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[54856] 信じ方によってはとんでもない方向にいくこともママある。Re:[54855] 「ただ今」 と母の元へ帰ったあのころが懐かしいRe:[54854] なんだ、市販の寿司のパッケージ二つばかりかRe:[54853] 燦燦と降り注ぐ太陽の光の中で光源が渦を巻く 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/03/14(Mon) 18:06  

> > > あふちもゆANNEX−Ω   訪問者数:11761378(今日:437/昨日:908)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/03/14(Mon) 09:07 先勝(丙寅) 旧暦 2/12 月齢 11.4
>
> どうも云おうとしていることは、初っ端に浮かんできたことと、どんどん離れてどうもええことに展開していく

せっかくの坊主がらみだから、あと二三の「坊主」の風景坊主にからむ「舞子」の風景も

いやさあ、みんなつながっているね、年々再々経ても経ても・・


> あたかも一個の記事も一個の人生めいて所詮もおなじか
>
> > 危ち、あちち燃湯。萌ゆ。どっちなんだろね
> >
> > いもづる、いもづる、芋も出づる、胃も攣る
> >
> > 高千穂の町で唯一か、とあるスナック、薄暗い燈火の下で賑やかにみんなが飲み食い喋っている
> >
> > 突然飛び掛かられた
> >
> > 無学
> >
> > てめえなんぞ、簀巻きにしてこの川底に投げ込んでやる
> >
> > 女衆が一斉に退いた
> >
> > やがて警察が来た
> >
> > 無学に尋問が及んだ
> >
> > 簀巻きにもされんで、川底に投げ込まれなかったゆえか
> >
> > 一件落着
> >
> > 無学ちうのんは建長寺で得度した禅僧なんだそうだ
>
> 禅を修行しようが得度しようが、哲学や思想で人間を鍛錬し教授にならうが、景色はみんな一緒だね
>
> > 高千穂林間大学設立記念パーティ
> >
> > あの過疎地帯に廃屋と化す、ありは寸前の空き家、といっても百年、数百年の歳月風雪に耐えてきた立派な建物が林間に沢山ある
> >
> > それをつかって、過疎地帯の活性化とともに地球環境考える講座を開設して高千穂林間大学
> >
> > 多士済々
> >
> > 飛行機が大分空港についた
> >
> > 発起人のホテルオークラ前の高級外人用テラスで禿茶瓶の毛生えコンサルタントで名をあげマスコミにも登場し、禿コンサルのルーツの漢方薬局を一番町の谷底にかまえ、それというのもアルプスから滑落し、そのショックで頭髪が全部抜け、そのショックが契機となり、禿を治すクスリから心霊法までを習得しいまや押しも押されぬ禿治療の第一人者の彼女は彼女なりの美貌もあり、多くの財界官界政界の著名人を顧客に抱えていた

この彼女に招かれてやってきたのだ

> > その発起人のよこに薄汚い坊主が一人、続々と到着する多士済々をバスに案内する
> >
> > そのバスが到着したのが、この薄暗い燈火のスナック
> >
> > 多士済々それぞれに自己紹介をはじめた
> >
> > それが終わったところで、無学が飛び掛かってきた
> >
> > 目つきが悪い
> >
> > なんだあれは空港では挨拶もせんで、みんな挨拶をしたんにおめえ一人だ、にらみつけやがって
> >
> > なんだあれは、俺がしゃっべているときせせら笑うような目つきで見て、云々
> >
> > 俺はこの女の亭主なんだぞ、俺たちの結婚披露なんだぞ、とはいわんも、著名禿コンサルが結婚すると云う発表会でもあった
>
> あんないい女がなんでこんな小坊主と結婚する、したのか今でも謎で不思議だ
>
> 薄汚い小坊主
>
> 薄汚いのは無学の場合は着ているものも薄汚いがその着物を剝いでみたところでも薄汚いし目つきも薄汚い

京都は先斗町のとあるスナック

山口洋平の紹介で、天龍寺の定宿からときどき出かけて行った

カウンターの横に黒い手拭頬被りが来て、黙々と酒を飲んでいる

きけば

建仁寺の雲水、雲水ちうても単頭、雲水の筆頭

ママとしょもない話をして、そのまま夜の闇にきえてゆく

毎晩おこしになるのよ、夜が更けてから

ふ〜ん、と翌日、建仁寺に詣でて、その単頭を訪ねた

昨晩とはうってかわった風情でこざっぱりしたナリでこざっぱりした案内をしてくれた

人間ああいう風に夜と昼で変われるもんなんだ

ただそれだけ

大徳寺の単頭

坐禅会の羽村善福寺の同年和尚の弟、妻帯もせず、兄の目から見ても自慢の弟らしい

腰に荒縄を結い結んで大柄な男が現れ、なんと横柄なと思う間もなく、柄にもなく腰を低くして師家だか管長だかの提唱、利休の墓へも案内してくれた

のちに利休ゆかりの堺の名刹の住職へ転進してその晋山式では大きな華麗なる傘のしたで堂々たる衣装に包まれていて同じ男かと思った

ただそれだけ

京都先斗町の櫛簪かんざし

高野山へ出家、隠遁していたはずの稲盛京セラがいた

連れは舞子あがり芸子あがりもう女もあがった風情の上品なご婦人

こちらの連れは大宮章子、赤坂のドルチェママ

みないの、みないの、しらんぷりしているの!

とはかの大蔵省のマナーのならい

みなくても真向いのカウンターにいるんだから見えてしまう、話もきこえてしまう

祇園、先斗町の舞子はんらの憧れの小料理屋で味に定評

この葛は吉野に入ってとってきたもの

この野菜は雲畑に入って採って来たもの

この水は今はご法度、代々受け継いだ自家井戸から汲み上げたもの

とか、亭主の説明

説明のさきには子供がおって、その両脇にご両親

ご両親曰く

子供のときから味をおぼさせないとね

良いものをたべれば一生その味を覚えて育つから

不味いものをたべて育てば不味い人生しか送れないもんね

そういう教育方針もあるんだね

高野山から抜け出して、まあ、出家隠居の身で先斗町

建仁寺のあの黒頭巾の単頭を思い出した

六本木ジーラジーラ

ここのママは祇園舞子の出身でかなりのファンもいるらしく

キープボトルは大村智、それをちょいと拝借

今日はね、いい娘を紹介するわ

雪乃ちゃん、こっちこっち

まあ、祇園の女将の風情があるママね

雪乃でございます

絶世の美女

雪乃ちゃんはね、ほんの短い時間しかいられないよ、あたたは幸運よ

なんで?

お茶懐石の修行に励んでいるんです

朝から夜まで

お茶会も禅道の典座のようなもんだからそりゃあ修行も烈しかんべ

そうなんです

だから、もうお暇しなければ・・

ギューン、キー、キキキ

前を突っ走るボルボを後ろのメルセデスが追跡する

たすか、梅が丘とか言っていたな

先回りしてやろ

待ち伏せているとボルボがやって来た

キューッ、危機気、キキキ

だうも大分怖がっているようだ

ここらでゲーム終了

昨日雪乃ちゃんを追いかけたでしょ!

あのこはね、いつかじぶんでお店をもつこなのよ

お店をもつって、わかる?

お店をもつにはスポンサーも要るの

もう決まったスポンサーがいるんだから、追っかけても無駄

さうなんだね

お店を持つ

これが芸子さんらの目標らしい

会社をもつ、社長になる

これがサラリーマンの目標らしい

田園都市線江田駅からほど遠い嵐が丘のママ

うちの主人は三菱化成でございますの

あなたも卒業されたら三菱化成にぜひともきてくださいね

もう、まるでものに憑かれたように三菱化成の連呼で

三菱化成ならズンバ人にアラズ

人にアラズんば、嫁にもダセズ

べつに嫁さんが欲しいわけぢゃない、まんだ教養の19歳

中央線荻久保イエスの御霊教会

村井牧師

ここで脱いでこれを着てそこに入って下さい

洗礼の儀礼らしい

ここに飯沼幸子につれてこられた

西高出身で文学部中国語学科

竹内好の講義があるから一緒に行こう

毛沢東語録と聖書を肌身離さず

皮表紙にして天金の立派な聖書ももらった

交換日記もはじまり

彼女の長ったらしい文体が身についてしまった

どうもこの母子は狂信の気があるらしい

母親は三菱化成と叫びまくるし娘は村井牧師、イエスイエスと信仰を叫びまくる

嵐が丘の急坂を三菱ギャランのクラッチもガンガンと音をたてる猛スピードで下ってうちの工場前

こんなに遅くなってしまって大丈夫?なかに入れる?

大丈夫です、こうやって柵を越えて、と

工場に今どきのシャッターがあるわけでもなく、木の柵をいくつか並べて鎖でつないであるだけ

工場といっても当時の60年くらい前だから工場棟も頑丈な丸太で組んだようなもので

柵の一郭をずらして中に消えてゆく青年を見届けて

うむ、あんな薄汚い工場の息子なんかにはうちの娘をやるわけにはいかない

キーキーッとUターンする音が聞こえて三菱化成ママは消え去った

翌日、化成ママの娘も消え去った

約束の場所にいつまでまっても来ない

なにがなんだかわからない

飯沼が講師をしていてつれていかれた神保町の日中学院でも消えていた

悶々の日々の果て

まさか、イエスの御霊教会へいってきけばあきらかになるであらうが、そこまでは行く気もしない

かの女神三姉妹、怒りの三姉妹、岩手の早池峰にも祀らているあれに因んだお名前がでてこないあ、ああ、沖ノ島

ああ、宗像さん、何年か先輩で、飯沼さんともども探検部で女は二人だけ

宗像女史曰く、うす笑いを浮かべて

消えてしまったものを追っかけてもはじまらない

忘れなさい、忘れなさい、どっかの養命酒おじさんみたいで・・

あとからつらつら考えるに

本人のお目目には適っても、

妄信する村井牧師の目にも、嵐が丘の化成狂信ママの目に適わなかったんだろね

それでよかったのだと

でもあれは強烈なる狂信への初めての出会い

理解ではありません、信ずるのです

信じ方によってはとんでもない方向にいくこともママある。

> これはのちほどのテーマか、石川淳の小説も薄汚い
>
> その薄汚い小説の中でも古書肆店頭の晒し本籠の100円本にして「千年王国」
>
> ごみ溜めを掘り起こして命をつなぐ薄汚いもんが最後にはキリストにみえてくる
>
> 分厚いその本の読後感のゲシュタルト
>
> そこまでいかんでも
>
> 日揮大手町本社会長室
>
> 当時の会長はもう名前もでてこぬボケ脳みそだが、志賀直哉の娘婿、東洋高圧だか三井化学だかにおったんが、日揮創立者の女系閨閥のご縁もあってか日揮に来て役員の階段を登って社長も女系閨閥の渡辺、渡辺銀行の異名もあった旧三和を大蔵官僚にして乗っ取った渡辺の息子に社長をゆずった
>
> その会長と社長にあわせてあげよう
>
> 若竹馨
>
> 横浜市役所の理事にしてみなとみらいMM21の推進者
>
> 第三セクターみなとみらいの社長はかの高木文雄
>
> 高木文雄から見れば番頭
>
> 若竹馨からみれば高木はお飾りにして客寄せパンダ、いざというときは官憲にも顔の利く番犬
>
> その若竹がのこのこと会長室に入ってきた薄汚れたよれよれの着物と靴
>
> 会長も社長も頭の天辺から靴の先までみるのは、かの霞が関高官秘書と同じ
>
> 人間ケミストリーという相性がある
>
> 薄汚れていてもその中身はぴかぴかということもある、面白さはソコだ
>
> だが、そのソコがみえなければケミストリー的に化合はなしない、お互い反発で終わる
>
> なんであんな男を連れてきたんだ
>
> おめえんとこの会長も社長もろくなもんぢゃない
>
> さういうことでは、本社移転をもくろむみなとみらいの底地も買えぬ
>
> 借地でもいい、自分で設計して自分の自社ビルを建てる
>
> さういうこともかなわず、他人が建てた貸しビルの幾許かを買い取る羽目になった
>
> いまの日揮のロゴが天辺にあるクイーンズタワー
>
> そんなもんなんだね
>
> 社長特命を命じる
>
> 発令はせんでちょうだい
>
> 人間も金もつける
>
> 人間はいらない、金だけ頂戴
>
> いくらつかってもいい、ぜひ特命を成し遂げてください
>
> これも、25年以上まえの日揮
>
> 凍星やこれよりロシアンルーレット
>
> のちょっと前か
>
> 最近、やっと現実になった
>
> ソニーとホンダの提携
>
> そもそもがソニーがリチウムイオン電池で躓く
>
> 関係のリソース、人材、設備、ノウハウ、特許まとめて買い取ってしまおう
>
> 買ってもソニーの二の舞ではまた躓く
>
> そこで躓くまえに、携帯なんぞの小物白物ぢゃなくて電気自動車、当時はハシリで試作車がえらく高額
>
> さうさう、EV四輪駆動でも世界最高加速を達成した電気自動車狂い、のちに慶応の教授におさまったか、名前がでてこぬ、あれもそばにいた
>
> ホンダはハイブリッドでトヨタに水をあけられ四苦八苦
>
> でもね、本業が順調ならば、そういう新規分野に身も入れんば金も入れんのは世の習い
>
> 日揮もホンダも
>
> 日揮ぢゃ、本業ハイドロカーボン、石油ガスプラント部門のあれやこれな箸にも棒にもかからんもんが足を引っ張る
>
> ホンダだって、従来の改良型ガソリン車や二輪車で快走
>
> もたもた足を引っ張られるなかで、もたもたした部下なんぞもっては身動きがでけん
>
> そういう前に、てめえに手中に他人の人生や運命が入ってくるのが耐え難い重荷
>
> その重荷がこよなく快感ちうむきもおる、かの福田淑造のように・・
>
> 上司も部下もかるがるとおのが出世のための使い捨て、捨て石、屍累々
>
> 上司も部下もいらん、いれば重荷、だれも殴らぬ、殺さぬ、でも死んでいくのか勝手、ともいえん。
>
> 話がまだ飛んでズレてきた
>
> > なんだあんな薄汚い小僧と結婚するのかね、雲泥の差だと思ってその発表を聞いていたことが間違いない
> >
> > 目は口ほどにものをいうんだね
> >
> > ずっと飛ぶ後程、遠い噂がきて彼女は身ごもったが、無学に蹴られて流産した、と
> >
> > やっぱり、ね
> >
> > 胸を掴まれようが、殴られようが、こちらから殴り返すこともないのはいつも同じだ
> >
> > かの、大学時代の助教授
> >
> > アラブ時代の川鉄物産シンガポール所長から三井海洋開発に来て、さらにAHI Arab Heavy Indutryにきたおっさんも殴り掛かってきた
> >
> > 殴りかけるように仕向けたのかもしれない
> >
> > 殴りかかられるままに薄笑いを浮かべて耐えている
> >
> > 結果論だが、みんなその後左遷された
> >
> > 別に某が左遷を仕組んでいるもんでない
> >
> > どっかで誰かがみているのね
> >
> > 堪忍袋の緒が切れて癇癪をおこしてもハルマゲドンはいけない
> >
> > 畢竟、自己を事故で亡くすようなもんだ
> >
> > 嗚呼、昼飯がきたぞ
> >
> > 高千穂に龍村仁がいた、ガイア交響曲のあれ、制作監督
> >
> > まずは、昼飯、なんだ、市販の寿司のパッケージ二つばかりか
> >
> >
> >
> >
> >
> >
> >
> >
> > > 弥生、いやさかに生う、老い茂る生も横溢
> > >
> > > ほーほけきょ、キョキョキョ
> > >
> > > もう笹鳴きも過ぎて、成鳥の充実した声が、洪水で流されて絡み合うままに枯れた蔦の河原に取り残されて緑茫々の一郭から聞こえてくる
> > >
> > > 田中さんちのこのベンチは鶯を愛でるには郭公なところなんだね
> > >
> > > 土手下を覗き込めば田中さんは中年女性と差し向いで深刻な面持ち
> > >
> > > もう鶯の合唱団
> > >
> > > ついこないだまでは如月、いきさらぐ、じっと命をひそめていきのびたいのちがさらぐ、新しい芽吹きか、そして弥生、いやさかに生きる
> > >
> > > そんなことも思いながら鶯を聴いて
> > >
> > > 暖かい朝の陽差しの中でパラパラとスパスパやって
> > >
> > > あれは獄中のアランであったか、はたまた石川淳であったか、ま、誰でもいうし、だれでもよい
> > >
> > > ぱらぱらと出会ったところから読め
> > >
> > > 最初から最後まで読み通すのは愚の骨頂
> > >
> > > とはいわんもぱらぱらよみもある
>
> 今朝の太陽の中のぱらぱら
>
> W.ジェイムス著 桝田啓三郎訳「宗教的経験の諸相」(上)
>
> そこに引用されているアウグスティヌスの「告白」の一節
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
>
> 私も私自身の欲望に従うよりも、あなたの愛に身をまかせるほうが善いことは確信してはいたが、・・・欲望に従うという道のほうが私を楽しませ、私をしばりつけて放さなかったのである。私の心の中には
>
> 『眠れる者よ、起きよ』
>
> というあなたの呼び声に答えるものがなにもなく、ただ、
>
> 『ただ今すぐに、はい、ただ今すぐに。すこし待って下さい』
>
> というものうげな眠けを誘うような言葉があるばかりであった。
>
> しかしこの
>
> 『ただ今すぐに』の『ただ今』はいつまでも来なかったし、
>
> また『すこし』はどんどん伸びて長くなった
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
>
> もうすこし、あとすこし 坂井泉水
>
> デリダの彷徨
>
> みんな似たようなもんだね
>
> 紀元386年も2020年も
>
> ちょとこれぢゃあまりに不味い市販の寿司2パッケージ
>
> 『はい、ただ今』
>
> 『すぐに!』
>
> 『すこし待って下さい』
>
> がらがらと玄関を開けて
>
> 「ただ今」
>
> と母の元へ帰ったあのころが懐かしい
>
>
>
> > > ぱらぱらよみは、うん、これを書いていて今気がついたんぢゃが、気づきも多いね、書けば、喋れば
> > >
> > > 一日中喋らないことも多くなった昨今、こういう場で喋るように書くことはこの太陽の光を浴びているように気持ちのいいものだ
> > >
> > > すぱすぱやっていると、過去の情景や人物が次から次へと浮かんでくる
> > >
> > > さすれば、そういうものをいちいちノートに書きとって、また、忘れないようにする
> > >
> > > さうでもせんば、、老いて惚けかかった脳みそではどんどん底抜けの深層に情景も人物ももぐりこんで一斉が混沌
> > >
> > > で、記憶も今現在、「経歴」も同じことか
> > >
> > > すぱすぱぱらぱら
> > >
> > > その浮かび上がったものをすぱすぱぱらぱら
> > >
> > > 光見えたるうちに撃て
> > >
> > > 撃たんとも光はおのずとすぱすぱらぱら
> > >
> > > 一個の人物、一冊の書
> > >
> > > 一冊の書を最初から最後まで読み通す、それは著者に振り回されことにもなる
> > >
> > > 著者がそれこそ素晴らしい世界樹をもっていたとしても、だうでもよい、あるいは、くだらぬ側面もある、そのどうでもええもんも永久にどうでもええもんではなくいつか世界樹になる芽吹きの契機かもしらんが、いまはだうでもええ、ぐだらんもん、そういうもんにも蔦のようにからまれて著者のペースに巻き込まれる
> > >
> > > 人の一個の叙景でも同じこと
> > >
> > > 良い面もあれば悪い面もある、それを糾える縄のごとく叙述して味わってみるのも、また一興かもしれんが、所詮、己が見えたるとこだけにして、見えぬところのほうが多い
> > >
> > > それはまた己自身、汝自身にもあらうし、聖と俗にもあらう
> > >
> > > さすれ、すぱすぱらぱらと出たとこ勝負
> > >
> > > それとさしたるかわりはない
> > >
> > > 一貫も偶然も所詮は同じ
> > >
> > > 聖は性
> > >
> > > 性は聖
> > >
> > > 性にしたって聖も俗もある、聖而して俗か、あるいは聖から俗まで多相なのか
> > >
> > > 聖にしたって聖も俗もある、聖而して俗か、あるいは聖から俗まで多相なのか
> > >
> > > 俗にしたって聖も俗もある、俗而して聖か、あるいは俗から聖まで多相なのか
> > >
> > > それはなりませぬ
> > >
> > > 聖を信じねばならませぬ
> > >
> > > 相対化して考えてはいけませぬ
> > >
> > > 絶対化こそ信仰なのです
> > >
> > > さすれば、
> > >
> > > 聖にして信仰
> > >
> > > 俗にして信仰
> > >
> > > はたまた信仰とすら思っていない
> > >
> > > 俗にとっては聖は世迷いごと
> > >
> > > 聖にとっては俗はまことに汚猥の極
> > >
> > > そういう言い方が自分の身に引き受けていない第三者の無責任さなのです
> > >
> > > この声はどこから聞こえてくるんであらうか?
> > >
> > > 燦燦と降り注ぐ太陽の光の中で光源が渦を巻く
> > >
> > >

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54855] 「ただ今」 と母の元へ帰ったあのころが懐かしいRe:[54854] なんだ、市販の寿司のパッケージ二つばかりかRe:[54853] 燦燦と降り注ぐ太陽の光の中で光源が渦を巻く 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/03/14(Mon) 14:15  

> > あふちもゆANNEX−Ω   訪問者数:11761378(今日:437/昨日:908)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/03/14(Mon) 09:07 先勝(丙寅) 旧暦 2/12 月齢 11.4

どうも云おうとしていることは、初っ端に浮かんできたことと、どんどん離れてどうもええことに展開していく

あたかも一個の記事も一個の人生めいて所詮もおなじか

> 危ち、あちち燃湯。萌ゆ。どっちなんだろね
>
> いもづる、いもづる、芋も出づる、胃も攣る
>
> 高千穂の町で唯一か、とあるスナック、薄暗い燈火の下で賑やかにみんなが飲み食い喋っている
>
> 突然飛び掛かられた
>
> 無学
>
> てめえなんぞ、簀巻きにしてこの川底に投げ込んでやる
>
> 女衆が一斉に退いた
>
> やがて警察が来た
>
> 無学に尋問が及んだ
>
> 簀巻きにもされんで、川底に投げ込まれなかったゆえか
>
> 一件落着
>
> 無学ちうのんは建長寺で得度した禅僧なんだそうだ

禅を修行しようが得度しようが、哲学や思想で人間を鍛錬し教授にならうが、景色はみんな一緒だね

> 高千穂林間大学設立記念パーティ
>
> あの過疎地帯に廃屋と化す、ありは寸前の空き家、といっても百年、数百年の歳月風雪に耐えてきた立派な建物が林間に沢山ある
>
> それをつかって、過疎地帯の活性化とともに地球環境考える講座を開設して高千穂林間大学
>
> 多士済々
>
> 飛行機が大分空港についた
>
> 発起人のホテルオークラ前の高級外人用テラスで禿茶瓶の毛生えコンサルタントで名をあげマスコミにも登場し、禿コンサルのルーツの漢方薬局を一番町の谷底にかまえ、それというのもアルプスから滑落し、そのショックで頭髪が全部抜け、そのショックが契機となり、禿を治すクスリから心霊法までを習得しいまや押しも押されぬ禿治療の第一人者の彼女は彼女なりの美貌もあり、多くの財界官界政界の著名人を顧客に抱えていた
>
> その発起人のよこに薄汚い坊主が一人、続々と到着する多士済々をバスに案内する
>
> そのバスが到着したのが、この薄暗い燈火のスナック
>
> 多士済々それぞれに自己紹介をはじめた
>
> それが終わったところで、無学が飛び掛かってきた
>
> 目つきが悪い
>
> なんだあれは空港では挨拶もせんで、みんな挨拶をしたんにおめえ一人だ、にらみつけやがって
>
> なんだあれは、俺がしゃっべているときせせら笑うような目つきで見て、云々
>
> 俺はこの女の亭主なんだぞ、俺たちの結婚披露なんだぞ、とはいわんも、著名禿コンサルが結婚すると云う発表会でもあった

あんないい女がなんでこんな小坊主と結婚する、したのか今でも謎で不思議だ

薄汚い小坊主

薄汚いのは無学の場合は着ているものも薄汚いがその着物を剝いでみたところでも薄汚いし目つきも薄汚い

これはのちほどのテーマか、石川淳の小説も薄汚い

その薄汚い小説の中でも古書肆店頭の晒し本籠の100円本にして「千年王国」

ごみ溜めを掘り起こして命をつなぐ薄汚いもんが最後にはキリストにみえてくる

分厚いその本の読後感のゲシュタルト

そこまでいかんでも

日揮大手町本社会長室

当時の会長はもう名前もでてこぬボケ脳みそだが、志賀直哉の娘婿、東洋高圧だか三井化学だかにおったんが、日揮創立者の女系閨閥のご縁もあってか日揮に来て役員の階段を登って社長も女系閨閥の渡辺、渡辺銀行の異名もあった旧三和を大蔵官僚にして乗っ取った渡辺の息子に社長をゆずった

その会長と社長にあわせてあげよう

若竹馨

横浜市役所の理事にしてみなとみらいMM21の推進者

第三セクターみなとみらいの社長はかの高木文雄

高木文雄から見れば番頭

若竹馨からみれば高木はお飾りにして客寄せパンダ、いざというときは官憲にも顔の利く番犬

その若竹がのこのこと会長室に入ってきた薄汚れたよれよれの着物と靴

会長も社長も頭の天辺から靴の先までみるのは、かの霞が関高官秘書と同じ

人間ケミストリーという相性がある

薄汚れていてもその中身はぴかぴかということもある、面白さはソコだ

だが、そのソコがみえなければケミストリー的に化合はなしない、お互い反発で終わる

なんであんな男を連れてきたんだ

おめえんとこの会長も社長もろくなもんぢゃない

さういうことでは、本社移転をもくろむみなとみらいの底地も買えぬ

借地でもいい、自分で設計して自分の自社ビルを建てる

さういうこともかなわず、他人が建てた貸しビルの幾許かを買い取る羽目になった

いまの日揮のロゴが天辺にあるクイーンズタワー

そんなもんなんだね

社長特命を命じる

発令はせんでちょうだい

人間も金もつける

人間はいらない、金だけ頂戴

いくらつかってもいい、ぜひ特命を成し遂げてください

これも、25年以上まえの日揮

凍星やこれよりロシアンルーレット

のちょっと前か

最近、やっと現実になった

ソニーとホンダの提携

そもそもがソニーがリチウムイオン電池で躓く

関係のリソース、人材、設備、ノウハウ、特許まとめて買い取ってしまおう

買ってもソニーの二の舞ではまた躓く

そこで躓くまえに、携帯なんぞの小物白物ぢゃなくて電気自動車、当時はハシリで試作車がえらく高額

さうさう、EV四輪駆動でも世界最高加速を達成した電気自動車狂い、のちに慶応の教授におさまったか、名前がでてこぬ、あれもそばにいた

ホンダはハイブリッドでトヨタに水をあけられ四苦八苦

でもね、本業が順調ならば、そういう新規分野に身も入れんば金も入れんのは世の習い

日揮もホンダも

日揮ぢゃ、本業ハイドロカーボン、石油ガスプラント部門のあれやこれな箸にも棒にもかからんもんが足を引っ張る

ホンダだって、従来の改良型ガソリン車や二輪車で快走

もたもた足を引っ張られるなかで、もたもたした部下なんぞもっては身動きがでけん

そういう前に、てめえに手中に他人の人生や運命が入ってくるのが耐え難い重荷

その重荷がこよなく快感ちうむきもおる、かの福田淑造のように・・

上司も部下もかるがるとおのが出世のための使い捨て、捨て石、屍累々

上司も部下もいらん、いれば重荷、だれも殴らぬ、殺さぬ、でも死んでいくのか勝手、ともいえん。

話がまだ飛んでズレてきた

> なんだあんな薄汚い小僧と結婚するのかね、雲泥の差だと思ってその発表を聞いていたことが間違いない
>
> 目は口ほどにものをいうんだね
>
> ずっと飛ぶ後程、遠い噂がきて彼女は身ごもったが、無学に蹴られて流産した、と
>
> やっぱり、ね
>
> 胸を掴まれようが、殴られようが、こちらから殴り返すこともないのはいつも同じだ
>
> かの、大学時代の助教授
>
> アラブ時代の川鉄物産シンガポール所長から三井海洋開発に来て、さらにAHI Arab Heavy Indutryにきたおっさんも殴り掛かってきた
>
> 殴りかけるように仕向けたのかもしれない
>
> 殴りかかられるままに薄笑いを浮かべて耐えている
>
> 結果論だが、みんなその後左遷された
>
> 別に某が左遷を仕組んでいるもんでない
>
> どっかで誰かがみているのね
>
> 堪忍袋の緒が切れて癇癪をおこしてもハルマゲドンはいけない
>
> 畢竟、自己を事故で亡くすようなもんだ
>
> 嗚呼、昼飯がきたぞ
>
> 高千穂に龍村仁がいた、ガイア交響曲のあれ、制作監督
>
> まずは、昼飯、なんだ、市販の寿司のパッケージ二つばかりか
>
>
>
>
>
>
>
>
> > 弥生、いやさかに生う、老い茂る生も横溢
> >
> > ほーほけきょ、キョキョキョ
> >
> > もう笹鳴きも過ぎて、成鳥の充実した声が、洪水で流されて絡み合うままに枯れた蔦の河原に取り残されて緑茫々の一郭から聞こえてくる
> >
> > 田中さんちのこのベンチは鶯を愛でるには郭公なところなんだね
> >
> > 土手下を覗き込めば田中さんは中年女性と差し向いで深刻な面持ち
> >
> > もう鶯の合唱団
> >
> > ついこないだまでは如月、いきさらぐ、じっと命をひそめていきのびたいのちがさらぐ、新しい芽吹きか、そして弥生、いやさかに生きる
> >
> > そんなことも思いながら鶯を聴いて
> >
> > 暖かい朝の陽差しの中でパラパラとスパスパやって
> >
> > あれは獄中のアランであったか、はたまた石川淳であったか、ま、誰でもいうし、だれでもよい
> >
> > ぱらぱらと出会ったところから読め
> >
> > 最初から最後まで読み通すのは愚の骨頂
> >
> > とはいわんもぱらぱらよみもある

