、そうか、中東に会ったか
>
> 会いました、奥様にも、お嬢様にも
>
> ま、茶でもすすれ、しょんべんはしたか
>
> はい、あの杉の葉の密集した壺において跳ね返りもなく無事すませてまいりました
>
> 裏山には登ったか
>
> はい、万が一の遭難というので鑑札を深山壮において天辺ですわってきました
>
> 風呂には入ったか
>
> 酔いが回ってせせらぎのうつらうつらの湯舟をいでて洗い場で大の字の坐禅でお恥ずかしい次第、奥さま、お嬢さまに介抱されて
>
> それでよし
>
> で、お嬢さまはその後
>
> さっこんはなにやら「あてな夜」艶な夜と申しましょうか大原千鶴とかで
>
> 老僧ももう黄泉ぢゃけん、みちょらんが
>
> あのこりゃあ、深山壮から雪道を何時間もかけて歩いて学校に通われたお嬢さまももう立派な奥さまで
>
> で、弟は
>
> 赤竈でございます
>
> 糞はしたか
>
> 老師おとくいのですか、老師のお手間をとらせるは
>
> この乾屎橛か
>
> それを振り回されてあの時は通産省の役人どもも目が回ったそうで
>
> あの時のご友人はいかがいたした
>
> ああ、あの命の多様性の重要性を論じた森田茂穂、あれも逝きました
>
> 山口洋平はいかがいたした
>
> 洋平も逝きました

> さすれば老僧もこちらでまた出会えるかもしれんの
>
> ぜひぜひ、そうお願いしたいところでございます
>
> ごはんですよお

おっと忘れちゃおらんがめしに追われて・・

赤坂のママさん

逝きました

別嬪ぢゃったのお

ほんとに別格の別嬪で東八茶屋で石川綴れの石川さん、洋平ともども卓を囲んで

さうさう、あれは石川さんが巷で塾をされていて、その塾の帰り

石川さんちにもご招待されて、秘蔵の曼陀羅も拝んできました

毎日毎朝、曼陀羅の御前に水をあげる

曼陀羅がよくわかりませんでした

そのうちわかるようになる

> [54816] 俺もだ Re:[54815] 牧口の目には脳みそには利を筆頭に美も善も世間で見えた、 しかし真は見えなかった 牧口ならずも世人のほとんどが真は見えぬ、神は死んで、真理も死んでいるのだから でもね、真善美はさういう浮薄な世間にその微象の一端を現わしもしようが、その巨にして礎たる大いなる真善美は根っこにある その根っこが見えないと〜とろじ〜 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/02/28(Mon) 18:10
>
> 天空のつららもろとも慧可斬首
>
> > 畢竟するに・・
> >
> > 畢竟せんでも聡明なみなさんはみんなわかってます
> >
> > うるさい!
>
> 苛立っていますね
>
> > 畢竟するに牧口は利という浮薄にしてこの世の皮相な概念と真善美という深層をごっちゃにしちょる
> >
> > 真という根っこをわすれてはいけません
>
> 午後の一睡
>
> 軽く夢
>
> 施無畏印の仏像が現れ
>
> 汝に無畏冠を施す、頭を出せ
>
> 鮮血が飛ぶ
>
> 飛んだ頭の目玉を回してみれば
>
> あいも変わらず施無畏印を結んだ仏像が眼前に
>
> なあるほど生硬な言説を戒められたのかもしれんなあ
>
> と目覚めかけに思い
>
> 天空のつららもろとも慧可斬首  梵
>
> ちうのんを思い出した
>
> もちろん生硬な言説ちうのんはここに展開しちょる我が言説のつらなりであって、あの赤ん坊おしゃぶり青臭さのことではない
>
> > 空という極みにまでおりていってもどってくればペルソナは真という一者のペルソナ、はたまた美というペルソナ、善というペルソナも生まれてくる
> >
> > そういうもんを遥かなる深層に踏まえて浮かび上がって利というペルソナが生まれる
> >
> > 神が死んだ、真理が死んだ、みんな仮構の概念、言葉だから殺しちまえ
> >
> > デコンストラクションが流行って、そのデコンストラクション、言語道断、不立文字の意味も解さず、皮相浮薄な利をもって真にかえるのは味噌糞混交も甚だしい
> >
> > その利美善㋾標榜する創価学会
> >
> > いちおう大石寺とか日蓮系とか、仏教系をも標榜してそこに機軸をおいておるんならば、なんでこんな浮薄な思想が現成するんであらうか?
> >
> > 菩薩行
> >
> > ピラミッドの、氷山の底のソコまで沈み込んで空を掴んで浮かび上がって
> >
> > 空ならぬら世間でその実践をせんばいけん
> >
> > 日蓮もそれをしちゃるんぢゃろし
> >
> > それを利を筆頭に掲げ、真を切って捨てる
> >
> > 真こそ利の根源にすえねばならん
> >
> > その根源を切って捨ててしまえばそりゃあ浮薄な利美善主義にもなる
> >
> > 牧口の目には脳みそには利を筆頭に美も善も世間で見えた、
> >
> > しかし真は見えなかった
> >
> > 牧口ならずも世人のほとんどが真は見えぬ、神は死んで、真理も死んでいるのだから
> >
> > でもね、真善美はさういう浮薄な世間にその微象の一端を現わしもしようが、その巨にして礎たる大いなる真善美は根っこにある
> >
> > その根っこが見えない
> >
> > 根っこに支えられてこその利であることもみえない
> >
> > 思想がいたらない
> >
> > だから混乱をきたしているのだ
>
> 俺もだ

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54818] 葱喰ってみんなにこにこ糞箆棒 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/02/28(Mon) 20:11  

こは如何に?

こねたすい 捏ねた粋だってさ

さあて、寝んべ

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54817] にこにこ慈悲の目乾屎橛 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/02/28(Mon) 19:07  

くまろをあANNEX−Ω   訪問者数:11743132(今日:1182/昨日:1799) 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/02/28(Mon) 18:10

ルオーのベロニカ

いつかあれを手に入れたいとかつて思って書いてこうこう人生も押し詰まってくれば可能性は無如

むにょむにょしちょってプリント、版画、リトグラフではだめ

厚みがない、凸凹感がない

あれは塗りたくって塗りたくってキリストがいつのまにかベロニカになってしまったその厚み凸凹がほしい

ベロニカだって娼婦がだんだん聖化されて修道女

なぬ修道女が聖なるもんでもなかろう

とはいえ、血は争えぬ

あのむっかしむっかしヘブライの伝統でのパレスチナでもキプロスでも神殿の前で売春せんばお嫁にもいけなかった

愚ラグだぬかすな

慈悲の目をもって

何時もにこにこ栂正隆

あ、そういや親友の浅沼正樹の字をまちがえた雅樹

雅樹だけあってあのバリの節だらけ木目だらけの雅して興、強力な眼光を発する木黙面

にこにこ慈悲の目

なにをいってなにをやってもにこにこ慈悲の目

老師がおらっしゃるから会わらるか

おう、よく来た、よく来た 方丈の平田精耕老師

栂も平田もめが優しい、栂去って老子と対座

これはおらほの地場の吉川英治の梅の里の梅ですが・・

おお、好物、好物

ご紹介にあづかりました深山荘へいってまいりました

おお、そうか、そうか、中東に会ったか

会いました、奥様にも、お嬢様にも

ま、茶でもすすれ、しょんべんはしたか

はい、あの杉の葉の密集した壺において跳ね返りもなく無事すませてまいりました

裏山には登ったか

はい、万が一の遭難というので鑑札を深山壮において天辺ですわってきました

風呂には入ったか

酔いが回ってせせらぎのうつらうつらの湯舟をいでて洗い場で大の字の坐禅でお恥ずかしい次第、奥さま、お嬢さまに介抱されて

それでよし

で、お嬢さまはその後

さっこんはなにやら「あてな夜」艶な夜と申しましょうか大原千鶴とかで

老僧ももう黄泉ぢゃけん、みちょらんが

あのこりゃあ、深山壮から雪道を何時間もかけて歩いて学校に通われたお嬢さまももう立派な奥さまで

で、弟は

赤竈でございます

糞はしたか

老師おとくいのですか、老師のお手間をとらせるは

この乾屎橛か

それを振り回されてあの時は通産省の役人どもも目が回ったそうで

あの時のご友人はいかがいたした

ああ、あの命の多様性の重要性を論じた森田茂穂、あれも逝きました

山口洋平はいかがいたした

洋平も逝きました

さすれば老僧もこちらでまた出会えるかもしいれんの

ぜひぜひ、そうお願いしたいところでございます

ごはんですよお



[54816] 俺もだ Re:[54815] 牧口の目には脳みそには利を筆頭に美も善も世間で見えた、 しかし真は見えなかった 牧口ならずも世人のほとんどが真は見えぬ、神は死んで、真理も死んでいるのだから でもね、真善美はさういう浮薄な世間にその微象の一端を現わしもしようが、その巨にして礎たる大いなる真善美は根っこにある その根っこが見えないと〜とろじ〜 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/02/28(Mon) 18:10

天空のつららもろとも慧可斬首

> 畢竟するに・・
>
> 畢竟せんでも聡明なみなさんはみんなわかってます
>
> うるさい!

苛立っていますね

> 畢竟するに牧口は利という浮薄にしてこの世の皮相な概念と真善美という深層をごっちゃにしちょる
>
> 真という根っこをわすれてはいけません

午後の一睡

軽く夢

施無畏印の仏像が現れ

汝に無畏冠を施す、頭を出せ

鮮血が飛ぶ

飛んだ頭の目玉を回してみれば

あいも変わらず施無畏印を結んだ仏像が眼前に

なあるほど生硬な言説を戒められたのかもしれんなあ

と目覚めかけに思い

天空のつららもろとも慧可斬首  梵

ちうのんを思い出した

もちろん生硬な言説ちうのんはここに展開しちょる我が言説のつらなりであって、あの赤ん坊おしゃぶり青臭さのことではない

> 空という極みにまでおりていってもどってくればペルソナは真という一者のペルソナ、はたまた美というペルソナ、善というペルソナも生まれてくる
>
> そういうもんを遥かなる深層に踏まえて浮かび上がって利というペルソナが生まれる
>
> 神が死んだ、真理が死んだ、みんな仮構の概念、言葉だから殺しちまえ
>
> デコンストラクションが流行って、そのデコンストラクション、言語道断、不立文字の意味も解さず、皮相浮薄な利をもって真にかえるのは味噌糞混交も甚だしい
>
> その利美善㋾標榜する創価学会
>
> いちおう大石寺とか日蓮系とか、仏教系をも標榜してそこに機軸をおいておるんならば、なんでこんな浮薄な思想が現成するんであらうか?
>
> 菩薩行
>
> ピラミッドの、氷山の底のソコまで沈み込んで空を掴んで浮かび上がって
>
> 空ならぬら世間でその実践をせんばいけん
>
> 日蓮もそれをしちゃるんぢゃろし
>
> それを利を筆頭に掲げ、真を切って捨てる
>
> 真こそ利の根源にすえねばならん
>
> その根源を切って捨ててしまえばそりゃあ浮薄な利美善主義にもなる
>
> 牧口の目には脳みそには利を筆頭に美も善も世間で見えた、
>
> しかし真は見えなかった
>
> 牧口ならずも世人のほとんどが真は見えぬ、神は死んで、真理も死んでいるのだから
>
> でもね、真善美はさういう浮薄な世間にその微象の一端を現わしもしようが、その巨にして礎たる大いなる真善美は根っこにある
>
> その根っこが見えない
>
> 根っこに支えられてこその利であることもみえない
>
> 思想がいたらない
>
> だから混乱をきたしているのだ

俺もだ

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54816] 俺もだ Re:[54815] 牧口の目には脳みそには利を筆頭に美も善も世間で見えた、 しかし真は見えなかった 牧口ならずも世人のほとんどが真は見えぬ、神は死んで、真理も死んでいるのだから でもね、真善美はさういう浮薄な世間にその微象の一端を現わしもしようが、その巨にして礎たる大いなる真善美は根っこにある その根っこが見えないと〜とろじ〜 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/02/28(Mon) 18:10  

天空のつららもろとも慧可斬首

> 畢竟するに・・
>
> 畢竟せんでも聡明なみなさんはみんなわかってます
>
> うるさい!

苛立っていますね

> 畢竟するに牧口は利という浮薄にしてこの世の皮相な概念と真善美という深層をごっちゃにしちょる
>
> 真という根っこをわすれてはいけません

午後の一睡

軽く夢

施無畏印の仏像が現れ

汝に無畏冠を施す、頭を出せ

鮮血が飛ぶ

飛んだ頭の目玉を回してみれば

あいも変わらず施無畏印を結んだ仏像が眼前に

なあるほど生硬な言説を戒められたのかもしれんなあ

と目覚めかけに思い

天空のつららもろとも慧可斬首  梵

ちうのんを思い出した

もちろん生硬な言説ちうのんはここに展開しちょる我が言説のつらなりであって、あの赤ん坊おしゃぶり青臭さのことではない

> 空という極みにまでおりていってもどってくればペルソナは真という一者のペルソナ、はたまた美というペルソナ、善というペルソナも生まれてくる
>
> そういうもんを遥かなる深層に踏まえて浮かび上がって利というペルソナが生まれる
>
> 神が死んだ、真理が死んだ、みんな仮構の概念、言葉だから殺しちまえ
>
> デコンストラクションが流行って、そのデコンストラクション、言語道断、不立文字の意味も解さず、皮相浮薄な利をもって真にかえるのは味噌糞混交も甚だしい
>
> その利美善㋾標榜する創価学会
>
> いちおう大石寺とか日蓮系とか、仏教系をも標榜してそこに機軸をおいておるんならば、なんでこんな浮薄な思想が現成するんであらうか?
>
> 菩薩行
>
> ピラミッドの、氷山の底のソコまで沈み込んで空を掴んで浮かび上がって
>
> 空ならぬら世間でその実践をせんばいけん
>
> 日蓮もそれをしちゃるんぢゃろし
>
> それを利を筆頭に掲げ、真を切って捨てる
>
> 真こそ利の根源にすえねばならん
>
> その根源を切って捨ててしまえばそりゃあ浮薄な利美善主義にもなる
>
> 牧口の目には脳みそには利を筆頭に美も善も世間で見えた、
>
> しかし真は見えなかった
>
> 牧口ならずも世人のほとんどが真は見えぬ、神は死んで、真理も死んでいるのだから
>
> でもね、真善美はさういう浮薄な世間にその微象の一端を現わしもしようが、その巨にして礎たる大いなる真善美は根っこにある
>
> その根っこが見えない
>
> 根っこに支えられてこその利であることもみえない
>
> 思想がいたらない
>
> だから混乱をきたしているのだ

俺もだ

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54815] 牧口の目には脳みそには利を筆頭に美も善も世間で見えた、 しかし真は見えなかった 牧口ならずも世人のほとんどが真は見えぬ、神は死んで、真理も死んでいるのだから でもね、真善美はさういう浮薄な世間にその微象の一端を現わしもしようが、その巨にして礎たる大いなる真善美は根っこにある その根っこが見えないと〜とろじ〜 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/02/28(Mon) 14:33  

畢竟するに・・

畢竟でんも聡明なみなさんはみんなわかってます

うるさい!

