[55013] 「勤労感謝」?いやな言葉だ!Re:[55012] 凍臥凍眠 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2023/11/24(Fri) 10:30 |
[55012] 凍臥凍眠 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2023/11/23(Thu) 09:27 |
[55011] わがのちに残るはゴミの山のみなれば忸怩たるものがある 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2023/11/18(Sat) 09:36 |
[55010] 人と人との間にある衣、衣冠装束、地位、職業、ようは関係のみに規定されている己なしの人間のありよう、媒介、言葉もまた間の媒介、西田の「場所」もまた媒介Re:[55009] 意味の転回、音の転回、文字の転回 アラビヤのjin、アラジンのジンね、魔法、もの憑き、憑依するジン、人、神、ジンジンジン などなど妄想連想を逞しくすれば学問ならずもの面白さも真面目もある 神を偏と旁に分解すれば、示して申す 仏を偏と旁に分解すれば、人がおぼろ、まぼろし 語幹のボロは襤褸に通じるか まことにボロボロの、ぼろい、もろい、さういうものを意味の時空で展開してソンザイとなすゾンザイなニンゲンのアリヨウがモンダイなのである アベノミクス、安倍晴明 アブノーマル、アブナイ、アベコベ、アビダルマ、アブク、アブレモノ・・・ 接頭辞のab-は、ラテン語のab-(off, away from) に由来し、「離れて、反対」などを意味する単語を作ります … だうも印欧語のab-は日本語にもきているらしい 考えてみれば当たり前だのクラッカー 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2023/11/15(Wed) 11:05 |
[55009] 意味の転回、音の転回、文字の転回 アラビヤのjin、アラジンのジンね、魔法、もの憑き、憑依するジン、人、神、ジンジンジン などなど妄想連想を逞しくすれば学問ならずもの面白さも真面目もある 神を偏と旁に分解すれば、示して申す 仏を偏と旁に分解すれば、人がおぼろ、まぼろし 語幹のボロは襤褸に通じるか まことにボロボロの、ぼろい、もろい、さういうものを意味の時空で展開してソンザイとなすゾンザイなニンゲンのアリヨウがモンダイなのである アベノミクス、安倍晴明 アブノーマル、アブナイ、アベコベ、アビダルマ、アブク、アブレモノ・・・ 接頭辞のab-は、ラテン語のab-(off, away from) に由来し、「離れて、反対」などを意味する単語を作ります … だうも印欧語のab-は日本語にもきているらしい 考えてみれば当たり前だのクラッカー 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2023/11/12(Sun) 07:17 |
[55008] みんな腑抜けさ あの山々を観ろ、人間の原罪という幻をもって洗脳し、はては鞭打って、拷問し、むしり取って、人間を食いつくして、いまだにのうのうと、手を挙げ、人間の、世間の歓声に応えて恥ずかしげもなく、世界中を漫歩している、幻の山がそこここに現成している ありもせぬ存在を存在としてあらしめるまやかしRe:[55007] この世の千教万説の念々の正念誤念無念生念を一歩一歩「ねばならぬ」と呻吟しながら「どうしようもないわたしが歩いてゐる」西田幾多郎、「分け入っても分け入っても青い山」の西田哲学 世の生念正念誤念無念してまた生念正念誤念無念を繰り返すむきにはたまらない魅力なんであらう 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2023/11/06(Mon) 10:44 |
[55007] この世の千教万説の念々の正念誤念無念生念を一歩一歩「ねばならぬ」と呻吟しながら「どうしようもないわたしが歩いてゐる」西田幾多郎、「分け入っても分け入っても青い山」の西田哲学 世の生念正念誤念無念してまた生念正念誤念無念を繰り返すむきにはたまらない魅力なんであらう 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2023/11/03(Fri) 09:19 |
[55006] 自らの醜悪を隠す隠れ蓑でしょ、ジャニーズ報道!ビッグモータ報道もおなじですね、みんな醜悪ですね 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2023/10/29(Sun) 09:33 |