今朝の太陽の中のぱらぱら

W.ジェイムス著 桝田啓三郎訳「宗教的経験の諸相」(上)

そこに引用されているアウグスティヌスの「告白」の一節

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

私も私自身の欲望に従うよりも、あなたの愛に身をまかせるほうが善いことは確信してはいたが、・・・欲望に従うという道のほうが私を楽しませ、私をしばりつけて放さなかったのである。私の心の中には

『眠れる者よ、起きよ』

というあなたの呼び声に答えるものがなにもなく、ただ、

『ただ今すぐに、はい、ただ今すぐに。すこし待って下さい』

というものうげな眠けを誘うような言葉があるばかりであった。

しかしこの

『ただ今すぐに』の『ただ今』はいつまでも来なかったし、

また『すこし』はどんどん伸びて長くなった

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

もうすこし、あとすこし 坂井泉水

デリダの彷徨

みんな似たようなもんだね

紀元386年も2020年も

ちょとこれぢゃあまりに不味い市販の寿司2パッケージ

『はい、ただ今』

『すぐに!』

『すこし待って下さい』

がらがらと玄関を開けて

「ただ今」

と母の元へ帰ったあのころが懐かしい



> > ぱらぱらよみは、うん、これを書いていて今気がついたんぢゃが、気づきも多いね、書けば、喋れば
> >
> > 一日中喋らないことも多くなった昨今、こういう場で喋るように書くことはこの太陽の光を浴びているように気持ちのいいものだ
> >
> > すぱすぱやっていると、過去の情景や人物が次から次へと浮かんでくる
> >
> > さすれば、そういうものをいちいちノートに書きとって、また、忘れないようにする
> >
> > さうでもせんば、、老いて惚けかかった脳みそではどんどん底抜けの深層に情景も人物ももぐりこんで一斉が混沌
> >
> > で、記憶も今現在、「経歴」も同じことか
> >
> > すぱすぱぱらぱら
> >
> > その浮かび上がったものをすぱすぱぱらぱら
> >
> > 光見えたるうちに撃て
> >
> > 撃たんとも光はおのずとすぱすぱらぱら
> >
> > 一個の人物、一冊の書
> >
> > 一冊の書を最初から最後まで読み通す、それは著者に振り回されことにもなる
> >
> > 著者がそれこそ素晴らしい世界樹をもっていたとしても、だうでもよい、あるいは、くだらぬ側面もある、そのどうでもええもんも永久にどうでもええもんではなくいつか世界樹になる芽吹きの契機かもしらんが、いまはだうでもええ、ぐだらんもん、そういうもんにも蔦のようにからまれて著者のペースに巻き込まれる
> >
> > 人の一個の叙景でも同じこと
> >
> > 良い面もあれば悪い面もある、それを糾える縄のごとく叙述して味わってみるのも、また一興かもしれんが、所詮、己が見えたるとこだけにして、見えぬところのほうが多い
> >
> > それはまた己自身、汝自身にもあらうし、聖と俗にもあらう
> >
> > さすれ、すぱすぱらぱらと出たとこ勝負
> >
> > それとさしたるかわりはない
> >
> > 一貫も偶然も所詮は同じ
> >
> > 聖は性
> >
> > 性は聖
> >
> > 性にしたって聖も俗もある、聖而して俗か、あるいは聖から俗まで多相なのか
> >
> > 聖にしたって聖も俗もある、聖而して俗か、あるいは聖から俗まで多相なのか
> >
> > 俗にしたって聖も俗もある、俗而して聖か、あるいは俗から聖まで多相なのか
> >
> > それはなりませぬ
> >
> > 聖を信じねばならませぬ
> >
> > 相対化して考えてはいけませぬ
> >
> > 絶対化こそ信仰なのです
> >
> > さすれば、
> >
> > 聖にして信仰
> >
> > 俗にして信仰
> >
> > はたまた信仰とすら思っていない
> >
> > 俗にとっては聖は世迷いごと
> >
> > 聖にとっては俗はまことに汚猥の極
> >
> > そういう言い方が自分の身に引き受けていない第三者の無責任さなのです
> >
> > この声はどこから聞こえてくるんであらうか?
> >
> > 燦燦と降り注ぐ太陽の光の中で光源が渦を巻く
> >
> >

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54854] なんだ、市販の寿司のパッケージ二つばかりかRe:[54853] 燦燦と降り注ぐ太陽の光の中で光源が渦を巻く 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/03/14(Mon) 12:14  

> あふちもゆANNEX−Ω   訪問者数:11761378(今日:437/昨日:908)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/03/14(Mon) 09:07 先勝(丙寅) 旧暦 2/12 月齢 11.4

危ち、あちち燃湯。萌ゆ。どっちなんだろね

いもづる、いもづる、芋も出づる、胃も攣る

高千穂の町で唯一か、とあるスナック、薄暗い燈火の下で賑やかにみんなが飲み食い喋っている

突然飛び掛かれた

無学

てめえなんぞ、簀巻きにしてこの川底に投げ込んでやる

女衆が一斉に退いた

やがて警察が来た

無学に尋問が及んだ

簀巻きにもされんで、川底に投げ込まれなかったゆえか

一件落着

無学ちうのんは建長寺で得度した禅僧なんだそうだ

高千穂林間大学設立記念パーティ

あの過疎地帯に廃屋と化す、ありは寸前の空き家、といっても百年、数百年の歳月風雪に耐えてきた立派な建物が林間に沢山ある

それをつかって、過疎地帯の活性化とともに地球環境考える講座を開設して高千穂林間大学

多士済々

飛行機が大分空港についた

発起人のホテルオークラ前の高級外人用テラスで禿茶瓶の毛生えコンサルタントで名をあげマスコミにも登場し、禿コンサルのルーツの漢方薬局を一番町の谷底にかまえ、それというのもアルプスから滑落し、そのショックで頭髪が全部抜け、そのショックが契機となり、禿を治すクスリから心霊法までを習得しいまや押しも押されぬ禿治療の第一人者の彼女は彼女なりの美貌もあり、多くの財界官界政界の著名人を顧客に抱えていた

その発起人のよこに薄汚い坊主が一人、続々と到着する多士済々をバスに案内する

そのバスが到着したのが、この薄暗い燈火のスナック

多士済々それぞれに自己紹介をはじめた

それが終わったところで、無学が飛び掛かってきた

目つきが悪い

なんだあれは空港では挨拶もせんで、みんな挨拶をしたんにおめえ一人だ、にらみつけやがって

なんだあれは、俺がしゃっべているときせせら笑うような目つきで見て、云々

俺はこの女の亭主なんだぞ、俺たちの結婚披露なんだぞ、とはいわんも、著名禿コンサルが結婚すると云う発表会でもあった

なんだあんな薄汚い小僧と結婚するのかね、雲泥の差だと思ってその発表を聞いていたことが間違いない

目は口ほどにものをいうんだね

ずっと飛ぶ後程、遠い噂がきて彼女は身ごもったが、無学に蹴られて流産した、と

やっぱり、ね

胸を掴まれようが、殴られようが、こちらから殴り返すこともないのはいつも同じだ

かの、大学時代の助教授

アラブ時代の川鉄物産シンガポール所長から三井海洋開発に来て、さらにAHI Arab Heavy Indutryにきたおっさんも殴り掛かってきた

殴りかけるように仕向けたのかもしれない

殴りかかられるままに薄笑いを浮かべて耐えている

結果論だが、みんなその後左遷された

別に某が左遷を仕組んでいるもんでない

どっかで誰かがみているのね

堪忍袋の緒が切れて癇癪をおこしてもハルマゲドンはいけない

畢竟、自己を事故で亡くすようなもんだ

嗚呼、昼飯がきたぞ

高千穂に龍村仁がいた、ガイア交響曲のあれ、制作監督

まずは、昼飯、なんだ、市販の寿司のパッケージ二つばかりか








> 弥生、いやさかに生う、老い茂る生も横溢
>
> ほーほけきょ、キョキョキョ
>
> もう笹鳴きも過ぎて、成鳥の充実した声が、洪水で流されて絡み合うままに枯れた蔦の河原に取り残されて緑茫々の一郭から聞こえてくる
>
> 田中さんちのこのベンチは鶯を愛でるには郭公なところなんだね
>
> 土手下を覗き込めば田中さんは中年女性と差し向いで深刻な面持ち
>
> もう鶯の合唱団
>
> ついこないだまでは如月、いきさらぐ、じっと命をひそめていきのびたいのちがさらぐ、新しい芽吹きか、そして弥生、いやさかに生きる
>
> そんなことも思いながら鶯を聴いて
>
> 暖かい朝の陽差しの中でパラパラとスパスパやって
>
> あれは獄中のアランであったか、はたまた石川淳であったか、ま、誰でもいうし、だれでもよい
>
> ぱらぱらと出会ったところから読め
>
> 最初から最後まで読み通すのは愚の骨頂
>
> とはいわんもぱらぱらよみもある
>
> ぱらぱらよみは、うん、これを書いていて今気がついたんぢゃが、気づきも多いね、書けば、喋れば
>
> 一日中喋らないことも多くなった昨今、こういう場で喋るように書くことはこの太陽の光を浴びているように気持ちのいいものだ
>
> すぱすぱやっていると、過去の情景や人物が次から次へと浮かんでくる
>
> さすれば、そういうものをいちいちノートに書きとって、また、忘れないようにする
>
> さうでもせんば、、老いて惚けかかった脳みそではどんどん底抜けの深層に情景も人物ももぐりこんで一斉が混沌
>
> で、記憶も今現在、「経歴」も同じことか
>
> すぱすぱぱらぱら
>
> その浮かび上がったものをすぱすぱぱらぱら
>
> 光見えたるうちに撃て
>
> 撃たんとも光はおのずとすぱすぱらぱら
>
> 一個の人物、一冊の書
>
> 一冊の書を最初から最後まで読み通す、それは著者に振り回されことにもなる
>
> 著者がそれこそ素晴らしい世界樹をもっていたとしても、だうでもよい、あるいは、くだらぬ側面もある、そのどうでもええもんも永久にどうでもええもんではなくいつか世界樹になる芽吹きの契機かもしらんが、いまはだうでもええ、ぐだらんもん、そういうもんにも蔦のようにからまれて著者のペースに巻き込まれる
>
> 人の一個の叙景でも同じこと
>
> 良い面もあれば悪い面もある、それを糾える縄のごとく叙述して味わってみるのも、また一興かもしれんが、所詮、己が見えたるとこだけにして、見えぬところのほうが多い
>
> それはまた己自身、汝自身にもあらうし、聖と俗にもあらう
>
> さすれ、すぱすぱらぱらと出たとこ勝負
>
> それとさしたるかわりはない
>
> 一貫も偶然も所詮は同じ
>
> 聖は性
>
> 性は聖
>
> 性にしたって聖も俗もある、聖而して俗か、あるいは聖から俗まで多相なのか
>
> 聖にしたって聖も俗もある、聖而して俗か、あるいは聖から俗まで多相なのか
>
> 俗にしたって聖も俗もある、俗而して聖か、あるいは俗から聖まで多相なのか
>
> それはなりませぬ
>
> 聖を信じねばならませぬ
>
> 相対化して考えてはいけませぬ
>
> 絶対化こそ信仰なのです
>
> さすれば、
>
> 聖にして信仰
>
> 俗にして信仰
>
> はたまた信仰とすら思っていない
>
> 俗にとっては聖は世迷いごと
>
> 聖にとっては俗はまことに汚猥の極
>
> そういう言い方が自分の身に引き受けていない第三者の無責任さなのです
>
> この声はどこから聞こえてくるんであらうか?
>
> 燦燦と降り注ぐ太陽の光の中で光源が渦を巻く
>
>

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54853] 燦燦と降り注ぐ太陽の光の中で光源が渦を巻く 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/03/14(Mon) 10:22  

あふちもゆANNEX−Ω   訪問者数:11761378(今日:437/昨日:908)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/03/14(Mon) 09:07 先勝(丙寅) 旧暦 2/12 月齢 11.4 危ち、あちち燃湯。萌ゆ。どっちなんだろね


弥生ももう半ばにして昨日は8日ぶりに自転車でデローザネオプリマートバティックの骨董品、レコード9s刻印入り、48kmを平均時速20km/hだから、もう一年まえに比べて短くのろい、呪いにかかったようにのろい、クロスバイクな初心者へなへなが抜き去っていくのも屁とぜず、この年ならばもう若者中年に伍して走ることもなければ、16号線で滝山を越えて、そうそうあの峠の頂上に建つ幽霊のような病人がふらふらと出てくるあの幽霊屋敷病院も、今や高齢化社会であぶく銭をしこたまつっこんでアールデコの宮殿めかしたリハビリ病院に衣替え、喜多八にいくつくと支度中、夜に宴会が入っていて仕込みで忙しいのよ、せっかくお越しいただいたのにすみません、御慶、客足もだんだんもどってきているのね、八王子駅前佐藤書房、今日は何キロ?ま、30kmくらいなもんかと、見やればネットで買った3500円のクロオデル本が110円、いったいどうなっているんぢゃと、エリアーデはないか?あるよと4冊ほど、立派ですねえ、うちの私立図書館じゃ1冊もなくて取り寄せるに1か月以上もかかった、とはいえ、好みのもんではなくやむなくまた峠を越えて多摩川土手

弥生、いやさかに生う、老い茂る生も横溢

ほーほけきょ、キョキョキョ

もう笹鳴きも過ぎて、成鳥の充実した声が、洪水で流されて絡み合うままに枯れた蔦の河原に取り残されて緑茫々の一郭から聞こえてくる

田中さんちのこのベンチは鶯を愛でるには郭公なところなんだね

土手下を覗き込めば田中さんは中年女性と差し向いで深刻な面持ち

もう鶯の合唱団

ついこないだまでは如月、いきさらぐ、じっと命をひそめていきのびたいのちがさらぐ、新しい芽吹きか、そして弥生、いやさかに生きる

そんなことも思いながら鶯を聴いて

暖かい朝の陽差しの中でパラパラとスパスパやって

あれは獄中のアランであったか、はたまた石川淳であったか、ま、誰でもいうし、だれでもよい

ぱらぱらと出会ったところから読め

最初から最後まで読み通すのは愚の骨頂

とはいわんもぱらぱらよみもある

ぱらぱらよみは、うん、これを書いていて今気がついたんぢゃが、気づきも多いね、書けば、喋れば

一日中喋らないことも多くなった昨今、こういう場で喋るように書くことはこの太陽の光を浴びているように気持ちのいいものだ

すぱすぱやっていると、過去の情景や人物が次から次へと浮かんでくる

さすれば、そういうものをいちいちノートに書きとって、また、忘れないようにする

さうでもせんば、、老いて惚けかかった脳みそではどんどん底抜けの深層に情景も人物ももぐりこんで一斉が混沌

で、記憶も今現在、「経歴」も同じことか

すぱすぱぱらぱら

その浮かび上がったものをすぱすぱぱらぱら

光見えたるうちに撃て

撃たんとも光はおのずとすぱすぱらぱら

一個の人物、一冊の書

一冊の書を最初から最後まで読み通す、それは著者に振り回されことにもなる

著者がそれこそ素晴らしい世界樹をもっていたとしても、だうでもよい、あるいは、くだらぬ側面もある、そのどうでもええもんも永久にどうでもええもんではなくいつか世界樹になる芽吹きの契機かもしらんが、いまはだうでもええ、ぐだらんもん、そういうもんにも蔦のようにからまれて著者のペースに巻き込まれる

人の一個の叙景でも同じこと

良い面もあれば悪い面もある、それを糾える縄のごとく叙述して味わってみるのも、また一興かもしれんが、所詮、己が見えたるとこだけにして、見えぬところのほうが多い

それはまた己自身、汝自身にもあらうし、聖と俗にもあらう

さすれ、すぱすぱらぱらと出たとこ勝負

それとさしたるかわりはない

一貫も偶然も所詮は同じ

聖は性

性は聖

性にしたって聖も俗もある、聖而して俗か、あるいは聖から俗まで多相なのか

聖にしたって聖も俗もある、聖而して俗か、あるいは聖から俗まで多相なのか

俗にしたって聖も俗もある、俗而して聖か、あるいは俗から聖まで多相なのか

それはなりませぬ

聖を信じねばならませぬ

相対化して考えてはいけませぬ

絶対化こそ信仰なのです

さすれば、

聖にして信仰

俗にして信仰

はたまた信仰とすら思っていない

俗にとっては聖は世迷いごと

聖にとっては俗はまことに汚猥の極

そういう言い方が自分の身に引き受けていない第三者の無責任さなのです

この声はどこから聞こえてくるんであらうか?

燦燦と降り注ぐ太陽の光の中で光源が渦を巻く

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54852] 凍星やこれよりロシアンルーレット 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/03/13(Sun) 11:51  

凍星やこれよりロシアンルーレット 梵

これは三橋句会の狼群、といっても殆どが雌狼であったが、そに参入したてのころの東電八王子支社にてかれこれ20年前くらいの句であろうか

ご婦人がほとんどのせいもあって、とったのは三橋唯一人

それも句評の段になってこの句が特選

貴婦人がたががやがや

ロシアンルーレットって?

凍星とロシアが付きすぎかとおもっていたが、そんなふうもなく

ロシアンルーレットというのは、回転式リボルバー拳銃がルーレット

ラスベガスのルーレットならお金を賭ける

ロシアンルーレットでは命を懸ける

決闘ぢゃないのよ、自分に自分を賭ける

空の弾倉、丁度蓮を切ったように穴が沢山ある弾倉に一発だけ、あるいは半分、あるいは全部-1発だけ弾をこめる

これを回転して自分のコメカミに当て

引金を引く

弾の入っている弾倉がたまたま銃身、筒の部分、弾が飛び出す部分にきていれば自分のコメカミを弾丸が貫く

弾丸が入ってない弾倉のところで引金を引けば空撃ち

実弾の入った弾倉が銃身に重なるか否か、これがルーレットの賭け

そういう弾倉をカラカラと回す

凍星の瞬く天を仰いでコメカミに銃身をあてる

「これより」がミソで、イニシエーション

凍星はあたかも銃弾のごとく夜空に煌めき

弾倉の回転音はあたかも凍星の降り来る光の音のごとく

運命の試し時、運命の一発、覚悟

だから、これは冬のロシアの黙示録としては

プーチンのウクライナへのハルマゲドン

プーチンのロシアンルーレット

外に向けるか

内に向けるか

そういうロシア的なものなのね

わかった?

ぐだぐだ説明せんでもわかるもんにゃあ、わかる

山口洋平

立高3年間一緒にして京大工学部出のジャズ喫茶オーナー

のちに大転回して技術士資格多数を取得し、

高野山道路など護摩壇山、竜神温泉までをつくり

金剛三昧院はじめよく一緒に高野山およびその周辺の聖地巡りをなした

栂正隆、平田精耕 石川綴の石川社長ら天龍寺系綺羅星諸氏との縁をも結んでくれた

心臓ステントがロシアンルーレットに化したか

父が倒れて救急車にのせ、そのあとを追っているときに訃報が来た

その直前であったか、虫の知らせというのか

長年の無沙汰の末にメール連絡をいれたら

すぐ奥様と並んで逆さまの画像つきのメール返事がきて

そこに丸山ワクチンの件では世話になった云々のその最後に

凍星やこれよりロシアンルーレット

とあった

泣けた。






やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54851] 高々たる山頂に立って、千峰万峰を足下に見はるかす人。Re:[54846] いくら日常言語的な経歴があろうが経歴(きょうりゃく)の貧弱なもんは美味しくもないし栄養にもならぬ 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/03/12(Sat) 21:41  

夕方にふらつきながら図書館にいって取り戻してきた

ここに写して残しておくに足る名文であろう

井筒の「経歴」にして道元の「経歴」と「有時」


> してちやしANNEX−Ω   訪問者数:11755934(今日:367/昨日:1627) 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/10(thu) 16:50 先負(壬戌) 旧暦 2/8 月齢 7.4 上弦
>
> 今朝はなぜか「経歴」を思い出しだ
>
> 道元の言葉で「きょうりゃく」と読む
>
> 「意識と本質」などをめくってみたが見当たらない
>
> だいたいが、レ点や線引きが多くキーワードとか己が想念を欄外に書き出す
>
> そういう落書きがあれば捜し易いのだが、20年前のレ点と線引では探すのも大変
>
> そこでの〜みそをかき回し
>
> ああ、そうだ、あの時にその興に駆られて友人にメールを送ったはずだ
>
> そのメール2022/02/09,Wed 11:39がこれ↓
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
>
> 経歴の日々好日にして如月
>
> 今朝は面白い言葉にであった
>
> 道元の「経歴」すなわち「きょうりゃく」と読む
>
> 華厳的な一即多、多即一の一個の宝珠の「けいりゃく」に映り込む過去現在東西南北自他万象が燦然と輝を放つ
>
> これは井筒の「コスモスとアンチコスモス」U創造不断の章、文庫本の200ページ目前後の記述に詳しい

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

高々たる山頂に立って、千峰万峰を足下に見はるかす人。

山と山との間に時間的先後はない。

この山頂に辿りつくまでの日々、昨日はあの山を越えた、今日はこの山を越えている。

昨日の山は先、今日の山は後。

しかし、ひときわ高く聳え立つ山の頂から全景を鳥瞰するこの人にとっては、山々の日付けはなくなっている。

あともさきもない。

全ての山が彼から――彼の「我」から――等距離にある。

非時間的「同時開顕」の茫洋たる空間だ。

・・・・・

道元の説く「有時」にも、まさにこういう二面がある。

「飛去」的側面と不「飛去」的側面と。

互いに矛盾するこの二面を一に合わせたところに、「有時」の「経歴」を道元は見る。

根源的非時間的マンダラの、経験的存在次元における時間的展開としての、それが「有時」のあり方なのである。


根源的非時間マンダラが、そのすべてを挙げて、刻々に時間フィールドとして、現成していく。

根源的非時間マンダラの中心点は「空」だった。

これに対して

非時間マンダラの現象的展開形態としての時間フィールドの中心点は「我」。

これら二つの中心点相互のあいだには緊密な照応関係がある。

と言うより、

二つは、それぞれの機能次元を異にするだけで、本源的には一つのものである。

非時間マンダラの中心点が、そのまま時間的展開の次元において、「我」として働くのだ。


道元が、「わが有時」という表現を使っていることに、深い意味を読み取らなくてはならない。

「有時」「経歴」の中心に、「我」を置く。

ここに至って、道元の「創造不断」的時間論は、思想的独創性の深みを窮めるのである。


この「我」はどういうわれであるのか、については、古来、注釈者ののあいだに諸説がある。

大我、宇宙的われ、「本来の面目」のことだという人もあれば、経験的意識主体としての個我であると言う人もある。

だが、実は、それほど問題にする必要のないことなのではあるまいか、と私は思う。

もし「有時」が、上来説明してきたような内容をもつものであるならば、その「有時」を刻々に「経歴」せしめる中心軸としての「我」は、

生滅流転の世界に生きる経験的、現象的主体でなければならない

と同時に、また、

万象「同時炳現」の非時間的マンダラを、寂然不動の相において観察する形而上的主体でもなければならない。

「心真如門」と「心消滅門」との相矛盾する二面を一にする『大乗起信論』の一心のように。

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

ふりがな文庫 “炳現”の読み方と例文
一心法界の海に森羅万象が映って一時に炳現すると観るのである。そこに一切法の縁起の無尽があり、事々の無礙がある。

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

> このたび20年ぶりに井筒を読み始めて思うことは、これはまことに言語における交響曲
>
> 井筒はこの壮大なるオーケストラのしつらえ、マーラーの巨大なる管弦打楽器をはるかに凌駕したしつらえの中で
>
> 奏でるメロディー、哲学的構造化の波濤の間に間に鬼籍の巨人まで動員せしめて歌わせる独唱あるいは大合唱
>
> この大いなるオーケストラ合唱団を率いて指揮棒を振う井筒
>
> 構造化のメロディーの楽譜は井筒の脳中にあり、そこに歌われる詩や言葉は構造化の閃きに応じて縦横無尽に呼び出されるペルシャ・ユダヤ・ギリシャ・アラブ・インド・中國・日本などの巨人の群れからの、その一即多、多即一の歌声
>
> まことにこんな面白いもんはなく
>
> わが駄眩妄眩の類も「経歴」にして「きょくりゃく」か
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
>
> この宛先の友人が井筒の存在を教えてくれた
>
> それもわが経歴(きょうりゃく)にして恵まれた
>
> 偉大なる叙事詩にして交響曲、そんな哲学書がかつてあっただろうか
>
> 20年前に齧りだしたときは、もう、その分かりにくい述語も抵抗になってまことに頭が痛い
>
> 痛さを押して読了したのは、そこに比較的なじみやすい俳句のこと、禅語のこと、わが経歴において大部を占めるアラブのことなどに轢かれて
>
> ようは、なじみがあっても知らないことは山とある
>
> 人は誰でも自分の目先、視線や脳みその想念の届く範囲しかみえない
>
> それを押し広げてくれる、見えないもんも観えたきにさせてくれる
>
> さういう気にさせてくれもんが、おのが経歴に鑑みれば、あきらかに己が体験経験にもある
>
> そうなってくると、見えぬ先の茫はっきり見えてきて、のめり込む
>
> 禅語ひとつとったって自分の視線が届いているものは量質ともに実に限定的
>
> その限定された視野狭窄を広げてくる
>
> 世の中には自分が知らない人間、通時的に共時的もまことに無限大
>
> その無限大の幾許かが、古代であれ、地の果てであれ、自分と共有できるもの
>
> 共感、共鳴、共振
>
> できるもの、さういうもんを発見するのは人生の喜び
>
> だけれどもそういう共感、共鳴、共振を起こさずして反発、反感、果ては罵倒したくなるもんにも多く出会う
>
> 総じてそういうもんは通時的、共時的な広がりのかなたにいるものではなく
>
> すぐそばにいてどくどくと血の流れる心臓をもってむしゃむしゃと食い散らかして
>
> ぼたぼたと臭い糞をしまくっている輩
>
> その糞を箆でかき集めてあれこれとねめまわし舐めまわし
>
> 糞もええ匂いで、美味
>
> とはおもわんが、なんで臭いのんか、なんで不味いのんか
>
> そう考える機縁を与えてくると糞もまた仏
>
> その糞を搔き集める言葉にしてコトバは、まさに乾屎橛
>
> 平田精耕がいつも振り回してたあれだ
>
> 経歴、いろんなところでつながる
>
> 日々の生活語ににも禅語、仏教語、はてまたゾロアスター語、キリスト教語、無意識に使っている
>
> そういうもんへ意識をむけて読み解く
>
> 不幸にしてか幸いにしてか、昨日はワクチン三回目
>
> リュックで分厚い期限本を背負って図書館に返却して
>
> 注文しておったエリアーデの世界宗教史と交換
>
> ちらちらとしか見てはおらんも、これもいける
>
> 日常の言葉のみならず、われらの所作、造作、身体、住宅、都市、国、世界構築のなかにいかに宗教的人間の表象が秘んでいることか
>
> このエリアーデも大変な経歴(きょうりゃく)なんだね
>
> いくら日常言語的な経歴があろうが経歴(きょうりゃく)の貧弱なもんは美味しくもないし栄養にもならぬ

さあ、寝よう

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54850] 秘さずとも秘を際限なく担いでよろける 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/03/12(Sat) 18:44  

寒垢離の背中(せな)袈裟懸けに斬り下ろす
      ↑
寒垢離の背中(せな)へ袈裟懸け傷の跡

傷の跡では迫力がまるでない

やはりここはバッサリやらねばならん机龍之介

閻魔さまバチが当たりますか?