畢竟するに牧口は利という浮薄にしてこの世の皮相な概念と真善美という深層をごっちゃにしちょる

真という根っこをわすれてはいけません

空という極みにまでおりていってもどってくればペルソナは真という一者のペルソナ、はたまた美というペルソナ、善というペルソナも生まれてくる

そういうもんを遥かなる深層に踏まえて浮かび上がって利というペルソナが生まれる

神が死んだ、真理が死んだ、みんな仮構の概念、言葉だから殺しちまえ

デコンストラクションが流行って、そのデコンストラクション、言語道断、不立文字の意味も解さず、皮相浮薄な利をもって真にかえるのは味噌糞混交も甚だしい

その利美善㋾標榜する創価学会

いちおう大石寺とか日蓮系とか、仏教系をも標榜してそこに機軸をおいておるんならば、なんでこんな浮薄な思想が現成するんであらうか?

菩薩行

ピラミッドの、氷山の底のソコまで沈み込んで空を掴んで浮かび上がって

空ならぬ世間でその実践をせんばいけん

日蓮もそれをしちゃるんぢゃろし

それを利を筆頭に掲げ、真を切って捨てる

真こそ利の根源にすえねばならん

その根源を切って捨ててしまえばそりゃあ浮薄な利美善主義にもなる

牧口の目には脳みそには利を筆頭に美も善も世間で見えた、

しかし真は見えなかった

牧口ならずも世人のほとんどが真は見えぬ、神は死んで、真理も死んでいるのだから

でもね、真善美はさういう浮薄な世間にその微象の一端を現わしもしようが、その巨にして礎たる大いなる真善美は根っこにある

その根っこが見えない

根っこに支えられてこその利であることもみえない

思想がいたらない

だから混乱をきたしているのだ

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54814] 「それは全く根本的に誤った虚妄の概念である」と云う牧口創価学会は真を抜いて利を重んじる さすれば、この言すら、牧口の断定すら真を抜いて利を重んじるもんであれば、利のためにはなんぼでも虚言、妄言、嘘八百を並べられるということを自白していることになる。一体全体、おお、ここにも一即多一即全がでてきたが、こんな哲学が「従来のドイツ観念論哲学を乗越える画期的な価値の大系を樹立する」んだらうか、嘘虚仮!Re:[54807] 糞肉壇上多勲位利人か?Re:[54806] エピゴーネン文化人が増殖して群れダスト、巨星、巨人も☆愚図、星屑になりかねない。 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/02/28(Mon) 11:39  

りおぬけはANNEX−Ω   訪問者数:11742696(今日:746/昨日:1799)投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 書出日時:2022/02/28(Mon) 10:39 仏滅(壬子) 旧暦 1/28 月齢 26.9

と〜とろじ〜


> をしけあめANNEX−Ω   訪問者数:11738964(今日:1279/昨日:2363)投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 書出日時:2022/02/25(fRI) 20:53 先勝(己酉) 旧暦 1/25 月齢 23.9
>
>
> > まきふよよANNEX−Ω   訪問者数:11738662(今日:977/昨日:2363)書出日時:2022/02/25(fRI) 17:56 先勝(己酉) 旧暦 1/25 月齢 23.9
> >
> >
> > lara fabian comme ils disent
> > http://www.youtube.com/watch?v=EzhZgGu_3vc
> >
> > 死んだ武蔵、死んだ一茶、死んだ米沢藩士のついでにやれば

> > 根底が狂っておればその選句、選人もすべてが狂う

> ま、第三文明社レグルス文庫に「ユングの生涯」河合隼雄ちうのんが随分早い時期にある。創価学会と河合がお互いを利において利用しあい、公明党の力で文化庁長官におさまり、文化的エピゴーネン、真を廃して利を取る創価学会理念に基づき人選したのんが、あの三人。
> エピゴーネンはエピゴーネンに似せて穴を掘る。
>
> 墓穴
>
> その墓穴に埋まっておるのんがこれ↓
>
> > だから、あんな大岡信とか中村とか、どう考えてエピゴーネンでしょ。
> >
> > 大岡が朝日で展開した折々の歌はまさ民衆へのヘツライにして新聞社営業政策者のエピゴーネン、よくもあんな恥ずかしいことを詩人の肩書でやったものだ。
> >
> > 同じく、哲学者の肩書で世の様々の哲学者におんぶにだっこしてやってのけたんが中村
> >
> > あのなかでは兜太がいちばんオリジナリティーもあったが、なんせ惜しむらくは根底に届いていない。他者の簒奪、例えば一茶研究とかも多い
> >
> > 畢竟、あ案ずるに河合の創価学会へおもねり風が文勲章功労者まんで拡がって・・
> >
> > その河合がかの鰓の巣、ああ、エラノス会議にいて、井筒俊彦の「意味の深みへ」のあとがきで、この本の白眉は最初の論文だと喝破したのは評価できる
> >
> > だけんど、あの第三文明社のんはまったく、馬鹿もいいかげんにせいといいたい。河合の息子が最近はもぞもぞやっちょるやうだげ、親父の轍を踏むなと・・
>
> 創価学会の理念が真善美の真を廃して利善美となしたその元凶にして礎となった本がでてきた。
>
> 牧口常三郎著「価値論」第三文明社レグルス文庫
>
> その帯にこうある「従来のドイツ観念論哲学を乗越える画期的な価値の大系を樹立する」
>
>
> してその中身は・・その初っ端からこうある
>
> 「・・・かくして有りのままの実在したものが真又は真理であり、対象と我の関係性を表現したものが価値である。‥価値は‥人により時により環境により変化するは当然である。真理は創造することが出来ない。ただあるがままを我々が見出すに留まったものである。これに反して価値は創造しうる。・・・社会は創造とは云わないで価値の発見という。人はそれによって利益し、快楽を増し幸福を増進する。真偽は美醜・利害・善悪の各要素とも全く異質の概念である。・・・人間は誰でも美・利・善を好み醜・害・悪を嫌うが如く、真を好み偽を憎むと云い降らされてきているが、それは全く根本的に誤った虚妄の概念である」云々
>
> こうして真善美を利美善と脱骨換胎する。
>
> まったくこの牧口創価学会に「それは全く根本的に誤った虚妄の概念である」とその蒙を啓いて、線香ならぬ閃光を浴びせかけたい。

「それは全く根本的に誤った虚妄の概念である」と云う牧口創価学会は真を抜いて利を重んじる

さすれば、この言すら、牧口の断定すら真を抜いて利を重んじるもんであれば、利のためにはなんぼでも虚言、妄言、嘘八百を並べられるということを自白していることになる。

さらにいえば真を抜いて利を重んじるとならば美も善も現成せぬ

それはまさに醜悪を美善というに等しく

ちょっとゆずっても整形美人が本当の美人で、偽善者が本当の善人ちうことにもなりうる

一体全体、おお、ここにも一即多一即全がでてきたが、こんな哲学が「従来のドイツ観念論哲学を乗越える画期的な価値の大系を樹立する」んだらうか、嘘虚仮!

あまりにも馬鹿しいのんで、世ではさしたる議論にもなっておらんやうだが、目下の公明党的風見鶏の風景が黴菌が蔓延しちょる社会世界にとってはそのと〜とろじ〜を喝破すて健康なる社会世界文化を取り戻すことは緊急課題であらう

> 真善美という抽象概念を人になしてみやう
>
> 真人
> 善人
> 美人
>
> 而して利美善になれば
>
> 利人
> 善人
> 美人
>
> 赤肉団上一無位真人
> 赤肉団上一無位善人
> 赤肉団上一無位美人
>
> 真善美によってその赤肉も団上も一無位の質も量も変わってはくるが一応意味はとおる
>
> 赤肉団上一無位利人
>
> とあっては、その赤肉も臭い腐肉にしてとても赤肉とは云えず団上も落とし便所の糞の団上にして一無位になんぞは絶対にありえない相対世界の極み
>
> 糞肉壇上多勲位利人か
>
> 刹那刹那に右顧左眄して利を捜し索め、風見鶏よろしく右往左往する
>
> それはまさに公明党であり、創価学会であり、あの名利の権化の池田大作そのものでもあらうがな。
>
> そんなところの出版社で出版する文化人
>
> 幾許かを挙げてみれば結構以外な人物もおる。
>
> 林達夫
> 前田耕作
> 北原武夫
> 森三樹三郎
> 立川武蔵
> 田中美智太郎
> 木村敏(河合隼雄んところだからあたりまえか、けっこういいこと云っておるが)
> 大岡昇平
> 福田恆存
> 高橋義孝
> 野間宏
> 金子光晴
> 村上陽一郎
>
> などなど、びっくらこえるね。
>
> して、もちろん当然のは
>
>
> 池田大作(一番多い)
> 河合隼雄(二番目に多い)
> 三枝充悳
>
> 注意しましょう。
>
> これらの輩は創価学会、池田の虚仮の理念思想がわかって出版しこるんぢゃろか?
>
> ようは、利を追っているだけかも、とはいえ、そのこと自体が創価学会牧口虚仮思想と同じなのかもしれない。
>
>
> > 井筒俊彦も紳士だからあれこれと河合㋾あげつらうことはせんかったやうではあるが、どうおもっておったんか、それを若松でみてもれば、
> >
> > これも八方美人で、まったく河合の至らなさに至るどころではのうて、もちゃげまくっておる。
> >
> > だから、エピゴーネン文化人が増殖して群れダスト、巨星、巨人も☆愚図、星屑になりかねない。
> >
> >
> > [53739] まさに単独者たるキルケゴール的実存の一体化した世界が構築できる、ちう壮大な構図かもしれない。・・投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/02/06(Sun) 08:00
> >
> > つきてくりANNEX−Ω   訪問者数:2329131(今日:114/昨日:463)2011/02/06(Sun) 07:06
> >
> >
> > Chet Baker - Alone Together
> > http://www.youtube.com/watch?v=zdDhinO58ss&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=20
> >
> > > > 体、休ちうこの二文字、体には横一本の短い棒があって、休には棒がない、なんでなんだろ?
> > > >
> > > > one
> > > >
> > > > これは、横一本の棒で、一でもありまして、これは、単に数字の概念のみではなく、己の一己に通じるものでありますれば、古来、印度で無限の概念が構築される以前に一なるもんは、すべての無限の根源かもしれず、ゆえに、一即多、一即他でもありませうが、その一にして英語でいけば・・
> > > >
> > > > ONE〜ONLY〜LONELY〜ALONE
> > > >
> > > > かういうONEの言葉の連想つらなりも、ま、歌曲の幾許か、それに中毒しちょろうが、耽溺しちょろうが、その英語の詩の味わいなんぞも、散文英語からはえられぬ気づきもまた到来しますけん、基調にして貴重なもので、
> >
> > Alone Together
> >
> > けさの表題の曲ですが、この言葉も味わい深いですね。味わい不快くんのバカ言説とはちゃうて・・
> >
> > Alone にして Together
> >
> > なのか
> >
> > 相反するものがちゃんと一個に止揚されちょる、ま、論理でははなればなれのもんも、感情においては一個になる、感情の偉大さ。
> >
> > ちうか、ばらばらの感情においてさえも、一個の身として止揚されておる。
> >
> > それにすても、
> >
> > Together ちうのんは Togather でもあれば、to gather
> >
> > さすれば
> >
> > Alone to gather
> >
> > さらにいいかげんにやれば・・
> >
> > Al one to gather
> >
> > All one to gather
> >
> > まあ、さうなれば、まさに単独者たるキルケゴール的実存の一体化した世界が構築できる、ちう壮大な構図かもしれない。
> > > > > > > 畢竟、あるものがない、という証明は、あるものがある、という証明に比較にならぬほどに難しい、ま、アポリアといってもよいかもしれぬ。
> > > > > > >
> > > > > > > > バーンスタイン:マーラー・復活 終楽章4/4
> > > > > > > > http://www.youtube.com/watch?v=Au8qHVoUAUg&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=24
> > > > > > > >
> > > > > > > > これは、わたしと同じ高みに登ったことのある人なら、この高みに立って同時に、そもそも絶対的な満足はどこまで達し得られるものか、という原則的な問題に頭を悩ましたことのある人なら、誰にでも容易に理解できることであろう。
> > > > > > >
> > > > > > > これは高みでも低みでもおなじことであって、これも反復なんですね。躁鬱、復活、回復、回帰、みんなおんなじことです。
> > > > > >
> > > > > > さうさう、ここで躁鬱というのは、あまりにもメカニックで、さういう言葉をつかうとその言葉の既製概念、メカニックな範疇にとりこまれ、せっかくの高みも低みもその味わいが減殺されかねません。
> > > > > >
> > > > > > これは、希望と絶望、願望、欲望の全能化と不能化ですから、さういう頭熱の状態は誰にもありうりわけであって、
> >
> > > > > > > 高みから絶望へころび落ちる、このモチーフも古来、イカロスの墜落、バベルの塔、精神分析や労働医学における全能と不能、万能と貧能、その他その他、禅と野狐禅とか、忙と閑とか・・・だいぶズレてきました。
> > > > > > >
> > > > > > > ともかくも、さいういろいろの状況があって、その状況に振り回される反復にして永劫回帰どすか。
> > > > > > >
> > > > > > > 良いも悪いもさうですかね。
> > > > > > >
> > > > > > > すっかす、この万能不能感も飛翔墜落感も忙閑感も善悪感もみんなふんまにさうなんだらうか?

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54813] あれはまだ相楽園を見下ろす部屋に掛かっておるだらうか?Re:[54812] ペルシャ絨毯の如き言説に触れれば魔法の絨毯、糸もいとおかしく絡み合う 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/02/27(Sun) 11:26  

ひしひはこANNEX−Ω   訪問者数:11740589(今日:438/昨日:981)投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 書出日時:2022/02/26(Sun) 08:40 先負(辛亥) 旧暦 1/27 月齢 25.9

絶滅のかの狼を連れ歩く  三橋敏雄

これには惚れたね

大王(おほきみ)は神にしませば

大神は神にしませば

狼は神にしませば

句の表現意匠もさることながらこの気概

連れ歩いちゃうんだから

ほならおらもつれていってもらおう

秩父神社ならぬ国分寺の蕎麦屋

そばへいっておねがいしたら

そりゃもう大歓迎

八王子の東電支社の会議室でこれこれと

う〜む。その時間は勤務帯

出張にしておこう、けふは直行、東電八王子支社

でてもれば、それは結社でもなく、品の良い年増の美人がずらりと並んだ句会

三橋は結社はもたぬ

それも気に入った

末席というのでもないか一人だけ同じ年ごろの男がいた

句会がはねてうなぎ屋

老舗のうなぎ屋で上品な年増美人に囲まれて一杯やってはねて

はて、と見知らぬスナックに独りではいった

見知らぬママに促されるままに謡曲ならぬ洋曲を爆竹のごとく、邦曲を線香花火のごとく

こんなひとはみたこともあらへん

ごはん食べた?

うん

わたしこれからお寿司屋さんへいくの

どこ?

喜多八

なぬせうなぎのあとだし、スナックの突き出しや料理もいっぱいで

場所を教えて

山田の大尽の森があるでしょ

山田の大尽?

あなたしらいないの?

八王子の駅から山田の森まで全部自分の土地だったのよ

すっげーな、といってもどこらへん?