[55005] 西田の「哲学」がジャーゴンで奇怪なる言葉の羅列にして、井筒の「形而上学」がまことに華麗なる詩にしてイマージュ、交響曲にしても 井筒の「形而上学」は西田のジャーゴンにして奇怪なる言葉、さらにはその酔って、由ってきたる元のコトバを華麗なる詩にしてイマージュ化、交響曲化した その片鱗は「絶対無」などのそこここの共通術語概念にまことに露わである 而して、西田の「哲学」の「場」にしても、井筒の「形而上学」の東洋思想の「共時的構造化」の「フィールド」や「構造」にしても、ともにまことに空間的であるRe:[55004] 西田カルチャー西武線Re:[55003] 解るということもまた妄想であるRe:[55000] 「他者」も、それに対する「軸」も「立場」も「場所」も千変万化、七変化する、あるいはもろもろが同時出現し「存在」する、ゆえに「他者」「軸」「立場」「場所」それぞれが軋轢を起こし矛盾のなかで呻吟する(西田幾多郎的)憂き目に舞い戻るのは火を見るより明らかである この憂き目は自我一個の軋轢、矛盾、憂き目ならずして、世界の軋轢、矛盾、憂き目である なれば、だうするか? 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2023/10/17(Tue) 10:56 |
[55004] 西田カルチャー西武線Re:[55003] 解るということもまた妄想であるRe:[55000] 「他者」も、それに対する「軸」も「立場」も「場所」も千変万化、七変化する、あるいはもろもろが同時出現し「存在」する、ゆえに「他者」「軸」「立場」「場所」それぞれが軋轢を起こし矛盾のなかで呻吟する(西田幾多郎的)憂き目に舞い戻るのは火を見るより明らかである この憂き目は自我一個の軋轢、矛盾、憂き目ならずして、世界の軋轢、矛盾、憂き目である なれば、だうするか? 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2023/09/29(Fri) 21:15 |
[55003] 解るということもまた妄想であるRe:[55000] 「他者」も、それに対する「軸」も「立場」も「場所」も千変万化、七変化する、あるいはもろもろが同時出現し「存在」する、ゆえに「他者」「軸」「立場」「場所」それぞれが軋轢を起こし矛盾のなかで呻吟する(西田幾多郎的)憂き目に舞い戻るのは火を見るより明らかである この憂き目は自我一個の軋轢、矛盾、憂き目ならずして、世界の軋轢、矛盾、憂き目である なれば、だうするか? 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2023/09/24(Sun) 12:14 |
[55002] そもそもが、聖徳太子が突厥、あの時代の半島三国からの渡来民、半島の習慣として血族血筋がうるさくいがみ合う古代に半島三国を「超越」した突厥の聖徳太子が「和をもって貴し」となし・・半島三国外だから、太子に終わって天皇のならんなれんかった聖徳太子説など、はたまたその後の坂口安吾の「源・平、新羅・百済」説などまことに興味深く感じる某甲なれば、べつに安倍が朝鮮人だからといって差別感情などはだうもかうもないが、ことのなりゆきに関してはあれこれとの整合性にはガッテンがいくRe:[55001] 根っこは同じRe:[55000] 「他者」も、それに対する「軸」も「立場」も「場所」も千変万化、七変化する、あるいはもろもろが同時出現し「存在」する、ゆえに「他者」「軸」「立場」「場所」それぞれが軋轢を起こし矛盾のなかで呻吟する(西田幾多郎的)憂き目に舞い戻るのは火を見るより明らかである この憂き目は自我一個の軋轢、矛盾、憂き目ならずして、世界の軋轢、矛盾、憂き目である なれば、だうするか? 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2023/07/31(Mon) 19:20 |
[55001] 根っこは同じRe:[55000] 「他者」も、それに対する「軸」も「立場」も「場所」も千変万化、七変化する、あるいはもろもろが同時出現し「存在」する、ゆえに「他者」「軸」「立場」「場所」それぞれが軋轢を起こし矛盾のなかで呻吟する(西田幾多郎的)憂き目に舞い戻るのは火を見るより明らかである この憂き目は自我一個の軋轢、矛盾、憂き目ならずして、世界の軋轢、矛盾、憂き目である なれば、だうするか? 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2023/07/18(Tue) 08:40 |
[55000] 「他者」も、それに対する「軸」も「立場」も「場所」も千変万化、七変化する、あるいはもろもろが同時出現し「存在」する、ゆえに「他者」「軸」「立場」「場所」それぞれが軋轢を起こし矛盾のなかで呻吟する(西田幾多郎的)憂き目に舞い戻るのは火を見るより明らかである この憂き目は自我一個の軋轢、矛盾、憂き目ならずして、世界の軋轢、矛盾、憂き目である なれば、だうするか? 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2023/04/16(Sun) 10:25 |
[54999] 明治期の「哲学」先導者は、だうも、浄土系、とくに真宗とクリスチャンが多い まあ、あたりまえであって、「存在」を前提にした「哲学」を解するには、やはち「神」や「阿弥陀」の「存在」を妄信した脳みそでのうては、解し得ずなんだから、さういうもんに浸れば自ずから洗脳されて「存在」に惑溺の憂き目に陥るわけであって・・Re:[36102] 処女出戻り三昧です。Re:[36089] 絶対に私のものならぬこの隠れたる決定の、おのずからなる反射として、その時その処に生起するところの、私自身の自己決定の形に過ぎない。≫Re:[36066] バカ見たでしょうね。文字通り。Re:[36051] この大いなる決定そのもののほかにはない。≫牛の尻っぺたでも食ってくるか。Re:[36046] 一切の人間的・主体的なるものの絶対的な消滅点としての沈黙と、たぬきの『沈黙』の対比について。Re:[35443] [35421] 創造の泉から湧くその語りは尽きることなく、未完のことばは無限の展開の可能性をはらんでいる禁無断転載。Re:[35420] 禁無断転載の私の「主体性」、人間の存在を問い、西田幾多郎、カール・バルトに師事。そして見出した、人間存在の根底に横たわる「原事実」。生涯にわたって人間存在の原点を思考し抜いた禁無断転載。Re:[35419] 滝沢克己who’who 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2023/04/14(Fri) 23:58 |