あたらんぢゃろ 巷の句会ならいざ知らず

そうですよね、殺仏殺鼠ならぬ殺祖ですから

まあ、鼠も仏とおもって・・

そうですね、山の割れ目に目を付けるのは、なにも東洋哲学だけぢゃない、科学だって同じことなんだから

だけどみつけた割れ目をどうするかにおいて、鼠君のあのやりかたはやっぱり鼠

科学者でもいるわの、そっこらじゅうにいる、あのやり方の鼠

美味しくない

美味しくないが、不思議なもんだ

@舌下の黙々時代は、まんず、自句自解はせんかった

秘すれば花

世阿弥も丸尾長顕も同じことを言っておる

一句でも一個の人生でも能でもストリップでも、暴露すれば、しらける

まっさらな名刺に毛筆体で大書した名前だけなら、経歴もなにもかも秘

さすれば、霞が関も永田町もフリーパスであったが・・

赤肉団上にいろいろ着こんだ時々の着物あるいは潜めた時々の心根

そういうもんで縦横に編みあがったノット結び目の節をあれこれとりだす

その結び目をほぐしてみても目が凝るばかり

長すぎるのよ、もっと短く

短くしても同じことよ

畢竟、言い尽くせることはない

秘さずとも秘

閻魔さま、これでいいでしょうか?

まんだ云い尽くしておらんぢゃろ、吐け、吐け

一体どんだけ吐けばええのんか、ルオーの刷毛もすり減る

逝った人も生きてる人も出てくる

ひとさまに迷惑をかけてはいかんと慮る(おもんぱかる)こともなく、吐く、吐く

吐いて吐いて糞して糞して、句そして、腹膨るる業はいかんともしがたい

閻魔さまの前だから嘘、でっちあげは金輪際ありません

嘘つけ、閻魔もてめえん中ぢゃろが

閻魔さまだけではありません、神さまも、はては一なるもんも、無も空もてめえん中なんです

つかれるねえ、疲れて、憑かれて、足が萎えるから、歩き出す

ふらふらよろよろ半身が傾いで、そろそろお迎えが誓いのかもしれん

おっと、躓いて、手の中のオットー「聖なるもの」も取りこぼす

死ぬまでそんなことをやってんのかよ

しりません、いつ死ぬのか、でも確実にやってきます

聖なるものは性なるもの

オットーが云っているのか、知らん

しかし、すくなくともフロイト、ユング、エリアーデを持ち出すまでもなく

聖なるものは性なるもの

性なるものは聖なるもの

は間違いない

さすれば男根の句も捨てたもんでもなかろう、が

やっぱりあれも皮相の知

もっと突っ込まなければいけません

大鴉鳴いてニーチェの正午かな

いまだに掴めません

これがほぐれるように大枚、大冊担いでよろよろ

際限なく担いでよろける



やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54849] 寒垢離の背中(せな)へ袈裟懸け傷の跡 型に入って型を出る 型を破る 破るときに型が破れるか己が破れるかRe:[54848] 人間として話をするに肩書も役職もいらんでしょ そこがわからんやつと話をしても始まらないRe:[54847] 「純粋」でも「超越的」でも「還元」でもない、計略で着膨れた「現象学徒」斎藤鼠君 こういうもんが生まれてくる「現象」もまた研究対象だなあRe:[54846] いくら日常言語的な経歴があろうが経歴(きょうりゃく)の貧弱なもんは美味しくもないし栄養にもならぬ 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/03/12(Sat) 15:14  

らをちけねANNEX−Ω   訪問者数:11759228(今日:1168/昨日:1662)投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/03/12(Sat) 08:17 大安(甲子) 旧暦 2/10 月齢 9.4

Shirley Horn - Here's To Life (Verve Records 1992)
http://www.youtube.com/watch?v=UTv3TONfTTQ

この「戦慄すべき名曲」と視聴者がいっておきながら、彼の誤読した解説を幾許かを指摘し、新しい解釈を披露したもんも過去ログにある

今またその解釈、愛への貪欲なる渇望、そういうもんも一段と昇華されて花が開くのんも、もうむっかしむっかしのユダヤ教徒マルチン・ブーバー「我と汝」のおかげね、

通時的に整理する書き方

どうもそうもいかん

今現在の心象風景、追憶の幻影からすれば、飛び飛びに書く、翔けるにまかせて書けるしかない

この翔けるのんもいわば核の周りの軌道の粒子の励起にも似て

ある契機によって励起される、霊気、軌道を飛んで破って励起される

その霊気にして励起の軌跡、鬼籍でもありゃ、奇跡でもある

励起や奇跡に因果律があるか?

あるやもらん、ないやもしらん

あるといえば、ある

ないといえば、ない

「だだそれだけのこと」

といえばポーめいてくる

今日は旧暦大安(甲子)

母がよく暦をみていた

この「経歴」(けいれきにしてきょうりゃく)にして暦


道元の「経歴」にして、最澄の延暦寺の「延暦」もみえてきた

デリダの「差延」の「延」にも通じる縁にして、その差はすくない

もうすこし、もうすこし 坂井泉水

大安はどうでもよい

凶を好む

鴉はなんと鳴くか



凶の底は抜けるか

大凶

大凶のソコはヌケルか

大凶字にして大凶自、大凶事、大凶寺、大凶治

もう騰がるしか、ない

株価もそうかもしれない

人生もそうかもしれない

人生の大凶に思いを馳せるのもまた一興にして、一驚、一凶

その転換点、励起、霊気の跡つけ

大安(甲子)

母の名は甲子

母が亡くなり戒名を披露する葬式和尚

甲子は縁起が悪いから捨てた、と

母もその縁起の悪さの幾許かはわかっていたものとみえ

きぬこ

と読ませていた

> あめにうわANNEX−Ω   訪問者数:11756142(今日:575/昨日:1627) 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/03/10(Thu) 14:32
>
> さて長い尻尾は端折って斬ってプロット毒吐く
>
> プロットせんと老いぼれで忘れてしまう
>
> > ねよふたはANNEX−Ω   訪問者数:11756061(今日:494/昨日:1627) 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/10(Thu) 11:05 先負(壬戌) 旧暦 2/8 月齢 7.4 上弦 寝よ豚は
> >
> > Lara Fabian - Perdere l'Amore (English lyrics translation)
> > http://www.youtube.com/watch?v=jJ_k43OOsXU

母がでてくる

いろんな混血

このLara Fabianはベルギーらしい

そのもとはもうめちゃくちゃに入り混じっている


ニューヨークに飛ぶ、50年ぐらいまえの景色

(混血のニューヨークと同時に脳みそにうかぶ父、意識は二重三重、何重意識なんだろう NYは後回し、まずは父母の景色)

そういえば、父にとっての孫らが集まって

お爺ちゃん、お爺ちゃん、もっとお話してえ

とねだって、漢字だと強請(ねだ)って、ゆすっての語感、お強請りとはこれ如何

録音機を前において父が語りだす

脳拘束で倒れて2年半寝たきり101歳寸前で往生したから、まだ喋れて元気な98歳のころか

ああ、もうすぐ三回忌

あの世代にとっては戦争は大きな契機、話のほとんどは戦争

空母、空母、空母と乗り継いでみんな撃沈された

その撃沈の寸前に乗りかえ乗り換え、乗り換えて、一命をとりとめた

勲章もあったが、某が子供ころ胸につけて近所のガキとチャンバラゴッコで紛失した

隊長に助けられました

終戦のころの戦闘機は、もう資材不足で、壊れたもんを修復するにジュラルミン、アルミ、鉄もなく、木の板ぶつけ、木がなければ紙で貼る

そういう戦闘機で特攻に飛び立つ、立っても、目の前の海や浜辺に墜落するものも多い

救助班を組んで救出に向かう

さういうことで命拾いをした戦友が、お礼をしたいと、父を訪ねて来た

98歳の脳みそと96歳、あるいは99歳の脳みそが昔の話をする、77年前の話

それに比して、戦争の過酷さ、死への儀式もなく、臆面もない愚だ愚だ話をする某

時代が時代だ、いかにも緩み切った惚け話に嫌気もさす

とはいえ、かの過酷、深刻さの余波も喰らっているんだし・・・


> > こういう洋曲、Youをかのユダヤ的な「我と汝」の汝=神として味わえばまた格別な味わいもでてくる
>
> これも老人の繰り言で昔から何度も逝っておって、しっつけえ、たらありゃせんわ
>
> > もちろん、全てのYouが汝=神でもなく、エリアーデ風にいえば宗教性の希薄になった昨今ぢゃ、汝も愛も神とのやりとりではなく、皮相の恋人や性交の性向に成り下がっている
>
> エリアーデちう名前との出会いはかれこれ30年以上まえか
>
> 新宿は花園神社で「医療と宗教を考える会」とかいくつかの考える会があって
>
> もう亡くなったかもしれん宮司が東京女子医の公衆衛生の講師だったか、主催者の一人は
> 学園紛争の火元の東大医学部全共闘の元委員長にして参議院議員
>
> あのこりゃ、ひどかったねえ
>
> 某の胸倉を掴んで門の外から門内の民青に石を投げろと迫る
>
> うすっぺらいひょろひょろが壇上に登ってべらべらぺらぺら革命理論を唱える
>
> 暑さがすぎれば、さっさとやれ運輸省、やれ厚生省、やれ通産省、大蔵省といって涼しい顔で民の膏血を貪る機構に鞍替えして天下りを繰り返す
>
> さういう中でもかの参議院議員君はさういう風もなく、雪国やまと病院とか諏訪病院とかの田舎の病院長に収まってそこに世間では闘士ゆえに前科もつき排除されて食えない仲間を養うために、厚生省の小役人、係長クラスでも丁重にもてなして、幾許かの補助金、システム医療、保険証のIC化とかの先端実験とかを請け負って、そういう資金手当てに奔走の果ての議員
>
> さういう豹変ぶりもあんまり気分のいいもんではないが、学生時代はゲバ棒、投石、演説を繰り返し、卒業間近になればマジかよと目を疑う転向で霞が関官庁へいったもんに比べりゃいささか爽やかさもある
>
> さういう儀式や考える会に島薗という宗教学者が講演
>
> 島薗の金大付属時代の同級生にして義兄弟を連れて考える会もはねて居酒屋

近大ぢゃなく金大、

旧四高、金沢大学、その話も書けば長い

今日は母のことに集中しよう

集中しても書ききれぬ妄念の数々

> 第三者の参加者からエリアーデの話と質問がでる
>
> 島薗が答える、
>
> どう答えたか記憶にないが、ぜんぜんついていけない
>
> すっかす、思うに島薗は代々医学者の家系にして医学部に進学したが
>
> おもうところがあって宗教学に転向した
>
> もともと、歴史的にみれば医学も宗教から派生したんだし禁煙、近縁
>
> 薬だって錬金術で、宗教がらみ

もう、すべての科学、哲学、音楽、詩、文学・・・宗教がらみでないもんはない

> 宗教のことをもう少しわからんといけんわ、エリアーデ
>
> ちうことで記憶の底に眠っていたもんが井筒や若松によって30数年ぶりに揺り起こされた
>
> もともと母は宗教的人間で、一族の誰彼の命日もちゃんと控え、毎日仏壇に手を合わせ、お経を唱える、願い事があると寒垢離もとる、人相がわるければ国会議員でも家の敷居を跨がせない、病院は方位できめる、


寒垢離の背中(せな)へ袈裟懸け傷の跡


袈裟を懸けて一心不乱の寒垢離

その背中めがけて袈裟懸けに斬り下ろす

机龍之介ぢゃあるまいし

同じことよ、罵倒に罵倒を重ねた、母へ

迷信、ばかばかしいことはやめろ

おなじく父の軍隊話にも・・

やめろと子供が云ったところでやめはせん

その母の背中、まさに袈裟懸けの傷があった

この傷はね、戦争で満州からかえってきた弟の看病で結核をもらって手術したあとなの

結核特効薬のストマイもない時代、胸郭形成、病肺を潰す、母は片肺以下で生きてきた

その手術は背中を袈裟懸けに切って行う

だからだんだん背骨も曲がってくる

ニューヨーク

ファミリーハウスのオーナーはユーゴスラビアからの移民一世、離婚中

その娘の上がリンダ、下がヘレーナ

リンダは一つ年上、エレーナはずっと下

戸籍上は、戸籍なんかアメリカにはないが、イタリアからの移民であるが、ルーツはユーゴスラビア

ミロセビッチという苗字がそれを証している

ミロセビッチ大統領、失脚

リンダはショッチュウ遊びに来た

プールで泳いだ

まるで軍隊の船をひっくりかえしたような真っ黒で鉄の塊

その船の中でターンをすると船全体が響き渡る

ヘレーナはちっとも遊びにこない

階上から病んだ母親が、エレーナ、エレーナとヘレーナを呼ぶ

ヘレーナが煉瓦街の石畳を走ってくる

まるで天使

目を細めた

でもそのころはもう身体の中で結核菌が蠢いていた

かの助教授の「てめえなんか、死んじまえ、死ね、死ね」

うむ

「毎日毎日満員電車に揺られて決められた時間に出勤して、決められた仕事をして、そういうのんが、反吐。朝はいつまでも寝ていたい、夜は気の向くくままに徹夜でもええ、喰いたいとき喰って、寝たいときに寝る、言いたいことを云って罰が当たっても屁にも介さず」

三つ子の魂百までも

むっかしから、ちっとも、かわらない

戦争で現前で命が散っていく父の情景といかに違うとことであろうか

さういう自堕落な生き方では世間で反発を買うのも「あたりまえ」のばち当たり

かの助教授の「てめえなんか、死んじまえ、死ね、死ね」もあたりまえか

同い年の長嶋に扮して三振エラーの助教授ぶりへの反発だけぢゃない

「毎日毎日満員電車に揺られて決められた時間に出勤して、決められた仕事をして、そういうのんが、反吐」への助教授の怒り

研究室への配属前の学生実験で結核菌を扱っていたことも、結核の一因かもしない

助教授の「飼い犬に手を噛まれるな」というゆく先々への嫌がらせの手紙

そんな気にせんでも心の底では気にして病んでいたのも一因かもしれない

ともかくも天使のエレーナを見ながら結核の巣が広がっていく

終戦で満州から引き揚げてきた叔父の結核が母へ、母から息子へ

そういう多因多重にして複雑な影響の心身への潜伏が延々とつづいたのかもしれない

> おかげさんで某も名医にめぐまれた

まわりは医者だらけだった

子供のころから可愛がってくれたのが野村二郎、母と同じ年

この野村院長、そう四高、金大医学部卒で、母校に似せて野村病院を建てた

はじめはブレハブの小屋をつないだ連棟式の病院

そのうちだんだん敷地もひろげて煉瓦めいたタイルを貼りまくった鉄筋コンクリート

小学校の校医もプレハブ時代からはじめてその時どういうわけか見初められた

遊びに来い、遊びにこい、と

遊びにいかんでも、怪我をすれば行く

行けば診療費もとらない

父の診療費もとらない

母と妹はいかない

そのうちときどき電話が来るようになって面白い客がきているから「ちょっといらっしゃい」

四高時代の同級生の白系ロシア人

発明王、有名人なんだそうだ

その白系ロシア人が、私の新宿の事務所にいらっしゃい

いってみれば、新宿高校の裏手、むっかしの遊女投込寺、天竜寺の裏手

赤線地帯のバラック路地に年代を経た風情の木造の波硝子の嵌った引き戸をあける

達磨ストーブがかんかんともえていて、かの白系ロシア人

・・・・

天使のエレーナを見ながら結核の巣が広がっていく

伝ちゃんに手紙を書いて帰国

ニューヨークぢゃなくて日本で養生

野村病院院長室

うん、うってつけのがいるぞ、そばにいる。

医師会会長だから顔も広い

東大で助教授をしていて、教授と折り合いがわるく、大学を去って結核研究会の研究部長

夜間だけうちのすぐ傍の自宅で開業しているセンセイがいた

もちろん自宅だからレントゲンもない

一回、病院のほうにきてください

結核研究会附属病院

清瀬だったか東村山だったの感染病院地帯のさ中の広大な土地に古めかしい木造病棟が並ぶ病院

木造の廊下は油引きで黒ずんでいて延々とつづく

誰も通らない

廊下が折れる、交差する角々に真っ白い痰痰

あの痰壺で、その後、幾許かの痰壺俳句を詠んだが、いまは出てこない、痰も

意外と清潔、いや、とても清潔、油引きの廊下も病室も診察室も

いまどきの安い終末医療を施し3日3週間であの世へおくってくれる終末老人病院よりはよほど清潔で悪臭もしない

でも、こういうところに隔離されて一生を送るのはなんぼなんでも二十歳代の身には応える

はい、影はあります

が、入院の必要はありません、

自宅療養にしますから、うちに夜に毎日きてくださいね。

ストマイで治ります

毎日ストマイ

耳がツンツンしてくる、ストマイつんぼ

センセ、たばこは?

いいよ、たばこくらい、でも1年はツンツンもがまんして、毎日ね、それが大切

いいセンセイだった

名前も思い出せない

結核も癒えて、ごぶさた、東京から徳島、アラブ、世界中を転々と経めぐっているうちに

センセイの家が消えてしまった

近所で聞けば、娘さんが首を吊ったとかで


ストマイ時代、自宅でぶらぶら二十歳代の身にはつらい

新聞広告で「英語堪能な総務部員募集」

新しい会社で医務部もないらしい

三井海洋開発 霞が関ビル30階

もう試験は断トツの満点

ニューヨーク結核エレーナ時代に読んだ鴎のジョナサン

その鴎のジョナサンの一節の翻訳が試験なんだからアタリ前田のクラッカー

健康診断は?

無事パス

野村病院野村二郎院長署名付診断書

恵まれていたね

> その母が若いころ
>
> ものすごい剣幕で哲学なんか絶対やるんぢゃない!
>
> 医者もだめ

これも野村院長からみ

君はどういう方面に進学するの?

決めていません

医学部にしなさい、絶対後悔しないから

その後、この医学部への勧めがどんどん亢進

当時、サラリーマンの月収が数万円

その時代にうちでは数十万はあって

父がこんなに金をとっちゃあいかん、とっちゃあいかん

と法定価格でとればいいものも法定をはるかに下回る工賃しかとらぬ

そういうもんでも一般サラリー万の10倍はある

野村さんは月収数千万は下らぬという

年年歳歳東京多摩地区の医者の長者番付で1番

サラリーマンの千倍ね

だから、医者になれ

ちうんでもなかろうが

うちの父母の世間の狭さと教養とを見透かし見切ったたかのような口ぶりで

あれでは芽吹くもんも芽吹かぬ、ここは一枚俺の肌の脱ぎどころだ

と思ってか

なんといわれても、わたしのいうとおりにしたほうがいい

しなさい、絶対後悔しないから

もう、スポンサーみたいもんで、後見人

それに母が猛反発した

もう野村さんとこへは絶対行っちゃだめ!

とんでもない剣幕で・・そこでかの名言にして迷言が飛び出してくる

「だいたい、あんたには看護婦さんもついてこないから、医療なんかできるわけがない」

> だいたい、あんたには看護婦さんもついてこないから、医療なんかできるわけがない
>
> これは今となっては母の嘘

ようは、むすこを他人にとられる気がしたのね

自分のむすこは自分が育てたい

だから、いくら奨学金をとれるだけの成績だからというても、

ガンとして奨学金なんかもらわんでよろしい

当時の奨学金は成績によっては貰い切のもんもあったし、野村さんの援助金もあった

絶対だめ

そのころ母の弟の工場で火災が起こった

田舎では大きな工場で伊勢丹むけの縫製工場で従業員も多かった

その工場が焼失して従業員の一人が行方不明

母の弟末っ子寛之で長男守一から田畑の幾許をわけてもらって工場、順風満帆

その工場に父の実家の遠戚が従業員としてきていた


父の実家を継いだ父の兄、運太郎さんには男の子がなく、娘ばかりのその一番下の娘が婿とりをして実家を継いだ

その婿がオーム真理教に狂った

せっかくの田畑、屋敷をみんなオーム真理教に次から次へと取られたのか寄付したのだか

みるにみかねた母の弟、寛之が、縁戚でもあるから、オーム婿を呼びつけ説教をした

そういう状態の果ての工場焼失

行方不明はそのオーム婿

放火か

火災保険もなかなかおりない

そうそうしてるうちに資金繰りも苦しくなり

内にきて土下座の金の無心

父にしてみりゃ、実家の遠戚の不始末かもしれない

母にしてみりゃ、実弟の無心

むすこの進学資金に積み立ててておいた数百万円をそっくり証文をとって、貸してあげた

・・・・・

なあ、この証文、もう博之にかえしてあげよう、と父

返済期限をもう何十年も過ぎている

貨幣価値も違う、当時サラリーマン数万の時代の数百万なんだから100倍

母が逝く前の最期の見舞いに来た博之叔父、おそるおそる他の兄弟の陰に隠れて母をみる

もう、母は脂肪がたるんで入歯もなければ、訪問者には別人にみえたかもしれない

毎日接していてもときどきこれが母かと近親でも思うのだから

証文はかえしてあげた

母が逝って、暫くして寛之叔父も逝った

> 当時山崎豊子の「白い巨塔」がはやっていて、母も読んで見ていた
>
> そういう巨塔には裏金、閨閥がつきもの
>
> 裏金も閨閥もないもんが、医学なんてやったって芽が出んで目が出るのが落ち
>
> あとで考えると確かにそれは一理ある
>
> 同級生のほとんどが医者の親、あるいは農家の資産家、あるいは名家の出身などなど、
>
> そういうもんのない向きは政略結婚とはいわんも、嫁さんの家系にそういうもんをもってきている。
>
> 哲学は何で駄目なんか?基地外になるから、基地内になるには、サラリーマンがええ、と母
>
>
> だけんど、サラリーマンになるにしたって、裏金はいらんも、閨閥はないんだから、同じようなもんだ
>
> それよりなによりサラリーマンちう語感がいやだった
>
> でもサラリーをもらえるのよ、そんな楽なことないでしょ、ひと様の命を預かったり、あるかないかわかないものを考えてうつつをぬかすより、よっぽどよい、と母
>
> よっぽどよくても、毎日毎日満員電車に揺られて決められた時間に出勤して、決められた仕事をして、そういうのんが、反吐
>
> 朝はいつまでも寝ていたい、夜は気の向くくままに徹夜でもええ、喰いたいとき喰って、寝たいときに寝る、言いたいことを云って罰が当たっても屁にも介さず

これはその後ずっとの〜てんきに実行している

遺伝のせいか、うちの長女もこの傾向がある

子は親の背中をみて育つ

悪いところも良いところも真似する

さしづめ長女をみているとそのおやじは悪いところしかねえんぢゃろ、とおもわざるをえぬ

次女はせっせとお嫁入

母親の背中をみていたのだろう

すっかす、こういう自堕落奔放な生活を四六時中つづけるわけにもまいらぬ

長女はつづけているが・・

遡ればあの天馬空の銀の天馬が左右に振れるスパルタ時計の時代

嫌がる犬が四肢で踏ん張る抵抗をずるずると首に縄をかけて引き摺って行くがごとく母にひきずられて保育園通い

やだったねえ、もう凹凹にへっこむ

いいときもある

癇を起こしたり、扁桃腺が腫れて熱が出たりしたときにヒョットコ顔の町医者が往診してくる

その大須賀さんの娘のきよみちゃんが保育園にいた

俄然行く気になる凸凸

凹凹はいつでもでてくる

小学校でも中学校でも

凹凹が凸凸に変わるのは突然だ

そこが幼年時代、少年時代、青年、成年、老年時代に至っても己が励起の契機

逃さぬことだ

光みえたるうちに撃て

凹凹時には、この今現在が夢であってくれたらいい、夢であってくれ!

いやさ、これは夢であって、現実ぢゃないんだ

という夢や現実になんど魘されたことか

> さういう風が高校のころから夢で、そのころにデカルトに出会って毎日の景色が一変した
>
> 岩波新書の野田又夫の「デカルト」
>
> これを母が見つけたのね
>
> でももうこっちがみつけたもんは、なんといわれても、わすれられん

我おもう、ゆえに我あり

そのこりゃ、存在論も、デカルトが神に裏打ちされちょることも、全然眼中にない

もう、夢中で、この凹凹も凸凸も夢ぢゃない、現実だ、現実を踏まえていかねばならぬ

デリダ風にいえば「責任」か「死を与える」

> さういうわけで、あっちつかずこっちつかずで進学もして、紆余曲折もあって

棺桶に入って棺桶を出る

型に入って型を出る

型を破る

破るときに型が破れるか己が破れるか

型に入りっきりだと凹凹になり果て遂にはどうなるか?