ええとね、秋川の支流の川口川をさかのぼってずんずんゆくの中野銀座

ぢゃあ、まったく歩いていけんわね

当たり前でしょ。タクシーで。でもその山田さん殺されちゃったのよ。

え?

しらないの、新聞にも大きくでていたのに

新聞も株式欄しか読まんけん

馬鹿ね、あの大尽ところは連続殺人事件だったのよ

犯人は?

つかまったけれど動機がどうも

動機がどうあらうとも、喜多八、喜多八

後日、狼を連れ歩いてさがしあてて行って、大いにお気に入りの寿司屋に

いつもロードバイクで乗り付け店内に鎮座させてもらうが

あのバイク俺にくれよ

ん?

カウンターにならんで寿司をつまんでいるお客さん

怪しいもんぢゃありません。そらそこの橋のたもとの石屋です。うちの墓石、お気に入りのと交換しようよ

古代日本に大挙してあるいはぽつぽつと渡来してきた半島の祖先たち

その表象、もっといい言葉があったが、でてこぬ、とりあえず表象

半島からの渡来民族の表象には狼と熊とがあった

その熊のいついたところが熊本、熊襲の里で隼人もそのながれとか

狼はどこにいついたか

関東

秩父神社、狼を祀る

その狼が武蔵をはじめとして東日本にひろがった

してみれば、この狼は大神してかつまた我々の祖先たる狼を表象となす渡来人の群

さいう神を従え、先祖を従え、

なぬも従えなくともよろしい

絶滅のかの狼を連れ歩く

この風景がよろしい

共時的に神人合一、祖裔合一して現成しちょる

おまんとこはおまんこばっかでちんちんがおらんやろ

とビールのコップをもって近づいてきたのがかの樹林の主宰

三橋はわはは、とわらって、こいつがおるでえ

樹林主宰は、これからおれんちへこい

ふるびてはおらんもんの立派な都営住宅、それもかなりの高層で

よく見えるだろ

富士山

だから、あれこれあっても武蔵野線でたちのきうんぬんでもたちのかぬ

樹林結社本部

豪傑だったね

> そふよなをANNEX−Ω   訪問者数:11740406(今日:255/昨日:981)投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 書出日時:2022/02/26(Sun) 05:48 先負(辛亥) 旧暦 1/27 月齢 25.9
>
> 出世せし名刺貰いぬ啄木忌 梵
>
> 男根に悔恨はなし歌麿忌  梵
>
> だうもこの手の句は新古今めいて頭でひねった感もある
>
> レンタカーめいて啄木や歌麿ゆえにその本源が薄まるのか濃くなるのか
>
> でもね、こういう句をとった大蔵省結社の主宰もおった

とられたのね。

とられれば去勢同然

> そういう主宰の句といえばさしたるもんもない

もうとっくのとおにおさらばぢゃ

頭でひねった句だからね


もちっとまともな句

> 啼きながらあひる寄り来る夕まぐれ  梵
>
> 巻頭を飾った句ではあるが、以来別の理由で結社から行方不明になった

べつにそこの主宰や編集長がいやであったわけではない

むしろ好もしいくらいではあったのぢゃが

平会員から同人、同人をすとっばして編集員

そんな気配が主宰や編集長から見え隠れしてあってのことだ

雄鬼ちうくだらんもんが編集委員にいてそれが新人賞作家だとか

そのくだらん雄鬼君がからんでくる、からんでくる

もう、ねちねちとあらゆる言動にからんでくる

さういう風景は日本の組織ではよくある風景で

ことごとくおさらばはさういうからみのねちねちには格闘も決闘もする気が起こらぬからね

雄鬼君はどこか埼玉の農協の経理担当者だったようだが

創立主宰がなくなって葬儀が東中野の教会であった

ちょうど退職直後のこともあり、朝から出棺までを手伝った

火葬についていくのは履歴も浅ければ遠慮して


佇むや動く歩道の羅紗帽子  梵

ちう句をまっさきにとってもらって田川飛旅子生前「陸」の巻頭に据えてくれた

この句の飛旅子の読みがまたズバリであって感心

そのころから雄鬼のねちねちがはじまった

飛旅子の奥さん、俳人であるが結社を継がず、編集長に主宰を渡した

その編集長の尻尾のようにして新人賞をとってねちねちの繰り返し

田川夫人が、葬儀のお礼はいらっしゃらくなってしまったから雄鬼君に預けておいたので受け取ってくださいね、あの節は本当にありがとうと挨拶された

その前もその後も、その雄鬼君は田川夫人の言にもかかわらずしらんぷりでねちねち

お礼のお金なんぞはだうでええ

そのちょろまかしの根性とやりくちのねちねちがいやなのだ

もう、顔をみるだけ気分がわるくなる

雄鬼君の句はなかにはおもしろいもんもあるがあのねちねちがそのままのもある

そういうもんの根底を見破れぬ

まあ、見破るんぢゃのうて

自分もんねちねちしちょるけん、ああいうもんが新人賞

それもやだ

もう現代俳句協会そのものまでを疑いだした

そりゃ、現俳協には三橋や樹林やその他の錚々たるメンバーもいる

為にも糧にもなったが辞することにした

当時会長の兜太のやりくちにもあのねちねち、ひとを掠め取るねちねちがあったしね

> さうさう、レンタカー
>
> パリのレンタカー

シトロエンだったかもしれん「

> アテネのレンタカー

まちがいなくフィアット

> リヤドのレンタカー

まちがいなくホンダ

といつが良く走った

土漠の砂を巻き上げてポルシェに勝った

勝ったあげくのホテルのプールでいつもの2kmを泳いで

サウナに行けば、どこそこ大使といっしょ

その大使がうちにきた

これなに?

仏像の首

広隆寺の半跏思惟像

気に入った

ぢゃあ、あげるよ

山田寺の首だけがのこった

大使から連絡があり帰国するからこんどは本国のほうに是非来てくれ

インドネシアの国営石油会社を紹介してもらってビジネス兼観光

あのバリの彫刻、一目で逝ってしまった浅沼正樹の面影をこのお面に観た

頭上の塔に観てとった

毎日、毎日、このバリ木彫とご対面

俺の目はふしだらぢゃないふしだらけ

そのふしをいかにも匠に眼の瞳となし

あらゆる木目が頬から鼻、反り返った唇、突き出た顎まで隈なく音調を醸し出す

山城組のケチャ

ここは霊気が強い、いいですか、連れてきて

といったのは、かの奈良京都を山折や河合と一緒に合宿したときの若者

僕は試験で一番でした

大蔵省の面接で趣味はと訊かれたので仕事とこたへました

その仕事とは?

かくかくしかじか

面接官が顔をしかめました

次に通査省の面接がありました

同じ風に質問がつづいてその仕事をかくかくしかじかしましたら・・

面白い、ぜひ我が省にてその仕事をなさってください

というので大蔵はやめて通算にいきました

で、その仕事は?

そのまえにあなたの画の趣味はなんですか?

そこここの目の前にあるもんです

わるはない、でもあれはどうですか

あれ、あれ、でてこない、でてきたらまたやりましょう

とりあえずやるのは?

仲間を連れてきます。狼ではなくケチャをやるやりたい

陸続ときた、男も女も、それがかの埴輪土偶月輪が光を放つ書斎の奥の寝室

寝室ちうても水墨画の画材も山と積んである、画室にして会議室だからそこそそこ広い

汗が飛び散る、パンツが脱げる

これぢゃ、たまらぬと場所を自治会館の一階に変えてもらって

ここも霊気があるとパンツをうちの寝室においたまんま移動した女も

このパンツの話はANNEX初期にしたはず

空中浮遊ができるのです

浅原?あい弟子です。一緒にやりましたがああいう風になっちゃうのもいます。ご安心ください。

いま、うちのビルともいえん重量鉄骨、通常の1.5倍の鋼材重量をもて建てたもんが雨漏りをするんは、あのケチャのせいかもしれん

ちんぢゃらぢゃら

お見積もりは1500万でございます

お見積もりは1200万でございます

お見積もりは前回どうよう600万でございます

これは怖いね、あとからあとから追加工事が発生する恐れがある

さういう巷のいやな仕事、業者とのネゴもせんばならん

メキシコのタペストリーも、ペルシャの絨毯も、果ては自転車の数々も

ああ、さういういや、玄関の吹き抜けの壁にかけておったブーリエのヨットハーバー

きらめくさざ波に揺れるヨットの群の光と音のリズム

あれはまだ相楽園を見下ろす部屋に掛かっておるだらうか?

> ステラソラリス、天空の星々がエーゲ海をゆく
>
> そのステラソラリスから降りてフィアットの一番安いレンタカー
>
> 岩畳の急斜面をエンジンが唸りをあげて登っていく
>
> よこにはその後家内となった女が乗っており
>
> 女のためにしこたま毛皮を買い込んだ
>
> 買い込んで塊根=悔恨
>
> いまだに一度も着たためしがないのだ
>
> 俺は狸のチョッキを買った
>
> 俺はちょっとは着たチョッキ
>
> でもね、たぬきはミンクや銀狐とはと違ってすぐ皮が破れる毛が抜ける
>
> 氷上という訳者がおって最近「ニーチェの髭」だかという岩波文庫がでていた
>
> マックス・ピカート
>
> レンタカーならぬレンタ本でとっくのとうに図書館に返本してしまった
>
> この氷上もニーチェやそれらも眺めた景色、絵画のアルカディアを墓に刻んだらしい
>
> そのアルカディアをギリシャの奥地へ奥地へとなんで進んでいったのか
>
> アレキサンダーのふるさと
>
> 今となってはとっくに処分したたぬきの毛皮の思い出しかうかんでこない
>
> 皮相はね
>
> でも、あのアルカディアやアレクサンダーの景色は深層に佇んでいる
>
> それをいつか掘り出し、いやさ、フーコーの意識的な能動の発掘ではなく
>
> いやでも恵まれる、そう、恩寵として蘇ってくる
>
> さういう日もまたあるかもしらん
>
> 日々是好日、毎日毎昼弱った足で階段を登ってきて
>
> 昼めし洗濯物を届け食器を洗ってくれる
>
> ありがとう
>
> ありがとう
>
> ありがとう
>
> と日々くりかえす
>
> ありがとうの一言も言わずに逝ってしまった
>
> と泣き崩れる隣の美人のお母さん、長年の入院延命措置のおかげでミイラと化したその遺体の前で泣き崩れる娘の美人
>
> ありがとうといえるうちにありがとうをいおう
>
> 罵詈雑言を浴びせかけたおふくろも親不孝息子にもありがとうを言って逝った
>
> おやじは黙って黙々と老衰の日々を送ってその果てに逝った
>
> ああ、の〜みそのなかでなにかがつながらない
>
> まあ、そのうちつながってくることであらう
>
> むりしてつなげず意匠は糸のまんまほったらかして糸がいと意味軸も現成してくればおのずと綾とも習うあやとり
>
> ペルシャ絨毯の如き言説に触れれば魔法の絨毯、糸もいとおかしく絡み合う

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54812] ペルシャ絨毯の如き言説に触れれば魔法の絨毯、糸もいとおかしく絡み合う 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/02/27(Sun) 08:22  

そふよなをANNEX−Ω   訪問者数:11740406(今日:255/昨日:981)投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 書出日時:2022/02/26(Sun) 05:48 先負(辛亥) 旧暦 1/27 月齢 25.9

出世せし名刺貰いぬ啄木忌

男根に悔恨はなし歌麿忌

だうもこの手の句は新古今めいて頭でひねった感もある

レンタカーめいて啄木や歌麿ゆえにその本源が薄まるのか濃くなるのか

でもね、こういう句を主宰もおった

そういう主宰の句といえばさしたるもんもない

啼きながらあひる寄り来る夕まぐれ

巻頭を飾った句ではあるが、以来別の理由で結社から行方不明になった

さうさう、レンタカー

パリのレンタカー

アテネのレンタカー

リヤドのレンタカー

ステラソラリス、天空の星々がエーゲ海をゆく

そのステラソラリスから降りてフィアットの一番安いレンタカー

岩畳の急斜面をエンジンが唸りをあげて登っていく

よこにはその後家内となった女が乗っており

女のためにしこたま毛皮を買い込んだ

買い込んで塊根

いまだに一度も着たためしがないのだ

俺は狸のチョッキを買った

俺はちょっとは着たチョッキ

でもね、たぬきはミンクや銀狐とはと違ってすぐ皮が破れる毛が抜ける

氷上という訳者がおって最近「ニーチェの髭」だかという岩波文庫がでていた

マックス・ピカート

レンタカーならぬレンタ本でとっくのとうに図書館に返本してしまった

この氷上もニーチェやそれらも眺めた景色、絵画のアルカディアを墓に刻んだらしい

そのアルカディアをギリシャの奥地へ奥地へとなんで進んでいったのか

アレキサンダーのふるさと

今となってはとっくに処分したたぬきの毛皮の思い出しかうかんでこない

皮相はね

でも、あのアルカディアやアレクサンダーの景色は深層に佇んでいる

それをいつか掘り出し、いやさ、フーコーの意識的な能動の発掘ではなく

いやでも恵まれる、そう、恩寵として蘇ってくる

さういう日もまたあるかもしらん

日々是好日、毎日毎昼弱った足で階段を登ってきて

昼めし洗濯物を届け食器を洗ってくれる

ありがとう

ありがとう

ありがとう

と日々くりかえす

ありがとうの一言も言わずに逝ってしまった

と泣き崩れる隣の美人のお母さん、長年の入院延命措置のおかげでミイラと化したその遺体の前で泣き崩れる娘の美人

ありがとうといえるうちにありがとうをいおう

罵詈雑言を浴びせかけたおふくろも親不孝息子にもありがとうを言って逝った

おやじは黙って黙々と老衰の日々を送ってその果てに逝った

ああ、の〜みそのなかでなにかがつながらない

まあ、そのうちつながってくることであらう

むりしてつなげず意匠は糸のまんまほったらかして糸がいと意味軸も現成してくればおのずと綾とも習うあやとり

ペルシャ絨毯の如き言説に触れれば魔法の絨毯、糸もいとおかしく絡み合う

 






やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54811] 決闘がおさまって大笑いし大泣きをした 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/02/27(Sun) 06:53  

てををむきANNEX−Ω   訪問者数:11740389(今日:238/昨日:981)投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 書出日時:2022/02/26(Sun) 05:48 先負(辛亥) 旧暦 1/27 月齢 25.9

我を生き汝を生きるや昼の月

ともに大笑いをし大泣きをし大喧嘩、取っ組み合いができるか?

相手は男でも女でも、老人でも赤ん坊でも、はたまた鬼籍の人でも眼前のひとでもよろしい

ダリを探す

ダリを探していたら千里がでてきた

千里のむこうでまだいきているのんだらうか?