[54998] そこを誤って「存在」と妄信することにより、人間は容易に「無限」とか「全」とか「一」とか「神」とか「基体」とか「モノ」とか「金」とか「 権威」とか「怖れ」とか「ヌミノーゼ」とか「叡智」とか「栄光」とか「真実」とか「奴隷」とか「救済」とかに「絶対矛盾的自己同一」する陥穽、地獄に落ちるのであ〜る 目下のプーチン、かつての十字軍、ナチス、はてまた西欧列強ならびに弱小我が国の植民地主そ義、帝国主義、人間が人間を虐殺しても、それをしゃあしゃあと正当化するのであ〜る 究極の「神」とか「善」と「自我」の「存在」が「同一」化した妄想に奔った結果である 事態ロゴスを虚実と覚すれば、さういう馬鹿馬鹿しいことはありえないのであって、金の妄者も、権力の妄者も、神聖の妄者も、ありえないのであ〜る 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2023/04/01(Sat) 07:37 |
[54997] 「世界は中心点なく周辺なき円の自己限定と考えられる、世界の進展は円の中に円を描くと考えられる」窮宴バブルである 加之 この「弁証法的一般者」もまたバブルである バブルの煮え滾る苦娑婆地獄の画である 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2023/03/27(Mon) 16:05 |
[54996] 計名字相哲学としての西田哲学、業繋苦相としての西田幾多郎 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2023/03/24(Fri) 19:40 |
[54995] わかった、わかった、自在鉤の鑰に魂を吊って、滑車の別の綱を、こうやって下へ肉体、質量でもって引っ張れば、魂は天上へ上昇していくのね 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2023/01/22(Sun) 11:34 |
[54994] この猿のサーカスを繰り返し繰り返し味わうのも、一狂にして一驚、一興 「神」の「叡智」の養生には栄養でもあらうRe:[54993] 猿曳の背にねる猿や戻りみち 西欧的ロゴスのイデオロギーの先端で舞う「猿」たる西田哲学、その「猿曳」たる西田幾多郎、そういうものをなにか象徴している 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2023/01/16(Mon) 15:27 |
[54993] 西欧的ロゴスのイデオロギーの先端で舞う猿曳の背にねる猿や戻りみち「猿」たる西田哲学、その「猿曳」たる西田幾多郎、そういうものをなにか象徴している 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2023/01/15(Sun) 05:48 |
[54992] そして、だれも解説をかかない。そして、だれも解説をかかない。日本文化の問題。萎縮と憂鬱の西田「哲学」 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2023/01/10(Tue) 05:29 |
[54991] 妄言、駄現、まあ、なんでもいいのよ、それが目覚めの契機になれば・・天上の神への「存在」へ讃仰し自己同一化しようとする「意志」「行為」が禍をもたらす Re:[54990] 類想・類相・類争 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2023/01/08(Sun) 11:21 |
[54990] 類想・類相・類争 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2023/01/06(Fri) 11:26 |
[54989] 幾多郎の俳論もなきにしもあらずも、おのずから小理屈の頸の飛んだ風情も味わえる 果たして、俳句というものは世代ごとに劣化してきたやうにおもえなくもない(傍観者化が顕著)Re:[54988] 2023年三賀日がすぎゆく午後の日差しの中で 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2023/01/03(Tue) 21:05 |
[54988] 2023年三賀日がすぎゆく午後の日差しの中で 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2023/01/03(Tue) 14:57 |