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54848] 人間として話をするに肩書も役職もいらんでしょ そこがわからんやつと話をしても始まらないRe:[54847] 「純粋」でも「超越的」でも「還元」でもない、計略で着膨れた「現象学徒」斎藤鼠君 こういうもんが生まれてくる「現象」もまた研究対象だなあRe:[54846] いくら日常言語的な経歴があろうが経歴(きょうりゃく)の貧弱なもんは美味しくもないし栄養にもならぬ 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/03/10(Thu) 17:17  

あめにうわANNEX−Ω   訪問者数:11756142(今日:575/昨日:1627) 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/03/10(Thu) 14:32

さて長い尻尾は端折って斬ってプロット毒吐く

プロットせんと老いぼれで忘れてしまう

> ねよふたはANNEX−Ω   訪問者数:11756061(今日:494/昨日:1627) 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/10(Thu) 11:05 先負(壬戌) 旧暦 2/8 月齢 7.4 上弦 寝よ豚は
>
> Lara Fabian - Perdere l'Amore (English lyrics translation)
> http://www.youtube.com/watch?v=jJ_k43OOsXU
>
> こういう洋曲、Youをかのユダヤ的な「我と汝」の汝=神として味わえばまた格別な味わいもでてくる

これも老人の繰り言で昔から何度も逝っておって、しっつけえ、たらありゃせんわ

> もちろん、全てのYouが汝=神でもなく、エリアーデ風にいえば宗教性の希薄になった昨今ぢゃ、汝も愛も神とのやりとりではなく、皮相の恋人や性交の性向に成り下がっている

エリアーデちう名前との出会いはかれこれ30年以上まえか

新宿は花園神社で「医療と宗教を考える会」とかいくつかの考える会があって

もう亡くなったかもしれん宮司が東京女子医の公衆衛生の講師だったか、主催者の一人は
学園紛争の火元の東大医学部全共闘の元委員長にして参議院議員

あのこりゃ、ひどかったねえ

某の胸倉を掴んで門の外から門内の民青に石を投げろと迫る

うすっぺらいひょろひょろが壇上に登ってべらべらぺらぺら革命理論を唱える

暑さがすぎれば、さっさとやれ運輸省、やれ厚生省、やれ通産省、大蔵省といって涼しい顔で民の膏血を貪る機構に鞍替えして天下りを繰り返す

さういう中でもかの参議院議員君はさういう風もなく、雪国やまと病院とか諏訪病院とかの田舎の病院長に収まってそこに世間では闘士ゆえに前科もつき排除されて食えない仲間を養うために、厚生省の小役人、係長クラスでも丁重にもてなして、幾許かの補助金、システム医療、保険証のIC化とかの先端実験とかを請け負って、そういう資金手当てに奔走の果ての議員

さういう豹変ぶりもあんまり気分のいいもんではないが、学生時代はゲバ棒、投石、演説を繰り返し、卒業間近になればマジかよと目を疑う転向で霞が関官庁へいったもんに比べりゃいささか爽やかさもある

さういう儀式や考える会に島薗という宗教学者が講演

島薗の近大付属時代の同級生にして義兄弟を連れて考える会もはねて居酒屋

第三者の参加者からエリアーデの話と質問がでる

島薗が答える、

どう答えたか記憶にないが、ぜんぜんついていけない

すっかす、思うに島薗は代々医学者の家系にして医学部に進学したが

おもうところがあって宗教学に転向した

もともと、歴史的にみれば医学も宗教から派生したんだし禁煙、近縁

薬だって錬金術で、宗教がらみ

宗教のことをもう少しわからんといけんわ、エリアーデ

ちうことで記憶の底に眠っていたもんが井筒や若松によって30数年ぶりに揺り起こされた

もともと母は宗教的人間で、一族の誰彼の命日もちゃんと控え、毎日仏壇に手を合わせ、お経を唱える、願い事があると寒垢離もとる、人相がわるければ国会議員でも家の敷居を跨がせない、病院は方位できめる、おかげさんで某も名医にめぐまれた

その母が若いころ

ものすごい剣幕で哲学なんか絶対やるんぢゃない!

医者もだめ

だいたい、あんたには看護婦さんもついてこないから、医療なんかできるわけがない

これは今となっては母の嘘

当時山崎豊子の「白い巨塔」がはやっていて、母も読んで見ていた

そういう巨塔には裏金、閨閥がつきもの

裏金も閨閥もないもんが、医学なんてやったって芽が出んで目が出るのが落ち

あとで考えると確かにそれは一理ある

同級生のほとんどが医者の親、あるいは農家の資産家、あるいは名家の出身などなど、

そういうもんのない向きは政略結婚とはいわんも、嫁さんの家系にそういうもんをもってきている。

哲学は何で駄目なんか?基地外になるから、基地内になるには、サラリーマンがええ、と母


だけんど、サラリーマンになるにしたって、裏金はいらんも、閨閥はないんだから、同じようなもんだ

それよりなによりサラリーマンちう語感がいやだった

でもサラリーをもらえるのよ、そんな楽なことないでしょ、ひと様の命を預かったり、あるかないかわかないものを考えてうつつをぬかすより、よっぽどよい、と母

よっぽどよくても、毎日毎日満員電車に揺られて決められた時間に出勤して、決められた仕事をして、そういうのんが、反吐

朝はいつまでも寝ていたい、夜は気の向くくままに徹夜でもええ、喰いたいとき喰って、寝たいときに寝る、言いたいことを云って罰が当たっても屁にも介さず


さういう風が高校のころから夢で、そのころにデカルトに出会って毎日の景色が一変した

岩波新書の野田又夫の「デカルト」

これを母が見つけたのね

でももうこっちがみつけたもんは、なんといわれても、わすれられん


さういうわけで、あっちつかずこっちつかずで進学もして、紆余曲折もあって

この名刺に紹介を書いておくから、これを持って高木君のところへいけ、といったのは伝ちゃん

そのまえに、これも伝ちゃんお勧めの大村智、いつかノーベル賞をとるから云々で

その大村智、その弟の朔平さんからのお誘いで愛宕下青松寺の醍醐

精進料理の老舗で、そこに鎮座まします、朝賀某

もと角栄の越山会の事務総長だかで、角栄引退のあとも政界の裏の引き回し顔役だとか

朝賀曰く、俺の前でこんなにずうずうしくべらべらいうのは見込みがある、砂防会館へ来い

その話を伝ちゃんにしたら、この名刺をもって高木史文雄んとこさいけとさっきの名刺をくれた

その高木文雄んとこさいってみると初対面の高木文雄が、もう30枚を下らぬ名刺を全部テーブルにトランプゲームのごとく並べて、これはこういうことをやっていて、あれはああいうことを・・

もと伝ちゃんの旧制浦和高校の同級生で大蔵官僚、国税庁長官から初めて大蔵次官になって、国鉄総裁、国鉄分割もやって、当時は新橋で高木文雄法律事務所

その事務所の主宰者が、名刺をずらずらトランプのごとくならべてあれこれ

あとで聞くと、高木文雄は慶應幼稚舎出身で慶應出の代議士を可愛がっていて

その筆頭が小沢一郎、一時若くして飛ぶ鳥を落とす勢いで経団連会長も呼びつけるなに様か

それで、センセこれ全部お仕事されてんですか?

いや、ほとんど名誉職よ、なかには、ほれこれなんか好きでただでやってあげてる

ただでやってあげてるのんは、日本緑の会だったか、植林促進の会

名誉職でも番頭がいるから目は届いている

ちうことはただぢゃない名誉職もあって、収入源にもなっている、

とおもっても口に出さない

ああいう、生き方もあるんだなあ、肩書を並べまくってそれがどんどん増殖していく、収入もどんどん増殖していく

この増殖の秘密は後程明らかになるが・・


砂防会館朝賀事務所

こんどのコースはどこだっけ

小金井でございます

と美人の秘書が丁重にスケジュール表をもってくる

ほら、この表いっぱいでしょ、政界を取り仕切るにはこういうゴルフ裏方とかが欠かせない

お、いいところに来た、紹介してあげる、これは鳩山君

鳩山でございます

大学で見かけたよ、

同年では、二人だけが大型リムジンで通学していた

一人は大丸の御曹司、それと鳩山、弟のほうね

トヨタセンチュリーと日産プレジデント

もうそれ以外で目立つのんは医者の息子なんかでスカイライン初代GTR

あとで学部に進学したら、もうこれは運転手付黒塗りクラウンでナンバープレート1番

いまでこそ、金を払えばプレミアムナンバーも手に入るが、当時はそうもいかん

あれなにもの?

あれは皇室のだれだれ

まあ、そういうたぐいに鳩山もおって、若き頃の話でもしようとラーメン屋へ

もう一人紹介に与かった秋田の農林大臣は置き去りにして

それで、高木事務所

あれは出入禁止だ!

とセンセが仰って

サングラスに帽子、あれも気に食わん

とセンセが仰って

そうねえ、あの30枚の名刺、肩書で、こりゃあ、いけんわ

と色眼鏡で見る、

それも細い色眼鏡で縁は蜥蜴のサングラスとボルサリーノ

普段はとって事務所に入るが、もうああいう、名刺肩書コレクターにはその必要もあるまいとズカズカ

そういう風がいけないの、世の中わかってないわねえ

さすが高木文雄若き頃のエリートポジションから長官、次官、総裁とずっと秘書をつづけてきた素敵な美人、木屋野さん、伝ちゃんとも親しい

あなた暇があるなら、わたしの親友のところに遊びにいってマナーを学んできなさい、美人よ〜♪

赤坂で会食、相手はニチレイの課長、同級生の同級生で、ニチレイの冷凍物流センターにでも手を出そうかとご接待

会食が終えて外へ出る

凩吹き荒ぶ師走の路地

ニチレイ課長君、もうへべれけで見知ったさしたるもんぢゃない某スナック前に足腰も立たぬままに崩れ落ち

📞もうしもうし、こちら高木事務所から紹介されたものですが、会員制のそちらにうかがってもいいでしょうか?

ニチレイ君に肩を貸して階段を登る

ドアを開けるととんでもない別嬪さん、気品がある

大宮章子です

ニチレイ君を寝かしつけて

ところであなた高木事務所の紹介ぢゃないでしょう



あなたはね、木屋野さんから紹介されたの、そうでしょ?

はあ

あのね、こういうことはちゃんとしないとダメなのよ

はあ

ちうことから始まり、気品ある別嬪さんのしつけがはじまった

ニチレイ君は初めてきたクラブなのに、もうズボンを脱いでステテコでソファーで鼾

とんだ醜態だなあ

こっれっきり、これっきり、もうコレッキリですよ〜

とおもいきや

またいらしてくださいね

ん?

そりゃ、商売だもの

あなた、靴が汚い、ネクタイが曲がっている、なんちうもんは序の口、誰でもいう

電話はね、3回鳴らしてでなかったら、切るの

先方様がお忙しいのかもしれないのよ、わかった?

それをなによ、何度も何度も鳴らして・・

サングラス帽子は脱ぐのが礼儀だけど、さっきはなによ、

センセの前に突っ立ってポケットに手を入れて偉そうに喋って

姿勢もだめ、喋り方もだめ、内容は一応そのこりゃ不問ではあったが

そう、そうそのこりゃ、小沢一郎大活躍で日本新党の立ち上げ

細川もくりゃあ、その番頭の東海大政治評論家の偉いセンセもくる、

ジャーナリストはご法度で押しかけてきてもいれない

その後はもちろん羽田さんもしょっちゅう

そういう躾は厳しかったね、

さすが、国税庁長官秘書を務め、大蔵官僚や政治家の裏話にも通ている、

そこで培われたマナーの数々

知っていても知らんぷりするの!

なあるほど、この風ちうのんは天龍寺の平田老師にも通じる

東八茶屋で平田老師、石川綴れへ紹介して老師も一目でお気に入り

お忍びで赤坂にもきて・・

ともかくも、ああ、30枚の名刺肩書ね


かのぽちの仇で殺された厚生官僚OBだっておなじこと

しかし、さういうもんは、なんも官僚OBだけではない

NPO法人の巷にもいる、高知の竜馬となのる曲者

とうじの建設省肝いりの団体の自己紹介で50に上る肩書を延々とグループメールで送りつけてきて

某の番になって、某は肩書なし、50に上る肩書批判をやったら、団体が潰れてしまった

そのことは昔書いた

肩書、役職なし

これはある意味強い

一無位真人

屁もする糞もする赤肉団はさてはおいても

新橋の名刺印刷屋、即席で名刺をつくってくれる

その名刺には肩書も役職もない、まっさらな上質和紙に姓名だけをも毛筆体で大書

それをもって霞が関、永田町に飛ぶ

名刺を差し出す

受付は素通り、秘書が丁重に頭のてっぺんから靴の先まで見てドアをあけて

ど〜ぞ

これも経歴の計略の一種

でもね、人間として話をするに肩書も役職もいらんでしょ

そこがわからんやつと話をしても始まらない

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54847] 「純粋」でも「超越的」でも「還元」でもない、計略で着膨れた「現象学徒」斎藤鼠君 こういうもんが生まれてくる「現象」もまた研究対象だなあRe:[54846] いくら日常言語的な経歴があろうが経歴(きょうりゃく)の貧弱なもんは美味しくもないし栄養にもならぬ 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/03/10(Thu) 13:19  

ねよふたはANNEX−Ω   訪問者数:11756061(今日:494/昨日:1627) 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/10(Thu) 11:05 先負(壬戌) 旧暦 2/8 月齢 7.4 上弦 寝よ豚は

Lara Fabian - Perdere l'Amore (English lyrics translation)
http://www.youtube.com/watch?v=jJ_k43OOsXU

こういう洋曲、Youをかのユダヤ的な「我と汝」の汝=神として味わえばまた格別な味わいもでてくる

もちろん、全てのYouが汝=神でもなく、エリアーデ風にいえば宗教性の希薄になった昨今ぢゃ、汝も愛も神とのやりとりではなく、皮相の恋人や性交の性向に成り下がっている

それでもそこに幾許かのソクラテス的男女間、それ以前、祖霊呼応、うむ、それ以降の神への希求の痕跡もみとめられよう

もう@舌下の黙々もとってしまおう、うるさいから

黙々なんてあたりまえで、もう何を言って喋くり捲くろうと黙々でしかありえんのだか


> してちやしANNEX−Ω   訪問者数:11755934(今日:367/昨日:1627) 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/10(thu) 16:50 先負(壬戌) 旧暦 2/8 月齢 7.4 上弦
>
> 今朝はなぜか「経歴」を思い出した

して「経歴」のプロット



職業

肩書

名刺

クルマ

その他その他

現象学徒と市居の文筆家

> 道元の言葉で「きょうりゃく」と読む
>
> 「意識と本質」などをめくってみたが見当たらない
>
> だいたいが、レ点や線引きが多くキーワードとか己が想念を欄外に書き出す
>
> そういう落書きがあれば捜し易いのだが、20年前のレ点と線引では探すのも大変
>
> そこでの〜みそをかき回し
>
> ああ、そうだ、あの時にその興に駆られて友人にメールを送ったはずだ
>
> そのメール2022/02/09,Wed 11:39がこれ↓
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
>
> 経歴の日々好日にして如月
>
> 今朝は面白い言葉にであった
>
> 道元の「経歴」すなわち「きょうりゃく」と読む
>
> 華厳的な一即多、多即一の一個の宝珠の「けいりゃく」に映り込む過去現在東西南北自他万象が燦然と輝を放つ

この書き間違いも面白い

きょうりゃくをけいりゃくとなす

経歴を計略となすのね

ふんまに誠に巷にはそういうもんが多い

またまた話があっちにいって出る糞も下痢になるが


> これは井筒の「コスモスとアンチコスモス」U創造不断の章、文庫本の200ページ目前後の記述に詳しい

これは井筒の「コスモスとアンチコスモス」もエリアーデのコスモスと混沌を発展させたものかもしれない

というのも、その井筒の骨子はエリアーデを踏まえてそこにあれこれ肉付けしている

そこで井筒はエリアーデに言及していたか、覚えていない

そのエリアーデも井筒も影響をうけたといわれるオットーの名前にも言及はないか少ない

だうしてか?

岩松英輔「井筒俊彦 叡智の哲学」慶応大学出版会

において岩松曰く、といってもみんな返却してしまったから、のう〜みその幻影

エリアーデもオットーもみんな名をだすほどのもんぢゃない

ということは、エリアーデもオットーもみんな井筒の血肉そのものになっているからいちいちの名を意識的に言及することもない

たしかにこれはいえることで岩松の鋭さして寛容さがうかがわれる

人間だれでも、血肉となってしまったもんにその由来や名前は言及せぬ

俺の足は大根のおかげだ、はたまた豚や馬のおかげだなんて思わないもの

大根さんごめんね、豚も馬さんもごめんね、無視して・・

無視してんぢゃないの、そのものと一体化、消化して血肉と化してしまえば大根も豚も馬もねえ

そこの機微ね、その機微を岩松はわかっていて、なおかつエリアーデやオットーの言説までも言及する

言及されちゃあ、エリアーデやオットーをも読んでみようか

という気にもさせられる

そこが案内者として卓抜なところで、隠し画の中の隠し画へのめりこんでゆく

これは俳句でも和歌でも詩でも小説でもなんにでもいえる

> このたび20年ぶりに井筒を読み始めて思うことは、これはまことに言語における交響曲
>
> 井筒はこの壮大なるオーケストラのしつらえ、マーラーの巨大なる管弦打楽器をはるかに凌駕したしつらえの中で
>
> 奏でるメロディー、哲学的構造化の波濤の間に間に鬼籍の巨人まで動員せしめて歌わせる独唱あるいは大合唱
>
> この大いなるオーケストラ合唱団を率いて指揮棒を振う井筒
>
> 構造化のメロディーの楽譜は井筒の脳中にあり、そこに歌われる詩や言葉は構造化の閃きに応じて縦横無尽に呼び出されるペルシャ・ユダヤ・ギリシャ・アラブ・インド・中國・日本などの巨人の群れからの、その一即多、多即一の歌声

このところにしても同じ

20年振りに読んでみればこれは詩、叙事詩にして交響曲

さういう風に思わしめられることを不思議な気がしていた

ところに、牧口があらわあれこれと案内してくれる

そうか、なぜ詩にして交響曲なのかも俄然として解けてくる

溶けてくる、氷解してくる、固いものも流れてきて、入歯を痛めなくても喉を潤してくれる


西脇順三郎に師事、アカデミックには詩から入った井筒にして

クロオデル、リルケ、マラルメ、その他その他も出てくる、でて来る

来ればそれらにも手を出そうと思う

リュックが重くて担いで歩けば韃靼人に怒られそう

しかし、こういう外国の詩というもんは、その母語で読まねば

語学の天才の井筒にして言語で読んでも母語がちがえば味わいもまたことなると

そこにも@舌下の黙々を感じる、そうなのよ、母語で読んで母語で云ってさえ黙々、云い得ぬものがる

ましてや、翻訳というのはいかがなものか

ニーチェのツァラトストラ

これの翻訳も新旧いくつもあるが、全部味わいがちがって、だうもそぐわぬものもある

おもしろのうなもんは「香煙菩薩斯語」なるほど

ランボーの大鴉にしたって、そうだ

その大鴉のコトバ NEVERMORE

「もはやない」とか「またとなけめ。」とか・・

而して、言語、原語、母語、黙々がかわろうとも、もしその原著者に世界樹があってその臍を見抜く訳者が語れば、そこにまた事事が異なろうとも無礙にして溶け合った世界樹がまた現成しようというものだ

さう励まして、翻訳ものにも取り組んでいるが・・

母語の井筒の著作に母語で接しておって

斎藤慶天著「『東洋』哲学の根本問題あるいは井筒俊彦 講談社選書メチエ

なんたるザマぢゃ

斎藤がみつけたかどうかもわからんが、種々様々な井筒の言説の割れ目へ

どこそこの他者を引き込んで、その他者がこういっておる、と

かの浄土教を井筒が言及せんかったそのことも、どっかの仏教に詳しい尼さんか女流仏教学者かの言葉を引用する

浄土教に皮相の言葉では言及しちょらんとしても、その井筒の深層のコトバにおいては、十分に言及しちょる

そこがこの鼠君には読めぬのんね

井筒言説の詩的味わいにしてもうさうだ

わざわざ日野をもちだしてきて、日野がとりあげる一節まで書き写している

なんで、てめえで味わって、てめえの言葉で言わんのぢゃろ?

ようは、このやからには、云えないのね

こわくて、怖くて、自分が実践も体験も経験もせんで、言葉の上っ面だけでやっちょるけん、なんもいえん、水泳のあの僕ちゃん以下

あの僕ちゃんが鶴べの家族に乾杯ででておったが、かなりの阿呆であることをその所作において証明していた

見知らぬ街に溶け込んでいけない

尻込みして尻込みして、そんでも振り宛られた役割をこなせばならん

おそる恐る通行人や住人に言葉をかけるが、なんの発展もなく、尻尾を巻いてもどってくる

さういう風景が斎藤には蔓延しちょる

> まことにこんな面白いもんはなく
>
> わが駄眩妄眩の類も「経歴」にして「きょくりゃく」か
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

>
> この宛先の友人が井筒の存在を教えてくれた
>
> それもわが経歴(きょうりゃく)にして恵まれた
>
> 偉大なる叙事詩にして交響曲、そんな哲学書がかつてあっただろうか
>
> 20年前に齧りだしたときは、もう、その分かりにくい述語も抵抗になってまことに頭が痛い
>
> 痛さを押して読了したのは、そこに比較的なじみやすい俳句のこと、禅語のこと、わが経歴において大部を占めるアラブのことなどに轢かれて
>
> ようは、なじみがあっても知らないことは山とある
>
> 人は誰でも自分の目先、視線や脳みその想念の届く範囲しかみえない
>
> それを押し広げてくれる、見えないもんも観えたきにさせてくれる
>
> さういう気にさせてくれもんが、おのが経歴に鑑みれば、あきらかに己が体験経験にもある
>
> そうなってくると、見えぬ先の茫はっきり見えてきて、のめり込む
>
> 禅語ひとつとったって自分の視線が届いているものは量質ともに実に限定的
>
> その限定された視野狭窄を広げてくる
>
> 世の中には自分が知らない人間、通時的に共時的もまことに無限大
>
> その無限大の幾許かが、古代であれ、地の果てであれ、自分と共有できるもの
>
> 共感、共鳴、共振
>
> できるもの、さういうもんを発見するのは人生の喜び
>
> だけれどもそういう共感、共鳴、共振を起こさずして反発、反感、果ては罵倒したくなるもんにも多く出会う
>
> 総じてそういうもんは通時的、共時的な広がりのかなたにいるものではなく
>
> すぐそばにいてどくどくと血の流れる心臓をもってむしゃむしゃと食い散らかして
>
> ぼたぼたと臭い糞をしまくっている輩
>
> その糞を箆でかき集めてあれこれとねめまわし舐めまわし
>
> 糞もええ臭いで、美味
>
> とはおもわんが、なんで臭いのんか、なんで不味いのんか
>
> そう考える機縁を与えてくると糞もまた仏
>
> その糞を搔き集める言葉にしてコトバは、まさに乾屎橛
>
> 平田精耕がいつも振り回してたあれだ
>
> 経歴、いろんなところでつながる

経歴にまたもどってっきた

斎藤慶天著「『東洋』哲学の根本問題あるいは井筒俊彦 講談社選書メチエ

の経歴は、もう返却してしまったが、うろ覚えだが

慶應哲学科教授で、みずから現象学徒と名宣る

この糞本を書くにウィーンのオペラだ、1200mの高原別荘だとぬかす

そんなとこでうつつをぬかして書いておるけん、こんな糞本になる

そんな暇がありゃあ、どっかの小屋の禅堂にでも参禅して警策で滅多撃ちにされてこい

さすればまうちっとものも観えるようにならうちうもんぢゃ

して、この斎藤鼠君は経歴によれば、まう還暦にならうかちう歳らしい

して、先の岩松英輔「井筒俊彦 叡智の哲学」慶応大学出版会

岩松は斎藤鼠君より10歳ほど若い

若くてなおかつこれだ!人間の格が違う。計略めいた経歴の名のりもない

いちいの文筆家にしてハーブのビジネスでいきているそうだ

さういうもの、いわば

赤肉団上一無位真人

的であれば、おなじ井筒を読んでも雲泥の差で目が行き届く

舌を巻くほど隠し画の中の隠し画を見出しそれを若松自身の言葉にしてコトバで語りうる

それに比して斎藤鼠君は、それが全くできておらん「現象学徒」

現象学とはこんなに浮薄なもんだったんだろうか

また現象学を齧ってみる気にもなる

御慶

> 日々の生活語ににも禅語、仏教語、はてまたゾロアスター語、キリスト教語、無意識に使っている
>
> そういうもんへ意識をむけて読み解く
>
> 不幸にしてか幸いにしてか、昨日はワクチン三回目
>
> リュックで分厚い期限本を背負って図書館に返却して
>
> 注文しておったエリアーデの世界宗教史と交換
>
> ちらちらとしか見てはおらんも、これもいける
>
> 日常の言葉のみならず、われらの所作、造作、身体、住宅、都市、国、世界構築のなかにいかに宗教的人間の表象が秘んでいることか
>
> このエリアーデも大変な経歴(きょうりゃく)なんだね
>
> いくら日常言語的な経歴があろうが経歴(きょうりゃく)の貧弱なもんは美味しくもないし栄養にもならぬ

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54846] いくら日常言語的な経歴があろうが経歴(きょうりゃく)の貧弱なもんは美味しくもないし栄養にもならぬ 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/10(Thu) 08:59  


してちやしANNEX−Ω   訪問者数:11755934(今日:367/昨日:1627) 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/10(thu) 16:50 先負(壬戌) 旧暦 2/8 月齢 7.4 上弦

今朝はなぜか「経歴」を思い出しだ

道元の言葉で「きょうりゃく」と読む

「意識と本質」などをめくってみたが見当たらない

だいたいが、レ点や線引きが多くキーワードとか己が想念を欄外に書き出す

そういう落書きがあれば捜し易いのだが、20年前のレ点と線引では探すのも大変

そこでの〜みそをかき回し

ああ、そうだ、あの時にその興に駆られて友人にメールを送ったはずだ

そのメール2022/02/09,Wed 11:39がこれ↓

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

経歴の日々好日にして如月

今朝は面白い言葉にであった

道元の「経歴」すなわち「きょうりゃく」と読む

華厳的な一即多、多即一の一個の宝珠の「けいりゃく」に映り込む過去現在東西南北自他万象が燦然と輝を放つ

これは井筒の「コスモスとアンチコスモス」U創造不断の章、文庫本の200ページ目前後の記述に詳しい

このたび20年ぶりに井筒を読み始めて思うことは、これはまことに言語における交響曲

井筒はこの壮大なるオーケストラのしつらえ、マーラーの巨大なる管弦打楽器をはるかに凌駕したしつらえの中で

奏でるメロディー、哲学的構造化の波濤の間に間に鬼籍の巨人まで動員せしめて歌わせる独唱あるいは大合唱

この大いなるオーケストラ合唱団を率いて指揮棒を振う井筒

構造化のメロディーの楽譜は井筒の脳中にあり、そこに歌われる詩や言葉は構造化の閃きに応じて縦横無尽に呼び出されるペルシャ・ユダヤ・ギリシャ・アラブ・インド・中國・日本などの巨人の群れからの、その一即多、多即一の歌声

まことにこんな面白いもんはなく

わが駄眩妄眩の類も「経歴」にして「きょくりゃく」か

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

この宛先の友人が井筒の存在を教えてくれた

それもわが経歴(きょうりゃく)にして恵まれた

偉大なる叙事詩にして交響曲、そんな哲学書がかつてあっただろうか

20年前に齧りだしたときは、もう、その分かりにくい述語も抵抗になってまことに頭が痛い

痛さを押して読了したのは、そこに比較的なじみやすい俳句のこと、禅語のこと、わが経歴において大部を占めるアラブのことなどに轢かれて

ようは、なじみがあっても知らないことは山とある

人は誰でも自分の目先、視線や脳みその想念の届く範囲しかみえない

それを押し広げてくれる、見えないもんも観えたきにさせてくれる

さういう気にさせてくれもんが、おのが経歴に鑑みれば、あきらかに己が体験経験にもある

そうなってくると、見えぬ先の茫はっきり見えてきて、のめり込む

禅語ひとつとったって自分の視線が届いているものは量質ともに実に限定的

その限定された視野狭窄を広げてくる

世の中には自分が知らない人間、通時的に共時的もまことに無限大

その無限大の幾許かが、古代であれ、地の果てであれ、自分と共有できるもの

共感、共鳴、共振

できるもの、さういうもんを発見するのは人生の喜び

だけれどもそういう共感、共鳴、共振を起こさずして反発、反感、果ては罵倒したくなるもんにも多く出会う

総じてそういうもんは通時的、共時的な広がりのかなたにいるものではなく

すぐそばにいてどくどくと血の流れる心臓をもってむしゃむしゃと食い散らかして

ぼたぼたと臭い糞をしまくっている輩

その糞を箆でかき集めてあれこれとねめまわし舐めまわし

糞もええ臭いで、美味

とはおもわんが、なんで臭いのんか、なんで不味いのんか

そう考える機縁を与えてくると糞もまた仏

その糞を搔き集める言葉にしてコトバは、まさに乾屎橛

平田精耕がいつも振り回してたあれだ

経歴、いろんなところでつながる

日々の生活語ににも禅語、仏教語、はてまたゾロアスター語、キリスト教語、無意識に使っている

そういうもんへ意識をむけて読み解く

不幸にしてか幸いにしてか、昨日はワクチン三回目

リュックで分厚い期限本を背負って図書館に返却して

注文しておったエリアーデの世界宗教史と交換

ちらちらとしか見てはおらんも、これもいける

日常の言葉のみならず、われらの所作、造作、身体、住宅、都市、国、世界構築のなかにいかに宗教的人間の表象が秘んでいることか

このエリアーデも大変な経歴(きょうりゃく)なんだね

いくら日常言語的な経歴があろうが経歴(きょうりゃく)の貧弱なもんは美味しくもないし栄養にもならぬ









やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54845] 入鄽垂手 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/07(Mon) 16:50  

「ユー・アー・ラブ You Are Love 〜復活の日テーマ〜」ジャニス・イアンJanis Ian
https://www.youtube.com/watch?v=S2RtJ583JS0

素朴なるこれは愚者にて妙好人

「大菩薩峠」にも「十牛図」十の入鄽垂手、巷に多い

根を齧る賢者めかせるドブ鼠

まことに「大菩薩峠」にも、巷の宗門者、哲学者と称するやからにやたらに多い

「尋牛」の牛においてさえ見ているのは「利」

牛は屠殺され解体され鼠の胃の腑とポケットに入るのみ

尋牛さえ果たし得ず、見跡でさえ利において跡を見る

似て非なる「入鄽垂手」を装うて巷のドブをさ迷う

利を求めて

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54844] 山は山 Re:[54843] 改稿:ピスガの山〜ジョイスにこういう風なもんがあるんであろうか 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/07(Mon) 16:09  

隠し画の中の隠し画山眠る

Michael Jackson Billie Jean 30th Anniversary Celebration Remastered
http://www.youtube.com/watch?v=s2pwZsQBfAg

ものまね芸人コロッケがマイクロジャクソンを演じるか?