かういう文章に出会うと己が胸に手を当てて言葉の消費のむなしさも感じる

と同時に言葉の力も感じる

さうだ、あの頃にもどろう

しかし、もどるにもまわりの景色は一変しておってもどりにもどれない

ぢゃあ、黄泉に下って、あるいは天国に上って会ってくるか

会ったところで、一変した景色はその一篇でしかありえない

ありえないもんをありえ〜るにするにはだうしたらよかんべか

そこの皮相のでこぼこを掘り下げてその底の通奏低音をききわけわけよう

よくきく
よく聴く
よく効く

一挙に過去も現在も現成してくる

己が糧にして汝が糧

ともにものを喰い、屁をして、空となす

空となさざるところはこの身にとどまって

老いさらばえれば糞もよくでぬ

そのでぬ糞をだそうしてダリなのだ

あの糞めた金時計

その溶けてぐんにゃりした金時計が突っ立つ砂漠で

一騎のドン・キホーテが槍を以て対している

同じくダリ

天上に吊るされたキリストが地上を見下ろす

こういう構図のキリスト像には初めて会った

買い漁ったのはパリの街角

でてこなかった名前やけしきがつぎつぎに現成する

朝の一服、いやさ、山腹のおかげか

お陰の富士山も夜明とともにその山容をあらわしやがて真っ白に輝くだらう

富士山ならぬブラック・フォーレストへアウトバーンをまっしぐら

免許証はどうしたのかしら?

思い出せない、車種も思い出せない

思い出せるのは今日はフランク・デビッドソン宅に招待されていたことだ

フランソワ・ギゾー、ナポレオン帝政の文部大臣だか蔵相、みすずから彼のかいたフランス史かなんかの訳本が出ているが、散乱した書庫書斎に埋まったまんま

デビッドソンの奥さんはギゾーの裔してギゾーの祖裔の代々の肖像画が見下ろす客間で、客間のベランダからはロダン美術館の彫刻の庭をみおろすそこで招待された今日をすっぽかしてブラック・フォーレストへ飛ばして

これはあとでやばいことになるなあ、とはおもいつつも、検問もパスポートの確認もなく突破した国境はすでにはるかかなたにして引くに引けない

なるようになれ

なるようになった

なるように汝

鳴るようになった

デビッドソンならわかるだろう

ブラック・フォーレストのバーデン・バーデンの素敵なホテルで一夜をすごし朝日のレストラン朝食のいろとりのパンにとりまかれ

それこそパン、あの牧羊神のパンではないか?

ニーチェの正午が朝に来た

浮遊に浮遊をかさねてこんどは倫敦に飛んだ

こんどはよく覚えている

ローバーの2人乗りのスポーツカー

その助手席に鎮座ましまし

ケンブリッジの絞首台をすぎ

おって、ここで止めてくれ

空中浮遊のシャガ〜ル 

それもサーカス

その時はなんでサーカスなんぢゃともおもわん

ピカデリーサーカス

モスクワサーカス

サーカス尽くしだ

ルオーのサーカス

なんでこんなもんが己が手元に集まってくるんだろ

とも思わんかった

それが溶けたのだ

今になって溶けだして解けだしてきたのだ

両手を挙げて天を仰ぎ懊悩するピエロ

またチェロを抱いて天井の音楽を奏でるピエロ

2月15日にまた一人友人が逝ってしまった

伊豆の浜辺で短刀をもった決闘になった

決闘がおさまって大笑いし大泣きをした

これからもあるだらうか?

そりゃあ、あるだんべ、天地獄

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54810] いい文章だね、味わいがある。 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/02/27(Sun) 05:49  

くしいねわANNEX−Ω   訪問者数:11740377(今日:226/昨日:981)投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 書出日時:2022/02/26(Sun) 05:29 先負(辛亥) 旧暦 1/27 月齢 25.9

サルバドールダリの「ダリ」で検索しておったら、こんな記事がでてきた。

いい文章だね、味わいがある。

だからあの句も詠めたんだと、あらためておもった。

[1405] 空のボトル 投稿者:千里 投稿日:2002/12/31(Tue) 15:58

昭和20年戦争が終わって、日本人はお酒もなかなか手に入らなかった。それで私の父は北浜の焼け残ったビルの一室を事務所にしていたので、今の阪急千里山線の終点の天神橋六丁目いわゆる天六と言って大阪の天満宮のあたりに、居酒屋と言うか、割烹と言うかを買ってしまった。カウンターがあって、奥に座敷があり、板前、仲居それほど多くはなかったが、親類の家族と行って料理を作ってもらったのを覚えている。そんな訳でわが家の小さい応接間には三角戸棚があって、そこにかなりのグラスと洋酒の瓶が並んでいた。white horseとか言うのはその時、覚えた。その瓶の形が珍しく眺めていた。
父は北の新地の老舗のクラブで新聞社のおえらがたと飲む事があり、それが縁でスポーツ部の社員でいらした、オリンピックの三段跳びのメダリストと親しくなって我が家に来ていただいて杯を傾けたりしていた。
あれから父は事業に失敗して、我が家はどん底の生活をかなり長い間する事になった。
新興住宅があちこちで売り出され、多くの方が家を持つようになり、私は相も変わらず貧乏で子供の教育費、家のローンで内職ばかりしていたが、洋酒のボトルが我が家には一本もなかった。
そんな事は考えもしていなかったが、洋酒の瓶のコレクションをしている人がいるらしいと知ったのは、あるお宅で見せてもらった時であった。
その珍しい洋酒の瓶が応接間に輝いている事がなにかその家のステータスに成り得るらしいのだった。
確かに会社の役員で子供もいらっしゃらなかったら、海外旅行もひんぱんに出来、その旅に珍しいボトルを買って来る事はできるだろう。それと山ほど来る中元や歳暮にはその趣味を知った取引先が送って来るだろう。
しかし私が不思議だと思うのは、お酒が飲めない人が洋酒のコレクションをして、応接間に飾って楽しんでいる事を知った時だった。しかもその中にはかなりの空瓶もあるらしい。
ここで話は飛ぶが、フランスにジャン・ジュネという「泥棒日記」を書いた作家がいる。彼はサルトルの要請で監獄で服役中であったのに、刑期を終える前に解放された。
彼についての逸話がある。彼はある富豪の家に招待された事があった。そして友人とその家を出ての帰りのタクシーで友人は彼が富豪の家の宝石を盗んで来た事を知る。
それを友人がなじると、彼は「これは偽物なんだ。これをあそこに置いて、多くの人を騙すのは許されないのだ。」と言ったと言う。
ここでまた話が変わるが、言葉とはなんだろうかと考えるのである。はじめに言葉ありき、言葉は神と共にあり、言葉は神なりき。これはヨハネ伝の一章一節でロゴス、であるが、現代に溢れている言葉に本当の言葉がどれだけあるのだろうか。
言葉と言われてはいるが、ひょっとして、珍しいけれど、空の洋酒のボトルのようなものもあるのではないだろうか。
言葉という以上は人の心の琴線に触れるものが欲しい。味わいたい。感動したい。喜びたい。

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54809] 有心にして青臭い野心ばかりが目立つ哲学科教授 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/02/26(Sat) 14:49  

今またあまりにも腐してしまった

斎藤慶天著「『東洋』哲学の根本問題あるいは井筒俊彦 講談社選書メチエ

にもええとこもあるんぢゃないかと初めから喰ってみたがやっぱりとても喰えるもんぢゃないね

もう頭のなかでこねくり回して井筒を超えると力みかえっている若造の青臭さがまる出しで辟易する

畢竟、この若造ぶり青臭さ力みかえり頭のなかでの捏ねくり回しはどこから由来するのか

この斎藤某は慶應大学の哲学科教授なんだそうだが、こういうのんに教授されるされる学生も可哀そうだね

まんずは、身につかぬ

実践がねえからこういう頭のなかのこねくりまわしになってしまって

それが文体にも論考の引き回しにもキーが因縁、キー概念の抽出、それへの分析、疑問の提示のしかたに如実に表れている

やはり、赤ん坊のおしゃぶりに等しく、いやさ、赤ん坊はまんだ無心ではあらうが、この若造に至っては無心どころではなく、有心にして青臭い野心ばかりが目立つ

人間の核にして格というもんは争われぬ

もうこの井筒俊彦の交響曲とは雲泥の差で稚拙な似て非なる雑音を奏でるそこからはおさらばして

そこには至らぬことや過剰なことがあらうとも主旋律、副旋律、重層低温が鳴り響くあの井筒俊彦を繰り返し繰り返し読むほうがなんぼか精神的な糧にもなり快適にもなる

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54808] 汝と〜とろじ〜尻尾を噛む蛇よ 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/02/26(Sat) 13:43  

もうこうなってくるとつまらない

なにが詰まらんと云って、毒を吐きも愚痴めくと

介山の墓のあるのんは「福生」ではのうて「羽村」の禅林寺

某が参禅したのは羽村では善福寺、羽村で最初の寺子屋、小学校

羽村は禅宗のお寺の住職が羽村坐禅会をつくっておって程よい交流

まことによろしい

河合隼雄が井筒俊彦の「意味の深みへ」ではのうて「コスモスとアンチコスモス」のあとがきで、この本の白眉は最初の論文だと喝破したのは評価できる

と、さういう些末な書き違えなんどの訂正ははさておいても

と〜とろじ〜

問うと路地に迷い込む

真善美と利美善の問うと路地

選択と集中

価値の序列

箸にも棒にも掛からぬもんは言及もせんが

斎藤、若松、井筒俊彦とならべりゃ

読む価値において当然に序列ができる

まさに牧口のいうとおり

「対象と我の関係性を表現したものが価値である。‥価値は‥人により時により環境により変化するは当然である。」

むっかす、この牧口本を注意深く半ばまで読んでほかした

価値論ちうのんは、世にはあまり見かけぬ

見かけたヘーゲルも買ってはおいたが積んでおくだけ

と〜とろじ〜

長い尻尾を引き摺って糞肉壇上多勲位利人か?

続きを朝からやらうとタバコを数本吸うと気分が悪くなった

小1時間横になって夢を見た

豚の眉間に五寸釘をうちこむ

豚の死体がコンベアベルトの上に連なり流れてゆく

天井から吊るされ

腹を裂かれ

内臓が垂れ

皮を剥がれ

そのへんで目覚め

垂れた内臓はかつても今もモツ煮はもとより薬の原料抽出材料

東北行脚で屠殺場の正門前が日本臓器製薬東北工場

東京品川の三共大工場は品川食肉市場の隣接地域

長野天竜川の上流から下れば馬のおたくり

いろんなことが点滅してきて

汝と〜とろじ〜尻尾を噛む蛇よ

ぐるぐる回ってちびくろサンボ

サンボリムの幾許かを齧ってバターに

嗚呼。忘れていた永劫回帰の昼飯でも食らおう



やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54807] 糞肉壇上多勲位利人か?Re:[54806] エピゴーネン文化人が増殖して群れダスト、巨星、巨人も☆愚図、星屑になりかねない。 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/02/25(Fri) 22:11  

をしけあめANNEX−Ω   訪問者数:11738964(今日:1279/昨日:2363)投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 書出日時:2022/02/25(fRI) 20:53 先勝(己酉) 旧暦 1/25 月齢 23.9


> まきふよよANNEX−Ω   訪問者数:11738662(今日:977/昨日:2363)書出日時:2022/02/25(fRI) 17:56 先勝(己酉) 旧暦 1/25 月齢 23.9
>
>
> lara fabian comme ils disent
> http://www.youtube.com/watch?v=EzhZgGu_3vc
>
> 死んだ武蔵、死んだ一茶、死んだ米沢藩士のついでにやれば
>
> 井筒俊彦、この中枢の著作の幾許かは読了すて、その中枢へ至る初期の作の幾許かも手を付けつつあるが
>
> 井筒を巨星とすりゃあ、そのまわりに最近は多くの惑星が目に付く
>
> してその惑星のいくつかを巨星とよみくらべると
>
> まあ、
>
> マーラー 交響曲 第1番 ≪巨 人≫ ワルター Mahler Symphony No.1 「Der Titan」
> http://www.youtube.com/watch?v=QYpeykCM-gg
>
> を聴きながら
>
> 北の宿から * 都はるみ * Miyako Harumi
> http://www.youtube.com/watch?v=QKmma_bRdQE
>
> 巨星を回る惑星は去勢されて、これでも聞くような気がする
>
> さうう言えば、ソニーフィナンシャルグループのチーフアナリストに転籍した女史はどっかでみたことがあるとおもったら、都はるみに似ておったのね。女史はでっかくはるみはちっちゃい
>
> 斎藤慶天著「『東洋』哲学の根本問題あるいは井筒俊彦 講談社選書メチエ
>
> あるいは
>
> 哀愁のカサブランカ  郷ひろみ
> http://www.youtube.com/watch?v=e2lYzQ3FDCo
>
> 岩松英輔「井筒俊彦 叡智の哲学」慶応大学出版会
>
> 郷ひろみは下手だね、聞いておれんね。
>
> お耳直しには
>
> カサブランカ Casablanca カタカナ歌詞【Bertie Higgins バーティ・ヒギンズ】
> http://www.youtube.com/watch?v=ihFKvEeVc8A
>
> これよりもやっぱす
>
> Bertie Higgins - Casablanca, 최헌 - 카사블랑카
> http://www.youtube.com/watch?v=QHdnRywIZ6I
>
> 是も同じか
>
> ぢゃあ
> Casablanca / As Time Goes By (Dooley Wilson)カサブランカ(映画)/ 時の過ぎゆくままに
> http://www.youtube.com/watch?v=GGxAOtNe9iQ
>
> うむ、やっぱすこれ、これぐらいの味わいはある岩松英輔「井筒俊彦 叡智の哲学」慶応大学出版会
>
> 而して思い出せば一挙に共時的現成でかの大菩薩峠
>
> 是の議論だったか、当時のたぬきの谷内君がお友達のご本
>
> 今村仁司著「『大菩薩峠』を読むー峠の旅人」ちくま新書082
>
> ま、これは都はるみなみにして
>
> 都はるみが悪いんじゃない、壮大なる交響曲と演歌を比するほうが悪い
>
> でもね、都はるみの北の宿から的というのは、つまらんちうことね、まことにつまらん。
>
> 斎藤は若いだけに井筒俊彦に挑もうとしちょるんか、井筒俊彦の足らんところにも力んで言及しちょるが、所詮井筒俊彦の比ではなく、その交響曲的味わいを散々なもの分解してゴミをとっ散らかす

ゴミをとっ散らかす。とはいえ、もともとはゴミではない。井筒俊彦の特徴てきな概念キーワードのいちいちを取り出してそれに幼い分析、あたかも赤ん坊が一個のすばらしいモザイクでできた肖像のモザイク、積み木を崩してなめまくった挙句にもとの肖像には全然戻せない、散乱したまんまのお部屋の産卵、散乱、とっ散らかしておしまい。


> 同様に中里介山の大菩薩の味わい、その交響曲的味わいを散々なもの分解してゴミをとっ散らかすのんが今村

この今村のゴミは登場人物をあれは盲目、あれはカタワ、あれは知恵遅れと様々に分類をなし、その人物の二重性で、これとこれは対とか際限もなくやりだす。畢竟、斎藤の幼いやり口とおんなじで、とっちらかしとっちらかし、悪意はねえにしても中里介山も浮かばれまい。

ところで、介山の墓は福生の坐禅仲間の和尚の寺にあって、そこがみつからない、参詣人に訊き訊きして傍までまいると白い蝶がとんできて墓石すれすれに凸凹の墓群をひらひらゆくので、それを追っていくと、その蝶が舞い降りた。そこが介山の前石で、そこまで参ると蝶はまたひらひらとそのまあまあ一般に比すれば広い介山の墓域の墓石へ飛んでいってそれをぐんと乗り越えて消えてしまった。