[54987] 寒暁とわたくしといふ現象 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/12/29(Thu) 08:00 |
[54986] 絶対同一的自己矛盾 が露わであらうがね、そこではどこまでもいくら言葉の表層で否定しようが他化してしかものがみれぬ遍計所執性的自己がサーカス曲芸でしかない ということは、畢竟西田幾多郎君らは「純粋経験」さえにも「自覚」さえにも至っていないということ もっとも、小理屈の頭の体操としては、西田幾多郎君の絶対矛盾的自己同一にして絶対同一的自己矛盾もおもしろい、おもしろが、せぜい、そこまでであるRe:[54985] 井筒の(円成実性)と上田幾多郎の(依他起性→遍計所執性)Re:[54984] 版画2幅Re:[54970] 俳句も人生の一断面、傍観者的詠みをもっては己自身に跳ね返ってこない、にっちもさっちもいかぬ、とっくみあいのない句は、やはり一抹のおもしろさはあっても、所詮はつまらんのね、京都学派蛸壺哲学のように・・Re:[54969] 佞者の上に胡坐をかいて平然と座主鉄面皮の面々 社会の一縮図にして臭気芬々 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/12/27(Tue) 08:00 |
[54985] 井筒の(円成実性)と上田幾多郎の(依他起性→遍計所執性)Re:[54984] 版画2幅Re:[54970] 俳句も人生の一断面、傍観者的詠みをもっては己自身に跳ね返ってこない、にっちもさっちもいかぬ、とっくみあいのない句は、やはり一抹のおもしろさはあっても、所詮はつまらんのね、京都学派蛸壺哲学のように・・Re:[54969] 佞者の上に胡坐をかいて平然と座主鉄面皮の面々 社会の一縮図にして臭気芬々 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/12/26(Mon) 16:42 |
[54984] 版画2幅Re:[54970] 俳句も人生の一断面、傍観者的詠みをもっては己自身に跳ね返ってこない、にっちもさっちもいかぬ、とっくみあいのない句は、やはり一抹のおもしろさはあっても、所詮はつまらんのね、京都学派蛸壺哲学のように・・Re:[54969] 佞者の上に胡坐をかいて平然と座主鉄面皮の面々 社会の一縮図にして臭気芬々 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/12/26(Mon) 09:27 |
[54983] 浄穢なし、土は土Re:[54982] 南無愚城八幡大明神Re:[54981] 宇宙の気息と一になる真言密教へ浄土教をひきいれてた覚鑁に幾多郎を擬する所以、いづれにしても、この狂相のことはよく考えてみませう。 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/12/26(Mon) 07:10 |
[54982] 南無愚城八幡大明神Re:[54981] 宇宙の気息と一になる真言密教へ浄土教をひきいれてた覚鑁に幾多郎を擬する所以、いづれにしても、この狂相のことはよく考えてみませう。 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/12/24(Sat) 12:19 |
[54981] 宇宙の気息と一になる真言密教へ浄土教をひきいれてた覚鑁に幾多郎を擬する所以、いづれにしても、この狂相のことはよく考えてみませう。 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/12/23(Fri) 14:17 |
[54980] 人間の器量が期せずして暴露されているRe:[54979] なべて言語矛盾であって「ねばならぬ」という口吻ですら、それが「絶対矛盾的自己同一」「逆対応」を正当化するのであれば、まったく「ねばならぬ」ということはないのであって、この西田幾多郎君の頭の中はどうなっているのだらうか?ガタガタにおいて大拙は、そんな概念にして言葉の形骸の積み木なんぞ、このガタガタ一発で崩れてしまうぞ、と警告を発しているとおもわれるが、西田の弟子らはいったいそれに気が付いたのであらうか? 気が付いていれば、ああいう、上田を含めて他化して平然としている概念遊びなんぞに惚けておらんでせうね 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/12/22(Thu) 23:40 |
[54979] なべて言語矛盾であって「ねばならぬ」という口吻ですら、それが「絶対矛盾的自己同一」「逆対応」を正当化するのであれば、まったく「ねばならぬ」ということはないのであって、この西田幾多郎君の頭の中はどうなっているのだらうか?ガタガタにおいて大拙は、そんな概念にして言葉の形骸の積み木なんぞ、このガタガタ一発で崩れてしまうぞ、と警告を発しているとおもっわれるが、西田の弟子らはいったいそれに気が付いたのであらうか? 気が付いていれば、ああいう、上田を含めて他化して平然としている概念遊びなんぞに惚けておらんでせうね 投稿者:梵@天地獄 投稿日:2022/12/20(Tue) 22:54 |
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