> もう50年以上前の増田義郎宅の私的ゼミ
>
> ピスガの山
>
> やっと思いだしてきた
>
> 山に登る

山は神の降臨の山

そこここにあります

巍々たる岩山

森閑とした里山

都会の聖なる端山葉山高麗山

名もない裏山

富士講の築山塚山

山は山に限らず人、書、思想、宗教、結社、等々

> 広大な裾野から頂上を目指して
>
> 一歩一歩登って行く


単独行

団体行

御師やガイドと連れ登る

> やれやれ、俺はこの高みまでのぼってきた
>
> 自分にご苦労さん
>
> 無事にのぼってきた自分に安堵
>
> 見回しても誰もいない
>
> この景色は俺のものだ

井筒の山は隠し画の宝庫

皆さんこの景色をご覧ください

岩松英輔「井筒俊彦 叡智の哲学」慶応大学出版会

これはエクセレントな御師にしてガイド

山の味わい隠し画の味わいが一層増してくる

ところが

斎藤慶天著「『東洋』哲学の根本問題あるいは井筒俊彦 講談社選書メチエ

隠し画どころぢゃない、騙し画

隠し画の中の隠し画は井筒

何層にも隠し画が隠れている

そのガイドとしては適するものもおりゃあ、不適なもんもおる

斎藤鼠君のガイドでいくと

山の割れ目、岩の割れ目

それを見つけてはどんどん山から下っていく

ガイドさんおかしいんぢゃないですか?

いやいや、これが(いま・ここで=現に)で間違いない

ついておいで最後まで

山頂を超してさらなる高みに連れていってあげる

体感的にも経験的にも知的にも確かに下っているのだが

視覚的には登っている

哲学的めかした騙し画で

騙し画の果ては出発点より低い入鄽垂手(にってんすいしゅ)

言葉だけが化けておって入鄽垂手(にってんすいしゅ)でもなんでもない

一杯食わされた

と思った時にはドブの中

> この高みは俺だけのものだ
>
> 俺さまの高みに素朴に酔っぱらって頂上に達する
>
> 他者がいた!

そこで出会った他者を撃ち殺すか

握手するか

抱き合って喜ぶか

しらんぷりするか

> 山頂の激風
>
> 酔いも一挙に吹っ飛んだ
>
> こういう風だったのかもしれぬ

神の息吹

> この俺さまには山の裏側に同じように一歩一歩登っている他者は見えない

今村仁司著「『大菩薩峠』を読むー峠の旅人」ちくま新書082

今村ガイドは山の石ころに詳しい

その欠片を拾ってこれとこれは同じ

これとこれは対称とか景色そっちのけで案内する

ぼありんぐ、ぼありんぐ、あくびのでてきたころ

頂上に案内され突然の絶景が現れる

このゲシュタルト、俯瞰図は地面ばかりみていて意外な展開

もう一度、登りなおして味わってみようという気にさせる

井筒の山もニーチェの山もはたまたゲーテ、キルケゴールの山も隠し画がまことに多い

隠し画の中の隠し画を味わいたい

微分して微分しても積分に積分を重ねてもとにもどって微分した味わいを積分において味わう

複眼の眼の数も増えようというものだ

思念の数も増えようというものだ

せっかくの山に入ってそういう驚異の境位も経験せず

入鄽垂手(にってんすいしゅ)してドブに溺れるのは愚の骨頂

それでも骨頂も頂上

山は山

花は花

> ジェームスジョイスを読み込むゼミ
>
> ジョイスにこういう風なもんがあるんであろうか

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54843] 改稿:ピスガの山〜ジョイスにこういう風なもんがあるんであろうか 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/07(Mon) 13:57  

もう50年以上前の増田義郎宅の私的ゼミ

ピスガの山

やっと思いだしてきた

山に登る

広大な裾野から頂上を目指して

一歩一歩登って行く

やれやれ、俺はこの高みまでのぼってきた

自分にご苦労さん

無事にのぼってきた自分に安堵

見回しても誰もいない

この景色は俺のものだ

この高みは俺だけのものだ

俺さまの高みに素朴に酔っぱらって頂上に達する

他者がいた!

山頂の激風

酔いも一挙に吹っ飛んだ

こういう風だったのかもしれぬ

この俺さまには山の裏側に同じように一歩一歩登っている他者は見えない

ジェームスジョイスを読み込むゼミ

ジョイスにこういう風なもんがあるんであろうか

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54842] ピスガの山〜ジョイスにこういう風なもんがあるんであろうか 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/07(Mon) 13:46  

もう50年以上前の増田義郎宅の私的ゼミ

ピスガの山

やっと思いだしてきた

山に登る

広大な裾野から頂上を目指して

一歩一歩登って行く

やれやれ、俺はこの高みまでのぼってきた

自分にご苦労さんと

云い

無事にのぼってきた自分に安堵

周囲を見回しても誰もいない

この高みは俺のものだ

いやこの景色は俺だけのものだ

この俺さまには山の裏側に同じように一歩一歩登っている他者は見えない

俺さまの高みに素朴に酔っぱらって頂上に達する

他者がいた!

びっくらこえる

こういう風だったのかもしれぬ

ジェームスジョイスを読み込むゼミで

ジョイスにこういう風なもんがあるんであろうか

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54841] 岩波も劣化しちょって井筒の「意味の深みへ」岩波文庫青-185-4の「解説」がまたこの斎藤鼠君で大いなる汚点、合庭のような編集者はもういないのかもしれぬRe:[54840] 空間・時間さえ否定 Re:[54825] すべてはブーメランのごとく己から発したものは己へ戻ってくるRe:[54824] 恥の勲章 Re:[54823] 猫でも犬でも羊でも馬でもようござんしたが、溝鼠」Re:[54822] “Nevermore.”Re:[54797] I Never Sing Another Song 焼芋 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/07(Mon) 13:00  

素朴なるニュートン力学cycling

> Chet Baker - Almost blue
> http://www.youtube.com/watch?v=z4PKzz81m5c
>
> エルンスト・マッハは五感に加えて空間・時間さえ否定した
>
> その系譜に相対性理論をはじめとして科学、哲学、詩、あらゆる世界に膨大な影響を及ぼした
>
> 慶應義塾哲学科教授の斎藤慶典は「空間」を素朴に信じておって(いま・ここで=現に)でに執着しておるが、だうも視野狭窄、マッハも視野にはいっていないようだ
>
> 視野狭窄というより思想狭窄、経験、体験、実践の欠如して他者のパロールと「言葉」と「論理」ばかりを振り回すからああいう風になる

井筒を延々と引用して飲用もでけんば咀嚼もでけん

ましてや消化して己が栄養となすことできないのはあたりまえ

もしできちょれば、ああいう、これから遭遇するであらう愚劣なる疑問はわかないであらう

返す返すも・・

> > もうひとつ、だめおしの溝鼠的広告、長口舌
> >
> > 斎藤慶典著「『東洋』哲学の根本問題あるいは井筒俊彦 講談社選書メチエ
> >
> > 裏表紙に大書してある広告をご披露しよう
> >
> > ああ、我もまた溝鼠の蔓延、溝鼠著作本の広告に随分一役買っている
> >
> > *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
> >
> > 東洋哲学とは何か。インド・中国・日本の思想を指しているのか。
> > 井筒俊彦は個別研究の枠を超え、中近東やロシア、東南アジアにも視野を広げた全東洋的思想の根底にある哲学をつかみ、拓いていく。・・・・・・省略・・・・・・
> >
> > 言語哲学者、イスラーム哲学研究の権威・井筒が生涯をかけた「世界的な視野を具えた新たな哲学」はどの地点に到達したのか。
> > その哲学的営為の総体を受け止め、更に先にある問題を見極める
> >
> > *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
> >
> > だってさ。
> >
> > わははは
> >
> > とわらわざるを得ぬ
> >
> > 誇大広告で消費者庁に告発しちゃおう
> >
> > とさえおもえるこの溝鼠君の思い上がり
> >
> > まんず乗越えようとする対象をもちゃげまくって、権威付けをしこたまやって、それを乗越えるドブ鼠君は、こんなに偉いんだぞお、といデモンストレーション
> >
> > まさにエピゴーネンの面目躍如
> >
> > 全然「その哲学的営為の総体を受け止め」てもおらんし、「更に先にある問題を見極め」てもおらん
> >
> > 「その哲学的営為の総体を受け止め」んぢゃのうて、書き写し書き写しして細切れ言説のその接続に溝鼠くんの臭さ、「「論理」と「存在」の肯定、それが「唯一無二」という似て非なるものを「受け止め」、疑い剥がしたはずのところの溝鼠の臭い衣をまた着こんで「更に先にある問題を見極め」た先には共同体と自由と平等がって、それを見るまなざしに「複眼、双眼」も解せずして、なおかつ
> >
> > 「権威・井筒が生涯をかけた「世界的な視野を具えた新たな哲学」はどの地点に到達したのか。」
> >
> > という視点にいたっては、それは実践も体験も経験もともなわぬ、うわずった「論理」と「言葉」で一大交響曲を雑音と化すその腐りきった青臭い芬々の身をも顧みず、溝鼠が講壇の高みに上って井筒を見下ろしているようなそのものいいはまことに噴飯もの
> >
> > これは深みや高みにおいて到達した地点ではのうて、んったく次元の違う地点への誘導の鼠罠ある
> >
> > ま、世によくあるエピゴーネンどぶ鼠的景色として流しておけばよい。
> >
> > 消費者庁への告発もやめましょう

講談社の宣伝文句であって責は斎藤とはかぎらんかもね

それにしても岩波も劣化しちょって井筒の「意味の深みへ」岩波文庫青-185-4の「解説」がまたこの斎藤鼠君で大いなる汚点、合庭のような編集者はもういないのかもしれぬ

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54840] 空間・時間さえ否定 Re:[54825] すべてはブーメランのごとく己から発したものは己へ戻ってくるRe:[54824] 恥の勲章 Re:[54823] 猫でも犬でも羊でも馬でもようござんしたが、溝鼠」Re:[54822] “Nevermore.”Re:[54797] I Never Sing Another Song 焼芋 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/07(Mon) 12:30  

Chet Baker - Almost blue
http://www.youtube.com/watch?v=z4PKzz81m5c

エルンスト・マッハは五感に加えて空間・時間さえ否定した

その系譜に相対性理論をはじめとして科学、哲学、詩、あらゆる世界に膨大な影響を及ぼした

慶應義塾哲学科教授の斎藤慶典は「空間」を素朴に信じておって(いま・ここで=現に)でに執着しておるが、だうも視野狭窄、マッハも視野にはいっていないようだ

視野狭窄というより思想狭窄、経験、体験、実践の欠如して他者のパロールと「言葉」と「論理」ばかりを振り回すからああいう風になる

なんで、マッハがでてきたか

超音速、風より早いマッハの語源だから

その風を追い越すマッハでまた句が詠めるかもしれない

> > > ゆつもてまANNEX−Ω   訪問者数:11748627(今日:633/昨日:1155)投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/04(Fri) 13:25 先負(丙辰) 旧暦 2/2 月齢 1.4
> > >
> > > 懊悩の諸手を挙げて寒昴
> >
> > Oh No!
> >
> > ロシアが原発にミサイルをうちこむ
> >
> > まさにプーチン露西亜のハルマゲドン、黙示録
>
> 実践・行動
>
> 諸手を挙げて懊悩しOh No!と叫んだところで私はこの事態にたいしてなにができるのであろうか?
>
> 寒昴ならぬロシアのミサイルへ諸手を挙げて迎撃砲を狙い定めて撃つ
>
> 極東からウクライナまでとどくはずもなく、また目下の国家体制では一般市民に武器の携帯もゆるされていない
>
> だから事態へ無力、やるせなさにますます懊悩、Oh No!するばかり
>
> といって安住していていいのだろうか
>
> 独白
>
> 毒吐く
>
> すべてはブーメランのごとく己から発したものは己へ戻ってくる
>
> そこここの言説はもとよりプーチン露西亜にしても同じことだ
>
> ウクライナへむけて撃ったミサイルが空中で方向転換してクレムリンを破壊する
>
> さいうことだってあるかもしれぬ
>
> だうやって?
>
> 念力で
>
> 馬鹿ぢゃねえの
>
> 馬でも鹿でも豚でも鼠でもよろし
>
> でも、人間だもの
>
> そうそう人間だもので、いまや念力はサイバー空間にあるやもしれぬ
>
> ばかばかし
>
> アノニマスでもペンタゴンでもよろし、ウクライナ標的のミサイルをことごとくクレムリンあるいはペンタゴン標的に変える仕掛け
>
> 仕掛ける、仕掛けたらクレムリンもおなじことをするかもしれない
>
> だとしたミサイルはどこにゆくのか
>
> 燃料が尽きたところで落下する
>
> そこがどこか、ロシアの兵土か、ウクライナの大地か、はたまたヨーロッパの森か、わが国の田んぼか
>
> 原発が破壊されるよりはましだね
>
> まずは撃たせぬこと
>
> ペンタゴンもアノニマスもサイバー攻撃でクレムリンの命令やミサイルの発射そのものを止めることはできんのやろか?
>
> ひとごとにいいなさんな、そこでおまえさんはなにができるのだ?
>
> > > さてとん、これは閻魔大王の錫杖の音、裁きの法廷にして縛り上げる羂索
> >
> > 最後の審判
> >
> > > 閻魔さまぢゃなくてお不動さまの持ち物ぢゃねえの?
> > >
> > > どちらさまでもよろしい
> > >
> > > まずは、斎藤慶典著「『東洋』哲学の根本問題あるいは井筒俊彦 講談社選書メチエ
> > >
> > > 地獄とはいわぬ、ドブに落ちろ、この溝鼠め。
> > >
> > > 判決文は後程
> >
> > 多少は読んでみたが、読むに堪えぬ
> >
> > つまらんのんね。先の印象に間違いはない
> >
> > *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
> >
> > > 斎藤は若いだけに井筒俊彦に挑もうとしちょるんか、井筒俊彦の足らんところにも力んで言及しちょるが、所詮井筒俊彦の比ではなく、その交響曲的味わいを散々なもの分解してゴミをとっ散らかす
> >
> > ゴミをとっ散らかす。とはいえ、もともとはゴミではない。井筒俊彦の特徴てきな概念キーワードのいちいちを取り出してそれに幼い分析、あたかも赤ん坊が一個のすばらしいモザイクでできた肖像のモザイク、積み木を崩してなめまくった挙句にもとの肖像には全然戻せない、散乱したまんまのお部屋の産卵、散乱、とっ散らかしておしまい。
> >
> > *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
> >
> > おしまいか、だうか
> >
> > 最終にすっとんでいくと
> >
> > ハンナ・アーレントの「政治」、共同体と自由と平等がでてくる
> >
> > そこいたる道筋で井筒の言説、言葉の数々を引用して、そこに疑問符をつける
> >
> > どうもこの溝鼠君は徹頭徹尾「論理」を駆使して井筒を読み解くところに根拠をおいている
> >
> > だから、菩薩行も向下道も、なぜ?ということが解明されていない、と、ほざく
> >
> > 密教や禅は取り上げらるが民衆とは縁遠いものであって、救いをもとめる民衆に拡まった浄土宗への言及がないとほざく
> >
> > はては、(いま・ここで=現に)をそこここでとっちらかし、その一章すらもうげているがなんとうすっぺらいことよ
>
> (いま・ここで=現に)はこの溝鼠君の眼目らしいが、いかにもうすっぺらい
>
> 厚みめかしているんはドブ鼠君が他人から借りてきて抜き取った他人の言説の切り貼りでいっぱいで
>
> ドブ鼠君のオリジナリティとは、他者の切り貼りか
>
> 他者の切り貼りでもよろし、それが己が血肉になっておれば
>
> すっかす、このドブ鼠君においては、さういう気配もない
>
> ドブ寝ず観、ドブ鼠君の優越、我田引水の臭気芬々
>
> それを改めて下に赤肉団上一無位真人でみてみよう
>
> そこでも(いま・ここで=現に)はこの溝鼠君の眼目らしいが、いかにもうすっぺらい
>
> 厚みめかしているんはドブ鼠君が他人から借りてきて抜き取った他人の言説の切り貼りでいっぱい
>
>
> > 要は、実践がない、体験、経験もない
> >
> > 言葉だけ論理だけで「考える」からこういう溝鼠的事態に陥る
> >
> > 神、真理、理性、公理、理性、論理、我、言葉、科学、みんな死んだ
> >
> > さういうことを頭ではわかっても、実践として、体験として、経験としてわかっていない
> >
> > だから稚拙な青臭い「論理」をふりまわし、と〜とろじ〜の牧口創価学会的なもんに成り下がる
> >
> > (いま・ここで=現に)したって、そこに如何に道元の言葉、それも井筒の引用したもんを引用しても、実践・体験・経験がない、ゆえに薄っぺらい
>
> ああ、かういう溝鼠の言説の幾許かを具体的に飲用して反吐を吐くのんもうんざりぢゃが・・あまりにも抽象的な毒吐くばかりぢゃなんだから具体的な溝鼠君の言説
>
> 斎藤慶典著「『東洋』哲学の根本問題あるいは井筒俊彦 講談社選書メチエ p219^220
>
> 「」入りで細切れにした井筒その他のコトバを言葉と縷々つらねた挙句に
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
>
> これを『臨済』は「無位の真人」と表現する。井筒によれば「無位」とは「絶対限定(無固着的)[で・・・]自由無礙な柔軟性」である。
>
> 赤肉団上に一無位の真人有り。・・・・・・・
>
> 今の論脈に合わせて自由に訳せば、次のようにでもなるであろうか。
>
> 「たまたまこの肉体を具えた人物の下に、端的に「ある(=「がある」)ところの私がいる。・・・・
>
> 「私」は、もはや、「神の」それでも「人間の側の」それでももはやなく、全てが<いま・ここで=現に>「ある」ことそのこと、端的な(一切の限定なしの)「ある」だと言ってよい。・・・そのような「ある」は、どう考えても唯一つしかないというのである。
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
>
> この文脈で「というのである」のは誰か?溝鼠君は臨済にいわしているようだ。
>
> ドブ鼠君のご都合で臨済もいわされちゃあ、たまらんわな
>
> 畢竟、溝鼠君の境地、さうまさに「境地」はこの程度なのだ。
>
> いくら臨済にいわせようが、井筒にいわせようが、そこに溝鼠的境地があらわにあらわれいる
>
> この溝鼠的境地とは、いかがなものか、
>
> いかがわしい「ある」の強調
>
> 臨済の言にせよ井筒の言にせよ、それを分解してしゃぶりつくその源が「ある」「存在」「現に」というまなざしでしかおこなわれていない。
>
> これらの言説につづけてドブ鼠君曰く「絶対に取り消されることのあり得ないもの、それは唯一無二、ブラーフマン」であり、デカルトの我思うゆえに我あり、などなどぐだぐだ云って、デカルトは「ブラーフマンの再来だったかもしれない」と
>
> 鼠君は逃げの言論述にも巧みでこの「かもしれない」はまことによく頻出する
>
> それは鼠君は人になれない、私と他人は絶対に融合できないという確信に基づくものらしい
>
> 要は、この鼠君は徹頭徹尾、ドブの娑婆の「存在」を肯定し「私」の「存在」を肯定して
>
> ドブ鼠君が最後に読んでほしいという共同体や自由や平等へ誘導したいらしい
>
> 畢竟、このドブ鼠君の脅威、ああ、驚異において、境位においては、
>
> なんのための向上道か、向下道か、わからぬも当然であって
>
> 「ふり」において、真似においての否定はでけてもそれ以上には進めずしたがってみんな元の木阿弥でおわりなんぢゃね
>
>
> ようは、井筒を臨済を「利」用して脱がねばならぬ「全裸」の「真人」にどんどん溝鼠的衣装にして意匠を着せ重ねてすべてをドブ鼠的もとの木阿弥
>
> ちうと木阿弥さんにも悪いが、畢竟、否定哲学、それが洋の東西においてなされているそこのところをドブ鼠的に齧ったところで、喰えぬ不味い溝鼠の味しかせんということよ
>
> もうひとつ、だめおしの溝鼠的広告、長口舌
>
> 斎藤慶典著「『東洋』哲学の根本問題あるいは井筒俊彦 講談社選書メチエ
>
> 裏表紙に大書してある広告をご披露しよう
>
> ああ、我もまた溝鼠の蔓延、溝鼠著作本の広告に随分一役買っている
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
>
> 東洋哲学とは何か。インド・中国・日本の思想を指しているのか。
> 井筒俊彦は個別研究の枠を超え、中近東やロシア、東南アジアにも視野を広げた全東洋的思想の根底にある哲学をつかみ、拓いていく。・・・・・・省略・・・・・・
>
> 言語哲学者、イスラーム哲学研究の権威・井筒が生涯をかけた「世界的な視野を具えた新たな哲学」はどの地点に到達したのか。
> その哲学的営為の総体を受け止め、更に先にある問題を見極める
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
>
> だってさ。
>
> わははは
>
> とわらわざるを得ぬ
>
> 誇大広告で消費者庁に告発しちゃおう
>
> とさえおもえるこの溝鼠君の思い上がり
>
> まんず乗越えようとする対象をもちゃげまくって、権威付けをしこたまやって、それを乗越えるドブ鼠君は、こんなに偉いんだぞお、といデモンストレーション
>
> まさにエピゴーネンの面目躍如
>
> 全然「その哲学的営為の総体を受け止め」てもおらんし、「更に先にある問題を見極め」てもおらん
>
> 「その哲学的営為の総体を受け止め」んぢゃのうて、書き写し書き写しして細切れ言説のその接続に溝鼠くんの臭さ、「「論理」と「存在」の肯定、それが「唯一無二」という似て非なるものを「受け止め」、疑い剥がしたはずのところの溝鼠の臭い衣をまた着こんで「更に先にある問題を見極め」た先には共同体と自由と平等がって、それを見るまなざしに「複眼、双眼」も解せずして、なおかつ
>
> 「権威・井筒が生涯をかけた「世界的な視野を具えた新たな哲学」はどの地点に到達したのか。」
>
> という視点にいたっては、それは実践も体験も経験もともなわぬ、うわずった「論理」と「言葉」で一大交響曲を雑音と化すその腐りきった青臭い芬々の身をも顧みず、溝鼠が講壇の高みに上って井筒を見下ろしているようなそのものいいはまことに噴飯もの
>
> これは深みや高みにおいて到達した地点ではのうて、んったく次元の違う地点への誘導の鼠罠ある
>
> ま、世によくあるエピゴーネンどぶ鼠的景色として流しておけばよい。
>
> 消費者庁への告発もやめましょう
>
> > いかに化粧を凝らさうが、もうその無知蒙昧のソコもあらわに
> >
> > 慶應大学哲学科教授とはよくいったもんだ
> >
> > 創価学会公明党と利用しあって文化庁長官になって文化的エピゴーネンに文化勲章文化功労者という恥の勲章を配った河合隼雄
> >
> > 似たようなもんだね
> >
> > 差異を言いつのり己が手柄となさんとするそのさもしさ
> >
> > 読んでいてちっとも己が血肉にもならんば、楽しくもない
> >
> > ましてや閃きなんぞは微塵も感じられぬ
> >
> > 鼻を衝くドブの臭さ
> >
> > そこにうろちょろする鼠
> >
> > ゲシュタルト的にはそういうもんしか浮かんでこない

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54839] ZARD聴くが如くにDERRIDA読む Re:[54838] 抒情と哲学Re:[54837] 乱暴な酔いどれ船Re:[54836] 吉兆にして貴重Re:[54835] 単独者 Re:[54834] 内へ牙外へ柔肌密事(ひめ)はじめ 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/07(Mon) 11:45  

Dalida & Alain Delon - Paroles, paroles
http://www.youtube.com/watch?v=_ifJapuqYiU

ZARD聴くが如くにDERRIDA読む

日本人の悪い癖でRとLを間違える

22世紀には意味不明かもしれない

でも、今此処での実存であるかもしれない

> おっと、言い留め忘れた
>
> > > さてなんでこんなことになったのか?
> > >
> > > > zard もう少しあと少し
> > > > http://www.youtube.com/watch?v=xvMg0FxDBtw
> > > >
> > > > 坂井泉水の歌詞はすなおに響いてくる
> > > >
> > > > ゆく先々でチラシやありあわせの紙になにかなんでも書き付けて
> > > >
> > > > それらの言葉の群れから時々の言葉を拾い出し紡いで歌詞となしたとzardのメンバーが語っていた
> > > >
> > > > ひとつの詩の原点であらうね
> >
> > 坂井泉水の「もう少しあと少し」はデリダの彷徨さえ連想させる
> >
> > 差異、その差異を坂井泉水はまことに柔らかく織り上げる
>
> その距離をやわらかく詰めようとする
>
> その恋心
>
> 抒情
>
> > 差異、その差異をデリダはまことに硬く織り上げる
>
> その距離をことさらに拡げようとする
>
> その思考デコンストラクション
>
> 哲学
>
> > > > 呻吟して固く織り成す
> > > >
> > > > 彷徨しつつ柔らかく織り成す
> > > >
> > > > ペルシャ絨毯の織たての硬さはクルマに轢かせて柔らかくして光沢も増す
> > > >
> > > > > 霊魂の風もいまや去っていったようだ
> > >
> > > 今、思い出した
> > >
> > > 風は神の息吹ということを
> > >
> > > 坐禅でも数息観(すそくかん)という観法もある
> > >
> > > 息が息吹で風となる
> > >
> > > さう思えばキルケゴールの風になぜ魅かれるのかも
> > >
> > > ヌース
> > >
> > > なんかが垂れ流れてくる
> > >
> > > この垂れ流し
> > >
> > > といえ下水めくが
> > >
> > > 小川の流れ
> > >
> > > あれもキルケゴールの息にして粋
> > >
> > > ヌース
> > >
> > > *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
> > >
> > > 古代ギリシャ哲学において,心またはその本質としての理性・精神を意味する語。物質やそれにかかわる感性的能力を超えて働く,世界や人間の超感覚的・精神的なるもの。単に推論的な知性をも含むが,根本的には純粋観想・知的直観の能力であり,それゆえ神はヌースであるとも捉えられた。
> > >
> > > *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
> > >
> > > プネウマ
> > >
> > > *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
> > >
> > > プネウマ(古代ギリシア語: πνεῦμα, pneuma)とは、気息、風、空気、大いなるものの息、ギリシア哲学では存在の原理[1]、呼吸、生命、命の呼吸、力、エネルギー、聖なる呼吸、聖なる権力、精神、超自然的な存在、善の天使、悪魔、悪霊、聖霊などを意味する[2]。動詞「吹く」(希: πνέω)を語源とする。ラテン語でスピリトゥス、そこから英語でのスピリットとなった。
> > >
> > > *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
> >
> > もうひとつ言葉の綾
> >
> > スピリット
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> > *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
> >
> > スピリット(英語: spirit) 概要[編集] 元はラテン語の spiritus (息、呼吸、魂、勇気、活気などの意)に由来し、古典ギリシャ語の πνευμα(プネウマ、動詞「吹く」 希: πνεωを語源とし、大いなるものの息の意)、ヘブライ語の רוח (ルーアハ)に相当。 spiritus は anima と対比されていた。 印欧語圏ではキリスト教の伝統もあり、様々なものにスピリットの名がつけられている。 ドイツ語の Geist(ガイスト)、フランス語の esprit(エスプリ)、スペイン語の Espíritu(エスピリトゥ)などに相当。 一覧[編集] 以下、各分野ごとに列挙。 宗教、スピリチュアリズム キリスト教での表現 (Saint Spirit: 聖霊, Angel: 天使)
> >
> > *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
> >
> > このスピリットがお酒の酒精をも意味する
> >
> > かのディオニソスの狂乱、酒精、それがバッコスとなり
> >
> > そのさきにランボーの乱暴な酔いどれ船がみえてくる
> >
> > ヴェルレーヌの拳銃の先に
> >
> > > 吉兆にして貴重
> > >
> > > > > 色変えぬ松へ風吹く絞首体
> > > > >
> > > > > この景色は荒川彩湖の畔の林で目撃
> > > > >
> > > > > 人が集(たか)っていて遠望のみ
> > > > >
> > > > > 知多半島でも源氏の首括りの松に詣でた
> > > > >
> > > > > その時ゴキブリの大群の大移動が足元で始まった
> > > > >
> > > > > メリメもポーもゾッとするが、現実にもゾッとする
> > > >
> > > > 連歌、連句
> > > >
> > > > 連衆の波の狭間になにをみる
> > > >
> > > > 句を付けられまた付ける波の反響
> > > >
> > > > 単独者
> > > >
> > > > 芭蕉はそんなこと思って発句を独立した俳句になしたのかもしれない