その時の句が過去ログにも幾許かあるんぢゃが、掘り出せぬ。


> だめねえ、もともとこれら斎藤・今村は入門読者や学生のレベルで考えているんかもしれんが、学生もそれでは育たぬ
>
> そこへいくと」さすが年功者のことだけはあって、岩松英輔「井筒俊彦 叡智の哲学」慶応大学出版会は一応は読ませるが
>
> いってもれば、あのウ〜論茶君、巷の無能詩人のエピゴーネンのマスコミの尻尾のう〜ろんちゃご敬愛の中村雄二郎の域を出で得ぬ
>
> みろや、あの中村の主著の「共通感覚論」ながながと他人の言説を引用してそれとの差異で己が手柄をいいたてるあの典型的なエピゴーネンの手法
>
> そんな中村を文化功労者にして、そのとき兜太も功労者だったか、文化勲章が大岡信であったか、バカバカしいからよくは覚えておらんが、
>
> 覚えておるんはその選者が、当時の文化庁長官の河合隼雄、あの悪相にして食えぬよりも橋にも棒にも引っ掛からぬ言動の数々
>
> みるもんがみればわからうちうもんであるが、ユングべったりで臨床心理学と称するもんの、自分の手柄話ばっかで、その手柄話がぜんぜん聞くものの心にも響かんで、もとより生きる糧にもなりえな。
>
> いってもれば実存がない。
>
> 山折哲雄と河合のあと面白い若者がおったが、奈良京都の神社仏閣に泊まりこんで散策して宮司や住職の案内で一般立ち入り禁止のところまでいって見たりしたが・・
>
> 実践の乏しいもんは、せいぜいが第三文明社の創価学会のエピゴーネンに等しい
>
> 根底が狂っておればその選句、選人もすべてが狂う

ま、第三文明社レグルス文庫に「ユングの生涯」河合隼雄ちうのんが随分早い時期にある。創価学会と河合がお互いを利において利用しあい、公明党の力で文化庁長官におさまり、文化的エピゴーネン、真を廃して利を取る創価学会理念に基づき人選したのんが、あの三人。

エピゴーネンはエピゴーネンに似せて穴を掘る。

墓穴

その墓穴に埋まっておるのんがこれ↓

> だから、あんな大岡信とか中村とか、どう考えてエピゴーネンでしょ。
>
> 大岡が朝日で展開した折々の歌はまさ民衆へのヘツライにして新聞社営業政策者のエピゴーネン、よくもあんな恥ずかしいことを詩人の肩書でやったものだ。
>
> 同じく、哲学者の肩書で世の様々の哲学者におんぶにだっこしてやってのけたんが中村
>
> あのなかでは兜太がいちばんオリジナリティーもあったが、なんせ惜しむらくは根底に届いていない。他者の簒奪、例えば一茶研究とかも多い
>
> 畢竟、あ案ずるに河合の創価学会へおもねり風が文勲章功労者まんで拡がって・・
>
> その河合がかの鰓の巣、ああ、エラノス会議にいて、井筒俊彦の「意味の深みへ」のあとがきで、この本の白眉は最初の論文だと喝破したのは評価できる
>
> だけんど、あの第三文明社のんはまったく、馬鹿もいいかげんにせいといいたい。河合の息子が最近はもぞもぞやっちょるやうだげ、親父の轍を踏むなと・・

創価学会の理念が真善美の真を廃して利善美となしたその元凶にして礎となった本がでてきた。

牧口常三郎著「価値論」第三文明社レグルス文庫

その帯にこうある「従来のドイツ観念論哲学を乗越える画期的な価値の大系を樹立する」


してその中身は・・その初っ端からこうある

「・・・かくして有りのままの実在したものが真又は真理であり、対象と我の関係性を表現したものが価値である。‥価値は‥人により時により環境により変化するは当然である。真理は創造することが出来ない。ただあるがままを我々が見出すに留まったものである。これに反して価値は創造しうる。・・・社会は創造とは云わないで価値の発見という。人はそれによって利益し、快楽を増し幸福を増進する。真偽は美醜・利害・善悪の各要素とも全く異質の概念である。・・・人間は誰でも美・利・善を好み醜・害・悪を嫌うが如く、真を好み偽を憎むと云い降らされてきているが、それは全く根本的に誤った虚妄の概念である」云々

こうして真善美を利美善と脱骨換胎する。

まったくこの牧口創価学会に「それは全く根本的に誤った虚妄の概念である」とその蒙を
啓いて、線香ならぬ閃光を浴びせかけたい。

真善美という抽象概念を人になしてみやう

真人
善人
美人

而して利美善になれば

利人
善人
美人

赤肉団上一無位真人
赤肉団上一無位善人
赤肉団上一無位美人

真善美によってその赤肉も団上も一無位の質も量も変わってはくるが

赤肉団上一無位利人

とあっては、その赤肉も臭い腐肉にしてとても赤肉とは云えず団上も落とし便所の糞の団上にして一無位になんぞは絶対にありえない相対世界の極み

糞肉壇上多勲位利人か

刹那刹那に右顧左眄して利を捜し索め、風見鶏よろしく右往左往する

それはまさに公明党であり、創価学会であり、あの名利の権化の池田大作そのものでもあらうがな。

そんなところの出版社で出版する文化人

幾許かを挙げてみれば結構以外な人物もおる。

林達夫
前田耕作
北原武夫
森三樹三郎
立川武蔵
田中美智太郎
木村敏(河合隼雄んところだからあたりまえか、けっこういいこと云っておるが)
大岡昇平
福田恆存
高橋義孝
野間宏
金子光晴
村上陽一郎

などなど、びっくらこえるね。

して、もちろん当然のは


池田大作(一番多い)
河合隼雄(二番目に多い)
三枝充悳

注意しましょう。

これらの輩は創価学会、池田の虚仮の理念思想がわかって出版しこるんぢゃろか?

ようは、利を追っているだけかも、とはいえ、そのこと自体が創価学会牧口虚仮思想の同じなのかもしれない。


> 井筒俊彦も紳士だからあれこれと河合㋾あげつらうことはせんかったやうではあるが、どうおもっておったんか、それを若松でみてもれば、
>
> これも八方美人で、まったく河合の至らなさに至るどころではのうて、もちゃげまくっておる。
>
> だから、エピゴーネン文化人が増殖して群れダスト、巨星、巨人も☆愚図、星屑になりかねない。
>
>
> [53739] まさに単独者たるキルケゴール的実存の一体化した世界が構築できる、ちう壮大な構図かもしれない。・・投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/02/06(Sun) 08:00
>
> つきてくりANNEX−Ω   訪問者数:2329131(今日:114/昨日:463)2011/02/06(Sun) 07:06
>
>
> Chet Baker - Alone Together
> http://www.youtube.com/watch?v=zdDhinO58ss&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=20
>
> > > 体、休ちうこの二文字、体には横一本の短い棒があって、休には棒がない、なんでなんだろ?
> > >
> > > one
> > >
> > > これは、横一本の棒で、一でもありまして、これは、単に数字の概念のみではなく、己の一己に通じるものでありますれば、古来、印度で無限の概念が構築される以前に一なるもんは、すべての無限の根源かもしれず、ゆえに、一即多、一即他でもありませうが、その一にして英語でいけば・・
> > >
> > > ONE〜ONLY〜LONELY〜ALONE
> > >
> > > かういうONEの言葉の連想つらなりも、ま、歌曲の幾許か、それに中毒しちょろうが、耽溺しちょろうが、その英語の詩の味わいなんぞも、散文英語からはえられぬ気づきもまた到来しますけん、基調にして貴重なもので、
>
> Alone Together
>
> けさの表題の曲ですが、この言葉も味わい深いですね。味わい不快くんのバカ言説とはちゃうて・・
>
> Alone にして Together
>
> なのか
>
> 相反するものがちゃんと一個に止揚されちょる、ま、論理でははなればなれのもんも、感情においては一個になる、感情の偉大さ。
>
> ちうか、ばらばらの感情においてさえも、一個の身として止揚されておる。
>
> それにすても、
>
> Together ちうのんは Togather でもあれば、to gather
>
> さすれば
>
> Alone to gather
>
> さらにいいかげんにやれば・・
>
> Al one to gather
>
> All one to gather
>
> まあ、さうなれば、まさに単独者たるキルケゴール的実存の一体化した世界が構築できる、ちう壮大な構図かもしれない。
> > > > > > 畢竟、あるものがない、という証明は、あるものがある、という証明に比較にならぬほどに難しい、ま、アポリアといってもよいかもしれぬ。
> > > > > >
> > > > > > > バーンスタイン:マーラー・復活 終楽章4/4
> > > > > > > http://www.youtube.com/watch?v=Au8qHVoUAUg&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=24
> > > > > > >
> > > > > > > これは、わたしと同じ高みに登ったことのある人なら、この高みに立って同時に、そもそも絶対的な満足はどこまで達し得られるものか、という原則的な問題に頭を悩ましたことのある人なら、誰にでも容易に理解できることであろう。
> > > > > >
> > > > > > これは高みでも低みでもおなじことであって、これも反復なんですね。躁鬱、復活、回復、回帰、みんなおんなじことです。
> > > > >
> > > > > さうさう、ここで躁鬱というのは、あまりにもメカニックで、さういう言葉をつかうとその言葉の既製概念、メカニックな範疇にとりこまれ、せっかくの高みも低みもその味わいが減殺されかねません。
> > > > >
> > > > > これは、希望と絶望、願望、欲望の全能化と不能化ですから、さういう頭熱の状態は誰にもありうりわけであって、
>
> > > > > > 高みから絶望へころび落ちる、このモチーフも古来、イカロスの墜落、バベルの塔、精神分析や労働医学における全能と不能、万能と貧能、その他その他、禅と野狐禅とか、忙と閑とか・・・だいぶズレてきました。
> > > > > >
> > > > > > ともかくも、さいういろいろの状況があって、その状況に振り回される反復にして永劫回帰どすか。
> > > > > >
> > > > > > 良いも悪いもさうですかね。
> > > > > >
> > > > > > すっかす、この万能不能感も飛翔墜落感も忙閑感も善悪感もみんなふんまにさうなんだらうか?

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54806] エピゴーネン文化人が増殖して群れダスト、巨星、巨人も☆愚図、星屑になりかねない。 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/02/25(Fri) 18:01  

まきふよよANNEX−Ω   訪問者数:11738662(今日:977/昨日:2363)書出日時:2022/02/25(fRI) 17:56 先勝(己酉) 旧暦 1/25 月齢 23.9


lara fabian comme ils disent
http://www.youtube.com/watch?v=EzhZgGu_3vc

死んだ武蔵、死んだ一茶、死んだ米沢藩士のついでにやれば

井筒俊彦、この中枢の著作の幾許かは読了すて、その中枢へ至る初期の作の幾許かも手を付けつつあるが

井筒を巨星とすりゃあ、そのまわりに最近は多くの惑星が目に付く

してその惑星のいくつかを巨星とよみくらべると

まあ、

マーラー 交響曲 第1番 ≪巨 人≫ ワルター Mahler Symphony No.1 「Der Titan」
https://www.youtube.com/watch?v=QYpeykCM-gg

を聴きながら

北の宿から * 都はるみ * Miyako Harumi
https://www.youtube.com/watch?v=QKmma_bRdQE

巨星を回る惑星は去勢されて、これでも聞くような気がする

さうう言えば、ソニーフィナンシャルグループのチーフアナリストに転籍した女史はどっかでみたことがあるとおもったら、都はるみに似ておったのね。女史はでっかくはるみはちっちゃい

斎藤慶天著「『東洋』哲学の根本問題あるいは井筒俊彦 講談社選書メチエ

あるいは

哀愁のカサブランカ  郷ひろみ
https://www.youtube.com/watch?v=e2lYzQ3FDCo

岩松英輔「井筒俊彦 叡智の哲学」慶応大学出版会

郷ひろみは下手だね、聞いておれんね。

お耳直しには

カサブランカ Casablanca カタカナ歌詞【Bertie Higgins バーティ・ヒギンズ】
https://www.youtube.com/watch?v=ihFKvEeVc8A

これよりもやっぱす

Bertie Higgins - Casablanca, 최헌 - 카사블랑카
https://www.youtube.com/watch?v=QHdnRywIZ6I

是も同じか

ぢゃあ
Casablanca / As Time Goes By (Dooley Wilson)カサブランカ(映画)/ 時の過ぎゆくままに
https://www.youtube.com/watch?v=GGxAOtNe9iQ

うむ、やっぱすこれ、これぐらいの味わいはある岩松英輔「井筒俊彦 叡智の哲学」慶応大学出版会

而して思い出せば一挙に共時的現成でかの大菩薩峠

是の議論だったか、当時のたぬきの谷内君がお友達のご本

今村仁司著「『大菩薩峠』を読むー峠の旅人」ちくま新書082

ま、これは都はるみなみにして

都はるみが悪いんじゃない、壮大なる交響曲と演歌を比するほうが悪い

でもね、都はるみの北の宿から的というのは、つまらんちうことね、まことにつまらん。

斎藤は若いだけに井筒俊彦に挑もうとしちょるんか、井筒俊彦の足らんところにも力んで言及しちょるが、所詮井筒俊彦の比ではなく、その交響曲的味わいを散々なもの分解してゴミをとっ散らかす

同様に中里介山の大菩薩の味わい、その交響曲的味わいを散々なもの分解してゴミをとっ散らかすのんが今村

だめねえ、もともとこれら斎藤・今村は入門読者や学生のレベルで考えているんかもしれんが、学生もそれでは育たぬ

そこへいくと」さすが年功者のことだけはあって、岩松英輔「井筒俊彦 叡智の哲学」慶応大学出版会は一応は読ませるが

いってもれば、あのウ〜論茶君、巷の無能詩人のエピゴーネンのマスコミの尻尾のう〜ろんちゃご敬愛の中村雄二郎の域を出で得ぬ

みろや、あの中村の主著の「共通感覚論」ながながと他人の言説を引用してそれとの差異で己が手柄をいいたてるあの典型的なエピゴーネンの手法

そんな中村を文化功労者にして、そのとき兜太も功労者だったか、文化勲章が大岡信であったか、バカバカしいからよくは覚えておらんが、

覚えておるんはその選者が、当時の文化庁長官の河合隼雄、あの悪相にして食えぬよりも橋にも棒にも引っ掛からぬ言動の数々

みるもんがみればわからうちうもんであるが、ユングべったりで臨床心理学と称するもんの、自分の手柄話ばっかで、その手柄話がぜんぜん聞くものの心にも響かんで、もとより生きる糧にもなりえな。