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54838] 抒情と哲学Re:[54837] 乱暴な酔いどれ船Re:[54836] 吉兆にして貴重Re:[54835] 単独者 Re:[54834] 内へ牙外へ柔肌密事(ひめ)はじめ 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/07(Mon) 11:30  

おっと、言い留め忘れた

> > さてなんでこんなことになったのか?
> >
> > > zard もう少しあと少し
> > > http://www.youtube.com/watch?v=xvMg0FxDBtw
> > >
> > > 坂井泉水の歌詞はすなおに響いてくる
> > >
> > > ゆく先々でチラシやありあわせの紙になにかなんでも書き付けて
> > >
> > > それらの言葉の群れから時々の言葉を拾い出し紡いで歌詞となしたとzardのメンバーが語っていた
> > >
> > > ひとつの詩の原点であらうね
>
> 坂井泉水の「もう少しあと少し」はデリダの彷徨さえ連想させる
>
> 差異、その差異を坂井泉水はまことに柔らかく織り上げる

その距離をやわらかく詰めようとする

その恋心

抒情

> 差異、その差異をデリダはまことに硬く織り上げる

その距離をことさらに拡げようとする

その思考

哲学

> > > 呻吟して固く織り成す
> > >
> > > 彷徨しつつ柔らかく織り成す
> > >
> > > ペルシャ絨毯の織たての硬さはクルマに轢かせて柔らかくして光沢も増す
> > >
> > > > 霊魂の風もいまや去っていったようだ
> >
> > 今、思い出した
> >
> > 風は神の息吹ということを
> >
> > 坐禅でも数息観(すそくかん)という観法もある
> >
> > 息が息吹で風となる
> >
> > さう思えばキルケゴールの風になぜ魅かれるのかも
> >
> > ヌース
> >
> > なんかが垂れ流れてくる
> >
> > この垂れ流し
> >
> > といえ下水めくが
> >
> > 小川の流れ
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> > あれもキルケゴールの息にして粋
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> > ヌース
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> > *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
> >
> > 古代ギリシャ哲学において,心またはその本質としての理性・精神を意味する語。物質やそれにかかわる感性的能力を超えて働く,世界や人間の超感覚的・精神的なるもの。単に推論的な知性をも含むが,根本的には純粋観想・知的直観の能力であり,それゆえ神はヌースであるとも捉えられた。
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> > プネウマ
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> > プネウマ(古代ギリシア語: πνεῦμα, pneuma)とは、気息、風、空気、大いなるものの息、ギリシア哲学では存在の原理[1]、呼吸、生命、命の呼吸、力、エネルギー、聖なる呼吸、聖なる権力、精神、超自然的な存在、善の天使、悪魔、悪霊、聖霊などを意味する[2]。動詞「吹く」(希: πνέω)を語源とする。ラテン語でスピリトゥス、そこから英語でのスピリットとなった。
> >
> > *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
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> もうひとつ言葉の綾
>
> スピリット
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> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
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> スピリット(英語: spirit) 概要[編集] 元はラテン語の spiritus (息、呼吸、魂、勇気、活気などの意)に由来し、古典ギリシャ語の πνευμα(プネウマ、動詞「吹く」 希: πνεωを語源とし、大いなるものの息の意)、ヘブライ語の רוח (ルーアハ)に相当。 spiritus は anima と対比されていた。 印欧語圏ではキリスト教の伝統もあり、様々なものにスピリットの名がつけられている。 ドイツ語の Geist(ガイスト)、フランス語の esprit(エスプリ)、スペイン語の Espíritu(エスピリトゥ)などに相当。 一覧[編集] 以下、各分野ごとに列挙。 宗教、スピリチュアリズム キリスト教での表現 (Saint Spirit: 聖霊, Angel: 天使)
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
>
> このスピリットがお酒の酒精をも意味する
>
> かのディオニソスの狂乱、酒精、それがバッコスとなり
>
> そのさきにランボーの乱暴な酔いどれ船がみえてくる
>
> ヴェルレーヌの拳銃の先に
>
> > 吉兆にして貴重
> >
> > > > 色変えぬ松へ風吹く絞首体
> > > >
> > > > この景色は荒川彩湖の畔の林で目撃
> > > >
> > > > 人が集(たか)っていて遠望のみ
> > > >
> > > > 知多半島でも源氏の首括りの松に詣でた
> > > >
> > > > その時ゴキブリの大群の大移動が足元で始まった
> > > >
> > > > メリメもポーもゾッとするが、現実にもゾッとする
> > >
> > > 連歌、連句
> > >
> > > 連衆の波の狭間になにをみる
> > >
> > > 句を付けられまた付ける波の反響
> > >
> > > 単独者
> > >
> > > 芭蕉はそんなこと思って発句を独立した俳句になしたのかもしれない

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54837] 乱暴な酔いどれ船Re:[54836] 吉兆にして貴重Re:[54835] 単独者 Re:[54834] 内へ牙外へ柔肌密事(ひめ)はじめ 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/07(Mon) 11:25  

>
>
> さてなんでこんなことになったのか?
>
> > zard もう少しあと少し
> > http://www.youtube.com/watch?v=xvMg0FxDBtw
> >
> > 坂井泉水の歌詞はすなおに響いてくる
> >
> > ゆく先々でチラシやありあわせの紙になにかなんでも書き付けて
> >
> > それらの言葉の群れから時々の言葉を拾い出し紡いで歌詞となしたとzardのメンバーが語っていた
> >
> > ひとつの詩の原点であらうね

坂井泉水の「もう少しあと少し」はデリダの彷徨さえ連想させる

差異、その差異を坂井泉水はまことに柔らかく織り上げる

差異、その差異をデリダはまことに硬く織り上げる

> > 呻吟して固く織り成す
> >
> > 彷徨しつつ柔らかく織り成す
> >
> > ペルシャ絨毯の織たての硬さはクルマに轢かせて柔らかくして光沢も増す
> >
> > > 霊魂の風もいまや去っていったようだ
>
> 今、思い出した
>
> 風は神の息吹ということを
>
> 坐禅でも数息観(すそくかん)という観法もある
>
> 息が息吹で風となる
>
> さう思えばキルケゴールの風になぜ魅かれるのかも
>
> ヌース
>
> なんかが垂れ流れてくる
>
> この垂れ流し
>
> といえ下水めくが
>
> 小川の流れ
>
> あれもキルケゴールの息にして粋
>
> ヌース
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
>
> 古代ギリシャ哲学において,心またはその本質としての理性・精神を意味する語。物質やそれにかかわる感性的能力を超えて働く,世界や人間の超感覚的・精神的なるもの。単に推論的な知性をも含むが,根本的には純粋観想・知的直観の能力であり,それゆえ神はヌースであるとも捉えられた。
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
>
> プネウマ
>
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>
> プネウマ(古代ギリシア語: πνεῦμα, pneuma)とは、気息、風、空気、大いなるものの息、ギリシア哲学では存在の原理[1]、呼吸、生命、命の呼吸、力、エネルギー、聖なる呼吸、聖なる権力、精神、超自然的な存在、善の天使、悪魔、悪霊、聖霊などを意味する[2]。動詞「吹く」(希: πνέω)を語源とする。ラテン語でスピリトゥス、そこから英語でのスピリットとなった。
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

もうひとつ言葉の綾

スピリット

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

スピリット(英語: spirit) 概要[編集] 元はラテン語の spiritus (息、呼吸、魂、勇気、活気などの意)に由来し、古典ギリシャ語の πνευμα(プネウマ、動詞「吹く」 希: πνεωを語源とし、大いなるものの息の意)、ヘブライ語の רוח (ルーアハ)に相当。 spiritus は anima と対比されていた。 印欧語圏ではキリスト教の伝統もあり、様々なものにスピリットの名がつけられている。 ドイツ語の Geist(ガイスト)、フランス語の esprit(エスプリ)、スペイン語の Espíritu(エスピリトゥ)などに相当。 一覧[編集] 以下、各分野ごとに列挙。 宗教、スピリチュアリズム キリスト教での表現 (Saint Spirit: 聖霊, Angel: 天使)

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

このスピリットがお酒の酒精をも意味する

かのディオニソスの狂乱、酒精、それがバッコスとなり

そのさきにランボーの乱暴な酔いどれ船がみえてくる

ヴェルレーヌの拳銃の先に

> 吉兆にして貴重
>
> > > 色変えぬ松へ風吹く絞首体
> > >
> > > この景色は荒川彩湖の畔の林で目撃
> > >
> > > 人が集(たか)っていて遠望のみ
> > >
> > > 知多半島でも源氏の首括りの松に詣でた
> > >
> > > その時ゴキブリの大群の大移動が足元で始まった
> > >
> > > メリメもポーもゾッとするが、現実にもゾッとする
> >
> > 連歌、連句
> >
> > 連衆の波の狭間になにをみる
> >
> > 句を付けられまた付ける波の反響
> >
> > 単独者
> >
> > 芭蕉はそんなこと思って発句を独立した俳句になしたのかもしれない

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54836] 吉兆にして貴重Re:[54835] 単独者 Re:[54834] 内へ牙外へ柔肌密事(ひめ)はじめ 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/07(Mon) 11:02  



さてなんでこんなことになったのか?

> zard もう少しあと少し
> http://www.youtube.com/watch?v=xvMg0FxDBtw
>
> 坂井泉水の歌詞はすなおに響いてくる
>
> ゆく先々でチラシやありあわせの紙になにかなんでも書き付けて
>
> それらの言葉の群れから時々の言葉を拾い出し紡いで歌詞となしたとzardのメンバーが語っていた
>
> ひとつの詩の原点であらうね
>
> 呻吟して固く織り成す
>
> 彷徨しつつ柔らかく織り成す
>
> ペルシャ絨毯の織たての硬さはクルマに轢かせて柔らかくして光沢も増す
>
> > 霊魂の風もいまや去っていったようだ

今、思い出した

風は神の息吹ということを

坐禅でも数息観(すそくかん)という観法もある

息が息吹で風となる

さう思えばキルケゴールの風になぜ魅かれるのかも

ヌース

なんかが垂れ流れてくる

この垂れ流し

といえ下水めくが

小川の流れ

あれもキルケゴールの息にして粋

ヌース

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

古代ギリシャ哲学において,心またはその本質としての理性・精神を意味する語。物質やそれにかかわる感性的能力を超えて働く,世界や人間の超感覚的・精神的なるもの。単に推論的な知性をも含むが,根本的には純粋観想・知的直観の能力であり,それゆえ神はヌースであるとも捉えられた。

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

プネウマ

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

プネウマ(古代ギリシア語: πνεῦμα, pneuma)とは、気息、風、空気、大いなるものの息、ギリシア哲学では存在の原理[1]、呼吸、生命、命の呼吸、力、エネルギー、聖なる呼吸、聖なる権力、精神、超自然的な存在、善の天使、悪魔、悪霊、聖霊などを意味する[2]。動詞「吹く」(希: πνέω)を語源とする。ラテン語でスピリトゥス、そこから英語でのスピリットとなった。

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

吉兆にして貴重

> > 色変えぬ松へ風吹く絞首体
> >
> > この景色は荒川彩湖の畔の林で目撃
> >
> > 人が集(たか)っていて遠望のみ
> >
> > 知多半島でも源氏の首括りの松に詣でた
> >
> > その時ゴキブリの大群の大移動が足元で始まった
> >
> > メリメもポーもゾッとするが、現実にもゾッとする
>
> 連歌、連句
>
> 連衆の波の狭間になにをみる
>
> 句を付けられまた付ける波の反響
>
> 単独者
>
> 芭蕉はそんなこと思って発句を独立した俳句になしたのかもしれない

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54835] 単独者 Re:[54834] 内へ牙外へ柔肌密事(ひめ)はじめ 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/07(Mon) 10:44  

zard もう少しあと少し
http://www.youtube.com/watch?v=xvMg0FxDBtw

坂井泉水の歌詞はすなおに響いてくる

ゆく先々でチラシやありあわせの紙になにかなんでも書き付けて

それらの言葉の群れから時々の言葉を拾い出し紡いで歌詞となしたとzardのメンバーが語っていた

ひとつの詩の原点であらうね

呻吟して固く織り成す

彷徨しつつ柔らかく織り成す

ペルシャ絨毯の織たての硬さはクルマに轢かせて柔らかくして光沢も増す

> 霊魂の風もいまや去っていったようだ
>
> 色変えぬ松へ風吹く絞首体
>
> この景色は荒川彩湖の畔の林で目撃
>
> 人が集(たか)っていて遠望のみ
>
> 知多半島でも源氏の首括りの松に詣でた
>
> その時ゴキブリの大群の大移動が足元で始まった
>
> メリメもポーもゾッとするが、現実にもゾッとする

連歌、連句

連衆の波の狭間になにをみる

句を付けられまた付ける波の反響

単独者

芭蕉はそんなこと思って発句を独立した俳句になしたのかもしれない

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54834] 内へ牙外へ柔肌密事(ひめ)はじめ 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/07(Mon) 10:08  


霊魂の風もいまや去っていったようだ

色変えぬ松へ風吹く絞首体

この景色は荒川彩湖の畔の林で目撃

人が集(たか)っていて遠望のみ

知多半島でも源氏の首括りの松に詣でた

その時ゴキブリの大群の大移動が足元で始まった

メリメもポーもゾッとするが、現実にもゾッとする

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54833] 砂塵くるジャックデリダのかの彷徨 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/07(Mon) 09:38  

これも風

ロレンスの駱駝の跡や土漠吹く

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54832] イコン鎮かに冬のロシアの黙示録 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/07(Mon) 09:29  

これも風だなあ

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54831] 神楽くる早池峰おろしは神おろし 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/07(Mon) 08:53  

顔見世の影絵舞台や風吹きぬ

風は風されど我なり汝なり

我を生き汝を生きるや昼の月

つまらんよね

まことにつまらん

まわりがばたばた死んでいく

音もなくひっそり死んでいく

救急車に乗っていくのも、死んでいくのも、誰が誰なんだかまったくわからない

こういうときはキルケゴールのこの言葉が身に沁みる

なぜ身に沁みるのか

友人はこの風

知人はあの風

見知らぬ他人の風も吹く

友人、知人、他人もみな溶け合って風となり

吹いている

その風はまた己自身でもあるのだ

宮沢賢治の風の又三郎

ジャック・デリダの砂漠の彷徨

早池峰おろし砂嵐あるいはハリケーン台風ともなりうる

神楽くる早池峰おろしは神おろし

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54830] 顔見世の影絵舞台や風吹きぬ 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/07(Mon) 08:35  

我を生き汝を生きるや昼の月

つまらんよね

まことにつまらん

まわりがばたばた死んでいく

音もなくひっそり死んでいく

救急車に乗っていくのも、死んでいくのも、誰が誰なんだかまったくわからない

こういうときはキルケゴールのこの言葉が身に沁みる

なぜ身に沁みるのか

友人はこの風

知人はあの風

見知らぬ他人の風も吹く

友人、知人、他人もみな溶け合って風となり

吹いている

その風はまた己自身でもあるのだ

風は風されど我なり汝なり

顔見世の影絵舞台や風吹きぬ


*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

舞台は隠れた個人の影絵芝居にふさわしい。

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

山里で明けても暮れても、うまずたゆまず同じ主題(テーマ)の風が奏でているのを聞いていると、

ついそれに誘われて、しばしその不完全さを忘れ、人間の自由のたゆみなさと確かさを象徴するかに思われてうれしくなることがある。

するとつい忘れられてしまうのだが、

いまこの山々のあいだをおのが住み家として幾年も吹き渡っている風は、かつては行き暮れし旅人としてこの土地へきたのである、

そして

心を乱して荒れ狂いながら峡谷のあいだを突き分け、洞窟の中に突き入り、

或るときは

自分でもはっと驚いて跳び退くような金切り声を張り上げたかと思うと、

或るときは

われわれから逃げ出したくなるようなうつろな吼え声を立て、

或るときは

どこからでてくるのか自分にもわからぬような嘆きの調べを奏でたかと思うと、

或るときは

風みずからが恐れをなしてこのあたりに足をとどめたものかどうかとしばし疑いためらうような底知れぬ不安の溜息を吐き、

或るときは

また浮かれはしゃいで抒情的な囃し唄を歌い、

こうしてついに自分の楽器に習熟してしまって、これらすべての共鳴音をメロディーにまとめあげ、それをいま明けても暮れても変わりなく奏でているのである。

それと同じように、

個人の可能性もそれみずからの可能性のなかをさまよい歩きながら、

或るときは

この可能性を、また或るときはあの可能性を発見する。

しかし

個人の可能性は単に聞かれることを欲するばかりではない、

それは風のように吹きすさぶばかりではなく、

また形を成そうとするのだ、

だから

それは聞かれると同時にまた見られることをも欲する。

個人の可能性は、だからそのどれをとってみても、音を発する影である。

この隠された個人は、悪意の小ざかしい囁きに耳をかさない

と同じように、

仰々しく喚きたてる感情を信じない、

悲嘆のやるせない溜息を信じない

が、また同じように、

歓喜の極みに沸き立つ叫び声も信じない。

個人はただ情熱をもって見そして聞こうと欲する、

しかし、

注意あれ、自己みずからを、なのだ。

けれども、

個人は自己みずからをほんとうに聞こうとは欲していないのだ。

そんなことはできるものではない。

それができれば、その瞬間に雄鶏が鳴く、そして薄明の姿どもは逃げ去り、夜の声は沈黙する。

これら薄明の姿どもが踏みとどまっているかぎり、

われわれはまったく別な領域に、一切のものが責任の気づかわしげな監視の目を浴びて不安を覚えながら行なわれるところに、

つまり、

悪魔的なものの国にいるのである。

だから、

ほんとうの自己の印象を受けずにいられるように、隠れた個人は、あの薄明の姿どものような、こだますることのない言葉のかすかなざわめきのような、かりそめのはかない環境を求める。

このような環境が舞台なのだ。

だからこそ、

舞台は隠れた個人の影絵芝居にふさわしい。

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

舞台は隠れた個人の影絵芝居にふさわしい


やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54829] 舞台は隠れた個人の影絵芝居にふさわしいRe:[54828] 救急車に乗っていくのも、死んでいくのも、誰が誰なんだかまったくわからない 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/07(Mon) 08:04  

> つまらんよね
>
> まことにつまらん

> まわりがばたばた死んでいく

> 音もなくひっそり死んでいく

> 救急車に乗っていくのも、死んでいくのも、誰が誰なんだかまったくわからない

こういうときはキルケゴールのこの言葉が身に沁みる

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

舞台は隠れた個人の影絵芝居にふさわしい。

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

山里で明けても暮れても、うまずたゆまず同じ主題(テーマ)の風が奏でているのを聞いていると、

ついそれに誘われて、しばしその不完全さを忘れ、人間の自由のたゆみなさと確かさを象徴するかに思われてうれしくなることがある。

するとつい忘れられてしまうのだが、

いまこの山々のあいだをおのが住み家として幾年も吹き渡っている風は、かつては行き暮れし旅人としてこの土地へきたのである、

そして

心を乱して荒れ狂いながら峡谷のあいだを突き分け、洞窟の中に突き入り、

或るときは

自分でもはっと驚いて跳び退くような金切り声を張り上げたかと思うと、

或るときは

われわれから逃げ出したくなるようなうつろな吼え声を立て、

或るときは

どこからでてくるのか自分にもわからぬような嘆きの調べを奏でたかと思うと、

或るときは

風みずからが恐れをなしてこのあたりに足をとどめたものかどうかとしばし疑いためらうような底知れぬ不安の溜息を吐き、

或るときは

また浮かれはしゃいで抒情的な囃し唄を歌い、

こうしてついに自分の楽器に習熟してしまって、これらすべての共鳴音をメロディーにまとめあげ、それをいま明けても暮れても変わりなく奏でているのである。

それと同じように、

個人の可能性もそれみずからの可能性のなかをさまよい歩きながら、

或るときは

この可能性を、また或るときはあの可能性を発見する。

しかし

個人の可能性は単に聞かれることを欲するばかりではない、

それは風のように吹きすさぶばかりではなく、

また形を成そうとするのだ、

だから

それは聞かれると同時にまた見られることをも欲する。

個人の可能性は、だからそのどれをとってみても、音を発する影である。

この隠された個人は、悪意の小ざかしい囁きに耳をかさない

と同じように、

仰々しく喚きたてる感情を信じない、

悲嘆のやるせない溜息を信じない

が、また同じように、

歓喜の極みに沸き立つ叫び声も信じない。

個人はただ情熱をもって見そして聞こうと欲する、

しかし、

注意あれ、自己みずからを、なのだ。

けれども、

個人は自己みずからをほんとうに聞こうとは欲していないのだ。

そんなことはできるものではない。

それができれば、その瞬間に雄鶏が鳴く、そして薄明の姿どもは逃げ去り、夜の声は沈黙する。

これら薄明の姿どもが踏みとどまっているかぎり、

われわれはまったく別な領域に、一切のものが責任の気づかわしげな監視の目を浴びて不安を覚えながら行なわれるところに、

つまり、

悪魔的なものの国にいるのである。

だから、

ほんとうの自己の印象を受けずにいられるように、隠れた個人は、あの薄明の姿どものような、こだますることのない言葉のかすかなざわめきのような、かりそめのはかない環境を求める。

このような環境が舞台なのだ。

だからこそ、

舞台は隠れた個人の影絵芝居にふさわしい。

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

舞台は隠れた個人の影絵芝居にふさわしい

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54828] 救急車に乗っていくのも、死んでいくのも、誰が誰なんだかまったくわからない 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/06(Sun) 21:44  

つまらんよね

まことにつまらん

まわりがばたばた死んでいく

音もなくひっそり死んでいく

もう25年も季節の挨拶もしていなくんばなんの連絡もなく亡くなっているもんも多かろう

生きているうちに一目会いたいちう従弟のところにもいかなかったなんとなく

もう、句会、ちう、句会ぢゃ、堂衆の過半が亡くなっただぢゃないか

年寄りが多かったから

と思いながら暮れなずむ街を胸を合わせてゆけは

煌々点いた明かりの中は、ほぼ、満員

カウンターは一杯です。お座敷とテーブル席が一つだけあります

窓を背にテーブルにつく

左に4人組の女子会

右に恋人同士か夫婦か中年カップル

みんなさんご馳走をたのむ

これだけ混んでいればオーダーも間違える

サーモンはたのんでいません、エビです、アナゴです

ウェイトレスが運んできたご膳を引っ込める

こちらは最安値999円税込み1099円の海鮮丼

いつ来るともわからぬ

サーモン3枚、炙りサーモン3枚、サーモン卵たっぷり

ごはん200gを300gの大盛無料で注文済

まんだ、海鮮丼もこんのんに、飲物ラストオーダーです

19時

カウンターでぐだをまいているんは、あれは布団屋か

綿打ち屋か、レンタカー屋か、仕立て屋か

みんな当代のは死んでしまった

次代、あるいは次々代か

サーモン3枚は分厚くそれなりのボリュームが良い

お支払いをテーブルでして、出ようとする

あんだけ一杯でがやがやのカウンターがからっぽ

お外でたばこを吸ってらっしゃいます

本来ならボルサリーノにミッソーニのセター

コートはナチスのブロックタンクかアルパカ水牛のハーフ

今はCampagnoloキャップを目深に被り

交通安全銀色のウィンドブレーカー

膝の突き出したモンペタイツ

外に出ると居並んでスパスパしちょるカウンターの連中が軽く会釈をしてくれる

うむ、やっぱす、綿打ち屋、仕立て屋、レンタカー屋の子孫らしい

どこかで見たことがある、と向こうも思っているんぢゃろ

みんな親父さんか爺さんの代が農家の次男三男

駅前の土地の幾分かを分けてもらって小さなビルを建てた

それなりの個人営業でも立派に店を張って生きてきた

そういう店もスーパーあるいは大手のチェーンにおされ

ことごとく閉店して貸しビルに化した

それでも、灯がともっているだけでも、さいわいなのかもしれない

界隈のおじさん、おばさん、息子、娘は全部知っていた

いまは誰が誰ともわからん

救急車に乗っていくのも、死んでいくのも、誰が誰なんだかまったくわからない

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54827] 仮死、瀕死、本死ぢゃなくて御免ね 無音無明暗黒世界の混沌も淡々と楽しんででてきて何事もおこらなかったRe:[54785] 「奥の細道」は自己の奥の細道にして世界の奥の細道 Re:[54784] これを見ちょけばもうすこし人生の師や視野が広がったかもね Re:[54783] あのキルケゴールの小川や風の音にも似て・・穏やかに食事をなして、別れて・・今も生きているんぢゃろか? 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/06(Sun) 18:20  

見開けば花に埋もるる棺の中

見開けば花に埋もれる棺の中

見開けば花に埋もれて棺の中

出句は「埋もるる」でこれが一番硬い、死後硬直しておる

「埋もれる」はまだ身体がやわらかく硬直前

「埋もれて」では、埋もれているのは自分ではなく他者

というふうな語感で

けふは夕飯がない

3月3日にまた一人逝った

亡き父のときは8人、今回は5人の火葬場コロナ人数制限

コロナに感染して2日目で死亡した

ビニールにくるまれ、棺桶もくるまれ、厳重だから大丈夫よ

と家内にいわれても家内が心配

混みあって火葬時間が夕方で夕食のごはんですよがない

喫っ過多なく、隣の、ん?

喫い始めの1箱/3日が、最近は2箱/日で、喫っ過多、増量6倍になって多少の記憶回復があるが、思い出せないもんも多々ある

隣のジョナサンならぬ蔵すしはゴメンだから屋台すしにでもいくか

はたまた、入歯でステーキでも喰うか

棺桶の記憶



> るんらたふANNEX−Ω   訪問者数:11735732(今日:410/昨日:1196)書出日時:2022/02/24(木) 08:31 赤口(戊申) 旧暦 1/24 月齢 22.9 下弦
>
> 防人の詩 ナターシャ・グジー / Sakimori no Uta by Nataliya Gudziy
> http://www.youtube.com/watch?v=8dUOGXII_jk
>
>
> 草萌ゆる大地爆転宙返
>
> ウクライナ情勢も鎮まればいいですね
>
> 春彼岸孫も曾孫も来たりけり
>
> ちうのんは過去録にあるが、これはもうすぐ3回忌101歳を目前にして逝った父になりきって詠んだもの
>
> 結社や人によっては自分を詠め、他人になって詠んではいかん
>
> ちう流儀も意見もあるが、果たしてさうであらうか
>
> 自他融通無碍
>
> これは生きていくことのうえで、分節、分別、差別されきった皮相の社会ではまことに異端なるも、そこにこそ生きている本源がある
>
> 共感、共鳴、共振
>
> のないところにはいかな芸術も哲学も宗教も仕事もないといってよいのではないか
>
> というよりも人生そのものがうつろになっていまう
>
> むっかすここに歌や俳句や哲学に幾許か通じた上智の教授がいて
>
> 自分とは他者に限定されてこそあるといったその他者の網目のなかに現成する自分
>
> この自分ちう言葉からしてしてさうであって、自分があれば多分他分もある
>
> さすればなにを自分となしなにを他分となすか
>
> 他分ばっかしの自分では、自分なしである
>
> 自分ばっかあって他分がなければ畢竟自分勝手である
>
> その塩梅が涵養ではあらうが、果たして自分にしても他分にしてもそれを限定しているもんは自分なんであって、その自分が自分としてつかめ切れているか
>
> 己自身を知れ
>
> 汝自身を知れ
>
> この知れが痴れになることもままある
>
> さすればこの痴れを痴れと知るのになにを標準とすればいいのであらうか
>
> 一挙裁断して云えば
>
> 天地創造の世界軸
>
> このことばはいろんなところにでてくる
>
> 言葉が言葉だから信用ならぬ。妄想のもとだから
>
> 言語道断
>
> 道を断つ
>
> 道教の道を断つ
>
> 柔道、剣道、俳句道
>
> 道は自転車で走っておっても続いている
>
> 道を断たれれば、それこそ谷底、ドブ溝に突っ込み大怪我のもと
>
> だから道は大事ぢゃ
>
> 芭蕉の「奥の細道」それを奥州行脚となすのが世の見解のならいであるが
>
> 「奥の細道」は自己の奥の細道にして世界の奥の細道
>
> つまり自己をつきつめて奥に世界があってそこに微かにある細道
>
> それはよほどの鍛錬とはいぬ、細心の注意を払って見ねば見得てこぬ、観えてこぬ
>
> そんな大袈裟なことぢゃない
>
> 誰でも見えていて万人に開かれた公道にして行動
>
> その公道にして行動を制限するもんもいる
>
> 馬鹿豚交通省の道路公団とか
>
> 山寺や岩にしみ入る蝉の声
>
>
> 山も岩も神様が降臨するところにして刹那刹那場所場所の世界軸にして、この地球上の民族に共通した観念
>
> そこにこの世間、娑婆の声がしみ入る
>
> そう見てみれば、この句が奥州奥の細道の限定を超えて。俄然世界的な景色が現成
>
> 同様に芭蕉の発心の機縁となったとされる
>
> 古池や蛙飛び込む水の音
>
> このぽちゃんという音とそこに立つ小さな水柱
>
> それが、この古池の古い世界を新たな命のもとに更新する刹那刹那場所場所の世界が一挙に現成する

世界軸

小さな音と柱が、無辺広大なる世界をげんじょうさせる機縁にして軸となる


> その蛙が引き起こした小さな水柱の波紋が古池全体に輪となってひろがっていく
>
> そういう景色
>
> この景色はあたかもトインビーの文明史観にも通じるような
>
> はたまたいろんな科学的発見のエピソードにも通じ
>
> はてはもちろん、哲学・宗教にも通じる
>
> なしてみれば人生とは畢竟この波紋の輪の連続であって
>
> 他者の引き起こした波紋を自分も引っ被れば
>
> 自分の引き起こした波紋も他社に及ぶ
>
> だからこそ人生は面白い
>
> だからこそ人生に乾杯
>
> Jacintha - Here's To Life
> http://www.youtube.com/watch?v=kuerNFD3QXc
>
> ところが人生おうおうにして乾杯も苦杯の完敗になることもある
>
> その幾許かの毒の毒味をつづけようかと長々と尻尾を引き摺っているが・・
>
> 時限空限界でもあれば、別途にしやう。
>
>
> > へろかをまANNEX−Ω   訪問者数:11734072(今日:1210/昨日:1841)書出日時:2022/02/22(Tue) 22:34 仏滅(丙午) 旧暦1/22 月齢 20.9 hello顔魔
> >
> > Queen - 00:09 Who Wants To Live Forever〜33:22 Bohemian Rhapsody(Greatest Music Videos)
> > http://www.youtube.com/watch?v=ujVLJ2xqePA
> >
> >
> > これはわが友人、森田茂穂氏の追悼に掲げた曲であり
> >
> > この森田になんとこのフレディ・マーキュリーが似ておることか
> >
> > JFKケネディの全演説を丸暗記しておって、ハーバードではこれに空手の演技を交えて
> >
> > 麻酔学者、臨床医、日本人で初めてのハーバードでの臨床医として活躍した
>
> ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
> ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> > > 光もなく音もない無音無明暗黒の世界に押し込まれ
> > >
> > > だうだった?
> > >
> > > といったのは友人の兜真徳、とっくの昔に鬼籍に入ってしまった
> > >
> > > 専門は美人学、パーレビ時代のイラン、ペルシャに遊学して
> > >
> > > なにゆえに日本人はあのへんの女を美人とかんじるのか?
> > >
> > > という「深遠なる学問」的な課題を抱えて苦悶苦悶の日々の果てに国立環境研究所総合研究官
> > >
> > > その美人だかだうだかは存ぜぬが、奥さんとの離婚問題でまたまた苦悶苦悶の日々の窶れに訪れ無音無明暗黒の世界に
> >
> > 奥さんとの離婚問題でまたまた苦悶苦悶の日々の窶れの果て、それこそ後に振り返れば彼自身が無音無明暗黒の世界に閉ざされるその直前に訪れ
> >
> > 訪問からややあって奥さんから兜真徳逝去の知らせが来た
> >
> > さういえばこの研究所でもメーソンロッジでもなく棺桶にいれられ蓋をされて閉じ込められた記憶もあるが、それは別途のことにして・・

うむ、ここ思い出せぬ、スパスパ

どっかのホールであった

かなりの人数がいた

どなたかこの中にはいりませんかあ?

と呼びかけがあっても誰も入らぬ

ぢゃあ、と手をあげて

棺桶の中に身を横たえた

意外と居心地がよい

暑くもなく寒くもなく五月蠅くもなくうとうとしたい気分

お寝になってもけっこうですよ

うとうとしちょるとだんだん胸腹下肢が重くなってきた

だうも毛布の上から三途の川の渡り銭、魔除け懐刀、その他、その他が載せられ

花が三々五々と積まれていく

蓋が閉じられ別れの挨拶、読経

しばらくして目を見開くと蓋の天井透明ガラスの向こう側に顔、顔、顔

目、目、目、目、目、目

みんなにこにこわらっている

居心地はいかがですかあ?

いいね

でも、そろそろあがっていただくお時間です

重い毛布の下からもぞもぞと動いて

花を拈華微笑したか振り払ってかはどうも思い出せないが

復活した次第

仮死、瀕死、本死ぢゃなくて御免ね

> > > それは厳重なる冷凍庫のような装置で、分厚い扉の奥に数メータ四方の暗黒の部屋、光も音も一切を遮断する
> > >
> > > 目と耳はアラブヘブライ系ならずももっとも敏感な五感の一つ
> > >
> > > その目も耳も遮断された空間に何時間おって人間にはだういう変化がおこるか
> > >
> > > 身体的精神的に不調をきたして狂うもんもおれば
> > >
> > > はたまたこの無音無明暗黒世界の混沌でなにかを掴んででてくるもんおる

この無音無明暗黒世界の混沌も淡々と楽しんででてきて何事もおこらなかった


> ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> > > 「死ぬか生きるかは俺の勝手だ」と殴り掛かる拳を払い、平然と笑いながら言ってあげたのがさらに悪かった
> > >
> > > もう世界中へストーカー、どこへ行っても行先に手紙を出して「飼い犬に手を噛まれるな」・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> > > ああ、イサカのコルネール大学の二井さんから連絡があって、これを見ろ、と
> > >
> > > それを見るとワイズマン宛の書簡に「飼い犬に手を噛まれるな」と
> >
> > うむ、ここね、これを見て聞いて、「別に気にもせん」もんもどこかでストレスになって心身が蝕まれたんであらうね。後日の結核。
>
> ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> > > 里山の金縷梅林を安楽寺
> > >
> > > へご案内申し上げ「死んでしまえ」も「飼い犬に手を噛まれる」も記憶にはあっても流れる水のごとく
> >
> > ちうのんもかの日本で為したプロト実験が帰国後の伝ちゃん曰く
> >
> > これ、君の実験が論文になっているぞ
> >
> > 惜しかったなあ、世界同時発表であっちは国際誌、こっちは国内誌で
> >
> > みれば論文の発表者は山登君と助教授
> >
> > もちろん某の名はない
> >
> > もうそんな名に用はない
> >
> > 遺産を助教授にも同僚にも残せただけでもよかったと
> >
> > この余裕がキルケゴールの小川のせせらぎや風の奏でる音になるわけで
> >
> > > ああ、あのキルケゴールの小川や風の音にも似て・・
>
> ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> ませぬねむANNEX−Ω   訪問者数:11559835(今日:850/昨日:818)2019/04/30(Tue) 15:42
>
> Keith Jarrett - I Loves You Porgy
> http://www.youtube.com/watch?v=o3D8Ri84hmw&feature=BF
>
>
> > ろさたるにANNEX−Ω   訪問者数:2323333(今日:182/昨日:423)2011/01/25(Tue) 08:59
>
> "Who knows where the time goes" - Nina Simone
> http://www.youtube.com/watch?v=wZa3XsHA6UU&feature=BF&playnext=1&list=QL&index=4
>
> 山里で明けても暮れても、うまずたゆまず同じ主題(テーマ)の風が奏でているのを聞いていると、ついそれに誘われて、しばしその不完全さを忘れ、人間の自由のたゆみなさと確かさを象徴するかに思われてうれしくなることがある。するとつい忘れられてしまうのだが、
>
> いまこの山々のあいだをおのが住み家として幾年も吹き渡っている風は、かつては行き暮れし旅人としてこの土地へきたのである、
>
> そして
>
> 心を乱して荒れ狂いながら峡谷のあいだを突き分け、洞窟の中に突き入り、或るときは自分でもはっと驚いて跳び退くような金切り声を張り上げ
>
> たかと思うと、或るときは
>
> われわれから逃げ出したくなるようなうつろな吼え声を立て、
>
> 或るときは
>
> どこからでてくるのか自分にもわからぬような嘆きの調べを奏で
>
> たかと思うと、或るときは風みずからが
>
> 恐れをなしてこのあたりに足をとどめたものかどうかとしばし疑いためらうような底知れぬ不安の溜息を吐き、
>
> 或るときは
>
> また浮かれはしゃいで抒情的な囃し唄を歌い、
>
> こうしてついに自分の楽器に習熟してしまって、これらすべての共鳴音をメロディーにまとめあげ、それをいま明けても暮れても変わりなく奏でているのである。
>
> それと同じように、
>
> 個人の可能性もそれみずからの可能性のなかをさまよい歩きながら、或るときはこの可能性を、また或るときはあの可能性を発見する。
>
> しかし
>
> 個人の可能性は単に聞かれることを欲するばかりではない、それは風のように吹きすさぶばかりではなく、また形を成そうとするのだ、
>
> だから
>
> それは聞かれると同時にまた見られることをも欲する。
>
> 個人の可能性は、だからそのどれをとってみても、音を発する影である。
>
> この隠された個人は、悪意の小ざかしい囁きに耳をかさないと同じように、仰々しく喚きたてる感情を信じない、悲嘆のやるせない溜息を信じない
>
> が、また同じように、歓喜の極みに沸き立つ叫び声も信じない。
>
> 個人はただ情熱をもって見そして聞こうと欲する、しかし、注意あれ、自己みずからを、なのだ。
>
> けれども、個人は自己みずからをほんとうに聞こうとは欲していないのだ。そんなことはできるものではない。それができれば、その瞬間に雄鶏が鳴く、そして薄明の姿どもは逃げ去り、夜の声は沈黙する。
>
> これら薄明の姿どもが踏みとどまっているかぎり、われわれはまったく別な領域に、一切のものが責任の気づかわしげな監視の目を浴びて不安を覚えながら行なわれるところに、つまり、悪魔的なものの国にいるのである。
>
> だから、ほんとうの自己の印象を受けずにいられるように、隠れた個人は、あの薄明の姿どものような、こだますることのない言葉のかすかなざわめきのような、かりそめのはかない環境を求める。このような環境が舞台なのだ。
>
> だからこそ、
>
> 舞台は隠れた個人の影絵芝居にふさわしい。
> やれ涼し飛ぶも落ちるも天馬空
>

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54826] 恩寵にして独白 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/06(Sun) 16:03  

さて、際限も無く縷々と流れていく

あたかも「大菩薩峠」のように

峠は脱中心的で、情景情景で主人公がかわり、端役が重要な役割をはたし、場面転換毒即世界転換

ここでは妄言駄眩を吐いている某が主人公なのであらうか

妄言駄眩を吐かせる何者かが主人公なのであらうか

世には二元的文言がまことに多い

善悪、真偽、美醜、正誤、有無、清濁、浄汚、天地、明暗、・・云々

二元論のもとはゾロアスター、つぁらとすトラとすりゃあ、日本語にも古代ペルシャの概念が多分にはいっているのかもしれない

西域を渡って中国、朝鮮、日本へ

さういう概念規定を無化する

誤読の中に正見を観る

善の中に悪を観る

真の中に偽を観る

その逆もあり

さらにそういうものすら無化して淡々と

井筒を読むにしても、禅語をよむにしても、お経を読むにしても、ゲーテやニーチェやキルケゴールを読むにしても、そこには皮相の「言語」「論理」だけからすれば水分といい加減な正反対、矛盾にみちみちているかもしれない

ドブ鼠君的にはね

でもね、総体として飲み込めばよろしい

その誤説、矛盾、そりゃあ聖書にも多々あるで書

コーランにも多々あるで書

哲学書にも多々あるで書

腹になかに収めておけばよい

時節が来れば悪の華も咲こうというもんだ

いったい、誰が書かしておるんか、書き手か、もしくは書こうとしているその対象か

一句ができる

一句に恵まれる

その一句を試行錯誤舌頭千転してひねるのは作者

ではあらうが、その一句はどこからきたのか

十七文字は世界最短の詩

世界最短の詩にしてあたかも無限の世界が広がるそのもとたるもの、それを広がらせ、それに気づきを恵んでくれるもの

一句の世界にはそれこそ小さな幸せから大いなる不幸まで

さまざまな多様性のなかで小さな世界が広大無辺な世界へ現成するもんもある

古池や蛙とび込む水の音

これを恵まれた芭蕉は飛躍した

これを読んだ誰も彼もが飛躍したか

僧堂で提唱がある

俳句は一句の提唱に似ている

それぞれが一句を提唱して堂衆が観照する

深読みは禁物といわれる

はたしてそうであろうか

深読みせんば観照もでけぬ

皮相でみればつまらん句でも深読みすれば別の世界がひらけることもある

その世界は一句の作者がもたらしたか

一句の観照者がもたらしたか

いや別の天から降ってきたか

いずれでもよろしい

それこそ今此処で新世界の現成、それを見解く、味得でければよろしい

してみれば斎藤どぶ鼠君への罵倒も賞賛の機になるやもしれん

ならんやろなあ

ならんでも、他山の石にはなるやもしれん

たしかにあの兜太、大岡信ら、清水兄弟、牧口創価学会、その他その他への批判罵倒も他山の石

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

他山の石(たざんのいし)は、四書五経のひとつ『詩経』の記述に基づく故事、慣用句。「他人のつまらない言行、誤りや失敗なども、自分を磨く助けとなる」といった意味であるが[1]、現代の日本語話者の間では、誤った意味で用いることも少なくない表現となっている[2]。
文化庁が実施している国語に関する世論調査が、2004年の調査で「他山の石」の意味について尋ねたところ、回答者の26.8%は正答である「他人の間違った言行も自分の行いの参考となる」を選んだが、18.1%は誤答である「他人の良い言行は自分の行いの手本となる」を選び、その他では、やはり誤りである「両方の意味で使う」が 5.5%、「どちらの意味でも使わない」が 22.4%、そして「分からない」が 27.2%であった[2]

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

まさかどぶ鼠君ともあらうもんが誤読をするとも思えんが、念には念を

毒吐くも恩寵

恩寵にして独白




やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54825] すべてはブーメランのごとく己から発したものは己へ戻ってくるRe:[54824] 恥の勲章 Re:[54823] 猫でも犬でも羊でも馬でもようござんしたが、溝鼠」Re:[54822] “Nevermore.”Re:[54797] I Never Sing Another Song 焼芋 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/06(Sun) 11:38  

> > ゆつもてまANNEX−Ω   訪問者数:11748627(今日:633/昨日:1155)投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/04(Fri) 13:25 先負(丙辰) 旧暦 2/2 月齢 1.4
> >
> > 懊悩の諸手を挙げて寒昴
>
> Oh No!
>
> ロシアが原発にミサイルをうちこむ
>
> まさにプーチン露西亜のハルマゲドン、黙示録

実践・行動

諸手を挙げて懊悩しOh No!と叫んだところで私はこの事態にたいしてなにができるのであろうか?

寒昴ならぬロシアのミサイルへ諸手を挙げて迎撃砲を狙い定めて撃つ

極東からウクライナまでとどくはずもなく、また目下の国家体制では一般市民に武器の携帯もゆるされていない

だから事態へ無力、やるせなさにますます懊悩、Oh No!するばかり

といって安住していていいのだろうか

独白

毒吐く

すべてはブーメランのごとく己から発したものは己へ戻ってくる

そこここの言説はもとよりプーチン露西亜にしても同じことだ

ウクライナへむけて撃ったミサイルが空中で方向転換してクレムリンを破壊する

さいうことだってあるかもしれぬ

だうやって?

念力で

馬鹿ぢゃねえの

馬でも鹿でも豚でも鼠でもよろし

でも、人間だもの

そうそう人間だもので、いまや念力はサイバー空間にあるやもしれぬ

ばかばかし

アノニマスでもペンタゴンでもよろし、ウクライナ標的のミサイルをことごとくペンタゴン標的に変える仕掛け

仕掛ける、仕掛けたらクレムリンもおなじことをするかもしれない

だとしたミサイルはどこにゆくのか

燃料が尽きたところで落下する

そこがどこか、ロシアの兵土か、ウクライナの大地か、はたまたヨーロッパの森か、わが国の田んぼか

原発が破壊されるよりはましだね

まずは撃たせぬこと

ペンタゴンもアノニマスもサイバー攻撃でクレムリンの命令やミサイルの発射そのものを止めることはできんのやろか?

ひとごとにいいなさんな、そこでおまえさんはなにができるのだ?

> > さてとん、これは閻魔大王の錫杖の音、裁きの法廷にして縛り上げる羂索
>
> 最後の審判
>
> > 閻魔さまぢゃなくてお不動さまの持ち物ぢゃねえの?
> >
> > どちらさまでもよろしい
> >
> > まずは、斎藤慶典著「『東洋』哲学の根本問題あるいは井筒俊彦 講談社選書メチエ
> >
> > 地獄とはいわぬ、ドブに落ちろ、この溝鼠め。
> >
> > 判決文は後程
>
> 多少は読んでみたが、読むに堪えぬ
>
> つまらんのんね。先の印象に間違いはない
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
>
> > 斎藤は若いだけに井筒俊彦に挑もうとしちょるんか、井筒俊彦の足らんところにも力んで言及しちょるが、所詮井筒俊彦の比ではなく、その交響曲的味わいを散々なもの分解してゴミをとっ散らかす
>
> ゴミをとっ散らかす。とはいえ、もともとはゴミではない。井筒俊彦の特徴てきな概念キーワードのいちいちを取り出してそれに幼い分析、あたかも赤ん坊が一個のすばらしいモザイクでできた肖像のモザイク、積み木を崩してなめまくった挙句にもとの肖像には全然戻せない、散乱したまんまのお部屋の産卵、散乱、とっ散らかしておしまい。
>
> *:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★
>
> おしまいか、だうか
>
> 最終にすっとんでいくと
>
> ハンナ・アーレントの「政治」、共同体と自由と平等がでてくる
>
> そこいたる道筋で井筒の言説、言葉の数々を引用して、そこに疑問符をつける
>
> どうもこの溝鼠君は徹頭徹尾「論理」を駆使して井筒を読み解くところに根拠をおいている
>
> だから、菩薩行も向下道も、なぜ?ということが解明されていない、と、ほざく
>
> 密教や禅は取り上げらるが民衆とは縁遠いものであって、救いをもとめる民衆に拡まった浄土宗への言及がないとほざく
>
> はては、(いま・ここで=現に)をそこここでとっちらかし、その一章すらもうげているがなんとうすっぺらいことよ

(いま・ここで=現に)はこの溝鼠君の眼目らしいが、いかにもうすっぺらい

厚みめかしているんはドブ鼠君が他人から借りてきて抜き取った他人の言説の切り貼りでいっぱいで

ドブ鼠君のオリジナリティとは、他者の切り貼りか

他者の切り貼りでもよろし、それが己が血肉になっておれば

すっかす、このドブ鼠君においては、さういう気配もない

ドブ寝ず観、ドブ鼠君の優越、我田引水の臭気芬々

それを改めて下に赤肉団上一無位真人でみてみよう

そこでも(いま・ここで=現に)はこの溝鼠君の眼目らしいが、いかにもうすっぺらい

厚みめかしているんはドブ鼠君が他人から借りてきて抜き取った他人の言説の切り貼りでいっぱい


> 要は、実践がない、体験、経験もない
>
> 言葉だけ論理だけで「考える」からこういう溝鼠的事態に陥る
>
> 神、真理、理性、公理、理性、論理、我、言葉、科学、みんな死んだ
>
> さういうことを頭ではわかっても、実践として、体験として、経験としてわかっていない
>
> だから稚拙な青臭い「論理」をふりまわし、と〜とろじ〜の牧口創価学会的なもんに成り下がる
>
> (いま・ここで=現に)したって、そこに如何に道元の言葉、それも井筒の引用したもんを引用しても、実践・体験・経験がない、ゆえに薄っぺらい

ああ、かういう溝鼠の言説の幾許かを具体的に飲用して反吐を吐くのんもうんざりぢゃが・・あまりにも抽象的な毒吐くばかりぢゃなんだから具体的な溝鼠君の言説

斎藤慶典著「『東洋』哲学の根本問題あるいは井筒俊彦 講談社選書メチエ p219^220

「」入りで細切れにした井筒その他のコトバを言葉と縷々つらねた挙句に

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

これを『臨済』は「無位の真人」と表現する。井筒によれば「無位」とは「絶対限定(無固着的)[で・・・]自由無礙な柔軟性」である。

赤肉団上に一無位の真人有り。・・・・・・・

今の論脈に合わせて自由に訳せば、次のようにでもなるであろうか。

「たまたまこの肉体を具えた人物の下に、端的に「ある(=「がある」)ところの私がいる。・・・・

「私」は、もはや、「神の」それでも「人間の側の」それでももはやなく、全てが<いま・ここで=現に>「ある」ことそのこと、端的な(一切の限定なしの)「ある」だと言ってよい。・・・そのような「ある」は、どう考えても唯一つしかないというのである。

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

この文脈で「というのである」のは誰か?溝鼠君は臨済にいわしているようだ。

ドブ鼠君のご都合で臨済もいわされちゃあ、たまらんわな

畢竟、溝鼠君の境地、さうまさに「境地」はこの程度なのだ。

いくら臨済にいわせようが、井筒にいわせようが、そこに溝鼠的境地があらわにあらわれいる

この溝鼠的境地とは、いかがなものか、

いかがわしい「ある」の強調

臨済の言にせよ井筒の言にせよ、それを分解してしゃぶりつくその源が「ある」「存在」「現に」というまなざしでしかおこなわれていない。

これらの言説につづけてドブ鼠君曰く「絶対に取り消されることのあり得ないもの、それは唯一無二、ブラーフマン」であり、デカルトの我思うゆえに我あり、などなどぐだぐだ云って、デカルトは「ブラーフマンの再来だったかもしれない」と

鼠君は逃げの言論述にも巧みでこの「かもしれない」はまことによく頻出する

それは鼠君は人になれない、私と他人は絶対に融合できないという確信に基づくものらしい

要は、この鼠君は徹頭徹尾、ドブの娑婆の「存在」を肯定し「私」の「存在」を肯定して

ドブ鼠君が最後に読んでほしいという共同体や自由や平等へ誘導したいらしい

畢竟、このドブ鼠君の脅威、ああ、驚異において、境位においては、

なんのための向上道か、向下道か、わからぬも当然であって

「ふり」において、真似においての否定はでけてもそれ以上には進めずしたがってみんな元の木阿弥でおわりなんぢゃね


ようは、井筒を臨済を「利」用して脱がねばならぬ「全裸」の「真人」にどんどん溝鼠的衣装にして意匠を着せ重ねてすべてをドブ鼠的もとの木阿弥

ちうと木阿弥さんにも悪いが、畢竟、否定哲学、それが洋の東西においてなされているそこのところをドブ鼠的に齧ったところで、喰えぬ不味い溝鼠の味しかせんということよ

もうひとつ、だめおしの溝鼠的広告、長口舌

斎藤慶典著「『東洋』哲学の根本問題あるいは井筒俊彦 講談社選書メチエ

裏表紙に大書してある広告をご披露しよう

ああ、我もまた溝鼠の蔓延、溝鼠著作本の広告に随分一役買っている

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

東洋哲学とは何か。インド・中国・日本の思想を指しているのか。
井筒俊彦は個別研究の枠を超え、中近東やロシア、東南アジアにも視野を広げた全東洋的思想の根底にある哲学をつかみ、拓いていく。・・・・・・省略・・・・・・

言語哲学者、イスラーム哲学研究の権威・井筒が生涯をかけた「世界的な視野を具えた新たな哲学」はどの地点に到達したのか。
その哲学的営為の総体を受け止め、更に先にある問題を見極める

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

だってさ。

わははは

とわらわざるを得ぬ

誇大広告で消費者庁に告発しちゃおう

とさえおもえるこの溝鼠君の思い上がり

まんず乗越えようとする対象をもちゃげまくって、権威付けをしこたまやって、それを乗越えるドブ鼠君は、こんなに偉いんだぞお、といデモンストレーション

まさにエピゴーネンの面目躍如

全然「その哲学的営為の総体を受け止め」てもおらんし、「更に先にある問題を見極め」てもおらん

「その哲学的営為の総体を受け止め」んぢゃのうて、書き写し書き写しして細切れ言説のその接続に溝鼠くんの臭さ、「「論理」と「存在」の肯定、それが「唯一無二」という似て非なるものを「受け止め」、疑い剥がしたはずのところの溝鼠の臭い衣をまた着こんで「更に先にある問題を見極め」た先には共同体と自由と平等がって、それを見るまなざしに「複眼、双眼」も解せずして、なおかつ

「権威・井筒が生涯をかけた「世界的な視野を具えた新たな哲学」はどの地点に到達したのか。」

という視点にいたっては、それは実践も体験も経験もともなわぬ、うわずった「論理」と「言葉」で一大交響曲を雑音と化すその腐りきった青臭い芬々の身をも顧みず、溝鼠が講壇の高みに上って井筒を見下ろしているようなそのものいいはまことに噴飯もの