いってもれば実存がない。

山折哲雄と河合のあと面白い若者がおったが、奈良京都の神社仏閣に泊まりこんで散策して宮司や住職の案内で一般立ち入り禁止のところまでいって見たりしたが・・

実践と乏しいもんは、せいぜいが第三文明社の創価学会のエピゴーネンに等しい

根底が狂っておればその選句、選人もすべてが狂う

だから、あんな大可信とか中村とか、どう考えてエピゴーネンでしょ。

大岡が朝日で展開した折々の歌はまさ民衆へのヘツライにして新聞社営業政策者のエピゴーネン、よくもあんな恥ずかしいことを詩人の肩書でやったものだ。

同じく、哲学者の肩書で世の様々の哲学者におんぶにだっこしてやってのけたんが中村

あのなかでは兜太がいちばんオリジナリティーもあったが、なんせ惜しむらくは根底に届いていない。他者の簒奪、例えば一茶研究とかも多い

畢竟、あ案ずるに河合の創価学会へおもねり風が文勲章功労者まんで拡がって・・

その河合がかの鰓の巣、ああ、エラノス会議にいて、井筒俊彦の「意味の深みへ」のあとがきで、この本の白眉は最初の論文だと喝破したのは評価できる

だけんど、あの第三文明社のんはまったく、馬鹿もいいかげんにせいといいたい。河合の息子が最近はもぞもぞやっちょるやうだげ、親父の轍を踏むなと・・

井筒俊彦も紳士だからあれこれと河合㋾あげつらうことはせんかったやうではあるが、どうおもっておったんか、それを若松でみてもれば、

これも八方美人で、まったく河合の至らなさに至るどころではのうて、もちゃげまくっておる。

だから、エピゴーネン文化人が増殖して群れダスト、巨星、巨人も☆愚図、星屑になりかねない。


[53739] まさに単独者たるキルケゴール的実存の一体化した世界が構築できる、ちう壮大な構図かもしれない。・・投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/02/06(Sun) 08:00

つきてくりANNEX−Ω   訪問者数:2329131(今日:114/昨日:463)2011/02/06(Sun) 07:06


Chet Baker - Alone Together
http://www.youtube.com/watch?v=zdDhinO58ss&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=20

> > 体、休ちうこの二文字、体には横一本の短い棒があって、休には棒がない、なんでなんだろ?
> >
> > one
> >
> > これは、横一本の棒で、一でもありまして、これは、単に数字の概念のみではなく、己の一己に通じるものでありますれば、古来、印度で無限の概念が構築される以前に一なるもんは、すべての無限の根源かもしれず、ゆえに、一即多、一即他でもありませうが、その一にして英語でいけば・・
> >
> > ONE〜ONLY〜LONELY〜ALONE
> >
> > かういうONEの言葉の連想つらなりも、ま、歌曲の幾許か、それに中毒しちょろうが、耽溺しちょろうが、その英語の詩の味わいなんぞも、散文英語からはえられぬ気づきもまた到来しますけん、基調にして貴重なもので、

Alone Together

けさの表題の曲ですが、この言葉も味わい深いですね。味わい不快くんのバカ言説とはちゃうて・・

Alone にして Together

なのか

相反するものがちゃんと一個に止揚されちょる、ま、論理でははなればなれのもんも、感情においては一個になる、感情の偉大さ。

ちうか、ばらばらの感情においてさえも、一個の身として止揚されておる。

それにすても、

Together ちうのんは Togather でもあれば、to gather

さすれば

Alone to gather

さらにいいかげんにやれば・・

Al one to gather

All one to gather

まあ、さうなれば、まさに単独者たるキルケゴール的実存の一体化した世界が構築できる、ちう壮大な構図かもしれない。
> > > > > 畢竟、あるものがない、という証明は、あるものがある、という証明に比較にならぬほどに難しい、ま、アポリアといってもよいかもしれぬ。
> > > > >
> > > > > > バーンスタイン:マーラー・復活 終楽章4/4
> > > > > > http://www.youtube.com/watch?v=Au8qHVoUAUg&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=24
> > > > > >
> > > > > > これは、わたしと同じ高みに登ったことのある人なら、この高みに立って同時に、そもそも絶対的な満足はどこまで達し得られるものか、という原則的な問題に頭を悩ましたことのある人なら、誰にでも容易に理解できることであろう。
> > > > >
> > > > > これは高みでも低みでもおなじことであって、これも反復なんですね。躁鬱、復活、回復、回帰、みんなおんなじことです。
> > > >
> > > > さうさう、ここで躁鬱というのは、あまりにもメカニックで、さういう言葉をつかうとその言葉の既製概念、メカニックな範疇にとりこまれ、せっかくの高みも低みもその味わいが減殺されかねません。
> > > >
> > > > これは、希望と絶望、願望、欲望の全能化と不能化ですから、さういう頭熱の状態は誰にもありうりわけであって、

> > > > > 高みから絶望へころび落ちる、このモチーフも古来、イカロスの墜落、バベルの塔、精神分析や労働医学における全能と不能、万能と貧能、その他その他、禅と野狐禅とか、忙と閑とか・・・だいぶズレてきました。
> > > > >
> > > > > ともかくも、さいういろいろの状況があって、その状況に振り回される反復にして永劫回帰どすか。
> > > > >
> > > > > 良いも悪いもさうですかね。
> > > > >
> > > > > すっかす、この万能不能感も飛翔墜落感も忙閑感も善悪感もみんなふんまにさうなんだらうか?

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54805] いづれにせい、一茶の本源根底に至らぬもんがかけば、一茶も死ぬ、武蔵も死ぬ、米沢藩士も死ぬ そこをハズキルーペでみれば、だうか、だうみてもダメなもんはダメ 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/02/25(Fri) 15:54  

みるちゆむANNEX−Ω   訪問者数:11738584(今日:899/昨日:2363)書出日時:2022/02/25(fRI) 15:51 先勝(己酉) 旧暦 1/25 月齢 23.9

Donna Summer -- Could It Be Magic (extended)
http://www.youtube.com/watch?v=nPF644qIPWI

糞をする道連れに詠む失楽園

ダンテダンテ探し回ってネットでみりゃあ35000円本もあって

どっこに埋もれておるダンテがあったはずぢゃ。

ホメロスもエウリピデスも築地です、うむ、ツキジデスも出てきたがみんな堅朗にして@100円

もういなくなってしまった、死んだとさわやか記念文庫の同年の店主が言う後継ぎのまつおか書店ビルの店頭歩道には山と積まれた世界文学、古典大系の日に焼けた箱の中身はまっさらな処女めいたもんがあって、めっけ、とならばリュックに詰め込み日産、いや自電車で日参したものだ。それが今や低く見積もっても3500円・・」」」」

ああ、ダンテダンテと、おお、岩波文庫3冊揃い、これはまつおか店頭ぢゃなくて、わが散乱の書斎書庫。

その横にちんまり鎮座まします、ミルトンは失楽園、どうも上は下にもってきてベニヤ板のベッド下にもぐりこんでしまったのか、見当たらぬが、下だけでもめっけもんぢゃと。

全然記憶にもねえが、その下の見開きの1ページ目にこうあって目を見開いた。

ミルトン作平井正穂訳「失楽園」岩波文庫32‐206−3 まつおか100円の横の裏表紙の裏に1981年2月16日第1刷定価520円、曰く

・・ペガソスの翔けうる高さよりさらに高く、天翔ける!私は名前ではなく、その意味に向かって呼びかける!・・・
願わくは、それに劣らず安全に私を導き、私本来の世界である地上に帰し給わらんことを。この天翔ける馬の手綱を御す力を失い(…)落馬し、アレイオンの野に墜落市、あげくの果ては途を失い,独り悄然として悲運に沈むのを、私はひたすら恐れるからなのだ。

なんとだらしがないのだ

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空

平井の註によれば天馬、ペガソスとは{詩的霊感の象徴」とされていた。

どこで?

ギリシャ神話で

それで?

んったくそんな詩的霊感に乗っておるけん、このざまぢゃ。

誌的霊感そのものになりきればええ

ところでやれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空にはいくつものバージョンがあるが

やれ涼し跳ぶも落ちるも天馬空

ちうバージョンが無断で府中競馬場で使われておるぞお

というご注進があって

勝手に使わせておけ、知的所有権なしぢゃ、人口に膾炙すれば天馬名利に尽きるちうんもんぢゃ

んで、そもそもの天馬はおらほが子供ころ小学校に上がる前、いやさ幼稚園保育園に上がる前

ちくたくちくたく天馬が左右する

やれ涼し右も左も天馬空

から始まって、あのこりゃあ、おふくろがこわくて、なんでこんな幼児にスパルタ的に時間の読み方を仕込むんだと、泣いた。おかげさんで、保育園でも小学校でも時間の読み方計算はいつも一番

さて、坐禅をはじめて、空だ、無だ、無駄なあがきをしているうちに、空が現成してきて

おそらもお空だなあ

ほんでそのうち紛争が始まって、あれはペルーに増田通りのある増田義郎宅において

イカロスの墜落、ピスガの山

糞をする道連れに詠む失楽園

ダンテダンテ探し回ってネットでみりゃあ35000円本もあって

どっこに埋もれておるダンテがあったはずぢゃ。

ホメロスもエウリピデスも築地です、うむ、ツキジデスも出てきたがみんな堅朗にして@100円

もういなくなってしまった、死んだとさわやか記念文庫の同年の店主が言う後継ぎのまつおか書店ビルの店頭歩道には山と積まれた世界文学、古典大系の日に焼けた箱の中身はまっさらな処女めいたもんがあって、めっけ、とならばリュックに詰め込み日産、いや自電車で日参したものだ。それが今や低く見積もっても3500円・・」」」」

ああ、ダンテダンテと、おお、岩波文庫3冊揃い、これはまつおか店頭ぢゃなくて、わが散乱の書斎書庫。

その横にちんまり鎮座まします、ミルトンは失楽園、どうも上は下にもってきてベニヤ板のベッド下にもぐりこんでしまったのか、見当たらぬが、下だけでもめっけもんぢゃと。

全然記憶にもねえが、その下の見開きの1ページ目にこうあって目を見開いた。

ミルトン作平井正穂訳「失楽園」岩波文庫32‐206−3 まつおか100円の横の裏表紙の裏に1981年2月16日第1刷定価520円、曰く

・・ペガソスの翔けうる高さよりさらに高く、天翔ける!私は名前ではなく、その意味に向かって呼びかける!・・・
願わくは、それに劣らず安全に私を導き、私本来の世界である地上に帰し給わらんことを。この天翔ける馬の手綱を御す力を失い(…)落馬し、アレイオンの野に墜落市、あげくの果ては途を失い,独り悄然として悲運に沈むのを、私はひたすら恐れるからなのだ。

なんとだらしがないのだ

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空

平井の註によれば天馬、ペガソスとは{詩的霊感の象徴」とされていた。

どこで?

ギリシャ神話で

それで?

んったくそんな詩的霊感に乗っておるけん、このざまぢゃ。

誌的霊感そのものになりきればええ

ところでやれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空にはいくつものバージョンがあるが

やれ涼し跳ぶも落ちるも天馬空

ちうバージョンが無断で府中競馬場で使われておるぞお

というご注進があって

勝手に使わせておけ、知的所有権なしぢゃ、人口に膾炙すれば天馬名利に尽きるちうんもんぢゃ

んで、そもそもの天馬はおらほが子供ころ小学校に上がる前、いやさ幼稚園保育園に上がる前

ちくたくちくたく天馬が左右する

やれ涼し右も左も天馬空

から始まって、あのこりゃあ、おふくろがこわくて、なんでこんな幼児にスパルタ的に時間の読み方を仕込むんだと、泣いた。おかげさんで、保育園でも小学校でも時間の読み方計算はいつも一番

さて、坐禅をはじめて、空だ、無だ、無駄なあがきをしているうちに、空が現成してきて

おそらもお空だなあ

ほんでそのうち紛争が始まって、あれはペルーに増田通りのある増田義郎宅において

イカロスの墜落、ピスガの山

をおさわり,将にお触りにしてお障りか、ともかくも教わり

墜落と昇天のモチーフができあがった。

歯好き、ああ、歯垢がいっぱいポケットもいっぱいの入歯を外して2丁拳銃ルーペをはめて

やれ涼し

一茶を意識した?

あれま、ここでカーソルが飛んで数ページ分が消えてしまった。

またやりなおしかよ。

一旦書いたことは2度と同じようは翔けぬ。

せっかくミルトンも書いたに、ああ、ミルトンは上にあったか・・そんでなんだったけ?

こうこう鳶が激しくてはここに生で書くとまた消えてしまうと懲り懲りだから、メールのさらに下書きすんべか

メールならば、飛んで消えても書いたところまでは自動的に下書き保存されるから、何度も何度も同じことを繰り返さんでも済む

して、一茶とハズキルーペか

一茶はついの棲み処あたりぢゃろが。

そういえば、一茶のドラマ化がどっかのtvで最近あったが、西田の一茶か、つまらんもんでもともともの脚本がつまらんもんだったのだから西田が可哀そうになった

同様に遼太郎のあの宮本武蔵もつまらんね、何が詰まらんと云って、サラリーマン遼太郎がつくる武蔵はそのまんまサラリーマン武蔵

人間が糧のする武蔵としちゃあ、そりゃあ、かの青梅は梅郷の吉川英治のはうが格段に勝る

遼太郎よりもっとひでえのんが、なんとか、時雨の記のあの売れっ子作家、さしたるもんぢゃねから名がでてこんが・・山形は酒田とかその手前の、ああ、ああ、藤沢周平

米沢藩の藩士の話が多くてその藩士がまるで現代のサラリーマン、悲愴の皮相の風采においては侍なるものその根底においては侍をぜんぜん書けておらぬ

吉川武蔵全巻長編を恵んでくれたのは、若くして30代半ばで丸紅に殺された親友、某のアラブ行きの選別で、ニューヨーク行きの選別東大俳句会の版画表紙で飾られた貴重にして稀覯本はこれまたたった一人の研究室の同級生

これらは、いまから思えば人生に決定的な役割を果たした、あれも世界樹の一つかも

いづれにせい、一茶の本源根底に至らぬもんがかけば、一茶も死ぬ、武蔵も死ぬ、米沢藩士も死ぬ

そこをハズキルーペでみれば、だうか、だうみてもダメなもんはダメ

ダメでも、もっと書きたいが、銀座のママのお尻でも蘇る歯好きループ、ああ、ハズキルーペ、あのコマーシャルママは某にちょっかいだしてきたもんによう似ちょる。まんざらわるくもねえから、@1万超を払って使ってみたら、使い方が荒いから、放り出す、逆さに置く、さすればかの北風荒ぶ阿佐ヶ谷句会誌を抱えて阿佐ヶ谷駅前に煌々と暖かい灯を点した露店で買った@1000円の縁なし眼鏡老眼鏡なんぞはすんぐレンズに傷、螺子は緩むわ、顔は真っすぐなのに眼鏡のおかげで顔が歪む、それに引き換え巴瑞季ちゃんは強い、傷もつかねば螺子の緩みの生じない、あの銀座ママより赤坂ママみたいで、でもね、@1万超のもんも、後日目に蚊が飛ぶのんで眼医者にいったらはるかに安くおなじもんが受付で売っておって、眼医者もお勧めとのことであったのよ。

だいぶ、もとの飛んだ原稿とかわってとんだもんになり果てた。桑原桑原



やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54804] ちっとも、泰然自若ぢゃねえね、ちぇ。Re:[54802] 交響詩 Re:[54801] 無題 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/02/25(Fri) 11:14  

センセかうかう乱高下、暴落暴騰ぢゃ大変でしょ?

うむ、皮相においてはね、資産ん億円も瞬時金融資産ん百万円とか

そりゃあ、タイヘンだ、私の給料だうなるのでしょ?

どうもならへんわあ。君には未来がある。俺には未来はもうもう極々かぎられておる

極々かぎられていらっしゃっても、長生きなさいますよ、の〜てんきなんだから

俺は皮相で右往左往する、一喜一憂するよりも

するよりも?

己が深層に降りていって、そこの底のソコで右往左往一喜一憂せんで世界樹を見つけるほうが好きなのだ

世界樹って?

そりゃあ、むっかすから口を酸っぱくしておる、あのペルシャのライフオブツリーをはじめとしていたるとこにある

はて?

聖書の中にも老子の中にも禅語にも哲学書にも宗教書にもはては歌曲のなかでさえ

それぢゃあ、全然自分のではないですか。

それが自分なのだ

わかりません

そこに見出した世界樹は他分のもんではあらへんで自分のもんなんぢゃ

はあ

早い話が今朝のMARSやジュピター、いやはやほれそこの壁に鎮座ましますポセイドン、かのヒンズー教の神様、あれはインドネシアのバリで拾った彫刻ではあるが《新世界より》きちょる

ドヴォルザーク − 交響曲 第9番 ホ短調 Op.95 《新世界より》 カラヤン ベルリンフィル 1964
https://www.youtube.com/watch?v=9n8R3x68yuI

これはアメリカ大陸発見の曲でしょう?

うむ、俺も若い時代にはあの大航海時代に大量虐殺のコルテスピサロにしちゃあ、いやに澄み切った曲だと思っていたが

思っていたが?

これはドボルザークが己が土を掘って掘ってまた掘って、その底に発見した新世界なんぢゃと残すところの齢幾許もなくて気がついたのぢゃ。

是も、世界樹の現成、してみればマーラーの巨人も復活もベートーベンの英雄も田園も合唱もモーツアルトのレクイエムもバッハのヨハン受難曲も

樹何にして難しいですね

ちっとも難しくはあらへんがな、みんな開けがある、開け万人に向けた開け、そこから崇高な光が迸る

見えません

火の鳥、春の祭典、それでもみえへんか?

見えません

チャイコフスキー1812年、悲愴、みえへんか?

なんとなくみえてきた

それでよし、ところでこの床なんか沈み込んでおらんか?

ちゃんと立っています

うむ。そのちゃんと立っている足元が溶けてはおらんか?

いやですよ、ここは湾岸ゴミ埋め立て地のタワーマンションぢゃないんですから

いくら堅固な関東ロームのドルフィン丘陵の一郭とはいえ、溶けるもんは溶ける

だう溶けたんですか?

あるとき坐禅をしておったら、床が畳が溶けてきた

そんで埋没?

埋没はせんが無念無想とはいかぬ邪念のなかで不思議な気持ちになって半眼で畳を見ればちゃんと水平な畳がある、結跏趺坐の足も脚もちゃんとある

ふ〜ん

あれは12月初っ端の蝋初接心の最終日で、終わって茶話会になって和尚にその話をした

うむ、それよし、それよし、と

以来プッツリ坐禅を止めてしまった

やめてよかったですね、そのまんま地獄の底に埋まってしまったら

地獄にも火はある、身を焼く火も智慧の火となせば、地獄もまた天国ぢゃ

はあ、だからセンセはこの大暴落大高騰下に泰然自若なんだ、わたしは給料が心配だ

じっと見よ、己が内を、己が内から世界が開ける、その開けた世界がこの皮相なる娑婆の世界に重なる

おっと、前場も終わり、あ、騰がってる、なんか買いました?

買わん、買う金がねえ。ヒ素王にして皮相のならいで売らねばならん

ちっとも、泰然自若ぢゃねえね、ちぇ。








> もう老眼で副も福もみわけが難しいが、耳は遠くなってもボリュームをあげればなんとか聞ける
>
> 虫メガネみれば文字も読めるでしょ
>
> 度の違うHzukiルーペを2丁もって2丁拳銃しちょるが、撃ち間違いが多い
>
> 読み間違いも多いでちょ
>
> 詠み間違いも、黄泉間違いも
>
> それへ死に損ないでちょ
>
> 凍星やこれよりロシアンルーレット
>
> 死に損なった話も、また、世界樹
>
>
> > それではおうかがいします。目下のウクライナ情勢は?
> >
> > うむ。世界の金融市場暴落中ぢゃっけん急いで書いて誤字脱字も多いが
> >
> > 誤字脱字のはうが真実を穿っている場合もありますから
> >
> > プーチンは火星
>
> http://www.youtube.com/watch?v=2ov24eTX_jo
>
>
> > うん、戦闘の象徴、してバイデンは?
> >
> > バイデンは木星
>
> http://www.youtube.com/watch?v=ytQfhqWmr9M
>
> >
> > うん、老星にして脳みそ膨張中、もうすぐ爆発、して岸田は?
> >
> >
> > 岸田はこの国が打ち上げた探査衛星が着陸して小石を拾ってきたあれ
> >
> > あれね、どっかの名もない惑星の名もない星屑
> >
> > 星屑のワルツでも聞くか?
>
> http://www.youtube.com/watch?v=sQUosDz7w8g
>
> >
> > http://www.youtube.com/watch?v=xotYGvOt35Y
> >

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54803] ハズキルーペ 投稿者:北風 投稿日:2022/02/25(Fri) 11:09  

噂に聞けばハズキルーペの社長は成蹊で同窓の縁を頼りに安倍に近づいた「安倍友」だというが、あんな原価何百円の老眼鏡を石原軍団を動員しての大宣伝をして、しかも遊び人のオヤジとクラブのママ風の設定、頑丈な事を言うのにケツに敷かせてみせるお下品さ、不透明なビジネスモデルの挙句に一万なんぼで売るのは鰯の頭や壺と変わらんのに聡明な梵がこれを使うのは何の深謀か冗談かわからんが、まっとうな老眼鏡を使うことを勧める。


[54802] 交響詩 Re:[54801] 無題 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/02/25(Fri) 09:48  

もう老眼で副も福もみわけが難しいが、耳は遠くなってもボリュームをあげればなんとか聞ける

虫メガネみれば文字も読めるでしょ

度の違うHzukiルーペを2丁もって2丁拳銃しちょるが、撃ち間違いが多い

読み間違いも多いでちょ

詠み間違いも、黄泉間違いも

それへ死に損ないでちょ

凍星やこれよりロシアンルーレット

死に損なった話も、また、世界樹


> それではおうかがいします。目下のウクライナ情勢は?
>
> うむ。世界の金融市場暴落中ぢゃっけん急いで書いて誤字脱字も多いが
>
> 誤字脱字のはうが真実を穿っている場合もありますから
>
> プーチンは火星

http://www.youtube.com/watch?v=2ov24eTX_jo


> うん、戦闘の象徴、してバイデンは?
>
> バイデンは木星

http://www.youtube.com/watch?v=ytQfhqWmr9M

>
> うん、老星にして脳みそ膨張中、もうすぐ爆発、して岸田は?
>
>
> 岸田はこの国が打ち上げた探査衛星が着陸して小石を拾ってきたあれ
>
> あれね、どっかの名もない惑星の名もない星屑
>
> 星屑のワルツでも聞くか?

http://www.youtube.com/watch?v=sQUosDz7w8g

>
> http://www.youtube.com/watch?v=xotYGvOt35Y
>

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54801] 無題 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/02/25(Fri) 09:25  

それではおうかがいします。目下のウクライナ情勢は?

うむ。世界の金融市場暴落中ぢゃっけん急いで書いて誤字脱字も多いが

誤字脱字のはうが真実を穿っている場合もありますから

プーチンは火星

うん、戦闘の象徴、してバイデンは?

バイデンは木星

うん、老星にして脳みそ膨張中、もうすぐ爆発、して岸田は?


岸田はこの国が打ち上げた探査衛星が着陸して小石を拾ってきたあれ

あれね、どっかの名もない惑星の名もない星屑

星屑のワルツでも聞くか?

http://www.youtube.com/watch?v=xotYGvOt35Y

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54800] 星になったり、月になった、一体太陽にはだれがなるのでしょう?Re:[54798] 刹那刹那に目を閉じる 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/02/25(Fri) 08:57  

だうもいかん。でてこねえ。あのキルケゴールの文言が

でてこなかったら、自分でだせばええ

倦む。キルケゴールほど素敵な誌的な表現にはなりえないし、がさつに云ってもわれもなれもうちはしない

我も汝も撃ちはしなくても、その心根はいっしょでしょ

心根が一緒でも、表現が違えば迫力がちがう

手の届かぬところへ諸手をあげて背伸びするのはやめましょう

ぢゃ、やめて「我と汝」へ感謝しよう

それぢゃ、ブーバーぢゃんか

いえね、起き抜けに一服

たてつづけに数服

数服喫うと数副

アセチルコリン受容体がニコチンによりアセチルコリンが足らんでも活性化

己が過去の景色へ通時的に遡り

それが共時的に現成する群像群

そのぐん群像群の一々の風貌、眼光、体躯、そして背景の景色さへ

気色ばんで抹殺されちゃあ、たまらんが

あの養老もいっておる、そりゃあ心臓に来るが、脳内のゴミが片付けられる

あの倉本聰もいっておる、北の家族もおらほの全生涯の全作品は30万本のタバコに負う

たすかにそれはあって、非喫煙者の肺が白いのに比し喫煙者の肺は真っ黒

それを解剖標本室へ助教授なり立ての養老に案内されて見て、たばこをやめたもんが多かった

すっかす、その養老が退職して喫煙同盟めいたもんを結成して曰く

非喫煙者の肺も真っ黒

なんとならば、大気汚染、それを放置してタバコを禁煙条例課税強化で喫煙者排除のその根底はあのヒトラーに通じる

そやね、そやね、あのへんてこ目間距離の間延びした神奈川県知事

あれの馬鹿さ加減といえば、東京オリンピック事務総長元大蔵次官とええ勝負だね

そういや、「人間とその顔」に基づけばまことに共通した人相ぢゃもな

要は考える力が弱い、世間の規範にながされて己が規範がない

ああ、さっきの自分と他分の塩梅の他分ばっかすで、世間に媚びる

その世間たって、誰の構成する世間?

そりゃあ、もう馬鹿豚世間でしょ

世間には馬鹿豚ならざるもんいる?

もちろん、でもほとんどは非馬鹿豚でも馬鹿豚との間を行ったり来たり

んで、なぬをいいたいの?

お、忘れておった。

通時的己の世界を感謝しつつ共時的にその群像群の一々と景色を現成されせて至福へ飛躍

興味ないむきもおるでしょ?

これは興味の有無の問題ではない

西洋のニーチェも東洋の鉄人でもむっかすの超人でも、共感しえぬもんは読まぬほうがええといっちょるが・・

禅者の赤肉団上一無位真人やそれに連なるもろもろのもんは決してさういうことはいわぬ

ああ、あの目、あの慈愛の目はそれこそ夜空の星のごとく燦然と優しい光を放っていますね

あの空海の月輪観でも同じことよ

ご自分が月になっちゃう

星になったり、月になった、一体太陽にはだれがなるのでしょう?













> 一言でパッといって短く引き上げたはうが、趣旨明確になるんぢゃねえの?
>
> そんなに趣旨明確な趣味はねえのよ。
>
> だけんどいかにもうざったい、うざい、うざい、読む気がせんがな
>
> 読む気が専門は読まねばよろしい。
>
> ぢゃあ、書いた意味がねえぢゃんか!
>
> それがあるのよ
>
> だう?
>
> 例えばヴェロニカ(Véronique):ルオーの宗教画喫煙者の肺が真っ黒で
>
> ?
>
> http://art.hix05.com/Rouault/rouault11.veronique.html
>
> して・・
>
> これにかぎらずルオーは自分の作品に削ってはまた塗る、削ってはまた塗る
>
> うむ、すっかす、おめえなんざ、ルオーでもあるまいに
>
> このベロニカだってもとはキリスト
>
> はて?
>
> 畢竟、削っては塗り、削ってはぬり、しているうちのベロニカキリストとはいわんが、なにかが出てくる、閃き、飛躍が、新しい世界が刹那刹那に開ける
>
> おらあ、刹那刹那に目を閉じる
>
> それもいいかも
>
>

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54799] トルコ人はするどいからね。ちょっと失礼。Re:[54785] 「奥の細道」は自己の奥の細道にして世界の奥の細道 Re:[54784] これを見ちょけばもうすこし人生の師や視野が広がったかもね Re:[54783] あのキルケゴールの小川や風の音にも似て・・穏やかに食事をなして、別れて・・今も生きているんぢゃろか? 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/02/24(Thu) 21:10  

ゆにめふろANNEX−Ω   訪問者数:11737305(今日:1983/昨日:1196)書出日時:2022/02/24(木) 20:06 赤口(戊申) 旧暦 1/24 月齢 22.9 下弦

Barry White Bullet
http://www.youtube.com/watch?v=gpXUY-9I8j8

画像的には昔のBullet、かの世界最大の精神科病院のニューヨークべレビューホスピタルのレンガに鉄格子が嵌った監獄めいたところから薬を打ってでてきて拳銃をぶっぱなすあれね

まことにエクセレントではあったが、もうかうかう大人しくなってしまっては味わいも半分

> るんらたふANNEX−Ω   訪問者数:11735732(今日:410/昨日:1196)書出日時:2022/02/24(木) 08:31 赤口(戊申) 旧暦 1/24 月齢 22.9 下弦
>
> 防人の詩 ナターシャ・グジー / Sakimori no Uta by Nataliya Gudziy
> http://www.youtube.com/watch?v=8dUOGXII_jk
>
>
> 草萌ゆる大地爆転宙返
>
> ウクライナ情勢も鎮まればいいですね

といっちょるそばからウクライナ侵攻

そのとっばちりをこちとらも喰らって昼のトラブルが起こったのかも

それにしてもおかしいね、こちとら元KGBプーチンの先輩から勲章のメダルももらっちょるんに

それがね、青い目をした日本人でホリエといって、横浜博覧会でロシア、いやいや、当時はソ連の宇宙船を展示するんにソ連の宇宙開発責任者を呼んで、ついでにアメリカからも宇宙飛行士をよんで、自民党本部で講演会

その講演会に著者宇宙飛行士の直筆サイン入り本ブライアン・オレアリー著堀江豊訳「火星への挑戦 1999年火星へ飛ぶ日」これを会場に100冊積み上げておいたら

白い分厚い封筒をもって近寄ってきた男があっという間に一括お買い上げ

其れも定価@1500円を@10000円で

んでもホリエは米ソの宇宙関連VIP2人を抱えて四苦八苦

深夜にホリエを吉祥寺の自宅に送っていったら、炬燵に入って幼いお姉さんがさらに幼い弟にまことに貧しい食事をあたえている。

あれはクリスマスの夜だった

もう、その光景に泣けたね。本当に泣けた。

ホリエはほれといって腕にある凄まじい傷を見せたことがあった。

姉弟の母たる奥さんにはとっくのとうに逃げられ

それでも命をかけた宇宙から離れられない

それを見かねてホリエが訳して手元においておった、著者訳者には一定程度の配本が出版社、この場合は日本放送出版協会であったが、そのホリエの手元残部を全部ポケットマネーで買い上げた

ソ連の宇宙開発責任者からは、某をバイコヌールから打ち上げて民間人初の宇宙飛行士にしてあげると

それを感謝しつつ辞退すると、ぢゃあ、これをとっておけ、いつか役に立つ時が来る、フリーパスでソ連にこれるからと

ああ、あのメダルも震災散乱で書庫書斎のどこかに埋もれておる

あのね、口が悪い、馬鹿豚奸僚とか馬鹿豚野田安倍菅岸田とか、今国家安全保障強化中なんだから、トラブルの原因はあのへんぢゃあねえの?