これは深みや高みにおいて到達した地点ではのうて、んったく次元の違う地点への誘導の鼠罠ある

ま、世によくあるエピゴーネンどぶ鼠的景色として流しておけばよい。

消費者庁への告発もやめましょう

> いかに化粧を凝らさうが、もうその無知蒙昧のソコもあらわに
>
> 慶應大学哲学科教授とはよくいったもんだ
>
> 創価学会公明党と利用しあって文化庁長官になって文化的エピゴーネンに文化勲章文化功労者という恥の勲章を配った河合隼雄
>
> 似たようなもんだね
>
> 差異を言いつのり己が手柄となさんとするそのさもしさ
>
> 読んでいてちっとも己が血肉にもならんば、楽しくもない
>
> ましてや閃きなんぞは微塵も感じられぬ
>
> 鼻を衝くドブの臭さ
>
> そこにうろちょろする鼠
>
> ゲシュタルト的にはそういうもんしか浮かんでこない
>
>
> > つぎ、今村仁司著「『大菩薩峠』を読むー峠の旅人」ちくま新書082
> >
> > おぬしはひきあげてつかわす、この羂索に掴まれ
> >
> > 縛るんぢゃないでしょうね
> >
> > 縛りはせん、命の羂索
>
> これは途中まで斎藤的な分析手法で物語全体を破壊していちいちをしゃぶりまくる
>
> そのかぎりにおいては赤ん坊的ではあるが、赤ん坊の無心さにして、かの溝鼠的青臭さドブ臭さはない
>
> 本末転倒の本末ではのうて、巻末にいたってこれは溝鼠君とは対照的
>
> 今村の巻末は読者に開かれている、特に最終章エピローグで
>
> あの長大な峠のゲシュタルトが納得いく形で提示されている
>
> 脱中心的、本ではなく巻、風景と人物、人物の層、端役と主人公、偶然と必然などなど
>
> ただ、惜しむらくは、これは今村にも溝鼠君にも共通なんぢゃが、楽しんで書いているか?
>
> 書いたもんをまず読むのは自分
>
> その自分が楽しめる、そこに成長も閃きも飛躍も現成する
>
> それは井筒俊彦にも中里介山にも認められる
>
> 自分のコトバで自分が飛躍している
>
> ところが、自己宣伝めかしたもん、エピゴーネン的なもんにはそれがない
>
> 一読一聞でわかる、だからつまらん
>
> 自分が楽しめず、いわば苦行のごとく溝鼠君は必死に井筒言説を移しとっている
>
> 哀れ、哀れ
>
> 今村は必死とはいわんが、ひたすら登場人物の微分をつづけ、意味の微分もつづける
>
> だけんども、今村は最後には積分もでけた
>
> 御慶
>
> 溝鼠君は積分もでけんで、自己宣伝に終わる
>
> こんな溝鼠君ではその著書をいくら宣伝したところで読む気もせん
>
> 売れもせんでしょうなあ
>
> あの蛆虫鼻の清家塾長だからこの溝鼠教授が誕生したのかもしぬ
>
> > あ、溝鼠が逃げていきますよ
> >
> > あんなもんは、逃げるに任せておけ
> >
> > でも、世に害毒が、オミクロンペストが流行るかも
> >
> > ああいう大猥なもんに触れなければ、大乗ぶぢゃ
> >
> > さて、つぎは、おまえさん
> >
> > > > うかうゆかANNEX−Ω   訪問者数:11736649(今日:1327/昨日:1196)書出日時:2022/02/24(木) 15:51 赤口(戊申) 旧暦 1/24 月齢 22.9 下弦
> > > >
> > > > 大鴉啼いてニーチェの正午かな
> >
> > これはどこからでてきた?
> >
> > あっしの口からでござんす
> >
> > その口から大鴉がでてきたとや?
> >
> > いえね、閻魔さま、最初は大鴉ぢゃなかったんです
> >
> > ぢゃあ、なんだ?
> >
> > 猫でも犬でも羊でも馬でもようござんしたが、どうも地上の動物ぢゃ、ゴロはあっても、意匠があいませんし、季語もない、そこで寒鴉だったんです
> >
> > それが、どうして大鴉になったんぢゃ
> >
> > ごらんのとおりのポーの大鴉を思い出しましたもんで・・
> >
> > それでは、剽窃ではないか
> >
> > いえ、剽窃とは滅相もない
> >
> > ぢゃあ、なんだ?
> >
> > なんだって、閻魔さま、わかりませんのんか?
> >
> > わからん、んが、俺の目は節穴ぢゃない
> >
> > ぢゃあ、いっちまいましょうか
> >
> > 云え
> >
> > ニーチェの正午はご存じですよね?
> >
> > しっておる、ニーチェが悟りをひらいて突然俺みたいになったあの時ぢゃな
> >
> > そんときニーチェに閃いたのは?
> >
> > おい、雷神を呼んで来い
> >
> > 脱衣婆すっとんでいく
> >
> > あの閃きはなんぢゃ?
> >
> > 永劫回帰でごさます
> >
> > なんで永劫回帰なんぢゃ
> >
> > 神は死んだからでございます
> >
> > こちらにも永劫回帰があったな
> >
> > ありました似て非なるもんですが
> >
> > あれは大丈夫か?
> >
> > だうも盗まれたようですが、減るもんぢゃなし
> >
> > してこちらの似て非なるもんは大丈夫か
> >
> > いえね、大丈夫ぢゃないんで、お釈迦さまにずたずたに切られまくって
> >
> > あれがなくなったら俺の役目もなくなる
> >
> > お役御免の前にこのくわせんもんに鉄槌を
> >
> > 鉄槌を躱し躱して昼の月
> >
> > 何でも昼の月、すっと惚けた野郎だ、喰えねえ野郎だ
> >
> > 腹が減りました
> >
> > 喰え、喰え
> >
> > 何を?焼芋の皮?むっかすパリで鳩を喰ったが不味かった
> >
> > 鳩ぢゃなく大鴉をだ
> >
> > 歯が立ちません、なんせ入歯だから
> >
> > つべこべぬかせる入歯、つべこべ喰え
> >
> > > > はとぽっぽの餌をしょうしょう穿り返してみた
> > > >
> > > > 鳩の餌とはいえ幾許かの栄養にはなる
> > > >
> > > > 罵倒しつづけたあの兜太、大岡信へのあの定冠詞ももう鬼籍に入ってしまったのだし
> > > >
> > > > 外しましょう
> >
> > 嗚呼、焼芋の皮が恋しい
> >
> > > Jamie Cullum - "If I Never Sing Another Song" (very touching in HD)
> > > http://www.youtube.com/watch?v=EJONH8qXhKo
> > >
> > > はとぽっぽならぬ本物の大鴉を拾ってきたぞ
> > >
> > > http://www.poetryfoundation.org/poems/48860/the-raven
> > >
> > > The Raven
> > > BY EDGAR ALLAN POE
> > > Once upon a midnight dreary, while I pondered, weak and weary,
> >
> > 固くて喰えぬ
> >
> > > Shall be lifted—nevermore!
> > >
> > > 詩はもともとの言語で味わうにしくはない
> >
> > これです、これです
> >
> > ふむ、よろしい、そのまま、そのまま
> >
> > して判決は?
> >
> > もう少し溝鼠を読んでからにしよう
> >
> >

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54824] 恥の勲章 Re:[54823] 猫でも犬でも羊でも馬でもようござんしたが、溝鼠」Re:[54822] “Nevermore.”Re:[54797] I Never Sing Another Song 焼芋 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/05(Sat) 12:15  

> ゆつもてまANNEX−Ω   訪問者数:11748627(今日:633/昨日:1155)投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/04(Fri) 13:25 先負(丙辰) 旧暦 2/2 月齢 1.4
>
> 懊悩の諸手を挙げて寒昴

Oh No!

ロシアが原発にミサイルをうちむ

まさにプーチン露西亜のハルマゲドン、黙示録

> さてとん、これは閻魔大王の錫杖の音、裁きの法廷にして縛り上げる羂索

最後の審判

> 閻魔さまぢゃなくてお不動さまの持ち物ぢゃねえの?
>
> どちらさまでもよろしい
>
> まずは、斎藤慶典著「『東洋』哲学の根本問題あるいは井筒俊彦 講談社選書メチエ
>
> 地獄とはいわぬ、ドブに落ちろ、この溝鼠め。
>
> 判決は後程

多少は読んでみたが、読むに堪えぬ

つまらんのんね。先の印象に間違いはない

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

> 斎藤は若いだけに井筒俊彦に挑もうとしちょるんか、井筒俊彦の足らんところにも力んで言及しちょるが、所詮井筒俊彦の比ではなく、その交響曲的味わいを散々なもの分解してゴミをとっ散らかす

ゴミをとっ散らかす。とはいえ、もともとはゴミではない。井筒俊彦の特徴てきな概念キーワードのいちいちを取り出してそれに幼い分析、あたかも赤ん坊が一個のすばらしいモザイクでできた肖像のモザイク、積み木を崩してなめまくった挙句にもとの肖像には全然戻せない、散乱したまんまのお部屋の産卵、散乱、とっ散らかしておしまい。

*:・'°★。.:*:・'°☆。.:*:・'°★

おしまいか、だうか

最終にすっとんでいくと

ハンナ・アーレントの「政治」、共同体と自由と平等がでてくる

そこいたる道筋で井筒の言説、言葉の数々を引用して、そこに疑問符をつける

どうもこの溝鼠君は徹頭徹尾「論理」を駆使して井筒を読み解くところに根拠をおいている

だから、菩薩行も向下道も、なぜ?ということが解明されていない、と、ほざく

密教や禅は取り上げらるが民衆とは縁遠いものであって、救いをもとめる民衆に拡まった浄土宗への言及がないとほざく

はては、(いま・ここで=現に)をそこここでとっちらかし、その一章すらもうげているがなんとうすっぺらいことよ

要は、実践がない、体験、経験もない

言葉だけ論理だけで「考える」からこういう溝鼠的事態に陥る

神、真理、理性、公理、理性、論理、我、言葉、科学、みんな死んだ

さういうことを頭ではわかっても、実践として、体験として、経験としてわかっていない

だから稚拙な青臭い「論理」をふりまわし、と〜とろじ〜の牧口創価学会的なもんに成り下がる

(いま・ここで=現に)したって、そこに如何に道元の言葉、それも井筒の引用したもんを引用しても、実践・体験・経験がない、ゆえに薄っぺらい

いかに化粧を凝らさうが、もうその無知蒙昧のソコもあらわに

慶應大学哲学科教授とはよくいったもんだ

創価学会公明党と利用しあって文化庁長官になって文化的エピゴーネンに文化勲章文化功労者という恥の勲章を配った河合隼雄

似たようなもんだね

差異を言いつのり己が手柄となさんとするそのさもしさ

読んでいてちっとも己が血肉にもならんば、楽しくもない

ましてや閃きなんぞは微塵も感じられぬ

鼻を衝くドブの臭さ

そこにうろちょろする鼠

ゲシュタルト的にはそういうもんしか浮かんでこない


> つぎ、今村仁司著「『大菩薩峠』を読むー峠の旅人」ちくま新書082
>
> おぬしはひきあげてつかわす、この羂索に掴まれ
>
> 縛るんぢゃないでしょうね
>
> 縛りはせん、命の羂索

これは途中まで斎藤的な分析手法で物語全体を破壊していちいちをしゃぶりまくる

そのかぎりにおいては赤ん坊的ではあるが、赤ん坊の無心さにして、かの溝鼠的青臭さドブ臭さはない

本末転倒の本末ではのうて、巻末にいたってこれは溝鼠君とは対照的

今村の巻末は読者に開かれている、特に最終章エピローグで

あの長大な峠のゲシュタルトが納得いく形で提示されている

脱中心的、本ではなく巻、風景と人物、人物の層、端役と主人公、偶然と必然などなど

ただ、惜しむらくは、これは今村にも溝鼠君にも共通なんぢゃが、楽しんで書いているか?

書いたもんをまず読むのは自分

その自分が楽しめる、そこに成長も閃きも飛躍も現成する

それは井筒俊彦にも中里介山にも認められる

自分のコトバで自分が飛躍している

ところが、自己宣伝めかしたもん、エピゴーネン的なもんにはそれがない

一読一聞でわかる、だからつまらん

自分が楽しめず、いわば苦行のごとく溝鼠君は必死に井筒言説を移しとっている

哀れ、哀れ

今村は必死とはいわんが、ひたすら登場人物の微分をつづけ、意味の微分もつづける

だけんども、今村は最後には積分もでけた

御慶

溝鼠君は積分もでけんで、自己宣伝に終わる

こんな溝鼠君ではその著書をいくら宣伝したところで読む気もせん

売れもせんでしょうなあ

あの蛆虫鼻の清家塾長だからこの溝鼠教授が誕生したのかもしぬ

> あ、溝鼠が逃げていきますよ
>
> あんなもんは、逃げるに任せておけ
>
> でも、世に害毒が、オミクロンペストが流行るかも
>
> ああいう大猥なもんに触れなければ、大乗ぶぢゃ
>
> さて、つぎは、おまえさん
>
> > > うかうゆかANNEX−Ω   訪問者数:11736649(今日:1327/昨日:1196)書出日時:2022/02/24(木) 15:51 赤口(戊申) 旧暦 1/24 月齢 22.9 下弦
> > >
> > > 大鴉啼いてニーチェの正午かな
>
> これはどこからでてきた?
>
> あっしの口からでござんす
>
> その口から大鴉がでてきたとや?
>
> いえね、閻魔さま、最初は大鴉ぢゃなかったんです
>
> ぢゃあ、なんだ?
>
> 猫でも犬でも羊でも馬でもようござんしたが、どうも地上の動物ぢゃ、ゴロはあっても、意匠があいませんし、季語もない、そこで寒鴉だったんです
>
> それが、どうして大鴉になったんぢゃ
>
> ごらんのとおりのポーの大鴉を思い出しましたもんで・・
>
> それでは、剽窃ではないか
>
> いえ、剽窃とは滅相もない
>
> ぢゃあ、なんだ?
>
> なんだって、閻魔さま、わかりませんのんか?
>
> わからん、んが、俺の目は節穴ぢゃない
>
> ぢゃあ、いっちまいましょうか
>
> 云え
>
> ニーチェの正午はご存じですよね?
>
> しっておる、ニーチェが悟りをひらいて突然俺みたいになったあの時ぢゃな
>
> そんときニーチェに閃いたのは?
>
> おい、雷神を呼んで来い
>
> 脱衣婆すっとんでいく
>
> あの閃きはなんぢゃ?
>
> 永劫回帰でごさます
>
> なんで永劫回帰なんぢゃ
>
> 神は死んだからでございます
>
> こちらにも永劫回帰があったな
>
> ありました似て非なるもんですが
>
> あれは大丈夫か?
>
> だうも盗まれたようですが、減るもんぢゃなし
>
> してこちらの似て非なるもんは大丈夫か
>
> いえね、大丈夫ぢゃないんで、お釈迦さまにずたずたに切られまくって
>
> あれがなくなったら俺の役目もなくなる
>
> お役御免の前にこのくわせんもんに鉄槌を
>
> 鉄槌を躱し躱して昼の月
>
> 何でも昼の月、すっと惚けた野郎だ、喰えねえ野郎だ
>
> 腹が減りました
>
> 喰え、喰え
>
> 何を?焼芋の皮?むっかすパリで鳩を喰ったが不味かった
>
> 鳩ぢゃなく大鴉をだ
>
> 歯が立ちません、なんせ入歯だから
>
> つべこべぬかせる入歯、つべこべ喰え
>
> > > はとぽっぽの餌をしょうしょう穿り返してみた
> > >
> > > 鳩の餌とはいえ幾許かの栄養にはなる
> > >
> > > 罵倒しつづけたあの兜太、大岡信へのあの定冠詞ももう鬼籍に入ってしまったのだし
> > >
> > > 外しましょう
>
> 嗚呼、焼芋の皮が恋しい
>
> > Jamie Cullum - "If I Never Sing Another Song" (very touching in HD)
> > http://www.youtube.com/watch?v=EJONH8qXhKo
> >
> > はとぽっぽならぬ本物の大鴉を拾ってきたぞ
> >
> > http://www.poetryfoundation.org/poems/48860/the-raven
> >
> > The Raven
> > BY EDGAR ALLAN POE
> > Once upon a midnight dreary, while I pondered, weak and weary,
>
> 固くて喰えぬ
>
> > Shall be lifted—nevermore!
> >
> > 詩はもともとの言語で味わうにしくはない
>
> これです、これです
>
> ふむ、よろしい、そのまま、そのまま
>
> して判決は?
>
> もう少し溝鼠を読んでからにしよう
>
>

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54823] 猫でも犬でも羊でも馬でもようござんしたが、溝鼠」Re:[54822] “Nevermore.”Re:[54797] I Never Sing Another Song 焼芋 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/05(Sat) 08:47  

ゆつもてまANNEX−Ω   訪問者数:11748627(今日:633/昨日:1155)投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/04(Fri) 13:25 先負(丙辰) 旧暦 2/2 月齢 1.4

懊悩の諸手を挙げて寒昴

さてとん、これは閻魔大王の錫杖の音、裁きの法廷にして縛り上げる羂索

閻魔さまぢゃなくてお不動さまの持ち物ぢゃねえの?

どちらさまでもよろしい

まずは、斎藤慶典著「『東洋』哲学の根本問題あるいは井筒俊彦 講談社選書メチエ

地獄とはいわぬ、ドブに落ちろ、この溝鼠め。

判決は後程


つぎ、今村仁司著「『大菩薩峠』を読むー峠の旅人」ちくま新書082

おぬしはひきあげてつかわす、この羂索に掴まれ

縛るんぢゃないでしょうね

縛りはせん、命の羂索

あ、溝鼠が逃げていきますよ

あんなもんは、逃げるに任せておけ

でも、世に害毒が、オミクロンペストが流行るかも

ああいう大猥なもんに触れなければ、大乗ぶぢゃ

さて、つぎは、おまえさん

> > うかうゆかANNEX−Ω   訪問者数:11736649(今日:1327/昨日:1196)書出日時:2022/02/24(木) 15:51 赤口(戊申) 旧暦 1/24 月齢 22.9 下弦
> >
> > 大鴉啼いてニーチェの正午かな

これはどこからでてきた?

あっしの口からでござんす

その口から大鴉がでてきたとや?

いえね、閻魔さま、最初は大鴉ぢゃなかったんです

ぢゃあ、なんだ?

猫でも犬でも羊でも馬でもようござんしたが、どうも地上の動物ぢゃ、ゴロはあっても、意匠があいませんし、季語もない、そこで寒鴉だったんです

それが、どうして大鴉になったんぢゃ

ごらんのとおりのポーの大鴉を思い出しましたもんで・・

それでは、剽窃ではないか

いえ、剽窃とは滅相もない

ぢゃあ、なんだ?

なんだって、閻魔さま、わかりませんのんか?

わからん、んが、俺の目は節穴ぢゃない

ぢゃあ、いっちまいましょうか

云え

ニーチェの正午はご存じですよね?

しっておる、ニーチェが悟りをひらいて突然俺みたいになったあの時ぢゃな

そんときニーチェに閃いたのは?

おい、雷神を呼んで来い

脱衣婆すっとんでいく

あの閃きはなんぢゃ?

永劫回帰でごさます

なんで永劫回帰なんぢゃ

神は死んだからでございます

こちらにも永劫回帰があったな

ありました似て非なるもんですが

あれは大丈夫か?

だうも盗まれたようですが、減るもんぢゃなし

してこちらの似て非なるもんは大丈夫か

いえね、大丈夫ぢゃないんで、お釈迦さまにずたずたに切られまくって

あれがなくなったら俺の役目もなくなる

お役御免の前にこのくわせんもんに鉄槌を

鉄槌を躱し躱して昼の月

何でも昼の月、すっと惚けた野郎だ、喰えねえ野郎だ

腹が減りました

喰え、喰え

何を?焼芋の皮?むっかすパリで鳩を喰ったが不味かった

鳩ぢゃなく大鴉をだ

歯が立ちません、なんせ入歯だから

つべこべぬかせる入歯、つべこべ喰え

> > はとぽっぽの餌をしょうしょう穿り返してみた
> >
> > 鳩の餌とはいえ幾許かの栄養にはなる
> >
> > 罵倒しつづけたあの兜太、大岡信へのあの定冠詞ももう鬼籍に入ってしまったのだし
> >
> > 外しましょう

嗚呼、焼芋の皮が恋しい

> Jamie Cullum - "If I Never Sing Another Song" (very touching in HD)
> http://www.youtube.com/watch?v=EJONH8qXhKo
>
> はとぽっぽならぬ本物の大鴉を拾ってきたぞ
>
> http://www.poetryfoundation.org/poems/48860/the-raven
>
> The Raven
> BY EDGAR ALLAN POE
> Once upon a midnight dreary, while I pondered, weak and weary,

固くて喰えぬ

> Shall be lifted—nevermore!
>
> 詩はもともとの言語で味わうにしくはない

これです、これです

ふむ、よろしい、そのまま、そのまま

して判決は?

もう少し溝鼠を読んでからにしよう

やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


[54822] “Nevermore.”Re:[54797] I Never Sing Another Song 焼芋 投稿者:梵@天地獄@舌下の黙々 投稿日:2022/03/03(Thu) 18:55  

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> うかうゆかANNEX−Ω   訪問者数:11736649(今日:1327/昨日:1196)書出日時:2022/02/24(木) 15:51 赤口(戊申) 旧暦 1/24 月齢 22.9 下弦
>
> 大鴉啼いてニーチェの正午かな
>
> はとぽっぽの餌をしょうしょう穿り返してみた
>
> 鳩の餌とはいえ幾許かの栄養にはなる
>
> 罵倒しつづけたあの兜太、大岡信へのあの定冠詞ももう鬼籍に入ってしまったのだし
>
> 外しましょう


Jamie Cullum - "If I Never Sing Another Song" (very touching in HD)
http://www.youtube.com/watch?v=EJONH8qXhKo

はとぽっぽならぬ本物の大鴉を拾ってきたぞ

http://www.poetryfoundation.org/poems/48860/the-raven

The Raven
BY EDGAR ALLAN POE
Once upon a midnight dreary, while I pondered, weak and weary,
Over many a quaint and curious volume of forgotten lore—
While I nodded, nearly napping, suddenly there came a tapping,
As of some one gently rapping, rapping at my chamber door.
“’Tis some visitor,” I muttered, “tapping at my chamber door—
Only this and nothing more.”

Ah, distinctly I remember it was in the bleak December;
And each separate dying ember wrought its ghost upon the floor.
Eagerly I wished the morrow;—vainly I had sought to borrow
From my books surcease of sorrow—sorrow for the lost Lenore—
For the rare and radiant maiden whom the angels name Lenore—
Nameless here for evermore.

And the silken, sad, uncertain rustling of each purple curtain
Thrilled me—filled me with fantastic terrors never felt before;
So that now, to still the beating of my heart, I stood repeating
“’Tis some visitor entreating entrance at my chamber door—
Some late visitor entreating entrance at my chamber door;—
This it is and nothing more.”

Presently my soul grew stronger; hesitating then no longer,
“Sir,” said I, “or Madam, truly your forgiveness I implore;
But the fact is I was napping, and so gently you came rapping,
And so faintly you came tapping, tapping at my chamber door,
That I scarce was sure I heard you”—here I opened wide the door;—
Darkness there and nothing more.

Deep into that darkness peering, long I stood there wondering, fearing,
Doubting, dreaming dreams no mortal ever dared to dream before;
But the silence was unbroken, and the stillness gave no token,
And the only word there spoken was the whispered word, “Lenore?”
This I whispered, and an echo murmured back the word, “Lenore!”—
Merely this and nothing more.

Back into the chamber turning, all my soul within me burning,
Soon again I heard a tapping somewhat louder than before.
“Surely,” said I, “surely that is something at my window lattice;
Let me see, then, what thereat is, and this mystery explore—
Let my heart be still a moment and this mystery explore;—
’Tis the wind and nothing more!”

Open here I flung the shutter, when, with many a flirt and flutter,
In there stepped a stately Raven of the saintly days of yore;
Not the least obeisance made he; not a minute stopped or stayed he;
But, with mien of lord or lady, perched above my chamber door—
Perched upon a bust of Pallas just above my chamber door—
Perched, and sat, and nothing more.

Then this ebony bird beguiling my sad fancy into smiling,
By the grave and stern decorum of the countenance it wore,
“Though thy crest be shorn and shaven, thou,” I said, “art sure no craven,
Ghastly grim and ancient Raven wandering from the Nightly shore—
Tell me what thy lordly name is on the Night’s Plutonian shore!”
Quoth the Raven “Nevermore.”

Much I marvelled this ungainly fowl to hear discourse so plainly,
Though its answer little meaning—little relevancy bore;
For we cannot help agreeing that no living human being
Ever yet was blessed with seeing bird above his chamber door—
Bird or beast upon the sculptured bust above his chamber door,
With such name as “Nevermore.”

But the Raven, sitting lonely on the placid bust, spoke only
That one word, as if his soul in that one word he did outpour.
Nothing farther then he uttered—not a feather then he fluttered—
Till I scarcely more than muttered “Other friends have flown before—
On the morrow he will leave me, as my Hopes have flown before.”
Then the bird said “Nevermore.”

Startled at the stillness broken by reply so aptly spoken,
“Doubtless,” said I, “what it utters is its only stock and store
Caught from some unhappy master whom unmerciful Disaster
Followed fast and followed faster till his songs one burden bore—
Till the dirges of his Hope that melancholy burden bore
Of ‘Never—nevermore’.”

But the Raven still beguiling all my fancy into smiling,
Straight I wheeled a cushioned seat in front of bird, and bust and door;
Then, upon the velvet sinking, I betook myself to linking
Fancy unto fancy, thinking what this ominous bird of yore—
What this grim, ungainly, ghastly, gaunt, and ominous bird of yore
Meant in croaking “Nevermore.”

This I sat engaged in guessing, but no syllable expressing
To the fowl whose fiery eyes now burned into my bosom’s core;
This and more I sat divining, with my head at ease reclining
On the cushion’s velvet lining that the lamp-light gloated o’er,
But whose velvet-violet lining with the lamp-light gloating o’er,
She shall press, ah, nevermore!

Then, methought, the air grew denser, perfumed from an unseen censer
Swung by Seraphim whose foot-falls tinkled on the tufted floor.
“Wretch,” I cried, “thy God hath lent thee—by these angels he hath sent thee
Respite—respite and nepenthe from thy memories of Lenore;
Quaff, oh quaff this kind nepenthe and forget this lost Lenore!”
Quoth the Raven “Nevermore.”

“Prophet!” said I, “thing of evil!—prophet still, if bird or devil!—
Whether Tempter sent, or whether tempest tossed thee here ashore,
Desolate yet all undaunted, on this desert land enchanted—
On this home by Horror haunted—tell me truly, I implore—
Is there—is there balm in Gilead?—tell me—tell me, I implore!”
Quoth the Raven “Nevermore.”

“Prophet!” said I, “thing of evil!—prophet still, if bird or devil!
By that Heaven that bends above us—by that God we both adore—
Tell this soul with sorrow laden if, within the distant Aidenn,
It shall clasp a sainted maiden whom the angels name Lenore—
Clasp a rare and radiant maiden whom the angels name Lenore.”
Quoth the Raven “Nevermore.”

“Be that word our sign of parting, bird or fiend!” I shrieked, upstarting—
“Get thee back into the tempest and the Night’s Plutonian shore!
Leave no black plume as a token of that lie thy soul hath spoken!
Leave my loneliness unbroken!—quit the bust above my door!
Take thy beak from out my heart, and take thy form from off my door!”
Quoth the Raven “Nevermore.”

And the Raven, never flitting, still is sitting, still is sitting
On the pallid bust of Pallas just above my chamber door;
And his eyes have all the seeming of a demon’s that is dreaming,
And the lamp-light o’er him streaming throws his shadow on the floor;
And my soul from out that shadow that lies floating on the floor
Shall be lifted—nevermore!

詩はもともとの言語で味わうにしくはない



やれ涼し翔ぶも堕ちるも天馬空


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