ま、それもあるやもしれん

馬鹿しってんぢゃねえの。おめえのパソコンが悪いんぢゃねえの。よく点検してもれ。

ああ、わかりました、わかりました、とはいえ、暫定的にセキュリティー上の問題らしい

それみろ

みろといえばミロのビーナス

あの美しさもさることながらビーナスって誰だかしっちょるか?

またまた横道にそれてきたね

おっと、あのトルコ人のウクライナ情勢見解会見がはじまった、トルコ人はするどいからね。ちょっと失礼。

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54798] 刹那刹那に目を閉じる 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/02/24(Thu) 20:23  

一言でパッといって短く引き上げたはうが、趣旨明確になるんぢゃねえの?

そんなに趣旨明確な趣味はねえのよ。

だけんどいかにもうざったい、うざい、うざい、読む気がせんがな

読む気が専門は読まねばよろしい。

ぢゃあ、書いた意味がねえぢゃんか!

それがあるのよ

だう?

例えばヴェロニカ(Véronique):ルオーの宗教画



http://art.hix05.com/Rouault/rouault11.veronique.html

して・・

これにかぎらずルオーは自分の作品に削ってはまた塗る、削ってはまた塗る

うむ、すっかす、おめえなんざ、ルオーでもあるまいに

このベロニカだってもとはキリスト

はて?

畢竟、削っては塗り、削ってはぬり、しているうちのベロニカキリストとはいわんが、なにかが出てくる、閃き、飛躍が、新しい世界が刹那刹那に開ける

おらあ、刹那刹那に目を閉じる

それもいいかも

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54797] I Never Sing Another Song 焼芋 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/02/24(Thu) 17:37  


うかうゆかANNEX−Ω   訪問者数:11736649(今日:1327/昨日:1196)書出日時:2022/02/24(木) 15:51 赤口(戊申) 旧暦 1/24 月齢 22.9 下弦

大鴉啼いてニーチェの正午かな

はとぽっぽの餌をしょうしょう穿り返してみた

鳩の餌とはいえ幾許かの栄養にはなる

罵倒しつづけたあの兜太、大岡信へのあの定冠詞ももう鬼籍に入ってしまったのだし

外しましょう

とは思え℃、うむ、寒い、やぱっす冠が欲しいむきには冠をつけてあげるが礼儀

つるべの

ところさん

たけしの

とまったく小うるさいNHKの番組

税金つかってなぬしちょんのや!

ああいう風はもち民放にも蔓延しちょるが、その放送の姿勢においてオミクロン的なもんがあり、ふんまに反吐を催す

ゲシュタルト



Jamie Cullum - "If I Never Sing Another Song" (very touching in HD)
http://www.youtube.com/watch?v=EJONH8qXhKo

[53746] 焼芋も値が上がって・・ ・・・Re:[53674] わが沈黙の共犯者よ! 投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/02/08(Tue) 09:12

> > わたしはレタスが好きだが、いつも芯だけしか食べない、

よく焼き芋の皮を漁って食った。

牛蒡でも林檎でも皮がよろしい。

なんで皮をのこすんぢゃろ、一番うま味があって栄養もある。

ならば、これも食えよ、お〜い、みんな皮をこいつにやれ!

ちうて、ソレガシの眼前に焼き芋の皮が無垢材のテーブルのうえに拡げられたティッシュに一杯積まれて・・・

まあ、いいだしたからには食ってしまおう

ちうても、やっぱ皮ばっかぢゃあ、飽きるもんではあるが、そこは適当に皮の内側に実もあるから・・

でも、やっぱす、包丁できれば美しい栗の断面、手で割ればそろこそ芋凸凹の眼の味わいに比して、人の食い残しの皮のガザガサすた見た目と触覚と味覚では・・

ま、でも、さういう人生もある。

ソレガシなんぞは思い返してみればさういうことが多かった。

だいたいが、組織においても花形をやらんで裏方をやる、雑用を制するもんが事業を制す、とか、おだてられて・・・

人の行かぬ裏道の花、だったか?株式相場の格言もあって、提灯持ちで提灯つけるよりは、暗闇を足でさぐりながら進むのか、踏み外すのか、わかららんやうな、冒険。

だれも生きて画が、うむ、湯着て、う〜む、行き手がおらん、左遷のポストへ、手を挙げて行けば、そこが天国ちうことで、レストランもホテルもないアラブにいって、おお、天国、天国♪ちう声が聞こえたのか、気がついたのか、その後はアラブ行きは希望者殺到で、待遇もがた落ちとか・・

ま、さういう瑣末なことはともかくとしても、人の捨てたもんを拾ってきて生かす、人が欲しい欲しいちうもんには手を出さぬ、だから、貧乏くじか?ちうとさにもあらずや。

葡萄だって、皮んとこが一番甘い、美味い、だから、かの勝沼の葡萄園で振舞われる葡萄も、いちいち粒を摘んで皮を剥かずに房の粒へまるごと齧りつく、熊さんみてえぢゃといわれりゃ、さうぢゃろけんど、熊のあの熊手ぢゃあ、皮も剥けぬが、ソレガシの指なら剥けるにもかかわらず、剥かぬ、それにしても、だから、葡萄の中身を啜った空の皮を食えともってきた親切なもんは、おらんかった、ちうのんも、ま、葡萄園の葡萄は無限ではないにすても、食いきれぬほどにあったから・・

ことほどさように、皮の味わいはよろしいのですが、果たしてレタスはだうか?

たすかにレタスの葉っぱ、それもそとの腐ったやうな葉っぱは食えぬのですが、たすかにさういうもんを好む豚の類のくっちゃべり〜くんらたぬきも多い。

この豚の習性は、かの可笑しい狆くん=大岡信くんキンス兜太(●0_0●)@ブヒブヒくんにもみられるように、ああ、そういう詩人俳人ばかりではのうて、あらゆる学者から政治屋、官僚はもとよりではあるが、レタスの腐った葉っぱの宣伝係、提灯持ちに堕してそれがお得意なもんがおおければ、レタスの芯はこれ、やっぱす残されて、そこにもっともシャキシャキした歯ごたえとうま味がある。

それは、思想と行動、ま、もっと質せば、自覚、気づきそのものの味わいであって、かういう歯垢ならぬ、嗜好にして志向はまことに、俳句の選句や詩や言説に尿意実、如実にあらわれる。

そこには、瞬間も、出来事もなく、もう、へたりきった世のへたりきった制度と膿みきった退廃、頽落があるばっかし。

大奥のあの侍女、奥方さま、おヒマさまならぬお姫さまらの、あの論理がそのまんま、体制お抱えの提灯持ち言説、詩歌俳句にも尿実に、ああ、如実にあらわれる。

お殿様のお越しを、将軍様の症状を、ああ、賞状を、金科玉条のごとく奉げて、自らは字、ああ、恥とせぬやうな恥しらずな文化人ちうかたぬきどものそのまた提灯持ちをするどたぬきジャーナリズム

まさ、かの可笑しい狆くん=大岡信くんはその厳選の言説の多々をみてみても、大奥詩人であって、歌であればまことによく大奥のおヒマ、お褒め、お姫さまの信条にして心情には通じておるが、その谷おいては、不能。

ま、汗顔にして宦官ちうことなんでせうかね?

そんでレタスの腐った葉っぱから、分娩の苦しみにうつると・・

> > 葉は豚にやるものだとわたしは思っている。

あ、まだ、分娩ははやかったやうどすが、たすかに豚にはお似合いどすわの。

かのピンクフロイトで、生徒たちが画一教育ベルトコンベアにのってホッパーに落ちてソーセージになる画像と歌がありもうしたが、まさに、同じことをああいう画像や歌にせっするまえに初代アネックスのころにやっておって、スローターへのコンベア教育、文化のありやう

やうは、豚へはレタスの葉っぱもあげてまるまる肥やして食肉の肉に腐った葉っぱも変身させてソーセージにするところまでは、ベルリンの壁崩壊文化とはちゃう文化圏におるゆえ、おもいつかんかったが、ゆきつきさきは、昨今ブタシャブ、音楽きかせて、よくマッサージしてあげて、霜降りになった牛肉は高いし、健康上も豚に劣るから、ますます、豚様ちうことになる。

さて、それでさういう豚様を増殖させんと、世間の胃袋も飢餓状態になりはてるから・・


> > わたしは分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好きなのだ。

受胎のほうの事態、その瞬間、出来事は、まあ、機械的に、メカニカルに行なわせて、なぬせ、増殖させる分娩が、もっとも豚世間においては重大な関心ごとになる。

もともともこの「分娩の苦しみよりも受胎の快楽のほうが好き」ちうのんは、シラーかなんぞの詩人の言を、それをそうとキルケゴールがことわって引用しちょるもんではあるが、まあ、誰がいおうにせい、まことに、増殖、教職、ああ、養殖豚の魂に染まらぬ、実存的な志向と嗜好と至高であって、豚さんの可哀想なところは、かういう実存的な志向と嗜好と至高の快楽を味わい得んで、只管増殖繁殖につとめねばいかんちうその行き方の生き方のありようそのもの、増殖への頽落なんどすわの。

増殖すればそれを喰らうもんの飢えは満たせるであらうが、増殖もすぎれば、資本主義的にも価値が暴落して、みずからの増殖すらパニックになり果てるどすが・・・

ま、さういう資本主義的メカニカルな機構における陥穽の発動はともかくとしても、受胎から発生、分裂の過程において個体を育ていく、飼育していく、それが子宮のなかであらうが、子宮のそとであらうが、さういう、面倒に苦痛なことはヤダちうのんは、キチガイなんでせうか?

畢竟、・・・・

まあ、生命の機構にも、ああ、機構ということばもいやですが、子供手当てちう拝金主義の政治手法にも通じる問題ですから、いちがいにここでおもいつきをやるのんもなぬもわるいことはありませんが、いそいでやることもあんめい。

けふは一挙に冷えていますね。この冷えのなか、焼芋の皮を恵んでくれた人に寿司弁当を振舞うために出かけねばなりませぬ。

それにすても焼芋も値が上がって、よくくったあのころに比して、長さ太さも1/2のもんちうと、ボリュームにして1/8、つまり8倍の値段ぢゃきに、寿司のはうが安い。皮も貴重ですね。

やれ涼し跳ぶも堕ちるも天馬空

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54796] 純粋持続 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/02/24(Thu) 16:35  

だんだん伸びてきたぞ

もうすこし伸ばしてみるか

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54795] いいやつほど先に逝く受難は情熱でもあるのですね。Passion 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/02/24(Thu) 16:20  


へうにるやANNEX−Ω   訪問者数:11736614(今日:1292/昨日:1196)書出日時:2022/02/24(木) 15:51 赤口(戊申) 旧暦 1/24 月齢 22.9 下弦


天に唾する・・一句がでてこぬ。過去ログ発掘も「過去ログ」の一々を捲らなければならぬから疲れる

さういうもんはあきらめてまた刹那刹那の新しい世界を開けばよろしい

それでは天地創造主のやうではありませぬか?

それがどうした?

それは僭越です

というならともかく異端と処刑する世界も多々ある

この世界、前者の世界と後者の世界では倦ん雲泥の差がある

まさに天地獄の間が炸裂して、天国と地獄が分かれたような

その天国だっていつ天獄になるかもしれず

獄なる天地はいらんちうことにならう

そうそう、↓を掲げてまた横道にそれておる

Lara Fabian - Je Suis Malade
https://www.youtube.com/watch?v=5kp0dw4MuWs&list=RDMM&index=19

毒を吐かんでみぬち、心身に溜めおけば、やがて心身が蝕まれて逝ってしまう

これは、ここ某の周囲の何人もがそういう逝きかたをしておって

毒凝って胆石となる、はたまた腎石となった某なんぞは命も音さんで

拾った命で神石を立てる、立てんも神石を拾う

それを披露すれば疲労の憂き目もこれ知らず

黙々と喋り書き続ける

要は命を縮めんように毒を吐き吐き天に唾しながら行けば長生きもできようか

而してあんまり長生きしても迷惑もかける

適当なところで逝くのがよろしい

夭折の友人らの生きざまをつらつら振り返るに

毒も吐かんば天に唾もせん

それが結局は命を縮め

いいやつほど先に逝く

ちうことになるやうだ

人間円くなって

尻尾を噛む蛇

永劫回帰

そこで快気がやしなわれのだらうか

もう回帰しやうのない怪奇現象

もっとも毒を吐き吐き天に唾しつづけて狂ったニーチェのようなもんもいる

人生は神秘だ

世界は神秘だ


[53773] 受難は受動なのか、能動なのか?はたして情熱は能動なのか、受動なのか?Re:[53739] まさに単独者たるキルケゴール的実存の一体化した世界が構築できる、ちう壮大な構図かもしれない..投稿者:梵@舌下の黙々 投稿日:2011/02/14(Mon) 12:21

けすなろほANNEX−Ω   訪問者数:2342263(今日:196/昨日:455)2011/02/14(Mon) 10:50

マタイ受難曲 終曲
http://www.youtube.com/watch?v=9zui8bjzhKU&feature=BF&list=QL&index=63

J.S. Bach による St. Matthew Passion

受難は情熱でもあるのですね。Passion

Passive ⇔ Active つまり ⇔であるものが=になる。

受動と能動、その相反するものが受動即能動になる。受難即情熱である。

はたして。受難は受動なのか、能動なのか?はたして情熱は能動なのか、受動なのか?

さういう理屈を突き抜けたところ、西田幾多郎の云うところの・・

絶対矛盾的自己同一

さういう人厳粛なペルソナが壇上に並ぶ。娘もあれば老爺もおる。録画も録音もいやみなく、ことさらに荘厳な背景も環境も名もない、そんなところが、この「マタイ受難曲 終曲」の好もしさ。

> つきてくりANNEX−Ω   訪問者数:2329131(今日:114/昨日:463)2011/02/06(Sun) 07:06
>
> Chet Baker - Alone Together
> http://www.youtube.com/watch?v=zdDhinO58ss&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=20
>
> > んらにへつANNEX−Ω   訪問者数:2328732(今日:178/昨日:457)2011/02/05(Sat) 10:35
> >
> > 大切なことを書き漏らした。これをもらしては意味不明になるやもしれん。
> >
> > Ray Charles - Song For You (1994)
> > http://www.youtube.com/watch?v=JSlv_n-gBmk&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=26
> >
> > Ray Charles - A Song For You (1999)
> > http://www.youtube.com/watch?v=jgZTvLFRYrE&feature=BF&list=QL&index=27
> >
> > この5年間の老い方、ひとりの他人の人生から多様なる己の味わいが味得されますね。

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54794] テスト 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/02/24(Thu) 14:45  

過去録のどこかに瑕疵があってそこが引っ掛かったのかもしれぬ

しばらく様子をみてみましょう

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


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